全24件 (24件中 1-24件目)
1
戦後の日本には、三つの自殺流行期がある。 1つ目は1958年前後、神武景気後のなべ底不況の時期。 2つ目は1986年前後、2度に渡る石油危機後の円高不況の時期。 3つめが1998年以降、1991年にバブル景気が終わり、景気が後退した時期。 1998年は前年比35%増と、自殺者数が一挙に三万人台に急増した年で、 それ以降、現在に至るまで、自殺者数はほぼ横ばいで推移し続けている。 本著は各種統計を、APC分析等を駆使して、 「自殺しやすい世代」や「自殺の地域差、性差」について考察したものである。そして、その上で、国・地域・個人の自殺予防対策を紹介している。しかし、日本の自殺防止対策は、2006年の「自殺対策基本法」施行以降、まだ、その効果が大きくは表れていないのが現状である。『なぜうつ病の人が増えたのか』では、1999年からの、うつ病患者数・メンタル休職者数・抗うつ薬の売上額の急増を、同年に導入されたSSRIに関連して、製薬会社が医療関係者や一般大衆に向け、精力的なキャンペーンを繰り返したためと指摘していた。しかし1999年は、前年比35%増と、自殺者数が一挙に三万人台に急増した年の翌年でもある。本著では、「お父さん、眠れてる?」の不眠やうつ病への気付きを促すキャンペーンを、2010年に打ち出された「いのちを守る自殺対策緊急プラン」の一例として紹介しているところが、たいへん興味深かった。
2014.08.30
コメント(0)
2005年8月初版。 著者はノンフィクション作家で、 かつてうつ病にかかり、4か月の入院治療を受けたことがある織田さん。 周辺にうつ症状で苦しむ人も多く、中には自ら命を絶った人もいた。 著者はソフトボール療法を取材し、スポーツの抗うつ効果について述べる。 その後、薬物療法の功罪に言及し、次のような女性看護師の言葉を紹介する。 特に個人クリニックの場合、投薬が中心ですし、 とにかく患者さんを回していかなければならない。 それを利用して、色々なクリニックを渡り歩く人もいるわけです。 つまり、症状をでっち上げて、薬をたくさん仕入れる。 それを周囲に高く売りさばいているんですよ(p.71)まぁ、こういう事例は、実際に事欠かないと、私も思う。 厚生労働省が「精神科医療の抜本改革」の骨子を打ち出したのは、 平成十四年のことである。その改革の一環として、次のような提言、方針がある。 <できるだけ速やかに現行の精神科病床数約三十六万床のうち三分の一の病床を減らし、 医療の質を高める(略) 前出の女性看護師・今泉によると、状況や症状に応じて長短はあるものの、 大学病院における入院患者は「基本的に一カ月ベースで退院させる」方針にあるという。 (p.74)これは『精神科にできること』で記されていた、2002年時点の次の状況を解消するための施策であろう。日本の病床数は1960年代まで、入院患者数は世界でも少ない方だったのに、1980年頃から、世界各国がその数を急速に減らしていったのに対し、日本は65年、70年とうなぎ上りに増えたまま高止まりして、ダントツの多さになっていた。ちなみに、2012年10月1日現在における精神病床数は、342,194床である。そして著者は、薬物だけに頼らないうつ治療として、「内観法」「前世療法」「催眠療法」等を紹介し、最後には、自身が編み出したという「ジョギング瞑想」を披露する。全体として、『精神科医が狂気をつくる』に登場した「クスリ嫌い」の雰囲気に溢れた一冊だった。私が、本著の中で特に印象深かったのは、頻繁に登場するサイコセラピストの米倉一哉氏の言葉。 しかし、ポジティブシンキングにしなくちゃいけないと考えること自体、 実はネガティブシンキングなんですよ。 言い換えれば、『おれってすぐに不安になっちゃうんだよね』と言えたとき、 その人はネガティブシンキングから少し脱した証拠でもあるんです。(中略) うつに関して言えば、<うつとともに生きる>という姿勢ですね。 驚かれるかも知れませんが、自分の中のうつを本当に受け入れられたとき、 うつがなくなるんですよ。(p.125) 薬にしても催眠療法にしても、その松葉杖のようなものなんです。 結局は患者さんが治るプロセスを手伝う道具に過ぎない。 治したり替えたりする主体というのは、医療従事者じゃなくて、 あくまでもご本人なんですね。 道具の助けを借りて骨折が自然と治っていくように、 心にも自然治癒力というものがあるわけです。 しかも、途中から衰えていく肉体とは違って、 心には死ぬまで成長しようとする本能みたいなものもあるんですよ。(p.130)『うつ病治療常識が変わる』でも、同じような言葉を述べた人がいたが、やはり、これが一番本質を突いているのではないかと、今の私は思っている。
2014.08.30
コメント(0)
精神疾患に対する非薬物療法とその関連領域について、 具体的な症例を元にして、科学的な視点からそれらの「ウソ」を明らかにし、 誤った治療法や妄想とも言える治療法によって、 取り返しのつかない不幸や精神疾患の重症化を生んでいる実態を述べる。 これが、本著のねらいであり、副題は「臨床現場からの緊急警告」。 著者は、昭和大学病院精神科の岩波明准教授で、 『精神障害者をどう裁くか』等、数多くの著書がある。 本著に関するカスタマーレビューは、肯定否定相半ばの状況となっている。 ***まず、食事療法について、バッサリ。 しかし、ほとんどの精神疾患のメカニズムが明らかになっていない以上、 信頼できる食事療法など存在するはずはない。 世間に流通している「食事療法」の大部分は、 健康食品やサプリメントを売りつけるための方便で偽りに満ちたものである。(p.13)セロトニン系の活性化のために、大豆、バナナ、赤身の魚、牛乳の摂取をすすめるD氏についても、 このD氏が主張する統合失調症の「食事療法」に賛同する医師はほとんどいないが、 患者とその家族には魅力的に映るようである。(p.19)さらに、うつ病とセロトニンとの関係についても、 うつ病に関する「セロトニン欠乏説」も、医学的に実証されていない。 いまだに、「仮説」止まりのものである。(中略) またセロトニンの濃度とうつ病の症状についても、 はっきりした関連性は示されていない。(中略) このような証明されていない仮説に基づいた食事療法は、 眉唾なものであることは言うまでもない。(p.26) 抗うつ薬による脳内セロトニン濃度の上昇は速やかにみられるので、 セロトニンの上昇が抗うつ効果を発揮するまでには、 いくつかのステップが存在していると考えられるが、 詳しいメカニズムの解明にはまだ道のりは遠いと思われる。(p.27)次に、精神療法について次のように述べる。 すべての精神療法(カウンセリング)にあてはまるわけではないが、 精神療法には、時間をかけて蝕む遅効性の「毒」のような性質がある。 というのは、長い時間をかけて面接を繰り返す中で治療者と患者との間に 予期しない不明瞭な「関係」ができあがることがあるいからだ。 それが患者の精神をじわりと蝕んでいくからである。(p.44)以降、「転移」が引き起こした残念なケースが詳細に記されていく。高学歴で知的な女性が、自殺未遂を繰り返し、最後に自ら命を絶ったケースで、これは、彼女の両親が、主治医に医療過誤があったとして起訴する事態となったものである。(この訴えは、東京地裁に棄却された) 精神療法を「医学的」な治療法と認識している医師は、もはやわずかしかいない。 それでも、いまだに精神療法がすたれないのは、なぜか? なぜかというと、この章の冒頭に述べたように、精神療法は「代替医療」だからである。 その効果のようにみえる現象の大部分はプラセボ効果である。(p.64)その次は、統合失調症の薬物療法について。 統合失調症に対する抗精神病薬をはじめとした薬物療法は、 万能であるかのように喧伝されることが多い。 しかし重傷の統合失調症においては、 薬物はほとんど効果を示さないことも珍しくない。