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「奇妙な姿の木」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。何とも奇妙な姿の木である。木が折れ曲がり幹の骨組みだけが、見えており木は横に伸びていた。自然植物園というだけあり、歩いて回るのにも2時間半ほど掛かった。
2009.09.30
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「如何に背景をスッキリさせるか」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。植物の撮影で気を付けている事柄は、やはり如何に背景をスッキリさせるかだろう。その意味では、望遠レンズは欠かせない。しかし、旅行には重くて機動力に欠ける。万能な28mmから300mmレンズを買ったが、写りがイマイチの為、すぐに売ってしまった。
2009.09.30
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「本当の呼び方はソテツ」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。シーサンバンナの自然公園以外でも、多くの写真のようなザボンを目にした。この実がザボンかどうかは別にして、シーサンバンナには沢山の花や実が成っている。今まで写真の植物をサテツとばかり思っていた。しかし、本当の呼び方はソテツだった。結構、大きく育ったソテツの木だと思う。
2009.09.29
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「想像力を増すほどに」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。熱帯林とか熱帯雨林と聞くと奇妙な形の、花や果実を連想し、色あざやかな鳥や昆虫を、私がそうであったように思い描く人も多いと思う。熱帯林という言葉は想像力を増すほどに、雲南シーサバンナには広い範囲にわたって、熱帯林が広がっており、強い酸性を示す場所には、真っ直ぐに伸びる木が沢山見られる。熱帯雨林には、高さ50メートル以上に達する高い木が生えている。周囲の森と比べて独特の景観を作りだしている。日本も江戸時代沢山の真っ直ぐ木があったが、その多くは、すでに伐採されている。
2009.09.29
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「死とは生を受けるための休息」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。私は花の写真を撮る時に満開に咲き誇った姿も、まだ咲ききれずに蕾のままの花、また散り行く、花を撮る時と様々な思いでレンズを向ける。私は花の散り逝く姿を撮影する時に放浪記の一節、「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と、言う林芙美子の書いた小説を思い出す。あれほどまでに綺麗に咲き、雨に打たれても、風に吹かれてもじっと耐え、頑張って笑顔を見せる。だが散る時は潔く、散っていく姿に人の散る姿と、オーバーラップさせるが、花も人も同じで、死とは生を受けるための休息なのではと思う。
2009.09.29
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「ブログ上で教えてもらったが」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。熱帯地方の花の名前は分からないというより、誰でも知っている花以外は、殆ど分からない。以前、この花の名前を海南島の旅で撮影し、ブログで公開した折に、ブログ上で教えてもらったが、今思い出そうとしても思い出せれない。
2009.09.28
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「観光地化が進めば進むほど」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。シーサバンナの熱帯植物園のスケールは、上海植物園の比ではないが、何度も訪れた人は、観光地化が進めば進むほど自然が破壊されると話す。私は今回始めて訪れたので以前の環境は、どうやっても察する事は出来ない。ましてや、孔雀や自然の緑に触れると、以前の環境の事など忘れてしまう。
2009.09.28
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「手入れがよく行き届いて」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。熱帯植物園はシーサンバンナに2箇所あり、私は郊外の植物園を訪れた。シーサンバンナ州と中国とで運営され、手入れがよく行き届いて気持ちよいほどだった。
2009.09.28
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「温暖化の影響を受け」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。シーサンバンナ州の州都を景洪(ジーホン)と呼び、標高は500mの所にあり、多くの少数民族が暮す。少数民族の多くは自給自足の生活を送っている。最近の温暖化の影響を受けて、雲南省西双版納でも、降雨日数が減少を続け氷河消失などが起こり、21世紀に入ってからの9年で、平均気温は0.6度上昇、干ばつ発生率も3年に1回が2年に1回に変わっている。
2009.09.27
