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先週の金曜日に、ファイザーのワクチンを予約した私は少し奢っていたかもしれない。ファイザーはモデルナより人気なので、ネットの苦手なお年寄りは予約しにくかったかもしれない。仕事後、残り3枠だったファイザーを予約できてホッとしていた。昨年、一回目、二回目とも副反応なし。二回目など、翌日元気に働いていた…は言い過ぎで実は少しクラクラしていたのだが、人手不足である。私が休んだらどうしようとハラハラする後輩がいるのに弱音を吐けなかった。3回目は大雪の日だった。初めてのモデルナ。大規模接種会場はプレハブのような急ごしらえ。雪など想定していなかったであろう。予約時間より早く着いた人達はボタ雪のなか、外で並ぶしかなかった。ダウンジャケットの上に雨合羽を羽織って、雪を浴びながら並ぶ。以前、こんなことがあった…そう、スキー場である。あの頃は嬉々として並んでいたではないか。モデルナとは言え、やっと取れた予約なのだ。結局一時間くらい雪の中を並んで接種し、冷えきって帰宅した。そして翌日高熱を出したが、副反応だったのか冷えたせいなのかよくわからなかった。2日目には元気だったので副反応だったのだろう。でも今度はファイザーだ。夏だから雪の心配もないし、大規模接種会場でなく、小綺麗な新しい医院である。と思ったら大雨で、私はまた雨合羽を着ていた。どこへ行くにも自転車なので傘をさすという発想を失くしているところが貧乏ったらしい。おまけに新しい医院、場所の検討は付けていたが、優秀なる方向音痴ぶりをまたもや発揮し、医院の前を駆け抜けて行き、何度も何度も雨のなかを行ったり来たりしてまたもやずぶ濡れ。注射は痛くなかった。あれならプラセンタ注射の方がよほど痛い。帰宅すると、翌日多少の副反応が出ることを踏まえ、洗濯を済ませておいた。雨なので外に干せないのがシャクだが、梅雨の後戻りだか何だか連日雨なので仕方がない。さーて、翌日は、頭痛くらいはするかな。解熱剤オーケー、冷えピタオーケー、イオン飲料オーケー。翌日の朝は発熱なし。しかし、昼間になるとクラクラが始まり…結局38度まで熱が上がった。何だか短期間に毒をガンガン盛るとこうやって弱っていくのかなとどんどんネガティブになった。その翌日の朝も微熱は、あったがそこでおしまい。連休前にしておいて良かった。若い人には副反応が、強いと知っている。しかし、若くない私がなぜ…私と同年代で副反応を起こさない人達を知っている。ふだんからたくさん運動していて体力がある。私は弱ってしまったというところか。起きたことは仕方ない。免疫力、体力を、制限ある中でどうやって付けていこうか。これが目下の課題だ。
July 19, 2022
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3年ぶりに朗読会へ行きました。 「明治45年の源氏物語」というタイトルで元フジテレビアナウンサーが勢揃いの華やかな朗読会です。朗読というよりお芝居のようです。舞台はタイトル通り明治45年の女学校。当時は女の子が読むものではないと言われていた源氏物語をこっそり読み始めた女学生が仲間を作り、先生を説き伏せて、発表会で朗読するというストーリーでした。今でこそ源氏物語を読んでいるということは日本人の教養として評価されますが明治時代は違ったのですね。恋愛小説ですものね、世界最古の。女学校の生徒さんたちは学びの喜びに溢れていました。私も女学生になったかのような錯覚に陥りました。やはり、ライブならではこそ、臨場感溢れていました。母方の祖母を思い出しました。祖母は結婚後、苦労に苦労を重ねています。明治生まれの女性は我慢するしかなかったのです。でも、女学校で習った英語や俳句を楽しんでいる人でした。女子教育の大切さもわかっている人でしたが、何しろ戦中戦後は食べるのがやっとで、教育どころではありません。末娘だけは少し余裕ができたのか、高校、短大に進学させていました。苦労の多い人生でしたが女学校時代が一番幸せだったのかもしれません。今の女子高生とは大違いですね。その末娘というのは私の叔母に当たりますが今でも母校の勉強会に参加し、英語の勉強を続けています。80代ですが。私が読書好きなのは祖母や叔母の影響もあるかもしれません。父方の祖母は貧しくて幼いうちから置屋に売られ、舞妓さんになりました。駆け落ちしてしまったので芸妓さんにはなっていません。小学校にも行けなかったようです。明治生まれと言ってもやはり格差が大きいですね。ただ、こちらの祖母は結婚後大切にされていて、お手伝いさんもいる家庭の主婦となりました。戦中戦後も土地を持っていたため、食べるのに困ることはなかったようです。教育を受けられた祖母と受けられなかった祖母。結婚に関しては父方の祖母の方が幸せだったのかなと思いますので、人生はわかりませんね。舞妓だったということは日本舞踊や唄の訓練は受けていたことでしょう。私が歌やダンス好きなのはこちらの影響?いや、どちらの祖母にも育てられたわけではないからこじつけかな。文学、ダンス、どちらも楽しんで生きたいと思います。
July 15, 2022
