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題名「女性は、安心感を好む???」今回は、若い世代向けに書きますね~。近頃、女性との接し方で、悩んでいる男性が多いのに、気づきました。私は、男3人兄弟の次男坊。体育会系の家庭で育ちました。40年以上職場では、女性の世界で、働いています。女性には、男性には、ない能力があるのです。いいですか?女性は、「母性本能」という能力があるのです。例えとして、もし、自分の子供が車にひかれそうになったら、女性であるあなたは、子供をかばいながら、車に対応するでしょう。 この私、男性ですので、車に向かって、両手を挙げて、注意を促します。ある40才台の女性に「はとみさん、女性にとって、子供は、分身なのです。だから、危険な状態になれば、身で、身をかばうのです。」わかります。わかります。要は、女性は、仕事でも、第1に安心感を求めます。ある改革を実行する時も、この安心感を第1に考え、改革をわが社でもします。女性は、「改革」より、「改善」という柔らかな言葉を好むので、わたしは、よく「改善提案」をしてください。・・・とお願いします。いいですか?女性である、あなたあなたですよ。 でもね、あまり安心感を出しすぎると、ストレスが溜まるのです。当たっているでしょう。 女性は、良い、悪いは、別として。2つ顔を持っています。もう1つの女性心理があるのです。ココでは、詳しく、書くことができませんので、今度、お会いした時に、話しますね。ウソじゃないですよ。先日も、来社されたご夫婦の方には、すべてお話ししたら、化粧が崩れるくらい笑いこけていました。しかも、涙を流し、笑っているのか、泣いているのかわかりません。そうなんですよ、この行為でも、2つの現象をおこします。しかも、その女性は、足をバタバタさせ、ノドOOコをこの私に見せるくらい興奮して笑うのです。しかも、ツバは、飛ばすは、飛ばす。そういうダンナさまは、おとなしく、沈着冷静です。要は、女性の行動心理は、すべてが、すべてというわけではないですが、安心、安らぎ、を求めます。だから、男性が、時々刺激を与えなければ、いけないのです。女性が悪いと言っているのではないのです。女性は、バランスを崩し易いのです。妻であり、母であり、家族の為に、どうしても、そのようになるのです。この気持ちを理解した上で、女性に対する声のかけ方に注意しましょう。先日、商店のオヤジさん(80才代)「はとみさん~。女性は、男性を小ばかにする習性がある。うちのばーさんもそうだ。時には、ビシッと言うときも、必要だ。威張れじゃないぞ。誤解するな、抑揚をつけた言い方で、言うことも大切だ。ただし、10回に1度か、2度だ。」参考になりますか???
2023.09.24
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アパレル業界でも相変わらず、疲弊している状態が、続いています。長年、アパレル店舗(仕入れをして、販売式小売店)は、2月と8月は、赤字場合が、多いです。なぜなら、処分価格で販売するからである。2月、8月は全くの赤字。(1月と7月は、ほとんど粗利益率が、1ケタ台となります。)なぜか? シーズンの変わり目で、夏物セール、冬物セールをするからです。夏秋企画(かしゅうきかく)、冬春企画(とうしゅんきかく)を社内で、平成6年から、トライアルしています。中々、上手くいかず、もう2月、8月は、利益を出すことをあきらめるか?・・・と考えた時に、コロナ被害に遭う。6月中旬より、夏(か)秋(しゅう)企画(きかく)を展開。過去最高の売上、利益高を確保できました。セールは、セールで、受け入れる。セールが好きなお客様もいる。(セールハンターは、時には、現金化してくれるので、シーズン制の高いアパレル業界では、必要なことかもしれない。)では、シーズンの先取りするお客様(プロパー客…定価販売客)もいるが、これだけ暑い日が続くと、秋物を7月から展開では、早すぎる傾向になってきました。支払いが、販売前に支払い(60日以上前から)なので、資金繰りも、大変である。よって、商標登録も行い、夏素材で、秋カラーを展開。そして、6分袖、7部袖のカットソーや、ブラウスを仕入れ・販売強化していく。でも、共同別注品(茨城県内は、弊社のみ。他のエリアで取引先に販売してもらう)であっても、販売点数を1型50枚以上を義務付けされる。完全オリジナル品は、生地にもよるが「1型1色100枚以上が、基本となる。」コロナになって、各アパレルメーカーさん、問屋さんの営業マンとの絆づくりをより深くしようと考えた。支払い日は、お約束より早目に振り込む。そして、お店の情報を必ず、週に最低1回は、行うことで、より人間関係が、深くなってきた。この「夏秋企画(かしゅうきかく)の情報を営業マンの功績であることを上司に伝える。」まとめ「仕入れをする」という強いう立場ではなく、「人間関係を育む」という関係で、良好な取引きをする。仕入れするという優位な立場で、横柄な態度や、条件は、慎む。ロコレディでは、円満な取引きから、取り組みを行っています。
2023.09.22
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「失礼ながらも、お客様のことを・・・」いつも、ご愛読ありがとうございます。私は、常にスタッフたちに「お客様のことを家族の一員だと思って接するように」と話しています。「ヒットよりフィット」の時代になりました。ひとり一人に合った洋服や、靴などを提案しております。大量仕入れ・多量販売方式は、賞味期限切れの時代に津突入だと考えています。また、私はスタッフたちを家族の一員として考えています。勤続年数が50年、40年、30年の70歳台の女性スタッフもいます。みんな会社の宝だと考えています。全社では、平均20年勤続です。20代半ば~50代のスタッフが、元氣に働いております。私は婿養子です。1999年に先代の後を受けて社長になりましたが、その時から強く感じていたのは「これからは婿殿・嫁様の時代。 女性が活躍の時代がやってくる。それに備えて、女性が働きやすい環境を整えておく必要がある」と平成6年に考案し、 そこでまず着手したのが、人事制度改革です。これまでの硬直的な年功序列人事制度を廃し、女性が活躍できるフィールドを広げるためにオーダー・メイド型雇用人事制度を導入しました。県内では、わが社だけのオリジナル制度のようです。戸籍や年齢は、仕事をする上では一切関係ありません。大切なのは「いつまでも、いつまでも、若い感性を持ち続けたい」と思う心が大切です。そんなスタッフたちに、いつも助けられています。お客様からも、「ロコレディは、安心してお買い物ができるから!」と嬉しいお言葉も頂きます。お客様のことを家族の一員として考えています。
2023.09.21
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私は、昭和57年4月~昭和62年8月末まで東証一部上場「東京スタイル」さんに、勤務していました。百貨店3部に属していました。地方の百貨店担当でした。仙台の藤崎デパート、山形の大沼デパート名古屋の松坂屋名古屋本店静岡の西武甲府の岡島などなど、すべてデパートの営業マンでした。当時のデパート婦人服担当は、エリートコースであり、出世コースとも、言われていました。とにかく、アパレルメーカーの営業マンに対しては、顎(あご)で使う。威張っているのが、仕入れ担当者(バイヤー)でした。殆どのデパートが、委託条件。返品は、着払い返品。ビニール袋に入れずに、平気で、返品する。自分勝手に写真撮りして、セールちらしに載せる。もう酷い状態でした。場貸し屋ですね。そんな状態でしたので、今の段階になって、あ~でもない。こ~でもない。・・・・というのは、当たり前の状態ですね。悪くなるのが、当然ですね。のれんに、胡坐(あぐら)をかいたツケが回ったのだ。・・・・・と思います。私は昭和62年10月に一般社員として、小売業(ロコレディ)に転身しました。小売業は、全くの素人の私。(もちろん、この時は、後継者になるとは、思いませんでした。)私は、今度は、小売業で仕入れする立場でしたが、決して、デパートのような横柄な態度や、安易な仕入れの委託販売は、しませんでした。デパートのやり方を反面教師として、絶対、営業マンが嫌がることは、やらないのが、私の信条でした。そして、支払いが、悪い百貨店は、ゆくゆくなくなると思っていました。特に、支払いが悪いのが、当時西●系と松●屋系のデパートでした。でも、地方のデパートで、綺麗な商売をする仕入れ担当者(バイヤーさん)もいました。それは、ADOグループ(伊勢丹G)でした。常識無い返品や、値引きは、一切無しでした。百貨店の花形は、アパレル。特に、レディース部門。(メンズ部門では無かった。)その中でも、婦人服が、花形の中で、一番出世コースでした。(どの部門より、早く部長職に)なぜなら、売上面、粗利益率面でも、百貨店の中では、一番だったからです。外商部門より、力を持っていたのが、アパレル部門でした。詳しくは、「アパレル興亡」企業作家 黒木亮氏の本をお読み頂くと、嬉しいです。その登場人物として、「堀川利幸」が、出てきます。モデルは、4人(4人とも、東京スタイルの男性営業マンです。)そのうちの1人が、私です。(まとめとして)百貨店の衰退は、時代の流れもありますが、創業者の思想が無くなった。(三方良しの気持ちが、消滅した。)お互い様、お互い様の心が無くなったので、衰退したと私は、考えています。デパートで、お子様ランチを食べるのが、月に一度の愉しみでした。(オリエンタル中村や、松坂屋名古屋栄本店で、 お子様ランチを食べた味は、今でも忘れません)デパートには、夢があった。でも、それを無くしたのは、時代の流れもありますが、保身になった横柄な態度のバイヤーや、幹部の責任もあるかと、思います。(百貨店で、バイヤーを3年やると、担当者の家に蔵が建つと言われていました。)奢(おご)れるもの久しからず。・・・だと思います。#百貨店の衰退#アパレル興亡#アパレル業界#ロコレディ#黒木亮
