仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.12.12
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カテゴリ: 宮城
前回

立花隆さんの本から、要点をまとめてみる。なお、以下の構成は当ジャーナルの勝手な整理。立花さんの本の記述の順序等に従っているものではない。

■文献
『立花隆・サイエンスレポート なになにそれは? 緊急取材・立花隆、「旧石器ねつ造」事件を追う』
朝日新聞社、2001年

1 捏造スクープ以前の状況

日本に前期旧石器時代が存在したかについて論争があったが、学界の主流はこれに否定的だった。芹沢長介東北大名誉教授を中心とするグループは、これを肯定する立場であったが、1981年、宮城県の座散乱木遺跡で、約4万年前の地層から、明瞭に人工的な加工跡の残る石器を発見したあたりから、論争には決着がついたとされる。その後、さらに古い地層から「原人」段階までさかのぼる石器が発見され、一気に歴史は書き換えられる。

芹沢グループの快進撃の中心は、鎌田俊昭、藤村新一、梶原洋の各氏らによる民間組織の東北旧石器文化研究所である。先頭は、副理事長の藤村であり、皆で石器探しに出かけてもいつも第一発見者は藤村だった。

95年には上高森遺跡で、石器がきれいに並べて埋められているのが「発掘」され、原人の美意識を示し、原人の精神文化について根本的な認識の変更を迫られる、などと騒がれた。なお、この埋納遺構は、その後も次々と「発見」されるが、それこそが毎日新聞が現場を暴露した、藤村の捏造作業によるものであった。

1999年のシンポジウムで、大塚初重(元明治大教授)、森浩一(元同志社大教授)、岡村道雄(文化庁、芹沢門下)の3氏が出席。岡村は、9割5分が藤村の発見だったと述べている。

2 問題の複雑さ

北京原人のように、古い時代にも日本に原人が居たのか。藤村氏の捏造が事実だったとしても、この可能性がすべて否定されたわけではない。前期旧石器の遺跡には同氏が関わっていないものもあるし、同氏が関わっていても同時に多数の調査員が携わっているからだ。

しかし問題が複雑なのは、藤村氏がその時間にその場所には不在だった、というだけで単純に出土した石器は本物だ、と断定できないことだ。事前に藤村氏が仕込んだ、というシナリオが考えられるからだ。仮に本人に聴取しても、信用性は低く、事の真偽はわからないだろう。真相究明の確実な決め手はないから、疑惑の遺跡について、藤村捏造の疑いの幅を最大と見るか最小と見るかで、前期旧石器の存否を左右することにもなる困った状況だ。

3 学界の直後の対応

考古学界の主立った人たちは、学閥のしがらみか、芹沢門下の独走にそれまで厳しい批判もせず、いわば消極的に支持してきたに等しい態度を取ってきた。だから、発覚直後は茫然自失となり、学界内部から事件に対して組織的に対応しようとする動きが無かった。そもそも考古学者は、個人個人の研究領域が異なるので、他人の仕事に口を出すことがなく、学界がまとまって動くことも少ないが、それにしても学界全体の信用が落ち、何らかのアクションが必要と皆が考えているのに、主体となるものがなかった。

やっと12月の23日と24日に、福島県博物館で集会。藤村問題を初めて考古学者達が正面から検証しようとしたものだが、主体となったのは「東北日本の旧石器文化を語る会」。多くが芹沢門下で、藤村と東北旧石器文化研究所の成果も、語る会の研究大会でまず発表されることが多かった。それだけに責任も感じ、疑惑の石器を全て集め、研究者達が手にして信憑性を自由に討論するという、破天荒の試みが行われた。中心は、柳田俊雄氏(東北大学総合学術博物館)。

