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いつもありがとうございます。太陽の存在【宜しくお願いします。意識がエネルギーとして存在しているのであれば、太陽からのエネルギー供給がそれでしょうね。干渉により発生する波を意識とすれば、その干渉も太陽のエネルギーの影響として現れるのかもしれません。太陽自身が干渉を生み出す装置のようなもの。やはり未来の太陽意識からの干渉のような気もします。時間を越えて干渉すれば反動によりその歪みは解消されますが、太陽系の歪みも蓄積され、どこかの場所で同時に解消もされているのかもしれません。地球がその場所でしょうか。】星の寿命が尽きる時、空間に広がる重力は解放され、時間も飛び散るように拡散します。星の中には、中心に圧縮されるブラックホールのような星もあり、人も言うなれば星と同じ、意識は拡散するのか、圧縮するのかの違いとなります。人の寿命が尽きる時、走馬燈のように人生を思い出すといいます。記憶として残す出来事を思い出し、時間、感情と共に圧縮され残っていくのです。空間にあるカプセルようなものに入るのです。魂とは、そのカプセルなのです。魂は現実の力であり、命の源です。時間、感情、記憶を持つ故に、命は続いていくのです。人はその資源を利用して生き続ける。魂より引き出す世界観により生きることが経験となります。魂には時間、空間、情報、全てがそこにある。小宇宙と呼ばれる所以です。魂と意識は別のもの。意識が魂を見つめる故に、魂は存在します。太陽の意識と太陽は別の存在、太陽系は太陽の世界観の表れです。世界観に良し悪しがあるわけではなく、真実か否かが大切でもありません。人は科学と観察により、宇宙は動物の背中に乗った世界ではないと知りました。科学という道具と観察する意識により世界観は変わったのです。魂の世界観はそうして更新され、世界観に基づく経験も変わっていくのです。プランク定数ほどの小さなカプセル、それが宇宙の魂の粒子です。それが反転し、宇宙が成長します。人の経験のように宇宙は経験します。宇宙の意識は遍在し、太陽系も宇宙の意識に見つめられているのです。太陽系、地球の経験は、宇宙の経験に瞬時に跳ね返ります。太陽系の歴史は生命史と言っても過言ではありません。地球のみならず、文明のみらなず、動植物、細菌まで生命の星系と言えるのです。太陽系の世界観は、生命の暮らす星々なのです。恒星系には、宇宙人が住み着いていますが、それぞれの特徴があります。皆同じではありません。課題が終われば消えていく星系もあります。命とは定数ではありません、宇宙に必須ではないのです。文明は命を育む仕組みではない、そう考える宇宙人も大勢います。ですが、一方、命は定数、そう考える存在もいます。宇宙の経験には必須、命が無ければ世界観はないのです。宇宙の空間に同化した意識は、宇宙の世界観にも同期します。太陽は、そちらの存在です。命が必須の世界にある星です。多様性を生み出す仕組みとして命を利用するのか、星の活動そのものだけで良いのか、ブラックホールのように他宇宙と繋がるネットワークを空間に用意し続けるのか。太陽は命を蓄積し、やがてブラックホールのようになります。星の重力だけでは、なれないとしても、命の重さによりなることができるのです。他の宇宙空間にいる生命体と繋がる星、それが太陽です。境界には情報があります。太陽の三次元と他の次元の境界には命の情報があるのです。その命が地球に映し出されているのです。他の惑星にも現象化するでしょう。宇宙は何度も転生しています。転生の都度、カプセルを引き継ぎ、世界を作ってきました。その一つの世界観に生きる宇宙の存在は、次世代宇宙に残るべく、世界観を更新します。太陽の世界観にそぐわなければ追い出されます。多様性が過ぎれば、排除されます。太陽の寿命が尽きる時、世界観は終わります。ですが、そのカプセルを引き継ぐ星は、既に用意されています。未来まで含めた時空間を破壊しない限り、命の世界は続くのです。【ありがとうございます】
2017年03月25日
いつもありがとうございます。暖かくなりました。来週はまた寒さが戻るようですが、寒暖を繰り返すこの時期は、季節の境目という感じがします。とは言え、もう真冬に戻ることはないと感じる季節ですね。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。春ですね。桜の季節の匂いが気持ちいいです。温度、天候、風景の記憶は感覚の記憶を呼び覚まします。卒業と新生活の季節でもありますね。以前病気になった時、病院のベッドから桜を眺めていた事もあり、その頃の生活が懐かしくも思えます。春夏秋冬、循環する季節ですから、最初の季節はないのでしょうけれど、植物が芽を出す季節でもあり、始まったという感じがありますね。】