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今日も雪が降る中を雲南省最大のチベット寺院「松賛林寺」へ。午後はチベット民家訪問、市場見学、スーパーマーケットで買物、夜は地元の民族舞踊見学など。 雪の中のチベット寺院坊さんの修行は13歳から 寺院で見つけた黒豚壁から突き出ているのは雨どい、屋根の水は一旦建物の中へ集めてこの樋で排水している 「門前で写真を撮ると、子どもでも羊でも2元とられますよ」とガイドの説明。この写真、羊が二匹と子どもが3人でモデル料は計10元。寺院見学中、今回の旅で初めて日本人に出会った。一人は関東の男性で、九月から東南アジアを歩いているという。もう一人はフフホトで日本語を教えているという女性。どちらも一人旅である。最近は世界中どこへ行っても日本人旅行者に出会うのが常だが、今回は珍しくこの二人だけ。夕食時、メンバーの一人がスーパーで買った「長城白葡萄酒」というワインをご馳走してくれた。これはなかなかいける。昨日の赤ワインは、グレープジュースにアルコールを加えたような味で、およそワインといえるシロモノではなかったので、今夜はうれしかった。 チベット族の民家 市場の風景 夜の部・羊の丸焼きを頼んだ夕食の後によくおなかにおさまったものです。大和なでしこも飛び入り参加で、中国語の歌を熱唱 最後に記念撮影※「香格裏拉」は「香格里拉」が正しいとご指摘をいただきました。訂正します。(2/2)
2005/01/31
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香格裏拉への途中、長江第一湾・虎跳峡を観光。 「虎跳峡」は虎がこの峡谷を飛び越えたという伝説が名前の由来。切り立った両側の崖の間の谷底は、巾は30mと狭く水の流れも速い。片側は観光客用に5kmほどの遊歩道が作られていて、そこを往復した。反対側は路線バスが通っていると言うが、下から見上げると危なっかしくて、よくあんなところを・・・という感じ。いまはまだ観光客も少ないが、スケールの大きい見ごたえのある峡谷なので、そのうちたくさん押しかけてくるようになるのだろう。 昼食に立ち寄ったレストランのトイレ。中国のトイレは、ホテルを除けばほぼこんなものと思っておけばよい。男女とも同じ構造。まだ仕切りがあるだけましな方かも。男性でも大のときはさすがに恥ずかしい。香格里拉はシャングリラと読む。四年前までは“中甸”といった。チベット自治州の州都で、標高3288mのところにある。標高が6000mを越える山が13峰あるという。草原を利用した牧畜業および観光が主産業。 イラ草原「観光シーズンは6~8月で、平原は緑に覆われ、高山植物の花が咲き山々も美しい」「このイラ草原の辺りは春から夏にかけて雨量が増えると多くの川から水が流れ込んで湖となり、周囲に緑が濃くなる。そこへ多くのチベット族が放牧に訪れ、香格裏拉最大の放牧地になる」と説明があった。今回は緑はなく、一面の雪景色を楽しむことになった。雪の中に首の黒い鶴が何羽も群れていたが、馬が近づくと遠くに飛んでしまった。 現地のガイドは22歳のかわいい娘さん標高3300m、さすがにホテルでの階段利用はやめてエレベータ利用。ベッドに入って胸に手を当てると、心臓の鼓動は普段の倍位になっている。※「香格裏拉」は「香格里拉」が正しいとご指摘をいただきました。訂正します。(2/2)
2005/01/30
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バスとロープウエイで玉龍雪山(標高5596m)へ。 玉龍雪山をバックに途中、ヤクーに乗せる観光スポットがあった。デジカメを預けると乗っているところを移してくれる、料金は20元。地元の観光収入に協力したのがこの写真。すぐそばでパソコンを操作して、デジカメで撮った写真の画像を見せながらプリントの注文を取るという手際のよさ。ロープウエイは全長2968m、標高3356mの出発地点から4506mの氷河公園まで、標高差1150mを一気に運んでくれるという雄大なもの。乗場では防寒着のレンタルや酸素ボンベの用意もある。