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「生き方」コンセプトの時代・つづき 2006.2.26.先週に引き続き「生き方」がコンセプトになる時代について、私自身の経験、事例を含めいくつか取り上げてみたい。今日あるブランド創業者の多くはその時代には奇人・変人と言われ、ある意味では非常識な経営者であった。おそらく言葉として社会の表舞台に「非常識経営」として取り上げられたのは、私の知る限りにおいては「ジョイフル本田」と思う。ジョイフル本田はいわゆるDIYを中心とした郊外型のホームセンターであるが、一般の小売業から見ると死に筋商品を山のように品揃えをしている。例えば、ネジ、釘、ビス類の種類が豊富でしかも全てバラ売りである。他の企業が排除した商品をきちんと品揃えすることによって結果として死に筋を売れ筋へと蘇らせているのである。5円のビスをバラ売りすることによって”あそこなら必ずある”という独自な「目的来店性」を創造している。POSは判断を誤らせると言い、”昨日100個売れたからといって今日100個仕入れても、今度は300個欲しいというお客さんが来るかもしれない。だいたいPOSは売っていない商品のデータは絶対出してこない。・・・売れ筋を追いかけると、店はどんどんつまらないものになってしまう”と言う。こうした非常識経営の中でも特筆すべきはカー用品の「オートウエーブ」であろう。顧客サービスは駐車場から始まっていると「社員自らが駐車場への誘導を行い、雨の日には傘をもって駆けつける」、そんな表面的には非合理的非経済的に見える経営である。オートウエーブの広岡会長は社員の人間的成長が経営を支えると考えマニュアルは一切なし、自らの経営への「生き方」を時には徹夜で1対1で対話するという。こうした経営を広岡会長は「数字に表れにくいお客様の感動への先行投資をいかに決断できるかが経営である」と語り、そうした経営を「思いの経営」と呼んでいる。見えない顧客の心の内側へと思いを馳せるのはジョイフル本田も同じである。売っているのはモノではなく、たった一人の顧客に向けた感動であり喜びの創造である。そして、既に亡くなられた和菓子の「叶匠壽庵」の創業者芝田清次さんもそのお一人であろう。コンセプトというか、経営理念という言い方になるかもしれないが、徹底して「美しい商道」を追求した方である。勿論、美味しいお菓子でありアートと呼べる世界を取り入れたパイオニアである。今や観光名所となっている哲学の径の店には季節のうつろいが感じられ、パッケージデザイン、ネーミング、ディスプレイは日本の美の結実と思う。確か1980年台半ばであったと思うが、直接話しを聞く機会があり、今でも鮮烈に覚えている話がある。芝田さんは太平洋戦争に従軍し満州で片目を失い日本に戻り、その戦争体験を踏まえ「美しく生きる」ことをビジネスとし和菓子の専門店をスタートさせる。お話の中心はパリの菓子博覧会で優秀な賞をいただいた菓子職人の話であった。彼は身体が不自由でうまく接客できないでいたという。当時は、1号店を大阪梅田の阪急百貨に出店し、間もない時期である。職人も売り場に立って接客もこなす状況とのことであった。芝田さんは、うまく接客できないその職人にこう言ったと話されていた。”自分たちが創った商品をお買い上げいただいた思いを伝えたいのならば、ただ一つお客様が見えなくなるまでお辞儀をしていなさい”と。商品だけでなく、あらゆるものに対し美しくあれ、ということであろう。後日、阪急百貨店の方に聞いた話だと、小さな坪数であったが年間20数億の売り上げを上げたとのこと。今回は3人の経営者を取り上げてみた。そこには「生き方」という文化を企業経営としてどう商品化、サービス化、現場化させているか、という事例である。企業にモラルや道徳の欠如が問われ、モノがますます類似化していく時代にあって、唯一「違い」を創造できるのはこうした「文化」であり、最大の競争力であると考えるがいかがであろうか。
2006.02.26
