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コーラスが不用不急か?というと、やっている者とそうでない者の見方は全く異なる。一律に片づけないで欲しい。何でもそうだが、練習が不用不急なものなど何もない。スポーツにしろ、芸術・芸能にしろ、やらなければ後退するばかりだ。兵庫県の緊急事態宣言が終了したが、練習に使わせてもらっている小学校も9時までの使用許可、と言うことで仕事を済ませてから練習にやって来る者には1時間しか練習が出来ないと言う厳しい話になる。小学校も飲食店並みかい?と言うツッコミはともかく、昼間に十分な時間の取れる会場を探さざるを得ない。幸いほど近いコミュニティセンターが見つかったが、ここにはピアノがないので持ち込みになる。自前の電子ピアノを持っているのでこういう時には重宝する。4ヶ月ぶりの練習らしい練習で、久しぶりにおなかが空いた。飲食店が時間制限がなくなればおそらく学校も10時まで使えるようになるだろうが、まだしばらくかかりそう。神戸型変異株があると言うから油断ならない。
2021年03月07日
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コーラスが不用不急か?というと、やっている者とそうでない者の見方は全く異なる。一律に片づけないで欲しい。何でもそうだが、練習が不用不急なものなど何もない。スポーツにしろ、芸術・芸能にしろ、やらなければ後退するばかりだ。兵庫県の緊急事態宣言が終了したが、練習に使わせてもらっている小学校も9時までの使用許可、と言うことで仕事を済ませてから練習にやって来る者には1時間しか練習が出来ないと言う厳しい話になる。小学校も飲食店並みかい?と言うツッコミはともかく、昼間に十分な時間の取れる会場を探さざるを得ない。幸いほど近いコミュニティセンターが見つかったが、ここにはピアノがないので持ち込みになる。自前の電子ピアノを持っているのでこういう時には重宝する。4ヶ月ぶりの練習らしい練習で、久しぶりにおなかが空いた。飲食店が時間制限がなくなればおそらく学校も10時まで使えるようになるだろうが、まだしばらくかかりそう。神戸型変異株があると言うから油断ならない。
2021年03月06日
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来年のことを言うと鬼が笑うというが、新年が明けてまだ2月だというのに2023年のコンサート(30周年)の計画を始める。その頃にはまあコロナもワクチンも、またm-RNAのことも一定の評価が出てきて落ち着いているのではないかという観測によるものだが。1993年に発足した我が合唱団も高齢化の一途、発足以来のメンバーは私一人、1回からのコンサート解禁は2名だけという状態になってしまった。歌うのは約10人。これで混声四部をやるのだから、クレイジーの部類だ。合唱団も物理の法則と同じ、「常にエントロピーは増大する」そしてしばしば分裂する。宿命だなと思っている。私も飛び出して新しいグループを作ったくちなので。そして集めて、分裂させた。壊した訳ではない。集団脱走を止めなかっただけだ。「コーラスが好きな人」と言っても、内容は千差万別である。楽譜を読めない人、カラオケが好きな人、特定のジャンルにしか興味がない人など、曲をいくつか聞けば見当がつくものの、とりあえずは同じ方向を向いてもらわないとことが進まない。コロナで練習が出来なくなるとモチベーションを保つだけでも努力がいる。そんな少数のグループでは、合唱曲らしいのをやろうとするとどうしても人数が足りない。そこそこのボリュームは必要なのだ。どうしても助っ人が必要になる。頼れるのは普段の交流だが、グループによっては歌のジャンルを絞り切っているので指揮者の協力が得られない。反対にマニアックで面倒くさいグループもある。普段歌っている曲を聴いて、協力が得られるかを探り、何とかなりそうな目処が出てきた。2年かけて作って行かねばならぬ長丁場になるが、この間に覚えた曲を仕上げ、また新曲に取り組む。同じ道を歩いてくれる他グループに感謝。
2021年02月07日
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この時節、コーラスは猛逆風にさらされている。飛沫防止のマスクをすればブレスが出来ない。垂れ下がりのマスクは飛沫を吸着してくれるからと作ったが、隙間から漏れるので公式には使えないという見解で、観客なしなら・・・という。スパコンでのシミュレーションをよく見せられるけれど、どんなパラメータが設定してあるのか分からず、今一つ実感がない。ただ、歓喜の歌の方が日本の歌よりも飛沫が多いというのは納得できる。楽譜が濡れるもの。その割にはマウスガードやフェイスガードはもっと漏れ方がひどいのにテレビ番組では使っている(録画だろうか?)のはちょっと納得いかない。いずれにしても、緊急事態の発令下ではコーラスは悪者、しかも8時から練習を始めていた我がグループは事実上公共施設での練習が出来なくなった。8時に閉鎖するという。当面の目標はないけれど、コーラスによるストレス解消もあるので何とかやりたい。そうなれば練習時間を昼間に設定するしかないが、現在の練習場はその時間、完全に押さえられている。幸い出前演奏のために移動できる電子ピアノは買ってある。そこそこの広さの部屋とエアコンがあれば歌うのは可能だ。と言うことで探したら、現在の練習場にほど近いコミュニティセンターが見つかった。土曜日の空きもある。何とかなるかな、と期待している。次は団員の土曜の空き具合だが・・
2021年01月27日
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兵庫県南部地震から26年である。神戸は大被害を受けたが、同じ兵庫県南部でも西部の方は「長い揺れだなあ」程度の印象で(それでも家はミシミシと音を立てたが)申し訳ないほどだった。明石を境にして激震地帯と安全地帯にわかれた感じである。当時勤務していた調味料工場では最大の被害がガラス瓶の倒壊だった。タンクローリーに水を積み込み、救援に向かったが、8時間経ってもたどり着けなかった。(自分が行った訳ではない)高速を使わなくても普段なら3時間もあれば十分にいけるはずだったが、建物が倒れて道を塞いだり、道路が壊れたりと散々だったようである。それでも大阪というパワーサプライが近距離にあったことは幸運だと思う。物資の大概のものはあるところだったし、また西の方からも支援、海上交通の復活となんとか人と物の移動ができたのである。そんな中、しばらくして「しあわせ運べるように」を聞いた時には胸に染みた。小学校の先生が作った歌だという。今でもこの歌を聞くと涙が出てくる。しかし歌う時に泣いたことはない。後年東日本の震災の時にはわずかに揺れを感じただけで、津波の恐ろしさをTVで見ようとは思ってもいなかった。神戸は火で被害が大きくなったが、東日本は海水だった。何もかも無くなったのは同じだが、東日本の方がより回復に時間がかかったのではないかと思う。この後「花は咲く」が発表されたけれど、何となくしらじらしい気がしたものである。何か彼岸を見ているような感じで「しあわせ運べるように」ほど迫ってくるものが感じられなかった。私の感性の鈍さかも知れないが。さて、「しあわせ運べるように」はその後地震被害が出るたびに応援歌として歌われたそうである。海外でも現地語に翻訳されて歌われたというから、やはり感性に響くものがあるのではないかと思う。作者の臼井真氏は3月で定年退職だという。退職後はこの歌を歌い続ける活動をしたい、と報道されていた。微力ながら、何らかの形で応援できればと考えている。
2021年01月17日
