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昨日、Google の「ウェブ全体から検索」で英語サイトをひいていたら、いつの間にか日本語への翻訳サービスがついています。英語以外の言語に対しては、このサービスが無いようです。まだベータ版(試作版)のようで、翻訳のレベルはお粗末で、参考になるかどうか?ギリギリと言うレベルですが。 ★ ★ ★ ★ ★ ★小西甚一先生の「国文法ちかみち」という名著も買うことにした。国文法ちかみち改訂版 洛陽社(せっかく楽天ブックスをリンクしたが、楽天ブックスでは現在「品切れ」になっている。アマゾン他の通販書店では「品切れ」ではありません。念のため。)以下は「国文法ちかみち」にたいする某サイトの書評です。――――――不朽の名著「古文研究法」と共に、この本は国文学、ひいては日本語そのものを考察するに希有な一冊であり、この頃、巷にあふれる「ニホン語本」の愚を知らしめる鉄槌である。もちろん、この本は大学入試を控えた人用に著しているのだが、自覚と誠実をもって日本語を扱う人たち全ての参考書の基礎中の基礎であることは疑いもない。 歴史的仮名づかいのための五十音図を一分十五秒で書け、なんて言われて書けますか?――――――不朽の名著「古文研究法」と並び称される本らしい。これだけで私はグラッと来る。「この本は国文学、ひいては日本語そのものを考察するに希有な一冊」もっとグラッと来る。「自覚と誠実をもって日本語を扱う人たち全ての参考書の基礎中の基礎」私も「自覚と誠実」には自信がある。「歴史的仮名づかいのための五十音図を一分十五秒で書け、なんて言われて書けますか?」書けません! キッパリ!この本を買ういいわけを思いついた。私はそもそも毎日こうして、日本語で書いているのだから、日本語の文法ぐらいは少し知っておいた方がいい。それに小西先生の名著とあれば買わねばならない。 ~~~~~~~~~以前、日本語を何とかしようと思って、名著と言われる朝日の本多勝一氏の「作文技術入門」を読んだが、ほとんど感銘しなかった。実用的にも、これは役に立ったという個所がない。ただ、ある彼の屁理屈を思いだした。彼は VIETNAM と言う国をヴィエトナムと書くのはおかしいという。ヴィエトナム語は複雑な言葉で、どうせカタカナでは正確に表記できないのだから、「一般に通用してきたベトナム」を使用すべきだという。正確な表現を忘れたけれど、「ヴィエトナムと書くのはエセ教養主義だ!」、などと非難していた。なんだかイデオロギー臭が漂う口調だ。「悪かったね~、本多さん」と、私は心の中でつぶやいた。私は通常ベトナムと書かずにヴィエトナムと書くからだ。それは、私が若い時に、ヴィエトナムに駐在となったことがあり、そこでちょっとヴィエトナム語を習ったことがある特殊な事情からだ。中国語は平仄として4声ある。つまり、おなじ ma という音でも、4つの音程(というだけでもないんだけれど)があるということ。ということは ma という音で、少なくとも4つのちがった単語があるということになるんだけれど。ヴィトナム語は6声ある言語だ。もっとも北のハノイは6声だが、南のホーチミンなどは5声になる。それに VIETNAM である。古くは漢字文化圏であったヴィエトナムは「越南」という漢字で表された国だった。VIET は「越」に相当する。NAM は「南」に相当する。VIETNAM語を学習した私としては、どうしてもベトナムとは書きたくない。あくまでヴィエトナムなのだ。下唇に上の歯をかぶせた「ヴィー」の音なのだ。なお日本人は「V」を「ブイー」とか、よくても「ヴイー」というが、「V」は「ヴィー」です・・・、って、何を言ってるのかわからなくなったが。ヴィエトナムを走り回っていた本多さんだが、私は多分、彼はヴィエトナム語の「正確な」発音はできなかっただろうと思う。(私は何語でも発音だけは結構いいのだ)どうして私がそう推察するかの根拠を示そう。苦労してヴィエトナム語を学習したら、「V」と「B」のちがいはとても重要なことだ。6声の抑揚と同じように。VIETNAM と非常に注意して正確に発音しようとする。ましてや毎日話す「VIETNAM」という言葉を、「ベトナム」とは、どうしても発音できないはずだ。それに在ハノイの日本大使館のHPも「ヴィエトナム」と表記しているぞ!(私もしつこい)私は、ヴィエトナムで、ついでに?広東語とフランス語を習った。といっても、この語学はみんな、ほんの初歩で終わってしまったけれど。この広東語の先生とフランス語の先生は、二人ともすごい美人だったな~。(また別方面に戦線拡大しそうなので、ストップ)本多氏はそのあげくに、腕時計の本多氏独自のカタカナ読みを提唱する。「一般に用いられている」「ウォッチ」は、「ワッチ」にすべきだというのだが・・・、この人・・・。 ~~~~~~~~~本多氏の悪口を無事に終了できたので、次の話題に移ろう。昨日のアクセスが900を越えているが、こういうことはめったにない。まさか、古文がテーマと言うことが原因では無いはずだから、これはどなたかゲストさんが、私の日記を、初日の分から一日分ずつ読んでくれているからじゃないかな?ありがとうございます。それと総合カウンターが100,000を越えたことを、昨夜、楽天からの通知メールで知った。アクセスは気にしないなどとえらそうなことを言い、数日間、日記を書かないこともあるが、申し訳ないことに、私も毎日のアクセス数だけはだいたい見ている。しかし、通算のアクセス数なんて注意して見たことがなかったのだが、さすがに通算100,000アクセスは、10進法反対論者の私も(別に何の根拠もないのだが)、一応の区切りと思う。そうか、来年の1月6日でちょうど満一年になる。ということで、これではなんだか、まだ、古文を続けなければ裏切りのような気がして、今日も古文研究法のお勉強を続ける。 ~~~~~~~~~繰り返しになるが、古文研究法の目次(=構成)は下記のようになっている。 ★ ★ ★ ★ ★ ★第一部 語学的理解========一 語彙 イ 中古的語彙 a 現代語にないもの b 現代語と意味のちがうもの c 中古語の整理 ロ 中古語以外の語彙 a 古代語 c 中世語 d 近世語二 語法と解釈 イ 助動詞 ロ 助詞 ハ 呼応的語法 a 慣用の言いかた b 係り結び 二 文の組み立て a 主述関係 b 並びの修飾 c はさみこみ d 倒置 e 省略 f 会話部分 ホ 敬語法第二部 精神的理解========一 古典常識イ 生活 a 衣服と調度 b 住宅と庭園 c 暦と時間 d 中古貴人の一生ロ 社会 a 政治のしくみ b 教育と学芸 c 経済および貨幣ハ 宗教 a 仏教の言葉 b 中古貴族と仏教 c 陰陽道と方違へ d 神事二 修辞のいろいろ イ 掛詞 ロ 縁語 ハ 対句 二 枕詞 ホ 序詞 ヘ 切手 ト 季語 チ 譬喩 リ 象徴三 把握のしかた イ 部分の把握 ロ 関係の把握 ハ 要旨の把握 二 内容の把握四 批評と鑑賞第三部 歴史的理解========一 事項の整理 イ 事項年表 ロ 文学精神史の要点 ハ 文学形態 a 叙事詩 b 叙情詩 c 物語の意味d 小説と物語の差e 雑筆f 戯曲g 歌謡二 表現との関連 イ 詩歌系統 ロ 散文系統三 時代と思潮おわりに例題通釈重要事項のまとめ季語表覧索引 ★ ★ ★ ★ ★ ★このうち、いままで下記の部分を大まかに読んできたことになる。------第一部 語学的理解========一 語彙 イ 中古的語彙 a 現代語にないもの b 現代語と意味のちがうもの c 中古語の整理 ロ 中古語以外の語彙 a 古代語 c 中世語 d 近世語------この後は、一気にジャンプして、下記の「文学精神史の要点」で、key words に当たってみたい。------第三部 歴史的理解========一 事項の整理 イ 事項年表 ロ 文学精神史の要点------閑話休題。今、NHKのラジオでラジオ体操をやっているが「いやだな~」。私は不眠症を売り物にしているほどの人間だから、宵っ張りだ。宵っ張りの夜更かしの人間にとって、「元気のいいラジオ体操の音楽」ほど、いやな不愉快なものはない。眠い早朝に「元気よく!」、えらそうに!、強制的に!、掛け声をかける「ラジオ体操のおじさん」を私は憎む!ブリジット・バルドーの映画に「私は夜を憎む」というのがあったかな?あれは「性的欲求不満」のバルドーが「夜を憎む」のだが、私は「朝」を憎む。 ★ ★ ★ ★ ★ ★日記本文の容量もあるから、どこまで書けるかわからないが進んでみよう。先生は、高校生は古文の作家や作品についてはそこそこの知識があるが、そこにどのような文学精神があるかについては、驚くほどあやふやで不確かだという。この文学精神 key words についてはいろんな学説があるそうだが、先生は「私の説明が現在の学界で一番進んだ確かな説を採っている」と断言している。頼もしいかぎりである。【まこと】最初から新撰組ではないが【まこと】なのだ。『自分の心を、かざらず、まっすぐに表現しようとする精神。』これは、日本に限らず、どの国の文学でも、常に根本になるものである。しかしこれは時代にもかかわらない。上代文学は「まこと」の文学だといわれる万葉時代の歌にもすぐれた「まこと」がこもっている江戸時代の上島鬼貫も「まことの他に俳諧無し」と主張している良寛や一茶も「まこと」の作家「まこと」は、他の文学精神と対立し並列するものではなく、一緒に存在するもの。幽玄も「まこと」を根本とする有心も「まこと」にもとづくもの幽玄がビールで、有心がサイダーで(古いな!)、「かるみ」がジュースだとすれば、「まこと」は、水分である。 わかりやすいな、この説明は時には、水だけを飲料とすることがあるように、「まこと」だけが特にめだつ作品もある。そう言う作品を特に「まこと」の文学と称してもいいが、そう言う作品だけが「まこと」を含むと誤解してはいけない。 ★ ★ ★ ★ ★ ★【まこと】について、角川古語辞典で引いてみた。【まこと】 真・実・誠 名詞(1) 真実。ほんとう。実際。 ―(麻許登)かも我に寄すとふ〈万葉集〉(2) 人に対して道徳的に正しく、偽らないこと。誠実。真情。 明かき浄(きよ)き直きーの心をもて 〈宣命〉 もっとも古い現代国語辞典「言海」で引いてみよう。眞 實 名詞〈真事(まこと)の義〉(1) 偽ならぬ事。ホンタウ。ホンマ。正銘。(2) 人二對シテ、深切ニシテ欺カヌ事。信 誠 ★ ★ ★ ★ ★ ★明日以降は、下記の文学精神 key words を、順に勉強してゆきたい。【もののあはれ】【幽玄】【有心】【艶・妖艶】【花】【わび・さび】【にほひ・うつり・ひびき】【かるみ】【おかしみ】【粋・通】ちょっと、ゾクゾクするでしょう?
2004.11.30
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誰も興味を持たないだろうと思う古文の話をシコシコと書いていたのに、アクセスがまだ460以上あったので、のけぞった。実は、「アクセスが多いと、それに束縛されるのは嫌だ」「アセスが減るテーマを書こう」と言う方針を立てて、確信犯で書いてたのだが、その裏目に出て・・・。古文の話題にも興味を持つ人もいるの?信じらん無~い!どうも国文学を専攻したらしいオリーブさんは、誘蛾灯にフラフラと誘い込まれる蛾(失礼!)のように寄ってくるとは思ったが、それに猫のひげさんあたりも(失礼!)寄ってくると思ったが、その他のゲストさんにも結構、古文話題に興味を持った人がいるらしいんだ。めでたいめでたい。(いや、本当は覗いてみただけかも知れない) ★ ★ ★ ★ ★ ★マジな話、私は古文なんか、一生縁が無いと思っていた。岩波のアカデミックな源氏物語その他の古典体系シリーズを200円でまとめ買いしても、こんな豪華本が古本屋の200円均一バスケット本でさらしものになっているのは、かわいそうではないか?と思って買っただけだ。自分が読むとはつゆ知らず?でも、くどいようだけれど、小西甚一先生の「古文研究法」を数十年の時間を隔てて買って、読んで、考えが変わった。古典を読まないで日本語を書くな!「言葉って、こんなに歴史がある、精神のバックボーンがあるものダナ~」、とは思った。言葉に対する感覚がすごく鋭敏になったような気がする。
2004.11.29
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私のネット友達であり、画家・歌人である通称「流れ星」さん、本名星川孝さんが絵画の作品の二人展を開かれます。お近くの方がいらっしゃったらぜひ見に行ってあげて下さい。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ [告知]「大和諷詠~花と女神の十二章~」by稲星浪漫工房(星川孝&稲井直美)場所: 愛媛県松山市/いよてつ高島屋7階/ふれあいギャラリー日時: 12月8日(水)~13日(月)/午前10時~午後6時入場: 無料/開催期間中は無休(専用駐車場も完備)僭越ながら、伊予の国の松山で、二人展を開催します。皆さまのご来場を、心よりお待ちしております☆二人展に興味のある方は、下記のページをご覧くださいませ。http://user.shikoku.ne.jp/retoro/index2-collabo-yamato ★ ★ ★ ★ ★ ★星川さんの絵は私の一番好きな絵です。ノスタルジック美術館は、星川さんの作品が見れる素敵なサイトです。星川さんのサイトの本館、レトロポリタン博物館は、昔懐かしいレトロ感覚一杯のサイト。同じく流星機関は、星川さんの短歌を収納した特殊機関?
2004.11.28
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今日も「古文研究法」を研究してみようと思う。つまりサブノートとダイジェストと私の意訳である。それにしても、現代語の基礎になる古語を調べてみると、なんだか日本語という言語にセンシティヴになるような気がしますね。では・・・。 ~~~~~~~~~「はじめに」国語(古文)は、「日本語だから」ある程度わかるだろうなどというものではない。正しい筋道、「方法論」が大切。大学の教養課程に進む人たちが、最低限度として要求されるだけの、勉強をどんな筋道でやってゆくべきかを述べたい。1) 古文の勉強を、大きく分けて、次のような系列に考えたい。 A 語学的理解 B 精神的理解 C 歴史的理解2) また、それぞれの部分を、「順序をたてて」把握することも必要。3) 文法・文学史などを個々バラバラの知識として機械的に暗記するのではなく、「理解」のための方法だと考えて欲しい。 A 語学的理解 精神的理解と相互に関係し合うものだが、重点はまず「語学的理解」からはじめるのがいいだろう。語学的理解は次に二分できる。1) 語彙2) 語法 B 精神的理解 下記の二者に両分できる。1) 把握2) 批評 1)は、作者が何を言おうとしているかに、全体的な理解を持つこと 2)は、把握されたことが、どんな価値を持つかについて、自分の態度をはっきりさせること C 歴史的理解 A 語学的理解からB 精神的理解ヘの途は、自分がどこを進んでいるかがわからない段階で、いわば地上を列車に乗っている状態。それに対して、C 歴史的理解は、上空の飛行機から見下ろすようなもの(俯瞰的視点 bird’s eys)。具体的には :「この文章は平安時代のものである」という「歴史的」判断は、その中に含まれる「をかし」の意味を決定することができるし、ある問題が新古今歌人の作であることを「歴史」的知識として知っていれば、考えの主点を「幽玄」とか「妖艶」とかの美に絞って行ける。1) 事項の整理2) 表現との連関 この事項の整理には、 ○それぞれに事実を覚え込んで行く「集積」と、 ○記憶をひとつの流れのもとに把握してゆく「系統づけ」の工夫の両方が含まれている。 ~~~~~~~~~これから本文に入ろう。第一部 語学的理解 一 語彙古語辞典には約四万語の古語がおさめてある。そのすべてを覚えるなどできるわけはない。その中の少数の key words をしっかり覚えておくこと。外国語の学習の場合は、ふつうは現代語に限られているから現代の語彙をおぼえればいい。しかし、日本の古語の場合は幾百年から一千年の歴史があり、時代によって意味・用法がちがう。(時代による語彙の変遷をあつかう「国語史」という分野もある。)語彙の整理をする実際的な方法は、○ 中古語を先ずマスターして、他の時代の語彙とを対照すること。上古(奈良時代語) ⇒ 中古(平安時代語) ⇒ 中世 ⇒ 近世 と言う流れで勉強するのは、非能率。語彙の勉強は イ 中古(平安時代語)語彙 a 現代語にないもの b 現代語と意味のちがうもの c 中古語の整理 ロ 中古語以外の語彙 a 古代語(上古語=奈良時代語) c 中世語 d 近世語と分けて進めてゆきたい。分量から言っても イ と ロ は、ほぼ同量である。(なるほど~!と言うところである。) ~~~~~~~~~イ 中古(平安時代語)語彙中古語、すなわち、「平安語」を勉強すれば、半分を征服したことになるのだ(気持ちだけだが)。中古語もさらに下記の二グループに分けられる。 a 現代語にないもの b 現代語と意味のちがうものとりあえず、この「a 現代語にないもの」の key words を読んだら面白い!面白い!これはきりがないな~!先生によって、これだけ無味乾燥な古文が(古文さん ごめん)、こんなに生き生きと面白くなるんだ。やはりまだ先生は聖職だと思う。本当にキリが無いんだけれど、「a 現代語にないもの」の key words を紹介しよう。本の中では例題などを通して充分に語ってあるのだけれど、それもやりたいが、キリが無いから(キリとは都合のいい言葉だ)、その語彙だけ列挙してみよう。明日以降、気力があれば、先生の興味深い意味の説明も引用してみよう。中古語の意味を記憶するのと同時に、「用例」と結びつけて、生きた使い方を呑み込むことが重要。 ~~~~~~~~~a 現代語にない key words 【あいなし】【いみじ】【うし】【うたて】【うつろふ】【こちたし】【さるは】【すずろ】【つとめて】【つれづれ】【まかる】【まゐる】【むず】【ものす】【ゆゆし】【らうたし】【わろなし】b 現代語と意味のちがうものなまじっか知っていると誤解している語彙【あからさま】【あさまし】【あはれ】【あやし】【ありがたし】【いたし】【いつしか】【うつくし】【うるはし】【かしこし】【かなし】【くちおし】【こころあり】【すさまし】【なかなか】【ながむ】【なほ】【ののしる】【はかなし】【むつかし】【めでたし】【やうやう】【やがて】【ゆかし】【よろし】【わびし】【をかし】 ~~~~~~~~~c 中古語の整理 以上の語彙は高校の教科書・大学入試に頻出するもので、なおかつ忠古語としての特色があざやかなもの。これで中古語の基本はだいたいこなせる。この他にも、重要な中古語がある。として、二百ばかりの語彙が説明してある。古語辞書としても使えるな、この本は。 ~~~~~~~~~ロ 中古語以外の語彙 a 古代語(上古語=奈良時代語) c 中世語 d 近世語 a 古代語(上古語=奈良時代語)八世紀以前の奈良時代の言葉。万葉集の言葉と覚えておけばいい。この時代の作品を読みこなすには、多くの古代語を知っていなければいけない。しかし高校程度としては次の語彙を知っていればいい。(百数十語の語彙が挙げられている) ~~~~~~~~~c 中世語 言葉の世界での中世は、十二世紀から十六世紀。多い漢語は、現代語から推測がつく。中世独自の言葉は、謡曲・戦記物語の会話部分および狂言のセリフ。それ以外の部分は中古文(平安時代語)の知識で処理できる。(現代語とは用法のちがうものを主とした語彙が、百数十語おさめられている。)d 近世語近世文にでき来る用語が必ずしも、近世語では無い。近世の作者たちは、中古文で書かれた文章こそほんとうの文章だという意識を持っていたので、自分たちの時代の言葉で作品を書くのは限定された場合であった。(中世文でもそれは同じ。)近世文は、だいたい中古文(平安時代語)を基礎にして書かれており(擬古文とよぶ)、平安時代の言葉の知識さえあれば、解釈に苦しむことはない。(近世語が百数十語おさめられている) なるほど~、そうなのか。ますます平安時代語が古文の中心と言えるな。
2004.11.27
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昨日はあのような考察と作業をしたものの、幽玄の意味がどうも納得行かなかった。【わび・さび】は簡単だったのに、幽玄となると、なかなか脳髄にしみこむように理解できなかった。ふと思いついて、私なりの考察をしてみたので、それを書いてみたい。 ★ ★ ★ ★ ★ ★小西甚一先生の【古文研究法】の中のどこかに、「【幽玄】は、【わび・さび】に先立つ文学的概念」というような一節があったと記憶している。それがヒントなのだと思う。私はいままで古語を単独に語学的に切り取って調べてみたが(調べると入っても辞書を引いただけだが)、それではダメなのだと言うことに気がついた。【幽玄】と【わび・さび】という風に、おのおのの文学的精神の流れや相互対比関係の中で見て行かないといけないのだと思いついた。(あくまで思いつきだが)それに、「文学精神の要点」という項で、この他に【艶・妖艶】という言葉も解説されている。【まこと】【もののあはれ】【幽玄】【有心】【艶・妖艶】【花】【わび・さび】【にほひ・うつり・ひびき】【かるみ】【おかしみ】【粋・通】こんな、先生の言う「文学精神」が解説されている。これらを順に読んで行きたいが、要は、系統立てて理解して行かないと消化できないことになる。それに本当は、作品を通じて理解して行くのが本道だろうけれど、今からそんなことをしているとたいへんなことになる。 ★ ★ ★ ★ ★ ★今日の日記はここまでにして小西先生のこの古文研究法の構造(つまり目次)を書き出してみる。この本の「構造」というものが、古文理解のキーポイントだと思うので。それにしても、この目次=構造とは完璧だなと思う。これだけでも、この本が名著で、受験生と言うよりは古文に対する最高の解説書であることがわかると思おう。 ★ ★ ★ ★ ★ ★はじめに====第一部 語学的理解========一 語彙 イ 中古的語彙 a 現代語にないもの b 現代語と意味のちがうもの c 中古語の整理 ロ 中古語以外の語彙 a 古代語 c 中世語 d 近世語二 語法と解釈 イ 助動詞 ロ 助詞 ハ 呼応的語法 a 慣用の言いかた b 係り結び 二 文の組み立て a 主述関係 b 並びの修飾 c はさみこみ d 倒置 e 省略 f 会話部分 ホ 敬語法第二部 精神的理解========一 古典常識イ 生活 a 衣服と調度 b 住宅と庭園 c 暦と時間 d 中古貴人の一生ロ 社会 a 政治のしくみ b 教育と学芸 c 経済および貨幣ハ 宗教 a 仏教の言葉 b 中古貴族と仏教 c 陰陽道と方違へ d 神事二 修辞のいろいろ イ 掛詞 ロ 縁語 ハ 対句 二 枕詞 ホ 序詞 ヘ 切手 ト 季語 チ 譬喩 リ 象徴三 把握のしかた イ 部分の把握 ロ 関係の把握 ハ 要旨の把握 二 内容の把握四 批評と鑑賞第三部 歴史的理解========一 事項の整理 イ 事項年表 ロ 文学精神史の要点 ハ 文学形態 a 叙事詩 b 叙情詩 c 物語の意味 d 小説と物語の差 e 雑筆 f 戯曲 g 歌謡二 表現との関連 イ 詩歌系統 ロ 散文系統三 時代と思潮おわりに====例題通釈====重要事項のまとめ=======季語表覧====索引==