2023.09.14
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ワークライフインテグレーションとよく似た概念としてワークライフバランスがあります。一見すると、ワークライフバランスとワークライフ・インテグレーションはよく似たものと思えるかもしれませんが、両者は異なる概念です。ワークライフバランスとは、仕事と生活を相反するものとして捉え、両者のバランスを取ることを重視するという考え方ですが、ワークライフ・インテグレーションは仕事と生活の2つを統合して捉えるという考え方です。ワークライフインテグレーションは、生活と仕事は相互にプラスの影響を与え合うものであり、仕事の充実が生活の充実につながり、また生活の充実が仕事の充実につながると考えます。どちらも人生の一部であり、反発するものとは見做さないという新しい考え方なのです。以上一部引用有り。私は、ワークライフとインテグレーションの間に「・」をつけたのが、ロコレディ流です。オーダー・メイド型雇用人事制度と同じです。この「・」があるかないか?この「・」が、「間(ま)」になるのです。いい塩梅(あんばい)です。この感覚なのです。あくまでも、あくまでも、配慮が基本ですが、遠慮は、しません。#ロコレディ流ワークライフ・インテグレーション何度も、何度も、失敗や、過ちを繰り返してアレンジしています。毎日、毎日オーダー・メイド型雇用人事制度について考えています。どうしたら、相思・相愛になれるか?お互い様、お互い様の精神ですね。人間が、持って生まれた優しさと温もりでは、ないでしょうか?オーダー・メイド型雇用人事制度は、平成6年にオリジナルで、考えた人事制度です。ある社労士の先生が、言います。「この制度を他の会社にも、マネしてもらいたいけど、 わが社では、無理だと言う社長がほとんどです。 はとみさん、素晴らしい人事制度です。 社労士として、ここまで考えている社長様が、少ないです。」・・・・・といわれました。
2023.09.08
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私は、昭和57年に、アパレルメーカーにいました。東証一部上場「東京スタイル」に昭和62年8月まで、在籍していました。企業作家黒木亮氏の本「アパレル興亡」は、東京スタイルがモデル会社になっています。その本の名kにも、百貨店の当時の横暴な態度が、出てきます。もう、40年以上前から、その陰りは、出ていたのです。百貨店の衰退はとても悲しいし、復活してもらいたい。・・・と考えていますが、まずは、無理だと思います。なぜか???社長や、経営陣が、変わりすぎるのです。落ち着かないのです。新しい企画や、ワクワクイベントを考えないのか?行動できないのか?わかりませんが,残念ですが先行きは、・・・・・・。固定観念に縛られているのか?新しい発想を育む環境がないのか?今の形態での百貨店は、均衡縮小型で、年々、売上は、減少していくことが、予想されます。子供の頃、百貨店で、お子様ランチを松坂屋名古屋本店のレストランで、兄と、弟と食べる。月に一度の愉しみでした。百貨店が、業態を変えておとなのテーマーパークに変わることを祈念しています。子供の頃の百貨店には、夢がありました。
2023.09.05
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第9回懐かシネマ上映会を2014年から、続けています。コロナで、1回パスしています。1回目は、千姫と秀頼(主演美空ひばり)2回目は、絵師井桁さんのライブ3回目は、ローマの休日(主演ヘッバーン)4回目は、燦燦(俳優 山本學さん来場)5回目は、活動弁士(澤登翠氏の無声映画)6回目は、あかね空(主演内野聖陽)7回目は、銀座の恋の物語(主演石原裕次郎)8回目は、二宮金次郎(主演合田雅吏)9回目は、キューポラのある街(主演吉永小百合)10回目は、未定です。10回目で、千秋楽となります。色々な出会いを頂きました。チームワークです。お互い様の心で。相思相愛の心で。
2023.08.30
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民間で、考えたイベントです。常総市民なら、皆さんがご存じとなったイベントになりました。
2023.08.27
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暑い日が、続いていますが、皆さん体調の方は、いかがでしょうか?私ですか?今年は、3回も熱中症なってしまい。救急車にお世話になるかと心配しました。でも大丈夫でした。くれぐれも、お身体を大切にしてくだいませ。さてさて、子どもたちから、何度かコロッケ人形の前で「おじさんも、一緒に写真を」「おじさんは、家族の一員だから」という言葉を頂き、そのような場面に何回も、出くわしました。子供たちからも、元氣を頂いています。さてさて、今回は、長野県から、道の駅常総に旅行組の女子大生3人組から「おじさんは、芸人さんですか? さっきから、道の駅ご来場さんに、お声掛けしている姿を拝見して、そう感じました。しゃべりが、上手いですね.皆さん、笑っている。きっと、芸人さんだよ。」と3人で、話しをしていました。ニコニコ笑いながら、近寄ってきたのです。「いえいえ、私は、笑倍人(しょうばいにん)であり、商売人です。」と言うと、またまた、大笑い。「おじさんの本業は何だと思う?」と訊くと「肉屋さん、農家さん、八百屋さん」と言われました。わたしが、「アパレル業界だよ。しかも、レディースブティックチェーンなんだよ。」と言うとまたまた大爆笑、大爆笑。「「おじさん、冗談でしょ~。こんな面白いおじさんに、会ったことない。記念に。一緒に写真撮りましょう~」と言われました。若い女性に、いじられた私ですが、「旅行の想い出になれば。」とスマホで「パシッ~」と。手を振って、大きな声で「また、愛(あい)ましょう~。彼氏によろしくね~」と。振り返って「おじさんは、やはり芸人さんだよ~」と。愉しいひと時でした。一期一会の心をこれからも、大切にしていきます。季節の変わり目でございます。くれぐれも、お身体ご自愛くださいませ。
2023.08.20
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いつも、ご愛読ありがとうございます。今回は、私は、常にスタッフたちに、「お客様のことを家族の一員のように、接するように。」と話しをしています。ヒットより、フィットの時代です。ひとり、一人に合った洋服や、靴などを提案しております。また、私は、スタッフたちを家族の一員として考えています。・・・と伝えます。勤続年数が50年、40年、30年の70才台の女性スタッフがいます。会社の宝だと考えています。全社では、平均20年勤続です。20代半ば~50代台のスタっフが、元氣に働いてます。オーダー・メイド型雇用人事制度は、オリジナル制度です。県内では、わが社だけのようです。戸籍年齢は、関係ありません。「いつまでも、いつまでも、若い感覚を持ち続けたい。」そんなスタッフたちに、助けられています。お客様からも、「安心して、お買い物をしたいから!」と嬉しいお言葉も頂き、感謝の気持ちで、いっぱいです。
2023.08.19
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ユニクロ社長である柳井正氏の名言に「Change or Die」ということばがあります。「変革かそれとも死か」ということになりますが、「変革」をしなければ他方の「死」しかないということを語っています。すなわち「チャレンジしない限り将来はない」ということです。11年間で、9回の災害に、遭ったわが社です。変化せざる得ない。 人間は、変化を好まない性格である。・・・と言われています。ゆでカエルにならないようにする。だれも歩いたこと無い道を歩く。美と健康と食の文化を育むロコレディ向かいます。
2023.08.08
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女性には、解説ことばで、仕事を頼まない??? 男性のみなさん~ 女性には、解説ことばで仕事を頼まない方がよい。こんなことも、知らなかったのです。 私は、経験しました。何度も、何度も、何度も、女性との仕事上のトラブル。もう、やってられない~。・・・本当に、本当に、本当にそう思っていました。 やっと、氣がついたのです。 女性に解説ことばで、しゃべっては、いけません。 特に、感情の激しい女性には、解説ことばで、仕事を頼むと、人間関係が、おかしくなります。 危険です。 では、どういうことば なのか??? 具体的に、述べていきますね。 それは、論理的に、無駄の無いことばです。「OOに関しては、こうやってくださいね。 ここは、こーで、あーで、終わったら、こうしてください。 その理由は、OOだからです。」 簡単に言うと、感情が入っていないことばでも、あります。 実は、 感情 の激しい女性ほど、感情のことばを入れて、応対すると 人間関係がうまくいくのです。 これを知ったら、もう悩むことが少なくなりました。 女性に仕事を頼む時は解説しては、ダメなんですよ。 仕事が、やり易くなるように、噛み砕いたり、解消しやすくするんですよ~。 どうですか~、参考になりますか? もう、長年培ってきたこの極意を是非、女性との仕事で、悩んでいる男性のみなさんに理解(りかい) いやいや、理解(りかい)ではなく、わかってもらいたいのです。 どうも、男性は、固いことばで、解説したくなる習性をもっているようです。 まだまだ、私も女性の行動心理は、勉強中です。 参考になりますか???
