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ヒット商品応援団日記No127(毎週2回更新) 2006.12.24.年末近くになり、マスメディアは一斉に2006年を振り返り始めた。ライブドアに捜索が入ったのは1月であったが、遠い過去のように思える。次々と新たな情報によって上書きされていく時代だ。過去を振り返ることはあまり好きではないので、振り返らないが、情報が行き交うスピードは年々速くなっていくと感じている。マーケッターとして、トレンドの状況をある程度は追いかけるが、常に立ち返る場所がある。それは、コンセプトは何か、掲げるポリシーはどうか、という問いである。そして、それらは生活者にとってどんな意味を持っているのか、という問いかけでもある。1週間前に「2006年ヒットの読み方」でヒット商品の視点、視座として「知」について書いたが、その「知」のあり方、特に情報と知についてふれなかった。本格的に情報を集め、分析し、一つの私見を述べたかったのだが、今年最後のブログということから、私自身の宿題のつもりで書くとやはり「Web2.0」というテーマである。現象面で言えば、「yutyubu」になるが、ヒット商品という言い方をすれば来年あたりには大ヒット商品としてマスメディアも取り上げざるを得ないことになると思う。ただ、ネットの世界だけでなく、日々の生活を送る地域文化共同体、コミュニティにおける「Web2.0」はどうあるべきか、未だ表に出て来ていない。おそらく、私が知らないだけで、どこかの地域で行われているのかもしれない。あるいは地域ブランドといった矮小化した形で伝えられているのかもしれない。いずれにせよ、マスコミが取り上げない情報が否応なく表に出てくる時代を迎える。ブログが1000万を超えると思えば、広告に代わって「やらせ」や「恣意的」ブログが急速に増え、一時期の「2チャンネル」のような喧嘩も出て来ている。しかし、そうしたブログは継続できないと思う。意見や価値観の違いはあって当然で、まともな対立は「yutyubu」のようなメディアを使って行われると思う。政治的あるいは社会的なことばかりでなく、ヒット商品をネット上で生むために、既に数多くのやらせブログが存在していることも知っている。しかし、そうした商品も長続きはしない。ヒット商品には明確なポリシーのもとで、顧客貢献する何かを持ち、魅力的なコンセプトとなっている。その魅力の広がりの先に社会貢献もある。2007年は猛スピードで駆け抜ける情報に「真」があるのか、それは「信」足りうるのか、見極めることのできる年となる。2006年、私たちは、情報の偽装、偽計、粉飾、うわさ、やらせ、といった情報体験を積んできた。そして、マスメディアが取り上げない、誰も知らない埋もれた商品が表へと出て、ヒット商品が生まれる。そんなポリシー&コンセプトの競争という本当のマーケティングの時代を迎えると思う。いや、そう願っている。この一年、堅苦しいコメントをお読みいただきありがとうございました。
2006.12.24
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ヒット商品応援団日記No126(毎週2回更新) 2006.12.20.最近、新たなテーマに取り組んでいるので気がそちらに向いているせいか、なかなかこのブログに集中できていない。書きたいことは山ほどあるのだが、思考が中断してしまう。構えず、楽に書こうというにはチョット重たいテーマだが素直に感じた点を書いてみたい。先日、日本漢字能力検定協会が募集した2006年の世相を象徴する「今年の漢字」が「命」にきまり、京都清水寺で発表された。漢字一文字ということと根源的な言葉なのでいかようにも読み取れるが、2006年の社会的事件である「いじめ自殺」や「福岡での飲酒運転による幼い子供の死」、更には「幼児虐待死」といった悲惨な事件、一方では悠仁さまの誕生や「崖っぷち犬」といったところによるものが大きかったからと思う。