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『名もなき「声」の物語』高橋源一郎(NHK出版) 本書の奥付の前のページにこう書かれています。 本書は、「NHK100分de名著」において、二〇一五年九月に放送された「太宰治『斜陽』」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「太宰治の十五年戦争」「おわりに」を収載したものです。 こうあって、次ページ奥付に、2022年7月25日に第1刷とあります。 そして上記引用文で触れられた「太宰治の十五年戦争」特別章の冒頭には「数日前に、戦争が始まった。ロシアがウクライナに侵攻したのだ。」とあって、かなり緊張感のある展開の章となっています。それは、例えばこんな部分からも、ひりひりする感じで伝わってきます。 筆者が、今こそ「あの戦争」のことを考えねばならないとして、その理由を挙げようとしている部分です。 一つは、なんだか「戦争」が近づいているような気がするからだ。そして、もし「戦争」が間近なものになったとき、どう考えればいいのか、太宰治は、それを教えてくれるような気がするからだ。 この後、もう一つの理由も書かれているのですが、それはこの一つ目の理由をさらに詳しく説明したものになっています。 そして、続いて筆者は二つのことを指摘します。 ひとつは、太宰治はその作家活動のほとんど全期間が戦時下であった、ということ。 もうひとつは、自由にものが言えない時代を「戦時」というなら、ひょっとしたらもう今だって「戦時下」なのかもしれない、ということです。 と、いう風にとても興味深く話は拡がっていくのですが、でもそれは、本書の最後三十ページほどの部分で、(もちろん有機的につながってはいますが、)本書の中心は、そこに至る『斜陽』を語る部分であります。 そしてここでも、筆者は優れた指摘をおこなっており、今回はその部分について報告をしようと思っています。 実は、私は拙ブログにすでに何度か書いていますが、漱石・谷崎・太宰が私のフェイバレット作家であります。 そしてある時、なぜ自分はこの三作家の小説が好きなのかと改めて理由を考えました。いえ、別に独創的なことを考えたわけではありません。 それぞれ一言で描けば、漱石は誠実さと倫理性、谷崎は物語並びらび文章の圧倒的才能、そして、太宰は……。 と、思って、自分なりに考えたことはあります。 しかし、どうもうまく言い切れないんですね。明らかに私は太宰の小説が好きなのに、その理由がきれいに言葉にしきれません。 でも、「好き」という感覚は、元々そんなところがありそうだしということで、まー、今までペンディングしていたわけですね。 それを、私はこの度本書で読んだ気がしました。 いえ、細かく考えれば、私の思いと全く相似形をなしているわけではないのですが、かなりすとんと心に落ちる説明がなされていました。 本書の中に、長短点在しているのですが、その一つを引用してみますね。 それは、太宰治が超能力の持ち主だったからでもなく、超天才だったからでもなく、預言者の才能を持っていたからでもない。彼には、聴くことのできる耳があった。世界でなにが起こっているのかを静かに聴くことのできる耳があった。彼は、そうやって彼が聴きとったことを、ことばに記した。まるで無垢な子どもみたいに、熱心に、目を閉じて、いつまでも、ずっと世界でなにが起こっているのかを聴きとろうとしていた。 筆者はこれこそが、今に至るまで太宰の作品が人々に読まれ続けることの理由であるとまとめています。(そしてそれは、上記の「太宰治の十五年戦争」の章の論旨につながっていくわけですね。) ……思い出しました。 私の好きな太宰作品に、「鴎」という短いお話があります。 何というか、いかにも太宰らしい、繊細さや弱さに混じって彼自身の作家的矜持も描かれている作品だと、私がほぼ偏愛する小説です。 で、その作品の冒頭、エピグラフとでも言うのでしょうか、タイトル「鴎」の次行に、こうあります。 ――ひそひそ聞える。なんだか聞える。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2023.12.31
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『日本映画史110年』四方田犬彦(集英社新書) わたくしのもうひとつの拙ブログにも同様のことを書いたのですが、10カ月ほど前から、いろんな映画を見るようにしました。 60本くらい見たのですが、もちろん各作品、見ていてそれなりに楽しいのですが、どうも、なんといいますか、評価する「基準」とでもいうべきものが、よくわかりません。 いい映画だったなー、と思って、具体的断片的にどこがよかったとは何となく思うものの、やはり、総論的「基準」のようなものがよくわからないんですね。 そして、そんな時私は、ちょっと不安、というか、自信のなくなるタイプであります。 という、自分自身のこともまた、この10カ月ほどで学んだんですね。 