2023.08.06
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アパレルメーカーが、自社のリスクで商品化しない。そのれが、このアパレル業界を疲弊させている。OEM(他社ブランドを製造する会社)に一任して、似たような服が生産されてしまい、競争力が低下。ショッピングセンターで、価格優先の商品を導入して同じような商品が、所せましと、いっぱい並んでいる。大量生産して、売り場にばら撒くビジネスモデル。デパート業界では、場所貸しショップや、催事場などでの委託販売主流。「消化仕入れ」と言われるメーカーに全て、リスクを負わせる仕組みがこの業界をさらに悪くしている感じがします。大量生産、大量販売のビジネスモデルは、終焉を迎えている。原因がわかっているのに、変化を恐れて、今までのやり方を継承している。わが社は、美と健康と食の文化を育むロコレディとして、1年前からコンセプトを見直しています。#ロコレディ#アパレル業界#美と健康と食の文化を育む
2023.08.05
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毎日、毎日、こつこつと。
2023.08.01
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昭和62年10月に、茨城県常総市(当時は、水海道市)ロコレディに転職しました。アパレルメーカーから小売業に転職しました。メーカーに居た時から、販売応援に参加していました。販売は、決して嫌いではなかった。他のアパレルメーカーの営業マンや、東京スタイルの営業マンは、比較的販売は、苦手のようだった。忘れましない出来事昭和59年の秋ごろです。(9月末?)仙台の藤崎デパート2階で、会社の訪問用のジャケットを販売していました。29,800円(消費税の無い時代です。)紺色のジャケットと、グレーのタイトスカートを販売しました。その時、お嬢様とお母様の2人で、洋服を選びを。すると、お母様が、いきなり「仙台のキャベツの値段と東京のキャベツの値段が、違うのに 洋服は、日本全国 共通価格なの?」と私に言ってきました。答えれなかったです。そして、東京に戻り担当課長に「どうして、洋服は、日本全国同じ価格なのか?」と質問すると、「おまえは、馬鹿か! 食べ物と洋服を同じに考えるな!」と怒鳴られました。そして、転職の話しがあり、それを面接・面談時に羽富 正三に言いました。「すると、そうか、君もそう思うか? 私も、そう思う。地域によって、価値は異なる。 ぜひ、君に、ロコレディ独自の価格で、販売できる商品を開発して 欲しい。」と言われました。この羽富 正三という人は、どういう人だろうか?・・・・・・と不思議に思いました。全く、この人が、将来の義父になるとは、想いもよりませんでした。商品に対しては、厳しい目を持った羽富 正三でした。商売、商売、商売と毎日、毎日言われ続けました。とにかく、厳しい人でした。「会長である私の前には、絶対出るな~。 常に、常に、全ての行動を私に報告しろ~」と毎週月曜日が、報告会でした。常に、先を読め。そして、考えて、決めたら、ひたすらそれに向かって走れ。・・・という指示が、出ます。365日休み無し。もう、くたくたに働いて、商売を学ぼうとかんがえました。この先は、また後日に。
2023.07.30
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アパレル業界全体が、疲弊しているが、あくまでも、100%ではない。特に、アパレル業界の卸事業の賞味期限切れかもしれない。毎年、毎年、新デザインの洋服が誕生する。7月後半になると、セール品でも売れない商品が、お店にあふれる。ネット販売で、洋服を買う人もいるが、サイズ感覚が不明で返品も多いようです。リアル店舗で、購入する。自分の目で、確かめる。試着する。コーディネートして、洋服を買う人もいる。どうしても、洋服選びが、偏る。洋服選びが、糖尿病になる。偏る。同じような洋服を何回も、購入する。バランス良く、バランス良く。
2023.07.25
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口が悪い人と言葉遣いが、悪い人とは、異なります。ズバズバと本音で、言って下さるオーナー様がいます。どうしても、どうしても、上手いかない。上手くいかないのは、手順が間違っている場合が多い。相手の感情を大切にします。想定外のことが起きる場合があります。どうやって、対応するか???悩みます。取引先様とも、真剣に打ち合わせをします。ケースバイケース状況判断で、対応します。落ち着いて、落ち着いて、対応を図ります。バランス良く、バランス良く。
2023.07.19
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暑い日が続いています。植木に水を撒く。そのタイミングも大切なようです。水をまきすぎても、ダメなようです。植木や、生花にお水を注ぐ。水を与えすぎても、ダメなんだよ。・・・と花屋さんや、植木屋さんから学びます。バランス感覚が大切ですね。ロコレディ水海道本店は、「ネコ一匹通らない商店街で、よく商売が出来ますね。」と大手の食品会社様が、言います「ファミレスも、100円ショップも出店しませんね。」と笑いながら、言います。わが社は、大型商業施設に出店攻撃をしていた時期があります。3.11があるまで、その傾向が強かったです。朝9時~22時まで営業、365日休み無し。もうこれでは、会社経営は、困難なると考え、4年半かかって、全て路面店に切り替えました。凄いエネルギーを使いました。夜は、眠れない。精神的にも、辛かった。常に、お客さまのことと、従業員のことを考えています。どうしたら、どうしたら良いか?ワークライフ・インテグレーション(調和)を考え、この秋から新たな人事制度を考えています。労務協会さんにも、相談して微調整しています。どうしたら、良いか?考えて、考えて、行動します。バランス良く、水を与える。やりすぎると、生花も自分から水分を摂ることを行るようになる。貧乏学生なら、貧乏学生なりの発想で食事付き、風呂付きのバイトを考えた。時給が高い会社や、店を選ぶのではなく、勉強になり、生活費を浮かすことが出来るバイト先として、学生時代は、新聞配達をし、デパートの清掃会社や、都議会議員の事務所で、3年間お世話になった。シャワー付きの清掃会社や、選挙事務所でのビラ配りなどなど。今の私の血液の中に、入っています。バランス良く、バランス良く。
2023.07.16
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暑い日が、続いています。お元気でしょうか?私ですか???熱中症にかかり、少し体調がすぐれない日が続きました。いよいよ、次のステップに向かって走りだします。シナジー効果を高めるには、どうするか?いつも、考えうようにしています。引き続き、よろしくお願いします。
2023.07.15
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忘れもしません、ある土曜日の出来事です。5歳の女の子と、3歳の女の子の姉妹です。パパとママの4人で、道の駅常総に家族で、ご来場されていました。13時前後だと思います。この5歳の女の子が、いきなり、私にハグしてきました。いきなりです。「おじさん、大好き!」と。すると、妹さんも、「私も、大好き」とハグしてきました。全く、初対面です。パパさんとママさんが、キッチンカーをご利用して頂いた。丁寧に、丁寧にあいさつしながら、応対しました。その光景を見ていたのでしょうか???すると、「おじさん~」と言って、近寄ってハグしてきたのです。ママさんが「ごめんなさいね~。おじさんと仲良くしたいの~」といきなり、言っておじさんの所へ、行く。・・・・と娘より。すると、今度は、妹さんまでも・・・・・・。それだけではありません。道の駅でお買い物が終わると、今度は、パパさんに「あのおじさんのところへ、行きたいの~」と言うので、「ダメだよ。おじさんお仕事しているから、迷惑になるからね~」と言っても、いきなり、走って来て、「おじさん~」とまたまた、ハグしてきました。「おじさん、また愛(あい)ましょうね~」と。家族4人で、帰る準備があったのでしょうか?トイレに4人で、行かれました。すると、またまた「おじさん~、もう帰るから、もう一回」と言って、ハグしてきました。私は、もう涙、涙、涙です。「笑倍(しょうばい)して、良かった。 商いを通じて、見知らぬ人と出愛(であい)がある。嬉しいです。」失礼ながらも、お客様のことを家族の一員として考えています。「今日は、思い切りビールを飲むぞ~」と。すると妻から、「お父さん、いい加減にしない~」と。同じ女性でも、違いを感じた一日でした。(トホホ)
2023.06.21
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口が悪い人が、私の周りにも、います。でも、憎めないのです。毒蝮三太夫さんのような人です。いつも、毒舌ばかりですが、憎めない性格の持ち主です。私は、口の悪い人とは、比較的仲が良いです。頭の回転が速く、勉強になるばかりです。それと、言葉遣いが悪い人がいます。先輩に向かって、口の利き方を知らない人は私は、苦手です。若い世代の経営者様に、先日あることで、怒鳴られました。悪いのは、私の会社の出来事です。先方様の「ホウ・レン・ソウ」が上手く伝わっていなくて、一方的に怒鳴られました。もちろん、非はわが社にあります。先方様に伝えていたのが、取締役様に伝わっていなかった。私は、ひたすら、ひたすらに頭を下げました。不快にさせたのは、事実です。会社の最終責任は、この私です。頭を90度に下げて、詫びました。でも、1つだけ良くなかった部分がありました。私の子供と同じ世代の方でした。言い方や、態度が良くなかった。人格を否定された言い方は、良くなかった。言葉遣いが、悪かった。その点に関しては、訂正をして欲しかったので他の幹部の方に伝えた。すると、男性(60歳代半ば)が「はとみさん、申し訳なかった。 この私が、謝る。許してくれ。 人間関係がまだ出来ていない段階で、 暴言は、危険だ。」と言われました。この私も、経験があります。私の不適切な発言でその方を怒らせてしまった失敗があります。この私も、大きな大きな過ちをたくさんしています。その都度、反省をします。心からお詫びします。
2023.06.05
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道の駅常総にキッチンカーと冷凍生餃子🥟でお世話になっています。雨☂️対策強風対策暑くても寒くても出来るだけ影響を受けないように対策を考える。
2023.05.31
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新しいことに挑戦することは、すごくリスクのあることです。悩んでも、悩んでも、前に進もうと考えます。最善を尽くし、最悪を想定して中庸をいく。…小阪先生から、直接指導を受けました。よろず相談拠点では、集まめない。人を集めない。集まってくる仕組みを考えなさい。・・・と宮田貞夫先生から教わります。そして、バランス良く、バランス良くを再度、再度、確認します。高飛車な言い方は、避ける。・・・と故羽富正三の言葉より。
