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先日読んだ「サウスバウンド」、あまり面白かったので、映画も見ました。だけど、スケールの大きさが表しきれてなくて、ちょっとがっかりです。長編を映画にするときは、省略があって当たり前です。でもこの映画は、省略じゃなくて、本のおいしいところをチョイチョイとつまみあげてつなげただけ。そんな感じがしました。その結果、次郎の悩み、お父さんのワイルド感やスケールの大きさ、西表島の熱いエネルギー、駐在さんたち西表島の人々の善良さ・・・そういいうのがどれも薄まってしまって、結局何が言いたいのかわからない映画になってしまっています。そして、キャストも私は不満です。お父さん役のトヨエツは線が細いっていうか、やっぱりこの人はおしゃれな都会人なんだなあ。仕草も声も繊細な感じで、このお父さんじゃないですよ。東京でしおたれていたときは、結構良かったんですけどね。もっとエネルギッシュな感じが欲しかった。お母さん役の天海祐希もまた、都会的すぎです。革命家としてジャンヌダルクと呼ばれていた過去があるとは、とても思えない。ただおとなしくて、さわやかというだけのお母さんでした。けなしてばかりだけど、二郎役の少年は、なかなかよかったですよ。東京にいる間は、思春期の悩みの多い表情がよく出ていました。都会のイケメン(になりかけた少年)の表情をしていました。それが、西表島に行ったら、やたら意志の強そうな、汗の似合う男(になりかけた少年)に見えてきたから不思議です。次郎の妹役の女の子も、そう。二人とも、西表島の太陽を浴びて、その空気を身につけたんでしょうか。演技しているんじゃないと思うんですが、とてもいい表情でした。 【中古】DVD サウスバウンド SP・ED
2009.07.31
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元過激派の父親と、日々成長していく小学生の息子の物語。読み心地はほんとうにすっきり。熱くてからっとして、八重山を知らない私でも八重山の風を感じられる最高の読後感でした。この小説、第一部と第二部に分かれていて、内容はつながっているものの、感じはがらりと変わります。第一部のほうは、東京の中野に住む小学校6年生の次郎の物語。次郎の学校生活が詳しく描かれていて、男の子ってこうやって大きくなるんだと再認識できるようなお話です。担任の若くてきれいな南先生。思春期を迎えてかわいくなり始めたクラスの女の子たち。優等生やらじいさんみたいのやら、いろんなタイプの親友たち。不良になりかけている友達と、中学生の不良たち。不倫をしているらしいお姉ちゃん。お母さんの実家には何か秘密がありそうだし、元過激派だったお父さんは、後先かえりみないアナーキーな突撃型熱血漢。幼いながらも、家族を心配し、傷つき、少しずつ大人になっていく次郎です。お父さんが過激派だった頃の仲間が、殺人を犯したことから、次郎一家は沖縄の西表島に移住することになります。そして、ここからが第二部です。八重山の人々は次郎たちがびっくりするほど力いっぱい、歓迎してくれます。お父さんはガンジンさんの孫だからとか、伝説の英雄アカハチの子孫でアカハチにそっくりだからとか。そこには、伝説と現実の区別はありません。遠い昔から語り継がれたことだからそれでいいのだ。という、力強いおおらかさ。お父さんは、東京にいた頃とは別人のように生き生きし、お母さんは前にもましてお父さんを愛するようになり、八重山に同化していきます。お父さんは相変わらずアナーキストで困った人だけど、その生きる方針は、言葉の端々に表われ、実に魅力的です。おそらく私たちのほとんどが失ってしまっている、生き物としての人間の核のようなものを、お父さんは胸に大きく抱いているのです。お母さんが言います。「人のものを盗まない、騙さない、嫉妬しない、威張らない、悪に加担しない、そういうのすべて守ってきたつもり。唯一常識から外れたことがあるとしたら、それは、世間と合わせなかったってことだけでしょう。」「それがいちばん大きなことなんじゃないの?」「ううん。世間なんて小さいの。世間は歴史も作らないし、人も救わない。正義でもないし、基準でもない。世間なんて戦わない人を慰めるだけのものなのよ。」そう言って、お父さんとお母さんは西表島からさらに楽園をめざし、船出していきました。・・・私って世間に合わせることに汲々として生きている…痛いほど実感して、自分が情けなくなりました。他にも、お父さんとお母さんには、書き写してとっておきたいような言葉がいっぱいです。心をじゃぶじゃぶお洗濯して、ぱりぱりに乾かして、バシッとアイロンをかけたくなったときに、この本を読むといいですよ。そうそう、アカハチの伝説は小説の最後に詳しく出てきます。これがまた、すごくいいお話なんですよ。
2009.07.26