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いつからやってないか覚えていないほどのブランクだった。ことの起こりは、県の文化会館が所轄地域での合唱活動支援のために、音楽祭実行委員を出している団体の活動を広報することを考えた。動画等の投稿に対してポータルサイトを作るからデータの提供をしてくれという訳だ。定期は2年前だったし、市の音楽祭も1年前になる。じゃあ練習を公開しようかと動画を作ることにした。撮影は自分のマイクロフォーサーズにしたが、意外と広角の方を持ってなく(マクロ撮影が好き)、35mm換算で28mmのものしかない。これが意外と画角が狭く、3列で歌わないと全員が写らない。今までに取ったことのない隊形だが、意外と良い録音になった。通常であればピアノが一番近いためにピアノの音ばかりが強調されるのだが、ソーシャルディスタンスの関係で歌が前に出てきた。録画用にはいいかも知れないなと思う。収録は出来たが、カメラの操作のために自分が動いている部分のカットが必要だ。Macのimovieをどうやって使ったんだっけ?まず動画はAVIで記録されるのでこれをMac用に変換する工程が必要らしい。読みこんでカットするのは思い出した。とりあえずは曲のみで出来たが、アップロードは・・・あちこち調べてmovieの中のファイルを共有すればいいらしい・・・が分かるまで半日かかってしまった。年はとりたくない。しかし前後にメッセージや文字を入れれば勧誘用の資料になるな、と思ったのはアップロードの後だった。
2020年10月22日
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合唱連盟の事務局にとって、金銭管理は面倒なものである。集める時は領収書の発行、使う時は領収書との照合と計算、そして通帳との照合である。その他に取引印の管理もある。現金取引を極力少なくしようと考えたのが郵便局の振替貯金だ。どこの郵便局から振り込んでも当該局で領収書を出してくれる。そして残高はそのつど郵便で報告してくれる。支払いや送金は相手方に家のPCを操作して振り込めばいい。しかもこれを無料でやってくれるかららくちんだった。課題は口座開設の時に法人と見なされるため、定款とか規約とか役員名簿などを提出する必要があることだが、一度やっておけば済む作業だ。ところがこの低金利の時代、他の銀行もそうだが手数料を取られるようになった。これがまた消費税うんぬんとともに値上がりする。会費は全部で年間5万円ほどなので手数料は大きく響く。残高報告は1通110円だが、これをネットで確認すれば無料で済むという。が、取引が生じる時はいつか分からないので毎日チェックしなきゃいけないんじゃないか、或いは振り込みがどこから為されたかは分かるのかと心配だったが、取引があるたびにメールが届くことが分かり、安堵した。手書きの入金票もjpegで受け取ることが出来るので、プリントアウトすればいい。が、これもこれで入金時に振り込み手数料を取られる。幸か不幸か定年退職の身となったので時間が自由になった。集金は総会の時に現金で集めて持って行き、「本人払い込み」とすれば無料、細々としたものは現金で払い出しを受ければ無料だ。また、取引口座なので半端な金額でも文句を言われることはない。手数料商売への対応は体を張れ、と言うことだな。尤も誰が得をするのかはよく分からない。払わなきゃならん、と言うことは払えばよい、の裏返しなのだから。
2020年08月25日
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西洋の発生というのは巻き舌とかで舌や唇の動きも激しく、「手に持った楽譜が唾で濡れて一人前」などという冗談を聞いたこともある。日本の歌はそうでもなく、淡々と聞こえるように思うが、指揮者の作ってくれた合唱用のマスクは口の前にかなりの空間をつくってくれ、息が吸えないということはない。吸った息はうまく響かせて大事に使う、と言うのが今まで教わってきたことだ。そのつもりであまり声を大きくせずハーモニーを聞きながら歌うと言うスタイルで練習を終えた。マスクをはずしてみるとしっとりと重い気がする。翌日選択しようと思い、ちょっと匂いをかいでみたら見事に饐えたような臭いがする。腐敗臭といってもいいかも知れない。時期が時期だけに、ものが腐るのに不思議はないが、あんな発声でもこれだけ唾が飛んでいるんだなあと感心?した。いわゆる三密問題で、合唱の練習は袋だたき状態だが、これも当然と思う。球場での応援でも唾が飛ぶはずだ。口の中は微生物にとってはほぼ理想的な培養装置で、湿度、温度、栄養(食べ残し、歯への付着)が全てそろっている。幸い感染源がたぶんないので事無きを得ているが、対面で近距離でしゃべったら、感染しても不思議はない。そして症状の無い感染者は外観では分からないから、感染源になり得る。でも飛沫を落とせるだけでも有効だろう。布マスクには菌を通さないような構造はとても期待できないが、濡れてくるとその水分がフィルターのような役目をしてくれるかも知れない。どちらにしても当分はマスクをつけた練習になりそうだ。
2020年07月10日
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九州の大雨で筑後川があふれているという。被災者の方々にはお見舞い申し上げる次第だが、混声合唱をするものならこの川に特別な思いがあるはずだ。合唱ファンであればこの写真に「古さ」を感じていただけるはずだが、昭和51年の第5刷とあり、600円。大学を卒業した年の夏に小豆島で合宿をすると聞いて陣中見舞いというか、邪魔しにいった。姫路からフェリーが出ているのだが、宿舎は島のほぼ反対側。私にとって最後の演奏会でとんでもないポカをやらかした指揮者が振っていたのだが、音取り段階でちょっと混ぜてもらい、一緒に歌った歌である。この曲に違和感を感じたのは楽譜だ。えらく臨時記号の多い曲だなと思ったら、普通譜の最初に調号を書くのに、それをやらず出てくるたびに音符に臨時記号をつけてあるのだ。「変ホで読んでもらったらいいですから」なるほど、確かにそうだ。で、一発ではまってしまい、翌年ぐらいに手に入れた楽譜だろうと思う。おそらく今でも歌い継がれている、スケールの大きな曲だ。九州一の大河で、後に家族を連れてドライブにいき、この川を渡った時にはちょっと嬉しかった。その川が住民を苦しめていると思うと、複雑な気分だが、早く雨にはやんで欲しい。このところは雨の話題ばかりだが、今夜は瀬戸内にもかなり強い雨が予想されている。油断禁物。
2020年07月07日
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7月から練習を再開することになった。兵庫県で今までに患者は700人余り出ているが、県の南東部、つまり阪神間に集中している。姫路市でも病院でのクラスタ以外は発生していない。それでも行政の言うことにケンカを売る訳には行かず、また練習場をかりている学校が休業ではどうしようもない。4ヶ月の休みになった。同時にイベントも次から次になくなる。7月に予定されていたものは9月に延期になり、結局中止になってしまった。学校は6月から始動したが、一般への開放は20日ばかり遅れた。そりゃあ学校で短縮授業に消毒作業、登下校指導で先生も手いっぱいだっただろう。それでも、小規模校だからまだマシだろうと思う。さて、患者が出ていないからと感染対策をしない訳にはいかない。合唱するものはかなり激しく呼吸をする。特に外国語の歌ならかなり派手に唾も飛ぶ。エアロゾルだ。たぶんウイルスは含まないと思うが、マスクをすれば飛ぶのはあ防げるけれど、吸気が辛い。速いブレスにはとてもじゃないが対応できない。自由に呼吸が出来るのがいかにありがたいことか。そんなとき、「黒子の頭巾みたいなの、マスクで出来んかなあ」とつぶやいた者がいた。鼻から下をオープンにするイメージのもの。バンダナとかを巻くイメージか。知らない人が見たら幌馬車隊を襲うギャングみたいなものだが。課題は、たぶん吸気の際の邪魔になること。掃除機みたいに口に貼り付かないようにしなけりゃいけない。鼻筋から芯を延ばしてやれば口からの距離が確保できるかも知れないね、と無責任に言う。そんなぞうさんみたいなマスクが出来るだろうか。ともかく消毒液、洗浄剤を用意しなければならない。
2020年06月29日