2023.05.29
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1にも、2にも、繰り返しです。5年、10年前から、考えていました。指示ゼロ方針を自分自身で、考えてオリジナルで考える。私は、平成6年にオーダー・メイド型雇用人事制度を考えました。試行錯誤しながら、前向きに考えてきました。何度も、何度も、失敗を繰り返します。部下指導で、大切なことは、育てていきたいか?どうかの1本かと思います。配慮しても、遠慮はしない。まだまだ、変態してビジネスを見直していきます。
2023.05.22
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ロコレディは、オードリー・ヘップバーンの生き方を参考にしています。どうして?どうして?色々な方に質問を受けます。もう20年近く前でしょうか?当初、ヘップバーンをロコレディ店内に飾ると「社長が好きだから、私的に応援している。 公私混同していると非難されました。」当時、会長故羽富 正三からも指摘を受けたり、店長会議でも、話題になっていました。すると、取引先のアパレルメーカー「ワールドの幹部様が、ロコレディにご来店」この飾り付けを観て述べられました。「ヘップバーンは、ワールドのコルディというアブランドの初代 イメージキャラクターです。東京・銀座リザショップがオープンする時に、ヘップバーンさんが、銀座店にご来店されています。ロコレディさんが、ヘップバーンのカレンダー公式取扱店舗ということは、ワールドとしても、大変評価しています。」と言われました。私は、仕事として、ショップイメージをあげたかっただけです。特別に、特別にヘップバーンさんが、好きだというイメージは、持っていません。私に対する非難は、それから一切無くなりました。何かを始めようとすると、どんなことでも非難される。決して、悪いことでなくても、非難される。これも、今では、懐かしい思い出です。私の好きな女性は、山口百恵さん(高校3年生まで)です。今は、もちろん女優の羽田美智子さんです。そして、懐かシネマ野外上映会をはじめて映画館宝来館のオーナーさんと仲良くなった。故東郷まささんから「はとみさん、ヘップバーンの映画は、宝来館で 美空ひばりか? ヘップバーンか?ぐらい 大人気の女優でした。 看板は、ヘップバーンの看板を飾りましょう~」と言われた。社長業というのは、非難されても、間違いない。・・・と判断したら、実行するべきだ。と現在サンスイグループ東郷治久社長から教わっています。バランス良く、バランス良く。#羽田美智子#ロコレディ#オードリー・ヘップバーンカレンダー#ワールド#コルディア
2023.05.16
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道の駅常総が、4月28日(金)にオープンしました。そこに、出店するか?悩んでいました。もう1年半以上前からです。アパレル業界が疲弊している。どうすれば、良いか?誰も、その答えは、知りません。毎日、毎日、眠れない日々が続きます。流れを読む。アパレル業界で、生き残るには、どうするべきか?本業は、アパレルです。イトーヨーカドーさんが、アパレルから、撤退を決めた?下着などを残して、自前の売り場をテナントに貸すようです。お話しは、各方面からご相談を受けます。「ロコレディさん、いかがでしょうか? 我が施設にいかがでしょうか?」と投げかけられます。言葉を選びながら、慎重に慎重に、お答えします。ヒットより、フィットする時代にふさわしい商品構成とおもてなし。それには、営業時間が長すぎる。スタッフ達の家庭環境を考えると、20時閉店、21時閉店は、耐えられない。道の駅の出店も、どういう形式がいいのか?シュミレーションします。冷凍餃子の納品は、道の駅館内で。そして、キッチンカーが良いかと2年近く検討した。事業再構築第一次ものづくり補助金の2つの案件に採択された。商売は、継続だ。…創業者 故羽富 正三より。昭和22年ごろから、行商に出かけた。昭和26年に、創業して「扇屋洋品店」をオープンした。その後に、「たからストアー」をオープンして、スーパーを経営した。そして、そのスーパーを止めて、専門店(婦人服)に特化した。その都度、その都度、時代に合った道を進んできた。そして、令和の時代になって美と健康と食の文化を育むロコレディに生まれ変わった。まだ、まだ、変態する時代は、続くと考えている。
2023.05.16
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コロナから、数多くの気づきを頂く。お客様との絆づくり。アパレルから、食品業界とのコラボ。シナジー(相乗)効果を考えます。
2023.05.13
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おはようございます♪「おじさんボクのこと覚えている?今日はママにお願いしてわざわざ道の駅常総まで来ました。」と。するとママさんが「うちの子どもがコロッケを食べたい。」ーと。「コンビニ店のコロッケではダメなの?」すると,「ボクはあのおじさんやキッチンカーの中にいるお兄ちゃんからのコロッケが食べたいんだ!」もう嬉しくて嬉しくて握手🤝をしました。別れる際にはいつものフレーズ「お風呂に入れよシャンプーしろよママの言うことをよく聞けよ。」ーと言うと,「おじさんに会えて良かった。おじさんもお風呂に入れよー。」と言われました。涙😢が出そうになりました。「キッチンカーのお兄ちゃんたちも頑張ってネ!」ーと。有難うございます♪有難うございます♪子どもさん達に喜ばれるキッチンカー販売でありたい。ーと考えています。今度はいつ常総市役所に?阿見町荒川本郷店には?守谷市松ヶ丘アクロスモールに?石岡市東大橋にはいつ戻ってくるの?もうこのようなお言葉をたくさんいただいています。今日土曜日は千姫祭り前日祭明日日曜日は千姫祭りです。チームワークです。そしてご先祖様のお陰です。地域の皆様に支えられています。子どもさん達の家族さんからも,街を元気にして下さい。うちの子どもをコロッケさんの事務所さんに!お笑い芸人になりたい子どもさんを私は応援したいです。子どもは街の宝物です。子ども達からパワーを頂きます。今日も働くでぇ!
2023.05.11
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忙しいゴールデンウィークでした。本業は、アパレル事業です。このままのやり方では、いけない。スタッフたちには、基本的には、指示はしないような環境をこの2年間継続しています。自分たちで、考える。全ての案件は、自分たちで考える。考えることが、仕事である。・・・という方針にしました。新しいビジネスに、挑戦。そして、アパレル店舗においても、ドンドン現場に委譲する仕組みをこの2年間で、構築してきました。「指示をすると、受け身になることに気づきました。 この2年間は、指示ゼロを目指して会社経営をしています。」古い仕組みは、賞味期限が切れている。だったら、やる気のあるスタッフを育てる。マンネリを打破するのは、自分たちで考える仕組み。現場の意見を聴く前に、「自分たちで、考えること。」これを意識的に、行ってきました。お店巡回しても、お店のスタッフには、指示はしません。「自分たちで考えて、お客様は、どう思うか?」これだけを言って、お店を後にします。今までの私は、指示することで会社は、良くなると考えてきました。息子も、娘も、取締役となりました。後継者を育てるには、私は、指示ゼロ方針が、得策だと考えました。キcツチンカー事業や、冷凍生餃子の件も、指示ゼロです。「2人の取締役に言うのは、 お客様は、どう思うか?」これだけです。失礼ながらも、お客様のことを家族の一員として考えています。作としあき
2023.05.10
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私は、昭和57年4月~昭和62年8月までアパレルメーカー勤務でした。地方の百貨店担当でした。仙台藤崎百貨店担当で、ある日の出来事です。毎週土曜日、日曜日は、婦人服売り場に、立っていました。「キャベツの値段が、東京と仙台では、異なるのに、 どうして、洋服は、全国統一価格なのか?」という不思議な気持ちを持っようになりました。ある親娘(おやこ)さんが、就職する時の洋服を探していた時に「洋服は、高い。全国統一の価格に、不信感を持っている。」と言われました。当時、東京スタイルのブラウスは、9,900円~15,000円位だった思います。そして、ご縁があって、見ず知らない茨城県水海道市にあるロコレディに転職しました。そして、店長職(バイヤー職)になりました。当時 袖丈が、7分丈、6分丈のブラウスがありませんでした。お直し屋さんに依頼して長袖を6部、7部に切って頂きました。150枚ぐらい?仕入れをしました。すべて、完売しました。オリジナル商品になったのです。もちろん、当時の社長故羽富 正三にも、相談して進めていきました。アパレルメーカーの営業には、全く言いませんでした。色々なことを顧客様と相談しながら、アレンジして、アレンジして、ご意見を伺っていました。販売してみると仲のいい顧客様は喜んで買ってくださりました。価格も、少し高めでもお客さまとの人間関係が出来ていれば、売れることを学びました。高いから、売れない。ではなく、その世界観を見せることだと思います。キッチンカーのコロッケも同じだと思います。スーパーでのコロッケは、安い。まけろ!・・・と言われることもあります。どうして、この価格なのか?それを丁寧にご説明申し上げる。スタッフ全員が気づかないうちに「価格の壁にとらわれていたこと」「価格の壁を勝手に設定している。」「自分の財布感覚(金銭感覚)をお客様に押し付けてしまう。」お客様は「価値を感じて、その価値に適した価格であれば喜んで買ってくれる」ということに気づきました。価値に見合った価格を自信をもって販売する。気づかないうちにとらわれていた価格の壁が、自分成長を止めていることに気づきました。
2023.04.24
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4月28日に、圏央道「常総インター」付近 道の駅常総がオープンします。29日に、駐車場付近で2台のキッチンカーで、デビューします。扇屋餃子は、道の駅の中で販売となります。冷凍生餃子を販売します。常総市をPRする絶好のチャンスです。3.11被害ビル雨漏り被害雷被害鬼怒川水害被害コロナ被害11年間で9回の災難に遭っていますが、こうやって、前向きに仕事ができるのもお客様のお陰です。ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いします。
2023.04.18