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本とは関係のない話題ですが、皆さん、昨日は日食をご覧になりましたか?私が持っている日食のイメージはこうです。アフリカの未開の国にやってきた外国の探検隊が原住民に捕らえられて、木に縛り付けられた。原住民たちは彼らの足元に火をつけて、殺してしまおうとする。しかし探険隊長はおごそかに言います。「私は神の使いだ。今から太陽を消して、この世を暗黒にしてみせよう。」するとあら不思議。太陽がだんだん小さくなり、世の中はほんとうに真っ暗闇に。驚きあわてふためく原住民たち。それから、太陽がもとに戻り明るくなると、隊長は神の使いとして原住民の尊敬を集めて、その後は大ごちそうが並び、歌や踊りのお祭りになるのです。そう。隊長はその日その時間に皆既日食が起きるってことを知っていたのです。どうです?ベタすぎるでしょ?これは確か、私が子どもの頃テレビで見たターザンの中にあったお話ですよ。この話がものすごーく印象に残っていて、日本で皆既日食が見られると聞いたとき、このシーンを思い出しました。だから、天文にはまったく興味はないけれど、昼なのに「暗くなる」そしてまたすぐに「明るくなる」を経験できるのがうれしくて、日食の日を楽しみに待っていたのでした。私の住む福岡は、90%くらい太陽が隠れるということでしたから、かなり暗くなるはず。神の使いのしわざだと信じてしまった原住民たちの気持ちになって、日食を楽しもう!そう思っていました。そして、本物の日食を見た感想は・・・・・・ 「意外と明るい!!」台風の前なんかに、空が急に曇って今にも雨が降りそうな不穏な感じ。という程度の暗さでした。太陽ってすごいんですね。たった10%しか顔を出していないのに、パワフルです。太陽のエネルギーの大きさを感じました。道路では、みんな同じ方向を見上げていて、知らない人ばかりなのにそこここで親しげに話しています。観察用眼鏡を持っている人は、気前よくまわりの人に貸してあげて、借りた人はほんの一瞬ずつ見ては、次の人に貸してあげて、持ち主にていねいにお礼を言って・・・なかなかいい光景でしたよ。日食が作った平和って感じ。ほんと、太陽って偉大でした。
2009.07.23
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毎度おなじみという感もある、熟女二人の交換エッセイです。このエッセイは、「Delicious」という雑誌に連載されたものだそうです。こんな雑誌、知ってました?私はぜんぜん聞いたこともなかったので、検索してみました。そしたら、「家庭画報」から生まれた食のクラスマガジン・・・なのだそうですよ。(クラスマガジンの意味がよくわからないけど)「家庭画報」って男性の方はご存じないかもしれませんけど、女性なら知ってますよね。大きくてものすごく重くて、写真がめちゃくちゃ美しくて、どのページもこれでもかというくらい、贅を尽くしたセレブな雑誌。記事の見出しだけなら生活に密着しているかのように見えながら、実はどこの国のこと?といいたくなるくらい、現実からかけ離れた、夢見るおばちゃんのためにある雑誌です。現実そのものの主婦であるぱぐらが、なぜ「家庭画報」を知っているかというと、美容院でたまたま手渡されたことがあるから。たぶん若い美容師さんは、年齢から見て「家庭画報」を選んでくれたんだと思うけど、その重いこと重いこと。とてもじゃないが、手で持ち上げて読み続けることができません。手はふるえ、肩はこり、とうとう「すみません。週刊誌とかえてください。」って言っちゃいました。話が大きくそれましたが、つまり、その家庭画報から生まれた雑誌ならば、「Delicious」って雑誌も、同じようなセレブ系の雑誌に違いない!と勝手に断定しているわけです。そしてこの交換エッセイ「太ったんでないのッ!?」 は、タイトルだけは明るく軽く、いかにも庶民的ですが、中身は美食飽食のエッセイでありました。伝説の『ジャン・ムーラン』の悩殺料理「フグの白子のリゾット」でしょ、「ブレス産鳩のロースト柑橘類の皮のパネ コーヒー風味」でしょ、「キヌガサ茸と雲南ハムと鶏のスープ」・・・どうです?実においしそうでしょう!!え?意味がよくわからなくて、おいしいのかどうか想像すらできない?ふふふ。そうですよね。私もそうです。著者二人が気合を入れて絶賛しているので、おいしいんだろうね。と思う程度のことです。というふうに、書いてる側と読んでる側の温度差が気になる本で、気になりながらも最後まで読みました。温度差はあっても、やっぱり二人の文章はおもしろいので、結構楽しめましたけどね。この本は、そんな意味も分からない料理ばかりじゃなくて、フォアグラとかトリュフとか名前だけはよく知っている食材や、野菜やお茶漬けの話題も出てきますから(家庭画報的ではあるけれど)ご安心ください。美食が好き、あるいはあこがれている方にはお勧めの本です。でも、野菜炒めだの筑前煮だのおひたしだの、毎日のおかずが好きって方は、読まなくていいですよ。 太ったんでないのッ!?