(p.69)続いて、うつ病の治療に関して。 マスコミはクスリ嫌いである。クスリについて、否定的な情報が上がると、 それが医学的に実証されたものでない場合においても、勇んで報道する。 逆にカウンセリングなどの「非薬物療法」や食事療法などの「代替医療」については、 その効果が確実とは言えない場合においてさえ、 さも有効な治療法であるかのように持ち上げる傾向がある。 このような傾向が生じるのは、ジャーナリズムにとっては、 大企業である製薬会社やそれに認可を与える行政当局は、 ある意味仮想の「敵」だからであろう。 しかし、これは行き過ぎた批判になることが多い。(p.99)この辺りは、私としても「腑に落ちる」ところがあった。そして、その例として、タミフルやSSRI等を挙げ、述べていく。 新聞などの報道の多くは、副作用が出現したということは伝えるが、 処方件数に対する頻度について述べることはまずない。 このため処方件数が多く、シェアの高いクスリは副作用の報告が多くなるため やり玉にあげられることが多くなる。 実際にも、それぞれの分野でもっとも処方量の多い 睡眠薬のハルシオン(一般名トリアゾラム)や 抗うつ薬のパキシル(一般名パロキセチン)は、 数多くの根拠のない批判にさらされ医療現場を混乱させてきた。(p.106)さらに、『うつ病治療 常識が変わる』についても検討していく。 こうした医学的な蓄積があるにもかかわらず、最近無責任なジャーナリストたちは、 うつ病に伴う攻撃性、衝動性を すべて薬物療法の副作用であるかのような報道を繰り返している(後略)(p.130)そして、私が最も印象に残ったのは、次の一文である。 脳科学の前提となる脳の諸機能について、わかっていることは非常に少ないのである。 あるいは、ほとんどないと言ってもいい。 特に、「精神」に関連する脳機能について、 はっきりと断言できることはごくわずかである。(p.220)まだ解明されていないことだらけの状況で、悩まされ続けている患者と、治療をしなくてはいけない医師。そして、そこに自分たちの信念に従って関わっていこうとするマスコミ。これが、精神医療の実態なのだろう。
2014.08.30
コメント(0)
『うつ病の真実』の野村先生による一冊で、2002年9月初版。 本著では、精神医学には二つの潮流があるとし、 一方が脳精神医学で、グリーンジンガーやクレペリンによる理系的発想、 もう一方が心理主義医学で、メスメルやフロイトによる文系的発想。 日本の大学精神科医局は、それぞれの伝統や教授の研究テーマにより、 大まかに脳精神医学派と心理主義派に分かれている。 そこで、どちらのタイプの門を叩くかによって、 精神科医は、理科系と文化系の二つのタイプに分かれていく。そして、患者にもこの二つのタイプが存在する。最新の科学知識を自ら得ることに努め、脳の検査を要求し、薬に期待するタイプと、カウンセリングや心理療法、心の触れ合いを要求するタイプ。医師と患者が同じタイプなら、当然相性はよくなる。著者は、この二つの方向を統合することが重要だとする。なぜなら、心は最下層に「遺伝子」があり、その上に「生育的環境」「脳機能・性格」「今の環境」があって存在し、周囲の「ストレス」や「サポートシステム」が関係してくるからだ。 ***次に「精神科の診断」については、こう述べている。 精神科の病気が研究が進んだとはいえ、まだまだ原因やメカニズムは明らかでない。 しかし症状の集まりというのは確かにある。 それならいっそ、皆で話し合って、 とりあえず症状だけで標準的な病名を作ることにしてはどうか。 この病名は人間が会議で定義を決めたものだから、真実ではないかも知れないが、 その分明確で分かりやすくすることができる。 まずこれで診断名をつけ、それからデータを集めて、 真実にどのくらい合っているかを調べて、 その上でそれが正しいかどうかをまた研究しよう、ということである。(p.63)このようにしてDSM-4は定められた。そして「統合失調症」「うつ病」「不安障害」「摂食障害」「自律神経失調症」について、著者は、それぞれのケースを示しながら、説明をしていく。ところで、「うつ病」の治療については、次のような記述も見られた。 通電療法に続いて注目されるのは、磁気刺激療法である。 これは十年くらい前から欧米で行われるようになり、 難治性に限らずうつ病一般の治療法の中心となる兆しも見えている。(中略) 磁気刺激の場合、麻酔が必要でもないし、けいれんが生じることもない。非常に穏やかだ。(p.110)私は、『治す!うつ病、最新治療』を読んで、「TMS治療(経頭蓋磁気刺激治療)」という言葉を初めて知ったが、磁気刺激療法自体は、既に随分昔から行われていたということが分かった。 ***続いて、「日本の精神科はどんなレベルか」について、病床数から考察している。(2002年時点)日本の病床数は、1960年代まで、入院患者数は世界でも少ない方だった。しかし、その数を世界各国が、1980年頃から急速に減らしていったのに対し、日本は、65年、70年とうなぎ上りに増えたまま高止まりし、今やダントツの多さになっている。これは、日本で精神障害が特に多く発生するためではない。それは、ノーマライゼーションという考え方が世界中に広がったためである。つまり、「精神障害者を囲い込み、医療を施す」という考え方が基本であった国々が、「これは差別や特別視に繋がりかねない」として、時代の変化と共に、「障害者も通常の環境で共に生きる」という思想へと、次第に変換された。60年代まで世界一の入院数であった米国も、急降下という感じでその数を減らした。欧米では、ボランティア団体、宗教団体などの、コミュニティ活動が比較的しっかりしており、障害者を支えやすい土壌があったため、それを基盤として地域に施設を作り、行政もそこに予算を投入、「医療」ではなく「福祉」として、精神病院を退院した患者を支えた。ところが、日本では、それがうまくいかなかった。それは、地域に精神障害者の施設を作るとなると、地域住民に反対の声が強かったり、無関心だったりで、積極的な動きが取れなかったから。この根底には、障害者に対する偏見の問題がある。精神病院が障害者の生活の場として残らざるを得なかったのである。しかし、生活の場に要する費用を医療費で支払うのは、やはり妙な話であり、精神障害、特に統合失調症への対応は、「医療から福祉へと軸足を移すべき」というのが、著者の意見である。 ***続いて、著者は、精神科医療を受ける場の「精神科病院」「総合病院」「精神科クリニック」の特徴と課題について述べている。「精神科病院」は、ほぼ精神科だけで構成される病院で、「単科病院」とも呼ばれ、日本の36万病床の精神科病床のうち、95%が精神科病院のベッドであり、そこに入院している人の6割が統合失調症で、平均入院期間は380日だという。管理者の精神保健福祉法に対する意識の差から、病院間に著しいレベル差があるとも。一方、「総合病院」の中で、精神科のベッドを持っているのは2割強しかない。欧米では大半の総合病院に精神科のベッドがあるにもかかわらずだ。それは、日本の精神科の医療費が極端に安く設定されていて、経済的に成り立たないから。また、軽い精神障害の急性期の治療をイメージしているため、重い精神病状態への対応力は弱い。「精神科クリニック」は、その医師の元勤務先が精神科病院か総合病院かで性質が変わってくる。精神科病院に勤めていた者なら、統合失調症を長年見慣れているが、うつ病の診察には詳しくないかも知れない。総合病院に勤めていた者なら、うつ病や神経症の治療に強いが、統合失調症の社会復帰施設などは作らない場合が多いとのこと。さらに、日本にしか存在しない「心療内科」についても言及している。これは「心身症」を専門に診る科で、本来は内科の一分野である。ところが、そのイメージから、本来精神科の診察を受けるべき患者がやってくることもあり、その場合、心療内科医は本来専門でない患者を診るという歪な形となっている。 ***本著は、もう十数年も前に発行されたものだが、精神科というものを知る上では、大変重要な知見を私に与えてくれた。これをベースに、また新しい知識も取り込んでいきたいと思っている。
