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町山智浩さんによる
2014年02月28日
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「人にすすめたい映画」というときの「人」には、たぶん自分じしんも含まれていて、現時点での私が未来の私、たとえば10年後の私にもおすすめの映画、ということかもしれない。ということで、ヒッチコックの映画は、ほとんどどれを見てもおもしろいのですが、にもかかわらず、これまでは、「今の私が10年後の私におすすめ」という、「ある何か」を感じはしなかったのだけれど、今回、「救命艇」を見て、10年後の私におすすめです。ということで、10年後に生きていて、しかも今こんなふうに考えていたことを覚えてたら、見たいものです。
2014年02月26日
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イザベラ・ロッセリーニに感じていたあやうさのような気配が、もしかしたら、若い頃のイザベラ・ロッセリーニの写真から勝手に受けとっていた思いこみなのかもしれないと思うのは、ミミズ役のイザベラ・ロッセリーニを見て、おどろいたせいです。とはゆうものの、これはこれでじゅうぶんあやうい(?)ですけど…ミミズの役を楽しむイザベラ・ロッセリーニ(クリックしてね)
2014年02月25日
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1976年の映画「A Matter of Time」(にほんごの題名は「ザ・スター」です)で、イングリッド・バーグマン(61才頃)とイザベラ・ロッセリーニ(24才頃)が共演しています。いまのところ、日本語字幕付DVDは手に入りにくいようですが、YouTubeで(字幕なしですが、いまのところ)まるごとぜんぶ見れます。A Matter of Time(クリックしてね)ヴィンセント・ミネリ監督が、娘のライザ・ミネリを主演にして撮った映画です。何をしゃべってるのかほとんどわからず、しかも映像も(個人的には)ほとんどおもしろくなかったのですが、母娘の共演場面を探す目的で見ました。映画自体に関心があったわけではなく、イザベラ・ロッセリーニがイングリッド・バーグマンの娘と気づいて(クリックしてね)からの好奇心はなかなかのもので、ふたりが共演しているなら見るしかありません。共演と言っても、1時間22分あたりのところから1時間31分あたりのところにかけて、断片的に合計1分半ほどいっしょに映っているだけなのですが…(イザベラ・ロッセリーニとイングリッド・バーグマン)ちなみに、この映画には、イザベラ・ロッセリーニの双子の妹のイゾッタ・ロッセリーニ(イングリッド・ロッセリーニ)も、メイク担当で参加していたらしいです。61才の母に派手なメーク(はじめにイングリッド・バーグマンが登場した場面で、しばらくイングリッド・バーグマンだと気づきませんでした)をしてるところに双子の姉のイザベラ・ロッセリーニもやってきて、そこでの三人のやりとりは、この映画よりよほど魅力的だったでしょうね…
2014年02月24日
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あらゆる行動・考え・感覚の影響を受けて暮らしているわけだけれども、それらに対する自覚(気づき)というのは、なんとなく3秒単位くらいでぼやけてしまいがちなあやういものなんだろう。
2014年02月24日
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最近になって、イザベラ・ロッセリーニがイングリッド・バーグマンの娘と気づき(クリックしてね)イザベラ・ロッセリーニは、イングリッド・バーグマン36才のときの娘ということもあり、この写真は年齢差を感じますが、(イザベラ・ロッセリーニとエレットラ・ロッセリーニ・ヴィーデマン)
2014年02月23日
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ぼんやりしていると、影響を受けたくないとみなしている物事にも自ら近づいて、つまらない影響を受けてしまう。「影響を受けたくない物事」には、できるだけ自ら近づかないようにすること。何かを考えるとき、身心はその何かに近づく。できるだけぼんやりせず、「行動・考え・感覚」の主人ではないかもしれないけれども、「行動・考え・感覚」にできるだけ支配されないようにすること。
2014年02月22日
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(生と覚醒(めざめ)のコメンタリー(第4巻):p93:クリシュナムルティ(著):春秋社)より引用(のようなもの)『英知は、精神の微妙なごまかしをすばやく知覚し、先入観なしに明確に考えるという、たゆみない精進の問題である』
2014年02月22日
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これまで姜尚中さんのお話は、いくつか聞いたことはあるのですが、これまで聞いたものは(個人的には)つまらないわけではないのだけれどあまり興味が持てなかったり、つまらないわけではないのだけれど何が言いたいのかあいまいな感じがしたり、だったのですが、今回のは、言いたいことがわかりやすく、しかもおもしろかったです。iTunesで「ラジオ版 姜尚中」で検索して出てくる(いまのところ)3つの番組のうち、姜尚中さんの役職が聖学院大学全学教授となっているのが、今回の(2014年2月リリース)番組です。無料で購入できます。
2014年02月20日
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残りの人生は、ぼんやりしていると、かんたんに消えてしまう。「残りの人生をどう暮らすか?」という問いかけは、たいせつである。ところで、「残りの人生をどう暮らすか?」は、私の価値観の影響を大きく受ける。ところで、「私の価値観」の価値は?「人の価値観」の価値は?
