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日本の宝くじは、100万円買ったら戻ってくるのは、平均して50万円くらいらしい。これでは損だから買わないとして、仮に1本100万円の宝くじで、戻ってくるのが平均して200万円ならどうか?どういうことかというと、思いついたのは、1本100万円で、10億本のくじのうち当たりを1本だけにして、当たりの金額を2000兆円にすれば、1本買ったときの期待値は、2000兆円÷10億本=200万円/本なので、買えば平均して倍になる夢の宝くじだけど、10億分の1でしか当たらないなら、売れない?だけど、100万円で買って、期待値が200万円なら、買う側が得をするはずである。おかしい。よく考えてみると、10億本ぜんぶを1000兆円で買い占めれば2000兆円がかならず当たるのだった。
2014年08月30日
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最近の体調(身心)不良の原因についてあれこれ考えていたのだけれど、最近食べなくなった食べ物だと、カレーを食べてないし、キムチを食べていない。さっそくカレーとキムチを食べるもパッとしない。肩が痛くてチベット体操ができない。横たわっても肩が痛くて、きちんと眠れない。横たわった姿勢で思考を落とそうと試みても、肩が痛くてうまくゆかない。ああそうか、現在の肩の痛みの状況からすると、思考を落とそうと試みる姿勢としては、横たわっているより坐ったり立ったりしてるほうがうまくゆく。そういえば、肩の痛みのせいで、最近、横たわった姿勢で思考を落とそうと試みるのが困難になっているにもかかわらず、その代わりとして、坐ったり立ったりの姿勢で思考を落とそうと試みるのをずいぶん怠っていた。
2014年08月29日
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どうしてアメリカの住宅価格が上昇してるのか謎だったけど、どうやら、じっさいの売却価格は下がってるけれども、統計上の価格は売却依頼価格らしく、なので上がっているらしい。なるほど。
2014年08月28日
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「バナナ世界の迷路を解いて脱出したら、そこにはどんな世界があるのですか?」「迷路から脱出できたなら、そこは…」迷路世界と迷路世界にはさまれた
2014年08月27日
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年をとったりして、身心の状況が変わると、実感が変わるので、「私」が変わるので、「論理(へりくつ)」も変わる。
2014年08月25日
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10冊の本を積み重ねるのに何通りあるか、計算せずになんとなく想像してみる。それから、じっさいに計算してみると、10×9×8×7×6×5×4×3×2=3628800なんと、360万通りを超えている !
2014年08月23日
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「バナナ世界の迷路を解いて脱出したら、そこにはどんな世界があるのですか?」「それは言えないんだ」「言いたくないのですか?」「言いたくても言えないんだ」知らないことを言いたい。
2014年08月22日
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努力によって得ることができるものは、価値がある。価値があるものは、たいしたものではない。努力によって得ることができるものは、価値はあるけれど、たいしたものではない。努力が無価値だと言ってるわけではない。
2014年08月21日
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好奇心はふとやってくるのだけれども、強く魅かれているあいだは流れに乗っていればいいのだけれども、流れが落ちついたあと、身を引いたほうがいいのか、深入りしたほうがいいのか、むずかしい。身心のようすをうかがいながら、どこかで判断するしかない。
2014年08月20日
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これを拡大すると…拡大写真(クリックしてね)拡大された写真もまた、パソコン画面でさらに拡大できます !
2014年08月19日
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いくらなんでも正しい(と思いこんでいる)ことでも、じつのところ正しいのか正しくないのかじつははっきりしないものだし、いくらなんでもまちがっている(と思いこんでいる)ことでも、じつのところまちがっているのかまちがっていないのかじつははっきりしない。いくらなんでも起こると推測していることでも、じつのところ起こるのか起こらないのかじつははっきりしないものだし、いくらなんでも起こらないと推測していることでも、じつのところ起こらないのか起こるのかじつははっきりしない。
2014年08月18日
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バナナを求めてバナナ園に入ったのに、バナナの迷路でバナナから出られない。「バナナ世界から出られないなら、バナナ世界で暮らすことになるのですか?」「バナナ世界で暮らしてもいいし、バナナ世界の迷路を解いて脱出してもいい」
2014年08月17日
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「私はAという行為をしたら(こんなふうに・あんなふうに)気分がよくなる(わるくなる)性質の自己だろう」と自己評価(自己を判断)したのち、Aという行為をしてみて、行為のあと、前もって予測した気分とじっさいの気分とを比較して、自己評価(自己の判断)と行為を組み直してゆく。
2014年08月16日
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ぼっかけやきそばの食券(ウィキペディアによると、食券はなんと、有価証券らしい ! )を買ってカウンターの端にすわったら、食券を確認した店員さんが、「0番さん、ぼっかけやきそば、おねがいしまーす」カウンター席を番号で呼ぶのはわかるけど、0番とはおどろいた。
2014年08月15日
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「連絡、ありました?」「どうなんでしょうね」「連絡、ありませんか?」「ずっと見張ってるわけではありません」「バナナ園で迷子になったのかもしれない」「迷路で出れなくなったとでも?」
2014年08月14日
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基本的に閉鎖的なひとり暮らしにおける日々の時間割は、質素な自費出版みたいなもので、広告もなく読者(社会性・人づきあい)も少ないが、基本的に何を書こうと(時間割をどうしようと)自由である。自費出版ではなく、どこかに出版費用を援助してもらったり(勤務したり)広告を入れたり(社会に参加したり)すると、読者(社会性・人づきあい)も増える分、何を書くかあるていど配慮しなくてはならず(自分勝手な時間割は減ってゆき)不自由になってゆく。
2014年08月13日
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いつのまにやらグーグルの「Google Art Project」がかなり進化してて、おどろきました !Google Art Project(クリックしてね)すばらしいです !
