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高齢者のお金の管理と言うのは難しい問題です。と言うよりも、お金自体が難しい問題の集合体と言っても言い過ぎではありません。両親の資産がどれくらいあるのか把握出来ている子供はかなりの少数派でしょう。ましてや両親がある程度の自立した生活を送れていれば、不動産はいくら株式はいくら現金はいくら等を、正確に把握している子供は皆無と言っても良いでしょう。親に最近の健康状態はどう?数値はどれくらいなの?と聞いても、子供が心配してくれていると大抵の親は考えるはずです。なんだ、そんな事を聞いて俺がいつ死ぬのか考えてるのか!何て考える親は居ないでしょう。居ないとは言い切れませんが、かなりの少数派でしょう。健康状態を聞くと言うのは、相手を心配している事だと大多数の人が思うはずです。ですがお金の話だとそうは行きません。親に最近の経済状態はどう?預金はどれくらいあるの?と聞いたら、お金が無いのか親のお金を狙っているのかと思われます。ああ、自分の事を心配してくれているんだ、と考える親は少数派と言うかぶっちゃけ居ないでしょう。そのくらいお金の話は繊細で、親子でもお金の話はしてはいけないと言う雰囲気があります。それもお互いに自立している親子ならばなおさらです。介護をするためには相手の健康状態を把握しなければいけない様に、相手の経済状態も把握しなければいけません。お金の話を避けての介護も可能ですが、介護する側は労働的負担や時間的負担に加えて金銭的負担も負うことになります。通いならばガソリン代も必要ですし、ちょっとした買い物でも塵も積もれば高額になります。1回だけならば数千円の出費でも月にすれば数万円になって、1年間では数十万円と言う事もあり得ます。そんな状態が10年間続けば、実費の立替分や必要経費だけでも数百万円なんて事にもなりかねません。もちろん得をしている訳ではありません。実際は貸している様なものですから、むしろ損をしています。更に言えば、介護の労働力や時間に対する報酬や補填などは、1円足りとも含まれてはいません。報酬のない労働をボランティアと言います。そして拒否権のないボランティアはただの強制労働です。私だって言葉が悪いのは自覚しています。しかし、仮に恩返しや親孝行と呼んだところで、内容が変化する訳ではありません。負担は負担です。気の持ち方でどうにかなる問題でもありません。これだけ書いて来ても、内容的にはお金を立て替えたならば、相手からその分のお金は払って貰いましょうと言うだけです。とても経済状況や資産の把握にはほど遠いです。すべての高齢者がそうとは言いませんが、高齢者と言うのはお金に執着するのにお金の管理はいい加減です。何が必要だとかこれは本当に要るものなのか、ろくに考えずに何十万何百万の買い物を平気でします。そのくせ数百円安いとなると、遠いところまで必死で出掛けたりします。分かりやすい例を上げますと、500円得するために往復3000円も使ってタクシーで行ったりします。かく言う我が家も例外ではありません。株で多額の損失を出したりします(本を一冊二冊読んだだけで株式投資をすれば当然そうなります)この先誰も住む予定のない自宅を、百何十万円も使って塗り替えをしたりします(本人もいつ施設に入ってもおかしくない状態ですし、家族は全員自立していますから家を継ぐ者などいないと説明してもです)隣の家が土地の境界をごまかしていると、弁護士に相談したり自費で測量をしたりもします(こんなのはレアなケースですが、その根拠は70年前に弟が杭を打ち換えているのを見たと言う理由です、ちなみに測量を頼んだ結果は登記上の面積と現状の面積は完全に一致していましたので、誰かが誤魔化していると言う事実はありません、そして弁護士に相談しても無理と言う事です、当たり前です、さらに無理と言う相談を5回も6回もします、当然ながらその都度相談料はかかります)飲みきれない食べきれない健康食品が山積みになっています(健康食品が悪いとは言いませんが、クスリを飲み忘れる人に健康食品が必要な訳がありません、健康食品以前の問題です)親戚にお金をバラまいたりします(要するにカッコつけで、気前の良いところを見せたいと言う事です)こう言った事を書きますと、お金を持ちなのか?と思われそうですがそんな事はありません。父も母も働いていましたし、世代的に年金や退職金がそれなりに貰えていたと言うだけです。いたって普通のサラリーマン家庭です。まあ要するに、普通のサラリーマンが退職金などで多額のお金を持つとろくな事にならないと言う事です。さらに高齢者になり判断力や認識力が衰えて来ますと、輪を掛けてろくな事にならないと言う事です。次回から実際にお金の管理をどうしたのかを、私の家族の場合ですが書いて見たいと思います。あくまでも一例ですが、何かの参考になるかも知れません。
