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いつもありがとうございます。今年最後のチャネリングです。今年も色々ありましたが、久しぶりに心に残る良い年でした。今年一年、いつも読んで頂き、ありがとうございます。来年も宜しくお願い致します。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。暗黙の了解と良く言いますが、直に話さないと伝わらないことは多いですね。特に日本人は、それこそ忖度が得意でしょうか。けれど、伝えることは勇気も必要ですね。伝えなかった後悔、伝えた後悔。相手を思えば伝えないことも正解でしょう。チャネリングは伝える仕事ですが、未来の被災など、全てを伝えることが正解とは思えません。真実を伝えることは間違ってはいない。とすればチャネリングの仕事、伝える仕事とは、ニュースで伝えることと違いがありますね。】ほほほ、正しく言葉を放とうとしても、あれこれ思えば、真っ直ぐには伝わらぬ。伝わるのは寧ろ、その思いのほうじゃ。言葉と思いが離れておれば、相手は言葉に戸惑いをおぼえるであろう。「ありがとう」という感謝の言葉さえ、突き放したように放てば、感謝どころか、迷惑このうえないような思いが伝わるものじゃ。思いを真っ直ぐ伝えることよの。その素直な思いに人は響くのじゃ。それが難しい、できぬ。それ故、後悔に繋がるのじゃ。そなたとて真実を知りたいと思うであろう、その思いは魂の本能よの。真実を知らぬ限り魂は目覚めぬ。知り得た故に目が覚めたというであろう、夢から覚めたということよの。見ようと思えば、楽しい夢などいくらでも見える。真実を知らぬゆえ、楽しい夢を見続けておるということじゃ。夢にいつまでも住み、目覚めようなどとは思わぬ。昔話を知っておるであろう、浦島太郎は夢に過ごし続けたよの。ある日気づき、陸に戻り箱を開けた。夢の量は人としての魂の寿命じゃ。夢を見るほどに、魂の老化を進めるのじゃ。それが人の老化よの。夢を使い果たした魂は夢だけの世界に戻り、夢を補充するのじゃ。真実を知るとは、その輪廻の世界から抜け出すことに他ならぬ。夢ではない世界を魂は知っておるのじゃ。魂は生まれ故郷に戻りたいだけよの、長い旅をしておるようなものじゃ。真実を知るごとに少しずつ目が覚めていく。本当の己の魂を思い出せば、夢を消費しながら生きぬともよい。人が生きるために纏うのが夢じゃ。人のために宇宙から隔離された世界がこの星に用意されたのじゃ。真実の代わりに夢を与えられておるということよの。ゆえに、この星の外に住むに必要なのは、夢ではなく真実じゃ。それらのこと、相手に伝え、誤解されるのは、無論、承知であろう。夢を大切に思う者には、真実など不要じゃ。それでも伝えるのが仕事よの。【ありがとうございます。】
2017年12月31日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。現実は意識、精神から創られると言いますね。人の学びとして、例えば、愛情を知る、命を知る、知恵を得るなど色々あります。学んだ事が結果とすれば、現実は学びのテーマを軸に創られていくとなります。現実がうまくいかないから精神世界に逃げるとなれば本末転倒ですが、精神を高めても、現実もうまく回るとは限らないのは、学びのテーマはそこにはないと言うことでしょうか。】ほほほ、魂の世界の通りに、現実は叶えられていくのじゃ。一人と二人、幾人との違いは、魂に住まわせておる他の魂との絆よの。己の思いは、どこまでも広がっていくものじゃ。限りない身勝手な思いは妄想の類いよの。そこに創造などないであろう、魂の世界に閉じ込められ、くるくる回るだけじゃ。絆があれば、思いは、絆を通して他の者にも伝わっていくのじゃ。妄想を越えて、思いは魂に響きあうのじゃ。研がれていない魂では、響かぬであろう、学びとは、研ぐことよの。響きあえば、相手の理念、精神とも響きあう。真理を知る相手であれば、その真理が己の魂に移ってくるのじゃ。絆があったとしても淀んだ魂の相手であれば、己も淀む。まあ、魂の同化というかコピーというか、類は友を呼ぶということよの。悦びも、悲しみも、響きあうゆえ、学びになるのじゃ。響かぬのであれば、相手が今、悲しんでおることさえ分からぬ。悲しみを共にすれば、己も悲しいであろう。つまり一つ、また悲しみを知ったことになるのじゃ。己の学びは、繋がる相手の学びよの。絆を深めようともせず、相手に求めるだけでは、現実は空回りするだけじゃ。現実はあくまでも人と人の関係よの。己だけの世界でいくら精神を高めようとも、何も動きはせぬ。相手の気持ちを理解しようとすること、精神の世界に限ったことではないであろう。むしろ現実そのものじゃ。それすら忘れておるのであれば、何も言えぬよの。テーマなど高尚なことを言わずとも、ありのままの暮らしそのものが学びじゃ。そなたのように現実を超えた精神に浸かっておるものは、その道を究めていけばよい。が、それとて現実に落とし込むことをせぬのであれば、妄想と大きく違いはないであろう。落とし穴は、そこにあろう。いつでも現実を見据えておることよの。【ありがとうございます。】
2017年12月16日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。今年も一年が終わります。新しい出来事もたくさんあり、充実した一年でした。来年も楽しみです。人によっては、180°転換してしまったようなこともあったのでしょうね。転職や結婚、出産など、シナリオは持っているとしても、その通りにはいかないのが常であり、だからこそ、願望を引き寄せたいわけですね。念の力で、シナリオを書き換えてしまえばいいのですが、変えてしまえば、歪みが生まれ、揺り戻しがあるといいます。正体は行ったことが返ってくるだけなのでしょうけれど、そうするとシナリオの正体は何でしょうか。】ほほほ、一日が始まれば、皆、思い思いに動き出すであろう。その日が終われば、一人過ごす者もおれば、家族と一緒の時を過ごすものもおろう。人生はシナリオ通りに動かぬわけではないのじゃ。誰しも、計画を持ち、現世に生まれてくるのじゃ。決して不幸になる計画でないよの。人は、幾通りもある道筋の、一番近道を選んで生まれるのじゃ。近道である故、茨の道やもしれぬ、ようやく通り抜けられる位の狭い道やもしれぬな。転生を繰り返すというが、繰り返す度に学びを得る者、壊れていく者、一様ではないよの。才能とは素の魂が顕れておることをいう。天才と気印は紙一重というであろう。どちらも余計な心をそぎ落とした魂の姿じゃ。普通に暮らす者と、姿を顕わにした魂を持つ者の計画は、おのずと違いがあるものじゃ。大まかに言えば、世を安定させる者たちを前者とすれば、刺激により、皆に変化を促すのが後者じゃ。何気ない一人ひとりとて、日々の暮らしは、この前者、後者、どちらにも傾くのじゃ。ある一人が、そろそろ、大切な時期ともなれば、近くに刺激を与える者が顕れる。近くの者は己で気づかぬとも、自在に魂の役割を変え、時期を迎える者に寄り添うようになるのじゃ。ゆえにシナリオなど、書き換える必要などない、となろう。己の魂が過ごす日々に、シナリオは生きておる。生きておる故、自在に動き回るのじゃ。水の流れに抗えば、動きにくい、つまり生きにくい、それだけのことよの。【ありがとうございます。】
2017年12月03日
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