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12月に入ったとたん、人と会うと「もう12月よ。早いわねー」が決まり文句だったのに、あっという間に半ばにさしかかったと思ったら、忘年会だのクリスマスだの年末だの・・・日頃ぐうたら読書三昧、専業主婦の私がこういうんだから、お仕事や子育てに忙しい皆さんは、もっとすごいよね。と言いながら、気がつけばもう大晦日になっちゃいました。掃除?ほとんどやってませーん。買出し?おせちだけは予約したけど、夕方になったらちょこっとスーパーに行こう。(なにしろ、おもちもおそばも買ってない・・・それでも主婦か?!)こんな主婦でも、お正月はちゃんと来てくれる。こんな主婦でも、お正月に読む本だけは、確保してある。みなさま、こんなナマケ主婦です。許してね。さて、12月は3冊。1「オリンピックの身代金」 奥田英朗 ★★★★★ おもしろかった~!!2「全国アホバカ分布図」 松本修 ★★★★★3「いとしい」 川上弘美 ★★★☆☆ 川上弘美の宙に浮いたような話は好きだけど、ちょっと浮きすぎでした。本当は他にも何冊か読んだはずなんですが、メモを忘れて、何だったかまったく覚えてません。まったくだめな私です。今年一年に読んだ本は、トータルで和書78冊。洋書62冊でしたー!今年は少ないなあ。おととしは170冊読んで、118冊の感想文をアップしています。我ながらすごかったのね~今年読んだ本のうち、ベストスリーを選ぶとしたら、「海からの贈りもの」アン・モロウ・リンドバーグ「日の名残り」カズオ・イシグロ 「Frog and Toad 」Arnold Lobel「Marvin Redpost Alone in His teacher’s House 」が、惜しいところで次点です。あらら、よく見ると純粋な日本人の小説がないですね。先日知り合いの若い男性(29歳)が「日の名残り」を読んだというので、「いい本でしたね。最後のところで、泣いちゃいました。」と言ったら、「え?そんなに?僕はどこがいいのかよくわからなかったなあ。執事っていう職業もよく知らないし。」ですって。「私くらいの年齢になったら、きっと分かるわよ。ぜひいつか読み直してね。」と言いました。年をとるって、マイナスばかりじゃない。あの本の良さが分かるようになったのなら、年をとるって、すばらしくうれしいことじゃありませんか?いろいろなことがあった今年も暮れて、明日からはポチッとリセットかけましょう。つらかったことはなかったことに。うれしかったことは、リピートさせよう。お気楽過ぎる?いいじゃない。楽しいほうが勝ち。ここを訪れてくださった本好きさんたちが、来年もすてきな本に出会えますように!
2009.12.31
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タイトルだけ見てふざけた本だと思った方、無理もないけど、これはすごくまじめで、なおかつとてもおもしろい方言の本なんですよ。と最初にことわっておきますね。きっかけは、 「探偵!ナイトスクープ」というバラエティ番組に寄せられた、一通の投書でした。「東京ではバカ。大阪ではアホ。その境目はどこですか?」こんな素朴な疑問から、番組のディレクターさんが独自に調査を始め、その結果「全国アホバカ分布図」がテレビ放送されたそうです。その放送は大きな反響を呼び、ついには方言学会でも注目される研究となりました。その経過を、真摯な態度でつづった記録です。確かに、アホ地帯とバカ地帯の境目ってどこにあるんでしょう。調べていくと、名古屋のあたりに「タワケ地帯」を発見。タワケの語源は何だろう。全国にはアホ・バカ・タワケ以外にも、もっといろんな言葉があるだろう。それを全部探してみようじゃないか!すると不思議なことに、遠く離れた東北と九州に同じ言い方があることも判明。なぜ?人の行き来があったとは思えないのに・・・青森弁と鹿児島弁は、通じない代表のように言われるのに、なぜ同じことばが使われてるんだろう。どこまで調べても、終わりというものがありません。前半は、方言のおもしろさに加えて、テレビ番組を作る現場も垣間見えたりして、興味深いです。