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「ヒット商品応援団」からのお知らせ 2006.2.23.昨年11月から具体的に応援団活動をしてきました。わずか3ヶ月程の活動ですが、ヒット商品への「確信」と新たな「課題」もまた生まれてきました。そもそもヒット商品応援団というネットワーク型プロジェクトをつくる契機となったのは、「快眠」をテーマに日本を代表する企業に集まっていただき共同研究を行い、小さくてもコトを起こし新たな市場創造を行う活動でした。一言で言えば、眠りは生命活動であり、住まいから始まり、寝具、食に至るまで多くの要素が関係しているテーマです。1社だけでは解決できないテーマであることから各専門企業に集まっていただいた訳です。詳細は明らかにできませんが、この共同研究から参加企業が運営している広島のホテルでテスト活動を行い、予測以上の良い結果(=部屋の稼働率アップ)が得られ経営自体が良くなった経緯がありました。ここから、各分野の専門企業の力を集めることによって、新たな市場創造が可能であることを実感した訳です。もっと簡単に言えば、まだまだ日本にも知らない商品があり、あるいは商品名を変えたり、流通先を変えたり、場合によっては市場(お客様)を変えればもっと売れるのに、と思って立ち上げた次第です。そして、具体的なヒット商品応援団というプロジェクト活動をスタートさせ、この3ヶ月間で2つの出会いがありました。鳥取米子の「おからこんにゃく」メーカーと沖縄糸満の「まちづくり市民会議」の方々でした。共に共通していることは、都市生活者にとって「ほとんど知らない存在」であり、流通をはじめとした多くの企業の力を結集しコトを起こせば、新たな市場創造は可能である、との確信でした。そこで、「食」をテーマに”More Healthy”をコンセプトにした呼びかけのホームページへとリニューアルいたしました。ヒット商品応援団ホームページ/http://homepage2.nifty.com/iizuka-takashi/是非一度このコンセプト世界を見ていただきたいと思います。そして、現在抱えている問題をお便りください。メールレベルですがサジェッションさせていただきます。現在進めようとしている具体的なテーマやメニューに合致する場合は新たなコラボレーションビジネスとしてセットアップさせていただきたいと考えています。ヒット商品応援団長 飯塚敞士
2006.02.23
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「生き方」コンセプトの時代 2006.2.19.ここ数年、ヒット商品には2つの大きな傾向が見られる。その一つはコンセプト的言い方をすれば「生命力」コンセプト商品である。コエンザイムQ10を始めとしたアンチエイジング商品はもとより、安心ということもあるが地産地消・旬という最も生命的世界をそのまま取り入れる食の傾向、あるいは今流行のヨガブームも生命リズムの根幹をなしている呼吸法そのものと言っても間違いではない。この生命力コンセプトへの着眼は後日にするとして、もう一つの傾向が「生き方」コンセプト商品である。このブログでも何回か取り上げた「野の葡萄」の代表である小役丸さんの考え方・生き方、そのままのコンセプトが自然食レストランとなり行列の店となっている。古くはラーメンブームの火付け役も「ラーメンに対する生き方」、ラーメン道であった。20世紀型の大量生産大量販売、規格標準品、といったモノ世界を卒業した生活者は作り手の考え方、こだわり、技、経験、固有性、平易に言えば”あの人だから”を求めている。そこには単なる「私が作りました」という記銘性を超えて、「生き方」としか言いようの無い世界への共感が見て取れる。そして、あのように生きてみたいと、若い世代の弟子入りが増加中と聞いている。我々の先生であるP、ドラッカーも「どんなビジネスも徒弟制度である」と言っているが、特に日本においては「道」を究めるとした精神性、生き方となっている。今、私達は個人化社会の中に生き、生活している。ある人は個人化社会とは孤独化社会であると言っているが、まさに至言である。今、「ひとりぼっち」を背景に様々な商品やサービスが続々と生まれている。占いブームは更に進展し周知の「オーラの泉」現象が起っていたり、相田みつお美術館では毎朝メールで詩をケータイ配信するサービス(http://www.mitsuo.co.jp/museum/mobile/index.html)が若い人の隠れた人気サービスになっている。