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選挙が終わった。衝撃的なラストだった。と言っても結果は予想されていた通りだったから、驚いたわけではないけれど、直前に元総理が暗殺されるとは、想定外過ぎる。容疑者の生い立ちを聞いていると胸が締め付けられるような思いだし、元々は優秀な人だったらしいから、良い方向に生かせなかったのだろうか。宗教というものも改めて考えさせられる。日本人は形式だけ宗教的なところがあるが、信仰心のある人は少ないだろう。私は新興宗教に勧誘されやすい若者だった。食事や映画に誘われて行ってみると宗教絡みだったことが頻繁に起きた。その話を職場でしたら「なんか、可哀想な人に見えたんじゃない?」むむ…確かにそうかもしれない。いつも自信がなくオドオドしていたし、うつ向いて歩いていることが多かった。単に姿勢が悪いだけなのだが哀れに見えたのだろう。しかし、親が信者で破産するほどお布施をしていて、そのために進学もできないとなったら子どもは、救われない。また、そういう親は純粋で人はいいと来ているから、周囲の理解も得にくいだろう。これは容疑者の話である。私を勧誘しきれなかったのは実はそこまでお人好しじゃなかったからだ。また、宗教そのものに興味はあったので、新興宗教に対して警戒心を持っていたというのもあるかもしれない。そんなふうに見えなかったのだろうし、洗脳しやすそうに見えたのだろう。人はなぜ、宗教を持つようになったのだろう。死への恐怖が根底にあったからともいわれる。だとしたら、人を殺してはいけないと真っ先に教えなくてはいけないのである。でも、宗教絡みの戦争がなんと多いことか。それは聖戦となるのだ。間違った解釈なのに、それがまかり通ってしまう。でも、多分、人間は正義だけで生きていけないのだろう。歴史があまり好きでないのは戦争のことばかり出てくるからだ。殺し合いの話はうんざり。脳科学から見たら、ホモサピエンスはそうやって発展してきたのだから、攻撃性はみんな遺伝子として持っている。そこにどうスイッチが入るか、家庭環境なり学校教育なり。オンデマンドでヒューマニエンスを見ているが、人類は動物を家畜化して進化し、なんと人類も家畜化して来ているのだ。つまり、家畜のように攻撃性が少なくなり、従順になってきている。野生のような人は排除されていくというか、パートナーとして選ばれなくなるから、子孫は従順な人達が繁栄するということか。話が飛びまくるが、先代の猫は野性味が強かった。何しろハンターとして栄えたアメリカンショートヘアーだ。野性味が強い、生きる力が強い。故に賢く、トイレの失敗はほぼなかった。排せつ物を隠せないのは野性として致命的なのだろう。家畜化もされているから、環境に慣れるのも早かった。今いる、ここちゃんは、家畜化されすぎているのか、野性を忘れているところが多い。臆病という遺伝子を強く持っているので、私と娘以外には心を開かない。と、話が二転三転してしまったが、TVとネット画面でしか見たことのない元総理ではあるが、長期政権であったため、遺影として見るのは何とも辛い。政治家一家の跡取り、御曹司で、大切に育てられたであろうから、こんな最後は、令和のこの時代にあり得ない亡くなり方だ。元総理は色々な宗教の集会に出られていたようだ。組織票のこともあるので、必ずしも信心して出ていたわけではなかろうと思う。銃撃の映像は恐ろしくて見ることができない。ネットでチラリと見るだけで恐怖心が募る。今日はお通夜が取り上げられていた。どんな立場の人であろうと銃で亡くなるなどということがあってはいけない。平和に生きていくこと、それが人としてのつとめだ。今度の選挙結果において、日本の平和は守られるように機能するのだろうか。不安になる。
July 11, 2022
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佐野浅夫さんが96才で逝去された。私の父より年上なので驚く。水戸黄門が代表作で有名だ。私は時代劇はどうも苦手だった。子ども時代から日本史に興味がなかったことと、チャンバラというか、戦いものは好きではなかったし、推理することも苦手だった。だから水戸黄門は見ていないのだが、佐野浅夫さんは知っていた。あれは小学校4年生の夏休み。何もかも禁じられていた。中耳炎になるから学校のプールへ行くな、友達と遊ぶな、だけど家族で出かけるわけでもない。兄は母の実家滋賀県に毎年夏休みに長期滞在していて不在。私は家で皿洗い、お米研ぎ、洗濯物畳みとおよそ面白くもなんとないことだけさせられ、あとは寝ていろと言われていた。テレビも禁止。母は見ていたけれど私には見せてくれない。夏休みの日記を書かなくてはいけないのだが、何もしない日々なのだ。昨今のコロナ禍の夏と似ているなとふと思う。義務は果たせ、でも楽しむなという地獄の夏休みで、学校の方がよほどましだった。そんななかで、ラジオで聴く「お話し出てこい」とちう番組だけが楽しみだった。ナレーションは佐野浅夫さんだった。「でーてこい、でてこい、でてこい」という歌と共に佐野さんが語ってくれる民話はとても楽しかった。私が民話好きなのはこの夏の影響ではないだろうか。やがて私は自分でも民話集を買ったり借りたりし、日本だけでなく、韓国の民話も読んだ。民話と違うがギリシャ神話に興味を持ったのもこの頃だ。民話ははるか彼方昔へタイムトリップさせてくれる。日本がかつて、お米をお腹いっぱい食べるのが夢だったと民話から教わった。「ねずみのすもう」「かさ地蔵」など、ラストはお米をいっぱいもらってめでたしめでたし。そうなると自分の惨めな夏休みも、お米を食べられるんだからいいかと思えたりしたのを覚えている。佐野さん、孤独だった少女にラジオ番組で、楽しい昔話をたくさん聞かせてくれてありがとうございました。私は今でも昔話が好きで励まされています。私もいつか、孫ができたら昔話を語ってやりたいなあ。そんな日が来るだろうか。
July 4, 2022
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