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ゆうちょ銀行の回し者ではないが、合唱連盟の事務局をやっていて、会計をどうするかは問題だった。発足当時はサラリーマン現役だったので現金を集めても預けに行く時間がないし、現金を手元に置くのも受け渡しが面倒、しかも構成員の住所は広範囲、ということで法人扱いにできる振替貯金を選んだ。構成員は会費を郵便局で支払って領収書をもらい、入金の通知が郵送され、残高書も送られてくるので取引ごとに証拠物件になる。支払いは相手方の口座に無料で振り込める。(月5回の制限はあるが)決済口座というのは実に便利なものだと思っていた。ところが超低金利の時代、郵便局も手数料商売になってきて、どんどん手数料が上がってきた。振替手数料はもちろん、報告書類も100円/通になった。これでは振り込みと報告で1回(件)あたり300円あまりの経費がかかる。そこで私もリタイアをして時間の自由はできたので現金を扱い、局に持っていけば手数料は要らないので振り込み料金を圧縮した。オンラインで入金票の照会が出来るとのことでその画像のDLが出来ればと思い、申し込むことにした。
2020年06月20日
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コーラスの練習が「自粛」になってから約4ヶ月。全く歌えてなくて「練習がないのが普通」みたいな感覚ができてしまった。練習場を借りている小学校は6/1から始動したが、例年に比べれば2ヶ月遅れての新入生教育だ。しかも生徒の間隔を空けての変則授業。現場の混乱は目に見えている。そもそも、だが、兵庫県というところ、人口は私鉄沿線、阪神と阪急沿線の町に偏在しているのだ。だから699人の感染者は神戸市以東にだけ、と言っても過言ではない。姫路市ではある精神科の患者によるクラスタだけである。私鉄は姫路市にも来ているからまさに私鉄沿線の病気だった。それが県一律の規制だから無理もでる。暑くなってマスクをはずす子供も増えている現実。そんなところに学校からメールが届いた。「2月から一人も出ていないので6/19から施設の一般開放を始める」ということだ。ただし消毒剤は自分持ち、換気を十分にして・・と、言うことになっている。すぐに対応できるか、対応に時間を要するか報告しろと言う訳だ。緊急事態が発令された時に既にアルコール剤を用意していたし、接触感染ということも分かってきたのでそれなりの対応は出来る。「やります」と電話した。対策を細かく聞かれるかと思ったが、「分かりました」で決着。準備の期間が必要で、再始動は7月になる。やっと練習が始められるが、もう少し地域要素も考えてもらいたいものだ。
2020年06月09日
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7月に予定されている「童謡の祭典」にのせようと思っているが、予定している編曲では4番まで書かれている。丈余の櫓櫂あやつりて・・・と言う歌詞はあまり知られていないのではないか。選曲した指揮者自身が「2番までしか知らなかった」と言うので「我々は3番まで習った気がする」と、世代間ギャップの話になったのだが、調べてみると何と7番まであることがわかった。後の方ほど軍国主義の色が濃く、時代を感じさせる歌である。戦後、たぶん教科書にアメリカ軍の検閲があって軍国主義的な部分を抹消されたのだと思う。「里の秋」でも3番の「さよならさよなら椰子の島・・」のくだりが抹消されている。パブリックドメインのように知っている人は多いはず。今週から始まったNHKの朝ドラ「エール」のモデル、古関裕而氏も、「食うためには望まないものも書かねばならぬ」時代だったにちがいない。東京オリンピックマーチは今でも傑作だと思う。おそらく2020を当て込んだ作品になる予定だったのだろうが、1年ずれる結果になってしまった。でも、56年前のこの曲でも十分に通用する気がする。
2020年04月02日
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文部科学省から学校生活の通達がでた。1.換気の悪いところにいてはいけない2.密集してはいけない3,近距離での会話や発声をしてはいけない趣味の合唱は全てに該当する。1.この時期、夜間に窓をはり開けて練習したらそれこそ風邪を引く。2.響きをあわせる練習には歌い手が近寄ることが必須である。3.発声の無い合唱はない。唯一あるとするなら、円陣になって外を向き、歌うことだろうか。内向きなら指揮者は見えるが、外向きでは指揮者が見えないポジションが必ずある。こんな基準守ってられるか!幸い60年前の小学生である。
2020年03月25日
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練習中止、演奏会延期のオンパレードである。自分の関係するものもこれからどうするか判断するものも多い。一方で公民館などの扱いについては自治体により変わるようで我が町では使用禁止は出ていないが、隣町では使用禁止となったようである。まあ、大阪、京都で感染者が発生したら阪神、阪急、近鉄やJRで結ばれる阪神間に発生するのは時間の問題だと思っていた。しかし人との接触なしには生きて行けないのもこの社会である。今日が終業式で、明日から休校にはいるらしいが、どこで歯止めが効くのやら。ウイルスの特性がまだ明確になっていないだけに、どんな薬剤が効くのか、手当たり次第にやるしかしょうがなさそうである。何よりも感染を防ぐために免疫と洗浄で対抗力を上げるのが個人レベルでは一番だろう。
2020年03月02日
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町の合唱連盟の会計係を仰せつかって(押し付けられて?)いるが、理由は単純。私の家が一番郵便局に近いからなのだ。発足して10年ばかりになるが、その頃は私も現役で働いていたので、営業時間に金融機関に足を運ぶなんてことはまず出来ない。会費を現金で預かっても運べないのである。そこで郵便局の振替貯金とゆうちょダイレクトの組み合わせで、会費は会員に振り込んでもらい、貯金局からその報告を郵便で受ける、支払いは自宅のPCから操作し、支払い先に振り込むというシステムにした。利息はもちろんつかないが、ついたって微々たるものだし、勘定科目が増えるだけのことだ。出来るだけ手をかけずにやりたい。その点、無料で収支をそのつど報告してくれるのだからこれはありがたかった。ところがその収支報告が有料になると通知が来た。ゆうちょに限らないが、振り込み料金も上がるし、きついところだと「口座維持管理料」みたいな名目で取り立ててくれる。これにどう対抗するか考えなきゃならない。web参照で無料に出来るが、明細がお粗末で入金者が分からない場合があるのでこれは困る。結局総会で現金集金、領収書を発行して現金を運び、今まで10枚程度にわかれていた収支報告書を1枚にすることにした。リタイヤしたからいつでも金融機関に通える。が、こう手数料をあげられては結局会費に跳ね返さざるを得ない。自分の労働か、手数料かを選ぶ機会が増えそうだ。
2020年02月20日
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音楽祭では出演者の一部に受け付けとかドア管理の仕事を割り振る。地元の職業高校の生徒が混声合唱でエントリーしていたが、昨年は確か女子5人ばかりのグループで3部合唱を歌った。一人か二人のパートである。それが今年は男子も含めて12人である。聞けば、文化祭に出演してから電気科の男子が入ってきたのだそうだ。更に指導は教師でなく、中学生の時にコーラスをやっていた女の子がやっているという。無指揮でアカペラ曲をこなす。大人は足下にも及ばない。その指導をしている子は、看護科の2年生だそうである。高校の看護科に進むと、2年の専攻科を終え、計5年の勉強・実習で看護師の試験を受けられるのだそうだ。普通高校からだと4年制の看護大学卒業後になるから2年早く受験が出来る。それが理由で進路を決めたというからなかなかしっかりした子だ。こういう子が女日照りのわが団には是非欲しいが、(しかもソプラノ)若い子は地元で就職しても結婚や出産、家庭の事情で歌を続けられなくなることも多いのが実情。一方、年寄りばかりで若いのがいなけりゃ継続はない。接点を持つためにも音楽祭の実行委員はやめられない。