みなが酸素ボンベを買っているので、ボクも用心のため一本購入したが、結局使わなかったので帰りにちゃっかり30元を返してもらった。ゴンドラは六人乗り、眼下に、アジア最高地のゴルフ場だと説明のあったコースが展望できる。怖かったのは下りの途中、急に強風が吹き出してゴンドラが揺れた。そして結局ストップしてしまうというハプニング。すぐに復旧したからよかったもののちょっと肝を冷やした場面だった。 ロープウエイを降りたところから木道が用意してあって、雪原散歩を楽しめる。ボクらと同じような観光客もいて、盛んに写真の撮りっこをしている。帰路チベット仏教寺院《玉峰寺》、夜は少数民族の舞踊ショー見学。ショーのほうは見ごたえがあった。《こぼれ話》(1)昨夜、ホテルの浴槽の排水栓が抜けなくなった。フロントにSOS、やってきたホテルマンが言うには、浴槽の中に敷く滑り止めのマットに無数に付いている吸盤のひとつを利用するという予想もしない方法だった。こんなのはいままでに聞いたこともない、ホントにこんなのあり?それなら使用説明を書いておいてくれなきゃあ。ひとつ賢くなったのかな。みなさんはご存じでしたか?(2)ホテルの客室は5階。歩人のボクはいつも階段利用。ところが3階まで上がると息が切れる。相棒も同じことを言う。やっぱり標高2400m、酸素が薄いせいだろうか?(3)現地のガイドの日本語がつたないのはしょうがない。これはご愛嬌というもの。バスを降りるときに「ケショウヒン(貴重品)は忘れずにお持ちください」はかなりのケッサク。スルーガイドの張さんが、以後何回もこのまねをして笑わせてくれた。
2005/01/29
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早い朝食を済ませて、相棒のHと散歩に出かけた。空気が澄んでいて山の稜線がくっきりと見える。昨日見た蒼山の万年雪が朝日に映えてオレンジ色に輝いて美しい。歩いていると、次々に「船に乗らないか、馬に乗らないか、山に案内する」といった誘いを受ける。言葉はわからないが、パンフレットの漢字と写真で大体のことがわかる。一人だけ英語で話し掛けてきた女性がいた。朝早くから商売熱心で結構なことだが、ボクたちは一時間後には出発するのでそんな時間はない。適当に返事をしながら散歩を続けた。ホテルに帰ってチェックアウト、昨夜の電話代は130円、思ったより安い。九時出発、大理から約200キロの麗江へバスで移動。麗江は標高2400mで大理よりさらに500メートルほど高くなった。人口110万人で漢族のほかナシ族・ペー族・イ族・リス族・チベット族など多くの少数民族が暮らしているという。1996年の大震災で世界にその名を知られるようになって観光客も増えたというが、ボクの頭にはまったく麗江という地名の記憶はない。 麗江古城の石畳、 同ナシ族の舞踊昼食の後、早速市内見学、世界文化遺産になっている麗江古城、水のきれいな玉泉公園を見学。麗江古城はナシ族の木造二階建ての家屋が建ち並び石畳の路地が四方八方に延びている。店をひやかしながら歩いたが、数日の単位で滞在しても退屈しないだろうと思った。 玉泉公園から玉龍雪山を望む夕食では「雪花ビール」という銘柄の地ビールを飲んだ。夜はみなさん麗江古城へと繰り出したが、まじめな?ボクは、今日明日は連泊なので靴下とアンダーシャツの洗濯をした。今回、パンツは100円ショップの品を利用、ちょっともったいないと思いつつ、毎晩ひとつずつ捨てていくスタイル。使い捨ての紙パンツは一枚300円、ならば100円のパンツの方が割安というわけ。
2005/01/28