命という言葉を少し考えてみたいと思うが、生命では生物学的になってしまい、命は身と心を踏まえた言葉であり、正確に言うと、一文字にはならないが受け止め方としては「いのち」とした方が良いと私は考えている。「崖っぷち犬」をマスコミが大々的に取り上げ、全国から引き取りたいという善意の問い合わせが殺到したと聞いている。一方では全国最低の生活、行政サービスとなった夕張市と同じように「崖っぷち犬」を取り扱うマスコミはおかしいという意見も寄せられている。人と犬とを一緒にするなという意見である。ところが、その「崖っぷち犬」のいた場所に次々と捨て犬があるという。これが実態と言えば実態であり、「いのち」に対する価値観、物差しはバラバラになっている。今年の年頭に、「異なる価値観が衝突する混乱の一年になる」と書いたが、最後の最後まで、そのような時代になってしまった。個人化社会とは孤独化社会であり、いじめのような個と個の衝突化社会である。ネガティブに言えばそうなるが、ポジティブに生死の「生」という視点でとらえれば、個は自由の時代であり、個と個がコラボレートすれば新たな創造的世界も生まれる時代だ。ちょうどこの時期は2007年の予測ばやりであるが、予測は当たらないというのが持論の私であるが、命の年を踏まえていうと、生というポジティブな世界が少し拓けてくるような気がしている。不安、死、切り捨て、無視、偽装、偽計、嘘、こうした言葉が行き交った年であったが、この言葉の反対の世界、希望、生、共、対話、本当、といった明日への芽が出てくると思う。勿論、ビジネスも不安を語るのではなく、希望や夢を語る時代へと少しづつ向かっていく。夕張市についても、映画フアンのNPOも動き始めたと聞いている。東京23区では来年から小学校のコンクリートで覆われた校庭を芝生にすると聞いている。私たち団塊世代の頃の野原であり、いじめ問題も間接的には解決へと向かうと思う。こうしたコンクリートや情報という重ね着した「近代の洋服」を一枚一枚はぎとっていく時代を迎えると思う。(続く)
2006.12.20
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ヒット商品応援団日記No125(毎週2回更新) 2006.12.172006年度のヒット商品についていくつかレポートが出てきた。三井住友のコンサルタント会社SMBCの発表では、任天堂DS、mixi、ダ・ヴィンチ・コード、ワゴンR、TSUBAKI、植物性乳酸菌ラブレ、薄型テレビ、オシャレ魔女ラブandベリーといったところを挙げている。多くの人は「先端技術商品」という言い方でヒットの理由を説明しているが、私は少し異なる見方をしている。周知の任天堂DSは「脳を鍛える」ソフトという知的ゲームソフトである。ダ・ヴィンチ・コードは「謎解き」映画である。オシャレ魔女ラブandベリーは小学生の女の子がダンスや着せ替えをして遊ぶカードゲームである。上位のヒット商品に共通なものは、子供から大人まで、ある意味で「知」を遊ぶ商品である。mixiも安心を確保した「知」のネットワークとも言える。こうした「知」そのものを遊んだり、「知」を感じさせる商品は、日本の生活者の多くの体験学習の結果だと思う。成熟顧客、大人化という言い方ではなく、「知」の欲求商品・サービスといった方が正確である。今年の流行語大賞に選ばれた「品格」にも通ずるものだ。9月に「知の旅観光政策」をテーマにブログで次のように書いた。『いわゆる「散歩ブーム」であるが、外見上は散歩に見えるが、中身はと言えば「知の遊び」「知の冒険」である。・・・・・・・・・以前、このブログでANAの「旅割」という時間帯による割安料金について書いたが、旧国鉄時代からのロングセラーきっぷ「青春18きっぷ」も「小さなふしぎ発見」の旅に活用されると思う。この「青春18きっぷ」は期間が決まっており、その期間中は特定路線が混雑するといわれているが、団塊世代が一斉に第二の人生を歩む2007年以降はこうした混雑は「日常」となる。』旅をテーマに書いたものだが、生活の中に知性を感じさせる、知的な商品で埋め尽くす時代を迎えることになる。