2014.08.28
コメント(0)
2013年9月20日に初版発行。 私が読んだ「うつ」関連の書籍の中でも、最も新しいもの。 それだけに、これまで知らなかった知見が多数記されている。 その目玉が、TMSと光トポグラフィー。 *** TMS治療(経頭蓋磁気刺激治療)とは、 「専用の治療機器を用いて脳神経に磁気刺激を与え、脳神経を活性化させることで、 脳の奥深くにある感情を司る部分を間接的に刺激する」(p.15)もの。 「抗うつ薬のような重大な副作用は報告されておらず、 ETC(電気けいれん療法)のような麻酔や鎮静剤も不要なので、 身体への負担や影響が少ない」(p.16)とのこと。そして2012年末に、東京に世界最大級の63台ものTMSを備えるTMS治療専門の新宿メンタルクリニックが誕生した。本著は、TMS治療の先端を行くアメリカや、この新宿メンタルクリニック等で、その治療に関わる人々や患者に取材した内容が、紙幅のおよそ半分を占めている。ただ、この治療そのものについては、始まって、時間がまだあまり経っていないだけに、その効果のほどは、今後、次第に明らかになってくるものと思われる。 ***一方、光トポグラフィー検査とは「近赤外線を使い反射してくる光を読みとることで、リアルタイムで脳血流量の変化がわかる検査」(p.124)である。その波形を見れば、うつ病と双極性障害、統合失調症の違いが分かるという。これが本当なら、凄いことである。そして、アイスバケットチャレンジで、一躍世に知られるようになったALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者が、「はい」「いいえ」の意思表示が出来る装置が実用化されるなど、光トポグラフィーの技術の応用度は、高いものがある。ただし、光トポグラフィー検査を行える病院は、国内に20以上あるにもかかわらず、2年先まで予約で埋まっており(本著発行時点)、実際には、誰もが受けられる状況にはないとのこと。その有益度の高さゆえ、出来る限り早期の普及が望まれる。 ***本著では、その他に「認知行動療法」や「薬剤」について言及している。私は、SSRIについては、『なぜうつ病の人が増えたのか』等の書物を読んで、ある程度知っているつもりだったが、『ヒーリー精神科治療薬ガイド』の監訳者・田島治氏の本著での言葉に愕然とした。 「SSRIのパキシルはセロトニンに対する薬理作用が強力で、 ハイリスク・ハイリターンの薬だといわれています」(p.205) 「半減期の短いパロキセチン、フルボキサミン、特にパロキセチンは、着陸が相当難しい。 かなり慎重に減量しないと着陸できない薬であるということは 多くの医師が経験していると思う。」(p.215)「この薬……そうだったのか……」「離脱、思っていた以上に大変そうだなぁ……」という感じ。さらに、本著では次のような記載もあった。 2007年に、SSRIのパキシルの問題が報道され、抗うつ薬と自殺の問題が取りざたされたとき、 同じ時期に、日本うつ病学会と、パキシルの製薬会社グラクソ・スミスクラインが それぞれ出した二つの文書がある。 いずれも「抗うつ薬が自殺を減らす」と結論づけ、マスコミに反撃した形だ。(中略) その5年後の2012年に、グラクソが、医療訴訟史上の最高額といわれる30億ドル (日本円にして約2400億円)もの和解金を米国当局に支払って、 18歳未満の患者にパキシルを違法に販促し、若年者で有効性を示さない研究と 自殺の危険性を高めた研究の隠ぺいなどの行為の非を認め、もろもろの問題に決着をつけた。(中略) 抗うつ薬と自殺の関係はいまだに結論は出ていない。 ただ一つ言えることがあるとすれば、 精神科医は、学会や製薬会社からの情報に頼らざるを得ないということだ。(p.207)パキシルという薬が、そういう存在だったとは、本著を読むまで全く気付いていなかった。やはり、新しい情報を得るということは、とても大事なことだと思った。
2014.08.26
コメント(0)
2年前に発行された当時から、気になっていた一冊。 著者は、『ともだち同盟』の森田季節さん。 神戸新聞社が生み出した、このキャラクターは公式サイトを持ち、 現在も、色々と活躍を続けている様子。 そして本作はと言うと、『ともだち同盟』に比べると「いまいち」。 キャラクターに合わせて、ラノベ風に各エピソードが描かれていますが、 (森田さんご自身は、ラノベも手がけておられますが、私は未読です) 「ハルヒ」なんかと比べると、もう本当に「いまいち」です。でも、これは狙って「いまいち」に仕上げているのでしょう。だから、「何だこれは?」であって、「何だこれは!」ではありません。そう、最初から「なるほど!」なんて期待して、読んではいけないものなのです。その点を踏まえて、その覚悟のある方だけが、読まれることをお薦めします。
2014.08.26
コメント(0)
新聞に連載されていた頃には、1~2度読んだ位。 TVドラマが放映されたときも、全く見ていません。 けれど、文庫化されたときに、ちょっと気になったので、 今回、図書館で借りてきて、読んでみました。 村上龍さんの作品で、読んだことがあるのは『歌うクジラ』だけ。 だから、村上龍さんの描き出す世界観は、私にはまだ分かりません。 そして、今回、本著を読んでみても、何だかピンと来ないです。 映像化される位だから、刺さる人には刺さるのだと思います。本著は5つの作品から構成されています。どの作品も、序盤から中盤、うまく行けば後半まではグイグイ読めました。なのに、最後の最後が、私のフィーリングに、ピタッとこない。カスタマーレビューでは高評価なのに、なぜでしょう?「こんな終わり方は好きじゃない」っていうのが、素直な感想。でも、5つもあれば、一つ位は、「まぁ、そうだね」っていうものがあっても良さそうなものなのに……。多分、村上龍さんの作品を、今後手にすることは無いと思います。
2014.08.26
コメント(0)
本著を読むことで、私の中の桜宮サーガの世界が、 一気にスッキリと繋がってくれました。 もちろん、色んな作品が先に世に送り出された後、 それらで描かれていなかった時間を埋め合わすべく、 後出しジャンケンで書かれた作品なわけですが、 それにしても、よく出来ています。『極北ラプソディ』は、もちろん、『ジェネラル・ルージュの凱旋』や『ジェネラル・ルージュの伝説』、『螺鈿迷宮』、『ケルベロスの肖像』、『輝天炎上』と言った作品群を、より深みのある作品に変化させることに成功しています。私は、海堂さんの数ある作品の中でも、『ブラックペアン1988』、『ブレイズメス1990』と本作、いわゆる、バブル三部作(「ブラックペアン」シリーズ)が、最も優れていると思います。それは、「医療」の根幹に関わる問題を扱っているからでしょうか。本作でも、相変わらず、速見先生はカッコイイ。天城先生も、相変わらず華麗だけれど、今回は弱みも覗かせ、人間味が増した感じ。でも、今回一番カッコ良かったのは、桜宮市民病院・鏡部長。それに引き替え、高階先生のイメージはガタ落ち……世良先生は、何だか常に災難続きの人生で、ちょっと可哀想になります。でも、ジュノの中には、確かにドクトル・アマギという松明の火が燃え続けているのです。そして、その松明の火を受け継いだのは、ジュノだけではないはず……文庫化されたら、そこにどんな「解説」が書かれるか、楽しみです。
2014.08.24
コメント(0)