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経験が、将来の独立した時のヒントになる? コレ、これ、これなんですよ。サラリーマン時代から、数多くの失敗という体験や、経験。全て行動、実践から学んだ数多くの教訓。アナログさん(ゲストさん)から、こんな素晴らしい参考になるコメントを頂きました。その前にわたしのブログを商業施設の事務局さんや、司会者さん、芸能人さん、コンサルタントさん、税理士さん、国家公務員さん、弁護士さん、スーパーの食品売り場の男性さんや、保険代理店さん、写真屋さんなどなど、様々の人たちが、読んでいるようです。もちろん、アパレル業界の人や、小売店さんの店長さん、オーナーさんが一番多いようです。では、ご紹介しますね。以前、テレビ局のアナウンサーだった女性からです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>「経験」も大事ですね。 アナログさん より >民放ですらニュース番組を担当させてもらえなかった、「やわらかすぎる」人間です(笑)>こんな私でも、今や「日経MJセミナーの進行役」という固め(?)のお仕事を戴けるまでに成長(?)しました(笑)>局アナだった頃に一生懸命指導してくださった上司や先輩方の期待には応えられぬまま局を退社しましたが、>あの時の先輩方のご指導は、知らず知らずのうちに栄養となり、 今ごろになって花を咲かせてくれている・・・そんな気がしています。>スタッフの教育というのは気の長い作業ですが、長い目で見て育てる・・・たくさんの「経験」の中で学んでもらう・・・ ということも必要なのかもしれませんね。以上引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私の会社でも、途中で、家庭の事情を含めて、退職される方もいます。15年以上まえでしょうか~~。退職されても、時々、お店に顔を出してくれる方もいます。「あら~、社長お元気ですか?あの当時は、どうも、ありがとうございました。本当に、本当に、本当に、会長さんをはじめ、店長や、スタッフのみなさんには、お世話になりました。ロコレディさんで、学んだことを今でも、実生活でも、役立っています。特に、心の経営という部分は、人間関係にも、役立っています。」という声を頂くと、嬉しく思います。転職して、わが社のライバルの婦人服責任者(百貨店のコーナー責任者)になった女性もいます。そんな女性が、私たち(会長と私)に声を掛けてくれます。18年ぐらい前でしょうか?ある日、故会長と2人で、各お店を巡回していると、「こんにちわ~、8年ほど前に、お世話になったOOです。会長 覚えていらっしゃいますか?あの時は、いろいろご迷惑をかけて、すみません。店長に逆らって会長に、小言を言われて、頭にきたことも、ありましたが、今は婦人服の仕入れ責任者になりました。あの当時の私は、甘かったです。本当に、本当に、本当に、すみませんでした。」とその女性が、深く頭を下げると、「そうですか~、 あなたのこれからの人生にプラスになれば、それで、OKですよ。立場が、変わって氣がつく。出来れば、もっと早く氣がつけば、・・・焦ることはないよ。 ロコレディの卒業生として、恥ずかしくない成績を出すことが、自分の本当の力である。」と言って、固く握手すると、その女性の目から、涙がこぼれたのでした。あるアパレル会社の社長様から、教わりました。「勝ちに、不思議な 勝ちあり。負けに、不思議な 負けなし。」 ・・・これは、野村監督(元ヤクルトスワローズ)・・・・現在楽天の監督 の言葉だそうです。すべてのことに、要因や、原因があるのですね。 この私は、サラリーマン時代から、独立しようとか?社長になろうとか?・・・とは思っていませんでした。でも、自分が経験したことが、すべて無駄では、なく今では、お金で買えない経験をさせて頂いたと感謝しております。また、そのアパレル社長様が言います。「はとみさん~、苦悩(くのう)には、2つあるんだよ。1.このままでは、ダメだ。・・・という不安 2.新しいことを学ぶ不安、新しいものを 取り入れる不安」 私は、この言葉を聴いて、何故か、今の自分と照らし合わせるように、なりました。では、もう一度「苦悩(くのう)には、2つあるんだよ。1.このままでは、ダメだ。・・・という不安2.新しいことを学ぶ不安、新しいものを取り入れる不安」これを、是非、自分、そうです、あなたの手帳に書き写して、時々観ると、良いかもしれませんね。
2023.04.14
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この制度は、テクニックではありません。平成2年ごろから、悩み始めました。平成6年ごろに、優秀な女性スタッフの退職が、2,3名出てきました。そこで、考えたのが、この制度です。「はとみさん、マネされるよ。あまり公開しない方が良いよ。」と言われました。マネされて、結構です。どうぞ、マネしてください。少しでも、参考になれば、幸いです。平成19年には、茨城県知事から、表彰状を頂きました。従業員の個性に配慮したオーダーメードの雇用契約を自社開発のが、平成6年ごろからです。私が従業員から学んで会社経営に活かしたことの一つが、オーダーメード雇用契約である。(当時は、オーダーメイド型でした。 現在は、オーダー・メイド型です。)ワークライフ・インテグレーション(調和)の考えです。もちろん無制限に自由であるわけではないが、次の3つの働き方を基本型とする。 イ、7.5時間以上勤務で月22日以上の勤務。 ロ、通常は5時間から6時間の勤務だが週に2日だけ繁忙日には7時間勤務。 公休月に10日間 ハ、一日6~7時間で月の出勤日数が10~13日間。 イは、どちらかといえば収入を優先する「キャリア社員コース」。ロは、毎日の朝夕の時間の都合を優先する、時間と収入を足して、 2で割った平均を優先するコース。ハは、配偶者の扶養家族として認められる範囲の収入で 経済生活の保証を優先するコース。 どのコースを選んでもすべて「社員」と(株)ロコレディは呼んでいます。個人の都合で雇用形態は違うが、全てお客様への奉仕の心は、同じです。また会社への姿勢は同じでなければ困るので、私は正社員だから、私はパートだから、といった差別があってはならない。・・・・と考えています。ゆえに、社員が採用時の面談・面接や普段の部下管理において、「パートだから・・・」という言い方をすることを私は厳禁している。それどころか「女だから・・、妻だから・・。」と言って蔑むような言辞があれば合意の基で、場外へと。また本人も「パートだから」「女だから」「妻だから」と逃げることはさせない。「雇用形態は配慮するが、仕事内容に関しては遠慮はしない」のが、ロコレディの社風です。 私がこのような制度を導入したきっかけには、力のある社員が辞めた原因がわからなかったという苦い経験がある。ある元社員と街角で出逢った時に聞いたのは、ほんとうは辞めたくはなかった、姑の眼が気になったから・・という言葉であった。(この女性は、総本家の長男のお嫁さんでした。)その時、私は、「会社の労働規定に雇用者を当てはめるのではなく、ひとり、ひとりの顔が違うように、働ける時間は異なる。だから、雇用者に会社が合わせることにしよう。」と考えたという。 従業員にもいろいろな個人的事情を抱えた人がいる(介護、障がい者、孫の面倒などなど)・・・単純なことだが重要な気づきがありました。育児が終わった女性、育児期だが親が手伝ってくれる(しかしその眼も気になる)跡継ぎの嫁、育児時期で核家族、独身の女性・・・。こういう従業員の確保、定着には「時給よりも働く環境が重要」であると考えました。その環境としては時間がやはり重要で、従業員の都合にあわせてその時間も切り替えてやれば良いのではないか?・・・・・・と考えるようになりました。たとえば子どもさんが、小さい時は、シートタイム社員コース。やがてロングパートに切り替え(パートと呼んでいないことは先に書いた通りであるが)、その後、繁忙日だけの勤務に変わる人もいるし、逆にもとのフルタイム社員コースから、親の介護で6時間勤務は、出勤日数を15日に変更するスタッフも増えてきました。人それぞれなのです。でも、ここで大切なのは、配慮しても、遠慮はしません。 このような制度を導入したところ定着率がさらに向上してきた。 概して配偶者や小さな子どもがいれば日曜日の出勤は嫌がるが、よくよく話してみると月に一日なら日曜日も働ける人がいる。土日祝日は、旦那や、娘がいるので、フルタイムで働けるスタッフもいます。繁忙期だけなら良いという人もいる。日曜出勤がダメという言葉を額面通り受け取って採用しないなかった苦い経験から、気づきを頂きました。また配偶者の働き方も多様化しているから、それにあわせて出勤日を変えたい人もいる。・・そこで(株)ロコレディでは採用時の面談・面接に一時間以上もかける。最低でも、2,3回と相思・相愛になるかどうか?お互いに、話し合いします。個人の事情をよく知るためであります。第一に聞くのは「働く目的」です。 「ヒットした条件よりフィット条件」・・・これがそもそも(株)ロコレディの精神である。世の中で流行っているから売りつけるのではなく顧客にあった物を仕入れて提案する。顧客をよく知っていれば仕入れで失敗する確率は、低くなり、利益率は確保できる。・・・と考えました。それが、現実化してきました。顧客をよく知るためには顧客が定着することが大切であり、またその顧客に長くつきあってくれるスタッフの定着が大切である。・・・・・・と数々の失敗から学びました。スタッフの定着には「働く環境」がフィットしていることが、もっと大切なことです。そして、お互いに相思相愛。相思相愛になる。ならなければ、お互いに、辛い関係になります。結婚と同じと考えました。相思相愛が、基本です。一方的な希望だけでは、相思相愛には、なりません。 さらに(株)ロコレディは働きやすさには家族の応援が 大切であることも、理解しております。入社して、落ちついた時期を見計らって従業員に私は自筆で手「書」を描いて、感謝の言葉を伝えるようにしています。配偶者がいる場合には配偶者にもプレゼントを贈る場合もあります。ケースバイケース。家庭の事情で、退職したスタッフにも、筆をとります。スタッフのお孫さんには、笑顔で、接します。家族が(株)ロコレディに働くことへの味方になってくれます。女性の場合、とかく責任が重くなると嫌う人がいると言われる。やむをえず辞めた社員にも、自筆での手紙を絶やさない。やがてスタッフとして戻ってきてくれるかもしれない。大病して、見事に復帰してくれたスタッフもいます。また今度は元スタッフがお客様になってくれるのです。退職したスタッフが、ご紹介して下さる。またお客様として何度も、何度も、ご来店して下さる。これは、店長をはじめとするスタッフ達のフォローがあるからこそ、出来ることです。感謝の気持ちでいっぱいです。配慮しても、遠慮はしない。仕事に対する甘えは許さない。言い訳は、しない環境を育てる。働きやすい環境を整えるが、自己研鑚しないスタッフは、場外に自然とその方向へ、行きます。ロコレディの離職率は、低いです。でも、でも、介護で、退職される方が、多くなってきています。また、孫の面倒や、旦那様の病気看護で退職される方がいます。業界の中では、離職率は、ダントツにロコレディでは、低いです。月の残業時間も、一人当たり3時間未満です。相思相愛。相思相愛。会社とスタッフが、夫婦のような関係になるのが、どうやら、ロコレディ流のようです。
2023.04.13