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「タイやミャンマーのムード」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。多くの中国人が西双版納は、実に美しい所だから、一度は行くといいですよと進められた。その西双版納の話しを中国人にすると、私はまだ行った事がないと答えるから笑うに笑えない。西双版納は中国雲南省の南西部に位置する。タイ、ミャンマーと国境を接している事もあり、西双版納はタイやミャンマーのムードが漂う。
2009.09.27
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「思い切ってシーサンバンナへ」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。シーサンバンナは緑豊かで花や木の実も、豊富な綺麗な所だと聞いていた。雲南昆明までは行けれるのだが、いつも、北の方のルートを通り南方へは行った事がなかった。今回思い切ってシーサンバンナへ来て良かった。そのように思うのも自然がいっぱいだからかも知れない。昆明空港からシーサンバンナ空港へ着陸するのが、また昆明空港へ引き返し着陸し、待機時間も含めると、かなりの時間を掛けて南国へ来た事になると思った。
2009.09.27
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「大スコールの為滑走路閉鎖」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。昆明から飛行機を乗り継ぎシーサンバンナへ。夜9時30分昆明から西双版納空港へ向い飛び立った。私は今までの疲れでそのまま寝入ってしまった。スチュワーデス(空中小姐)のアナウンスで、目が覚めたが「後10分ほどで着陸する」という、アナウンス内容しか聞こえなかった。だが実際にはシーサンバンナ(西双版納)へ、向っていた飛行機は、大スコールの為、滑走路が閉鎖され、昆明まで引き返したのだった。画像は曼島と言う名の観光地で歴史のある村。
2009.09.27
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「タイかマレーシアのよう」 「中国上海写真ライフ」では、雲南省「シーサンバンナ」の写真を公開しています。雲南昆明へは今回で、3度目であるが、シーサンバンナへは、初めての旅である。昆明から更に飛行機で飛び、陸路を走り3時間掛かった。手作りの柳の彫り物や像が多くあり、その風景はまるでタイかマレーシアのよう。小雨がぱらつく中だったが、裕福な民家に入り、地元の人が作った革製品や、指輪貴金属などを曼島で見ただけで購入は控えた。
2009.09.26
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「次の旅は雲南シーサバンナ」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。私はこの時、とても急いでいた。なぜならば上海へ飛ぶ飛行機の時間が迫っていたからだ。旅に出て写真撮影に気を取られていると、時間は驚くほど早く過ぎ去っている事に気付く。そんな時に結婚記念写真のカップルが、色々なポーズを取っていたので急ぎ撮影した。結婚前に記念写真を撮る事は各地の観光地で見られる。上海の地でも特に植物園などで見られる光景である。今回の旅は、この辺で終わりとしよう。次の旅は雲南シーサバンナに飛ぶ予定。では、また~ ブーザン@上海
2009.09.26
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「家族を一番大切にする」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。中国では家族を一番大切にし、親族関係は驚くほどに守り支えあっている。中国の道教から来る教えなのかどうかは、別にして、他人にはかなりあくどい事も行うが、身内に対しては、これまでもと思うほどである。また何かに関して縁に関しても、必ず重んじているのも中国の面白い所である。やっと見つけた寺の入り口の階段横に、女人の像が作られ建てられていた。その両脇には花が綺麗に咲いていた。
2009.09.25
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「寺へ行く道を間違えてた」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。ウルムチ市内の公園で暫し雰囲気を楽しんだ。とても手入れされた公園だと思いながら歩いた。胡錦祷主席の皆で力を合わせ、一緒に発展しようの、言葉が蘇るような、モニュメントを撮影した。水を撒くのもゴルフ場にあるような、自動噴水装置で水を撒いていたので、身体に掛からないようにと避けながら撮影した。公園内には沢山の石碑が建てられたり、埋め込まれたりしていたが読む時間も無く、先へと急いだが、急ぐあまりに、寺へ行く道を間違えてしまった。かなり大回りをして辿り着いたが、この公園の上に寺が建てられていた。
2009.09.24
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「展望台へ上がった」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。ウルムチ市内中心街の国際大バザールの展望台へ上がった。高さは200mほどあるのだろうか正確な所分からない。その展望台を案内してくれたのがウイグル族の女性で、日本語が上手だったが、中国語共通語も上手だった。手荷物をテーブルの横の椅子の上に置いて、まずは、窓からモスクの屋根越しにウルムチ市内の風景を撮った。次に、展望台内に展示してある写真に興味を持ち見て周り、ガイドから説明を受けたが、外の景色も気になり、レンズを交換して撮影をした中の一枚が上の写真。ウルムチウイグル自治区の今の女性たちは、イスラム信仰で、イスラムの教えに従うような規律もある。しかし、その昔、殆どの女性は、写真のように目だけ出し、口元も隠して他人には見せないようにしている。河の魚は今回の旅行でも、この魚を焼いてもらって、とても美味しく食べさせてもらったが、ウルムチや周辺でも、有名な魚なのかも知れないと思った。下の写真はウルムチの列車の駅で、30年以上前のウルムチ駅のスナップである。