2023.09.01
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両親ともに介護認定を取り直して、週2回デイサービスに通う様になりました。介護保険には介護等級によって使える限度額があります。具体的な金額は利用者にはあまり意味がありません。要するに介護保険の範囲内で、どれくらいのサービスを受ける事が出来るのかと言うのが重要になると思います。父親は要支援2です。週2回のデイサービスに行って少し余裕がある位です。母親は要介護1です。この時は週2回のデイサービスと週1回のお風呂サービスの利用でしたが、最高で週3回のデイサービスと週2回のお風呂サービスを受けられると言う事でした。この頃の両親の状態を説明します。父親は記憶力に問題はないが、判断能力は少し弱くなっていると言う事でした。おおむね年相応と言う感じです。糖尿病の影響か足腰が弱くなり、買い物行っても商品を持ち帰るの困難と言う感じでした。荷物さえ無ければ歩行に問題は無い感じです。もちろんスタスタとは行きませんけどね。母親は固有名詞は出て来ませんが、自分の名前や家族の名前ならば大丈夫と言う感じです。お金の計算はできないので一人で買い物は無理ですが、昔からの行き付けの美容室ならば一人で行けると言う感じです。計算は出来ませんが、お金を払わなければならないと言う事は分かっている状態です。足腰に問題はなく散歩にも頻ぱんに行っていました。もちろん道に迷う何て事はありません。ですが、身だしなみに気を使わなくなるなどの認知症の症状は目に見えて確実に出て来ていました。歩いて買い物に行くのが大変だと言う事で、父親がパワーアシスト電動三輪自転車を購入しました。ある日実家に行ったら置いてありました。国内有名メーカーの品で、けっこうな高額商品です。まあ、三輪ならば倒れる心配も少ないですし、荷物も積みやすいです。買い物にでも行かないと、週2回のデイサービス以外は出かけませんから必要な物でしょう。スーパーに行って品物を見ながら、あれやこれや考えるのは悪い事ではありません。父は単身赴任が長かったので、料理はこの年代の男性にしてはかなり達者な方です。料理には本人もこだわりがあるのでしょう。色々とやらかしている父親ですが、私だって別に父の全てを否定する訳ではありません。ちなみにこの時にはすでにIHにしてオール電化にしています。台所やお風呂でガスは使っていません。ガス給湯器はそうでもありませんが、ガスコンロは高齢者には危険です。特に認知症の人がいらっしゃる場合は、早急に対処をした方が良いと思います。さて、このパワーアシスト電動三輪自転車の導入には大きな問題がありました。購入した父親本人が運転できなかった事です。はぁ?とお思いでしょう。別に資格や免許が必要と言う訳ではありません。父は歩く事はできますが、自転車を漕ぐと言う動作が出来なかったのです。正確には太股を上げた状態では、パワーアシストを使っても自転車を前に進めるほどの力を出す事が出来なかったと言う事です。試乗なんかしていません。こう言った可能性を考えもしません。テレビか何かで見て便利そうだで、適当な自転車屋さんに電話して持って来いとやった様です。絵に描いた様な高齢者ショッピングです。テレビが通販番組ばかりなのが良く理解出来ました。また1つ私は賢くなりました。この一件を経て以前にブログで紹介したシニアカー的な物の導入となった訳です。ちなみにシニアカーと言うのは言わば俗称でして、スズキだとセニアカーと呼んだりと各メーカーによって呼び名は異なります。介護保険的には電動車椅子と言う扱いになるそうです。更にちなみに要支援2ですと、デイサービスを週2回とシニアカー的な物のレンタルが介護保険が使える限界だそうです。月のレンタル代は数千円ですし、メンテナンス代や保険代も含まれています。頼りすぎて更に足腰が弱ると言うリスクはありますが、移動の便利さは手に入ります。介護用品全般に言える事なのですが、楽に便利に物事をこなせる半面そのサポートを受けている能力は衰えます。かと言って介護用品を使わなければ、その能力の衰えが必ず防げると言う訳でもありません。ここら辺は中々に悩ましい問題です。そしてこの一件を皮切りに無計画に物を買ってしまうと言う、よく聞く高齢者あるあるの問題に私も直面する事になります。
2023.07.15
