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兵庫県立こどもの館の図書室でこんな本を見つけた。あまりにも有名な阪田寛夫氏の詩集である。こちらは混声合唱曲にもなった名曲だ。従兄弟の大中恩氏はまだ訃報を聞かないのでご存命と思う。これはその昔NHK「みんなのうた」のために作られたと聞いている。これも大中氏との共作。こんなほほ笑ましい童謡がこのところは衰退している。「赤い鳥」運動は古くなるが、子供たちのために超一流の詩人の詩にこれまた超一流の作曲家が曲を付けた。大人もこどもも世代を超えて一緒になって歌えるこどものための歌。変わって、アニソンは例えば「となりのトトロ」に代表されるが、メディアを通じてメジャーになった。どちらがいいとかは時代背景も違うので一概には言えないが、映画を売るためかこどものためか、どちらだろう。童謡はかくあるべき、は年長者がいかにもぶち上げそうだが、阪田ー大中コンビのような名作が生まれて欲しい。
2018年09月24日
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音楽家と言うと非常に範囲が難しいが、音大とか芸術学部とかを卒業・終了して「音楽で飯が食える」程度のプレイヤーで作るグループのコンサートがこの時期に開かれる。この町で生まれた、でも良いし他から流れてきた、でもよい。7人が出て、うち4人が声楽だった。他はピアノ2,オーボエ1である。コーラスの関係で興味のあるのは声楽だが、若さは力だと思った。主婦兼業、あるいはもう孫のいるレベルではブランクもあるのかもしれないが、すごいビブラート、訴える音圧の低さ、アマチュアの私でも「これで声楽?」と思ってしまうような演奏だった。それに対してただ一人30代、未婚(これは大きなお世話)のソプラノはすごかった。声は飛んでくるしピッチも正確。500人ほどのホールだが、隅々まで響き渡る。「やっぱり年には勝てないね」を実感した。不肖、私も60を過ぎてから響かなくなったなあと思う。声は揺れるし、発声以前の問題だが、唾液がやたら口に溜まってくる。ムチンが減ってさらっとした唾液、飲み込まないとブレスでせき込んでしまう。いわゆる「誤嚥」で、肺の方にものが行ってしまうやつだ。ステージでゴホンになるのはまずい。しかし反射なのでとてもじゃないが止まらない。出なくなった声を戻すには?やっぱり歌うしかないだろうなと思う。テナーは響きは要求されるがボリュームを求められることは少ない。それに慣れてしまったのかも知れないので、男声合唱で思い切り出す発声を思い出せばどうにかなるかも知れないと淡い期待をする。
2018年08月26日
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姫路市で行っている事業、「メサイア」全曲演奏のオーディションが先週土曜に行われた。その結果が届いた。一応合格していたが、すそ野を広げるための措置と考えるのが妥当かと思っている。メサイアはヘンデルの作曲で、合唱譜の厚さは25ミリにもなる。こんな重い楽譜は初めてだ。オケ譜になるとどんだけ重いのか。その一部を歌わされるのだが、いきなりのピアノ伴奏。特にこの時代の合唱と言うのは他のパートを聞きながら声を混ぜ合わせるのが特徴で、合唱をやっている人でもパートだけをピアノ伴奏で歌えと言われても何度か練習しなければ絶対に無理だ。受験の際にはあまりの歌えなさに「今まで歌ったことはありますか」と聞かれ、「初めてです」と答えた。どうもこれで少ないテナーの穴埋めに我慢してとろうか、となったのではないかと思う。今回は5回目らしいが、初めは40人の設定に半分も集まらなかったとか。オーディションはソロの公募分と合唱の分がある。ソロの方は芸術系大学の卒業生とかその道で実績のある人が応募するから「足切り」になるのだろうが、合唱の方はアマチュアばかりだから「歌えそうかどうか」が基準になるのだろう。ならば課題曲をメサイア11番にすることもなかろうに、と思う。私自身も39番のハレルヤコーラスは経験があるのでそっちの方が応募数は増えるのではないかと思うのだが。それはともかく、土曜の夕方は11月以降ほとんど練習になる。本番は3月。一人で歌うのではないが、邪魔にならないだけに音取りをしておかないと回りに迷惑をかける。
2018年08月18日
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と言うのは少し大げさだが、一番の情報源は東京の合唱センターだろう。関西で楽譜と言うと梅田のS書店だが、近ごろはやはりよく売れるのであろう楽器向けの楽譜がどんどん売り場を広げ、合唱譜は小さくなってしまった。その他神戸のY社が結構置いていたのだが、こちらも元町から三ノ宮に移って売り場が小さくなってしまった。おまけに女声合唱譜が圧倒的に多く、混声譜はちょっと悲しいくらいだ。最近売り出してきた京都のP社。ここは貴重な場所になった。閲覧室の書架にずらりと並んでいる上、テーブルとイスも置いてあり、じっくりと見られる。楽譜と言うもの、自分の合唱団の面々の顔を思い浮かべながら、最高音、最低音がどこか、ハーモニーの複雑さはどの程度か、歌って楽しいか・・・とてもレビューの感想なんかで買えるものではない。どうしても実物を見ないと買えないのである。隣が事務室で、用がなければ店員はやってこない。見て買わない楽譜は閲覧済みと書かれた箱に放り込んでおけば良い。無秩序に書架に戻される方がよほど面倒なのだろう。客の方は手に取った瞬間にどこにあったかなんて忘れてしまっている。目ぼしい楽譜が見つかれば事務室をノックして支払いをすると言う、なんとも昔ながらのと言うか「おばちゃん、これちょうだい」と言った駄菓子屋レベルのシステムである。「レシート下さい」と言うと、「レシートは出ないんです。領収書を書きます」ということだ。目下は関西における合唱譜の聖地。JR長岡京駅から徒歩10分。阪急長岡天神の方がより近い。
2018年07月26日
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昨日も暑い日だった。神戸まで歌いに行くと言うと充分に変わり者だと思うが、コーラスは一人ではできない。そしてもう一つ大事なことは「粒ぞろい」である。全員が基本的な訓練ができていてこそ音色とかハーモニーを語れる。男声合唱の醍醐味はやはりその太さにある。太い音は発声の基本、ひびきの統一なしにはできない。会場は三宮駅から歩いて15分ほど。もともとは姫路工業大学グリークラブのOB合唱団だった。工業系の学校には女子は少ないので男声合唱しかできなかったのだろう。兵庫県立大学と名前が変わった現在は混声合唱団があるという。私はOBではないが、OBである会員に誘われて顔を出してみた。どこも若手(と言っても平日1日が使える程度の年齢だからリタイア組になるが)不足、内部だけでは存続は無理だ。私にとっては本格的な男声合唱は大学の卒業以来だ。音質はさすがにOB合唱団だ。すぐに入っていけた。後はうまく声をまとめられるかだが、これには少し時間がかかる。お互いの声を聞きながら自分の音程や響きを調整しないと微妙な不自然さが残る。曲の方は多田武彦作品が中心で、過去にやったもの、聞いたものばかりだった。懐かしい曲である。合唱はとなりの声にどう乗せていくかがわかればできたも同然。2ヶ月に1度の練習なので何とか参加できそうに思う。思い切り声を出せるのもうれしい。
2018年07月20日
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わが合唱団で84歳は飛び抜けて高齢だ。この冬に脊柱間狭窄症が悪化し、「退団したい」と言われて病気のことだからと認めることにした。認めるったって人事をやる訳じゃないから来ないものは来ないし、来るものは来るのが団員と言うものだ。コンサートにそんな体を押して来てくれたので、ややあまり気味に育っている夏野菜を届けに行ったら、「カムバックしたい」と言う意思。事の起こりは奥さんが入院、一人暮らしでどうかすると1日誰とも話をしない、運動だってほぼできない。近所の人は既に施設に入ったりして世間話もできない。これでは認知症まっしぐらじゃないかと言う訳だ。また子供さんや奥さんからも「コーラスやった方が良いよ」と勧められたと言う。バスの実力低下に悩む合唱団としては実にありがたい話だ。No.2も「これは何とかしないと」と、指導を始めたところだった。このタイミングでベテランに復帰してもらえるのは指導者を育てられることになる。いずれ皆老いて引退する日が来る。その時にどれだけ人を育てられているかが継続・伝統のカギだ。「先生」は雇わない、団内指揮を原則にしてやってきた25年間。評価が問われる。同時に、社会の環境も変わってきた。FBを見てコンサートに来たり、見学に来るきっかけにする時代。これらのメディアに比較的早くから取り組んだグループが力を持ってきている。
2018年07月04日
