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プレアデス 【地球の生命の誕生は、原始地球への隕石の落下や、化学物質が海で自然に合成されたなどの説があるようです。どのように発生したとしても、エネルギーを循環させるシステム、秩序が必要ですね。そのためにはランダムではなく、片寄りを発生させるエネルギーが必要であり、最近では宇宙の円偏光赤外線がそのエネルギーであるとの説もあるようです。自然の大きな秩序にしても、循環させるためにあるわけですが、自然とて、作られたものといわれるように、どのような秩序も元々あったのではないとすれば、宇宙そのものも創造されたものとは言えますね。秩序化のエネルギーがシステムを循環させる根本のエネルギーであるとすれば、自然も人も動物も、宇宙そのものに創造されたとは言えなくもありません。というより、そのエネルギーを使って宇宙人たちも、私たちも創造されたとなりますね。】あなたたちにとって、秩序は因果関係が時間軸に沿って成り立っているという現象が一番身近ではないでしょうか。時間は光の速度では0になるように、相対的なものであり、宇宙には絶対という概念はありません。宇宙人たちも、我々も、相対的な環境の中で生きているというわけですね。相対的というのは、相手がいて成立します。繋がりによって、エネルギーが交換される環境です。あなたたちが観測する宇宙の現象は、あなたたちの存在の理由を示します。過去を知るということですね、発生の理由も、今存在している理由も、観測によって全て明らかになるでしょう。新たな発明も、発見も、宇宙人がもたらすものもありますが、あなたたち自身が観測する手段で、知ることが可能なのです。観測するということは、その対象に意識を向けるということです。その結果、繋がりが生まれ、情報の交換が行われます。情報の交換は、時間軸という線を伝って行き来し、あなたたちはその情報を受け取ります。あなたたちからは、あなたたちが存在している事実が伝わり、その事実に合うように、現象が創造され観測されます、これが因果関係です。因果関係を成立させるエネルギーに秩序が生まれ、循環しているのです。【つまり地球人の存在は、宇宙人たちが創造したというより、地球人自身が自分たちを作ったということですか。】宇宙人たちは、最初に自然の環境を用意しました、地球という惑星です。地球そのものが、環境を維持するように、エネルギーを循環するように作られたのです。地球の意識は、自身を観測します、観測するために、生命を発生させました。大気、水、光、全てが環境ですから、その動向により地球は自身の状態を知ることができます。現在存在している生命、人もそうです。その原型は全て原始地球に存在したのです。人は人自身というより地球が創造したということですね、その原型に宇宙人たちが様々な操作を加え、現在に至るということです。宇宙人たちが創造したという現象が観測されないのは、そのような理由なのです。つまり、観測されないように、因果関係を断ち切られているということです。何らかの現象が観測された時、因果関係は復活し、その繋がりによって未来が構築されます。社会が変わっていく現象には、いつでも新たな事実、現象の発見、発明が伴います。宇宙人たちが人の創造に関与した現象が観測された時、宇宙人たちの交流も本格的に始まるでしょう。時間軸は秩序のエネルギーの流れなのです。過去、現在、未来と秩序があるのは、エネルギーが流れているせいであり、観測事実によってエネルギーが変動していきます。どうしても観測できない事象は、それを観測されてしまえば、困る存在がいるとなります。ブラックマター、そのエネルギーが観測されないのは、そのエネルギーが秩序化のエネルギーそのものだからです。観測された時、時間軸の本質も明らかになり、因果関係の操作も可能になります。太陽フレアーから地球の磁場が守っているように、時間軸も地球の環境が守っているのです。災害などの環境の変化は、エネルギーの変動を引き起こします。時間軸も常に揺れているのです。未来が変わってしまう人が多いのは、その人たちの因果関係が、時間軸の変動によって変わるからです。ですが、幸い、あなたたちには、時間軸の変動を調整できる能力もあるのです。エネルギーの調整は、地球に住む生命であれば、誰でも、当然ながら地球の能力も同様に持っているのです。地球との関与の程度次第で、生き残る可能性も変動するでしょう。能力の程度の差はあるにしても、それを引き出していくことが求められるでしょう。正念場を迎える今後、観測によって、自身の感情の変動がシステムの変動に同期して反応していると知れば自ずと、地球の一部であることに気づくはずです。それが観測の本質です。【ありがとうございます】