2009.09.23
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「笑顔で握手を求めてきた」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。「新疆--ウルムチ53」で3人の子供たちの撮影をしたが、そのページが、私のキーボード操作ミスで消えてなくなった。なんとも、遣り切れない思いで、以前の画像を探す気力も無く、ページナンバーを詰めて、次の画像を更新した。その昔マレーシアのクアラルンプールのモスクを、訪れて、中へ入ろうとした所、信者以外は、中へは入っては駄目だと制止された事を思い出した。ここは新疆ウイグル自治区ウルムチイスラムの、モスクであるし、新疆では一番大きなモスクである。入れた事だけでも、ラッキーと思ったが撮影の許可を、無理矢理に取ってモスクの中に入り中まで撮影できた。始めは、いかつい顔のウイグル人が、写真は駄目だと、厳しく止められたものの、私の分からない素振りに、人を呼びに行ったようで、鍵の掛かったモスク3階の、扉の前で待っていた所、写真の実に素朴なウイグル人が、笑顔で握手を求めてきたので、私も手を出し握手した。彼の中国語はまあまあで、片言の日本語も話した。写真を撮りたいのですか?と中は何にも無いですよと、鍵を開けてくれたので、了解を得たものと、話しながらも、シャッターを押し続けたが、もうその位でいいでしょうと、鍵を扉に掛け、またニコッと笑うので、貴方はきっと、幸せになれますよと言うと更に笑った。ウイグルウルムチ暴動の1ヶ月前の事である。
2009.09.22
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「扁吻魚の塩焼きを食べた」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ブルジン」の写真を公開しています。カナスのモンゴル図瓦村でガイドたちと落ち合い、ブルジンまでの帰路に着いたがツアー客達は皆さん、疲れた様子で、面白かったですか?の質問に、行かない方が良かったかもしれないですよと、私に気を遣っている様子が伝わってきた。逆に中国人たちから、4時間以上何をしていたのですか?の、質問に、色々な所を見て回り、それぞれの人達と語らい、楽しい4時間でしたよと伝えると、カザフスタンでは、中国語が通じない人が多いので、面白くなかったそうだ。皆は私も含めて、疲れが出てきたのか、ブルジンまでの、道のりを殆ど眠ったままのような感じがした。途中のトイレ休憩でもバスの中で寝ている人もあった。写真はブルジン市内のホテルの前とホテルの横にある、中国各地のお食事処が店を出していた。私は新疆で獲れる扁吻魚の塩焼きを食べたが上手かった。魚の塩焼き方法は中国では珍しい。殆どが蒸す料理法である。
2009.09.21
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「4キロを歩いて来た」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「カナス」の写真を公開しています。どこの国の国境でも通関検問所があり入境手続きをし、その国へ入る事ができ、ごく当たり前の事である。だが、ツアーバスの中の一人の為に皆が迷惑を被り、その本人も何とも気分の良くない出来事である。中国の旅行社もこの路線はこれから先の旅行客には、十分に注意する事であろうし、ガイドにも徹底され、今回のような出来事が、再発しないようにしてほしい。そんな事を考えながら歩いて来たら蒙古ジンギスハンの、末裔の村へ着いた。4キロを歩いて来たことになる。たった一人で村の中へ入って行ったが、昨日食事をした所の、人達やその子供たちが居たものの、私の姿を見ると、他の中国人と観光へ行かなかったのか?など心配して、質問されたが、出来事の内容を話すとそれは残念だったねと、彼らが自分たちで作ったという独特のお菓子を出してくれた。私は次の旅行客のための準備をしているのだろうと思った。モンゴルの人達と話しをしていると時間が直ぐにたった。彼らが私に、少し横になり睡眠を取ったらどうですか?などと、言われたものの一人で眠る気持ちにはなれなかった。
2009.09.20
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「警官はライフル銃を構えている」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。上海から新疆の旅行社へ事前に情報を得ようと、メールを送って回答を得ていた事があった。今回新疆の旅の4番目の目的は、カザフスタンへ、行く事であったがアクシデントが起こってしまった。メール文は全て中国語なので旅行社の人も中国人と、信じて疑わなかったようである。その事が裏目に出た。と言うのも、中国人はカザフスタンへ入る場合ビザは要らず、ノーチェックなのだが、外国人はビザが必要だった。ガイドさえも知らない事を私が知る由もなく中国側の、国境検問所の人に何度もお願いをして、中国人と同じ、バスでカザフスタンへ入ろうとカザフスタン側の検問所で、全員バスを降り、一人一人パスポートを調べられた。検問所の警官はライフル銃を構えているので怖かった。私の番になり日本のパスポートを見せると、中を見て直ぐに、受話器を取り連絡しているが、その時間が長く感じた。その時、検問所の前で待っていたガイドに駆け寄り、話しをしていたが、ガイドの表情で、ただ事ではないと思った。つづく