雅子さまに関する記述を除いても、 「うつ」に関する知見で、「なるほどな」と思わされたり、 「そうだったのか」と知らされたりする箇所がいくつかありました。 発行は、2009年3月30日です。 「新型うつ」については、 これまでに『会社でうつ 休むと元気ハツラツな人』や、 「うつ」について記述されている本の中で、ある程度の知識は得てきていたので、 本著で語られる内容には、それほど驚かされるものはなかったです。それらよりも、うつの診断の難しさや、治療の目指すところについての記述において、「なるほどな」と思わされました。 「うつ病」というのは今や精神医療の現場では非常に一般的な病名で、 「適応障害」というのはかなり限定的な病名ということだ。 そして、適応障害であれば多少はうつの症状もあるに違いないので、 極端なことを言えば、どちらの場合でも「うつ病」と診断することも可能なのだ。 おそらく、「そういえば、カルテの診断名のところに『適応障害』なんて書いたことは 一度もないなあ」という精神科医もめずらしくないのかもしれない。 そして、それは誤診ということではなく、 持続的な落ち込みや意欲の減退を伴う問題を広く「うつ病」と診断することで、 治療上、何か問題が生じるわけではないのでそれでよし、と考える。 これが、現在の精神医療の考え方だ。(p.50)なぜ、治療上問題が生じないのかというと、それは次の理由によります。 このように、SSRIは精神医療の救世主、特効薬とも言ってよい薬なのであるが、 これがかえって現場を混乱させていることは、 すでに多くの医学者が指摘しているところである。 つまり、「結局、SSRIを出すのだから」ということで、 厳密に診断をつけなくてもよくなってしまったのだ。(p.54)厳密に診断をつけない姿勢は、治療者の求めるものが、次の点に置かれているからでしょう。 多くの臨床医にとっては、時間を費やして厳密な診断をつけることより、 とにかく一刻も速く患者の苦痛を取り去ることのほうが重要なのだ。(p.54)そして、私が本著で改めて知ったのが、「双曲スペクトラム」の複雑さ。双極性障害については、『私のうつノート』を読んだり、雅子さまの主治医となった大野先生が書かれた『「うつ」を治す 』や『うつにもいろいろあるんです。』等で、1型障害と2型障害があることは、知っていましたが、「双曲スペクトラム」は、そんな単純なものではありませんでした。 双曲1/2型 統合失調感情障害の双曲型 双曲1型 いわゆる躁うつ病 双曲1 1/2型 遷延した軽い躁を持つうつ病 双曲2型 自然発生的な軽い躁病相を持つうつ病 双曲2 1/2型 循環気質者のうつ病 双曲3型 抗うつ薬や身体的治療によってのみ起こる軽い躁とうつ病 双曲3 1/2型 物質ないしアルコール乱用によってのみ起こる軽い躁とうつ病 双曲4型 発揚気質者のうつ病(p.59)これを知ってしまうと、竹脇無我さんの場合は、どうなるのだろうと、考えさせられます。こんな感じで、私にとって本著は、雅子さまの問題は横に置いておいても、読む価値が十分にあるものでした。
2014.08.24
コメント(0)
竹脇 無我さんと言えば、私のイメージは、 「姿三四郎」とか「大岡越前」の榊原伊織。 とてもソフトな感じの二枚目俳優さんで、美声の持ち主。 本著は、その竹脇さんがうつ病を患ったときの記録で、平成15年発行。 竹脇さんが、うつ病(双極2型障害?)になったのは、 父親や兄、友人の松山英太郎さんが亡くなったことや、 婚姻生活と女性関係、アルコール、糖尿病、俳優という仕事のストレス等々、 色んなことが、余りにもありすぎたためということが、本著の記述から分かり、 そんな状態で、よく仕事を続けておられたなと、驚いてしまいました。そして、本著を読んで感じたのは、やはり早めに専門医で受診し、きちんと心身を休ませ(入院した方が良いと思う)、医師の指示に従って、ちゃんと薬を飲み、周囲の理解と支援を得ることが大事だということです。 同じ苦痛を乗り越えてきた者として、その人たちにいいたい。 「いまは、ゆっくりやすんだほうがいいよ。 それは無責任な態度ではなく、逆に病気をきちんと治そうとする 責任ある態度なんだよ」と。(p.28) 僕が思うに、うつ病から抜け出すのになくてはならないものが四つある。 一に休養、二に薬の助け、三に治したいという自分の気持ち、 そしてもうひとつは、周囲の人の支えだ。 僕の場合も、本当にいろいろな人の世話になった。(p.120) うつ病であることを知られてからは、僕もうんと気がらくになった。 「あ、やっぱりそうか」と思われていればいいだけだから。 もちろん、そこに甘えるつもりはない。 今後は、うつ病から生還した新生・竹脇無我を、 みんなに見てもらいたいと意欲を新たにしている。(p.140)そう、色々大事なことはあるけれど、一番大事なのは「治りたい、必ず治る」という自分の気持ちかも知れません。まぁ、その気持ちになれない間が、とても辛く、苦しいわけだけど……それでも、そういう気持ちになるときが、必ず来ることを信じることが大切だと思います。ただ、本著発行の6年後、平成21年に「父」と慕っていた森繁久弥さんが亡くなったことで、竹脇さんは、再び落ち込みが激しくなり、飲酒と喫煙も続け、高血圧症の症状もあったそうです。そして、平成23年8月21日に、自宅内で意識不明の状態で発見され、同日14時5分、小脳出血により、67年の生涯を閉じられました。
2014.08.20
コメント(0)
「第一巻」を読み終えた後、すぐに本巻を読み始めましたが、 本著の冒頭部第十五章から第十九章までが、私が大河を見てなかった空白部。 本著を読んで、なぜ荒木村重が織田から毛利に寝返ったのか、 なぜ、だしが、土牢に幽閉されている官兵衛を気遣うのか、理由が分かりました。 織田信長が活躍した時代が、『太平記』で描かれる時代のように、 これほどまで「昨日の敵は今日の友」となるような混沌とした状況だったとは…… 不勉強な私は、本著を読むまで知りませんでした。 特に印象に残ったのは、村重と官兵衛との、次の会話。 「官兵衛、もうやめろ。おことが哀れに思えてきた。御着の政職殿からだ。読んでみろ」 村重が差し出した書状を読むにつれ、官兵衛の顔がみるみるうちに青ざめていく。 「それを読んでわしは背筋が寒くなった。 人間とはかくも恐ろしきことを考えるものなのかと……。 官兵衛がそちらに行くので、殺してくれとはな……。主に裏切られたのじゃよ」 その一瞬、官兵衛の周囲から一切の物音が消えた。 「政職殿はなにゆえ、自分で殺さぬかわかるか? 自分が手をくだせば、間違いなく姫路の黒田勢が御着へ攻めてくる。 それを恐れてのことだ。たいした悪党じゃ。」 「……殿が……政職殿が、それがしを裏切った……」(p.117)これ程までの仕打ちを受け、結果、一年もの間、土牢に幽閉されることになり、心身共にボロボロにされ尽くしたのに、後に、政職の命を奪えなかった官兵衛……この事実を知って、あのシーンの意味合いが持っているものの大きさを、改めて知ることになりました。そして、本著を読んでみて、改めて感じたのは、土牢の中で閉じ込められているシーンや、救出後もその悪夢に魘されるシーンでの岡田君の演技は、本当に見事だったなということ。というような感じで、本巻は、本能寺の変・序章部で終了です。
2014.08.14
コメント(0)
今年は、スタート時から期待して大河ドラマを見続けているのですが、 一時期、見ることが出来ない状況にあり、空白の部分がありました。 その頃のものは、録画もしていなかったので、不明なまま見続けてきたのですが、 図書館に行ったとき、本著を見つけたので、早速借りてきて読んでみました。 そして、本著に関していうと、おそらく全部放送は見ているのですが、 所々「そうだったっけ?」という部分もあり、 それは、私が放送中に、何かの都合で席を立ち、目を離していた間の出来事か、 ノベライズに当たって、多少変更されたかのものかだと思います。お話しは、放送時の情景が鮮やかに蘇ってくる見事な出来映えで、文章も流れるように、読み進めることが出来ます。この第一巻の頃のお話しは、まだ視聴率も、それ程高くはなかったはずなので、途中から、この大河を見始めた人には、お薦めです。では、私は、一緒に借りてきた「第二巻」を、これから読み始めます。きっと、そこには、私の空白部分が描かれているはずです。