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わが社の方針として、ワークライフ・インテグレーション(調査)が、根付いています。ワークライフ・バランスは、ロコレディでは、馴染まない。・・・と考えています。インテグレーション(調査)です。具体的に言うと、プレイべートの部分で、子どもさんのPTA役員会長さんになるスタッフに「学校行事に、参画して 街や、子どものことをフォローする。まさしくロコレディの方針に合う。」よって、表彰状を出して、福利厚生として、寸志を出すようにしています。仕事で、失敗したことや家族の出来事から、気づきなどがあれば、エントリー制度を設けています。その時代、その時代に合う「オーダー・メイド型雇用人事制度」を導入しています。ある50歳代半ばの元スタッフ女性より。「社長、親の介護で退職してしまった。 あの時、社長から人材登録制度を提案してもらったが、断ってしまった。 ロコレディさんを退職して、2回 職を変えた。 辞めなった方が良かったです。」と言われました。「そうか~、そうか~。 また、お母さまの介護の件が、落ち着いたら、また打ち合わせしましょう。」と言うと涙ぐんで、涙ぐんで、「ありがとうございます。 親が、認知症で 施設からも、呼び出しを受けます。 転職先では、それが受け入れされず、約束通りの勤務時間、出勤日数で 働いていましたが、2回ともうまくいかず、今は、無職です。 でも、親の介護が優先なので、そちらを優先しています。」と言われました。2人で、お茶を飲みながら、30分ぐらいお話しをしました。ワークライフ・バランスからワークライフ・インテグレーションの時代へ。ワークアズライフの時代でもあります。
2023.04.07
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私は、今年64歳を迎えます。子供の頃から、落ち着きが無く、学校の成績も、決してよくありませんでした。大学を卒業してサラリーマン生活をしていました。大企業でした。東証一部上場会社に勤めていました。もう、休みは、ほとんどない会社でした。平気で、部下のことを殴るような会社でした。今は、アウトですね。体育会系の会社でした。年齢は、関係なく入社時点の先輩・後輩になります。高卒であっても、入社が先なら先輩扱いとなります。でも、そういう環境だったから、今の私がいます。猛烈社員として、働いていました。詳しくは、黒木亮氏「アパレル興亡」をお読みください。堀川利幸の名前で、投影されています。小売業に転職して本当に良かった。でも、数々の災難は、当時は辛かった。それをチャンスと考えるクセが、自然と身に着いてきた。受験勉強や、就職試験に失敗の経験が、肥やしになっていた。本当に、本当に、辛かった。特に、鬼怒川水害被害時は、きつかった。もう、ダメだ。もう、ダメだ。頭の中が、クラクラ状態でした。でも、でも、商売を通じて、社会貢献する。亡くなった創業者や、実父のことをいつも、いつも、考えて行動してきた。そして、一番大きな出来事は上皇両陛下様から、お言葉を頂いた力が大きいです。本当に、本当に、御丁寧なお言葉を頂きました。これからも、商売を笑倍(しょうばい)と考えていきます。ありがとうございます。ありがとうございます。#黒木亮#アパレル興亡#水害被害#ロコレディ
2023.04.06
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おはようございます。私は、子どもの頃から早起きでした。早起きは三文の徳。ーと父親から教わりました。男3人兄弟の次男坊です。晩御飯はいつも,食べ物の取り合いでした。私は、子供のころから、慌てるクセがありました。落ち着きのない子だね~。・・・・と近所のおばさんたちにも、言われていました。でも、人間誰でも、欠点がある。声が大き過ぎる。その欠点を笑いに変えて、人間掌握術のヒントにしようと、考えたのが、大学生時代の新聞配達のアルバイトです。(新聞奨学生)。貧乏学生でした。本当に、貧しかった。奨学金だけでは、生活できません。収入を増やすために、営業活動をしていました。新規客獲得のため新聞拡張の営業です。当時は、読売、毎日新聞が、ライバルでした。私は、朝日、東京、サンケイ、日経新聞を配っていました。1968年ごろ(昭和53年)の夏? 秋ごろ、学生の中で、拡張NO1に選ばれました。コツが見えたのです。それは、相手が、今何を欲しがっているのか?・・・・これを把握することだと。起床は、毎朝3時30分でした。夜8じごろ~9時ごろには、床に入っていました。そんな生活をしていました。学校には、ほぼ毎日通っていました。あるお宅に新聞拡張に出向きました。「オレは、自宅を朝5時には、出る。新聞の銘柄は、気にしない。朝4時半まで、投函できるか?」という質問を受けました。そのお客様の家への配達時間は、それまでは、通常6時ごろでした。ライバルの読売新聞も、毎日新聞も、ほぼ同じ時間でした。私は、その方が、朝日新聞を読んだことのない方で、サンケイ新聞、東京新聞を見たこともない。・・・・・・・という情報を武器に、新しい角度で、新聞を読まれたら、どうですか???・・・・という提案をしました。見事に、成功。サンケイ新聞の内容の面白さを薦めました。朝は、4時半に配達を続けました。投函する時は、「おはようございます。朝刊です~」と玄関の前で、声をかけて、配達をしました。しかも隣り近所の家迄聞こえる声で。大き過ぎる声を活かそうと考えました。すると、近所の家からも新聞を配達して欲しい。ーと言われました。そして、昭和54年 最終日3月31日付けで、退職する時、そのご主人様が、玄関前で、立っているのです。「おはようさん~、 学生さん。よく、オレの為に、朝刊をいつも、いつも4時半に届けてくれた。ありがとうね~。餞別だ。 」と封筒に3,000円入っていました。新聞代金が、2,000円ぐらいの時代の3,000円です。最初は、ご丁寧にお断りしました。でも、あまりにも熱心に勧められたのです。「ありがとうございます。」・・・・と言いました。人間関係のまったくない街に住んで、信用を得る。ただひたすらに、ただひたすらに、毎朝、新聞を読みたい人の為に。
2023.04.05
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茨城県にきたのは、必然???でしょうか>故会長(羽富正三)の当時のことばより いろいろなことがあって、苦労もやまほどして、ここまで育てた会社です。あの戦争から、かえってきて始めた行商から出発して、 昭和26年7月に旅館の一画の倉庫のような場所に、初めての店をかまえて、創業しました。名前は、扇屋旅館さんから、頂き「扇屋洋品店」と名付けました。昭和35年4月に宝ストアーを7人の株主を募ってオープンさせました。初年度から、赤字。スーパーマケットにまで手を広げて赤字。当時の金額で、1,000万円の赤字。 縮小などいう失敗も味わいました。 そんな長い長い試行錯誤をへて、やっとたどり着いた、 この婦人服販売という事業です。だから私は、わたしの代でこの会社を終わってしまうのを、どうしても善しとすることはできませんでした。そもそも、昭和62年10月にある大手ファッションアパレル・メーカーから 彼を引き抜いたのは、 後継者を育てたいという思いがあったからです。 当時28歳。社長の私をはじめ他の役員側から見れば、 あの頃の彼は、子供のように若く感じられたもので その当時の経営陣はほとんどが 50歳~60歳という組織だったのだから、当然かもしれません。私たちの世代には、もう終りがちかづいている。その危機感が、彼にかけてみようと私達の心を決めさせたのです。 それは、このままでは経営陣の老齢化にともなって衰退していくことは、 目に見えていました。 ならばいっそ、彼の思うままにやらせてみることからはじめよう。 彼にとっては大きな重圧だったのでしょうが、私達も出来る限りのお膳立てを整えて、助けてきたつもりです。そして彼が入社して3ヶ月。驚いたことに売上げは、 対前年比の1.5倍を記録していました。彼がしたこと事は、社員のためのマニュアルを整備するという、 今思えば、当たり前のことでした。 お客様の挨拶の仕方、電話の取り方、そんな目にみえるところから、地味に改善をおこなったのです。 私達には、少なからぬショックでした。 そんな基本的なところに改善の余地を残したまま、これまでやってきていたとは。また、若い世代に仕事をまかせることが、これほどが、 これほどの結果を実らせるとは。 ところが、1年が、ふたたび業績の伸びは止まることになります。あの当時ほど、彼があせっていた時期かもしれません。それは、大手のメーカーから移ってきたプライド。自分にかかる期待の大きさ。なにが何でも売上げを伸ばさなければならない。 ・・・と彼が思ったのも無理はありません。しかしもちろん、私達、経営者は、彼を責めるつもりは、少しもありませんでした。あの頃の彼(としあき)にこんなことを言ったのを覚えています。 「きみは今までのノウハウをすべて出し尽くして くれている。なら、それでいいじゃないか。出し尽くしてゼロになったら、そこからまた、一緒にはじめようじゃないか」その当時の彼(としあき)が言います。「この会社のために、やってみようと、 あの時本当にそう思った」と私の娘との結婚が決まった日の不思議な気持ちは、やはり忘れません。私の娘は、京子。 この私が、あせってムコの選び方を間違いました。あせることが、娘の人生を狂わしてしまいました。 実は、娘は、わたしの長男(本家)の娘でした。そうです、わたし達夫婦には、実の子には、恵まれなかったのです。名前は、京子。幼い時に、本家より、養女として、迎えました。無理やり結婚そして、離婚。 申し訳ないことをしたと反省していました。どこへ、行くにしても「いい婿さんは、いないですか?」と聞き歩いていました。 実は、今だから、言えますが、一目見て「この男だ。」と確信しました。 彼が、入社するまで、約1年半かかりました。 昭和60年秋から、昭和62年春ごろまで。 面接、面談は、20回以上行いました。そして、縁があり、入社しました。そして、娘に会わせました。後継者がいないこのわたしに、こんなかたちでムスコができるとは。妻とその晩は、大泣きしたのを今でも覚えています。都史彰(としあき)は、名古屋生まれ。わたしも70歳を過ぎ、 他の経営者も相次いで引退していくでしょう。 このせがれには、まだ一緒に仕事をする(悩んだり、喜んだりする)相棒がいないのです。 同族会社にこだわる気持ちは、まったくないようです。これまでのような経営手法は、わたしとともに姿を消すでしょう。終戦直後から、リヤカーを引きながら、グイグイひっぱってきたやり方から、従業員の立場から考える婿のせがれと一緒になって次の世代をつくるあなたを採用すること。 ・・・これが。私の最後の、最後のおおきな、おおきな仕事です。ありがとうございました。ロコレディ 故会長 羽富正三 平成7年の会長のことばを私が、文章にしました。しかしながら、平成18年から22年夏までまだらボケが、始まり苦痛の4年間でした。辛かった。辛かった。離婚しろ。どんどん仕入れを増やして、モノを沢山お店に入れろ!カラーで、チラシを作成して折込みチラシを40,000枚入れろ!ーと頭の中は、昭和30年から40年の手法を押し付けてきました。何度も,何度も色々な人に相談しました。悩みました。でも、でも平成23年2月7日に亡くなる前に、としあき、後は頼むぞ!ーと涙ぐんで、手を握り合いました。2月11日に.天国へ。色々ありましたが、創業者故羽富 正三に感謝しております。婿養子になって、本当に良かった。ありがとうこざいます。ありがとうこざいます。合掌ロコレディ婿養子羽富 都史彰#婿養子#ロコレディ#羽富 都史彰#羽富 正三#アパレル
