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私、今、50代前半。子どもたちは成人し、夫は定年退職までまだ間がある、暇な主婦です。子育ての頃は、栄養のバランスを考えておいしい食事やおやつを、一生懸命作るのが好きな主婦でもありました。パートで働き、家の中を掃除し飾り、趣味の食器を集め、好きな手芸やサークルにはまった時期もありました。それなりに充実した日々だったと思います。が、この頃エネルギーが切れてしまったみたい。掃除?あんまりしたくない。ときどき、四角い部屋を丸く掃除機をかけるくらい。お風呂のカビ取り、ずいぶんながいことしてないなあ。料理。あんなに好きだったのに、今は手間をかける気がまったく起こらない。この年になると、そんなに凝ったものを食べたいとも思わないので、軽く作るか、そのへんで買ってくるか。好きだった食器も、この頃うるさくなっちゃった。食器棚から溢れるほどあった食器なんて、もういらない。部屋を飾る置物や花瓶なんていらない。テーブルクロスもランチョンマットも、もう使いたくない。うまく言えないけど、もっと簡素に、シンプルに、めんどくさいものを全てそぎ落としたい。なんだろう、この気持ち。投げやりというわけではないんです。もっと自分を大切にしたい。自分を生活の主役にしたい。何ものにも振り回されたくない。そんな気持ちが、心の中にふつふつと湧いてくるのを、この頃感じていました。でも、誰にも言いません。誰もわかってくれると思えない。たぶん、夫がいちばん分かってくれないだろうと思います。そんな私の言葉にならない思いを、「あなただけではない。」と両手で受け止めてくれたのが、この本でした。読みながら涙が止まらなかった。私と同じ気持ちを持っている人が、時代を超えてはるかな国にいたんだという、喜び。この本は、良妻賢母としてライターとして、忙しい生活をしている著者が、休暇を海で過ごす間に、日頃感じていたことを海岸で拾った貝殻になぞらえながら、静かに語る。という形で書かれています。そして最終章には、まるで私のことを書いてくれたかのような一文が。「子どもたちは去り、もはや誰の人生とも重なることがなくなった孤独な車輪の軸のように、そこにひとり取り残されるのである。そうして彼女は、ふたたび自分の人生に一から取り組まなくてはならなくなる。自分の中に、もう一度力を漲らせるのは、並たいていのことではない。」そうなんだ。私は孤独な車輪の軸なのだ。そして、自分の人生に一から取り組まなくてはならないのだ。私は今の満ち足りない思いを大切にしなければならないと、強く思ったのでした。海からの贈りものこの本には書き抜いてご紹介したい素晴らしい文章が、他にもたくさんあります。基本は、生活をシンプルにして、物に振り回されない、自分主役の生き方をしよう。という考え方です。だけど、やっぱり、誰もが感銘を受けるとは思えないんです。何のことなのかさっぱり分からないと感じる人も、多いことでしょう。いくつになっても物欲以外ないって人も、世の中にはいますしね。でも、もしこの本にちょっとでも興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてください。大きな感動と安心感を得ることができるかもしれません。この本の著者に、大きな感謝を。そして、読書好きだとこんないい本にめぐり合えることができるということに感謝。最後に、この本を紹介してくれたkoreiさん、ありがとう!!
