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「もう30数年前になりますけど、甲子園で 優勝できたなんて、今でも信じられません。」 現在は街の小さな電気屋を経営している博史は当時を振り返る。 博史の通ったY高校は決して名門校ではなかった。 どちらかと言うと地域では進学校と呼ばれる高校で 甲子園大会の出場も創立60数年で一度もなかった。 練習も授業終了後の3時間だけだった。 1年生2年生の予選は、たしか1回戦か2回戦で負けたはずだ。 だから、3年生の夏の予選も 「1回勝てればいいかな」 と思っていた。 博史は、高2の秋からピッチャーだった。 「一番コントロールがいいから」 という理由でエースナンバー1を 普段は社会の先生の野球部長兼監督から手渡された。 1回戦2回戦と勝って、まさかまさかの連続で勝ち進んだ。 練習してなかったのが良かったかも知れない。 投げれば投げるほどタマが速くなった。 準決勝はノーヒットノーランで勝って、決勝も圧勝で甲子園出場を決めた。 甲子園でも誰も優勝候補なんて言ってくれないので 「今度こそ負けるぞ」 帰り支度をして旅館の女将さんに 「お世話になりました」 と監督も選手も大きな声でお礼を言って 甲子園口の旅館を出たのに、また勝った。 旅館に戻ると、女将さんも仲居さんも板前さんも 「あらまあ、また勝ちはったんやね」 と笑顔と拍手で出迎えてくれた。 そんな感じで毎試合帰り支度をして試合に臨んだ。 気が付いたら決勝だった。 当時はユニホームが一着しかなくて、 泥んこのユニホームで最後の試合に臨んだ 「今日こそ負けような。先生は・・うれしくて・・うれしくて ・・・みんなありがとう」 泣き虫の監督は試合前から涙をボロボロ流して ミーティングにならなかったし 「それいけ・・・それいけ」 ばかり叫んでメガホン振るだけで試合中もずっと泣いていた。 だから、サインはメチャメチャだし 選手の名前は間違えるし散々の采配だった。 でも、それが幸いしてか緊張なんか全然しなかった。 試合が終わって校歌を歌っても、 ひとり大きな声で泣いている監督に 気を取られて涙が出なかった。 最後の試合も勝って、初出場で初優勝だった。 でも、大歓声の応援団の中に今の女房を見つけ、 生まれて初めて博史は、うれし涙を流した。 博史は、それからプロ野球に入って3年で肩を故障して プロでは一勝もあげられずに引退する。 わずかばかりの契約金の残りで 祖父の代からの電気屋を改装して現在に至る。 先日、創立100周年を迎えたY高校は、 あれから30数年一度も甲子園の土を踏んでいない。
2003.12.31
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ホームページをネット上に公開して 1年間ほどになる大学生の浩介が 最近、メールマガジンを始めた。 週に1回日曜日、学校であった話や友達の間で 話題になっていることを、おもしろおかしく エッセイ調にまとめて送信する。 あっという間に300人も読者ができた。 「何万って読者のいるメルマガがあるけど 俺は、これで十分満足。俺の話を300人 も聞いてくれるんだよ」 大学の友達と話すときも、いつも、メルマガの 話で盛り上がる。 そんな浩介が、偶然見つけたのが大好きな女優の ホームぺージ、まさか返事は来ないだろうとメールを送った。 「なんと!エエエ・・」 ・・メールありがとう。これからも応援してね・・・ と短かったが、返事を見たときは天井に頭をぶつけるんじゃ ないかと思うくらい飛び上がって喜んだ。 浩介がメールを送ると必ず翌日返事が来ている。 もう、うれしくって楽しくって浩介はバラ色の気持ちだった。 その上、 ・・・実は私、浩介さんの発行するメルマガ読んでるの・・・ と来た。もう、うれしいを通り越して浩介は39度の熱を 出して3日間寝込んでしまった。それでも、頭にアイスノンを あてながらメールだけは元気な振りして送った。 そんなメール交換が、1ヶ月ほど続いた日、 浩介は超勇気を出して 「一度、どこかでお会いできませんか」 とメールを送った。 なんと、返事はオーケーだった。 人目に付くからと、浩介は彼女が宿泊しているという 都内の某ホテルを訪ねた。 浩介の目印はベージュのニット帽だった。 「あの、すみません」 フロント前で落ち着かない浩介に声をかける女性の声がした。 彼女いない歴19年の浩介である。 なんと言って振り向けば良いのか分からないから 「ハイ」と元気よく振り返ると 彼女とは似ても似つかないメガネをかけた祐子が立っていた。 「うそ」 スカイラウンジでコーヒーを飲みながら浩介はガックリした。 実は祐子は女優さんのマネージャーの一人で、メールの返信や ファンレターの返事、そして色紙のサインまで任されていたという。 でも、「ごめんさい」と申し訳なさそうに話す祐子が可愛く思えて 浩介の彼女いない歴は19年で終止符を打った。
2003.12.30
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東京に向かう新幹線のぞみの車内で Hさんという女優さんを見かけました。 昔はアイドルだった人で今は さりげない貫禄がついて お母さん役などで時々映画やテレビの ドラマに出ている人で たしか芸能活動25周年だとか。 Hさんは窓の外を見てスラスラ書いては、 また窓に映る景色を見ては、 スラスラとペンを走らせていました。 原稿用紙ではなくノートに書いていました。 マネージャーさんらしき女性ともう一人 女性が着いていました。もう一人の女性は 時々立ち上がって、デッキで電話をしていました 「もしもし、なんとか締め切りには間に合うと 思います。はい、東京に着いたら、すぐにファックス しますから・・・」 どうやら、雑誌か新聞に載せるエッセイのようです。 焦る女性記者を尻目に、Hさんは、時々 筆を止めては 「あら、あの山なんて言うの?」 とか 「広島名物って何でしょう。おみやげ忘れちゃった」 とか言いながらマネージャーとケラケラ楽しそうに 笑っていました。そして、 女性記者の真剣な眼差しをチラッと見ると いたずらをして怒られた子供のような顔をして シブシブ書き始めるのでした。 車内アナウンスが流れました 「まもなく、終点・・東京です・・・」 どうやら、帳尻があったようでHさん 「やれやれ、できたわ 下手な字だけど、いいの?」 ノートを受け取った女性記者はホッとしたようで 「はい、社の者がワープロしますから」 と言いながら表紙を見て 「・・・でも、このノート・・」 クスクスと笑い始めました。 Hさんは、少し怒って 「なんなの・・・私好きなの・・・かわいいでしょ? その猫・・・おばちゃんで悪かったわね」 ピンク色したノートの表紙は、 こちらも、Hさん同様まだまだ可愛い 25歳になる子猫のキティちゃんでした。
2003.12.29
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その曲は、「上を向いて歩こう」で、 アメリカでは「SUKIYAKI]と呼ばれた。 歌ったのは、飛行機事故で亡くなった坂本九さんだった。もともとは、NHKの「夢で会いましょう」という歌謡番組で歌われていた。作詞は、今でもご活躍の永六輔さん、作曲は中村八大で、当時は六八九トリオと呼ばれ、数々のヒット曲を生み出した。 この日本初のゴールドディスクは、現在も、ボチボチ売れているそうで、累計1000万枚に達しているそうだ。スゴイ!