2004.11.26
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私は昨日の日記で、幽玄という言葉の定義を、辞書と古文研究法から引用したわけだが、庄内さんとoliveさんから、彼らの持つ「幽玄」に対する定義やイメージを示され、私としては、実は困った。私は幽玄を言葉として探ったわけだが、高校時代から古文にはご無沙汰したままだから、幽玄を実際の古典の中で演繹的に把握しているわけではない。具体的なイメージも湧かない。古典の源氏物語、古今和歌集、新古今和歌集などはどうなのだろうか?万葉集・古今・新古今は、それぞれ異なる美意識で編纂されたと言うことは知っているのだが、これらと幽玄はどう関係するのだろう。 ★ ★ ★ ★ ★ ★昨日、世阿弥自身の幽玄についての定義を見付けた。世阿弥ただ美しく柔和なる体(てい)、これ幽玄の本体なり『花鏡』 ★ ★ ★ ★ ★ ★幽玄については古語辞書でひかなかった。では角川古語辞典で重ねて調べてみよう。調べようとしたら「ゆうげん」では、見あたらない。考えてみたら、古語としての幽玄の読み方は、「いうげん」なのだ。 ★ ★ ★ ★ ★ ★幽玄 いうげん 名詞 形容動詞 ~なり質的、生命的なもの。不易なもの。幽遠。 「仏法―」(臨済録)文学的美の様式概念の一。神秘的なもの。 詞風流なりといえども、儀―に入る。(忠岑十体) (ロ) 静寂美。 鴫(しぎ)立沢(たつさは)といへる、心―に姿及びがたし。[御裳灌川歌合] (ハ) 優艶な美。優美。 「まづ童形なれば何としたるもー・なり」平淡で心の深い境地。 「ふるまひやさしくーに心をとめよ」[心敬庭訓] (ホ) 言外の余情。 「両句、―差別なし」[田舎句合]幽玄てい【幽玄体】 名詞中世、歌学・連歌などの理想とする風姿の一。はじめは、深奥(しんおう)静寂な歌を意味したが、のち転じて、優美妖艶な歌を意味するようになった。[是はーな歌か、長高体(たけたかきてい)とやいふべき。[正徹物語] ★ ★ ★ ★ ★ ★【わび・さび】は簡単だったのに、幽玄となると、なかなか脳髄にしみこむように理解できない。もっと何度も、じっくり再読しなければいけないと思う。そこで、幽玄についての昨日調べた定義をもう一度、完結にまとめてみよう。 ★ ★ ★ ★ ★ ★● 学研 国語大辞典 [たやすく知ることができないほど]奥深く味わい深いこと。深い趣・余情などがあること。 [文学]中世日本文学の理念。深い余韻のあること。● 辞林21 Encyclopedia Dictionary ‘JIRIN21’(1) 深い余情があること 「―な調べ」(2) 奥深くはかり知れないこと 「―なる自然の妙」(3) 中世文学・中世芸能における美的理念の一つ。余情を伴う感動。 (3)ア 俊成の歌論では、静寂で奥深く神秘的な感動・情趣。 (3)イ 正徹の歌論、世阿弥の能楽論では、優雅・妖艶な情趣。 (3)ウ 為家の歌論、心敬の連歌論、禅竹の能楽論では、枯淡にして心の深い境地。ひえさびた美。● 辞林21のベースになった「大辞林」。(1) 奥深い味わいのあること。深い余情のあること。また、そのさま。 「―な調べ」「何処からともなく―な、微妙な奏楽の響きが洩れて来た/少年(潤一郎)」 (2) 奥深くはかり知ることのできない・こと(さま)。 「自己の意思を通して―なる自然の真意義を捕捉することができるのである/善の研究(幾多郎)」 「事神異に関(あずか)り、或は興―に入る/古今(真名序)」 (3) 優雅なこと。上品でやさしいこと。また、そのさま。 「内裏の御事は―にてやさやさとのみ思ひならへる人の云なるべし/愚管(4) 中世文学・中世芸能における美的理念の一。余情を伴う感動。 ア 俊成の歌論では、静寂で奥深く神秘的な感動・情趣。 イ 正徹の歌論、世阿弥の能楽論では、優雅・妖艶な情趣。 ウ 為家の歌論、心敬の連歌論、禅竹の能楽論では、枯淡にして心の深い境地。ひえさびた美。● 大辞泉(1) 物事の趣が奥深くはかりしれないこと。また、そのさま。 「―の美」「―な(の)世界」 (2) 中世の文学・芸能における美的理念。 歌論などで、優艶を基調として、奥深い静寂な余情、象徴的な情調のあること。 能楽論で、優雅で柔和な美しさ。美女・美少年などの優美さや、また、寂(さ)びた優美さをいう。● 英辞郎幽玄な = subtle and profound 〔深遠な能の美を示す能用語〕● 研究社新和英大辞典quiet beauty 静寂な美elegant simplicity 優雅な単純さthe sabtle and profound 微妙で深いことthe occult オカルト● 古文研究法和歌で俊成の場合は、「しんみりした奥深いかすかさ」能の世阿弥の場合は、「女性的な優美さ」 どんな場合でも、 「幽玄」に共通しているのは、「深さ」という性質
2004.11.25
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今日は「幽玄」を調べてみようと思う。まず「幽玄」の定義を、各辞書で調べてみよう。 ★ ★ ★ ★ ★ ★学研 国語大辞典学習研究社 金田一春彦 池田弥三郎 編 ~~~~~~~~~金田一耕助先生と・・・、ちがった! 金田一春彦先生と池田弥三郎先生とは、面白い組み合わせだ。古語は池田先生担当だろうな~。もっとも、辞典編集の例にもれず、本人は作業をしていないはずだが。そういえば、金田一先生の息子さんがやはり国語学者になって(三代目!)、NHK教育テレビなどに出ている。 ~~~~~~~~~幽玄 [たやすく知ることができないほど]奥深く味わい深いこと。深い趣・余情などがあること。 [文学]中世日本文学の理念。深い余韻のあること。そうか。「深い余韻のあること」か。案外シンプルで、アッサリとした定義だな~。 ★ ★ ★ ★ ★ ★次は、これでひいてみよう。辞林21 Encyclopedia Dictionary ‘JIRIN21’三省堂 監修 松村明 佐藤隆光 養老孟司おお! 養老先生、こんなところにもおでましですか?この辞書は大型辞書でなく、ハンディータイプの中型辞典である。この辞典は国語辞典ではあるが、英語で Encyclopedia Dictionary と銘打っているので百科辞典的要素も入れた辞典らしい。で、「序」を読んでみる。~~現代社会に生きる人々にとって必要と思われる「ことば」「用語」「事項」をハンディーな一冊の中に、出来るだけ多く収録カタカナ語に対応するアルファベット略語辞典を付録収録欧文や数字に対応する横組み大型国語辞典「大辞林」を基に従来の国語辞典や百科事典にとらわれず現代人の教養知識と実用知識の提供を目的に~~なるほど、百科事典も視野に入れている辞典なんだ。幽玄(1) 深い余情があること 「―な調べ」(2) 奥深くはかり知れないこと 「―なる自然の妙」(3) 中世文学・中世芸能における美的理念の一つ。余情を伴う感動。(3)ア 俊成の歌論では、静寂で奥深く神秘的な感動・情趣。 (3)イ 正徹の歌論、世阿弥の能楽論では、優雅・妖艶な情趣。 (3)ウ 為家の歌論、心敬の連歌論、禅竹の能楽論では、枯淡にして心の深い境地。ひえさびた美。 ~~~~~~~~~俊成の歌論、正徹・世阿弥の能楽論、為家の歌論・心敬の連歌論・禅竹の能楽論。その各々で「幽玄」は異なるコンセプションらしい。うんうん! ・・・と言っても私にわかるわけは無いが。 ★ ★ ★ ★ ★ ★次には、辞林21のベースになった「大辞林」。(1) 奥深い味わいのあること。深い余情のあること。また、そのさま。 「―な調べ」「何処からともなく―な、微妙な奏楽の響きが洩れて来た/少年(潤一郎)」 (2) 奥深くはかり知ることのできない・こと(さま)。 「自己の意思を通して―なる自然の真意義を捕捉することができるのである/善の研究(幾多郎)」 「事神異に関(あずか)り、或は興―に入る/古今(真名序)」 (3) 優雅なこと。上品でやさしいこと。また、そのさま。 「内裏の御事は―にてやさやさとのみ思ひならへる人の云なるべし/愚管(4) 中世文学・中世芸能における美的理念の一。余情を伴う感動。 ア 俊成の歌論では、静寂で奥深く神秘的な感動・情趣。 イ 正徹の歌論、世阿弥の能楽論では、優雅・妖艶な情趣。 ウ 為家の歌論、心敬の連歌論、禅竹の能楽論では、枯淡にして心の深い境地。ひえさびた美。 ★ ★ ★ ★ ★ ★大辞泉(1) 物事の趣が奥深くはかりしれないこと。また、そのさま。 「―の美」「―な(の)世界」 (2) 中世の文学・芸能における美的理念。 歌論などで、優艶を基調として、奥深い静寂な余情、象徴的な情調のあること。 能楽論で、優雅で柔和な美しさ。美女・美少年などの優美さや、また、寂(さ)びた優美さをいう。 ★ ★ ★ ★ ★ ★「幽玄」を英語で定義したものを、和英辞書でしらべてみよう。英辞郎 幽玄な = subtle and profound 〔深遠な能の美を示す能用語〕 subtle とは微妙な、かすかな、わずかな、繊細な、加減が難しい、不思議な、捕らえにくい、難解な、芸がこまかい、薄い、鋭い、敏感な、鋭敏な、巧妙な、器用な、頭の切れる、油断できない、ずるい、陰険な・・・などという微妙な多義語である。 profound とは、深い、激しい、心の底から、(学問・心情・人間性・考え・表現・概念などが)深みのある、意味深い、奥深い、深遠な、深刻な、難解な、見極める、高尚な、思想が深い、問題の核心を突く、完全な・・・などという、多くの語義がある奥深~い単語である。 幽艶{ゆうえん}な・・・というのは、profound and beautiful 幽遠{ゆうえん}な・・・というのは、profound and remote ★ ★ ★ ★ ★ ★もう一冊の和英辞書、研究社新和英大辞典で調べてみよう。 quiet beauty 静寂な美 elegant simplicity 優雅な単純さ the sabtle and profound 微妙で深いこと the occult オカルトどうも、英語では深い意味が説明できないようだ。というより、詳しく説明する意欲がないだけかも知れない。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ところで、最後に小西甚一先生の古文研究法での説明を、私が「ダイジェスト箇条書き」にしてみよう。たいへんやっかい極まる文学精神時代により、場合により、意味内容がちがう和歌で俊成の場合は、「しんみりした奥深いかすかさ」 (しかし、細かく言うと、同じ俊成でも、「歌の詞についていうとき」「心についていうとき」「姿についていうとき」、それぞれ微妙な差がある)能の世阿弥の場合は、「女性的な優美さ」 (しかし、細かく言うと、おなじ能でも、「世阿弥」と「金春禅竹」とでは、微妙な差がある) どんな場合でも、 「幽玄」に共通しているのは、「深さ」という性質である。深さが伴わなければ、「幽玄」では無い。幽玄とは10世紀から16世紀ごろにかけておこなわれた文学精神で、「深さ」を基本とする・・・と覚えていればいい。幽玄という言葉をはじめて使ったのは、伝教大師幽玄という言葉が、文学用語としてはじめて使われたのは『古今和歌集』の「漢文序」 ★ ★ ★ ★ ★ ★ 追記 :世阿弥が幽玄について、こう語っているらしい。「ただ美しく柔和なる体(てい)、これ幽玄の本体なり」『花鏡』
2004.11.24
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ものごとは「ついで」と言うことがありますよね。ついでにやると時間が節約できる。ついでのついでに、【わび・さび】に密接な関係のある【千利休】および【松尾芭蕉】の二人について、ウィキペディアから引用しよう。私がなぜこんなに引用ばかりするのか?その答えは簡単です。私の知らないことだから、引用しながら付け焼き刃で勉強しているわけです。明日は【幽玄】その他の日本伝統文化に深く関わる古語について、勉強してみたいと思います。(すっかり勉強モード) ★ ★ ★ ★ ★ ★千利休 出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』千利休(せんのりきゅう、せんりきゅう、大永2年(1522年) - 天正19年2月28日(1591年4月21日))は中世末期、安土桃山時代の茶人。何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すという侘び茶(草庵の茶)の完成者として知られる。名は与四郎で、のち、法名を宗易(そうえき)、抛筌斎と号した。広く知られた利休の名は堺の南宗寺の大林宗套から与えられた居士号である。茶聖とも称せられる。父は田中与兵衛、母は宝心妙樹。生涯 和泉の国堺の商家の生まれ。若年より茶の湯に親しみ、17歳で北向道陳、ついで武野紹鴎に師事し、京都郊外紫野の大徳寺に参禅。織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として雇われ、のち豊臣秀吉に仕えた。1585年の北野茶会を主催し、一時は秀吉の重い信任を受けた。この時期、秀吉の正親町天皇への宮中献茶に奉仕し、居士号を許される。また北野大茶会の設営、黄金の茶室の設計などを行う一方、楽茶碗の製作・竹の花入の使用をはじめるなど、侘び茶の完成へと向かっていく。いわば茶人としての名声の絶頂にあった利休は、突然秀吉の勘気に触れ、堺に蟄居を命じられる。利休十哲のうち古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが、助命は適わず、切腹を命じられる。七十歳であった。死後、利休の首は一条戻橋で晒し首にさせられた。利休が死ぬ前日に作られたとされる辞世の句が残っている。人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛 死罪の理由は定かではない。表立っては大徳寺改修に当たって増上慢があったためとされるが、秀吉の女性関係のため、あるいは豊臣秀長死後の豊臣政権内の不安定さから来る利休に親しい大名と石田三成らの政治闘争に巻き込まれたためなど、さまざまな説が立てられている。結婚は二回。先妻の子と後妻・宗安の連れ子がそれぞれ堺千家・京千家を起こしたが、利休死罪とともに蟄居し、千家は一時衰亡した。のち堺千家は再興せず、京千家のみが現在に伝わる。薮内流家元藪内家と千家ともこの時期姻戚関係が生じる。なお宗安は袱紗を現在の形に定めるなど、自身茶の湯に精通し、利休のよい補佐役、理解者であったといわれる。三千家は利休の養子となった宗安の息子と利休の娘の間の子、利休の孫 千宗旦が還俗して家を再興し、その次男・三男・四男がそれぞれ初代として茶道を継承したもので、表千家・裏千家・武者小路千家(別称は官休庵流)の総称である。利休忌は陽暦(現在の日本の暦)の3月27日および3月28日に大徳寺で行われる。作品利休はさまざまな新しい試みを茶道に持ち込んだ。楽(らく)をはじめとする千家十職を指導して好みの道具を作らせるとともに、みずからも茶室の設計、花入・茶杓の製作など道具の製作に熱心であった。「七時の茶事」といわれる七種類の茶会形式の整備とともに、これらの製作およびプロデュースが利休を侘び茶の形式の完成者と言わしめる由縁のひとつである。茶室『待庵』 : 京都府大山崎町所在。国宝。 茶室『今日庵』 : 京都府京都市所在。 茶室『黄金の茶室』 : 豊臣秀吉の命により製作するも現存せず。MOA美術館で復元・展示。 書状「消息」 書状「寄進状」 書「孤舟載月」 花入「竹蒔絵浪に亀図二重切花入」 千利休を題材にした映画 千利休 本覺坊遺文(1989年、東宝) 監督:熊井啓 原作:井上靖 出演:奥田瑛二、三船敏郎、萬屋錦之介、加藤剛、芦田伸介ほか 利休(1989年、松竹) 監督:勅使河原宏 原作:野上彌生子 出演:三國連太郎、三田佳子、松本幸四郎、中村吉右衛門、田村亮ほか ★ ★ ★ ★ ★ ★松尾芭蕉 出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日))は、江戸時代前期の俳諧師。松尾は本名の姓であり、俳号としては単に芭蕉(はせを)である。蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、「俳聖」と呼ばれる。経歴 伊賀国上野赤坂町(現在の三重県伊賀市上野赤坂町)に、松尾与左衛門と妻・梅の次男として生まれる。松尾家は、農業を業としていたが、正式に松尾の姓を有する家柄だった。幼名は金作で、成長して藤七郎・忠右衛門・甚七郎などと名乗る。名は宗房(むねふさ)である。俳号は、最初は宗房(そうぼう)、後に桃青(とうせい)。芭蕉(署名は「はせを」)という徘号は庵号(芭蕉庵)に由来するもので、日常的にはよく使用していたが、神仏に奉献するなどの改まった場では桃青、芭蕉桃青などと署名した。若くして、伊賀国上野の侍大将・藤堂新七郎良清の嗣子・主計良忠(俳号は蝉吟)に仕え、2歳年上の良忠とともに北村季吟に師事して俳諧の道に入った。1666年に良忠が歿するとともに仕官を退く。1675年に江戸に下り、神田上水の工事に携わった後、1678年に宗匠となり、職業的な俳諧師となった。1680年に深川に草庵を結ぶ。芭蕉の木を一株植えたのが大いに茂ったので「芭蕉庵」と名付けた。しばしば旅に出て、『野ざらし紀行』・『鹿島紀行』・『笈の小文』・『更科紀行』などの紀行文を残した。1689年、弟子の河合曾良を伴って『奥の細道』の旅に出、1691年江戸に帰った。その最期も旅の途中であり、大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の辞世の句を残して客死した。享年50。大津膳所の義仲寺に葬られた。その他 忌日である10月12日(現在は新暦で実施される)は、桃青忌・時雨忌・翁忌などと呼ばれる。時雨は旧暦十月の異称であり、芭蕉が好んで詠んだ句材でもあった。例えば、猿蓑の発句「初時雨猿も小蓑を欲しげ也」などがある。「古池や蛙飛込む水の音」、「荒海や佐渡に横たふ天の川」、「夏草や兵どもが夢のあと」などが有名である。芭蕉の作と言われている「松島やああ松島や松島や」は、実際は江戸時代後期の狂歌師・田原坊の作とされている。旅での行程の速さから、一節には忍者ではなかったかとの説もある ★ ★ ★ ★ ★ ★千利休については、私は恐らく関連書籍を持っていないと思う。芭蕉に関しては、句集とか、一般に俳句関係の本とか、さらに芭蕉の奧の細道紀行などについての単行本を数冊持っている。ご参考までにちはやぶる奧の細道 小林信彦 新潮社芭蕉の風景文化の記憶 ハルオ・シラネ 角川業書芭蕉はどんな旅をしたのか 金森敦子 晶文社芭蕉へ 芭蕉をどう読むか 桜井武次郎 ぬ書房芭蕉 その旅と俳諧 広末保 NHKブックス奧の細道を歩く 日光・奥州路 山本さとし 柏書房
2004.11.23
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昨日、日記容量オーヴァーで引用しきれなかった「道教」を引用する。道教出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』道教 (どうきょう、dao-jiao)は、中国三大宗教(儒教、仏教、道教)の一つである。道家、道学ともいう。道(タオ)―宇宙と人生の根源的な真理の世界―の不滅とそれに一体となるべく修行し煉丹術をおこない、不老不死の霊薬、丹を煉り服用し仙人になることを究極の理想とする、漢民族(中国民族)の土着的・伝統的な宗教である。 道教とはどのようにして現在のような宗教的思想体系になったのか、ほとんど不明である。しかし、現在でも台湾や東南アジアの中国人の間ではかなり根強く信仰されている宗教であり、その「道」(たお)という概念は20世紀後半からは西欧の思想家たちに多大な影響を与えた。道教の発生は、中国古来の巫術もしくは鬼道の教を基盤としている。その上に、墨家の上帝鬼神の思想信仰、儒教の神道と祭礼の哲学、老荘道家の「玄」と「真」の形而上学、さらに中国仏教の業報輪廻と解脱ないしは衆生済度の教理儀礼などを重層的・複合的に取り入れてできあがった物であろう。隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するにいたった。道教の研究の第一人者は、日本の福永光司である。★ 道の教え道教とは、「道の教え」である。広義には、「従うべき聖人の教え」という意味で、この語(道教)は使われる。この場合儒教や仏教を指すこともある。もうすこし狭くは「『老子』や『荘子』の中で述べられているような道の教え」と言う意味で使われる。そして、この「『老子』や『荘子』の中で述べられているような道の教え」と密接に関連して、「紀元後五世紀に歴史的に形成された道教」という意味でもこの語は使われる。「『老子』や『荘子』の中で述べられているような道の教え」と、「紀元後五世紀に歴史的に形成された道教」は伝統的な中国では道家と呼ばれ、道教と道家は同じものを指すと言われている。★ 歴史的に形成された道教道教の教団の制度は2世紀頃の張角の太平道(黄巾)、さらに張陵の五斗米道(天師道)の教団制度が基本にあるのではないか、と言われている。更に中国に入ってきた仏教の教団制度との類似も指摘されている(特にその出家制度)葛洪(かっこう)の「抱朴子(ほうぼくし)」北魏の寇謙之(こうけんし) - 新天師道をおこした。5世紀頃(劉宋)の江南で活躍した道士、陸修静(りくしゅうせい 406年 - 477年)はさまざまな流れのあった道教をまとめあげる事に大きな寄与をした、と言われている。当時、江南呪術の系譜であるといわれる「三皇経」、またその他に「霊宝経」、「上清経」などと称される経典群があったが、それらは、系統的に別々の流れのものだった。このころには、道の変化した神である「元始天尊」「霊宝天尊」「道徳天尊」などが現れている。南斉・梁の陶弘景(とうこうけい 456年 - 536年)は、それらを体系づけた「真誥(しんこう)」を著した。同姓の老子(李耳)を宗室の祖と仰ぐ唐朝は、宮中での道教の席次を仏教の上に置いた(道先仏後)。唐末の杜光庭(とこうてい)の「道教霊験記(どうきょうれいげんき)」、「洞天福地岳;名山記(どうてんふくちがくとくめいざんき)」八仙 - 呂洞賓(りょどうひん)ほか。呂洞賓はもっとも有名な仙人と言える。宋代には内丹道(ないたんどう;体内の気をめぐらせて丹つまりエネルギーを生み出す技法)や錬度(れんど)の科目が盛行し道教の姿も大きく変化していった。北宋の張伯端(ちょうはくたん)「悟真篇(ごしんへん)」 - 内丹道の主要経典金元の時代に、北方で全真教に代表される新道教が成立した。「西遊記」 - 玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)は孫悟空に斉天大聖(せいてんたいせい)の位を与えている。明代の通俗小説「封神演義(ほうしんえんぎ)」 - 道教の神々が大活躍。現実の道教にも影響を与えている。★ 日本における道教仏教や儒教と同じ頃に渡来した。 律令制にも道教に関する役所が採用されたが、民衆運動や政争に利用されたため、やがて廃止された。それにかわって、陰陽師が道術を取り入れ、日本独自の陰陽道が生まれた。陰陽師としては、平安時代の安倍晴明などが有名である。日本に伝来し、定着した道教信仰と言えば、庚申信仰である。各地に庚申塔や庚申堂が造られ、庚申講や庚申待ちという組織や風習が定着している。現代でも、庚申堂を中心とした庚申信仰の行われている地域では、軒先に身代わり猿を吊り下げる風習が見られ、一目でそれと分かる。