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父親の問題行動の原因が、脳梗塞の影響や他の病気の可能性もあると考えた私は父親を病院に連れて行きました。そこで医師の先生に思いがけない事を言われます。最近はここ(脳神経内科)にも糖尿病内科にも来てない様ですけど、体調は大丈夫ですか?『えっ、父は通院している筈ですが…』と私は言います。いえ、ここ半年ほどいらっしゃってませんよ。要するに父は私に大変だろうから付き添いはいらない、タクシーで行くから大丈夫だと言いながら、途中で通院を止めてしまっていたのです。父を責めたい気持ちはありましたが、先ずは事実確認を優先します。半年ほどその病院に行っていないのは事実でした。他の病院に行っていた訳でもありません。つまり半年間は診察も薬の処方も受けていなかったのです。それどころか、母親を病院に連れて行ってもいませんでした。更に介護保険の認定の更新もしていませんでした。ここら辺の細かい経緯は分かりませんが、何かしら連絡は間違いなくあった筈です。要するに手続きを面倒くさがったのか断ったのでしょう。実際に介護サービスを利用してなかったので、本人以外に判断をする人間がいなかったと言うのが致命的でした。私は激怒しました。ですが、治療を受ける本人が病院に行く行かないを決めるのは極論で言えば自由です。病気が悪化しても自分では対処できないのですから、実際には自由もへったくれもないのですが、権利としては存在します。しかし認知症の妻に治療が必要だと知りながら、病院に連れて行かないのは虐待でしかありません。今までの父の問題行動を肯定するつもりはありませんが、考え方によっては一分の理ぐらいはあったかも知れません。しかしこの母に対する仕打ちは完全に認められません。人の道に反する行為です。病院に連れて行く事が出来ないのならば、私に言えば済む話です。結局のところ、格好をつけてお前も大変だろうからと言っては見たものの、自分の病院も含めて行くのが面倒くさくなったと言う事なのでしょう。要するに確信犯です。父に理解できているのか疑問もありましたが、私は感情のままに父に怒りをぶつけます。『自分の母親の介護を二十年も母にやらせておいて、何で母に助けが必要になった時に病院に連れて行く事もしないんだ!』連れて行っても良くならないから、と言う父の言い訳が更に私の怒りに油を注ぎます。『そう言う話をしているんじぁねーんだよ!』私からも謝るからお父さんを許してあげて欲しい。母の言葉で私は我に返ります。この時点で母には細かい経緯は理解できていなかったでしょう。私は冷静になって話を続けます。自分がないがしろにしていた人に庇われるのはどんな気分だと、助けられのはどんな気分だと問いかけました。父は何も答えません。かまわず私は話を進めます。今まで自分の為や家族の為に頑張って来たんだろ?だったらこんな事で番節を汚すんじゃあないよ。孫にだって立派な祖父だったと思って欲しいだろ。そう語りかけました。まあ、早期退職後二十年も家に居たのにプラプラしていて、自分の親の荷物すらも片付けないでいたのに頑張って来たも無いですし、立派な祖父も何も迷惑行為を繰り返していたのは家族全員周知の事実なので、いまさら手遅れなのですがそこら辺は黙っておきました。私の最低限の優しさです。この後は私の言葉に多少は思うところがあったのか、心に響くものがあったのかは分かりませんが、母に対して少し優しくなりました。今までは少し小馬鹿にしている所もあったんですけどね。状況的には少し良くなりました。それはそうとして、実務的な事は残っています。先ずは父親と母親の病院の手配をします。幸い父の糖尿病はそこまで悪化してはおらず、入院は避けられました。またインスリン注射をする様にはなりましたけどね。母の認知症は方はけっこう進んだ感じでした。これが半年の間病院に行かなかった為なのか、もともとの病気の進行なのかは分かりません。そして介護認定は取り直しました。また結構な手間でしたがしょうがないです。更にデイサービスに通う様にもしました。ケアマネージャーの方もしっかり決めて対応する様にもしました。これで一般的な介護体制が整った事になります。父親には偉そうな事を言いましたが、父に言った事は私にも返って来る事です。父が母に責任がある様に、私にも両親に責任があります。はっきり言って理不尽な責任なのかも知れません。そして今までの失敗や間違いから、私自身が何も学んでいない事も反省しなければいけません。高齢者の行動原理を理解する事など不可能なのです。平凡な例えですが子供と一緒です。そんな事をしても何の得もないのに異常に執着したり、嘘をついてもすぐにバレるのに嘘をつきます。まあ、嘘なのかそう思い込んでいるのは諸説わかれる所でしょうけどね。そしてこの時に芽生えたであろう責任感が、後々にまた面倒を引き起こす事になります。今回はかなりの問題発言も含まれています。親に対してその様な発言は感心しないと言う方もいらっしゃるでしょう。ですが実体験をありのままに知って欲しいと言う意味で、あえて出来るだけ現実に近い形で書かせて頂きました。理想や綺麗事で語る事はできない、また語ってはいけない内容だと私は考えています。どうぞご理解下さい。