2003.12.28
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高校野球は、感動の宝庫ですね。 昨日の夜、車の運転中、 NHKのラジオから聞こえてきたのは、 29年前の8月19日の話でした。 青森三沢高校のエース太田幸司投手は、名門松山商業と 延長18回を投げきり、翌日も9回を一人で投げきった話でした。 試合は4対2で松山商業の勝利でしたが、 その後プロ野球に入った太田投手は、 そのハンサムさで、「コーチャン」と呼ばれて、 女性に大変人気がありました。 その太田さんの言葉が印象に残りました。 彼は当時を振り返って、 「高校に入った時、いつも1回戦で負けている高校で まさか甲子園に出れるなんて 夢にも思わなかった。 でも、できるかできないか 分からないけど、チームのみんなと やれるところまでやってみようと 誓い合って頑張った。 そしたら、甲子園で決勝まで行けた。 ちょっと無理と思えることでも みんなで頑張り抜けば、なにかできる」
2003.12.27
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英子には、宝物がある。 一本の古いシャープペンシルだ。 たぶん、コンビニや文房具屋さんに行けば 100円か150円で買える安物だろう。 「これはね、私のお守りなの」 来春短大を卒業する英子のペンケースには その古いシャープペンシルがいつも入っている。 中学1年生の時だった。今でも、そうだけれど 単純な性格は生まれつきなのだろうか。 人の冗談を真に受けて、すぐに興奮して 泣いてしまう英子は、いつも ヤンチャな男の子にからかわれていた。 「おまえ、口紅つけてるのか」 「リップ塗ってるだけ」 「ほんまか、口紅塗ったら不良やぞ」 なんて言われるだけで、当時の英子は涙ぐんでいた。 ある日、たしか社会の時間だったと思う。 「先生が自習しているように」 と言って、ちょっと出ている間に また例の男の子に 「おまえ、自分のこと、かわいいと思うか」 と冗談ぽく言われた。 答えに困った英子が 「あんたらが、ブスやブスやって言うから ブスやと思ってる」 と答えると、その男の子が ハッハッハハ・・・と手を叩いて笑った。 いつものようにウリウリと泣きたくなった景子だった。 そんな景子に 「そうか?・・・良い方やと思うけど」 と何気なく声をかけてくれたのが良徳だった。 その日から、英子は良徳が好きになった。 初恋だった。 教室で授業を聞く彼。 休み時間に友達と話す彼。 放課後、グランドを走る彼。 そんな一コマ一コマが、 写真のように頭に焼き付いて離れなかった。 そんな英子の気持ちを知った親友の美由紀が 良徳に聞いてくれた 「好きな人はいるの?」 良徳の口から出た名前は、英子ではなかった。 そのことを聞いたショックで英子はボーっと していたのだろう。翌日はテストなのにペンケースを 忘れてしまった。 となりの席の女の子に借りようとした英子に 「おい、昨日はありがとう。これ、お礼や」 と言いながら手渡してくれたのが このシャープペンシルだった。 それから何度か恋もして、失恋もしたけれど 落ち込んだ時いつも、この古いシャープペンシルは 「良い方やと思うけど・・」 と囁いて元気づけてくれる。 そんな英子だけのお守りなのである。
2003.12.26
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ターチが子供の頃は、すき焼きは ごちそうだった。家族揃って滋賀の大津 にあるお墓参りをすると、まっすぐ大阪の 家に帰らず京都で途中下車をして、 たしか寺町通にあるキムラ屋という すき焼き屋さんで、鍋をつつくのだ。 ターチのお父さんは、こまめな人で 女に生まれた方が良かったのではないか と言う人だ。すき焼きなんか始まると独壇場になる。 「ああ・・・砂糖もってこい・・・ しょうゆはあるか・・・おおおっと 水をもって来い・・豆腐を入れてあるか、 はるさめはあるか、ネギはあるか・・ おい、肉は煮えてるぞ・・・早く 食べろ・・・あああ、豆腐はまだ 煮えてないからな・・・ さあさ、ドンドン食べて ああ、豆腐煮えてきたぞ・・ おおお・・・食べ過ぎるなよ 腹こわすからな」 と細かく言いながら、ターチや妹や弟の お皿の上に肉や野菜を盛って行く。 これは、ターチが中学生になっても高校生に なっても大人になっても変わっていない。 「自分でできる」 と強く言うと・・・ 「そ・・そうか」 と落ち着くが、しばらくすると中腰になって 鍋の中を探り始める。でも、後かたづけは 絶対にしないのである。食べ終わると 寝転がってしまって知らんぷりなのである。 こんなお父さんの性格を知っている ターチも妹も弟も、いろいろ対策を 考えるのである。ターチと弟は、肉が 余分に食べたいので、小学校頃から、 お茶碗の中に入っているご飯の下に 肉を隠すのである。すると、お父さんは 「おお・・おまえには肉ないなあ」 と言って優先的に肉をお皿に盛ってもらえるのである。 愛想も尽きている妹とお母さんは、 「女はいらないのよね」 とモクモクとお父さんの盛った具には目もくれず 母娘そろって好きな豆腐ばかり食べたり テレビを見たりしている。 とりあえず、鍋の具を食べ終わってもすき焼きは 終わらない。残った汁にうどんを入れるのである。 ここでは、お父さんは 「こっちの方が栄養があるからな。 栄養が全部しみこんでる。お相撲さん は、これを食べて大きくなるんや」 と言う、どこで聞いてきたか本当か嘘か分からないような この話も毎回毎回耳にタコができるまで聞かされた。 この段になって、いつも泣きそうな声を あげていたのは、弟である。 弟は、山ほどの肉をご飯の下に隠したのは よいが、お父さんがどんどん皿に盛って行く 豆腐やネギを食べている間に お腹が一杯になって食べられないのだ。 結局、悲しい!!弟の秘蔵の肉はお父さんに召し上げられて、 すき焼きは肉うどんに変身して、お開きとなる。
2003.12.25
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昭和43年9月17日阪神タイガースの江夏豊投手は 4回に1シーズン奪三振353個のタイ記録を 当時の最強打者の王選手から奪った。 そして、1シーズン奪三振354個の新記録も 同じ試合の7回に同じ王選手から奪っている。 江夏投手は試合前から「王さんから新記録を取る」と 言っていたが、考えてみれば当時の江夏投手は 1試合平均12個以上の三振を取るピッチャーだった。 アウトの半分が三振の計算になる。 その彼がもう一度王選手に回ってくるまでの8人から 一人の三振もなしで全員アウトにしていたから驚く。 打たして取っても凄かった。 もう一つの驚きは、当時2打席に1打席は 出塁していた最強打者から狙って連続三振も脅威だ。 最終的には401個まで記録を伸ばした。
2003.12.24
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同じ事をやっていても 幸せを感じる人感じない人が います。人の幸せは 自分が何に価値を感じるか? それを自然に分かっている人に 訪れるようです。 私には画家をしている二人の友人がいます。 二人とも10年以上の付き合いです。 二人とも、とってもイイやつです。 一人はK君で 「私は職人ですから 少しでも良いものを作りつづけるしかない」 彼はお金を少ししか頂けなくても、 一生懸命描きます。 彼に言わせれば、自分は職人だから 仕事があって食べて行ければ満足だそうです。 そして、自分の作品を絶対に誉めない人です。 正確に言えば、描いている最中は とってもニコニコして 「良い絵や。最高や」 なんて右から見たり左から見たり 上機嫌なのですが。 絵が完成すると、 「もっと、イイ絵を描かんとなあ」 とガッカリしています。そして、また描き始めるのです。 そんな繰り返しを続けています。 どこに行く時も不精ヒゲで作業服を着ています。 全然モテない彼ですが、中学時代からの彼女と 学生時代からいっしょに住んでいて、そのまま結婚しました。 現在は子供さんも二人います。 もう一人はU君で 「一円の価値もない絵を描くより大作を描きたい」 と言う人で 描く絵の枚数は非常に少ないのです。 展覧会の前になると描く人で 普段は絵画教室の先生をしています。 彼は才能はあるようで すばやく上手に絵を描きます。 生活も裕福な生活をしていました。 独身貴族で、外見は今でもモデルばりの カッコ良さです。 学生時代から20代前半くらいまでは U君の方が圧倒的に評判が 良かったです。カッコの良いU君は 非常に人気者でした。展覧会に入選するのも 個展を開くのもU君の方が早かったのです。 でも、30歳前から、 U君は絵以外の商売に興味を持ち始めました。 最近は、ほとんど 作品を発表していませんし、 洒落た喫茶店やブティックを開店したり 商売の方に気持ちが行っている様です。 相変わらず絵画教室も繁盛していますので 生活も裕福です。 反対にK君は、28歳で 初めて入選してから、画家としては 若手のホープと言われるくらいに なってきました。相変わらずの 旺盛な創作意欲です。 雑誌の記者が取材に訪れるように なった最近も対応は奥さんに 任せています。話をする暇があったら 描きたいそうです。 二人の人生は、対照的ですが、 この二人が仲が良いのも不思議です。 たぶん、お互いに才能を認め合っているからでしょう。 一人は絵を描く職人としての生き方に 「価値」を求め、 一人は多方面に才能を発揮することに 「価値」を求めています。 価値観は違いますが 二人とも 「私は幸せ者だ」 と今も昔も自信を持って言います。
