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湯川れい子氏、終戦時9歳は「戦争経験に入らない」の声にあきれ…「あなたは何が言いたいのですか?」作詞家で音楽評論家・湯川れい子氏(90)が23日に自身のX(旧ツイッター)を更新し「戦争の経験」を巡り自身の考えをつづった。一部ユーザーが、湯川氏が終戦時に9歳だったことを受けて「戦争経験には入らない」といった内容をポスト。これに湯川氏は「貴女は何が言いたいのですか?と言うより、頑張って何を主張なさりたいのですか?」と投げかけた。「私は8歳の時に、疎開していた山形の米沢市で、昼間、道を歩いていた時に突然、空襲警報が鳴り響いて、見上げたら頭上にアメリカのB29が一機。急に高度を下げて、操縦桿を握る兵士のブルーの眼が見えたように思える距離まで降下。機銃掃射を受けて、塀の蔭に隠れたことがありました。それも戦争体験としては、ずっと悪夢として記憶して来たものですが、これだけでも充分です」また「戦争で私をめちゃくちゃ可愛がってくれていた軍人だった父を見送り、18歳上の長兄がフィリピンで戦死。姉の婚約者が戦地で玉砕。と、まともに戦争を体験しています」と壮絶な半生を振り返っていた。---どう見ても、自身はまったく戦争体験がないであろう人間が、戦争末期、9歳の時に機銃掃射を受けた経験を語る湯川氏に対して「戦争経験には入らない」とか、あんた何様という感想しかありません。更に、これとは別人と思われますが---多田 将@sho_tada湯川れいこさぁ、8歳のときに、B-29の機銃掃射を受けた、操縦桿を握る兵士のブルーの眼が見えた(それぐらい低空飛行して)、て、やぱ子供の戦争体験なんて当てにならんやん笑笑---こんなことを書き散らすトンデモも現れる惨状です。確かに、湯川氏がB29と書いているのは勘違いで、小型の空母艦載機(F6F、F4U、アベンジャー雷撃機、ヘルダイバー急降下爆撃機など)かB29の護衛戦闘機P51などである可能性は高そうです。が、どう見ても兵器に関心など薄そうな当時9歳の女の子が、敵の飛行機の正確な機種を把握できないことに、何の不思議もありません。ちなみに、最初引用文で示しているように、湯川氏は「操縦桿を握る兵士のブルーの眼が見えた」とは書いていません。「~眼が見えたように思える距離まで降下」と書いています。本当に見えたなどとは言っていないのです。ただ、戦時中米軍機の機銃掃射から逃げ回った経験のある人は大勢いて、その中に「敵のパイロットの顔が見えた」「目が合った」等の証言をする人は大勢います。何を隠そう私の亡父もそうなのです。疎開先の近くに化学工場があって、そのために小型機の機銃掃射にあったことがあるそうです。父は敗戦時小学4年でした。聞いたのはかなり前なのでうろ覚えですが、父もその時、敵のパイロットの顔が見えた、と言っていたような記憶があります。もちろん、「本当に見えたのか」なんてことを追求するのは意味のないことです。だから、仮にもし「パイロットの眼が見えた」と書いていたとしても、それは誇大表現でも「盛りすぎ」の表現でも何でもないのです。事実としてそうだったかどうかはともかく、そのように感じた経験のある人は、大勢いたのですから。そして、湯川氏が遭遇した飛行機は、確かに実際はB29ではなく小型の戦闘機等を誤認した可能性が高いのですが、では、本当にB29である可能性が「絶対に」ないかと言えば、そこまでの断定はできないのも事実なのです。可能性は低いけど、絶対ではない。一連の議論を見ていて驚いたのですが、B29は高高度爆撃機だから、低空で機銃掃射なんかしない(だから湯川氏がB29に銃撃されたのは嘘だ)、なんてヨタ話を開陳する「ミリオタ」が少なからずいることです。B29が地上を機銃掃射した話はたくさんあります。確かにB29は、排気タービン(ターボチャージャー)を備え、高度1万メートルでも飛行性能がほとんど落ちない高高度爆撃機として開発されました。当時日本陸海軍の航空用エンジンは、高高度性能が大きく劣り、高高度を飛ぶB29の迎撃に極めて苦労していました。日米の圧倒的な工業力、技術力の差を象徴するエピソードとして知られています。が、実はB29が戦略爆撃機として猛威を振るったのは、高高度爆撃によってではありません。当初は高高度爆撃によって軍需工場を爆撃したのですが(最初は中国の成都から北九州の八幡製鉄所等を、サイパン占領後はサイパンから東京・武蔵野の中島飛行機武蔵野工場を集中的に爆撃した)思ったほどの効果を上げることはできなかったのです。