ほほほ、人それぞれ楽しい思い出もそうでない思い出も様々であろう。人の生き方が季節に現れると申しても過言ではないほど、季節の景色は人の個性でもあろう。暖かい季節は、生まれた時の暖かさが原点じゃ。母に抱かれた思い、記憶になくとも意識に残るものじゃ。誕生の時、春はその感覚に重なるのじゃ。春がどのように人の心に感じられようと、基点の感覚は癒やしをもたらすものじゃ。冬の厳しい季節を乗り越え、漸く春を迎えることができた気持ちは、基点の感覚を思い出し、命を謳歌する前触をひしひしと感じるであろう。弱々しく始まった命であったとしても、春の季節には身を守る自然の気配があるのじゃ。川を流れる水、優しく吹く風、穏やかな陽の光、土は軟らかく芽は力強く気配に触れる。植物も人も同じじゃ。気配は生きる力となり、育っていくのじゃ。我らの住む世界の空気は地に気配として降りていくものよの。春夏秋冬、それぞれ、人も植物も生きる力の出し方が異なるものじゃ。夏の日射しに命は謳歌し、秋には輝く澄んだ空を眺め命を休めるものじゃ。冬は眠っておるだけの季節ではない、身を丸くするように命を芯に押し込めていく。夏にいっぱいに広げた命を、冬に折りたたみ、しまうようものよの。そうして季節を巡っていくのじゃ。人の特質は季節に同調し動くもの。季節が彷徨えば人の命も定まらぬ。大きく広がらぬ命もあろう、小さく折りたためぬ命もあろう、無理に広げようとすれば破れてしまうもの、小さく固められぬのであれば、力は蓄えられぬ。植物の根も張らぬ不毛の土地には、我らの気配が下ろせぬのじゃ。地深くより湧き出でる気配、天の気配、その二つがこの国の気配じゃ。地が揺れれば気配も変わる、配合が変わるのじゃ。配合を元に戻すのが、人の自然を愛でる心なのじゃ。言い換えれば、人の心は配合も変えるのじゃ。社会の有様、個々の家族、家庭、人の暮らしの有様は、流動的よの、それでも季節に合わせ暮らしを整えてきた、心が季節を整えたとも言えよう。人の心に持つ基点の感覚には、季節の配合が含まれる。故にどのような一年の季節の有様が己の命に快適か知るのじゃ。春の配合が多い者、夏、秋、冬、それぞれの者が持つ心がこの国の総意じゃ。初心忘るべからず、というであろう。いつまでも基点の感覚は、己を整えるものじゃ。季節が巡り、また戻るように、いつでも基点に戻ればよいのじゃ。それでも同じ春でも別の様相を見せるように、基点からまた始まったとしても同じ動きはせぬであろう、それもまた心の配合の違い、味の違いじゃ。季節ごとに楽しめばよい。己の心を楽しめばよいのじゃ。楽しみ暮らすところ、仕事でも家庭でも、人の仲でも同じじゃ。そこに自然の気配があろう、その気配こそ、この国の宝じゃ。【ありがとうございます】
2017年03月20日
いつもありがとうございます。今回問答、とても分かりにくい内容です。申し訳ないです。月読命としていますが、相手は違うかもしれません(相手への照準が微妙です)。その分内容も微妙です。。。月読命【よろしくお願いします。瞑想をしている時、周囲の空間が広がったように感じます。その空間は意識場、意識空間ですね。空間の相は幾つもあり、一つに意識を合わせると、時間や距離に関係なく空間を共有し、その場に自身が存在している感覚になります。どこかの場所をイメージした時、その場所にいるような感覚になるのは、その場が持つ相に同調したと言えるでしょうか。地球の自然環境であれば、海や山、滝などの雰囲気を感じられます。以前、月にアクセスした時は、死を感じさせる恐怖の感覚を得ましたが、月に住む存在は闇の支配者とも言いますから、地球の闇は月の相に支配されているのかもしれません。相転移というように、闇と光は、転移した関係にも思えます。月は太陽の光の反射により光っていますが、闇とは光が届かないというのではなく、鏡のように相が反転していると思えます。】光の反射により、物は認識される、感じるとは心が反射する故であろう。何もなければ、反射もない。ただ消えてなくなるまで、通過していくだけである。意識の広大な空間、遮るものなく、意識の光が広がる様を感じるのだ。意識の光、一粒に己の心が乗る、故に広がりを感じるのだ。押しては引き、また寄せては返す、月により星の海は波を立てる。流れとは常に裏表である。波は裏表の干渉である。時が進むのが表、時が戻るのが裏、光と闇も表と裏である。死の恐怖を闇に感じるのであれば、それは生の裏返しと言うことだ。光に時はないと言うであろう、時を進む光、戻る光、すなわち原点に留まる故である。原点、それが粒として感じる光である。時の干渉が波と感じる光である。生は死の闇より干渉され、存在する光である。生きておると感じるのは、その光に心が反射する故のこと。闇を捉えれば、即座に死を意識する。干渉され続けておる故、当然のことだ。生と死の狭間に人は生きる、狭間とは無の世界である。