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昨日の日記の末尾で下記のことを書いた。「週刊文春4月8日号で立花隆氏が今回の差し止め仮処分命令を出した鬼澤判事は確信犯だったと書いている」。これは正しくはこういうことだった。週刊朝日4月2日号が「週刊朝日」四月2日号に「週刊文春出版差し止め命令、緊迫の攻防」というタイトルで特集を組んでいて、立花隆氏が書いていたのは、立花隆氏の独自の情報ではなくて、週刊朝日の記事だということだ。(この週刊朝日4月2日号は最新号ではないようなので、今日バックナンバーを注文した)立花隆氏はこれを引用しているのである。 ----------------私もさらにそれを引用してみよう。以下は「週刊文春4月8日号で立花隆氏が「立花隆 緊急寄稿 第二弾 言論の自由の基本を忘れた裁判所・朝日・読売」と題した寄稿の一部の引用である。 ~~~~~~~~~引用朝日新聞はやらなかったが「週刊朝日」4月2日号は「週刊文春出版差し止め命令、緊迫の攻防」で、その背景を深くえぐった。この差し止め命令は偶然に出たものではなく、東京地裁民事九部の反メディアの裁判官を中心にメディア研究会のようなものが作られ、出版差し止めの申出が出たらすぐ対応できるようマニュアルまで作って手ぐすね引いて待っているところに、この申立が出たので、それ来たとばかり、一挙に出版差し止めに走ったのだという。 ~~~~~~~~引用終わりこれを読んで背筋が寒くなった!!憲法で最大限に保証されているところの言論の自由を、法曹かが最も尊重しなければいけない憲法、その憲法に違反して強引に気にくわない言論を統制しようとする裁判官のグループがいて、確信犯としてゲリラ的な行動に出たのだ。事後救済(裁判+損害賠償)という機能の存在を無視して、出版以前の事前統制を強引に発令したのは明らかに検閲に通じる。法律の中立性などを無視した、憲法を意図的にねじ曲げる、法曹界の2.26事件であると言っても過言ではないのではないか?これは徹底的に追及されなければいけない、ゆゆしき問題だと思う。立花隆氏の引用をもう少しつづける。 ~~~~~~~~~引用そしてこのような仮処分ではまことに異例なことに裁判官は最初から「担保は不要」と宣言して申立人に有利な決定を出すぞと言わんばかりの態度を取っていたという。そもそも仮処分では申立人に係争物の価値に見合う担保が求められるのが普通で(中略)決定にあたった裁判官がはじめから 異常な偏見を持ってこのケースを見ていた証拠といっていいだろう。 ~~~~~~~~~引用終わりこの担保とは供託金とおなじなのかな?法律に疎い私にはわからないが、訴えを起こすに際しては相手側が被る可能性のある被害(この場合文春の発行差し止めに寄って文春が被る金銭的被害)相当の金額を裁判所に預託することだと思うのだが、本件では5千万円相当だそうだ。それをこの鬼澤判事は、全く例外的に(違法と言えると思う)、田中側の支払いを免除したというのだ。とんでもない不平等だと思うし、明らかに意図的に田中側に立った処置をごり押ししている。 ----------------あいかわらず「文春も悪いし、裁判所もいけない。私はどちらかと言えば、○○の方の意見だ」というような論調がはびこっている。そんなことはみんなわかっている!そうして、そんなことは今回の本質ではない!どうして、みなさんはこんな簡単なことがわからないのだろうか? ----------------今回はプライバシー権と表現の自由権のどちらが優先権かという憲法上、二者択一の判断を迫られる前例のない重大な岐路なのに、未だにその点に気がついていない人が多いというのが現状だ。 ----------------この「メディア研究会」のメンバーである裁判官の実名は公表されるべきだし、弾劾裁判に掛けられるべきだと私は思う。裁判官は隠れも無き「公人」中の「公人」だから、文春が罪滅ぼしに顔写真と略歴などを紹介してくれればいいのだ。
2004.03.31
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週刊文春の田中真紀子長女プライバシー侵害事件の出版禁止を取り消し・東京高裁日経記事によればこうである。 ----------------前外相、田中真紀子衆院議員の長女の私生活に関する記事を掲載した週刊文春の出版禁止の仮処分命令を巡り、東京高裁(根本真裁判長)は31日、出版元の文芸春秋側の保全抗告を認め、仮処分を妥当とした東京地裁決定を取り消した。表現の自由とプライバシーをめぐり波紋を広げた出版禁止命令は、15日ぶりに効力を失った。 ----------------東京高裁は3月中に決定するとは言っていたが、いざこの決定が出てみると意外な感じがする。まず東京高裁が異例の速さでこの決定を出したこと。次に、東京高裁は、東京地裁の鬼澤判事が下した出版禁止仮処分および、その仮処分を3人の判事の合議の結果追認した東京地裁の決定の両方を「表現の自由が優先される」と、ハッキリと取り消すということは、可能性はあると思ったものの、私はなぜか予想できなかったのに、その反対の裁定が出たということだ。思いがけなくと言うか、あっけなく報道の自由の方が今回は形の上では勝ったわけだ。もっともプライバシー権の侵害は認められたが。やはり司法の良識があるものだという感じがした。と同時に、やはりこのような憲法という最高規定に関する判断というこれ以上無いほど重い法的判断に際しては、東京高裁も、制限規定が付随しない表現の自由を優先せざるをえなかったのだろう、という思いだ。 ----------------日本国憲法の第三章 は「国民の権利及び義務」である。この第三章の中に今回の問題となった、相反する性格を持つ二つの規定がある。★ 自由の規定に関する「表現の自由」(第二十一条)と★ 幸福追求権の中に含まれる「プライバシー権」と「名誉権」(第十三条)今回の事件に対して「どっちもどっちだ」という痛み分けのようなコメントをする人が多いが、そういう人々は今回は「どちらもわるい」という問題ではないと言うことがわかっていないのだ。この相反する二つの規定がガチンコした今回を法的にさばくには、このどちらかを取らないと法解釈とは言えなくなる。相反する規定だから、両方を取ることも、両方をしりぞけることもできないのだ。表現の自由を優先するものとすれば、例えプライバシーの侵害があろうとも、事前の出版差し止めはあり得ないのだ。プライバシー権を優先させるとすると、今回の地裁の命令のように事前の出版差し止めとなり、事実上の検閲に限りなく近くなる。 ----------------参考までに両規定を例示してみよう。 ----------------第十三条(通常、プライバシー権と言われる)すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。この規定は「公共の福祉に反しない限り」という制限のある規定である。公共の福祉に反する時は適用されない自由権なのである。無条件の権利ではないのだ。 ----------------第二十一条(通常、表現の自由権と言われる)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。「言論」とはテレビ・ラジオ・演説・討論などの口頭による表現。「出版」とは著書、新聞、雑誌などの活字による表現。これを「保証する」というのは日本国である。日本国という国家が制限条件無しにこれを保証するのだから、これ以上ないほど強い権利であることがわかると思う。大日本帝国国憲法にも実は表現の自由はあった。「日本臣民は=法律の範囲内に於いて=言論著作印行集会及び結社の自由を有す」(二十九条)=法律の範囲内に於いて=と言う制限条件を利用して多くの弾圧立法があって、この条項は無力化した。新憲法の二十一条の(2)で「検閲はこれをしてはいけない」と無条件に最大限の強さで禁止している「検閲」が横行したからだ。私も伏せ字一杯の本を見たことがある。それどころかページのほとんどが空白の本を見たこともある。これが検閲なのだ。だから、日本の帝国主義の復活を恐れたGHQ(Geenral Head Quarters 連合軍総司令部)は新憲法に於いて、表現の自由を最大限に強力に「国家保障」しているのだ。 ----------------これで、これら二つの規定の憲法上の優劣は明らかだと思うが、それなのに東京地裁の鬼澤判事はあえて覆す異例の命令を出したのだ。憲法の重大な読み違いをなした判事として、弾劾裁判の対象ともなるべきものだと私は思う。 ----------------国家権力の肥大化にともなって国家が情報を独占したり統制する。これは戦前の日本を考えれば簡単にその状況が見える。これに対抗する国民側は情報を「知る権利」を求め、報道機関がこれに応えるべきものである。私の個人的な考えだが、「報道の自由」と言うことは「思想の自由」とも連携するから=★ 第十九条=思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。と強く釘を刺している第十九条にもサポートされて当然と私は考える。 ----------------とりあえず司法にも良識はあったのだと思う安堵とともに、地裁の下した命令も高裁に否定されたとは言え、現実的にすでに強力な影響を言論・報道界に与えている。長嶋家が新潮社に対して出版差し止め請求を一時考えたと言うことで、新潮側がパニックに陥ったという。ひとりの判事が最高度に大きな命題に下した軽率な判断および、憲法の根幹にかかわる大きく重いケースを合議制にせずたった一人の判事の判断に任せた東京地裁の重大な判断の誤りが、これからの日本に大きなインパクトを与えつづけることになる。 ーーーー ◇ ーーーー追記上で私は「ひとりの判事が最高度に大きな命題に下した軽率な判断」と書いた。これはこの時点での判断だったのだが、どうも単なる「軽率な判断」では無かったらしいのだ。今週発売の週刊文春 4月8日号で、立花隆さんの緊急寄稿 第二弾 「言論の自由の基本を忘れた裁判所・朝日新聞・読売」の中で重大な事実がかかれている。この裁判官は確信犯だったのだ。同じ様な思想傾向のある裁判官グループが研究会を作っていて、ちょうど今回のようなケースが発生した場合にはこう対処しようとマニュアルまで作って手ぐすねひいて待っていたというのだ。これは明日の日記に書きたい。 ----------------女性週刊誌の「女性セブン」が骨のあるところを見せて、「言論の自由を封殺した45才の判事」という特集でこの判事の素顔をのせているから、彼のご尊顔を拝みたい人は女性セブンを買ってやってください。やはり変な顔をしている。
2004.03.30
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ドイツのドルトムントで行われているフィギュアスケートの世界選手権で27日、荒川静香さん(早稲田大学)が優勝した。いや~!すごい!荒川さん!おめでとう! ----------------私はフィギュア・スケートのファンである。特に女子の方の・・・。「どうして女子の方か?」と尋ねられても、私は本当のことは絶対に言う積もりはないが、とにかく女子のフィギュア・スケートのファンだ。女子フィギュアは銀盤の花といわれていて、男子より格上とされていて、実際、バレエのようなはなやかさ優美さ美しさがある。バレエ好きな私としてはフィギュア・スケートも好きになるのは理の当然なのだ。本当のことは絶対に言うつもりはないと言いながら、ここまでくドクドと言いわけをつづけてきたが、もうこれでいいだろう。 ----------------テレビで見た覚えはないが、昔の上野純子さんのスケーティングは、確かニュース映画で見たと思う。おなじくスケーティングがエレガントであった時代の世界チャンピオン、ペギー・フレミングもやはりニュース映画で見ている。札幌オリンピックでは、あの氷上の妖精、ジャネット・リンちゃんを、この場合はテレビで見ている。リンちゃんは確かに可愛かった。演技中にスッテンコロリと転倒してしまって、惜しくも三位、銅メダルに終わったが人気は金メダルだった。もっとも二三年前、「あの人は今?」的番組であの可憐だったジャネット・リンちゃんが出演したが、う~~ん・・・。太ってただのおばさんになってしまっていたな~。夢とは、壊れるためにあるものである。 (alexの格言) ----------------最近で言えば、私のごひいきのスケーターは、ロシアのマリア・ブッテルスカヤ。長野オリンピックでは不運にもメダルをのがしたが、バレリーナのようなすばらしい美脚と容姿で白鳥のように舞い踊る、芸術点だけなら常に世界一と思われるスケーターだった。しかし、ジャンプが不安定でよく転倒した。そのせいで、欧州チャンピオンには何度もなったものの、世界チャンピオンには一度なっただけだった。今シーズンは引退したようで今はプロの大会でしか、彼女のエレガントなスケーティングは見られないのが残念だ。 ----------------荒川静香さんは東北高校の学生だった頃から見ていた。高校生ながら長野オリンピックの日本代表になったのだから素質は抜群だったのだろう。ただあの当時の荒川さんのスケーティングは、決められたことをこなしているという印象で、自分からこう表現したいという内的なものがほとばしって演技している・・・そんな感じがなかった。振り付けられた人形というところだった。それにスケーティングの技術的にもまだまだだった。マリア・ブッテルスカヤの表現力に参っていた私は彼女が出てくるたびに、「なんて表現力が無いんだ!」と酷評した。しかし、あの当時は彼女だけではなかった。彼女がトップだったのだから、他は推して知るべし・・・と言うことになる。ところが昨年あたりから彼女のスケーティングがしっかりしてきた。その余裕があるから表現力も増したという印象を受けた。インタビューにも大学生らしくしっかりした受け答えをしている。しかし、今季、彼女が進歩しながらも無冠のままでいる間に、他の日本スケーターがドンドンタイトルを獲得した。 ----------------グランプリ(GP)ファイナルで村主章枝(すぐり・ふみえ)(新横浜プリンス)が、優勝。これは世界選手権優勝に匹敵するタイトルだ。世界ジュニア選手権とジュニアGPファイナルで安藤美姫(オリオン)が優勝。4回転ジャンプを成功させて、ジュニアのタイトルを両方とも制した安藤さんもすごい。もうひとりいる。京女の太田由希奈(17)=京都醍醐クラブ昨年の世界ジュニア選手権で優勝、今年は四大陸選手権で優勝。これで女子フィギュアの主なタイトルはすべて日本女子が奪い取ったわけで、数年前からは考えられないすごいことになった。それに、まだ有力な選手がいる。中野友加里(18)=グランプリ東海クラブ恩田美栄(21)=東海学園大まだいるのだが・・・、といっても名前が出ないからこれまでにする。 ----------------こういうタイトルの常連、ミシェル・クアン選手(米)やサーシャ・コーエン選手(米)も日本選手のジャンプ能力には敵わない、同じ様なジャンプをするには肉体的に無理がでるというようなというコメントを出している。それはそうだとうと思う。今回の荒川選手の、3回転+3回転+2回転の連続ジャンプは男子顔負け。安藤美姫選手は女子で初の4回転を成功させた。村主章枝選手はジャンプはそれほどではないが、表現力で勝負の選手。太田由希奈は長い手足でしっとりとした表現力を示す。いろんな個性の選手がいるところも日本の強みだと思う。 ----------------それにしても日本選手の肉体的条件がすごくなったと思う。荒川選手は従来から日本人離れした肢体だったが、安藤美姫選手と太田由希奈選手の両選手はさらにすごい。長いすんなりした手や脚の、バレリーナ顔負けの肢体で、なんと!肉体的な優美さ、美しさでも欧米選手に勝っている。 ―――― ◇ ――――・・・てなことで、今日は女子フィギュア・スケート界は日本女子の全盛であるというめでたい話をしたかったのでした。
2004.03.29
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このところ、時事的なテーマを思わず書き込んだのだけれど、その日記が検索エンジンの上位に位置したせいもあって、いつも私の日記を読んでくれている人達以外の方々(ゲストさんが多かった)からのアスセスが異常に増えて、私もそれを意識せざるを得ない状況が続いた。その結果、私の本来の日記のテーマが偏向してきたような気がしたので、意識して日記を書くのをしばらく抑えた。おかげでアクセスが減ったので、これから自分のペースで、自分の本来のテーマで書く姿勢が取れるようになったと思う。ただ時事的テーマも私の関心事であることは確かで、そのテーマに沿って発言をして、みなさんの注意を喚起したかったことも確かなのだけれど、言論の自由が何より大切と言うことだけは大きな声で主張することが出来たので、ひとまずこれで自分のペースに戻りたいと思う。報道被害についても心が痛むし、日頃からマスコミのハイエナのような取材態度に怒りを感じていたのだけれど、あえて今回はこの特殊な状況での優先度として、ハッキリと公権力の制限に反対したかったのだ。現行憲法の規定上からみても、表現の自由は最上級の位置を与えられている。さらには検閲はそれを厳しく絶対的に禁じられている。これをみんなにハッキリ認識してもらいたいと思う。
2004.03.28
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米国務省のエレリ副報道官が、沖縄県尖閣諸島は日本の施政下にあり「日米安保条約第5条(共同防衛)が適用される」と述べ、日米安保条約第5条は、日本の施政下にある領域に適用されると規定している、従って同5条は尖閣諸島に適用され、同諸島が攻撃されれば米国は防衛義務を負うとの見解を表明したという。またエレリ副報道官は「尖閣諸島は72年の沖縄返還以来、日本の施政の下にある。」と述べたという。戦後、米軍が沖縄を施政下に置いていた時にも、尖閣諸島はその中に入っていた。その延長線上とすれば当然の話だと思う。 ―――― ◇ ――――尖閣列島(総面積6.3平方キロ)は、明治28年(1895)明治政府の閣議決定に基づき、沖縄県の一部として我が国の領土に編入された。「日本固有の領土」であると言えると思う。明治30年代には、日本人労務者が多数移住、カツオ節工場、海鳥のハク製作業所、海鳥ふんの肥料製造所などが経営され、第2次大戦直前の昭和15年(1940)まで、島民が居住していた。週刊朝日だったと思うが、以前この問題の特集があり、この工場と労務者の写真を見た覚えがある。また尖閣列島は、戦後、沖縄返還までは、在沖縄米軍が射爆場として使用、返還後も、日米安保条約、地位協定によって、日本政府が射爆場として引き続き提供していて、一貫して日本の実効的支配のもとに現在にいたっているという。 漁民以外にはほとんど知られなかったこの尖閣列島だが、エカフェ(国連アジア極東経済委員会)の同海域の資源調査を報告(1968)、「世界で最も有望な石油・天然ガスが埋蔵されている可能性がある」で一躍、国際的な注目をあびた。この報告があってから、にわかに台湾、中国が同列島の領有権を主張しはじめた。この報告の直後には、日本にも莫大な石油資源が発見されたと言うことで、日本国内でも大きな話題になり、日本経済も大きく変わるだろうとか、日本が激しいインフレに襲われるだろうとかの思惑がなされたのを覚えている。しかし、この台湾と中国の領有権の主張によって、石油資源の開発はいつまでも始まらないままに今日に至っているのである。 ―――― ◇ ―――― 尖閣諸島の領有権について、クリントン前政権は日米安保条約上の防衛義務を必ずしも負わないとのあいまいな態度を取っていた。しかしブッシュ政権のアーミテージ国務副長官は今年2月に尖閣諸島を念頭に「日米安保条約では日本の施政の下にある領域への攻撃があれば、米国への攻撃と見なされる」と表明したし、今回のエレリ副報道官の発言は、アーミテージ発言を追認したものだ。意外なところで、小泉首相のブッシュよりの姿勢が役だったと言えるのかな?本件では民主党も「尖閣列島は日本固有の領土であるとの国会決議をするように」と、積極姿勢だ。あの社民党はどうなんだろう?経済制裁問題では相変わらず北朝鮮に「理解」を見せているが、福島瑞穂委員長は本件についてはどういうコメントを出しているのだろうか?