2014年02月20日
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なんと、ハリウッド映画は、英語がわからない人たちの娯楽として作られた!どういうことかというと、1900年くらいに移民としては遅くアメリカにやってきたユダヤ系の人たちは、英語がわからなかった。1900年代はじめに、英語がわからない移民たちのための娯楽としての(英語がわかる人たちは(サイレント)映画ではなく、芝居とかを楽しんでいた)映画を作るため、ユダヤ系の人たちがハリウッドに映画会社を作った。ハリウッドの映画会社が作ったサイレント映画は、言語を超えた娯楽として、世界中にひろがった。というような話とかそのほかいろいろ、町山智浩さんによって、熱く語られています。すごくおもしろいです。町山智浩氏が語る 学生のための20世紀名作映画講座 Vol.3(クリックしてね)
2014年02月19日
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[行為しない・認識しない]へ向かうのは、睡眠と、思考を落とそうと試みているとき。それ以外のとき、[行為・認識]へ向かうときには、自分が何をしているか、気づこうとすること。
2014年02月18日
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「ある特定の状況におけるAさんの行為・認識の場」に立つことはなんとかできても、けっきょくのところ、ある特定の状況ではなく「Aさんの行為・認識の全体像の中」に立とうとすると、Aさんの暮らしを「こんなふうに生きるのはいやだ」と判断するか「こんなふうに生きるのでかまわない」と判断するかのせとぎわで、いったい、判断しているのは「Aさんの立場に立とうとする私」なのか、それとも、「私」なのか、それとも…
2014年02月18日
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自己言及のパラドックス(「私は嘘しか言いません」とか)は、根本的にはすべての言葉に根拠が無いので、「矛盾する」も「矛盾しない」も成り立たない。「成り立たない」も「成り立つ」も…
2014年02月15日
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「思考を落とそうと試みる」ことのすごいところのうちでもすごいのは(じっさいに自家麻薬物質を作れるようになる、という、じっさいの効能のほか)、この文章で使っている「思考」「試み」「すごい」といったのが、あくまでも言葉であって、そうした物事・現象じたいは言葉でできておらず、しかも、思考を落とそうという試みは、「思考を落とそうと試みる」という認識からも離れようとする試みである、という際限のなさ…
2014年02月15日
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さっき気づいたのだけれどイザベラ・ロッセリーニはイングリッド・バーグマンの娘だった!そうと知ってみると、なんとなく、イングリッド・バーグマンに感じるほのかなあやうさのようなものが、イザベラ・ロッセリーニに、美しいまま、よりわかりやすくあらわれてきているような気もしてくる…そうは言ってみたものの、二人についてまったく知らなければ、血統の順序を逆に知らされても疑いもしないだろう…
2014年02月12日
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(生の全体性:p264:J・クリシュナムルティ:平河出版社)より引用(のようなもの)『心理的な安定を求めるときには、さまざまなかたちの幻想が生まれる。 わたしは心理的な安定を求めて、心配し、不安になり、混乱し、しばしば大きな苦痛を味わい、野心をいだき、誰かと果てしなく争いつづける』
2014年02月12日
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今月は映画にめぐまれていて、「第9地区」を見てから1週間ほどで、「戦場でワルツを」(アニメーション映画でドキュメンタリー映画)に当たりました。すぐれた映画だと思います。「アカデミー賞 外国語映画賞ノミネート」(受賞ならず)ですが、なんと、このとき受賞したのは「おくりびと」らしい。思うに、10年後に「おくりびと」を見る人は、日本にちらほらいるくらいでしょうけど、「戦場でワルツを」は、10年後でも、反戦ドキュメンタリーアニメ映画として、幅広く見られていることでしょう。