4 学者等の発言と立花氏の評など

(1)尾本恵一氏
 桃山学院大学教授。我が国人類学者の指導的立場。
 00年3月30日の毎日新聞に論説を寄せ、上高森でおそらく意図的に並べられた石器は、原人の文化性を彷彿とさせ、年代等に誤りがないなら人類進化史を書き換える可能性を持つ、などと記載した。
 捏造発覚後の00年11月16日には、毎日新聞に、事件の教訓と題して書いている。
 尾本氏も藤村氏の神の手には疑念を持っていた。しかし、発掘が有力な考古学者の指導のもとに行われた以上、まさかインチキだろうとは言えなかったのだ。3月の記事は、年代等に誤りがないのなら、との前提で書いたのだが、勇み足だったと責任を感じている。
 という内容だ。尾本氏は英国の捏造事件に擬して、和製ピルトダウン事件と名付けてみせ、騙される構造を解説する。
 すなわち、ピルトダウン事件の場合は、人類学界の大御所の主張ししてきた学説にピッタリ当てはまる骨が出たからだろう。学者には、自分の考えに有利な資料に対しては、判断が甘くなるという傾向がある、と。

(2)大沼克彦氏
 国士舘大学教授。石器造りの名人として知られる。
(立花さんが、藤村は自作の石器を埋めたのではないかと疑ったため、大沼教授のもとで自ら石器造りを実習したそうだ。)
 藤村氏が自作の石器を埋めた可能性は否定する。大沼氏は藤村を知っていたが、彼には本物に見える石器を作る力はない。実は、藤村氏に頼まれて細石刃を作ってやったことがあるが、彼は自分には本物に近いものを作れないと自覚していたはずだ、と言う。だから、藤村石器は、どこか別のところで見つけた本物を自宅にため込んだのだろう。縄文期の石器なら、慣れてくればゴロゴロ見つかる。1000個収集していてもおかしくない。
(以下は大沼氏の文章)捏造者本人は言うまでもないが、旧石器研究者が相互批判を通した学問追求の態度を捨て、自説を溺愛し、手段を選ばない態度が背景にある。また、意図的な報告を無批判的に取り上げるマスコミにも、責任がある。

(3)藤村の友人というアマチュア愛好家
 立花さんは、福島の集会で藤村の友人から、藤村氏が自宅に1000個以上収集しているのを見た、と聴いており、大沼氏の見方が裏付けられた。
 この友人は1万個くらい収集しているという。石器を見つけるのは、アマの方がはるかに上手いのだそうだ。そして、プロの考古学者に渡しても、せいぜい論文のデータになるだけだかから、苦労して見つけた石器をプロの手柄に差し出すよりも、愛蔵しておきたい。そのうち、それらに出番を与えてやりたい、学者の鼻をあかしてやりたい、という意識になったのかも知れない。

(4)鎌田俊昭氏
 東北旧石器文化研究所理事長。
 福島の検証会の資料で、鎌田氏は藤村氏を評して、大学で学ばず語学も出来ないような同氏が、既に20年以上も前から、60万年前にまで遡る学界の大変遷のシナリオを描いて実行してきたことになるが、そんな計画的な行動は藤村には無理だ、というような内容を記した。
 立花氏はこれを批判。計画的なプランではなく、思いつきもあり得る。それに、藤村氏を学問的無知と評するのなら、学のある鎌田氏は、藤村石器に踊らされて珍妙なシナリオを書いたことになる、と。原人と新人の石器の違いがわかっていれば、埋納遺構のような珍妙な理論も出なかっただろう。
 福島の検証会では多くを救おうとして、無理を重ね、結局木っ端みじんにされてしまった感がある、と立花さんは記している。