2004.03.27
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私は昔は物欲に燃えていたし、スノビッシュな会員権なども大事にした。ロンドンの紳士の隠れ家である有名「クラブ」の会員でもあった。高価なステレオ装置やカメラを持っていた。しかし、ステレオ装置は海外に置いてきてしまったし、今は結構安いコンポでもいい音が出るようになった。さすがに小さなスピーカーでは迫力のある音は出ないけれど、音というものは比較しなければ、それなりにその音で満足出来るものだ。写真撮影も今はそれほどの情熱を感じない。写真を撮り始めた頃は、カメラ雑誌のコンテストに載っているような写真を、自分でもある程度取れることに興奮したことが動機の大きな部分だったと思う。それに海外出張も写真撮影の動機だったが、今は珍しい僻地などには行くこともないからそんな意味でも写真への情熱は動機付けがあまりない。私は背が高いので高校生ぐらいの時から、靴や衣類に不自由をした。運動靴や服は自分のサイズが無かった。たまにあるものは肥満者用のものだったりして、センスが悪くて悲惨だった。オシャレが生き甲斐のような青春時代に、オシャレが出来ないのはつらかった。大学時代に父が米国から買ってきた大きなサイズのホワイト・ジーンズやスェードのジャンパーやコイン・ローファーなどのアイヴィー・スタイルの衣類は貴重だった。そういう意味では社会人になって、海外出張や駐在をしている間はそういう問題に悩まされなくて快適だった。ただ、それまでの靴や衣類への飢餓感・不安感が原因で、海外で見つけた自分のサイズをやたらに買い込んだ。多少オシャレでもあったと思うので、靴や衣類は今でも数多く持っている。しかし、今は会社勤めをしているわけではないので、米国モノのカジュアルな服装でいるから、今までの背広・コート類はタンスの肥やしになっている。(XLサイズが常備されているという点で、私にとって画期的、かつありがたい「ユニクロ」も愛用)それに年のせいか? こういう物欲に関してはこの頃、本当に仙人のような心境になった。物欲がす~~っと消えて無くなって行った。その代わりに知識欲が、エレベーターのようにす~~っと、下の階から上がってきた。本だけは捨てられない。かなりつまらない本だと思う本でも、捨てるのにかなりな心理的エネルギーを要する。基本的にフェティッシュで物欲が強いのかも知れないけれど、個人用図書館?設立中だから、これでいいのだと思う。これまでは世界の僻地に行くことが危険な冒険のようで楽しみだったが、今はそれに代わって本の世界での冒険が、何よりの楽しみになった。私にとって、「本は未知の世界へ冒険の入り口」といえる。不思議の国のアリスに出てくるチョッキから懐中時計をとりだして「どうしよう! どうしよう! 遅れちゃう!」と急ぐピンクの目をした白ウサギがいる。(モダンジャズのテナーの名手、スタン・ゲッツがこの場面を素晴らしいプレイで演奏している)アリスがこのウサギに続いてウサギの穴に飛び込んだら、真っ逆さまに落下して、別世界に入り込んでしまうのだが。 ーーーー ◇ ーーーーそのウサギの穴の入り口、つまり「本」が、ちょっと手を伸ばせば届くところに数千あると思えば、例え金が無かろうとも、山海の珍味が無かろうとも、あばら屋に住もうとも、古本に埋もれているだけで、王侯貴族何するものぞ・・・という気持ちだ。そうしてそれが、なんの誇張もなく、今の私の心境だと言える。まあ、それにちょっと酒があればいいかな?花間 一壺の酒独酌 相い親しむ無し李白。
2004.03.26
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あの週刊文春の今週号、4月1日号で超特大の特集が組まれている。その記事を紹介する。著作権侵害は親告罪なので、文春からの抗議がなければベタに引用しても差し支えがないものだが、引用では無く「私なりの要約」で書く。 ーーーー ◇ ーーーー● 立花隆 緊急寄稿 これはテロ行為である*********************○ 表現の自由(憲法21条)は憲法の文言上から見ても、プライバシー権(憲法13条)より圧倒的に優越的な権利であり、「国家が保障する権利」である○ プライバシー権(個人の尊重・幸福追求権)は「公共の福祉に反しない限り」という制限条件下で、「最大の尊重を必要とする」にとどまる○ 憲法第21条第二項には「検閲は、これをしてはならない」と、絶対命令の形で検閲禁止が定められている。 ―――― ◇ ――――● 出版禁止事件 私はこう考える****************= 各界の「識者」がコメントしている =○ 筑紫哲也 キャスター= 個人情報保護法、イラク派遣自衛隊をめぐる報道規制など一連の言論統制の動きがある○ 伊藤洋一 住信基礎研究所主任研究員= プライバシー軽視の風潮に警鐘を鳴らしたものとして評価する○ 堀部政男 中央大学教授= 現在は、報道とプライバシーに関する議論が学界内でさえ深まっていない状況 公人・私人の基準に合意が無い プライバシーの範囲に合意がない = 今回はそんなグレーゾーンで決定されており、しかも事前差し止めという例外中の例外になった(のはおかしい)○ 須藤義郎 元田中真紀子秘書= 子供たち(長女や二女)が政治的基盤を引き継ぐことは間違いないだろう○ 佐野眞一 ノンフィクション作家= 真紀子という人間が家族にどういう対応をしているかが、彼女の人間性や政治姿勢を表す指標だ= 来年から施行される「個人情報保護法」の前哨戦と感じる= 今回は事前検閲に通じる、司法の自殺だ○ 田島泰彦 上智大教授= 裁判官の表現の自由に関する認識が低下している= 週刊誌は今まで大手メディアが斬り込めない権力の暗部をえぐりだして来た○ 筒井康隆 作家= (田中真紀子氏は)自分は他人の子どもなら、【小泉の馬鹿息子】と公然揶揄しておきながら= 「私に手を出すと怖いわよ」という権力の誇示や恫喝も含まれている= 政治家に有利な個人情報保護法案が可決されたあたりから、予感はあった= 悪く書かれているのは真紀子氏の方= 名誉毀損訴訟が増え、損害賠償額が高騰するであろう○ 藤本義一 作家= 低次元のケンカ= 田中家側と文春は痛み分け○ やくみつる 漫画家・コメンテーター= 公人、公人に準ずる人(私もその端くれ)にはプライバシーが無い= 今回の「プライバシー」は隠匿すべきものはない 社会的活動の一つ= 彼女の電話番号・銀行口座・病歴などではない= 週刊誌はマスコミの中の汚れ役だが、他のメディアは週刊誌に乗っかかっている部分が多い= それなのに、今回は対岸の火事と静観している○ 関川夏央 作家= 記事差し止めにも驚いたが、(文春側の)異議申し立てが却下になったことにも驚いた= 事実上の検閲だ= 自分が生きているうちに検閲にめぐりあおうとは○ 熊代昭彦 自民党代議士 自民党報道局長= 事前の差し止めに相当するほどのプライバシー侵害だろうか?= 事後に訴訟をすればいい= 可能な限り出版の自由を認めた方がいい○ 上杉隆 ジャーナリスト= 田中家の歴史は、メディアとの対決の歴史○ B・フルフォード フォーブス・アジア太平洋支局長= 出版禁止は明らかに裁判官の判断の行き過ぎだ= 著名人の娘のプライベートな部分を報じたことで、出版禁止になるのであれば、ゆくゆくは変態スキャンダルの山崎拓にまで広げられてしまう危険性がある= 私が考えるプライバシーの侵害とは、裸の盗撮の掲載、違法に入手した情報など= (私が考える)出版禁止が認められるべきケースとは、生活、生命に危険が及ぶケースである= 政府は、都合の悪いことを報道させないようにマスコミを調教している= それでなくても、日本では今書けないことが多いのに、これでまた書けない事が増えた○ 飯室勝彦 中京大学教授= ここ数年、ジャーナリズムに対する司法の態度が、【立派でなければ許されない】という雰囲気になっている。= 例えば2001年から始まった名誉毀損やプライバシー侵害訴訟における慰謝料の高騰化= 特に週刊誌に対する裁判官の「嫌悪感と蔑視」「排斥する威圧的態度」が判決の中に読みとれる= 発端となったのは99年8月、自民党の「報道と人権党のあり方に関する検討会」が報告書を出したこと= 国会でこれを引き継いだ公明党から「慰謝料を高くせよ」と問いつめられた最高裁の民事局長は迎合的発言をした= 同時にメディア側の勝訴率も激減する= 無害な消毒された情報しか流れない社会と、ときに逸脱があっても豊かな表現が行き交う社会と、どちらが健全か?○ R・ボイントン NY大学教授= 米国でも政治家や著名人の子ども、親類がメディアに騒がないでくれと要請するが、出版前の禁止命令は、あり得ない= もし米国の連邦裁判所が同じ様な判決を下したら、メディアは一致団結した反応を示すだろう= 米国では、記事の内容が真実であれば、先ず公人に勝ち目はない= Truth is an Absolute Defense = 真実が絶対的な防御策 の概念があるからだ= (米国の裁判でなら)長女は文春側の悪意(虚偽であると承知で掲載した)を証明する義務がある○ 土本武司 帝京大教授= 本件はプライバシー権と表現の自由との調整という憲法レベルの高次元の問題= プライバシー権の内容・保護のあり方についてはまだ確立していない= 表現の自由は民主社会の根源をなすものとして、憲法上他の諸自由の中でも優越的地位を占める= 憲法は検閲を絶対的に禁止している= プライバシー権は、扱い方次第では、その検閲と同様の効果を招きかねない= 本件は、「検閲と同様の効果を招かない」と言う要件を満たしているか?= 「事前差し止め」ほどの重大なプライバシー侵害があったか?= 仮処分の効果の対象となるのは文春の占有下にあった三万部だが、すでに77万部が販売されており、この三万部の追加発売によってプライバシー侵害はそれほど増大しないので保全の必要性は消滅した○ 柳田邦男 ノンフィクション作家= (政府は)「個人情報保護法」によるメディアへのシバリに失敗したので、現行法を最大限に拡大解釈してシバリをかけた= 事前の販売差し止め命令は検閲○ 吉永みち子 ノンフィクション作家= ノンフィクションでは取材対象者周辺も書くので、これではノンフィクションは書けない○ H・シュミット 元西ドイツ首相= 私が首相を務めていた頃には、精読赤軍派テロが続発したが、それでも政府や国家権力が言論に干渉したり、情報の統制を行うことはなかった○ 江川紹子 ジャーナリスト= 私は以前文春で浅原彰晃のセックススキャンダルを書いて、オウム側から出版禁止の仮処分を求められた= もし私の本が差し止めになっていたらどうなっていただろう?= 公人私人の問題はケースバイケースの微妙な問題であるにもかかわらず、仮処分は一人、異議申し立てには三人の裁判官が(法廷ではなく)密室で決定した= 名誉毀損の損害賠償高額化には賛成。ただ、その基準を密室で決めることが恐ろしい(alex注 : 江川氏は「プライバシー侵害」と【名誉毀損】を混同・誤用している)○ 田中康夫 長野県知事 = 欧米でも、ブレア首相の息子の行状やクリントンの娘のご発展ぶりが大々的に報道される 官僚や政治家のみが公人ではないのだ= (文春の)一つの特集を不当として、多の記事も全部差し止めするのは不当= 朝日新聞は「週刊誌の暴露報道に厳しい姿勢をしめした」と評価したし、読売新聞は、東京地裁の決定は「妥当」で、「週刊誌の行き過ぎた記事」は「メディア全体にまで(危機が)及ぶ恐れが」と談じる笑止千万な瞑想ぶり○ 河上和雄 元東京地裁特捜部長= 一人の裁判官が今回の処置をいきなり行ったのは明らかに間違い= プライバシーの権利と言論・出版・表現の自由という、憲法上の権利の衝突という重大なテーマなのだから、すぐ合議体に回すべきだった= 表現の自由は民主主義の根幹であり、他の権利と相反する場合、表現の自由が優先されるべきものと、学者の認識としては一致している= 特に事前に抑制することには慎重にならなるべき= 今回はプライバシーの侵害にはなるだろうけれど、事後の損害賠償で済むべき問題○ 高村薫 作家= 田中家だからこんな例外的な結果が出たと普通の人は思う= 今後プライバシーの侵害との訴えがあれば、すべて、出版物を差し止めなければいけなくなる= 事は重大です= 書かれた側の気持ち一つで、なんでもプライバシーになり、何でも侵害になりうるわけだから= 書く側は対抗策として、相手の名前を出さないとか、表現を工夫するとかやり方はあるはず○ 五十嵐二葉 弁護士= 焦点となる記事以外にも他の記事がある その記事を葬ることになる= 国民はその他の記事を知る権利がある○ 田中辰也 リスクヘッジ社長= 長女の結婚に際して家柄を問題にした真紀子議員の時代錯誤的な感覚○ 鳩山太郎 東京都議= 政治家の家に生まれた以上、仕方がないのかな= 有名人の息子と言うことでメリットも受けた= 家族のことを書かれても事実なら受け入れる○ 阿刀田高 作家= グレイゾーンは社会のコンセンサスによって決まって行く= 今回の記事は公人である田中真紀子氏がかかわっている= 今のジャーナリズムはプライバシー保護をきちんとやっていないが、すでに大衆はそれらを是認している= = 司法のみの法律的解釈で解決する以外に良識の判断を重んじるべき事もある= 表現の自由(という重い問題)は、たった一人の裁判官によって一刀両断に判断が下されるべきではない= 一度、司法当局の考える正義を全ジャーナリズムが守ってみたらいい どんな世界があらわれるだろう その上で国民の判断が現れる 裁判官は国民の声を無視出来ないはずだ○ 永田寿康 民主党議員= 過去の最高裁判決に即して判断すれば、今回の場合、重大にしていちじるしく回復困難な損害を長女に与えているか?がポイント 今回はありふれた私生活に過ぎない= 個人情報保護法・イラクの自衛隊への取材制限など、報道・言論は急速に危うくなっている○ 二瓶和敏 弁護士= 今回については、「重大かつ著しく回復困難な損害」を与えたか否かが慎重に検討されるべき= 差し止めは実質的に「検閲」であり、憲法違反の可能性が非常に高い○ いしかわじゅん 漫画家= たった一人の裁判官が、出版に携わる者にとっての死刑判決のような命令を短時間で下した= ついでに死刑の執行までしてしまった= これは、今回だけではなく、この語もずっと続くものすごく大きな前例になってしまった= 気にくわなければ出版差し止めにするという方法が取れることになる= 危険きわまりない前例が出来てしまった
2004.03.25
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ラフカディオ・ハーン(通称ヘルン先生 日本帰化後の日本名は小泉八雲)はギリシャとアイルランドの血を引く明治の小説家。日本の松江に住み日本に題材を取った小説を発表していることでよく知られている。その中に日本古来の言い伝え、特に怪談などを取り上げた作品が多く、「耳なし芳一」もその一つ。関連サイト。http://www.tiki.ne.jp/~akama-jingu/monogatari.html夜ごとに現れる平家の武者の亡霊から逃れようと、全身に経文を書いてもらった若い僧の芳一だが、耳だけには経文が書き忘れられたため、耳だけが亡霊に見えることとなり、耳をもぎ取って行かれてしまった。怖い話である。耳をもぎ取られる瞬間はどういう音が聞こえたのだろうか?ベリッ!だろうか?念仏というものはどういうものなのか?その内に調べてみたい。大勢の坊さんが斉唱する念仏が声明だと思うのだけれど、正しいのかな?声明というのを長く聴いていると恍惚感がわいてくる。宗教は麻薬だと言うが、声明も麻薬音楽だ。例の私が千円で買い求めた(買い求めたというのは千円ぐらいで言っちゃ~いけない!)初版ブリタニカ世界大辞典(26年前のもの)に、念仏は項目として載っているだろうか?それにしてもブリタニカは重い。左右両手の握力が60kgsある私の手からも、ややとすればスルリと滑り落ちそうになる。前の持ち主さんがもてあましたのもよくわかる。私の自宅まで親切にも車で運んできてくれた持ち主さんが「いや、本当はタダでもよかったんですよ♪」と満足げな笑顔で言うその言葉に、深い安堵と実感がこもっていた。26年前当時は百科事典を買うのが生活のアクセサリー(?)だった。ごく普通の団地住まいの若夫婦がこんな数十冊と言う大部の百科事典を買って、布団を敷くスペースが無くなった・・・なんて話もあったぐらいだ。(本当はそんな話を聞いたことはないのだが、うそつきの私が、今、ふくらませたイメージなのだ。 文句あるか?)以前の持ち主さんもこの教養の固まりをバリバリ読んで、さらに教養を高める決心だったと思われるが、こと志と異なると言うことは世の中の常だ。いつの間にか家族の誰からも忘れ去られて、それでも居住スペースを取ること最大級の物言わぬモンスターに、ついに前の持ち主さんも解雇を言い渡したのだろう。そういう私も、この巨大な本のバケモノと暮らしてもう三ヶ月ほどになるが、ブリタニカを実際に開いて調べた項目は三つだけだ。もっと活用しなければイメージの若夫婦と同じになる。 ―――― ◇ ――――私は日本に帰化したり、長く滞在した知日派外国人に興味がある。2月12日の「明治時代のお雇い外国人に強い郷愁を感じること」という日記でこのことを書いた。日本に来るには2ヶ月程度の長い船旅しか方法の無かった時代に、人種の違う日本人に囲まれて暮らした西欧人はいったいどういう気持ちでいたのだろうか?特に深夜に一人になってふと故郷やビフテキを懐かしく想い出したりした時には、明日の飛行機でひと飛びに故郷に帰ってリフレッシュするという方法も無かったのだから、どういう気持ちだったのだろうか?私はホームシックとは無縁で、旅行中が一番楽しいという人間だが、普通はホームシックというものがあって当然だと思う。 ーーーー ◇ ーーーーハーンの父はアイルランド人の軍医で、赴任先でギリシャ人の母と結婚、すぐ離縁。ハーンは十六歳で左目を失明。単身渡米し、印刷工など職を転々としながら新聞記者として成功する。ハーン自身、片目は失明、残る目も極度の近視だったようで、暗闇の世界の魑魅魍魎の暗躍という視界抜きのこの物語には興味を示したものと思われる。アイルランド人というとケルト人だが、ケルト文化は近頃、世界中でブーム(指輪物語・ハリー・ポッター)。ケルト人は輪廻を信じたり、アミニズム的な信仰を持ったり、冷徹で論理的なアングロサクソンとは大違いの感情的・感覚的な民族。ケルト(アイルランドもケルト民族の国)の血を引くハーンには、当時の日本が感覚的に近く感じられたのではないだろうか。私は学生時代にハーンが終の棲家とした松江の旧居を訪れたことがある。松江という街自体、日本的湿潤と言う言葉を絵に描いたようなしっとりした街で、ハーンがこの土地に住んだことは天の摂理とまで思う。なお英国はイングランド(アングロサクソン)とウェールズ・北アイルランド・スコットランド(ケルト)が連合王国を形成している国で、単一な国では無い。ケルト民族というのは欧州の先住民族と言われる民族で、欧州各地にその血がひろがっているが、現代では一番その血が濃いのが英国だろうと思う。ハーンの本もぜひ読んでみたいと思う。他に徳島で没したポルトガル総領事モラエス。この人の本も読んでみたい。
2004.03.24
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私は今でも言論の自由が優先すべきだとの考えを変えていない。例え報道被害が目に余っても、肝心の民主主義の根源である言論の自由を制限されてしまうと、報道被害どころではない、一番大切なものを失う。言論の基本的な自由があってこその民主主義社会だと思う。私は現実主義者で憲法改正論者だ。しかし、同時に権力の意志というものを決して甘く見てはいけないと言いたいのだ。言論という言葉が固いからご大層なものだと言うことになるが、もともと言論なんてものはそれこそ味噌もクソも一緒、ピンからキリまであるものなのだ。われわれ自身の品性をそのまま鏡に映したものと思えばいい。われわれが清く正しく美しくて、それを映す言論だけが醜いなんてことは無い。われわれ自身の醜さ・愚かさの鏡写しなのだ。言論だけに「美しかれ!」と叫んでも、しょせん、せんのないことでもあるのだ。 ーーーー ◇ ーーーーそれにしても、報道被害がどうでもいいなんて言う人はいないはずだ。考えようによっては、夕刊紙や週刊誌なんて、報道被害の固まりのようなものだ。ただ、報道被害については現時点でそのおぞましさとその程度を、ほぼ全国民が理解している。だから、その恐ろしさを正しく評価できる。その全体像をほぼ把握できている。はっきりその実態が目に見えているからだ。その意味では怖さも限定的なものといえる。しかし、言論の自由の制限が恐ろしい点は :第一に、それがこれから始まると言う点にある。現在の日本に、本当の言論の自由があるなんて幻想を私が持っているわけでは無いけれど、この蟻の一穴をさらに自分たちに有利なように推し進めようという向きが腕を撫して待っているのかも知れない。第二に、それは必ずしも政治面の問題だけでなく、宗教がらみの問題であるかも知れないし、さらに別の問題かも知れない。さらに加速度がついて、さらに厳しい言論統制が始まらないという保証はない。この、今はまだ見えていない部分が恐ろしい。だから現時点でこれぐらいなら言論の自由はまだ大丈夫だろうなどと考えてはとんでもないことなのだ。大阪城の外堀を徳川家康に埋めさせた淀君になってはいけない。そのことに気づいていない人がなんと多いことか。とにかく、文春がとんでもないことをしてくれたばかりに、司法がついに言論の制限の方向に踏みこんだが、結局、報道被害というものは、こういう契機がないと食い止められなかったのかもしれない。ジャーナリズムも自業自得である。情けないと思う。一度、制限の中での苦しさを思い切り味わった方がいいのかも知れないとまで思う。 ーーーー ◇ ーーーー昨日も書いたが、この件に関して、私のBBSでの議論でちょっとトラブルがあった。ある人のBBSへの書き込み意見に同調しながらも、私が「議論の中ではもう少し冷静な表現をして欲しい」と要望したことで予想外の反発を受けて多少の応酬があった。その人が去った後、どうしたボタンの掛け違いになったのか? それから後に、あたかも私が司法の言論制限賛成派のごとく、BBSで批判を受けた。私とは本件では意見を異にして意見上の応酬をした□□□さんを、私が立場を越えて擁護したと見なされたらしい。その□□□さんとて、報道被害批判一辺倒な訳はない。とりあえず今回は報道被害の方をやや重視するというだけだ。また、私が言論の自由派なのか?報道被害批判派なのかというポイントなどどうでもいいらしい。それにしても、私を批判するのはいいが、私がその批判に対して、誠実に二日間という手間ヒマをかけて説明もし、対応したのに対して、無視したり、ロジックなど無く理由もあまり示ささずに、嫌がらせとしか思えない書き込みが続いたりした。ちょっと日記を書く気分ではなくなった。元気が無くなったというのでもない。 ーーーー ◇ ーーーー私が今までいた国際的ビジネス社会とは違って、ネット社会では、all or nothing または、両極の考え方しかしない人が多い様に思う。ロジックではなく感情でしか物事を考えられない人がいるようにも思う。例えお互いの意見・立場が違っても、マナーを持って相手を尊重しながら議論を楽しむ・・・。そんなことこそネットでこそ楽しめることだと思うのだが、現実は反対らしい。騎士道精神や、武士道精神や、それがおおげさならば、スポーツマンシップや、フェアプレーは難しいようだ。ラストサムライはあまりいないようなのだ。 ーーーー ◇ ーーーーそれになによりも、この調子だと、私が本当に楽しみにしていた「憲法改正問題」だとか、「米国との関係」だとかの大きく重い問題を、楽天でみなさんと勉強しながら語って行くことは極めて難しそうだ。楽しむどころでは無く、もめにもめそうだ。今までどちらかというと関心が薄かったこの方面の本を少し買い始めて、勉強しようかなという気にもなっていた矢先なのだが残念だ。そういう意味の失望感だ。これでは楽天での楽しみが半減する。日本のジャーナリズムのレベルが文春の記事のレベルであると同じように、ネット社会のレベルもこんなものらしい。能力のレベルのことを言っているのではない。マナーとゆとりのレベルだ。 ーーーー ◇ ーーーーこれからは、考えを変える。私の独断と偏見で、私にとって不都合と見なしたものは、即刻削除することにする。それがいけないというのなら、楽天を止める。そうして読者が少なくてもいいから、どこかでメイル・マガジンなるものでもはじめてみようかとも思う。ただし、そうするとせっかくいままで楽天で私が探し当てた貴重な友人達(私の方が勝手にそう思っているのだが)との毎日の楽しい語り合いが無くなるのが寂しいと思う。新たな悩みである。
