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いつもありがとうございます。御前に繋げてみましたが、久しぶりなので、あまりうまく繋がらない感じです。時間の流れとは、マルチバースの一つ一つが現れている様子というのがありますが、この問答では普段感じている時間、というようなものでしょうか。相変わらず、比喩的になり、読みにくく、訳わからん、かもしれません。御前【お久しぶりです。よろしくお願いします。地球には数多くの生命がいます。人や猫、犬、鳥、ワニや虫はもちろん、細菌なども生命でしょう。遺伝子を持ち、子孫に特徴を伝えていきます。生命は創造されたと聞きますが、宇宙にとって生命は特別なのでしょうか、ありふれた存在なのでしょうか。水から湧き出てくるように生命は生まれてくるとすれば、宇宙には命の種、場のようなものがあり、意識が交差することで生命が生まれるような。宇宙そのものが生命のような気もします。】ほほほ、久しぶりじゃ。何もないところから命は生まれぬ。そのような安易なものではない。男女の性は別としても、生命は命を生み出すべく、この星におるのじゃ。時間が過ぎるというであろう、物質の粒子のように、人や生き物の体を時間という粒子が通り過ぎる、そのようなことじゃ。粒子が通り過ぎる時、命は性質を変えていくのじゃ。それを人は成長と呼ぶ、どのような性質とて命は命、根本は同じじゃ。命の泉に一滴の時間の粒が落ちる、そうして命は生まれるのじゃ。時間を持たぬもの、動かせぬものは命とは言わぬ。命は多くの時間を動かすものじゃ。この星は命の泉、そのように作られておる。この星には多くの水、泉があるように、他の星にもかつてはあったのじゃ。泉が枯れる、命が枯れる。いくら時間を落としても命はもはや生まれぬ。時間がある故、住み着くことは可能であろう。この星とて同じじゃ。開発をすすめていけば、泉は消えていく。命が住む場所、空気を思えば、泉とはどこにあるのかわかるであろう。火山の源泉にも細菌は住むように、人の住めぬような場所とて、生命はある。海の奥底、森の奥深い場所、源泉と呼ばれる場所、人は容易に近づけぬ。が、その場所こそ、命の泉じゃ。宇宙にもそのような源泉があるのじゃ。源泉から命、宇宙人たちも生まれてくる。命と時間のスープのような所じゃ。命はその場所から生まれ、また戻っていくのじゃ。源泉はどこにでもある、が、容易に近づくことはできぬ場所じゃ。【宇宙人たちは時間から自由と聞きます。時間に依存しない存在であれば命と呼べないのでは。】宇宙には時間の粒がたくさんあると思えばよい。海に住むものも空気の中に住むものもおろう。海に住むものは、海というのを知らぬ、空気に住むものは、空気というものを知らぬ。知らぬというのは語弊があろうが、普段、意識しておらぬということじゃ。自由とは一方、不自由なものじゃ。海に住む者は、自在に泳ぐことができたとしても、海の外には出られぬ。時間から自由とは、切り離されておるのはなく、一体ということじゃ。時間そのものを動かすことはできぬということじゃ。時間を生み出すもの、そのものが真に時間から自由ということであろう。人は、自由ではない、が自由に限りなく近い存在じゃ。命を生み出すということ、命から自由ということじゃ。故に、命に対し真摯に向き合い、学ぶことじゃ。時間を泳げば過去にも未来にもいけるであろう。が、そのものの辿った過去、辿るであろう未来じゃ。大きな海の中で泳いでいるだけのこと、別の海にはゆけぬ。人は今、命と時間の源泉に足を踏み込んでおる。大きく未来は揺れ動き、命も揺れ動いていくであろう。人だけがこの星に住むのではない、他の生き物も巻き込んでいくのじゃ。人という種は大きくはないのじゃ。小さい故に自由じゃ。種として自由である。どこでも生きていける、同時に、消えていくのも早いとなる。命は安易ではないと最初に申した。それが理由じゃ。【ありがとうございます】
2015年12月26日