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寝台列車は朝七時、まだ明けやらぬ大理駅到着。朝食、ホテルチェックインの後市内観光へ。大理はペー族自治州の州都、市中心の標高は1976m。全長42キロ・最高峰は4122m・19の峰からなる蒼山が万年雪を冠して南北に連なっている風光明媚な土地。道路の両側は青々とした野菜畑でソラマメ、えんどう豆栽培が主。 写真は崇聖寺三塔と湖(じ海)から見た蒼山。崇聖寺三塔・蝴蝶泉・ペー族の村・藍染めの工場・大理古城などを見学。最後は湖の遊覧船に乗る。藍染め工場ではテーブルクロスを一枚買った。1.5m×2.5mが2,600円、高いのか安いのかまるで見当がつかない。(帰国後、寸法はピッタリ、柄もよいとカミさんと娘から褒められた) 通りでのマージャン風景は、旅行中どこに行っても見られた。蘇州のみなさんは、中国語を勉強しているだけあってどこへ行っても現地の人たちと会話している。ボクたち二人からはとてもうらやましい光景だ。しかし「言葉がわからなくても旅はできる」、今までもそれでやってきたのだから問題はない。特に今回はガイドまで付いているのだから・・・。出発前に、中国の旅行社が作った日程表をSさんからFAXでもらっていたが、これがエエ加減でホテル名がない、あっても間違っている、ホテルの電話番号は書いてない、Sさんにいわせれば万事がこんなもんだと言う。曰く「慢慢、馬馬虎虎(マンマン マーマーフーフーのんびりと、いい加減)」逆にこちらの方が几帳面すぎるのかも・・・。旅先から何度も家に電話をするのは面倒なので、最後の宿までの電話番号をガイドから聞き出して自宅に連絡した。
2005/01/27
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朝食はホテルのレストランで、お粥を食べる。中国に来たら朝はお粥と、バカの一つ覚えのように決めている。約束の9時を少し過ぎて、蘇州からSさん一行7人とガイドの張さんが到着、挨拶もそこそこにそのまま空港へ直行。なんとこのホテル、空港の近くだとは思っていたが徒歩二分、まさか隣接しているとは思わなかった。一行は男性三人、女性四人で、みなさん蘇州大学の中国語学校で勉強中。女性二人は転勤のご主人に同行しての中国住まい。あとの五人は、語学勉強のため1年乃至1年半の滞在。ガイドの張さんは26歳の独身女性。中国旅行の場合、張さんのような全行程を案内するスルーのガイドと、別に現地毎に案内をしてくれるガイドがつく。張さんは、若いのに沈着冷静、豊かなユーモアのセンスの持主で、感心することしきり。今回の旅を楽しく演出してくれた。条件が整えば語学留学をしてみたいと思っているボクは、機中、滞在中の費用や暮らしについて詳しく質問した。これが今回の訪中の目的のひとつなのだ。授業料込みで月10万円あればやっていけるらしい。「いつでも電話ができるし、帰国だって簡単、要は思い切りだけですよ」というMさんの言葉に、我が意を得たりとひざをたたく。語学留学で一番多いのは韓国人、次が日本人だという。若い人が多い中で50、60才台(七人のうち四人)が、がんばっているというのは心強い。約3時間の飛行で標高1,800mの昆明へ。着後、西山龍門、華亭寺など市内観光。夕食は現地名物の鍋料理(写真)。 回転卓に並んだ肉や野菜を好みで自分の鍋に入れて食べる。アルコールはおみやげに持参した清酒白雪と現地の「大理ビール」。鍋は写真でわかるように、一人一人別々なんですよ。※なお中国の国内便ではお酒の機内持込を許してくれませんでした。夕食後、10:40発の寝台列車で次の目的地・大理へ。昆明の駅舎は立派な建物でした。
2005/01/26
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雲南の旅は明日から、今日中に上海に入っていればよい。関西空港の出国手続きに比べて上海の入国は時間がかかる。いらいらしても仕方がない、じっと我慢して待つ。空港でとりあえず必要な元を両替え。銀行の前で並んでいると、変な野郎がボクたちの前に割り込んだ。一瞬迷ったが、肩をつついて後に回れというジェスチュアをしたらおとなしく従ったのでホッとした。上海は三度目だけれど、浦東空港ははじめてだ。市内に行くには・バス・タクシー・リニアモーターカー&地下鉄の三つの方法がある。話の種にと、初体験のリニアモーターカーを選ぶ。西も東もわからないけれど、目が見えてモノが言えれば何とかなる。切符を買って無事乗車。車内の表示板に最高時速431キロが表示された。それほどのスピード感はない。次は地下鉄、切符売場を見つけて、メモに目的地の「中山公園」と漢字で書いて切符を買った。二人とも中国語はひとことも話せない。