2020年02月16日
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この時期にやるようになってからそろそろ10年だろうか。文化祭的なものは秋にやるのが相場だが、こういったホールを使う事業はまず日程の確保が条件になる。秋は文化協会だの農協の大会だので土日はだいたいつまっている。平成の合併を機に始めた事業なのであいてるところがこの時期しかなかった。合唱の部と器楽(和楽器、洋楽器、吹奏楽など)の部に分け、2日をすごす。実行委員はどちらかに属し、自分の出演の無い日に裏方の仕事をする。ところが今年は合唱の出演申し込みが多く、器楽が少なかったので器楽の日に合唱が一部まわることになってしまった。こうなると、天気との巡り合わせが大きなファクターになってくる。合唱は人の移動だけだが器楽は楽器がついて回り、雨に濡らすなどもってのほか。このところは暖かい日が続き、雨は夜間に降るパターンだったが、これがどうも昼間に降雨の可能性が高い。天気は客足にも大きく影響する。駐車場の整理や床での転倒(これが過去実際にあった)やら、出演者も客も手間が増える。もちろんスタッフも。なんとか降らないことを祈りたいが、既にぱらつき始めた。明日半日は雨だな。外しかないので練習場に困る。比較的雨の少ないところだが、気をもむ1日だ。
2020年02月15日
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練習は一昨日だったが、義理をたくさん頂きました。しかし人生で一番面白かったのはチロルチョコにボールペンで「義理」と書いたのし紙をはっ付けたやつでしたね。20円だったかな。今も心に残る義理チョコです。最近は義理も値上がりしました。お返しもバカになりません。
2020年02月14日
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動画を見せてもらったら、確かに年寄りの姿勢になっている。発声の時に背中全体を壁にくっつけて、と言うトレーニングをやるが、かなりそっくり返る気がしていた。ここまで年寄りくさくなってるかなあ。がく然とした。若い時に座骨神経痛で倒れた?ことがあって、今でも冷えると出てくるのだが、重い荷物を背負って山に行く時にはどうしても少し重心が前に行く。それがクセみたいになってるんだろうか?痛いのをかばうとやはり前かがみになる。前傾姿勢とは言い難い。痛い訳ではないので医者に行くのもどうかと思うし、整体とかそういう方なんだろうか?姿勢が良くないので指導を受ける?ヨガとかかな。
2019年12月19日
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多田氏のご逝去から2年がすぎた。混声メインの私は一度氏の書かれた混声合唱を歌ってみたいものだと思っている。「京都」とか「白き花鳥図」とか。学生時代にふれた「雨」は、男声合唱の定番中の定番曲だ。大学の男性寄り合いチームで演奏したのが初めてだったが、本当に虜になった。就職して買ったレコードも多田作品が一番多い。「雨」は氏の初期の作品だが、聞いただけで「歌ってみたい!!」と思わせる軽快・重厚なハーモニー。今となっては男声合唱の星のような存在である。「これくらい歌わなくちゃ」という必修曲と言う方がいいだろうか。息子の嫁がなんとこの日が誕生日。もちろん彼女が生まれてから多田氏が亡くなったと言う、偶然の話だが、ぼけるまで忘れないだろうと思う。
2019年12月12日
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久々のコーラスネタです。今年の全国大会は京都のロームシアター。しかしこの紅葉真っ盛りの時期の京都は混雑もいいところ。京都駅からの市バスは5台ばかり待ったし、帰りはどのバスも満員で乗れない。業を煮やして地下鉄東山駅まで歩きます。約10分・・いや、こんなことはどうでもいい。(それにしても暑かった!!)コンクールです。23日は大学ユースと24人以下の室内合唱、24日は一般のまあ決勝です。どの団体も各地方のトップが来る訳ですから、これを聞かない手はない。京都の他大阪、岡山、鳥取くらいなら行くでしょうね。たっぷりと21団体聞かせて頂きました。いやー、どこもうまい!このレベルの演奏をしてみたいものです。ですが、合唱と言うのは歌で曲芸をやることだと言う人がいて、ある意味あたっているなあと思います。とんでもない不協和音はフィギュアスケートの3Aみたいなもの、ユニゾンは華麗な滑走みたいなものかも。だから芸術と言うのかな、と最近なんとなく納得しています。芸事だなあ、と。そして芸術の道は険しい!
2019年11月23日
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文化協会の推薦で敬老会のアトラクションに出演した。まあプロの芸能人もやってくるのでその前座というところか。市役所の高年福祉課が窓口になる。いわゆる「平成の大合併」で生まれたもので、僻地からの距離はかなりある。なので、中心部が第一部、南部が2部、北部が3部と言う具合に地区分けがされ、そこに貸し切りバスが迎えに行って集客、また送り届けると言うことらしい。出演者の自動車には駐車許可票が発行され、それがないと駐車場にも入れない。大型バスが30台から止まっているのだ。自家用にうろうろされたらたまらない、と言うのが正直なところだろう。曲は「川の流れのように」と「鞠と殿さま」である。両方とも高齢者施設の慰問に使っている。聴衆に喜ばれるのは「自分が知っている歌」なので、選曲の基準になる。逆に「みんなが知っている歌」と言うのはボロがわかりやすい、という危険性もあるので、下手なことは出来ない。それだけに気も遣う。メンバーはピアノともで9人。すなわちダブルカルテットの混声四部だが、生声で十分な精鋭ぞろい。ただ、反響板が使えないのでマイクを薄く使ってもらった。やはり知っている曲には客席から手拍子も入る。要請なしで手拍子がとれたら、まずは成功だ。文化協会の枠15分をコーラスとフラダンスで分けあうと言う荒業だったが、無事終了。まだ敬老会に観客として私自身が招待していただくには8年あるが、その頃まで歌っているだろうか。
2019年09月16日
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敬老会シーズンがもうすぐやってくる。今年はコーラスの出演を頼まれて「見せる」方に回るが、リタイヤしている団員も少なくない。私が幼稚園の頃にはもう敬老会があって(確か隣の小学校と一緒だった)祖父母が来ていたが、この時祖母は70才ぐらいであったはずだ。今は75才以上、いわゆる後期高齢者が見る側に回れるんだそうだ。私はもう少し間があるが、市内の合唱団にはこの条件を満足する団員がほとんどのところもある。老老敬老会と言うところか。中にはかなり名をはせたご老人もいて、「なんであいつが来る敬老会に出にゃいかんのだ」と「不敬老」にかえたい思いになることもある。全体の平均年齢が上がるから仕方ないが、老老介護は深刻な問題だ。出来るだけ世話をかけるようにならないよう、気をつけるつもりだが、要介護のリスクは外からだってやって来る。演じる側に回っている間が花かも知れない。
2019年08月31日
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フィリピンの東で発生し、週末に接近するか、と伝えられる。これは困ったことだ。25日の日曜は高知県に出かける。名にし負う台風銀座。なんとか太平洋高気圧が引っ込んで大陸からの高気圧が張り出してくれないものかと思うがこの時期のこと、なかなか難しいだろう。甲子園も明日が決勝戦、これが終わって阪神タイガースが甲子園に戻ってくる頃には少しは涼しくなっているだろうか。温暖化で日本のすぐそばで台風になる低気圧もある。夏の台風はそれでなくても進路が読みにくい。願わくは南の海上で停滞してくれることかな。くるなよ!!