理由は単純。高度1万メートルからの爆撃では、当時の無誘導爆弾ではどう頑張っても正確な着弾など不可能だったからです。しかも東京への空襲は44年後半からの冬場です。偏西風が吹き荒れる冬の日本上空では、なおさらそうだったのです。このため、B29の部隊第20航空軍の司令官ハンセル准将は更迭され、後任として着任したのが、言わずと知れたカーチス・ルメイ少将です。彼は作戦を一変させて、B29を昼間高高度爆撃ではなく夜間低空爆撃に投入します。その最初の作戦が、3月10日の東京大空襲でした。・・・・・という話は非常に有名なエピソードであり、少なくともB29とか日本空襲について関心があって、それについて意見を述べようという人ならみんな知っていることだと思っていたのですが、そうでもなかったのでしょうか。さて、その3月10日の東京大空襲は、高度2000m程度(さらに低い高度の機もあったと思われます)の低空からの無差別爆撃でした。この時のB29は、機体を軽くして少しでも燃料と焼夷弾を多く積むため、防御機銃のほとんどを撤去していました。が、すべてを撤去していたわけではなく、尾部銃座だけは残されていました。この、尾部に残された唯一の機銃座から地上を銃撃していたことは多くの証言があり、そのためWikipediaの「東京大空襲」の項目にも「一部では爆撃と並行して旋回機関銃による非戦闘員、民間人に対する機銃掃射も行われた」と記述されています。(出典は奥住喜重、早乙女勝元『東京を爆撃せよ : 作戦任務報告書は語る 東京大空襲の本当の標的 (ターゲット) は何だったか?』157号、三省堂)これもまた有名なエピソードだと思うのですが、やはりB29や本土空襲について語ろうというのに、それを知らない人が多くてびっくりです。「湯川氏は無知だ」というあんたたちの、本土空襲についての知識は、他人を誹れるほどのものかね、と思ってしまいます。ともかくも、この3月10日の東京大空襲以降、B29は頻繁に低空爆撃を行うようになりました。当初は本革の迎撃を警戒して、低空爆撃は夜間のみでしたが、このころを境に日本の防空戦力は衰微して、低空でもB29の脅威にはならなくなります。このため、B29は、次第に昼間であっても低空爆撃を行うようになってきます。そして、B29から機銃で地上掃射していたことは、米側の記録にも残っています。何しろ、米側調査によると、日本上空に到達したB29が1機あたり接触した迎撃戦闘機は、1945年1月には7.9機もあったのに、3月には03機に減り、7月には0.02機しかありません。つまり、1月には10機のB29が日本上空に到達すると平均79機の日本軍戦闘機が迎撃してきた(それでさえも、B29を撃墜するのは非常に困難でした)のに、3月には迎撃機は3機に減り、7月に至ってはB29が50機に対して迎撃機が1機です。それに伴い、日本上空で損傷したB29の割合は、45年1月には3割を超えていましたが、7月には5%にも満たない割合まで減りました。しかもその大半の原因は対空砲火でも迎撃戦闘機でもない、つまり「事故」によるものです。対空砲火や迎撃戦闘機による損傷(損失ではありません)は、1%程度しかありません(データは草思社「米軍が記録したと日本空襲」P96-97)。米軍はもはや、好きな時間好きな高度でやりたい放題に爆撃できる状態となっていたのです。というわけで、「B29は低空飛行なんかしない、地上を機銃掃射なんかしない。だから湯川氏はうそつきだ」という言い分は間違いなのです。さて、では実際に湯川氏が遭遇した機銃掃射は、いつ、どのようなものだったのでしょうか。上記のような留保はありますが、それを考慮してもやはりB29ではなく小型機による機銃掃射であった可能性が高いと思われます。湯川氏か戦時中に疎開していた米沢が空襲を受けたのは、記録されている限りでは45年8月9日の1回だけのようです。そのときの日米双方の戦闘記録が発掘されています。市立米沢図書館の歴史(8月)9 日、アメリカ軍グラマン戦闘機が飛来し、南原大平付近に爆弾を投下、また広幡京塚地域にも爆撃があり、日誌にも「米沢初空襲」の記載が見られます。---新潟歴史双書2『戦場としての新潟』アメリカ海軍の記録によると、この日の昼にも新潟攻撃が計画されていた。午前九時三十分、牡鹿半島東二五〇キロメートルの海上にあったアメリカ海軍空母「ワスプ」からヘルキャット八機、コルセア四機が発進した。