なぜそんなことに気が付いたかというと、それは、私の「不安」の原因を説明しても、一向に理解されない知人が、複数名いたりするからです。 なんで、そんなこと思うの? と不思議がられる、と。 まー、そんなこともあって、そもそも割とブッキッシュな人間であるもので、勢いその手の本なんかを読んだりします。そんな一冊が、この度の報告図書であります。 「〇〇史」を学ぶ、というか、知ることは、やはりその分野の理解のためにはとても大切なことだと思っています。 一時期、私は、日本文学史を始め、アメリカとかイギリスとかの文学史をけっこう読んだことがありました。もう古い話ですが、割と楽しかったのを覚えています。 で、映画史なんですが、本書の章分けでいいますと、第一章が「活動写真 1896~1918」となっています。そこから、21世紀の初めまでの日本映画史を、一応網羅している本なんですね。(ついでの話ですが、筆者はもちろん全作鑑賞なさっているんでしょうねえ。大変な数ですよ。でも、文学史を書く人はやはり一応全作読んでいらっしゃるでしょうしねえ。) ただその「網羅」というのが、まー、いわゆる「〇〇史」の、便利で役に立つけれど限界でもあるかな、と。 いわゆる、総花的になってしまうわけですね。 事実や知識に触れるにはいいかもしれませんが、いわゆる読書的納得や感心感動、というところまではなかなか届きません。 それに、作品に対する評価や、逆の批判についても、個々作品に対して深い掘り下げがない、という感じになります。 そんな「映画史」を、ただでさえ自らの評価基準に不安のあるわたくしなんかが読むと、まー、けっこう戸惑うわけですね。 ちょっとそんなところを抜き出してみますね。 これは第12章「制作バブルのなかで 2001~11」の部分です。 『ALWAYS 三丁目の夕日』と『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』は、いずれも高度成長期に差しかかった東京を懐かしみ、CG合成を用いてそれを再現しようとするメロドラマである。過去は失われたものであるがゆえに美化され、昭和という時代に存在していた社会的矛盾と政治的困難は慎重に排除されている。こうした後退的傾向は、バブル経済の崩壊した後、いつまでも深刻な停滞に悩む日本社会において、観客に支持された。 いかがですか。私はこの評価が間違っているとは思いませんが、多分短くまとめる必要のために、ここからあふれ出す部分をかなり切り捨てていると感じるものです。 そして実は、本書を読み終えたその日に、たまたまテレビで『ALWAYS 三丁目の夕日』が放映されていまして、それを部屋で女房と並んで見ていた私たちは、あー、昔はそうだったよねー、などと懐かしみ合いながら、そして、クライマックス部分では、やはり目頭が熱くなったりしていたわけであります。 ……そんなわけで、うーん、これが、まー、映画批評のむずかしさなんですよねー、とか言いながら、そもそもの頭の作りがイージーな私なんかは、かなり戸惑ってしまうわけであります。 というわけで、この度私は本書を読んで、よし次はこの人の作品を見てみようと思った何人かの監督の名前がメモできたことが、最大の収穫のような気がしました。 いえ、それは本書を批判的に言っているのではなく、本当はそれ以外にも、例えば戦時期における日本映画についての記載とか、日本が一時期植民地としていたアジアの地域の映画状況についてとか、今まで私が全く知らなかったことについて興味深く書かれてあり、とても感心しました。 また、21世紀に入って、映画界に、あるいは数多くの様々な芸術芸能も同様なのかと思いますが、なかなか新しいもの、優れた展開が現れてこないことについてとか、これもまた興味深い指摘がありました。 というわけで、わたくしは今もそれなりに面白く映画を見続けていますが、その一方の、自分の感想をどうまとめればいいかの「よくわからなさ」も、まだまだ続きそうであります。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2023.12.17
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『おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子(講談社) 2022年の夏の芥川賞受賞作です。 女性作家です。 令和元年上半期から同5年上半期までの芥川賞受賞作家をちょっと調べてみたら、全部で12人いて、男女は、男4人女8人でした。 いい割合ですよねー。国会議員の男女比もこのくらいになれば、国の政策も大きく変わるでしょうがねー。(閑話休題) 男女を分けて考えることに意味があるのかと問われれば、私としてはあるんじゃないかと考えています。 先日、夏目漱石の『野分』という小説を読んでいると、すでに漱石が文中で、文学は実生活の不如意こそが深化のきっかけである、みたいなことを書いているのに、少しびっくりしました。