2009.09.19
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「本心が聞きたいものだった」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「カナス」の写真を公開しています。人類未開の浄土と呼ばれていたカナスは99年から、中国新疆の開発がはじまりモンゴルチンギスハンの、残した子孫たちが住む村が見つかったのもこの頃である。モンゴルチンギスハンの残された兵や老人、幼子や病人、また負傷した人達がモンゴル語を、育てながら800年以上も生き延びてきた村だった。開発されるまでは草原や林の中で生活を送っていた。見つかってよりは道路が引かれ、電気も引かれ、彼らたちの生活習慣も一変したのは言うまでもない。中国人たちはモンゴル人の宿に泊まったが、私は、車で30分ほど走った簡易ホテルで泊まった。自然は美しく感動するが、皆の泊まったモンゴルの宿は、トイレまで200mほどあり、電気も無くあちこちに、こんもりと便が盛ってあり、その中を歩く勇気は、いくら私でも湧いては来なかったし、あくる日中国人に、聞いてみると「泊まらなかって良かったですよ」と・・。更に聞くと「転んでこんもりの上に手を付き大変だった」と、もし泊まる人があるならば、夜の水分は控えめに・・。ある人はビニール袋の中に水分を出したとの事で、彼ら中国人も一生忘れられない思い出が出来ましたと、語ってくれたが、生活水準がある程度高い彼らにとって、中国新疆ウイグル自治区の置き去りにされた人達が、どのように目に映ったのか、本心が聞きたいものだった。
2009.09.18
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「光景はあたかも絵画のよう」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「カナス」の写真を公開しています。アルタイから西へ100キロのブルチンは、今から15年ほど前まで人里離れた辺鄙な所だった。ブルチン北部のカナスが国家級自然保護区として、開発されたため一躍有名になった。中国中の旅行社や雑誌社に話しが広まると、人や金や物が集中して集まるようになった。最近のブルチンの財政は観光収入で財政の、半分ほどをを支えており20年前とは全く違う。ブルチンからカナス自然保護区までは、さらに北へ165キロほど行った所にあり、新疆ウイグル自治区ではその道路建設のために、複雑な地形や急勾配の険しい所へ莫大な資金を投資した。緑の草原には牛や羊の影もまばらだが、澄み切った綺麗な空気を胸いっぱいに吸い込み、車窓に映る色彩も薄緑、青緑、深緑、黄色、褐色と、さまざまに変化していく光景はあたかも絵画のようだった。
2009.09.17
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「羊の群れが隊列を成す」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「カネス」の写真を公開しています。新疆ウイグル自治区の高原ではよく見掛ける光景。実際に牛の群れや羊の群れが道路を塞ぎ群れが、渡り終えるまで車はただ待つしか術がない。このような光景をいくつも見たのは初めてだった。ホテルを朝7時半に出発し、目的のカナスへ向かった。羊の群がしばしば道路を塞ぐとは聞いていたが、放牧に向かう途中の羊の群れだがバスの運転手も苦笑い。道幅の広い所を羊の群れが隊列を成して移動する。このカザフでは毎日の朝と夕方に見られる光景である。バスは大きくカーブしながら先を急ごうとしていた。私は一番前の運転手の横に行き「こんな機会は、滅多に無いので少しバスを止めて下さい」とお願いした。私はすぐさま後ろを振り向くと私と同じように、カメラを抱えて前を見ている中国人たちの姿。やはり彼らにとっても珍しい光景なのだろうと、自分勝手に思いながら連続シャッターを押していた。
2009.09.17
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「期待していたより悪い画像」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「五彩灘」の写真を公開しています。レインボービーチなどと英語で書いてあった。7色の虹までは行かないが、確かに虹のような色である。向かい側の林の緑や河のブルー土の色も何色かある。昔ほどではないが同じ光景のシャッターを切る回数は、相当減ったが、それでも最低3度はシャッターを押す。撮影しカメラで確認した折には綺麗に撮れたと思っても、実際にアップしようとテレビである程度探そうと、試みたが、思っていたより悪い画像にがっかりする。写真撮影結果は色々な条件や偶然が重なり、思ってみなかった情景を残す事もできる。この五彩灘はかなり広い公園であるので10人が、バラバラになった折、探すのに苦労をする。ましてや中国人の中にはビデオカメラを持ってきており、ナレーションを自分で話しながら撮影しているので、更に置いてきぼりになっている人も出てきた。撮影会なのか7人ほどの中国人グループが、ニコンやキャノンのカメラを提げて撮影していた。彼らは三脚を持ちかなりの重装備といった所。私もその昔は重装備をして旅したが結局重たいだけで、一度しか使わず持ち帰った事もあったので機材は、出来得る限り最小限にした方が他人に迷惑を掛けない。 「懐かしくも新鮮な光景」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「五彩灘」の写真を公開しています。