2015年06月14日
コノハナサクヤ姫【よろしくお願いします。企業内、企業間の組織の中では上下関係は勿論ありますが、この関係は、需要と供給の基本的な循環の中で、エネルギーをヒエラルキのトップに集め、下位に分配するシステムになっています。その分配は、時に非常にシビアであり、生かさず殺さずという表現は、また企業努力、本人努力によって競争力を上げることを強制し、淘汰が背景にあるシステムであることは、言うまでもありませんが、自然も淘汰のシステムに支えられ、社会も自然と同じである、宇宙もそうだ、と確かに現象はそのように見えますが、それが理なのでしょうか。淘汰によって全体のバランスを維持しているという説明ももっともですが、背景には、淘汰をさせる力が働いている、支配力のようなものがあるように思えます。ほほほ、神界の理を準え、地球の社会も自然の仕組みもある、とは言え無くも無い。力には、その原動力となるものがある、食べなければ力は出ぬということじゃ。そなたがいう支配するとは、その食べるということに直接繋がるものじゃ。食べられることを良しと思う者は多くはないであろう。ほほほ、感謝して食べよというであろう、自然の恵みとして礼をいうということよの。自然の恵みであれば、礼を言う相手は自然じゃ。食物の動植物ではないであろう。動植物には、支配するという感情が伝わるのじゃ。動植物、己が持つ想いが消えていくということよの。支配とはその感覚を伴うものじゃ。想いとは、己を己と知り、維持する力じゃ。魂とはそういうものよの。我らの世界の支配の力とは、そのようなものじゃ。が、人とは使い方が違うものじゃ。分配と申しておるであろう、分配とは、想いを分けるということ、己を分けるということじゃ。人の魂の想いは我らに伝わり、その想いをまた人に戻す。人は想いを分け、我らに届け、我らは、我らの想いを乗せ、人に届けるのじゃ。届けること途切れることは、人の魂がやせ細っていくこととなろう。我らに想いが伝わらぬのであれば、届けようもないのは無論のこと。そのような者が多くなってきたのが、今の社会じゃ。社会の淘汰は今も昔もある、無くなりはせぬ。それが想いの理じゃ。我らの中にも、昔と比べ、今はどうじゃ、という者もおる。少数の意見ではない、その声は年々大きくなっていおる。魂が抜け殻のようになれば、魂は雑多な想いで、次第に満たされていくであろう。穢れていく様は、まさにそのようなものじゃ。正月、人の想いが一斉に我らに届く日じゃ。雑多な想いの中で、淘汰の理に叶った想いは少ないものよの。我らの想いが届く先は、その者が想いを別のものたちに届けようとするか否かじゃ。淘汰をバランスの仕組みとすれば、想いは偏ることなく、行き渡ることがバランスじゃ。数多くの種が暮らす地球じゃ、淘汰とは、多くのものたちが暮らすための仕組みじゃ。強いものは支配力が強いというのではない、分配の勢いを常に持つものが、残るということじゃ。集団で生まれ、数多く補食され、また過ごしておるものは、その種そのものがその力を持つものじゃ。繁殖の力と補食の業は一対じゃ。どちらかでも弱くなれば、勢いは削がれ、やがて想いは薄くなろう。想いが薄くなるとは、補食と同義であるということよの。代替えとして現れるのじゃ。まだら模様は広がり、元に戻しようが無くなれば、その集団は消えていくのじゃ。自然でも社会でも、それが理ということよの。【ありがとうございます】
2015年06月03日
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