これらの艦載機は、空母「ヨークタウン」・「シャングリラ」から飛び立った艦載機とともに、新潟飛行場や米沢市(山形県)八幡原(はちまんぱら)飛行場を攻撃するために出撃した。この艦載機は米沢市付近を攻撃したが、新潟市へは飛来しなかった。---上記の「アメリカ海軍の記録」はこれのようです。ミッションとして新潟、米沢、米沢東部の一掃とあり、空母ワスプからF6Fヘルキャットが12機(うち2機は(P)と記載がある写真偵察機型)とF4Uコルセアが4機発進したことが分かります。可能性としては、湯川さんが経験したのはこの空襲の際の出来事だった可能性が最も高そうです。ただし、それ以外に可能性がないかとというと、そうでもありません。米沢が空襲の目標になったのはこのときだけですが、米軍機が他の都市への空襲の途中で米沢上空を通過した事例は、おそらく他にいくらでもありそうです。その中で、降下して地上を機銃掃射、なんて事例は数多くったはずですから。攻撃対象は記録が残っていても、飛行経路まで全部記録が残っているわけではないので、もはや検証のしようもありません。「ありそう」と思えるものは、まず同じ山形県の酒田市に対する空襲です。米沢空襲の翌8月10日に、空母レキシントン、ベニントンから47機の艦載機が飛び立ち、酒田市を空襲しています。太平洋上の空母から、東北地方を横断して日本海側の酒田を空襲しているので、その往復で米沢上空を通過して、そのうちの1機が気まぐれに低空に降りて機銃掃射はあり得ないことではあません。続いて7月14日と15日の青森函館間の青函連絡船に対する空襲です。これも艦載機によるものです。青森はこの後7月28日夜にB29の空襲を受けていますが、これは夜間なので湯川氏の経験には当てはまらなそうです。更に仙台や石巻への空襲です。仙台は東北の大都市だし、石巻は港湾があるので何度も空襲を受けています。日中の空襲は艦載機によるものがほとんどで、B29によるものは多くが夜間だったようです。更に、新潟。主に港への機雷投下が多く、夜間が大半ですが、日中のB29の飛来も、5月25日、8月4日、そして敗戦の日8月15日にも各1機ずつ記録されています。もし、湯川氏が経験したのが本当にB29の銃撃だとすれば、このいずれかの復路で出来事である可能性はあります。ただ、確率的にはかなり低いのかな、とは思います。もっとも、大戦末期の日本の空は、米軍機が縦横無尽に飛び回っている状態でした。その中には、とんでもない飛行ルートを取ったものもあります。3.10東京大空襲に参加したB29のうち、所属部隊も異なる3機が、何故か東京から300km近くも北方の蔵王連峰不忘山に墜落しています。原因はまったく分かっていませんが、公式にはそんな場所を通過する攻撃計画があったことは明らかになっていません。そのくらい飛行経路は(編隊を組む往路もかく復路は)バラバラだし、米側にも日本側にもそんなものの記録がすべて残っているわけもありません。従って、もっととんでもない場所を攻撃した機体の復路での出来事だった可能性も否定はできません。結局、特定は不可能なのですが、可能性はやはり8月9日の米沢空襲がもっとも高いでしょうね。
2026.02.28
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高市首相、自民の当選議員全員にカタログギフト「法令上問題ない」 党内から擁護の声も自民党の当選議員全員にカタログギフトを配っていた高市首相を、野党が追及しました。一方で、自民党内からは擁護の声も上がっています。立憲民主党 田名部議員「今回、高市首相は衆議院選後に自民党衆議院議員の全員にカタログギフトを寄付されたと。総額いくらになりますか」高市首相「1人分約3万円で、合計315人分になります」衆院選で“歴史的大勝”をおさめた自民党。高市首相が当選した自民党議員全員に、あわせて945万円分ものカタログギフトを贈っていたことが明らかになったのです。立憲民主党 田名部議員「その原資と目的についてもご説明願います」高市首相「ねぎらいの気持ちも込め、今後の議員としての活動に役立てていただきたいと考え、奈良県第2選挙区支部として品物を寄付したものでございます」“首相から議員への贈り物”といえば、1年ほど前にも。石破首相(当時)「政治活動に関する寄付でもございません。政治資金規正法上の問題はないと」去年3月、石破前首相の商品券問題。新人議員15人にお土産として10万円相当の商品券を配布し、批判の声があがりました。