大自然が造り出した五彩灘の上に立ち夕陽を見ていると、放牧してあった牛たちを牧場の牛小屋に、連れて帰る牛追いの人と出会った。肉眼で見た夕陽はもっと赤く、雲をもっと赤く、照らしておりとても懐かしくも新鮮な光景だったが、こうして写真を張り付けてみるといま一つ不満が残る。だがその場の臨場感は感じれるのではないだろうか。辺りはもう少し明るかったように記憶しているが、カメラの絞りを絞って撮影しているので暗く感じる。何となくモンゴルの匂いがする景色でもあるが、この辺りは、日本で言う鎌倉時代に蒙古の元が統一した歴史もあり、その時の蒙古軍の負傷兵や老人達が隊列から取り残され、一つの部落を形成し、その後800年間生き延びている。 「新疆地元女性との散歩」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「五彩灘」の写真を公開しています。私は新疆ウイグル自治区のアルタイ地区の五彩灘での、景色や情景に感激し長居したため皆から取り残され、気が付けば辺りは薄暗くなっていた。五彩灘で働く中国人も帰りの時間が来たようで、忙しくしていたが私は「五彩灘の出口までどれ位?」と、聞いた所「ゆっくり歩いて13分ほどかしら」と回答。回答をくれた女性も「門を出ないと帰宅できないので、一緒に行きましょう」と肩を並べ話しながら歩いていると、私の携帯が鳴ったが、ガイドからの電話である。電話の内容は、「皆さん大分前に集まっていますよ」と、私は「今出口へ向かっている」と告げると「早くホテルへ着き食事がしたいと言っていますよ」と少し慌てた様子だが、私は新疆地元女性との折角の散歩を楽しみながら歩いた。
2009.09.16
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「肉眼で見た光景と写真では」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ブルジン五彩灘」の写真を公開しています。五彩灘は布璽津からバスで40分ほどの時間で行けた。既に夕方近くになっており急ぎ五彩灘へ入ったが、太陽が徐々に西に傾きかけた時間帯なので、自然が造った美しさを堪能する事ができた。夕陽の光が前に広がる光景を照らすと、色鮮やかな景色が目前に広がり、シャッターを、押し続けたが、肉眼で見た光景と写真では、写真の方が劣っており、実際の景色は数段良い。始めは3人の中国人女性たちと歩いていたが、気が付くと彼女たちはかなり前方まで行ってしまっていた。如何に私が景色に感動し、同じシーンを何枚も、撮影していたと言う事が、離れた距離で察しれた。五彩灘や五彩河岸と呼ばれる河流域は新疆アルタイと、布尓津(ブルジン)の境界内に位置している。何万年もの風食や浸食などの自然の作用の影響で、典型的な風化土堆群地形が形成され美しかった。この写真は、あと4回に渡り公開したいと思っている。
2009.09.15
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「風食現象により削られた」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ヤルダン」の写真を公開しています。中国のシルクロードは新疆のタクラマカン砂漠の、縁辺に沿って伸びるオアシスルートが有名である。またグルバンテュンギュト砂漠は中国内の砂漠の、タクラマカン砂漠に次ぐ第2の規模と呼べるだろう。 写真の奇妙な岩群の名を「魔鬼城」と呼ぶが、大規模な、地殻変動で大地が隆起し湖の水は干上がってしまい、長い年月を経てでき上がったのが「魔鬼城」である。奇妙な岩は長い間に風食現象により削られて出来上がった。遠くから見た「魔鬼城」は土で出来ているものと思った。だが、実際に自分の足で大地を踏みしめると土ではなく、紅褐色の岩で出来ており、所々侵食が進み土に変わっていた。殺風景に見えた景色も実際に上に上って辺りを眺めると、大自然が造り出した造形美を楽しむ事が出来た。ガイドの話では陽が沈む頃がきれいだと説明するが、いつまでも魔鬼城に居る訳にも行かず次へと旅立った。
2009.09.14
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「葡萄栽培の歴史は2000年」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。トルファンの葡萄栽培の歴史は2000年と言われる。中国5000年の歴史から比べれば半分も満たない。しかし、日本の2000年前と比較してみるとすぐ分かる。記念館のような中では葡萄菜園ばかりでなく、各家庭で使ったランプや火を点ける油灯と、呼ばれるものまで色々と展示されていた。葡萄畑と言っても、その収穫は新疆一であり、衛生カメラで撮影するとトルファンの砂漠とは別に、緑に覆われた大地がハッキリと写り、その広大さを物語る。新疆トルファンで採れる葡萄の品種は何百もあり、ワインも多く作られ、また干し葡萄が各家庭で作られ、観光客を相手に商売をし、重要な収入源となっている。
2009.09.13
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「火焔山に炎が立ち上がり」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。西遊記で牛魔王と孫悟空が芭焦扇を巡って、戦った火焔山がモデルとされている。トルファンのシンボルである火焔山は赤い山とも呼ぶ。三蔵法師一行の行く手を阻むように、火焔山に炎が立ち上がり、先へは行けなくなった。羅刹女の持っている芭蕉扇を使えば炎を消す事が出来る。孫悟空は羅刹女の芭蕉扇の事を聞きつけ羅刹女の、所へ扇を借りに行くが、以前息子の紅孩子が、孫悟空に敗北した事を恨み、扇を貸してくれない。金の延べ棒で術を使って扇を手に入れるが、今度は羅刹女の夫の牛魔王が襲って来る事になる。そんな苦難を乗り越え、火焔山の炎も消して、三蔵法師一行の旅は続ける事ができた。
