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時は春、奈良のある尼寺での話。庵主さん、庭に出てつくしを摘んでいた。「お客さんのためにつくしご飯を作ってあげようと思って」「へー、つくしご飯ですか?」そんな会話をしていた時、家のほうで電話が鳴った。「あ、電話が鳴ってますよ」とボク。「いいの、いいの、用のある人はまたかけてくるから」が~ん!と頭に一発食らった気がした。電話が鳴るとなにをおいても電話機のところに駆けつけることが習慣になっていた。でも考えてみると庵主さんの言うとおり、何もあわてる事はないのだ。そうか、電話を使うのでなく電話に使われていたのだ。以来、ボクの電話に対する対応が変った。電話だけでなく、文明の利器といわれるものには気をつけねばならない。使うつもりが、いつのまにか使われていることが多い。
2004/11/30
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金曜日から4日間出かけていて、パソコンのない毎日を過ごした。これも一種のスローライフ?その間、推理小説など本を三冊読んだ。そして一日、新橋・汐留地区と六本木ヒルズを散策した。汐留ではガラス張りの超高層ビルがいくつも出来ていた。日テレの地下一階にある「汐留ラーメン」に行列が出来ていた。六本木ヒルズでは文字通りおのぼりさんになって、52階の展望台に上った。1,500円必要だったが東京を360度見渡せた。何かの写真展に長い行列が出来ていた。今日帰って娘に話したら、「それはヨン様の写真展だよ」ということだった。汐留でも六本木でもあまり感動はなかった。海が見たくなったので汐留から「ゆりかもめ」に乗ってレインボーブリッジを渡った。お台場でウインドサーフィンをやっているのが見えた。ボクは今年になって一度もやっていない。
2004/11/29
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明るくなるのを待って菜園へと向かった。千葉の義母へ送る野菜の収穫に。野道の草は露にぬれてみずみずしい。向かいの山には朝もやが低く立ち込めている。頭上には小鳥のさえずり。眼下の家の庭先からは、落ち葉でも焚いているのだろうか、真っ白な煙が静かに立ち上っている。畦に植わっているクヌギの木から一枚、また一枚と葉が舞い落ちている。朝の早いのは気持ちがいい。毎朝早起きすればいいのに。ぐうたらなボクにはそれができない。外部との約束がない日は九時、十時まで寝ている。だって、たまに早起きするから朝の爽快な気分を味わえるのであって、毎朝では感激が薄れてしまう、こんな勝手な言い訳を用意して・・・。
2004/11/25
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近所に住むYさんから「石の展覧会をするから見てくれ」と言われた。よく聞いてみると、そういう同好会があってみんなで採石に行き、気に入った石を拾ってくる、それを手入れして品評会のようなことをやっているのだと言う。へー、そんな楽しみ方もあるの?面白そう・・・。早速Webサイトで調べた。あった、“全日本愛石協会”そして各地にたくさんの支部がある。そういえばボクの知人にも、どこかに出かけると、必ず石を1個拾って帰るのがいたっけ。彼もそんな会に入ってるのかな。とにかく案内をもらった石の展覧会なるものを覗いてみよう。
2004/11/24
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午後から会議。ある事柄で、かなり強力に自分の意見を主張した。自分としては筋を通すべきところはあくまで、と思っているが、相手側から見たら頑固な奴、協調性のない奴ということになるだろう。ま、しゃあないなあー、いうべきことを言ったのだからあとはどういう結果になっても自分で責任とればいいだけやから・・・。
2004/11/23
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「どっちが幸福なのかしらね。好きな人と一緒に暮らすことと、別な人と暮らしながら好きな人のことを思いつづけることと」と女。「そりゃあ一緒に暮らす方だろう」と男。「でも、一緒にいると、その人の嫌なところも目にするじゃない。つまらないことで喧嘩(けんか)したり。そういうことが毎日積み重なっていくと--」これは片山恭一さんのベストセラー「世界の中心で、愛をさけぶ」にある作品の主題にかかわる恋人同士の会話だ、ということを毎日新聞「憂楽帳」(11月16日)で知ったのです。ちょっと考えさせられる問答なのでメモっておきました。さあみなさんはどっち? こんな事を話題にしておしゃべりするのも楽しいかもしれません、判断にはその人の過去や現在が関係してくるから。