2023.03.28
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病院の付き添いの必要もなくなり、買い物の用もなくなったので実家に行く頻度もすっかり少なくなりました。それでも定期的には行っていましたし、いまだに祖父や祖母の代の品物も数多く残っていましたので、それらを片付ける何て事もしていました。ある日実家に行くと隣の家の車庫がバリケードで塞がれています。私有地に立ち入らない様にする時に使う、単管パイプ3本を組み合わせたアレです。隣の家で工事でもしてるのかと母親(この頃はまだ周囲の状況は理解出来ていました)に聞くと、父親がバリケードで塞いだと言うではありませんか、さすがに驚きました。そんな体力があったのかと二度びっくりです。笑い事ではありません。あわてて父に事情を聞くと、60年ほど前に隣の家の先々代が土地の境界をごまかしていたと言うのです。弟が見ていたと言うのです。開いた口がふさがりません。弁護士に相談しているとも言っていました。ちなみに弁護士の答は『無理です』だそうです。当たり前です。それでバリケードで塞いで実力行使となった様です。私の頭の中を色々な事が駆けめぐります。混乱の極みです。無理なんて事は考えるまでもないだろ。そんな事を相談するのに弁護士に何回も相談料を払っているのか。いくら払ったんだろう?だからってバリケードかよ。考える事が多すぎて頭がまとまりません。何とか落ち着いてまとまった考えは『こいつ(父親)はもう、まともじゃあねーな』でした。私の今までの人生で真剣に人の正気を疑ったのは初めての経験でした。この後が大変でした。細かい話は省略しますが、私の知らないうちに警察沙汰にもなっていました。私の今までの人生で真剣に人に土下座したのも初めての経験でした。隣の家には土下座謝罪をして、被害届を取り下げてもらって警察署にも足を運んで事情を説明したりしました。何せ私が謝罪した翌日には、また同じ事をするのですから始末に置けません。同じ事を繰り返した事で、認知症の高齢者のやっている事と言う感じになり、同情と理解が得られたのは変な話し助かりました。ですが、この時の父には特に一般的な認知症の症状はありませんでした。ただ考えが理解不能と言う感じです。言うなれば、妄想とか精神病的な感じと言った方が適切かも知れません。省略したってこんな感じなのですから、どのくらいの時間と手間が掛かったのかは察して下さい。父親には人を脅す時に使う最大級の言葉を使ってきつく言い聞かせました。納得はしていない様でしたが、命の危険は感じた様でおとなしくはなりました。この時の父の状態を説明する適切な言葉が分かりません。認知症とも言えますし、妄想を伴う精神病とも言えそうです。迷惑の度合いは大きいですが、極度の頑固爺と言えない事もありません。ただこの時は目先の迷惑行為を止めさせるのに必死で、そんな事を考えている余裕はありませんでした。話は少し変わりますが、この時に土地の測量も頼んでいた様で、固定資産税の金額がおかしいと市役所と揉めたりもしました。当然ながら交渉や尻拭いはすべて私がやりました。この件に関してはこちらの言い分が一部認められて、固定資産税が数百円安くなると言う結果になりましたが、時間と労力を考えたら1000年経っても元は取れません。土地の測量代もかなりの高額でしたからね。損得勘定は別にしても父親の考えはそれなりに正当性があった訳です。結局のところ私の説教が効いたのか、自分の意見が少しでも認められて満足したのかは分かりませんが、これ以降は土地に関して口に出す事は無くなりました。厳密に言えばこれらの事は介護とは言えないかも知れませんが、高齢者の行動を抑えると言うのは非常に骨の折れる事です。もちろん暴力で黙らせる訳にも行きませんし、理屈を説いて言葉で納得させるのも至難の技です。結局のところ相手の希望を少しでも叶えつつ妥協点を見出だすしかありません。この件は極少でも希望を叶えるポイントがあったから良かったのですが、それが無ければ本当に力ずくで解決するしか無くなってしまいます。よくオレオレ詐欺に引っ掛かった高齢者の説得に2時間掛かったとか聞きますが、余裕でそれくらい掛かるでしょう。私は実体験でそれを知りました。そしてこれらの一件を皮切りに父は周囲の人間とトラブルを起こし始めます。