こうした孤独な精神化された市場とは、誰かへの「共感欲求市場」であり、その中心には「人」がいて「生き方」がコンセプトとなる市場のことである。勿論、過去もそうした事例はあった。ソニーの創業者お二人は「人に真似される技術を創れ」と技術者魂を語りバトンタッチされブランドの中核をなしている。今は規模の大小を問わず、創業の魂、生き様が人の共感を呼んでいる。最早、テクニックや知識だけでは人の共感を得ることができない時代になったのだ。生き方として社会や顧客に役に立とうとするアイディアと知恵が求められている。孤独な時代にふさわしく趣味等のクラブが盛んだ。しかし、私はそこには新しい発見も心ときめくこともないと感じている。常々私は”沖縄が好きだ”とこのブログでも書いているが、単なる趣味で沖縄を見ているのではない。好きな村上龍さんは次のように分かりやすく言い切っている。”現在まわりに溢れている趣味は必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。・・・だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。”(村上龍「無趣味のすすめ」ゲーテ創刊号より)「生き方」はどんなに演出しようが操作しようがいつかは嘘と見破られてしまうものである。最近の話題で言えば、東横インしかり、ヒューザーしかりである。次回には、この「生き方」がどのように商品化・サービス化されているかをテーマとしてみたい。
2006.02.19
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新たな視座と工夫 2006.2.12.今週から再度ヒット商品開発への着眼についてコメントしたいと思う。既に忘れ去られてしまった感があるが、昨年夏頃に注目された商品に「こどもびいる」がある。福岡市のもんじゃ焼屋「下町屋」(http://www.monjayaki.com/)が飲料「ガラナ」のラベルを「こどもびいる」に張り替えて出したところ、人気メニューになり、話題となった商品である。子供向けビールを謳いながら、大人買いも狙った清涼飲料水。いわゆるガラナジュースなのだが、結構美味しい。そこには小さな笑いと洒落があり、お酒を飲めない人へのセンス良い遊び感覚が溢れている。「こどもびいる」を製造しているメーカーのメニューもしゃれている。「こどもびいる」(わいわいセット) 価格\3,780(税込み)こどもびいる9本、こどもおつまみ2セット、大ジョッキ1個のセットです。とある。ビールのような泡立ち等技術面での工夫がなされたということであるが、ここには発想の転換による明確なコンセプトと伝え方がある。ビール好きに対し、運転等によるアルコール摂取がかなわない時用にノンアルコールビールがあるのに、何故飲めないこどもや女性達に「アルコールが持つ楽しい雰囲気やスタイル」がないのであろうか、と考えるのは至極当然である。結果として、1本270円と結構高い価格でも喜ばれている。モノとしての飲料だけでなく、笑いやお洒落といった無形のものに価値価格化がなされた良い事例であろう。「サプライズ」は小泉さんとホリエモンの専売特許であるが、小さなサプライズ、くすっと笑える、コジャレタ、センス良い着眼・アイディアが日常商品の中に求められている。今バレンタイン商戦の最中であるが、従来のチョコレートとは異なる商品化が進み「学習」するには良いケーススタディとなっている。例えば、幻の焼酎が入ったボンボンチョコレートから始まり、和ブームの延長線上には抹茶入りや餅・あんこを使ったチョコ、ほとんどアートに近いチョコスイーツ等。変わったところでは「変なチョコ(へなちょこ)」コーナーが作られ唐辛子チョコやカップ酒パッケージに入ったチョコ等、思わず笑ってしまう多様な商品が並んでいる。キーワード的に言うと、「ホットする」「くすっとする」「笑ってしまう」「エ~こんな!」・・・・・全て「こころが和む」商品化である。勿論、モーツアルト生誕を記念してダイヤをちりばめた5億円のチョコレートが日本橋の百貨店にて売られている。こうした「サプライズ」商品も話題になって買う市場・顧客がいることも周知している。しかし、大きな意味での時代傾向としては、言葉にならない不安感を持っている時代の只中にいる。 変化を実感しながらも将来の展望がなく、不安を抱きながらも危機感を持つことができないでいる。そんな訳の分からないと感じる時代にふさわしい「和み」商品達がヒットしている。
