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の代表としては、犬が挙げられる。狼を飼いならしてハンティングに、警備に使い、これほど人間に取り入って永らえている種はいないだろう馬もまたその意味で人に取り入ったというよりは人がうまく使いこなして今に至ると言ったほうがいいだろう。輸送や交通、また軍事にと使われ、その歴史は長い。猫は取り入ったというよりも人が逆に取り入ったのかもしれない。何の役にも立たないが(ネズミ除けぐらいにはなる)それらとは別に、人間を糧に生きてきた動物はたくさんいる。昔は山中に住んでいたのにいまや都会に進出し、わがもの顔でわたしたちのすぐそばを生活圏としている代表的な動物は、カラスだと思う。朝から晩まで人家のすぐ近くでカアカアと鳴き叫び、日常生活をここで送っている。最も身近に毎日目撃する動物は個数にしても最も多いのがカラスだ。(わたしの街では)場合によっては人間を目撃するよりも多いかもしれない。そして彼らはなわばり意識を持っており、街路樹に巣を作ると途端に攻撃的になり、人間様を襲うのである。またいったん巣を作るとその巣は壊されない限り代々使われるらしい。近くの杉に作られた巣はもう十年以上になるが、相変わらず住み着いている。カラスに限らないが、彼らが低空を飛ぶときの動作は極めて優雅で、まるで空気力学の賜物のような詳細な設計された羽を持っているようである。鳥は空中を飛ぶときに振ることで揚力と推進力両方を翼から得るが、その構造はとても人間には真似できなかったのである。いまだに人間は浮揚するのに推力を使い、翼を使っている。今のコロナ禍も新しい生命(ではないと言うが)との遭遇で,ヒトはエライ目に合っている。人類最大の敵ともいえるこの株は、ホントは宇宙からでも来たのではないか?それとも驕る人間への天罰なのか?だんだん怪しくなってきました(笑)
2022.09.28
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黒船に乗船許可された日本人が見て一番びっくりしたのは、米海軍の制服についたボタンとベルトだったそうな。逆に、下田のお寺に入った米国人が最もビックリしたのは引き戸だったそうだ。鴨居と敷居のあいだを音もなく滑る障子に一同精密な木工技術に驚嘆したそうである。手漕ぎボートにも大きな違いがあり、米艦のはよく公園で見かけるオール式、日本のは櫓で操る式で、幅も狭く、乗員は一列になって乗った。この乗り物に乗って乗艦した日本人の衣服が全く濡れていないことに気づいた水兵がいて上官に報告、さらに彼はペリーに報告、提督は日本人が中国人とは違うものを感じたという。(大江志乃夫:ペリー艦隊大航海記)また動物の世界だが、ボルネオ島に住むオランウータンの群を調査していた学者が、川の流域の両岸で全く違うオランウータンの習性を発見した。木の実の皮をむくとき、石ではぎとる集団と口と手で剥がす集団とに分かれ、この事は逆に互いの文化が川によって接触せずに全く異なる習性をもつようになったとの表れだろう。身近なところで、電車の中でたまに乗り合わせる異国人同士が話している会話がやたらうるさく感じる時がある。中国人やベトナム人だが、なぜだろうと考えた。まず服装のセンスが彼らはより原色に近く、組み合わせが色相環で言うお互い対面している補色同士を使っているのだ。また聞きなれた日本語のイントネーションではないので、これも耳に引っかかるというか神経に触る。別に彼らの会話が大きい声というわけではないのだ。ただ日頃聞きなれないからだけなのだろう。意味も分からないしいわば雑音と判定してしまうのだ。別に敵意はないがこんなことも外国人がバッシングされるきっかけになっているのかもしれない。不思議なことに、韓国語は文法も音節も似ているせいか、意味は別としてただの音として聴いているとそんなに日本語と変わりない。不思議なものである。英語は映画やテレビなどで良く聞くので、そんなに雑音とは感じない。