全28件 (28件中 1-28件目)
1
じぶんの行為・認識に気づきつつ、あらかじめじぶんで決めた行為をゆっくりとこなしてゆくと、どうしたことか、ふいに、予期せぬ行為・認識に入っていると気づくことがある。そうしたときにはすぐに元の、あらかじめ決めた手順に戻ろうとはせず、いましばらく、予期していなかった不意の行為・不意の認識にとどまり、場合によっては、暮らしの方針を変えることになる。
2014年03月30日
コメント(0)
これを拡大すると…拡大写真の快楽(クリックしてね)拡大倍率もここまでくると、あきれますね。しかも、拡大された写真もまた、パソコン画面で拡大できるのですから、いよいよすごい倍率です !
2014年03月29日
コメント(0)
「何をしてもムダ」という表現の利用法を考えてみた。まずは否定的な観点から行くと、何をしてもムダなら、何をしてもムダと考えるのもムダである。それに、「ムダ」という言葉を使うからには「ムダでない」何かがあるはず、というこだわりが見え隠れする。それでは「何をしてもムダ」の利用法…どうせムダなんだから、うまくいくかどうか気にするのはムダである。気にするのはやめよう。「何をしても」というような極端まで行かなくても、そもそも、わたしたちは、多くのことを「やらなくてはいけないムダではないこと」と見なしているが、じつのところ思いこみにすぎないかもしれず、それらは「やらなくてもいいムダなこと」かもしれないと気づき、ムダを省く。
2014年03月29日
コメント(3)
このまえ、腕どけいを逆向きに、文字盤の数字がさかさまに見えるように腕にはめているひとを見かけて奇異に思い、いったい何のために逆向きにしているんだろうとつぶやいたら、相手に見えやすいようにでしょう、と言われ、相手に時刻を見てもらうために腕どけいをしてるわけではなかろう、とかいう理屈をこえて、腕どけいとは自分が時刻を見るためのものだと思いこんでいたので、おどろいた。
2014年03月28日
コメント(0)
このまえ、健康保険の任意継続の保険料を払いに銀行に行って順番待ちの番号札を取って待ってたら、とあるお客さんが銀行のひとに床に落ちてる腕どけいを指さしてて、腕どけいが落ちても気づかないなんてバカじゃなかろうか、そもそも腕に触れる腕どけいの皮膚感覚というものがあるだろうに、とか考えつつ銀行のひととお客さんのやりとりを見ていたのだが、それはぼくの腕どけいだった。おどろいた。
2014年03月28日
コメント(0)
ここで解説されてるような映画は、町山さんの解説聞かないとわからないよ、という映画3本の、すこぶるおもしろい解説です。「町山智浩の映画Q&A 2014春」(クリックしてね)2時間半くらいの解説で500円ですが、おすすめです。ところで、最近見た映画での発見(やはり、ひとから教えてもらうより、自分で偶然発見したときのほうが、うれしい)として、「Wの悲劇」(映画版)と「レイクサイド マーダーケース」(映画)との関係に気づいた(気づくというか、見ればあきらかですけど)ことです。「Wの悲劇」は(いまのところ)hulu(月額980円で見放題)で見れます。「Wの悲劇」だけでは(個人的には)おもしろくなかったです。「Wの悲劇」だけなら、見なくてもよかった、という感想で終わるのですが、偶然、東野圭吾原作の「レイクサイド マーダーケース」(映画)を見たところ、どちらも薬師丸ひろ子が出演しているというだけでなく、2つの映画の関係がおもしろかった。「レイクサイド マーダーケース」だけ見てたら、これまた(個人的には)つまらない映画だと思ったのでしょうけど、「Wの悲劇」を見てから「レイクサイド マーダーケース」を見ると、関係性がおもしろかったです。
2014年03月27日
コメント(0)
道元さんがおっしゃった、「ことばもて言うことなかれ こころもて測ることなかれ」というのの、「言葉もて言う」と「心もて測る」というのが同じことのくりかえしに思え、なんとなく疑問だったのだけれど、ふと、「言葉もて言う」は思考が意見や判断に影響を与える側のことで、「心もて測る」は思考が感情や気分に影響を与える側のこととして、2つの側に分けて考えれば、同じことのくりかえしにはなっていない、と思いついた。このような思いつきは、「言葉もて言う」側である。
2014年03月25日
コメント(0)