2014年02月10日
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セブンイレブンのチキンカレーなのですが、かなりおいしいです。
2014年02月10日
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ぼんやり暮らしていると、なんとなく忙しく感じるか、なんとなくひまと感じるか、どちらかに傾きがちだが、「思考を落とそうと試みている」ときには、忙しいと感じることもなく、ひまだと感じることもなく、落ちついてゆくか、元気になってゆくか、うっとりしてゆくか、いずれにせよ、いいことばかりに思われる。
2014年02月09日
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「思考を落とそうと試みる」ことの、いまのところのまとめ(のようなもの)「思考を落とそうと試みる」ことの目的は、思考を落とすことではない。たんに思考を落とすだけなら、気絶すればいい。もっと言えば、死ねばいい。「思考を落とそうと試みる」ことの目的は、身心にエネルギーのひろがりを感じ、元気になって、うっとりすること。そのための自家麻薬(のようなもの)の生産工場(工場の土壌は睡眠・食事・運動)へと、じぶんの身心を改造すること。方法は、日々、あるていどのじかん、体を動かさず(姿勢は問わない)、頭に言葉を流さないよう試み、頭に音楽を流さないよう試み、頭に(目を閉じているなら)映像を流さないよう試み、目をあけているなら、見えている物をたんに(言葉を流さず)はっきり見るよう試みる。
2014年02月08日
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これまでの暮らしの焦点は人だったように思う。これからの残りの暮らしの焦点は人ではなく、なんというか、光景のようなものかもしれない。光景がすこしずつ、もしくはふいに、微妙に変えられてゆくのに、できるだけ気づくようにして、身心の焦点を移動させてゆく。
2014年02月07日
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(自由への道:クリシュナムーテイ(著):p96:霞ヶ関書房)より引用(のようなもの)『じぶんじしんのイメージを作りあげる人は、まともな人ではありません。しかしじっさいは、私たちはじぶんたちのイメージを作って生きています。 たとえばあなた方が「自分は○○人だ」とおっしゃるなら、それはバランスがとれていないことになります。 なぜなら、「自分は○○人だ」とイメージすることによって、自分を分けへだてし、孤立化させるからです。 国家により分けへだてする考え(軍隊や官僚組織を背景にして)は、心の不健全な状態を示しています』
2014年02月07日
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(私の個人主義:Kindle版:位置No.562〜No.565あたり:夏目漱石)より引用『もう一つご注意までに申し上げておきたいのは、国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。 元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、ごまかしをやる、ペテンにかける、めちゃくちゃなものであります。 だから、国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならない』なるほどなあ。それにしても、夏目漱石がこんなことを学生たちを前にしてしゃべったのは、いまから100年以上前のことである。■位置No.(紙の本での「ページ」にあたります)というのが文字の大きさや行間や余白の設定によって微妙に変わるので、「位置No.562〜No.565あたり」です。夏目漱石の作品はKindleでも無料ですが、青空文庫(ネット)でも夏目漱石のすべての作品が無料で読めます。青空文庫だと、「もう一つご注意」という言葉で『私の個人主義』の文章全体を検索すると、引用した箇所がでてきます。
2014年02月06日