2014.08.14
コメント(0)
2001年09月の発行なので、もう随分昔に話題になったテーマだ。 それから、親の世代も移り変わり、子の世代も移り変わり、 世の中や人々の持つ価値観も変化していったと思う。 それでも、本著に書かれていることの名残は確かに存在する。 残存するどころか、益々進化し、 それが、スタンダードになったとさえ感じる。 親子間の扶養の問題はもちろん、 介護の問題は、より大きな問題となってきている。その中で、父と息子の関係、父と娘の関係、母と息子の関係、母と娘の関係が語られるが、私が特に注目したのは、本著のタイトルにもなっている父と娘の関係である。まず、第三章の「パラサイトシングルヘのインタビュー」。書き手は、さらだたまこさんである。 都内在住だったイラストレーターのマサミさん(三十九)は、 今年七十歳になる母親と一緒に暮らすため、 実家のある千葉のマンションに引っ越していった。 (中略)二十八のとき実家を出て(中略) 「実はずっと半同棲していた恋人と別れてしまったのと 父が亡くなってから三年たってしまって、ずいぶん母が老いてきたなってのがあって、 こりゃあ、一人で放っておくわけには、と思ったのです。 二十代のころは、イライラすると母に当たってたこともあるし、 父親の存在もうっとうしいものでした。 でも、この歳になると一緒にいてもうまく距離感が保てる。 それは他人と生活してきたからでしょうか?」 マサミさんが悔やんでいることは、精神的に成長した娘の優しさを、 父親にも示してやりたかったということだ。(p.101)父親は、早死にすると、このような娘の優しさを味わうことが出来ない……だから、娘がその優しさを発揮できる年齢になるまでは、何としても生き延びねばならない。続いては、第四章の「パラサイトされた親へのインタビュー」。 書き手は、三浦朱門さんである。 父親は娘に初恋の人への思いに似た気持ちを持つものである。 この思いは常に片思いになるのではあるが、 娘は親の殊に父親のそういう思い、自分が親の期待を裏切り続けてきた、 という負い目を感じている模様である。 だから必要がなくとも、まるで老いた親を見舞うようなつもりで、親の家へ行くのである。 一旦は親から離れて自立したはずなのに、形而下的には必要がないのに、 娘はあらためて、親に依存する姿勢を示し、親もそれを歓迎している。(p.132)そう、娘が様々な経験を経て、ある一定の年齢に達すれば、このような娘の態度に対応することが、父親にも出来るのである。それがお互いにとって、本当に良いことなのかどうかは別として。最後に、第五章の「パラサイト娘よ、バッシングに打ち勝って、世の中に認められるパラサイト文化を確立させよう」における二人の対談の、まず、さらださんの言葉。 私も十代のころは嫌いな時期がありました。両親ともにうっとうしいんです。(中略) ところがこれがね、社会人になって仕事をするようになると、 仕事でいろいろな男性とか社会と接するでしょう。 すると、仕事した分、 親と接する時間ももたなきゃいけないなっていう気持になってくるんですよね。 それがいつから、どういうきっかけなのかってのは全然わからないんですけど。 親子で食事に行ったり、旅行したりすることも楽しめるようになってくるんですよ。(p.190)そして、それに続く、三浦さんの言葉。 たとえば十代の女性の場合、父親に対する性的な反発が非常に強いと思うんです。 私は娘がいないんですけど友達の話を聞くと、娘に対してはおっかなびっくりなんです。 そして、なまじ接する場面が多いと、向こうが参ってしまう。 だから、距離を空けて、ことに洗濯物が象徴的ですけども、 生理的に肉体的なものをお互い意識しないで、 ジェンダーとしての男・女の関係になろうとしたときに、 わりとうまくいったっていう話をしてましたね。 そして、ジェンダーとしてみた場合、会社の課長よりうちの親父の方がいやらしくないって。とにかく、父親は娘に対しては、時を経て彼女が色々な経験を積むまで、色々と耐えねばならないということのようだ。
2014.08.13
コメント(0)
『三匹のおっさん』が面白かったので、 その続編である本著も読みたかったのですが、 私は、基本的に文庫化されてから、どんな作品も読むので、 ず~っと我慢していました。 でも、先日、図書館に行ったとき、偶然に見かけて、 (人気作家さんの作品は、とにかく、何時行っても貸し出し中なのに) 我慢できずに、とうとう借りてしまいました。 有川さん、買わずに読んでしまうことになって、ごめんなさい。『三匹のおっさん』は、私の予想と違って、アニメではなく実写化されTVドラマになりましたが、私は、そのことに全く気付かず、全話見逃していたため、本著の全てのお話しを、全く知らない状態で読むことが出来ました。予備知識無しで読んだので、お話しを新鮮に受け入れ、素直に感動することが出来ました。第一話の貴子がパート先で苦労するお話しも、第二話の書店の万引き、第三話の則夫の再婚話、そして、第五話の祭の話、第六話の偽三匹のお話しもヨカッタですが、私が特に印象に残ったのは、第四話のゴミ問題。 市の粗大ゴミは有料化しており、引き取りを頼むと品目によって 数百円からの引取量がかかることになっている。 今捨てられている分を片付けるだけでも二、三千円とられるだろう。 どこの誰とも知らない不作法者の後始末をしてやるために自腹を切るなど、 わが身に置き換えて考えるだけでも口惜しい話だ。(p.267)私が住んでいる地域では、一般ゴミも有料のゴミ袋に入れないと引き取ってもらえません。ところが先日、我が家の玄関先に、指定袋ではない透明のビニール袋に詰められた生ゴミが、ポンと置いてあったのです。そのまま放置するわけにもいかないので、結局、有料のゴミ袋に詰め替え、収集日にゴミステーションまで持っていきました。もちろん、誰がやったのかは、全く分かりません。本著、第四話のように、子どもの悪戯の可能性もあるし、大人・老人の可能性だってあります。幸いなことに、我が家の場合は、今のところ、その一回きりでしたが、先日、地域の公園に、いくつものゴミ袋が放置してあるのを見かけました。あれは一体、いつ誰が処理することになるのでしょう?私も、家から結構離れた、その公園から、5つも6つもゴミ袋を持ち帰り、有料のゴミ袋に詰め替えて、収集日にゴミステーションに持っていく程のお人好しではありません。でも、そのまま放置しておくことに、ちょっとした罪悪感を抱く程の人間ではあります。役所にでも電話をすれば、よかったのかなぁ…… ***「好きだよと言えずに初恋は、」の潤子は、誰のことか思い出せなかったのですが、読後にネットで調べて、『三匹のおっさん』に登場した早苗の同級生・富永 潤子のことだと分かりました。そして、その初恋の相手は、これは私も薄々気が付いたのですが、『植物図鑑』のイツキだとのこと。これは「やっぱりな」という感じでした。
2014.08.10
コメント(0)