2023.04.03
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昭和62年10月5日に水海道市(当時)宝町株式会社ロコレディに一般職として、小売業に転職しました。茨城県には、親戚はいません。入社初日を迎えていきなりみつかいどうプラザのロコレディ店に配属されました。全く、私が想像していた雰囲気の会社と、異なっていました。東京スタイルで学んだことや、営業職のイメージが、全く違うのです。ある意味、ショックでした。ただ、家族的な会社であると、すぐ感じ取りました。全てが、マニュアル化されていない。電話の取り方も、全く基本がなっていない。もう、頭がいたくなってきました。でも、すぐに発想を変えてマニュアル作りから始めました。電話の取り方や、挨拶の基本からです。アパレルメーカーと小売業の違いにとまどいながら仕事をしていきました。休みなんか、いらない。とにかく、仕事を覚えることに集中しようと決心しました。嘘をついて、東京スタイルを退職しました。名古屋に帰るということで、退職を認めてもらった。昭和62年12月28日?とうとう、東京スタイルの元上司にばれてしまいました。その上司からの電話でした。お店にかかってきました。「怒っていないよ。元気か? 一生懸命に働けよ」と言われて、電話口で大泣きして謝りました。すぐに、羽富 正三社長様に報告してました。すると「人生は、乗り越えようとすると、 一時期、ウソをつくことがある。 この私も、そうだ。 君は、今、新たな道に行こうとしている。 その壁を超えることが出来る君だ。 期待しているよ。」と言われて、また涙を流しました。 もう、がむしゃらに、がむしゃらに、働こうとと決意しました。1つ、1つのことを丁寧に、丁寧に解決していこうと心に決めました。ある日、歯が痛くなってきました。親知らずの歯が、私をいじめます。実は、それが、きっかけで結婚する方向へと流れていきました。次回に、続く。
2023.03.28
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大学3年生時に、父親をガンで亡くしました。確か、一日2,300円がかかる。アパート代金、食事代、交通費それを考えると、当時500円、550円の時給でしたので、5時間以上、働けるバイトを探していました。昼飯付き、お風呂(シャワー)付きのバイトを探していました。時給より、長い時間働けるバイト先を考えていました。1年生は、新聞配達(住込み、食事付き・・・朝、晩)2年生から、3つのバイトをやっていました。そして、大学4年生になると、就職活動が始まりました。新聞記者に?商社に勤める?アパレル業界????????全く、全く、アパレル業界には、興味が無かったです。就職課の担当者に「としあき君、アパレル業界に行けよ。 おまえみたいに、スグ行動するタイプは、アパレル向きだ。」と言われました。三陽商会は、名古屋支店もあり。そして、夏休みに、支店長面談。内々で、OKという返事を頂きました。10月1日に東京市ヶ谷の三陽商会本社に訪問しました。運命のいたずらがあり、結果的には第2希望の東京スタイルに入社することになりました。昭和57年4月1日に、東京スタイルに入社しました。物凄い厳しい会社でした。高円寺寮で、2人同部屋で1年間2人部屋。そして、退職するまで高円寺寮で、お世話になりました。休みは、ほとんど無し。でも、苦痛ではなかった。3年間勤めたら、転職しよう~。・・・・・と考えていました。昭和60年の夏だと記憶しています。夏休み5日間をもらって、名古屋に帰省すると父親のいとこのおじさんに相談しました。「東京スタイルに居ろ。もう2年一生懸命働け。」と言われました。同期の営業マンが、ドンドン退職していきます。スーパー、病院の事務局などなどお声が、かかるようになりました。すると、昭和60年の秋ごろに、常総市(以前は、水海道市)に本社があるロコレディさんの社長様(羽富 正三氏)より転職しないか?ーとお声をかけて、頂きました。1年半で、約20回創業者羽富 正三氏と会いました。次回へ続きます。
2023.03.24
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高校受験、大学受験、就職試験すべて、第一希望では、滑り止めや、第二希望の会社に行くことなりました。私の人生は、全て、そこから始まります。でも、今振り返ると、それが、良かった。新聞奨学生として、毎日3時30分起床、朝刊を配り終えると、着替えて、大学に通っていました。夕刊も配達していました。集金業務もしていました。新規開拓も、行っていました。月別、学生チャンピオンになって、優秀賞も頂きました。真剣にやっていると、面白くなってきました。新聞配達先の所長から「もう1年、新聞配達しないか?」と言われました。父親からも「としあき、もう1年やらないか?」と言われましたが、「自分の目標があります。 学生である以上、勉強が必用です。その勉強になるバイト先を自分で 探します。」と言いました。3月31日昭和54年の3月31日に配達を終えると、配達先のお客様や、家族の皆さんから「ご苦労様。餞別だ。お金を受け取ってくれ。」と言われました。もう、涙です。涙、涙、涙です。「しっかり、勉強しろよ・」と数多くの方々に言われました。長岡さん、山下のおばちゃん、錦織さんの家族さん、床屋のおやじさん。もう、今でも、その光景は、覚えています。そして、父親が、ガンで、余命3年と言われていたので大学の奨学金試験を受けました。もちろん、不合格。不合格です。でも、受かったのです。成績は、わるかったけど、一番熱心な学生だ。・・・と言われて、学生課の職員さんから「補欠合格だ。奨学金を3年間出します。」と言われたのです。一番の前の席で、一番多く質問をしました。一番早く、会場に出向き、最後の最後まで、説明会場にいました。しかも、無返済奨学金に補欠合格でした。そして、一番長くバイトが出来る仕事を選び、食事付き、お風呂付きのバイトを探しました。デパートの清掃業務と都議会議員の事務所のバイト先で、しかも、テニスコートを経営していたので、その事務所の清掃をバイト先に選びました。3つのバイトを兼務して働いていました。誰よりも先に、仕事先に出向き、ひたすらに、ひたすらに働きました。そして、大学には、しっかりと出向いていました。ゼミは、荒木昭次郎先生の「地方行政ゼミ」に入りました。今、市役所との連携をしている基礎を学びました。そして、就職先を考えることになりました。昭和56年8月の夏休みには、会社訪問が始まりました。では、次回へ続きます。
2023.03.23
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題名「不合格、不合格、不合格から学ぶ私の人生」桜満開の時季になると、亡くなった母親の手を固く握て「小学校の門を潜ったことを想い出します。」その反面、高校受験に不合格、大学受験にも不合格、就職試験も、不合格。そして、恋愛では、4回も失恋。もう、頭がクラクラするぐらい私の人生は、不合格、失敗の連続でした。でも、この経験が、今に生きています。剣道家であった父親からは、「としあき、人生全て経験だ。失敗は、将来の力だ。」とよく言われました。今では、この失敗に感謝しています。3.11、鬼怒川水害被害など11年間で、9回の災難に遭いました。でも、こうやって生きている。生活出来ています。それは、大事な、大事なお客様に支えられているからこそ、耐えられました。ありがとうございます。地元出身(常総市)の女優羽田美智子さんからは、私の手を握ってくれて、「羽富さん、ピンチは、チャンスだよ。ガンバレ(顔晴れ)」と災害時に、親切なお言葉を頂きました。涙、涙、涙でした。受験シーズンが終わり、まもなく春満開。そして、桜が散っても、また来年綺麗な桜が咲きます。
2023.03.17
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運命のいたずらか?三陽商会名古屋支店長の面接を終えて、内々定を頂き、市ヶ谷の三陽商会に出向いたが、結果的には、電報が届かず、不合格。東証一部上場東京スタイル自己資本比率75%のアパレル大手に合格しました。アパレル興亡(黒木亮著作)のモデル会社として、社名を変更して、物語りになっています。私の名前も、名前を変えて、登場してきます。物凄い会社でした。とにかく、とにかく、働け、働けという社風でした。昭和60年つくば万博時に、創業者羽富 正三と出会いました。もちろん、茨城県には、親戚は、誰もいない。そこからのスタートでした。ゼロから、人脈を広げていきました。ロコレディに転職したのが、昭和62年10月5日です。がむしゃらに、がんしゃらに働いて、働いて、働きました。平成元年5月に、妻と結婚をしました。養子縁組をして、この茨城県に骨を埋めることになりました。結婚が決定すると、父親方からの親戚から、猛反対がありました。「養子に行く。とんでもない。」という反対が出てきました。父方の親戚からは、結婚式にだれも出席しませんでした。母方の親戚だけが、結婚式参列してくれました。次回へ続きます。
2023.02.17
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高校3年生時です。担任の先生と父親と私の3人での進路相談会でした。佐藤先生から、「オイ、トシ坊~。愛知学院大学の推薦と駒沢大学仏教学部の推薦が出来るぞ。どうだ~、高校の先生をやらないか? できれば、駒沢大学へ行け~。 推薦入学できるぞ~」と言われました。ビックリしました。学校の先生なんて、考えたこともありませんでした。父親と帰りの車の中で、「としあき、東京へ行くなら、授業料は、出してやるが、生活費は、自分で稼げ。 毎月、仕送りは、2万円まで送るぞ。」と言われました。奨学金試験をいくつか受けていました。リクルート、コカコーラ、東京中日新聞の奨学金試験を受けようと考えていました。全て、一次は、レポート作成。全て、一次試験は、受かったのです。レポートを書く体験は、はじめて出した。2次試験は、新聞配達勤労奨学金試験だけが、受かりました。そして、大学受験のホテル宿泊も新聞社持ち、受験前日に、高熱が出て新聞社指定の病院で、治療して頂きました。もう、頭がガンガン痛む。何とか、何とか、試験を終えて名古屋へ戻りました。そして、大学は、最終的に東海大学政治経済学部政治学科地方行政過程募集は、30人に受かりました。そして、川崎市多摩区南武線の稲田堤駅付近の新聞販売所に配属が決まったのです。毎朝3時30分起床。夕刊も、集金も、販売拡張営業活動を大学に通いながら、仕事をしていました。給料は、毎月42,000円部屋代は、無料。朝晩は、販売所で食事付きでした。6畳一間。トイレは、協働。風呂無しの新聞配達所の寮アパートに入りました。次回へと続きます。
