ハイネの森

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2018.03.13
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大村ICから長崎自動車道にのり、ながさき出島道路を経由して長崎市街地へ。
所要時間は40分だった。

出島近くの駐車場に車を停め、出島を観光することにした。




青空が嬉しい。
高校の修学旅行を含めて、今回が5度目の長崎訪問。
過去4度はいずれも  ♪長崎は今日も雨だった〜   と歌のとおりだったので、晴れているだけでテンションが上がる。

かつては海に面していた西側の門より入場する。(入場料大人510円)


キャラ好きはしっかりキャラさんも含めて写真撮影。

「さるくちゃん」 という名前のキャラさんで、「さるく」とは長崎弁で「ぶらぶらと歩き回る」という意味。 “長崎は歩いてまわってみよう” という観光コンセプトから生まれた名前みたいだ。

一人旅ならひたすら “さるく” けど、残念ながら今回はそういうわけにはまいりませぬ。


出島内の建物は比較的最近に復元整備されたようで、以前はこのような建物が並んでいなかった。



このあたりは鎖国期(1820年頃)の街並みを復元している。




国指定史跡としては「出島和蘭商館跡」と、あくまで「跡」としてだが、こういうふうに復元されるほうがイメージがわいて楽しく見学できる。


ポルトガル船が初めて平戸に来たのは1550年。
1571年には長崎に入港し、それが長崎開港となる。
それから物の行き来が始まるが、江戸幕府の鎖国政策により、1636年将軍家光の時に出島は完成した。出島完成当初はポルトガルとの貿易だったが、3年後の1639年にカトリックへの警戒からポルトガル船が来航禁止となり、1641年に平戸からオランダ商館が移転して、対オランダ貿易の場となった。
1859年にオランダ商館が廃止になるまでの218年間、貿易の窓口としての役割を果たしてきた。

オランダの東インド会社で仕事をしてて、 「君、日本支店長になってね」 と言われたらどんな気持ちだったのだろう。今と全然距離感が違うから、地の果てに行く気分だっただろうな。

旧石倉


幕末の商社の石倉を復元したもの。
ハルトマンス・ベシエ商会、及びクニッフレル商会が所有していた石造りの倉庫だった。




旧石倉付近は幕末期(1860年代)の復元エリアだ。


懐かしや、 ミニ出島



これは昔からあったなぁ。
初めて長崎に来たとき、ここで記念撮影したのを覚えている。

1/15スケールのジオラマ。


こういうのを好きなので、とても印象に残っていた。
母もそうみたいで、 ミニ出島 を見て喜んでいた。

東の端には、


1878年(明治11)に建てられた 旧出島神学校


1903年(明治36)建築の 旧長崎内外クラブ



明治期の洋風建築が2棟ある。


出島の復元事業は1951年(昭26)から始まり、まずは民有地を公有化するのに50年の歳月をかけて取り組んだ。2000年に第1期事業として5棟が復元され、現在も着々と進行中だ。最終的には、水に囲まれたもとの扇形にまでしようとする壮大な復元計画で、2050年が目標になっているとのこと。

2050年、、、
87歳だもん、微妙というか、この目で見るのは無理かもねぇ。




寿命がつきたら見られないけれど、復元目標が達成できるよう頑張ってくださいね、長崎市さん。

東側ゲートを出ると、


路面電車が走っていた。

水路に囲まれた扇形にするということは、この路面電車のルートを変更し、道路を付替えるということだから、あと30年かかっても仕方ないわね。





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Last updated  2018.03.13 11:13:19
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