ホームで待つ間、周りを見回すと、ケータイを片手に親指を動かしている人が多いのは日本と同じ風景。駅での乗り降りは若干違うようだ。降りる人が済まないうちにどんどん乗り込んでくる。「待つ」ということに関しては日本人より辛抱が足りないようだ。地下鉄を降りてから地図を片手に少し歩いたが、がたがたの路面をスーツケースを引っ張りながらのウオークは楽ではない。タクシーを利用する。ホテルは知人が予約してくれた虹港大酒店。明日の出発に便利な国内線の虹橋空港の近くだ。フロントでは英語が通じない。しかし筆談をまじえて何とか無事チェックイン、ヤレヤレ。夕食は、歩いて十分のところにある「上海国際機場賓館」へ。我らがホテルより相当立派だ。レストランでは日本語が通用するのがうれしい。紹興酒を飲みながら夕食。こうして第一日は終了。明日朝、蘇州からやってくる七人の人たちを待つばかり。夜中の二時に、「マッサージ云々」の電話で起こされたが、一体これは何だ?
2005/01/25
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会社勤めをしていた頃の先輩Sさんから、中国で一年間中国語の勉強をすると連絡をもらったのは一年前の事。以来、何度かメール交換、Sさんの滞在中に訪ねることを約束した。しかしそうこうするうちに一年が過ぎてSさんは二月に帰国する事になった。なにごとも切羽詰らないと実行できないボク、しかも約束は反古にしたくない。帰国前に7日間の予定で、クラスメートと雲南地方を旅行するというSさんの計画に便乗して中国を訪問する事にした。中国は何度か行った事があるが、雲南地方ははじめて、これぞ願ったりかなったり。同じくSさんと旧知の相棒Hを誘って、急遽二人で出かけることと相成った次第。向こうでの旅の手配はすべてSさんまかせ、上海までの格安航空券を手配して、1/14出発となった。ああ、ボクの大好きな旅のはじまり、出発前から期待で胸が膨らむ。
2005/01/24
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昨夜、というよりもう今日になっていたかな、中国・雲南方面の9日間の旅行から帰宅。寝る前に、寒かったのと懐かしいのとで、日本酒の熱燗二合を飲んだ。旅行中意外だったのは、ホテルで紹興酒を頼んでもおいているところが少ない事だった。「紹興酒は中国の酒」という感覚のボクは、アレッ、と意外な思いだった。結局、地ビールと地ぶどう酒を注文して楽しんだ。疲れもあったのか今日は昼まで睡眠、昼食の白いご飯とミズナの漬物、味噌汁、イカナゴなどの日本食が懐かしかった。今回訪ねたのは、上海・昆明・大理・麗江・香格裏拉(シャングリラ)の各都市で、少数民族が多く住んでおり、ミャンマー・ラオス・ベトナムと国境を接する地域。特に、麗江は標高1,800m、香格裏拉は3,300mという高地で、標高5596の玉龍雪山・6740の梅里雪山なども望める。旅は非日常の世界、旅が終わるとまた日常の世界へ逆戻り。
2005/01/23
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しばらく休みます。パソコンのない生活をしてみます。
2005/01/13
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旅の出発が近づいた単細胞のボクは、すっかりルンルン気分カミさんから「気持ちはもう向こうに行ってんじゃないの」と、ひやかされ旅の相棒からは「浮かれすぎたらダメやでー」と、釘を刺される始末浮かれすぎての失敗は自慢じゃないが少なくない思えばお四国歩き遍路の二回目、17日目まで快調のペースすべてが気持ち悪いくらい順調ところが好事魔多し17日目の夜、宿の近くに買いものに出て溝に落っこちて肋骨三本骨折高知の病院に入院四国88ヶ所と別格20ヶ所、計108の札所を一気に回るつもりがやむなく中断でも災い転じて福となすのが、楽天家の真骨頂どうせ一度中断したんだから、残りは適当に区切って回ろう昨年夏から続きを再開、愉しい想い出がいっぱいの歩き遍路を体験あの時怪我してよかったなあ・・・と相成った次第とはいえ、過ぎたるは何とか浮かれすぎは禁物、用心、用心!しかしいい年をして、いつになっても直らないオッチョコチョイには、われながらあきれるのみああ愉しからずや、わが人生