2009.07.18
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いつも群ようこさんの小説を読むと、「やっぱりこの人は小説じゃなくエッセイの人だ」って認識新たにするのですが、今回も同じでした。エッセイだとあれだけ切れのいい、いきいきと伝わってくるものが、小説になるととたんにそれが希薄になるんです。この小説も、題材としてはとても興味深く、期待して読みましたが、う~ん、ユーモア小説にしたかったのか、女性が仕事をすることを話したかったのか、それとも中年独身女性の貯金生活が言いたかったのか、どれともつかず、面白くなる前に終わってしまいました。ストーリーはこうです。45歳、独身のキョウコさん。バブル期の広告代理店で無我夢中でOLをしてきたけれど、仕事に疲れ、世の流れに疲れて、退職して貯金生活を始めることにします。彼女のお母さんは、外で働いたことのない主婦。「隣近所に肩身の狭い思いだけはしたくない」が身上の、見栄っ張りの見本みたいな女性です。お父さんのお尻を叩いて働かせ、結局お父さんは早死に。キョウコさんは、そんなお母さんの影響もあって、家を出てれんげ荘というボロアパートで一人暮らし始めました。私がいちばん不思議だと思ったのは、キョウコさんの生き方に、長年のOL生活が何の影響も与えてないように見えるところです。どんなに忙しくてぼろぼろになるような仕事だったとしても、とてもうれしいことも起こったはずだし、どんなに気の合わない人ばかりだったとしても、友達の一人くらいできるはずだと思います。そして、どんな仕事でも、その人の生き方や考え方に大きな影響を与えるものだと思うのですが。キョウコさんは、一人暮らしを始めたとたん、単なる、することのないヒマなおばさんに成り下がってしまっています。もちろん、そうなりたくて、一人暮らしを始めたんでしょうけれど、もっといろんな心の動きがあるはずじゃないのかな。そこのところを、もっとじっくり読みたかったです。 れんげ荘
2009.07.13
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きたあかりさんの日記から、興味を持って読んでみました。どれも男性の視線から書かれた、「過去の女」特集って感じの短編集です。いろんなつきあいや、出会いが書かれていたけれど、残念ながら私にはあまり共感できなかった。ふーん、そんな付き合いもあるのかーって感心するばかりで、私ってうぶというか(うぶ?えへへ、自分で書いてて照れてます。)人生経験が浅いというか、ちょっと寂しくなってしまいました。吉田修一さんの本は初めて読みましたが、いったいいくつくらいの方なんでしょうね。たいてい本を読んでいると、著者の生きた時代や背景なども想像するんですが、吉田修一って人はよくわからない・・・公衆電話ボックスに並ぶ話や、長距離恋愛の相手から手紙が届くなどの場面があったので、あまり若い人じゃなさそうだと思ったけれど、それにしては中年臭くないところもあって、不思議な感じです。語り過ぎないというか、深みがありすぎないところが、いいのかもしれません。男性の方には、すごくおもしろいのかもしれませんね。誰だって、身に覚えとか若気の至りってものがあるでしょうからね。短編を読む楽しみは、これの方が好き!いや、こっちの方がいい!なんでタイトルをこれにしたの?なんて考えるところです。私が一番好きだったのは「最初の妻」。これが妻でも恋人でもない、中学1年生の多感な少女の話なんです。この頃の女の子って、夢見がちであると同時にやたら現実的で、その現実さえ夢見ている。そんな感覚、私にも覚えがあるんだもん。そんな感じがよく出ていておもしろかった。きたあかりさんは、ユカという女の魔法をかけられた男の気持ちがよく分かるそうですよ。ふむふむ。そうなんだ~~。女性には分からない男心なんだな~ 女たちは二度遊ぶ
2009.07.11