2004.03.23
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BBSで「本件についてもう積極的に語るつもりは無い」と書いた。実際、それが本音なのだが、最後に今回の議論というか、話し合いが終わった後の感想を書いてみようと思う。 ----------------★ 今回の議論の最後の部分に於いて、飛び込みで書かれたある女性の書き込みをめぐって私と彼女の間に対立が起こった。私は、彼女の論点は鋭いものと感服したが、彼女の表現方法が議論の相手に対する誹謗を含むものだと思った。また彼女の論調が、必要以上に戦闘的であると感じた。このまま行くと泥仕合になって議論の場が消滅すると恐れた。そこで、★ 彼女の論点に対しては大いに評価していることを伝えた上で「もう少しフレンドリーに書いてくださればありがたい」とマナーの修正を丁重にお願いした。★ これに対して彼女は「なあなあベースで話せと言うのか?」と反発して去った。★ しばらくしてあるHPの管理人さん(女性)から「書きたいという人には自己責任で自由にやらせればいいではないか」「あなたは真面目な書き手の意欲をそいだ」という、厳しい反論が寄せられた。 ----------------★ 私は書き込みに「マナー」を求めた。★ この管理人さんは、それを「管理人による議論への介入」と糾弾したのだ。(実際のやりとりでは、私から彼女の事実の誤認への説明などがあってもう少し複雑だが、その辺は省略する)私は、私が介入した事実は認める。当人同士を放置しておいて、事態がどうなろうと、第三者的にながめるという方法もありえた。しかし、事実として私は介入のアクションを取った。その点が私の心の中でまだ引っかかっていて、それが原因で今、私は、今、この日記を書いている。書きながら考えて行こうかなと思っている。書くことで心の整理をつけようと思う。 ----------------また私は、「言論の自由がプライバシーの保護に優先する」という強い意見を持っているのだが、このさわぎでその焦点がぼけてしまった。また一時的に、プライバシー擁護派の立場に立ったような誤解をされた。これも非常に残念で反省材料だと思う。 ----------------彼女のようなやり方もあると思う。それが実態の反映で、口汚く激しくとも、思ったことを言い放つという言論もあり得る。いろいろな考えが私の頭の中に浮かび、私の介入は不必要だったのかと心の中で問い続けている。その上で、私が介入した理由を整理して述べてみよう。●1111一つは日本のネットでの一部の議論のマナーが、ひどいものであることだ。政治問題を論じる一部のサイトを読むと、その口調のあまりの卑しさ・激しさに、読むと気持ちが悪くなる時がある。こういうサイトでは、ロジックはあまり重視されない。では、どういう事が重視されているかのか?どういう手法で戦っているのか?☆ 話し合いなど期待しない☆ 過度に戦闘的☆ 口調の非日常的な激しさ☆ 罵倒の激しさ☆ 相手への誹謗の品の悪さ・卑しさ☆ 書き込みの量での圧倒☆ 相手のロジックの無視☆ その一方で、自分の貧しいロジックの一方的な言い立て☆ 人種差別的な言辞の乱用☆ 自分の発言には責任を取らない☆ 相手の言辞のあげあしを取るおおよそ、こういう中身が飛び交う、殺伐な、切り捨てゴメンの世界だ。事実上、フィイードバックが無い状態だ。 ----------------「この頃の若い者は・・・」という言い方は老人専科とされている。しかし、一方で、いつの世の中でも年配者側の方から嘆息とともに語られることだ。私は「この頃の若いもの」のネット上でのマナーには不満である。匿名性を利用して個人的な欲求不満を戦闘性に置きかえ、マナー無視で罵倒し合う。これは一部の政治団体が行っているのだという説もあるが、私にはわからない。もちろんそんな「この頃の若いもの」ばかりでないことは承知している。大部分はマナーのいい、気持ちのいい若者だと思う。コンビニの若い店員さんなどを見ていると、こんなにマナーにいい従業員は日本にしかいないと思う。しかし、こういう罵倒合戦が、以前の日本になかった「卑しい」ものであることは言っておきたい。私としては愉快なものではない。もちろん私個人の嗜好の問題であるのだから、これをBBSへの書き込みの条件として要望することはわがままであることも承知している。しかしHPというものは個人の城でもあるから、常識の範囲内で管理人のわがままが通ってもいいのだ。今はそう思いこもうとしている。 ----------------●22222二つ目としては、こういうルール無き乱闘のような、「話し合い」とはいえない「どなり合い」が続けば、それはもうロジックの展開ではなく、感情の投げつけ合いである。しかも、醜い感情である。これが私は嫌いだから、今回の議論に先立って、私の3月20日の日記で、わざわざ「お互い感情は抜きで、半ばゲームのつもりで論じたい」と述べた。ボールがロジックなら、キャッチボールができる。あいてのボールを受け取って、今度は自分のロジックを投げ返すことができる。相手のロジックに感銘することもできるし、自分のロジックを相手に知らしめることもできる。共通理解に至ることもある。しかし憎悪の感情の投げ合いはキャッチボールではない。石合戦だ。フィードバックも理解の進展も少ない。どちらかが負傷することになる。あるいは双方が重傷となるかも知れない。 ----------------私は職業柄、海外への大型工場施設などの輸出契約に関連して、欧米のコンサルタントと交渉することが多かった。そういう場は、ロジックだけの世界になる。事実の検証と契約条項との照合が中心だから感情のつけ込む余地はないのだ。国際的な一流会社が多いからマナーも必要とされる。私はそういうふうな、ロジックでのバトルに集中するクールな議論の場を望んでいたのだが、ロジックに感情が大きくからむと議論自体の行方が心配になったのだ。●33333石合戦は非生産的なだけではない。負傷者が出るだけでもないすぐ終了となってしまうし、またこれに参加しようと言う人も現れなくなる。終了となりそうな気配で、再開も見込めない議論をすすめることを管理人として認めることはできない。これは当然だと思う。 ----------------私を批判した管理人さんは「ネットでの議論は推奨しない」とおっしゃったが、この点はなるほどと思う。全面賛成でもないが、充分に理解できる。私は今回、ネット上の議論が乱戦になる可能性を見越して「お互い感情は抜きで、半ばゲームのつもりで論じたい」と注意してみたが、現実にはいろんな人が書き込んでくるもので、これを簡単に守ってもらえるものでないこともわかった。今後、ネット上の議論をどうするべきか?考えなければならない。それと、楽天も狭いなとも思った。楽天内でこの種の発言をする人は限られていて、議論の発展性も少ない。 ----------------今朝たまたまGOOGLEで「田中真紀子 プライバシー」で検索してみたら、おどろいたことに私のBBSが三番目に出てきた。道理でアクセスが異常に増えたわけだと思った。400というのは時々あるが、1700とか1300とかは初経験だ。それにゲストが大部分だ。この日記を最後に、この異常事態に終止符を打ちたいと思う。ただ、今回の事件で「プライバシー侵害」 → 「差し止め」の司法判断が地裁の段階に限るが、前例となったのだから、今後頻発するであろう同様の訴えに対しての司法の対応姿勢と対応能力の限界に注目したい。もちろん高裁から今月中にも裁定が下りるというから、これも注目だ。もう一つ気になるのは、今回の差し押さえの訴えに際して必要とされる5000万円の供託金が例外的に免除されたという噂だ。私はどこかでこれを読んだつもりなのだが、今検索してみたものの見つからない。これが事実か否か、私は確認することができないが、もし事実としたら不平等の見本のような事だし、今後の同様の訴えに対して司法側はどう対処するのか?5000万円もの大金をすぐに用意できる「私人」は、いないに等しいのではないか?事実上の不可能に近いハードルだと思う。
2004.03.22
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このところ、なれない社会問題を語って精神的にちょっと疲れた。テーマのせいか?この頃はこのHPとしてはアクセスが多いので、どうも居心地が悪い。田中真紀子長女問題の話題も出尽くしたようだから、私本来の下らない話題に戻ろう。言語学では二ヶ国語以上の言語を自動的に切り替えて使うことをコード・スィッチングというそうだ。もし言語というものの定義に方言も入れると、私は日本語においてコード・スィッチングをしているのかも知れない。生まれ育ったのが大阪で大学以降は東京。ふだんは東京弁というか標準語というか、共通語というのが政治的に正しい言い方らしいが、それをしゃべっている。二ヶ国語を自由にしゃべれる人をバイリンガルと言う。それが多国語にわたればマルチリンガルと呼ばれる。 ―――― ◇ ――――私は生まれも育ちも大阪であるただ、私の大阪弁はもともとあまり濃いものでは無かったし、大学から東京に移ってそのままだから、大阪アクセントの痕跡はほとんど無くなった。しかし、最近大阪に帰ってきたので、また大阪弁とのつき合いがはじまった。あ、それから海外出張が多かったから、英語のアクセントも相当混じっている・・・って、もちろんこれは冗談。そこまで英語になじんでれば世話はないんだけれど・・・。 ―――― ◇ ――――私の大阪での経験から言えば、濃い大阪弁をしゃべる人々の筆頭と言えばやはり商人階層の人々だと思う。商いというものは、相手に気をそらさないように柔らかい受け答えをしなければいけない。しかし商売だから、言いたいことはしっかり言わないと商売にならない。この矛盾を見事に解決している言葉が大阪弁だと思う。ズケズケ言いたいことをしゃべっても、相手にそれほど気を悪くさせない柔らかさ・ボケ味がある大阪弁が、商売をするには機能面で断トツだと思う。商社の人間などは商売の交渉で難しい場面にさしかかると、急に大阪弁もどきに切り替えてしゃべる人が結構いる。きっと無意識に大阪弁の商売機能を利用しているのだろうと思う。 ―――― ◇ ――――私の場合、普通は共通語をしゃべっているのに、相手が大阪弁をしゃべる人だと、徐々に私なりの大阪弁になってゆく。これはあまり不思議ではない。つまり状況(具体的には話し相手の言葉)がコード・スィッチングを促すわけだ。逆に、大阪にいても、初対面の人と話す場合や商店でものを買う時などは、かならず無意識の内に共通語になっている。なぜこうなるのか? 不思議でいろいろ考えてみたのだが、多分こうだろうと思う。もう完全になじんだつもりでも、私の無意識の中に、「共通語は改まった言葉だ」・・・という意識があるのだと思う。改まった状況が改まった共通語を促すという、これもコード・スィッチングだと思う。国内版バイリンガルである私が、意識的に共通語と大阪弁を使い分ける時もある。上に述べた商社員のケースと同じで、共通語で話す会話の中で、わざと特殊効果を狙って大阪弁で話すことがある。相手にすり寄って、「ゴロニャ~~ン!」状態の時には、たいてい大阪弁になっている。「お互いリラックスしましょうよ」という意図を相手に示す時に大阪弁を使う。ザックバランな雰囲気を会話に持ち込みたい時にそうする。私にとっての大阪弁は、くだけた、相手との共感を確認する、相手との心理的な距離を縮めるための言葉だと思う。大阪弁自体にそんな機能も内蔵されていると思う。 ―――― ◇ ――――余談だが、共通語で「違う」と言うことを、大阪弁では「ちゃう」という。共通語で「違う 違う」と言うところ大阪弁では、「チャウ チャウ」となる。中国産の犬で、チャウチャウという犬がいるから話がややこしくなる。大阪人同士のカップルが公園のベンチに座っていて、そこへチャウチャウが散歩に通ったとする。女性「ちょっと、アンタ! あれチャウチャウとチャウ?」男性「あれはチャウチャウとチャウん、チャウか?」女性「チャウチャウとチャウんチャウか?ゆーたって、あれはチャウチャウ、やって!」男性「そ~やない、あれは絶対チャウチャウとチャウ!」女性「あれは絶対、チャウチャウや!」男性「なにゆ~てんねん、チャウチャウとチャウゆーたら、チャウ!」????大阪人以外はいったいなんのことやら、わからないだろうと思う。 ―――― ◇ ――――関西出身者だが現在は首都圏で暮らす人というのは多い。その中では共通語アクセントをほぼ完全にこなす、【国内版バイリンガル】がいる。私もその一人だが、他の地方の出身者の場合と違って、アクセントが共通語とほぼ反対の関西出身者が、【共通語とのバイリンガル】になるには、下記のハードルを跳び越さなければならない。★ 大学入学までに東京に移り住むこと。大学までベッタリ関西で過ごすと、関西アクセントは消えない。年令と音感の発達には関係があると思う。絶対音感というものがあるが、多分これも何歳までかに習得しないと、大人になってはダメだろうと思う。同じ様なことが英語でも言えそうだ。私の同僚に子ども時代に二年ほど英語の環境で育った男がいた。すぐ日本に帰ってきたから英語は忘れてしまっていたそうだ。だから学校で英語を普通の日本人として学習した。英語の総合力は私より劣るのだけれど、不思議なことに、しゃべらすと、発音だけはネイティヴ・スピーカーなのだ。ある時アメリカ人が私に電話してきて、彼が先にその電話を取ってから私に渡してくれたのだが、そのアメリカ人が「今電話にでた男はアメリカ人か?」と聞いてきた。繰り返すが、英語の総合力では!私より劣る!!(特に強調)。私の英語はお粗末だが、発音だけは、たいていの人間よりいいと思っている。それなのに、その男が私より発音がいいとは悔しいではないか?★ 家庭で関西弁アクセントが薄いこと。商家などで濃い関西弁をしゃべっていると不利。その点、私の環境は共通語的だったので楽だった。★ 音感がいいこと。上にも述べたが、関西弁はアクセントが共通語とまるっきり逆。音感は関西出身者にとってキー・ポイント。ボキャブラリーは共通語なのに、アクセントは関西弁のまま話す人が多い。音感の無い関西人には最も高いハードル。語彙などは覚えればいいのだが、音感はそうはいかないからこまる。★ 「イイかっこしい」の要素があること。関西人からすると、東京弁は「カッコイイ」感じがする。いや、感じがした・・・と過去形になるかも知れない。今の関西人は、特に大阪人は大阪弁に自信を持っている。しかし、やはりかっこよく歯切れのいい東京弁をしゃべりたいという欲求は関西人にもあるから共通語をマスターする動機付けになる。★ 関西弁に劣等感を感じていること。学生時代は大阪弁に劣等感を感じていたので、東京アクセントの習得は早かった。今は大阪弁に劣等感はほとんど無い。むしろ今は大阪弁の方が言葉としては豊富で表現力が上だと思う。せっかくそう思うようになったのに、今の私は大阪弁をスムーズにしゃべれないカラダになってしまった。基本的に大阪弁のボキャブラリーが非常に少ないのだ。子ども時代の私は、大阪では近所の狭い生活範囲内だけで暮らしていたから、濃い大人の大阪弁を知らない。だから共通語のボキャブラリーを、アクセントだけ無理に大阪弁的にして大阪人に対してしゃべっている。これは、なんだか相手に媚びているようで居心地が悪い。★ 最後に言うと、関西の人間が東京などで関西弁のままでいても責めないでやって欲しい。関西弁は他の地方とアクセントが絶望的に異なっている。上に述べたように音感の問題もある。だから、共通弁をしゃべろうとしてもしゃべれない人が多いのだ。もちろん、中には国内バイリンガルなのに関西弁にプライドを持っているばかりに共通語をしゃべらない人もいるとは思うが。 ―――― ◇ ――――関西弁にも色々あると思う。大きく分けて、京都弁・大阪弁・播州弁(神戸弁)。大阪弁はさらに下記に分かれると思う。(多分)船場言葉北摂弁泉州弁河内弁船場言葉というのは、船場で使われていた上品な大阪弁。船場の奥さんは伝統的に京都から嫁いでくるので京都弁の影響が強かったという。現在は純粋の船場言葉をしゃべる人はほとんど無いという。昔の女優の浪速千栄子さんが船場言葉の使い手だと言うことだから、浪速千栄子さんのしゃべり方を覚えている人は船場言葉のイメージを描けるだろうと思う。北摂弁は私の住んでいるエリアである北大阪、北摂地方(神戸・大阪・京都の間の地域)の言葉で、大阪弁の中では比較的アクセントが弱い。ヤクルトの古田捕手は私の自宅に近いところの出身。その彼がしゃべっているのが北摂弁。泉州弁と河内弁は大阪湾をはさんで北摂と対岸になる南の地方。もっと南になると奈良や和歌山になる。河内弁は勝新太郎・田宮二郎コンビの映画「悪名シリーズ」を見れば聞くことができる。しかし、勝新・田宮二郎ともに京都人だから、どの程度河内弁をしゃべれているのか? 私には判断がつかない。
2004.03.21