2009.09.28
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何年か前に東京で、お受験殺人と呼ばれた事件がありました。その事件を下敷きにした、フィクションです。非常に読み応えのある一冊です。私の知る限りでは、角田光代さんの作品の中で、最高のものと言ってもいいと思います。いつもならおもしろさに引きずられてガーッと早く読む私も、そんな読み方をしては申し訳ない。しかも、家事をしながらも本の内容を繰り返し考えたり、夢に見たり、ほんとうにここまでのめりこんで読んだ本は、珍しいです。冒頭では、登場人物(全員が小さな子どもを育てるお母さんたち、いわゆるママ友)が矢継ぎ早に紹介され、そのフルネームと子どもの名前を覚えるのに追われましたが、読み進むうちにその個性がしっかりと描き分けられていて、苦労なくなじむことができました。これはひとえに角田光代さんの表現力のすばらしさだと思います。また、心の動揺を描く角田さんの視線の、細やかさといったら!ママ友の間で翻弄される一人の女性が、その動揺を夫に隠そうとする場面があるのですが、遅く帰ってきた夫の食事の用意をし、まだ他にすることはないかと台所を見渡し、予定になかったオムレツを作り始めます。作りなれたプレーンオムレツのはずが、手元が狂ってくずれてしまい、しかも味付けを忘れたことを後になって気づく。しかたがないので、ケチャップをかけてごまかそうとする。こういうことって、女なら誰でも似たような経験があると思うんだけど、日常の中からそんな一瞬の心理を拾い取るってところが、さすが角田光代さんです。子どもが幼稚園に通う年頃のお母さんって、私自身振り返ってみても、すごく不安定な時期だったと思うんですよね。まだまだ若くてきれいだし、友達の中にはまだ社会人として働いている人もいる。早々と専業主婦になってしまった自分と、つい比較していじけてしまいそう。夫は仕事が忙しくなる年代でもあるし、結婚前のようなわけにはいかない。子育ても一生懸命するけれど、何が正しく何が正しくないのか、誰にも分からず評価もされないもどかしさがある。ヒマができると、自分の育ってきた環境や、今の環境、こんなはずじゃなかったと後悔したり反省したりすることも多い。ママ友が何人いても、子どもあっての友達というのはただそれだけの関係でしかないので、孤独が癒されることはありません。まして、実家から遠く離れて暮らしている人は、なおさらのことでしょう。子どものお受験をブランドのハンドバッグのように、自分を飾る道具にするお母さん。自分の実現できなかった理想を、子どもを代役として果たそうとするお母さん。そして、自分が名門学校出身というプライドを、さらに満足させるために子どもを利用するお母さん。どのお母さんも、孤独な毎日を埋めようとする自己実現の行為なんじゃないでしょうか。 森に眠る魚というようなことを考えていて、ふと最近の子どもの名前に思い当たりました。この頃の子どもたちの名前って、ものすごく凝っているでしょう。読みにくいし覚えられないし、学校の先生も苦労されていると、何かの記事で読みました。子どもの名前は、子どもの幸せを願ってつけるもの。それが当たり前のことでしたけど、最近はそうじゃないみたいです。親の趣味、親のあこがれ、親の自己実現のためにつけられた名前。その名前を、いくつになっても、おじいちゃんやおばあちゃんになっても、子どもたちは一生背負っていかなければならないのです。そんな名前は、ペットにおつけになれば?と、意地悪な目で見ている、ぱぐらおばちゃんでした。
2009.09.21
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並外れたぶす。だけど、優しくて純で無邪気な、愛すべき少女、きりこの物語です。前半は、ぶす。ぶす。ぶす。ぶす加減ばかりを強調していて、ちょっと退屈してしまったくらいぶすでした。両親の愛情に包まれて、無菌状態で育ったきりこが、クラスの友達からぶすだってことを指摘されたときから、やっと、物語が動き始めます。引きこもり、拒食、過食、そして予知夢から、きりこの本当の活躍が始まります。活躍し始めてからのきりこは、相変わらずのぶすながら、お姫様のようなドレスを着て、お姫様のようにふるまう。それは、したいことをするのだ。これが自分なのだという、決然としたものがあって、なかなかかっこいいのです。要は、人間は容れ物(外見)じゃない。でも、外見を否定する必要もない。「うちは容れ物も、中身も込みで、うちなんや。」というきりこの一言が、この小説の主題ですね。からりとした書き方で、主題が大げさになりすぎないところが、この本の魅力です。きっと若い人にも、人気があるだろうなと思います。ただ、難を言うと、主題はあまりはっきり言葉にして言わないほうがいいんじゃないかな。読み手一人ひとりの感性で、主題を自ら感じ取るところが、文学のいいところではないのかな?そういう意味では、主題の押し付けになりそうな危うい感じもありました。ところで、この本、きりこを心から愛し信頼している猫の、語りで書かれています。猫の視点からの人間の評価もまた、おもしろかった。ほんとのところ、猫がどんなふうに人間を見ているかは、分からないけどね。「我輩は猫である」の猫は、この猫にくらべると、ずっと人間臭いですね。 きりこについて