2009.09.12
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「孫悟空の金の延べ棒」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。火焔山の事をウイグルの人々は赤い山と呼んでいる。トルファンのシンボルでもある火焔山の標高850m。山と言っても一つの山ではなく赤色砂岩で出来ている。赤い岩肌が110キロに渡り山と言うより屏風のように、広がっており、火焔山の山肌には深いシワが刻まれ、長年にわたる地殻変動と風雨による侵食により作られた。地元ガイドの話では、極端な乾燥地帯だが、その昔には、この乾燥した土地にも雨がよく降ったとの事。この地域では最高気温が50℃にも達し、陽炎が立ち上る。写真は孫悟空の「金の延べ棒」を模り気温計を作っている。何ともユニークではあるが、それほど昼と夜の気温の差がある。火焔山へ出て一番に飛び込んで来たのは孫悟空達の像だった。
2009.09.11
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「裕福ではないウイグル族の生活」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。子供の頃から、ブドウ作りの勉強を受けているような、ろう人形のブドウの実が豊作の中で、子供が父の姿を、見上げるシーンが何とも上手く表現されていた。ウイグル族の一家団欒の茶の間のようである。まだまだ現在でも裕福ではないウイグル族の生活だが、50年以上前は、もっと大変な暮らしが見え隠れする。小麦粉を捏ねて、それを油を塗りながら、台の上を、小麦粉で叩いて、だんだん伸ばしていく麺つくりである。中国の各地で見受けられる麺はこの手法である。また子供たちの玩具から家の中のもの全て手作りである。中華民国時代は中国の貨幣は22の省と5つの自治区の、各省で発行されていたので、写真のように新疆省と、名前が印刷されているが、中華民国時代の新疆は、新疆ウイグル自治区ではなく、新疆省であったようだ。
2009.09.10
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「遺跡の中心は幅3mの大道」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。トルファンのなかでも有名な景観は、「西遊記」の小説が生まれた火焔山である。高昌古城、べゼクリク千仏洞の北を東西に、100kmにわたって連なり、地表の侵食と地殻変動で、崖全体に炎のような奇妙な模様が入っている。その前に交河古城の中に入ったが、高さ30mの崖上という立地が天然の要塞を、成し、遺跡の中心は幅3mの大道が貫いている。西北部に寺院遺跡、東北部に一般住居が集中する。交河古城は世界でも珍しい「彫刻都市」で、黄土の台地を上から掘り下げてつくられている。そのため日干しレンガを積み上げた街とは異なり、建築から1000年以上を経たいまでも保存されている。だが保存状態が良いといっても、風化は進行している。
2009.09.09
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「ウイグル族の子供たち」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。トルファンへ行く途中で葡萄園に立ち寄った。もし一人でバスに乗って行っているならば、直接トルファンへ向かっていただろう。井戸を掘ってその井戸と井戸を溝を掘りつなげた。イスラムからの指導との事だったが、砂漠の中で、水を汲み出すことが如何に大変で難しかったかが伺える。ウイグル族の子供たちが、学校の休みを利用し、葡萄園で採れた干し葡萄を売っていた。中国人の、子供たちとは違ってイスラム社会の表情をしている。砂漠近くでは珍しい青々とした大きな木が聳え立つ。その横を通り抜けると、博物館の前に出た。同じツアーの若い二人が中へ入って行く所である。
2009.09.08
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「見ざる、言わざる、聞かざる」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。中国各地の旅行先で見掛ける翡翠のブレスレットである。だが偽物が多く出回っていて、最近の偽物作りの技術は、日本の技術など中国の足元にも及ばないと最近思う。「見ざる、言わざる、聞かざる」という3匹の猿は、左甚五郎が日光東照宮の門に3匹の猿を寄進しており、日本独特のものと思っていたが、シルクロードを経由して、中国から伝わったものだという見解があり、トルファンのブドウ畑の土産物売り場で見掛けて信じるようになった。トルファンの途中で入った葡萄園の博物館と土産物屋で、見掛けたブドウの成る木を撮影したが、本物の葡萄のような、錯覚を起こすほど精巧に作られた葡萄が成る木だった。この絵が描かれた時代を聞いた所、130年ほど前だという。130年前と言えば日本では明治11年で、こう考えると130年前が、かなり前のような気がするが、新疆では油絵の絵の具があり、油絵を描く技術が有ったのかと思うと信じがたかった。
2009.09.08