2006.02.12
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情報の罠、つづき(3) 2006.2.5.ライブドア事件に対し日本のメディアは「時代の寵児」から反転して、「堀江式錬金術の犯罪」へと大きく変節(変化)し、その豹変ぶりについても議論が分かれている。長年、マーケティング実務をやってきた私にとって、ホリエモンへの司法判断や脱法的ビジネスへの良否を別とすれば、「情報」の本質を良く理解し使ってきたと思っている。こうしたメディア社会の特徴理解はホリエモンだけでなく、小泉さんも同様であり、多くの成功ブランドもまた同様であると考えている。私は生活者調査を多く手がけてきたが、ここ10年位の生活者心理は見事に「揺れ動く」心理そのものであった。「好き」「嫌い」、「カッコイイ」「カッコワルイ」、「正しい」「間違い」、「買う」「買わない」・・・・まるで振り子が揺れるような心理状態であることが調査結果から得られていた。その揺らぐ源は「情報」にあり、通販などの返品理由の60%以上が”その時は良いと思ったから”という理由であり、時間経過と共に”そう思わない”情報によって全く逆の返品という結果になってしまう。ある人はそうした心理状態を指して「第三の心理」と名付けている。今、四六時中ライブドア事件がメディアに取り上げられている。この事件におけるモラル、倫理の問題については1月のブログにて既に指摘をしてきたので敢てここでは取り上げないことにしたい。ここでは、こうした揺れ動く心理状況と「情報」についてテーマとしたい。ホリエモンにとっても小泉さんにとっても「先ずサプライズありき」で興味・関心を一点に集中させる。いわゆる社会的事件の創出であり、それが総選挙へ向けた「記者会見」であり、一方は「近鉄球団の買収」であった。そして、自ら「舞台役者」となってメディアへと頻繁に登場する。その背景にあるのは「世論・支持率」であり、「株価」であった訳である。ある人はライブドア事件に触れて、ホリエモン逮捕がピークで、徐々にニュースは減少し初公判にはまた少しアップするが判決が出る頃にはほとんど忘れ去られている、と情報の在り方(ジャーナリズムの在り方)について警鐘をならしている。こうした「心理市場化」という市場傾向は従来のマーケティングも大きく変えてきている。「情報」をどう生活者へと到達させるかが最大課題となり、洪水のような情報の荒波にあって「情報の違い」を求める傾向へと進んできた。つまり、更にインパクトある情報へとエスカレートし、サウンドバイトやバイラルマーケティングといった方法がここ数年取られてきている。伝える「情報(内容)」には虚偽はないが、伝え方(手法)によってはグレーゾーンに入ってしまうこともある。その結果、商品のライフサイクルは年々短くなり、わあ~と売れて、ぱたっと止まる市場傾向が強まっている。それはマーケティングにとって長年のテーマとなっている「ベストセラー」か「ロングセラー」かという課題でもある。勿論、例えばカタログハウス「通販生活」のように絞り込まれたコンセプトによる商品化は小さなマーケットではあるが、見事にロングセラーとなっている。通販という企業と読者が互いに「顔」が見えない業態であるが、カタログハウスでは顔が見えるように会話できるように努力を重ねている。その一つが「お便りありがとう室」の活動で、問い合わせや読者からの指摘等に対しては一人ひとりに丁寧に手書きのはがきで答えている。カタログといういわば「情報販売」であるが故に、まるで対面販売であるかの如くコミュニケーションをしている訳である。ここに情報の罠にはまらないヒントがあると思う。揺れ動く心理市場にあっては、右に大きく揺れれば、その揺り戻しもまた大きいというのが情報の時代である。心の「揺れ」を小さくするもの、それはポリシー、志、理念であり、カタログハウスにおける「お便りありがとう室」のようなコミュニケーション、つまり絶えざる丁寧な個客との対話にあると考えるがいかがであろうか。
2006.02.05
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