2009.09.16
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だいぶ前から手元に置いていたのに、読もうとすると図書館でリクエストした本が到着。その繰り返しで、読みたい気持ちがどんどん強くなって、ほんとうに待ち遠しかった。長い長い物語を3日で読みました。おもしろかったかと言われれば、すごくおもしろかったです。何かのきっかけで、自分をとりまく世界が、今までとそっくりなのにぜんぜん違う世界に変わってしまっていた。そこで、女性の殺し屋は何を正しいと判断していくのか、ゴーストライターは、美貌の少女は、カルト集団のリーダーは・・・いつもの村上春樹同様、二つのストーリーが交互に表われ、だんだん近づいていき、微妙にクロスする形式。エピソードも、とても暗喩的。どんどんエピソードが広がり膨らんでいくんだけど、何も片付かないまま読者を放っておいて、ストンと終わるやり方。そう。私の好きな「海辺のカフカ」とも、よく似ているんです。だけど、「カフカ」を読んだときのような、どんどん引き込まれてカフカと同じ世界を泳ぐような錯覚におちいるということはありませんでした。「カフカ」の登場人物たち、カフカ少年やナカタさん、ホシノ青年、佐伯さん、カーネルサンダースや猫のゴマに至るまで、実に多彩で魅力的でもっともっと付き合いたいという気持ちになりました。だから、読み進めるのが楽しくてしかたなかった。けど「1Q84」の青豆や天吾くん、ふかえり、老婦人やタマル、あゆみ、小松・・・みんな、いまいち魅力に欠けるんです。もっと付き合いたいとは、まったく思わなかった。私としてはこの本に対する期待感で胸がいっぱい状態で、けっこうな金額で重い本を2冊買い、とても楽しみにしていて、やっと読む喜びにあふれて読んだんですけど、期待しすぎだったのかな、ちょっとがっかりしています。けど考えてみたら、私ってベストセラーだから買うってことは、今まであまりしたことがないんです。たいてい騒ぎが収まって、評価が定着してから、さて読むかって感じ。今回に限ってなんでこんなに期待してワクワクしていたのかというと、それはやっぱり内容をまったく明かさない新潮社の販売戦略に、見事に乗せられた結果ですよね。そう思うと、かなり悔しい。やっぱりいつもどおり、文庫化されるのを待っていてもよかったわあ。ところで、もう読んだ方に伺いますけど、編集者の小松さんと、年上のガールフレンド恭子さんの、その後について、なんだか気になりませんか?また別の物語があるんじゃないのかって気がします。1Q84 book 1(4月ー6月)1Q84 book 2(7月ー9月)今、商品検索をしてみたら、もう「どう読むか」みたいな周辺本がたくさん出てきたので驚きました。商魂たくましいんで、びっくりです。
2009.09.13
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昨年の春、こんな日記を書きました。いろんな文学館に行ってみたいなあって。この夏、長野県に旅行し、こんな文学館をめぐりましたよ。 軽井沢高原文庫 堀辰雄1412番山荘 朝吹登水子さんの山荘 野上弥生子さんの書斎 島崎藤村記念館長野の清涼な空気は、きっと文学にもよく効く(?!)んでしょうね。というわけで、今月読んだ本です。1「日の名残り」 カズオ・イシグロ ★★★★★2「着物をめぐる物語」 林真理子 ★★☆☆☆3「草原の椅子」 宮本輝 ★★★★★4「十津川警部悪夢通勤快速の罠」西村京太郎 ★★☆☆☆5「約束の冬」 宮本輝 ★★★★★6「骸骨ビルの庭」 宮本輝 ★★★★☆7「ちょいな人々」 荻原浩 ★★★★☆宮本輝のキレイ系の小説を、二つ。泥臭い系を一つ。どれもすばらしく良かったです。私たちは人間として、大人と言えるのか・・・「草原の椅子」に出てくるコテコテの大阪弁のおじちゃんが、ものすごく魅力的。大人をやっていくのは大変です。ここまで潔く生きるには・・・「約束の冬」も同様。キレイ系の中でもとびきりのキレイ系で、私は前にちょっとなじめないなんて感じていました。が、宮本輝さんは、そうじゃないと表現できないものを書いてくれたのだと思いました。「骸骨ビルの庭」は、ちょっと風変わりな戦災孤児たちと、彼らを育ててくれた青年の現在を描いた小説です。後半、少し息切れしましたが、ぜひみんなに読んでほしいです。英語の本は、短いものをちょっぴりです。Marcel and the Mona LisaDino's day in LondonBilly and the QueenThe big bag mistake
2009.09.01
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