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5月21日に集英社文庫本アパレル興亡上下の2冊が発売される。
2024.05.21
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私は、昭和57年4月~昭和62年8月末まで、東証一部上場「東京スタイル」で、お世話になりました、とても、厳しい会社でした。平気で、ビンタで殴る。そんな会社でした。今は、アウトですね。パワハラもありました。当時の社長高野義雄氏には、大変お世話になりました。私の直接の上司は、常務取締役磯貝 勝氏でした。退職する時に「オマエは、乳酸菌でもあり、ばい菌でもある。」「いいか、乳酸菌になるように、働けよ。 そして、転職して 上場したら、俺をパーティーに招待してくれ。」と退職日の最後の日。8月31日に言われました。退職理由は、生まれ故郷である名古屋に帰省して、名古屋の会社に勤める。出来れば、一宮市にあった東京テキスタイルと言う子会社に転籍を希望していましたが、それが、通らず、転職する。そんなストリーでした。でも、本当は、昭和60年の秋ごろに茨城県にあるロコレディという会社から、お声がかかったのです。約20回面接、面談が故羽富 正三(ロコレディ創業者)から声掛けがありました。私の将来の義父になるとは、夢にも思いませんでした。月日が流れ、その後東京スタイル事件がありました。マスコミも、騒ぎました。村上ファンドから、猛烈に叩かれたのです。当時は、もうすでに私は、妻と結婚して、婿養子になっていました。東京スタイルの本社に手紙を書いてFAXを流しました。その前には磯貝勝常務取締役にハガキも書きました。もちろん、返事など期待していませんでした。言いたいことも、たくさんありましたが、封印していました。するとある日突然企業作家黒木亮氏から、メールが届いたのです。会いたいです。ぜひ、取材に・・・・・・・。ここから、先は、本をお読みくださいませ。伊勢丹本店担当の同期も、紹介しました。私の投影が、ビンタで殴られた。売れ筋の商品を地方のデパートに納品。ラルフローレン事件の部分などなどです。東京スタイルの創業者住本保吉氏がごはんに味噌汁をかける部分は、私の先輩から聞いた話しを情報として提供しました。時代背景や、登場人物に成り代わってぜひぜひ、お読みくださいませ。堀川利幸は、4人の情報を基に、登場しているようです。https://www.ibaraki-gyosei.or.jp/kouhou/pdf/250/09sinkijuku.pdf
2024.05.20
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技芸ではない。伎芸(ぎげい)なのです。にんべんです。人の心を大切にする芸能の技術です。あえて、にんべんの方を使用します。妓芸もかんがえましたが、「人の心:を大切にする日本の伝統歴史を大切にしながら、守破離の考えを基礎にしています。チャットGPTより伎芸(ぎげい)は、歌舞や音曲などの芸能に関する技術や、それに関連する技のことを指します。具体的には、舞台芸術や演劇、音楽などのパフォーマンスにおける技巧や表現方法を意味する言葉です。また、「伎芸」は美術や工芸などの技術を含む広い意味で使われることもありますが、一般的には芸能の技術を指すことが多いです。日本の伝統文化においては、能や歌舞伎、日本舞踊などの伝統的な芸能における技術や表現を「伎芸」と呼ぶことがあります。この言葉は、技術や芸術性を高め、観客を魅了するための熟練した技や表現を重視する日本の文化の精神を反映しています。伎芸は、単に技術的な能力だけでなく、芸術作品としての美しさや感動を伝えるための芸術家の創造性や感性も含んでいると言えるでしょう。接遇は、ふるまいを基礎してアレンジして伎芸とし、芸術と考えました。この接遇や、おもてなしの基礎を踏まえたのが、伎芸(ぎげい)型パフォーマンスと考えました。
2024.05.17
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ご縁を大切にしています。数多くの失敗や、気づきで自分の行動を見直しています。何事も、前向きにプラス発想、肯定的に考えるようにしています。一期一会の心です。胡散臭い人をすぐに見分けるコツも見えてきました。60歳も半ばです。経験も成功体験より失敗した出来事にフォーカスしています。成功体験は、時間とともに、賞味期限が切れてきます。感じよく、感じよく年齢を重ねていきます。
2024.05.16
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過去の経験が、邪魔する???実は、成功体験が、邪魔して、失敗体験が、活かされる。・・・と考えています。特に、50才を越えてくると、30才代とか、40才代で失敗したことが、活かされるようになってきました。がむしゃらに、がむしゃらに働いて、失敗したことが、後から活きてくる。本当に、50才代を越えて気づくことが、たくさん出てきました。そして、60才代半ばにして「そうか、そうだったのか~」とわかることが、多くなってきました。亀の甲より年の劫。年齢を重ねるごとに、物事を深く判断することが、出来るようになってきました。65歳にもうすぐなります。70才代に向けて、この失敗体験を語る時期が来た。・・・・・・と感じるようになってきました。
2024.05.12
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数字を意識することで、ワクワクします。仮説を立てることで、どんな数字になるのか?予想します。私は、競輪、競馬は、やりませんが、競馬新聞を読んで、分析する感じでしょうか? 創業者 羽富 正三から、商売のイロハを教えて頂きました。私の義父です。昭和60年(1985年) つくば万博の年に、出愛(であい)がありました。その時は、私は、東京スタイルの営業マンとして、セゾングループを担当していました。 まったく、赤の他人でした。 ロコレディに入社して、 数字の読み方を教えて頂きました。販売枚数を意識するのか? それとも、販売金額で、判断するのか? それとも、もっと、もっと、奥の奥まで分析するクセを教えて頂きました。アパレル業界の方も、数多く私のブログ、FBを読んでおられます。 ある年の冬のコートの商戦の結果を報告したいと思います。 昨年の9月にいろいろなことが、ありましたが コートは、昨年より、販売点数は、増えました。 「えっ~、この暖冬でも、売れた?????」 詳しく描きますので、分析してください。 販売点数は、昨年の103%でした。 ただし、ウールコートは、昨年の60%以下です。 ダウンコートや、ベストコート、1枚仕立てにコートが、人気でした。 単価の安い商品が売れた????? いいえ、非ウール系が売れたのです。 ウールは、110センチ丈が、完売しましたが、クロ以外は、アウトでした。 ベストコートは、もう追加、追加、追加の状態でした。 冬物コート在庫コントロールも、早めに手を打ちました。 単価は、もちろんウールコートの方が、高額なので、一品単価は、下がりました。 でもね~、昨年コート販売高以上に販売したお店が2店舗ありました。 カシミヤーのロングニットコートも、人気があり、年内にすべて完売をしました。 もし、創業者 羽富 正三が生きていたら、このように言うでしょう~。 「いいか、としあき。よく聞けよ。 数字だけで、判断はするな。細かく分析をすることだよ。 世間では、コートが売れていないと言うが、本当にそうか? コートにも、たくさん種類がある。お客様が、お持ちでない、軽めの素材や、他のお店で、展開していないコートであれば、お客様が集まってくるんではないか? いいか、としあき。あまり 世間の売れ筋情報や、デマに騙されるな? 細かく、よく観ろ~」と言うと思います。 実は、小さいいサイズのコートは、ほぼ年内に完売していました。 他のお店で、展開していないサイズが売れたのです。 他は、他。 弊社は、弊社。 いよいよ、春から、夏物への切り替えです。 お客様、ありがとうございます。 参考になりますか?????