以前、生命美についてふれたが、知性美も時代のキーワードになっていく。団塊世代が消費の中心になっていくが、アンチエイジングと共に、知性美にスポットライトが浴びることになると思う。ここ数年ファッションを含め、「違い」という個性を求める時代潮流があったが、競争市場の視点に立つと、「知」の競争、どんな「知性」かの競争が中心となる。資生堂のヒット商品TSUBAKIも知性美商品であり、「知」を競い合う時代だ。従来のスタイル、コーディネーション、歩き方などの競争、それらは全て「外側」の競争で、「内側」、知性の競争へと向かう。好きな言葉ではないが、格差という視点に立てば、「知の格差」も生まれてくる。これは学歴のことを言っているのではない。どことなく、雰囲気として内側から醸し出されてくるもので、モノを買ったからすぐにそうなれるというものではない。大きなブームにはならないが、知の大学習時代を迎えると思う。(続く)
2006.12.17
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ヒット商品応援団日記No124(毎週2回更新) 2006.12.13このブログを読んでいただいている方の多くが今後の景気について関心があるので、ちょうど来年度の政府予算案が作られつつある時なので、景気(世の中)と生活者経営(消費)について考えてみたい。報道による限り、来年度の政府予算案の中心は企業減税である。800数十兆の借金を背負った政府にとって、経済成長による法人税増収にウエイトを置こうとしているようだ。以前、いざなぎ景気と今回の景気とを比較したので繰り返すことはしないが、日本のGDPの60%近くが消費によることを考えると、ここ当分は消費面での景気の活性は望み得ないと思う。これが結論である。というのも私たちマーケティングを専門とする人間にとって、必ず目を通す基礎情報に総務省が出している「家計調査」がある。これは毎月家計の支出内容をミクロデータとして公開されている報告である。小売業の売り上げがマイナスであることは前回書いたが、同様に家計支出も10ヶ月連続してマイナス(前年同月比)である。日銀は天候不順を主要な理由としているが、これは表向きの公式発表にすぎない。当たり前のことで、収入が増えない限り、消費は伸びない。グローバル競争下においては、人件費抑制に走らざるを得ない状況で、ごく一部の企業だけが「人」が経営にとって大切であることから労働配分率をアップしているにすぎない。ただ、企業業績が良いことは事実で、雇用者数(人件費の支払い総額)は増加しているものの、正社員の人件費はほぼ横ばいという状況だ。但し、正社員でも成果報酬制度により、格差がまた正社員の中でも生まれている。更に、今月支給されたボーナスの使用についてもその多くは貯蓄もしくは投資に向けられると経済アナリストは分析している。消費は、将来の収入に対し、楽観的であるか、悲観的であるかによって決まる。昨年の株式市場は約4割ほど株価が上昇し、それなりに投資家は恩恵を受け消費に回っていた。しかし、今年の株価はライブドア事件もあり横ばいといったところで、米国の景気が大きく上がる要素もなく、来年日本の株価が上がる要素は少ないと考えられている。また、将来間違いなく消費税がアップすると多くの人は考えており、老後の年金も不確実である。2007年問題という団塊世代の大量退職に代わって、多くの若い人材の採用という明るさがある反面、1990年前後に採用された人材が重荷になっており昨今の「ホワイトカラーエグゼンプション」の採用によって人件費の抑制をはかる企業の動きもある。つまり、1990年代半ばまであった「総中流意識社会」は完全に消滅したと見なければならない。よく言われている二極化した所得格差、消費格差はこれからも拡大していくと思う。というのも冒頭取り上げた「家計調査」の対象世帯には、いわゆるフリーターなどの単身世帯が入っていないため、数字以上に消費が低迷していることが考えられる。更に、夕張市の破綻のように特に地方と都市との格差は更に実質的に広がると思う。