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いや〜長かった。5年に一度のお祭りみたいなもんだが、場所とりの関係からどうしても前年からのプロジェクトになる。チラシ配りやら物理的なものの移動は労力がいるが、情報だけの発信ならfacebookのおかげで実に手間もかけず安価にできるようになった。それにつれて印刷物も安くなった。広告を集めなくて良いので心理的にも楽だが、さすがに夕べはよく目が覚めた。立て看板は大きいので女房の軽バンを借りて運ぶ。会館に脚を借りたけれど、突風にあおられて倒れたらしい。今回の鍵になったのは「群青」合唱人の間では超がつくほど有名だが、一般にはあまり知られていない歌だ。そこで開会の挨拶でその由来に触れた。由来を知らせたおかげで、この曲の評価が非常に高かった。明らかに涙を流す人もいて、私もちょっとこみ上げてくるものがあった。歌っていてこれはまずい。もう一つは男声合唱。グリーの出身者に熱心な人がいて、やろうと言うことになった矢先にバスのエースが腰痛でリタイヤしてしまった。次に入ってきた人をセカンド担当にしたが、信じられないことにドレミファをきちんと歌えない。相対音感がないのだ。それでいてもう10年以上第九を歌っていると言う。第九ってどんな歌だ?セカンドと合わないテナーは悲惨だ。演奏途中で消えてしまう。他のパートが入れば「引っ張られる」と偉そうに言うが、引っ張られる方が悪いんだよ。それでも◎をくれる人がいるから意識のポテンシャルが高くならないのだ・・・と自虐的に。
2018年07月01日
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コンサート前最後の練習。昨日の話である。童謡を歌う中で楽器を使う。曲目の関係で、打楽器ばかり。木魚とかお鈴とかで普通の楽器店では扱っておらず、値段も高いと思われるものだが、それが一式見つからない。これがなかったらコンサートがジミ〜になってしまう。焦って探すと余計見つからない。そこに見学の申し込みがある。とうとうあきらめて指揮者に事情を説明し、鳴り物なしでの練習にしてもらった。翌日もいくら探しても出てこない。ひょっとして練習場所に置きわすれた?恐る恐る小学校に電話して見ると「預かっていますよ」「子供がいたずらするといけないので教頭が持っています」やれ助かった。いつも練習場を最後に出て施錠するので私がすべて持ち帰っているのだが、忘れたらこのざま。年は取りたくない。リスクを分散するべきか?普段は車に積みっ放しなのだがこういう落とし穴があるとは!リードタイムの長い楽器は特に気をつけないと。しかし学校の先生も不審に思ったことだろう。
2018年06月28日
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7月22日に童謡の祭典が開かれる。これは毎年の事だが、今年は福島県広野町から行政の代表が来られると言う。原発事故で避難地区に指定されたところだ。新たな町おこしに童謡を考えたいと言う。奇しくも予定曲に小高中学校の「群青」を入れていた。その3週前の記念コンサートでも歌う。直接の関係者の前で歌うのは初めてだ。だいたい私自身、関東で歌ったのは野口雨情の北茨城だけだ。それももう35年ほど前の話だ。当事者に聞いていただいて、どれだけのものが届けられるか、表現は不謹慎かも知れないが楽しみができた。毎年、反省会のような形でゲストとの交流の時間がある。おそらくそこで小高中学校の話も聞けると思う。何でも広野町で「今は山中今は浜・・・」が作られたそうだ。これが交流のきっかけになればなおうれしい。
2018年06月15日
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現団にとんでもない声のテノールがいる。大合唱が好きでアンサンブルに入ってきたのだが、のど声に手を焼いている。ところが発声と言うのは他人が聞いてとやかく言うものだ。本人はどうしたら指導者の言うようにできるのか、なんで叱られているのか多分わからないのではないかと思っている。コーラスに向く発声とカラオケみたいにのどに引っかけた声が視覚的に観察できないかと思い、スマホのスペアナアプリを使って試して見た。アプリはSound Analyzer Free と言うもの。androidで動作する。まずは標準音叉Aである。一番強いのが440Hzだ。高調波の880Hzも少し観察される。次に合唱向けの発声で自分で発声したもの。男性なので半分の220Hzの声が出ている。ほぼ正確だと自負。2倍、3倍の高調波も観察される。次は私として思い切りのどに引っかけたと思う声。もちろん聞き苦しい声であるはずだが、最強のピークが660Hzよりも少し下がっていた。相対的に220Hzは弱くなっている。「のどに引っかけると音が下がる」と昔から言われていたのを裏付けるような結果だった。そしてのどに引っかけると高温域が強くなる傾向もあるようだ。解剖学的なことはわからないが、220Hzを強くするようにやって見ろ、と言う方がひょっとしたらできるようになる一つの方法になるかも知れないな、と勝手に思っている。彼がスマホを持っていたら良いんだけれども。
2018年05月31日
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最終チェックはもちろん当日朝だが、ゲネプロを本会場で行う。ボイストレーナをお願いしているMさんに現在の仕上がり具合を見てもらう。休日で女性の参加が少ないのは家事もあろうが、本音を言えば困ったもんだ。Mさん、年は若い。娘みたいなもんだ。しかしその指導力は目を見張るものがある。一言、一挙動で声の迫力のレベルを変えてしまうのである。新市の発足10年記念の時に第九をやって、その時のソプラノリーダーがMさんだった。うちの指揮者が気に入り、多分ボイストレーナとしてわが合唱団が最初の顧客ではなかったかと思う。それはさておき、今回のステージには初めてジャズ感覚の曲を取り入れている。これに手拍子が入るので当然暗譜でなければ話にならない。「このステージ、お客さんがのってくれなかったら最悪のシーンだと思って下さい」「体の前で手をたたいて、かしわ手じゃないんですから」「お客さんにラテン語なんてわかりゃしません。多少音が狂ったっていいんです。必要なのは音の圧力です」ここまで言うか、とも思うが、考えて見ればその通り。ルイ・アームストロングのトランペットよろしく歌わなきゃいけないのである。見せるコーラス!我々が一番苦手とする分野だ。じゃあ体をひねって右と左で叩き分けようか、と体の動きをやってみようということで見てもらうと、「うん、だいぶ良いけど、もう少し大げさな動きになりませんか、ちょっともったいない気がします」じゃあ少し時間をとって考えましょう、と言うことになった。彼女は「もったいない」と言う言葉を多用する。これはトレーナーとしては大切なことだと思う。「もう少しでレベルが一つ上がるんだよ」と言うことを暗示するんだろうなと思う。実際、指揮者が「私も同じことを言ってるのになんでこうもすうっとやらせられるのかなあ」とぼやく。もちろん彼女はプロ、こっちはあくまでアマチュア。見事に見せつけられるのである。恥ずかしげもなく、彼女にはこの曲のソロ部分を歌ってもらうようお願いしてある。で、やっぱりソロが入って、初めて「はあ〜 こんな曲だったんだ」と再認識した次第。後ひと月足らず、どこまで彼女との溝を狭いものにできるか、できの悪い我々の大きな課題だ。
2018年05月28日
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あと1ヶ月ほどでコンサートだ。手拍子をつける曲があるのでこれだけは暗譜にしようよ、と今になってまとまり、昨日からその練習が始まった。youtubeに同じ編曲で高校生が歌っているのがあるのでそれを参考にするように、ということで自分も覚ええなきゃいけないが、高校生と一番違うのはは覚えの早さだ。私も若いときには一晩で元素周期表をランダムに書けるようにした記憶がある。しかし50年経つとその劣化は目を覆うばかりだ。今までもコンサートで譜面台をオーケストラのように使うのはやってきた。また入団者があれば最初の会費はその人に譜面台を買うことから始まる。手持ちではどうしても視線が下を向いてしまい、きちんと指揮者を見ないからだ。また下向きの目線では発声も正しくできない。それを理解して、守ってくれる人はどんどん伸びていく。それだけに譜面公認みたいになっているのだが、これを久しぶりに打破しなきゃいけない。まずは隗より始めよ、で当分苦しい思いをすることになった。
2018年05月24日
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一昔前は猫も杓子も「ホームページ」だったものである。ところがHTMLとかは結構敷き居の高いものだった。勢いHPを作るとそのメンテナンスは一部の人に作業が回ってくる。会社のCMならともかく、趣味の世界でとなるとこれは負担になってくるし、特定の人がいなくなったらあとはどうにもならなくなってしまう。そこでFacebookにその日あったことを載せるようにした。よくしたもので、イベントにでたことを紹介するくらいはスマホ1台でできるようになった。福祉関係の団体に呼ばれることがあるが、その演奏風景を載せると、新規のアクセスが急に伸びる傾向がある。そこまで普及したんだなあとちょっと感心するが、団員が感想を書き込めばちょっとしたスレッドができ、会議室みたいにもなる。プライベートさから見ればいささか心もとないが特定の人を貶めるようなことさえしなければまあ良いのではないかと思っている。炎上の経験はないが、SNSは使いよう次第で簡単に広告塔に変わる。が、これが理由で合唱団に入ってきた人は残念ながらまだない。しかし本音を聞けたりするのはまことに便利だ。