2024.05.07
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近頃、女性の活躍する場面がますます増えてきていることが、テレビなどで、紹介されています。 コレは、歓迎することでは、ありますが大事な部分をマスコミは、報道しません。先日も、夜、女性社長や、女性幹部の方が紹介されていましたが、 一方的な報道でありました。 放送時間内での決められた時間内では、仕方が無いかもしれません。いいですか?女性は、素晴らしくて、男性がダメというわけではないと思います。 女性の素晴らしい感性を活かしながら男性が、得意な場面を活かす。 あくまでも、あくまでもバランス良く。それが、基本です。そうなんですよ。適材適所では、ないでしょうか? ご質問のメールがきました。女性からです、「わたしは、はとみさんの逆で、男性が90%で、女性が、 少ない職場です。どうしたら、男性が女性であるわたしたちにもっと、もっと、仕事を与えてくれても、良いかと思いますが、いかがでしょうか?」なるほど~、そうですか?男性中心の会社ですか?どうでしょうか?あなたが、男性タイプになるのです。女性の特性を少し、抑えて、男性気質になったら、どうでしょうか?感情的に話すのではなく、理論的に、考え行動する。 女性の特性を少し、抑えて、男性気質になったら、どうでしょうか?感情的に話すのではなく、理論的に、考え行動する。 または、徹底的に、女性としての特技を活かし、本来の感性を前面に出して、行動したら、どうでしょうか?職場の女性は、比較的根回しが苦手です。 根回しというより、段取りでは、ないでしょうか? 会議の前に、段取りをして、事前に自分の意見を調整します。 段取りという言葉は、硬いです。わたしは、必要なことだと思います。事前の準備。すなわち、コンディシニングすなわち、準備体操なような感じです。表現を変えるなら、下準備ではないでしょうか?料理でいう「仕込み」ではないでしょうか?この仕込みを知るのに、結構時間が、かかりました。 会長故正三が言います。「いいか、としあき。下準備は、女性は、苦手真人が多い。でもなぁ~、このことを女性自身が気付いていない女性が多い。女性は、時々、横着をする。常識的なことにも、かかわらず、手を抜く。うちもばぁーさんも、そうだ。いいか、忘れるな。女性は、セクショナリズム(縄張り)を出す。その点を注意しないと、ドンドン自己中心で、仕事をしていく。防ぐ方法は、男性であるおまえが、常に状況を把握すること。」と以前教えてくれました。女性は、スグ偏ります。仕事熱心な女性ほど、バランスを崩します。では、男性はどうか?男性は、女性より、体裁(ていさい)を気にします。「格好」を気にします。わたしは、会社、会社によって、男性と、女性の比率は、違うと思いますが、本来男性がする仕事を女性に任せてみる。任せて、どうもうまくいかないなぁ~・・・と感じたら、男性に回す。女性がする仕事を男性がやってみる。・・・状況をみる。すべて、実践して、対策を立てる。わたしなんか、しょっちゅう、この繰り返しですよ。失敗も多い。でも、反省する。 「女性幹部が、言ってきても、改善する場合と、改善しない場合と両方あります。」女性である、あなたそう女社長であるあなたですよ。そして、女性幹部であるあなたですよ(幹部にならなければよかったとメールくれたあなたですよ)。なかなか、女性を幹部にしない会社で、幹部になるまで育ててくれた会社の社長様に感謝ではないでしょうか?やりましょう、そして、この会社に入ってよかった。また、この会社を作ってよかったといわれる時がくるまで、顔晴(がんば)れしましょう。職場の女性に私は、役職を付けるべきだと想います。 後継者の方や、現役の女性社長様は、是非、一緒になって、自分の目標に向かって、いきましょう。 参考になりますか???あくまでも、あくまでも、私が体験したことを描いていますので、他の人との見解と違う場合があります。あくまでも、あくまでも、参考程度に。
2024.05.04
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悩んでいる女性スタッフを源氣(げんき)にさせる方法とは???・・・・・このブログを書き始めたころから、女性相手の仕事をしてきた数多くの失敗を書き続けてきました。 その失敗から数多くの学びがありました。 どうも、女性とパートナーを組むとうまくいかない。 悩み、苦しみながら、どうしたら???・・・・・と毎日考えていました。 でも、ある日、突然見えてきたのです。 女性と接する時のポイントが。 もう、ビックリです。ゴルフのパットラインが、見えるように。自然に、日本語を覚えたように。 コツが見えるようになったのです。 じわっと~、じわっと~、心に感じてくると思います。 私は、男3人兄弟の次男坊。体育会系の家庭に育ち。 大学時代までは、女性とは、無縁。 就職先が、レデイースアパレルメーカー株式会社東京スタイル・・・ここが、また、体育会系の会社であった。 底から、私の苦悩が、はじまりました。 話しを戻します。 実は、先日、ある女性スタッフから、相談を受けました。「社長、少し、体の調子が良くないのです。以前は、仕事のストレスは、仕事で解決できたのですが、 どうも、人間関係や、売上げのことで、悩みが多くて?????」と相談を受けました。 私は、このように、アドバイスをしました。「なるほど~、そうか。あまり自分を痛めつけるな~。今の状態では、何をやっても、うまくいかないかもしれないなぁ~。まぁ、ゆっくりやれよ~、焦るなよ~。社長の私も、応援sるからね~。 心配するな! 病院へ行って、よ~く看て貰え。 時には、温泉でも、行って、気分転換してきなぁ~。誰でも、そういう時期はあるよ。 この私だって、あるよ。 でもね~、この時期を通り過ぎると、急に、また、成長がはじまるんだよ。・・・と先輩社長様に教えて頂きました。 顔晴(がんば)れしようよ。」と言うと、目の奥から、キラリと光る宝石が見えました。 私も、涙ぐみながら、アドバイスをしました。 ポイントは、プライベートな部分と仕事の部分を分けて、アドバイスするのではなく、うまく、ミックスしながら、相手に威圧感を与えずに、話しをもっていくと、女性は、落ち着くようです。 そして、もう一つアドバイスをしました。 「もし、気分を変えたかったら、今書いている字を変えてごらん。 いつも、何気なく書いている自分の字を変えることによってきっと、新しい自分に氣がつくよ。 晴れやかになるよ。」ともアドバイスしました。 参考になりますか???
2024.05.02
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アンテナを高くすることで、情報が入ってきます。俯瞰して、観るクセをつけます。「はとみさんは、風を起こそうとしていますね。」とよく言われます。常に、意識をするようにしていると、自然に身についてきます。赤ちゃんが、自然と言葉を覚えた感覚でしょうか?自然と、自然と、意識しなくても、情報が集まってくる仕組みが身についてきました。どうも、どうも、うまくいかない。どうも、どうも、うまくいかない。そういう場合が、どうするか?捨てる勇気です。この私も、なかなか捨てることが、できない場合が多いです。どうやって対応したら、良いか????????悩みことが、多いです。捨てる勇気です。考えて、考えて、考えまくる。そして、次の手を打つ。自然とアイデアが、浮かんでくる。自然と、知り合いたい人と会える。道順を変えて、訪問先を訪れる。思考を変えて、価値創造を考え直す。経営デザインシートに、何度も、何度も、描き直すことで、新たな気づきを得る。「系」にフォーカスする。そんな時代に備えるべき、対応を考える。アパレルとは、「美」であると考える。「美」から、健康につなげる。右脳で、ひらめきを意識するようにしています。
2024.04.26
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美磨女(びまじょ)のファッションショーを行ったことがあります・美を磨く女性のことです。 綺麗なお客様が、モデル?????? いいえ、気持ちが、美しくする時代になったのです。 異業種とのコラボで、実現しました。 スタッフたちのアイデアです。 何事も、トライアンドエラーです。 失敗ではなく、気づきを頂く。 お客様主体のファッションショーでした。すべて、手作りです。 反省もたくさんあります。お叱りのお言葉も頂戴しました。 オシャレを愉しむイベントも、そろそろ解禁ですね。 ありがとうございます、お客様。あくまでも、戸籍年齢は、参考程度ですね。
2024.04.23
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会社を経営していると、悩むことが、よくあります。どうしたら、良いか?夢の中でも、仕事をしていることがあります。常に、経営者は、非難されることもあります。でも、これは、素直を認めて、反省して次の対策を立てる。何度も、何度も、繰り返して対策を考える。悩むことを受け入れることが、まず、大切だと気づきを頂きました。問題を解決すること。それは、素直に受け入れることと気づかせてもらう。ありがとうございます。
2024.04.15
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4月8日は、お釈迦様の誕生日です。高校は、私立愛知高校の卒業生です。曹洞宗の高校でした。高校3年生の時に受験前に、「おい、トシ坊~。駒沢大学へ行け~。高校の先生になれ。 仏教の先生になれ~」と当時の佐藤先生に言われました。この先生のことは、大好きでした。応援団のメンバーになれ。高校2年生時に、言われました。サッカー部の監督からも、言われました。苦手な物理の先生でも、ありました。声は、当時から大きかったです。「サッカー部が、全国大会に出場時に~ 声が、かかりました。」今は、アウトですが、「物理のテスト10点+するぞ~」とサッカー部の監督が言っている。「トシ坊、応援団に。 そして、大学は、推薦で、駒沢大学へ」なぜなら、同じ曹洞宗の学校だからです。自分は、新聞記者になりたい夢が当時ありました。新聞配達をしながら、新聞業界の裏を知りたかった。毎朝3時30分起床です。そんな道を歩きたかったのです。もし、駒沢大学へ行っていたら、茨城県には、来ていません。名古屋市内の高校の教師をしていたかと思います。運命のわかれ道でした。高校受験は県立不合格でした。そして、大学も志望校ではなく、東海大学政治経済学部へ。そして、就職試験も不合格。株式会社東京スタイル。全く興味の無いアパレル業界へ。でも、真剣に仕事をしていると、面白くなってきました。特に週末の販売応援は、大好きでした。デパートに出向くと役員さん、幹部の部長クラスから「君~、こんどは、いつうちのデパートに来るのか?」と言われていました。販売応援は、大好きでした。呼び込みも、接客も独特の話術で販売応援していました。女性服(20才代~40歳代向け)の販売でした。同期の営業マンから「トシ坊は、小売店向きだぞ~」この言葉が、1つのきっかけでした。そして、昭和60年ごろから、転職を意識しはじめました。故羽富 正三との出会いがありました。すべて、お釈迦様のお導きだと感じるようになりました。
2024.04.08
