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『晩年』太宰治(新潮文庫) 以前より私は、太宰治は我がフェイヴァレット作家のひとりだと本ブログで書いてきました。今でも基本的にそう思っています。 この度、太宰治の第一作品集『晩年』を読みまして、私は再読だと思っていたのですが、確かに読んだ覚えのある作品もけっこうありましたが、一方、これはどう考えても初めて読んだ作品じゃないかしらと思う作品もちらほらありました。 その結果、私が結論として出したのは、昔の私は『晩年』全作品を読み切っていないというものでした。 よくそれで、太宰治をフェイヴァレットなどと言えたものだとご批判がありましたら、それは甘んじて受けざるを得ないと愚考いたします。 とりあえず謝っておきます。すみません。(しかし私は誰に誤っているのかな。) で、この度『晩年』全15作品を読みまして、まー、やはり、色々考えました。 ざっくり出来のいいのはどれだろうと考えました、5作だけ。5作の間の順位は付けず、収録順に書いてみます。 「葉」「魚服記」「道化の華」「ロマネクス」「めくら草紙」 こんな感じですかね。5作間順位は付けないと書きましたが、『道化の華』は、私の中では第5位です。 「葉」は、これは読んで心地よい断片がたくさん詰まっていますものね。 こういう才能は、一体なんでしょうかね。(太宰は終生このスタイルの作品を書き続けましたね。)でも、やはりこういう断片を作品の核にしながら、本来は頑張って一定のボリュームある小説にしていかなければならないのでしょうね。 今ふっと思い出しましたが、これは坂口安吾がいうところの、「文学のふるさと」のようなものかもしれません。 「魚服記」は世評の高い一品。かつて私も、この作品についてあれこれ考えたことがありましたが、この度地域の図書館のホームページで検索を掛け、何冊かの太宰関連の本をのぞいてみますと、『魚服記』については実にたくさんの研究論文等があることを知りました。 そんな、多くの人が魅かれるチャーミングな一作であります。 「道化の華」は、……うーん、これは、何といいますか、いかにも若かりし太宰治らしい作品で、今読むと、はっきり言って、ちょっと恥ずかしいような気がします。 この恥ずかしさは何なのか。 この作品が、結局いわれるところの典型的な太宰流青春文学だからなのかもしれません。 例えばこの作品が「青春文学」と呼ばれることについて、昔の若かった私なら、描かれていることは若いとか若くないとか関係ないじゃないかと、多分思っていました。 ところが、今いたずらに馬齢を重ねた私が読んでみると、やはりはっきりいって内容への興味がやや薄いです。ひりひりと痛い感じは読めるものの、それは私にさほど強く訴えかけるものではありません。 なるほど、「青春文学」とは、こういうことですか。 少し変な納得をしてしまいました。 「ロマネスク」は、以前より『晩年』といえば「魚服記」と「ロマネスク」だろうと思っていた作品で(本当は『晩年』全作品を読んでいなかったのに)、やはり傑作のひとつだと思います。しかし一体この作品は、どんなところが優れているのでしょうか。 例えばこんな描写。 喧嘩は度胸である。次郎兵衛は度胸を酒でこしらえた。次郎兵衛の酒はいよいよ量がふえて、眼はだんだんと死魚の眼のように冷たくかすみ、額には三本の油ぎった横皺が生じ、どうやらふてぶてしい面貌になってしまった。煙管を口元へ持って行くのにも、腕をうしろから大廻しに廻して持っていって、やがてすぱりと一服すうのである。度胸のすわった男に見えた。 このユーモラスな誇張法は、結局のところストーリーと語りとの距離感を作者がしっかり掴み切って書いているという、客観性の保証だと思います。 この度太宰について少し調べていて思いがけなく知った、同年生まれの中島敦の「名人伝」を彷彿とさせるような書きぶりです。 「めくら草紙」これは、ひょっとしたら私は初読かと思うのですが、一番まとまりのいい作品に感じました。本作がこの作品集の最後に置かれているというのも、作者の自信の表れではないかと思います。 「道化の華」が代表する、自意識と感受性の洪水のような作品と、「ロマネスク」のような、虚構の語りの面白さを表す作品をちょうどまとめた出来栄えになっていると思います。 