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桜といえば、花が散ってから葉が育つものだと思っていた。ソメイヨシノはそうらしい。けれど、ソメイヨシノが広まったのは明治期で、それまでは山桜が親しまれていたという。山桜は葉と花の時期が同じらしく、花が散っても葉が茂っていると聞いた。花弁が舞い散って、後に寂しく裸木の枝だけが伸びている、そんな光景をずっと見てきた気がする。けれど、江戸時代より前の人々は、花が散っても、緑の葉が残っている桜を見続け、愛し続けてきたのだ。昔も今も、桜に独特の死生観を込めてきた日本人。けれど、明治以降の人々は、桜を象徴にした武士道を少しずれて受け止めてきたのかも知れない。と思ったりもする。桜咲く千年前と同じようにひとは去っても残り香は舞う
2010/03/27
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生まれ変わりを信じてはいなかった。今も信じるところまではいっていない。けれど、僕という、この意識を持ったものが、過去に存在したかも知れない、ということを考える。そのときの僕は、今の僕とは置かれた環境も時代も違っている。けれど、当時の僕の意識は確かに僕の意識で、けれども、そのときのことを忘れているだけだ。ということもあるかも知れない。僕という一回きりの経験をいにしえの僕はしたかも知れず
2010/03/13
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道に迷ったら雀を探せ、というらしい。山奥や林の中で、雀がいたとしたら、それは近くに人が暮らしている証となるという。だから、道に迷っても、雀がいたら諦めてはならない。人生にも、迷ったときの雀のような存在があったらと思う。それは宗教や思想などといった大きなものではなくて、もっと身近な、たとえば傍にいる人のちょっとした温もりだったりするかも知れない。存在を留める間無く人生は消えゆく過去を惜しむのみかも
2010/03/06
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