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田中真紀子長女のプライバシー事件。私のBBSでもいろんな意見が飛び交った。私のHPは本来私自身の読書日記や内面日記のつもりだったが、やはり日々の新聞や週刊誌のトップ記事に触発されて書いてしまうことが多い。自分一人で日記を書く行為でも自分を進歩させてくれていると思うが、BBSでの楽天仲間との意見交換は、もっと効果が顕著だ。私たち日本人は日頃ツーカーの世界で生きているから、日常生活ではあらためて自分の、自分だけの意見を人に表現することは少ない。楽天の日記はブログ的になっているから、自分自身の考え方をに自問自答してみて、とりあえず日記に表現してみて、それを読んだ他人との意見交換で自分の考えをもう少し、シャープにし、レベルを上げる事が可能となる。その間に多少論争となる時もあるだろうが、それをプラスに受け止めれば、その論争の中でもっと理論武装をしたり、もっと背景・資料を調べたりすることも多い。お互い感情は抜きで、半ばゲームのつもりで論じたい。 ―――― ◇ ――――田中真紀子氏の長女のプライバシー問題で、出版禁止を命じた東京地裁の仮処分決定について、文芸春秋は20日、改めて決定取り消しを求め、東京高裁に抗告した。 高裁は「表現の自由」と「プライバシー」という重要な争点があるので審理を急ぎ、月内にも結論を出すという。しかし、高裁でどちらの判決が出ようが、負けた方が特別抗告するだろうから、結局本件は最高裁まで行く。 ----------------19日の東京地裁決定は結局、先の仮処分決定は妥当としている。、「名誉棄損」に比べ、今回の記事のような「プライバシー侵害」の場合、報道された後では金銭賠償や謝罪広告などによる「損害回復が困難」であり、「事前差し止めの必要性がより高」いと判断している。これで「プライバシー侵害は損害回復が困難」 → 「事前差し止め」という流れが地裁レベルでは前例となった。とすれば、今後は今回と類似したケースには、例え田中家のような超有名人でなくても、これに準じた司法判断をしてくれると言う理屈になる。してくれなければ、あきらかに不公平である。今回だけが特別処置というのでは国民は納得しない。要件が満足する事案に関しては今回のように裁判官三人の合議となるだろう。しかし果たして、司法の人的能力はそれを処理できるのだろうか? ----------------しかし、私の本当の懸念は司法がここの人権侵害に今回同様に対処してくれるかどうか?ということよりも、別の所にある。本件に関しては与野党そろって司法の判断を支持している。政治家が一番恐れるのはスキャンダルだ。それにストップをかけてくれる今回の処置は政治家にとっては、「与野党を問わず」有難いらしい。こういう流れが定着したならば、将来「プライバシー侵害以外の事由」で出版差し止めに向かう可能性がある。つまり「プライバシー侵害」ではないその他の事由でも、理由の如何を問わず、出版差し止めが濫用されることが可能性として存在するのだ。「社会に有害」という間口の広い概念を適用すれば、あらたな適用事由をいくらでも考えられる。歯止めが無くなり、青天井になる。これが本当に怖いポイントなのではないだろうか?いきなりこういう事態・段階にまで進むとは言わない。しかし、その方向性が見えてきたと言っても過言ではないと私は思うし、そこに期待している向きも多いはずだ。 ----------------19日の地裁決定は「長女は純然たる私人で、私事を公衆に暴露されることで重大な精神的衝撃を受ける恐れがある」としている。地裁の見解は「純然たる私人」だが、くどいようだが、やはり私には長女が「純然たる私人」とは思えない。これにはいろんな意見があってしかるべきだと思う。これほどの超大物(話題性に於いて)の政治家の長女が「純然たる私人」とは言えないと思う。今回は田中真紀子氏の反対で長女の結婚生活が破綻して離婚に至ったとの記事に対して異議申し立てをしたわけだが、昨年2月に結婚した時も皮肉にも文春のスクープとなっている。「純粋な私人」が結婚式で週刊誌の記事になるだろうか?また、スクープ記事を黙認した時点で「純粋な私人」というステータスから離れているはずだ。また娘の結婚生活に介入したというのが本当なら、田中真紀子氏のとかくの風評のある人格を裏付ける一例となるかもしれない。 ----------------田中真紀子氏のお手伝いさんに対する過去の様々な蛮行が伝えられている。雨の中、髪の毛をつかんで庭に引きずり出して土下座させたとか、の類の話である。もしこれが事実で無いとするならば、彼女は名誉毀損でこれらの出版社を即刻訴えるべきだ。いや、その義務がある。公人・政治家としての資質を誤って報道されたというなら、それを正して、正しい情報を国民に、選挙民に与えるのが政治家の義務だと思う。しかし彼女は、度重なるこういう記事には名誉毀損の訴えさえしていない。証人達との対決を避けていると憶測されても仕方がない。 ----------------個人主義のフランスは別として、米国でも政治家の私生活は純粋に私的なものとは言えない。社会的な関心事であるし、政治を託す政治家の人間性を総合的に把握することも、国民の利害にかかわる必要なことだ。それが公人のプライバシーが制限される理由のひとつだと思う。政治さえやってくれればいいのだ、人格人柄がどうでもいいから、とにかくおまかせする・・・という訳には行かない。少なくとも私には。 ----------------プライバシー保護は大切だが、先ず言論の自由が大前提としてあらねばならないと思う。文春の記事の品性がうんぬんされるが、もともと言論なんて高等なものばかりではない。言論という表現が BIG WORD 大げさ過ぎるのだ。これをおしゃべりとか、書き込みとか、うわさ話とか表現すればハードルが低くなるかも知れない。私は味噌もクソも、ピンからキリまでの幅広いものが、ほぼすべて、言論としてまずは大衆の目に晒さねばならないと思う。その上で、いろいろな批判を浴びて、それからプライバシー保護の制限が来るべきだと思う。言論の自由とプライバシー保護は、平等の立場には無いと思う。いくら言論そのものに問題があっても、まずは死命線の言論の自由が優先だろうと思う。 ----------------今回の事件では文春側は意義の無い記事を書くことによって、司法の踏み込みを許した大きな罪があると私は思う。しかし、マスコミ報道の質と品位、プライバシー侵害の不当性に警鐘を鳴らすことになったという文春側が意図しない、予想外の効果もあった。とかくこの世は複雑系のしかもスパイラルだとつくづく思う。 ----------------ここで追記。私が上で「本件に関しては与野党そろって司法の判断を支持している。」と書いたのは事実でなかった。私の(VANさんもそうだったかな?)「ごひいき」の民主党枝野議員は本件につき下記の通り発言しているのだ。今読んだ新聞記事の一部だが引用させてもらおう。 ----------------弁護士でもある民主党の枝野幸男政調会長は「人命にかかわる話なら差し止めもあり得るが、プライバシーに関しては表現の自由が優先される。家族は準公人的立場で、全くの私人ではない。プライバシーを侵害していいというわけではないが、事後救済されればいい」と指摘した。 (毎日新聞2004年3月18日東京朝刊から) ----------------さすが枝野氏である。
2004.03.20
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一昨日、私が本を買い込みすぎて全部は読めないとあきらめた・・・と書いた。続いて自己正当化の作業として、全部は読まないんだけれどそれでいいのだ、必要な時に必要な本を閲覧できる・・・、そんな個人図書館のつもりでこれからも買い続けよう・・・という主旨の事を書いたら、「私も今もっている本を全部読めるとは思えない」という同病者が三人現れた。ひとりは123maoさん。滋味のある読書の感想を聞かせて下さる方だ。123maoさんhttp://plaza.rakuten.co.jp/onisoto/ ---------------->読書ってのは快楽だ。好きな時に好きなところですきなだけ読めばいい。全面的に同意です!私がテレビより、映画より、【本】が好きなのはまさしくそこなのかもしれません。完全に自分のペースで楽しめる、というのは私のような無精者にとっては非常にポイントが高いです。本が100円というのは絶対に安いと思う。私も既に家にある本を全部読むのは諦めています。将来は離島で貸本屋でも(商売にはならないでしょうが)部屋に本があると気持ちに“ゆとり”が生まれる、気がします。部屋自体のゆとりは間違いなく減っていきますけど。買っただけで読んだ気になってしまうのもどうかと思いますが、いざとなれば本当に読んでしまえばいいのだから、それでもいいかなと。(?) ----------------まさに、私の言いたいことを代弁して下さっているようだ。私は私設の・専用の・極小規模の図書館(もどき)設立運動をキャンペーン中だが、123maoさんは「離島で貸本屋」だという。こーゆー素晴らしいアイディアには気がつかなかった。しかし・・・、確かにこれではもうからないと思う。しかし・・・、123maoさんは、離島の貸本屋でもうけようとは全く考えてはいないはずだ。夏の日差しの中の離島。123maoさんのご両親が沖縄出身だから、沖縄の離島と仮定してみよう。珊瑚礁の白い道の先にある一軒家。「貸本屋」という小さな旗がヒラヒラはためいていて、そこには昔なつかしい縁台があって、西瓜を食べながら島の人や子どもが貸本を読んでいる。 ----------------勝手に123maoさんの貸本屋さんのイメージをふくらませてしまった。もうひとつ。>私も既に家にある本を全部読むのは諦めています。こういう人、私は本当に好きだな~。こんなに読めるはずがない・・・と思っても、思わず本を買ってしまう・・・、そういう正式に病名が付いていない病気の同病者だから。 ―――― ◇ ――――同病者がもう少しいる。Yitikoさん。http://plaza.rakuten.co.jp/nenemu/ ----------------言い訳のネタあります。将来ネット古本屋をやるための仕入れ中」!これで我が家は膨張中。 ----------------こういうことを言ってるんだけれど、ネット通販はめんどくさそうで私にはできないだろうな~。一冊の注文を梱包して郵便振替を同封して郵便局に持って行く。私も古本を注文して送ってもらっているけれど、手間が掛かっているんだな~と思う。 ―――― ◇ ――――もう一人いる。Makhさんという女性。http://plaza.rakuten.co.jp/makhrocha/diary/オーストラリア在住。学生らしい。 ----------------あたしもあほみたいに本を買って読みきれません。最近読んだのは、SOUL MOUNTAIN です。中国初のノーベル文学賞受賞って言うのにだまされた。あたしもボディーガードと召使いが欲しいな。男前の。 ----------------私もまだ女奴隷、募集中。
2004.03.19
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今回の田中真紀子の長女の私生活に関するプライバシー侵害事件について楽天でも意見が飛び交っているが、意見を大きく分けると、以下の二つのグループになると思う。1) 出版停止も異例だが、文春の記事は明らかにプライバシーの侵害であり、わざわざ記事にするほどのものでもない。両方とも感心できない。2) 文春の記事がプライバシーの侵害にあたるとしても、大手週刊誌の発売直前に、出版禁止の仮処分命令が出されるのは、極めて異例。言論の自由の制限であり、前例となるのと問題である。 ----------------私は2) の方の立場だ。1)の「田中側も悪いが、文春の記事も悪い」というケンカ両成敗的な意見は、全く本件の本質がわかっていないものだと思う。 ―――― ◇ ――――本件がプライバシーの侵犯に当たるかどうかは、裁判所の判断がでるだろう。私が流し読みしたところでは、プライバシーの侵犯に当たるかも知れないが、重大なものとまでは思えない。あえて記事にするほどでもない様なつまらない内容。出版社の低俗なスタンスは今回の本件だけにとどまらないばかりか、ごまんとある。イエロー・ジャーナリズムがあるかぎり、今回以上の低俗なプライバシー侵犯はいくらでもある。しかし、現在のジャーナリズムの世界で、多かれ少なかれプライバシーの侵犯を犯していない月刊誌・週刊誌の方が少ないと思う。ましてやテレビのワイドショーなどはもっとヒドイといえるかも知れない。事件の加害者のみならず被害者側の家庭事情などを思い切り暴き出す。嫌がる被害者の口許に「何か一言!」とマイクを突きつける。権利侵害があっても、通常は賠償で解決している。事前に差し止めというのは早々簡単になされるべきではない。それなのに、なぜ今回、前代未聞の週刊誌の発売前の発売差し止めに至ったのか?ただ、なぜ前代未聞の処置を田中真紀子だけが強要できたか?そこが問題だと思う。我々が同じ目にあった時に、裁判官は聞いてくれて、出版差し止めにしてくれるか?わずか一人の裁判官がわずか一日で、超速攻の判断をしてくれるか?あり得ない。以後も、同様のケースが発生すれば、同様の処置をとるのか?これもありえない。非常に突出した異例な判断だと思う。 ----------------名誉棄損の場合は後に回復を図れるが、プライバシー侵害の場合には回復が困難であるから、重大な事案では差し止めもあり得るという。しかし、今回だけが、「前例のない差し止め」となったのでは公平とは言えない。公人たる政治家を親族・家族に持つ者であってもプライバシー権を享受するとも言う。しかし、大物政治家の子どもがが全くの私人とは言えないと私は思う。二世・三世の政治家が大量増殖しているのはなぜだろう?例えば芸能人の家族など本人同様に扱われている。もうひとつ、ある。もし、真紀子の娘が文春に迫った時の姿勢が、「田中真紀子の娘」としての、権力を匂わせたものであれば、その時点で、すでに純粋な私人とは言えないのではないか? ----------------本件は田中真紀子の権力・威嚇がこういう異例な事態を招いたのか?それとも担当判事個人の思想・政治的スタンスから生じた事件!なのか?そこを明確に分析してくれる記事が欲しい。
2004.03.18
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今日初めてブックオフに行った。私の近所にはブックオフが2店あるのだけれど、今日はその内の一店に行った。今までこういうたぐいの中古書店としては古本市場という店に行ったけれど、ブックオフの方が規模が大きいな。それに、私にとってはここがポイントなんだけれど、100円均一、105円均一がめちゃめちゃ充実している。こんな本をわずか100円でいいんだろうか? という本ばかりだ。この店では一階が漫画・アニメ。私はこの階には興味がない。がきデカでもあれば別だが。あっ!そうだ。次回はがきデカでも探してみよう。二階は文学書・実用書など。実用書はほぼ100円または105円だ。講談社現代新書なども100円。しんじらんな~い!岩波新書も、なになに文庫も全部100円!!うれしくて正に、「手の舞い足の踏むところを知らず」状態となる。買いも買ったり。100冊ぐらい買った。文学書もある。日本人作家と外国人作家に分かれている。しかし、これはほとんど100円均一ではなくて定価の半値だ。フィクションはあまり読まないが、たった一冊あった開高健を一冊買う。美術本も写真集もある。20年ぐらい前に私が六本木の古書店で買った「京の四季」「続京の四季」という写真集もあったが、これは当時私が買ったと同じ、4万円の値がつけてあった。宗教関係の本を2冊買った。これは半値の本。何しろたった100円だから、以前持っていたが紛失したり、所在不明の本は買い直した。これもとても満足。残留孤児を受け入れたような、「私はいいことをした!」という充実感につつまれた。 ----------------遂に私の家の二階への階段にも本が積み上がる状態になった。私だけが専用で使う部屋はなんのかんのいっても、3部屋ぐらいあるが、そこにはいろいろなものがあって、半ば満杯状態。もっと整理しよう。それでもだめなら、両親のどちらが病気で○○となれば、その部屋が空くし。はっ! そこまで考えてはイカン! ----------------私がこのすべての本を余生で読み切れないくてもいい。物理的に読めるはずもない。多少残念ではあるけれども。ただ、私がこんなに、異常なまでに本を買うのにも、実はちゃんとした事情があるのだ。だから、ちっとも「異常」なんかでは無いのだ。そこのところを、多少、誤解されているような気がするので、念のために書いておく。 ----------------実は私、ずっと以前から「自宅図書館」を構築中だったのだ!(オイオイ! 初耳だよ)とか(そんなこと、聞いていないぞ~!)という声もあろうが、それも無理はない。実は私自身も知らなかった事実なのだが(オイオイ)、いつの間にか、私の小さな胸に、そういう意識が芽生えて来て、ブックオフという大発見と共に、今はもう、ひたすらに、そう思いこもうとしている途上なのだ。一冊一冊これらの本を読破しようとは私も思っていない。(オイオイ!)ただ、こんなテーマはあの本に書いてあったな~とか、このテーマだったらこの数冊の本があるから、ざっと目を通してみよう・・・などという、図書館的な離れ業ができる(・・・と思う)。図書館の書架の様に本棚をもっと並べてみよう。私のHPの「プロフィール」の「ほしいもの」の欄には、こう書いてある。 ----------------図書室昼寝と読書と昼寝のためのパティオ地下音楽ホール世界旅行VIPボディーガード召使い女奴隷中華料理・フランス料理・日本料理の各専門コック日本銀行券少々 ---------------->図書室まず最初にあげた「ほしいもの」が図書室。これが実現すれば実質ほぼ満足。>昼寝と読書と昼寝のためのパティオパティオは無いが、雑草の茂る庭はあるので、これでがまんしよう。>地下音楽ホールうっ! タンノイのスピーカーで聴く、音楽ホールもほしい。クラシックはタンノイ、ジャズはJBL。>世界旅行インド・ヴィエトナム。アマゾンにも行ってみたい。>VIPボディーガード(将来の危険に備えて)>召使いだんだん、ずぼら度がひどくなっているので。>女奴隷「女奴隷」というと、抵抗のある女権論者や、いやらしいと思う潔癖な人もいるかとは思うが、わがままを許してやってほしい。? そんな話じゃなかった。 ----------------だって、とにかく100円なんだ。図書館へ行くガソリン代もそんなものだ。(これ、ちょっとガソリン代を高く見積もりすぎじゃないの?)おまけに返却に行く時にまた、ガソリン代が・・・。おまけに三色ボールペンで傍線を引けないし・・・。おまけに思い立った時にすぐ手元にあるし。(実際は本のボタ山の中に埋もれているので、手元にあっても手元にない状態だが)今度大地震が来た時の家の重しにもなるし・・・。ええと、他にもっと何か、言い訳のネタは無いかな~?
2004.03.17
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昨日は日本vsレバノンのサッカーを見たせいもあり日記を書かないままだった。今日は二日分を書こうと思うが、昨日から日記の書き方について考慮中だ。今まで日記を書くことにけっこう精力を費やしてきた。アクセスはだんだん増えたが、この頃は日記を書くことに淫しているように自分で思う。このへんで楽天とのつき合いの方法を考え直そうと思っている。 ----------------私にとって日記を書くことの効用はハッキリしてきた。1) ぼんやりした考えが日記に書くことで明晰になる2) 日記を書く過程で、不確かな知識、不足した知識を確かめたり調べたりすることが必要になり、結果的にそれらが自分のものになる。3) 視野が広くなり、興味の幅も拡がる4) 今まで思索していなかったテーマに行き当たる5) 楽天仲間との会話を通じて、吸収するものがあるだいたいこんなものだろうか?しかし実際には、日記の効用として、もう一つ付け加える予定だった。6) 読書日記をめざすと、読書の習慣がつくこれだけが全く計画倒れというか、実行できていない。日記を書いたり、楽天の内部やその他のサイトのサーフィンという、インターネットに時間を取られてしまっているからだ。 ----------------楽天にはリンクというものがあって、日記間にリンクを張ることができる。このリンクの効用というものが私にはもう一つよくわからない。強いて言えばHPのHOMEに「おすすめ新着」というコーナーがあって、リンクを張った日記のリストがあって、日記の冒頭の部分を読むことができ、またそこを押すとその日記にジャンプできる。およそこれだけだと思う。私自身はリンクに割に無関心なのだが、楽天の人々はリンクにはかなりの関心と執着があるように見える。アクセスが増える効用があるようなのだ。また楽天がそれをあおっている。私も日記をはじめた時には、魅力的なHPにはリンクを貼りつけた。特にライターさんの日記には注目してリンクを貼った。しばらくして相互主義で行こうと、リンクをしてくれればリンクを張った。しかし、リンクをいくらでも張れるのなら問題がないのだが実際には、リンクを追加できる数に制限があるようなのだ。東京犬さんに教えていただいたところでは「一度に表示されるのが10件、リンク枠は50件」だという。 ----------------あんまり意味がないリンクはもう止めようと思っている。しかし、いっぺん貼ったリンクを剥がすと不愉快に思われるかも知れない。あまり実益のないリンクのシステムなんて、廃止してくれないかな~?それでもリンクHPを毎日読むのは礼儀だと思うから、原則的に巡回している。日に二三回巡回しているかも知れない。これは一回にしよう。リンクの数が増えるとそれだけサーフィンの時間もかかる。それにリンク以外のHPも読んでみたい。 ----------------読書ってのは快楽だ。好きな時に好きなところですきなだけ読めばいい。そんな趣味はめったにない。ノンフィクションの読書の後には主に知識が残る。この知識が、その後の私の思考に多いに役立つ。つまり、「知識」+「思考のスパイラル的進化」が同時に得られる。読書を映画と比較すると、映画を鑑賞した後には主に情緒が残る。映画でも記録映画などでは知識も得られるのだが、それでもそれらは映像中心のもので、残るのはやはり主に情緒だろう。これは映画と読書のどちらがいいか?という二者択一の話ではなくて、どちらにどのような効用があるか?というだけの話なのだが。繰り返しになるがネットサーフィンと日記に時間を取られて、読書の時間が取れないのが悩みだ。これからインターネットに割く時間を大幅に制限して、読書に時間を割こう。で無いと、本のボタ山がいつまでも読まれないままになる。 ----------------買っている本・持っている本の分野を分類してみると、おおよそ下記のようになると思う。=AAA= 「興味の対象」~~~~~~~~~~~1) 歴史= 戦争・思想・風俗の歴史・年表・地図 2) 宗教・哲学= 仏教・キリスト教・哲学3) 自然科学= 宇宙・生命・遺伝子・脳科学4) 人文社会科学= 心理学・精神分析・社会学=BBB= 以上を効果的にするための「ツール」としての~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~5) 思考法・知的生産・読書法・話し方・ディベイト・CCC エンターテイメントとしての~~~~~~~~~~~~~~~6) 文学(ミステリーを含む)や旅行記などのエンターテイメント。DDD 「実用書」として~~~~~~~~~~~7) 主に健康関係の本 ----------------こうして考えてみると、私の読書のターゲットは究極的に「自分とはなになのか?」というテーマに収斂する。AAAの「歴史」、「歴史の一部としての宗教」、「生命と宇宙」、「脳科学に加えて心理学・精神分析」、「未知の分野を系統立てようとする哲学」。みんなそうだと思う。6) 「文学」は得意の100円・200円の古本などで買えばいいし、図書館で借りてもいい。しかし、AAAの分野は最新の情報で無いと意味が無い場合が多い。だから、新刊本を買うことが多い。これは財政的に痛いが、もう少しすればほぼ必要な本はそろうと思う。 ----------------最近、下記の全集を買った。1) 日本の詩歌 全30巻+別巻「日本歌唱集」 全中央公論社2) 世界の歴史 全16巻+別巻「索引・年表・地図」200円均一の古書だから48冊で合計9,600円。実際にはもっともっと買っているのだが、いっこうに読めないのに買い込んでばかりでは、みんなに馬鹿にされそうだから書くのは控えよう。しかし、上に述べたように、「本を買う」のも、その内に一段落すると思う。(楽天的かな?)そうなれば私の「積ん読リスト」をページに掲載しようかな?