2004/11/22
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予定通りJR那智駅から熊野古道の一部を歩いて西国札所一番青岸渡寺に巡拝した。帰りには紀三井寺で途中下車、二番札所の紀三井寺も訪ねた。二日間とも好天で、秋の深まる南紀をいとこたちと共に満喫した。熊野古道のウォークもよかったが、久しぶりに海を、それも太平洋を見たのがうれしかった。JRの車窓から、そして宿の温泉から、二日間しっかりと海を見ることができた。この夏の四国遍路で高知を歩き、太平洋の海を毎日見ていた二週間の事を思い出した。足摺岬の断崖に打ち寄せて白く砕ける波、台風の余波で打ち寄せてくるびっくりするような大波、叶崎灯台から見た水平線・・・・。やはり海はボクにとって特別の何かなのだ。
2004/11/21
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三年前からいとこ同士誘い合わせて、西国三十三ヶ所をウオーキングしている。電車を利用して駅から10キロ前後の距離を歩いてお参りする。参加者は毎回10~15人位。明日はその14回目、JR那智駅から熊野古道を歩いて一番札所・青岸渡寺を訪ねる。この熊野古道、今年7月世界文化遺産に登録されて一躍有名になって、わんさと人が押しかけているという。《我一人横行》のボクとしては、そういう人の多いところに足を向けること自体気が進まないが、年初に決めてあったことなので仕方がない。文化遺産の登録などは予想外の事であった。幸い天気はよさそうだし、今回は勝浦温泉に一泊するので、ウォークのあとはゆっくり温泉に浸かってうまい酒を飲み、せいぜい浮世の極楽を味わってくることにしよう。
2004/11/19
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ボージョレ・ヌーボーの解禁日。ワイン愛好家にとってはお待ちかねの日なんでしょうネ。大いにお楽しみくださいといっておきましょう。天邪鬼を自認するボクは、人がみなこうだといえばそうじゃないといいたくなる困った性格の持主。数年前、書家の榊莫山さんが、蟹の絵を前にして[人みな直行、われ一人横行]という語句を紹介されておられたのを思い出します。クリスマスにはケーキを食べる、節分には巻き寿司をまるかじりする、といった風習に目くじら立ててどうこう言うつもりはありませんが、なぜかついていけません。人と同じ事をするのが悪いとは思いませんが、自分の趣味や主義を大切にして自分流に生きることもまた大事だと思うのです。
2004/11/18
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ブログを始めてもうすぐ一ヶ月。まだ楽しさも面白さもわからないわたし。とにかくそれを見極めるまで続けてみようと、今日まで来ました。《人はチョと見てチョとほれる、わたしゃよく見てよくほれる》ブログについてはもう少し見極めてみます。この書き込み、トラックバックのテストの意味もあります。中澤さん、美月さん、実験台に使ってごめんなさい。
2004/11/17
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米国は遠く中東のイラクへ出かけてたくさんのイラク人を殺した。いまもまだ殺しつづけている。9.11の何倍もの人を。国連を初め、ヨーロッパ諸国や世界中のたくさんの人の意見を無視して。曰く、大量破壊兵器を持っている、フセインの圧制から開放する、イラクに民主主義を、テロは断じて許さない・・・・・。イラク国民にとっては、まったく余計なお世話であろう。自分の国の平和や民主主義は自分たちで手に入れる、かまわないでくれ、と。はたして他国の武力によってもたらされる平和がイラク国民にとってどれくらいの意味があるのだろう。ホントにそんな平和が得られるのだろうか。米国のやっていることは、正義の名を借りたテロ行為ではないのか。米国こそ世界最大のテロ国家ではないのか。こんな事を言ってみたところでなんの足しにもなりませんね。
2004/11/16