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ロコレディは、昭和60年3月につくば市クレオ(筑波西武百貨店の専門店街)に出店をしました。昭和60年の秋ごろから、故羽富 正三とはじめて会って、土浦市西友と、つくば市西武百貨店で、何度も、何度も、会いました。20回位会ったでしょうか?猫背姿でした。故羽富 正三さんは、大正13年10月23日生まれです。何度も、丁重に入社しません。そんな 羽富 正三さんが、言うような男ではありません。出来の悪い男です。でも、熱心に、熱心に、茨城県に来いよ~。・・・と誘われていました。悩んで、悩んで見ず知らずの茨城県の小売業に転身しました。小売業の面白さを教えて頂きました。しかし、チェーンオペレーションの時代が、終焉することが、徐々に見えてきました。2004年3月には、そのクレオ専門街から退店をしてつくばララガーデンに、引越しして、オープンしました。また、そのお店を退店をして、イーアスつくばの商業施設(大和ハウス工業)に新規出店をしました。もう危険だ。危険だ。365日休み無し。21時、22時閉店の商業施設店舗は、危険だ。労務倒産になる可能性が大であると感じるようになりました。「もう、ダメだ。もう、ダメだ。 このまま行くと、会社はおかしくなる。」と判断していました。路面店に切りかえて10時15分~18時15分の営業時間にしました。3.11の震災に遭ってもう、限界を感じました。2004年3月つくば市にララガーデン(三井不動産)に出店した時も、悩んでいました。でも、悩みの深さは、まだ浅かった。でも、イーアスつくばに新規出店した時も、「このままでは、先行きが・・・・・・。と思いました。グランドオープン前のレセプションの席に参加していましたが、もう、不安で、不安で溜まりませんでした。「危険だ。危険だ。会社がおかしくなる。」と思うようになってきました。創業者 羽富正三とも、意見が合わなくなってきました。もう、これでは、スタッフたちに、限界も出てくる。でも、創業者との衝突が毎日のように続くようになりました。約4年間続きました。税理士の先生や、社労士の先生にも、中小企業診断士の先生にも何度も、何度も、相談しました。毎日が苦痛の連続でした。平成23年2月11日に創業者は亡くなりました。亡くなる数日前に「としあき~、後は頼むな~」と。「心配しないで下さいませ。商売を継続します。」と。そして、3月11日に震災の被害を受けました。そして、ショッピングセンターにあるお店全店を退店する。・・・・・・と決断をしました。4年半かかりました。災難にその後にも逢いました。常総市水海道宝町鬼怒川氾濫水害被害では、もう、頭が真っ白状態になりました。水海道本店、土浦店も、雨による被害。そして、次には2021年3月20日に、雨漏り水害被害の為、つくば店を閉店をしました。でも、当時の天皇皇后陛下様より、ご丁寧なお言葉を頂きました。そのパワーは、すごい力です。
2024.04.05
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お客様の声をかけるときに、どうもうまくいかない。・・・というわが社の女性スタッフがいました。その女性にアドバイスしたことを書きますね。書きながら、私にも、言えることなので、勉強のつもりで、書きます。時の話題、季節の話題をネタに、お客様と話しをするのです。 例として"時の話題"というものは、すでにお客様に注目されていますので、そこに便乗することで注目率をアップさせることも、話しの1つです。 「"毎年恒例"の何か」を話題にするというのも定番でしょうか??? 春ならば「お花見」だったり、ちょっとイヤですが「花粉症」などが"季節の話題"になるでしょうか。 夏は、花火とか、祇園祭とか、プールとか、秋は、紅葉とか、ダイエットとか、読書とか、 冬は、札幌雪祭りとか、風邪とか??? このように"季節の話題"というものは、春夏秋冬ごとにあります。 歌も、そうです、童謡をわが社では、使うこともあります。梅雨時であれば、「雨、アメ、降れ、降れ、かあさんが、蛇の目で、お迎えうれしいなぁ~、ピチ、ピチ、チャプ、チャプ、 ラン、ラン、ラン。・・・・・子供のころ、母親に、水溜りで、長クツをはいて、遊んでいたら、転んで、洋服が、ベチャ、ベチャになって怒られました。あなたも、こんな経験ありませんか?今、雨の日が、楽しくなる傘や、レイン・コートをご用意しております。」 そのような話題をあなたが言葉の中にも取り入れていくと、ひらめいてきます。 自分の子供のころの経験は、お客様も、経験しているのが、多いのです。 ここで気をつけなくていただきたいのは、『季節の話題を、"あいさつ"の中だけで完結させてしまわない』ということです。 文章でも、会話でも、同じことが言えます。----------------------------------------こんにちは。季節はもう梅雨に入りましたね。洗濯物が干せないこの時期、皆さんはどうしていらっしゃいますか?私はお風呂場の乾燥機を使っているのですが、イマイチ乾きが悪いんですよね。 そこで、新発売の乾燥機・・・部屋の中が、臭くならない。干さなくても、OK。こんな乾燥機が、今揃いましたよ。 小阪先生流に言うと「マスターになる。お客様に、新しい世界を紹介すること。」であります。 アパレル業界的に言えば、 冷房、冷房、朝から、冷房。夏こそ、体を冷やさない。・・・これが、健康の基ですね。こんな時に、もっていて便利な、涼しげな天然素材のジャケット。体感温度の調整に便利な肌に優しいのが、魅力です。---------------------------------------- 時の話題、季節の話題を取り上げる時には、必ず「本編にいかにつなげるか?」を考えての話し方や、DMの内容にしていきます。 どうしても、接客力の弱いスタッフは、話しで、終わってしまいます。 つなげるのです、つなげるのです。 ココが、ポイントなのです。
2024.04.02
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私は、昭和53年4月~昭和54年3月まで、川崎市多摩区の新聞配達所で 朝刊、夕刊、集金、新規開拓担当の勤労学生でした。 毎朝、3時30分起床 朝刊を配り終わるのが、6時30分 朝食を新聞配達所で、済ませてから、 自転車で、小田急線向ヶ丘遊園まで行き、 東海大学まで、通っていました。 夕刊も、配っていました。 翌朝のチラシの準備をし、夕飯も、販売所で 済ませて、銭湯へ行っていました。 唯一の楽しみが、お風呂上りのかき氷でした。 日曜日は、夕刊がなかったので、 夜新宿まで、出向いて 食べ放題の焼肉屋さんに、行ったものです。 仕事と学校の両立は、きつく、 学校の授業中は、寝ていたことも、多かったです。 父親が、ガンだと知らされたのが、昭和53年10月の末だったと記憶しています。 11月上旬に手術でした。 名古屋まで、新幹線で戻りました。 「なんだ~、としあき 帰ってきたのか? 胃潰瘍だよ。心配するなよ~」と父親に言われました。 当時は、ガンは、本人に言わないのが、当たり前だったです。 1日だけの休みで、スグに新聞配達所に 戻りました。 もう、父親は、生きられない。 大学の授業料も、・・・・・・・・・。 昭和55年10月2日に、父親は、亡くなりました。 本当に、新聞配達は、私の人生で 大きな大きな想い出のウエイトを占めています。 配達先では、いつも、果物や、お駄賃や、 野菜、お菓子などを頂きました。 新規開拓の 月別学生チャンピオンになったことも、あります。 2年生からは、デパートの清掃のアルバイトや、 都議会議員さんが、経営しているテニスクラブの清掃や、 事務所でのアルバイトを掛け持ちしながら、働いていました。 大学3年生からは、ゼミもあり、 荒木教授に、大変お世話になりました。 成績は、もちろん、ビリに近い状態でしたが、 大学には、真面目に行っていました。 だって、自分で稼いだお金。 そして、大学からは、3年間 無返済の奨学金を頂いていました。 本当に、勉強したいなら、いろいろな制度がある。 ・・・・・・と自分から、情報を探していました。 大学4年生の秋には、 就職探しで、いろいろな会社を訪問しました。 新聞記者になろうと思い、 産経新聞社をうけようと考えましたが、 就職課で、「こんな成績では、ダメだ。やめとけ」と言われました。 総合商社も、2,3社訪問しましたが、 すべて、書類選考で、不可でした。 アパレル業界を就職課で、勧められました。 「えっ~、このオレが、アパレル業界??????????」 「冗談でしょう~、真面目に言ってくださいよ。」と就職課の職員さんに、言いました。 名前を今でも、憶えています。 ながおかさんという男性職員さんです。 もう、頭がクラクラして就職課を出ました。 証券会社も紹介されましたが、 「株屋みたいなところに、勤めるなよ。 新聞記者 止めとけ。もっと、真面目な会社を選べ。」と亡くなったじぃ~さんに言われました。 昭和57年4月当初は、 アパレル業界には、 まったく興味が、無かった。 でも、やりながら、ドンドン面白くなってきた。 東証一部上場会社 「東京スタイル」 この会社で、営業のイロハを教えて頂いた。 新聞配達で、営業の面白さを知りました。 人が、寝ている時に、働いて、働いて、 生活費、授業料を稼ぐ。 働いて、働いて、働く。 サラリーマンになって、 休みたいとか、遊びたいとか 思わなかった。必死に働く。 怒鳴られ、ビンタで叩かれ、 これでもか、これでもかと働いた。 5年半、東京スタイルさんで、お世話になりました。 昭和62年の8月まで、お世話になりました。 心から、感謝しています。 人生ドラマのような故羽富 正三との出会いが、 昭和60年の秋にありました。 転職を意識はじめたのは、東京スタイル勤務3年後でした。 スーパーからも、アパレルメーカーからも、病院の事務局からも、 お声をかけて頂いた。 「転職するなよ。転職するなよ。」と親戚からは、言われていました。 でも、もう、次のステップに行きたかった。 昭和60年つくば万博の年に、 ロコレディさんという会社を知った。 羽富 正三・・・・私の義父になるとは、夢にも思わなかった。 商売とは? 小売業とは? 人間関係とは? 1つ、1つ丁寧に教えて下さりました。 平成元年5月に妻と結婚と同時に、 婿養子になる。 仕事の対する想いは、 すべて、新聞配達から学びました。 今でも、時々、新聞配達している 夢を観ます。 父親が ガンで 余命3年。 授業料を 稼ぐ為に, 新聞拡張の 営業活動もしていました。 「あなたから、新聞をとりたいのよ。 銘柄なんか、関係ない。 あなたが、配達する新聞を読みたいのよ。 がんばって、卒業するんだよ。 中退するんじゃないよ。」と読者の方々から、応援メッセージも頂きました。 子供たちから、「新聞配達のお兄ちゃん~、ジュース飲んで~」と。 これからも、お客様の心を大切にする商売をしていきます。
2024.03.31
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「店舗の空いたスペースでできるビジネスを探しに来ました」「付加価値をつける」お次は、茨城県でアパレル系の企業を経営するこちらの男性。フランチャイズ・ショーには数えきれないほど足を運んでいるということですが、どんなビジネスが気になっているのでしょうか。「レディースのブティックを運営しているのですが、ブティックの空いているスペースを利用して何かビジネスができないかと考えてフランチャイズ・ショーに来ました。どうせ家賃は払っているわけなので、そういったスペースにたとえばエステや脱毛などを併設することで付加価値をつけられたらいいですよね」ノウハウがなくてもスタートできるのがフランチャイズのメリットのひとつです。既存の事業に付加価値をつけるのはもちろん、それをフックに集客につなげたい人には参考になる考え方だと感じました。