英語をもっと聞き取れるようになりたい理由のひとつとして、カーンアカデミーの美術ビデオを見てもカーンアカデミーの美術ビデオ(4分ほどのビデオです)(クリックしてね)英語が聞き取れないと、よくわからない(日本語になってるカーンアカデミーのビデオもいくつかあるようですが)のが残念で、なんというか、いまさら映画の英語聞き取りなどはいくらやっても無理だとしても、こんな感じの英語なら、10000じかん聞き取り勉強すれば、あるていど聞き取れるようになれそうで…
2014年03月23日
コメント(0)
あらゆる質問には、答があるか、それとも、答があるかどうかわからないか、のどちらかである。(答がないとはっきりしているものは、答があるとみなす)ふと、「あらゆる質問に対して、答があるのか、それとも、答があるかどうかわからないのか、を判断する能力」といったものがあるのかどうか、知りたいと思う。そこで、「あらゆる質問に対して、答があるのか、それとも、答があるかどうかわからないのか、を判断する能力」をAとしてみる。「Aがある」と仮定する。規則として、どんな質問に対しても、能力Aを使わないと「答があるのか、それとも、答があるかどうかわからないのか」判断できないとする。そこで質問する。「能力Aなんてあるの?」この質問に対し、能力Aを使う前にちょっと考えてみよう。能力Aがないとすると、「Aがある」という仮定に反する。すると、「能力Aはある」と判断できる。この時点では能力Aを使っていない。ところが、規則により、どんな質問に対しても、能力Aを使わないと「答があるのか、それとも、答があるかどうかわからないのか」判断できないことになっているので、能力Aを使う前に「Aがある」と判断できないはずである。ということは、そもそも、仮定「Aがある」がまちがっている。ということで、「あらゆる質問に対して、答があるのか、それとも、答があるかどうかわからないのか、を判断する能力」なんてない。そうだろうな、判断能力なんてない…「私は正直である」と正直者が言う…
2014年03月23日
コメント(0)
行為の内容では行為を評価しない。内容ではなく、行為Aの気分、および行為Aを計画しているときの気分、および行為Aのあとに起こってくる気分、そうした気分の全体によって、行為Aを評価する。
2014年03月21日
コメント(0)
公園の水にむせそうになった私は…いや、ちがうかもしれない…公園の水飲み場の水道の蛇口は、壊れていたのかもしれない。水は公園中にあふれだし、公園ぜんたい、大きな水たまりになっていた…それとも蛇口はけっしてひらかず、公園は乾き切っていたのだったか…水びたしの光景と、乾いた光景が、重なり合い、水たまりとなった公園池のまっすぐな表面が青く、陽の光に輝いている。
2014年03月18日
コメント(0)
「しなければいけない事なんて何も無いよ」「そうは言ってもどうせ何かするじゃないか」「そりゃそうだけど、なんか、納得できないんだ」「それは考えてるからだよ」「え?」「『しなければいけない』とか『事』とかいう表現と、『しなければいけない』こと自体というか、『事』自体というか、それらは別で、言葉は言葉にすぎず、考えは考えにすぎず、考えているかぎり考えの枠内なんだ。こうしてしゃべってるのもまた言葉の枠内だ」「だから?」「だから、考えから離れようと試みることで、身心を別の状態に移動させる」「そんなのじゃまくさいよ」「それは考えだ。まあ、それは考えにすぎない、というのもまた考えにすぎないんだけどね」「だから?」だから、ある程度のじかん、思考を落とそうと試みる。
2014年03月16日
コメント(2)
しろうと向けの数学の本(しろうと向けではありますが、しろうととしては、流し読みできるわけではなく、立ち止まってしばらく考えないと理解できないところも多々あります)としては(知ってるかぎりでは)ほぼ最高のもののような気がしますが、数学のたとえ話がこれまた奇妙で、たとえば集合論についての遠山さんのたとえ話なんか、何考えてんのこの人!、といったおどろきがあります。こんなかんじです。『(集合論は)あらゆる具体的な集合がもっているはずの要素間の相互関係、いわば要素の社会性をすべて破壊しつくして、集合を要素間に何の連絡も交渉もない群集に変えてしまった。 この徹底的な破壊のあとになお残っていたのが計数であった。 集合という一つの社会にもっとも徹底的な革命、個人主義的な革命がやってきて、いっさいの社会性を打ちこわしたが、この革命は個人(すなわち要素)の生命だけは保証する「無血革命」だったので、人口(計数)だけはもとのままであった』(無限と連続:p47:遠山啓(著):岩波新書)より引用上記のような熱に浮かされたようなたとえ話のほかは、ていねいに書かれていて、ちょっと数学に好奇心のあるひと向けのすばらしい1冊です。