2014年08月12日
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危険を冒してバナナ園へ行くより、まずは、バナナ宇宙船から無人探査機を飛ばしたほうがいい。「なるほど、気がつきませんでした」「気づかなかった?」「まあ、手遅れですね」「地球の空気とか水とか環境とか、われわれが存在できる環境なの?」「まあ、行っちゃったんだから、ダメなら連絡が無いでしょう」
2014年08月12日
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どういうとき退屈でないかというと、考える余裕なく忙しいとき考える余裕のあるとき考えないでいようと試みる余裕のあるときだと思う。すると、退屈なのは、きちんと考えれないがぼんやり考えてしまう程度に、中途半端に忙しいとききちんと考える余裕のないとき考えないでいようと試みる余裕のないとき
2014年08月11日
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パート先に行ったら、コンクリートの壁と床の境に、新聞紙が何枚も敷き詰めてあった。台風に備えてらしい。窓の隙間から雨が吹きこんでくるのを防ぐのだろうと考えたけれど、窓を見ると、嵌め殺しだった。聞くと、コンクリートの壁から、雨がしみこんでくるらしい。聞いてみると、ありそうなことだけれども、目の前のコンクリートの壁は厚く、頑丈そうに見えるので、意外だった。
2014年08月10日
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「何をしたらいいのかわからないのです」「何をしようが自由だ」「たとえそうだとしてもですね、何をすればいいのかわからないのです」「そんなふうに「何をすればいいのかわからない」と考えているじゃないか?」「え?」「「何をすればいいのかわからない」と自由に考えている」「そんなの、自由に考えているわけではありません」「そんなふうに「自由に考えているわけではありません」と私に向かって言ってるのは自由じゃないの?」「自由って何なんです?」「「何をしようが自由だ」という表現の中の「自由」のつもりだけど」「へりくつですね」「まあ、言葉だからね」
2014年08月09日
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バナナ星人の乗り組むバナナ宇宙船の監視カメラに、
2014年08月08日
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目は不可逆的に変化しうる。耳は不可逆的に変化しうる。感覚は不可逆的に変化しうる。あとはへりくつだろう。
2014年08月08日
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「アメリカズ・ゴット・タレント」の優勝賞金は100万ドルなのですが、なんとこれは、40年分割にしたときの場合で、しかもなんと、40年後の物価上昇をかんがみての100万ドルで、じっさいに40年かけてもらえるのは50万ドルくらいらしい。40年分割にせずすぐにもらうこともできるけど、その場合は40年後の100万ドルに相当する(?)50万ドルから税金を引かれて、手取りは25万ドルくらいになってしまうらしい。ということで、「アメリカズ・ゴット・タレント」で去年優勝して賞金100万ドルを獲得した蛯名健一さんの、今年6月の時点でのじっさいの獲得賞金は6000ドルとのことです…
2014年08月06日
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すこしずつ描き足して、10か月くらい経ちました。
2014年08月06日
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宗教の答は、「神秘体験は現実にあります」ということで、いわゆる宗教的生活はしょせんへりくつだろう。そして、宗教でない問は、答を持たないだろう。
2014年08月05日
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A地区には年収500万の人が100人いて、100人とも年に300万使うとする。B地区には年収100万の人が99人いて、99人とも年に90万使うとする。残り1人が年収50億で年に30億使うとする。すると、A地区の平均年収は500万で年間消費全体は3億、B地区の平均年収は5099万で年間消費全体は30億8910万になるので、(生産とか考慮してないけど)おおよそのところ、B地区はA地区の約10倍の経済規模、ということになるのだろうか?
2014年08月05日
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思考を落とそうと試みるときでさえ、いろんな状況がある。思考するときの状況は、複雑怪奇だ。思考するときには、無数の入口のある(出口不明)巨大迷路に好き好んで迷ってゆく。
2014年08月05日
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「バナナ星人は地球を観察している」「何のために?」「バナナ星のバナナを食べつくしたので、地球のバナナが欲しいのかもしれない」「バナナ星のバナナと地球のバナナは同じなの?」「なるほど、別の星の食べ物を食べるには勇気がいるね」
2014年08月04日
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(個人的には)ぼくの身心の個別の状態を考慮しつつ思考錯誤しつつ試行錯誤しつつ努力して、最近ようやく、横たわって目を閉じ「思考を落とそうと試みる」ことで、わりとすみやかに(状況によっては数秒で)身心にエネルギーを(いわゆる体力の増強とはべつなんだけれども)意図的に集めれるようになったのは、そのようにして得られる気分のよさは、努力して得たこととしては予想外である。
2014年08月03日
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「そもそもバナナが重要なのでしょうか?」「もちろん」「誰にとって?」「少なくともバナナ星人にとっては」「え?」地球人は「バナナ星」という名前は聞いたことがあるし、「バナナ星にはバナナ星人が住んでいる」と聞いたこともあるが、バナナ星がどこにあるか知らず、バナナ星を観察したことはない。それにひきかえ、バナナ星人は地球を観察している。
2014年08月02日
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「全体」というものが(仮に)あるとするなら、「全体」においては、人類はいなかったことにしてもいいくらいの誤差みたいな感じもする。人類に(仮に)価値があるとしたって、「全体」においては、誤差みたいな価値の気もする。なので、状況による(状況が、楽しむ可能性をいっさい持たないことも多いだろう)のだけれども、誤差みたいな価値を気にせず、楽しめばいい。
2014年08月01日
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