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シャーリーズ・セロン主演の『トリコロールに燃えて』を見ました。オリビア・ハッセー主演の『マザー・テレサ』の代わりで取りあえず借りた映画にも関わらず、嬉しい「当たり」。”第二次世界大戦下、~盛衰のパリ~、真実の愛を追い求めた恋人達の、激動の歴史の中の美しくも儚いラブストーリー”戦下の話なら、ラブストーリーより『ムッソリーニとお茶を』とか、『ライフ・イズ・ビューティフル』のような人間ドラマの方が、私的には断然ポイントは高い。でも、この映画の魅力は、やはりシャーリーズ・セロンの圧倒的な美貌と情感溢れるラブシーン、V.S. ペネロペ・クルスの競演&好演かしら。19世紀パリの世相やギルダ(シャーリーズ・セロン)のファッションも、見応えアリです。シャーリーズ・セロン。『サイダーハウス・ルール』('99) にリンゴ農園の娘役で出ていた時は、なんだか線が細くてあどけなさが残る風貌でした。それが、いつのまにか貫禄たっぷりの女優になって・・・。アカデミー賞を総なめにした『モンスター』は見ていないけれど、自信というのは、人を大きく見せるのでしょうか。実際、彼女は『モンスター』では、役作りの為に13キロも体重を増やしたというから、大きくなったのは存在感だけではないのかもしれないけれど。13キロなんて、どうやったら増やせるのか・・・。増やすにしても減らすにしても、役の為に体を作り変えるのは、並な体力ではないでしょう。キュートなラテン系、ペネロペ・クルスも、意志漲る表情が役柄にピッタリで、気迫十分の好演。スパニッシュ訛りの英語も一層の彩りとなっています。競演、そして体重の増減といえば、『シカゴ』のレイー・ゼルウィガー。『ブリジット・ジョーンズの日記』のボテッとしたプチ・グラマラスなブリジットとはまるで別人(!)。ダンスシーンでは、幼少から本格的なトレーニングを積んでいるキャサリン・ゼタ=ジョーンズの狂いのない安定したダンスに勝るとも劣らず、のびのびと、ちょっとはちゃめちゃに踊り、目を引きました。キャラは違うものの、その競演ぶりは『紳士は金髪がお好き』でベテラン女優のジェーン・ラッセルと共演したマリリン・モンローを思い出させました。腰のひねりや肩のちちょっとした角度や一瞬の間の違いは、生まれ持ったセンスか・・二人が並んで同じ振り付けで踊っているのに、いつのまにかマリリン・モンローの方を目で追っている私。ダンスや歌のテクニックでは数段上のジェーン・ラッセルを、マリリン・モンローは完全に食っていたのです。(レニーのダンストレーニングの基礎は、高校時代のチアリーダーだったとか。あのマドンナも、ダンストレーニングは、チア・リーダーに始まっている((NYでは、一時黒人主体のアルビン・エイリーダンスカンパニーでダンスのレッスンを積んでいたそうですが))のだから、アメリカのチア・リーダーもあなどれませぬ。)技術的には決して難しくない、むしろシンプルな振り付けを「魅せる」ものにしてしまうのは、スター性なのか、エンターテイメントを文化にしてしまったアメリカ人のスピリッツのなせる技なのか・・・。日本人には、なかなか真似できないところ。劇団四季などがリメイクするニュージカルなどが、私はどうも好きじゃありません。日本語に翻訳された歌詞や台詞回し独特のリズム感が失われてしまうのがしっくりこないというのもあるけれど、日本人ダンサーの技術も歌唱力も決して劣っていないのに、どこかぎこちなく思えてしまうのは、やっぱり血の中にあるスピリッツの違いだと思うのです。ダンスは、究極的には、身体から生まれるもの。重心が高く、脊椎のS字カーブが短く急な黒人の肉体からは、バネに物言わせるアフリカンダンスが生まれ、それにジャズィーな精神が加わり、タップや、アフロアメリカンなアルビン・エイリーダンスカンパニーのようなスタイルや、ヒップホップへーーーーー。ダンスには、個々のアイデンティティーがにじみ出るのだと思うのです。話が少し脱線しましたが、一流の役者の競演・好演というのは、芸能ニュースが報じるようなチープな女優の争いを放り去って、作品作りに掛けるプロの集中力と執念が生み出す相乗効果。『トリコロールに燃えて』は、別にミュージカルでも、ダンスシーンが有るわけでもないのですが、この役者でないと、こうは成らなかった!そう思わせる映画でした。