いずれも小さなトラブルですが、いつ大きな事件に発展するのか分からないと言う不安に、私はさいなまれ続ける事になります。結果として今までやって来た病院の付き添いや買い物などの生活のサポートとは比べ物にならない程の時間を、父の問題行動の後始末に使う事になりました。これがかなり厄介です。病院の付き添いや買い物などは予定の立てられる事です。ですがトラブルの処理と言うのは予定が立てられません。いつ何が起こるの分からないのです。いつ何が起こるのか分からないのに、どうやって私が対処していたのか不思議ですよね。父はトラブルを起こすと私の携帯電話の番号を相手に教えて、こいつと話せとやる訳です。いつ鳴るか分からない電話に怯える日々でした。そしてトラブル処理と謝罪と父の説得で、私自身すっかり疲弊してしまっていました。この父の問題行動のを見て、もちろん私も認知症を疑いました。ですが話して見ても、言語能力や記憶力に異常は感じられません。人が変わったと言う表現が分かりやすいと思うのですが、よくよく考えると私は父がどの様な人間だったのか知りません。あくまでも父と息子と言う関係性でしたから、本当の意味での父のプライベートと言うものを知りません。家族は他人の始まりとは良く言ったものです。父がトラブルを起こすたびに何時間も何故こんな事をするのかと言う話をしました。父親の考えを完全に理解できた訳ではありませんが、私なりの理解で話をまとめますとこう言う事です。やはりきっかけは脳梗塞の様でした。脳梗塞そのものが脳や思考能力に影響しかのかは分かりませんが、脳梗塞は糖尿病などとは違って父に命の危機を感じさせるには充分だった様です。近いうちに死ぬかも知れない、そう言った考えが父自身の中で曖昧にしていた問題を解決しなければいけない、そんな考えにつながった様です。それで唐突に60年前の土地の境界となったらしいです。細かなトラブルも自分自身がしっかりしなければいけない、からの強くなければいけないになって、自分の意見を曲げない相手の意見を認めない、と言う感じに変化していった結果の様でした。まあ、そうは言っても最終的にはすべて私に丸投げなのですから、理屈が通らない部分も多々あるのですけどね。本当にはっきりした事は分かりません。親子とは言っても他人の考えを理解するのは非常に困難です。それが高齢者ならばなおさらです。そうとしか言えません。私の中で一応の理解と説明は出来ましたが、やはり脳梗塞の影響や何かしらの病気と言う可能性は否定できません。そこで久しぶりに父を病院に連れて行く事にしました。普段から通院はしているのですが、新たに予約を取っての診察になります。父親は必要ないとは言いますが、はいそうですかとは行きません。私の口から医師の先生に直接の説明や相談もしたいので無理やり連れて行きます。そしてそこで私は驚愕の事実を知ることなります。何かもう完全にドラマです。と言うよりも私自身が意識して寄せにいってます。笑い事ではありませんよ。これは完全に実話なんですから。
2023.03.14
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私は母親のアルツハイマー型認知症にまったく気がつきませんでした。父親の免許の問題や糖尿病の事で父にばかり注意が向いていた事もあると思います。ある時に父親からお母さんの様子がおかしいと相談を受けます。病院に行っていると嘘を言ったり、わざわざ遠くの警察署に免許の更新に行ったりと、『おかしいのはお前だろ』と思ったものです。それでも最近は父の事に掛かりっきりで、母とは日常会話以上の話をしていないなと思い少し踏み込んだ話をしてみました。母親の昔の勤務先とか私の通っていた学校の話などです。その結果は確かにおかしいです。固有名詞が出てきません。年齢から考えても通常の記憶力の低下のレベルではありません。私は母の部屋に向かいました。そこで見たものは、100足を超えるであろう新品のストッキングの山と、数十個はあるろくに使った形跡のない鞄の山でした。これは明らかに異常だ。そう思いました。精神的なショックが音として聞こえる事がある様です。その時確かに私は大量のガラスが割れる音を聞きました。母親は働き者です。私が子供の時からパートをしながらも、入院している祖母の所に毎日の様に通って洗濯物などの面倒を見ていました。昼寝をしている姿など見た記憶がありません。常に忙しく働いていました。風邪や病気になった記憶もありません。丈夫で働き者の母親です。今ならば風邪や病気になっていた事を、見せていなかっただけと言う事を理解できます。風邪をひかない人間などいるはずがありません。丈夫で常に元気な人間も存在しません。