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今日ご紹介しようとしている「風花」の感想、なんだかうまく書ける自信がないのです。いえ、いつもはうまく書けているなんて思っているわけじゃないんですが。それというのも、川上弘美ワールドに出てくる主人公たちの魅力が、私にはまったく存在しないものであり、世の中にもあまり見たことのないタイプなので、どう感じていいのかよく分からない・・・というのが率直な感想なんです。川上弘美を好きな人なら分かってくださると思うんだけど、この主人公も“くっきり”とか“はっきり”という言葉がまったく当てはまらない人です。どんな時も、いつも温泉の湯気の中みたいにぼんやりと感じて生きている。それはもちろん一つの魅力だし、嫌いじゃないんだけど、そういうのってささやかな幸せの中にあってこそ、魅力的に思えるんじゃないのかなあ。この本の主人公は夫の不貞を知りながらも、怒りもせず嘆きもせず行動を起こすこともなく、さして悩んでいるふうにも見えません。幸せでもなく、不幸せも感じないまま、毎日夫の食事を作り、掃除をし、ぼんやりと生きている。夫のほうも問題を解決する気があるのかないのか、普通どおりに帰宅し食事し、朝になれば無言で出勤していく。そんな二人が夫の転勤で、関西に引っ越します。その頃から、彼女の中に少しずつ“くっきり”したものが芽生えはじめる。彼女は自分の気持ちに正直に生きようと、前向きな行動を起こすのです。あ、今初めて気づきました。この小説は全体に静かで無彩色だけど、女の自立の物語なんだって。女の自立って、声高に主張しなければ表現できないみたいなイメージを持ってたけど、違うんですね。ところで、この主人公が変わるのに、関西に住んだことが無関係ではないように思います。飾らない、人懐こい大阪弁をしゃべる人が、少しだけど出てきます。ただ、その大阪弁が、ちょっと変なんですよね。たとえば、パート先の同僚に急に休みをもらいたいと伝えるところ。同僚は気安く「かめへんですよ。」と言ってくれます。でも、大阪弁では「かめへんですよ」とは言わない。「かめへんよ。」と言うのです。もうちょっと丁寧に言いたいときは、「いいですよ。」「よろしいですよ。」アクセントだけは大阪風に。新幹線の中でお弁当を食べている男の子に「おいしい?」と聞いたら、彼は「おいしいねん。」と答えます。でも、こういうときは普通そうは言いません。「おいしいよ。」「うん、おいしい。」って感じでしょうか。著者はことさらに大阪弁を強調したかったのかもしれませんが、なめらかに読み進めていたところに目障りな石が落ちていたようで、とても残念です。 風花
2009.07.07
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ダーシェンカというのは、著者チャペック氏が飼っていた、ワイヤーヘアードフォックステリアという犬種の小さな小さな女の子です。この本には写真がいっぱい出ているんですが、飼い主の愛情がそうさせるのか、どの顔を見ても満足そうに笑っているように見えます。ダーシェンカが生まれたときの姿から、この本は始まります。「それが生まれたとき、白くてほんのちっぽけで、手のひらに入るくらいだった。(中略)ダーシェンカは目が見えなかった。というより、目がなかった。そのうえ、ちっちゃな足ときたら、いやはや足だと思えばそう見えなくもない、といったしろもの。ほとんど役には立たないけれど、あると信じているから足なのだった。」なんと愛情にあふれた、優しい視線の文章なんでしょう。犬が好きで今飼っているという人も、ほんとうに生まれたての子犬を見ることは、あまりないはず。でも、この文章を読めば、ふにゃふにゃで、芋虫よりも弱弱しい子犬の様子が、手に取るように想像できますよね。「ダーシェンカが歩く練習を本気でとりかかったとき、おかあさんのあと足から前足までころがっていくのに、半日もかかってしまった。そのうえ、途中で三度もおっぱいを飲んで、二度もぐっすり眠った。」「(略)おかあさんは一日中ダーシェンカにお話をし、ささやきかけ、クンクン匂いを嗅いだり、キスをしながらなめたり、舌で洗ってきれいにしたり、(略)いとしげに見守りながら、ふさふさした自分の体を枕にして寝かせてやった。」