2024.03.29
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当時の茨城新聞一面記事より。2014年4月13日(日) 常総・水海道の「宝来館」跡 40年ぶり蘇る銀幕 一夜限り上映会盛況 「懐かしい」市民ら釘付け 【写真説明】映画館跡地で開かれた一夜限りの上映会=常総市水海道宝町 かつて水海道市(現常総市)の中心市街地で栄えた映画館「宝来館」跡地で12日、一夜限りの上映会が行われた。昭和20〜40年代、大勢の家族連れや恋人たちが訪れた街のにぎわいの象徴。当時を知る市民は「懐かしい」「涙が出る」と話し、閉館から約40年ぶりに蘇っ( よみがえ )た銀幕に釘(くぎ)付けとなった。 「昭和浪漫 懐かシネマ」と銘打ち、昭和の大スター、美空ひばりさん主演の「千姫と秀頼」(1962年公開)を上映した。 会場となった駅前通り商店街の宝来館跡地駐車場は、市内外から訪れた観客で埋め尽くされ、道路に立ち見客が出る盛況ぶり。 午後6時半、上映が始まると、「待ってました」の声と拍手が起こり、観客はスクリーンに見入った。 同時上映は「伸びゆく水海道」。昭和30年代後半の水海道を記録した約20分のモノクロ映像だ。 旧市役所や買い物客でにぎわうスーパーマーケット、喧騒(けんそう)のパチンコ店、家族が笑顔でテーブルを囲む大衆食堂…。華やかなりしころの水海道の街の様子が映し出されると、懐かしむ声が漏れた。 宝来館は、ホテル事業などを手掛けるサンスイグループ代表の東郷治久さん(65)の父通行さん(故人)、母まささん(89)が1946年に開業した。 1953年の「君の名は」公開時には水海道駅まで長い列ができた。しかし、テレビの普及や娯楽の多様化で観客は減少し、73年に閉館。その後、建物も取り壊された。 今回、元同館の看板絵師、井桁豊さん(79)や市民有志、市などが協力し、「千姫まつり」の前夜祭として復活が実現した。 同市の吉田和雄さん(78)は「20代のころ通った。宝来館に育てられたようなもんだ」と最前列で笑顔。切符売りだった金長しげさん(81)は「ひばりちゃんの映画は、売り上げを計算するのが疲れるほど満員になった」と懐かしんだ。同市の落合勉さん(86)は「新婚当時、妻とよく来た。その妻も昨年11月に亡くなった。もう一度、一緒に見たかった」と目を潤ませた。 東郷まささんは「こんなに大勢の人が来てくれて、涙が出るほどうれしい。少しでもにぎわいが戻ってほしい」と話した。(松田拓朗)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今回で、最終回となります。2024年9月7日土曜日開催となります。#懐かシネマ上映会#宝来館跡地#ロコレディ
2024.03.23
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厳しい義父でした。1つ、1つの行動を細かく指導を受けました。愛情のある指導を受けてきました。創業者義父 故羽富 正三より数々の学びを頂きました。「いいか、としあき。 すべて、バラスよく、バランスよくだぞ。」とよく言われました。どうしても、合意できなかった部分もありましたが、3年間は、すべて、頭をタテに振れ。頭を横に振るな!オレが、言ったことはすべてやれ。・・・・・と言われていました。近所にいる先輩社長さまが言います。「正三さんは、本当に厳しい人だったね。 この私が、としあきさんのことをほめると、 そんなことは無い。褒める段階では無い。 ・・・よく言っていましたね。」と社長さまに言われました。創業者より、オレの前に出るな~。全ての会議は、オレが、出る。・・・と言わない限り、ダメだ。そんな創業者でした。商売の基本を1から学びました。食事をしていても、常に、商売、商売、商売のことでした。相手の話しを聞きながら、微調整する方法も、教わりました。亡くなる前まで、「売上げは、どうか? 在庫は、膨らんでいないか?」細かく、細かく、数字を観ることを言われていました。数字を毎日見るクセを私に伝授してくれました。心の掟(おきて)は、いつも、いつも、考えるクセを付けろ。なぜ、なぜ、上手くいかなかったのか?考えて、考えて、考え抜くのだ。変化を読み取る。相手の声の大きさや、相手の態度から本根を見抜け!今でも、今でも、心の中では、創業者故羽富 正三は、生きています。
2024.03.18
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昨日3月17日日曜日15時ごろでした。茨城県県央地区から4人で道の駅常総に。私の独特なパフォーマンス型応対で,おもてなしの心で会話を愉しんでいました。笑う☺️笑う😀家族全員で笑う。しばらくすると,コロッケもクレープも美味しく頂きました。わざわざ一言御礼が言いたくて!もう元気100倍です。「美味しかったです・」「ありがとうございます。」と言われました。逆に元気を頂きました。有難うございます。また千葉県船橋市から娘さん2人推定20才代半ば?お父様お母様と4人でまたまたコロッケとクレープをお買い上げ頂きました。綺麗な娘さんたちでした。品のよい女性です。その娘さんたち2人が私に近寄ってきました。おじさんの漫談が面白くて、近くの椅子に座って聞いていたら、面白くて笑ってしまいましたよ~~。引越しして来て茨城県に!市県民税が減っているので,ふるさと納税もよろしくねー♪とかうちの孫たちと結婚したら親戚になるねー♪などなど。ぽんぽんと笑える😛キィーワードが!すると,スマホを取り出して娘さんたちから写真を撮りたいからおじさんも入って〜。もう一瞬にして家族になった感じでした。16時30分ごろからお持ち帰り用として5個10個15個のお客様が増えてきました。並んでいたお客様10人以上の方々にご迷惑をおかけしました。急の完売は昨年のオープン時期以来の出来事でしたー。ごめんなさい🙏。心❤️からお詫び申し上げます。引き続きよろしくお願い致します。
2024.03.18
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厳しい義父でした。1つ、1つの行動を細かく指導を受けました。愛情のある指導を受けてきました。創業者義父 故羽富 正三より数々の学びを頂きました。「いいか、としあき。 すべて、バラスよく、バランスよくだぞ。」とよく言われました。どうしても、合意できなかった部分もありましたが、3年間は、すべて、頭をタテに振れ。頭を横に振るな!オレが、言ったことはすべてやれ。・・・・・と言われていました。近所にいる先輩社長さまが言います。「正三さんは、本当に厳しい人だったね。 この私が、としあきさんのことをほめると、 そんなことは無い。褒める段階では無い。 ・・・よく言っていましたね。」と社長さまに言われました。創業者より、オレの前に出るな~。全ての会議は、オレが、出る。・・・と言わない限り、ダメだ。そんな創業者でした。商売の基本を1から学びました。食事をしていても、常に、商売、商売、商売のことでした。相手の話しを聞きながら、微調整する方法も、教わりました。亡くなる前まで、「売上げは、どうか? 在庫は、膨らんでいないか?」細かく、細かく、数字を観ることを言われていました。数字を毎日見るクセを私に伝授してくれました。心の掟(おきて)は、いつも、いつも、考えるクセを付けろ。なぜ、なぜ、上手くいかなかったのか?考えて、考えて、考え抜くのだ。変化を読み取る。相手の声の大きさや、相手の態度から本根を見抜け!今でも、今でも、心の中では、創業者故羽富 正三は、生きています。
2024.03.13
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人それぞれです。ユニくろも、オシャレな洋服です。無印良品や、ワークマンなどなど人それぞれの着こなしで、イメージが変わります。コーディネートや、服飾雑貨を組み合わせることで、変わってきます。綺麗に、綺麗に、着こなす。私は、だらしない着こなしが、あまり好きではありません。清潔感を出す着こなしですね。バランス良く、バランス良く着こなす。
2024.03.12
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寒中お見舞い申し上げます。キッチンカービジネスは、2023年の4月下旬から、本格的に、行っています。約半年間は、テステイングの段階でした。スーパーカスミさん前でのコロッケ移動販売車での販売最終日の出来事です。スポーツクラブの帰りがけに、ほぼ毎日夕方18時ごろに買いに来てくれる小学6年生の男の子がいました。育ち盛りだから、運動後は小腹が減ってコロッケを買って食べているのだろうと思っていました。彼は礼儀正しく爽やかな立ち振る舞いで、行列でも静かに並んでくれていました。でも毎日顔を合わせているとお互い馴染んできて、来るたびに冗談を言ったり、学校での出来事を聞いたり。小さな友情が芽生えたころ最終日がやってきます。その日少年はお母様と一緒に来店し「おじさんとは今日でお別れだね。また、愛(あい)たいです」と言ってくれました。笑倍をしていると「会(あい)」が「愛(あい)」に聞こえる瞬間があるのです。コロッケ購入が終わると、その男の子が、お母さんから五百円玉をもらってスーパーに駆け込みました。暫くして後ろから肩を2度、3度叩かれ「おじさんたち3人でしょう?」と言って、照れくさそうにお菓子を3個私に手渡しました。「えっ、良いの?」と聞くとお母様から「子供がおじさんたちにお菓子をプレゼントしたい。・・・と」「ありがとうね~。おじさんたちは、今日夢の国に帰るけど、また愛たいね~」と言いました。「おじさん、お仕事がんばってね!」と一言言うと走って、帰っていきました。彼の背中を見送りながら、笑人(しょうにん)として、心和む時代、心豊かな時代に向かって、町おこしをこれからも継続していこう…と心に誓いました。子供は町の宝物です。65歳にもうすぐ、なります。近頃、涙もろくなってきました。昨日は、51歳でガンで亡くなった剣道家の父親の夢を観ました。「子供たちが、まっすぐ育つ。 親を大切にする環境、、近所に人から、愛される町に!」子供達が、早く大人になりたいと思える社会や文化を育てる為に自分には何ができるのか?問い続けて顔晴(がば)れします。
2024.03.11