明治時代も後半とはいえ、近代文学のまだ揺籃期ですよ。さすが漱石と、かなり感心しました。 で、令和になってから(遡ればそれ以前からもけっこう確認できましょうが)、女性作家が花盛りというのは、女性たちの置かれている社会状況が相変わらずひどい(男もひどいでしょうが、もっとひどい)という事でありましょう。 さて、わたくしこの度本書を読みました。 単行本の帯にこう書かれて売りました。 「心ざわつく職場小説」 ……なるほど。 そういえば、芥川賞受賞作だけではなく若い女性作家の作品として、私もなんかたくさん「職場小説」を読んでいるなあという気がしました。 若い男性作家の職場小説は読んでないのかと思いだそうとしましたが、浮かびません。 読んでないのか、印象に残らないのか。 単行本の帯の裏表紙に当たる部分には、こんなフレーズがありました。 「ままならない人間関係を、食べ物を通して描く傑作」 ……また、なるほど。 (話は飛ぶのですが、わたくし、本書について情報を最初に得た時に、このタイトルって、どうよ? と思いましたが、読み終えてもやはり思っていますー。) 女性社員の、職場での「人間関係」、ですか。 ネガティブにあれこれ想像詮索するのをやめて少し考えてみると、このあたりは確かに売れ筋のような気がしますよね。 だって、いわゆる「純文学」っぽい現代小説なんか、まっとうな成人男性は読まんでしょう。(すみません、この部分はジョークのつもりで書いてます。よーするに私なんかは「まっとうな成人男性」じゃないという自虐ネタです。それだけの意味。) 本書を買った人は、きっと、ほぼ女性ですよ。 というわけで、作品内容の報告になかなか入りません。 ただ、こうして書いていることが、あながち作品内容に無関係だというわけではないつもりで書いております。 上記にありますように、私もぼつぼつと若い女性作家によるわりと新しい「純文学」現代小説を読んできまして、そしてこの度さらにそこに一冊を加えて、それらの作品群をざっくりこんな感じにグループ分けしてみました。 1.いわゆる「こじらせ」サイコ系 2.シュール変身譚系 3.元の木阿弥「小確幸」発見系 いかがでしょう。なんとなく分かってもらえますでしょうか。 なんとなく分かりますよねえ。 で、本作はどれに当たるかと考えると、ちょっと、うーん、と考えて、やっぱり「こじらせ」サイコじゃないか、と。これはどう考えても「小確幸」発見とは言えないだろうし、またシュールとまでは言えない擬似ハッピーエンド(私は終盤はやや失速したように思いました)じゃないかな、と。 と、グループ分けをしたところで、私はさらにこんな風に考えました。 しかしそもそもこれはリアリズム小説でもなかろうし。 例えば、けっこうたくさんの章分けをしてこの物語は進んでいくのですが、終盤前までは、章ごとにいわゆる「人称」が変わっています。一人称文体の章と、三人称ではありながらほぼ特定の人物に寄り添って書かれている章が、交互に描かれます。 あえてその狙いを想像すると、人物の立体化の工夫というのがまず浮かびますが、それより、作中の誰の心理をその時の謎とするのかの効果あたりかな、と思います。 その工夫が面白くないとは言いませんが、ストレートなリアリズム描写はできないのかな、それとも、そんなリアリズム描写は今は時代遅れになっているのかな、本当にそうなのかな、などと思います。 さらに「リアリズム」というのなら、作品終盤のお菓子を巡るエピソードなどは、終末につながる最大のエピソードながら、これは、リアリズムとはいえんでしょう。(私はそう思いますが、違いますか?) では、結局本作は何が描かれていて、そして、芥川賞受賞作でありますから何が高く評価されたのだろうか、と。 わたくし、じーと考えたんですけれどね。 ひょっとしたらと、思ったんですけどね。 これは実験室の実験装置の中の人間心理の分析と表現じゃないのか。 そう思うと、読んでいて確かに、上手な心理分析だなあとか、うまく心理を表現しているなあとか感じるところは多くあります。(それはまあ、何といっても芥川賞受賞作ですから。ただ、ここはスベッたかなと感じるところも……。) ただ、ここまで思って、もし、芥川賞的評価基準がこれに近いのなら、今更ながら少々あやうい気もしました。 まあ、そんな基準ばかりではないでしょうが、もしこの基準一辺倒なら、山は高くなってもすそ野はどんどん狭くなっていきそうです。 素人のくせにといわれましょうが、現代美術とか現代クラシック音楽などは、そんな状態に陥っているのじゃないのでしょうか。(あるいは、現代詩なんかも?) ……いえ、まあ、そこまで考えることもないのでしょう。 なるほど、女性の職場の人間関係はいろいろ大変だ、「心ざわつく職場小説」と、そう納得させる小説でありました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2023.12.03
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