2006.08.27
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叔母から受け継いだ奈良漬けのレシピがある。毎年届いていたべっ甲色のウリの奈良漬け。甘過ぎず、しょっぱ過ぎず、透き通るようで、カリッと軽快な歯ごたえ。誰に食べてもらっても、お世辞無しの「美味しい!」が返ってきた。数年前から届かなくなって「よし、それではワタクシが!」と奮起し、この度レシピを頂いた。冒頭から、「白瓜20キロ」の文字に、たじろぐ。材料の分量を1/4で計算し、漬け物樽を買いに行った。樽、重石、ビニール袋・・・・・。まずはウリの塩漬け・・・と。白瓜、白瓜・・・・。白ウリは、初夏に出回り、あっという間に終わってしまっていた。でも、北の方なら、一月遅れぐらいであるのではないかしら)))と、あちこち問い合わせけたけれど、ほとんど漬け物用に作っておられるようで「野菜」として出荷する分は無いとのこと。とほほ・・・。「旬オンチ」の完全なる出遅れである。「一生掛けても自分がワイン造りを試みられるのはたった60ー70回だ」というワイン醸造家の話をどこかで読んだけど、農作物は、殆どみんなそう。1年に1回限りのチャレンジ。それも、まったく同じ自然環境ではないから、一回一回が新たな試み。ブルゴーニュの造り手たちが、100年ぶりの猛暑だった2003 年を乗り切ったることができたのは、旧家に伝わる技術のなせる技だったとか。だからモノづくりには、伝承が大切。核家族化が進み、因習にとらわれない多くの自由を得たかに見えた私達の暮らしも、失いつつあるものは多い。漬け物文化もそのひとつかもしれない。社会やライフスタイルの変化も手伝って、受け継がなくてはという意識を持つことすら難しい。「母の味」「祖母の味」、「○○家の味」といった慈愛と誇りのこもった言葉も、影が薄くなっていく。私も奮起してこの春から糠床などこね回しているけれど、味が今ひとつしっくりこない。戻れる味の記憶もすっかり薄らいでしまった)))。お盆の墓参りついでに田舎のおばさんに聞いてみても、顔色も脈も診ずに患者を診察するようなもので、明確な答えは得られず。まあこればっかりは、目で感触で、舌で覚えないとどうにもならない。漬け物を漬けるって、微生物を飼ってているようなもの。生き物相手だから、マニュアルだけでは手に負えない。こう考えると、ワインコンサルタントのアドバイスなどを元に、醸造を徹底的に科学分析して一級品の味づくりをしているワインの世界も止む終えないことかという気がしてくる。実際のところ、発酵物の殆どは、徹底した温度管理の下で工場生産されているのだから。しばし思いを巡らせ「来年から始めるかぁ・・・」と諦めかけていたところに、問い合わせていた店の一店から、一ケ月後に隼人ウリが手に入ると連絡があった。隼人ウリであのカリッとした食感が出るのか否かはわからないけれど、やってやろうじゃないのっ!狭いリビングに転がっているうす黄色の漬け物樽を見ると、微生物を飼う・・・というより「微生物と暮らす」かしら。
2006.08.22