2003.12.23
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久美は落ち込んでいた。 父とケンカするのは、いつものことだが 今回は何となく死にたくなった。 死んでビックリさせてやれと 父への仕返しのつもりかもしれない。 短大生の意地かもしれない。 1ヶ月前の失恋を引きずっているのかもしれない。 「女らしくしなさい。 お茶かお花でも習ったらどうだ」 じゃ、女らしさって何だろう? もう、そんな時代じゃないのに。 お父さんは古い。 そんな気持ちを引きずったまま、 ひとりウインドーショッピングに出かけた。 もっと苦しい悲しい境遇でも 頑張って生きてる人がいるんだ。 変なプライドを捨てれば生きられる。 偉い人の書いた本には、いろんな事が書いてあるけれど。 こんな私に、これから何かある? 何もない・・・ この先、恋人ができて結婚して子供産んで 育てて、お婆ちゃんになって死んでいく。 パターン。 形が違うだけで昆虫や他の動物と同じ。 いろいろ考えれば考えるほど苦しみが多い。 何でも話せる親友がいたらなあ・・・ なんて考えながら、フラフラ歩いていると おしゃれな文房具屋さんがあった。 久美は日記を手にしていた。 何度か日記をつけたが、 いつの間にかやめてしまう。 意志が弱いから・・・ 昔、日記に名前を付けた人がいたそうな。 「そうだ。名前をつけよう。 とびっきりの名前。そうだ、ヒカルにしよう」 家に帰った久美は、一目散に自分の部屋に入って 「はじめましてヒカル。私、久美。よろしくね」 今買ってきたばかりの日記帳を開いた。 久美の目の前に、まだ何も書かれていない純白なページが 「こっちこそ、よろしく」 と照れくさそうに広がった。
2003.12.22
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のちにマラソン選手になる通子が 小学校1年生から6年生の時、 整列すると、いつも一つ前に並んでいる女の子がいた。 たしか橋田さんと言う近所の美容室の子だった。 この子がとても足の速い子だった。 1学年2クラスしかない小さな田舎の学校だったので 体育の時間にしても運動会にしても 背の高い順に並んで、5人ずつ走れば 通子はいつも橋田さんと競争することになってしまう。 かけっこは、小学校の低学年の時は50メートル走で 高学年になればトラック半周100メートルくらいだ。 足の遅い人とかけっこして1番と 足の速い人とかけっこして2番になるのとでは 1番の方になりたかった。 たまたま見に来ているお母さんやお父さんにだって鼻高々だからだ。 通子は万年2番だった。2年生の頃、 「わたしといっしょに走るから、 通子ちゃんは一生1番にはなれないね」 橋田さんに憎たらしく言われたとき 通子はとっても頭に来た。 なんとか勝ちたい一心で必死に走った。 歯を食いしばって走った。 でも、何回何十回走っても勝てなかった。 それが小学校6年生の最後の体育の時間の かけっこで通子は初めて橋田さんより速くテープを切った。 生まれて初めて1等賞になったのだ。 体育の時間のかけっこなので 表彰状もないし、誰も誉めてもくれない。 でも、足かけ6年やっとこさの1番だ! 通子は空を飛んでいるような気持ちだった。 先生も気が付いてくれたようで 「通子さん、急に速くなったねえ」 と誉めてくれた。 通子は思った 「前から速かったんや。誰も気づかなかっただけや」 通子は、それから中学に進み、かけっこから 徒競走や100メートル競走と名前が変わっても 高校を卒業するまで、ほとんどの”かけっこ”で一番だった。 5年生頃ストップウオッチでタイムを計るようになって 橋田さんは校内で1番足が速いことが分かった。 「どんなレースよりも、あの体育の時間の かけっこの一番がうれしかった」 なかなか1番になれない不運な6年間の おかげで、1番にテープを切ることのうれしさが 分かって通子は100メートルどころか 42195メートルのマラソンを走れるようになった。
2003.12.21
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恋のきっかけと言うモノはどこにあるのだろうか。 たぶん偶然な出来事が何かを気づかせてくれた時、 恋という心の動きが始まるような気がする。 小学校5年生の浩太が通っていた学校は 人口急増地帯の団地の真ん中にあった。 新設校で、建設工事が間に合わないので カンカンという騒音に耐えながら 浩太たちは新学期からプレハブの校舎で勉強していた。 夏休みが終わって登校すると カンカンという音も小さくなり、 オレンジ色のシートがはずされ 真新しい鉄筋コンクリートの校舎や体育館が立っていた。 ある日、校舎より一足早くできた 消毒用のカルキの臭いが鼻にツーンと来る プールに浩太たちは入った。 へとへとになるまで泳いで遊んで 水泳の時間が終わりシャワーを浴びて教室に戻った。 その時は、何とも思わなかったが、 男の子も女の子も同じ教室の中で着替えていた。 たぶん、更衣室に当てる教室もない状況だったのだ。 男の子は腰にタオルを巻いて、女の子は 胸から下にバスタオルを巻いていた。 時々、ハプニングがあった 「キャー」 という喚声があがると、誰かのバスタオルが落ちたのだ。 いたずら好きの男の子たちは タオルの引っ張り合いをしている。 あるモノがそこにあるのだけなのだが 発育の違いに戸惑っている年頃でもあり、 見せたくないやら恥ずかしいやらである。 その中で浩太も腰にタオルを巻いて着替えていた。 何気なく前を見ると、良子という女の子が机一つ前で 着替えていた。 良子は浩太から見て横向きになっていた。 良子はバスタオルを前に当てて着替えていたので 横にいる浩太には良子の少し膨らみかけた胸が見えたのである。 浩太は、すぐに目をそらしたので たぶん、ほんの数秒だったろう。 次の授業が始まり、給食の時間があったりして そんな出来事は、すぐに忘れてしまった。 しかし、パンチはボディブローのように少しずつ効いてくる・・・ その数日後から、浩太は良子の顔を見ると 頬が熱くなり真っ赤になるようになった。 いままで、気軽に話していたのが、 うつむきかげんでしか話せなくなってしまった。 こんな気持ちは初めてなので 浩太自身も、よく分からない。 良子は、はっきり話さなくなった浩太に嫌われてしまった と誤解しただろう 「浩太君なんか大嫌い」 と怒ってしまった。 浩太の良子を見て赤くなる様子に気づいたクラスメートが 「浩太、良子に惚れとるぞ」 と触れ回った。 それを聞いた良子は、ノーノーと手を振り 「私、浩太君なんて絶対の絶対に・・嫌いやからね」 と大声で怒ったように言った。 浩太は自分の気持ちをどう解釈していいのか 分からなかったので 「嫌いなんか・・」 と別段ガッカリするでもなかった。 その翌日から浩太は良子を見ても 頬が熱くなることも赤くなることもなくなった。 嫌われてるんだから・・・が安心材料になったのかもしれない。 しかし、妙なことに良子は別人のように優しくなった。 忘れ物の多い浩太に教科書を見せてくれたり、 給食の時、浩太の好きな物をそっと分けてくれたし、 休み時間に泥んこになって走り回っている浩太を 少し離れたところから まるでカワイイ我が子を見守る母のような眼差しで見つめていた。 そして、忘れられないのは良子が「浩太くん」と声をかける時に 小声で、少しはにかむように微笑む仕草だった・・・
2003.12.20
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ターチが3歳の頃には 家に木で作ったカルタがあった。 買ったのは大阪の心斎橋の大丸百貨店の 玩具売場であった。 お父さんが 「普通のつみきを買うよりも 字を覚えるからいいやろう」 と言ってたのを、かすかに覚えている。 次から次へと下の兄弟が生まれたので お母さんとほとんど接することのなかった ターチは、一人遊びを覚えるしかなかった。 「あ」から「ん」までの カルタをアイウエオ順に並べるのが ターチの家の中での遊びだった。 崩しては、また並べ、また崩し また並べるだけの繰り返しである。 その並べる場所も決まっていて お母さんが嫁入りの時に持ってきた タンスの隅と引き戸とのコの字になった場所に 縁にピタッと付けて、きちんと並べるのである。 毎日毎日よく飽きもせず、やっていたものである。 そのカルタに何て書いてあったかは ほとんど覚えていない。 たった一つ覚えているカルタは「う」の カルタだった。「う」のカルタには 鳥の絵が書いてあった。鳥の名前は 1文字で”う”だった。 時々、カルタを見せて、 「これは何?」 とお母さんに聞いていたような記憶がある。 おかげで、ターチは幼稚園から小学校2年までは 病気がちで3分の1くらいしか登校しなかったが 字が読めなくて困った覚えはない。 お父さんに感謝感謝である。 数年後、すぐ図に乗るターチのお父さんは 長男のターチの場合と同じように 下の妹にも弟にも木のカルタを買ってやったが ほとんど陽の目を見ず、妹はリカちゃん人形に 弟はウルトラ兄弟と怪獣に夢中になり、 哀れな木のカルタはおもちゃ箱の肥やしとなった。 二匹目のドジョウはいなかったようである。 ところで、ターチが3歳の頃に住んでいた家は 10数年前に取り壊されて 白い近代的なコンクリート住宅になっている。 ただ、お母さんのタンスだけは、 塗りが剥げ、張り付けた板は反り返りながらも 健在である。ターチは、そんなボロボロの タンスを見るたびに、木のカルタを懸命に並べる 見えるはずのない自分の幼い小さな背中を想うのである。