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トニー谷(クリックしてね)の24分50秒あたりのところで、トニー谷さんは、「レディースエンドジェントルメン」 エンド「ぜんこくの(これはラジオ番組なので「ぜんこくの」と言ってます)おとっつぁんおっかさん」と言ってるのですが、なんとなくおもしろいあいさつのようなものとして聞き流していたのですが、じつは物事には理由があるものでして、もともとはトニー谷さんが戦後の舞台で使っていたあいさつらしく、舞台の観客席が左右に分けられていて、片側に進駐軍、片側に日本人がすわっていたので、右に向いての挨拶と左に向いての挨拶を区別して、「レディースエンドジェントルメン」 エーンド(と言いながら、体の向きを変えて)「おとっつぁんおっかさん」ということらしい。なるほど。
2014年02月06日
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あいかわらず、町山智浩さんの映画解説はとてもおもしろいのですが、ほとんどの場合は解説を聞くだけで満足してしまい、映画自体を見ようという気になることは少ないのですが、この「バンク・ジョブ」に関しては、そうとうおもしろそうで見たくなり、hulu(月額980円で見放題)で探したら見つかったのですが、星三つ(満点は五つ)になってて、あまり人気はなく、これまた(残念ながら)町山さんの解説がうますぎるのかなあ…映画自体はまだ見てないので、おすすめかどうかわかりませんが、町山さんの解説はおすすめです。バンク・ジョブ/町山さんの解説(クリックしてね)
2014年02月05日
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存在のエネルギー(とでもいうような何か)とちがって、人類による表現活動は、人類がいるあいだだけの一時的なものである。
2014年02月05日
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ニール・ブロムカンプ監督の「第9地区」は、エイリアン差別物(?)映画(いちおうSF?)なのですが、個人的には、去年の11月に見た「シュガーマン」以来のおもしろい映画でした。おわりの方で、「いまはたまたまいろんな状況のせいで、あなた方を救い、あなた方にとって有利なことをするつもりだけど、数秒後には気が変わって、わたしにとって有利な、あなた方から見れば卑怯なことをする可能性がじゅうぶんあるので、わたしの気が変わらないうちに、すみやかに逃げてくれ」というような意味合いのせりふが出てくるのだけれど、いわゆる含蓄のある言葉だなあ、と思いました。
2014年02月04日
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いま55才の人にとっては、40年前、15才の頃のことは、かなりくっきりしている。いま55才の人にとっては、40年前、1974年のくっきりした場面に、55才の私がいると想像することは、さほど困難ではない。すると、1974年にいる55才の人は、40年前、15才の頃のことを、かなりくっきりと思い出せることになるのだが、なんと、そのとき、1934年は戦前である。
2014年02月04日
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「思考を落とそうと試みる」ことによって、身心にエネルギーのひろがりを感じ、元気になって、うっとりする、というのは、いつでも使用できる(とりたてて害のない)自家麻薬の生産工場をじぶんの身心に建設したようなものだ。工場の土壌は散歩と体操。
2014年02月02日
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生と覚醒(めざめ)のコメンタリー(第4巻):p88:クリシュナムルティ(著):大野純一(訳)春秋社)より引用『われわれは、本来は単純な何かを経験するのだが、しかしすぐにそれは複雑になる。 それを元々の単純さの範囲内に留めておくことはむずかしい』
2014年02月01日
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たまたま人になって、たまたまある限られたじかんだけ、たまたまある地域で暮らしているとき、たまたま出会う出来事たちは、とにもかくにもたまたまである。そんな状況で、普遍性がどうのこうのとか言ったってねぇ…
2014年02月01日
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作品Aにせよ作品Bにせよ、まあ、駄作なんだろうけど、でもまあ、せっかく描いていることだし、なんかへんだし…
2014年02月01日
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