2019年08月21日
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「え?今日練習あるの?」息子一家とその友達の一家もバーベキューをやりに来ると言う。「今日練習に行く人ってどういう人?家族からよほど無視されてるんちがうの?」確かに今日から連休の始まる会社も多かろう。 その頭の日に家事をしないと言うのか?と目が言っている。今朝は5時すぎに起きて村の墓掃除を済ませたが、何せ暑い。女房の機嫌も良いはずはない。これはまずいぞ・・・練習も行かなくちゃいけないが、指導者が面白くないのも事実。先の豊中混声とのステージの直後だけに若者の荒い発声やら指導者の無駄な動きの多さに少々辟易している。え〜い、休んじまえ!!あの指導を受けるのと女房の機嫌を取るなら絶対に女房の方がポイントが高い。明日の暮らしに影響する。というわけで元気の塊みたいな孫とそれに似た年ごろの子供、入り乱れてプール遊びだった。さて、これが10日ばかり続くぞ。やや恐怖。
2019年08月10日
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音楽をやるものにとって楽譜は必需だが、我々「歌うもの」にとっても譜面台は貴重なものだ。楽譜を手持ちで歌えるのは、相当なれた人である。初心者はひざに乗せてのぞき込んでしまい、背中が丸くなって良い発声が出来ない。そこでわが団では新入団陰に譜面台をプレゼントしている。もちろん高級品ではなく、安物に限りなく近いが、理想的な高さで、理想的な姿勢で歌うことを身に付けて欲しいからだ。ところがやはり数年経つとねじが甘くなり、楽譜を載せたら下がってしまった、と言うことになる。自分の分も、学生時代から使っているステンレスのやつは何ともないのだが、黒で統一しているので使えない。この度買い替えることにしたが、安物の方が大きな楽譜が置けるので最上段だけ取り換えることを試みた。しかし、なんと新しいやつはねじを緩めて逆さにしても抜けない構造になっていた。ここまでは気がつかなかったな。
2019年07月31日
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豊中混声合唱団は淀川混声合唱団とともに関西でのトップを争う合唱団だ。その合唱団に公募で参加できると聞き、「千里の道を遠しとせず」ではないが、25里ほどの距離を参加させていただいた。きっかけは正団員であり、SNS仲間であるU氏の誘いだった。対象曲「ゆずり葉の木の下で」は2011年に初演をわが団の指揮者と一緒に聞き、これなら我々にも出来るんじゃないかと話し合ってU氏を通じて豊混指揮の西岡氏に頼み込み、自家版しかなかった楽譜をゆずってもらったのだった。そして翌年の6月に部分的にではあったがコアの3曲を演奏会で歌ったのだった。「初めて聞いたけど、とても良い曲だった」と言う感想をもらって、悦に入ったものだ。この時期に西岡氏の直接にかかわらないグループで歌ったのはうちが最初だろうと自負している。その曲を豊混とともに歌える機会はそうあるものではない。リタイヤしていればこそできたことでもある。しかし実際に豊中に通ったのはわずか3回、まことに手前勝手な公募団員である。直接かかわって下さったのは35年以上在籍されているM、N両氏だった。初めての時には「そこ、女声パートを覚えちゃってますね、気をつけて下さい」と指摘されてしまった。こちらも7年ぶりである。何度も録音を聞いているとえてして旋律パートを覚えてしまい、失敗する。さて、演奏会当日、近畿−東海は台風が接近し、雨の中を行くことになったが、さすがは都会である。会場のいずみホールまで、駅から屋根の下ばかりを通っていけるのである。傘をさしたのはわずかに50mばかり。いずみホールはともかく幅の広い会場だ。その割にステージは奥行きがない。今まで何度か聞きに行ったが、客席とステージからとでは印象が違う。また楽屋やリハーサル室があるが、この位置関係がなんとも分かりにくく、ついリハを聞き過ぎて自分の発声練習に遅刻し、その場所が分からなくなったと言う失敗。確実に老化・劣化している。そしてこれはホールの問題ではないが、通路の空調があまり効かないようで、移動・待機時間の暑かったこと。これは我が町のホールの方がだんぜん良い。ステージに入場する場合、「下を向くな」は鉄板だが、実際にやってみると、やはり転ぶのがいやでつい足下を見てしまうものだ。豊混の方々は、ステージにでる時に軽く一礼をする。これはなかなか良いことだと思った。礼をした後体を起こすので、そこで姿勢も視線も決まったように見える。またはける時にも一礼をするのも感じよく見えた。「ゆずり葉」は150人の大合唱である。レベルも高く、とても歌いやすく、また楽しかった。どの曲も孫の顔を思い浮かべながら・・・「大人と子供のための合唱曲」は伊達ではない。信長貴富氏の曲は難しい編曲のものが多いのだが、「ゆずり葉」はちょっと違う。流れるような曲ばかりだ。自分の出番はあっという間に終わった。着替えて客席にはいり豊混の真骨頂を聞く。「私の願い」(高田三郎)を須賀敬一指揮で、「黙礼スル」を西岡茂樹指揮で。「さすが!」としか言いようのない演奏だった。レセプションにも出させていただいたが、楽しい方ばかりで本当に合唱が好きなんだなあと思える。80名近い集団を引っ張り、クオリティの高さも維持するのは並大抵のことではないと思う。団員も「指導者」である人がずらりと並び、田舎者にとってはうらやましい限りだ。時間は短かったが、いろいろなことを学ばせていただいた。今後の豊混の更なる発展を祈り、また自団にも還元したいと考える次第だ。感謝申し上げる。
2019年07月29日
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豊中混声合唱団は淀川混声合唱団とともに関西でのトップを争う合唱団だ。その合唱団に公募で参加できると聞き、「千里の道を遠しとせず」ではないが、25里ほどの距離を参加させていただいた。きっかけは正団員であり、SNS仲間であるU氏の誘いだった。対象曲「ゆずり葉の木の下で」は2011年に初演をわが団の指揮者と一緒に聞き、これなら我々にも出来るんじゃないかと話し合ってU氏を通じて豊混指揮の西岡氏に頼み込み、自家版しかなかった楽譜をゆずってもらったのだった。そして翌年の6月に部分的にではあったがコアの3曲を演奏会で歌ったのだった。「初めて聞いたけど、とても良い曲だった」と言う感想をもらって、悦に入ったものだ。この時期に西岡氏の直接にかかわらないグループで歌ったのはうちが最初だろうと自負している。その曲を豊混とともに歌える機会はそうあるものではない。リタイヤしていればこそできたことでもある。しかし実際に豊中に通ったのはわずか3回、まことに手前勝手な公募団員である。直接かかわって下さったのは35年以上在籍されているM、N両氏だった。初めての時には「そこ、女声パートを覚えちゃってますね、気をつけて下さい」と指摘されてしまった。こちらも7年ぶりである。何度も録音を聞いているとえてして旋律パートを覚えてしまい、失敗する。さて、演奏会当日、近畿−東海は台風が接近し、雨の中を行くことになったが、さすがは都会である。会場のいずみホールまで、駅から屋根の下ばかりを通っていけるのである。傘をさしたのはわずかに50mばかり。いずみホールはともかく幅の広い会場だ。その割にステージは奥行きがない。今まで何度か聞きに行ったが、客席とステージからとでは印象が違う。また楽屋やリハーサル室があるが、この位置関係がなんとも分かりにくく、ついリハを聞き過ぎて自分の発声練習に遅刻し、その場所が分からなくなったと言う失敗。確実に老化・劣化している。そしてこれはホールの問題ではないが、通路の空調があまり効かないようで、移動・待機時間の暑かったこと。これは我が町のホールの方がだんぜん良い。ステージに入場する場合、「下を向くな」は鉄板だが、実際にやってみると、やはり転ぶのがいやでつい足下を見てしまうものだ。豊混の方々は、ステージにでる時に軽く一礼をする。これはなかなか良いことだと思った。礼をした後体を起こすので、そこで姿勢も視線も決まったように見える。またはける時にも一礼をするのも感じよく見えた。「ゆずり葉」は150人の大合唱である。レベルも高く、とても歌いやすく、また楽しかった。どの曲も孫の顔を思い浮かべながら・・・「大人と子供のための合唱曲」は伊達ではない。信長貴富氏の曲は難しい編曲のものが多いのだが、「ゆずり葉」はちょっと違う。流れるような曲ばかりだ。自分の出番はあっという間に終わった。着替えて客席にはいり豊混の真骨頂を聞く。「私の願い」(高田三郎)を須賀敬一指揮で、「黙礼スル」を西岡茂樹指揮で。「さすが!」としか言いようのない演奏だった。レセプションにも出させていただいたが、楽しい方ばかりで本当に合唱が好きなんだなあと思える。80名近い集団を引っ張り、クオリティの高さも維持するのは並大抵のことではないと思う。団員も「指導者」である人がずらりと並び、田舎者にとってはうらやましい限りだ。時間は短かったが、いろいろなことを学ばせていただいた。今後の豊混の更なる発展を祈り、また自団にも還元したいと考える次第だ。感謝申し上げる。