今ならば分かります。丈夫でいつも元気で病気とは無縁の母親と言うのは、単なる私の思い込みで妄想の産物でした。誰だって病気にはなります。私はすぐに母親を病院に連れて行きました。通常の病気と違ってすぐに結論は出ませんでしたが、各種の精密検査をした結果診断は初期のアルツハイマー型認知症でした。母親にも自覚症状はあった様です。ただそれを父親や私に言えなかったと言う事でした。こんなにも近くで母が悩み苦しんでいたのに、何も気づかないなど自らの無知無能かげんに呆れるばかりでした。とは言っても反省ばかりでは話が進みません。幸いにも初期でしたし本人に自覚もあるので、買い物は基本父とするとか財布にお金を入れすぎないなどの対策さえすれば日常生活に支障はありませんでした。こうして両親の生活のサポートをしながら、病院に連れて行くと言う生活が始まった訳です。母親のアルツハイマー型認知症を機会に、病院の生活相談の方に介護認定を取ってはどうかとすすめられます。今すぐは必要ないにしても、将来的には介護保険を使う事もあるだろうと言う事でした。必要な時にすぐにサービスが受けられるその準備と言う訳です。父親も糖尿病の悪化で弱っていたので、母親共々無事に介護認定が受けられました。医師の診断や申請の書類などは結構な手間でしたが、本来高額の介護サービスを少ない負担額で使える訳ですから必要な事なのでしょう。こうして何とか先が見えた時に今度は父親が脳梗塞で倒れます。不幸中の幸いで気がつくのが早かったので、入院はしましたが軽い手足の痺れぐらいで済みました。実際のところこの脳梗塞が原因かは分かりませんが、この脳梗塞による入院から徐々に父親が変質して行きます。その時はそんな事を私は知るよしもありませんでした。母親と父親の病状も落ち着いて定期的に通院をするだけの状態になりました。この頃は父親の糖尿病も少し回復してインスリンは必要ないと言う診断が出ていました。歩行能力も少し改善しています。そんな時に父親から提案を受けます。毎回病院に付き添うのはお前も大変だろうから、病院にはタクシーで行くのでもう大丈夫だと言う事でした。確かに仕事をしながら、平日の病院の付き添いはけっこうな負担です。私も思う様に働けない事にいらだちを感じていたので、その提案を受けれました。そして買い物も二人で歩いて行ける状態でしたので、たまに様子を見に行ったり電話をして具合を聞いたりと言う感じになり少し実家から足が遠退きました。ここで私はまたしても間違いを犯してしまいました。父はもう昔の父ではないと言う事を理解してなかったのです。免許の件や糖尿病の件がありながら、安易に父の言う事を信じてしまったと言う事です。今思えば私には覚悟が足りませんでした。介護を上手くやる方法がある楽にやる方法がある、そう考えてしまっていたのです。確かに介護でも効率的にやる事は大切です。しかしそれは私自身や介護をする側が考える事でありやる事です。介護をされる側の人間に対して、安易に自分でやるだろう大丈夫だろうと考えるのは大きな間違いだったのです。それを私は身をもって思い知る事になります。またドラマの様な終わりになってしまいましたが、別に話を盛っている訳ではありません。むしろけっこう抑えています。
2023.03.04
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始まりがどうだったのかは、正直に言って覚えてはいません。いつの間にか始まって気がつけば忙殺されて、これは介護なんだと気がつくそんな感じでした。父親は糖尿病を患っています。ずいぶんと若い頃からだと思います。親の病歴などよほどの重病でなければ、子供は知らないものです。今現在普通に生活している両親が、どんな病気を持っていて何の薬を飲んでいるかを把握している子供などいないでしょう。聞かれれば糖尿病とか高血圧とかはあるかも知れないと答えるその程度だと思います。私も父親が糖尿病と言う事は知っていましたが、どのくらいの頻度で通院していてどの様な薬を飲んでいるかなど知りませんでした。親の健康状態と言うのを意識し出したのは、父親の白内障の手術を受けると言う連絡からだったと思います。それまで両親は夫婦で旅行に行くなどをしていました。よくある熟年夫婦の老後です。今は白内障の手術はわりと普通ですから、そうなのか程度の認識しかありませんでした。手術は無事に終わりましたが、視力は思ったほど回復しませんでした。まあ、私としては糖尿病もありますし、そう言った事もあるだろうと言う感想でした。そこで初めて糖尿病の具合はどうなのかと父に聞きました。本人は大丈夫だ医者にも行っていると言う答えでした。今考えればここで私は間違いを犯していました。