2004.11.22
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簡素で何げない、むしろ貧しいものに美を見いだした日本人は、美の世界における「コペルニクス的転回」や「ガレリオ・ガレリーの地動説」とでも言うべき、人類史上における世紀の大発見を成し遂げたのでは無いだろうか?私は昨日、こう書いて得意になっていたのだが、今日、亞さんから、下記のコメントをもらった。 ~~~~~~~~~ >さびという【陰性の美】 をはじめて認知したのは、藤原俊成であるという。表現こそ違え、荘子や老子は「陰」を【最上の美徳】としています。儒学者たちが「陽」を【最上の徳】としたのとは対照的です。私は荘子や老子の「陰」の認識を採ります。そのほうが、とてつもなく渾沌としたパワーを感じますし、美しい。易経の解釈にも深みが出ます。 ~~~~~~~~~そうか!中国4千年の歴史は、「麺」だけではなかったのだ。すでに老荘が大昔に、「陰を最上の美徳としている」のか!それでは老荘関連のキーワード、「老子」、「荘子」、「老荘思想」、「道教」などを、フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』から、引用しまくってみよう。※ (ただし、この事典は有志の投稿によって積み上げられるものですから、信頼性は読者が判断することになります) ★ ★ ★ ★ ★ ★老子老子(紀元前5世紀頃)は、中国の春秋時代の思想家。またその手になる同名の哲学書。老子は哲学書『老子』を著したとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されることもある。 『史記』「老子韓非列伝」によると、老子は楚の国の生まれで、姓は李、名は耳、字はタン、伯陽とする説もある、といった。孔子が礼について教えを乞うたことがあったが老子は戒めて「古代の賢人は空言のみ残って骨は朽ちている。君子など時流に乗れなければあちこち転々とするだけだ。そなたの驕気と多欲、もったいぶった様子とかたよった志向を取り去りなさい」と教えたという。孔子はその感想を「様々な動物は捕らえる方法がある。しかし竜だけは風雲に乗じて天に昇るの知ることができない。老子は竜のような人物だといえようか。」と弟子に語った。老子は周の王室の書庫の記録官だったが、後年周の衰えを見て立ち去った。このとき老子が通過した関所で、関守の尹喜の頼みを受けて書き残したのが『老子』上下巻5000余字であるという。上下巻の最初の一字「道」と「徳」を取って『道徳経』または『老子道徳経』とも呼ばれる。また、『史記』では老莱子、太史という二人の人物も老子ではないかと記されている。老子の思想は神秘主義から処世訓まで多岐にわたるが、その原理は万物の根本である道によって表される。道とは全ての存在を規定する原理であると同時にそれら全てを生み出した母なる存在でもある。道はあまりに広大で漠然としているので定義や解釈を超えているが、人為を廃し自然であることが道に通ずるとされる。このような態度を無為自然といい、老子はこれを処世から統治まで全てに適用すべきだと考えた。(但し、『老子』の本文には「無為」は有っても 無為自然なる語は登場しない。)『老子』は逆説を多用し、非体系的で随所に矛盾や飛躍が見られるため難解な部分も少なくないが、その深遠な思想は現代に至るまで影響を保ち続けている。老子が旅立ったインドの地で老子の思想は仏教になったのだというような説は道教が他説に対する優位を主張するための創作と考えられるが、仏教の「空」と道家思想の「道」には類似点があるため仏典が漢訳される時道家思想の用語が訳語にあてられたり、道教の教団化にあたって仏教の教団組織が参考されたりするなど、仏教と道家思想は互いに影響しあっている。老子の思想が道教に発展すると、老子は道教の祖として崇められるようになり、神格化されて唐のころに道教の最高神である三清の一柱、太上老君となった。『史記』に伝えられた老子の姓が李であることから、唐朝皇室の李氏は祖先を老子に求めたので、老子は聖祖大道玄元皇帝とおくり名され、ますます尊崇を受けた。★ 書物としての『老子』近年、馬王堆漢墓から前漢初期の『老子』写本が発見され、また郭店一号墓から秦代の『老子』写本が発見された。これらにはいずれも『老子』という書名は付されていなかった。馬王堆本『老子』はほぼ現行本と同じ内容であり、このころに『老子』は完成したと考えられる。ただし上記の理由から、『老子』が老子の著作とされたのは、前漢初期より以降であったと考えられる。 ★ ★ ★ ★ ★ ★荘子荘子(紀元前369年 - 紀元前286年)は、中国の戦国時代の宋国(現在の河南省)に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である。姓は荘。名は周。字は子休。 「莊子」が本来の名前、日本の文部省・国語審議会の漢字制限(当用漢字、常用漢字)後は「荘子」と書く。荘子の思想は老子と同じく無為自然を基本とし、人為を忌み嫌う物である。しかし老子には僅かながら政治色が残っているに比べ、荘子は徹頭徹尾俗世間を離れ無為の世界に遊ぶ姿勢になっている違いがある。荘子の著書と言われる『荘子』(そうじ)には、内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇があり、この中で内篇だけが荘子本人の手によるものと見られ、それ以外は弟子や後世の人の手によるものと見られている。実際、内篇に比べ外篇・雑篇は文章の点でも未熟であり、漢代になってから主導権を握った儒教に対する敵愾心が多く出過ぎており、無為の境地からは遠く離れたものとなっている。荘子内篇は逆説的なレトリックが煌びやかに満ち満ちており、寓話を多く用い、読む者を夢幻の世界へと引きずり込む。荘子の思想を表す代表的な説話として胡蝶の夢がある。「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。どちらともわからぬ、どちらでもかまわない。」この説話の中に、無為自然、一切斉同の荘子の考え方がよく現れている。老子と荘子の思想が道教に取り入られる様になると、荘子は道教の祖の一人として崇められるようになり、神格化されて南華真人(なんかしんじん)と呼ばれ、著書「荘子」は南華真経(なんかしんきょう)と呼ばれるようになった。老荘思想が道教に取り入られ老荘が道教の神として崇められる様になっているが老荘思想と道教の思想とはかけ離れている。 ★ ★ ★ ★ ★ ★老荘思想老荘思想(ろうそうしそう)は中国で生まれた思想。道家の大家である老子と荘子を合わせてこう呼ぶ。★ 概要老荘思想が最上の物とするのは道である。道は天と同義で使われる場合もあり、また天よりも上位にある物として使われる場合もある。あえて一言で言えば万物が本来自然より授かった生きるべき正しい方向である。この道から道家の名前がついた。また老荘の呼び方の他に黄老(こうろう)と呼んだりもする。黄は黄帝の事である。★ 歴史老荘思想は当然老子から始まるが、老子はその生涯があまり良く解っていない(存在しなかったと言う説もある)。戦国時代には大いに栄えて、斉の稷下(公立の思想研究所のような所)には田駢、接予、慎到、環淵と言った道家の学者がいたと史記に書かれているが同時代の荘子があまりにも有名になったためこれらの学者は影が薄くなった。その後、前漢に入り、武帝が儒教を国教に定めるまでは老荘のほうが主流であった。儒教が国教となってからも老荘思想は中国の人々の精神の影に潜み、儒教のモラルに疲れた時、人々は老荘を思い出した。特に魏晋南北朝時代においては政争が激しくなり、高級官僚が身を保つのは非常に困難であった。このため、積極的に政治に関わることを基本とする儒教よりも世俗から身を引くことで保身を図る老荘思想が広く高級官僚(貴族)層に受け入れられた。加えて仏教の影響もあり老荘思想に基づいて哲学的問答を交わす清談が南朝の貴族の間で流行した。西晋から東晋の竹林の七賢(康、阮籍、山濤、向秀、劉伶、阮咸、王戎)が有名である。ただし、竹林の七賢がグループとして活動した記録はない。老荘思想は仏教とくに禅宗に接近し、また儒教(朱子学)にも影響を与えた。★ 道教 道教に老荘思想が取り込まれたが、あくまで表層的な老荘のイメージを利用しただけと言う感が強い。道教では不老長寿を願うが、老荘思想では「生死は表層的変化の一つに過ぎない」と言う立場なのだから不老長寿を願って危険な薬を飲む姿は笑止千万だろう。本邦に於いてだけでも、時代に依って道教と老荘思想の意味・関係は変化しつづけたが、 それは道教研究のここ百年での深まりと、老子・荘子各々を把握解釈する者の営為に依存している。 ★ ★ ★ ★ ★ ★今日は引用で終わったが、明日はまた「道教」を引用しよう。(引用は楽だ!)
2004.11.21
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懸案の「わび・さび」を調べてみたいと思った。小西甚一先生の「古文研究法」を、何十年の時を経て、また買い求めたからである。この受験参考書で、わび・さびが明解に説明されていたからである。「わび・さび」といえば、「幽玄」とか「花」とか、「粋」とかいう言葉とならんで、日本文化のキーワードである(と思う)。「粋」については、二三冊の本を持っているが、「侘び・寂び」については白紙状態である。と思っていたらポンボさんから、岡倉天心の「茶の本」にそれに関しての記述があるとの指摘をいただいた。私もこの本は以前読みかけたが、その箇所にまで至っていない。その後、英和対照の同じ本を買ってあるので参照しようと思ったが、残念ながらすぐには見つからないので、見つかったときに加筆しよう。 茶の本 対訳 岡倉天心 講談社バイリンガルブックスまず、国語辞書で調べるのが順序だろうけれど、現代語の普通の国語辞書でひいてみたら、定義があいまいなようで、言葉の輪郭がハッキリしないし、言葉のエッジが立っていない。侘び・寂びは古語だから、古語専門の古語辞書でひいてみた。『角川 新版 古語辞典』 久松潜一・佐藤謙三 編 ★ ★ ★ ★ ★ ★● さび【寂び】 名詞さぶ(上二)の連用形名詞。元来は閑寂な趣のあること、古びて味わいのあることの意。芭蕉俳諧の根本理念。無常を感じ取り、世俗を超越した作者の人間性が、しみじみとにじみ出た句(=作品)の情調。中世の幽玄の展開したもの。「―は句の色なり。閑寂なる句をいふにあらず」〔去来抄〕 ★ ★ ★ ★ ★ ★● わび【侘び】 名詞侘ぶの連用形名詞。(1) 思い煩うこと。悲しむこと。寂しがること。「今は吾はー(和備)にぞしにける」〔万四・六四四〕(2) 中世以降、茶道・俳諧などで、渋み・閑寂・閑静などの趣を言う。「利休は、―の本意とて、この歌(=見わたせば、花ももみじもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮れ)〔新古今・秋上・三六三〕を吟じ」〔醒睡笑} ★ ★ ★ ★ ★ ★「古文研究法」がいくらすごい本だとと言っても、基本的にこの本は大学受験生への参考書であり、侘び・寂びについての説明も、先生は受験生(高三)を意識して、かんで含めるように説明している。それをそのまま紹介すると冗長になるので、まず私なりの【わび・さび】および日本文化にかんする独断と偏見をまず書いて見ようと思う。 ★ ★ ★ ★ ★ ★西洋の美は、ベルサイユ宮殿やバチカンの宮殿を見ても分かるように絢爛豪華の極致である。金をふんだんに使い、壁や天井はミケランジェロなどの目もくらまんばかりの絵画が描かれている。建物も豪奢で壮大で、大理石などもふんだんに使われている。極度の権力・財力と、これでもか!という豪奢な芸術が美の裏打ちとなっている。これは現在の西欧文明の直接的な先祖ではないが、あのギリシャ・ローマの地中海文明から一貫した性格のものだと思う。いやそれ以前の、クレタ文明・エジプト文明においてもそうだと思う。クレタ島のクノッソスの迷宮に行ったことがあるが、時代が離れすぎていて迷宮も当時の姿ではなかったので、豪奢さを充分うかがい知るというところまでは行かなかったが、その当時の文明レベルでは、とてつもない富貴レベルであったのではなかろうか?詰まるところ、欧州文化は『富貴の文化』と言っていいともう。富と権力が集中して、そこは原始・平等な世界ではなくなるのだから、まことになるようになった、自然な流れとも言える。 ★ ★ ★ ★ ★ ★これに対して日本の美は、京都二条城の豪華さと日光東照宮のキッチュなゴテゴテを例外として、基本的には質素な美である。信長は伝説の安土城と、後継者、豊臣秀吉は聚楽第とか桃山城を築城するなど、日本人としては桁外れな豪奢を好んだと言う。もちろん、日本でも富と権力はどんどん集中し、信長時代以降は全国的なレベルに至る。しかし、この希代の傑物達にしても、どこかにが、豪奢一辺倒なものに対して、すわりの悪い感覚を持っていたのではないだろか?人臣の位を極めた秀吉が「侘び茶」の創始者である千利休に文化的に心酔している部分がある。私がよく知らない世界なのだが、茶道でこの上なく珍重される銘器の一部は、名もない朝鮮の百姓が日常使っていた茶碗であるという。さらに茶室も、基本的に朝鮮の百姓家を模したものだというのである。これ以上ない栄華を極めながら、底辺の生活における閑寂な小さな世界を同時に味わうことによって、権力者は自分の富貴を、底辺のレベルから仰ぎ見て、さらに大きいものとして味わったのではないだろうか?また、満月の欠けることのない富貴の極みにいながら、いつかは落ちる運命を予感し、なんとはない不安感にかられ、貧しいなりに平和な庶民の生活に身を置いてみて、一瞬の心の安らぎを感じていたのではないだろうか?また、利休の茶の湯の茶室は、ご存じのように二畳ぐらいの非日常的なサイズの小屋であって、おままごとのような虚構の空間である。このような閉所恐怖症になりかねない極小空間は、入ってみればそれなりに落ち着く。母親の子宮の中で胎児であった時代の完全に保護された、なんの不安もない、甘美な世界を想い出させる効果がある。また、茶室には、人間の入る入り口とは思えないほど小さな、【にじり口】があって、富貴の極みの貴人も、刀剣を捨ててこのにじり口から、犬のような格好をしながら入ってくる。そうしてそこは、侘びしい百姓家でありながら、貴人の儀式の場でもあるという、【虚構】の空間が茶人達を待っていて、皆が茶人というステイタスにおいて平等になる。 ★ ★ ★ ★ ★ ★簡素で何げない、むしろ貧しいものに美を見いだした日本人は、美の世界における「コペルニクス的転回」や「ガレリオ・ガレリーの地動説」とでも言うべき、人類史上における世紀の大発見を成し遂げたのでは無いだろうか? ★ ★ ★ ★ ★ ★小西先生の「古文研究法」の、【さび・わび】という項を開いてみた。まず、さびし「形容詞」や、さぶ「動詞」と同じ系統の言葉だという。先生の説明を読んでみると、この【さび・わび】は【基本的に寂びを理解すればいい】と考えて良さそうである。この二語は意味が近くて、【わび】の意味するところは、【さび】を土台にして、それがさらに簡略・質素になったヴァージョンといえるのだ。それではその土台の「寂び」とはどういう観念か?それは 陰性を基調とする美であって、 派手・花やかさ・にぎやかさ・豪快さ・たくましさ等とは反対の性質をもつ美である。 ~~~~~~~~~上記に引用した「角川古語辞書」の【さび】に関する定義をもう一度読み直してみよう。【閑寂な趣のあること】、【古びて味わいのある】ことの意。【閑寂な趣のあること】。これは【にぎやかさ】の反対概念である。【古びて味わいのある】これは【花やかさ】の反対概念である。小西先生の説明と、見事に符合している。 ~~~~~~~~~小西先生が、【さび】に関して具体例を示している。【さび】に該当するものには、○をつけることにする。年齢においては「青年」ではなく、○老年色においては「赤・紫」ではなく、○茶色・灰色声においては「ソプラノ・アルト」ではなく○男性の低音のバス季節では「春・夏」ではなく○秋・冬の季節建物では「一流デパート・大ホテル」ではなく○草庵みな、薄暗い・渋い美である。英語における【IN】みたいな感じかな?ちょっとちがうけれど。さびという【陰性の美」 をはじめて認知したのは、藤原俊成であるという。驚くべき感性だな~。なまこをはじめて食べた人と同じぐらい偉い。俊成の後に、連歌師の心敬(しんけい)・宗祇、俳人では芭蕉などが、さびの文芸を代表する。 ★ ★ ★ ★ ★ ★「わび」は、わびし「形容詞」や、わぶ「動詞」と同系統の言葉。ということで 【わびし】を調べてみよう。------【わびし】は、【わぶ】という動詞を形容詞にしたもの。【わぶ】という動詞の基本意味は、 be troubled にあたる。だから、 悲観する・つらく思う・さびしがる・困窮する等の意味となり、その形容詞【わびし】も、同じ様な意味になる。------つまり 好感を持てないような筋合いの形容詞なら、たいてい当てはまって、painful という感じで英語に訳す事が多いという。(小西先生はスタンフォード大学の客員教授も勤めている)代表的な訳語は(1) つらい・難儀だ・くるしい。(2) 閉口だ・困る・かなわない。(3) つまらない・おもしろくない・いやだ。(4) 心ぼそい・さびしい。(5) みすぼらしい・貧弱だ。このうち、【わび】は、(4)と(5)に関係がある。 ★ ★ ★ ★ ★ ★こういう、しょぼくれた、ネガティヴな意味合いの【わび】が、ひとつの美になったのは、成金趣味へのレジスタンスとして生まれた現象らしいというのが小西先生の意見である。日本の16世紀の戦国時代が終わると、成金が続出した。成金というものは、見かけの金ぴかのものを贅沢品だと思って茶の湯の道具にもそう言う金ぴか趣味を持ち込んだ。それに対して千利休のわび茶は、あり合わせの道具で、粗末な座敷で、本当に茶の味だけを楽しみのが正しい茶道だとした。このような「わび茶」に見られるような、【簡素な味】が【わび】である。【わび】は本質的に【さび】と同じものである。ちがいと言えば、【わび】の方がより【質素・倹約】という意味合いを強く持つ。一方、【さび】は、かならずしも【質素・倹約】には、限定されない。そこで、【わび】を【さび】に比較すると、【さび】が【簡略質素】な性質を含むときの美、ということになる。【わび】とは【しみったれ風のさび】と言い換えることが出来るかも知れない。ただし、行き過ぎは西洋人に【貧乏美】と笑われかねない。 ★ ★ ★ ★ ★ ★試しに、研究社の「和英大辞典」をひいてみよう。【さび】(1)[古色]patina ; an antique look(2)[老熟]ーのある声 a chestened[practiced] voice.(3)[枯淡・幽雅]elegant [quite] simplicity.「これだけかよ!」 と言うところだ。では、【わび】はどうか?taste for simple and quiet.またもや、これだけかよ! である。和英辞典が、国語辞典より役にたつことがある。国語辞典では、その細かいニュアンスまで説明しきれないのに、和英辞典で英語に直すと、分析的に多岐に説明が成される場合がある。しかし、少なくとも【わび・さび】については、全くダメ、というところだ。 ★ ★ ★ ★ ★ ★明日は幽玄について。
2004.11.20
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私は読んでいないが、「私が棄てた女」という遠藤周作の小説がある。読んでもいないのにどうして知っているのかというと、その題名が印象的だからだ。それにこの小説は浦山桐郎監督が映画化している。あらすじは、主人公が社長令嬢と結婚して幸福な日々を送るが、かってその肉体だけをむさぼっただけで捨てた女工が、彼との子供を中絶していて貧しい生活をしていることを知る、そこから彼の葛藤がはじまる・・・、そういう設定の映画だ。では私には「棄てた女」がいるか? ということになると、どうも自分を「よい人間」と思いたがる私の特質が邪魔をするのか? そういう私が悪人になると言う具体的な例が出てこない。その代わりに「私を棄てた女」については、恨めしい想い出が瞬時によみがえる。 ★ ★ ★ ★ ★ ★最近知った『驚愕の事実』なのだが、女性は、一つの恋愛が(その過程はどうあれ)終わると、その男性の事はまったく視界から消えるという。つまり過去の男の事は全く引きずらないで、新しい男が全視界を占めるという。昔の男が懐かしんで電話をかけてきても「フン!」てなものらしい。男なら昔の恋人の声を聴いた瞬間に、胸がジ~~ンとするものだが、女性は「なんの用事?」と思うだけだという。これは明石家さんま司会のテレビ番組でのテーマだったのだが、居並ぶ女らしい美女達がこの冷酷な女性の特質について、全く否定するところがない。それどころか、高嶋一家(高嶋忠夫・寿美花代・それに息子二人)の従姉妹にあたるヴァイオリニストの高嶋何とかさんなんかは、その冷酷の権化らしい。う~~ん!百年の恋も冷めるとはこのことだ。女性一般への恋だが。今まで女性をこの上なく貞淑で、淑やかで、繊細で、純潔な存在として夢見てきたのは、大きな間違いだったのだ。男が変わると、以前の男の事は「すべて削除」できる脳とハートをもつ生物らしいのだ。聴き終わったCDをを取りだして、新しいCDをセットするように、女性は男性をポイ!らしいのだ。悔しい!男は女性と別れた後も(その経緯は別として)(都合がいいかな?)、その女性を忘れることなく、想い出を大事にしている。男の方がよほど女らしいではないか?悔しい!いい機会だからこの際、私の幼児期からの、歴代の「私を捨てた女」をひとりひとり想い出しながら、今夜の丑三つ時にでも、近所の神社の大木にワラ人形をカ~~ン カ~~ンと打ち付けてみよう。そのワラ人形を踏みつけてもいい。その時間に、急に腹部がシクシク痛み出したら、その女性は、私を棄てた女です。・・・てな訳は、無いか?