2014年03月14日
コメント(0)
とりあえずの目標を「死ぬ瞬間に気分がいいこと」にしてみよう。死ぬ瞬間というのは今かもしれず、一瞬あとかもしれない。なので、死ぬ瞬間に気分がいいというのは、今から死ぬ瞬間までのどの時点を見ても気分がいいということ。眠っている瞬間に死ぬのはかまわないとして、起きている瞬間、できるだけ気分のいい瞬間の比率をふやしていくと、死ぬ瞬間に気分のいい確率は大きくなる。死の近くでは、病気なり事故なりによって気分がよくない確率が大きくなるにせよ、それでもいま、できるだけ気分のいい瞬間の比率をふやしていくと、死ぬ瞬間に気分のいい確率は大きくなる。そもそも、もっとわかりやすくすると、死ぬ瞬間は今だから、いま気分がよければいい。いま気分がいいのかどうかの感じは、ほとんど迷わないと思うのだが…
2014年03月14日
コメント(0)
日常の細かな行為だらけ…大きな妄想を抱けなくなってしまって…だけど、大きな妄想を抱いたところで、けっきょくのところ、身心が整理されたら、妄想だと気づいて抜け出る、もしくは、抜け出てから妄想だったと気づく、そんなことなら、残りの人生でもうひとつ大きな妄想を抱く夢はつまらない…だけど、そうすると、残りの人生は日常の細かな行為ばかりになってしまって…だけど、いまのところ、細かな行為のアイデアなら次つぎやってくる…
2014年03月13日
コメント(0)
「目標を決めたらあきらめずできるまでやる」という方法の欠点は、いくら努力してもいつまでもできないかもしれないこと。「ある程度努力してみてダメなら、それはあなたに向いていないことなのだから、あきらめて別の目標に移る」という方法の欠点は、もうちょっとの努力でできた可能性があること。「目標が達成できたかどうかではなく、努力の過程を楽しめるかどうかが大切」と言ってしまうと、どんな努力も楽しめないならどうしようもない。「何にせよ努力しないのがいい。努力すると葛藤が生まれるから」と言うこともできるけれども、この場合、「努力」という言葉で何を言い表わそうとしているのか、場合の数が多すぎる。ということで、「努力によって何か(それは、いまのわたしが知らない何かかもしれない)が達成できる」という直感が決め手になるわけだけれども、その直感がうまく機能しているのかどうかの直感もまた…
2014年03月13日
コメント(0)
「ジキル博士とハイド氏」は何度も映画化されているようですが(題名はいろいろ変更されています)、今回見たのは、イングリッド・バーグマンが出演している、1941年の映画です。「映画で楽しむ名作文学2」DVD10枚組に入っています。「ジキル博士とハイド氏」(1941年映画)のほか、「罪と罰」(1935年映画)「嵐が丘」(1939年映画)「キリマンジャロの雪」(1952年映画)など、10本の映画が入ってます。いまのところ、アマゾンで1439円(税送料込)です。1枚144円弱で、新品です。「ジキル博士とハイド氏」を見て、1941年の映画なのに、画質がすばらしく、最近の画像処理能力はすごいなあ、とおどろきました。ところで、この映画にイングリッド・バーグマンが出ているのは知っていましたが、どのような役で出ているのか、まったく知らなかったので、イングリッド・バーグマンが現れたとき、おどろきました。おどろいたことに、原作とはかなりちがったストーリーだったので、読んだことのある話を映画で見る、というのとはちがって、原作の先入観があるため、話の展開におどろきました。原作もすごくおもしろい(映画より本のほうがおもしろいと思う)のですが、よくもまあ、こんなふうに脚色したものだと感心します。かなり女性差別の気配が漂う映画ですが、そのあたりを大目に見れば、かなりおすすめ映画です。
2014年03月12日
コメント(0)
ある特定の状況で、ある特定の期間出現した「私」という現象があるとしたら、ある特定の状況において、ある特定の期間において、「私」をいかにして楽しませるか?