異文化を感じるなら手っ取り早いのは浅草の大ちょうちんから浅草寺までの通りを歩くだけでよい。やたら甲高い中国系、訊きなれた英語、最も世界で話されているらしいスペイン語、近場では朝鮮半島系などが交錯して聞こえる。国同士でもっとも文化程度の違いを表しているのは色の名前の数だと言うのは柳田国男で、「明治大正史」によれば、明治時代には日本では色の種類は40色程度しかなかった。ほとんどが植物から採られた名前をそのまま引用、これは外国も同じだが、低緯度地方になるほど色は増えていく。植物や動物の種類が増え、様々な色が見られるからだそうだ。名前もそのままで、直接的なものが多い。色彩の文化はまさにその民族の最先端を表しているということで、しかも若い女性の服装はその中の先駆けだそうな。「ちかごろ変わったのは若い女の服の色」という認識が定着してきたのは最近のことである。
2022.09.25
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テレビや新聞で、「移住」をテーマにした番組や記事が取り上げられ始めた。これは政府の政策とも一致しているのだろうか、若者が子育てに適しているとか、仕事に適しているということで都会から田舎に移住するというのが骨子である。その理由のほとんどが都会の生活に疲れた、または仕事に疲れたということであるが、中にはリタイア組が第二の人生を求めて廃屋を改造して住み着くという例もある。番組やテレビは移住者の本音を引き出さず、まるでシャングリラにいるような環境だと褒め上げ、移住のすばらしさをアピールしているように見える。冷静にこれらの番組や記事を見れば、それがほとんどの人に当てはまるかと言えば、そうではないようだ。特にリタイア組が移住する場合、ある程度の資産(退職金)を持ち、地域にカネを持ってくるから歓迎される、また複雑な人間関係から逃れようとしてきたはずの田舎が、都会よりもとんでもない泥沼的近隣づきあいを強いられるといったケースは報道しない。ある番組では建築家が廃屋をリメイクして売りに出し、それを買いとるリタイア組が主に紹介される。田舎の人たちは素朴で、都会から来た人たちを歓迎し、時々小宴会が蘇った家で開かれていると言った形である。田舎暮らしも悪くないんだといった一種のCM番組に近い。しかし素直でないわたしにはとても受け入れられるものではない。若者の子育てに適しているというが、自然の中でのびのび育った子供は確かに性格もおおらかであろうが、では彼の将来はどうなるのだ?リタイアした人はやがて後期高齢者に達し、体も動かなくなるはずだ。何年リメイクされた住み心地のいい家に住めるのだろうか?4輪駆動のSUVだっていつまでも操縦できるとは思えない。医療施設だって満足なものがあればいいが、最後を迎えるにふさわしい環境であるとは思えない。確かに新鮮な野菜や果物は身近にあって近所の人たちが持ってきてくれるのだろうが、もらったら世の常としてお返しをしなければならないだろう。流通の原則は、いくら田舎にいても変えられるものではない。商品(地産品)の八割は都会に集積されるのだ。残ったものを地域で販売しているにすぎない。確かにエンゲル係数は下がるだろう。しかし交通費や医療費はどうなのだろうか。このあたりは推測するしかないが、ある程度のあきらめと割り切りが必要で、じっと我慢してどこにもいかずに夜明けの山の端から上る旭日や花や蝶を愛でるのに専念するしかないのだろうか?わたしはまっぴらごめんである。番組に出る人たちはこのような葛藤を乗り越えてきた人たちなのだろうが、そのあたりを取り上げることはないから、一種のギミックとしか思えないのだ。前も取り上げた身近なご夫婦だが、こちらをリアルな移住として取り上げてみる。ご主人は定年退職して好きなピアノを練習する毎日、腕も上がって奥さんともども悠々たるリタイア状態に入ったわけだが、突然東京に引っ越しますとのことである。