それが後半になると、感動的にさえなってくるんです。それは、調査を進めていくうちに、沖縄の方言に差別的な語源が出てくるあたりのことです。全国のアホバカ方言に、差別的な、あるいは相手を嘲笑したり切り捨てたりするような方言は一つもありませんでした。だって、アホバカだって、そんなにきつくひどい言葉とは思えません。自分の失敗に気づいて、「私ってばかね」「うちってあほやなあ」とか言うでしょ。ラブシーンでも、「いやーんバカ」って言うじゃありませんか?また、子どもや孫に愛情込めて「ほんまにこの子はアホやなあ」って優しく言いますよね。アホバカはそんな愛情深い言葉なのに、沖縄語だけが差別用語を語源とするなんて、そんなことあるわけない!著者はそのように考え、あらゆる文献を調べ、手を尽くして考えます。そしてその結果、やはりその沖縄方言は差別から来た言葉ではなかった、ということを立証できたのです。学者というものは(たぶんですけど)研究や学問に自分の願いや個人的な思いは、邪魔だと思って、排除するんじゃないでしょうか。冷静じゃないと、正しい研究結果は得られない。そんな気がします。でも、この本の著者は国語学者でもなんでもない、普通の人です。研究を始めたきっかけだって、自分が知りたいと思ったからではない、仕事上で必要になったというだけのことです。だから調査しながらも、方言っておもしろいなあ、愛情あふれるいい言葉だなあと、感動しながら調べることができたんじゃないでしょうか。だから、差別的な言葉に出会ったとき、「そんなの嫌だ。そんなはずない。」って、思ったことでしょう。そしてついには、それまでの定説を覆すほどの発見をしたんですから、しろうとの発想もすごいものです。学問として読んでも意味深く、また読み物として読んでも実におもしろい。感動的ですらある、すばらしい本でした。皆さんもこの本で、ふるさとの懐かしいことばに再会できるかもしれません。そして、日本のどこか知らない遠い町で、同じことばが使われていることを知って、とてもうれしい気持ちになれるかもしれませんよ。なぜ、遠く離れた町に同じ方言があるのか。その答えもこの本にあります。学問上、非常に意味深いことだそうです。この本(新潮文庫)のカバーの裏には、全国アホ・バカ分布図が掲載されているそうです。というのは、私が読んだのは図書館の本なので、カバーがしっかり接着されていて、残念ながら分布図を見ることができなかった。ほんとうに残念です。図書館さん、なんかいい方法を考え出してほしいです。全国アホ・バカ分布考
2009.12.21
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昨日、近くのスーパーに行ったら、びっくりしてしまいました。いつもアジの干物を買うコーナーが、かずのこで山盛りに!そして、かずのこのパック一つ一つに、きらきらした「迎春」という文字が。え?もうそんな時期なの?!よく考えてみたら、もうあと半月でお正月なんですねえ。そういえば、昨日のニュースで、年賀状の受付開始とか言ってったっけ。開始したその日に年賀状を出す人がいるってことに、毎年驚くんだけど、うちなんて、まだクリスマスツリーすら飾ってないよー!!家に戻って、さっそくクリスマスツリーやいろんな飾りを出しました。子どもたちが楽しみにクリスマスを待ってた頃は、12月に入るのを待ちかねて、飾り付けを楽しんだものだけど、今ではなんだか義務でやってるだけ。外国で買った大きなツリーは、何年か前に近くの公民館に寄付したので、今うちにあるのは、二十数年前娘が生まれた年に買ってきた、小さなものだけです。いろいろな思い出を懐かしみながら、一人で明かりをともしました。静かにまたたく光を見ているって、なんだか気持ちの落ち着く、いいものですね。ドイツのクリスマスは、この世のものとは思えないくらい美しかった。毎朝一つずつ開くアドベントカレンダー。中から出てくるナッツやチョコに、子どもたちは大喜び。日曜日ごとにろうそくの灯りをふやす、モミの枝のアドベントクランツ。町の広場にはクリスマス市がたち、焼きソーセージや焼き栗、ワッフル、温かくておいしかったなあ。移動遊園地もあって、何度も足をはこんだっけ。イブは大聖堂の深い鐘の音。静かなミサ。