正確なデータを取っていないのでこれは推測であるが、地方の地銀や信用金庫の不良債権処理が進まず、貸し出し抑制が強まり、個人、零細・中小企業の倒産が進んでいると聞いている。増々、都市と地方との格差が大きくなり、更に消費面に現れてくると思う。こうした自己防衛的市場が拡大していく対応であるが、キーワードは「小」だと思う。例えば、従来は量やサイズを半分にしていたが、1/4へ、場合によっては1/8へと変えていくことだ。時間サービスもスペースについても同様である。全てを今より小さくし、消費の「入り口」を広げることである。例えば、1個400円のスイーツを売っていた場合、小さくして3個300円セットで2人に売る工夫である。当然手間がかかるが、この時代の自己防衛市場を突破するには当面こうした方法しかない。(続く)
2006.12.13
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ヒット商品応援団日記No123(毎週2回更新) 2006.12.10.ここ1ヶ月ほど一つの時代を創り、今なお革新し続けている経営者と会い、経営に関する多くの知恵やアイディアを享受させていただいた。今も行列が続く「野の葡萄」代表の小役丸秀一さん、創業明治元年琵琶湖堅田でボートづくり「桑野造船」の代表を引き受けた古川宗寿さん、老舗ばかりの和菓子の世界で理想を追い求める「叶匠寿庵」代表の芝田清邦さん、あの渋谷109でカリスマ販売員というキーワードを一般化させた「エゴイスト」代表の鬼頭一弥さん、そして来週中には祈りの経営を東証1部に上場させる「ダスキン」代表の伊東英幸さんとお会いすることになっている。業種も企業規模も全く異なるこの5社、5人であるが、共通していることが一つある。全て革新者であるがその革新を実現するための「人づくり」が共通していることだ。この5社、5人については書籍という形で皆さんにお知らせできると思う。ところでその一人であるエゴイストの鬼頭さんと一昨日お会いした。私が会いたいと無理を言って時間を作っていただいたのだが、アポイントの電話を入れたところ11日から22日まで全国を回るのでその日以外でしたらと快諾してくれた。その理由を聞くと、「500人にもなるショップスタッフとは顔を会わせることが少なくなり、せめて賞与のとき位は直接会って声をかけて渡したい」と答えてくれた。マスコミという表舞台にはなかなか現れない人物で、表に出てくるのはエゴイスト=カリスマ販売員である。渡部加奈さん、森本容子さん、中根麗子さん、そして熊谷真帆さん、と歴代のカリスマ販売員については若い世代は周知で、こうした人材を輩出した経営リーダーである。業界の人からはエゴイストは人材養成所ですねと言われると笑って答えてくれた。エゴイストを知らない方がいるかと思うので、若干そのプロフィールを言うと、・1994年にエゴイストを創業、当初はインポート物のセレクトショップとして運営。・1996年頃、韓国のテキスタイルと工場に着目。・1998年、初代カリスマ販売員である渡部加奈さんと今日の生産、販売などのスタイルを確立。・1999年9月にギネスにのる前代未聞の17坪弱の店で月商2億8万円を販売する。そして、私もそうであるが、多くの注目が、渋谷109とエゴイスト・カリスマ販売員に集まったと言えば多くの人は思い出すと思う。話の中で多くの示唆を頂戴したのだが、2つ印象的なことがあった。一つは、ハングリー、どん欲さである。ギネスにのる新記録についても月商1億9999万では駄目で2億1万にしなければ意味がないと答えてくれた。それは、売り上げという数字ばかりか、あらゆることに渡っている。お金へのどん欲さというより、目標という生き方のどん欲さである。そうした生き方がスタッフに浸透しているから、ギネスブックにのるような結果が得られたのだと思う。もう一つが素直さである。私の話にも興味深く聞くといったこともそうであるが、現場スタッフ一人ひとりに対しても同様である。年2回直接会って賞与を渡すのだが、その時様々な事情で来月辞めるんですと言われるのが一番つらいと話す。自ら、年齢もそうだが皆のお父さんですよと笑っていた。まるでエゴイストという会社は鬼頭ファミリーのようだ。今、次への革新、チャレンジの準備中と話してくれた。次なる夢経営、革新は続いている。どん欲さとはある意味で厳しさでもあり、また自分一人では何も出来ないという自戒と人への優しさだ。エゴイスト代表鬼頭さんに厳しさと優しさを感じたのだが、ファッションを通じて人をきれいにして上げたい、そんなスタッフにも幸せになって欲しいという「人間大好き人間」が鬼頭一弥の本質だと思う。(続く)