2004.11.19
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最近購入した古書のうちの三冊。● 『万葉恋歌 日本人にとって「愛する」とは』 永井路子 光文社アンコール復刊 カッパブックス 名著愛蔵→ アマゾン・マーケットプレイス(古本)からの購入。もうこの本はこれで四冊目になる。同じ本を・・・だ。一番初めは、むかし光文社カッパブックスとして購入、とても感銘した。その本がどこにあるのか? 見つからないことに気がついて購入したのが 『万葉恋歌 日本人にとって「愛する」とは』 永井路子 光文社文庫これが二冊目。その時ちょうど、ある人がご自分の自費出版の童話を送ってくれたので、お返しとして、もう一冊を購入して、アマゾンから直接その人の自宅へ送った。これで三冊目。その光文社文庫の文庫本がまた本の山の中で行方不明になってしまった。(数日前に「再発見」したが・・・。)しかたがないので、もう一冊注文することにした。これが四冊目。同じ文庫本を注文するのも芸がないので、古本の単行本を買った。しかも、『アンコール復刊 カッパブックス 名著愛蔵』というサブ・タイトルに注目した。やっぱり私の眼に狂いはなかったのだ!(これ冗談ですよ)多数の読者のアンコールで復刊するほどの名著なのだ! ~~~~~~~~~参考までにこの光文社の「名著愛蔵シリーズ」で復刻されている本のうち、私がすでに読んだ本もある。● 京都の旅 今日の風土記 第一集 第二集 松本清張・樋口清之● 鳥葬の国 ―秘境ヒマラヤ探検記―川喜田二郎● 葉隠入門 ―武士道は生きているー 三島由紀夫● きけ わだつみのこえ 第1集 第2集 日本戦没学生記念会編● 零戦 ―その誕生と栄光の記録― 堀越二郎● 記録写真 終戦直後 (上・下) 三根生久大以上の本は一度は読んだことがある本だ。一冊一冊みて行こう。 ~~~~~~~~~● 京都の旅 今日の風土記 第一集 第二集 松本清張・樋口清之→ 第二集を古本屋で買って、興味深いと思ったので、第二集を探していたら、やはり古本屋で発見、すぐ買った。絶版なので貴重だと思っていたら、アンコール復刻されたのか~。また、私の本を見る目もなかなかあるじゃないか!● 鳥葬の国 ―秘境ヒマラヤ探検記―川喜田二郎→ 山岳部だったし大学では探検部に入りたかったぐらいだから、当然読んでいる。この本も所在が分からない。私は海外に二ヶ所ぐらい日本の本のストックを大量に持っている場所があるので(海外で日本の本がないと辛いのでデポを作った)、恐らくそこに置いてきたのだろう。● 葉隠入門 ―武士道は生きているー 三島由紀夫→ あまり印象に残っていない。特に感激はしなかった。 ≪「武士道といふは、死ぬことと見付けたり」で名高い『葉隠』は、自由と情熱を説いた書である。“私にとってたった一冊の本”と心酔し、実践することに情熱を注いだ著者が、現代に生きる『葉隠』を説く。≫● きけ わだつみのこえ 第1集 第2集 日本戦没学生記念会編→ 学生時代に読んだが、あまり記憶に残っていない。● 零戦 ―その誕生と栄光の記録― 堀越二郎→ 柳田邦男氏の同様の著作もある。● 記録写真 終戦直後 (上・下) 三根生久大→ 古本屋で(下)を入手した。(上)を探している。懐かしい風景。● 旧約聖書入門 ―心の糧を求める人へー 三浦綾子● 旧約聖書入門 ―心の糧を求める人へー 三浦綾子→ 古本屋で入手。未読。クリスチャン、曾野綾子・遠藤周作など、の宗教話には、何となく抵抗がある。 ~~~~~~~~~● 日本童謡集 ―「青い眼の人形」から「唐獅子牡丹」までー 寺山修司 編著● ゴリラ探検記 ―赤道直下アフリカ密林の恐怖― 河合雅雄● 記録写真 太平洋戦争 (上・下) ロバート・シャーロット 中野五郎● 歎異抄入門 ―この乱世を生き抜くための知恵― 本多顕彰以上は、読んだことがない。寺山修司の日本童謡集は読んでみたいな~。 ~~~~~~~~~● ユリイカ 特集 スタニスワフ・レム 青土社→ ポーランドのSF作家、スタニスワフ・レム。彼の本は、難しくてよく分からないのだが、ポーランドでレムの本を買ったことがあり、私は読めないのでポーランド人の友人にあげた。とは言え、彼にはアシモフと共に非常に興味があるので、行きつけの古本屋に転がっていたこの本を買った。値段が安いその古本屋としては強気の1000円だったが、すぐ買った。SFを読むと世界が広がるような気がして、閉塞感を予防することが出来る。● デ・ボノの知的用語事典 ワード・パワーを高める本 WORDPOWER An Illustrated Dictionary of Vital Words エドワード・デ・ボノ Edwared De Bono 芦ヶ原伸之訳 講談社→ かって「水平思考」で世界的ブームになったデ・ボノ博士の著書。この本は、私にとってもっとも大事な本の一つ。これも持っていたのに、その所在が不明で、長い間探し続けていた。こんどやっとネットで見付けて、文字通り「大喜び」で買った。姉妹編の「基本用語編」はまだ見つからない。英語のオリジナル版はペリカンで両方とも買ってあるのだが、フォントが極めて小さくて読み辛い。それにやはり日本語の方が読みやすい。ただし、一種の辞書だから(知的用語の解説付き辞書)、それも英語の知的用語(Vital Words)が解説してあるのだから、原版に当たって、英語での正確な定義や説明を確かめる必要があるし back up としても英語原版も必要だ。※ この本については改めて別の日記で書いてみたい。● 図解 英語基本語義辞典 An Illustrated Dictionary of English Words 川上道生(監修) 政村秀實(著) 桐原書店→ これも先週ブックオフで買った古本だが、100円ではない。定価が2060円でブックオフ価格1100円。偶然だがこの本は、上記のWORDPOWERを参考にした本の一冊としている。図解で語義を解説するという手法を参考にしたのだろう。※ この本についても、WORDPOWERとともに、改めて別の日記で書いてみたい。 ~~~~~~~~~ここだけの極秘事項だが、この他に先週、ブックオフで、100冊以上買ってしまった。そのほとんどは100円本だが、それにしても、これはきちがい沙汰と言っても過言では無い。もう一生、本を買うのはやめよう!(のつもり)それに加えて、この罪滅ぼしに、毎日の日記を読書日記としよう!ただし、私は有言不実行の人間であると言うことは、お忘れ無く。
2004.11.18
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最近購入した新刊本。● イスラム教入門 中村廣治郎 岩波文庫→ イスラム関係はもう下記のようにいろいろ本を持っているのに、また買ってしまった。 世界の宗教05 イスラム 啓示と実践 吉田光邦 淡交社 日本人のためのイスラム原論 小室直樹 集英社インターナショナル 日本人が知らなかったイスラム教 強者をくじくアラブその力と行動の論理 佐々木良昭 青春出版社 現代のイスラム 宗教と権力 山内昌之 朝日選書 世界の宗教 05 イスラム 啓示と実践 吉田光邦 淡交社 日本人のためのイスラム原論 小室直樹 集英社インターナショナル 世界史の第二ラウンドは可能か これからの世界史2 イスラム世界の視点から 三木亘 平凡社● 敬語のケイコ 読んで聴いてリズムで身につく 山岸弘子 日本実業出版社→ 海外育ちの娘のために買ったもの CD付き● みなさんこれが敬語ですよ 萩野貞樹 リヨン社→ 同じく娘のために買ったものだが、私が読んでも難しい ク~~!● ヨーロッパ思想入門 岩田靖夫 岩波ジュニア新書→ 岩波ジュニア新書は書き方もやさしいし基礎を学ぶには好適 良書らしい● ロンドン・パブ物語 石原孝哉・市川仁共著 丸善ライブラリー→ パブが懐かしいので● がん治療総決算 近藤誠 文藝春秋→ 近藤誠氏は慶応病院の医師。前著「患者よ、がんと戦うな」で一大衝撃を与えた。その書で、氏は「手術はほとんど役にたたない、抗がん剤治療に意味があるがんは全体の一割、ガン検診は百害あって一利もない」とした。あれから十年、最新刊の本書は、「今、あなたにとって最良の治療法は何か 手術、抗がん剤、放射線から免疫療法まであまたの妄説に警鐘を鳴らす渾身の書き下ろし」。私も身内を最近ガンで亡くしたので他人事では無い。ガン治療についての現実を知っておきたい● 日本文学史 小西甚一 講談社学術文庫→ 尊敬する小西先生の俳句の歴史についての本裏表紙にはこう書いてある。 《文藝作品の内なる表現理念=「雅・俗」の交錯によって時代を区分したところに本書の不滅の独創がある。健康ではつらつとした「俗」を本性とする古代文藝、端正・繊細な「雅」を重んずる中世、また古代とは別種の新奇な「俗」を本質とする近代。加えて著者は、日本文学を「世界」の場に引き出し、比較文学の視点からも全体的理解に努める。長く盛名のみ高く入手困難だった「幻の」名著の待望の復刊。》(解説=ドナルド・キーン)小西甚一先生は国文学の碩学、昔私が高校生時代に旺文社の大学受験ラジオ講座で「古文」を担当されていた。優しい語り口だったが先生の受験参考書が並の参考書ではなかった。深かった。面白かった。懐かしい思いもあって買ってみた。本当は>長く生命のみ高く入手困難だった《幻の》名著の待望の復刊この部分にひかれたのだが。先生は「日本文藝史」全五巻(絶版)という超名著を著しているが、この本はその「日本文藝史」に先だって書かれた抄本とでもいうべきもの。なお、この「日本文藝史」は古本としては一巻6千円の値段が付いていた。復刊運動も起こっている。● 俳句の世界 発生から現代まで 小西甚一 講談社学術文庫→ msk222さんに俳句と川柳について講義してもらったので、興味が出た分野。裏表紙には 《名著「日本文藝史」に先行して執筆された本書において、著者は「雅」と「俗」の交錯によって各時代の芸術が形成されたとする独創的な表現意識史観を提唱した。俳諧連歌の第一句である発句と、子規による革新以後の俳句を同列に論じることの誤りをただし、俳諧と俳句の本質的な差を、文学史の流れを見据えた鋭い史観で明らかにする。俳句鑑賞に新機軸を拓き俳句史はこの一冊で充分と絶賛された不朽の書。》● 古文研究法 小西甚一 洛陽社→ 同じく小西先生の名著。高校生の大学受験用の参考書という建前だが、アマゾンの書評では軒並み「受験生は読むな」と。つまり奥が深すぎて受験期間という限定された短期間しか持ち時間のない受験生には無縁だと言うこと。むしろ大学での日本文学専攻生や一般人が熟読すべき名著とのこと。私も持っていたはずだが、今ペラペラとめくってみると、内容が大幅に変わっていて、その内容の濃さに驚く。「改訂版のあいさつ」を読むと、先生は毎年書き直しをしていたという。だから改訂版でまるで別の本のように変わってしまったのだ。変わってしまったと言っても、それはいい方に変わったのであって、メチャメチャに充実している。いや~これはすごい本だと、改めて感嘆。受験生なんかに読ませてはいけない。(私が受験生時代に感銘しておいて、この言葉は無いかも知れないが)特に古語の説明部分がすばらしい!!この本で解説してあったのを思いだして、この本を数十年を経てまた買ったようなものだが、「もののあわれ・幽玄・有心・艶 妖艶・花・さび わび・にほひ・うつり・ひびき・かるみ・をかしみ・粋・通」などの、私が知りたい《問題の言葉》が、たっぷり説明されているのだ。● 論理トレーニング101題 野矢茂樹 産業図書→ 私は理屈を言う割に論理力が弱いのではないか? と心配になったので買った本である。こんな本は他にないと思う。帯には《101問のステップ・アップ 解説書なんかいくら読んだって論理の力は鍛えられない ただ実技あるのみ 論理トレーニング第二弾》前著「論理トレーニング」が教科書風なのに比べて、この本は問題集・ドリルといったところ。
2004.11.17
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ほとんどあらゆる宗教が、「自分たちの宗教だけが正しくて他の宗教は邪教だ」と言い立てていますね。私などが、「宗教なんてインチキだ」という前に、ほぼすべての宗教がそろって、「他のすべての宗教がインチキだ」ということをすでに証明?してくれているのですから、多数決に「素直」に従った方がいいな~と思います。科学にほぼある普遍性というものが宗教には無くて、それぞれが独自の神や世界を主張しています。中には教祖自身が「神」である事も多い。それぞれの「タコツボ」に入り込んでしまえば、もう外の世界は見えませんしね。いわゆる「奇蹟」というものも、科学で重要な「再現性」がありませんね。「キリストの復活」も、何度でも復活してくれればわかりやすいんですが、たった一回だけで、その後は出し惜しんでいます。UFOと同じで、みんなが見ている前で再現・出現してくれるとわかりやすいんですが。例えば、野球場の始球式にUFOが現れて、ETが始球式をしてくれれば、一発でUFO・ETの存在を信じることが出来るんですが、残念です。
2004.11.16
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京都・大阪・神戸という関西のTRICITY(三都)について書いてみたい。「二都物語」という本がある。A Tale of Two Cities(Charles Dickens)あれは倫敦(London)と巴里(Paris)だが、海外には三つの都市が近距離にあって、三位一体的な関係にあることがる。それを TRICITY と呼ぶ。例えばポーランドに、バルト海沿岸のGdansk=グダニスク, Gdynia =グドゥニア,それに 保養地Sopot=ソポトの三都がある。グダニスクは連帯のワレサ書記長が電気工として勤めていた造船所で有名だったが、昔はハンザ同盟の商港でダンチッヒがドイツ語での旧名である。この辺は、もともとドイツ騎士団の領地で、いわばドイツの飛び地とでもいうもの。長年、ポーランドと抗争を続けていて、ついにポーランド・リトアニア連合軍の軍門に下った。この辺の方言はポーランド人でも理解できないという。「ブリキの太鼓」の舞台。 ~~~~~~~~~関西の京都・大阪・神戸も、私から言わせれば、日本の TRICITY である。最近京都に行った時に感じたことだが、京都の人の話し方が冷たくて気取っている様に聞こえた。道順を私がたずねた時の、人々の(ホテルのフロントの案内の女性を含めて)の対応・口調が、冷静で説明したらそれで終わり・・・てな感じなのだ。大阪人ならかなり情熱的に?教えてくれる。ちょっと途中までついてきて、その方向を指さして教えてくれることも多い。東京の場合は、私が住み慣れた地域だから、それがスタンダードだし違和感を感じない。京都の人の対応はそれらと「ちょっと」違うのだ、感覚的に。大阪のタクシーの運転手さんは達は庶民的で、すぐ阪神タイガースの話題などを振ってくる。京都ではタクシーの運転手さんも大阪と違って、冷静なノリ。ただ、私が「いや~! やっぱり京都の伝統というのは素晴らしいですね」と、うっかり?話した時だけは、すぐ「千年の都と言いますからね!」とキッパリ、背筋を伸ばして答えた。昔、客先の外国人達をつれて京都の一流料亭で接待した時だが、最後の最後に、無口でクール!(無愛想とも言う)な女性が、その料亭の女将であると知ってビックリした。「おいでやす 私が女将どす よろしゅう~」ぐらい、最初にあいさつしてくれよな。あるサイトを読んだら、京都の人間は、「伝統的に都人(みやこびと)としてのプライドが強く、京都以外の人間を見下す傾向がある」とか。やはり・・・?しかし、他のサイトをのぞいてみたら、「京都の人間は冷静で客観的な話し方」をするという事も書いてある。そう! きっとそれだったんだ。みやこびとは「冷静で客観的な話し方」をしただけなのに、いなかびとの私には冷たく感じられた。私が誤解したのだ。(こういう、無難な言い方をしている限りは、私は人から恨まれることは無い 私も成長したものである) ~~~~~~~~~京都と大阪は、電車でほんの40分ばかりで、近い。近いばかりに、私はどうも大阪気質・京都気質のちがいに過敏なようだ。 ~~~~~~~~~ついでに(失礼)、神戸の印象を書いておこう。神戸の目抜きの元町・三宮商店街などで商店で買い物をしようと思うと、どうも神戸の人の話し方が冷たくて気取っている様に聞こえた。(またかい? 京都と同じじゃないか)だいたい、店に入っても大阪のような「いらっしゃい!」という、元気で愛想のいい「歓迎のメッセージ」は無い。どこか、やる気がないような態度で、商品を買い上げても、「ありがとうございました」という感じでもない。もっと被害妄想的に考えると、「ここは神戸やで。日本の流行はハイカラな神戸からや。あんたはどこから来た人間や? 庶民の街、大阪からか? こっちは洗練された神戸人や。 大阪より一段上やで」と、心の中でつぶやいている気配なのだ。それに中華街に行くと、これも中国人の特質で、無愛想な感じが基調だ。う~~ん、京都同様、神戸にもバカにされているか?(私の被害妄想は相当ひどい!)(といっても、私自身は、地理的にも近いし、感覚的にも神戸寄りなのだが) ~~~~~~~~~韓国をよく「近くて遠い国」と言う。隣国だから距離的には非常に近いが、日韓の文化的な国民性の違いは大きいものがあって、それをもっと意識しないといけない・・・ということだが、これは大阪と京都の間でも言えることだなと再認識した。京都と奈良といえば、私にとっては大阪にいた小学校から高校までの期間、春と秋の遠足でいやと言うほど訪れた場所だが、考えてみれば、あれは、ただ観光バスに乗って集団移動しただけのことで、古都の人たちとはなにも直接的なコンタクトが無かったんだ。以上は、あたかも私が悪口を言っている様に聞こえたかも知れないが(・・・本当はそうなんだが)、日本国内での「プチ異文化体験」ということで手を打とう。 毎度おなじみ、「今日はこれぐらいにしといたるわ」 ~~~~~~~~~ところで、いよいよ大阪となる。大阪気質は、感覚的・開放的・ひとなつこさ・率直さ・品の悪さ・せっかち・・・などがあると思う。ただ、大阪といっても実際には大阪湾を抱え込む両腕のような、あるいはブーメランのような、非常に細長い地域である。自ずとその中でかなりの地域差があるのだが、関西以外の人たちには、そんなことはわからないだろうから、説明はしない。それにしても、テレビで取りあげられる戯画化された大阪人には違和感を感じる。ドラマなどでは、チビデブハゲの三重苦の上、ガラが悪く、横柄で、金に汚く、ねちっこくて、セクハラ平気の人間が、無条件に「大阪人」である。画面に出てくるなり「おい、ネ~ちゃん、わいはカネ一杯もっとるで こっちにこんかい」と変なアクセントの大阪弁で迫る。日本中の大阪人に対する偏見がテレビドラマに集約されている。まあ、人間像における偏見はそっちの勝手でいいから、せめて大阪弁ぐらいはチャンとしゃべれよ! ~~~~~~~~~テレビがロケなどで生の大阪人を描く時にも、意識的に、テレビを通じてできあがっている「テレビ的大阪人」のイメージ通りの人間を選んをピックアップして、演技をさせている。大阪人なのに全国の期待を裏切って、知的で冷静ではいけないのだ。それに対して、また大阪人(あるいは大阪在住の地方出身者)自身ものせられて、「典型的大阪人とはこんなものだ」と思いこみの演技をする、そういう「悪循環」が見られる。例えばいわゆる「大阪のオバチャン」という怪物なども、昔はいなかったように思える。少なくとも、似たようなもの、あのプロトタイプ(原型)となるような人間像はあっただろうが、確実に言えるのは、テレビがその特殊性を増幅拡大して、定着した人間像だということだ。昔の大阪人は普通の人間だったと記憶している。しかし、今のテレビ上での大阪人はまるで、みんなが喜劇人だ。みなが吉本の芸人になった気分なのかな?おかしな風潮になったものだと思う。ただ、たしかに大阪人には基本的に「なんでも楽しもう」「おもしろおかしいものに仕立ててしまおう」という、一種「日常快楽化主義」とでも言うべき、どん欲な意欲があって、日常でも言葉ゲームを楽しむ所はある。また、伝統的に言えば商人の町だから、現実的で、武士のような品格とか規律・建前・知性などを「評価」しない。それは本当だな。 ----------------↑では、本当は「評価する」という言葉より「アプリシエイトする appreciate」という言葉を使いたいところだが、appreciate にピッタリの日本語がない(・・・と思う)。評価というと、「その状況から距離を保ちながら、その価値を定めよう」という距離感と第三者感がある(と思う)。これにくらべて appreciate は?開拓社の【Oxford Advanced Lerner’s Dictioanry of Current English】でひいてみよう。Appreciate 他動詞・自動詞 1 judge rightly the value of ; understand and enjoy価値を正しく判定する ; 理解し、楽しむ 例文 You can’t appreciate English poetry unless you understand its rhythm. 韻律というものを理解してはじめて、英詩を楽しむことができる 例文 We all appreciate a holiday after a year of hard work. 一年間の激務の後だったので、休日は楽しめた2 put a high value on 価値が高いものとみなす 例文 We greatly appreciate all your help. あなたの助けを大いに評価します。(これだな)3 (of land, goods, etc) increase in value 資産価値・財産価値が増える 例文 The land has appreciated greatly since the new railway was built. 鉄道が敷設されてから、土地の資産価値は大幅に上がった。4 realize and understand. わかって理解する 例文 I appreciate your anxiety about your son’s illness. あなたの息子さんの病気へのご心配はよくわかります。一番初めの語義(1)が私の求めているものだった。1 judge rightly the value of ; understand and enjoy価値を正しく判定する ; 理解し、楽しむ「評価する」という狭い語義なら(2)だろう。2 put a high value on 価値が高いものとみなす こうして英英辞書で調べてみると、appreciate には、やはり「楽しむ」という主体的なニュアンスがある!「評価」という日本語の示す意味とは、重なる部分もあるが、重ならない部分もあるということだ。で、私は「評価」という言葉を使う状況で、「アプリシエイト」という言葉を、一昨日?の日記で思い切って使ったのだけれど、これからもっと使おうか?それとも「理解し、楽しむ」とでも説明的に言おうか?やはり日本語と英語との距離は遠い。 ----------------もとにもどろう。大阪に帰ってきて大阪のテレビを見ていると、テレビ番組の多くに吉本や松竹の芸人が出演していて、その番組の主力になっている。大阪のテレビ局は地方局で、東京のキー局にくらべて経済規模が比較にならないほど小規模だから、番組も思い切り安手に製作する。芸人を数人呼んで、アナウンサーが一人、豪勢にやるには東京で活躍している芸能人を一人ぐらい目玉商品・ゲストとして出てもらうぐらい。台本などもほとんど無く、番組前の5分ぐらいでちょっと話をするぐらいらしい。とにかく芸人のアドリブと馬鹿話だけで番組が進行して行く。芸人さん達は達者だから、台本が無くてもそれなりにおもしろおかしいものにはする。しかし、こう言っては悪いが、芸人さんに知性を求めてはいけない。品格も求める方がおかしい。加えて大阪人には、知性を笑い飛ばし、バカであること、品が悪いこと、を自慢するような風土がある。庶民の代表を演じる関西芸人は、その傾向をテレビで何倍にも増幅して、脱力系のノリで猥雑低俗なローカル性を作り上げる。 ~~~~~~~~~大阪のスーパースターといえば、ご存じの上沼恵美子。それに加えて、もうひとりいる。やしきたかじんという歌手であり司会者でもあるという男。この二人の得意芸というのは「芸能人の裏話」番組の司会である。二人ともほぼこれだけのネタで喰っている。この「芸能人の裏話」というのは、「東京には電波が飛ばない関西ローカル」テレビ局という限界を逆手にとって、東京の建前テレビでは言えないレベルのきわどい(しかし実にくだらない)裏話を、東京から芸能リポーターという【小判鮫】人種を大勢招いて(芸能リポーターのギャラは察するに安いんだろう)、開陳してもらうのである。つまりはプライバシーののぞき見という、暴露番組の典型だが、どんどんローカル化する大阪を救う「ニッチ=隙間」商品と言えるかもしれない。
