仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2021.08.09
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カテゴリ: 仙台
新型コロナがふたたび猛威を揮わんとする真夏に、ふたたび、芋峠の話題を。

感染症と人間社会、わが仙台でも地名に残る苦難の歴史に思いを馳せるとき、先人に感謝しつつ、皆の英知をあつめて何としても乗り越えようと、意を強くしたい。

■関連する過去の記事
芋峠(仙台市)と感染症 (2020年11月28日)
明治のコレラ大流行と仙台市立榴岡病院 (10年9月3日)

上記の昨秋の記事は、太宰幸子『みやぎ地名の旅』(河北新報出版センター、2014年第3刷)を参考に書いたのだが、今回も太宰先生の『みやぎ 不思議な地名 楽しい地名』(河北新報出版センター、2014年)から。

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芋峠のある道は、馬場と新川を結び、新川地区が(旧)宮城町と合併するまで生活道路である通学路であったという。つまり、古い時代には、馬場と新川の村境であったということになる。そんな所には、賽ノ神が祀られた。地名にも、才の神などというのがあり、そこには庚申塔が立てられていることも多い。

地名の意味は、村境であったからこそ生まれた。イモとは古くは天然痘のことで、峠は村の境で神聖な地でもあったから、その境界で悪い病気や事件が集落に侵入して来ないようにと神へ願い、サンダワラ(タラバスともいう)に御幣束を立ててお祓いをした。つまり「イモハライ」の地だったのである。

天然痘は強烈な伝染病であったから、古代から為政者であろうと庶民であろうと勝てなかった。エジプト王朝のラムセス5世のミイラにも天然痘の跡があり、伊達政宗も天然痘に罹患し隻眼となった。

現在はほとんど根絶されたというが、これまで何度も大流行した時代があった。種痘を注射した記憶のある方もあるはずだ。良薬がなく、治療や対策するすべを知らない庶民は、神に祈るより方法がなかった。一般的には疱瘡やオホソと呼ばれ、あちこちに疱瘡神が祀られ、仙台市には疱瘡神という地名もあったが、現在は国見に変更されている。
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東京オリンピックが終わった。新型コロナと関連付けて、是非論などいろいろな論評があるが、人々の活動を全面停止して良い訳はなく、大きく言えばバランスの問題であり政治的判断の問題だ。

芋峠で祈るだけだった昔に比べれば、公衆衛生や医療の進歩はもちろんとして、情報の公開や伝達の技術と民主主義的決定の点では文字通りに隔世の前進をしたはずだ。21世紀にいきる私たちは、右往左往などしている場合ではない。小事をとりあげて論じる風も少なくないと感じるが、かの時代を懸命に生きた先人たちに、進歩した今の姿を示さなければならない。

先を見据えて、進むのみだ。





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最終更新日  2021.08.09 18:29:55
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