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私は、昭和57年に入社、アパレルメーカーにいました。東証一部上場「東京スタイル」に昭和62年8月まで、在籍していました。企業作家黒木亮氏の本「アパレル興亡」は、東京スタイルがモデル会社になっています。その本の中にも、百貨店の当時の横暴な態度が、出てきます。もう、40年以上前から、その陰りは、出ていたのです。百貨店の衰退はとても悲しいし、復活してもらいたい。・・・と考えていますが、まずは、無理だと思います。なぜか???社長や、経営陣が、変わりすぎるのです。落ち着かないのです。立地だけが事業資源では、もうこの時代には、通用し無いかもしれませんね。私は、セゾングループに、大変お世話になりました。特に、土浦店、つくば店で高野さんという人に、大変お世話になりました。転職するきっかけにもなりました。先日、丸井さんという月販店(錦糸町店)を視察しました。もう、昔のイメージはありませんでした。そして、また、2月には、あのコンビニ大手の社長さまと約10分ぐらいお話しをさせて頂きました。「はとみさんは、東京スタイルさんに、いたのですか?それは、知らなかった。親からは、東京スタイルさんの話しは、聴いていました。」と話されました。ここでは、詳しくは、書けませんが、いろいろとアドバイスを頂きました。固定観念に縛られているのか?新しい発想を育む環境がないのか?今の形態での百貨店は、均衡縮小型で、年々、売上は、減少していくことが、予想されます。子供の頃、百貨店で、お子様ランチを松坂屋名古屋本店のレストランで、兄と、弟と食べる。月に一度の愉しみでした。百貨店が、業態を変えておとなのテーマーパークに変わることを祈念しています。子供の頃の百貨店には、夢がありました。私が、小売店に転職したきっかけは、アパレルm-カー東京スタイルさんに居たおかげです。いよいよ、5月には、文庫本黒木亮氏の「アパレル興亡」が出版されます。
2024.03.10
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題名「スポーツクラブの皆さんと?」ある栃木県のサッカーチーム(小学生)御一行様が、2月24日土曜日道の駅常総にお見えになりました。17時を過ぎていたので、せっかくお買い物をトイレ休憩と兼ねてしようと思いました。➖とママさんたちから。17時を過ぎていたので、お買い物fが出来なかった。残念~。・・・と思ったそうです。子ども達約20人位がトイレを済ませた後にママさん、パパさんや、コーチ、監督さんがコロッケキッチンカーに。腹が、へったよ~。・・・と言いながら、子ども達が、アツアツのコロッケを購入していきます。私からも、お声をかけて話し聞くと、「おじさん、今日は、千葉県で試合があったが、負けちゃのよ~」「明日は、地元の栃木県で、試合があるのよ~」などなど愉しく会話をしました。よし~、おじさんは、高校生時代応援団員だったから、明日の試合に勝てるように声を出すよ。メンチカツコロッケを食べて、明日は、「カツぞ~」と子供たちと唱和しました。何回も何回も大きな声で。ご父兄さんや、コーチ、監督さんからも「子供たちが、試合に負けて、落ち込でいた。 こうやって、励ましてくださり、ありがとうございます。」と言われました。売上を伸ばそうとか、そんな考えはなく、子ども達の目線で、応対した結果売上げに繋がりました。マイクロバスの中からも、「おじさん、お仕事~ガンバレ~」と大合唱。もう、涙、涙、涙でした。溢れる涙を抑えて、思いっきり、手を振りました。商売は、笑倍ですね~。笑倍って、良いですね~。こどもたちが、早く大人になりたい社会を育てていきたいですね。私は、婿養子の2代目です。商売人の家庭に育っていません。でも、剣道家の次男坊として気品と連接を基本に商いの道を。
2024.02.28
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題名「一期一会の心で、おもてなしを?」わが社は、11年間で、9回の災害に遭いました。でも、こうやって、苦難を乗り越えて営業できるのも、お客様の温かなご支援や、お言葉の数々から、元氣を頂いております。「洋服は、やっぱりロコレディさんね」とか「扇屋の餃子は、美味しいね」とか、コロッケ、クレープの販売を通じて、嬉しいお言葉をたくさん頂戴しております。ありがとうございます。「パフォーマンス型キッチンカーを軸に、お客様との絆を深め, 企業価値を高める。」を基本にパフォーマンス型キッチンカー前でお客様に喜んでもらい、ロコレディの思いが伝わり、そのことが他の事業(ファッション、フード、地域貢献、起業家育成など)に波及して、全体として企業価値が高まるというイメージをもっています。私の妓芸(ぎげい)は・あくまで接客の延長である・商品の付加価値を高めるものこれは紙芝居とか、茨城名物ガマの油売りや、バナナの叩き売りとかに、テレビでお馴染みの鶴瓶師匠のような地域密着型の温かいコミュニケーションを融合させた芸術すなわちオリジナル妓芸であることで、お客様との距離感を縮めることで、絆が芽生える。ーと考えています。
2024.02.25
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私は、人見知りをしない方です。「誰とでも、すぐ仲良くなります。」でも、それが、時には、マイナスになることも、多いです。妻からは、「お父さんの良いところでもあるが、欠点でもあるね~」と言われます。人から、騙されたことも数多くあります。「信じた相手に裏切られる。」そんな体験も数多くあります。人見知りはしない方ですが欠点にもなる。まとめケーズバイケースです。バランス良く、バランス良く。長所と短所は、紙一重です。
2024.02.22
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前回に続いて、またまた。もう、しゃべらないでね~。・・・お願いします。腹を抱えて笑います。もう、止めて、止めて、顔のしわが増えるわよ~。・・・・と3組のご家族から言われました。前回の内容は、このような内容です。妻と2人で、道の駅常総に。70才代(推定)の栃木県からお越しの旦那様が、「妻と2人暮らし。コロッケを2個購入予定だった。 でも、あなたの毒舌漫談を聞いたら、妻が10個購入してしまったヨ。」・・・といわれました。すると、奥様が「お父さん、この人の話しを聞いたら、涙が、出そうになった。 自分が、住んでいる町を一生懸命にPRしている姿に感動したわ~。」と。ふるさと納税を。常総市に引越ししてきて~。市県民税が減っているので、ぜひ茨城県に。などなど。ボランティアで、町おこしをしている内容を聞いて、応援したくなったのよ」と言われました。道の駅にご来場の方々を家族の一員のつもりで、応対する。数多くの人たちが、「パフォマーさんだよ。」「茨城県の芸人さんだよ。「コロッケさんのお弟子さんだよ」などなど私に向かっていいます。すると、今回は埼玉県からお越しになった50才代のご夫婦様とお嬢様2人で。ご両親様に「このおじさんと記念写真を撮りたいのよ~」と。私を手招きします。「一緒に、写真お願いします・」と懇願されました。この60才代半ばの私に若い女性2人から、お声をかけて頂いた。始めての体験でした。今度は、子どもさんから、「おじさん、ボクと一緒に写真を」涙をこらえて、記念写真を撮りました。そして、茨城弁と名古屋弁の2つを愛していることを伝えると、ドンドン行列に・・・・・・・・。商売は、笑倍(しょうばい)ですね。
2024.02.21
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営業戦略と言うより、品揃えのポイントとして、下記のように、お店の品揃えを考えています。 1.お店のイメージをアップするゾーンや、得意先2.売上げをアップさせるゾーンや、得意先(ブランド)3.利益をアップさせるゾーンや、得意先(ブランド)4.商品回転率をあげるゾーンや、得意先(ブランド)5.自店で育てて生きたいゾーンや得意先(ブランド)以上の5つを頭に入れて、お店の品揃えや、営業活動をするように アパレルの店長たちに、言います。お店のイメージをアップさせる商品で、売上げを、利益を稼ごうとすると無理な仕入れになってしまい、結局セール販売となり、お客様から支持される商品ではなく、セールブランドなってします。ある営業マンさんが教えてくれます。「はとみさん~、商品構成というより、自店でどんなお店にしたいのか?まず、絞込みですね。この5つの考え方は、私のような法人と法人の営業活動にも言えます。 1.その法人と付き合うことによって、CM(宣伝)となる会社2.絶対売上げが読める会社3.売上げは、小さくても、粗利益率が確保できる会社4.情報先(アンテナ)として、他の法人の影響力の大きい会社5.集金(支払い)が読める会社・・・キャッシュ・フローとして このように、わが社では、分けています。」と教えてくれます。 ひとくくりで、得意先とか、品揃えという大ざっぱな構成ではなく細かく分析して、微調整する。 どうやら、ここに、経営のヒントがあるようです。 参考になりますか???
2024.02.15
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「道の駅常総は、お笑い劇場???」ある日、栃木県からお越しの(推定70才代とおぼしき)あるお客様から「私は妻と2人暮らし。コロッケを2個購入予定だったのに、あなたの毒舌漫談を聞いて、妻が10個購入してしまったよ」といわれました。すると、隣の奥様が「自分が住んでいる町を一生懸命にPRしている姿に感動した。涙が出そうになった。市県民税が減っているので茨城県に、常総市に引っ越して来てとか、ボランティアで町おこしをしている姿を観て、応援したくなったのよ」と言われました。道の駅にご来場の方々も家族の一員のつもりで応対する。多くのお客様が「パフォマーさん」「茨城県の芸人さん」「コロッケさんのお弟子さんですか?」などと私に向かって言います。先週の土曜日、館内にお越しの方に各種の餃子を説明しておりました。ライバルであるつくば餃子様をお客様にお勧めしたところ、ある男性(推定50才代後半)から「あなたはなぜライバルの餃子を勧めるのか?」と聞かれました。「私は地元常総市水海道宝町商店街にいます。目先の利益に捉われずお客様のご要望に誠実に対応することが後日の来店に繋がると考えています。私どもの扇屋餃子はノド越しを意識した餃子ですので、ゆっくりゆっくり食べて頂くことにフォーカスしておりますので、子どもさん女性高齢者さんに人気です」とお答えしました。結局その方はつくば餃子をお買い上げになりましたが、その後何と奥様と家族全員でキッチンカーに来られました。感動しました。コロッケを8個も購入されました。何度も何度もお礼を言われました。「道の駅常総に来て良かった。また来ますね」と手を振って頂きました。こちらもまた栃木県からお見えになった方でした。
2024.02.06
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会社経営は、バランス感覚が大切だと創業者から、教えてもらった。今日は、朝から、補助金の監査準備で、色々打ち合わせをしました。自分自身自体は、そんなつもりが無くても、そう理解されてしまう。自分自身で、そう言ったつもりではないのに、悪く捉えられてしまう。部下のことを知るには、何十年もかかる。でも、あなたのことを部下は、すぐにでもわかる。バランス良く、バランス良く。
2024.01.26
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不安定な要素が蔓延するVUCAの時代に、価値そのものを新たにデザインする、価値を共に創造するオープンイノベーションが必要だと感じできました。自社のリソースを公開することで、新たなビジネスモデルを生み出すには、どうしたら良いか?試行錯誤して日々実践していきます。トライ・アンド・エラーでしょうね~。武田塾の勉強方法にアウトプットべ勉強法があります。しゃべる。口に出す。それをすることで、覚えやすくなる。私は、頭の中で、デザインを描くイメージで他人(ひと)に話しをします。イメージする。そうすることで、はっと~。浮かぶことも、数多くあります。#試行錯誤#異業種とのコラボ