いかにも作品集の掉尾を飾るにふさわしい短編だと私は読みました。 さて、本短編集を、今21世紀の読者が読むということは、やはり太宰治の伝記的な知識や興味を持って読むことになるのでしょうか。 それこそ、作品から作家をことごとく消していく「テクスト論」的な読み手はいるのでしょうか。また、そんな読みは可能なのでしょうか。 これも今回太宰本を読んでいて知ったことですが、この『晩年』という本は、初版五百部のうち実際に書店で売れたのは百五十部程度だったそうです。 この作品集に含まれた全作品に共通する主な特徴を、仮に「自意識の合わせ鏡」「自然主義的小説への反抗」とまとめますと、それはともに昭和初年の小説の流行りでもあったと聞きます。 少し前に読んだ長部日出雄の太宰評伝の中に、この『晩年』と、太宰の「師」であった井伏鱒二の同じく第一作品集『夜ふけと梅の花』(井伏32歳)とを比べると、現在においては後者(井伏作品)に軍配を上げざるを得ないとありました。 わたくしもそう思います。 若さの中で若さを書く困難、という言い回しが、浮かんできます。 もちろん、そんな試みの成果が文学史の中に残っていること自体こそが、その作家が極めて優れていることの証左ではありましょうが、やはり私はふと、そんな読後感を持ちました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.01.26
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『山椒魚の忍耐―井伏鱒二の文学』勝又浩(水声社) さて私は、井伏鱒二の小説とつげ義春の漫画はどちらを先に読んだのだろうと、ふと考えましたら、やはり、まー、つげ漫画が先だったかなと思います。 「ガロ」とか「CОМ」といった漫画雑誌を、私は小学校の高学年の時に友達から見せてもらった記憶があります。つげ義春の中期、「ねじ式」前後の哀愁溢れる作品群がその中にありました。それは、なんだか得体の知れない、しかし魅力のある作品群でした。 そしてその後、私は井伏鱒二の初期短編集を読んだのだと思います。 とてもよく似た、そしてやはり得体のしれない、不思議な魅力にあふれた作品群でした。 しかし、井伏小説を読んだ時、私は、つげ漫画への井伏小説のすごい影響関係について、あまり気にしなかったのですかね。 そういえばあの頃、例えば横山光輝の「伊賀の影丸」の、これも初めの方のお話には、もろに山田風太郎の「忍法帳」シリーズの影響がみられましたが、愚か者の私は、へー、なぜかよく似た話だなー、おもしろいなー、という程度しか考えていませんでした。(情けない。) というわけで、まず井伏小説、特に初期の名作群を、私はとても哀愁溢れると思いましたが、これは本当に魅力的でありながら、なぜこんなに魅力的なのかを正面から分析しようと思うと、途端にわかりにくくなるような気がしました。 ただそれは、私だけじゃなく、やはりいろんな人が感じていたことなんだという事を、この度本書を読んで知りました。それについて、こんな風に書いてあります。 安岡章太郎は若年のころ『鯉』に感動したが、「これを何と言うべきか、いまだに私はよく知らない」と書いているが、まことに井伏小説の感動はいつもこんな形で存在している。それについて何か言えば言うほどそれは遠退いてしまい、あとにはウソっぽいことばばかりがのこってしまうようなのだ。 とあって、なるほど理解できないことが井伏作品の魅力なのかとは思いました。 しかし実際には、やはり少なくない文芸評論家が井伏作品について批評をしていて、本書にはそんな解釈の言葉がいろいろ書かれています。 ちょっとそれを、私が勝手に継ぎはぎして書いてみますとこんな感じになります。 世情に苛められてきた生を否定も肯定もせず、重いものは肝心なところを関節外しのようにズラしながら、屈託と幽閉のウカツな人生を、普段着で、悲しみ我慢しやつれながら描き続けた。 下手なパロディーの文になりましたが、でも使われている言葉は(「否定も肯定もせず」とか「関節外し」とか「屈託」「悲しみ」「我慢」「やつれ」など)、間違いなく井伏作品解釈のキーワードであります。 