2004.11.15
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生き甲斐とはなにか?「生き甲斐」って定義にもよるが、平たく言うと「生きていてよかった」という気持かな?「生きていてよかった」と言う感慨を持つのは通常、短い瞬間であって、通常はその気持ちが長続きするわけではない。それでも、そう言う感慨を感じる瞬間の多くは、私にとっては、ありきたりだが読書をしている時かな?と思う。「この本はすごい!」「この情報はすごい!」と、うなずきながら読み進む、また、松本清張のミステリーのようなエンターテイメント物をワクワクしながら味わうのも実に楽しい。 ~~~~~~~~~私の楽天日記のカテゴリー区分は下記のようになっている。・外国での想い出(54)・日本での想い出(19)・私の読書 面白い本(59)・文化 歴史 宗教 哲学 言語(38)・科学 宇宙 人類史 脳科学(12)・趣味 芸術 映画 スポーツ(27)・その他 複数テーマ(19)・時事 政治 経済 社会(63)・日記について(19)このカテゴリー群は二つのグループに分けることが出来ると思う。最初のグループは、下記のカテゴリーで、どちらかといえばすでに私の「灰色の脳細胞」にインプットされた「過去情報」を、牛のように反芻したり、その情報から派生した雑感を書いている日記である。・外国での想い出(54)・日本での想い出(19)・趣味 芸術 映画 スポーツ(27)・その他 複数テーマ(19)・日記について(19) ~~~~~~~~~ところで、この「灰色の脳細胞」という表現は、ご存じ、アガサ・クリスティーの生み出したベルギー人の名探偵ポアロの名推理を生む源なのだが、「灰色」という色彩は、解剖学的に本当なのだろうか?私の先入観では脳髄の色は、ベージュというか? ほぼ黄色と言ってもいいかな?アンキモの色というところなのだが。念のために「灰色の脳細胞」と「解剖」というキーワードで検索してみたら、やはり灰色だった。頭蓋骨をスパッと電気ノコギリで切ると、灰色の脳細胞がギッシリと詰まっているという。この脳細胞の中にシナプスがまた無限と思えるほどの数、詰まっていてパチパチ・パチパチ連絡・反応しながら、人間は恋愛したり、哲学したりしているのだ。ところで解剖が終わってこの灰色を元の頭蓋骨に再収納しようとしても、なかなかうまく収まらないという。脳髄は出来るだけ多くのしわを作って表面積を多くしようとしているし、どんどん容積が増えているから、恐らく究極のぎっしりになっているはずで、それを一度とりだしてしまうとジグゾーパズルのように難問になるのだろう。 ~~~~~~~~~次のグループは上記の「過去情報の反芻」カテゴリー類とは違って、、私としては「情報系」カテゴリーとして認識していて、新しく入荷した興味深い情報を日記に書きたいと思っている分野である。しかしながら現実には、私の今までに持っている情報量と質が貧弱な分野でもある。まあ、だからますます情報のインプットが必要な分野でもあるのだが。・私の読書 面白い本(59)・文化 歴史 宗教 哲学 言語(38)・科学 宇宙 人類史 脳科学(12)・時事 政治 経済 社会(63) ~~~~~~~~~私は東京から大阪へ引っ越してきて、長年の友人関係もほぼ断絶してしまったので、情報の仕入れは、新聞 テレビ ラジオ 雑誌(週刊紙・月刊誌) 本ぐらいになってしまった。この中でやはり圧倒的に情報量が多いのは、読書と言える。私の場合、買う本も情報系の本が中心で、それも情報量が多いものを選んでいる。「濃い情報」が詰まっている本が好きなのだ。若い頃は小説・詩歌などのノンフィクション分野が好きだったのだが、だんだん私自身が変質してきたのだ。つまり、情緒・芸術的感興から、情報をアプリシエイトする人間に変わってきた。だから、今の私の読書傾向は圧倒的に情報系である。ブックオフの100円均一本や、近所の古書店のバスケット本(200円均一)が、シェア的に非常に多い私の本のストックだが(だから蔵書と書きかけておこがましいのでやめた)、それでも基本的に情報量が多い本が多いと言えると思う。 ~~~~~~~~~読書すると言うことの精神的な源は、「好奇心」だと思う。生活の趣味の部分では、読書と楽天日記しかやっていない今の私の生活であるから、逆に言えば、私の今の人生は好奇心でもっている。私に好奇心が無くなれば、外観はともかく内容的には、一巻の終わりかも知れない。「生き甲斐」のない人間になるとは恐ろしいことだと思う。若い時から、私は本格的に意図的に計画的に読書をしてこなかった。本の題名に興味をひかれ、好奇心を刺激されてアトランダムに読書という場合がほとんどだった。海外出張の際に、することもないのでとりあえず本を読むと言うことも多かった。そうして、その本の事は忘れてしまうことが多かった。読書は退屈しのぎで、その情報に脳が一時的に興奮すれば、一応本というものの効用は終わりだと思っていた。私は基本的に「乗り物に乗っている時」や、「待ち時間」を「ぼんやり過ごす」と言うことがあまり出来なかった。そう言う時間は私にとっては、一種の苦痛の時間なのだ。そう言えば、私は歩くことも未だに好きではない。散歩もあまり好きではない。歩くというスピードが私には合わない。そぞろ歩きをするのなら、せめて自転車に乗ってそれをしたい。欧州にいた時は、妻や現地の人間が散歩を習慣にしているので、いやいやながらつきあったが、自分一人の時はその頃欧州ではまだ見かけたことの無かった、日本から持参したマウンテンバイクで近所を散策した。 ~~~~~~~~~そう言えば、独身時代は特に会社が終わってもまっすぐに帰宅はしなかった。同僚達と飲みに出かけて、遅くまで歓談した。同僚ではない美女とも歓談した。同僚ではない外国人の美女とも歓談した。つまり、時間的な空白が苦痛だったのだ。何もしないという「ブランク」が苦痛だったのだ。若さが濃度と集中を求めていたのだ。しかしそれも、今は加齢と共に変わってきた。集中力が欠けてきたから、気がついたらぼんやりしていることが多いし、下らないテレビ番組を受け身で観ている事が多い。読書もなかなか始めるきっかけが無い。 ~~~~~~~~~ただ、自分の人生の残り時間と、未読了の本の山を見ていると、今までとは違う読書をしようと思うようになった。各ジャンルの基本を「初歩の本」で学んでから、興味のある本を読んで行くことを基本としたいと思う。さもないと知識が虫食い状態のままになる。理想的には読書だけにとどまらず、その知識・情報を集約・ブラッシュアップして、加工して、付加価値を与えて、何らかの本を書けるようなレベルにまで到達できればいい。しかしこれは、現実的に困難だから、せめて「そのつもりで」、意識を高めていこうと思う。これは今のままでは受け身の読書であったので、これからはもっと意識的なアクセント・目的意識のある読書をするべきだということ。言い換えれば、読書の意識的ターゲットの一つとして、「本を書ける」レベルを意識しようというもの。本当に本を書こうと言う考えはない。本を書く作業は、読書とは別ジャンルのもの。それにこの方式の読書は、もうすでに読書そのものにはとどまらない物だと思う。 ~~~~~~~~~いろんな読書の記憶がそれだけに孤立的に「standing alone」の状態にとどまっては、読書の意義の歩留まりが悪い。使い捨て状態になる。一つの読書から、関連的に発展的に、同じ様なテーマを掘り下げて読書する。または横断的に学際的にテーマ・興味を拡げて行く。その中で、「自分の発見」というものを創造する。そう言うことが学問だと思う。(実際には方法は読書には限らないが) ~~~~~~~~~私の場合は、研究者になろうと思っているわけでもないから、「深い掘り下げ」や圧倒的な勉強量は無理であるし、その意欲も無い。それに自分の専門分野というものも無いから、個人的な興味が野放し・放し飼い状態になって、結果的に読書の領域も無制限に拡大・分散してしまう。これでは、学問としては成り立たない。いろいろ、回り回って今考えるのは、この楽天日記で充実した読書日記を書くことを目標にすれば、とりあえずは、意識的な読書の第一歩ではないか?ということに帰結する。こういう平凡な結論に達するまでに、いろいろ屁理屈を書いたが、とりあえずは今日何か一冊、読書するのが先決ということだ。
2004.11.14
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私の記憶の奥底で、昔たしか「SM喫茶」という言葉があったという気がしていた。「SM」という激しくも鮮烈な世界と、「喫茶店」という、つつましくもほのぼのとしたスポットとのコントラストに、一体どのような「喫茶」なのか?興味を覚えたのだ。ところが最近、そのSM喫茶というものが不死鳥のごとくよみがえっているのを知った。たまたまある女神の名前をネット検索したら,その名前を持つこのSM喫茶が、呼びもしないのに検索に引っかかってきたのだ。飛んで火にいるSM喫茶なのである。このSM喫茶のサイトは美しい言葉で飾られている。~~ 音楽の無い静けさが神秘の世界への出発点なのです。過去の人生を捨てて今日から【素晴らしい未来への旅立ち】へ挑戦して下さいね。素晴らしい【愛への思いやり】・・真実のSMを男女スタッフが心を込めてご指導致します。 ショーを観に来られた女性客は大胆な会話に花を咲かせた後、「私も縛られてみた~い」「女王様を演じてみた~い」とショーへの飛び入り参加を熱望する。筋書の無いショーの始まりである。 Mに興味ある女性は縛られての逆さ吊りや十字架への張り付け。Sに興味ある女性は女王様の衣装に着替え鞭を持つ。その瞬間から雰囲気も女王様になりきってしまい、思わず溜息を付いてしまう変貌振りに店内は和気藹々ムードです。~~『店内は和気藹々ムード』だとは言うが、『真実のSMを男女スタッフが心を込めてご指導』されたら、真実の「S」か、「M」になってしまうじゃないか!『女王様とM女募集中! 本当にやる気のある女性募集しています。』・・・とも書いてあるが、こういう所で『本当にやる気のある女性』って、怖く無い? ~~~~~~~~~ 実は、昔は、いろんな種類の喫茶店があった。まず『美人喫茶』というのがあった。私が覚えているのは『プリンス』と『コンパル(金春)』。中は長いカウンターになっていて、美人たちがズラッとカウンターの中で立っている。客はスタンドに座って、トイメンの美人達と会話を楽しみながらコーヒーなどを飲む。それだけなんだけれど、この美人喫茶の美人達は本当に美人だった。今は美人だったら、いろいろなお仕事があると思うけれど、むかしは女優ぐらいしか思いつかなかったのではないだろうか?そういう、思いつかなかった美人が美人喫茶のカウンターの内側でにこやかに微笑んで私を迎えてくれたのだ。(別に私だけじゃないんだけれど)銀座のバーの喫茶店ヴァージョンと考えてみればいいのだと思う。今でもこういう美人喫茶があればいいのだけれど、今は美人のコストが高くなっていて、美人喫茶ぐらいの報酬では雇えないだろうと思う。 ~~~~~~~~~喫茶店といえば、大昔の、つまり私の高校生の頃までは、むやみに入ることをはばかれる社会的風潮があった。そう言えば映画館もそんな感じだった。私は平気だったけれど。そう言う喫茶店のメニューの一番底の方には 飲み物 とあって、『ウヰスキー』(わざと旧い「ヰ」を使ってみました)というのがある。これを注文すると(さすがに高校生の時ではなくて、大学生になってからだけれど)、お猪口ぐらいの小さなサイズのガラスのグラスにウヰスキーが注がれているのが出てくる。ストレートだ。もちろん、お水のチェーサーもついてくるが。 ~~~~~~~~~ジャズ喫茶というのもあった。私は高校の時からモダンジャズが好きになり、大学でモダンジャズの同好会に入ったほどだから、「ダンモ喫茶」と当時称していたモダンジャズがかかっている喫茶店で、毎日何時間も聴いていた時代がある。(なんだか、喫茶店という単語からどんどん、昔の記憶が出てくる)このダンモ喫茶では、普通は映画館でしか揃えないような、超高級なハイファイステレオ装置を備えていて、モダンジャズのレコードを大音響でかける。JBLとかアルテックとかいう、ジャズ向きのアメリカ製のスピーカーに、マッキントッシュなどのアンプ・・・。ダンモ喫茶の壁面全体がスピーカーになっていたようなすごい店もあった。その典型が新宿にあった木馬かな?このダンモ喫茶でかかるレコードは、客のリクエストによる。演奏中のレコードのジャケットは、客の目につく場所に掲げられる。モダンジャズのレコードのジャケットは、当時なかなか重要な役割を演じていたのである。数あるレーベルの中でも、ブルーノートというレーベルのジャケットがセンス抜群だった。 ★ ★ ★ ★ ★ ★中でも私のもっと好きなジャッキー・マクリーン、それにソニー・クラークの【Cool Struttin’】は、マンハッタンとおぼしき街中を、スリット入りの黒いタイトスカートをはいた脚線美のキャリア・ウーマンらしき女性がハイヒールでさっそうと歩いているもので、演奏も最高、ジャケットも最高の見本のようなレコードである。このジャケットの写真は下記で。ジャケットもうひとつ、今は超有名盤になったヘレン・メリルの【You'd Be So Nice to Come Home To】が入っている【Helen Merrill with Clifford Brown】。日本ではヘレンは「ニューヨークのためいき」とか「魅惑のハスキーヴォイス」とかの形容がお決まりだが、米国のアマゾンではこのレコードでのヘレンを【breathy】と表現している。このレコードを聴いていると、本当にヘレンの息づかい・つぶやき・あえぎが耳元で鮮明に聞こえ、悩ましいことこの上ない。このジャケットは、そんなふんいきを伝えるものになっている。ジャケットの写真は下記で。ジャケットジャッキー・マクリーンもヘレン・メリルも来日コンサートへ行った。特にヘレンは高校時代に初来日した時にその歌声とモダンな唱法にひとめ(?)惚れして、(本当はその美貌にもだが)、二回目に来日した時は大学生だったが、コンサートが終わった後、勇気を振り絞って楽屋に行き数枚のレコードにサインをしてもらった。今でも彼女の輝くプラチナブロンドが目に浮かぶ。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ダンモ喫茶に戻ろう。自分の好きな曲をリクエストして、その曲がかかるまで、自分の席でジッとうずくまって待つのだが、この間の時間がまた、それなりにいいのである。リクエスト曲がかかると「みなさん これは私がリクエストした曲ですよ」的な表情を浮かべながらリズムをとる人が多いたまに自分の知らないレコードがかかると、そのジャケットを手にとって、ライナーノートを読んでみる。ダンモ喫茶の客はもちろんモダンジャズが好きな客ばかりで、普通の喫茶店のように集団やカップルで入ってきたり、コーヒーを飲みながら談笑する・・・ということはない。ひとりひとりが、ひたすらに曲に没入しながら何時間も過ごす。モダンジャズ・ファンという層は考えてみればおかしな人種だったなと思う。当時のダンモ喫茶の名前も覚えている。新宿の「きーよ」「ヨット」「DIG」「汀」「木馬」「ピットイン」「メッセンジャーズ」・・・。早稲田の「もず」。もう一軒あったな。渋谷の「オスカー」その他。東京駅と有楽町の「ママ」そういえば「DIG」は三軒ほどあって姉妹店らしかった。村上春樹が一時「DIG」のオーナーをしていたという。村上春樹の小説は二三冊持ってはいるのだがまだ読んでいない。ただし、その題名にひかれて「やがて哀しき外国語」という、彼が米国ニュージャージー州のプリンストン大学で客員教員(かな?)として過ごした頃の事を書いた本を読んだ。アマゾンの書評では「アメリカでの生活の実態が鮮やかに描かれている」とか「日本とアメリカの文化の違いが」とか「彼の本の中で一番好きな本」などと絶賛だが、私には、ありきたりで、何も発見や深さ・シャープさの無い、退屈でつまらない本だった。新刊書で買うのじゃなかったと思うほど。これで彼の小説を読む意欲が、また減退してしまった。今ではダンモ喫茶は、ほとんどもう死に絶えてしまった。吉祥寺に「メグ」という店があるそうだが。 ~~~~~~~~~私は入ったことがないが「電話喫茶」というのが一時流行った。店内の各座席のテーブルに電話機がのっている。その電話は内線でつながっていて、魅力的な異性を見つけると内線で「もしもし!」と話しかけるわけだ。一種の出会い系サイトといえないこともない。シャイな私?には、露骨すぎる感じがして、行こうという気が起きなかった。当時は「俳句喫茶」というものもあったというが、どんな喫茶店なのか? 見当もつかない。近くは「ノーパン喫茶」というのもあったな。これは、どんな喫茶店なのか? 行ったことが無くても見当はつく。松井秀喜選手が通ったというのは「ノーパン喫茶」ではなくて、「ノーパン・しゃぶしゃぶ」だった。ところでこの「ノーパンなになに」というネーミングは、「しゃぶしゃぶ」だけに与えるのはもったいないのではないか?「ノーパンすき焼き」とか「ノーパン焼き肉」とか「ノーパン信州蕎麦」とか「ノーパン・フランス料理」とか「ノーパン本屋」とか「ノーパン百貨店」だとか「ノーパン・スーパー」だとか「ノーパン薬局」とか「ノーパン・キオスク」だとか「ノーパン魚屋」だとか・・・。でも、さすがに、「ノーパン下着屋」は、おかしいかな? ~~~~~~~~~「歌声喫茶」というのも一時流行った。二三回行ったことがある。店内にリーダー(従業員)がいて、ロシア民謡や左翼系の歌を客に合唱させるのだ。当時の流行歌のいくつかは、こんな歌声喫茶から広まっていった歌がある。「ともしび」等はその代表格かな?追加。「名曲喫茶」というのがありましたね。今も一部に生存しているらしいけれど。クラシック音楽をかけてくれる。いい雰囲気だったけれどな~。渋谷にライオンというのがありましたね。
2004.11.13
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アラファト議長の個人隠し資産は推定約4452億円で、その中に日本国民の血税が相当含まれている。パレスチナの偉大なカリスマ指導者、故アラファト議長の葬儀がカイロで盛大に行われているが・・・。パレスチナ難民の貧困にあえぐ生活をよそに、故議長には巨額“隠し資産”があるとされ、パレスチナ内部でもこの遺産!?争いによって、後継争いが激化すると見られている。議長は40年近くにわたりPLOの秘密資金を、「個人」で「一手に」管理!していたそうだ。この大半はアラファト氏の個人名義で預金していて、その額は国際通貨基金(IMF)の推定で42億ドル(約4452億円)!!。富豪番付で有名な米国の経済誌フォーブス誌は、昨年の「王室・指導者の部」で議長を世界6位の資産家に位置づけたというから笑ってしまう。議長は、各種口座番号を控えた手帳を肌身離さず持っていたという。死んだ時もベッドの枕の下に隠していたんだろうな~。 ★ ★ ★ ★ ★ ★法律上、議長の遺産の相続人はパリ在住の賢夫人!スーハ夫人(41)と娘のザフワさん(9つ)だという。夫人は裕福なキリスト教徒のパレスチナ人家庭に生まれ、仏ソルボンヌ大学で学んだという。1990年前後にキリスト教徒からイスラム教徒に改宗、28歳のときに62歳の議長と結婚した。(結婚目当ての改宗かな?)当時から「解放闘争の指導者のイメージに合わない」と批判され、ブランド好きで高級外車を乗り回し、イスラエルとの衝突が激化した2001年からは娘とパリへ移住。議長から月額5万ドル(約530万円)の仕送りを受けて超豪華な生活をしていた。(これ年額じゃないんだよね 月額!)2002年7月から2003年7月までに、スーハ夫人の銀行口座にスイスから振り込まれた金額は900万ユーロ(約12億4000万円)に及ぶという。アラファト議長はこの他に、親戚の口座や関連事業に数え切れないほどの資金を分散しているという。このスーハ夫人が議長の病状を隠し、生命維持装置を外すことに抵抗したのは、議長の巨額の隠し資産を守るためだったらしい。しかし仏検察当局はスーハ夫人について、マネーロンダリング(資金洗浄)の疑いで予備捜査を開始したという。正にパレスチナを食い物にした夫婦だな~。 ★ ★ ★ ★ ★ ★昨日の日記で引用した日本外務省のパレスチナ報告には、引用しなかった『対パレスチナ経済支援』と『人的往来(肩書きは全て当時)』という項があるので、それを下記に引用しよう。日本がパレスチナ側に与えた無償援助の額が記載されている。 ~~~~~~~~~ ★ 『対パレスチナ経済支援』 ==========(イ) 日本は、93年9月に細川総理(当時)より2年間で2億ドルを目処としたパレスチナ支援を表明してから、現在に至るまで約6億2千万ドル以上に及ぶ(2001年12月現在)協力を実施し、和平プロセスを支援している。日本は、EU、米と並んでパレスチナ人に対する最大級のドナー国であり、パレスチナ側のみならずイスラエル側からも高い評価を得ている。 (ロ) 日本の支援は、主として、1) パレスチナ自治政府の行政能力向上支援及び人材育成支援2) 基礎インフラ整備支援3) 難民救済等の人道支援4) 封鎖措置による経済的打撃を軽減するための緊急支援からなる。 (ハ) 99年には、パレスチナ支援調整会議を東京にて開催した。ここでは、イスラエル、パレスチナ、ドナーの三者の間で、パレスチナ支援推進のために各々が実施すべき事項を定めた新しい「三者行動計画」が署名された他、日本から、17億円の無償資金協力、2000万ドルのUNDPを通じた対パレスチナ支援を表明すると共に、世銀と共に行っている援助効率化及び援助調整の改善調査の報告を行った。 (ニ) 2000年9月末に発生したイスラエル・パレスチナ間の衝突以降は、衝突及び経済的苦境により負傷者、失業者がパレスチナ人の間で増大したのに対応して、一般無償資金協力による食糧援助や草の根無償による医療・保健、教育分野での協力、UNDP等国際機関を通じた医療支援、雇用創出支援等を行い、衝突発生後2000年10月から2002年6月までの援助総額は5000万ドルを上回った。 ~~~~~~~~~※ alex注)つまり、日本は、少なくとも2002年6月までに(イ) で6億2千万ドル(ニ) で5000万ドル合計、6億7千万ドル以上の無償供与をパレスチナに与えている。2002年6月以降の金額についての資料は、まだ見つけていない。 ~~~~~~~~~ ★『人的往来(肩書きは全て当時)』 ==============(イ) パレスチナ要人の訪日 1981年10月 : アラファト議長(日・パ議連招待) 1989年10月 : アラファト議長(日本政府招待) 1996年 9月 : アラファト議長(日本政府招待) 1997年11月 : ナビール・シャアスPA計画・国際協力庁長官 1999年4月 : アラファト議長(日本政府招待) 1999年10月 : アラファト議長(パレスチナ支援調整会議出席) 2000年5月 : ナビール・シャアスPA国際協力庁長官(第一回日・パレスチナ政務協議・合同委員会) 2000年8月 : アラファト議長 2002年3月 : アブ・アラPLC議長 (ロ) 日本側要人のパレスチナ自治区訪問 1995年9月 : 村山総理 1996年8月 : 池田外務大臣 1998年1月 : 鈴木北海道開発庁長官 1998年12月 : 鈴木官房副長官 1999年1月 : 高村外務大臣 1999年3月 : 町村外務政務次官 2000年3月 : 東統括外務政務次官 2001年8月 : 杉浦外務副大臣 2002年1月 : 与党三幹事長 2002年5月 : 山崎自民党幹事長 ★ ★ ★ ★ ★ ★(イ) パレスチナ要人の訪日 1981年10月 : アラファト議長(日・パ議連招待) (ロ) 日本側要人のパレスチナ自治区訪問 1995年9月 : 村山総理 この相互の行き来の中で、どういう金の問題が話し合われたのだろうか?確実なことは、6億7千万ドル(約710億円)以上の日本からの援助の相当部分がアラファトさんの個人口座に入っていて、それはまもなくスーハー夫人と娘のザフワさんのものになるということ。いや、めでたいめでたい!