2006.12.10
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ヒット商品応援団日記No122(毎週2回更新) 2006.12.7.少し前に「標準語から方言へ」というテーマで、日本語の発展歴史についてふれた。この文章を書かせた背景には2つの理由があった。1つは標準語というグローバルコミュニケーションとローカルコミュニケーションという2つのコミュニケーションを必要とする時代に入っているという認識だ。もう一つはローカルコミュニケーション、日本語あるいは方言についての理解があまりにも不足、いや大切にしないまま現在に至っているという指摘であった。「文化」や「文明」とは文字通り「文(字)」を前提とする。中国からもたらされた漢字文化と共に、日本固有の文化の源である「ひらがな」によって日本文化は発展してきた。この「ひらがな(平仮名)」は万葉仮名を徹底的に書き崩し、一筆書きといわれるような次々と書き下ろすような文字が生まれた。その担い手は女性であったということだ。そして、話し言葉と書き言葉がほぼ同一という点である。これは私の勝手な解釈であるが、このひらがなによって、微妙な表現、季節の移ろいやこころの情感といった固有な文化を創ってきたと思う。行間とか、間とか、といったうまく表現できないような繊細な世界を創ったのである。だから、以心伝心という言葉も生まれてきた。ひらがなが古今和歌集をそのスタートとし、恋愛や季節をテーマに使われてきたのもこうした背景からだと思う。ところで何故こんな背景を書いたかというと、このブログでも何十回となく使ってきたキーワードに「心理市場」がある。豊かな時代にあって、こころが情報によって揺れ動く市場のことである。前回書いた神経過敏市場も、こころのデドックス要請についても、こうしたこころのあり方が極端へと走ってしまう市場である。言うまでもなく規律や法令と、道徳や思いやりは別物であるがどちらかが欠けても日本社会は成立しない。ビジネスという側面から見て行くと、ある意味で人と人とが関わる小売業などは「ひらがなの世界」で、企業間取引といったことは「漢字の世界」になると思う。意味が若干異なるが本音と建前といった言葉も該当するだろう。今、マナー、倫理、モラル、あるいは本音といったこころの世界、ひらがの世界と、論理、理屈、合理性、マニュアルの世界、デジタル世界といった漢字の世界がうまく調和していない混乱の時代だということである。例えば「癒し市場」であるが、何によって癒されるのか、私は「ひらがなの美学世界」だと考えている。キーワード的にいうと、隙間、ゆとり、空白、ゆるみ、日常、小、はなし言葉、道草、といったところである。今年の流行語大賞となった「品格」はまさに「ひらがなの美学世界」そのものである。日本は「情緒と形の文明」と著者の藤原さんは書いているが、ひらがなを形にするという着眼、美的感性である。「なにもなにも、ちいさきものはみなうつくし」といったのは清少納言であるが、そうした「余白美」「ミニマム美」。柳宗悦がいうところの「難なき状態より讃うべきものはない、静謐の美こそ最後の美」という「平常美」「普通美」。そして、何よりも、四季折々、自然の変化を美と観じる「風土一体の美意識」。ひらがなの美学を理屈っぽくいうとこのようになる。1年ほど前に、ヒット商品着眼で「こどもびいる」を取り上げたことがある。ガラナジュースにビールのような壜でこどもびいるというラベルの貼ってある”くすっと笑える”ジュース飲料である。小さな笑いをとる品のある商品であるが、こうした商品もある意味で今日におけるひらがな美学の商品化と言える。こころの機微をどうとらえるか、その美的感性が問われている。このひらがなの美学はメガヒット商品を生み出す世界ではない。話題にのぼらないような小さなヒット商品があらゆる分野に無数に現れてくる。いつしか、時代の価値観、美学感性の底流となる。場合によっては、欧米でヒット商品となり、日本に逆輸入され話題になるだろう。(続く)