今巻の主役は、間違いなくリヴァイ兵士長。 彼の動きが、ストーリーの流れを作り出していく原動力になっている。 そして、彼を補足しているのが、エルヴィン調査兵団長とハンジ分隊長。 エレンもミカサも、今巻での出番は極端に少ない。 リヴァイは、ハンジと共に第一憲兵を拷問し、 レイス家が本当の王家であることを聞き出す。 それを受け、エルヴィンは、ドット司令と交渉し、 ロッド・レイスと対話したいと要請するが、断られてしまう。一方、エルヴィンから届いた作戦司令によって動き始めるリヴァイと調査兵団。しかし、その動きは、既に憲兵に気付かれていた。アレンとヒストリア(クリスタ・レンズ)は、ヒストリアの母を殺した男に捕らえられる。その男の名は、対人制圧部隊隊長・アッカーマン。その頃、ハンジは、エレンから教えられたベルベルトとユミルとの会話に疑問を持ち、エルヴィンの元へ駆けつけ、巨人についての仮説を伝える。それは「巨人にされた人間」が「巨人化の能力を有した人間」を食べると人間に戻る。つまり、食った相手の「巨人化をコントロールする力」を手に入れることが出来るというもの。王政は、エレンの「叫び」(巨人をコントロールする)の力を利用しようと思えば、エレンに手出しはできないという前提で、今回の作戦を立てていたが、その根本が崩れてしまったので、作戦の決行は危険だと告げに来たのだった。しかし、エルヴィンは中央第一憲兵に、組織殺人容疑者として捕まってしまう。リーブスは、アッカーマンによって殺害されたのだが、中央第一憲兵は、調査兵団をその容疑者に仕立て上げたのだった。ハンジは、生き残ったリーブスの息子から事実を聞き出し、その真実を、皆の前で明らかにしようと説得する。一方、リヴァイは、アッカーマンに追われ、酒場に逃げ込む。そして、その絶体絶命のピンチを、機転を利かして脱するが、次々に対人制圧部隊が襲いかかってくる。このリヴァイと調査兵団たちの脱出劇が、今巻一番の見所。そして、エレンとヒストリアは、ロッド・レイスのもとへ連れてこられる。が、ロッド・レイスの口から発せられたのは、ヒストリアへの謝罪の言葉。そして、力強い包容……。まだまだ謎が多いまま、今巻は終了し、12月9日(火)発売予定の次巻へと続く。
2014.08.08
コメント(0)
癌で急逝した奥様への、溢れんばかりの愛慕の情を綴ったエッセイ。 ご自身の闘病についても書かれていますが、 印象に残るのは、著者の奥様に対する想いの強さ。 そしてそれは、それだけ奥様への依存心が大きかったことの裏返し。 だからこそ、奥様ががんと知った時の著者のショックは大きく、 亡くなられた後の、うつ症状も強烈なものでした。 症状は「うつ病」そのものですが、その程度が半端なものではない。 体重の減り方など、想像を絶するレベル。また、本著の記述で「自殺念慮」とは、どういうものか、その具体的な行動の記述から、本当の意味で、私は教えてもらったような気がします。それでも、ご自身の努力や周囲の方々の支えで、それを克服された。「時間薬」の何と偉大なことか……。 ***最後に本著の中で、私が印象に残った部分をご紹介しておきたいと思います。 病気がちで引っ込み思案だった私は、十七、十八の頃、ひどい神経症に苦しんでいました。 そのとき父は「なあ厚、お前の心配事を縦に並べてみられないか」と言って、 紙に一本の縦線をひきました。 私が今悩んでいることをひとつずつ聞き出して、 いちばん差し迫った問題をいちばん上に書き、すべての心配ごとを順に並べて見せました。 「いまのお前は横に並んだたくさんの心配ごとに攻めたてられて、 何もしないでおびえているだけだ。 でも、縦に並べれば当面の敵は一人。まずはそれと闘えばいい。その先は心配するな。 最初の問題について全力を尽くしてやってみろ。そして、さらには次の問題と闘え。 戦い続けておまえが敗れたら、それはそれで仕方がないじゃないか」 私は、その話をよく講演で披露していたのです。(p.59)パニックになってしまっていたら、そんな余裕は持つことすら出来ないものですが、少し落ち着いた段階なら、とても良いヒントになる言葉だと思いました。
2014.08.08
コメント(0)
やっと、探していたものに巡り会えました。 松葉先生の本は、これまでにも読んでいましたが、 『もし部下がうつになったら』が、2007年05月発行、 『公務員のための部下が「うつ」になったら読む本』が、2010年07月発行。 そして本著は、2009年02月発行。 これまでに読んだものは、どちらかと言うと、支援する側を対象とするものでしたが、 本著は、「うつ」になった当事者が読むことを想定して書かれています。 そして、「職場復帰」ということにポイントを絞ったものとして、非常に素晴らしい!職場復帰への過程を4つのステージにわけ、それぞれ具体的に説明し、実例も分かりやすいものを添えてくれています。まず、第1のステージは、要治療期の過ごし方。うつ病の症状やその治療に加え、医療機関の選択について丁寧に説明してくれています。第2のステージは、リハビリ期の過ごし方。睡眠リズムの整え方や、身体機能・認知機能の回復のためのトレーニングだけでなく、職場復帰に向けた「こころのトレーニング」や、リワークプログラムについても言及しています。一人で行うリハビリプログラムは、とても参考になりました。第3のステージは、職場環境調整期の過ごし方。職場復帰に向けて、どのような人たちと、どのように関わればよいか記されています。そして、第4のステージは、職場復帰後の過ごし方、再発予防期の過ごし方。薬物療法の継続や認知療法について述べられています。こうやって、復職に向けてのプロセスが、スッキリとした形でイメージでき、自分が今のどの段階にいて、何をすればよいのかが分かるということは、何物にも代え難いほど、とても有り難いことです。本当に、本著には、どれだけ感謝しても、感謝しきれません。ただ、このような優れた知見を持っておられる、精神科産業医の方は、恐らく、そうそうおられないでしょうし、産業医という存在そのものが、不明確な職場・職種の方もおられます。その時、誰とどのように職場環境を整えていくのか、それが大きな課題だと思いました。それぞれのステージにおける家族や周囲のサポートについても書かれており、また、チェックリストもあるので、本当にかゆいところに手が届く完成度です。
2014.08.08
コメント(0)
映画は見ていません。 劇場公開は、6月7日(土)からでしたが、一部を除き、ほぼ終了しています。 もちろん、DVDは、まだ発売されていません。 そして、本著も現時点では、なかなか入手が困難な様子。 女子ーズの5人は、今が旬の、美しくかわいい女優さん揃い。 彼女たちを見ているだけで幸せになれる方には、 1,500円(税別)は高くないでしょうが、100頁足らずのムック本です。 ほとんどが彼女たちの写真で、内容を過度に期待してはいけません。とは言うものの、本著で福田監督や女子ーズの5人のインタビュー記事を読んで、私は、この作品自体に、とても興味が湧きました。映画もDVDも見ることは出来ないけれど、文庫本が発売されているので、買ってきて読もうと思っています。
2014.08.05
コメント(0)
私は小学生の頃、社会科の授業で自分たちの住むまちについて調べるとき、 自分たちのまちが「電気のまち」と呼ばれていることを知り、 班のメンバーで、直接ある会社にインタビューに行ったことがある。 そこの担当者の方は、小学生を相手に、一生懸命色々と説明してくれた。 そのとき、自分たちがいる、その場所こそが、 その会社の本社だと言うことを聞いて、心の底から驚いた。 だって、日本に住んでいる誰もが知っている大企業の本社が、 そんな身近なところにあるなんて、小学生の私は思ってもいなかったからだ。私は中学生の頃、野球部には入らなかったけれど、気の合う仲間たちと、休みの度に草野球に興じていた。ただ問題は、野球が出来る広い場所がそんなにたくさんあるわけではないことと、そんな草野球チームを相手に、試合をしてくれるところなんて、そうはないことだ。そんな私たちの相手をしてくれた人たちがいる。私たちの仲間の一人が、近所にある大きなグラウンドを所有する企業の社員さんと仲良くなり、その人を通じて、そのグラウンドで練習をさせてもらったり、ときには、子ども相手に試合までしてくれたのだった。そのグラウンドも、その横に立っていた大きな工場も、今はもうない。そこには、現在、イオンモールや高層マンションが建ち並んでいる。そして、そのグラウンドや工場を所有していた企業自体が、私が小学生のときにインタビューに行った大企業に吸収されてしまった。 ***本著は、三洋電機という大企業が、どうしてなくなることになったのか、どのような経過で、パナソニックに吸収されることになったのか、そして、その後、三洋電機で働いていた人たちは、どうなったのかを描いたものである。私の中では、もちろん、現時点で、今年一番深く心を揺り動かされた一冊になった。本著を読んで、三洋電機の精神は、まだまだ色んなところで、形を変えながら、今なお、存在し続けていることが分かった。我が家でも、オーブンレンジ、ICレコーダー、エネループは現役バリバリだ。それでも、本著の表紙の写真を見ると、本当に寂しくなってしまう……。