2018年04月22日
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昨日は朝から少し喉が痛かったが、新年初練習である。7月のコンサートに向けてスパートに入らなくてはならない時期だ。喉が痛い時は、極力歌わないに限る。それを分かっていながら歌ってしまうのがよくない。混声合唱が主体だが、アトラクションに近い形の男声合唱の練習にはいった。混声の練習が終わってから30分ばかり練習を延長する。曲は多田武彦の「雨」。以前に歌ったことがあるので私自身の音取りはないが、テナーは3人、うち2人は経験がある。セカンドの人は初めてなので音取りから始めた。「ちょっと合わせてみましょうか」私はトップに、もう1人の経験者はセカンドの手伝いにはいったのでそこそこ出さなきゃいけない、とがんばったのが悪かった。今朝起きて見ると見事にガラガラ声でテナーの響きどころじゃない。咳も出はじめた。軽症ではあるが(重症だと腹筋が痛くなるそうだ)なんとも情けない声である。もっと己を知らなきゃいけない。ところでデュークエイセスが解散したそうだ。ダークダックス、ボニージャックスと共に昭和の男声カルテットの雄だった。特に「にほんのうた」は思い出に深いものがある。レコードも楽譜も持っている数少ない曲だ。これらに続くグループはもう出ないだろうなと少し寂しい気持ちになる。が、歌で飯を食うのが厳しいのも事実だ。
2018年01月12日
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およそ男声合唱をやったことのあるもので多田氏の名を知らないものはいないだろう。清水脩「月光とピエロ」が日本で初めての合唱組曲だと言われるが、彼が男声合唱の生みの親なら多田氏は育ての親だろうと思う。「タダタケ」とも言われ、愛された。私が多田氏の曲に出あったのは大学2年の時の「雨」であった。たちまち虜になった。ただ、私は混声からはいったのでそれまで全く知らなかったのだが、調べてみると「柳河風俗詩」は氏のデビュー作とあるが、なんと私が2歳の時に書かれたものだ。それが今日まで愛唱され続けているのだから驚くべき話である。多田氏の曲はほとんどがアカペラで、しかしハーモニーが実に美しく、かつ歌いやすく作られている。京都大学男声合唱団の指揮者を務めたあと銀行に勤務しながら曲を作ったと言うからすごいが、必ず自分で全パートを歌ってみたそうだ。日曜作曲家と言うところか。それでも著作権が確立されていたならば、彼の印税収入は相当なものだったのではないかと思う。蛇足ながら、私が初めて買った「雨」は第五刷で250円だが、今彼の曲集は1500円くらいのはずだ。「雨」については。その後曲が一部入れ替えられた。いわゆる差別用語がはいっているから、と聞いているが、「こじき」とか「ひにん」とかと言う言葉であろうかと思われる。堀口大学の詩であるが、私はこの曲が好きだった。今後も多田作品は歌ってみたいと思う。ただ、男声合唱のテノールは本当にしんどい音域がどんどん出てくる。それなりに気合いを入れて望む必要がある。亡くなったのは私の伯母と同じ日であった。巨人のご冥福を祈る。
2017年12月26日
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昨日の暴風雨が夢みたいで、朝から真っ青な空が広がる。ニュースでは北日本のほうでも被害が出ているようで、瀬戸内の災害の少ないところにすんでいることをありがたく思わなきゃいけない。とは言え、雨漏りが1ヶ所あって、今日は一日開け放つことにした。以前から雨漏りがしていた別のところは漆喰の下にコーキングを打って漏らなくなった。尤も、夕べのような雨の降り方では瓦の上を雨水が吹き上げていたとしても不思議じゃないので、静かに雨の降る時なら異常は出ないかも知れない。今日は指揮者に誘われて岡山県の真庭市へ。東京混声合唱団のアンサンブルのコンサートだ。真庭と言っても意外と近い。中国道の津山をすぎてから米子道に入って一つ目のインターになる。会場のエスパスホールはずいぶん由緒のある小学校(廃校)の敷地に建てられており、その小学校の建物が無料で公開されている。床は3cmくらいの厚さがある松の板だそうだ。明治年間の建築だが歩いてもギイともいわない。エスパスホールは私の感覚から言えば間口の割には高い天井のステージを持つ、ちょっと珍しいホールだ。ドラム缶の中みたいな印象だが、音響は悪くないと感じた。ステージのほうはさすがにプロ。観客を魅了するボケとツッコミみたいなコンビネーションが4人の間できちんと出来ている。東京混声の母体は東京藝術大学だ。声楽家の卒業生が多いらしいが、合唱の歌い方と声楽の歌い方はちょっと違うように思う。この切り替えを上手くできる人はあまり多くないと感じる。「主役はどこ?」を常に考えてないと合唱にならないと思うのだ。今回ソプラノにちょっと不満を感じた。それでもハーモニーは素晴らしい。これでなんと入場料1000円である。行政も力を入れているのだろう。振り返って我が町はどうも童謡にこだわり、歌は作るが歌う人を育てる発想がない。いつまでたっても合唱文化が育たない。金をかければすむ問題ではないと思う。この山あいの町を見習うべきだ。市民も上手いし。
2017年09月18日
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昨日の午後から京都へドイツ・アマルコルドの演奏を聴きに行った。演奏は7時からだったが、友人と「飲む」ために宿泊プランで3時頃出発。「ついでに見物してきたら?」京都の短大に通っていた女房は言うが、この暑い時にまっぴらゴメンだ。このコーラスグループは5人の男性で、テナー2人、バリトン1人、バス2人と言うことだが、素晴らしいものだった。体形もパートをよく表し、ずんぐりむっくりの首なしがテナー、バス系は見事な長身である。アルティの会場もよく合っていたのだろうが、素晴らしい響き。最後には「ニホンゴノウタ、キキタイデスカ?」万雷の拍手に応えて始まったのはなんと、ドラえもん、サザエさん、そして踊るポンポコリン。編曲は誰のものか知らないが大受けだった。こういう遊べるステージが出来るようになりたいものだ。また客席を合唱に巻き込むステージもあったが、聴衆もさすがである。2回ばかりの音とりで男女に別れて一緒に歌うと言う、まあマニアのためのコンサートと言えなくもないが、大いに楽しませて頂いた。予定時間を1時間近くオーバーしてお開き。予定時刻通りだと帰れなくもなかったが、あの時間ではちょっと無理だった。翌日(今日)は名にし負う長岡京市のパナムジカへ。ところで、金券ショップでJRの回数券をバラしたものを買うと、正規よりも700円ばかり安く行けるのだが、途中下車は出来ない。ショップで何とかならないだろうかと聞くと、長岡京までの切符を買って、長岡京から乗る時に京都初の乗車券を通せばよいと言う。その通り、何の問題もなかった。さてそのパナムジカ、行って見れば6畳ばかりの部屋の3面が合唱の譜面だ。大阪のササヤ書店に行った時にもその量に驚いたが、楽器の譜面も合わせて売っている。パナムジカはピアノ譜の店を別に持っていると言うから驚き。おまけに椅子とテーブルが置いてあり、ゆっくりと見られる。これには恐れ入った。休日は難しいかも知れないが、ウイークデーに仲間で行けば選曲会議が出来るのではないかと思うほど。少し遠いが、あれだけ見られるなら運賃の価値はある。
2017年09月02日
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姫路市文化センターで4時間弱に及ぶ「フィガロの結婚」を見てきた。芸文ホールの出張公演である。コーラス仲間に誘われて行ったら、大ホールはほぼ満席の盛況だった。言語はイタリア語かなと思うけれども確証なし。舞台両脇の電光掲示板にセリフがでるので意味は分かるが、やっぱりリアルタイムで笑おうと思うと原語の勉強が必要だろう。オーケストラはいわゆる芸文オケなので文句なし。出演はほとんど日本人だった。指揮は佐渡裕。「フィガロの結婚」というと、恋愛物語かと思っていたが、吉本張りのドタバタ喜劇だ。相方やその上司や夫婦、家来達との不倫や浮気を疑い、それに借金と処女権とやらがからみ、ドタバタした一日が過ぎて3組のカップルができ上がり、結婚式が始まるところでフィナーレとなる。面白かったのは2人が異なるセリフ(歌詞?)、それも建て前と本音を重唱で歌うというような場面が随所にあって、そのハーモニーが美しい。普段掛け合いのような場面はコーラスでも出てくるけれど、こういう場面はまずない。それだけに原語が理解できたらもっと面白かっただろうと思う。コーラスを聴きに行くと、必ず何曲かは寝てしまうのだが、全く寝なかった。これはどういうことだろう?