2004.03.16
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今日は先ずおわびをしなければ。昨日の日記でつい冗談半分で次のように書いた。「明日、驚くような新事実を!(テレビの見過ぎだ)書こうと思う」。これはまずかった。私は調子で書いてしまったのだが、一部の方に期待を持たせてしまったと思う。実は大したことではなかったのだ。しかし、私としてはちょっと驚いたことがあったので、そう書いたのだけれど、ほとんどの方には「それがどうした?」と言うことだろうと思う。とにかく、ゴチャゴチャ言わないで先に進もう。 ----------------早い話が、この本は結局買った訳なのだが、古本屋が「どうして、こんな本を買うんですか?」と聞く。「こういう古~い本が好きなのと、古い読みにくいフォントとフリガナがいい。その時代の雰囲気が感じられる」というと、古本屋さんは、「変わった人ですね~」と言っている。値段を聞いたら「前の持ち主の所蔵印が押してあるので、これを消しゴムで消して、本にグラインダーを当ててキレイにして二千円」という。「それをしないでこのままでは?」と聞くと「千円」ということだった。その時は、拾い読みをした本の記述内容の面白さにひかれ、芥川の洒落た語り口にワクワクしていたので、即座に買った。奥付の芥川の印鑑に気がついたのは、帰宅して本を開いた時だった。買う時には邪念はなかったわけである。 ―――― ◇ ――――昨日書いたこの芥川龍之介の「支那遊記」なる本の「自序」、言い換えれば「まえがき」。もういちど、引用してみる。 ----------------*自序*支那遊記一巻は、畢竟天の僕に恵んだ(或は僕に災ひした)Jounrlist的才能の産物である。僕は大阪毎日新聞社の命を受け、大正十年三月下旬から同年七月上旬に至る一百二十余の間に上海、南京、九江、漢口、長沙、落陽、北京、大同、天津等を遍歴した。それから日本へ帰った後「上海遊記」や「江南遊記」を一日に一回づつ執筆した。、「長江遊記」も「江南遊記」の後にやはり一日に一回づつ執筆しかけた未完成品である。「北京日記抄」は必ずしも一日に一回ずつ書いた訳ではない。が、何でも全体を二日ばかりに書いたと覚えている。「雑信一束」はい端書に書いたものを大抵はそのまま収めることにした。しかし僕のジャアナリスト的才能はこれ等の通信にも電光のやうに、―少くとも芝居の電光のやうに閃いていることは確である。大正十四年十月芥川龍之介記 ----------------この序説の中の次の二カ所は気になった。★ 「畢竟天の僕に恵んだ(或は僕に災ひした)Jounrlist的才能の産物である。★ 僕のジャアナリスト的才能はこれ等の通信にも電光のやうに、―少くとも芝居の電光のやうに閃いていることは確である。このへんは、ずいぶんえらそーな態度だな~と思う。自信満々という感じだ。芥川はこういう人だったのだ。才能はともかく、態度が大きい・・・、その点で私もひけは取らない。 ----------------この本は表と裏に見覚えのある絵が描いてある。どうも敦煌の壁画の一つだと思う。奥付を見てみる。★大正十四年十一月一日印刷★大正十四年十一月三日発行これだけなので、粗末な本ながら、なんと初版らしい。★ 著作者 芥川龍之介★ 定価 金貳円★発行者 山本美 東京都芝区愛宕下町一丁目一番地愛宕下町か。あの辺だなと見当がつく。★印刷者 上田庄助 東京都芝区愛宕町二丁目愛宕町か。NHK発祥の地か?その近くのはず。★改造社 東京都芝区愛宕下町一丁目一番地 振替口座 東京八四〇二番 電話 高輪四九九三番改造社の住所が発行者 山本美さんと同じだ。改造社の住み込みの掃除のおばさんなんだろうか?美という名前でも実は男性で、改造社の社長さんなのだろうか?山本美さんという人はどういう人なんだろう?ネット検索してみた。マルクス エンゲルス全集 第7巻 山本美・編 改造社 1929こういう本がある。山本美さんは改造社の住み込みの掃除のおばさんではなかったのだ。住み込みの掃除のおばさんがマルクス エンゲルス全集の編集をするだろうか?午前中はマルクス、午後はエンゲルス、夜は掃除。そんなことは、するはずが無い。なかには、する人もいるかもしれないが。さて、収入印紙に印鑑が押してある。当然、芥川の印鑑である。しかし残念ながらこの印鑑が実に薄い。判読が出来か出来ないかの境界線と言っておこう。朱肉の色も普通のものでは無くて、チョット赤い色だ。「印鑑を押す」と言う表現で、今までごまかして来たが、本当はどう言うのだろうか?押印なんだろうか? それとも捺印なんだろうか?そう思って「押印」を辞書でひいてみたら、「おういん=判を押すこと。捺印。」とある。な~~んだ!押印と捺印は同じなんだ。今度は捺印を引く。捺印=印鑑を押すこと。類語=押印。捺判。同じだが例文に契約書のものが多い。で、ネットで探すと次のような事が書いてあった。---------------・・・いずれも間違いで、署名捺印(しょめいなついん)と記名押印(きめいおういん)が正しい用法です。(署名は)自分で直接名前をペンなどの筆記用具で記すこと(俗に言うサイン)をいい、記名は自分の名前を例えばゴム印を押したり、あらかじめ契約書に印刷しておいたりすること、すなわち署名以外の方法で自分の名前を記すことをいいます。押印、捺印はいずれも印章を押すことですが、署名には捺印が、記名には押印がそれぞれ対応して用いられます。 法的な証拠能力としては、直筆でサインする署名の方が証拠能力として高く、証拠としての有効性は 署名捺印 署名 記名押印 記名 (これだけだとほとんど意味がない) の順になっています。あくまで証拠としての有効性の強弱で、署名・記名・押印の事実が否定される訳ではありませし、個別の法によっては要件が定められているものもあります。---------------------------それなら、この奥付では印刷だから、記名。だから、記名押印となる。このサイトは名称がわからないので、アドレスだけを下記に示すことにする。http://www.dragonknight.org/dragonknight/subway/utcse/utc04.htmしかし、この芥川の押印、正確には術語があるのだろうか?「著者」「奥付」で検索してみたら下記のようなサイトを見つけた。--------------------奥付 平成13年3月10日掲載 発行日、著者名、発行所など、その本の情報を示すものを「奥付(おくづけ)」というが、これは日本独特のもので外国の書物にはないものである。月刊誌や週刊誌にもある。単行本の奥付は、書籍の最後に載せられているが、いずれも本の身分証明ともいえる。 昭和三十年代辺りまでは、ほとんどの書籍が一ページ分を使用しても奥付を直接そこに印刷をしなかった。名刺大の紙に必要事項が印刷され、ページの中央に糊で貼り付けられていたはずである。これを「貼り奥付」といった。さらに、その紙片には「検印紙」と称する著者の検印があった。切手かもしくは収入印紙のような形で、著者、つまり著作権所有者が印鑑を押す。複製とか偽書を防止するという意図である。さらに、本の冊数を確定するということもあった。印税という言葉は、この検印制度から来ている。 検印は著者自身か、もしくは著者の関係者が一つひとつ丁寧に押したはずである。製本所から大量に作られた本が、そのまま段ボールに詰められて書籍取次にまわるのでなく、一冊ずつ裏表紙を開けて印鑑を押している姿を想像すると、丹精込めた自分の著書だという雰囲気が伝わってくる。(中略)ともあれ、奥付は格別面白いものでもない。しかし、これは本の履歴書でもある。 ----------------このサイトのアドレスは下記。http://www.mable.ne.jp/~koura/komore18.htm----------------そうだ!検印と言うんだった。私は知っていた言葉だったのに今まで忘れていた。それにとてもうれしいのは下記の記述である。★検印は著者自身か、もしくは著者の関係者が一つひとつ丁寧に押したはずである。やはりそうか?夏目漱石も芥川龍之介も、きっと自分自身で押したはずだ!というのも、当時はそれほどの数の出版数は、なかったはずだから。(多少希望的観測がある事は認める) ―――― ◇ ――――この本が大正十四年の初版本であることはわかった。その次に調べたかったのは下記の二点だった。1) これ以降、この本は出版されたのか?2) 出版されたとするとどんな形でなのか?3) 芥川の全集ものがあれば、その全集に収められているのだろうか?「支那遊記」をネット検索してみた。古本の単行本が引っかかった。★支那遊記 芥川龍之介 改造社 大14 25,000円 初版 箱入り ★支那遊記 芥川龍之介 改造社 大14 25,000円 初版 函入り2点とも「函入り」で「初版」。それも大正14年の初版だ。私の、この安手な製本のものも大正14年の初版だ。函入りとこの本の二種類が同時に発売されると言うことはないだろう。とすると、この安手な本には実は函があって、それに入っていたに違いないと思う。(相変わらず自分に都合のいい推理を強引にしてしまうが、これは案外あたっているのではないだろうか?)全集ものを探す。芥川龍之介全集も、下記のものがあったが果たして「支那遊記」が収められているのかどうかはわからない。★岩波書店 全12巻★岩波書店 新版 全24巻★筑摩書房 全8巻★ちくま文庫 ―――― ◇ ――――昨日の日記でつい冗談半分で「明日、驚くような新事実を!(テレビの見過ぎだ)書こうと思う」と書いたが、その理由は :1) 単行本としては大正十四年のこの初版本以来、出版されていないらしいこと。2) 「支那遊記」の函入り初版本に2万5千円の値が付いていたので、この本も函入りでこそないが、1万円近くの値段はつくかなと思ったこと。3) 芥川の検印があることそのへんをチョット大げさに書いてしまった。みなさん、ごめんなさい!それに、もし全集の中にこの「支那遊記」がしっかり入っていたら、もっと価値がさがることになる。しかし・・・、実は、私としてはそんな価値が無くても全く、がっかりなんかしていないのだ。その理由を書こう。日曜日の朝日新聞に養老孟司氏がこう書いていた。---------旅に出る時には、一刻の無駄な時間もいやだから、その時は本を読むことにしている。その時には英語の書物をカバンに入れる。日本語の本だとすぐ読んでしまうので、数冊もカバンに入れなければならない。その点、英語の本だと、日本語の本にくらべて約5倍の読書時間がかかるので、1・2冊ですむ。それだけカバンが軽くなる。---------養老さんも粋なことを言うな。私も英語の本を読んでもいいんだが、もう商社勤務でもないし、英語力を伸ばす必要もないし、英語で読書は原則的にあきらめた。残り少ない人生の日々を鑑みてみれば、効率的にとても日本語の本とくらべものにならない。ただし英語で読んだ方が「匂いが出る」本や、「英語でしか発行されていない本」は英語で読もう。シャーロック・ホームズなんかはそういう本かも知れない。エドワード・デ・ボノ博士の「知的用語辞典」(廃版)の原本 WORDPOWER (ペンギン)もそういう本かも知れない。海外で買ったもののまだ読んでいない英語の歴史地図・歴史年表・聖書関係の本などもそうかもしれない。
2004.03.15
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芥川龍之介の印鑑が押してある古い本を千円で買った。こういうのはクセになりそうで怖い。以前、下記のタイトルの日記で、夏目漱石の印鑑が押してある本を買ったことを書いた。 ----------------日記のタイトル(長いけれど)は下記の通り。『古本屋で夏目漱石の印鑑が押してある古い夏目漱石本を四冊ほど求めたが、これが果たして価値のある本なのかどうかがよくわからないまま悩んでいること』 02月26日(木) ----------------今日は漱石の本を買った古書店とは別のやはりいきつけの店に行ったのだけれど、そこでまた古びた本を見つけた。まるで西洋の古い羊皮紙の本という風情。といっても手に取ってみると安っぽい製本である。ただし黄色く(というより薄茶色に)変色したページと、読みにくい古いフォントとありがた迷惑気味のふりがなは漱石の本とよく似ている。題名は背表紙ではほとんど判読できないほどなのだけれど、「支那遊記」と読める。作者は芥川龍之介。奥付を見てみると印紙にほとんど判読できないほどの芥川の印が押してある。また文豪の押印に出会った!私はページの「好きな作家」の中に芥川龍之介の名前をあげなかったけれど、それは単純な理由からで、学校の国語の教科書で読んだ彼の作品以外は読んでいないからなのだ。彼は天才だと思っている。それにセンスがすごくいい。スマートだ。だから、この本を開いた時にそんなことを思いだして、これを機に彼の作品を読んでみようと思いながら、彼の作品を読んで「晴れて」彼を私の「好きな作家」に入れてあげようと思って、薄茶色のページをめくってみた。少し読んだだけだけれど、それにやはり非常に読みにくいんだけれど、ぐ==!とひきつけられた。モダンで洒落ていて、それでいてやはりその時代の匂いが漂ってくるような描き方なのだ。著作権は切れているから、本文ではないが冒頭の「自序」の部分を堂々と引用してみよう。 ―――― ◇ ――――*自序*支那遊記一巻は、畢竟天の僕に恵んだ(或は僕に災ひした)Jounrlist的才能の産物である。 ----------------※ alex注: どうせこの本の旧仮名遣いのままには、変換の問題などもありそのままには書けない 新旧ちゃんぽんで書いて行くことにする。 ----------------僕は大阪毎日新聞社の命を受け、大正十年三月下旬から同年七月上旬に至る一百二十余の間に上海、南京、九江、漢口、長沙、落陽、北京、大同、天津等を遍歴した。それから日本へ帰った後「上海遊記」や「江南遊記」を一日に一回づつ執筆した。、(※ alex注 :ここでは「にっぽん」ではなく「にほん」とふりがなされている。「長江遊記」も「江南遊記」の後にやはり一日に一回づつ執筆しかけた未完成品である。「北京日記抄」は必ずしも一日に一回ずつ書いた訳ではない。が、何でも全体を二日ばかりに書いたと覚えている。「雑信一束」はい端書に書いたものを大抵はそのまま収めることにした。しかし僕のジャアナリスト的才能はこれ等の通信にも電光のやうに、――少くとも芝居の電光のやうに閃いていることは確である。大正十四年十月芥川龍之介記 ―――― ◇ ――――昨夜は楽天のメンテでページが開けず、それにサッカーでバハレーンに敗れたこともあって早寝したら(不貞寝かな?)、目が覚めたので書き出したのだが、このへんで止めて、明日、驚くような新事実を!(テレビの見過ぎだ)書こうと思う。
2004.03.14
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私のHPに最近書いてくれるゲストさんがいる。はじめは「拙い説明さん」で、つぎには「拙い説明の余談さん」で、最新は「拙い説明の余談のしつこい雑談さん」で、どんどん名前が長くなる人だ。この「拙い説明の余談のしつこい雑談さん」は現役のお医者さんらしくて、私にいろいろ医学知識の裏の方を教えてくれる。例えば「点滴なんて気休めで中身は砂糖水やポカリスェットみたいなもの」とか・・・。こんな事、普通の人は知らないよね~。目からウロコ。この方は私の「鳥インフルエンザのどこが本当に恐ろしいのか?ご存じの方は教えて下さい」という問いかけに応じてゲストとして投稿して教えてくれた人だ。その辺に興味がある人は関係日記にぶら下がっているBBSでのやりとりを、読んで下さい。 ―――― ◇ ――――この「拙い説明の余談のしつこい雑談さん」と昨日、共産主義に関するやりとりがあった。そもそも私がBBSでこんな事を書いたのがきっかけだ。--------------「理想のはずの」共産主義体制はもっとひどかった。資本主義社会は余剰が発生して、モノがあふれて競争原理が働く。しかし、共産主義というのは「計画経済」です。必要最小限のものしか、生産しない。だから物資不足が発生する。品不足の上に、品質最低。だから不足したモノを手に入れるためには、ワイロが必要となる。一般市民が毎日ワイロを使うという理想社会。 ―――― ◇ ――――これに対して「拙い説明の余談のしつこい雑談さん」がこう書いてきた。----------------私は、目の前主義なので資本主義という目の前のにんじんを追いかける生き方を否定できません。ただ、現実不可能なことですが貧富の差がなくなってしまえば、潤った計画経済を行えるとは思うのですが。共産主義国って貧乏な国ばかりだったし前提条件が欠如してるから、そりゃあ崩壊するしかなかったと思うのです。今後ですが、国際的に貧富の差はますます広がっていくと思われ共産主義の出番はもう無いはずですけどね。共産主義という名の、独裁主義はいくらでも出現する可能性はありますが。 ―――― ◇ ――――これに対して私はこう返答した。-----------------------また固い話題が続いてしまいますが、明日の日記にこの共産主義はもう使い捨てカイロか?というテーマに迫りたいと思います・・・って、結論は出るはずはないんですけれどね。資本主義というのは無駄の多い競争主義だと思うのです。『資本主義という名の世界はどこも同じ様相の資本主義ですが、共産主義は国毎に違った様相の共産主義である。』トルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭をパロディーしてみました。中国・ヴィエトナム・北朝鮮・キューバ、共産主義と言ってもいろんな共産主義がある。共通点は独裁国家と言うところだろうか?いい意味で(この言葉便利すぎていやらしいな~・・・)、共産主義な世界は理想なんでしょうけれど、しょせん、人間の脳には忌まわしい邪念・闘争心が埋め込まれていますから、素晴らしい理想の思想があっても、それに追いつくことは出来ないと、私は悲観しています。将来DNA操作でも可能になれば、人間の脳も共産主義を実現できるのでしょうが、それとて恐ろしい両刃の刃。 ―――― ◇ ――――実は、共産主義については、相互リンクしている七詩さんとのやりとりも並行してあった。その発端となったのは七詩さんのこんな日記からだ。七詩さんの日記。http://plaza.rakuten.co.jp/aisya96/diary/-------------グッバイレーニン 03月11日(木) 映画「グッバイレーニン」を見た。(中略)20世紀は社会主義国家の樹立とその崩壊の世紀であったともいわれ、結局、社会主義の実験は失敗であったとされている。しかし、本当にその社会主義の中には見るべきものはなかったのであろうか。東ドイツの体制やその掲げていた理想は、それほど西ドイツに比べて劣ったものだったのであろうか。 (中略)。冷戦が終焉した頃には、社会主義体制の崩壊とともに、社会主義思想も全否定され、人類思想史の珍説であるとか、嫉妬という下劣な感情に立脚した思想であるとかという言説があふれた。しかし、資本主義に対峙して社会主義というものがあったからこそ、福祉制度の充実や社会としてのセーフティネットの整備など資本主義自体も変わっていったのではないのだろうか。ともすれば、むき出しの競争礼賛や優勝劣敗的な言説があふれがちな今日こそ、多くの人が追い求めていた社会主義の理想のプラス面にも、もう少し光をあててもよいように思う。(中略)競争より平等を理想とみる思想は昔からあった。中国古代に理想社会として考えられた「大同社会」などは共産主義社会を連想させるし、日本の「桃源郷」も皆が平等に仲良く暮らすというイメージである。思想としてのマルクス主義が、影響力ある思想として再び復活するかどうかはなんともいえないが、人の心からこうした平等で平和な桃源郷社会への憧憬が消えない限り、「社会主義国家建設の実験」は、またいつか、世界のどこかで繰り返されるに違いない。 ―――― ◇ ――――すでに使い捨てカイロのように振り返ってももらえない共産主義だが、思想としては間違っていない。しかし、人間性とは相容れなかった。だが、その共産主義社会にもいい点はあったと思うし、それを東欧圏で実感した私は、下記のような書き込みを、七詩さんのBBSにした。-----------同感です。私は東欧に駐在・出張していました。ベルリンの壁崩壊後はすべていいことばかりかというと、そうではないのです。共産主義独裁政権の崩壊で治安が極度に悪化した。