2005/01/12
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用事があって日本橋の電気街へ約束の時間までブラブラいっときのことを思うと少しさびれたかも・・・やはりヨドバシカメラなどの影響でしょうか単純人間のボクは、見て歩いているうちに、パソコンを買い換えよう、という気になりました春ごろには欲しいなあ・・・我が家の大蔵省と交渉しなくちゃあ、今は大蔵省じゃなかった?なに省だったかな?恐るべき政治への無関心(笑)
2005/01/11
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庭の千両・万両、南天の実を食べ尽くした小鳥たち。今度は畑のブロッコリーの葉っぱをきれいに食べた。ほとんど収穫がすんでいたので被害はたいしたことない。続いてほうれん草をきれいに食べてくれた。ミズナやダイコンの葉っぱを食べている形跡もある。ボクは現場を見ていないけど、近所の人はヒヨドリの仕業だといっている。生ゴミにEMぼかしを混ぜて、畑の肥料にしている。こちらの方はタヌキが掘り起こして食べてしまう。こんなものが食べられるのかと思うのに。ヒヨドリやタヌキの餌が野山からなくなってしまったのだろう。それは一体誰のせいなのか?地球の生物は人間さまだけじゃないよ、という声がどこかから消えてきそうな気がする。自分たちだけがよければよいという人間中心の生き方をしていると、自然界から手痛いしっぺ返しを食わないだろうか。
2005/01/10
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14日から9日間、旅行に出かけることになり、雑用の処理に時間を費やしています。勝手なもので、こういう忙しさはちっとも苦になりませんね。かえって楽しいくらいです(笑)
2005/01/09
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思いがけずアーモンドの花にお目にかかりました。本来、開花時期は2、3月だそうですが、ほんの少しだけ開花していました。場所は阪神電鉄・魚崎駅~深江駅の南の水辺で、400mほどの長さに植わっています。花が咲きそろったらきれいだと思います。阪神電鉄・深江駅南にある「東洋ナッツ株式会社」が、毎年「アーモンドフェスティバル」という催しを開催しています。今年は3/19(土)、20(日)の予定です。これにあわせて、わたし達大阪歩け歩け連合では、3/19(土)ゆーほ例会「アーモンドの花を訪ねて」というウオークを実施します。
2005/01/08
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二ヶ月ほど前に読んでいた本で、次のような記述を見つけました。「女どもの不平不満には逆らわないこと、何を言われてもとりあえず謝る」ひらめくところがあって、以来わたしは何かといえば小うるさい事をいうカミさんに対して、これを実行しています。それが表題の「ニンニンニン・・・」です。漢字で書けば「忍忍忍」、親指を中にして握りこぶしを作り、口の中で「忍忍忍」を唱えるのです。効果はてきめん、バッチリです。今のところとても良好な関係が続いています(笑)テキも「気持ちわる~い」と思っているかも・・・・。【教訓】人を変えようと思ったら自分が変わるボクはこんなエエかげんな男です。※女性の方へ「女ども」なんて表現がでてきますが、引用なのでお許しくださいネ。
2005/01/07
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「もの忘れ教室」とても愉快な名称ですね。浮世のいやな思いをきれいさっぱりと忘れさせてくれるのでしょうか。それとも加齢と共に物忘れがひどくなっていくわたしのようなものに対して、その対策を教えてもらえるのでしょうか。今月の教室は1/25だそうなので、行ってみようと思います。