2003.12.19
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高校生ツッパリのダイとミーは、仲の良いカップルだった。 頭を染めるのもカットするのも、学校をサボるのも一緒だった。 「バカはバカ同志・・・もし、学校やめるんやったら、 いっしょにな・・・俺、土方でも鳶でもやっから」 「んじゃ、あたいは、ガソリンスタンドか茶店でも働く」 と二人は他人から見れば、半端かもしれないが 彼らは彼らなりに精一杯惚れ合っていた。 ダイは、仲間がナンパ行くときも、 「俺、ミーに惚れてるからのお・・」 と抜けることが多かった。 ある日、ダイとミーがダイの自慢のバイクで 二人乗りで走り回っていると、前からダンプカーが 走ってきた。ダイは、バイクを道の端に寄せようと したが、しくじった。バイクは方向を見失い電信柱に 激突した。ミーの記憶は、そこまでだった。 ミーが気がついたのは病院のベッドの上だった。 隣に座っていたのは、間抜けな面した父ちゃんだった。 「父ちゃん、ダイは?」 「・・・頭打って・・それっきりや」 ダイを壁にして、ミーは命を拾った。 最初は、ピンと来なかったが しばらくすると涙がタラーッと流れた。 「ダイ」と声に出すだけで涙が止まらなかった。 ダイの葬式の時には、ミーは何が何だか分からなくなり 「ダイ・・・ダイ・・・あたいも死ぬ・・・ダイ・・・」 気が狂ったように泣き叫んだ。 ミーが学校に復帰したのは事故から一ヶ月後だった。 茶髪の髪は黒になり、剃った眉も元通り スカートの丈も標準でツッパリのカケラさえもなかった。 すれ違う不良仲間たちも 「あんた、ほんとにミーなの?」 とあまりの変わりように呆れていた。 ツッパリ風船の空気は、すっかり抜けてしまった。 休み時間には、誰とも話さず教室の窓から校庭を ぼんやり眺めていていた。他にやることがないから 授業も真面目に受けるようになった。 急に涙が流れて止まらないのは、相変わらずだった。 ある日の昼休み、いつものように、ひとり校庭を見ていると もう一人教室に残っている男子生徒がいた。 この男、万事マイペースなヤツで、 今日は、何かノートに一生懸命書いている 「何やってんの?」 「小説書いてんや」 「へえ、それで、いつ書き終わりそう? 書けたら、読ませてよ」 「オーケー、40歳過ぎには完成するから・・・」 「40歳って、私ら18やんか20年以上先?」 「そうや、そうしたら40までは生きられる」 「いいなあ・・生きがいがあって 私、死にたくてね。なんの為に生きてるか分からなくて・・・」 「分かるまで生きたら・・・」 そう言うと彼は、またノート向かった。 帰り道、ミーはダイと二人バイクで走り回った海岸線 をひとりぼっちで歩いた 「分かるまでって言われても、一人で どうやって生きるんや・・・さみしいんや」 また涙があふれて何も見えなくなった・・・ その時、ブーンブーンとバイクの音が聞こえてきた。 バイクの音は、だんだん近づいてきて ミーを追い越して、すぐに止まった。 「おい、ミー」 「ダイ」 「元気ないぞ」 「ダイが一人で死んだから・・どうして、 あたいも連れてってくれなかったんや」 「ちょっと、ミスちゃってよ。 寂しくなったら、ここに来いよ。 いつも、俺は、ここで走ってるよ」 「ほんと・・・」 「ああ・・それじゃ・・ちょっくら 走ってくるからな」 「私も行く」 「ダメダメ・・もうちょっと、ツッパリやったら 乗せてやるよ」 そう言うと、ダイが乗ったバイクは走り去り・・・ ミーが涙を拭いながら歩き出した。
2003.12.18
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「一人相撲」という言葉があります。 まだ、勝負の行方が決まっていないのに 自分一人で苦しんで悩んで負けそうに なってしまうことです。 今の時代の人は、 一昔前の人に比べると、 知識も情報も格段に充実しています。 それが良いほうに働けばいいのですが どうも悪いほうに働き始めているようです。 知識人の方やマスコミの方が 言う悲観論に踊らされているような感じです。 相場の世界に仕手株というのがあります。 ある集団の力で 本当はそんな値段ではないのに はるかに高い値段になったり 安い値段になったりする株のことです。 今は、あまりにも安く評価しすぎる風潮が 広がっています。 経済・政治・教育あらゆる分野にです。 知識や情報は頭です。 異常に頭でっかちになった多くの人が バランスを崩してフラフラになって 歩いています。 動かないから、足が細く弱くなってしまいました。 知識や情報のことは忘れて、 時間を見つけて、いろんな所に 出かけましょう。人に会いましょう。 景色を見ましょう。私たちが先祖から 少しずつ築き上げてきた文明を感じましょう。 そして、その偉大さ可能性を感じましょう。 勝手にもう駄目だと思っていませんか。
2003.12.17
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聡子は、結婚10年平凡な主婦である。 長男の小学校3年の明と長女の4歳の静の 二人の子宝にも恵まれ、夫の潤も真面目な 銀行員で何自由のない幸せな生活を送っている。 ある日曜日、家族4人で電車で二駅の所にある 海水浴場にでかけた。電車の吊り広告を 指さし静が幼い口調で声をあげる 「お父さん、お母さんねえ、あの人好きなんだって」 潤は吊り広告に目をやる、どうやらアメリカ映画の広告だ 「ああ、あれね、お母さんがいくら思っても・・・」 このごろ口が達者になった明が続ける 「お母さんは、おばさんなんだから、お父さん心配してないね」 潤は聡子の不愉快そうな表情を気にしながら 「う・・うん」と明に答えた。 吊り広告はキアヌ・リーブス主演の映画だった。 怒った表情で夫の目をゴマかしながら聡子は静の言葉に 少し冷や汗をかいていた。 というのも、聡子が夕方の3時間だけパートをしている コンビニの店長が少しキアヌ様に似ているのである。 背は高くはないが、細面で涼しい目は、うっとりするほどの 好青年である。静は何度か、店長に会っている。 数週間前、聡子が財布をうっかり更衣ロッカーに忘れて、 静の手を引いて店に取りに行ったことがある 聡子「すみません」 店長ニッコリ「忘れ物ですか」 聡子少し頬を赤くして「ええ、お財布」 静「お母さん、あのオッチャン、カッコイイね。テレビ出てた人?」 聡子「お兄ちゃんでしょう・・すみません。まだ4歳なもので・・」 店長「いやあ、こんなに可愛い娘さんがいらしたんですか まだ、新婚かと・・」 聡子「からかわないでください。いええ、まだ、上に10歳になる子も いますのに」 そんな聡子の家では絶対に見せない表情を静は、じっと見ていた。 その後、店長は 「店長会議があって出ますので途中まで送って行きましょう」 聡子と静を家の近くまで車で送ってくれた。 これがきっかけになったのか、聡子は静を連れて店長と 何度か食事をいっしょしている。 「いつも親子でごちそうになってすみません」 「いええ、僕は子供好きですから」 子供好きに悪い人はいない、働き者だし・・・ 聡子は、いつしか彼に夢中になっていた。 ある夜、仕事から帰ってきた潤は血相を変えて聡子に怒鳴った 「おまえ、あのコンビニのパートやめろ」 「ええ、どうして」 「自分で分からないのか。おまえも女の子の母親だろう」 「・・・・・」 気が動転して聡子は何と答えたら良いか分からなかった。 「いいから、やめろ」 そう吐き捨てるように言うと駅で買ってきたのだろう、 くしゃくしゃになった夕刊紙を聡子に投げつけた。 夕刊紙には店長の顔が載っていた ・・・ロリコン写真をネットで不法売買、コンビニ店長逮捕・・・ 素敵な彼の目当ては聡子ではなかった。 そして、たしかに彼は子供好きだった。
2003.12.16