2019年07月28日
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コーラスで始末の悪いのが、調子が出てくると自分の曲想で歌う人である。カラオケの好きな人はこの傾向があるように思う。曲想は指導者に任せるというか、要求に従って歌わないと合唱にならない。歌を合わせなきゃいけないのである。どうしても指導者の曲想に同意できない事もあるかも知れないが、その時は指揮下から外れた方がいい。精神的なストレスを抱えながら歌うのは絶対にやめた方が良い。自分に酔うと、まずテンポが合わなくなる。多くは遅くなるので、聴衆は何を歌っているのかが分からなくなる。次にポルタメントが入る。元の音をずり上げる(または下げる)技、演歌で言う「コブシ」である。これを合わせるのはほとんど不可能に近い。ごくまれにポルタメントの指定がある楽譜があるが、原則として合唱ではやらない。まあ、酔ってしまったら、何を言っても通じない。曲が終わるまで我慢するより仕方がない。その間にマグマがたまる。
2019年07月10日
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友人に勧められてバロックのコーラスを聞きに行った。イギリスからやって来た10人のグループ。ルネサンス音楽専門のアカペラグループだと言う。アカペラというと現代ではジャズみたいに理解されている節があるように思うが、本来はア・カペラ。無伴奏である。アは「なし」カペラはぎょしゃ座の主星だが、馭者なし、音楽であれば伴奏が馭者だと勝手に解釈している。このグループ、すごいグループだった。ソプラノは軽く明るく、バスはパイプオルガンのごとく重厚。アルトは正確無比、テナーはシャープに。兵庫県立芸術文化センターの大ホールに響き渡った。とても10人とは思えないような響き。これがプロなのだ、と見せつけられた。少しでも近づきたいと思う。
2019年06月02日
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コーラスのジャンルだが中身はぼやきになる。合唱連盟の会計事務を担当してから6年になるが、振り込み料金の処理が面倒だと言う会員の声で振り込み料を加入者負担にしていたが、今年からほぼ倍額に手数料が変更になった。振替貯金の利用は私のアイデアで、現金を手元で扱わずに済み、かつ領収書の発行も不要で、謝金や立て替え金の支払い手数料も不要になる「横着者向き」のシステムだ。しかも個人のITスキルに合わせて運用できる。ATMから払い込めば80円、オンライン手続なら無料、窓口なら手書き書類で130円だ。これで15団体で1000円ちょっとの受け取り手数料ですんだ。ところが今日調べてみたら手数料が3口で600円となっている。手書きの分が200円に変更されていたのだった。あちゃ〜!とは言え、年額2000円ですむなら面倒な思いはしたくない。公金の処理ではあるが、私の責任でもなく・・・まあ銀行側もマイナス金利で気の毒だから、手数料商売に走るのもやむを得ないのだろうが、世知辛さを感じる来年の決算報告になりそうだ。
2019年05月28日
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千原英喜を歌う最初の練習に行ってきた。練習指導のT先生は地元中学生を合唱の中央大会に連れて行く名人の一人だそうである。この公募合唱団はそれこそ70代から高校生まで実に幅広い年齢構成だ。一応オーディションを通してきた。一連の説明が終わり、さあ練習、という時に「腹式呼吸」のお話である。うーむ、50年からやってる奴にする話じゃあないだろう。「隣の人のおなかをチェックしてみて」おいおい、これは中学生だから出来る訓練だぞ。誰が70近いジジイの腹なぞ触りたいものか。知らない人の身体なんぞ触るのは医者か痴漢ではないか。「元教師」の扱いにくさはこれだな、と思った。いつも上から目線で、話す相手により手はずを変える事が出来ない訳だ。で、今回は若いのが多いなと思ったらTさんの元教え子が大挙して集まってる訳だ。ところが発声をよく聞いているとピッチが低くのどに引っかけて出している。「君、そういう声ではハーモニーしないよ」と言ったが聞く耳を持たない。これが複数いる。よくこんなので中央で戦えたなあと変な感心をした。結局指導者の名前なんだろうか。指揮も「さすが!」感がなく、メサイアのO先生のレベルじゃない。う〜ん、かなり精神的にしんどい練習になるかもなあ。適当にサボった方がいいかも知れない。つまらん授業は受けたくない。大丈夫かな、この合唱団は。
2019年05月19日
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姫路市文化国際交流財団の主催で「千原英喜の世界」という企画の案内が届いたので申し込み、今日がオーディションだった。昨年度はメサイアだったのだが、オーディションでほとんど歌えなかったにもかかわらず合格してしまい、「これは人材育成の一環だ」と心得て娘の結婚式以外はほぼ皆勤だった。またメサイアの楽譜は大変に重く、左手の震顫に悩んでいて譜面題を用意してもらうなど、規格外の団員として指導の先生に顔を覚えてもらったようである。今回はメサイアに比べれば楽譜も軽く、また流行の?作曲家であり、何よりも歌詞が日本語だ。しかし覚えが悪いのは去年よりもひどい。youtubeにパート音源があるのを良い事に、昨日までほとんど練習していなくて仲間に今日オーディションの練習会場で伴奏を弾いてもらって、やっと間に合わせた感じである。実技試験と言うのは実にいやなもので待つ間にあれこれと悩んでいたが、いざ本番で去年世話をして下さった先生の顔を見ると妙に落ち着いてしまった。こんなこともあるんだなと自分で変な感心。来週が初練習なので2-3日中には発表の通知があるのだろうと思う。
2019年05月11日
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豊中混声合唱団と言えば関西指折りの合唱団だ。全日本合唱コンクールは県大会、地区大会を経て全国大会への出場者が決まるのだが、関西地区には県大会がなく、いきなり地区大会になるのだが、「全国で勝つより関西で勝つ方が難しい」といわれるほどのレベルである。縁あってこの豊混の公募ステージに入れてもらえる事になったが、自団の演奏に比べて格段に違うのは「歌の勢い、気合いのようなもの」と感じている。学生時代に教育学部の音楽専攻の教授から「歌うとは、歌合うという起源と訴うという起源があると言われている。メッセージを発するのでなければ合唱とは言えない」といわれた事がある。我々は指揮者に従って歌う訳だが、ともすれば指揮者の指示と楽譜に盲従し、(どちらかと言えば楽譜にかじりつきかも)歌詞やアーティキュレーションの意味も考えずに漫然と歌っている事が多い。歌っていると言うよりは、歌わされていると言うべきか。豊混の指揮者の要求は「もっと呉れなきゃ何も感じられない」という事が随所にある。これに対して団員は畳み掛けるようにその答えを出す。このあたりがやっぱり一流は違うな、と思う所だ。チコちゃんじゃないが「ボーッと歌ってんじゃねーよ!」
2019年04月23日
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年に一度のプロの指導を受ける。若いが(30代)改善の方向をきっちりと示してくれるので、普段煮詰まっているような練習のアドバイザーと言うところか。音楽監督にしてもいいかも知れない。「フォルテは大きな声を出すんじゃなく、響きを広げて。広がれば聴衆は大きくなったと感じます」「そのためにはおなかを使って」そう、口の中も丸く開いてよく響かせれば前に飛んでいくのである。こう言う基本を思い出す日だ。年に何度かやればいいのだが、会計上の問題もあるので、直近の歌を聞いてもらっている。指揮者が悪い訳ではないが、突っ込みどころはいっぱいある。近所には各パートに声楽の出身者がいるグループもあるが、我々のグループはむしろ技術屋が多く、「たたき上げ」の歌い手だ。音大卒はピアニストだけ。まあそれはそれでいいのだが、とても飯を食えるレベルではなく、あくまでも楽しんでいる。「合唱オタク」と言うべき人種だ。こういう人はコンサートの段取りはうまい。これをやってる間にこれをやって、と考えるプロジェクトマネージャみたいな仕事はお手の物。少し話がずれたが、プロの指導で声は変わる。プロはたいしたもんだとこの時ばかりは心底思う。伊達に飯は食っていないな、と。こういう人の指導を受けたいと思うが、彼女は独身。「来年どこにいるか分からないから受けられません」と毎年断られる。
