全3件 (3件中 1-3件目)
1
コロナ禍を過ぎ、やっと少しずつ外出を楽しめるようになったところでまたコロナ禍だ。もうやめてと思うが、自分だけではないので、ここ二年間の自粛の仕方を思い出しながら何とか乗り切ろうとする日々である。いつもの薬をもらいにかかりつけ医に行く。医師だってどんな患者がなんのウィルスを持って来るかわからないので戦々恐々としているに決まっている。この医師が担当になって8年くらいになるだろうか。私の仕事のことも理解していただいているので、コロナ禍になってからは半分戦友のような気持ち?「頑張って生き残りましょう」なんて励まし合っている。私は大病院より、こうした地域に根差した小さなクリニックの方がずっと安心できる。私のことを理解してくれる病院。精神的にホッとするのだ。基本、本音を言えば、病院は怖くて苦手。小さい頃から同じお医者さんでないとだめだった。耳鼻科へ行くべきなのに、いつも同じ小児科へ通った。その先生はめったに注射をしないし、苦い粉薬が苦手な私にいつも丸薬を処方してくれる優しい先生だった。確か、お子さんが小児麻痺を患って後遺症が残っているという話だった。だから、小さい子どもや気弱な病人の気持ちをわかってくれたのではないかと今になって思う。二十歳で引っ越すまでそこにしか行かなかった。と話は飛んだが今日の先生も物腰柔らかく、私が不安になるようなことは言わない。「またコロナ流行っちゃいましたねえ」とお互いに苦笑いする。「先生、これが最後の流行ですよね?そう思って頑張ってるんです」「それはどうかなあ。ゼロコロナにはならないからねえ」そうか、医学界の見解ではこれが最後じゃないのね。「お互いに、これからも注意しながら頑張っていきましょう」励まされて帰ってきた。終わりが見えないなあ。でもそれはみんな同じだから。できる範囲で楽しみを見つけ、それぞれの分野で社会貢献して生きていくのだ。帰宅後は再び始めたオンラインフィットネスに少し取り組む。運動から遠ざかってはだめだ。細々とでもいいから続けることが大事と自分に言い聞かせる。健康のためでもあるし、ささやかな楽しみの一つでもある。オンラインでもダンスができると楽しい。狭いリビングで家具にぶつかりそうになりながら今日はメガダンスのライブレッスンを30分。メガダンスは3回目の挑戦だ。ダンスはインストラクターによって教え方が全然違う。と言ってもスタジオでメガダンスをやったことはない。30分なので3曲。ヒップホップ、ラテン、最後のはエアロビクスっぽいステップだった。ステップはふだん教わっているものとは違うので左右間違えてばかり。そこにハンドモーションがつくとさらにめちゃくちゃになるが誰も見てないから、恥ずかしくはない。メガダンスというのはリトモスやズンバより簡単だという。高齢者でも参加しやすいという話だが、ヒップホップもエアロビクスもやらない私には難しい。でも楽しいから続けちゃおう。リトモスはスタジオで三回くらい挑戦したがあまりに速い動きで、挫折している。ズンバは下手なりに一年以上続けたから楽しい。いつかスタジオに復帰できたら、メガダンスのクラスにも出てみたいなあ。オンラインの場合、少しずつでいいから毎日取り組むように、しないと幽霊会員になってしまうと過去の経験から学んでいる。今の予定では月曜日フラ、火曜日メガダンス、水曜日ラテンエアロ、木曜日ズンバ、土曜日もズンバと決めているが、他の曜日はまだ未定。ヨガ、ピラティスになるかなあ。運動できる限り、私は前向きでいられる。
January 11, 2022
コメント(2)
新年早々だがプチうつに入っている。よせばいいのに、また文春を買ってしまった。さやかちゃんのことがやはり気になってしまうのだ。恋人からの罵詈雑言が録音されていると聞いていた。どんな酷いことを言われたのだろう。単純にいうと「死ね」の連発だったようだ。私は終戦16年後に生まれた。もはや戦後ではない、と言っても戦争を生々しく記憶している人がたくさんいた時代だ。やっと生き延びた人達が多い時代。だからどんなに罵詈雑言と言っても「死ね」は本気でない限り使われない時代だったと思う。ドリフターズがどんなに、下ネタを使ってもそういう言葉は出てこなかった。言ってはいけないというより、語彙のなかになかったという感じだ。もちろん、言うなと親に言い聞かされた覚えはない。中学、高校共に不良が多かったが「死ね」は聞いたことがない。ところが平成になって私はそういう言葉を投げつけられるようになった。同じく昭和育ちの元夫だ。喧嘩になるのはたいていお金のことだったが要求が通らないとキレて「死ね」「頼むから死んでくれ」「このキチガイ!」を連発していた。「殺してやる」も言われたな。キチガイというのは死語というか、差別用語の最たるものでこれも私の育った家庭では出なかった言葉だ。