理由は、友人知人はたくさん周りにいるが、これらの人たちに自分たちの老後を託するわけにはいかない、やはり子供たちのそばがいいとのことで、ご夫婦はいまマンションの買い替えを模索している。しかし前述した田舎への移住とは逆に、物価の高い都会へ移住するには、住居の住み替えは明らかに不利である。保険点数の係数が21%も高い地域ではその分の格差を受け入れなければ息子たちの近くというわけにはいかないのだ。そのあたりが悩みだという。しかし二人だけなら早い話、賃貸しのアパートだってこれまた割り切りで移住できるのではないだろうか。じっさいそうして暮らす人たちはたくさんいるらしい。老人の一人暮らしまたは夫婦暮らしは一戸建てよりはアパートの方がいいかもしれない。一人だと断られる可能性は高いが・・・いつになっても悩みは尽きないものです(笑)
2022.09.11
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に外国に行った人は少なくなっていると思う。学生のころ欧州の建築実物を見るツァーに参加し、有名なフランクフルトの尖塔を見たり、ローマの世界最古のコンクリート建築を見たりしたが、さっぱり憶えていないのだ(笑)ただ地震の少ないドイツだからこそ、ロケットの発射台のような四方から尖塔を支えるバッテラス方式だけはなるほどと思ったものだ。だから材料の強度ぎりぎりまで塔は高くなることができる。ガウディのサクラダファミリアもその一種だろう。さて、ホノルルで360円時代マクドナルドでハンバーガーを喰ったことがある。確か10弗ぐらいだったから3,600円、昭和55年のころの3600円てざっと物価指数がおよそ4.0としていまに換算すると1万4千円ぐらい?ずいぶん高い食い物だったんだなあ。それにまずかった。パンはパサパサ、ハンバーグはぼそぼそで大味、これがアメリカの本場ものかと思ったものだ。日銀が金利を上げないせいで円安だというが、これが続いたらどうなのだろうか。1弗360円のころに逆戻りだとすると、海外に出ていた製造業は国内に戻ってくるのだろうか。失業率は下がるのだろうが、賃金は上がるのだろうか。物価が上がるのは間違いなく、日銀の金利凍結政策はナンセンスなものになってしまうのではないか。経済ジャンルにはまったく門外漢であるが、日本人は生活の質をぐっと下げざるを得ないのではないだろうか。浪費をつつしみ、「もったいない」を復活させ、容器使いまわしや耐久消費財の課税も復活する可能性もある。外国人に頭を下げ、外貨獲得に必死になる時代が間もなく来るのだろうか。もう一度戦後に逆戻りだな。
2022.09.09
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英国の首相が交代し、数々の不祥事で首同然で首班を去るジョンソンさんがうまい演説をした。「私の役割は補助ロケットのようなもので、分離されてからは太平洋の片隅に着水して百姓をやる」この演説の陰には、太平洋のどこかから政権を見つめていて、事あらばまた首班指名に出るぞと言っている。このしぶとさ、言葉のセンスの良さ、とても日本人にはできない相談だ。総庶民意識の日本と違い、ジョンソンさんは名門出身、産まれから違うのである。生まれが違うということは尺度も考え方も違い、貴族が庶民をリードするという欧州独特の階層意識があるのだろう。岸田が数々の失態でやめたとしてもこのような演説は習慣としてしないのだ。「老兵は黙って去るのみ」の精神なのである。それはそうと、欧州はいま冬に向かっていずれも首班は苦悩している。ロシアの天然ガスが猛威を振るい、英国の新首相は一般家庭の光熱費が倍になるのを黙ってみているのか?あるいはロシアの狡猾な駆け引きに屈するのか?ドイツなどは光熱費が8万円を超える平均値になるそうだ。ロシアはとにかく10月いっぱいじっと耐えてウクライナ戦争を戦い抜けば、あとは自然に欧州は降伏するという読みがある。一般市民が一挙に上がる光熱費を黙っているはずがないという読みである。