マフィアまがいの粗っぽい商売ばかりが巨利を得て新興階級になる反対に医師・教師というインテリ階層の非ビジネス系は収入が伸びず貧困にあえいでいる年金生活者は貨幣価値の変化によって困窮つまり貧富の差が二極化社会福祉が大幅にダウンした人口の半分は、共産体制の方が良かったと考えていると思います。 ―――― ◇ ――――これに対して七詩さんから、次のような返答があった。----------alex99さんきっとそうだろうな・・・と思います。旧ソ連圏や他の旧共産圏からも、今後、あの時代やその後の激変をテーマにした映画や物語があらわれてくるのでしょうが、「社会主義の全否定」にはならないでしょうね。それにしても東西ドイツは対立しながら殺しあったわけではない、東ドイツは抑圧的体制だったとはいえ粛清や処刑という実態はなかった。東西ドイツに比べると南北朝鮮の統一は本当に難しいと思いますよ。 ―――― ◇ ――――最後になるが、七詩さんが続いてこのような日記を書いているので紹介しておく。------------幻の千年王国~共産主義社会という幻想 (1) 03月12日(最初の部分を省略) このような平等、平和の理想社会は社会主義の発明であるかのように思われるが決してそうではない。案外、こうした概念は、古くからあるように思われる。古代中国で理想として考えられていた「大同社会」というのもそうであるし、「桃源郷」も人々が貧富の差なく、農耕にいそしみながら豊かに暮らしている…まさに能力に応じて働き必要に応じて与えられる社会である。大同社会や桃源郷はアジア農耕社会で考え出されたものであるが、おそらく似たような概念は他の社会でもあるだろう。人間の本性には、自由への希求とともに、平等で平和な理想境への憧憬というものが、きっとある。(中略)20世紀の最盛期、地球の3分の1を席捲した社会主義は誤りだったかもしれない。しかし、人間というものが変わらない限り、再び社会主義は人類の歴史に現れてくるのではないのだろうか。もしかしたらそれはマルクス、レーニンとは別の名前を名乗っているかも知れないが・・・。 ―――― ◇ ――――私も共産圏で暮らしてみて、共産主義体制をこれほどの悪はないという感じを持っていた時もあるのだが、それは独裁主義というものに裏打ちされた共産主義だった。「拙い説明の余談のしつこい雑談さん」の言うように、共産主義という名の、独裁主義だったと言ってもいいだろう。もちろん、共産主義圏の崩壊は独裁政治のせいばかりではない。資本主義経済との競争となると効率・競争力に劣る、いわば資産の食いつぶし経済といえるところもあると思う。ただ、貧しくともやはりある程度は平等であり、苛酷な生存競争を強いられない世界でもあるので、そういう世界の方がいいという人も多いだろう。もう冷えた使い捨てカイロのようにもう振り返られることもなくなった共産主義、人間性にひそむ邪悪な部分がある限りあり、独裁主義抜きの共産主義というものは、達成できないと思うが、それでも共産主義という桃源郷にはまだ未練が残る。 ーーーー ◇ ーーーーちょっと追加したい。ようちゃん2号さんがBBSでこのような発言をしてくれた。---------------今回は共産主義ですね。共産主義は資本主義の成熟した段階の後に生まれるというのがマルクスの要諦でしたね。ところが実際は「(資本主義の精神を含む)資本主義」のアセットを持たない、欧州最貧国のロシアで生まれた。この点が問題でしたが、ソビエトは「共産主義の巨大な実験室」であったもので、これから研究をしていく課題だと思います。 ーーーー ◇ ーーーーこれに対して私は次のようなことを答えた。---------たしかにモンゴルの圧政、それからその継続としての帝政ツァーリがあって、それへの革命が共産主義につながったわけですが。つまりマルクスが共産主義への必要条件とした「資本主義」や「民主主義」を欠いたまま、いきなり共産主義に突入したソ連の不運はあります。ただ私は、それだけが共産主義の崩壊の原因だったとは思わないのです。「資本主義に競り負けた」という、経済的な側面が大きいと思います。 ーーーー ◇ ーーーーまた共産主義という世界は「オープンなシステム」ではなく、自己完結する「クローズドなシステム」。オープン・システムとは、外部環境との間で資源、情報などの相互作用を持つ(=交換を行う)システムのことを指す。外部環境とのやり取りが無く、その構成要素の変化がない閉じたシステムは、クローズド・システム。共産圏はクローズド・システムで外部の資本主義諸国に対して門戸を閉じているはず。それがオープンな世界の資本主義世界と隣接していては、物資も出入りするし、情報も出入りする。そうするとシステムに変調を来して、徐々にオープン・システムになってしまう。つまりクローズド・システムはいろんな面で崩壊してしまう。クローズド・システムはクローズド・システムだけで孤立(スタンド・アローン)するか? またはもっと大きいクローズド・システムの中に存在するかぎりは、そのシステムを保持できるが、オープン・システムと混在していては、しょせん遅かれ早かれ自己崩壊する。それに経済的にも共産主義では競争原理がはたらかないから資本主義に勝てない。共産主義が第二次世界大戦以降、ある期間輝かしく見えたのは、過去の遺産の食いつぶしをしていただけ。もし共産主義で行くなら、共産主義側が武力で世界制圧し、全世界を共産主義のクローズド・システムにしてしまうこと、資本主義というオープン・システムを地球上から完全に追い払うこと、これが条件だろう。しかし、これもしょせん画餅かな?そう考えてみると、昔の鉄のカーテン(共産主義諸国を資本主義諸国から隔てた体制)は、クローズド・システムをオープン・システムから守るという目的があったのかも知れない。
2004.03.13
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私が相互リンクしているHPのひとつに、ひな2973さんのHPがある。http://plaza.rakuten.co.jp/hina2973/diary/非常に行動的な女性のようで、いろんな事に積極的な行動力を発揮している。きのうあたり外国に出発したはず。それも訪問先はパレスチナ。パレスチナ対イスラエルの問題を実地に見聞すべく旅立ったのだ。その行動力に恐れ入る。それにパレスチナへの出発もかなり突然に決心したようだ。出発を決めてからの彼女の日記の一部を、例によって無断で引用させていただく。 ―――― ◇ ――――パレスチナ、24HR、塩湯 03月07日(日) パレスチナに関係する映画の上映や講演を行っているNGOの会合に顔を出し、さまざまな情報を得た。意識的に情報を得ない限り、いかに本当のところが伝わってこないのかがよくわかった。よく分かっていないままに発言しているらしい「中東問題専門家」がいかに多いかということも。だからといって今日聞いたような、パレスチナ側からの話ばかりをうのみにするのもどうかと思う。結局は自分の目で見たものが真実なのだ。----------老人と化す。 03月08日(月) 見ないフリをしていれば生活はとても楽チンだ。食の問題もイラクも、不安を煽る要素に無関心を決めこんでしまえば、大抵の人は昨日と同じ一日を送れる。あるいはニュースのインデックスだけを拾って、つぎはぎで即興の「論」を構築し、ひとまず安心する。そうやって自分の視野を狭くし、自分の頭でモノを考える力を失っていく、と。なるほどね。そのほうが幸せということもあるかもしれないけれど…。 ―――― ◇ ――――偉い!と感心するばかりでなく、この日記を読んでいると耳が痛い。私もニュースのインデックスだけを拾って、つぎはぎで即興の「論」を構築している。それでひとまず安心している。満足もしている。そうやって自分の視野を狭く、自分の頭でモノを考える力を失っている。ただ、その方が幸せというわけでもないのだが、彼女のように行動力や意欲が無いだけだ。イラクの問題もMドングリさんが言っているように、報道にまどわされないようにすることが大切だと思うのだが、なかなか「自分の目で見てくる!」・・・ということを実行できる人はいない。 ―――― ◇ ――――ちょっと付け加えておくと、パレスチナという国家はまだ存在しない。イスラエル領の中に自治領として点在している。だからパレスチナへ行こうと思うとイスラエルにいったん入国してから陸路パレスチナへということになる。イスラエルのビザをパスポートにスタンプされるとアラブ諸国への入国を拒否される。それではどうするかというと方法は二つ、1) イスラエルへ渡航することを説明してイスラエル用のパスポートを発行してもらう。2) パスポートに直接スタンプすることは勘弁してもらって、イスラエルのビザは添付用紙にスタンプしてもらってホッチキスでとめる。
2004.03.12
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今回のように自殺者を出したことで、マスコミのありかたが問われていると同時に、マスコミ情報に対する私たちの批判的な読み取りの必要性も問われていると思う。中でも大騒ぎをしたのはいわゆるワイド・ショーだと思うが、どうもワイド・ショー自体はあまり今回の事件を反省している様子は無いという。私が見た限りでもそんな感じで逃げ腰のように思われる。事件があればレポーターという人間を飛ばせて、被害者なり加害者の家族にしつこくインタビューを繰り返すワイド・ショーなのだから、当事者がとてもインタビューに答える心境にあるはずがない状況でも「何か一言!」と返事が返ってこないのを承知でマイクを顔に突きつけるワイド・ショーなのだから、今回の事件で一番反省しなければいけない種類のマスコミだと思うのだが、もし真面目な自己批判などしてしまうと今後の活動に差し支えるからとりあえずは知らぬ顔を決め込んでいるのだろうと思う。しかしきのうも書いたように、こういうマスコミを育てているのは我々なのだから、マスコミと我々、マスメディアの読者・視聴者の関係を考えて行かなければならないと思う。(ただし浅田養鶏場に非が無いとは言っていない) ―――― ◇ ――――昨日の日記で紹介した69’n rollさんのBBSで、私の昨日紹介した書き込みに対して、69’n rollさんからこんな返信があった。69’n rollさんのサイトhttp://plaza.rakuten.co.jp/tomojohn/diary/====alex99さん こんにちは。書き込みありがとうございます。 おっしゃるとおりですね。>我々は、しょせん、我々自身のレベルと同レベルのマスコミしか持てないわけです。 ただ、マスコミの言うことをすべて真に受けるのではなく、批判的に見たり、自分の中で「違う」と思ったら、それを表現するといったトレーニングを子供のうちからする必要がありそうですね。 若い人がよく、こんなことを言います。「新聞に書いてあることが全て真実だと思ったら違うんですね」「世の中には新聞に書かれない事件もあるんですね」と。紙面は編集されていて、どの事件を取り上げ、どの事件を取り上げないか、大きくするか、小さくするかといった判断が加えられていて、新聞=世間ではない。だから、新聞によって記事の扱いが違う。そんなことは社会人になって初めて知ったという声も聞いたことがあります。 ―――― ◇ ――――これに対して私から69’n rollさんへ下記の書き込みをした。=====media literacy メディア・リテラシーという言葉がありますが、専門家でいらっしゃるので当然ご存じの事ですが、「メディアを自分が分析・評価する能力を持つこと」ですね。これはそれだけが単独に孤立して存在するものではありません。それはしかるべき知性と知的積極性、そんなものをもっている人間がメディアに対峙した時に言われる言葉ですね。とすれば知性の持ち主がメディアに触れる時の分析・批判の方法を訓練するプログラムがあってもいい。日本でもそんなものが教育の一部としてあるのでしょうが、一般人の日常レベルで言えば、もっと国民全体がメディア側が流す情報を、批判的に分析し、それを表現することが必要だと思います。その意味で今の私にとって、ネット日記などはいいトレーニングになっていると思います。 ―――― ◇ ―――― 69’n rollさんから私への返信。=====alex99さん こんにちは。いつもありがとうございます。 おっしゃるとおり、メディア・リテラシーはぜひ、今後、力を入れて学校教育や社会人教育で取り組んでほしい重点課題ですね。 実際のところ、どの程度進んでいるのかを新聞記事などで調べてみたら、残念ながら「新聞記事を国語あるいは社会科の教材として使用する」域を越えていないように思いました。 新聞記者を招いて、その記事を書くにいたった背景について語ってもらってディスカッションするとか、新聞制作の現場を見学するとか、同一の事件について複数の新聞を参照して違いを調べ、なぜ、そのような違いが生ずるのかを考えさせるとか、そういった複眼的・立体的な試みがないと、真に「批判的」とは言えないのではないかと思いました。 ―――― ◇ ――――上の交信の中でも触れているが「media literacy メディア・リテラシー」という言葉がある。研究社のNEW ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY によれば、Literacy リテラシーというのは、1. 学問[教育]のあること2. 読み書きの能力 読み書きの能力があることであるという。メディアというのは、マスコミ機関のことをいう。ではメディア・リテラシーとはなにか?簡単に言えば私が上記の交信の中で語ったように「メディアを分析・評価する能力を持つこと」なのだが、もっとくわしく見てみよう。ネット検索をしてみたら、「メディア・リテラシーの世界 Media Literacy Project in Japan」 というHPがあった。http://www.mlpj.org/このHPによればメディア・リテラシーの基本概念は下記のようなものだという。「メディア・リテラシーとは、市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創りだす力をさす。また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディア・リテラシーという」また、メディア・リテラシーの構成要素は下記のようなものだという。1)メディアはすべて構成されている。2)メディアは「現実」を構成する。3)オーディアンスがメディアを解釈し、意味をつくりだす。 ※ オーディアンス=読者・視聴者4)メディアは商業的意味をもつ。5)メディアはものの考え方(イデオロギー)や価値観を伝えている。6)メディアは社会的、政治的意味をもつ。7)メディアは独自の様式、芸術性、技法、きまり/約束事(convention)をもつ。8)クリティカルにメディアを読むことは、創造性を高め、多様な形態でコミュニケーションをつくりだすことへとつながる。 (『Study Guide メディア・リテラシー【入門編】』より ) ―――― ◇ ――――上記の2)から8)までをちょっと考えてみよう。2)メディアは「現実」を構成する。もちろん現実と言うことがあるのだけれど、メディアが送り込む情報も現実の一部になると言うことだろうと私は推測する。今回の浅田養鶏場の事件をわかるがメディアが流した「浅田養鶏場はけしからん」というメッセージが現実の一部になって、浅田会長を押しつぶしたと言える。3)オーディアンスがメディアを解釈し、意味をつくりだす。 ※ オーディアンス=読者・視聴者これは重要だけれど、我々がメディアを解釈し、意味を作り出しているんだ。今回はメディアが「浅田は、報告が遅かった」と言い立てると、我々はそれを解釈して「浅田はけしからん」という意味を作り出した。4)メディアは商業的意味をもつ。商業的過ぎると、みんなの関心がある事だけ、視聴率を取れるものだけ、そういうテーマを追っかけることにもなって、質の高い番組が少なくなる。5)メディアはものの考え方(イデオロギー)や価値観を伝えている。イデオロギーや価値観を伝える。朝日新聞、産経新聞、聖教新聞、赤旗etcはそれぞれ微妙にちがったイデオロギー・価値観を伝える。8)クリティカルにメディアを読むことは、創造性を高め、多様な形態でコミュニケーションをつくりだすことへとつながる。 批判的(クリティカル)にメディアを読む、これこそメディア・リテラシー。その先に、我々自身が自らメディアを作り出すことが出来るようになればもっといい。新聞を読み、テレビを見た後に楽天日記などにその感想・分析・批判・批評を書き込めば、ミニコミであっても自分自身のメディアといえるのではないだろうか?何もミニコミに限ることはない。実は私が何千億円という金をつかんだら何をやりたいか?ということを教えると、みなさんは非常に驚くと思う。実はテレビ局か新聞社を買いたい。本気です。いつもそう思っている。そこで自由に自分の思想(って程か?)を民衆に押しつけて、今スポンサーである浅田養鶏場に変わって神戸UHF局サンテレビの阪神タイガース全試合完全中継のスポンサーになって、女子バレーボールの東レの試合は全試合中継して、プロレスは男子を廃止して全部女子プロレスにしてしまって、ごひいきの松浦亜弥や島谷ひとみにインタビュー屋や対談をして、記念写真を撮らせてもらう。それから・・・ ・・・ それから・・・。思いつかない。私のメディア・リテラシーはこの程度だ。
2004.03.11
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最初の話題は、今日69'n rollさんのBBSに書き込んだ内容そのままなので恐縮なのですが、一応読んで下さい。 ―――― ◇ ――――69'n rollさんのBBShttp://plaza.rakuten.co.jp/tomojohn/diary/養鶏場の会長夫妻の自殺。私は実はこの自殺がそれほど意外でもないし、だからそれほどショックを受けていません。私はマスコミのマイクに攻めまくられている親子の表情をテレビで見て、「この人達は精神的に大丈夫だろうか?」と思っていました。浅田さんは、人間的な弱さからの判断ミスを犯したものの、事実上の破産という突発事件にみまわれた。私も事業の失敗という経験があるから、自殺を考える心理はわかる。しかし彼らはそれだけにとどまらず、同時に満天下の人々からの非難を受けるという、逃げようのない状況に追い込まれた。何も見えなくなって自殺に追い込まれたのも無理はありません。しかし、マスコミは今回に限らず、これまでに数え切れないほどの人々に精神的拷問と侮辱を与えてきましたよ。その中の一部の人が自殺したから初めて問題だ、というわけではありません。今回の事件に於いてのマスコミの機能・使命は鳥インフルエンザ・ウィルスのどこがどれほど危険なのか?私たちは現実にどのような対応をしたらいいのかという、事実と対応法を大衆に知らしめる所にもあるのに、われわれの大好物であるスキャンダラスな面にだけ、ハイエナのように群がった。しかし「そのマスコミ」は、われわれ一般大衆に迎合しようとして、こんな報道のしかたをしているのですよね。となれば、マスコミをそんな体質にしたわれわれ自身が犯人という事実に行き着きます。我々は、しょせん、我々自身のレベルと同レベルのマスコミしか持てないわけです。 ―――― ◇ ――――以上が69'n rollさんのBBSに書き込んだ内容なのだが、マスコミ批判のついでにもう少し書こう。新聞記者クラブなんか作って中小メディアを排除している大新聞各社。政治家のスキャンダルがあるたびに鬼の首を取ったように大騒ぎをして「天誅!!」を加えるが。あんたがた、夜討ち朝駆けの番記者してて、政治の世界の裏の裏まで熟知しているはずじゃありませんか?ほとんどのスキャンダルだって事前に知っている。それなのに日頃はそんなことを一行も記事にしないでおいて、いざだれかがスキャンダルにまみれたとたん、いっせいに駆け寄って、まだ生きている彼らの生肉をむさぼる。ハイエナと呼んだらハイエナが怒るよ!69’n rollさんがBBSの中でおっしゃるように、今や真実を伝える勇気のあるマスコミの存在が少ない。みなさんご存じのように、創価学会に対する批判はマスコミ界のタブーですよね。特に「大新聞」は見事に完黙です。反体制が売り物のニュースショーの花形、久米明氏も、異論反論のリベラルの大家、筑紫哲也氏も、ともに全く知らん顔で米国と小泉政権を叩いて、正義漢を演じています。叩いても自分に跳ね返ってこないところを叩いている。もうすでに軍事体制下の戦前の言論統制(自主規制だったらもっと悪質だ)と同じ状況になっているではありませんか?