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地震で目が覚めた。 グラグラッときた。 時計を見ると朝の5時過ぎだった。 そのまま、眠れないのは老化現象だろうか、 と夢うつつに思いながらサラリーマン吾郎は 6時になったので 「頑張らなくちゃ。頑張らなくちゃ」 と呟きながら起きあがり、 いつもの早朝マラソンに出かける。 ラジオでは震度4と言ってるのに スースーと何事もなかったように寝ている 4歳の息子も奥方も吾郎よりずーっと大人物である。 スガスガしい朝の玄関に出ると虫かごがある 「あれ、蝶がいる。アゲハチョウ」 たしか1ヶ月前の日曜日に近所のスーパーで あんまりせがむので息子に買ったものである。 吾郎は寝ぼけ眼でトボトボ走りながら 回想していた。たしか、あの虫かごには1ヶ月前 青虫が入っていた。 「蝶になるところを見せようと思って」 と奥方が言っていた。たしかに息子は 虫の図鑑では見ているが実物は見てはいない。 あれから、お盆に墓参りの為、 帰省することになった。その時、息子が言っていた 「サナギになってる」 吾郎は息子に言った 「帰ってくるまでサナギのままだよ」 だとすると、あのアゲハチョウは・・・ 吾郎は、いつもの神社の折り返し点まで来ると パンパンと神さんへの朝のご挨拶も手短に 一目散にカールルイスよりも早く?走り出した。 「蝶がかえった・・サナギからかえった」 何としてもカワイイ息子に伝えたい一心で 駆け出したのである。だから、犬を連れた 市会議員さんが「おはようございます」 と言っても「おはす」と超短縮形のあいさつで すまし、家の向かいのパン屋のおばちゃんの 「いつも、朝早いですねえ」という愛想の良い 言葉もスローモーションで言われているように 感じた。ハーハーを通り越してゼーゼー言いながら 寝室に戻ると、そこは眠りの国であった。 吾郎は 「ちょう・・・」 とまで言ってゼーゼーまでをも飲み込んだ。 何事もなかったように寝ている息子と奥方。 その光景は、吾郎がネクタイをしめスーツに 手を通しても変わらなかった。 「もう、朝だぞ」 と言っても奥方はかすかに目を開けたが、 そのまま寝入ってしまい息子は寝返りを打っただけであった。 朝飯抜きの出勤も今日に始まったわけじゃなし、 寝顔の可愛さと中年太り防止に免じて 許してやろうと吾郎は一人寂しく玄関を出る。 出かけ際に虫かごに目をやると 「いってらっしゃい」のつもりだろうか・・・ アゲハチョウは、ゆっくりと羽を動かしていた。
2003.12.15
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私が某ホームページで 「私はクリスチャンの18歳の女の子です。 子供の頃から、聖書を子守唄にして 育ちました。多くの人から予知能力が あるといわれます・・・・・・」 なんて書き出しで恋愛ゼミなるコーナーを やっていた時、面白い相談メールが やってきました。 質問内容は、 「僕はストーカーなんでしょうか?」 ハッ?何てこと聞くの! と思ってメールを読んでみると 「僕は、5年間付き合っていた彼女と 分かれたのですが。 それから、もう1年前になります。 時々、彼女が幸せに暮らしているか、心配になって 彼女の家の近くまで見に行っているのですが。 先日もいつもと同じように見に行ったのですが 、たまたま、彼女のお姉さんに バッタリ会ってしまいました。 彼女のお姉さんは、臭いものでも 見るような顔をして、ストーカー・・・・・ と吐き捨てるように言うと走って逃げました。 僕はストーカーでしょうか?」 この人がストーカーかどうかは 現場を見てみないと分かりませんが、 やはり、 「他の女の子探した方がいいと思います」 が多分正解と思い、 「諦めるのも恋」とメールを送りました。 彼がストーカーかどうかは ともかく人と人との関係は見方によっては 同じ行動でも悪くも見られるし 良くも見られます。 今回のケースにしても やり方によっては 恋が再燃するケースも あるかもしれません。 でも、彼の場合に限らず、 悪いのは中途半端です。 世間とか人の目を気にせず、 「恥」と思うことでも、 中途半端なことをするくらいなら ハッキリした行動の方が良いようです。 曖昧にしておいた事や隠しておいたことが 誤解を招き、 将来、もっと大きな問題になります。 たった一度の人生、正々堂々生きましょう。
2003.12.14
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「あれって、飛ぶでしょ」 と高校一年生の葉子はボーイフレンドと電話している。 「今日はスタンバイしてから寝るの・・・バイバイ」 と葉子は長電話を終える。 キッチンのテーブルの上には ゴキブリホイホイが五機整列している。 それを見つけたお母さんが 「まあ、一つ二つ・・・五つも。サンダーバードみたいね」 葉子、 「スタートレックかスターウオーズって言ってほしいわ」 と半分怒って半分笑っている。 葉子はゴキブリを嫌いなのはもちろんだが、 ゴキブリホイホイを駆使してゴキブリと 鬼ごっこでもしているように楽しんでいる 「あした、武史くんに何匹捕まえたか 教えてあげるの。10匹捕まえたら アイスクリームをおごってもらうの」 お母さん少し考えて、 「お母さんの過去のデータに寄ると 10匹はむずかしいわ」 葉子は頭を指さしながら 「ここを使えば・・・」 と言いながら、キッチンの中で ゴキブリの通りそうな所に置いている・・・ 翌朝、葉子は珍しく早起きして 「ヤッター、アイスクリーム!ゲット!!」 お母さん、娘の声に驚いたのか 「朝から何なのよ」 「すごいのよ。小さいの大きいの・・・五機併せて20匹はいるわよ」 「ほんと、すごいわ・・・でも、ゴキブリ退治名人の葉子でも あのゴキブリは無理よね」 頭を掻きながら、アーアーとあくびして寝ぼけ眼のお父さんは 二日酔いなのだろうか「おあよう」と現れた。
2003.12.13
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「今でこそリストラなんて珍しくないですが 10年前はカッコ悪かったですよ」 清造さんはザルを丁寧に編みながら話した。 宮城県の山村で竹細工の教室を開校して10年になる。 きっかけは、会社をクビになったこと。 生まれつき口下手な清造さんは大学を 出てすぐにカーディーラーのセールスに なったが、1年で売れたのは3台。 1ヶ月に10台売るようなセールスマンが いた時代だったので、当然、風当たりが 強かった。1階にあるショールームから 階段を上がると事務室なのだが、 ドアを開けると棒グラフが貼ってあった。 チビもノッポも、いろいろ並んでいるが いつも一番背が低い棒が清造さんのだった。 年末も押し迫ったある日、事務所に帰ると ロッカーもデスクもなくなっていた。 部長に尋ねると 「ハッキリ言わなきゃ分からないかな」 とイスをクルリと回転させて背を向けた。 清造さんは生まれて初めて 「死にたい」と思ったそうだ。 職安に行っても求人雑誌を見ても、 なかなか良い仕事は見つからない。 困ったあげく、失業保険を手に旅に 出ることにした。 名も知らぬ駅で降りては ぼんやりして、お腹が空いたら おにぎり食べたり、うどんをツルツルやったり お金がないのでホテルなんて滅多に泊まらない。 無人駅で眠ったり、公園で野宿した。 そんな生活を続けていたが、ある日、清造さんは 何気なく駅の鏡を見てビックリした 無精ひげに伸びっぱなしの髪・・・ 「へえ、キリストさんみたいやなあ」 と思ったら笑えてきた。 そんな感じで、半年くらい過ぎて 持ち金がなくなるとアルバイトをした。 皿洗いに荷物運び・・・ 放浪生活にも慣れた1年後、清造さんは 九州の宮崎県にいた。とある田舎駅の近くの 農家のおばさんが縁側で竹細工をしているのを 見かけた。 清造さんが何気なく、 「ちょっと、僕にもやらせてください」 と言ったのが始まりだった。 口下手でも手先の器用な清造さんは、竹細工に熱中した。 「1日中やってても、疲れないんですよ」 性に合ったのかも知れない。 それから1年後、清造さんは宮城県の実家近くに 竹細工の教室を始めた。最初は、食べるのも大変だったが、 しばらくするとカルチャースクールに呼ばれたり デパートの工芸品展などに参加したりで食べられるように なった。それと、清造さん自身も不思議に思ったそうだが 自分で作った竹細工のカゴやザルなら、 あんなにイヤだったセールスが気軽にできるのだ。 清造さんは、殺し文句を教えてくれた 「こわれたら、私が生きてる限り修理します」 こう言うと手に取った人は、みんな買って行くそうだ。
2003.12.12