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季節は秋から冬へと向かっている。街を歩くと、歩きながら喫煙してる人のなんと多いことか。この煙を吸わされる事が、ボクたちのような非喫煙者にとっては実につらい。特に空気が冷たくなる冬場には、前を行く人の煙がたまらなくいやだ。なんとか風下にいないように右や左に寄ったり、ときには追い越したり、煙除けの努力をしているのです。かくいうボクも10数年前までは喫煙者だった。食後の一服など、たしかにうまいタバコもある。人はどうか知らないが、ボクがうまいと思うタバコは、空気が動かない室内のタバコ、つまり煙がまっすぐ立ち昇るような環境で吸うタバコだった。風が吹いている屋外でのタバコはあまりうまいとは思わなかった。けれどもこれは好き好きだからしょうがない。あちこちで禁煙場所が増えて、喫煙者には窮屈な世の中になりつつあるのは確かだ。願わくば、歩行喫煙はご遠慮いただき、勤務先などの喫煙場所まで辛抱してもらいたいというのが、正直でひかえめなお願いである。
2004/11/15
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昨夜、来客を送って表に出たとき、闇の中にポトリポトリという音を聞いた。最初は何の音かわからなかったが、よく聞いていると前の神社の大きな木からドングリが落ちてくる音だとわかった。道路に落ちるカタイ音と、境内の落ち葉の上に落ちるヤワラカイ音が聞き分けられる。それが次々とほとんど切れ目がないくらいに続いている。もう何年も住んでいるのに初めての体験だった。そういえば、庭先にヒイラギの木があって、その木に白い小さな花が咲くことを知ったのもつい二、三年前の事だ。ヒイラギもちょうどいまが満開である。今日はグリーンピースやキヌサヤの種を蒔いた。種をまくという行為そのものが楽しい。
2004/11/14
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金剛山、葛城山の麓を南北に通る葛城古道を歩いた。9月、10月に次いで3度目。一回は北から南へ、あとの二回は南から北へ歩いた。毎回メンバーが違うとはいえ、同じコースを三ヶ月の間に三度も歩くなんて、よほどヒマ人なのかな、ボクは。コース沿いの柿の葉や寺院のもみじが紅葉していて、彼岸花が咲いていた九月から季節の移り変わりを感じた。橋本院の十月桜もまだ咲いていた。麓ばかり歩かないで、今度は金剛山、葛城山を縦走してみようと思う。
2004/11/13
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喪中はがき第一号が届いた。そういう季節になったということ。この喪中はがきというもの、どれもこれもワンパターンで変り映えがせず、ボクはあまり好きになれない。多分に儀礼的な性質のものだから。出す側にしてみれば、「今年はこういう事情だから年賀状を出しませんよ、そちらからもご遠慮くださいね」という意味合いをこめているのだから好き嫌いの問題ではないとは思うが。中には、この葉書で「おっ、この人亡くなったのか・・・」と、知る場合もたしかにある。ボクの両親は92歳と89歳、二人ともいまのところ元気である。両親がボクより先に死んでもボクは喪中葉書を出さないつもりでいる。こんな年まで元気で長生きが出来ればおめでたい事である。例年通り年賀状を書いて、その文面の中で、元気で長生きした親が亡くなった事を知らせたいと思っている。
2004/11/12
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目が覚めて外を見ると雨。今日は予定がない。もう一度寝なおす。九時半起床。雨がやんだら、昨日JAから届いたタマネギの苗を植えようと思ったが一日雨で畑に行けず。午後からカミさんの買物のアッシー君、帰りに図書館に寄って浅田次郎「プリズンホテル」3・4を借りた。「壬生義士伝」でボクを散々泣かせた浅田次郎が、その埋め合わせににんまり笑いながら読めるこの本を提供してくれた気がする。荒唐無稽・ナンセンス・出来すぎ・偶然の重なりが目立つ、等々、多少気にはなるが、本は面白く楽しく読めればよい。それに実際の人生でも偶然はつきもの、偶然によって途方も無い悲劇や幸運が生じていると思う。
2004/11/11
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午前中畑、午後から外出、夜は近所に住む弟二人がやってきて飲みながら談笑。一日があっという間に過ぎてしまう。畑に行く途中、カミさんがあぜ道で小さなかめを見つけた。直径十センチあるかないかのかわいらしい亀だ。昨夜ベープをつけずに寝たら、夜中に蚊の来襲にあった。こんなに涼しくなってもまだいるんですね。安眠を妨げる奴のにくらしいこと。
2004/11/10