2017年07月27日
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テレビマンユニオン制作の「子供たちに残したい美しい日本のうた」に再度登場。昨日のテーマは野口雨情だったので由紀さおり・安田祥子の歌が大半で「ついでにこんな作品もあったよ」的ムードで我々の「赤とんぼ」が流れた。第1回と全く同じ画像で、私は顔が半分写っただけだった。たしか三回撮影し、適当に組み合わせて流した筈である。ピアニストは手だけ、ちょっと可哀想。実は野口雨情の生地、北茨城には1度招聘されて行った事がある。兵庫県からはるばる、バスで12時間かかった。現地に着くなり給油したからほぼ燃料は片道ぎりぎりだったのだろう。「いわき市××km」なんて表示を見て、ほぼ福島県なんだと実感した。アンコウや納豆汁は初めての経験。由紀さおり・安田祥子の歌と言うのは童謡では定番なのだが、あのポルタメントのかかった歌い方が私は嫌いだ。やるのは勝手だが、それが標準だと思われると迷惑だ。「七つの子」はその最たるもの。さて、録画が終わり、メディアに書きだそうとしたら、DVDでは容量が不足、圧縮型だとコピーガードがあるらしい。BDに書きだしたが、これではパソコンで見られない。BDドライブを買わなきゃ。ああ、色々と経費がかかる。冷蔵庫も調子が悪いらしい。この際、ダウンサイジングするか。
2017年07月18日
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地域の小学校でコーラスの練習をしているが、同じ日に隣接する体育館ではバレーボールの練習をしている。だいたい開始時刻が同じで終了は我々のほうが早いようだ。昨日、練習を終わって帰ろうとすると数人が体育館の玄関で地べたに座り、タバコを吸っていた。全国的に喫煙者は減っていると聞いているが、例外もあるようだ。それにしてもスポーツに喫煙はあまりよくないと思うのだが、会話は盛り上がっていた。小学校の父兄だろうから、まあ30代から40代というところだろうか。「タバコはよくないよ」と諭す年でもない。私などはタバコを吸うと高音が全く展びなくなるので生涯に1箱程度のものだと思う。コーラスで吸うものはいないのでたとえ火事が出ても「我々はタバコを吸うものはいない」とはっきり言えるし、また理解もしてもらえると思うが、体育館のほうはさすがに中では吸わないものの、火災の原因となる要素ではある。そういえばこの学校のPTA, 過去にはなかなか強かったと聞いている。その頃は煙の臭いなんかしなかったように思うが、時移ろえばこんなものか。コーラス、こういう姿にはなりたくない。
2017年07月06日
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今日は雨模様で野良仕事も出来ず、嫁は美容院に行ってしまったので合唱団のHPメンテナンスをやった。文字ばかりのところは問題なく更新できたが、団員の似顔絵が入っているページがどうもうまくいかない。ここを更新しようとすると通信エラーになるのである。レンタルサーバーなので問い合わせてみるが、iwebなどと言う懐かしいものは既に「何それ?」と言うレスポンスである。掲載件数を減らすとうまく行く時もあるが、文章と画がずれていたり、違う人が入ったりと法則性も見えないので対応が困難だ。iwebはとても手軽で良いソフトなんだけれども、既にAppleもサポートしなくなっている。これならフリーのブログをいくつかリンクして行くような方法をとる方が良いかも知れない。ちょっとwordpressでも勉強してみようかな。複数で書き込みが出来ると助かるし。非営利・任意団体でのHPは安いこと、持続できることが必須だ。団員獲得のためには大事なツール。年のいった人でもネットで調べる人はかなりいる。子供に調べてもらったという人もいる。地元の合唱団でHPを持っているのは私の属する団だけ。おかげで去年は東京のテレビ局から出演のオファーを貰った。人が増えているのもうちだけ。それだけに「だれでも持続できる」体制の確立は団存続の必須条件だ。
2017年05月09日
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前々から依頼されていた慰問演奏である。「こいのぼり」から「青い山脈」など、慰問で受けるのは童謡と青春歌謡のようだ。やはり脳の深層に記憶が残っているのか、手拍子が起きたり、調子は外れているが自分で歌いだしたりとにぎやかな演奏会になった。どこに行っても、普段かん黙な人が急に明るくなったりするらしい。普段の混声四部をやるにはパートが揃わないので2部になるが、斉唱でも良いかも知れないと思うほど。青い山脈の2番には「古い上着よさようなら 寂しい夢よさようなら」とある。石坂洋次郎の小説から生まれたようだが、男女交際のことがテーマらしい。古い上着は中学校と女学校が統一されて共学になったことだろうか。また昭和22年ということなので日本国憲法が動き出した頃でもある。寂しい夢ははかない恋だったか。ひょっとしたら古い上着は軍服であったかも知れないし、寂しい夢は国難に際しては命を投げ出せ、だったのかもしれない。今話題の教育勅語に照らすとあまりにも当を得ている気がする。西条八十がどんな想定でこの詩を書いたかは知るよしもないが、ちょっと想像を働かせてくれる言葉だ。入所しているのはもちろん後期高齢者が多いが、彼らの頭に戦争がどう残っているのか、興味深い。
2017年05月07日
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初めて敦賀行きの新快速に乗った。早めに出て18切符で京都へ。目的は長岡京市でのリトミック講習会だが、久しぶりの京都も見たい気分。梅小路の桜がきれいに咲いていた。さすが観光都市京都だ。人がいっぱい。外人さんやら東洋人らしいが意味不明な言葉を話していたので中国か韓国辺りからの観光客だろう。京都駅の伊勢丹も人がたくさん。パスタで昼食を済ませ、土産を買って長岡京に取って返した。実は出発前から気になっていたのだが、昔あった神足駅が路線図から無くなっている。京都を出ると西大路、向日町、神足だった筈が西大路、桂川、向日町、長岡京になっているのである。駅をおりてみると「神足」と言う名前のついたマンションがあったので改称したんだなと分かった。リトミック、実は私は昔からのリズム音痴。なかなかリズムが身につかず、「どうしてこれができない?」と何度言われたことか。退職を機に一度こういうものに直接触れてみたかった。だからといって身につくかは別問題だが。主催はパナムジカ、講師は岩本達明氏。リトミックは体を動かしてリズムを取る、リズムに合わせた運動だが、4ビート、8ビートと組み合わせ、「翼を下さい」を歌いながら手を叩き、アウフタクトやビートの切り替えもあったり、非常にためになった。これでどんな曲でも任しとけ、なんてはとても言えないけれど、指揮の動きや小節を超えて前から発音すると言うのがどういうことか、いくらか分かった気がする。但し、やっぱり感性の世界。鈍いやつは鈍い。才能のなさも思い知らされた。
2017年04月09日
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文化協会の交流にアトラクションとしてコーラスが選ばれ、はるばる高知県安芸市にバスで出掛けて行きました。25年ぶり?赤とんぼの三木露風と叱られて他多数の広田龍太郎という童謡の縁で姉妹都市の協定を結んだのが平成元年らしいので前に行ったのはその頃と思われます。7時半出発。トイレ休憩を取りながら四国へ。写真は豊浜SAで社内の様子。今回、28人乗りのバス(経費の関係でしょうね)に協会役員20人、残った席に合唱団員ということで参加は8人に制限されました。指揮・ピアノを入れてこれですから非常に辛い。S1A1T2B2という陣容で、ソプラノに応援を頼みました。バスに揺られること4時間、安芸市に入ったところで腹ごしらえです。じゃこ丼です。ちょっと分かりにくいですが真ん中の四角い容器に生のじゃこ(イワシの養魚ですね)が入っていて、地元のユズで頂きます。刺し身はマグロとカンパチ。カンパチは地元ではネイリと呼ぶそうで。この後、書道美術館を見学しました。吉田茂の直筆がケースもなく、触れられる状態で展示してあるのに驚きです。また、坂本龍馬の先生であった河田小龍の直筆もありました。作品によっては落書きなのか芸術なのかよく分からないものも。すべての作品にラベルで現代語の説明があるので、全く不可解ということはありません。こちらは岩崎弥太郎生家です。そういえば坂本龍馬もこちらに縁のある人ですね。ここで誤算!ガイドのボランティアさんがその精神を発揮してものすごく丁寧に説明してくださったので30分ばかり時間が延びてしまいました。会場に入ると同時に着替えに飛び込みましたが、着替えが終わるまで開会を待っていてくださったという安芸市職員の皆さん。交歓にも話が弾み、歌いはじめたのは予定よりも1時間近く遅れてしまいました。写真にはピアノがみえませんが、テナーに引率職員も入っています。なかなかいい顔だ!いきなりこういう顔で歌える人は少ないです。才能アリ!歌のほうはお褒めを頂きました。「柔らかい声が素敵!」「この人数でよくこれだけ」発声練習に時間を割くのも特徴のようです。短くても20分かけるというと、「え、そんなに?」と言う答えが返ってきました。自分で言うのもなんですが、協会所属の合唱団で各パート1〜2人でハーモニーに持って行けるのはうちくらいのものです。誰が間違えたか、すぐに分かりますから個人を鍛えるしかありません。最後は安芸市民合唱団の皆さんと一緒になって浜千鳥と赤とんぼを歌わせて頂きました。非常に楽しいひとときでした。20時30分帰着の予定で、運転士さんも帰りは頑張ってくれましたが、予定よりも1時間半近く遅れました。まあ楽しく歌わせて頂けたのでよかったです。安芸市の関係の皆様、大変お世話になりありがとうございました。
2017年03月19日