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「もうすぐ小樽とも、さよならやな」 小樽市街地再開発プロジェクトのため、 大阪に本社のある建設会社から単身赴任 で来ている山下部長にも、大阪に戻るようにとの辞令が来た。 「早苗ちゃんには、世話になったなあ」 このプロジェクトのために作られた事務所に 札幌支店から来ていたOL野中早苗は笑顔で答えた 「1年もいたのに、とうとう大阪弁抜けなかったですね」 「明日は、こんどの日曜は小樽見物でもするか 一年もいるのにマンションと事務所の往復だけやったからな」 山下は出不精な性格で休みの日でもマンションの部屋でテレビを見たり、 建築関係の文献をパラパラめくっているだけだった。 30分も電車に揺られれば行ける札幌あたりの歓楽街にも 現場の慰労会で2回か3回出かけたことがあるくらいだ。 「よかったら、ご案内しましょうか」 「え、早苗ちゃんが案内してくれるの?彼、怒らへんかあ?」 「大丈夫です」 「まあ、僕のようなオッサンなら、彼も心配しないやろしな」 そんなわけで、早苗と山下は小樽駅で日曜の朝の10時に待ち合わせた。 真夏でもクーラーのいらない北海道の夏は、湿気が少なく日中多少 歩いても汗が心地よい。小樽市内には赤茶けた古い建物が、 あっちにもこっちにも残っている。 「これも、古いのにしっかり建ってるなあ。職業病かなあ・・休みの日に、 こうして歩いても建物に目が行くんや」 「ほんとうに、建築のお仕事をするために生まれてきたんですね」 「子供の頃のプラモデルから始まってな・・・おもしろない オッサンになってしもた」 「そうですか?最近、仕事頑張る人が少ないので部長のような方って 結構ステキですよ」 「そう言ってくれるのは、早苗ちゃんだけやわ」 早苗と山下は、海鮮丼で腹ごしらえをすませて 運河の沿って立ち並ぶ倉庫街の方に向かった。 運河の方に歩いて行くと、ガラス細工の店が数軒立ち並んでいる。 中には、実際に職人さんが実演してくれるコーナーもあって 普段見られない職人芸を堪能できた。 日も暮れかかった頃、早苗と山下は運河沿いにある倉庫を改造した 洒落たレストランに入った。レトロな雰囲気が魅力の店だ。 「やあ、ありがとう。いい思い出になるわ」 「お盆には、大阪に帰るんですね」 「嫁さんと子供に囲まれる生活に戻るわけや」 「いいですね」 「早苗ちゃんも、もうすぐ・・そうなるやんか」 「真冬日なんです。私たち・・」 「え?」 「一日中0度以下の日のことを、こちらでは真冬日って言うんです」 「そう・・・でもなあ・・・」 「倉庫のレンガ色ってステキですね」 早苗は話題を変えた。 駅へと続く運河沿いの夜道は、ライトアップされている。 あっちにもこっちにもカップルがいる。 幻惑されそうな雰囲気の中で 「なんか、カップルだらけやなあ・・」 「あの・・・部長は私のこと、どう思います?」 「どうって?」 「腕組んでもいいですか?」 早苗は前を歩く山下の腕に自分の腕を絡ませた。 「どうしたんや?」 山下は言葉が続かなかった 「今日は、帰らなくてもいいんです」 「・・・・・」 どう答えていいか分からない山下は立ち止まって ライトアップされてスクリーンのような運河の河面を見た。 山下と少し俯きかげんの早苗が映っている。 ・・・・・似合わへんなあ、山下は思った。 運河沿いの道をそのまま歩くと、坂道がある。 駅へと続く坂道だ。 話す言葉がお互いに見つからないまま歩いて行くと 小樽駅が見えてきた。 「気をつけてな」 と山下が言うと早苗は無表情のまま口を開いた 「さっき言ったこと忘れてください」 「うん」 と山下は微笑みながら頷いた。 早苗は後ろ向きに手を振りながら小走りに駅舎に入って行った。 「本気やったのかな」 そう呟き少し歩いた山下が振り返ると、 聞こえるはずのない早苗のハイヒールの音が響いた。
2003.12.11
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世の中には、いろんなライバルがいます。 宿命のライバルのしのぎを削る戦いは 感動的なドラマが生まれます。 しかし、「よくやるよ」 とあきれて笑われるライバルもいます。 沢木君と津野君は、中学校1年生の時に 同じクラスになってからのライバルです。 ほとんど、互いに話をしようとはしません。 何のライバルかって、アマチュア将棋のライバルなのです。 最初は、紙の上に書いた将棋盤や磁石で作った駒で 休憩時間にやっていたのですが、そのうちに 授業中もやるようになったのです。 まさか授業中に将棋盤をはさんで対局するわけには いきませんので、目隠し将棋をします。二人とも 寝ても覚めても将棋を指していますので、頭の中に 将棋盤があるのです。授業中に「5五銀」とか 「王手」と書いたメモを交換しているだけですので、 ちょっと見ただけでは分かりません。先生も 冗談を言っても二人だけは難しい顔をしているので 不思議だったでしょう。かと思えば、涙を流さんばかりに 悔しがったり笑ったりします。同じ事をしているようですが 津野君は学年でも5本の指に入るほど優秀なのに 沢木君は、おちょこちょいで女好きであります・・・ それぞれの家に帰っても、二人は対局をしています。 制限時間なんてありませんので、1日に1手しか 進まないことがあります。やっと次の一手を決めて 沢木君が津野君の家に電話をするとお母さんがでます。 「はい、津野でございます」 「もしもし、沢木ですが。いますか?」 「あら、沢木君・・いつも、お世話になちゃって 元気でやってる?・・・今・・お風呂・・すぐ出るからね 沢木君よ・・・ちょっと、待ってね」 「はい」 「ところで、中間テストの数学むずかしかったのねえ。 うちの子もだめだったのよ・・・もう、クヤしくって お母さん元気・・・よろしくね・・・それはそうと・・・」 とおしゃべりの津野君のお母さんと10分ほど話していると お風呂に入っていた津野君が出てきて 「もしもし」 「3八銀成」 とだけ言って電話を切るのです。たまに、沢木君はあまりにも 津野君のお母さんと長話をしたために苦労して勉強もしないで 考えた次の一手を忘れてしまうこともあったそうです。 ちなみに、津野君は同じような状況になっても冷静に 「あとで電話します」 と言ってかけ直すのは今も変わらないことです。 その後、中学高校と同じクラスになることはありませんでしたが、 電話対局や道ですれ違いざまに互いに眉間にしわを寄せて 「2四歩」 「何!ムムムムム」 とか言葉を交わしながらライバル関係は続きました。 ところで、ムムムムムム・・・と言うのは、いつも沢木君です。 現在、津野君は、優秀な成績で大学を卒業し 中学の名物教師になっています。 一方の沢木君は6浪の末に大学に入学し、 29歳の時に補助教員として小学校の先生になりました。 立場はちがっても、今でもライバル関係は続いています。 変わったのは、沢木君が津野君の家に電話をかけると 津野君の奥さんが出ることです。会話は変わりません。 「今、お風呂・・・あなた・・沢木さんよ 申し訳ありませんね・・・いつも、お待たせして・・・ ところで・・・」 こんな具合におしゃべりの津野君の奥さんと10分か15分、 話をして待たされるのは、いつも沢木君です。 時々、次の一手を忘れるのも沢木君です。 ちなみに戦績ですが、 昨夜の時点で津野君2390勝で沢木君324勝です。 ただいま津野君79連勝中だそうです。 ちなみに津野君は中学の時に全国大会で2位になり プロ入りの話もあったほどの達人です。
2003.12.10
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最近は少なくなりましたが 私が子供の頃は、お正月には 凧上げをしました。 その年その年の人気アニメの 主人公が描かれた凧をあげるのです。 私の実家の近所には、 中学校がありましたので そこの校庭で凧上げをしました。 ところで、どうして昔の人は 凧上げをしたのでしょう。 遠くにいる人に 何かの信号を送るためです。 それと、もう一つあります。 風の向きを調べる為です。 風の強さや向きで 凧のあげ方は微妙に変わります。 糸を引っ張るだけで スーっと凧があがることもあれば 急に変な風が吹いて 凧が急降下してくることもあります。 上手な人がやると 多少のトラブルがあっても 凧は空高く舞っています。 凧上げを教えてくれた爺さんが 言いました 「人と同じやなあ。 下手くそは 風の向きが変わってるのに 同じようにひっぱとる。 凧を飛ばすコツは 地面に立って風を感じることや」 寒いかもしれませんが 気分転換にフラッと。 凧はなくても、 近くにある広場に出かけましょう。 そして、風を感じてください。
2003.12.09
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時々、羊羹を頂くことがあります。 さすがに、20歳過ぎてから 自分で買うことはなくなりました。 子供の頃は、甘いものに目がなかったものです。 私は3人兄弟でしたから 羊羹があると 母がいつも3等分してくれました。 長男の私が 「僕は身体が大きいから ちょっと大きいのがほしい」 と言うと母は 「みんな平等」 とだけ言って気も留めずに やはり三等分しました。 食い意地がはっていたのでしょう。 いつか、羊羹を一人で食べてやる・・・ 私はそう思っていました。 でも、何年かして、 自分でお金を稼げるようになり 一人で食べられるようになると 三等分されていない丸々一本の羊羹が 味気なく感じられ 「誰か一緒に食べてくれないかなあ・・・」 なんて妙に3等分して食べた頃が 懐かしく感じられるようになりました。 みんな、それぞれ一家を持って 正月くらいしか顔を合わせることは ありませんから、 もう、そんな頃は帰ってこないと思うと・・・ たわいのない喧嘩や言い争いが つい最近あった現実のように 頭の中をくるくる回り始めます。 できたら、また3等分して羊羹を 食べたいと思います。 父も母もおばあちゃんも 入れて6等分でも良いなあ・・・ 兄弟とは家族とは そんなものだと思うのです。
2003.12.08
