今が生死

今が生死

2022.11.11
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カテゴリ: 世界平和


今『平和の哲学 寛容の智慧』を読んでいるが、その中にハーバード大学ドゥ・ウェイミン教授の言葉がでてくる。「宗教指導者には信者達を幸福にする責任があると同時に公的知識人としての役割も担う責任がある。つまり社会改革や社会の幸福を構築していく責任である」と述べていた。
今宗教法人の旧統一教会が大きな社会問題になり、国会でも討議されている。
旧統一教会の指導者は信者のみなさんやその家族を本当に幸せにしたであろうか?そして公的知識人として社会生活を改善し、国民を幸せにしてきたであろうか?ということが問われているだと思う。
『平和の哲学 寛容の智慧』は元インドネシア大統領ワヒド氏と創価学会名誉会長池田大作氏の対談集だが、ワヒド氏は敬虔なイスラム教徒でイスラム教の指導的立場にある人でもある。 
イスラムと言えばタリバンやイスラム国など聖典コーランに忠実に行動する集団として、イスラムに背いたり敵対する者には容赦なく暴力的攻撃を行う極めて狭量無知な集団で紛争や戦争の火だねを作っている最悪の宗教ではないかと思っていたがワヒド氏の話を聞くととんでもない思い違いをしていたと思った。
ワヒド氏は「紛争を引き起こす要因は際限なく自分さえ良ければよいという心です。寛容性がなく、自分が良ければそれでよいと思っている。文化の違いについては互いに尊重しあうことが大切で、イスラムはキリスト教を尊重する、キリスト教はイスラムを尊重するように付き合っていくことが大切だ」と述べていた。イスラムは寛容性のない困った宗教だと思っていたが、ワヒド氏は「異なった宗教のの帰依者は相手の宗教を容認して尊重し、敬意を表さなければならない」と述べており、偏狭で融通の効かない印象の宗教とは180度違っていた。イスラム原理主義者達の過激な行動がイスラムに対する偏見を引き起こしていたと思われた。イスラム教信者の中でも様々な考えの人がいてワヒド氏のような考えの人ばかりではないかもしれないが、少なくとも原理主義者たちの言動はイスラムの本流ではないことが分かって安心し、自分の不明を恥じた。
「宗教は人間の幸福のためにある。民族性や文化的な違い、或いは歴史的な背景に関わらず、対話によって人類共通の価値を普及させ、グローバルな”平和の文化と調和”を実現することが出来る」とした国連ミレニアムサミットでのワヒド氏のスピーチに改めて敬服し、世界の宗教指導者はすべからくワヒド氏のごとくあって欲しいと思った。





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Last updated  2022.11.11 23:11:12
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