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毎年恒例の音楽祭、合唱の部が行われた。9時の集合から16時過ぎの解散で、拘束時間がとにかく長い。合同演奏があるので、帰るに帰れない事情になっている。来賓挨拶で市長登場。この人のおかげで市民第九が実現したのだが、1回きりの筈が2年連続となった。1回目は市制10年という看板があり、地元のオーケストラが下手ななりに演奏し、下手なりの合唱だったが、まあそれなりに意味はあったと思う。元市民によるソロもあったので。しかも参加費無料。ところが市長はこれに気を良くして2年目はオーケストラ招待でやった。これはもう大赤字だったに違いない。参加費も集めたが、焼け石に水だっただろうと勝手に思っている。挨拶が長く、どうなることかと思ったが、演奏のほうは全グループがかなり短い選曲をし、インフルエンザによる出場辞退もあったので25分ほど予定よりも早く終わった。今年は21グループ、控え室の部屋割りには苦労する。今年が定期コンサートで不参加が2つあるので、これが復帰した時のことを考えるとそら恐ろしい。女子高校生4人のアカペラがよかった。ただ、高校生の宿命で良い顧問に当たるかどうか。少なくとも今日の指揮者は残念な部類と思った。定型の振りしか出来ていないし、高校生の発声だってもっとよくなる。中学、高校の合唱指導者は校外からいれた方が良いんじゃないか。
2017年02月18日
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縁のある特別養護老人ホームに歌いに行った。あまり深い事情は分からないが、脳に与える刺激と言うのは、毎日同じことの繰り返しでは介護する方もされる方もあまり良いことではないんじゃないかと思う。ほんの短時間でも普段と違うものが頭や目や耳に入ってくることでありふれた言葉ではあるが「癒される」のではないかと思う。だから訪問の時には童謡、懐メロばかりのメニューになり、混声四部みたいな本格的にややこしいのはやらない。80代を超える高齢者ばかりなのでその人たちが若かった時に歌われた歌が喜ばれる。人気は美空ひばりと言うことで「河の流れのように」も入れた。動作法ではないが「幸せなら手を叩こう」あるタイミングを合わせて動作をすると言うことは子供の教育でもあることだ。手と耳、足の協働訓練にもなるが、理学療法士だからといって歌を歌ってやれる人ばかりではあるまい。ささやかな社会貢献の時間だが、一緒に歌ってくれる人もいて結構楽しいものだ。
2017年02月05日
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友人が出ると言うので応援に。市立姫路高校にはパイプオルガンを持つ音楽ホールがある。ここでメサイア全曲をやるという訳で、姫路市の中心的音楽家が集めた。いつものことながら、楽器の方はそこそこのレベルが集まるのだが、合唱の方は玉石混交。特に男声は数自体が少ないのでオーディションはやるが事実上落とせないのではないかと勘ぐる。今回は招聘したソリストの他に公募のソリストも数人いた。50人ほどの合唱団に20人ほどの合奏団が組み合わされていた。楽器の方のプレイヤーは京芸とか東京芸大の出身者が名を連ねている。まあボリュームとしてはこのくらいで良いのかな、と思う。ヘンデルの作曲でとりわけ「ハレルヤコーラス」が有名だ。あとは最終の「アーメンコーラス」だろうか。楽譜を見せてもらったら厚さは25mmくらいあった。重いが、ずっと拡げている訳ではない。それにこの時代の演奏形式か、ソロとコーラスはほぼ完全に分離していて、第九のようにコーラスがバックに回ると言う風ではない。交代しながら歌っている。女性のアルトがいなくて、カウンターテナーが代役を果たしていたが、この人は出色だった。アルトでこれだけのボリュームが出る人はそうはいないと思う。本当のアルトよりもよかった。反面、コーラスの男声は・・・まあ普段は魚屋のおっちゃんみたいなもんだから仕方あるまいが、もう少し数があれば多分よかったと思う。一般参加の女声はやはりオーディションを通っただけのことはあった。中学生も何曲か入ったが、こっちはやはり若い。声がピーンと飛んでくる。それにしても実演奏時間が2時間半は長かった。ホールは良いが椅子がいまいち。尻が痛くなったが、こういうホールが実は珍しくない。写真は演奏後のレビューだが、スマホの限界か。
2017年01月09日
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「子供たちに伝えたい 美しい日本のうた」と題した童謡の作者の生まれたところをめぐる番組で、秋にちなんだ「紅葉」「赤とんぼ」「小さい秋見つけた」などが関連する中野市、たつの市、東京都文京区、柳川市などが紹介された。琵琶湖周航を歌った高島市はちょっと浮いていた感じだが、琵琶湖ホールアンサンブルのメンバーが指導するグループと言うことででたのか?滋賀の童謡はあまり思い浮かばない。4K撮影と言うことでTVがTVなら更にきれいだったのだろうが、まあまあの出来だった。私はと言えば歌い出す前の肩を動かしたりしているところが写っていたり、男声合唱のところではずれていたり。幸か不幸か、ほんの一瞬にしか写らなかった。放送開始から今か今かと待っていたが、45分くらい待たされた勘定。衣裳も一番合唱団のスタンダードだった。でも衣裳は戦闘服、と言う自覚を持つべきだ。やっぱりモチベーションは上がる。
2016年11月27日
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初めて聞いたナマの全国大会である。大学・ユースの部と言うのがあり、1日目はここから始まる。家から車で約2時間。会場のとりぎん文化会館には大きな無料駐車場がある。阪神間ではこうは行かない。過疎地で車が完全に生活の一部になっているところならではの措置だと思う。車が停められないところには人は来ないのだ。さて、コンクールだから優劣がつく。やはり都会の合唱団が強い。金賞を取ったのは関学、早大、名大、都留文科大。銀が北大、九大、埼玉、銅が高知大、福島大、新潟大、広島。金賞を受賞したのはすべてプロの指揮者だった。圧巻は名古屋大学。関西で今を時めく伊東恵司指揮、ピアノは平林知子氏となっており、言って見たら関西合唱会のキングとクイーンに指導を受けているようなものだ。人数も多く、100人を超える。高知大はと言えば学生指揮、人数は30ちょっと。人数の少ないのはさておき、学生指揮はせいぜい2年の経験が良いところだ。指導者も限られるし、少人数では財政にも限界点は低いだろう。序の口が横綱に挑むようなもの。学生指揮は北海道や新潟も同じ。北大の銀は立派なものだと思う。コンクールと言うのはそういうものだが、地方大学は気の毒な気もする。しかし各支部のトップの揃う演奏は素晴らしい。一堂で聞けるのだから助かる。また近くで開かれることがあれば出掛けて見たい。来年は東京なので無理。
2016年11月20日
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今日は30分早い集合時刻。驚いたことにみんな集まってきた。飲み会とこういう時は時間厳守か。発声練習もせずに各パートの音取り。すんだパートの初心者には発声の指導。えらく気合いが入っているが、たまにはこんな練習もあっていい。男声の聞かせどころはどうしてもうなりすぎる。合唱と演歌は違うんだ、と何度も言うのだが、力が入ってくると忘れてしまう。歌うのはソプラノ2、アルト2、テナー3,バス4と田舎の合唱団としては男声が充実している。人数もこれくらいが良いかと思っている。これに指揮とピアノを加えてもマイクロバス1台で移動できる。曲は「赤とんぼ」4コーラスだが3分ほどで歌は終わるのであとは町の紹介なんだろう。赤とんぼは、定期演奏会の時くらいしか歌わない。こういうチャンスに新曲が覚えられる。また久々の暗譜でもある。少しは記憶力も鍛えないと!放送はBS朝日、11/27とのこと。時間をまだ教えてくれない。
2016年11月09日
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テレビのオファーをうっかり受けるととんでもない飛び込みスケジュールになる。16日に収録が決まり、27日の放送予定という。モノづくりの日程は原料を揃え、製造設備をやりくりしてから始まるものだが、その神経はこの業界には役に立たないようだ。人、場所、放送までのリードタイムを確保して取材スタッフを集めて、放送日から遅くとも収録しなければならない日を決め、出演者と交渉だ。多分この業界の人はそれが常識なんだろうが、出演者がプロでなければ一番扱いやすいと思う。曲自身は短いので三分もあれば終わるが。
2016年11月02日
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帰宅すると「東京の男のひとから合唱団のことが聞きたいと言う電話があった」と女房が言う。東京に知りあいなんていないこともないが、いないに等しい。同じ町にとうようという村があるので「聞き間違いだろう」といっていたら、再度かかってきた。なんと、BSの単発ものだが番組の企画で童謡の生まれた町でその歌を歌う合唱団を探しているという。赤とんぼをフルコーラス歌って欲しいということだ。明日の練習のあとにでもどうかと言う。複数の人間からなる合唱団のこと、皆の同意を得ないことには動けない。なので少し時間をもらうことになった。さっそく指揮者に連絡、指揮者は鍋パーティーの真っ最中であったらしい。「マジ?」もちろん東京に来てくれということではなく、取材に行くという。日程の打ち合わせも含め、撮影の場所や形態で録音場所の設定やら場合によればユニフォームのあつらえにまで話が発展しかねない。11月の取材を望んでいるとのことだったが、間に合うのかね?とんでもないプレゼントだ。
2016年10月25日