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BBCとNHKの共同制作のドラマ。一年ほど前、前編、後編を2夜連続で放映したのですが、私は「後編」を見逃してしまい、ずっと続きが気になっていました。再放送もなく、半ば諦めかけていたら、この度DVDが手に入りました(^^)V。アメリカ、ワイオミング州、イエローストーン自然公園。200万エーカーのその地殻には、アメリカ史上最大の噴火セントヘレンズ火山の2500倍ものマグマが蓄えられていた・・・!地震などの地殻変動により、イエローストーンが大噴火を起こし、世界的大パニック、いや人類存続の危機が起こるという話。これだけだと『日本沈没』や『復活の日』などとイメージを重ねてしまいそうですが、このドラマの醍醐味は、信憑性のある研究データに基づき制作されており、映像も、過去の実際のものを多数登用してあるところ。USGS地質研究所本部の研究員、FEMA連邦緊急事態管理庁長官、次官、ワイオミング州知事など登場人物の語りを挿入しながら、ドキュメンタリータッチの編集で、切迫感と危機感が刻々と伝わってきます。測定不能なスケール、対策の打ちようがない程の事態、これらを「9.11の1000倍もの瓦礫」「広島型原爆の2500倍のエネルギー」などと描写し、セントヘレンズ火山、アイスランドのラーキ火山噴火(1783年)のときの記録や、古くはベスビオ火山、スマトラのトバでの大噴火などの調査記録と分析を参照しながら、具体的かつ理論的に説き、視聴者の想像力に訴える。FEMAの次官に状況を説明すべく、セントヘレンズの火砕流のすさまじさやコロンビアの泥流の実際の映像を見せる。冷静沈着なFEMA次官の表情にも動揺が隠せない・・・。破壊的シーンは決して多くないけれど、ジワジワと緊張感が増してきて、手のひらにはじっとりと汗をかいていました。キャストがハリウッド系メジャーじゃないところもドキュメンタリーっぽくていい。(イギリスでは、テレビドラマで有名な俳優なのかな?? USGSのスタッフ役で『リトル・ダンサー/Billy Eliott』でビリーのお父さん役だった人が出ていました。)イエローストーンの大噴火は、約60万年に1度の周期で起こっていおり、地球時計で計れば、明日かもしれないし、数万年先かもしれない。でも、確実にいつかは起こる。)))もし今の地球に起こったらどうなるかーーーー。2ー3千立方キロの岩やガスが飛び散る。半径100キロは時速700キロ、摂氏800度の火砕流に襲われ、全て消滅。食物生産地である草原地帯を含むのアメリカ国土の80%が灰に覆われ、20%は人が住めなくなる。更に、噴火ひと月後には、噴出した何億トンもの二酸化硫黄が成層圏に留まり、北半球を包み、太陽の光を遮り、数年間にわたり気温は急降下。地球規模の大災害となり、それは人類存続の危機を意味する。まるでシミュレーションのようなドラマだけど、想像を超える事態が起こると、手の打ちようもない。大自然の前には、あまりにも無力な人間。三宅島の噴火で住民が避難していた5年間の間に、島周辺の珊瑚礁が甦ったとか。地球は何事もなかったかのように、年月をかけて回復していくのね。)))その人間が、駆け引きをし、戦争をし、地球をコントロールしようとしているのだから、考えてみたら、ちゃんちゃらおかしい。そんな風に思うと、つい視線が遠くなるけれど、人間時間で生きていかないと、何も出来ない。時々太陽と月を見上げながら、至近距離でモノを考えていくしかないか。
2006.08.20
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お盆。お墓参りを兼ね、久々に、自分方の田舎に行ってきた。丁度両親が、祖母(92で認知症アリ)を連れて来ていたこともあり、祖母の姉妹(弟妹)が、人目祖母に会おうと次々と「若い衆(といっても60才以上)」に連れられやって来ていた。大昔に2,3回会ったきりの親戚が大集合。「こりゃ大変な時に来てしまった・・・」と思いましたが、90代にして、これだけ会いに来てくれる人がいる祖母も幸せ者だ。A子、B子、C子・・・と、シワの数が微妙に違うおじいちゃん、おばあちゃんが次々と、祖母の手をとり話しかけた後、私の顔をのぞき込み、私の記憶の薄い思い出について一言二言しゃべっては、自分の席に戻っていく。