2019年04月07日
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周りに正確な音がある中で歌うとこんなに気持ちの良いものかとうれしくなった。豊中混声合唱団の委嘱曲、「ゆずり葉の木の下で」のワンステージ公募にいってきた。この歌を歌うのは6年ぶり。8割くらい忘れていたんじゃないかと思うが、小さな事故もやりながらなんとか混じる事が出来た。うまくなろうと思ったら、やっぱりうまい人の多い合唱団で過ごさなきゃいけない。合唱と言うのは不思議なもので、全く初対面でも共通の楽譜があれば歌える。それだけで仲良くなれる。共に歌う事で連帯が出来る。理解と調和、世界平和の象徴みたいなもんだ。豊中市立文化芸術センターの構造には驚き。練習室がすべて2重扉の防音でほぼ完璧。ほとんど音は漏れてこない。そんな部屋が3つもあり、他にスタジオがある。うらやましい限りだ。しかし片道1500円の交通費と2時間の時間は何とかならんもんか。
2019年03月30日
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久しぶりに神戸に歌いに行った。混声で少々不完全燃焼でたまっているストレスが吹き飛ぶと同時に未熟さに打ちのめされる。このグループとは5月にジョイントコンサートをやる予定なので合同曲にも熱がはいる。振りをつけるテンポの速い曲には「ついていけないから俺は降りる」と言う声も少なくなかったが、指揮者の「意外ときちんと歌えてるじゃないですか」と言う言葉に「これなら出来そうだ」と空気はがらりと変わった。「次の練習に出させてくれないか」「では日曜に女声と合わせをやりますからどうぞ」合唱はいきなり本番、は難しい。事前に演奏して、ズレを修正していかなければならない。今まで反対、コロッと賛成。まあこれが多分合唱オタクなんだな。男声合唱団の演目は「おかあさんのばか」小学校六年生でお母さんを脳内出血でなくした女の子の書いた詩に磯部淑と中田喜直氏が曲をつけ、ダークダックスが初演した曲である。
2019年03月28日
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メサイア出演の時の事、中学生とともにハレルヤコーラスを歌う。中学生はまだ体が完成しておらず、声楽に取り組む子の多くは高校生になってからだ。しかし何かの形で「生」にふれる事には大きな意味があると思う。私は音楽(合唱)愛好家の一人に過ぎないが、人の声の勢いとか、ホールの響きとか、ハーモニーは中にはいってみないと分からない。生徒の親も来ていて、「生の演奏は違う」と礼を言われたそうだ。ヘンデルはバロック音楽の幹みたいなところらしいが、門外漢の私にはまあどうでも良い事だ。ただ、トランペットの原形を初めて見た。今のトランペットのようなピストンがなく、すべての音階を唇だけで出すそうだ。どちらかと言えば長さの変わらないトロンボーンみたいで、息で凝結する水を口から逆さまにして出さなければいけないような代物である。「つば抜き」なんてもちろんない。更に完全な管ではなく、板を曲げてある程度の形にしてから別の板をそれに沿わせてひもで縛るだけで、溶接やろう付けと言うような事はしていないと言う。で、それの何がいいのかと言うと、音が柔らかく、合唱との相性が非常に良いんだそうだ。現代のトランペットは華やかなだけに他の音を殺してしまうと言う先生の話だ。東京藝大の関係者の話なのでそうなんだろうと思う。宮廷音楽のメインみたいなものだから、その当時はそういう音だったんだろう。ひょっとしたら楽器の完成度が上がるとともに声と楽器が離れていったのかなとも思う。もう一つ驚いたのは、ティンパニーにガーゼが貼り付けてあった事。これによって効率を落とし、パパーンという華やかな音を抑えたのだそうだ。いわば古楽のために楽器を退化させた格好だろう。そう言えばチェンバロがピアノの原型と言われるが、チェンバロの音もピアノに比べれば強弱がなくて地味に聞こえる。キーの白と黒がピアノと逆で、古くはピアノが反乱を起こしたのだろうか。バロックの時代の再現もなかなか大変だが、ちょっと古代に遊んでみるのも悪くない。
2019年03月25日
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メサイアの初めてのステージ、正直ついていくのがやっとだったが、曲を通じて新しい仲間が出来るのは楽しいものだ。ハレルヤコーラスは若い時に2度歌ったが、全曲となると楽譜も広辞苑の1/5くらいの厚さになる。1kg弱あるのを左手で持って歌っていると、震顫が出てきて、ぐらぐら揺れ出す。これを落としたら悲劇だ。何よりステージを壊してしまう。指導の先生が気付いてくれて、譜面台を使う事になったが、これもこれで入退場の時には邪魔なもの。幸いひな壇がカーブしているのでそのカーブの空間を使う事にした。人の移動の時は同じ段で水平移動するのでイスと同じスペースに押し込んでしまえば良い。あちこち出だしのタイミングが「おっと!」だったが、ずるくごまかした。大曲と言う事では第九の合唱よりも長く、速度の変化も大きい。しかし第九よりもメサイアの方がハーモニーがきれいなので私はこっちが好きだ。テナーの最高音はAで同じなのだが、メサイアの方が良く歌える。ベートーベンよりもヘンデルの方が好きだな。次回はもう少しきちんと練習しよう。(反省)
2019年03月24日
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孫が正月に遊びに来た時に録画したものがたまたま残っていて、自閉君がこれを何度も見ている。どこでも言われている事だが、自閉症と言うのは変化に対応するのが苦手と言うか、やりたがらない。映像が好きで、同じところを何度も見る。普通の子の「何度でも見る」はまあ20回も見れば飽きてくるが、自閉のそれは桁が違う。だから映像機器が不調になったり壊れたりした時の対応は大変だ。バックアップマシンが欲しくなる。それはさておき、この「怪傑ゾロリ」の歌を山寺宏一、百田夏菜子がデュエットしているが、山寺氏の声と百ちゃんの声を聞き比べてその本質的な差がよく分かる。山寺氏はいろんな声色を使い分ける事でも有名だが、生で使える声だ。百ちゃんは残念ながらマイクがないと使えない声。育ちも経験も訓練も違うから、当然だとは思うが、もう一皮むけて欲しい。少し前に地元で童謡のコンクールがあったが、団体の部でもマイク採点で大いにやる気を無くした。コーラスのコンクールはマイクなしが原則。会場の事情もあったが、「マイクの使い方がうまい童謡」ってなんだ?と思った。マイクを通した声と反響版による声はハーモニーが違う。重唱と合唱は似ているようで違う。重唱はパフェ、合唱はミックスジュースって感じかな?もっといい表現もあると思うが今は思いつかない。
2019年03月16日
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コーラスと言うのは誰でも気軽に、みたいな印象があって実際いろいろなグループがある。しかし、「持続」とか「発展」とかになると若干話は変わってくる。合唱オタクが構成員の中にいる事が絶対条件だ。指揮者とのケンカも恐れず、「その指揮じゃ分からん」と平気で(でもないが)言う。そのかわり「響きが低い!」などと言う指摘には素直に従う。「音がとれてない」は最大の恥である。「聞きあう」事が最大の目的。ボロクソに言われても折れない。ひたすらハーモニーを追求する。遠路練習に通う事をいとわない。そんなのが合唱オタクである。オタクが多ければ多いほど、運営はスムーズになる。多くが学生時代から鍛えられ、それこそ甘いも酸いも味わい尽くしているから、勘所もつかむのが早い。実務や雑務にも強い。演奏会の流れや演出もほとんど瞬時に組み立てる。ひょっとしたら関東では「オタク」と呼び、関西では「アホ」と言うかも知れない。
2019年03月13日
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仕事仲間が喫茶店のギャラリーに写真を展示していると言うので見せてもらいに行ったら、彼の友人と言う事で年かさの男性に引き合わされた。写真の他にカラオケも好きだと言う。どこで話が混乱したか、私もカラオケが好きと言う事になってしまっていた。実は私はカラオケは嫌い。基本的に「なんで機械にコントロールされなきゃいけないんだ」と思っているし、出来れば譜面で歌いたい方である。コブシとかポルタメントは規格外の世界に生きている。それでも紹介者の立場もあろうと思い、話だけは聞こうと思った。ところが、このカラオケマン氏は話題がもっぱらお金である。どこのホールを借りて何万払ったとか、帽子にいくらかけたとかで到底噛みあうものではない。音が狂わないような工夫(といったって結局のところは呼吸法、発声法に基づく訳だが)をどうするかなんてのは端から視点にはない。カラオケは自分に酔えればそれでいいのであって、人に聞いてもらって評価をうんぬんと言うのとは世界が異なるようだ。幸い半日の終業後だったので空腹を理由に退散した。写真の方だが、カラオケマン氏はグループにジャンプをさせ、空中に浮いている写真が好きなんだそうで、数枚が並んでいた。でもこれは連写の能力がカメラにあれば誰でも出来る事。私の中ではあまり評価に値しない。「良いカメラをお持ちですね」が無難か。