2005/01/06
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「スローイズビューティフル」(辻信一/平凡社)という本を読んでいます。なかなか楽しい内容です。チョコッと中身を紹介。今はそれどころじゃない「今はそれどころじゃない」と大人が言う。すると子どもが「じゃあ、どれどころなの?」。「こうしてはいられない」と大人。「じゃあ、ああしたら」と子ども。ぼくたち大人は確かによく「こんなことをしている場合じゃない」と思い、またそれを口にする。ではまた・・・。どんなことをしている場合なのだろう。科学技術が省いてくれた時間はどこに消えたのか自動車、新幹線、飛行機、携帯電話、コンピューター。リモコンひとつで操作できるエアコン、風呂、座ったまま世界中の情報を受け取ることができ、多くの中間業者を省いてくれるインターネットシステム。これらが出そろった今、にもかかわらずわれわれが相変わらず多忙で、過労だとしたらそれはどうしてか。(中略)これらのテクノロジーは我々をより楽にしてくれるはずのものだった。つまり骨折りや労苦の時間を省いてくれる、つまり「時間を浮かしてくれる」はずのものだった。だが「浮いている」時間はぼくたちの周りには見当たらない。どこがおかしいのだろう。まあこんな具合です。わたし達があまり疑問を抱かずに過ごしている日常も、少し観点を変えれば問題だらけ・・・・そんなことが見えてきます。
2005/01/05
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B5の大きさの2枚の色紙をタテヨコに切って組み合わせるとこんなものが出来ました。一枚はタテに8ピースに、もう一枚はヨコに6ピースに切りました。近所の絵描きさんに教えてもらいました。・色の組み合わせを変える・切り方を変える・タテヨコの重なりを変えることによって、無数の模様が出来ますね。額に入れるとサマになりますよ。
2005/01/04
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今年の抱負を並べてみようと思います。(昨日の続きです)・やりたくない事は後回しにして、やりたい事から先にやる・自分のペースにあわせて“ゆっくり”を大切にする・不義理を恐れないで、“エエ加減”に生きる結局テーマの“スローライフ”に落ち着くのかな。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━今日は初歩き「阪急沿線西国七福神巡り」(17km)
2005/01/03
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ボクが1984年に書いた年賀状は次のようだった。 凡人は年の始めに「今年こそ・・・」と決心する凡人は年の暮れに「今年もまた・・・」と反省する凡人は年が変わると性懲りもなくまた新たな決意をし、そしてまた反省する凡人は決意と反省の割には向上しないそういうわたしこそまさに凡人21年前に書いたことが、今の自分にそのまま当てはまるなんて・・・・なんと進歩のないことよなるほど~、自分で自分に感心している(笑)明日にでも今年の決意を「性懲りもなく」書いてみようかな・・・。
2005/01/02
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昨日から今日、そして去年から今年に時が移りました。というわけで、 今年もよろしくお願いします。 わたしの家は、隣がお寺、向かいが神社という立地です。早寝のわたしが、昨夜はなんとか起きていることができたので、 11:50 お寺に行って除夜の鐘をつく 0:00 神社にお参り、お神酒をいただくというきわめて短時間のうちに、清々しい新年を迎えることが出来ました。お参りしている人たちの多くが若い人たちである事にちょっとびっくりでした。というより、この時間帯はむしろ若者達の活動時間帯なのでしょうか。
2005/01/01
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