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私が高知にいたのはもう40年も前になるが、当時は香川・愛媛が強く、徳島が続き、蚊帳の外が高知だった。自嘲気味に「四国山脈は高い」と言っていたものである。それが近年は土佐女子中・高が揃って、高知大学が大学ユースで、全国大会に出場する。学生、生徒が揃って全国大会なんて将来も盤石な気がする。若者が強いと言うことは将来が強いと言うことだ。鳥取の全国大会を聞くのが楽しみ。行程のこともあるので何とか午後のプログラムに回って欲しい。
2016年10月03日
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11月19-20日は全日本合唱コンクール全国大会だ。隣の県で2時間半ほどでいけるので聞きに行って見ようと思うが、ホテルがこの日は全く取れない。関西大会はまだなのだが、これから決まる地方大会もある筈なのにどうするのかな?まさか宿を先に押さえてて出場できなかったらキャンセルとか?ホテル旅館組合とか言うのがあって、そのサイトに予約を書き込んだが、これは中小の宿が連携をしているみたい。「2営業日以内に返事をします」と自動返信メールは返ってきたが、後はなしのつぶて。どうもこの組合組織は機能していないな。100名ほどの宿に電話をしてみたら「その前後は貸し切りです」とか。えらいとこなんだな。2時間半とは言え往復したら5時間。これはちとしんどいものがある。さてどうしたものか・・・
2016年09月30日
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夏休みが始まって最初の日曜は毎年これだ。今日の演目は「ほたる」「このみち」「鞠と殿さま」。毎年地元で生まれた曲を入れろと言うことで困るのだが(近年の作品には歌おうかと思うものがない)今年は思い切って金子みすゞにかじを切った。この人は兵庫県とはゆかりはないが、童謡と言うことで強引に入れてしまった。今年の講評は高橋寛氏。日本童謡協会からの派遣と言うことだったが、今までにやってきた人は数あるが、一番実用的だった気がする。「もっと動物的な呼吸を」一見「何言ってんだ?」なんだけれども、「腹式呼吸を目一杯やって」 ということらしい。四つんばいになって発声をするとか、運動しながら声を出すとか、いろいろとあるらしい。
2016年07月24日
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森喜朗氏がリオデジャネイロオリンピックの選手壮行会で「君が代を歌えない選手は代表ではない」などと言ったという。国歌斉唱でなく独唱のプログラムだったらしいので何とも音痴な話だが、数年前にあった兵庫国体の地区開会式で君が代を歌わされた。ところが長らくテナーを歌っている私にはこの歌の音域が非常に偏っているので歌いにくい。極端な言い方をすれば5線よりも下は歌声にならないのである。歌声らしくなるのはラ位から上なのだが、君が代はこれよりも下の音が多い。ぼそぼそと歌うのに適した音域だ。それを「大きな声で歌え」と言われても、低い音は出ないのである。一方吹奏楽は吹けば音は出る。伴奏の筈が主役になっていた。もし君が代でなく「さくらさくら」だったら・・・高音域を生かしてフルパワーで歌えたと思う。歌には好き好きもあるから国歌として何が良いかは別に議論しなきゃいけないが、この歌は歌いにくいと思う。近年は全体に声が高くなっている傾向があると聞く。 ますます「ぼそぼそ歌い」の傾向が出るのではないか。
2016年07月06日
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久しぶりのロビーコンサート。主催者がオファーをかけてきたら断ったことがない実績のおかげでタマのない時は必ず声が掛かる。一度に2団体が演奏をし、持ち時間はそれぞれ30分。出し物は 「ほたる」「鞠と殿さま」「このみち」「ふるさと」「翼を下さい」「心の瞳」「麦の唄」指揮者が前に立つのは久しぶり。今日はパートのバランスが取れているので客席の後ろで振るという珍しい配置だった。おかげで仕掛けておいたカメラのスイッチを入れてもらえるというおまけもつき、解像度は低いものの動画も撮れた。聴衆は100人位か。無料のコンサートなので近所のひとがぞろぞろと、ファンの人ははるばるとやって来る。今日は「母と暮らせば」の上映もやっていたので駐車場はいっぱいだった。演奏後1人の女性がやってきて「私、高校時代にコーラスやってたんですが練習はどこでやってるんですか?」「I小学校ですが」「うわー、ちょっと遠いな。私、クルマに乗らないので」残念、釣り落とした。でも長い事やってれば釣れることもあるよね。やっぱり営業しなくちゃ。いまのところ市外が7割だから、地域の名前がちょっと恥ずかしい。
2016年06月11日
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日曜は自閉君の図書館の日だ。いつもは女房が付き合ってくれるのだが、今日は高校の仲良し数人とお昼を食べるというので私の当番に。市内には合併で一緒になったものだから4つの図書館がある。今日は旧新宮町の図書館。あまり行った事がないのでいつものように自然科学、音楽と見て回ったら、発声法の列がある。田舎の図書館と侮っていたが、どうしてどうして、立派なもんだった。弓場メソッドというその道では有名な声楽家の本もあった。内容は少々難しい。CDもついていたのでこっちを聞けばよく分かるのかも知れないが・・発声の時には尻の穴を閉めろ、と言うのだが、私はどうも違和感がある。大臀筋に力を入れて恥骨を前につき出すような感じ、と言うのがどうも真意のようだが、普通に考えれば下痢腹をかかえてトイレの順番待ちをする方がイメージされると思う。これは消化器系の問題なのであまり良い指示とは言えないだろう。脇腹の後ろにある筋も使いようのひとつの目安になる。また腹式呼吸が大切なのは言うまでもないが、通常の呼吸というのが500ccくらいなものらしい。そこから過剰に吸い込むのも、はききるのも1500ccだそうだ。だから良い発声はいかにうまく息を吐くか、と言うことなのだ。筋肉の緊張と声帯のリラックスが響きを生むと考えてよさそうだ。今日は借り出し券を持っていなかったので、次回は持って行こう。
2016年05月15日
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合宿にも等しい詰め込み練習の5月4日。強い風ながら見事に晴れ上がり、練習にはもったいないような天気に恵まれた。10時集合で発声練習をやり、新曲の音取りを昼まで。その後食事をしながら総会開催。合唱団を始めて現在の団だけでも20年を超えるが、食べながらの総会というのは初めてだ。もっとも、去年やったことと使った金をまとめて報告し、今年の予定と予算を示すだけなので本来ならそう時間のかかる作業ではない。昼飯の話題が合唱団の話だと思えばいいのかも。考えようによっては人の悪口なんぞ言うよりは遥かに健全だ。そして13時。本日の講師、萌ちゃん先生がやってきた。沖縄の大学で声楽を勉強し、そのままカルチャーセンターの講師とかやっていたのだそうだ。昨年実家に戻り、その途端に第九のソプラノパートリーダーに。若〜いリーダーだ。この子にうちの指揮者がほれ込み、一度ボイストレーニングをやってもらおうと言うことになったのである。身長153cmと言うから小さな体だが、体を響かせる発声はすごい。また同時にお茶目さんである。私たちの団は本当に経験律で動いているものばかり。ピアニストだけが音大卒、指揮者も含め他はまるで縁のない職業だ。学部もばらばらだ。一通りの声を聞いたところで、「声がすぐ前に落ちてます。もったいないな〜 もっと前に飛ばす思いを込めて歌ってみましょう」「のどのところを意識する方が簡単に出ますけど、ここには筋肉が少ないのですぐに疲れます。だから下のほうの共鳴を使うんです」ふ〜ん、なるほど。「歌と言うのはスポーツです。結構しんどいです。歌手は太った人が多いけど、体脂肪は少ないんですよ」その気になる、させるというのは大事なことだ。この一言でいっぺんに音圧が上がる。「ぽんと入る」ことは客に「お?」と思わせることだ。ところが「もわっと入る合唱団」の方が圧倒的に多い。これが発声の統一になるからこの子はやっぱりすごい。「だめ」とは言わずに「もったいない」トレーニーのプライドを傷つけないようにと言う配慮か。曲の練りに入る。「歌になると言葉が付いてきます。言葉をお客さんに届けないと意味がありません。例えば「嵐」のイメージを皆さん持って歌ってください。ただ単に発音しているだけでは思いも入らないし、伝わるものもありません」 「そのために、 子音の練習をしましょう。子音をはっきり立てるには、音符よりも早く声を作るのです。日本語はその辺あいまいなんですが、ドイツ語などは前に持ってこないとタイミングがどんどん遅くなります」いちいちもっともなんだが言われてもすぐに忘れてしまう。気を入れる、心を込めて、言うのは簡単だがなかなか難しい。しかしパートで同じイメージを持つと人数以上のパワーになる。同じ思いを持つことが課題かな。3時間の指導でも皮の剥けたところがたくさん出来た。
2016年05月05日
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ま、これがコーラスの始まりだ。「めんどくさい」「また?」と言うようになったら合唱団の退行、破滅の始まりだ。これがあるからハーモニーがある。6/11のロビーコンサートが当面のターゲットになる。コンサートがあるから動機づけになり、レパートリーが増える。歌う機会が仲間や友人を増やしてくれる。若い女性との交流も生じる。この年になると女性は女房と娘だけみたいなものになるので緊張感もない。この辺りから老け込みが始まるのだろう。女性だけが若返りの手段でもあるまいが、ひとつのきっかけにはなろう。混声合唱団は何らかのかたちで女性と関わらねばならない。老け込み防止には良い趣味だ。必死で譜読み・発音をするのに脳はフル回転である。 ピアノから音をもらうなど、考えない方が良い。合唱の原点はアカペラ。ピアノの弾けないものの負け惜しみだ。