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「新疆の民族弦楽器」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。道順に沿って歩いて行くと、新疆の民族弦楽器が展示され、ラワープ、ドタールと言われる弦楽器や、ダブと呼ぶ、タンバリンの皮に絵が施してあり、上海からの大学講師が、買えるかどうか聞いていたが、非売品と言う事だった。ラワープという弦楽器はマルベリーという名の木材から、本体が作られ、高級品にはスネークスキンが張ってある。展示品の横に置いてあるラワープという弦楽器を弾いてみた。高校時代からギターを弾いていたので簡単だった。マンドリンのような弦楽器とスネークスキンが張ってある、ラワープという弦楽器とでは、ラワープの方が澄んだ音が、何とも三味線の高い音にも似ており、その独特の響きに、安心感と楽しさが湧く感じだったが、このトルファンなので、マッチしているが、上海へ持ち帰れば違和感が出ると思った。中国のどの地方でも見られる丸木を干し乾いてから、丸木の部分を少しずつ削りながら作り上げた置物である。中国の観光地の中でも雲南省や河南や湖南などで見掛けたが、こちら新疆トルファンのはまた見事な彫りかたであった。一人の中国人が記念にと小さい彫り物を買っていた。
2009.09.07
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「トルファンでは海抜がマイナス」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。トルファンはトルファン盆地の中央辺りになり、北の方を眺めると5000メートル級の天山山脈が見れる。海抜2500メートルの所にあった湖を旅してきたが、トゥルファンでは海抜がマイナスになってしまう。トゥルファン市街の近くにあるアイディン湖の水面は、海抜がマイナス154メートルと、中国で最も低い。トルファンに向かう途中でブドウ園とカレーズを見るため、バスを降りてブドウ園の中に入ると先に土産物屋へ入る。中国の何処の旅行社でも同じように、観光地の土産物屋と、つながっており、必ず土産物屋に入る仕組みになっている。もし土産物屋の中に入らず、先を急いだ場合には、土産物屋のサインがなくガイドはチップをもらえない。私が不思議に思いガイドに質問した事があるが、私たちの仕事の手助けをして下さいという内容の説明を、受けた事があるが、買い物が目的ではない旅なので、いつも時間が勿体無いと思うのは私ばかりではないと思う。 「天山山脈の雪解け水」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。トルファンへ行く途中にある葡萄園へより土産物屋に、入ったが、買い物意欲が湧かないので直ぐに外へ出た。外では葡萄園と言うだけあって、多くの葡萄の棚があった。暫しの間ブラブラしながら、私を除いた11名を待ったが、外に出てきた中国人の手には沢山の買い物品が握られ、これからトルファンへ向かい観光をするという感じが、見受けられず、彼らの話はもっと買えばよかったと・・。この一帯は農業が主で、ブドウ・綿花・ハミウリが特産。だが砂漠地帯に水をどうやって運んで来るのか興味を持った。博物館に入り、古来よりの農耕器具や井戸の説明を受けた。水源は天山山脈の雪解け水を、山の麓から持って来る。山麓から30mほどの間隔で、並ぶように井戸を掘っていく。その井戸の底部分を掘りつなげて水路としたものである。10世紀後半にイスラムよりウイグルへ伝わったと言う事で、その井戸や掘りつなげた地下の仕組みをカレーズと呼ぶ。 「雨花石と呼ばれる石」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「トルファン」の写真を公開しています。写真の石は、10年ほど前に南京を旅した折に南京郊外で、見た雨花石と言う名の石に似ていた。雨花台というのは、中国共産党と国民党とが争い、戦闘が一番激しく、多くの兵の流血があり、兵の礼を敬う為に建てられた。 その雨花台の雨花石と呼ばれる石は、水に浸けると、メノウのように光沢があり、半透明の飴のような石で、写真の石は、雨花台で聞いた話しでは、南京の地でしか、取れない石との事だったが、何処でも採取出来ると思った。10世紀の後半に砂漠の水が少ない地方へ水を運ぶ方法が、イスラムより伝えられ、現在豊富な農作物が出来る。ブドウ棚の手前には、イスラムより伝授された井戸を掘り、その井戸の水を溝を掘りつなげたカレーズがあった。イスラム世界のイランやイラクまたカイロなどは確かに、砂漠化して水の供給に困る地方が多く、生きるための、知恵から生まれた方法なのであろうと思ったが、次々に、井戸を掘り、その井戸の底をつなげていく方法は、当時としては画期的な方法だったろうし今に受け継がれる。
2009.09.06
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「上海から来たと言った」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。ウルムチ市内のホテルへ戻り、ホテルの近くにある、羊肉の串焼きを焼いてもらい食べたが、上海で食べる羊肉とはまた違い、新鮮な感じの羊肉に、更に、焼いてもらいホテルの部屋に持って帰って食べた。ホテルの部屋に持って帰る分は5本で十分だろうと、「5本焼いて下さい」頼むと「5本でいいの?」と、不満そうな感じだったが、座ると笑顔が戻った。ウイグル語で隣の友人と話していたが突然に、「あんた何処から来たのか?」と聞かれた。日本からと言うと、また説明が面倒なので、「上海から来た」と言うと、「上海は良い所だ」と、上海へ出稼ぎに行っていた頃の事を話していた。写真はウルムチ郊外の風力発電のプロペラである。数え切れないほどのプロペラが至る所に立っていた。日本の風力発電はアメリカや中国郊外に比べると、遅れていると思ったが、ふと「北の国から」の風力、発電を富良野の田舎で作り電球が灯った事を思い出す。
2009.09.05