石破首相(当時)「私自身の商品券配布の問題について、改めて深くお詫びを申し上げる」高市首相は、今回のカタログギフトについて「政党支部から議員個人への寄付は法令上も問題はない」などとしています。石破前首相の時には「政治責任が問われる」などと厳しい声が上がっていた自民党内では「心遣いみたいなところまで目くじら立てるのは、ちょっと味気ない」と、高市首相への“擁護”の声も。---石破はポケットマネーで購入した商品券総額150万円ほどを新人議員に配って、自民党内も含めて猛批判を浴び、謝罪に追い込まれるとともに全員が返却しましたが、高市は政治資金で購入した900万円のカタログギフトを配って、批判を浴びるどころか「心遣いみたいなところまで目くじら立てるのは、ちょっと味気ない」だそうです。露骨なまでの対応の差。もはや笑うしかありません。ちなみに、現在の政治資金規正法上、カタログギフトは一応違法ではないことになるようてす。ただし、来年1月1日の政治資金規正法改正によって違法になります。つまり、違法ではないと言っても単に施行前の「違法化猶予期間」だからということに過ぎません。問題があるからこそ違法化されるわけで、法改正の施行前だから違法じゃない、とか一国の首相がそんなことを堂々と言ったら(言っているのは本人ではなく取り巻きですが)世も末です。法律上はともかく、道義的にはアウトでしょう。しかし、それにもかかわらず、石破の時に比べて批判が広がっていないのが現実です。日本人は高市を選び、高市が何をやっも無条件に支持し、地獄の底まで高市についていく覚悟みたいです。そんな覚悟のない私はどうしたらいいか分かりませんけど、彼らと一緒に地獄の底まで付いていくことになるんでしょうね、というあきらめの境地です。
2026.02.26
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2月21日に八ヶ岳に行ってきました。元々は赤岳に登るつもりだったのですが、今晩の赤岳鉱泉山小屋が満室で予約が取れず(テン泊も考えましたが、体力的に無理かな、と)、やむを得ず毎日あるぺん号冬山バスを予約(これは、最後の1席ギリギリセーフ)。しかし、夜行日帰りで赤岳までは無理なので、行き先を硫黄岳に変更。ですが結局硫黄岳にもたどり着けず、その手前赤岩の頭までの往復になりました。早朝時半過ぎに美濃戸口を歩き出した時点で、「寒くないな」という感覚はありました。もちろん、夜明け前で気温は氷点下ではあったはずですけど(登山道のアイスバーンはまったく溶けていなかった)せいぜいマイナス2~3度だったのではないかと。北沢登山道がスケートリンクに変身していました。ツルツルです。なお、寒いからこうなるのではなく、その逆です。雪が解けて(ひょっとすると降雨があったかもですが)それが再凍結したのでこうなります。通常この時期にこの辺り(標高1500m超)で2月に雨なんか降りません(雪しか降らない)。赤岳鉱泉のアイスキャンディ(アイスクライミング用の人工氷壁)がお出迎えです。美濃戸口を5時40分頃出発して、8時50分頃赤岳鉱泉に到着したので、所要3時間10分ほどでした。赤岳鉱泉から硫黄岳への登山道途中で阿弥陀岳が見えます。稜線に出ました。赤岩の頭に到着です。赤岳鉱泉を9時15分頃に出発して10時45分少し前に到着しました。所要1時間30分弱。無風、快晴、そして雪が少ないです。ポカポカ陽気で、もちろん気温は氷点下のはずですが、素手でしばらく行動しても全然平気な程度です。とても厳冬期という感じではなく、感覚的には、例年のゴールデンウイークの雪山という雰囲気です。硫黄岳。雪がほとんどありません。このとき11時少し前。どうしようか迷いましたが、11時の時点で到着したとこから引き返すと決めていたので、時間切れでここで撤退を決めました。いや、ここで撮影なんかせず、そのままダーッと硫黄まで登れば、ひょっとしたら11時に硫黄の山頂に着いていたかもしれませんが、海抜1490mの美濃戸口から2656mの赤岩の頭まで標高差1200m近くを一気に登ってきて、さすがにヘトヘトでした。しばらく、1000mを超える標高差を1日で登る山登りをしていませんでしたし、脚力は年々落ちています。硫黄岳。過去、冬季だけでも回以上登っているので、帰りのバスに乗り遅れるリスクを負って山頂まで行かなくてもいいか、と。赤岳。赤岳のアップ。やはり雪は少ないです。横岳北アルプス南部。