2006.12.07
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ヒット商品応援団日記No121(毎週2回更新) 2006.12.3.このブログを書いて1年3ヶ月になる。おそらく具体的に着目すべきマーケティングテーマ&方法は全体の50%位は占めていたと思う。その内、50%位は「こころ」の問題、生活者のこころの置き場所や揺れ動くこころの問題解決であったと思っている。そうした世界を心理市場と呼んできたが、経済を始め、都市と地方、情報の使用といった様々な格差を背景にマーケティングで解決できる世界をより複雑化させていた。これが素直な私の実感である。特に、東京と地方とでは市場として全く異なるもので、東京のように消費が生産であるようなあり方と、生産も消費もする地方とは異なる消費性向を見せる。セブンイレブンのおでんが地域によって味を変えたり、以前からそうであったが沖縄と本土の味は変えているといった違いではない。決定的な違いはそこに住む生活者の「こころ」のあり方である。都市化という怪物によるこころの疲れや場合によっては鬱といった病気にまで及ぶ精神的な市場の違いである。今から10年ほど前になるが、駅のショッピングセンターで来館者調査をしたことがあった。ちょうど顧客満足がテーマとなった時期である。数年間、定点観測したのだが、○○店の店員から睨まれた、あるいは無視された、といった「何気ないこと」へのクレームが年を追う毎に増えていった。一方、あの一言がうれしかった、名前を覚えていてくれた、といった小さな気配りに大きくこころが動かされた、といった感謝の声も同時に増えていった。その時の分析だが、気持ちが大きく購買を左右する心理市場へ入って行ったなというのが答えであった。良くも悪くもこころが大きく揺れ動く時代がやってきたということである。その時のキーワードが「敏感顧客」であった。バブル崩壊後も世帯収入は増えていくが、1997年をピークに以降からは下がり続け、金融不安があちらこちらで起こり、少年による凶悪犯罪も増加し、・・・・・不安の時代に入った頃である。こうした不安を背景に、あらゆることに敏感に反応する顧客が出現してきた訳である。そして、「敏感」は過剰な情報によって更に進み、神経過敏症顧客とでも呼ぶような一種の脅迫観念をもつようになってきた。特に、健康不安の場合などはサプリメント依存症のように「何か」に依存、頼る傾向となって現れてくる。例えば、都市女性=ひとりリッチ市場とは、反面孤独で何かに頼らざるを得ない市場である。つまり、消費面で旺盛にならざるを得ないということだ。勿論、そのこと自体は決して悪いことではない。しかし、オレオレ詐欺までいかなくても、「神経過敏症市場」に対し、不安を過剰に煽るようなことであってはならない。しかし、情報の時代にあっては、その動きを止めることはできない。「うわさの法則」でも書いたが、情報は勝手に「一人歩き」するのが本質である。しかし、この数年間多くの情報体験を通じ学習してきた。その学習結果得られたことは、情報発信者の徹底した「情報公開」と、自らの「体験実感」の必要性である。つまり、商品やサービスを提供する側はこの2つを徹底することだ。例えば、過敏症顧客を前にした時、あえて一定以上は売らないということも必要になる。特に、情報リテラシーといった情報を使いこなすための方法すらも提供しなければならない。そうしたことを含め、顧客にとって今「何」が必要なのかという、顧客主義の原点に立ち戻ることだ。(続く、今週は7日に更新します)
2006.12.03
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