2016年04月20日
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ということで、熊本の方には申し訳ないほどの上天気の元、歌って参りました。運営は愚痴っても仕方のないことなのですが、オープニングスタッフが一般とプロとの組み合わせでプロは機械の運用やステージの切り替えなどを、一般は出演者の管理などを担当してるのですが、楽屋事情が分かっている人はほとんど出演に回っていて、素人集団になっちゃってました。そんな訳で「ほぼ成り行き」状態でスタンバイ時間の取得もままならぬ状態でした。直前リハもないので余計に見当がつかない。でもこのあたりはぜひやって欲しいんですがね。それはともかくとして、私としてはコンディション最低でした。きのうVTの先生のところで発声して「無茶しんどそう」と言われながら風邪薬と響声破笛丸料でごまかしてきたので「あ、意外とでるやん」のレベルでした。いつもの練習場で仕上げてから出発。本番は2回目の曲から始まったので落ち着いてスタート。心の瞳・翼を下さい・麦の唄で無事着陸、大きな拍手を頂きました。こないだの練習で指揮者に代わって怒鳴りつけた効果があったか?と思います。すごく響きの良いホールで残響でフィニッシュの和音が分かるほどでした。
2016年04月17日
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私には珍しいTVネタである。秋に始まる朝ドラのヒロインが芳根京子さんに決まったというニュース。昨年夏から「表参道高校合唱部!」で主役の香川真琴を演じた女優さん、19才だそうな。テーマがコーラス絡みでなければ多分見なかったと思うが、宮崎あおいさんを連想する顔立ちである。いかにもNHK好み?はともかく、小豆島から東京に出てきた真琴が廃部寸前の合唱部に入り、もり立てて行くというストーリーだ。全10回くらいではなかったかと思うが、はじめにコーラスを聞くと「なんじゃこれ?」のレベルだったのがどんどんうまくなって行った。もしはじめが「ヘタくそを演じていた」ならこれは見事にだまされたことになる。 俳優とはだます稼業だから実力派と言うべきかも知れない。この番組では高畑淳子さんが校長先生役で出ていたが、彼女が「歌える女優」と認識を新たにした。歌える俳優を集めるのは結構大変なのではないかな? 大阪局はこのところヒット続きだ。「ごちそうさん」「マッサン」につづき「あさが来た」もヒット。 東京の制作よりも上を行っているのではないか。コーラス絡みで「だんだん」はよく見ていたが仕事の時間の関係で休日ぐらいしか見られない。大阪ものは「嫁いびり」に適役が多いのか?キムラ緑子、泉ピン子等々。「べっぴんさん 」の舞台は久々に神戸。ちょっと楽しみだ。
2016年04月08日
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東日本大震災のほかに去年のことだが弟が亡くなった。大腸ガンの発見が遅くて死んでしまったが、自宅で暮らすか病院で暮らすかの選択を迫られた時に自宅を選んだそうだ。無くなったことを聞いて駆けつけた時には丁度主治医が帰るところで義妹が「お世話になりました」と挨拶しているところだった。よりによって末っ子が一番先に逝くとは・・人生の無常と言うのか、多いに嘆息した次第。今日は1周忌。法事は1週間前に終わったが、来年は丁度土曜に祥月命日になると言う。去る者は日々に疎しと言うが、姪にとっても「いないのが普通のオヤジ」に なったことだろう。まあいつ自分の番になるか分からない。テレビでも有名人の認知症の話題を取り上げているが、これもいつそうなるやら。せいぜい体と頭を動かして活性化させておかないと。この意味で譜読みと言うのはすごい頭の回転であるに違いない。調号を見てドレミの位置を見ると同時にその音階を口に出すと言う荒行だ。聞き覚えのカラオケじゃない。合唱になると更に調和に気を配り・・やっぱりアカペラが基本だな。
2016年03月11日
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歌をやる者にとってボイストレーニングは欠かせないものだが、これを重視する合唱グループと言うのは意外と少ない。失礼を承知で言うと、出来そうで出来ないのが幼稚園や小学校の先生。子供のための歌とあって、大人の声が子供化している。そして意外とそれに気付いていない。子供の声に囲まれると感化されるのだろうか。ピアノの先生と言うのも意外とダメ。ピアノにあわせて歌いなさい、と言う目線で歌わせるためか、ピアノがないと歌えませんと言う人ばかりになる。もちろんピアノを聴いて同じ音階の音を出すのも結構難しいことなんだけれども、息の流し方、息の当て方など野って見せられないことはどうも横に置いといて、と言うことになるようだ。また、歌は鍵盤と鍵盤の間にある音も出せるのだ。ハーモニーとなると、平均率を超える部分が無視できない。声楽をやった人が一番出来る筈なのだが、やって見せるタイプと説明に走るタイプがあって、説明を受ける人が分かるようにやってくれる人がなかなかいない。だから私のような非専門家でもやっていられるところもあるのだが、先に行われた第九の練習でソプラノのリーダーがその難しい役回りをこなしていた。小さな体から信じられないような声を出す。指摘も的確。自分より経歴が上でも嫌いな発生をする人に教わろうとは思わない。そんな生意気も違う面から見れば独善だ。この人に教わって見ようとしかけたのはFaceBookだった。便利になったものである。その日のうちに快諾がもらえ、具体化することになった。うちのチームの声が変わったと言ってもらいたいものだ。
2016年03月04日
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カンティ・サクレとうた ふぐるまの合同による信長貴富ワールドを聞きに行きましたが、それより先、指揮者と一緒に楽譜探し。兵庫県で一番合唱譜をおいているのはYAMAHA神戸店だと思いますが、ササヤにはその十倍以上の楽譜があると思います。うちの指揮者は方向オンチ。1人では梅地下は絶対歩けないです。そんな訳で阪神電車を降り、PDFで提供される地下街地図を頼りに行ってきました。私は数回来てだいたいの土地勘はありますが・・・まあ、1人で楽譜を探すのはなかなかしんどい作業なのですが、2人で行くと目ぼしいのを見つけたら「これどう?」なんて相談できますから、意外と手早く終わります。 指揮者はほくほく顔。もうひとつ、京都にパナムジカと言う楽譜屋さんがあるのですが、さすがに京都は遠い。足代もバカになりません。姫路からJRだと大阪まで3300円往復に必要ですが、 山陽電車-阪神電車だと2000円で往復できます。その代わり時間はかかる。シートも山陽電車の方がお粗末で、尻が痛くなります。1日乗り放題の切符があるのですが、阪急が使えないという弱点があり、大阪止まりになります。いずみホールは大阪城公園のすぐそばですが、よく見るとキャパはあまりないですね。パイプオルガンをつけるとあれくらいの大きさになるのかな。女声合唱を堪能してきましたが、あの音を取るのは大変だっただろうなと思います。聞くと歌うは天国と地獄。
2016年01月11日
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久しぶりにやらかしました。開始時刻を三十分間違えた上、JR事故のあおりで電車がなかなか駅に入れないトラブル。「ごめ〜ん」とは言ったもののしっかり弄られました。西播磨音楽祭実行委員の新年会で、実は9月まで活動はありません。にもかかわらず日曜の夕方にやろうなんて言うのはよほど気の合う仲間に違いない。事実、十年も前だったか、「実行委員会に出て食事も出ないとはどういうことだ」とマジに怒った人がいましたが、彼も二年前に亡くなったとか。「音楽をやる人は変わっているといわれて、自分でもいくらかはそうだと思うけれど、あの人は常識が疑われたよね・・」と言う回想もあったりして、にぎやかに進行していました。会社の場合は上下関係とかがもろに出てくるのですが、こういう飲み会は職業も立場も全く異なる人の集合。しかし運営でも技術でも苦労している分楽しさも違います。 終わりもあっさりと切り上げて散会しました。
2016年01月10日
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万全のサポート体制で動き出したものの、参加者の資質のばらつきには正直驚いた。まあ、初心者と既修者のレベルは当然異なるが、声になっていない、音階がデタラメ、指摘しはじめたらキリがない。特にひどかったのはバスとアルト。全くと言うほど聞こえてこない。リーダーは焦ったことだろう。10月になっても途中でコケる始末だ。かくいう私の属するテナーでもまわりの声が聞けるようになってパートの音が割れていたのも事実。半音近く低い人もいた。それでも、過去にこんな丁寧な練習をした記憶はない。歌詞の意味から調の説明から、本当に丁寧だった。第九が嫌いだった私も愚かであったと気がついた。もとより、第九のコーラスはベート−ベンのような耳の聞こえない作曲家だから作れたようなもの。声を楽器としてしか見ていないような音階が出てくる。「自分で歌ってみろ!」 と言いたくなる。しかし始めたからには歌わねばならない。いかに正しい音でリードするかが私たち既修者の仕事だ。音の違いを指摘したら、初心者は音を出せなくなる。極端な話、ピアノと同じ音を声で出すのもおぼつかないような人を叱ったりしたらそこで折れてしまう。出来るものが中で「この声と同じに歌え」とリードしないといけない。幸いテナーは1/3ほどが歌える人だった。しかしテナーは全体の1割しか人数はいない。声をまとめるのも芯になるものの勤め。私自身も車の中では音とり用の録音をiphoneで再生し、復習した。 