2023.02.07
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「美味しいコロッケ ありがとう。」キッチンカーは、もはや令和時代の駄菓子屋」「屋台のおでん」「紙芝居屋」なのでしょうか?コロッケのころっ家を始めてから、様々な場所で、様々な方々に声をかけられるシーンが増えました。ある寒い日に、コロッケのキッチン販売を行っていました。夕方時です。ある主婦(推定70歳代半ば?)が「ねぇ~、あなた降りてきてくれる~???」とキッチンカーいるスタッフに声をかけてきました。私も、近くに居たので、「クレームなのかなぁ~」と思い、近くまで。するともうびっくりなことがあったのです。「美味しいコロッケを提供してくれて、ありがとう。また、おもてなしが素晴らしいです。感動しました。私は16年前に、主人を亡くしましたが、主人用に買った「温かいひざ掛けと温かな座右布団をどこにしまったのか?しばらく見つからなくなった。でも、つい先日押し入れから、出てきたのよ。少し古いけど、新品同様です。寒い中の仕事ですから、どうぞ、使って下さい。もし迷惑なら、断ってくださっても、良いですヨ」と言われました。涙を流しながら、何度も、何度も、お礼を述べるスタッフと私。ご主人様の想い出も、たくさん聞かせて頂きました。「息子も、孫ももう大きくなりました。まるで、息子のようなあなたです。引き続き、美味しいコロッケを地域の皆さんにご案内してくだい」と言って、帰宅されました。心の豊かさの時代、心の温もりの時代をつくづく感じる一日でした。まだまだ寒い日が続きます。お身体ご自愛くださいませ。失礼ながらも、お客様のことを家族一員として考えています。
2023.02.02
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高校受験に失敗をしました。県立高校に不合格。そして、私立高校へ。その学校の剣道部の顧問が父親。兄貴と同じ高校へ、進みました。650人の学生になかで、成績は、480番目ぐらいでした。全く、勉強は、しませんでした。ハンドボール部から、スカウトに来ましたが入部しませんでした。剣道部からも、もちろんありましたが逃げていました。高校2年時に変化が起こります。「トシ坊~、英語の成績が良いから、少し勉強しろよ。」と。そして、物理の越智先生(サゥカー部)から「応援団を作る。オマエは、声が大きい。団長なら、物理のテスト+20点。 団員なら,+10点。」と言われました。今の時代は、アウトですね。赤点ばかりの私でした。ただし、私は左利きなので、 一般応援席での応援フォロー役ということで2年生時に、1年間だけ入部しました。ゴルフ部にも、2年間いました。そして、3年生になりました。この先は、次回へ続きます。
2023.01.23
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2023.01.22
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私は、中学エイになると、野球部に入部しました。体育の時間で、剣道の時間がありました。中学2年の時です。忘れもしません、剣道部の小林君に勝ってしまったのです。確か、抑え小手だったと記憶しています。「おい、トシ坊~。剣道部に入れ」と兄貴の同級生から言われました。もう、剣道は、嫌いでした。でも、父親が中学校の剣道部の顧問になっていました。「父親から、剣道をするように言われたことも、ありましたが、無理やりすすめられた記憶はなかったです。」野球部を3年間入部。そして、高校受験となりました。
2023.01.22
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私は、生まれは、名古屋市です。昭和34年10月生まれです。剣道家の次男坊として生まれました。小学1年生時には、杉本先生でした。2年生まで杉本先生でした。剣道部の監督でもあった。あまり、好きではなかったが、今でも、年賀状のやり取りが続いています。厳しい先生でした。「トシ坊~、おまえは将来 何になりたいか?」「将来は、???????」「トシ坊、夢を持て~」と言われました。剣道は、あまり好きではなかった。小学5年生で、野球部に入りました。左利きの私は、フォースと守るようになりました。「左利きは、私だけ。」身内にも、親戚にもいませんでした。学校の成績は、たしか~42人中で、真ん中だと記憶しています。大好きなのは、給食の時間でした。
2023.01.21
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短所が長所の時代になってきた。私は、自分の短所がたくさんあります。もう、10年、いや15年以上前から自分自身の短所を活かすことを、意識しています。「長所を伸ばす」もちろん、長所を伸ばすべきだと思います。自分自身の短所は、落ち着きがない。おっちょこちょいである。これを逆点すると「すぐ、行動する。」「世話好き」「オレが、やらねば誰がやる。」とプラスに考えるようになりました。そして、アウトプット手法経営を意識するようになりました。アウト・プット(すなわち、口にだす。有言実行)情報を吐き出すことを意識するようにしました。すると、ドンドン情報が入ってくるようになったのです。まとめ、マイナスをプラスに考える。逆転の発想する。ピンチはチャンスである。成功(成幸)の反対は、失敗ではない。成功(成幸)の反対は、行動しないこと。無視すること。自分自身の短所を好きになる。
2023.01.12
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試行錯誤しながら、会社経営を継続して来ました。11年間で、9回の災難。その都度、その都度もう、ダメだ。・・・・・と思っていました。上皇両陛下様から、「ボランティア活動ありがとうございます。」その声が、支えとなっています。2021 年4月22日より石岡店脇ブースで生餃子の販売を行ってきました。 お客様からは「ズバリ美味い。子供たちからもリクエストがあって、初日に続いて3日目にも購入しました」「餃子の列には、じぃさんと孫が並んだ。ばぁさんとママは、洋服を購入した。家族で、愉しく、買い物が出来た」といった嬉しい声をいただきました。ありがとうございます。約3か月間営業で、客単価は、約1,500円レジ客数は、約4,000人ユーザー・マーケット 地域住民(常総市、守谷市、石岡市、阿見町および近隣)のうち、特にこれまでブティックと縁が薄かった若年層や男性のお客様には、餃子・お茶を買っていただくことをきっかけに、競合店にない品質と親身な接客で、繰り返し購買をいただき、当社とのご縁を深める中で、洋服や美容サービスなど、ニーズに合った商品・サービスを提案し、上得意客になっていただくことを目指します。 また、これまでの当社の顧客である女性シニア層には、家族ぐるみでの買い物の愉しさを提供することによって満足度を高めるだけでなく、これまで顧客名簿に集約してきた情報を活用して、進学や成人式など、子女のライフステージに合った提案を行い、二世代、三世代に及ぶ息の長い取引につなげます。これまで婦人服ブティックには足が向かなかった若年層や男性の来客につながり、また既存顧客は家族でお店を訪れて買い物を愉しむことができますので、小売店舗の性能である、新規顧客を引き付ける集客力と、既存顧客との絆を、ともに大きく高めるものです。 また、今回販売する生餃子はもちもちパリパリした食感が一歩優れているにもかかわらず、価格面でも優位性を発揮しています。しかしながら、2023年3月以降は、原材料の値上げで、価格を見直すこと予定です。 ②地域経済への波及効果 今回改装する水海道本店は、水海道駅(関東鉄道常総線)から徒歩3分程度に位置する、駅前通り商店街の中にあります。改装後の餃子・お茶販売店は創業当時の屋号「扇屋」を名乗り、地域のランドマークとして集客を図り、付加価値を高めます。 こうして商店街内外の他の事業者への経済的波及効果を及ぼすことにより、水海道駅前通り商店街の活性化と雇用の創出、地域の経済成長を牽引する事業になることを目指します。強みを活用し、既存事業とのシナジー効果が期待される取り組みか 婦人服ブティックと食料品販売とでは、マーケティング上、それぞれ以下のような特徴があります。 強みと弱みを知る。婦人服ブティック 顧客名簿が整備されており、固定客との絆を形成しやすい 口コミの誘発が困難食料品販売 SNS等を通じた口コミが早い 顧客名簿を作りにくく、固定客との絆の形成が難しい。当社が販売する餃子とお茶の評判が口コミで広がり、口コミをきっかけに来店したお客様が、当社従業員との馴染みを深め、ブティックの商品の購入を重ねて上得意客になっていただくことができれば、婦人服ブティックと食料品販売との好循環を通じ、新たな顧客層が形成されると考えています。このようにして、本補助事業は食料品販売ならではの強みを活かし、既存事業である婦人服ブティックとの高いシナジー効果を目指すものです。 地域のイノベーションに貢献しうるか餃子・お茶の販売をきっかけに、婦人服ブティックを地域の交流拠点として開放し、地域社会のつながりとにぎわい創出に貢献しようとするものです。こうした「ブティックを地域の居場所にする」取り組みは、全国的に見ても事例が少なく、ブティックが持つお客様とのネットワークが基盤となる点や、ベテラン従業員による、お客様に寄り添ったコミュニケーションが可能な点などで、他の地域活性化の取り組み(コミュニティカフェ等)と比べても優位性を有します。今後地域活性化に向けた新しいビジネスモデルとして、地域のイノベーションのモデルとなりうると考えます。ニッチ分野における差別化により、トップの地位を築く潜在性を有するか関係性マーケティングやCSVマーケティング等の当社の強みを生かし、食品販売とブティック経営の相乗効果を図る点で、当社に合った適切なマーケティングによって、地域市場におけるブティックというニッチ分野で、競合他社との差別化を図るものであり、近隣でトップの地位を狙える潜在性を有するものです。3年後からは、餃子の皮と餡を内製できる強みを生かし、地域の食材を生かしたオリジナル餃子(納豆餃子・ズッキーニ餃子、レンコン餃子等)独自商品の開発と販売に取り組みます。新規顧客向け商品の充実餃子とお茶をきっかけに当社とつながりのできた新規顧客向けに、スリーマイルウェア、小物類、スーツのイージーオーダーなど、ニーズに合った商品を取りそろえ、食品販売とのシナジー効果発揮を目指します。美容サービスへの進出2027年には、新規顧客のニーズに合わせ、自社ビル内の空きスペースを生かして、近隣の専門業者との連携により、シニア向け脱毛や温熱療法などの美容サービス進出を目指します。(事業承継に向けた土壌づくり)後継者候補に任せて、それぞれ責任者にすることを見据え、重要な役割を任せ、さらなる成長を促すことで、将来のスムーズな事業承継に向けた土壌づくりを図ります。ありがとうございます。
2023.01.10
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