イギリスの小学校のクリスマスフェストは、村の人がみんな集まるお祭りでした。子どもたちの聖劇が終わり、たくさんの歌をみんなで歌ったら、さあお祭りです。バザーあり、PTAの準備したお菓子や飲み物あり、広いホールは人でいっぱい。薄暗い小部屋に太ったサンタクロースが座り、入ってくる子どもたちを抱き上げて、「いい子だったかい?」「ママのお手伝いをしているかな?」って話しかけて、小さなチョコを一個くれました。小さな子たちは、怖がって泣いちゃう子もいたし、大きな子は「今年はお肉屋のおじさんだ」なんて噂してた。イギリスでは、イブの夜寝る前に、ドアの外にミルクとにんじんを置いておくんです。遠い国から来てくれたトナカイさんのために。うちでは娘が、ケーキも一切れ、外に置きました。うちの子どもたちは、こんなクリスマスを過ごしたこと、覚えているのかな。今年のイブは、子どもたちはそれぞれ友人と過ごすらしいし、夫は忘年会。ぱぐらは一人で、ツリーの明かりのそばで、静かに読書するつもりです。11月に読んだ本をご紹介するのを、すっかり忘れてました。1「睡蓮の長いまどろみ」 宮本輝2「レクイエム」 篠田節子3「ボトルネック」 米澤穂信4「美神解体」 篠田節子5「あんまりな名前」 藤井青銅6「オロロ畑でつかまえて」 荻原浩7「無理」 奥田英朗8「淋しいのはおまえだけじゃな」 枡野浩一9「思考の整理学」 外山滋比古10「綺麗な人と言われるようになったのは四十歳をすぎてからでした」 林真理子11「ポプラの秋」 湯本香樹実いちばんのオススメは、荻原浩の「オロロ畑でつかまえて」です。どっかで聞いたような題名だけど、なかみは抱腹絶倒、これ、どうやってオチをつけるんだろう、はらはらしながら読んでいったら、思いがけない方向から、胸のすくようなオチが。もしお正月休み用に、肩の凝らない楽しい本をお探しでしたら、絶対これいいですよ!
2009.12.16
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先日読んだ林真理子のエッセイ「「綺麗な人」と言われるようになったのは、四十歳をすぎてからでした」は、あまりにもアクが強くて、胸焼けしてしまいました。次に読む本は、是非、さらりと染み込み、暖かく、なおかつしっかり感動できるような本をと思い、選んだのが湯本香樹実さんです。「ポプラの秋」読むのは二度目でしたけど、この本を選んだのは大正解でした。湯本香樹実さんの本には、お年寄りと子どもが出てくるんだけど、子どもはあくまでも純粋な心を持ち、その心を傷めながら少しずつ成長している。そばにいるお年寄りは、子どもを見守るでもなく見放すでもなく、自然体で、年老いた人生を一人生きている。お年寄りが今までに過ごしてきた人生の喜びや痛みやいろんなものが、知らず知らずのうちに、子どもに大きな影響を与えている。そんな乾いた二人の関係が、とても心地よくて、「「綺麗な人」と言われるようになったのは、四十歳をすぎてからでした」(あー!長ったらしい)の後遺症をきれいに治してくれました。7歳の千秋は、交通事故でお父さんをなくし、お母さんと二人でポプラ荘というアパートに住むようになりました。大家さんは、悪者のポパイみたいな顔をした怖いおばあさん。千秋をかかえて必死で働くお母さんを見ているうちに、千秋は学校に行けなくなり、心の病気になりかけます。千秋を昼間預かってくれたのは、大家の怖いおばあさんでした。おばあさんの部屋にあるたんすの引き出しに入っていたのは、たくさんの手紙でした。千秋もお父さんに、たくさん手紙を書きます。お母さんも書きました。おばあさんは、その手紙をお父さんに届けてくれるというのです。お父さんが天国から電話をかけてくれた場面は感動的で、ほんとうに心が洗い流される気がしました。大切な人を失った悲しみを、人はどうやって決着をつけるのか。そんなテーマを、7歳の女の子の平易なことばで、しみじみと語りかけてくる、清らかな物語。おばあさんのお葬式の日の、すがすがしい空の色。おばあさんへの感謝と、生きることの意味を知ることができた、すばらしい小説でした。ポプラの秋
2009.12.11