その世界に波が立つ、故に物事が現れる。宇宙の理である。人の生など潮の満ち引きのようなもの、死の淵に反射し存在し続けるのだ。無に干渉する波、宇宙の創世である。その波は外からでも内からでもない。干渉する波とは意識のこと、無とは原点である。有と無により、物事はある。我らは有の役割を持つもの、無の役割を持つものがおる。月がなくなれば、月の役割に変わる物事に置き換わるだけのことだ。太陽は表、裏の月とともに、無のこの星に波をもたらし、揺さぶり続けるのだ。揺さぶりにより現実が現れるのだ。人に波が立ち現実は生まれる。宇宙の創始より終末に人は存在する。人は宇宙により創世され続けるのだ。生死がある故に、寿命に意味があろう。創世とは狭間が広がるということ。我らが人に干渉するのは、宇宙への干渉と同義である。人に干渉する者、できぬ者、その差は宇宙への干渉の差である。消えていく宇宙の者たちは、宇宙の創成から外される。創成の淵に追いやられるということだ。闇を抱えて生きることと申しておるのではない。闇に引きずられていけば、死を常に意識するようになるであろう。だが、その意識こそ真の生の力となるのだ。手足を動かし、もがくように生きる様は、目の間に迫る闇がある故のこと。前に進むとは、淵に近づくのではない、広げるということだ。それが干渉の意味。見たくないと思っても見えるもの、それでも進めば広がっていくのだ。何も見えぬようになった時、心に光を反射させることだ。光とは希望ではない。命を見つめる意識である。命を見つめる時、心に光が生まれる、無と有から現れる命である。【ありがとうございます】
2017年03月19日
いつもありがとうございます。コノハナサクヤ姫【宜しくお願いします。加齢に従って頑固になっていく人も多いですね。身体に柔軟性がなくなっていくように、感情も柔軟性を失い、感激することなども薄れていった結果、心も硬化してしまった感じでしょうか。加齢というより、そのような生き方、生き様の蓄積のような気もします。社会から離れ子供に戻っていくことは、そのような人にはないようにも思えます。身体が動く程度にしか心も魂も動かないとすれば、身体が柔軟性を失っていくことは、魂も柔軟性を失いつつあるということであり、魂の反応の程度は、身体の反応の程度に現れるとなります。情動は記憶され蘇りますが、何度も繰り返せば記銘も深くなるように、感情を織り込み、分厚くなって行くのが心なのかもしれません。】ほほほ、苦労は人を作るというのがあるであろう。その者の世界観が未熟であれば、苦労するのも一つの方法よの。が、それだけでは、その世界から、やがて抜けられぬようにもなる。苦労した故、今の己があると信じるようになるのじゃ。別の世界を見たいのであれば、作られた形を変えることじゃ。感情は世界を移動する動力じゃ。苦しいという感情を使うことなく、他の感情を利用すれば良いのじゃ。羽のように軽ければ、移動も楽であろう、が地に留まらぬやもしれぬな。つまり、心に信念を作るのも難しいとも言えような。信念が必要と申しておるのではない、が、軸は必要じゃ。風が吹くまま飛び続ければ、向かう先も知れぬ、風が止まれば地に落ちる。人の世界観が社会であり、魂の持つ世界そのものじゃ。世界は幾つもの相と層により成されておる。同じ世界に住んでも一生出会うこともない者も大勢おろう。相が違うのじゃ。それは縁とはまた別のもの。縁があればというが、縁は同じ相に住む者同士の繋がりじゃ。因果も時代も一つの相よの、1000年後は別の相ということじゃ。相を合わせるには意識を合わせることじゃ。ほほほ、チャネリングのようなものよの、心を通わせるというであろう。生まれた時より時代という世界が持つ相に意識が合い育っていくのじゃ。世界は幾つも相がある故、一気に素通しして見れば、本質が見えるであろう。軸とはそれじゃ。一つの時代に生まれたと言え、一つの相にしか生きられぬわけではない。因果の無数の糸が絡み合う相を見れば、生き方は一つではないと知るであろう。感情が動く相は、感情が波のように揺らいでおる世界じゃ。魂のおる相は、太陽や月の光が織りなす世界じゃ。それらが層を成すのじゃ。人の種により相は異なるものよの。文明の違いはそれに現れるのじゃ。社会の現実も人のそれも、相と相の関わる様子の現れじゃ。その関わりが同相となり、縁を生む。一生とはそれらの相の広がりの度合いにより変わるのじゃ。植物が育つのは、雨と光じゃ。どちらも欠ければ育ってはいかぬ。どちらも自然の相に存在するもの、それらと人は暮らしてきたのじゃ。相は動いていくものじゃ。日照りに雨を願うこともあろう。能動的に動くと知る故のこと。意識とはそのように使うのじゃ。【ありがとうございます】
2017年03月04日
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