現に新首相のトラスさんに対する野党の要求は、ウクライナ援助を欧州の足並みにならって続けるならば、我が国の国民はどれだけ我慢しなければならないのか?とやんわり批判している。欧州諸国、とくに英独両国とも、ここ半年の国民をいかに納得させるかが彼らの演説にかかっていると言ってもいいと思う。誠実、ていねい、謙虚な態度がその言葉に表れるからだ。いかに日本の政治家が彼らに比べて不勉強または無能なのかわかるというものだ。ロシアの強力な武器天然ガス供給に欧州が屈したら、あとは日本とアメリカしか残っていないのだ。来年の春にはロシアが歴史始まって以来3度目の勝利を得ることになる。最初が対ナポレオン戦争、次が第二次大戦での対独勝利、三度目が今回の対ウクライナ、欧州連合戦争である。書いているうちにエリザベス女王がなくなったというニュース、こちらはまちがいなく国葬で行われるはずだ。運も実力のうちというが、岸田政権も安部の国葬の意義などはまた薄れてしまうだろう。また一段と批判が高まるはずだ。
2022.09.07
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は案外と多いわたしの場合は。まず運動である。若いころは運動神経が鈍いと自負しただけあって体動かすのは嫌いだったし、先天的な強度の近視だったからメガネをかけていて、このころはレンズはガラス製、縁は鉄製またはべっ甲で、重いか高価かどちらかだった。メガネは貴重品で当時はかなり高かったと思う。したがい、サッカーや野球などの球技は絶対にご法度、危なくてできなかった。参加してもなるべく球が飛来しないポジションに居た。今はまったくの無職だから、何かしらやらなければ体に悪いと思いつつ、なにかもっとも効率のいい運動はないものかと思案していたところに、テレビで電柱間疾走てのがあった。電柱はおよそ50m感覚で立っているから、その間を走ったり歩いたり繰り返すのである。純粋な散歩ではかったるいし、消費カロリーも低いだろう。まずやってみたら、すぐに電柱間50mでは短すぎ、2本ごと三本ごとに伸びていまでは角から角へ走り切れるようにはなった。それで走って弛緩を繰り返し、深呼吸も自然にできるし、有酸素運動ともなるし、しかも短時間で済むというのが気に入った。計算するとほぼ同じカロリーを消費するのは2時間の散歩に相当するらしいから、それを1時間たらずでできるのは時間の節約でもある。それにはまず形からということで、スニーカーを二足買って交互に履き、コースも少しづつ変えていく。時間は朝飯前と就寝前と決めた。なぜなら昼間は人や車が多くてよけるのも面倒だし、だいたい知人に会ったら恥ずかしい。「あのじいさんそんなに長生きしてえのか」と思われるのが嫌なのだ(笑)もう始めてから一か月たつが、体重は70キロオーバーから65キロ弱まで減った。腹もだんだん引っ込んだが、残念なことにいったんたるんだ皮膚はしわとなって残っているのが玉にきず、これ以上のことは望まないことにした。モットーは決して目標を立てないこと、たとえばあの角まで走ろうと思っても手前でやめてしまう、これが自分を保つコツだと思う。今日は足が重いなあと感じたら短時間で引き返す、調子がいいと思ったら長躯2キロぐらい徒歩疾走を繰り返す。早朝は同じような走る人たちが多いが、若い人は例外なく、すれ違う時にスピードを上げる。これって見栄はりなのだろうか。お年寄りでもわたしのような徒歩疾走でなく、疾走だけで走りきる人もいる。そんなお年寄りは例外なく体重がいかにも軽そうな小柄な体である。車で言えば軽自動車でエンジンも小型だから持続力があるのだろう。わたしは身長164㎝だから、車の例えで言えばシャーシー(骨格)にふさわしい体重はいまぐらいではないかと思う。今では朝起きるとコースを考えている自分がいる、変な癖がついたものだ。
2022.09.05
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