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昨日は、《悪い人がこの世からいなくなることはない》ということをいいたかったのです。では悪くない人、つまり善い人はいるのでしょうか。聖書の中の言葉らしいですが、《罪なき者から石で打て》というのがあります。姦淫した女は当時、石打の刑に処せられる筈であったが、その場面に通りかかったイエスキリストが、「あなた方のうち罪を犯したことのない人が、先ずこの女に石を投げなさい」と言った。すると石を投げるべく集まっていた人々は、一人去り二人去り、ついに誰もいなくなった、というのです。わたしはクリスチャンではないけれど、この話を曽野綾子さんの本で知ったのです。以来深く心に残っています。近寄りがたかったキリスト教は性善説ではないのだ、ということがわかっただけでも大きな収穫でした。われわれのような凡人は、何かあるとすぐに人を責めたくなりますが、誰にもそう簡単に人を責める資格なんてありませんよね。わたしが一番気に入らないのは、犯罪を犯した人の家族に匿名で嫌がらせの電話やメールをする人たちです。
2004/11/09
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震災にかこつけての、詐欺や空き巣の被害が相次いでいると報道されている。《震災の被害者を相手によくもそんなひどいことができるものだ》、と思うのですが・・・。最近報道されているオレオレ詐欺などは手口が実に巧妙で、以前は主として高齢の人たちが被害者だったようだけれど、40、50台の主婦層までが被害にあっている。しかし考えてみるといつの世にも悪人はいる。悪人をなくす事は不可能だと思う。《絶対》をつけてもいいのじゃなかろうか。刑罰を重くしたらという説もあるが、多少の歯止めにはなっても根本的解決には程遠いでしょいう。それならつまるところ、被害にあわないようにするしかない。以前、駅の雑踏で財布をすられた経験がある。チクショウメ、腹が立ったけれど、いくらカッカッしても盗られたものが返ってくるわけじゃなし、結局自分に隙があったことを反省するしかなかった。悪人が無くならないという根拠のひとつは、世の中に悪人と善人がいるのではなく、善人が悪をなして悪人と呼ばれるだけのことだから・・・。ボクだっていつ悪をなすか自分でも保証できないのです。
2004/11/08
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大阪市とラジオ大阪主催の「大阪歴史ウォーク2004」がありました。四天王寺から大阪城までの10.5キロを老若男女約1000人が歩きました。わたしたちの会はウォークの先導や途中での誘導などを協力しました。コースには大阪の歴史や文化にかかわる建物や遺跡などが実に多い事に驚かされます。要所要所ではボランティアの方々が説明役をつとめておられました。夜はそのまま、高等学校の同窓会に出席しました。卒業以来初めて顔をあわせる級友もいて懐かしく談笑するうちに三時間が過ぎてしまいました。
2004/11/07
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美月さん、「KISSAKO」開設、おめでとうございます。お尋ねの「トラックバック」というのを実際にやってみました。あなたのサイトの「開設の言葉」に関連した記事を私の日記に書くとき(すなわちこの記事です)、《相手先のトラックバックのURL》欄にあなたのサイトのURLを入力しました。結果はどうなったでしょう。これがトラックバックです。実を言うとボクはまだよくわかっていない。美月さんも実際にやってみて。
2004/11/06
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海外旅行を体験すると、たとえ短い滞在日数でもその国のお国柄の一端に触れることができる。そこから自分が住んでいる日本という国のお国柄が、鏡に映るようにはっきりと見えてくることがある。そのひとつ、「ああ、自分達日本人はどうしてこんなに忙しい毎日を送っているのだろうか」ということを思い知らされる。・電車が目的の駅に近づくと席から立ち上がってドア付近に近寄って待っている。→停車してから立ち上がってもどうということないのに。・エレベータに乗るとドアの「閉」ボタンを押す。エスカレータの上を歩いて昇降する。→そんなに何秒かを急ぐ必要があるのですか。・飛行機が着陸して所定の場所に止まると乗客は一斉に立ち上がって通路でドアが開くのを待っている。→普通ドアが開くまでに3~5分を要するし、立ち上がったところで早く出られるわけでもないのに。また早く出たところで空港待合室までバスに乗る場合もあるし、荷物を預けてあればターンテーブルで待たねばならないのに。・用事をしている時や、電話機から離れたところにいるとき、電話が鳴ったら電話機のところまで駆け出していきませんか。→たとえ切れても用事があれば先方からまたかけなおしてくるのに。・急ぐ急がないに関係なく、鈍行より少しでも早い快速や急行、特急電車に乗っていませんか。→鈍行はゆっくり座れることが多いし、本も読めますよ。・通勤時の駅の階段やホームで駆け出している人のなんと多い事か。まだまだありそうですね。思い当たる事はありませんか?そんなに“せく(急く)”ことはないじゃありませんか、あなた。