槍穂高連峰など乗鞍岳木曾御嶽山中央アルプス阿弥陀岳南アルプス甲斐駒ヶ岳と仙丈ケ岳赤岳、中岳、阿弥陀岳、遠方に甲斐駒ヶ岳と仙丈ケ岳樹林帯の登山道には雪があるますが、樹林の切れる日なたでは地肌がかなり出ています。下山は、赤岩の頭を11時13分に下り始めて赤岳鉱泉に12時ちょうど着。所要47分でした。登りのほぼ半分の所要時間。赤岳は、酸化鉄を多く含んで山肌が赤く見えることが語源だそうです。で、北沢の川の流れも真っ赤に見えます。下山中、例によって笛練習をしてから下山。美濃戸口に2時50分着。赤岳鉱泉を12時10分前後に出ているので、所要2時間40分?ただし、笛練習時間が25分くらいあったはずなので、それを除くと所要2時間10分~20分程度でしょうか。茅野への終バスが出る25分くらい前だったので、八ヶ岳山荘で荷物を整理して、トイレに行って缶ビールを買う時間しかありませんでした。笛練習しなければ、硫黄岳に行ってもギリギリ帰りのバスに間に合った感じですが、あまりにきわどすぎるし、笛を吹かない山登りなんて、私には考えられないのです(笑)茅野駅にて。やはり雪が少ないです。
2026.02.23
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米、普天間返還に留保条件 「長い滑走路」選定必要米軍普天間飛行場の返還を巡り、米国防総省が政府監査院(GAO)からの勧告に回答した文書で、留保する条件を付けていたことが分かった。移設先の名護市辺野古には「長い滑走路」が整備されないとし、日本が代替となる滑走路を選定するまで「普天間の施設は返還されない」と説明した。日米両政府は普天間返還の条件の一つとして、緊急時に長い滑走路が必要になった事態に備えて「民間施設の使用」の環境を改善することで合意している。国防総省は、この条件に基づいて文書で見解を示したとみられる。木原官房長官は16日の記者会見で「辺野古への移設完了後も、普天間飛行場が返還されないという状況は全く想定していない」と説明した。従来の返還計画に変更はないとした。現行の整備計画では、滑走路は普天間の約2700mに対し、辺野古がV字型で約1800m。GAOは2017年の勧告で、滑走路短縮に伴う「能力上の欠陥」を解決するよう促した。---この話って、確か「赤旗」のスクープだったような気がします(どこが最初に報じたか、ちゃんと検証していませんが)。ただし、「辺野古基地が完成しても普天間基地は返還されない」という話は、正直なところ「まさか」ではなく「やっぱり」なのです。予想外ではなく、これまでもその可能性は指摘されてきました。滑走路の長さが短い、なんてことは昨日今日明らかになった話ではなく、計画が固まった時点で散々指摘されていたことですから。「そうなるのではないか」と危惧されていたことが、やっぱり公然化してしまった、という話に過ぎません。辺野古への基地移設に反対する沖縄の世論に対して、「じゃあ普天間基地は返還されさなくていいんだな」という脅し文句がありました。ふたを開ければなんということはない、辺野古に基地が作られても、やっぱり「普天間基地は返還されない」というわけです。辺野古基地は反対の声を押し切って建設が続けられていますか、工事は遅々として進んでいません。軟弱地盤に7万1000本の杭を打ち込む予定ですが、開始から1年で実際に打設されたのは約4700本と報じられています。このペースならすべての杭を打ち終わるのに約15年かかります。そのうえ、完成しても普天間基地は返還されないとなると、いったい何のために辺野古の貴重な自然を潰して基地を作ったのか、米軍基地をわざわざ二つに増やすために新しい基地を作ってやった(日本の負担で)という、どうしようもなく間抜けな話になってしまいます。木原官房長官が「辺野古への移設完了後も、普天間飛行場が返還されないという状況は全く想定していない」などとぼけていますが、考えたくないから想定しない、と言っているようにしか思えません。それにしても、どこぞの政党が合併に際して「辺野古への基地移設賛成」などと決めてしまった直後に「辺野古に基地が完成しても普天間基地は返しません」なんて話が表沙汰になり、これまた実に間の悪いことです。
2026.02.19