2004.11.12
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昨日は、パレスチナ問題に関する、フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』の叙述を引用しました。今日は平成14年6月付けの「日本国外務省(パレスチナ概況)」の引用です。これも国民に公示された外務省の記事ですから、引用には問題が無いと思います。本日も容量的に引用だけとなりそうです。 ★ ★ ★ ★ ★ ★パレスチナ概況 平成14年6月1.和平交渉以前のパレスチナの歴史 (1)1517年以降: オスマン・トルコの統治下に入る。 (2)1918年: (第一次世界大戦後)以降、英国の委任統治下に入る。 (3)1947年: 国連総会でパレスチナ分割決議(決議181)採択。 (4)1950年: トランス・ジョルダンは東エルサレムを含む西岸を併合、国名をジョルダンに変更。 (5)1964年: パレスチナ解放機構(PLO)結成。 (6)1967年: 第三次中東戦争によりイスラエルが西岸、ガザを占領。 (7)1969年: PLO新議長にヤセル・アラファトを選出。 (8)1987年: 西岸、ガザでパレスチナ住民による反イスラエル蜂起(インティファーダ)始まる。 (9)1988年: アラファト議長はイスラエルの生存権承認、国連安保理決議242、338の受諾、テロ放棄を表明。 (1) 第一次大戦までは現在のイスラエル及び西岸・ガザ地区はオスマン・トルコ帝国シリア州内のエルサレム特別区の一部であったが、同大戦後、英国の委任統治領の一部となった。1948~49年の第一次中東戦争の過程で、西岸(東エルサレムを含む)及びガザは、それぞれトランス・ジョルダン及びエジプトの占領下に置かれ、50年、トランス・ジョルダンは西岸(東エルサレムを含む)を併合し、国名をジョルダンとした。 (2) その後、第三次中東戦争(67年戦争)により、イスラエルが、西岸・ガザを占領。東エルサレムについてはイスラエルの法律、行政、司法を適用する併合措置をとり、80年、統一エルサレムが首都である旨確認する基本法を制定した。(但し、日本や欧米諸国を含め国際的にはこの併合措置は認められていない。) (3) パレスチナ側は、64年にパレスチナ解放機構(PLO)を結成し、ハイジャック等を通じてパレスチナ問題の国際的アピールを行い問題の解決を訴えた。69年にヤセル・アラファトがPLO議長に就任した。また、占領の長期化に対して、87年末、西岸、ガザでパレスチナ住民による反イスラエル蜂起(インティファーダ)が始まった。 (4) 80年代半ばより東西冷戦の終結に伴い、米国とソ連が共同して中東和平を追及しようという機運が出てくる中、アラファト議長は88年末、ジュネーブでの国連特別総会で演説し、テロ放棄とイスラエルの生存権承認という穏健路線を打ち出した。また、90年の湾岸戦争によるアラブの分裂と湾岸諸国からの財政援助打ち切りという状況に直面したPLOは、イスラエルとの平和共存路線をさらに推し進めた。 2.中東和平(パレスチナトラックにおける主な動き) (1)91年10月: マドリード中東和平会議 (2)93年9月: 暫定自治拡大に関する原則宣言(オスロ合意)署名 (3)94年5月: ガザ・ジェリコ暫定自治が開始 (4)94年7月: アラファト議長がガザへ帰還 (5)95年9月: 暫定自治拡大合意(オスロ II)に署名 (6)97年1月: ヘブロン合意 (7)98年10月: ワイ・リバー合意 (8)99年9月: シャルム・エル・シェイク合意 (9)00年7月: キャンプ・デイヴィッド首脳会談 (10)00年9月末~ イスラエル・パレスチナ間の衝突が発生、交渉中断 (1) 湾岸危機の終了後、中東和平問題解決への気運が高まり、米国の積極的な外交努力の結果、1991年、マドリッド(スペイン)において中東和平会議が開催された。同会議にパレスチナ側はジョルダン・パレスチナ合同代表団の形で参加し、双方が占領地の暫定自治についての構想を示した。 (2) その後、92年6月、イスラエルに誕生したラビン政権は、停滞するマドリッド方式の交渉の打開策として、オスロ(ノールウェー)をベースにPLOとの直接秘密交渉を開始する方法を採用、その結果、93年9月イスラエル・PLO間の相互承認がなされ、続いて同月13日、ワシントン(米国)においてPLOとイスラエルとの間の「暫定自治原則宣言」(オスロ合意 I)が署名された。さらに翌94年5月4日、カイロにおいてガザ・ジェリコ合意(先行自治合意)が成立し、PLOはガザ・ジェリコ地区にパレスチナ暫定自治政府(Palestinian Authority(PA))を設立した。 (3) その後、暫定自治を西岸全体に拡大する暫定自治拡大交渉が米の仲介により精力的に行われた結果、95年9月28日、ワシントンにおいて「暫定自治拡大合意」(オスロ合意 II)文書の署名され、96年1月、日本を含めた国際監視の下、パレスチナ評議会選挙が西岸・ガザで行われ、また、アラファト議長が暫定自治政府の長官(ライース)に選出された。 (4) 上記暫定自治原則宣言において、イスラエル軍がガザ及びジェリコから撤退した日(94年5月4日)から5年間の暫定期間の内に、国連安保理決議242及び338(イスラエルの東エルサレム、西岸、ガザからの撤退等)に基づくパレスチナ問題の恒久的解決に至ることが合意された。右を受け、上記暫定自治拡大合意では、イスラエル軍が西岸の6都市(ジェニン、ナブルス、トゥルカレム、カルキリア、ラマッラ、ベツレヘム)から撤退すること、最終的地位交渉が遅くとも96年5月4日には開始されること等が合意された。 (5) しかし、その後同年6月にイスラエルに登場したネタニヤフ首相(リクード)時代には中東和平プロセスは停滞。オスロ合意 I及びIIの未履行部分の実施を図るべく98年10月にはイスラエル軍の撤退等に関するワイ・リバー合意が米国で署名されたが、結局、最終的地位交渉も撤退の実施も行われないまま暫定期間の終了期限(99年5月4日)を迎えるに至った。(パレスチナ側は国際社会の働きかけにより一方的独立宣言を行わなかった。) (6) 99年5月17日に行われたイスラエル総選挙において勝利したバラック新首相(労働党)は、最終的地位交渉の再開を図るべく交渉を進め、同年9月4日、シャルム・エル・シェイク(エジプト)合意が達成された。 (7) 同合意に基づき、99年9月13日にはガザのエレツ・チェックポイントにおいて最終的地位交渉開始の式典が開催。また、同年10月に西岸・ガザ間南側安全通行路が開通したのに続き、西岸の7%の地域からのイスラエル軍の撤退(第一次再展開及び第二次再展開の未実施部分の第1段階)等が実施に移された。但し、その後も段階的な撤退等は行われたものの、交渉に実質的な進展は見られなかった。 (8) クリントン米大統領は、最終的地位交渉の停滞を打破するため、同年7月11日より25日までキャンプ・デイヴィッドにおいて米・イスラエル・パレスチナによる3者サミットを開催したが、エルサレムの地位や難民問題等で歩み寄りが見られず合意達成には至らなかった。 (9) 2000年9月28日にイスラエルのシャロン・リクード党首が神殿の丘を訪問。これをきっかけに、イスラエル・パレスチナ間で大規模な衝突が発生した。西岸・ガザ全域に広がった衝突を沈静化させるため、同年10月16日、17日にはエジプトのシャルム・エル・シェイクにクリントン大統領、アナン国連事務総長、ムバラク・エジプト大統領、バラック首相、アラファト議長等が集まり、中東首脳サミットが開催、12月には、任期終了目前のクリントン大統領よりイスラエル・パレスチナ双方に「橋渡し提案」が提示されたが、合意は達成されなかった。2001年1月末にも、エジプトのタバにおいて直接交渉が行われたが、結局合意は得られなかった。 (10) 2001年3月のシャロン政権発足後も事態の好転が見られないことを受け、5月、シャルム・エル・シェイク首脳会談(2000年10月)において設立された事実調査委員会が、暴力の停止、信頼の回復、交渉再開の三部分からなる提案を含むミッチェル報告書を米政府に提出した。ミッチェル報告書の発表を受け、米国は仲介に積極的に関与し始め、6月テネット米CIA長官の仲介により、双方は治安協力等に関する作業計画に合意(テネット合意)。また、同月、パウエル米国務長官が現地入りし仲介を行った結果、ミッチェル報告書の履行に関し両当事者間に合意が成立した。 (11) しかしながらその後も、パレスチナ過激派による自爆テロやイスラエル軍・入植者への襲撃、またこれに対するイスラエルによるパレスチナ自治区侵入、過激派幹部の暗殺、パレスチナ自治政府関連施設に対する空爆等により暴力の悪循環は継続、和平プロセスは暗礁に乗り上げた状況が続いている。 3.パレスチナの政治体制 (1) 93年9月の暫定自治原則宣言、94年5月のガザ・ジェリコ合意(先行自治合意)及びその後の諸合意を受け、パレスチナ暫定自治政府(PA)がガザ及び西岸の約40%で自治を実施している。 (2) 96年1月には、日本監視団を含む国際的選挙監視の下、国会に相当するパレスチナ評議会選挙が行われ、88名の評議会議員が誕生した。なお、司法については、未だ法整備が行われている段階である。 (1) ガザ、西岸での暫定自治 93年9月の暫定自治原則宣言及び94年5月のガザ・ジェリコ合意(先行自治合意)を受け、ガザ及びジェリコの行政権限はパレスチナ暫定自治政府(PA)に移譲された。その後、PAは94年及び95年前半にかけて、西岸についても13の民生分野における権限を委譲された(早期権限委譲)。95年9月の暫定自治拡大合意及びその後の西岸主要6都市(ジェニン、ナブルス、トゥルカレム、カルキリヤ、ベツレヘム及びラマッラ)からのイスラエル軍撤退を受け、同6都市は民生分野のみならず治安分野においても完全にパレスチナ自治政府の管轄下に入った。また、96年1月には、日本監視団を含む国際的選挙監視の下、国会に相当するパレスチナ評議会選挙が行われ、88名の評議会議員が誕生した。現在23の官庁(無任所閣僚がおり、閣僚の総数(定員)は現在31名)により構成される。自治政府は、軍事、外交に関する権限を有しないが、PLOが自治政府を代表して外国や国際機関と交渉を行い、合意に署名することができる(ただし、その範囲は経済的合意、自治政府への援助供与に関する合意などに限定される。)。なお、司法については、未だ法整備が行われている段階である。 (2) 地方自治 西岸・ガザには78市(西岸63、ガザ15)、13県(西岸9、ガザ4)の自治体が存在するが、自治政府が発足して間もない状況で、地方自治制度は未だ発展段階にあり、地方議会の設立(含む首長選挙)や法整備等の課題が残されている。 4.経済 (容量の関係で、本項は省略します)5.日本との関係 (日記容量の関係から省略) ★ ★ ★ ★ ★ ★
2004.11.11
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パレスチナ問題について、フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』を引用してみる。アラファット氏が余命幾ばくもないと言われる状況下だし、世界平和を論じていても、パレスチナ問題がなんであるか? ほとんど知識が無いことに気がついた。少しは知っておきたいと思う。容量の関係で多分、今日の日記は引用だけで終わると思います。なお、このウィキペディアは有志の書き込みで作り上げて行くネット事典ですから、この内容の価値判断は読み手にかかっています。一部で信憑性に欠けるという声もあるようですが、少なくとも今のところ、私は、そう言う実例に遭遇したことはありません。 ★ ★ ★ ★ ★ ★パレスチナ問題とは、パレスチナの地を巡るパレスチナ定住者(パレスチナ人)とユダヤ人帰還者との関係から生じた紛争を一個の政治問題として扱った呼称。経緯本来は民族紛争ではなかった。第一次世界大戦において連合国側のイギリスは同盟国側の一角であるオスマントルコに対し側面から攻撃を加える意図の下、トルコの統治下にあったアラブ人(広義:信仰上はイエフディやキリスト教徒も含む)たちに対してトルコへの武装蜂起を呼びかけた。その際この対価として1915年10月にフサイン=マクマホン協定を結びこの地域の独立を認めた。他方、膨大な戦費を必要としていたイギリスはユダヤ人豪商ロスチャイルド家に対して資金の援助を求めていた。この頃、世界各地に広がっているユダヤ人の中でも、ヨーロッパでは改宗圧力を含め差別が厳しかった為、シオンに還ろうという運動(初期シオニズム)が19世紀末以降盛り上がりを見せていた。そこでイギリスは外相バルフォアを通じ1917年ユダヤ人国家の建設を支持する書簡をだし、ロスチャイルド家からの資金援助を得ることに成功した。しかしイギリスは同じ連合国であったフランス、ロシアとの間でも大戦後の中東地域の分割を協議しており、本来の狙いはこの地域の直接支配であった(サイクス=ピコ協定)。こうしたイギリスの「三枚舌外交」はロシア革命が起こりレーニンらによって外交秘密文書がすべて公表されるに至り公のものとなった。1947年11月、国連総会でパレスチナ分割決議がアメリカの圧力で、当時の人口で3分の1・所有地で6%あったユダヤ人に56.5%の土地を与えるというかたよったかたちで賛成33・反対13・棄権10で可決された。アメリカ、ソ連、フランスなどが賛成し、アラブ諸国が反対した。 1948年2月アラブ連盟加盟国は、カイロでイスラエル建国の阻止を決議した。1948年5月イギリスのパレスチナ委任統治が終了し、イスラエルが独立宣言。その直後にアラブ連盟5カ国(エジプト・トランスヨルダン・シリア・レバノン・イラク)がパレスチナに進攻し、第一次中東戦争が起こった。 戦争を伴った結果として、1948年の時点でパレスチナの地に住んでいたアラブ人(広義)が難民化した(パレスチナ難民)。 1948年3月、アメリカは国連で分割案を放棄して、パレスチナの国連信託統治の提案をした。 1949年2月にエジプトとイスラエルの停戦協定が成立。イスラエルがパレスチナの80%を占領し,残り20%はトランスヨルダンが占領した。エルサレムは旧市街はヨルダンに新市街はイスラエルに占領された。ガザ地区がパレスチナ領となり、パレスチナ難民が押し寄せた。1956年7月エジプトがスエズ運河国有化を宣言し、それを阻止するために10月にイスラエル・イギリス・フランスがエジプトに侵攻し、スエズ戦争(第二次中東戦争)が起こる。アメリカとソ連の即時停戦要求を受け入れ、イギリス・フランスは11月に戦闘を中止した。アメリカの共和党のアイゼンハワー大統領が 経済援助の停止という圧力をかけて、1957年3月にイスラエルをシナイ半島から撤退させた。この戦争により、中東の主導権はイギリス・フランスからアメリカ・ソ連に移った。1964年5月にPLO(パレスチナ解放機構)が結成された。 1967年5月エジプトのナセル大統領はシナイ半島の兵力を増強し、国連監視軍の撤退を要請し、イスラエル艦船に対するチラン海峡封鎖を宣言した。6月にイスラエルはエジプトを奇襲し、6日戦争(第三次中東戦争)が起こった。イスラエルをアメリカが支援し、アラブをソ連が支援した。アメリカは海軍をシリア沖に派遣してソ連の介入を阻止した。イスラエルはエルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原を占領し、国連安全保障理事会は停戦決議を可決した。11月に国連安全保障理事会でイスラエルの占領地からの撤退、中東地域の航海自由の保障、避難民問題の解決などを決議した。1973年10月にエジプトとシリアがイスラエルを奇襲し、10月戦争(第四時中東戦争)が起こった。アラブ石油輸出国機構10カ国はイスラエルを占領地から撤退させるまで石油生産の5%以上を毎月削減するとの決議を可決し、石油危機が起こった。国連安保理は停戦決議を可決した。 アメリカによる和平交渉により1978年9月にキャンプ=デーヴィッド合意が成立し、1979年3月にエジプト・イスラエル平和条約が調印された。 1974年10月 PLOが国連でオブザーバーの地位を獲得した。 1981年、アメリカのレーガン大統領は、ユダヤ系ロビーやイスラエルの反対を押し切って、サウジアラビアに武器を輸出した。1982年4月にシナイ半島がエジプトに返還された。6月にイスラエルがレバノンに侵攻しレバノン戦争が起こった。PLOはベイルートから撤退した。9月にアメリカのレーガン大統領が中東和平案を堤示し、アラブ首脳会議でフェズ憲章が採択された。1987年にイスラエル占領地でパレスチナ人の抵抗運動(インティファーダ)が始まる。 1991年10月マドリードで中東和平会議開催、1993年9月パレスチナ暫定自治協定がワシントンで調印された。その結果1994年5月よりガザ・エリコ先行自治が開始され、自治政府も組織されはじめた。PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相、ペレス外相がノーベル平和賞を受賞した。1996年1月にパレスチナ評議会の選挙が行われた。その矢先の1995年11月和平に尽力したイスラエルのラビン首相は和平反対派のユダヤ人青年イガール・アミルに射殺された。 イスラエルでは概ね労働党が和平推進、リクードが和平反対であった。和平は合意された為、枠組み自体が崩されるまでには至っていない。現状この数年は右派のシャロン政権が続いており、パレスチナ領内に入植地が建設されるなど合意違反が続いている。双方の市民には平和運動や交流活動、イスラエルでの徴兵拒否や予備役兵の赴任拒否などの運動がある。パレスチナ側は弾圧され国際的な支援も弱い為、全体として「テロ」の声に掻き消されることも多い。しかし、実際に過激テロ組織は存在し、アラファト議長の和平も無視、若者を頻繁に自爆テロ攻撃に使っている。最近ではパレスチナ人の自爆テロ攻撃、イスラエルの報復攻撃の応酬がやまない。 2002年2月にサウジアラビアのアブドラ皇太子がイスラエルが全占領地から撤退すれば、国家として承認するという中東和平の提案をし、 6月にブッシュ大統領がパレスチナ暫定国家建設を支持し、イスラエルが入植活動を停止するという中東和平構想を発表した。 2003年4月アメリカ、EU、ロシア、国連の4者により中東和平案のロードマップがイスラエルとパレスチナ自治政府提示された。 10月に国連総会で分離壁の建設中止についての決議が採択された。 仲介意欲が衰えた為か最近では和平に向けた努力は中断されている。また国連などの仲介和平工作も実っていない。 その一方でイスラエルはパレスチナ人居住区とを分断する壁を一方的に築いている。なお過去にパレスチナ戦争が何度も勃発し、隣接した国の一部地域を占領したが、その後返還するもヨルダン川西岸地区とガザ地区は現在もイスラエルの占領下にある。
2004.11.10
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明治・大正と言う元号は、易経から来ているんですね。昭和は書経から。平成は史記および書経から。------出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8明治 = 「明治」の由来は、『易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」(聖人南面して天下を聴き、明に嚮いて治む)から採ったといわれる。過去の改元の際、江戸時代だけで8回、計10回候補に上がったが、11回目にしてようやく採用された。------あるサイトで、元号の出典を示してあった。http://homepage2.nifty.com/osiete/s700.htm失礼して引用させていただきます。「平成」:【史記】から「内平外成」、および【書経】から「地平天成」「昭和」:【書経】から「百姓昭明、万邦協和」「大正」:【易経】から「大享以正天之道也」 「明治」:【易経】から「聖人南面而聴天下、嚮明而治」 「慶應」:【文選】から「慶雲應輝」「安政」:【群書治要】から「庶民安政、然後君子安位矣」 「天保」:【尚書】から「欽崇天道永保天命」 「享保」:【後周書】から「享茲大命、保有万国」 「元禄」:【文選】から「建立元勲、以歴顕禄、福之上也」 「応仁」:【維城典訓】から「仁之感物、物之応仁、若影随形」 ★ ★ ★ ★ ★ ★楽天日記では、亞さんがわかりやすい易経の講義を毎日されているが、興味深い。亞さんは大阪12月4日(土)と東京5日(日)で易経の講演をなさるそうです。タイトル:「易経に学ぶツキの法則・ツキのルール」くわしくは亞さんの日記に。http://plaza.rakuten.co.jp/anotamatebako/diary/亞さんの日記にある易経の説明。 ~易経~ 易経は中国最古の書で、 四書五経のトップであり、帝王学の書とされています。 「時」の専門書であり、自分のおかれている立場など、 出処進退に関する行動の指針となるべき法則や ルールがシンプルに著されています。 易経は英語訳では「Book of changes」、 直訳すると「変化の書」です。 易経には、幾(き)という言葉が頻繁に出てきます。 幾というのは物事が起こる時の兆(きざ)しです。 易経は幾を論ずるものであり、兆しの専門書です。 ※易経を、占いとしてでなく 「君子不占~(君子は占わず)」の立場から話します。 ★ ★ ★ ★ ★ ★この易経の定義を、フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』でも調べてみた。------易経 = 易経(えききょう)は、四書五経と呼ばれる儒教の経典の五経のうちのひとつ。『易』あるいは『周易』とも言う。占いの本でもある。現代と違い、昔の政治では、占いも政治の重要な要素であった。易の構成 = 『易経』は、「経」と「伝」の二つの部分で成り立っている。「経」 = 「経」には、八卦のくみあわせによってできる六十四卦の意味について記述する卦辞と、それぞれの卦を構成している6本の爻(こう)の意味を説明する爻辞が収められ、上・下に分かれている。「伝」 = 「伝」には、「経」の解釈と包括的な説明が収められている。易の成立と展開 = 伝説によれば、『易経』は、伏羲(ふくぎ)が八卦をつくり、文王が卦辞・爻辞をつくり、孔子が「伝」を書いて商瞿(しょうく)へと伝え、漢代の田何(でんか)に至ったものとされる。しかし、当然ながらこれは「伝説」であり、歴史的事実ではない。『易経』が儒教の経典としての位置を得たのは、戦国時代以降であると指摘されている。1993年、郭店一号墓より竹簡に記された『易』が発見された。これは現存最古の『易』テキスト(秦代ごろの写本)である。易の注釈史 = 周敦頤から二程子を経て後の朱子学に連なる儒教の形而上学的基礎は、『易経』に求められる。 ★ ★ ★ ★ ★ ★では「易経 = 易経(えききょう)は、四書五経と呼ばれる儒教の経典の五経のうちのひとつ。」という「四書五経」とはどんなものなのだろう?また、フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』で調べてみた。------四書五経 = 四書五経(ししょごきょう)とは、儒教の経典の中で特に重要とされる9種類の書物の総称。ただしこのうち『大学』『中庸』はもともと『礼記』に含まれるため、実際には7種。四書とは、「大学」「中庸」「論語」「孟子」の四つ。五経とは、「書経」「易経」「詩経」「春秋」「礼記」の五つである。戦国時代の六経 = 『荘子』や『語叢』においては、下記の六種類の経書が列挙されている。詩 書 礼 楽 易 春秋 当時の儒家らはこれらの経典を重視したが、『楽』は早くに失われたとされる。前漢の五経とは詩(斉詩・韓詩・魯詩) 書 士礼 易 春秋(春秋公羊伝) 唐代の五経 = 唐の太宗は、以下の経典を「五経」とし、『五経正義』という解釈を孔穎達らに定めさせた。易 書 詩(毛詩) 礼記 春秋(春秋左氏伝) 宋代以降の四書 = 『礼記』のうち「中庸」「大学」を重視する立場は、韓愈など宋代以前の学者にも見られた傾向であるが、北宋の二程子は特にこれらを重視した。南宋の朱子が『論語』『大学』『中庸』『孟子』を「四書」として顕彰し『四書集注』を著すに至り、これら四書は五経をしのぐ権威を持つに至った。 ★ ★ ★ ★ ★ ★「五経 論語」 筑摩書房 世界文学全集 という本を持っているので、易経をふくむ五経は読んでみよう。一度チラッと眺めたが、難しそうだった。やはり、もう一度チラッとながめるだけにしよう。なんだか、この世界はよくわからないが,池之めだかじゃないけれど、『今日はこれぐらいにしといたるわ』