bluetoothは実に便利だ。エンジンをかけて数秒後には自動的にスピーカーが鳴りだす。この点、途中から交代したandroidマシンは実にどんくさい。動いたり動かなかったり、実に気まぐれであった。割引のなくなるタイミングでMNPしたもので、やはり安物はそれなりだった。まあiphoneは実に高性能だが、少し価格が高くなりすぎた。指導陣の苦労の甲斐もあり、何とか声もまとまるようになったのは11月の初めだった。この時に「服を持ってこい」という指示が出た。本番で着る白黒のセットである。予行演習みたいなものだが、やはり当日の服装で歌うことはかなりモチベーションのアップになる。合唱指揮は音楽出身の中学校長だが、このあたりはさすが教師だなと思った。年はとっても、衣裳がモチベーションを高めることを利用したものだ。心理的には児童と変わりなし?やがてオケ合わせがやってきた。舞台で聞くと録音で聞くものと全く違う。ホルンしか聞こえない。オケの方も全員揃っていない訳で、少し慣れてくると弦楽器も聞こえるようになり、どこで音を取るか見当がついてきた。あとは飛びださないこと。そして本番。その日になって、バリトンのソリストが替わることが発表された。喉を痛めてしまい、到底歌える状態ではないとのこと。今回の女声は地元出身者、バリトンは私は好きではない姫路市在住の高名な先生、そのつてで大阪在住のテノールを予定していた。その高名な先生がダウンで、代役は前日に姫路で行われた第九のソリストを急遽依頼したそうだ。しかし、彼の声を聞いて、私は「こっちのほうが上だな」と思った。男声は2人とも東京芸術大学だそうな。音楽家のネットだな、と思う。ところでソリストの控え室の前を通ったが、発声練習はまるで動物園だ。ライオンが吠えているのと基本的に同じ!昔、外山浩爾先生から「五十嵐喜芳の発声は鼻をフンフンと2回鳴らして終わりだ」と聞いたことがあるが、これはもうその人によって独自のものらしい。ゲネプロが終わってからは食事、着替えなどあるが、待ち時間は長い。開場1時間前というのにもう人があふれている。普段ではないことだ。待っている間にだんだん冷えてくる。手すりにつかまって腕立て運動をして体温低下を防ぐ。初心者にも勧めたいが、なにぶん通路は狭い。みんなが出てきたら動きが取れなくなる。第一楽章が終わり、移動の準備にかかるが、高齢者の中にはどうしても自分の位置が覚えられない人がいる。右も左も分からないというのを現実に見た。右といえば左に行こうとする。第二楽章の終わりを袖で聞き、入場。人がいっぱい。空席がない。こんなのは初めて見た。地元だからこそ行って見ようと思ったのだろう。入場無料というのもあっただろうが、出演者・出資者に配られた以外の整理券は2時間ほどでなくなったそうだ。配られたものも行き場がなければ事務局に返す、と言うことになっていた。当日券は10枚ばかりだったようだ。1000人の聴衆!演奏が終わると、「ブラボー!」が4つばかり聞こえた。終わった途端、背中を汗が流れて行くのを感じた。まる子の汗と同じ感覚。アンコールは「赤とんぼ」これが終わると、「ありがとう!」と言う声が。コンサートでこんな声を聞くのは初めてだ。結団があれば解団がある。ソプラノの代表が「私はたつのに来て8年になる。いろんなことに参加してきたけれど、今日くらいたつのに住んでいてよかった、と思ったのは初めて」と言った。市長も歌っていたが、この言葉が何より嬉しかったのではないだろうか。 またいつか、このホールで歌う事があるだろうか。10年後?
2015年12月22日
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昨日が本番、私は10年ぶりくらいと思うが、今まで一番楽しい第九だった。いろいろ聞くところによると、40年ばかり前に故山本直純氏が童謡事業のことでこの町にやってきて、「第九をやらないか」と何かの時に言い出したらしい。当時の市長か教育長が「この町にはオーケストラがない」と答えたら「じゃあ作っちゃえよ」なんて話になり、青年会議所を中心に20年前に「西播磨交響楽団」が立ち上がって毎年演奏会を開いてきた。そしてベートーベンの第一から第八までは演奏したそうだ。「いつかは第九を」と考えていたらしい。 ところで 平成の大合併により、10年前に「たつの市」が誕生したが、10周年にふさわしいイベントがないかといろいろと考えたようで、2年前に就任した現市長が肝いりでこのアイデアを出したそうである。交響楽団20周年、市制10周年で第九を、となって合唱連盟に打診があった。お互い疑心暗鬼である。「合唱の人数は、技量は確保できるのか」「練習場や資金の確保は」結局協賛企業と市の合同事業のかたちで動き始めた。 幸い、と言うか市民音楽祭が合併の直後から立ち上げられており、楽団と合唱団の交流もあったので、大阪音楽大学の卒業生を中心にシステムは動き出したが問題は初心者の育成、30回ばかりの練習で戦力になるか?いや、しなければならないのである。 「一度歌ってみたかった」と言う人が少なからずいる。歌うことの大変さを思い知らせると同時に乗り越えさせねばならない。合唱というと「みんなで歌えば怖くない」と思っている人もいるだろうが、合唱は1人で壊せるのだ。半音間違えれば、リズムが違えばひとたまりもない。また、第九は合唱の中でも特異な曲だ。ほとんど人間の発声の極限域にまで要求される。また日本語にはない発音もたくさん出てくる。発声には各パートのリーダーが交代であたった。4人いれば4通りの教え方、表現がある。これは実にいいやり方だと思った。「あの人の発声は嫌い」どんな有名人でも好き嫌いとなると別次元の話になる。自分でも困ったなと思うのが自分のパート、テノールのリーダーの発声が全く不満だったことだ。 40年も歌っていると自分の録音でいいところ、悪いところを知り、理想とする歌手に近づけて行くが、「どう見ても(聞いても)この声はバリトンだよ」となってしまう。声楽科をでた人に農芸化学科の素人がたてつく訳で、これも困った性格だ。後で知ったことだが、この人は地元ではその道の第一人者の指導を受けていた。実はこの人の発声が私にとっては苦痛だったのだ。道理で・・・しかしソプラノのリーダーの声にははまった。だから自分が理想とする人の声から学べばいい訳で、実に合理的なシステムといえる。ボイストレーナを4人かこう贅沢だ。(明日に続く)
2015年12月21日
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例年12月の第一日曜に開催されるのが、今年はくじ運最悪で第二日曜、しかもあまり音響のよくないホールでの開催となりました。兵庫県の企画ながら毎年予算を削られています。ですから政府のいうインフレ政策はとんでもない話なのですが、政府の思惑に従った結果になっていないので何とか開催できています。特に印刷物は今やコピーよりも安くフルカラーが出来ます。って、写真の一枚も撮れていません。「写真撮影は禁止」と言う旗印がある以上実行委員がやる訳に行かないし、スマホも画面が大きくてこっそりと言うことも出来ません。うちの町からは2団体出てもらいました。例年公民館祭りとかち合って出られないところがいくつかあるので「今年は!」ということで出てもらいました。この時期、仕事もあって厳しく、相当メンバーのキャンセルが出ましたが、何とかまとめてもらい・・・。明るく歌って間髪の入らない拍手。これがどうもこの音楽祭の評価方法です。いい声なのにまとめきれてないグループもいくつかありました。タイミングが遅れると客席では何を言っているのか分かりません。他山の石ですね。そして全体に高齢。これは日本中どこでもの傾向のようです。それからいわゆる「合唱曲」をやるところは少なくなりました。ポップスや演歌などみんなが知っている曲が多くなっています。「ふるさと」は嵐のになっています。時代が変わるとはいえちょっと寂しい気も。
2015年12月13日
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第九の練習もあと1ヶ月になり、初めてオケ指揮者の指導を受けました。地元のオーケストラの指揮者なので顔は知っていたのですが、どこか変なところで見たことがあるぞ・・・とFacebookでプロフィルを見たら、なんと3月に亡くなった弟の職場の同僚でした。告別式の式場で会ったのでした。特別支援学校の教員は弟は20年くらいになるでしょうか。はじめは中学校の数学教師として勤務していたのですが途中から特別支援学校になりました。着任した背景は知りませんが、一般の学校に比べ、生徒から解放される時間が非常に長くなったといってました。クラブ活動がないのです。これなら音楽の先生は授業さえ終わればフリーみたいなものです。道理でオーケストラの指揮者が出来る筈だ、と。振り返って合唱指揮者は経歴を見ればピンキリですね。私自身も若い時には振っていましたし、現在の指揮者も短大から振って歌ってでしたが音楽とはあまり関係のない職に就いています。音楽では到底食って行けるレベルではありませんが、仕事の息抜きでやっている訳で、アマチュアミュージシャンはほとんどがこのパターンでしょう。大阪音大卒のこの指揮者に話を戻します。 我々歌う方にすればその時の調が何であろうが、ほとんど気にすることはありません。正確に、外れないように音を覚えて行くだけです。移動ドで取りますから余計にどうでもいい。ところが音大で専門的に学んだ人は「華やかな感じ」「厳かな感じ」と言う風に聞き分けるんだそうで、これはどうも私のレベルでは歯がたちません。そんな話で、第九の流れがどうなっているのかを聞かせてもらいましたが半分くらいしか理解してないと思います。最後に「初めての人が参加していてこんなに音の下がらない合唱団は珍しい」と褒めていただきました。ちなみに彼自身は歌ったことがなく、初めて歌える機会の直前にチェロを命じられたとか。面白い人です。
2015年11月29日
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