私はその団体のすべてに反対なわけではありません。近所のおじさん・おばさんとは仲がいいし、知り合いにも信者がいた。ただ「だれも公には批判できない状況」が、一見平和そうな今の日本にあることが恐ろしいと言っているのです。 ―――― ◇ ――――この楽天でも平和主義者さん達の間で「イラク派兵でこれからの日本はどうなるのだろう」との大合唱がおこっているが、「本当の言論の自由が無い今の日本は、部分的に北朝鮮と同じだ」という指摘をする人がほとんどいないということに、私は驚きます。日本人の勇気と正義感はどこに行ったんですか?あっ! 初めから無かったのか?納得~・・・。戦前も戦時中もそうだったものね~。 ―――― ◇ ――――シャルドネ☆さんから下記のようなBBSへの書き込みをもらった。私の 「ツーカー・以心伝心の世界は日本だけだと言うことに気がつかない日本人は、相互理解の基盤のない外国ではからきし弱いこと」 という03月08日(月)の日記に対するコメントなのだが。 ―――― ◇ ――――皮膚感覚コミュニケーション、四畳半ですね。濃密な人間関係の中で物質的恍惚を遂げて果てるというのが日本人ってイメージです。主体が濃密な人間関係の方なのか、個人の肉体なのかというとどちらも腑分けできないというぐらい癒着しているんでしょう。私は生産のスタイルが決定的だったという説に共鳴するんです。狩じゃなくて水田で田植えでしょう?狩りで個人と肉体が手を抜くとメシを喰えない。でも、田植えって誰かが手を抜いていると秋の収穫が激減するってものじゃないですからね。むしろ手を抜いて笑いを誘ったり、作業のリズムを囃す人がいた方が生産性が高かったりする。こういう生産のスタイルが個人の肉体よりも集合的な協働性に主体をおく思想と生活を定着させるのは妥当で、予想できる気がしました。 ―――― ◇ ――――私ももちろん同意見だ。気候・風土・生活様式がその民族の性格を形成する。少なくとも影響を与える。私の「猿でもわかる日本人の特徴」というパターンを下記に記してみよう。日本人=農耕民族=農業は共同作業=手伝ってもらうためには村の人達と仲よくおつきあいが必要=それに能力があるところを見せると嫉妬されるだけ=共同作業だから個人能力は問われない=問われるのは勤勉と正確性と集団への忠誠欧州人のパラダイムもついでに書いておこう。欧州人=遊牧狩猟民=これは単独作業=他人に気を使っても生活に実益はない=個人の能力次第で成績が上がる=能力の高い猟師はえものを捕り放題=反対にダメ男は全くダメ=個人が大切 ―――― ◇ ――――日本人は基本的には米作り民族ですね。正確緻密な米作り暦と農業の共同作業の中で生きてきたので、農作業暦と共同社会とシンクロ(同調)することが一番必要なことだった。田植えの予定が書いてある暦と外れた気まぐれなことをしたらろくな事がない。村八分になっては田植えを手伝ってくれる人がいなくなる。個人の能力を突出させないで、村社会の中で歯車になることが必要だった。能力があるところをみせても、横並びで田植えをする農民にとってはアクセサリーにもならない。それなら、村人と話を合わせておいた方がイザとなる時に助けてもらえる。 ―――― ◇ ――――ただし、さすがの人力集約的な日本農業も変わってきた。農業機械の発達。柔道の柔ちゃんが宣伝している耕耘機なんてもうロボットのようななんでも出来る機械だ。もう隣近所の手助けも要らなくなってきた。農村も共同社会とばかり言えなくなってきたのでは無いだろうか?柔チャンの意見も聞いてみなければいけないのだが。 ―――― ◇ ――――日本では武士も戦乱の時代ならいざ知らず、平和で下克上もない、静態の世界であった江戸時代になると官僚となる。チャンチャンバラバラの斬り合いなどは幕末の新撰組の時代にならなければめったになくなる。そんな新しい世界の中で、武士は学問もあるし、大名の下で役人になり、官僚というかテクノクラート(技術官僚)になる。刀なんかこうなるとただの飾りで、読み書き算盤(ソロバン)の方が大事になる。官僚の世界は毛並みと年功序列だ。実力次第とは行かない。これもやはり突出してはいけない世界だ。異論を言い立ててはいけない世界だ。
2004.03.10
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鳥インフルエンザの怖さとは、本当のところどこにあるのだろうか?どなたか教えて頂ければありがたいんですけれど。私の今の知識では、人間が食べても感染しないと言うし、ウィルスは70度以上で加熱すれば死滅する。普通ニワトリの肉は、煮る・焼くの調理過程を経て食べますよね。であれば、「ニワトリ肉」を「刺身にして食べる」という特殊な食習慣を持つ人以外はパニックになる必要がないのではないだろうか?鳥の被害はでるだろうけれど、人間が大量死するわけではない。外国では鳥インフルエンザで死亡した人もいるが、人から人への感染はないようだ。インフルエンザの死亡数は平年でも数多いが、過去の大流行はものすごい死者を出している。過去の大流行・1918年 スペイン風邪 日本での死亡者、38万人・1957年 アジア風邪 日本での死亡者、 8千人・1968年 香港風邪 日本での死亡者、 2千人・1977年 ソ連風邪 免疫力の備わらない20代以下に多く感染 1918年のスペイン風邪のインフルエンザなどのように、この鳥インフルエンザのウィルスが変質するというのなら怖いが、常識的に考えて、まだ日本では死者が出ていない鳥インフルエンザよりも、通常のインフルエンザの方が比較にならないほど恐ろしいものだと思う。どうして鳥インフルエンザで、これほどのパニックになるのだろう?私は熱狂的な動物愛護家は嫌いだが、だからといって人間が一人死ぬかも知れないと言う可能性のために何十万というニワトリが、明確な科学的説明・宣言なしに大量虐殺されることには、割り切れない気持になる。当局はこれだけのことをするからには、先ず明確な説明をする責任があると思う。本当に振れが大きいな~。事実をほどんど分析・確認しないまま!!、大パニックになる。以前の狂牛病さわぎなんて私にはありがたかった。牛肉の値段が下がったから。今回の米国産牛肉事件では完全輸入禁止で、牛肉の値段が上がった。残念。
2004.03.09
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シャルドネさんが日記で面白いことを書いている。ある中国人ビジネスマンの日本人批判なのだが。それを参照してミドル英二さんが昨日の日記に「日本人特有の性向」という題で書いている。ミドル英二さんに失礼して勝手に引用しよう。http://plaza.rakuten.co.jp/ojinkoishikawa/diary/ ―――― ◇ ――――シャルドネさんの3/5の日記は、とても現代日本の企業の問題点をついている。http://plaza.rakuten.co.jp/hint2003/diary/2004-03-05/ 特に、僕が深くうなづいたのは、「(日本人は)どれほど相手に自分を理解されているのかを神経質なほどにさぐっている。さぐっているが理解されていなければならないという思い込みに根拠がない。」という部分である。 これは外国人でなくとも、若い世代の(あるいはあるタイプの)日本人でも痛感している人は少なくないのではないか。 上司は、部下を『理解』しようとする。 部下は上司を『理解』できるか否か、で判断しようとする。 しかし、現代では、過剰なほどの『理解』は必要ないのではないか。 僕の経営者人生の中で、銀行との馬鹿馬鹿しい儀式めいた交流?についてのアレコレはここの日記で何度か書いた。 おなじような事は、役所、業者その他、仕事のあらゆる関係者との間で生じる。多少の差はあれ、『理解』しあうための余計な作業がかなりあるわけだ。 僕は、それらが、疲れるというよりも「馬鹿馬鹿し」くてならなかった。 僕がさっさと会社を閉じてしまった、本当の理由の1つは正直にいって、これらの馬鹿馬鹿しさを、もう止めにしたい、ということがあったのだ。 ―――― ◇ ――――以上がミドル英二さんのコメントなんだけれど、私もそれは同感。よく日本人は外国人の日本人感を異常なほど気にするという。外国人に理解してもらっているかどうかが気にかかるわけだただ、気にかかる割に外国人に自分たち(日本人)を理解してもらおうとする努力をしているだろうか?言葉の壁というものがあるかも知れないが、日本の主張というものを真正面から言い立てることは少ない。気にかかる外国人の日本人感を是正することなく、抗議するでも無く、ただ「わかってくれないな~」、「日本人は誤解されている」と嘆くばかりなのだ。 ―――― ◇ ――――もうひとつ。日本人が、「理解してもらいたがり病」なのには理由があると思う。上記にも関係するのだが。日本の社会に住むには雄弁術は要らない。ディベイト・論争術も要らない。「謙遜な態度」、この一本槍でいいのだ。というのもお互いがよ~く理解し合っているから(少なくともその建前)、ツーカーの世界なのだ。以心伝心の世界なのだ。「いい!いい! なんにも言わなくても、み~んなわかってるよ!」という世界だからだ。お互いの相違点を浮き彫りにすることはしない。お互いの共通点だけを強調して安心しようとする。みんな同じだ、同質だと思いこもうとする。「いや、まだじゅうぶんにわかっていただいているとは思えないから、私の説明を聞いて下さい」と言うと、「あいつは理屈っぽい男だ」と言うことになる。「俺に任せておけばいいのに、いろいろ条件を付けるなんて俺に反感でも持っているのか」と思われたりする。欧米では他人に論理的に説明できる能力は必須なのだが、日本でそれを濫用すると小難しいヤツ、大人げないヤツになりかねない。「目は口ほどにものを言い」と言う世界では、口=言語による表現力は、杉良の流し目ぐらいの機能しか持たないわけである。 ―――― ◇ ――――日本人はこのように、皮膚感覚的非言語性コミュニケーションだから、その基盤となるところの「相互理解=ツーカーの世界」が絶対的に必要となる。議論をするにもまず相互理解という段階を踏んでから入る。具体的にはビジネスの打ち合わせより先に、接待が大切だ。飲み屋で一杯飲んで、「肝胆相照らす仲」になれば、あとはスムーズな一本道が待っている。この段階までが商談の実質的な努力を必要とする部分で、この山を越せば、それ以降は細かい条件の微調整だけとなる。(ちょっと誇張はしているが)その相互理解というプラットフォームの無い世界での日本人は弱い。例えば外国人と交渉する場合には、初めからセットされた相互理解など無いから、四苦八苦することになる。相互理解の甘い世界に慣れているから、激しい利害が対立する論争で勝利を得るような鋭い論法やディベート技術を持たない。初めからあきらめムードでもある。ちょっと極論過ぎたかな?「お前は日本人じゃないのか?」って言われそうだが、もともと家族にまで「外国人!」と言われている私だから、いいんだ~。
2004.03.08
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msk222さんの日記を読んだら、同窓会で友達の老けぶりに驚くとあった。同級生を見てその老けぶりに、またはオッサンぶりに「ギョッとする」のはよくあるという。同窓会というものはお互いに「ギョッ!」「ギョッ!」ばかりかもしれない。私は同窓会には近ごろ行ったことがないが、会社の独身寮時代の寮生などに会うとその変貌ぶりにビックリすることがある。昔は若々しくてやんちゃで寮の中で暴れていたヤツが、なんだか、ぼけ~っとした、感性の神経をすべて抜かれたような・・・(そこまで言うこともないか)、そんなオッサンになっているのを見ると驚く。実は向こうも驚いているかも知れない。今ごろ「alexには驚いた」、そんな日記を書いているかも知れない。恐ろしい。ここで私の秘密を明かすと、私は不思議なことに心の中ではまだ青年なのです。(♪馬鹿は死ななきゃ~・・・)心理療法の一つに「退行療法 Hypnotherapy 」というのがあるそうで、意識としてその人の若い頃に、もどったものとしていろいろその当時のことを回想させる、そうしてその人の心の傷を探るものらしい。私も欧州で妻の友人(セラピスト)にそれをやってもらった。そのころ悩みがいろいろあって。その悩みの一つは妻との関係だったりして・・・。(これが冗談めかして真実を語る手法だ)セラピストの彼女、すご~く美人で・・・。ハグをするのが楽しみだった。・・・ あっ、そういう話じゃなかった。「あなたは、心の中で「何歳のつもりで」いつも暮らしているのか?」といきなり聞かれて、あらためて考えてみると、私はそのころ20代の意識でいることに気がついた。まさかこんな幼稚な人はこの楽天に来てはいないでしょうね?私は治療を受けなくても初めから退行してしまっていたらしい。だから心はいつでも若々しい青年。時には少年の時もある。(これはちょっとみっともないかな?)いたずらと冗談が何よりも好きなんて人間は、こんな精神年齢でないとやっていけない、本当のところ・・・。しかし、こんな私も企業に勤務していた頃は、さすがにちゃんと実年齢に近いふつうの意識年令だったのでご心配なく。彼女の怪しい誘導に身をまかせている内に、だんだん退行し出して(つまりもっと幼稚になって)(ただし催眠状態などではなくて会話をしているだけ)、ついに赤ん坊の頃を想い出した。その想い出というのは、今となっては真実の想い出なのか? 潜在意識を引きずったデジャヴみたいなものなのか? よくわからないんだけれど、とにかく、赤ん坊の私は乳母車に寝かされていて、そばにはだれもついていなくて一人なんだが、夕焼けの空をカラスが群れで帰って行く。父が大阪市内から郊外の住宅地の外れに家を建てた私の家は、すぐ後ろに山が迫っていて、その山にカラスが群生していた。そのカラスたちに私は「カー カー」とよびかけている。その時祖母が外出から帰ってきたのが記憶の中に入ってくる。両親に聞いたら本当にそういう事が多かったようだ。結局、時間も無いことでそのセラピスト(すごい美人 重ねて強調)、からの退行療法はそれまでとなって、私の心の中の深い傷は探り当てられないままに今も赤い血を流しているのだが(こんなところだけ文学的になる)、自分の意識年令は何歳なのか? ということもなかなか注目課題だと思った。 ―――― ◇ ――――NHKラジオ深夜便でなんと、ジョン・コルトレーン JOHN COLTRANE の特集をやっている。モダン・ジャズの巨人のひとり。私も大好きなんだが。特に今演奏中の My Favorite Things はいいな~。しかしこの曲がジュリー・アンドリュースの「サウンド・オブ・ミュージック」になるとMy Favourite Things となる。英国英語では u があるので。
2004.03.07
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私の文章はどうも私の実年齢より若いらしくて、今回戦争体験を日記に書いたところ、「意外に年寄りなんだな~」という声がとても多くかかる。私は若ぶっていた訳でなくて、こんな書き方が気持ちよくて書いているだけなのだが、みんなにそういわれるのなら私の文章は私の年代の典型的なものでは無いと言うことになる。また文章で実年齢より若いと判断されたと言うことは、文章・文体に年代差があると言うことにもなる。ある程度はそういうことも言えると思う。極端な例を考えれば、夏目漱石か森鴎外のような文章と楽天日記で時々見かける高校生の日記などの文体の差を考えればすぐわかるのだが、私にそういう声をかける人は40・50代の人が中心だ。私と最大限20才も違わない。私としてはそれほどの年代差とも思わないのだが、言葉の世界では10年一昔らしい。考えようによれば日本語はそれほどのスピードで変化しているとも言えるが、これが10代・20代の人の間ではもっと加速度的な変化が起こっているのではないかと思う。やはりパソコン・携帯電話などの発達でコミュニケーションの形態が大きく違ってきた。それに伴って言葉も変化してきた。もちろん若者文化の変化もそれに拍車をかけていると思う。ただ我田引水だが、言葉の若さというものは精神の若さ、思考の若さでもあると思う。いわゆる高感度人間という人がいる。好奇心が強くて、新語や新しいファッションや風俗やセンスなどに敏感で、またそれが大好きで、すぐ自分の知識としてとりこむ人々のことだが、私も好奇心だけは強いので、ボロボロではあるがアンテナだけは持っている。あまりそういう社会の変化に興味がない人の言葉は、自分世代そのままに古びて加齢してゆく。その点、私は若い人の文化を少しではあっても吸収して、私世代の典型よりは言葉感覚が若いのかも知れない。それがいいのか悪いのかは別問題として、また若い言葉づかいであればいいと言うものでもないが、それが現実だとすれば、言語感覚の基盤になる精神の若さは大事だと思う。 ーーーー ◇ ーーーーついでに老人という問題を考えてみたい。老人というと、世間の人は意識するとしないにかかわらず、もう老人というだけで人間として能力的に半人前とみるような風潮がハッキリある。老人と言うだけで、過度に同情したり、憐れんだり、卑しんだりする。「おじいちゃん」とか「おばあちゃん」という風に呼ばれるようになる。男性など定年で退職したとたんに「おじいちゃん」と呼ばれる訳でこれはショックだろう。60やそこいらで老人ですか?今までバリバリ働いていたのに、60になったとたんに、いきなり花咲爺さんのようにヨボヨボになる訳も無い。それなのに「ワシはの~・・・」とか「そうなんじゃ・・・」とかいう、典型的な老人言葉を使わなければいけないのだろうか?これは私の実感で言うのだが、本人としては今までと何も変わらない。病院で寝たきりになっている訳でもない。体力的には少し性能が低下してはいるだろうが、その辺の若い人より精神面では能力的にも経験的にも遙かに上だと思うことも多い。それでも無理矢理に「老人」というラベルをベッタリと額に貼られて「おじいちゃん」と呼ばれるのだ。「オヤジ」という、なんだかギャルに嫌われているキタナイ生き物がいるそうだが、それをやっと卒業したと思ったら今度は「ジジイ」という被差別生き物になるのだ。ここはジッとがまんだとも思うが、思わず「馬鹿にしないでよ~~」と、山口百恵ちゃんのようにつぶやきたくなる。ただ、本当に始末が悪いのが一部の中年・老人自身だ。自分自身のことを「老醜」だとか「年をとったら世間に出ない方がいい」とか言う人がいる。老人を一番差別しているのがこういう人々なのだ。こういう老人にならないようにしたい。うんと興味深い本を読んで、面白い映画を観て、心に若さの栄養を与えながら、ゆっくりと年令を重ねて行こうと思う。肉体的な加齢は仕方がないが、精神の若さや好奇心の強さでは若者を凌駕してやろうと思う。若々しくてしなやかな文章を書けるように感覚を磨いて行きたいと思う。(ちょっとえらそうだったかな? 今日は) ーーーー ◇ ーーーー小泉首相の「日本へ投資して下さい」という国際社会へのPRビデオを今、テレビで放映していたが、あの発音ではロンドン大学留学の経歴疑惑が出るのもやむを得ないな。ブッシュ大統領と差しで話していると言うが、どの辺まで通じているのかな? ーーーー ◇ ーーーー例の昭和4年、大日本講談社発行の「修養全集」の俚諺より。上のみ見て歩く者は平地につまずく一本の毛でも影を持つ自業自得千句に一句こけの一心恩を仇でかへす上に上有り老いの繰り言馬鹿丁寧帰らぬ昔銭は銭だけ六十の手習大口をあけると腸(はらわた)が見える
2004.03.06