きちんと確認をしなかったのです。父親との関係はどうなのかと問われれば、良好とは言えなかったでしょう。父親は仕事一辺倒で家庭の事や自分の両親の介護も母に任せっきりでした。男は仕事をしていれば良いと言う時代でもありましたからね。そもそも単身赴任でほとんど家には居ませんでした。私が子供頃は単身赴任で私が社会人になった頃には、両親は高齢の祖父と祖母の介護のために実家で同居をしてしまったので、そもそも父親とは一緒に生活した時間が少なかった事もあります。二人で遊びに出かけた事なんて、記憶にある限り一回だけです。それでも酒も煙草もギャブルもやらずに、家族のために仕事に打ち込む父親を好き嫌いは別にしても尊敬はしていました。信用もしていましたし信頼もしていました。結果的にはそれが間違いだったと思い知る事になります。父の過去を否定するつもりはありませんが、人間と言うのは変わるものです。特に年齢を経て高齢者になれば尚更と言う事です。手術をしても視力が良くならなかったので、当然ですが免許の返納をすすめました。良くある話しですが本人は拒否をします。当時の父は普通車に乗っていたのですが、あちこちぶつけたり擦ったりしている状況でした。私でなくても運転は止めた方が良いとすすめたでしょう。免許の返納を拒否はしていましたが、時期的に免許の更新でしたからどうせその視力では更新できないだろうと私は考えていました。事実として地元の警察署では視力が通らずに更新出来ませんでした。ここで諦めてくれれば良かったのですがそうはなりません。私もその時に知ったのですが、何でも同じ都道府県内だったらどこの警察署でも免許の更新は出来るそうです。そこで父は同じ都道府県内でも田舎の警察署だと審査が甘いと言う話を聞きつけて、わざわざ1時間以上もかけて田舎の警察署に更新に行きました。結果として更新できてしまったのです。まあ、厳しいけど気をつけて運転して下さいと言う事だったそうです。完全に予想外でした。本人は『そらみろ、お上のお墨付きだ』とご満悦でしたが、お情けで免許を更新したところで見えないものが見える様になる訳ではありません。その後は自動ブレーキ付きの軽自動車に買い替えたりもしましたが、またぶつけたり擦ったりを繰り返す事になります。結局は説得を重ねた事と、本人が運転に恐怖を感じ始めた事もあり、2年程で次の更新はしない運転もしないと言う事になりました。まあ、車の鍵を取り上げたりもしましたけどね。文章にすれば数行ですが更新前から考えれば、3年近くの時間をかけている訳です。その間の説得の労力や心労は莫大なものになります。ただ運転する能力のない事を、本人に理解させるだけの事なんですけどね。私の父の場合は認知機能よりも先に視力の限界が来たので、苦労はしましたが本人が止めると言う決断ができました。これが逆にだったならば、運転を止めさせるのは更に困難だったと思います。正直に言ってこれ以上の苦労など想像もしたくありません。テレビで報道される様な大きな事故を起こさなくて良かったと思います。でもこれはただ運が良かっただけの話です。可能性は大いにありました。免許の問題もあり私は以前よりも頻ぱんに実家に行く事になります。そこで私はある事に気がつきます。糖尿病で医者に行っているはずなのに、その形跡がないのです。いついつは病院に行くだとかの話も聞きませんし、そもそも薬が見当たりません。不審に思い父を問い詰めますと、医者には行っていないと白状します。慌てて病院に連れて行くと即入院です。数値が落ちつくまで入院して、幸いにも長期にならずに退院は出来ましたが、インスリン注射が必要になってしまいました。この頃から父は足腰が衰え始めて、電車とバスで病院に行くのが難しくなり私が病院に付き添う事になります。もちろん確実に通院させると言う意味もあります。そして同じ時期に母親のアルツハイマー型認知症が発覚します。今回はここまでです。何かドラマの続く見たいになってしまいましたが、本当の事ですからしょうがないです。
2023.02.22