さてそんな井伏鱒二作品についての評論です。 様々な作品についての批評が書かれていますが、私が本書で一番面白かった箇所は、冒頭第一章に書かれた名作『山椒魚』の改稿問題のところでした。 それは井伏の最晩年に刊行された『井伏鱒二自選全集』(わたくしよくわからないのですが、「自選」の「全集」ってどういう意味でしょう。その説明もきっとどこかにあるのでしょうが)第一巻に収められた『山椒魚』の結末が、作者によって大きく削除され、その結果『山椒魚』は身もふたもない索漠たる小説になってしまったという問題であります。 この問題については、かつて私も本ブログで触れたことがありましたが、今回本書を読んで新たに知ったことがありました。それは、実はこの改稿は初めてのものじゃなかったという事であります。 そもそも井伏鱒二は、過去の作品が新たに収録製本される度に、何らかの改稿を行うタイプの作家だったんですね。 それは、句読点や送り仮名などの細かい改変から始まって、「?」記号を「!」に変えたり(この改稿も文脈的な影響はかなり大きいですよねぇ)、たとえ「定本」が出ても次の本でまた改めてしまうということが何度もあったそうです。 これって、作家の「癖」ということでしょうかね。 さて、中心話題の『山椒魚』結末の改稿についてですが、実はこれとほぼ同じ内容となる改稿を、井伏は昭和15年学童向けの雑誌「セウガク二年生」に、小学生バージョン『山椒魚』としてすでに行っていたのでした。 その結末部は、このようになっています。 それはおもしろくないけんくわでした。山椒魚と蛙はどちらもまけぬきで、それからのち二年も三年もじつとしてゐたといふことです。もうこのごろでは、蛙はかちかちのひもののやうになり、山椒魚もくちた木のやうになつてゐることでせう。 ……うーん、これはなかなか強烈なエンディングではないですか。 現在我々が読むリリカルな『山椒魚』とまるで違います。というより、こんなエンディングの「童話」を、小学二年生に読ませていいのかという感じがするんですがー。 本評論の筆者は、その2回の改稿の原因を、一度目は戦争の現実のせい、二度目は核ラッシュのせいとし、井伏の時代への「絶望」があった、「和解的な結末にすんなりとは乗れない、楽観的な見通しなど無責任だという気分があった」としています。 ……うーん、なかなか説得力がありますよねえ。 というような評論でした。 実はわたくしは、井伏文学については有名どころの作品を一応抑えたという程度しか読んでいなくて、井伏文学全体像についてはほとんど理解できていません。 この度本書を読んで、改めて魅力的な井伏小説の原典にしっかり当たってみたいと、思うのでありました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.01.18
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『太宰治』井伏鱒二(筑摩書房) 本書は、筆者が太宰治について書いた随筆をまとめた本です。 太宰が自殺した年の夏あたりから始まって、その後、例えば太宰の文学碑が建てられたなどの「イベント」の際に求められて書かれた文章などが続きます。 次に、筑摩書房から出ている太宰全集の月報での連載随筆が十作ほどあります。こうしてまとめたものを読むと、その折々の太宰治と筆者の交友ぶりが描かれていて、とても面白いです。 さらに次に、新潮社から出た日本文学全集の太宰治の巻の解説文。これは結構長くて、太宰作品について詳しく筆が及んでいるので、なかなか充実した資料です。 そんな随筆集ですが、さて、何といいますか、やはり読んでいてとても心地よかったですね。 「やはり」というのは、まず私に、井伏鱒二の随筆は銘品だという「先入観」があって、そして読んでみて実際その通りだったからです。 その「先入観」はどこから来たのかと言いますと、私のかつての井伏随筆の読書体験からですね。どんな文章を読んだのかと言えば、井伏随筆としてはあまりに有名すぎて、取り上げるのが少し恥ずかしいくらいなのですが、銘品「おふくろ」であります。 