2014年03月10日
コメント(0)
1秒まえの自分なら、意識すれば、なんとか今の自分と区別できるから、自己同一性は揺らぐけれど、0.3秒まえの自分となると、年のせいか、今の自分と0.3秒まえの自分を区別することがほとんどできなくなっている。いずれもっとぼけたら、今の自分と3秒まえの自分の区別もできなくなるのかも…
2014年03月10日
コメント(0)
村山斉さんによるヒッグス粒子についての、8分くらいの簡単な解説です。
2014年03月09日
コメント(0)
ぼくが、死ぬぎりぎりまでこだわる物事がそれほどあるとは思えない。いまのところこだわっているAにせよBにせよ、死ぬ年を予測して、どこかの時点で賞味期限が来て、有限の人生なのにこれ以上こだわるのはつまらない、と実感されてゆくのだろう。
2014年03月07日
コメント(0)
もし平面世界に住んでいるとしたら、より次元の高い世界で飛んでいる飛行機の影が平面世界を動いていくのを、世界の現実としてとらえるだろう。最新の物理学研究では、私たちが世界の現実としてとらえている空間や時間といったものは、より高い次元の世界における「何か」の影らしい。より高い次元の世界における「何か」の影を、私たちは時間や空間としてとらえているらしい。時間や空間は、「何か」の影であるらしい。
2014年03月07日
コメント(0)
もっとも小さいと言われたって、それを半分にしたらもっと小さい、と思ってたけど、だまされてるような気もするけど、なんとか(納得?)できそうに思えるのは、ある大きさより小さいと、時間がなくなる、らしい。
2014年03月05日
コメント(0)
だまされてるような気がしないでもないけど、なんとなく(納得?)するのは、この宇宙でもっとも大きいのは、この宇宙である。宇宙のはじまりのときの光が現在到達してるところが、この宇宙の果てである。
2014年03月05日
コメント(0)
深くふかく潜ってゆくと言葉が意味を持たなくなる出入口その隣に巧妙に隠れて言葉が別の意味に膨らんでゆく出入口明るいような 暗いような言葉の門、それに躓き知らない言葉 持ち出せはしない
2014年03月04日
コメント(0)
光が最も速いと言われたって、もっと速い何かがあったってかまわない気がする。だまされてるような気はするものの、なんとか納得(?)できそうなのは、光には質量がない、らしい。質量がなければ、どうしてもっとも速いのか?そもそも質量とは何か?質量とは、動きにくさ、みたいなものらしい。動きにくいと、質量が大きい。ということは、質量がないのがもっとも動きやすい。もっとも動きやすいということは、もっとも速い。よって、光は質量がないので、もっとも速い。
2014年03月04日
コメント(0)
なんと、物理現象を理解するのに必要な、重要な数学の公式として、1+2+3+4+5+…= -1/12そんなバカな!、とは思いますが、とりあえずは(だまされてる気はするものの)ある程度納得(?)した計算は、S=1+2+3+4+5+…SA=1-1+1-1+1-…SB=1-2+3-4+5-…とした場合、問題は SA=1-1+1-1+1-… をどう捉えるかなのですが、1-1=01-1+1=11-1+1-1=01-1+1-1+1=1というふうに、0と1が半々出現するので、1-1+1-1+1-…= 1/2とみなします。SA=1-1+1-1+1-…= 1/2次に、SB=1-2+3-4+5-…SB= 1-2+3-4+5-…と、上下のSBをひとつずつずらして足すと、2SB=1-1+1-1+1-…=SA= 1/2よって、SB= 1/4次に、S-SB=1+2+3+4+5+6+… -1+2-3+4-5+6-… =0+4+0+8+0+12+… =4(1+2+3+4+5+…)=4SSB= 1/4なので、S-1/4=4Sよって、S=1+2+3+4+5+…= -1/12
2014年03月03日
コメント(0)
本屋で、本をレジにもっていったら、「袋に入れますか?」「いいえ」「カバーしましょうか?」「いいえ」すると、本にセロテープ(店の名前入り)を貼って渡された。薬局で、目薬をレジにもっていったら、「袋はどうしましょう?」「いりません」「ありがとうございます。袋代2円、引かせてもらいます」と言って、小さな袋(2円引きの袋はもっと大きいのだろう)に目薬を入れた。コーヒー店で、店頭に置いてあったコーヒー豆の袋をレジにもっていったら、「店内でお召しあがりですか、それとも、お持ち帰りですか?」と聞かれた。
2014年03月01日
コメント(0)
全28件 (28件中 1-28件目)
1