シワが深く刻まれてはいるものの、よく似た大叔母達のお顔。))うーーーん、親戚って、親戚ってっ。彼女らの何分の一かの遺伝子を持つ私。ちょっとした共通点を見つけては、年老いたらあんな感じになるのかなあ)))と思ったりして。親や親戚の老いた姿を身近に見るのは、ちょっと寂しいようでもあるけれど、自分自身の老いを受け入れる心もこうやっているうちに自然に培われていくものかもしれない。祖母の末の妹は、祖母の息子(私の父)と同級生で、一緒に学校に通っていたらしい。これは、祖母が自分の母親と同時期に妊婦になっていたということで、ちょっとスゴイ。10代で、同じ村の若者と結婚していた時代だ・・。これって、スゴイ。小学校も中学校も一緒だったりしたハナタレ小僧時代を知る同士二人が10代で(!!)。祖父母達には、結婚や出産がもっと日常の延長線にあったのかもしれない。両親の30代の写真。今の私よりもずっと大人びて見える。何が違うんだろう。)))20代で戦死した祖父の写真。青年の面影を「おじいちゃんだよ」と指さす大伯父。子供のような不思議感を味わった。その末っ子の大叔母などは、認知症で誰が誰かもよく分からない祖母の様子に人一倍残念がり、涙を浮かべた。その様子を見ていると、姉妹というより親子のような関係だったことが感じ取れた。お互いがお互いによって生かされているといった関係が、そこにはあった。
2006.08.15
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「ちょいワルおやじ」、という言葉をよく耳にするようになって久しいですが、「ちょいワル」ってのは「ちょっと不良」という意味で、かつてはやんちゃしていました風の面影が残る中年男性をそう呼ぶそうですね。具体的イメージとしてはフランス人の俳優ジャン・レノや、イタリア人タレントのパンツェッタ・ジローラモさんのような方々。首飾り、サングラスは、必須アイテムの、オシャレで、ちょっと隙あらばナンパでもしそうなまだまだイケてる中年男性。しかしながら、先日テレビのクイズ番組(だったかな?)で、「ちょいワル」として登場していた一般人&芸能人は、いかにも正真正銘どこから見ても堅気ではなさそうな風貌の中年男数名。これで行くなら亀田のお父さんも「ちょいワル」の域ということになってしまいます。ちょっと違うんじゃないですかぁ))))そうぼやきながら数分間でチャンネルを変えたのですが、この「ちょいワル」の「ちょい」とはどのくらいか?という疑問が、私の中に残ってしまいました。丁度今朝、車の中でラジオを聞いていると「ちょっと・・」という数量はどのくらいか??という話になり、思わず耳を傾けました。ちょい=ちょっと。統計によると、仕事が終わって「ちょっと一杯」の「ちょっと」が平均1時間20分。「ちょっと遅くなる」コールで、待たされる時間は約1時間なのだそうです。ちょっと罪悪感を感じる時間が1時間~1時間半なのですね。活動時間の10分の1程の時間程度ということでしょうか。まあ「ワル」ぶりを、時間で割り出すことは「ちょっと」無理がありそうですが、とにかくオシャレでカッコよくないといけないのが、「ちょいワル」のハードルの高いところ。あんまりセンスが悪いと「ちょいワル」どころか、単にガラが悪いだけになってしまいます。そう、イカしてなければいけないのです。そういえば、マイケル・ジャクソンの歌に「BAD」ってのがあるけど、” I am a bad, I'm bad, ・・・・”の、歌詞の訳が「おれはイカしてる、イカした男さ・・」とありました。「イカす」って、「bad」=ワルでなきゃいけないのね。一応ひとり納得はしたものの、今日の話題、すっかり落としどころを失ってしまいました。
2006.08.06
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