2024.01.12
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謹賀新年明けまして、おめでとうございます。元旦から、大きな大きな災害がありましたね。お亡くなりになりました方々、並びに被災された皆さんにお見舞い申し上げます。私も、9年前に、鬼怒川水害被害で、大きな大きな災難に遭いました。日本全国から、支援物資や、支援金を頂きました。本当に、有難うございます。さてさて、災害に遭うと、その都度、その都度欲しい支援物資が、変わります。まずは、水、食料。そして、生理用品、トイレットペパーや、雑巾などなど。そして、うがい薬、や、のど飴。スーパーや、コンビニには、在庫が無い状態。そして、2週間~3週間たつと、掃除用品が必要になります。そして、公務員さんに対するバッシングがはじまります。いらいらする状態が続き、疲労も、溜まってきます。みなさん、疲れてきます。ウツ気味の人たちも、増えてきます。笑顔が無くなってきます。娯楽(映画、お笑い、マンバ、音楽などなど)が、必要になってきます。もちろん、お風呂や、生活必需品が優先の一番になりますが、髪の毛も伸びてきます。化粧品も必要になってきます。精神的にも、くたくたになってきます。この私も、血圧が、180,190まで上がってきました。どうしたら、良いか?どうしたら、良いか?すると、同じ体験をしている人からの温かなお声が一番心が、休まったのを今でも、覚えています。阪神淡路大震災を体験された方から、応援メッセージも頂きました。応援メッセージや、ビデオメッセージにどれだけ励まされたか~。涙が、出てきます。もうダメだ。もうダメだ。お店は、もう営業出来ない。あきらめるしかない。そんなことばかり、考えていました。すると、「羽富さん、お元気ですか? 何なりと、言ってください。 甘えてください。自分だけを責めないこと。 あなたのせいではない。」とある人に言われました。号泣したことを今でも、覚えています。
2024.01.07
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羽富さん、ピンチの中にチャンスがあるんですよ。「もう、ダメだ、もうダメだ。何回もそう思った。 スタッフたちが、30人以上退職した。でも、20人は残った。 社長、今がチャンスです。立て直ししましょう~」と高齢者の女性が言ったそうです。「倒産やむなし。これで、わが社も終わりだ。」とその時に、大口の商いが、舞い込んできた。「あなたが、言う価格で、購入しますので、よろしくお願いします。」と言われたそうです。3,000万円の売上げが、たったそうです。退職した男性たちが、その半年後に再度入社したい。・・・・と申し出たそうです。「採用は、しません。なぜなら、歯を食いしばって、頑張ってくれた 残った20人の人たちを大事にしたかった。」と。涙を浮かべながら、その時の苦しみを語ってくれました。「羽富さん、今アパレル業界や、化粧品業界、宝飾業界、出版業界 厳しい時代ですね。 どの業界も苦しい。 ピンチの中に、チャンスは隠れています。 そのチャンスの種の深堀りですね。」と教えてくれます。本業とは、何か?地域密着型で、美と健康と食の文化を育む世界観を提案することが、本業だと考えるようになりました。
2023.12.19
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題名「東京スタイルでの経験が、今に生きている」私は、昭和57年4月~昭和62年8月末まで東京スタイルに勤務していまHした。この内容は、すべて私が体験、見たことを私見(個人的な感想)で、描いています。 全てが、全てのデパートの婦人服バイヤー(仕入れ担当者)が、横 柄ではなかった。 でも、60%~70%のバイヤーが横柄だった。どのアパレルメーカーの 営業マンをゴミのような扱いするバイヤーが多かった。 (特に、酷かった時期は、昭和50年ごろ~昭和63年ごろ?) 三越デパートの岡田社長の時は、酷かった。 横柄な態度のバイヤーさんが多かった。 ・・・と先輩社員や、同期の営業マンから聞いていました。 仙台の藤崎デパートは、ADOグループ(伊勢丹G)。 仕事に厳しいバイヤーさんが、多かったですが、 一人の人間として、扱ってくれました。 山形の大沼デパートさん(倒産)のバイヤーさんも、人格を否定するような バイヤーさんは、いませんでした。 東北関係のデパートさんは、 比較的支払いもよかったです。 群馬県の高崎市のスズランデパートの工藤店次長は、 口は悪かったですが、愛情たっぷりの人柄でした。 スズランデパートは、委託条件でしたが、 送料は、必ず、デパート負担の元払いで、返品でした。 酷かったのは、松坂屋、西武グループでした。平気で、納品伝票を握って支払いを送らせる。いやがらせをされていました。今のデパートの不況のきっかけは、ここからはじまったと 確信している。でも、同じ西武グループでも、西友の大型店さんは、とても紳士的でした。 人と人の関係を大切にしてくれました。 やはり、お店の雰囲気や、上司の人柄だと思います。 厳しいことを言われても、人格を否定されなければ、 デザインや、色、素材について、 どんどん意見交換をしていました。ファッションを挟んでの打ち合わせは、大いに今の私の原動力となっています。 喫茶店に行っては、 販売計画や、イベントの打ち合わせも 一人の人間として話しを聴いてくれました。 コーヒーなども、よくご馳走してくれました。(横柄なのは、西武、松坂屋グループは、最悪でした。)さてさて、本題に行きますね。 忘れもしません。 昭和59年ごろの話しです。 松坂屋名古屋本店での 毎週日曜の夕方に行われる 「セールス会議」の席上の話しです。 レナウンさんは、いつも、いつも、デパートのバイヤーさんとは、ゴルフの話しや、 接待の話しばかり、仕事に関しての話しは、少なかったです。 いつも、いつも、怒られるのは、 体育会系の東京スタイル、三陽商会、岐阜のシンガポールさんの営業マンでした。 「おい、東スタ(東京スタイル)。なんで、売上げが、伸びないのだ。 販売スタッフに、もっと気合を入れろ。」と毎回、毎回言われていました。 レナウンさんは、いつも、ぬるま湯の営業マンさんが多かった。 デパートの場所取りは、いつもレナウンさんが、販促金を払って 場所を確保していました。 当時、婦人服担当のバイヤーさんは、エリートコースだったのです。 食品売り場は、粗利益率が、低いので、出世街道が遅れていました。 婦人服売り場で、売上、利益、商品回転率を上げると、 時期幹部候補となっていました。 ツバメコート(倒産)の営業マンも、サラリマーン化していました。 日曜日に、よく休んでいました。 そして、人事異動で、 セゾングループと十字屋グループを担当することになりました。 その時に、茨城県も担当することになりました。 私の同期の営業マンが 昭和60年3月オープンのつくば西武デパート担当で、 部署が、同じだったので手伝っていました。 やはり、ライバルは、レナウン、オンワード、三陽商会でした。 レナウンの営業マンさんは、比較的温厚な人が多かった。 休みもしっかりとっていました。 社風だったのでしょうか? 「自分の給料は、自分で稼げ」と東京スタイルでは、教育を受けていました。 どこの営業マンよりも、早くデパートに行く。 9時前には、商品センターに出向いて、 検品を終えて オープン前には、もう売り場に商品が並んでいる状態にしていました。 帰るときも、デパートさんの終令に参加してから 電車に乗っていました。東京スタイルは、 体育会系の社風で、いつもいつも、ピリピリした社風でした。 故住本会長のエピソードです。 古い本社では、いつも社員食堂で 「味噌汁をごはんにかけて、食べる。 早く食事を終えて、すぐ取引先に出向く。」と言っていたそうです。 「住本会長、もう会社が大きくなったから、落ち着いて ごはんぐらい、食べてください。」と部下が言うと 「バカなことを言うな。緊張感が無くなるのが、怖いのだ。 まだまだ、他のアパレル会社より、売上、利益が、小さい。 働いて、働いて、みんなを幸せにしたいのだ。」と言ったそうです。 レナウンが倒産した要因は、いくつかあるかと思いますが、 危機感が薄れたことが、一番大きいかと思います。 他人事ではありません。 緊張感です。 ロコレディに入社して、 取引先さんには、支払いをきれいにする。 偉ぶった態度は、しない。 真剣勝負です。 アパレルメーカーの営業マンは、家族と同じ。 人格を否定するような態度は、絶対にとりません。 まとめ お互いに、お互いに、真剣勝負。 ファッションを挟んでの意見交換の ケンカは、するべきですね。 人格を否定しないこと。 当時のデパートのバイヤーさんは、 横柄な人が多かった。 その人たちのお陰で、今の私がいます。 反面教師です。 東京スタイルの社風は、「仕事とは、先手、先手と働きかけることだ。」と。電通の鬼10則(仕事10訓)は、東京スタイル手帳に書かれていました。#アパレル興亡#東京スタイル#デパート業界衰退#ロコレディ#アパレルメーカー
2023.12.16
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新規客を増やそう~。 ・・・これに、集中しすぎると、売上げが落ちてくる。 あくまでも、集中しすぎると、このような結果になる。 あくまでも、あくまでも、バランスである。 新規客を増やす。 ・・・・コレに費やす仕事は、10%位から15%ぐらいが、 最適なような感じであります。 5店舗まで、お店を大きくしたラーメン屋さんのおやじさんが言います。 立地の悪いお店の方が、お客様が最終的には、 集まってくる。 苦労して、苦労して、お店を探して、探して、 ご来店する。 するとね~、他のお店の味と同じでも、より 美味しく感じるようです。 当然、立地の悪いお店は、家賃が安い。 その安い分、お客様に還元するようにする。 他のお店でやらない笑えるイベントをしたり、 子供がまた、来たなるようなお店にしよう。」と考えたそうです。 私は、3ヶ月に一度ぐらい行く 群馬県館林の蕎麦屋さんがあります。 いつも、いつも、お客様でいっぱいです。 なぜ、こんなにいっぱいか????? 壁には、昭和の懐かしいおもちゃとか新聞とか、人生訓が、たくさん描いてあります。 トイレにも、描いてあります。 駐車場にも、順番待ちの場所にも、 昭和の写真や、人形、芸能人のサインなどなど。 面白いモノが飾ってあります。 違うお蕎麦屋さんの話しです。 また、知り合いの蕎麦屋さんの旦那様(60歳代後半)が言います。 「はとみさん~、僕はネ~、サラリーマンを辞めて 修行をして、独立をした。 店舗展開をするようなタイプの僕ではない。 だから、1店舗を確実に、お客様に喜ばれるお店にしたかった。 だから、かけそばや、ざるソバ、盛りなどの蕎麦の量を 他の標準店舗の蕎麦屋さんより、量を130%アップしている。 他の蕎麦屋さんより、原価率は、高いと思うよ~。 子供たちも、独立をした。 夫婦2人で、食べていく金額は、知れたモノ。 その分、お客様に還元する。 エビの大きさは、他のお店の150%アップ。 お子様メニューを充実。 家族連れを増やすことで、客単価をアップの戦略を立てた。 全国チェーンのうどん屋さんや、 蕎麦屋さんのは、出来ないサービス。 それは、一人、ひとりのお客様によって、 少しメニューをアレンジする。 前回ご来店された時の残したモノから、 好き嫌いや、ネギの量などを分析。 出来るだけ、名前を覚える。 サラリーマンさんの団体さんや、 主婦の皆様のご来店の場合とでは、 接客応対や、料理の出すタイミングを考えている。」 と教えてくれます。 実は、私は、経営のヒントは、飲食店から学んでいます。 出来るだけ、自分の目で、確かめて、自分で結論を出します。