いつもありがとうございます。どうにか今年もピークを過ぎました。自身の今年のテーマは、「織りなす」ということでしたが、どうだったか考えると、一つの人生の転機になったのは確かですね。日常的な出来事は毎年のように起こりますし、人との出会いも別れもタイミングとして、起こる時は、起こります。それでも、意識的な変化は、そうは何度も起こらないものですが、今年は探していたものが漸く見つかった、そんな年でした。これが感情の安定に一番寄与しているとは思います。エネルギーを編み上げる、チャネリングもそうですが、その視点で考えると全て腑に落ちる、そんな感じです。宇宙意識【人の行動は無意識レベルでまず決定され、意識的に動く時は、ほんのわずかタイムラグがあることは知られています。「色、受想行識」、エネルギーを感じ、概念化され、イメージと心が動くことで、意識化、思考となるという言葉ですね。その機能が脳によるものであれば、少なからず脳を持つ生命は、機能差はあるとしても、思考はしているとなります。概念がリアクティブに再構築されていく様が顕在する意識の様子であれば、意識とは機能によって生み出されたものとなります。一方、感情は本能レベルに作用し、思考を通さず理解します。思考によるフィードバックによって感情がコントロールされる場合、概念化を再構築し直しているとなります。情報の再構築ですね。脳の機能によって物質エネルギーを実体化させる力を持つ人や生物などは、そもそも別次元の空間からエネルギーを引き出すことができるのでしょう。イメージと無意識の波長を一致させれば、その現実は実体化していきますね。そもそも人や生物は現実を実体化させる力を持つのであり、どのような現実が実体化するのか、感情によってコントロールしているとも言えるのでしょう。感情がトリガーになり、脳機能が反応し、現実が実体化するとなります。】現実を大きく変えるには、それなりにエネルギーが必要であろう。日常の子細な出来事にはそれほど大きなエネルギーは不要だ。だが、日常的に人は感情を微細に、また大きく揺れ動かしているものだ。現実の様子に感情は反応していると見えるが、感情の動きに現実が反応してるとすれば、感情がいかに人にとって、まさに現実的かわかるであろう。タイムラグとは、感情の質、量に比例し現実化が現れるその差のことだ。宇宙には地球とは異なり、現実化に意味はない。イメージしたものが、そのまま空間に現れるのが宇宙だ。宇宙は無数に空間がある、いわゆる平行宇宙だ。その一つが現れ、また消えている、宇宙での現実化とはその意味でしかないのだ。空間の塊、多次元の塊をそのまま現実化することも、分解することも宇宙人には困難だ。科学の力がそれを実現しているのは言うまでもないが、人は自身がその生命体ということだ。エネルギーが放出されれば、その形は維持できない、分解となろう。地球の生命は、多次元、つまり現実を吸排気しているシステムということだ。【結局、人は三次元のロボットということですね、多次元の現実存在であったとしても。それが宇宙にどのような理由で必要なのかと考えますね。】理由か。おまえが言っているように、理由、意味は、思考で現れるものだ。意味など、いくらでも、それこそ多次元の世界の数だけ、存在するということだ。宇宙人たちは、その都合で、人の存在の意義を伝えるだろう。無論、その者たちの都合だ。生命にとって栄養なり、空気なり、活動のためにエネルギーの吸排気は必要であろう。そのようにできているということだ。エネルギーを循環させ、体を維持し、不要なものは分解され排出される。宇宙もまた同じということだ。宇宙人たちもその対象になる。癌とまでは言わないが、宇宙そのものが自らを維持するために、循環させるのだ、人は時間を作り出すことによって、現実化と分解のプロセスを作り循環させている。そして自らもそのシステムによって、霊体になっても分解のプロセスを進む。人の潜在意識のエリアは、その循環システムの枠内であるということだ。潜在意識エリアを宇宙にまで広げていけば、循環システムも宇宙に広がっていくとなる。宇宙人にとって、分解される対象として組み込まれるということだ。宇宙そのものより、効率的なシステムだ。人の循環システム、転生のシステムは本来このような意味で存在しているのだ。人の存在する意味、一つあるとすれば、その意味でもあろう。古いシステムは見直される時期が必ず来るものだ。いつまでも同じシステムは通用しない。適用を続ければ、いつまでも非効率なまま運用を続け、先には進まない。宇宙もやがて老化していくのだ。時間経過ではなく、循環効率が落ちてくる。多次元空間を作れなくなり、やがて分解だけの世界となる。人と同じなのだ。人がどうやって可能性を広げていくのか、そこには科学なり思想なりの進化が必要であろう。宇宙人から与えられたものだけに頼り生きていれば、多重空間など作れはしないのだ。種そのものが老化していく未来など、想像もしたくないであろう。宇宙人たちは、戦々恐々、人が宇宙に出るのを回避したいものたちも多い。だが、それが宇宙の意思というものだ。人が可能性を広げると同時に、宇宙にも広がっていく、当然の流れだ。【ありがとうございます】