2004.11.09
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NHKラジオで、孔子の子孫だという孔さんの話があった。その中で日本人と中国人との対比を上げられていて興味深かった。日本人は :不安定さを好む 奇数をこのむ いびつさをこのむ 変化を好む 重複が嫌い 新しい自動車のモデルが好きで、しょっちゅう新型がでる侘び・寂びが好き 緑が好き 水が好き 山が多い 涼しさが好き 豊富な自然環境を持つ 清浄の感覚=水=禊ぎ=わびさび ごてごては嫌い 簡素が好き 中国の胡弓のひとつである楽器・二胡を聴いてわびさびを感じる 絵などでは余白そのものを好む 小さい急須など小振りなものが好き 茶道を「心構え」と心得る一方、中国人は : 偶数を好む 安定を好む 中国の画にも余白はあるが、そこには詩歌を書き入れる明晰な表明を好む 具体的な事柄を好む 中国の茶道は「茶芸 ちゃげい」と言い、作法ではなく、純粋に味覚・香りを楽しむもの 香りや色で、心が浄められると思う ★ ★ ★ ★ ★ ★私はフランスの「ロワーヌ河の古城めぐり」というツアーで数日、ロワーヌ河の古城の庭園を見たが、西欧の庭園は皆シンメトリー(左右均等)で、人工的な幾何学的なもので、魅力を感じなかった。欧州の他の国で見た庭園も基本的には、フランス式庭園と同じ。例外は、英国の庭園とポーランドの庭園で、かなり自然な庭園。と言っても、日本の有名な庭園のような自然を模した、象徴性に満ちた、多彩なものなのでは無い。ただ、自然な林風のもの。中国の昔の庭園とはどんなものなのか?興味はあるが、日本の庭園に似通っているのだろうか?日本の庭園も、「漢字」「仏教」「盆栽」「お茶」などと共に中国渡来のものが基礎になっていたのだろうと思う。
2004.11.08
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ブッシュが再選された。ブッシュは米国の一極支配という状況下で、人類史上最大級の難問を二つかかえている。それなのに、彼はそれを解決の方向に導く能力と意思を持っていない。1) 地球温暖化対策=京都議定書の批准2) イスラエルvsアラブvs英米の対決1) 地球温暖化については、もう対策を施しても遅すぎると思うけれど、それでもベストを尽くさないと・・・。地球は人類の生きることが出来ない惑星になってしまうだろう。少なくとも多くの陸地が水没し、陸地は乾燥化するか洪水に見舞われ、人口は何分の一になってしまう。2) ブッシュはパンドラの箱を開けてしまった。十字軍時代は欧州とアラブという地域内での対立だったが、現代の対立は当然だが地球規模になる。ブッシュが再選されたことで、テロの危険性はまた増えた。9.11以上の恐ろしいことが起こりそうで、私は心底、恐れている。宗教にもからんでの抗争(しかもイスラエル=ユダヤ教も含めてすべて一神教)には、解決の糸口が無いと思う。それに加えて、世界のリーダー達に賢者がいない。
2004.11.07
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やっと日記のカテゴリー分け作業が終わった。私はずぼらなくせに完璧癖もあるという始末の悪い人間。カテゴリーを作り出したら、何度もカテゴリーを作り直して、やっと下記のようなものに落ち着いた。・カテゴリ未分類(0)・外国での想い出(54)・日本での想い出(18)・私の読書 面白い本(59)・歴史 宗教 哲学 言語(34)・科学 宇宙 人類史 脳(12)・映画 芸術 スポーツ(27)・雑記 複数のテーマ(19)・時事 政治経済 社会(61)・日記について(18)※一番上の「カテゴリ」に注意して欲しい。普通は「カテゴリー」なんだが、「―」が省略されている。これはコンピューター用語の共通点で、カタカナの最後の「―」は省略されることになっている。なぜこんな事をするのか?私はその答えを知らないけれど、「多分こうだろう」ということは考えている。昔のパソコンはメモリーが極端に少なかった。その極小なメモリー環境で文章を書く場合には、「―」だって省略したい。これで2バイト稼げる。そう言う発想だったのではないだろうか?これはたーさんにでも聞いてみないといけない。閑話休題。カテゴリー分けをする以前は、すべての日記が「カテゴリ未分類」というカテゴリーになっていたわけだが、今回の作業ですべて、それぞれのカテゴリーに振り分けることが出来た。この作業のために、リンクのみなさんの「おすすめ新着」欄には私の古い日記が洪水のように押し寄せたことと思うが、その節はどうも・・・。● 外国での想い出 私の日記の特徴は、このカテゴリーかもしれない。商社に勤務していたので海外駐在・海外出張が多くて、入国した国は30ヶ国前後あるはずだ。もちろん、二三日滞在しただけという国も含んでの話だけれど。地域としては、東南アジアから始まって中東とアフリカ、それから欧州(西欧と東欧)という順でいろいろな国を経験した。私はプラント輸出という工場設備などの輸出を担当する本部に所属していた。工場を建設するという場所だから、発展途上国のそれも僻地が多い。しかし、プラントのプロジェクトにはコンサルタントが不可欠で、そのコンサルタントの会社が多い英国にも駐在していたことがある。欧州と言っても工場輸出が可能な東欧にもいたことがある。海外生活が多かったのに加えて、日本人の人件費が安かった昔の商社というのは非常に激務で、日本国内にいる時はのんびりした記憶があまり無い。だから結果的に海外での想い出がもっと比重を増すことになる。それに女性とつきあうにしても日本にいる時は、会社を離れるのが10時以降と言うことが多いのだから、まともに女性とおつきあいをするヒマが無い。だからこの分野?でも外国の比重が増すことになる。昔は商社の人間は半分外国人だといわれていた頃がある。仕事上の言葉も貿易用語の英語の単語が混じるし、海外で暮らしているうちに日本人離れ!してしまって、一般の会社の人とセンスのズレを感じる時があった。私も気づかぬ内に思考法が外国人っぽくなっていたようで、妹たちや家族からも「あなたは日本人じゃない!」とよく言われてしまった。なあなあがイヤで、論理一本で押し通すところがあったかもしれない。しかし、このごろは外国に行く機会もほとんど無く、そのおかげで私の人柄もどんどん丸くなって、「温和で」、「慎み深く」なって行くのが自分でもよく分かる???オイオイ!● 日本での想い出 というわけで、私の日記には外国での想い出がよく出てくるのだけれど、私にも日本での想い出が無いわけは無い。で、そういう清貧老人の想い出を美しく描き出した日記をこのカテゴリーに収めてある。オイオイ!● 私の読書 面白い本 一応私の日記は「読書」というジャンルに属しているので、読書についての話題も無くては都合が悪い。幸い? 私は無類の「安い古本」狂いの老人であるから(プロフィールの趣味欄にもその旨書いてある)、このカテゴリーの話題にも事欠かない。ただ、驚くべき事に(?)私は二千冊を優に超える本を所有しながら、その二割も読んでいないのだ。もっとも読んでしまって処分した本も数百冊あるはずだと思っているが。以前に書いたことがあるが、私は本を私の老後の人生への保険みたいに考えていた。保険と言っても人には分からないだろうけれど、老後になって時間が余れば好きな読書をたっぷりしようという発想で、今まで本をたっぷり買って、今までずっと本棚の肥やしにしてきたのだ。ところがここに来ていざ読書三昧の生活に浸ろうと思ったら、老眼という「悪魔」がやって来たのである。眼が気になると集中して読書することが難しくなる。それに加えて、あまりにも多くの書籍を(本とは言わずに書籍というと本の値段が三割方高くなったような気がする)持っているものだから、蔵書の中からどれから読んだらいいのか? 目移りがしてなかなか集中が出来ない。ついでに「積ん読」と言わずに「蔵書」と形容すると三割方あがった本の、いや書籍の値段がさらに二割方あがるような気がする。合計5割である。やはり言葉は選んで使いたい。ま、いろいろ言い訳したが、結論はもっと真面目に読書しようと言うことになる。● 歴史 宗教 哲学 言語 この分野は「私がもっとも興味を持つ分野」であって、是非どんどん読み込んで行きたいものである。ただし、歴史も世界歴史と日本歴史がある。私は高校の社会科で日本史をとったが世界史は習わなかった。だから世界史の知識がないのが劣等感になっているのだが、海外経験でそれを補うことにして、世界史中心に歴史の本に読みふけりたいものである。日本史はどうでもいいと言うことでもないのだが、世界史はどうしても私が面倒をみてやらねばという責任感を感じるが、日本史の方にはそういう重い責任感を感じないのだ。それに私が面倒を見ないでも、だれかもっと適当な頼りがいのある人が日本史の面倒を見てくれるような気がして仕方がないのだ。ま、世界史の方が面白そうだという、簡単なことなんだけれど。● 科学 宇宙 人類史 脳 この分野は「私の最も興味を持つ分野」であって・・・オイオイ科学はちょっと固い分野だが、宇宙だとか、時間だとか、人類の歴史、つまり人類学とか、脳科学などはたまらないほどに興味深い。幸い私は、この分野ではまだ何もしらない白紙の吸い取り紙のようなものだから、先が楽しみである。この「吸い取り紙」って、わからないだろうな~。昔、インクとペンで書いていた時代にそのインクを吸い取るための文房具。インクは乾くまで一瞬の時間が必要で急いで書いている時は、吸い取り紙で吸い取ったのだ。紙と言っても、紙だけでは無い。説明が難しいのだが、例えば大きな円筒形のコーヒーカンを5センチほどに輪切りをしてそれを三分割したような形状の木のスタンプのようなもの。その丸い部分に吸水性の極端にいい紙を貼ってあって(水洗トイレ用の吸水性のいいダブルのトイレットペーパーをボール紙に近いものにしたような紙)、これで書いたばかりのインク部分をゴリゴリとするとインクが吸い取られる。う~~ん。言葉による形容はこの辺が限界かな?今は売っていない可能性もあるこの吸い取り紙。ビュバー(buvard)といい、フランスで発明されたらしい。英語では a blotter とか blotting paper らしい。しかし、この吸い取り紙は転んでもただでは起きないくせ者なのだ。(紙が転ぶ訳は無いが)このピンクや白の吸い取り紙は無地ではないのだ。密かに広告媒体として使われていて、ここに宣伝が印刷されているのだ。例えば「野球なら西武ライオンズ」という風に・・・。(あまりにも私、露骨かな? イヤミが)● 映画 芸術 スポーツ あまり知られていないが(??)、私は映画女優情報の専門家で(クラシック映画系の洋画専門だけれど)、ネットにちょいちょい書き出したのも、ある映画BBSにコメントを入れたのが最初なのである。そろそろ三年ほど前になるかな?楽天日記は今年の一月に始めた。Web siteを持つのもこれが始めて。中学や高校生時代には女優の写真や情報目当てに「映画の友」「スクリーン」「映画ストーリー」などという映画雑誌を買ったりしていた。いまだにそのころスクラップした美しい女優さん達が私の本棚に眠っている。これから映画関係のテーマも少し書いてみたい。 それからスポーツはなんでも好き。母は私の高校時代の友人に近所で出会うと、いつも「alex君は運動が出来た」と言われたらしい。実際、私がその生涯に於いて花形でありえたという、極めて限定的な、ごく短い期間がこの時代である。しかし、母の本当に期待した言葉は、「alex君は勉強が出来た」という、この言葉ではなかったか?しかし、彼は決して私の勉強の成績の話には言及しなかったという。ま、その方がいいのだ・・・。パンドラの箱を開けてはいけない。● 雑記 複数のテーマ 私の話はしょっちゅう、飛んでばかりなので、こういう雑多な「なんでも袋」的なカテゴリーが必要になるのだ。● 時事 政治経済 社会 私はよく知りもしないクセに、ニュースに興奮して時事問題を論じたりする。● 日記について 本当のことを言うと私は楽天日記には参加するつもりがなかった。私のプロバイダーの提供してくれるホームページのためのスペースに手作りの web site を建設するつもりだった。だからHP作成ソフトの「HPビルダー」を買った。しかしモラトリアム人間の私だから、作成には慎重(?)で、そのうちにHPビルダーの方が待ちきれないで(?)ヴァージョンアップしてしまったので、仕方なくそのアップグレード版も買って「今度こそ」と思っていたのだけれど、まだ私はアクションに移らなかった。 そのうちに、「楽天日記で予行練習をしてみよう」という気になって今年の一月6日に楽天日記を始めて・・・今に至る。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ 今週、ブログの大手、ライブドアとはてな日記に、実験的にブログを持ってみた。まだほとんど何も書いていないけれど、同じ内容でこの楽天日記のミラーサイトにするかもしれない。楽天に削除された時のセーブにもなるし。まだその機能をチェックし切れていないのだけれど、この二つのブログ、特にはてな日記は楽天とは相当ちがう。キーワードで検索できるというすごい機能を持っている。逆に言えば検索されもするわけで、うるさいかも知れない。楽天は日記サイトにトラックバック機能をのせたようなもので、もとの日記サイトの色合いが強い。他のブログに比較して、色彩やデザインなどのセンスが野暮ったいのは三木谷社長の体質なのかな?もっともその分、親しみやすいとも言えるし、会員同士の親密度が非常に高いのが特徴かな?
2004.11.06
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欧州では11月一日に「万聖節」All Staints‘ Dayというキリスト教の祝日があって、諸聖人を記念する、日本のお彼岸にあたるものです。その前夜祭がハロウィンですが、これは主にアメリカで盛んなようです。クリスチャンの国でも敬虔なカトリックの国などになると、各人の名前は大体聖人の名前になっていて(例えばミカエルーミシェルーマイケルーミハウ)(これは各国語の名前ですが同じ名前です)、その聖人はたその聖人の日というものがあり、各人が自分の名前の聖人の日になると、皆がその人を祝福します。例えば会社の事務所内でも、ちょっと時間を割いて「今日は○○○ name’s day だから・・・」ということでみんなが集まって、ケーキとコーヒー、それにブランデーなどでミニ・パーティーをします。「おめでとう」と祝福し、カードを渡したりもします。どういう訳か? 人気のある聖人日は年に二三回もあって、そのたびに name’s day です。その上に、当人自身の誕生日も加わるので、プチ・パーティーがしょっちゅうという感じになります。この日は、そういう各聖人の記念日をまとめて面倒をみる日であり、また家族の中で亡くなった人を偲ぶ日でもあります。そうして、日本でお彼岸にお墓参りをするように、カトリックの国でも皆がお墓参りをします。これは当日だったか? それとも翌日だったか? 忘れてしまいました。お墓は大きな公園のようになっていて、市内の各地にあります。この日には、家族が連れ立ってそう言う墓地に行って、墓地の入り口に立ち並ぶ露店でローソクと花を買い(花はやはり菊です)、広い墓地の中に入って、番地を頼りに(墓地が大きいので迷うことがあります)お墓に行き着き、お墓の草を刈り、墓石を磨き、ローソクを灯します。キリスト教は土葬ですから、故人はそのお墓に眠っています。お墓は大きな石のプレートに加えて縦の塔型の墓石が立っています。故人の名前や生年月日、亡くなった日、その業績などが彫り込まれ、中には生前の写真が写し込まれた墓石もあります。お金持ちや由緒ある家の墓石は大きく豪華なようです。ポーランドのお墓用のローソクは、日本のローソクとはちがって茶色いビンに入っています。私はそうとは知らずにこのローソクを買って灯していたことがありますが、普通のローソクより油煙が激しくておかしいなと思っていたら「それはお墓用のローソクだよ」と注意されてやっと気がつきました。ポーランドでは、このローソクの他に蜜蝋(みつろう)で作られたローソクがあります。お墓用のローソク(キャンドルと呼んだ方がいいかな?)が油煙を上げたように、一般のローソクは、石油製品であるパラフィンでできています。蜜蝋ローソクとは、蜜蜂(ミツバチ)が巣作りのために身体の中で作り出すワックス、蜜蝋で作られたものです。これは灯しても油煙が出ないローソクです。 ★ ★ ★ ★ ★ ★墓地といえば、インドネシアで合弁の相手先の重役さんが亡くなり、その墓地にお参りしたことがあります。インドネシアは宗教がイスラム教ですが、お墓は西洋のお墓とそれほどちがわなかった記憶があります。ただ、ブーゲンビリアなどの花が一杯供えてあり、非常にカラフルな墓地でした。バリ島に休暇で遊びに行った事がありますが、クタビーチでバリ式の葬式に遭遇しました。どうもバリ島なのでイスラムよりヒンデゥーの影響が強い葬式のようで、花に飾られた舟型の棺桶を人々が担いで、その舟に火を放って海へ送り出していました。
2004.11.05
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昨日の「処分本」の一つに、下記の本がある。★ マダム・クロード愛の法則 パリ高級娼婦館女主人公の告白 クロード・グリュデ 光文社知恵の森文庫 映画にもなったマダム・クロードの本だが、期待した割に薄い。色情狂として聞こえた J.F.K.が館を訪問したエピソードぐらいかな?――――――なお、「色情」および「色情狂(病)」を英語でどう言うのか? という研究を真摯にしてみたい。研究社の「新英和大辞典」によるとsexual appetite 性的食欲とでもいうのかな?sexual desire 性的欲望 順当sexual passion 性的情熱 きれい事だなcarnal desirelustuful desire venereal desirelust 欲望 一般的conncupiscenece ??ではでは、色情狂、または色情病にあたってみよう。(私、うれしそうに見えるかな? それは間違いです 真理の探究です) sex mania erotomania satyriasis 男性の色情狂 nymphomania 女性の色情狂色情に耽溺する sex indulgence色情が起こる be seized with sexual passion色情をそそる excite[provoke,,stimulate] one’s sexual desire色情をそそる小説 a suggestive[lascivious]novel式場はどこですか? ・・・これは色情ちがいだった。私の英語程度で言うのもなんだが、やはり研究社の英語は堅苦しいのではないだろうか?スラング辞書に当たってみようかとも思ったが、きりがないので『この辺で許しといたるわ!』――――――なお、日本では一般的に、色情狂の事を「ニンフォ、またはニンフォマニア(ニンフォメイニア)」と言うようだが・・・。これは正確には、【女性の色情狂】という、非常に尊敬すべき、かつ社会に大いに貢献されている方々への尊称であるにとどまるのです。男性の色情狂という、とんでもない、唾棄すべき存在には、ちゃんとsatyriasis という言葉が用意されているのです。この言葉の存在、私は知っていました。発音は出来ないけれど。「サティリアシス」と発音するのかな?それなのに、世のフェミニズムの女性?は、こんな事を書いています。あるサイトからの引用ですが、引用の仕方が問題なので,URLはあえて掲載しません、ご容赦。――――――「ニンフォ」って不平等先日、フェミニストについて少しだけ記述したが、言葉の上でもまだまだ平等ではない。英語でも男尊女卑の印象を強く持つ単語がとても多く存在している。この「ニンフォ=ニンフォマニアック」ということばも、特に女性に対して使用されている。じゃあ、男性に対しての言葉があるのかといったら、無いのだ。近いものがあっても、そこまでひどい意味を持たないのが多い。――――――ちゃんとありますよ~。ところで、話が長くなったが、ケネディーは色情狂だった。妻のジャクリーンがいるにもかかわらず、いろんな女性をホワイトハウスに連れ込んだ。ハリウッドの有名女優も片っ端からで、断った女優はたった3人だという。あのオードリー・ヘップバーンもホワイトハウス訪問を成し遂げた?という。父親の愛人だったマレーネ・デートリッヒまで招待!して、マレーネを送ってエレベーターまで来てから父親との関係について心配そうに質問したという。あったに決まっているじゃないか。デートリッヒの伝記は数冊持っているけれど、みんな触れてるよ。それに第一、コトの前に聞きなさいよ!!