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ター坊は、お母さん方の親戚とは疎遠で、 ほとんど会ったことがありません。 というのも、お父さんとお母さん方のお婆ちゃんと 仲が悪くて、顔を合わせれば喧嘩をしてい たからです。お父さんは代々の公務員の家系、 母は代々の農家の家系でしたので、風習の 違いもかなりあったのでしょう。 そんなわけで、たまに、お母さん方のお婆ちゃんが 訪ねてくるのも明るい時間帯ばかりでした。 そして、夕方になれば、 「それじゃ、私は失礼するわ」 と帰って行くそうです。 女二人が寄れば何とやらは、親子の場合も 言えるようで、お母さんとお婆ちゃんも、たまに 出会うと「ああでもない」「こうでもない」 といろんな話をしていたようです。 別にお父さんの悪口とは申しませんが、 それに類する話だったのでしょう。 話題に花が咲いて、出前でも取ってやれと 「あんた、何食べるの」 と3歳のター坊にお婆ちゃんが聞きます。 「うーん」 とすぐに答えられないター坊、お婆ちゃんは、 「チャーハンにしよか」 といいます。食べ物の名前の浮かばないター坊は 言われるままに「うん」と答えたのでしょう。 お婆ちゃんが近所の食堂に電話すると、 しばらくして店員さんがチャーハンを運んで来ました。 これから、小さな事件が始まるとも知らず お婆ちゃんとお母さんは、テレビを見ながら いろいろ話をしています。 ター坊の事なんか忘れて夢中になっています。 ター坊が焼き飯やチャーハンが好きなのは、 この時からかもしれません。 「すごーく!!おいしい」と思ったそうです。 あの電話を使えば、おいしいモノが運ばれてくる! それしか頭にないター坊は 生まれて始めて自分の意志で電話をかけたのでした。 何番にかけたら、どこにかかる、なんて知ったことではありません。 おいしいモノ。 ター坊の頭にあるのは、それだけです。 お母さんとお婆ちゃんはテレビに夢中になっているので ター坊が電話をさわっているのに気づきません。 実はター坊は、一つだけ電話番号を知っていました。 110。 プッシュホンなら3歳でも押せます。 ・・・もしもし・・・ と叫ぶ婦人警官をしりめに 「あーああー」 と叫んでター坊は電話を切りました。 これで、終われば良かったのですが 最近は逆探知というのがあります。 しばらくして、いつも見慣れた警察の制服ではなく サラリーマン風のスーツ姿の男性と女性がやってきました。 そして、周りを見回してコッソリ警察手帳を見せました。 「何かあったのでしょうか?」 お婆ちゃんもお母さんもビックリ。 「いえ、別に・・・電話した覚えはありませんが」 「でも・・・テープもあります」 テープから聞こえてきたのは 電話に出た婦人警官の声 ・・もしもし・・・何かあったんですか? ・・・もしもし・・・ 婦人警官は反応がないので必死で呼びかけます。 ・・・もしもし・・・ そして、ター坊の声 アーアー・・・ 続いて婦人警官が もしもし・・・どうしたんですか? と叫ぶ声でテープは終わっていました。 どうやら、二人の警察官は、何かの事件が起きて 幼い子供が必死で連絡しようとしているのではないかと思い、 大急ぎで飛んで来たというのです。真剣な表情の警官に 「テレビに夢中になって、気がつきませんでした」 とは言えず、お母さんとお婆ちゃんは、ただひたすら 「すみません。申し訳ありません」 と謝るしかなかったそうです。
2003.12.07
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「また玉子むいてるよ」 「もっと、きれいにむけよ。きったねえなあ」 「手先が不器用なんだよ」 「もうすぐクビなんだから、もう少しやせたらいいんだけどな」 そんな周囲の囁きが聞こえたのか大川竜一は のどに玉子を詰まらせてゴボゴボとセキ込んでいる。 何と言われようと、竜一の好物はゆで玉子である。 竜一は、もうすぐ58歳になる。この商事会社に入社して 35年になる。ベテラン中のベテランであるが、真面目すぎるのと 要領が悪いのとで上司の受けが悪く、未だに無役である。 会社の寿命は30年と言われる通り、あと2年で創業40年を 迎える会社は、青色吐息の状況でボーナスも出なかった。 竜一のような年だけは取っているが、役にはたたない社員は 案の定、今月末で退職になってしまった。 会社では昼行灯(ひるあんどん)を絵に描いたように 大人しかった竜一は家では関白様である。 たとえば、妻に 「おとうさん、電車の運転手やってりゃ 今頃、どこかの駅の駅長さんなのに」 家に帰って妻の美弥子にぼやかれと 「うるさい。それを言うな」 と大声で怒鳴る竜一は、家では縦のモノを横にもしない男だ。 そんな竜一は35年前、国鉄の運転手だった。 東海道線の大垣から西明石まで、快速電車を走らせていた。 「俺は、今でも電車の運転やらせたら、まだまだ若い者には負けないぞ」 その証拠は、嫁いだ一人娘ひかりの産んだ孫の前で明かされる。 この最近、ブームになっているパソコンを使った電車ゲームは 竜一の得意種目である。孫たちは 「おじいちゃん、すごい。ピタッと駅に止めるんだ」 とビックリする。 「あんなことさえなければ・・・」 美弥子はひかりが子供の頃から口癖のように言っていた。 35年前、竜一が一日の業務を終え回送となった電車を 車庫入れしようと徐行運転していた時である。 線路の横に人影が見えた。 その人影は線路に倒れるようにうつ伏せた。 竜一は急ブレーキをかけた。 キーキー・・・ガタン・・・ 竜一は今でもキーキーというブレーキ音を夢見るという。 判断が早かったのか幸い自殺は未遂に終わったが、 その日から竜一は電車の運転ができなくなった・・・ とうとう退職の日も迫った蒸し暑い日、竜一の元に一枚の封筒が届いた。 「なんで、今頃、俺なんかに」 封筒の中身は初代新幹線0系の引退セレモニー特別列車の指定席券だった。 差出人は娘のひかりだった。 竜一はひかりを呼びつけた 「バカやろう。何のまねだ。こんなもの・・・」 「何言ってるの。ずっと電車の運転手に未練たっぷりだったくせに」 「うるさい」 「私の名前だって・・・何よ、”ひかり”って、モロ新幹線じゃないの 私を育てるために慣れない営業の仕事やって・・・ つらかったくせに35年間も一生懸命頑張って・・・ あげくの果てにリストラでクビ?・・・ お父さんが運転手辞めた35年前に走り始めた 新幹線0系も同じように思えたのよ」 「バカ・・たかが快速の運転手だった男が セレモニーなんて晴れがましい所へ行けるか・・・」 と精一杯強がってはいるが竜一は涙声になっている。 ひかりは、どうしても竜一を連れて行くつもりだ 「お母さんも私も着いて行ってあげるから」 「バカやろう。一人で行けるわい」 もう涙まみれで何を言ってるか分からない竜一だった。
2003.12.06
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ミー子は某有名英会話学校のセールスウーマンになった。 親に無理言って4年生大学を出たけれど、男子が嵐なら 女子は台風と言われるくらい就職は厳しかった。 何とか潜り込んだのが、ここだった。 ミー子の直属の上司の鏡部長というのが、教材販売の営業一筋25年の 超ベテランで、テレビコマーシャルのさわやかなイメージとは 裏腹に「何が何でも取ってこい」と威勢の良い朝礼でハッパをかける。 いくら何でも100万もする教材が、バンバン売れるはずがない。 1ヶ月の内の20日以上は某大手本屋の店頭で 「英会話のご案内やってます」 とカワイイ声で世間知らずそうな若い子に声をかけているだけだ。 今月のミー子は、まあまあで5本契約。 しかし、最後の1本がどうしても気になる。 最近は強引なセールスへの取り締まりが厳しく、 少しでも怪しいと業務停止処分となる。 この契約もそうかもしれない。 ミー子は思いあまって鏡部長に相談した 「どう思います?」 「ノイローゼかもしれないな。精神的な病気の人に契約させたとなると」 「本人も言ってましたし、たしかに少し問題あると・・・」 「役所に持ち込まれたら、やばいなあ・・・ 残念だが、危ない橋を渡るのはよそう。今月は順調だし」 どうやら、ミー子の契約したフリーターの男の子がノイローゼだったようで あとで問題になっては困るので、会社の方からキャンセル扱いにしたのだ。 ところが、翌朝、ミー子が出勤すると鏡部長が浮かない顔をしている。 「来てるんだよ」 「誰がですか?」 「昨日キャンセルしたお客様がお母さんといっしょに」 「え、私、失礼なこと何か言ったのかなあ」 「とにかく、問題になったら困るので、僕も一緒に対応しよう」 応接室には、男の子とお母さんが大人しく座っていた。 ミー子と鏡部長が来ても、二人そろって恐縮して丁寧にお辞儀をした。 お母さんが口を開いた 「あの、なんとか、この子に英語を教えてやってください」 何か苦情を言われるのを覚悟だった鏡もミー子も拍子抜けした 「はあ、と言われても・・・」 お母さんは、かなり真面目だった 「そうです。たしかに、この子は人前でろくに話のできない 困った子です。でも・・・そこを何とか」 意外な展開に鏡は 「お母様と連名で申し込んでいただけるのでしたら」 お母さんは少しホッとしたようで 「はい、結構です。この子が払えなければ、 私が、どんなことしても支払って行きます。 恥ずかしい話ですが、この子は離婚した私の元夫に 殴られ蹴られて育ちました。子供の頃から、何の意思表示も できない子で中学は2年から登校拒否。学校でも いじめられたんでしょうね。高校にも行きませんでした。 いつも、ぼーっとして、まるで、幽霊のような子でした。 その子が昨日の夜、お母さん、俺、英語の勉強していいかな。 無理だろうけど女優のサンドラ・ブロックに会いたいって・・・」 お母さんは涙を拭きながら話を続けた・・・ 二人が帰ってから鏡部長はミー子に 「僕たちの仕事は、人をだます商売だとか、 強引な仕事だとか批判もされるけど あんな可哀想な子にチャンスを与えることもできるんだよな」 としみじみと語った。そして、 「信じられないかもしれないけど、僕も子供の頃人見知りでね、話しなんかできなかったんだよ」 と恥ずかしそうに付け加えた。ミー子は 「いつもは鬼のような部長も本当は優しい人なんだ」 と思った。