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女なら誰だって、中年になったら、容姿の衰えに直面しなければならない。どんなに美しいと言われている人だって、どんなに仕事で成功をおさめている人だって、どんなにお金持ちだって、みんな平等に年をとり、体の老化を受け入れなければならない。お腹やお尻がぽっこり出てくるなんて、まだまだ序の口。顔はしみしわたるみの三点セット。髪はツヤなくハリなくコシもなし。体型の崩れなんて言わずもがな。夏の暑い盛りでも、素足にミュールはちょっときつい。だってどんなに気をつけてたって、足のお肌にも老化は現れてるんだもん。好きだったかわいい色のセーターやスカート、今も大好きで買いたくなるけれど、着てみてびっくり。かわいい服を着たら顔がますますふけてみえるのね。それに何より、Gパンの似合わないことにも愕然!若々しいはずのカジュアルな服が、ますます年を強調してしまう。おばさんには安い服は厳禁なのね。かといって、高い服を着てもかっこいいとは限らないし、第一高すぎて買えないし。ショーウインドウに映ったみすぼらしいおばちゃん…と思ってよく見たら私だった。そんな経験ありますか?さて、この本「「綺麗な人」と言われるようになったのは、四十歳を過ぎてからでした」は、今私がぼやいたようなことをテーマに、必死でおしゃれと格闘する林真理子の強力エッセイです。彼女がほんとうに40歳を過ぎて美しくなったかどうかは賛否両論でしょうが、さすが真理子さん、まあおしゃれのためならがんばるがんばる・・・!!パリから二ヶ月に一度帰国するという有名美容師に髪のケアをしてもらい、高級店の雰囲気を味わうためだけに、着もしない洋服を買い込み(人にあげるのだそうです)プチ整形をし、美顔器を使って毎晩お顔のリフトアップに励む。プチ整形をしていながら、これはほんものの整形じゃないって妙にこだわりを持っているのが、ほほえましいというか、プライドが高いというか。どうせするなら、居直ってしまえばいいのにね。ま、自分の稼いだお金を何にどう使おうと、私が文句をつけるすじあいじゃないけれど、真理子さんは、美しくなるためなら金に糸目はつけません。それはともかく、読みながらかなりしばしばムッとしてしまうのは、お金もないおしゃれもへたな、私みたいなおばちゃんにかなり辛らつだからなのよね。「美しい中年のグループになるというのは、なんと難しいことなのであろうか。」「よっぽど身の回りにお金と手間をかけ、緊張を持たなくてはならない。」うん、それは真理子さんの言うとおり。私もそのとおりだと思うよ。けど、普通のおばちゃんは真理子さんが考えてるより、ずっとおしゃれするのがたいへんな状況に生きてるんだよ。家事にパートにPTA、忙しい毎日を送っていれば、お肌の手入れだって行き届かないときもある。子どもにお金がかかる世代なら、自分の服代は限られてくるだろうし、美容院だって、もうちょっと我慢しよう、来月にしようって思うこともあるんです。作家ならそれくらいわかるでしょ。真理子さんがやっていることがおしゃれに絶対に必要だというならば、普通の主婦はいっさいのおしゃれをあきらめなくてはならないってことになりますよ。「ばばっちいグループには入りたくない。昼間見る中年グループは、美しくないのである。」たまたま、美容のためにかけたいだけお金をかけられる境遇になった真理子さん、私はあなたにそんな言い方をされたくない。しかし、この思い切った物言いが、真理子さんの真理子さんらしいところ。だからこそ、彼女のエッセイはおもしろいんですよね。彼女を嫌いという人は、すごく多いみたいだけど。そして私も、正直言って嫌いです。嫌いだけど、なぜか目が離せない。ところで、この本のこの長ったらしいタイトル。このタイトルのせいで、みんな彼女のことを、「ちやほやされてるだけなのに、勘違い女だなあ」って思ったでしょ?「ちっとも美しくないじゃない」って思ったよね。真理子さんなら、そういう反応が来るってことくらい予想してたはず。それをあえて、この自虐的(?)タイトルにしたっていうのは、どういう意図があったんでしょうね。私はそれを知りたいわ。
2009.12.05
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