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一昨日私はライターのタラナイさんのBBSへ書き込みをしていたのだが、それを読んだ同じくライターのミドル英二さんが私のすぐ後に「alexには戦争体験があるのか、それなら彼の日記を読み直してみよう」と書かれていた。それを読んで私は今まで自分の戦争体験を何も日記に書いていないことに気づいて、はっとした。実は他人のHPのBBSなどには戦争体験や戦後の社会情勢の印象・記憶などをボチボチ書いてはいたのだが、意識的ではなく、話し合いのプロセスとしてのものだった。これまでの日記は自分の本フェチぶりや、商社マンとしての海外体験などをダラダラ書いてきただけなのだが、他の人のBBSでの憲法改正などについての語り合いの中で徐々に私の戦時体験それに戦後体験を見返さなければいけない状況にはなっていた。新憲法・平和憲法の成立した当時のプロセスや、その時それを日本人がどう感じ、どう受け止めたのか? そういう現行憲法の身上調査もしておかないと憲法論議ができない。加えてその時はあるサイトでの、米軍の日本空襲という残虐非道な行為に関する義憤にあふれる告発も、私の戦争体験の記憶を刺激して、多少興奮気味の内容をタラナイさんのBBSに書いていたのだ。いずれにしてもこの時代に、戦争中や戦後の実体験を知る程の年令の人間は希少動物であることだけは確かだ。それに小泉純ちゃんなどはネット日記など書かないだろう。そんな点でもこの年令で楽天日記を書いている私には、多少の希少価値があるかな? この私にも、みなさんには書けない、しかし私からはみなさんに知らせるべきことがあるのだ。そんな点を一瞬にして指摘したミドル英二さんのジャーナリスティックなアンテナというものは、あらためてすごいと思った。 ―――― ◇ ――――ちなみに私は小泉純一郎首相とほとんど同年齢だ。ほんの少し若い・・・と言うことにしておこう。あと女性で私と年令の近い人達もチラホラいるのだが、ここに勝手にお名前を出しては失礼に当たるかも知れないので控えよう。一国の首相とただの老人ではずいぶん乖離があるが、そんなことは無視して、戦時中の記憶がある人間の一人ということで、戦時中および戦後の個人的な記憶をこれからときどき書いて行きたいと思う。平和だ戦争だ憲法だと言っても、今の若い人達は何も実感も無しに語っているのだから。 ―――― ◇ ――――私の戦争体験と言ってもまさか従軍してインパールで死ぬ思いをしたなんてものではない。終戦時は2・3才の幼児で、防空壕にひそんでいただけだ。ただ生死の間際の記憶というのはそんな幼児でも断片的ではあるが鮮明に覚えている。私は大阪市内の生まれだが、戦争中に一家が郊外に移った。爆撃を避ける疎開の意味があったと思う。疎開と言う言葉さえ今の人々は知らないだろうと思う。戦火を避けて安全だと思われる場所に避難・移住することだ。私が気がついた時には自宅の横に防空壕が出来ていた。英語で言うとシェルターという。防空壕にもいろんな形状のものがあると思うが、私の家の防空壕は大きな穴を掘って、材木やトタン屋根をかぶせ、その上に土を盛った、至極粗末なものだったと思う。爆弾が直撃したらひととまりもないが、爆撃機の目から逃れる機能は多少あったかも知れない。米軍機が近づくと空襲警報が発令になる。具体的にはウ~~ゥというサイレンが鳴る。そうすると一家全員防空壕に飛び込む。空襲警報が解除されるまで防空壕で過ごすことになる。今も覚えているのはある空襲警報で防空壕に飛び込んだ時の光景だ。暗い中で母が赤ん坊の妹を毛布で蓑虫のように巻いて(春巻きのようにと言った方が今は通用しやすいかな?)かかえていた。片隅には貴重な食料のサツマイモの煮たものが鍋に入っていた。これが当時の我が家の食事なんだが、煮たサツマイモだけなのだ。他に何もない。その内に、祖父と父が防空壕の外に出た。二人して双眼鏡でちょうど飛来した米軍の爆撃機をながめた。それは B-29 という、当時としては巨大な「空の要塞」と呼ばれた戦略爆撃機で、もうその当時は日本の対空戦力は壊滅していたから高射砲も撃たないし、迎撃戦闘機も飛び立たない。まったく無敵状態で、その銀色の巨大な機体は悠々と飛行していた。そのうちに B-29 が祖父と父を見つけて機関砲を発射してきた。肉眼で人間を見つけることが出来るほど低空で飛行していたのだ。日本の防空体制をなめきって。祖父と父はそれこそ命からがら防空壕に飛び込んで来た。しかし母の話ではその後、戦闘機が低空で飛来して、射的気分なのか?畑のニワトリを撃って行ったという。操縦席の防風の窓越しに操縦士の顔が見えるほどだったという。あるHPによると操縦士の顔がみえるほどの操縦席の風防持つ戦闘機はロッキード・ムスタングだという。プロペラ機最後の、完成された究極のプロペラ機だ。他のHPを読んでいたら目撃談があって、赤ん坊を背負っていた若い母親を撃った戦闘機もあって、赤ん坊の頭が吹っ飛んだそうだ・・・ ・・・。親戚に聞いた話では、徳島市も大空襲に会い、街中火の海で人々は灼熱の炎に追い立てられ、火傷が熱くて吉野川に次々飛び込んだという。その人々まで米軍の戦闘機が機銃掃射していったという。 ―――― ◇ ――――パール・ハーバーという日本軍の真珠湾攻撃を題材にした映画が二・三年前に日本で大ヒットした。この映画では真珠湾を攻撃した日本の戦闘機が、軍施設ばかりか小学校や病院まで銃撃することになっているそうだ。こんなのは全く事実無根で、英米側の人種差別的なねつ造なのだが。私はこんな映画なんか見たくもないので見なかったのだが、日本の若者は「カッコいい!」と詰めかけて大ヒットになったそうだ。 ―――― ◇ ――――防空壕の中ではそれほど恐ろしいとも思わなかったのだが、今でも悪夢にみるものがある。防空壕にいるのに何か大切なものを家の中に忘れたのだ。両親が止めるのも聞かず防空壕をとびだして、家の縁側に飛び乗って茶の間のガラス戸を開ける。見上げると、そこに見えるのは柱時計。それだけの夢なのだが繰り返し見る。私の家の庭に銀紙が降り下りた。正確に言えば銀色のアルミテープがどさっと落ちてきていた。B-29 は無敵とはいうものの、それでも一応は日本のレーダー設備に対する警戒もあってレーダー波を乱反射させて攪乱するためにこのアルミテープを大量に撒いたのだ。夜など空襲警報のない時でも燈火管制というものが敷かれていた。夜、電灯をつけると爆撃機の目標になるからと言うことで、電灯の笠を風呂敷で包む。これで電灯の光が細く真下だけを照らすことになる。昔は一部屋に電灯は天井に一個あるだけだった。それも60ワットかそこいらの侘びしい光だった。蛍光灯などはまだ発明されていなかった。潜水艦なんかには使用されていたような記事を読んだことがあるが一般家庭では、丸い笠に40ワットか60ワットの電球。それだけだった。その真下にちゃぶ台という丸いテーブルがあって、高さが30センチほど、脚は折りたたみ式だった。中央にコンロなどのための切り込みがある。ちゃぶ台、それは食事時のテーブルであり、一家団欒の場そのものでもあった。風呂敷に遮光された電球の光の下で一家三代合計六人が息をひそめていた。電気スタンドは一つだけあったのを覚えている。便所の電灯は20ワットと決まっていた。 ―――― ◇ ――――ある夜、二階からながめると遠い街が(今から思えば尼崎市あたりだったと思う)が米軍の空襲で真っ赤に燃え上がって空まで赤かった。実は終戦(敗戦と正確に言おう)の次の日には、私達の町が空襲の対象になっていて、その予告ビラが米軍機からまかれたという。その日、父は母に「俺だけは残るから、お前はこども達を連れて山に逃げろ」と言ったという。
2004.03.05
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昨日の王女の処刑物語の日記は本当はもっと長かったのだが、私なりの編集過程でまちがって短くなったまま書き込んでしまった。そういうわけなので今日は昨日の続きと言うことで、同じ話題から初めてみる。 ―――― ◇ ――――サウジアラビアの今の王朝の創始者、サウド王(3代前だったかな?)は、無類の絶倫で、百人以上の子供を産んだ。もちろん同一の母親ではない。イスラム法では4人まで妻帯が許されるし、入場制限無しの「ハーレム」というものもある。その結果、サウジアラビアのいわゆる王子・王女達は数百人いると言われて久しいから、今ごろは千人を超えているかも知れない。この数多くの王子達が権力争いをするのだから、サウジという国も将来はなかなか大変だと思う。私もサウジアラビアのペルシャ湾側の対岸の島国、バハレーンのホテルのバーであるサウジアラビアの王子と仲良くなった。サウジアラビアは完全禁酒国だがバハレーンは歴史的に英国海軍の基地であった歴史があり、欧州文化との接触の歴史があるのでイスラムのタブーにも比較的寛容な土地で、ホテルでなら酒がでる。その若い王子は気がいい男で、サウジに来たら俺の家に来いとしきりに誘ってくれた。護衛らしき大男が二人ほどいた。 ―――― ◇ ――――しかし数は多くとも、直系・本家ではなくても、とにかく王女は王女である。しかも既婚の王女が平民の男と恋に落ちた。平民といえどもある国への大使の甥で名門の人間といえるのだが。致命的なのは、彼女が男装して国外逃亡しようとして空港で逮捕されてしまったことだ。この事件は後ほど英国のテレビドラマにされた。もうひとつ、この処刑の現場にある英国人のジャーナリストがいた。昨日の日記で書いたことだが、首切り広場を囲む数軒のホテルのどれかの窓からぐうぜんこの処刑の瞬間を見つけて、とっさに自分のコダックカメラでこの場面を盗撮、英国に持ち帰ってから雑誌に投稿した。私もこの写真を見たがプロのフォート・ジャーナリストでは無いから、カメラもいわゆる○○チョン・カメラでとったものだから、鮮明ではないがその場の雰囲気は見て取れる。ただし処刑の瞬間のものではなかった。それを掲載すると今度はその雑誌がサウジ政府から厳重な抗議を受けるからだろうが。この二つの事件はのちのち大きな話題になり、英国とサウジアラビアの関係が一時極度に険悪となった。大使を召還するしないの大事になった。 ―――― ◇ ――――サウジアラビアというのはアフリカ大陸とユーラシア大陸の間にある幅広い大きな半島、アラビア半島にある。この処刑が行われた都市ジェッダは、サウジアラビアの西側、紅海沿岸の最大の商業都市である。その紅海をはさんで対岸はアフリカ大陸である。サウジアラビアは産油国の中でも産油量の最も大きな金持の国だ。金満の国と言ってもいい。豪壮な住宅はある。しかし、水電気という基本的な生活工業設備、いわゆるインフラが、以前は不足していた。だから、超大型の発電所プロジェクト、海水淡水化プロジェクトがゴロゴロしていた。サウジアラビアに限らず、中東の産油国は同じ様な状況だった。だからプラント・プロジェクト部に所属していた私は、サウジアラビアをはじめ中東産油国に何度も長期出張を繰り返して、受注して大喜びをしたり、受注を逃がして失望したり、そんな生活を繰り返していた。そんな話題をまた書くことにします。
2004.03.04
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1977年、サウジアラビアのある王女が処刑された。彼女は既婚者である上に平民の男と恋に落ち、男装して海外に逃亡しようとしたが発覚して処刑された。罪名は姦通罪だったと思う。なんでも処刑場に連れ出された二人はすでに鎮静剤を大量に打たれて意識朦朧としていたという。王女は銃殺、男は斬首された。通常、アラブでの姦通罪での処刑は石打刑である。息が絶えるまで民衆に投石されるのだが、一方の罪人が王女だから、温情の特別処置だと思う。 ―――― ◇ ――――私はこの王女が処刑された街、ジェッダに何度も長期出張していたが、タクシーなどで事務所から宿舎へ帰る途中に砂地の広場があってその広場を取り巻くようにカフェテラスが並んでいる。この広場は首切り広場と呼ばれていて、処刑が行われる場所でもある。中東では処刑も娯楽の一種である部分がある。日本でも江戸時代の処刑場では、竹矢来の外は野次馬で一杯だったと言うことだ。ある出張でジェッダに入った時にはまともなホテルに空き室がなかった。仕方がないのでこの首切り広場に面したホテルに宿泊した。 ―――― ◇ ――――もともと昔の中東はどの大都市でもヒルトンぐらいしか外国人が宿泊できるまともなホテルが無く、しかしそこはいつも満員でなかなか宿泊できなくて、大変な苦労をした。その代わりいったん宿泊してしまえば、何しろヒルトンだからなんでも豪華版。少し時代が経ってヒルトン以外にシェラトン・インターコンチ・その他有名ホテルが増えたが、まだ現地のホテルとはあまりにも格差があって、ビジネスマンはみな一流ホテルに宿泊していた。おかげで私も一流ホテルの宿泊歴だけは、たいていの人よりは上だろうと思う。 ―――― ◇ ――――ただこのホテルは典型的なアラブの商人宿で、窓は小さいものが高い所にあるだけで、建物の外は強烈な陽光だが、ホテルの室内は薄暗い。監獄といってもいいような室内ではある。家具もベニヤ板の安っぽい洋服ダンスがあるだけ。中には針金のハンガーが二・三個ぶら下がっている。それに紅海沿岸は湿気もすごいから、ひどくかび臭い上に、あまりシャワーを浴びないアラブ人の汗だらけのすえたような、苦いような体臭が鼻をつく。しかし、こんなホテルには慣れている私だから、ベッドにドンと身体を投げ出したが、おどろいた。ベッドの底が抜けて、身体が沈み込んだ。みなの汗がベッドのスプリングを錆びさせて、ついに底が抜けたらしい。部屋の隅にもう一つある粗末なベッドで寝ることにした。しばらくしてベランダに出てみたら首切り広場が真下に見える。処刑は金曜日に行われると言うから今日は静かなようだ。その内にはてな?と思った。例の英国人ジャーナリストが盗撮したのはこの首切り広場廻りのホテルの一つのはずだが、ひょっとしたらこのホテルかも知れないと思った。 ―――― ◇ ――――もうひとつ王女の恋物語がある。場所はサウジアラビアではなくて、対岸の小島のバハレーンである。女性はバハレーンの首長の親戚の王女。男性は米海兵隊員。ショッピング・モールでお互いに一目惚れで恋愛関係に入ったと言うことだが、そんなことが果たしてあり得るのかな?私は個人的には疑問なんだが。バハレーンは小さな島国なのでバスに乗った経験はないが、サウジアラビアではバスの中が二つに区切られていて男女は七歳以下でも席を同じゅう出来ない。だいたい女性は黒いベールで顔を隠していて、見せてもいけないし見てもいけない。われわれはカラス天狗と呼んでいたが黒いマスクをかぶっている時もある。ただ、サウジの美女を近くで拝める秘密の場所がある。一流店の化粧品売り場だ。そこでは上流階級のお嬢様・奥様達がベチャベチャ、ピーチクパーチクとおしゃべりし、化粧品を試し塗りしながら鏡をのぞき込んでいる。日頃のたしなみの黒いベールで顔を隠すこともせずに・・・。彼女たちはさすが美女を集めたハーレムのDNAが生きてて美女ぞろいだ。黒髪に黒い瞳だから、イタリアの清純な女優さんと言ったおもむきだ。イタリアと言ってもゲルマンの血が混じる北イタリアではなくて、アラブの血が混じるいシチリア島で見た美女たちによく似ている。バハレーンの海兵隊員もきっと化粧品売り場で彼女を見そめたのだろう。イスラム法ではイスラムの女性と異教徒の男性の結婚は禁止されているから、私がイスラムに転向したら理論的にはこの美女達の一人との結婚も可能となる・・・。チラッとこういう考えが頭に浮かんだこともあったが、イスラムに改宗するまえに首をちょん切られたかも知れない。首まで地面に埋められて、石を投げられて惨死したかもしれない。やはり私の人生はこれでよかったのだ・・・。
2004.03.03
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私のところにも、「やっと」、今話題の詐欺メールが来た。そのemailの全文をみなさんにコピペしてお見せしよう。 ―――― ◇ ――――あなたが支払いを延滞している下記サイト運営者より、あなたの氏名調査・所在調査及び集金代行の依頼がありました。この( alex注:=この箇所に私のメルアドがありました )の電子メールアドレスから氏名調査・所在調査を行い、平成16年3月7日(日)までに正式な関係書類を持参の上、あなたの自宅に訪問致します。■依頼日時 :平成16年2月26日(木)23:32 ■調査対象 :(alex注: この箇所に私のメルアド)の電子メールアドレス使用者及び契約者 ■調査理由 :自動延長システムによる利用料金の発生と滞納 依頼者からの情報 ■登録日時 :平成15年8月23日(土)23:43■登録ID :(alex注: この箇所に私のメルアド)■SITE名 :GALGAL ■商品名 :銀行振込後払い会員180日パック ■期間 :自動延長システム180日 ■料金 :¥36,800 ■延滞利息 :年利14.5%支払い窓口■E-mail :infosiharai@fastmail.gr ―――― ◇ ――――「あなたの自宅に訪問致します」というのは親切。訪問の際には、警察の方とご一緒にお迎えしたいと思う。この支払窓口emai末尾の gr というのはギリシャ。ギリシャのメルアド(恐らく自動転送)を使って身元を隠している。 ―――― ◇ ――――この詐欺メールのおかしい所は1) 偶然、他のサイトでやはりこのメールを受け取ったと書いている人がいた。文面もすべて同じ。使用したとするサイト名もおなじ「GALGAL」。請求金額も全く同じ¥36,800。入手したメルアドに片っ端からメールを発信しているらしい。なかにはパニックになって簡単にひっかかる、うかつで後ろ暗い人もいるのだろう。2) このemailによれば、私は昨年の8月23日の夜11時43分に「GALGAL」なる有料サイト(恐らくポルノサイト)をのぞいているらしい。私もむかしポルノサイトをのぞいたことはあるが、今は改悛して、完全更正している。って言うか、今は全然観ていない。3) それに有料サイトは絶対に見ない。例外は無い。4) それに私は日本のポルノサイトは見ない。レンタルビデオでも同じ事で、同胞女子の多汗奮闘ぶりはどうも生臭くていけない。 ―――― ◇ ――――そういえば以前に私の私書箱宛てに、変なinfoseek mailが届いた。~~~~~~~~~~~~~はじめまして。私は、テレビ局に勤めている者です。実は現在、「すみれの花咲く頃」を中心に、宝塚歌劇について取り上げようとしております。alex99さんの日記の中で、「白いリラの花がまた咲く頃」が原曲であると、詳しく書かれてありました。そこで、その情報はどこから手に入れられたのか、是非教えていただきたく、メールさせていただきました。よろしくお願い致します。~~~~~~~~~~~~~こんなe mailなんだけれど、よほどおかしい。・私は私の日記で「この情報はネット検索で入手した」と書いているのに、この人は情報の入手先を聞いている。・テレビ番組をそのテーマで企画している程に関心があるはずなのに、そのテーマの最低の情報さえ知らない。・テレビ局はそれなりの調査力を持っているはずなのに、どうして私などに頼るのだ?・テレビ局の局名を名乗っていない。・自分の部課名も名乗っていない。・宝塚歌劇団に取材もしていないのか?そんな疑問を感じながら、私はうかうか返事をしてしまった。もちろんお礼のメールなんか来ない。とにかく、この質問者は私の返信メールから私のIP・メルアドが取れたわけだ。私は今までこの質問者が私の意見に反感を持つどこかの団体だと思っていたが、今回のこの詐欺メールを送ってきた連中かもしれないと思っている。自宅訪問というのは脅しで、パニックになった人がこの支払窓口にメールしたら、銀行振り込み口座を指定してくるのだろう。もし催促が来たら警察に知らせるつもりだ。次回は、こんな詐欺メールよりもっと恐ろしい、私たちのPCに侵入して情報を盗むスパイ・ウェア(ソフト)の話を書こう。
2004.03.02
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欧州というのは案外治安の悪いところだ。私の同僚のパリ駐在員が帰宅したらフラットが荒らされて、ゴッソリやられた事がある。それも一度目ではなかったという。フラットのドアをドアごと外して侵入する手口が多い。これを防ぐために、共産党独裁が終わって治安が悪くなった東欧などでは、ドアを金属製にして、ドアを外しにくい構造にして、その上に特殊な錠を数個つける工事をしてくれ業者がいる。こじ開けようとするとそれを感知して、大音響の痴漢よけのグッズみたいな音を発するセンサー装置もつける。刑務所のような鉄格子をドアの前面に設置する万全の方法をとっている人も多い。それに加えて、大型の猛犬を室内で飼っている人も多い。これは効果的。実益のあるペットという訳だ。 ―――― ◇ ――――日本では外国人の強盗事件が多発している。外国人と言っても、先ず日本の暴力団が下見と手引きをして、それから外国人が実行犯を担当するという。外国人強盗団は必ず「カネ!カネ!」と片言。これでは不便なので、こちらが外国語を勉強しよう。防犯のため、莫大な資産を守るためにはそれぐらいの努力を惜しんではいけない。数ヶ国語をマスターしよう。ただ相手が漢字を理解する国からの遠征団である場合はラッキーだ。筆談という手段がある。例えばこのように書いて、相手側の理解を求める。「我、苦悩、極度的貧乏。 我家金銭不在。 真実!真実! 汝比較的金持的強盗。 我欲ス、汝之金銭」(そういう問題じゃないか)
2004.03.01
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