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「食べてみますか?」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。中国新疆の天池の標高は2000メートルほどあり、バスで登って行く毎に寒さが増し雪が積もっていた。南方から来た若い二人は雪を始めて見るかのように、雪だ~とバスを降り、その後期待通り滑って転んでいた。気温が急に上がっているのか道路から蒸気が昇り、辺りは何となく幻想的な雰囲気に包まれていた。写真は首を取られた羊が無造作に吊るされていた。私は何か食べなければと思ったが、さすがに羊は、食べる気がせず、ビスケット類を買い食べた。写真はナンと呼ぶウイグル族のパンの一種であるが、同じツアーの上海から来た上海大学非常勤講師の夫婦が私に「食べてみますか?」と手渡してくれた。手渡しなので閉口したが、食べると美味しかった。小麦粉をこねて発光させ、円形状にしたものを、大きな炉の内側に貼り付けて焼いたものであるが、何となくフランスパンのようでもあり、ピザのような、舌感で噛めば噛むほど味が出るような感じだった。
2009.09.04
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「共に成長共に発展をしよう」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。一人旅のために中国人寄せ集めの中に入った。勿論、行き先は現地の中国旅行社へ連絡をする。全てのやり取りは、中国語のみでやり取りされるので、中国語の話せれない人や片言の人は参加出来ない。チベットや新疆ウイグルウルムチ方面は騒乱後、現地での旅行参加は更に厳しくなっている。私がウルムチを旅した頃はデモ騒乱の1ヶ月程前の事。5月末頃にウルムチ市内に居たが平穏な街だった。現在では胡錦涛主席がウルムチでウイグル族の幹部と、会談しその後の演説で、我々と共に努力し同じように、共に成長共に発展をしようと2009年8月下旬に語り掛け、大きな希望の拍手が舞い上がるシーンを写していた。ウイグル族の人々の中国語も非常に癖がある。日本人の中国語発音より悪いような印象を受ける。写真は沢山の馬を放牧し自然の中で伸び伸びした感じ。私たちは大型バスに11名で行動を共にする事になった。一組の夫婦は上海大学の教鞭を定年退職し非常勤講師。若い夫婦とその子供は北京から参加の会社社長夫妻で、結婚前の2組のカップルと一人旅の38歳ほどの女性。そして私を入れた合計11人で、これから「天池」へ向かう。
2009.09.03
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「ここのマントウは上手いぞ」 「中国上海写真ライフ」では、新疆自治区「ウルムチ」の写真を公開しています。敦煌から嘉峪関までバスで砂嵐の中を4時間掛けて走り、何とか嘉峪関の火車站まで着いたが、嘉峪関でも異常な、気象のため気温が一気に15度も下がり真冬のような、冷たい強い風が吹いていた。薄着の私はリュックより、薄いセーターとウインドブレーカーを取り出し羽織った。嘉峪関では夜7時45分発のウルムチ行き列車なので、付近の値段の安そうなレストランを探したが体の良い、レストランは無く、仕方なしに一杯飯屋風の店に入る。横にスライドさせるガラス張りサッシが砂のために、中々開ける事が出来ず、店の中から開けてもらった。中に入って椅子に座っても、皆地元中国人か旅行中の、中国人が座っており、目が合うと頭をぺこりと下げた。ウルムチの駅に着いたのは朝7時15分ほどであった。ウルムチを漢字で「烏魯木斉」と書き、烏魯木斉とは、地元ジュンガル部の言葉で「美しい牧場」を意味する。ウルムチは古くから周辺の遊牧民族と漢民族による、領土の奪い合いが続けられ、清朝時代の光緒帝の時の、1880年代に新疆省が設置され迪化は省の省都となった。私は一人でポツンと立っていると「朝食は食べたか」と、聞いてくる中国人のコックに聞かれたので「まだだ」と、答えると、「ここのマントウは上手いぞ」と進められ、ホテル兼レストランの中に入って進められたマントウを、注文した所、驚くほど早く出てきたのでマントウを食した。思ったより口に合い、食べ終わってより外に出て、話しをしながら撮影したのが上下の写真である。
2009.09.02
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「エキゾチックな語源の響き」 「中国上海写真ライフ」では、甘粛省敦煌「月牙泉」の写真を公開しています。私はシルクロードとは前回行った西安(長安)から今回旅した甘粛省から新疆ウイグル自治区を通り、遠くはローマまで、通じていると思っていたが、どうやら日本にも達しており、奈良も含むようで中国製やペルシャ製の貴重な宝物が、遣唐使に随行してペルシア人が日本に来ていたようである。友人の学者の話では、唐代当時の日本飛鳥京や平城京は、シルクロードの日本の玄関でありシルクロードの東の、終着点と呼ばれていた事もあるようだ。私はNHKで、特集を組まれたシルクロード-絲綢之路の番組を良く見た。お客様との商談の折に見れない時には留守録をしていた。シルクロードという言葉自体が醸し出す何とも言えない、エキゾチックな語源の響きと、西安や敦煌、新疆などの、まだ見た事の無い中国の国に行きたい思いが増した事も、事実であったし、友人が北京へ旅行に行って来たと聞き、友人に会い何とも言えない嫉妬も抱いた事を思い出す。私は寺男のおじさんと色々と話をしながら下りてきた。その途中でも何枚もシャッターを切っていたら「同じ所で、何枚も写真を撮るのだね~。一枚で良いのではないか」と、問われたが、不思議に思われても仕方がないと思った。実際、同じシーンを6枚ほど撮影し、最終選ぶのにも苦労する。亡き父がプロカメラマンでモデルを何枚も撮影していた事を、何度も見ていたので、そのクセが自分にもあるのかも。
2009.09.01
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