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最近は障害を持っている方の実生活の話や、介護の実体験の話などを語る事が一般的になって来ました。ひと昔前まではそれらの事はタブーと言いますか、人様に聞かせる様な事ではないと避けられていたと思います。こう言った話してはいけないと言う風潮が、障害を持っている方や介護をしている方の孤独や苦しみを増大させて来たと言っても良いと思います。話せる悩みと話せない悩み、どちらが良いかなんてわざわざ言うまでもありません。いまだに親の介護に文句を言うなんて親不幸だとか、身内の恥をさらすもんじゃないとか言う人がいます。悩みを漏らした最初の時にそんな事を言われたら、苦労だと考える自分が変なんだとか人に知られてはいけないんだと思ってしまいます。そんな事は断じてありません。人間はゴミを出しながら生きています。標準的なゴミの量は1人で1日に3.5キロにもなるそうです。当然ながらゴミを捨てなければ、家はあっと言う間にゴミ屋敷になってしまいます。これは別に物質的なゴミに限った事ではありません。心や気持ちだって同じです。愚痴や悩みを吐き出さないで溜め続ければ、心がゴミ屋敷になってしまいます。一度そんな状況になってしまえば、そんな状態に疑問を感じなくなってしまいますし、自分ではどうにも出来なくなってしまいます。とは言っても無責任に愚痴を言える相手なんて作ろうと思って作れる訳ではありませんが、日々の生活と介護で身動きの取れなくなる前に何かしらの手段を見つけたいものです。具体的な方法を提示できなくて申し訳ないのですが、日記を書いても良いですし世の中には愚痴を聞いてくれるサービスと言うのもあります。有料のものありますしボランティアでやってくれている所もあります。そんな大袈裟なと思わずに、調べるだけでもして置けば何かの役に立つかもしれません。調べる余裕や気力があるうちに、選択肢を増やして置くと言うのは必要な事だと思います。正直このブログ自体が私の愚痴の様なものなんですからね。介護は理不尽で不公平です。例えば子育ての苦労ならば子供がいる人なら大なり小なり共感できるものです。もちろんその子供によって違いはあるでしょうが、オムツも替えずミルクも飲ませずお金も一銭もかけないで、気がついたら大人になってました何て子供はいないでしょう。ですが、介護の苦労と言うのは親を持つ人の全員が共感できるものではありません。誰しも介護をする可能性はありますが、全員が必ずおこなうものではないからです。人間である以上は必ず両親はいます。もちろん両親との関係性と言うのは人それぞれですから、親を知らないと言う人も早くに親を亡くしたと言う人もいるでしょう。しかし日本の平均寿命を考えれば、ほとんどの方の親と言うのは相応の年齢まで生きているはずです。今は多様性の時代ですから、結婚をするしない子供を作る作らないは人それぞれの事情によって自分自身で選択する事が出来ます。もちろん何事にも例外と言うものはありますが、ここではあくまでも一般的な話として聞いて下さい。繰り返しますが、人間である以上は両親は必ずいます。自分で選択する事は出来ません。そして将来的に両親の介護が必要になるのかも選択する事は出来ません。そして介護の時期も期間も介護の程度だって選択する事は出来ません。そして扶養の義務や介護の義務は無条件に負うことになります。本当に言葉は悪いのですが、強制的に総額も分からない借金を負わせられる様なものです。状況によっては自分自身の私生活も仕事も家庭も子供の進学さえも全てが吹き飛びます。本当に恐ろしい話です。今言われている別の意味での親ガチャです。これを理不尽と言わずなんと呼ぶのでしょう。本当にそう思います。もちろん介護をしないと言う選択肢もあります。扶養の義務や介護の義務は、扶養や介護が必要だと認識して初めて生じるものです。厳密には違いますが、義務を果たさないといけない状況だと知らなければ義務を果たしようもありません。そう言う意味です。寝たきりだと認識していて放置すれば保護責任者遺棄致死などの罪に問われるでしょう。ですが、知らなければ少なくとも罪には問われません。その気ならば親に連絡先を教えず、そして連絡もせずに一生涯親は存在しないものとして生活すれば扶養や介護から逃れる事は可能です。かなり非人道的な事を書いています。勿論おすすめするつもりはありません。親との関係性は人それぞれですが、一般的な親子関係ならば扶養や介護からは逃れられるかも知れませんが、間違いなく人間として大切なものを失います。ですから、繰り返しますけどおすすめはしません。要するに介護と言うのは、介護が必要になった時点で必ずそれに向き合わなければいけない問題なのです。先にも書きましたが、介護と言うのは程度も期間も状況もすべて違います。まったく同じと言う事はあり得ません。次回から私の実体験を書いていきたい思いますが、あくまでも『私の』経験です。参考になるかは分かりませんが、何かしらのお役に立てれば幸いです。以上の内容はあくまでも私の個人的な意見や経験です。何かを断定したり強制するものではありません。不適切な表現も多々あると思いますが、経験者の生の声としてご理解下さい。
2023.02.15
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