2019年03月06日
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音感というのは持って生まれたものか、育つ環境によって作られるものか素人の私にはよく分からないが、絶対音感は鍵盤の指定された音を出せ、と言われたら出せるし、音を聞いて音階を答えられるそうだ。小さい頃から正確な音階の楽器とかに親しんだ人にはこういう能力が育つのかも知れない。相対音感、これはコーラスを学んだ人はだいたいできると思う。移動ド唱法ともいわれるが、ドの音を与えられてソとかファとかの音を出す能力である。臨時記号がなければ比較的たやすく初見でも歌う事が出来る。(臨時記号があってもナントカなる場合もある。修業につれて何とかなる場合が増えてくる)私の作った言葉だが、「だいたい音感」。これはコーラスにとっては非常に始末が悪い。聞き覚えで「こんなもんかな」で声を出されると、だいたいピッチは低く、混じらない声になる。カラオケが好き、時に「俺の特技はカラオケ」と言っている人に多い。時に楽譜にない音を出してくれるし、楽譜にある音が聞こえてこない。テキトーに編曲されている場合が少なくない。だから往々にして「いないほうがいい」ことになる。しかし皮肉なもんで高齢で始めようと思った人、あるいは第九を歌った経験があり、自信を持っている人にこういう人がままいるのだ。自分が歌えていなくても、邪魔になる音は数の問題で消し去ってくれるのである。そういう認識がなくて「自分はコーラスが出来る」と思い込んでいる人はアンサンブルにとっては頭痛の種だ。基本的に他の人がいないと歌えない、このレベルからして合唱は無理だ。「合わせて歌う」のが合唱である。他人に頼りながら歌っていては、独立した、合わせるエレメントになってさえいない。ピアノから音をもらって、「キイと同じ音を発声する」というのは簡単なようだが、これを出来ない人は意外と多いと感じている。
2019年02月17日
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今年は練習が13日で指揮者とピアニストから頂いた。その日ちょうど母の見舞いに来ていた妹からももらった。今日、娘が来て「バレンタインどうやった?」「3つもらった」「お父さん、モテるやんか」「義理ばっかりや」「本チョコがあったらそっちの方が問題やろ!」とつっこまれ、「たしかに!!」今までにもらったチョコで一番強烈に記憶にあるのは、総務の女子からもらったチロルチョコで、「義理」と書いた手書きののし紙に包まれたものである。
2019年02月16日
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今年は練習が13日で指揮者とピアニストから頂いた。その日ちょうど母の見舞いに来ていた妹からももらった。今日、娘が来て「バレンタインどうやった?」「3つもらった」「お父さん、モテるやんか」「義理ばっかりや」「本チョコがあったらそっちの方が問題やろ!」とつっこまれ、「たしかに!!」今までにもらったチョコで一番強烈に記憶にあるのは、総務の女子からもらったチロルチョコで、「義理」と書いた手書きののし紙に包まれたものである。
2019年02月15日
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年に1度くらい小さなコンサートを開こう!ということで「2万円でコンサート」を試みる事になった。ホールのロビーを借りて、ステージや人件費を使わなければ何とかなるのだが、自団の演奏だけでは30分ぐらいで終わってしまうので、あまりにもお客に悪い。そこで団員の関わりがある女声合唱団と男声合唱団に出演を打診したら両方とも承諾してくれた。私は混声なのでこの日は男声、混声、女声合唱を聞いてもらえる。5月にやる、と言う事で既に会場も手配してあるが、曲の仕上がりが大問題だ。それにせっかくなので合同もやりたい。曲をどうする?印刷物、情報収集、やらなきゃいけない事がたくさんある。これから新年会だが、どうも役員会に変わりそう。飲み食いしながらこんな話題を語れるのも幸せかも知れない。
2019年01月09日
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年末になると何もかも「納め」になる。来年の3月に行われる「メサイア(ヘンデル)」の練習が10月から始まったが、本番指揮の先生による練習で今年のコーラス練習はすべて終わった。メサイアはMessiahであって、楽譜は930gと重い。一番大きな文字は「HANDEL」である。Messiahをそのまま読めば「メシア」だから、救世主を歌い、称える宮廷音楽だ。が、とにかく長い。ソロ、重唱、合唱が2時間以上続いたと思う。その中でおそらく一番有名なのが「ハレルヤ」だ。私も学生時代に1度、社会に出てから1度歌ったが、既に「忘却」に近い。それでも若い時に覚えたのは頭に残っているものだ。指揮者が「最後にハレルヤ、やりましょう」で思い出し出し歌うが、やはりあちこち間違える。隣は練習の指導者だが、発声が良いのか、隣にいてもあまり聞こえてこない、前にだけすっ飛んでいるのだろうか。新年は5日からの開始だが、見事に新年会とかち合った。私は安易に新年会に流れえる予定だ。
2018年12月29日
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普段女性の少ない混声でやっているので思い切って声を出す事ができないもので、声がだんだん出なくなってきた。声が揺れ、(ビブラートがひどい)低音が出にくい。誘われて神戸まで男声合唱の練習に行っているが、旋律をとれて思い切り歌えるのは非常にありがたい。男声合唱はもともと軍の高揚のために(もともと音楽からしてその側面が基礎になっている)、また宗教曲の本流という面があり、ffや五線の上に出るようなとんでもない高音に満ちている。いやがおうにも「強い音」が求められる。しかもピッチを合わせなければ濁った音になってしまう。それがまた楽しさでもある訳だが。回数はそうないが、これで味をしめ、公募合唱団(混声)にも参加しているが、数は力、少しずつ声が戻っている。テナーの私にとって、低音は担当外だけれども、声域の広いのはやはり安定した発声につながる。安定した発声は表現の自由さにつながる。プロでなくても、聞いてもらって心地よくなってもらうのに濁りは厳禁。リタイヤ後「やることがない」と言う人がいるが、合唱は楽器が自前で磨けば光る。時間を相当食うが、必要なものは楽譜だけ。鍵盤楽器はあるに越した事はない。人とのつながりも出来、特に混声は女性なしではやれない。異性との交流は生涯保証される。まあ人にもよるが、心の若さを保つにはちょうど良い。
2018年12月01日
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普段女性の少ない混声でやっているので思い切って声を出す事ができないもので、声がだんだん出なくなってきた。声が揺れ、(ビブラートがひどい)低音が出にくい。誘われて神戸まで男声合唱の練習に行っているが、旋律をとれて思い切り歌えるのは非常にありがたい。男声合唱はもともと軍の高揚のために(もともと音楽からしてその側面が基礎になっている)、また宗教曲の本流という面があり、ffや五線の上に出るようなとんでもない高音に満ちている。いやがおうにも「強い音」が求められる。しかもピッチを合わせなければ濁った音になってしまう。それがまた楽しさでもある訳だが。回数はそうないが、これで味をしめ、公募合唱団(混声)にも参加しているが、数は力、少しずつ声が戻っている。テナーの私にとって、低音は担当外だけれども、声域の広いのはやはり安定した発声につながる。安定した発声は表現の自由さにつながる。プロでなくても、聞いてもらって心地よくなってもらうのに濁りは厳禁。リタイヤ後「やることがない」と言う人がいるが、合唱は楽器が自前で磨けば光る。時間を相当食うが、必要なものは楽譜だけ。鍵盤楽器はあるに越した事はない。人とのつながりも出来、特に混声は女性なしではやれない。異性との交流は生涯保証される。まあ人にもよるが、心の若さを保つにはちょうど良い。
2018年11月30日
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