2023.12.07
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キッチンカーで。各地を回ります。色々な出会いを頂いたおります、「はじめまして、今日宜しくお願いします。」とか「今日一日、大変お世話になりました。まらどこかで、会いましょう~」と言います。キッチンカーのオーナーさんとは、ライバルではなく、「仲間」というイメージでいます。私の独特な言い回し方も、参考にしてもらって、この場を盛り上げましょう~。・・・と言います。中には、嫌がるキッチンカーのオーナーさんもいるようですが、あくまでも、あくまでも、外柔内剛の精神です。お互い様、お互い様の心で、接しています。「羽富さん、茨城県のキッチンカーのオーナーさんは、親切な人、 優しい人が、多いですね。感じが良いですね。」と埼玉家県からお越しのキッチンカーのオーナーさんに言われました。私が、一番高齢者になる場合が多いです。言葉遣いに注意しながら、会話をします。年上だから、先輩から挨拶する。亡き父親は、先輩が、先輩づらして何に、なる。後輩に慕われる先輩になること。武士道には、部下の育成も語っています。
2023.12.04
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どうしたら、職場の女性を活かすことが、出来るか?いつも、考えています。アイデアを出させる環境を整えています。決断するのは、社長の仕事。提案力は、現場で磨くものだと思っています。アイデアが、浮かばないときはお風呂や、図書館や、カフェに行きます。また、ホームセンターに出向くことも多いです。時間を忘れて、本屋さんに立ち寄ることもあります。
2023.11.29
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昭和26年7月27日に創業したわが社です。創業者が、行商をはじめて親戚の扇屋旅館の一角を借りて創業した。名前は、「扇屋洋品店」と」名付けた。そして、昭和35年4月27日に、設立した。宝ストアーを始めた。昭和48年3月3日にロコレディとして、出発。昭和62年10月に私が、一般社員として入社。全く、知り合いでもない。親戚でもない。全くの赤の他人で入社した。茨城県には、親戚も、友達もいない。ある日、創業者羽富 正三に呼ばれた。「商売が、好きか?」と。「ハイ、大好きです。」と答えた。わが社の一番の宝物は、勤続年数50年、40年、30年というスタッフたちが、多いです。20年勤務は、当たり前。「まだ、勤続年数が、15年です。まだまだ新人です。」というスタッフがいます。現在のスタッフの平均年齢は、48歳です。お客様を家族の一員として考え、スタッフも、家族の一員として考えてきました。3.11。水害被害(鬼怒川氾濫、ビルの雨漏り被害2店舗)そして、コロナ被害。台風被害、深夜における泥棒被害。11年間で、9回の災害、被害に遭ったわが社です。それを乗り越えようと、毎日働いています。お客様も大事です。また、働てくださるスタッフたちも、大事です。今までのような卸し先からの仕入れて、販売だけでは、困難な時代に突入しました。ビジネスモデルを見直す。再構築をはかるべき仕組みを考えております。#ロコレディ創業#ロコレディ扇屋#扇屋洋品店
2023.11.24
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商店街や、協同組合でよく話題になるのが?ライバルの存在です。「同業同志の競争で、 お互いに、切磋琢磨する。」私は、そう思っています。例えば、同じおせんべい屋さん同士、おにぎり屋さん同士同じスポーツクラブ同士、同じ焼肉屋さん同士全てにおいて、ライバルがいるから努力するのだ。・・・・・と思います。今、常総市内で、ブラック店は、わが社だけとなってしまった。今から、20年前、30年前には、ライバル店舗がいた。時には、誤解を与えて、迷惑を与えたこともあった。その反面、いやがらせもあった。でも、気にしていなかった。ライバルがいるから、スポーツの世界でもお互いに、努力する。また、近頃、相談を受けることも多くなった。経営者の仲間や、後輩等々から。若い経営者さんからも、相談を受けることが多くなった。すぐ、答えを求めたがる。その傾向が、強くなったと感じる。自分自身で、考えるクセを付ける。それが、大切かと思う。来年夏向けて経営革新計画書を作成しようと考えている。出来れば、春までに書き上げたい。考えるクセを付ける。そんな毎日の連続です。的を絞って考える。
2023.11.19
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常に、周りに気を配って、配慮する。 状況判断ですね。これを学ばせて頂きました。厳しい会社でした。もう、毎日が怒鳴られていました。今に見てろ~。転職して、自分の世界観をつくるぞ。・・・と考えていました。故羽富 正三との出会いは、運命的でした。もし、就職活動で、三陽商会合格の電報が、届いていたら、茨城県には、、いませんでした。親戚も、知人もいない茨城県です。三陽商会の名古屋支店に勤務していたと思います。それが、それが、・・・・・・。縁があって、東京スタイルさんで、お世話になりました。 東京スタイル(アパレルメーカー)在籍中に、 教わったことは、下記の言葉です。 電通の鬼10則です。 これを手帳に書いて常に、持ち歩いていました。 単体では世界最大の広告代理店である「電通」には4代目社長吉田秀雄によって1951年につくられた電通社員、通称「電通マン」の行動規範とも言える「鬼十則」と呼ばれる非常に有名な言葉があります。1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは......。6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考になりますか??? 東京スタイルの当時の社長故高野 義雄氏には、大変お世話になりました。 感謝しております。また、常務 磯貝 勝氏にも、感謝です。 「オマエは、菌だ。 乳酸菌とばい菌があるが、 乳酸菌となって、転職先で、成功せよ。 そして、上場の時には、オレを食事会(パーティー)に誘ってくれ。」と言われました。 本当に、本当に、感謝しております。 給料を頂いて、商売の基本を教えて頂きました。
2023.11.17
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題名「おじさんは、芸人さんだよ~」近頃、アパレル店舗や、キッチンカーにお見えになるお客様より「あなたは、芸人さんだよ~・」と言われるようになりました。私は、自分の子ども4人の教育を放棄して、妻にまかせっきりでした。反省、反省、大反省です。ですから、ご来店のお客様や、子どもさん、孫さんとは、常に、仲良くしたい気持ちで、接っしています。大学生時代の新聞配達の経験から「新聞より、人柄を読まれる青年になれ!」と当時の販売所長さんから、指導を受けていました。「商品では、中々、差別化出来ないが、人柄は、マネできない。 オリジナルな接客が、差別化になる、」とアルバイト料をもらいながら、勉強させて頂きました。全ての基本は、この「新聞配達」から学びました。寒い日より、風の強い日、雨の日が、辛かったです。「一期一会」の心で、お客様や、子どもさん、お孫さんと接しています。あるお笑い芸人さんから学びました。「はとみさん、人から笑われることで、アドレナリンが出ます。 笑われることで、逆に元気を頂ける。」と。 芸人さんの心と商売人(笑倍人)の心は、同じですね。常に、常に、「素直な子ども心をいつまでも、持ち続けたい。」と思っています。年末、年始に向かって、ガンバレ、顔晴れ、願晴れしましょう。
2023.11.08
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景気が良い?悪いをしるには?私は、宅配業者のドライバーさんや、飲み物指導販売機のスタッフさんから、聴きます。荷物が増えでいるか?ゴミの量が増えているか?また、朝のゴミ収集のドライバーさんにも、話しを聞きます。商店街のお店の荷物が増えているか?そうすると、景気の動向が、わかってきます。政治家の話しを聞くより、ドライバーさんや、ガソリンスタンドのオヤジさんから、情報をとります。参考になれば、ぜひぜひ実践してみてください。
2023.10.09
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題名「女性は、安心感を好む???」今回は、若い世代向けに書きますね~。近頃、女性との接し方で、悩んでいる男性が多いのに、気づきました。私は、男3人兄弟の次男坊。体育会系の家庭で育ちました。40年以上職場では、女性の世界で、働いています。女性には、男性には、ない能力があるのです。いいですか?女性は、「母性本能」という能力があるのです。例えとして、もし、自分の子供が車にひかれそうになったら、女性であるあなたは、子供をかばいながら、車に対応するでしょう。 この私、男性ですので、車に向かって、両手を挙げて、注意を促します。ある40才台の女性に「はとみさん、女性にとって、子供は、分身なのです。だから、危険な状態になれば、身で、身をかばうのです。」わかります。わかります。要は、女性は、仕事でも、第1に安心感を求めます。ある改革を実行する時も、この安心感を第1に考え、改革をわが社でもします。女性は、「改革」より、「改善」という柔らかな言葉を好むので、わたしは、よく「改善提案」をしてください。・・・とお願いします。いいですか?女性である、あなたあなたですよ。 でもね、あまり安心感を出しすぎると、ストレスが溜まるのです。当たっているでしょう。 女性は、良い、悪いは、別として。2つ顔を持っています。もう1つの女性心理があるのです。ココでは、詳しく、書くことができませんので、今度、お会いした時に、話しますね。ウソじゃないですよ。先日も、来社されたご夫婦の方には、すべてお話ししたら、化粧が崩れるくらい笑いこけていました。しかも、涙を流し、笑っているのか、泣いているのかわかりません。そうなんですよ、この行為でも、2つの現象をおこします。しかも、その女性は、足をバタバタさせ、ノドOOコをこの私に見せるくらい興奮して笑うのです。しかも、ツバは、飛ばすは、飛ばす。そういうダンナさまは、おとなしく、沈着冷静です。要は、女性の行動心理は、すべてが、すべてというわけではないですが、安心、安らぎ、を求めます。だから、男性が、時々刺激を与えなければ、いけないのです。女性が悪いと言っているのではないのです。女性は、バランスを崩し易いのです。妻であり、母であり、家族の為に、どうしても、そのようになるのです。この気持ちを理解した上で、女性に対する声のかけ方に注意しましょう。先日、商店のオヤジさん(80才代)「はとみさん~。女性は、男性を小ばかにする習性がある。うちのばーさんもそうだ。時には、ビシッと言うときも、必要だ。威張れじゃないぞ。誤解するな、抑揚をつけた言い方で、言うことも大切だ。ただし、10回に1度か、2度だ。」参考になりますか???