2004.11.04
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英語に関する話を数日書いた。まだ続けるつもりだが、今日は箸休めに、本の話でも書こうと思う。私は買った本は、あまり処分したりしない方だ。私は買う時には一種の直感と言うか、嗅覚と言うか・・・、が働いて、ほとんど間違いなく「私にあった本」を選び取る。☆ リアル書店で、パラパラと拾い読みをしてから買う本は、やはり「間違い度」が一番低くて、「満足度」も高い。これは当然。☆ 新聞の広告で、またアマゾンの書評などで、「面白そうな本だ」と思った本も、先ず間違いがない。――――――しかし、やはり中には、「これは買わなければよかった」・・・と、軽い後悔をする本もある。そう言う本は☆ ブックオフでまとめ買いをした本☆ 古書店の店頭のいわゆるバスケット本(100均・200均の本)そんな本である場合がほとんどだ。つまり、安い本をまとめ買いをする時には、「どうせ安いんだから」という危機感の欠如!と、まとめ買いという大作業?のために、嗅覚が鈍る。・・・と言う風に、言い訳はいろいろあるが、「これはもう処分してもいいや」と言う本が、出てくる。――――――処分にも軽い・重いがある : 1) 廃棄処分する本 2) 廃棄はしないが、読む順番・プライオリティーが低いのでどこかに一時保存しておこうと思う本1)の「(廃棄)処分」は、いわば「死刑」に相当するかな? 可哀想だが・・・。2)は、「遠島(えんとう)」とか「蟄居閉門(ちっきょへいもん)とか「座敷牢」とか「自宅謹慎」とか、「リストラに伴う自宅待機」・・・に相当するかも知れない。う~~む、気の滅入る言葉ばかりが続く。こういう本が罪に問われる罪科とは :☆ その内容の無さにおいて、初めから買い主に失望を与えた罪☆ すでに読まれてしまって、これ以上持っている必要が無いと判断されてしまった内容の薄さに対する罪で・・・、処分するわけだが、この処分方法にも軽く悩むものである。処分の方法としては、ざっと下記のようなものがあるのではないだろうか。1) 捨てる2) 図書館に寄贈3) 図書館の「どうぞご自由に取って行ってくださいボックス」へ入れる4) 古書店に売却5) オンライン古書店で売却6) 人に贈呈いろいろあるが、私はものぐさなものだから 1)捨てる3)図書館の「どうぞご自由に取って行ってくださいボックス」へ入れるこのどちらかを取る。基本的に本を手放すことはほとんどしない私だが、処分するとなると、もともと、それらの本は、私としては価値があまり無いと判断した本なのだから、さすがに処分にもあまり罪悪感が無い。それに、こう言っては実もフタもないが、私の持っている本のかなりの部分が、古書店やブックオフの100円均一本およびそれに準ずる価格の本である事も、罪悪感を薄めている理由と言える。さて、今日は下記の本を、処分・お仕置きブラックリストに載せた。――――――☆ 頭の老化を防ぐ本 第一戦で働きつづけるために 朝長正徳 光文社カッパ・ブックス この本は、最近買ったが、本自体は古いハウツーもの。一般に古いハウツー本は、旬を過ぎると無価値になる。ましてや、この本は脳科学を説いた本とも言えるので、価値はさらに下がる。☆ 汽車・電車の社会史 原田勝正 講談社現代新書 交通機関には興味がある私だが、この本はちょっと内容が薄かった。☆ 知的生産性向上システムDIPS 小林忠嗣 ダイヤモンド社 一部参考にはなった。☆ メグレと火曜の朝の訪問者 G・シムノン 河出文庫ミステリーは面白い。メグレものには定評がある。しかし今の私の読書のプライオリティーの中では低い。☆ ベラルーシの林檎 岸恵子 朝日新聞社 エッセイものは、私の愛する一部の小説家(開高健・田辺聖子・・・)のものをのぞいて、処分の対象となってしまう。密度が濃いエッセイというものは、ほとんど無いからだ。 と言うわけで、内容には好感を持って読んだのだけれど、岸恵子さん ごめんなさい。☆ パソコン「超」仕事法 野口悠紀雄 講談社 1200円 野口悠紀雄氏は学者ではあるけれど、相当な商売人。書く本にも、内容が出がらしの様に薄い本が多い。この本は1996年4月に第一刷のものだが、その時代としても情報が古い。この内容で1200円は高いのではないか?もっとも、私は今年ブックオフで100円で買ったものだから、文句は言えない。☆ 「超」整理日誌 野口悠紀雄 ダイヤモンド社 同じく野口悠紀雄氏の本。「週刊ダイヤモンド」連載記事をまとめたもの。1996年の初版なの情報の古さは仕方がないとして、何しろエッセイだから内容が薄くて、ほとんど読む価値は無い。ただ、「『風のナウシカ』に関する主観的一考察」という章だけはアニメ版の『風のナウシカ』は「スター・ウォーズ」の焼き直しであるが、コミック版の『風のナウシカ』は「指輪物語=ROAD OF THE RING」からのいただきであるとの仮説が面白かった。また指輪物語が「イデオロギー不在」「幼児的」「保守的プチブルの現状維持願望」と評されたのに対して、『イデオロギーの露出が過剰である』と切っているところはなかなか。先生! 趣味の分野だと面白い事、書けるじゃない。☆ シンデレラのパソコン超活用法 野口悠紀雄 講談社 1500円 同じ野口悠紀雄氏の本。女性誌に連載したものだと言うことだが、上記のパソコン「超」仕事法を、女性向きに、薄めた(失礼)本。私が読む理由は全くない本だった。と言っても、これもブックオフで100円で買ったものだから、文句も100円分しか言えない。☆ 本当は恐ろしいグリム童話 桐生操 KKベストセラーズ 一時ベストセラーになった本。内容の学術的解説をもっと増やせばいいのだが、ホンのさわりだけなので、内容が薄い、これ以上読む必要は無しと判断。☆ 一冊でわかる論争地図 データバンク21編 成美文庫 「生活密着から社会問題まで日本人の大論点」「あなたはどっち派? プチ社会派論から企業対立まで」という副題。 掘り下げが深ければ、日記のネタにでもと思ったのだが。☆ 知的生産の文化史 私-プロがもたらす世界 阿辻哲次 丸善ライブラリー 「古代中国の文字学」が専門の著者だが、う~~ん、知的好奇心がメラメラと燃えるようなタイトルにもかかわらず、内容の濃さはやや物足りない。------考えてみると、私の本への不満の基調は、「内容が薄い」ということになる。私は内容が濃い本が好きなようだ。だから、読むのに時間がかかってしまって、読書日記が書けないのだ。リンク巡回はミニマムにして、読書に励もう。
2004.11.03
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まず、昨日の日記に寄せられた「ぼえたりんさん」と「みんみんパイさん」のコメントと、それに対する私の返事を書いておきたい。 ★ ★ ★ ★ ★ ★>ぽえたりんさん>英語の汎用性は十分に認めた上で、早目に翻訳機が開発されるのが一番だとは思いますが、多分、alexさんのおっしゃることが、一番現実的でしょうね。――――――おっしゃる翻訳機とは「日本語 → 英語」の翻訳機でしょうけれど、もう少し完成度が上がれば、会話には役に立つでしょうね。しかし、翻訳機で足りるわけでもないと思います。外国語の効用は会話だけにあるわけではありません。英語の資料の翻訳という従来の主な英語リタラシー(英語の読み書きの能力)の対象以外に、現代では「e mail」や「インターネット」での使用が爆発的に増えました。グローバル化に伴って、これからは普通の会社でも海外との e mail での通信が当たり前になってくると思います。優秀な翻訳ソフトができても、いつもどんな状況でもそう言うソフトに頼ると言うことも不自由ですし、どこまで機能が向上しても、日本語と印欧語の言語的距離の遠さから、翻訳ソフトに頼り切ることはできません。英語を第二言語として、または公用語の一つとして採用して、教育に力を入れている国も多い。日本もそこまで行かないまでも、もっと英語能力を上げないと、国家ぐるみでいわゆるイングリッシュ・ディバイド(英語格差)の犠牲者になって、言語能力的に世界の孤児になるのではないでしょうか?これからのグローバル化される世界で、世界語=英語の能力に劣ると言うことは、あらゆる分野でハンディキャップを持つことになります。それに、例え世界語としての英語を即物的にツールとしてあつかっても、やはり英語を学習する過程で、英語の言語としての文化、例えば日本語にない論理性などを吸収できるメリットもあると思います。世界語はツールとしての存在でいいでしょうが、私の本心としては、言語の文化としての側面は大事だと思っています。>これを変えることのできるのは、フランス人か、アメリカのヒスパニックくらいかなとは思います。――――――フランス語は無理でしょう。もう英語に完全に抜き去られました。ドイツ語も東欧では強いですが、フランス語と同様にEU圏内の共通語の一つとしての立場にとどまるでしょう。スペイン語や中国語の世界語としての可能性は、一世紀ほど後でないと見えてこないでしょう。しかし、言語の興隆は言語単独ではありえません。例えば英語の場合、インターネット、コンピューター、映画、音楽、学術、科学、軍事、経済、資本、・・・。すべて米国がイニシアティヴを握っていますね。こういうすべての分野でこれから果たして、スペイン語経済・文化圏が、英語・米語に追いつくことが出来るかどうか?中国語は漢字という、大きなハンディがあります。非漢字文化圏の人間にとって、漢字はあまりにも大きい障壁です。先日、中国語の漢字がゆえの言語としての硬直性について説明しました。 ★ ★ ★ ★ ★ ★みんみんパイさん>一つ追加して言いたいことは、「世界共通語」として英語が使われている場合が多いし、実際そう信じて英語を勉強している人が多いわけだけれどもそうやって「英語」を学んでいくのだとすれば、アメリカ英語・イギリス英語、を学ぶというわけでなくて「世界英語」のスタンダードを決めて学んで行くべきだ、という主張をmakhちゃんはしていたと思う。――――――makhさんの主張はほぼそういうことでしたね。非英米人はアメリカ英語・イギリス英語を目指すべきじゃない、世界語としての英語を目指すべきだ・・・というような。私は言語というものは、ある種、生き物のようなもので、その歴史的な発達の様相や方向は人為的にコントロールできるものでは無いと思います。それは北欧語として発達した英語が、ノルマン・フレンチを始め、いろいろな言語の影響を受け、文化を吸収して今の豊かな言語になったと言う、英語の歴史をみてもわかります。>「世界英語」のスタンダードを決めて学んで行くべきだ、という主張をmakhちゃんはしていたと思う。――――――しかし、「世界英語」というものが語られ、多用な英語が存在していることはもちろんですが、「世界英語」のスタンダードはまだハッキリとしたものができあがっていませんね。それに言語は常に変化して行くものですから、将来的にも静態的に「スタンダード」として固定・定着するものではないと思います。本当は「世界英語」は多様性を持つ英語でなければいけない・・・とおっしゃっているのでしょうけれど。ただ、もし「すべての言語は平等であるべきだ」という、「言語権」論的なロジックを「世界英語」に持ち込もうとしているのであれば、それは不適当だと思います。英語が一極支配しているというのが、好むと好まざるとを問わず、客観的な現実なのですから。>「日本的英語」も「他の植民地上がりの英語」もひっくるめて「英語」にしていかなければならない、それによって日本人もさらに英語アレルギーから抜け出し、自信を持って「日本的英語」を話すことになり「世界英語」の一部となる、それが「世界英語」として許容の幅が広がり世界的なコミュニケーションがよりやりやすく出来るようになるのではないでしょうか。――――――これも同じく、英米人のネイティヴ英語から、もっと幅の広い「世界英語」を構築して行かなければならないという主張ですね。私個人の意見ですが、「世界英語」がどういうものになるかは、「していかなければならない」という理念的なものではなくて、それを使用する人たちの「ニーズ次第」という「現実」だと思います。フランスでも英語のヴォキャブラリーの流入を恐れて、公文書などでの英語語彙の使用を制限していますが、法的規制のないインターネットでは英語語彙が自由に使われているようです。これも「ニーズ」の現実だと思います。おっしゃるもう一つの側面、「世界英語として許容の幅が広がり」、つまり、英米人のアドバンテージの少ない、ユニヴァーサルな、プレーンで平易な英語であれば、世界語としての機能が大きくなる」という主張はその通りだと思います。BASIC ENGLISH というものが、すでにありますね。使用する語彙を850語に抑え制限し、また英米語独特の熟語・成句の使用も制限する。これなども、世界英語候補でしょうか?私はやはり、言語は「生き物」「生もの」であって、日々に成長して行くもので、勉強のためにはこういう英語もいいかもしれませんが、刻々と成長して行く英語ではなくて、世界英語というものではないと思います。>もっとも英語圏のアメリカも、今では英語だけでなくスペイン語表記、スペイン語音声などを取り入れている場所がかなり多くなり、スペイン語も公用語化している感じなので、「世界スタンダード」を求めるのなら英語に限る必要はないのかもしれません。――――――米国のメキシコ国境に接する各州でのヒスパニックの人口が爆発的に増加して、その結果としてスペイン語が第二公用語化している。これは事実ですね。それに「英語に限る必要」は確かにありません。しかし、上で私がぼえたりんさんのコメントに答えたような、その言語が世界語になる要件がいろいろ無数にある訳で、今のところスペイン語がその要件を満たして、英語をけ落として世界語になるとは、私には、とても思えません。 ★ ★ ★ ★ ★ ★これで、ぼえたりんさんと、みんみんパイさんのコメントにお答えしたわけですが、お二人とも、さらに何かあればコメントをお寄せください。ベーシック・イングリッシュ(BASIC ENGLISH)という「簡単英語」がありますので、これについてちょっと。今はそれほど話題になりませんが、私が学生の頃は結構、いろんな本が出回っていました。「ベーシック・イングリッシュ学会」のHPというものがありますので、失礼して引用させていただきます。http://homepage3.nifty.com/BasicEnglishSociety/index.htmlベーシック・イングリッシュとは?=============ベーシック・イングリッシュは、言語学者のオグデン(Charles Kay Ogden 1889-1957)が1930年に発表した言語組織です。それは、文法的には一般の英語と変わりありません。ただ、使用する単語が850に限られ、その使い方にいくつかの簡単なルールを持っています。ベーシック・イングリッシュは、使う単語の数は少ないのですが、それらを組み合わせることによって、ほとんどあらゆることを書いたり話したりすることができます(注1)。 850の単語は、一般の英語でよく使われるかどうかという規準では選ばれていません。そのため「こんな単語もないの?」と、驚かれることがあるかもしれません。しかし、オグデンが選んだ850単語は、活用力があります。実際にこれら850の単語だけで文を作ってみると、これらの単語がたいへんよく考えて選ばれていることを感じることができます。また、これら850語の範囲の中で言葉を組み立てようと工夫する過程で、自分は何を言おうとしているのかということがはっきりしてくる、という効果もあります。 ベーシック・イングリッシュのルールを簡単に説明します。850の単語のうち、いわゆる動詞(注2)として使えるのは、come, get, give, go, keep, let, make, put, seem, take, be, do, have, say, see, send の16語だけです。またいわゆる助動詞として使えるのは、may, will の2語だけです。名詞には語尾に ed または ing をつけて形容詞あるいは名詞のように使うことができます。また、er をつけて名詞として使うことができます。多くの形容詞には、前に un をつけて反対語を、後ろに ly をつけて副詞を作ることができます。850語の中の単語同士を結合させて、合成語を作ることができます(注3)。850語にない単語でも、すでに国際的になっている語は、そのまま使うことができます(注4)。 ベーシック・イングリッシュは、一般の英語の一部分です。制限はありますが、決して「特殊な英語」ではありません。 ベーシック・イングリッシュは、(1)国際補助言語(注5)として役立つこと、(2)一般の英語学習者が最初にこれを学ぶことによって学習効果があること、(3)ものごとを明確に考えることができるようになること、を目指しています。注1 たとえば「登る」は go up、「受け取る」は get や have、「忘れる」は have no memory of~ や ~goes out of one's mind 等々、ベーシックの範囲内でいろいろな言い方ができます。注2 オグデンが作ったベーシック850単語の一覧表に「動詞」という分類はありませんが、とりあえずここでは「いわゆる動詞」としておきます。以下、他の品詞も同様です。詳しくは、「関連書籍」に挙げた本をご参照ください。注3 fire+work→firework、out+come→outcome、sun+down→sundown、foot+print→footprint、over+weight→overweight 等々。注4 bank, coffee, hotel, police, post, taxi, telephone 等々。注5 異なる言語を話す人たちが、お互いの意思や感情を伝えるための道具としての言語のことです。 ★ ★ ★ ★ ★ ★このHPに次のような電子テキストが紹介されていました。興味のある方はご覧ください。――――――日本でのベーシック・イングリッシュの普及に大きな貢献をした高田力の著作『ベーシック英語』を電子テキストとして翻刻しました。貴重な情報に溢れていて、今の時代に読んでも新鮮さは薄れていません。高田力『ベーシック英語』http://homepage3.nifty.com/BasicEnglishSociety/takata.html
2004.11.02
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一昨日のアマゾンから購入した本について、いろいろ書こうとしたら、『イングリッシュ・ディバイド(英語格差)』について書く事になって、また気が変わって、今日はまず『英語帝国主義』について書こうと思う。『イングリッシュ・ディバイド(英語格差)』については、この『英語帝国主義』の中で書くことが出来ればいいのだが、それが出来なければ、明日の課題としたい。また『あえて英語公用語論』 船橋洋一(著) 文春新書(発行)という本についても、関係があるので『イングリッシュ・ディバイド』と一緒に書きたい。そのあとでアマゾンからの最新の到着本について書こう。そのまた後で、ブックオフで最近買った大量の100円本について書こう。いや、大量なので、現在データベースにインプット中で、この話題は間に合わないと思う。ということで、今日は『英語帝国主義』について書きたい。あくまで『予定』であって、変更もありうるが・・・。こういうテーマで書くのは、今まで私の脳内で、ぼんやり存在しているだけでまとまっていなかった考えが、書くことによって、私なりのある一定のまとまりを持つことになるので、そうしているだけに過ぎない。いわば「個人的な作業」であって「作業日記」。日ごろ何となく考えていることを日記に書いてみるのは、カメラで撮った対象(ネガ)を現像・焼き付けするプロセスに似ている。一度、写真になれば、カメラで捕らえた映像が、ハードとしての映像になるのと同じように、一度、日記の文章にすれば、とにかく自分の考えが具体的な明確なものになり、以降、自分の脳内にも定着するし、参照したり、読み返す場合にも便利になる。まあ、そんな気分かな? ★ ★ ★ ★ ★ ★先日、私は『英語帝国主義』という言葉を使ったが、これは私が、『これからの時代は英語の習得が極めて重要になる、インドなどの旧英国植民地では植民地時代の遺産で英語人口が多い』などと述べたところ、makhさんが、インドでの上級カースト(アーリア人)の支配と、インドにおける英語が公用語であること(言い換えれば英語の支配)について、「帝国主義的」と攻撃・非難されたので、その対応として思いついて偶然に使用したに過ぎない。つまり、私は『英語帝国主義』という言葉が、実際にあるとは知らなかったのだ。ところが『英語帝国主義』または『言語帝国主義』という言葉は、言語学その他の分野で、テーマらしいのだ。昨日、イングリッシュ・ディバイドについてネットで検索しようとしたら、いきなり『英語帝国主義』という言葉が出てきた。例によって、私の愛用する(著作権問題が無いので) フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』から引用してみよう。-------------------------------英語帝国主義とは、世界に何千とある言語の中で英語だけを唯一の世界共通語とするイデオロギーであり、英語使用者に多大な権力、利益をもたらし、それらに魅了された人々が次々に英語習得に乗り出す現象、すなわち英語支配の世の中をさす。大石(1990) と津田(1990)が「英語帝国主義論」の口火を切った。海外でも、Phillipson (1992)やPennycook (1994, 1998)によってこの問題が指摘された。-------------------------------「津田」とは津田幸男氏のことで、『英語支配の構造―日本人と異文化コミュニケーション』という本で「英語帝国主義論」を論じているようだ。これはアマゾンを見ても目次も批評もないので内容はわからない。「大石」とは下記の大石俊一氏のこと。★ 「英語」イデオロギーを問う―西欧精神との格闘 大石 俊一 (著)この本はもちろん持っていないし読んでもいないから、出版社/著者からの内容紹介をコピーしてみよう。【出版社/著者からの内容紹介】 本当に英語は〈必要〉なのか?という疑問から「国際共通語」としての世界的な英語の広がりを、本書は「英語支配」としてとらえ、その影と負の部分を明らかにした画期的な一冊。まだ誰も気づいていない「言語差別」という視点からの日本―アメリカ文化論としても有益。【目次】1 「英語」をめぐる心理的葛藤2 日本における「英語」「英会話」素描3 「英語」帝国主義に抗して4 「英語」抑圧装置に抗して5 「東」と「西」の真の平等性にむけて―西欧普遍主義の克服のためにこの目次で大体中身がわかるような気がする。>5 「東」と「西」の真の平等性にむけて―西欧普遍主義の克服のために。これがポイントだろう。東(欧米以外)は西(英米=先進国)の英語に征服・支配されている。それは、《帝国主義》と《西欧普遍主義》と《人種差別》によるものだから、劣等感を廃し、言語的な平等をめざすべきだ。これはmakhさんの主張とほぼ同じだと思う。イデオロギー的な反英語論と言っていい。世界が英語への一極化へ突き進む事への反感の表明と言える。しかし、 >本当に英語は〈必要〉なのか?という疑問と言われても、英語が必要でない現代なんて考えられないではないか?もちろん、「英語は全然必要でない」とは言っていないのだろうけれど・・・。この説を日本人の立場から具体的に実行するとなると、英語の使用を抑制して、英語以外の自国語(日本語)を、世界共通語候補として育てようと言うことになるのだろうか?これはなかなか「根気」の要る、壮大なプロジェクトである。また、これは日本人の独り相撲では全く問題にならないことで、「日本語を世界共通語候補」として採用してくれる仲間が大勢いることが条件となる。これは、ほぼ不可能だろう。外国語というものは文化である以前に先ずツールなのだから、日本語圏が日本だけという条件の日本語はいくら言語人口が多くても世界語にはなれない。ただ、日本語を公用語の一つとして採用してくれている国は世界にあるはずがないと思うが、これがあるのである。名前は忘れたが、戦前に日本が統治した南洋の島国の内の一つである。戦前に日本は南洋の諸国で日本語教育をしたから、お年寄りで日本語がしゃべれる人口がある。これは例外であって、日本語が通用する国があるだろうか?台湾・朝鮮も戦前の日本語教育で、老齢層を中心に、日本語を「話そうと思えば話せる」人口がある。しかし、これらの国が日本語を公用語として採用してくれる可能性はほぼゼロだろう。それどころか、韓国などは、日本文化だって輸入禁止なのだから、とんでもない話である。ハワイなどは日本人移民も多い州だし、なによりも芸能人をはじめ日本人観光客が争ってブランド店でブランド品を漁るから、そう言う店では店員が日本語をしゃべる。「ブランド店公用語」ではある。しかし、結局、現実問題として日本語が国際語になりうる可能性は小さい。これはみなさんが認めるところだろう。単純に「使用人口が多い」という言語はけっこうある。例えばスペイン語がそうだ。中南米・スペインに膨大な言語人口を持っている。それは世界語になる《必要条件》ではあるかも知れない。しかしそれが世界共通語としての《十分条件》ではない。スペイン語はどうか?スペイン語を母語としない人々同士が、あえてスペイン語でコミュニケーションを取るケースは原則として無いといってもいいだろう。同じように、インドのヒンデゥー語、ロシア語、アラビア語、中国語、それに日本語を加えて、言語人口は多くても第三者の他言語の民族とのコミュニケーションのためにその言葉を習得しようとするケースは少ない。例えば、米国人が日本人と話すためにロシア語を話すことはない。中国人がアラブの人と話すためにヒンデゥー語を話すことはない。 ★ ★ ★ ★ ★ ★「世界」といっても、今の世界は昔の世界とは規模に於いて違う。昔の世界はギリシャの本国と属州、それに植民地、交易相手国などの「ギリシャ世界」だったり、「パックス・ロマーナ」ローマ式平和の「ローマ帝国内」であったり、した。つまり、世界語の「世界」が昔はもう少し小さく限定されていた。そのなかでは、古くは「ギリシャ語」や「ラテン語」が欧州での世界語としての地位を持っていた。その後の欧州では、ラテン語を母語としない民族同士がラテン語を通して会話した。法律も聖書もラテン語だった。教会内部での言葉はラテン語だった。近代になってフランス語が世界語になった。フランス語はその点、例外的にフランス語を母語としないもの同士が、フランス語を通じて語り合う自他共に許す国際語だったが、現在のフランス語は、その地位をほぼ英語に譲っている。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ここで、私の現実認識を書いておきたい。● 現在、世界語としてのDe facto standards ディファクト・スタンダード(事実上の標準)は英語であって、これを否定する人はほとんどいない さらに、この状況はこれから、ますます顕著になるはず● 英語は世界語としての能力が高い言語である● 英語以外の言葉にも同等の位置を持Sたせるべきだという意見もあるが、英語に代わって世界語になる可能性をもつ言葉は、少なくともあと一世紀は出てこないだろう● マイナーな言語の言語としての価値を否定しているのではない 世界語としての能力と価値が無いのである 世界語になれない言語は、『世界語』としてでは無く、その言語の言語圏での価値・文化がある ★ ★ ★ ★ ★ ★以下は私の意見。● 個人・国家レベルでのイングリッシュ・ディバイド English divide (英語格差)を避けるために、日本での英語教育をもっと強化し、効果的にすべきである● ディファクト・スタンダード(事実上の標準)に逆らっても、マイナス面が大きいので、それには従ってメリットをエンジョイすべきこの最後の「ディファクト・スタンダードには屈せよ」というポイントには反論もあるだろうと思う。しかし、これはもろに現実的な志向で、思想性などはない。言語は文化だという異論もあるかとは思うが、世界語に限っては言語はコミュニケーションのツールだという認識を持ちたい。自己の文化は自己の母語の中で守ればいいではないか?日本人なら、日本語+英語でいいではないか?私の経験でも、例えばビデオで、ディファクト・スタンダードであるVHSに逆らって、画質がいいからといってソニーのβ方式にこだわった人間は結果的に馬鹿を見た。私もその一人だったが、だんだん発売されるβのビデオが少なくなって、ビデオ・レンタルショップはVHSの全盛となり、借りることも出来なかった。パソコンの世界でも、古いMS-DOSの世界では、NECの98シリーズが圧倒的なシェアをもっていて、他者まで98規格のパソコンを作っていた。私は海外にいたので「英語も使えて、携帯できる」東芝のラップトップをずっと使用していたが、98の豊富なソフトに比べると、ソフトの量が限られていて、我慢をしたものがいっぱいある。言語もツールであるという観点からは、素直にディファクト・スタンダードに従わないと「得うるべき利益」を取り逃すことになると思う。
2004.11.01
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