既に小説家として名を遂げていた井伏が郷里に帰ったとき、母親が、小説はどのようにして書くのかとか、漢字を間違ってはいけないなとかを晩酌していた井伏に尋ね、それに対して井伏がぼそぼそと答えるという話。(……だったと思います、多分。何せ、私が読んだのも大昔なので。) この話が、誰が読んでも、とおってもいいんですね。 このお話の時、井伏鱒二はすでに文化勲章なんかを貰っている文豪なんですね。その井伏に向かって、漢字を間違えてはいけないという母の姿は、永遠の母と子との関係を実にハートウォーミングに描いていて、ほとんど感動してしまう名随筆であります。 そんな井伏随筆体験をしていたものですから、今回の読書に当たってもそのくらいの予想をして、そして実際その予想通りであった、という事であります。 しかし、このはらわたに染み透るような文章というのは、一体何なのでしょうね。 井伏の弟子の太宰に天才的な文章力があったように、やはりこれも天才的な文章力なんでしょうね。 太宰が井伏を終生師と仰ぎ(最晩年は少し微妙ですが)、井伏があれだけ迷惑を掛けられながらも、太宰の面倒を見続けたというのも、実は漱石と「木曜会」の弟子たちと同じように、単なる師弟愛ではなくて、御互いの才能を前提とした友好関係であったのだろうと思えます。(漱石の「木曜会」の弟子たちの才能は、小説家としてはさほどではなかったようですが。) だから、本書は基本的には太宰治の人柄をほめた内容になっているのですが、それは、凡百の「太宰大好き本」とは違っています。 そもそもそんな本とは比べ物にならないのですが、何より説得力が全く違います。 そんな随筆でした。もちろん太宰について初めて知ったエピソードが幾つもあるのですが、特におやっと私が思ったお話を二つ、簡単に紹介しておこうと思います。 それは、いわば「もしもの太宰」です。 まず一つ目は、太宰がパビナール中毒で入院していた武蔵野病院を退院するときのことで、太宰の兄の津島文治は、健康な生活をさせるために太宰を津軽に引き取って食用羊の牧場のお守りをさせたいと言ったというエピソード。 実際は井伏も反対して、そのまま東京に残ることになるのですが、ここに「もしもの太宰」が生まれます。 もしこの時太宰が津軽に戻り、田園に親しむような生活をしていたらどうなっていただろうかというのは、なかなか興味深くありませんか。 津軽の地をいかに太宰が愛していたかは(それは「憎」の深さでもありますが)、様々な太宰作品からも十分読み取れますし、本書にも、二番目の妻津島美知子の文章として書かれています。 もしそうなっていたら、以降の太宰作品がどう変わっていたか、ちょっと想像もしにくいですが興味深そうですね。そんな「もしもの太宰」がひとつ。 本書にはもうひとつ「もしもの太宰」が書かれていて、それは井伏が、実際にもしもこの時そうだったらと仮定しています。 それは、太宰が昭和十六年に陸軍の徴用令を受けたが痼疾のため逃れたという逸話で、実は井伏も同時に徴用令を受けており、そして彼はシンガポールに行かされています。 このことについて井伏は、「太宰君は徴用を逃れたことを、何か後ろめたいことのやうに感じてゐたやうに思われる。」と書いています。 そして「もし、あのとき太宰君が徴用されて、派遣軍徴員になつてゐたらどうだらう。『惜別』も『ヴィヨンの妻』も『トカトントン』も、この世にでなかつたらう。」と続けています。 井伏が挙げた、なかったかもしれない太宰作品が、なかなか興味深いですね。 実はわたくし、先日読んだ太宰についての本で、最晩年の太宰は(あたかも最晩年の三島由紀夫のように)、戦争で命を落とした人々に対して強い「後ろめたさ」を感じていたのじゃないかという考察を読みました。 なるほど、もしも太宰がこの時井伏のように徴用されていたら、太宰は自殺しなかった可能性は、大いにあるような気がします。(それは三島由紀夫も同じかもしれません。) これもなかなか興味深い「もしもの太宰」でした。 そんな、何か久し振りにほっとする読書をしたように、私は思ったのでありました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.01.04
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