(5)安斎正人氏(考古学、東京大学助手) 馬場悠男氏(人類学、国立科学博物館)
(事件直後の12月11日に座談会を行って立花さんが意見を聴いた。安斎氏は、教授より有名な万年助手。馬場氏はかなり早い時期から芹沢門下グループに公然と疑問を自書に表現していた人。この2人なら自由な発言が出来ると考えたそうだ。)
○安斎氏
 ・埋めたんじゃないかと冗談で話していた。
 ・主催者に呼ばれた研究者は、内心おかしいとおもっても好意的な世辞を言う。
 ・藤村氏が埋納遺構の文化論をTVで語ったとき、その場の思いつきと思って割り切っていたが、実はもともとは鎌田氏の意見だった。藤村氏は、鎌田氏や梶原氏の発言を聴いていて、行動に反映したのでないか。
 ・相沢忠洋と芹沢長介の関係を連想する。芹沢は旧石器のパイオニアになったが、相沢はいつまでも発見者。岡村道雄と藤村の間に、歴史は繰り返された。岡村が離れた後は、鎌田、梶原が意味づけをするというパターンに。
 ・藤村は、アマチュア愛好家でも知っている言葉(プラントオパール)を知らなかった。
 ・しかし、石器を見つけるのはトップクラス。相当現場を歩いただろう。
 ・地層を誤らずに埋めているのは、そのためだ。
 ・考古学者は現場を歩かないから、地層のことがわからない。
 ・80年の座散乱木から、馬場壇、中峯Cあたりまでは、捏造の存否は、難しい。藤村がかなりの知識と周到さがないと無理だったようにも思われる。
 ・96年の原セ笠の頃からは怪しい。岡村氏が離れて、梶原氏や鎌田氏が中心になった段階で、急に藤村が神の手として知られ、研究所が作られた。10万年からどんどん遡った。
 ・グループの意識はジャーナリズムに向いていた。
 ・鎌田氏には、難解な理論よりも、現場の前にひざまづくべきだと言われていた。
 ・権威に逆らえない風潮はあるが、戦前と異なり、今ではマスコミに取り上げられることが権威。芹沢氏も既に現場を離れている。学術論文には引用されない人が、新聞によく出る。
 (戦前なら、坪井正五郎のコロボックル説、長谷部言人の明石原人。権威が生存中は、みんな信じたフリをしていた。)
○馬場氏
 ・旧石器文化研究所がおかしいと話題にしていた。小田静夫さんと、竹岡俊樹さん。
 ・竹岡さんは、確率的にあんなに出るはずはない。普通の手段ではないと確信を持っていた。
 ・著書『ホモ・サピエンスはどこから来たか』(河出書房新社)で藤村石器の疑問を公表。
 ・石器の専門家なら、ここまで言えない。もし本物だったら一生の学問的な傷になる。
 ・きれいに並べた石器が、十数万年そのまま整然と埋もれていることはあり得ない。
 ・馬場壇のあたりから後は、誰かが埋めていると思っていた。確立論的に有り得ない。
 ・独特の仲間意識と、昂揚した気分がグループにはあった。うっかりしたことを言うと袋だたきに遭いかねないところも。

(6)芹沢長介氏
(立花氏の文章ではなく、朝日新聞記者が書いた文章から。)
 芹沢氏は、藤村氏の新発見のたびに好意的コメントを寄せていたが、01年1月中央公論に、「波乱の考古学界を憂える」の一文を寄せた。97年の上高森遺跡の埋納石器について、当時既に疑問を抱いていたらしいことを示唆。さらに、座散乱木以降、若い研究者がマスコミに働きかけ、報道を望むような状況がふくれあがったことを批判している。
 しかし、この権威者は、疑問を公にすることもなく、むしろ藤村氏らの活動を賛美してきた。97年時点で疑念を表明していれば、と残念に思われるが、そのことを恥じる言葉もない。

5 その他立花氏の記述から
 ・スクープの際に、埋めた理由を問われた藤村氏は、答に窮して鎌田氏を呼び、「オレとうとうやっちゃったよ」と第一声を発した。
 ・これは、やってはいけないことだけど、いつかやるかも知れない、という認識が2人の間にあったのだろう。

■関連する過去の記事
旧石器捏造事件を考える (09年12月11日)
壮大なニセ歴史ロマン (07年5月27日)(旧石器捏造事件関係)





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最終更新日  2009.12.12 18:12:57
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