なぜ、キチガイというかというと、私が時おり心療内科に通っていたせいだろう。心療内科や精神科に偏見の強い時代に育ったのはよくわかる。だが元夫の母親も通ったはずだし、元夫は母親には決してそんなことは言わないのだが妻である私には言ったのだ。私は娘の前で差別用語を使うことにはさすがに耐えかねた。元夫はクレジットカードで借金をしてしまうので何度も立て替えた。もう二度としないという約束は何度も破られた。それは最後に立て替えるときだ。立て替える代わりに私は誓約書を書いてもらった。「二度とキチガイと言いません」という内容だった。そして立て替えて一週間もしないうちにその約束は破られ、気に入らないと「キチガイ!」の連発になった。「キチガイに稼いでもらってお金払わせてるわけ?」と言い返すと、「うるさい、キチガイ、死にやがれ!」だった。なんでこんなことを思い出したかというと、さやかちゃんが、彼氏に誓約書を書かせて一週間で破られたと書かれていたからだ。そうなんだよ、誓約書書かされるような男は決して守れないんだよ…身近な人ならそうアドバイスできたのに。いくら死ねと言われても死ぬ気にならなかったのは娘や猫を守るのは自分だと思っていたからだと思う。また娘に「パパはボキャ貧なんだよ。死ねとキチガイしか言わないから。ママは言葉が多すぎる」と諌められていたからだろう。自殺する気は、さらさらなかったが生きていたいとも思っていなかった。そんな私を母が見かねて強引に離婚へと話が進められた。もともと母は私が結婚したり出産したりすることに反対していたのもある。私に女であって欲しくなかったのである。娘は定年まで働いていてほしい、なるべく聞こえのいい仕事をしていてほしいというのが母の願いだった。無責任なようだが電撃離婚だった。離婚の話が出たら一ヶ月もしないうちに届けが出された。つまり私はまたしても母の言いなりになったのだ。反旗を翻して結婚し、子どもを生んだのに。でも私はこれ以上キチガイという、差別用語を聞きたくないと無意識に思っていたので、ついに母に根負けしたわけだ。離婚ならもっと前から母には薦められていたが経済的に自信がなかったのだ。当時、元夫よりは稼いでいたのだが。さやかちゃんも子どもがいたら歯止めになったのだろうか。自分のために生きるというのは意外に難しい。だれかのためと思えばなんとか、踏みとどまれる。それでテーマの言葉の暴力だが、もう一つエピソード。知り合いはやはりご主人が、借金を重ねてしまい、働かなくなったりしてやはり苦労していた。彼女はとても優しく、優秀な人で収入も、多かったのにいつも金策に追われ、質素な生活をしていた。そしてついに離婚に至ったが、なんと引き金は「殺してやる」の言葉だった。既に私は離婚していたが、その友の言葉に少し引いた。「殺してやるなんて言葉を使う人と暮らせない」あら、じゃ毎度のように言われていて鈍感になっていた私はどうなる?ひょっとしてとっくに別れていなきゃ、いけなかった?さやかちゃんは喉も悪くしていて歌で自立する自信も失くしていたのだろう。親に頼ることもできず、八方塞がりになった。そこへ「死んだらみんな喜ぶ」なんて言われてしまったら…飼い犬では歯止めにならなかったのか?私は今、娘が独立して一人暮らしだ。優しかった父も兄も死んだ。私が死んだら悲しむ人はいても、困る人はもういない。母はもういいでしょう。母の望みどおり、定年退職まで私は頑張りました!もうそれで許して欲しい。私をこの世にひき止めているのはここちゃんだけ。この子は幸せにすると決めていたから。さやかちゃん、犬じゃ、だめだったの?人間なんてあてにならないのよ。友達だっていざとなったら自分の家族優先。でも、犬や猫はあなたたよりに生きているかけがえのない家族なのです。
January 8, 2022
コメント(2)
今年もよろしくお願いいたします!今日は娘がやってきたので恒例の具だくさんお雑煮を作りました。さて、今年の抱負。3月に定年退職を迎え、4月からは再任用フルタイムで働きます。少しは自分の時間が増えるかな。働くからには体力!やはりダンスが好きなのでフラ、ラテン、ズンバをメインにヨガやストレッチ、ピラティスを取り入れたいと思います。エッセイは本腰を入れたいので、書く時間を増やします。川柳も今年は投稿に挑戦します。そのために文春買ってますから。文春の川柳コーナー、好きなんです。やり直し英語にも挑戦します。朝ドラのカムカムエブリバディに刺激を受けています。戦後の貧しい時代にラジオで勉強していた人たちを見習いたいのです。だから買いました。音読していきたいです。アウトプットとして英語を書く練習をしたいのですがこれはツイッターを使おうかな。そして昨年末に書いたとおり、プランターガーデニング!そして苦手だけど断捨離もすすめたいです!
January 3, 2022
コメント(2)
全3件 (3件中 1-3件目)
1