2003.12.05
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頭を坊主にして数ヶ月が過ぎました。 いろんな人にとやかく言われましたが 結構、うらやましく思っている人もいまして、 とくにバーコードになってしまった おじさんやストレスで頭頂部が怪しくなった お兄さんたちは 「わたしも、そうしたいのですが思い切れなくて」 とか言ってましたが 「そう思ったけど、リアップとか言う良い毛生え薬が 売り出されたので、やっぱり、やめます」 と最近トイレの鏡で前で頑張っておられます。 初めての夏を迎えて思うのですが、坊主は多少の 汗をかいても風が吹いてもヘアスタイルは 気にならないし、さわやか快適そのものです。 しかし、日中カンカン照りの外に出ると結構大変なのです。 30年もの間、陽に当たることのなかった 地肌が突然太陽光線の洗礼を受けたのであります。 パッション(衝撃)はひとしおです。 太陽光線で頭がジンジン・・・来ます。 こんな感触は初めてですので、さて、どうしたものか。 髪の毛が少し伸びると床屋さんに行きます。 「どうぞ」と言われ座れば、 早い!! 東京駅や大阪駅には15分とか10分とか、 スピードが売り物の床屋を見かけますが、 それどころではありません。 モノの数分もたてばバリカンでスッキリ。 すぐにシャンプーに移ります。 床屋の兄ちゃんは ゴシゴシ私の頭を洗い始めると決まり文句を言います 「どこか、かゆいところは?」 長年、この床屋に通っている私は 「うーんと・・・背中」 と言えば、「またか」と言わんばかりに顔を引きつらせながら ハハッハと声だけで受けてくれるのがうれしいのです。 ここまで来ても、他の人の半分も時間が経過してませんので、 耳かきや肩のマッサージを特に入念にやってくれます。 そして、もうすることもないので、 これで終わるのですが ここでも、異変が起こっています。 床屋の兄ちゃん最後の決まり文句があるのです。 「なにか、つけますか?」 と言われれば 「ムース」 とか 「いや、今日はいいですよ」 とか答えるんですが、 床屋の兄ちゃんは私の坊主頭を見て、 ムッと口を貝のように閉じます。 とまあ、こんな具合ですが、 女性の好みも若干ですが変わりました。 男も女も茶髪金髪赤髪が流行っていますが 黒髪の女の子を見ると年甲斐もなくゾクッと心が時めくのは 無い物ねだりかもしれません。
2003.12.04
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トオルは、大変なカーマニアでした。 中学生の頃から、暇さえあれば鈴鹿サーキット に行ってカートに乗ったりしていました。 F1のことなら何でも知っていました。 セナを異常なくらい尊敬していて、 ライバルのプロストのことを少しでも 評価することを言うと目つきが変わって 恐いくらい批判してくる、そんなヤツでした。 トオルは高校生くらいになると本気で 「レーサーになりたい」 と友達や両親に言うようになりました。 「乱視になるから、絶対に電車の中では本を読まない」 とか 「高速スピードに耐えるため、首を鍛える」 と言って首たて伏せを100回毎日必ずやっていました。 体重にも、非常に気をつかって、1日3回は 体重計に乗って記録に付けたり、ダイエットに 大変な関心を持っていました。 そんな彼ですから、高校3年生の夏休みには 普通自動車の免許を、そして、 高校卒してすぐにB級ライセンスを取っていました。 お父さんがJRの職員でしたので、推薦でJRに 就職が決まり操車場で構内係として働きながら A級ライセンスを目指すとのことで 通勤にも休日にも本田のプレリュードを 颯爽と乗り回していました。 友人たちから見れば、もしレーサーになれなくても安心な 職場にいるし、うらやましいほど順調な彼でした。 そんなトオルですが、24歳くらいの時だった と思います。魔が差したのかもしれません。 合コンで知り合った女性と深い仲になって 彼女が妊娠してしまったのです。その上、 彼女が高校生でしたので、少し問題がおきました。 「うちの娘、どうしてくれるんや」 彼女のお父さんが、トオルの家や会社に怒鳴り込んで来ました。 今まで、特に苦労なく生きてきたトオルは、 かなり追いつめられてしまいました。 信用のある職場に勤めているから なおさら辛かったかもしれません。 当然、トオルには弁解の余地はなく、 彼女は在学中のまま、結婚し卒業式を 待たずに赤ちゃんを産みました。 こうなると、生活の重みが肩にズシッと 来たのか、ストレスから逃れるために 酒ばかり飲む日が続きました。体重も 58キロだったのが80キロになり、いつしか レーサーになる夢のことなんか、どっかに置き忘れた ただのオッさんになってしまいました。 30を過ぎて、数人の部下もいる主任になったトオルに 数年前、あるニュースが飛び込んできました。 「セナが死んだ!?」 F1の申し子とも呼ばれた名レーサーのセナが、 レース中の事故で亡くなったのです。 テレビのF1番組も見なくなっていたトオルが知ったのは 事務所で若い社員が読んでいたスポーツ新聞でした。 「おい、久しぶりに鈴鹿に来ないか・・・・・」 スポーツ新聞の元気な頃の笑顔のセナは、 そう呼びかけている、そんな気がしたトオルは 奥さんと小学生を連れて久しぶりに鈴鹿にやってきました。 この5年で車はスポーツタイプのプレリュードではなく ファミリータイプのアコードに変わっていました。 妻子連れでも鈴鹿サーキットに来れば、 不思議とトオルの心は弾みました。 昔の彼と同じようにレーサーを目指す若者が たくさんいるからです。 コースを見ればマシーン音が響くからです。 「今日のあなた、ちょっとステキよ」 「そうか?」 「私が好きになったのは、今日のアナタかもね。 時々来ましょうよ。コブ付きで良かったら・・・」 「言われなくて連れてくるよ・・・」 トオルは久しぶりに青春していました。
2003.12.03
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小学校の教師をしている池上先生は 「いいか、あきらめるな。 自分の限界は自分で決めるものじゃない。 あきらめない勇気が必ず役に立つときが来る」 何か事あるごとに生徒たちに訴える情熱先生です。 そんな池上先生のいる小学校の運動会での事です。 徒競走が始まりました。 リズミカルな音楽がスピーカーから響き渡ります。 パンと音が鳴ると、ワーッと言う喚声とともに 子供たちが次から次へと走り出します。 その中で他のレースの何倍も時間のかかるレースがありました。 たぶん、小学校3年生くらいでしょう。 他の子供たちがゴールしているのに 半分も走っていない子がいます。 T君です。 「おそいなあ。あいつ」 「なんだよ。あれ」 心ないブーイングが場内に広がり始めました。 T君は、背も低く、顔もドス黒い子です。 たまたま見ていた5年生の担任の池上先生は、 「あの子は・・・」 そう呟くと数ヶ月前の職員会議を思い出しました・・・ T君の担任の先生は、たしか新任の女の先生でした 「私一人だけではT君を守れません。 職員全員で守ってあげなくては・・・T君は 赤ちゃんの時に大きな病気をして肝臓がボロボロなんです。 いつ、病院に入院することになるかもしれないんです」 涙ながらに語る彼女には、多くのベテラン教師にない ひたむきな情熱がありました。 そんな彼女を白けた顔で斜めに見る多くの教師たちに 池上先生は腹わたが煮えくりかえる思いでした・・・ 「クソッタレー」と吐き捨てるように言うと池上先生は 「オーイ、ガンバレー・・ガンバレー」 と手を大きく振り力の限り声を上げました。 そして、何度も何度も「ガンバレ」を叫びました。 すると、池上先生の声に引っ張られるように、 あっちからも、こっちからも、 ガンバレーと子供たちの声が次々と追いかけてくるのです。 ガンバレー、ガンバレー、ガンバレー・・・ いつの間にか池上先生の声は子供たちの声に吸い込まれ、 ガンバレーの大合唱になりました。 そんな大合唱の中、 T君が倒れるようにゴールへ入ると、 大きな滝のような拍手の嵐が鳴り響きました・・・
2003.12.02
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80数年の歴史を数える高校野球。 ラジオ放送が始まったのは、 夏の第13回からだった。 実は第10回から話はあったのだが 甲子園球場の主催者電鉄が反対した。 「放送をやると球場に客がこなくなる」 という理由だった。
2003.12.01
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