2023.09.24
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アパレル業界でも相変わらず、疲弊している状態が、続いています。長年、アパレル店舗(仕入れをして、販売式小売店)は、2月と8月は、赤字場合が、多いです。なぜなら、処分価格で販売するからである。2月、8月は全くの赤字。(1月と7月は、ほとんど粗利益率が、1ケタ台となります。)なぜか? シーズンの変わり目で、夏物セール、冬物セールをするからです。夏秋企画(かしゅうきかく)、冬春企画(とうしゅんきかく)を社内で、平成6年から、トライアルしています。中々、上手くいかず、もう2月、8月は、利益を出すことをあきらめるか?・・・と考えた時に、コロナ被害に遭う。6月中旬より、夏(か)秋(しゅう)企画(きかく)を展開。過去最高の売上、利益高を確保できました。セールは、セールで、受け入れる。セールが好きなお客様もいる。(セールハンターは、時には、現金化してくれるので、シーズン制の高いアパレル業界では、必要なことかもしれない。)では、シーズンの先取りするお客様(プロパー客…定価販売客)もいるが、これだけ暑い日が続くと、秋物を7月から展開では、早すぎる傾向になってきました。支払いが、販売前に支払い(60日以上前から)なので、資金繰りも、大変である。よって、商標登録も行い、夏素材で、秋カラーを展開。そして、6分袖、7部袖のカットソーや、ブラウスを仕入れ・販売強化していく。でも、共同別注品(茨城県内は、弊社のみ。他のエリアで取引先に販売してもらう)であっても、販売点数を1型50枚以上を義務付けされる。完全オリジナル品は、生地にもよるが「1型1色100枚以上が、基本となる。」コロナになって、各アパレルメーカーさん、問屋さんの営業マンとの絆づくりをより深くしようと考えた。支払い日は、お約束より早目に振り込む。そして、お店の情報を必ず、週に最低1回は、行うことで、より人間関係が、深くなってきた。この「夏秋企画(かしゅうきかく)の情報を営業マンの功績であることを上司に伝える。」まとめ「仕入れをする」という強いう立場ではなく、「人間関係を育む」という関係で、良好な取引きをする。仕入れするという優位な立場で、横柄な態度や、条件は、慎む。ロコレディでは、円満な取引きから、取り組みを行っています。
2023.09.22
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「失礼ながらも、お客様のことを・・・」いつも、ご愛読ありがとうございます。私は、常にスタッフたちに「お客様のことを家族の一員だと思って接するように」と話しています。「ヒットよりフィット」の時代になりました。ひとり一人に合った洋服や、靴などを提案しております。大量仕入れ・多量販売方式は、賞味期限切れの時代に津突入だと考えています。また、私はスタッフたちを家族の一員として考えています。勤続年数が50年、40年、30年の70歳台の女性スタッフもいます。みんな会社の宝だと考えています。全社では、平均20年勤続です。20代半ば~50代のスタッフが、元氣に働いております。私は婿養子です。1999年に先代の後を受けて社長になりましたが、その時から強く感じていたのは「これからは婿殿・嫁様の時代。 女性が活躍の時代がやってくる。それに備えて、女性が働きやすい環境を整えておく必要がある」と平成6年に考案し、 そこでまず着手したのが、人事制度改革です。これまでの硬直的な年功序列人事制度を廃し、女性が活躍できるフィールドを広げるためにオーダー・メイド型雇用人事制度を導入しました。県内では、わが社だけのオリジナル制度のようです。戸籍や年齢は、仕事をする上では一切関係ありません。大切なのは「いつまでも、いつまでも、若い感性を持ち続けたい」と思う心が大切です。そんなスタッフたちに、いつも助けられています。お客様からも、「ロコレディは、安心してお買い物ができるから!」と嬉しいお言葉も頂きます。お客様のことを家族の一員として考えています。
2023.09.21
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私は、昭和57年4月~昭和62年8月末まで東証一部上場「東京スタイル」さんに、勤務していました。百貨店3部に属していました。地方の百貨店担当でした。仙台の藤崎デパート、山形の大沼デパート名古屋の松坂屋名古屋本店静岡の西武甲府の岡島などなど、すべてデパートの営業マンでした。当時のデパート婦人服担当は、エリートコースであり、出世コースとも、言われていました。とにかく、アパレルメーカーの営業マンに対しては、顎(あご)で使う。威張っているのが、仕入れ担当者(バイヤー)でした。殆どのデパートが、委託条件。返品は、着払い返品。ビニール袋に入れずに、平気で、返品する。自分勝手に写真撮りして、セールちらしに載せる。もう酷い状態でした。場貸し屋ですね。そんな状態でしたので、今の段階になって、あ~でもない。こ~でもない。・・・・というのは、当たり前の状態ですね。悪くなるのが、当然ですね。のれんに、胡坐(あぐら)をかいたツケが回ったのだ。・・・・・と思います。私は昭和62年10月に一般社員として、小売業(ロコレディ)に転身しました。小売業は、全くの素人の私。(もちろん、この時は、後継者になるとは、思いませんでした。)私は、今度は、小売業で仕入れする立場でしたが、決して、デパートのような横柄な態度や、安易な仕入れの委託販売は、しませんでした。デパートのやり方を反面教師として、絶対、営業マンが嫌がることは、やらないのが、私の信条でした。そして、支払いが、悪い百貨店は、ゆくゆくなくなると思っていました。特に、支払いが悪いのが、当時西●系と松●屋系のデパートでした。でも、地方のデパートで、綺麗な商売をする仕入れ担当者(バイヤーさん)もいました。それは、ADOグループ(伊勢丹G)でした。常識無い返品や、値引きは、一切無しでした。百貨店の花形は、アパレル。特に、レディース部門。(メンズ部門では無かった。)その中でも、婦人服が、花形の中で、一番出世コースでした。(どの部門より、早く部長職に)なぜなら、売上面、粗利益率面でも、百貨店の中では、一番だったからです。外商部門より、力を持っていたのが、アパレル部門でした。詳しくは、「アパレル興亡」企業作家 黒木亮氏の本をお読み頂くと、嬉しいです。その登場人物として、「堀川利幸」が、出てきます。モデルは、4人(4人とも、東京スタイルの男性営業マンです。)そのうちの1人が、私です。(まとめとして)百貨店の衰退は、時代の流れもありますが、創業者の思想が無くなった。(三方良しの気持ちが、消滅した。)お互い様、お互い様の心が無くなったので、衰退したと私は、考えています。デパートで、お子様ランチを食べるのが、月に一度の愉しみでした。(オリエンタル中村や、松坂屋名古屋栄本店で、 お子様ランチを食べた味は、今でも忘れません)デパートには、夢があった。でも、それを無くしたのは、時代の流れもありますが、保身になった横柄な態度のバイヤーや、幹部の責任もあるかと、思います。(百貨店で、バイヤーを3年やると、担当者の家に蔵が建つと言われていました。)奢(おご)れるもの久しからず。・・・だと思います。#百貨店の衰退#アパレル興亡#アパレル業界#ロコレディ#黒木亮
2023.09.14
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ワークライフインテグレーションとよく似た概念としてワークライフバランスがあります。一見すると、ワークライフバランスとワークライフ・インテグレーションはよく似たものと思えるかもしれませんが、両者は異なる概念です。ワークライフバランスとは、仕事と生活を相反するものとして捉え、両者のバランスを取ることを重視するという考え方ですが、ワークライフ・インテグレーションは仕事と生活の2つを統合して捉えるという考え方です。ワークライフインテグレーションは、生活と仕事は相互にプラスの影響を与え合うものであり、仕事の充実が生活の充実につながり、また生活の充実が仕事の充実につながると考えます。どちらも人生の一部であり、反発するものとは見做さないという新しい考え方なのです。以上一部引用有り。私は、ワークライフとインテグレーションの間に「・」をつけたのが、ロコレディ流です。オーダー・メイド型雇用人事制度と同じです。この「・」があるかないか?この「・」が、「間(ま)」になるのです。いい塩梅(あんばい)です。この感覚なのです。あくまでも、あくまでも、配慮が基本ですが、遠慮は、しません。#ロコレディ流ワークライフ・インテグレーション何度も、何度も、失敗や、過ちを繰り返してアレンジしています。毎日、毎日オーダー・メイド型雇用人事制度について考えています。どうしたら、相思・相愛になれるか?お互い様、お互い様の精神ですね。人間が、持って生まれた優しさと温もりでは、ないでしょうか?オーダー・メイド型雇用人事制度は、平成6年にオリジナルで、考えた人事制度です。ある社労士の先生が、言います。「この制度を他の会社にも、マネしてもらいたいけど、 わが社では、無理だと言う社長がほとんどです。 はとみさん、素晴らしい人事制度です。 社労士として、ここまで考えている社長様が、少ないです。」・・・・・といわれました。
2023.09.08
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私は、昭和57年に、アパレルメーカーにいました。東証一部上場「東京スタイル」に昭和62年8月まで、在籍していました。企業作家黒木亮氏の本「アパレル興亡」は、東京スタイルがモデル会社になっています。その本の名kにも、百貨店の当時の横暴な態度が、出てきます。もう、40年以上前から、その陰りは、出ていたのです。百貨店の衰退はとても悲しいし、復活してもらいたい。・・・と考えていますが、まずは、無理だと思います。なぜか???社長や、経営陣が、変わりすぎるのです。落ち着かないのです。新しい企画や、ワクワクイベントを考えないのか?行動できないのか?わかりませんが,残念ですが先行きは、・・・・・・。固定観念に縛られているのか?新しい発想を育む環境がないのか?今の形態での百貨店は、均衡縮小型で、年々、売上は、減少していくことが、予想されます。子供の頃、百貨店で、お子様ランチを松坂屋名古屋本店のレストランで、兄と、弟と食べる。月に一度の愉しみでした。百貨店が、業態を変えておとなのテーマーパークに変わることを祈念しています。子供の頃の百貨店には、夢がありました。
2023.09.05
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第9回懐かシネマ上映会を2014年から、続けています。コロナで、1回パスしています。1回目は、千姫と秀頼(主演美空ひばり)2回目は、絵師井桁さんのライブ3回目は、ローマの休日(主演ヘッバーン)4回目は、燦燦(俳優 山本學さん来場)5回目は、活動弁士(澤登翠氏の無声映画)6回目は、あかね空(主演内野聖陽)7回目は、銀座の恋の物語(主演石原裕次郎)8回目は、二宮金次郎(主演合田雅吏)9回目は、キューポラのある街(主演吉永小百合)10回目は、未定です。10回目で、千秋楽となります。色々な出会いを頂きました。チームワークです。お互い様の心で。相思相愛の心で。
2023.08.30
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民間で、考えたイベントです。常総市民なら、皆さんがご存じとなったイベントになりました。
2023.08.27
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