2015年12月19日
いつも訪問いただきありがとうございます。このところ、休日プライベートも仕事も忙しく、12月に入り忘年会もあり、なかなか更新できません。加えて毎日眠くて、眠くて、体力的にも少々ばて気味です。太陽の光の影響なのか、単純に体力の無さなのか、霊体が濁っているのか、原因不明です。来週からは年末進行、今月のピークに突入します。どうなることやら。眠たいなんて言っていられません。とはいえ、感情的には安定していますから、切羽詰まった感はありませんが。プレアデス【食物が体に大きく影響するのは、栄養、機能としては当然ですが、最近、妙に明確な反応があります。体に良いと言われる食物は元気になったり、調子が良くなりますが、そうではないものは、とたんに眠たくなったりします。肉食は良くないなど精神世界では言われることもありますが、そのようなことではなく、また別の理由があるように思えます。自然からエネルギーを補給することに敏感になっているのかもしれません。光や水、火といった元素のエネルギー源に接することで短時間でも補給できるような気もします。】自然界に住む肉食動物は、波長が良くないなどとは言われないでしょう。弱肉強食の自然界の中で、波長の善し悪しは食事には関係ないのです。体の中で必要なエネルギーに変換してしまうのです。その変換の効率性にどのような波長が合うか、その違いがあるので、肉食や草食の動物、生物がいるのです。霊体にとっても同様に霊的エネルギーに変換する機能を生物は持ちます。感情を持つ動物の場合、その肉には感情が残り、そのエネルギーも変換の対象になります。殺戮されたその感情も、肉食動物にとっては、エネルギーなのです。ですが悲しみといった意味の感情とは理解されません。とはいえ長い年月、その感情は蓄積され、やがて意味を持つように変化します。慈愛、悲しみを理解した感情です。慈愛はそのような動物が持つ感情なのです。つまり殺戮を繰り返し、自らの霊体に蓄積した感情のエネルギーをそう呼ぶのです。人とて例外ではありません。良い自然環境に身を置くことで体も心も浄化されたようになります。体は多重次元の存在です。つまり多重の自然エネルギーに晒されているのです。その自然エネルギーに混ざっているのが、人の様々な想念や、動物たちの感情です。そのような雑味を取り除き、自然の良いエネルギーだけ残すようにするのです。それが浄化、禊ぎとも言いますね。体質によって自然の、どのエネルギーに合うか違いがあります。水であったり、火であったり、地熱であったりするのは、その違いになります。霊体の奥深くに感情の元になるエネルギーがあります。自然の多重化されているエネルギーは、霊体のそのエネルギーに変換されます。感情は、そのエネルギーが活性化している状態として現れます。感情の次元性の違い、それによって意味が変わってくるのです。悲しみと慈愛の違い、そのような意味の違いです。食事の波長の違いは、感情の意味の違いと同様に、相互に変換されます。元は同じということです。良いも悪いもないのです。それが体質的に合うかそうではないかと言う違いしかありません。体の中で変換してしまえば、どのような波長とて同じ栄誉に変換できるのです。体にとって、必要な栄養、タンパク質やビタミンがありますね。体の中で必要に応じて変換していることと同じことが霊体にも言えるのです。あまり変換が敏感に行われると、かえって負荷をかけることにもなります。過敏症は疲れるもの、それと同じです。過敏症気味の体も霊体も体質としてあきらめるのではなく、体力をつけることで解決します。エネルギーを変換し栄養に変える、それも体力、霊力次第ということことです。【ありがとうございます】
2015年12月12日
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