2004/11/05
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「今ごろ何を言ってるの」と言われそうな話です。炊飯器は「炊飯」が終わると自動的に「保温」に切り替わる。我が家では朝はパン食なので、夜炊いたご飯が残ると保温したままにしておいて次の日の昼にそれを食べる。ところがそのご飯の味が落ちている。しかし慣れというものは恐ろしいもので、なぜおいしくないかなどと考えた事もなく、長い間、(そうです何年もです)そうしてきた。ところがあるとき「保温」スイッチを早めに切って少し冷たくなったご飯を食べたところ、いつもと違っておいしい(というより味が落ちてないというほうが正確か)事に気がついた。そこで炊飯器の取扱説明書を見ると、「こんな保温の仕方はやめましょう」のひとつに、12時間以上保温をするなと書いてあるではないか。なぜとは書いてないけど、ご飯の味が落ちるのはこれが原因だったことはまちがいない。長年の懸案が一つ解決してなんとも気持ちがよい。ちょっと大げさかな(笑)そういえば取扱説明書をそんなによく読むことがなかったし、定年後のいまでこそカミさんが留守だと自分でご飯を炊くようになったけれど、いままでは炊飯器なんて触ったこともなかったからなあ・・・。また我が家の炊飯器はずいぶん古い、最近のものは事情が違ってるかな。みなさんはどのようにしておられますか?
2004/11/04
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大阪歩け歩け連合の例会で、JR山科駅(京都)から蝉丸神社・音羽山・幻住庵・JR石山駅(滋賀)を歩いた。蝉丸神社は百人一首の「これやこのゆくもかえるもわかれては・・・」で有名な蝉丸法師ゆかりの神社。謡曲にもなっているようですね。音羽山は標高593メートル、琵琶湖を見下ろす素晴らしい眺望に出会える場所がある。山道は木の葉が色づき始めて既に秋色、登り下りとも東海自然歩道になっている。好天の秋空のもと、土と石ころ、落ち葉を踏みながらの楽しいウォークができた。幻住庵は、松尾芭蕉が「奥の細道」と並ぶ名文「幻住庵記」をまとめた所。 先ずたのむ 椎の木も有り 夏木立というわけで、今日も楽しく充実した一日を過ごしました。
2004/11/03
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漢字で書くと「すまんで済むなら巡査は要らん」、子供の頃、仲間内でこんな言い方が流行ったのを思い出しました。「謝って済む事とすまないことがあるでえ」くらいの意味でしょうか。なんでこんな事を思い出したのかといえば、不祥事が起こると、官民を問わず代表者が頭を下げて「あってはならないこと、再発防止に万全を期します」という意味のことを言う。一応謝っているわけですよね、これって。そして謝って済まそうとしているわけです、責任はとらないで。「万全を期します」なんて便利な言葉ですねえ。何もしませんといってるのとおんなじ、一旦頭下げてあとで横向いて舌出してるようなもんですよ。虚しいですねえ。世の中ってこんな事の繰り返し、マスコミだって、万全を期すといったけど具体的にどんな対策をとったのか、そしてそれが再発防止にどんな効果があったのか、そんなことまで追求しないし。同じ類の不祥事が再発しても、「重ね重ね申し訳ない」と謝るだけ。でも謝っただけでは済まず、つぶれた企業もありましたね。お粗末な経営者のせいで会社がつぶれたら、バカを見るのは従業員ですからやりきれないです。その点、役所というところは・・・。イケナイ、今日はボヤキになってしまった。反省!
2004/11/02
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公民館の機関紙を配りながら地元を歩いた。白とピンクのシュウメイギクが咲いているのをあちこちで見た。秋の空のように清澄な花だ。《秋明菊》、名前もいい。花びらのように見えるのは実は萼だという。庭の片隅にツワブキの黄色い花も咲いている。ツワブキといえば、四国霊場31番竹林寺で出会ったツワブキを今も忘れない。秋明菊といいツワブキといい、どちらも気になる花だ。垣根の山茶花がいつのまにか咲き始めている。次々に咲いて春先まで目を楽しませてくれる。南天や千両の実が赤く色づき始めている。秋は深まりつつある。
2004/11/01
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