ハイネの森

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2023.01.22
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明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
        なほ恨めしき あさぼらけかな

                  藤原道信朝臣



ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば
        ただ有明の 月ぞ残れる

                  後徳大寺左大臣


百人一首52番、81番の歌。

52番の 藤原道信朝臣 (972‐994)の父は太政大臣の藤原為光。母は45番の作者、摂政・太政大臣の藤原伊尹の娘。絶大なる権力があった家柄の出だが、本人はあまり高い地位につかなかったのは、22歳という若さで世を去ったからだろう。
父の藤原為光は989年に 法住寺 を建立している。

81番の 後徳大寺左大臣 は藤原実定(1139-1192)で、徳大寺実定ともいう。
平清盛、後白河法皇が活躍していた頃の人物で、後白河院の御所があった法住寺北殿での「建春門院北面歌合」の中心となっていた。

ということで、 法住寺 をこの2つの歌の“ゆかりの地”とした。

京都駅から市バスに乗り、〈博物館三十三間堂前〉バス停で下車。下りた人のほとんどは三十三間堂へ行った。

三十三間堂の道を挟んで東側に 法住寺 はある。





竜宮門の横に、


「法住寺殿蹟」の石碑がある。

後白河院はこのあたりに法住寺殿という御所をおいた。



時は平家と源氏の争いが激化した 治承・寿永の乱 の真っただ中。
法住寺殿は1183年(寿永3年)に木曽義仲によって焼き討ちされてしまった。



ご本尊は「身代わりさん」と呼ばれる不動明王像。
義仲に襲撃されて命を落とした天台座主の明雲僧正について後白河院が、「不動明王が明雲となって身代わりになってくれた」と涙したことから「身代わりさん」と呼ばれるようになったとある。



「建春門院北面歌合」の建春門院は後白河院の女御。
平清盛の正室である時子の異母妹の建春門院(平滋子)は、類まれなる美貌と教養の持ち主で、後白河院の寵愛を受けた女性として知られている。

竜宮門横にはもうひとつ石碑がある。



あそびをせんとや うまれけん

後白河院によって編まれた「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の有名な一節。


後白河院が関係する地なので、歴史を思い返すと、雅さの中に人間臭さのある場所に感じた。


法住寺竜宮門越しに見る三十三間堂


あっちは人の気配でザワザワしてるよ 



法住寺
京都市東山区三十三間堂廻り655





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Last updated  2023.01.22 12:30:07
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