2014.08.05
コメント(0)
タイトルから想像していた、一般的内容に終わるものではなく、 実に衝撃的な内容が記された一冊だった。 私がこれまで読んできたものでも、『うつ病治療常識が変わる』は、 薬剤にスポットを当て、その使用に疑問を呈したものだった。 また、『ヒーリー精神科治療薬ガイド』は、 精神科で使用される薬剤について、非常に細かく、専門的に説明がなされ、 さらに、製薬会社の活動についても、言及したものであった。 これらの本を読んできた私にとってすら、本著の内容には驚かざるを得なかった。『うつ病治療常識が変わる』が出版されたのは、2,009年9月。『ヒーリー精神科治療薬ガイド』(原書第5版)が出版されたのは、2009年7月。そして、本著が出版されたのは、2009年7月(新書版としては、2010年8月)。どれも、ほぼ同じ時期に出版されている。(『ヒーリー……』の初版はもっと前になるだろう)。本著で、著者が述べている内容は「おわりに」に集約されている。 本著で伝えた内容を挙げると次のとおりである。 1.先進国では、SSRI発売開始後、 うつ病受診者が急増するというグローバルな現象が起きている。 2.うつ病の啓発活動が盛んになるにつれ、うつ病受診者やメンタル休職者が急増している。 3.軽症うつ病には抗うつ薬はそれ程効果がないし、自然に回復する患者も多い。 軽症うつ病には、最初から抗うつ薬を使ってはいけないという方針の国もある。 4.うつ病の治療には、休養が必要だが、同じくらいリハビリテーションも大切だ。 5.慢性うつ病の治療にとって必要なのは、自分は病気の影響下にあるという意識ではなく、 むしろ自分は自分の行動や考え方を選択できるという 感覚を取り戻すことである。(p.271)そして、第6章には、本著を読むに当たっての留意点まで書き添えられている。 まず本書の内容について、少し説明したい。 本書の内容をうつ病患者に伝える場合、それなりの配慮が必要と思う。 「SSRI発売後、日本全体でうつ病患者が急増した」と説明されても、 気分を害する方が多いのではないかと思う。 うつ病で苦しんでいるのに、大局的な一般論を説明されると、不快に感じる人もいると思う。 正直にいうと第一章から第三章までの内容に関しては、 あえて家族から患者に積極的に伝える必要はないのではないかと思う。 患者はこう言った事実を知らない方がよい、と言いたいわけではない。 それはパターナリズムであり、インフォームドコンセントの精神に反する。 もし患者が自ら日本でうつ病患者が増えている原因を知りたいと考え、 本著のような書籍を自主的に望むのなら、それはそれでよいとは思う。 しかし、本人が知りたがっていなければ、 あえて家族から伝える必要はないのではないだろうか。 私も診察中に患者にSSRI現象の話をしたことは一度もない。(p.262)さらに、本著を読み進めながら、私が疑問に感じたことも、ほぼ「新書版のおわりに」において、Q&A方式で述べ尽くされている。私自身は、うつ病の患者が増えた要因の一つにDSM-3(現在は4)があると考えていたが、著者は、そうではないと、ここで答えている。うつ病患者で、現在、SSRI(セロトニン再取り込み阻害薬)を処方されている方は多いと思う。というか、ほとんどの方が処方されているようなイメージを私は持っている。そして、それが、うつ病患者が増えた原因だったとは……衝撃の事実という言葉以外、私には思い浮かばなかった。
2014.08.05
コメント(0)
『ケイゾク/小説 完全版』を読み終えて、 早速発注した本著が届いたので、即刻読みました。 本著は、映画をノベライズしたものですが、 『ケイゾク/小説 完全版』に比べ、少々分かりづらいところが多かったです。 と言うのも、扱っている題材やテーマ設定の関係で、 イメージの世界を描いているシーンが多いため、 現実かイメージか、繋がっているのか途切れているのか、 文章だけでは、スッと理解できない部分が多かったためです。それでも「エピローグ」として掲げられた、次の三行はとても印象的なもの。 夢は目覚めれば消えてしまう。 それでも、 私たちは、夢を見る。(p.203)そして、「ケイゾク/シーズン弐 企画書」も、ファンにとっては興味深いもの。ただし、この企画書は、現段階では実現されず、「SPEC」の世界が新たに展開されました。でも、制作の順番は前後することになりますが、「スターウォーズ」のように、何とか、この企画書を実現してもらえないものでしょうか、と期待してしまった私です。
2014.08.02
コメント(0)
著者の枡野さんは、曹洞宗徳雄山建功寺の住職。 それ故、副題は『減らす、手放す、忘れる「禅の教え」』。 ですから、禅の教えに従って、48の事柄について記されています。 読んでいると、何だか有り難い説法を聞いているような気分になってきます。 その内容は、誰もが心当たりがあるようなことがらばかりで、 誰もが、どう対処すればよいのか知っているはずなのに、 ところが、なかなか上手くできないといったことばかり。 でも、本著を読んでいると、それらがスーッと心の中に入り込んできて心地よいのです。 *** 「いまはもう、所詮、欠け椀(閑職……)の身だからなぁ」と嘆いたら、 みじめさが増幅されるだけです。 欠け椀だって、人の気持ちまであたたかくしてくれる 旨い味噌汁の器になることができるのです。(p.19)そう、誰だって、何時だって、何か出来ることがあるのです。 自分ではどうにもならないことを受け入れたら、その状況と「共存」できるようになります。 あるがまま、そのままの自分がいまできることに向き合えるようになる。 どうにもならないことに、とらわれることがなくなって、 「どうにかなる」ことに前向きの心で取り組めるのです。(p.33)この文章の辺りを読んだとき、私の頭の中では「アナ雪」の歌が鳴り響いていました。 「いい加減」を知ることは大事です。 しかし、その先の「限界値」を見据えておくことも、同じように大切です。(p.47)これは、そう簡単なことではないかも……これが分かっていて、出来る人はスゴイと思います。 「いったん止まってしまうと、次に動き出すのが億劫になったりしないかな?」 なんて恐れずに、止まってみたらいいのです。 とくに躓いたとき、失敗したときは、止まることが大事だ、と私は思っています。(p.54)立ち止まって、自分の相対的な位置を冷静かつ正確に把握し、次の一歩を、どちらにどんなスピードで進めるかを、よく考えなさいということでしょうか。 どんなに情報を集めたって、”したいこと”も”生き方”も見つけることはできません。 やはり、自分の心の中に見つけるしかない。 そのためには、じっくり腹を据えて考えることが必要です。(p.73)そうですね。最後は、やっぱり自分自身で決めるしかないですね、何事も。 そう、「いま」就いている仕事に”本気”になるしかない。 生きている「いま」を楽しむしかないのです。(p.79)「いま」を大事にしないと「みらい」は拓けず、「かこ」まで失ってしまう、ということでしょうか。 私は、「お先にどうぞ」といえる二番手が、もっともよいポジションだ、と思っています。 前に出るのはひとまずおいて、自分を磨くこと、仕事なら知識や技術、 ノウハウを身につけることに一生懸命になる。 力のある二番手なら、自分が動かなくても、 いずれは周囲から前に押し出されることになります。