こんなふうに、小さなダーシェンカの成長と母犬イリスの子育てが細やかに、なおかつユーモラスに書かれていきます。ところが、本の半分くらいまで読んだところで、あきれるくらい唐突に、ダーシェンカはよその家にもらわれていってしまいます。「やれやれ、さようなら、ダーシェンカ。いい子にしているんだよ。」そのあまりのあっけなさ。子犬との別れは、子犬が生まれる前から決まっていた運命で、元気にもらわれていったのが幸せなことなんだと言わんばかりの、あっけなさです。「私たちはお互いに目をあわさないよう、避けている。部屋のすみを見ても、もうあの子はいないのだ。(略)犬小屋では、毛をむしられ、疲れ切ったおかあさんのイリスが、ひっそりと目をしばたかせながら泣いている。」後半は、「ダーシェンカに聞かせるお話」です。ダーシェンカに語り聞かせる形で、犬にまつわるおとぎ話、フォックステリアの偉大なるご先祖さまのお話など、フォックステリアの必須一般教養みたいなお話がいっぱい出てきました。「神様は犬をお作りになったとき、骨の山、肉の山、毛の山から、最初にフォックステリアとピンシャーを作った。骨の山がグレーハウンドに変身し、肉の山はブルドッグやボクサーになった。毛の山はセントバーナードになった。残りの毛からプードルが生まれ、最後のひとかたまりのうぶげから、狆やペキニーズができた。最後にわずかに残っていた大きな胴体と小さい足4本から、ダックスフントを作った。」ということだそうですよ。この本は、絵本のように子どもに読み聞かせるための本なんでしょうね。全体に漂う雰囲気がこの上なくやさしく、あたたかく、子犬に対する愛情にあふれています。子犬もそれに応えて、かぎりなく無邪気で、きかんぼうで、いたずらっ子です。子犬を見ると、誰だって心も表情も柔らかくなり、手を差し伸べてふわふわした毛にさわりたくなる。そんな気持ちをかきたてられる、不思議な本でした。この本は、1934年に初めて邦訳されたそうですが、詩人の佐藤春夫もその序文で書いています。「この本を店頭から持って帰ることは、犬好きにとっては愛らしい子犬を一匹抱えて帰ると同様に楽しいものに相違ない」 ダーシェンカ
2009.07.05
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ばあチャルさん!ミシェルさん!きたあかりさん!フリーページの作り方、教えていただいてありがとうございました。エッチラオッチラ、一ヶ月かかって、やっとできあがりました~!単純作業だったけど、なにしろ数が多いのでたいへんでした。★★★でおもしろかった度を表しましたが、これを決めるのが思いのほか難しかったです。いくらおもしろかったって言ったって、松本清張の「半生の記」と奥田英朗の「インザプール」を同じ★五つにするのは、やっぱり抵抗ありますよね。心を鬼にして(そこまで真剣に考える必要もないんだけど)必死に★マークをつけました。飾り気も何もない、質素そのものの索引ですが、よろしかったら、どうぞ過去の日記を探してみてくださいね。読書の一助になればうれしいです。6月に読んだ本です。1「猫を抱いて象と泳ぐ」 小川洋子2「心と響き合う読書案内」 小川洋子あれっ?!たったこれだけ??いや、そんなことないはずだけど・・・メモしなかったので忘れてしまったみたい。確か女流のを何冊か読んだんだけどなあ~あーあ、こんなに忘れっぽい私。何のためにブログやってるんだか。読んだらすぐにメモしておかなきゃね。「英語で読書」のほうは7冊でした。1「Don't stop now!」2「Marvin Redpost Why pick on me?」3「Marvin Redpost Is he a girl?」4「Marvin Redpost Alone in his teacher's house」5「Marvin Redpost Class President」6「Marvin Redpost A flying birthdaycake」7「Who was Helen Keller?」
2009.07.03
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