これが最高の強みなのです。 自分から先頭に立とうとする人とは違って、押し出された人は、 足を引っ張られることがありません。(p.159)その二番手になることすら、なかなか難しいんですよね、実際は…… それどころか、「相手の顔も立てる」というのは、自分の考えを広げたり、 深めたりするために有効なヒントを求めることであり、また人間関係を潤滑にし、 仕事で結果を出したり、自分自身を成長させたりするための知恵でもあるのです。(p.164)これは「ウイン・ウイン」の関係を築こうというもの。著者も書いておられるように、ビジネス書でも、よく登場しますよね。 違っていてあたりまえ。その感覚を忘れてはいけないと思うのです。 お互いの理解度八〇パーセント、つまり、腹八分目で「よし」とするのが 恋愛をうまく進める、よいさじ加減だといえるのではないでしょうか。 むしろ、八〇パーセントも相手を理解できたなら、 これ以上ないほどのよい相性だといえるかもしれません。(p.205)これは、恋愛だけでなく、全ての人間関係について言えることだと思います。相手に完全を求めるなんて、そんなの絶対に無理でしょう。違う者同士が、どう折り合いをつけて、共に生きていくか、それを考えることが大事なのに、完全を求めてしまっているケースが何と多いことか……このように、知っているけれど、実行するのは、そう簡単でないことが、いくつも出てきます。「禅は行動です」と繰り返す著者は、「当たり前のことを当たり前にやりなさいと」と言ってるだけなのですが、その境地に至るには、まだまだ修行が必要なようです。
2014.08.02
コメント(0)
私は『悪韓論』を読んでいない。 そして、本著は『悪韓論』の続編だという。 それ故、私は本著の内容を、しっかりと理解できていないと思う。 だから、これから書くのは、本著だけしか読んでいない不十分な私の感想である。 先日、『韓国人による恥韓論』を読んだ。 それが、本著を読んでみようと思った、直接の切っ掛けだ。 色々なことが書かれているが、それがどこまで真実なのかは、私には分からない。 でも、『韓国人による恥韓論』に比べて、かなり攻撃的だとは思った。本著の前に読んだ本が、たまたま『他人を攻撃せずにはいられない人』だったので、色々と考えさせられた。もし、立場を変えて、韓国人の作者が『呆日論』という本を書いたらどんなものになるのだろうかとか。まぁ、現在、韓国で使われている教科書自体が『呆日論』と大して変わらないものかも知れない。私自身は、現在、韓国で使われている教科書がどのようなものであるか、直接見たことはないので、あまりいい加減なことは言えないのだが、私の目や耳の届いてくる様々な情報を総合すると、そんな感じがすると言うことだけだ。ただ、それらの情報が正しいのか間違っているのか、私は断定できない。本著にも、色々な情報が掲載されており、中には初めて知ったこともあった。それらの中には、韓ドラを見ていて「そうかも知れないなぁ」と感じる部分も多々あった。やはり、真実に一歩でも近づくため、私ができることは、色々な情報を得続けること位しかない。
2014.08.01
コメント(0)
新書で200頁余なので、ササッと読めました。 攻撃欲の強い人は、どんな人で、他者をどのように壊していくか。 攻撃される人は、なぜそれに抵抗できなくなってしまうのか? そして、攻撃欲の強い人は、なぜ、そんなことをするのか? その攻撃に、影響を受けやすい人は? 「こんな人もいるなぁ」と思いながら、読み続けました。 特に第4章の「どうしてこんなことをするのか」の辺りでは、 「そうそう」と、頷きながら読んでいました。 こういう人は、他人のものの見方など一切考慮せず、 「説得のための説得」のような印象を与える。 権威に頼ったり、脅したり、怒ったりしながら、 自分の価値観を何としても相手に認めさせようとするわけである。(p.110)そうです、色んな手段、あの手この手を駆使して攻めてくるのですよ。 これはネットユーザーだけのことだけを言ってるのではない。 ニュースキャスターやテレビのコメンテーター、マスコミの記者なども、 自分のことは棚に上げて非難することが珍しくない。 他人の不倫を批判していながら、実は自分も不倫をしていた。 飲酒運転を批判しておいて、実は自分も飲酒運転をしていた。 こんな矛盾は珍しいことではない。一般社会でも同様である。(p.138)本当にそうですよね。善人面して滔々とコメントされている方を見ると、「あなた、本当にそんなこと言っても大丈夫なんですか?」と、心配になってしまうような方たちもおられます。 なぜ他責に走るのか。 それは「すごい自分」という自己愛的イメージと現実とのギャップを、 自分では埋められないために、他人のせいにすることで 万能感を維持しようとするからである。 モンスターペアレントというのはまさに、 こうした他責的な特徴が認められる人たちの代表格である。(p.140)これは、国家間における関係でも見られる現象だと思ったのは、私だけでしょうか? 攻撃してくるのは何も自分と敵対関係にある人ばかりではない。 悪意のある人は、時には友達のふりをして攻撃してくる。(p。143)こういう人たちのことを「フレネミー」と言う。フレンド(友達)とエネミー(敵)を合わせた造語だそうです。そして、最終章が「処方箋-かわし方、逃げ方、自分の守り方」です。 要するに、自分は正しいと確信しているので、 自分がやったことや言ったことを振り返らない。 他人から過ちや間違いを指摘されても、それを認めると 自分の弱さを周囲にしられてしまうことになるのではないかという恐怖ゆえに、 決して認めようとしない。 当然、責任をとろうともしないし、反省もしない。(p.186) このような事例を精神科医として数多く見てきたので、 攻撃欲の強い人の支配から解放されて自由になるためには、 なにがしかの犠牲をする覚悟が必要だとつくづく思う。(p.135)そうか、「何かを失うことなしには、問題解決はしないのか……そりゃ、そうだね」と思っていたら、 ある人が攻撃欲の強い人だということに気づいたら、 最良の解決策は、できるだけ避けることである。(p.191)そして、さらに「できるだけ話さない」ことだと著者は述べています。「そんなことが出来れば、苦労はないのに……」と思って読み続けると、「あやふやなままにせず明確にする」「やり返すことが必要な場合もある」と書いてあります。そして、次のようなアドバイスが。 問題は、やり方である。 あまりにも攻撃的な手法だと、仕返しされるかもしれないし、 周囲の反発を買うかも知れない。 かといって、穏健な手法では、 攻撃欲の強い人の破壊衝動に歯止めをかけることなどできないだろう。 ここは、他人を無価値化したり侮辱するのが大好きだが、 自分が少しでも嘲笑されることには耐えられないという 攻撃欲の強い人の特質を利用するしかない。 ユーモアのセンスを発揮して、黙らせるのである。できれば、観衆のいる前で。(p.198)「ユーモアか……そんな気の利いたことが言える位なら、ねぇ?」と尋ねてみたくなる。そして、「おわりに」には、 最後までお読みになって、「根性曲がりにつける薬などないのか。 だったら、どうにもならないじゃないか」と、 ちょっぴりがっかりした方もいらっしゃるかも知れません。 そんな必要はありません。 攻撃欲の強い人が他人を攻撃せずにはいられないのは一体なぜなのかを理解していれば、 やり返すことはできなくても、少なくとも、うまく逃げて、 振り回されないようにすることはできるはずですから。(p.204)「う~ん……ユーモアのセンスを磨き上げ、気の利いた一言が言えるようになるまでは、やはり耐えるしかないわけですよね……結局は」と思った私でした。
2014.08.01
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1