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「中道結党は間違っていない」 野田佳彦氏「はい上がる決意」中道改革連合の野田佳彦前共同代表は16日、自身のホームページで「穏健な政治勢力として中道のかたまりを作るという方向性は決して間違っていなかった」と強調した。衆院選の惨敗について「背水の陣どころか水中の陣だ。ドボンと落ちた水の中から浮かび上がり、崖に爪立てはい上がる決意だ」とつづった。同時に「(衆院選の)大敗の責任は、全て共同代表である私にある」とした上で、「高市早苗首相への期待感だけの『推し活』のようなイメージ論に選挙戦全体が支配された」と分析。「何とも言えない独特の時代の空気に、私たちの訴えがのみ込まれた」と振り返った。---立場上、公明党と喧嘩別れするときまでは、「間違っていた」とは言えないでしょうけど、でも私はその選択は間違っていたと思います。前にも書きましたが、連立政権を解消した公明党との連携自体は、「良い」とは思いませんが「やむを得なかった」とは思います。互いの政策の差は措いて、選挙協力を行うことは、必要な選択だったでしょう。しかし、そこで両党が合併し、党固有の政策をあっさり捨てて公明党の政策に合わせる判断は、それまでの立憲民主党支持者の思いを踏みにじるものです。選挙前、公明党と立憲民主党の政策は近い(自民党と公明党の差に比べれば)、という論評がありました。しかし、果たしてそうでしょうか?野田氏と公明党の政策が近いのはおそらく事実でしょうが、その野田氏は立憲民主党の中ではかなり右端に近いところにいます。立憲民主党全体と公明党では、それなりに政策の差は大きかったと思います。政策の差は差として互いに尊重したうえで、一致できる点を大事にして共闘(選挙協力)を行うべきところを、一足飛びに合併して新党(投票日の3週間ちょっと前に)などという挙に出たことが敗因だ私は思います。先に書いたように、自民党と公明党だって、改憲と護憲という大きな基本政策の差がありながらも、四半世紀以上連立を組み、しかし党として合併などしないできたわけです。なんで立憲民主党が公明党と共闘するに際して、合併すべき、などという話になってしまったのかが、理解不能です。さて、野田氏が立場上中道改革連合結党が間違っていなかったと主張するのは好きにすればよいのですが、もしそれが本当に間違っていなかったなら、衆院の両党合併だけでとどまっているのは不思議なことです。衆院では一つの党、参院と地方議会では別々の党、などという政党のあり方なんて、過去に例がありません(議院内の統一会派ならありますが)。中道改革連合結党が正しかったなら、参院でも地方議会でも、一般の党組織、党員も両党は合併すべきでしょう。しかし、現実には参院と地方議員の合併には異論が多く、少なくともすぐに実行されそうにはありません。それはすなわち、中道改革連合の結党は失敗だったと思っている議員が多い、ということの雄弁な証拠です。話は変わりますが、中道改革連合の規約を改めて読んでみましたが、そこには党員についての規定がほぼありません。第4条 本党は、本党綱領及びそれに基づく政策に賛同する党員で構成する。第5条1党員の入党・離党の手続きは、組織規則で別に定める。これたけです。別に定めるという「組織規則」は、おそらくまだ定められていないのではないかと思います。一方公明党、立憲民主党の規約では党員についての規定は以下のとおりです。公明党規約第4条 党の綱領及び規約を守り、その政策及び諸決議を実現するため党活動に参加しようとする十八歳以上の者は、国籍を問わず党員となることができる。第5条1党員となろうとする者は、党員二名以上の紹介により、所定の事項を記載した入党申込書を支部長を通じて都道府県代表に提出し、その承認を受けなければならない第10条 党員は、他の政党に所属することはできない。立憲民主党規約第5条1 党員は、本党綱領及びそれに基づく政策に賛同し、草の根からの声に基づくボトムアップの政治を実践しようとする18歳以上の日本国民で、入党手続きを経た者とする。第7条1 本党綱領及びそれに基づく政策に賛同し、地域において、本党または本党所属の国会議員、地方自治体議員及びこれらの候補者等を支援する18歳以上の日本国民で、定められた協力党員費を納付し、総支部に登録した者を協力党員とする。公明党の規約には、二重党員はできない旨が明示されています。この規定を何らかの形で改正しなければ、公明党と中道改革連合の二重党籍は不可能です。従って、衆院選立候補者以外に中道改革連合の党員はまだいないのではないかと思います。衆議院議員だけが党員で、一般党員がいない政党、なんてものが政党の態を成しているとは思えません。公明党、立憲民主党、中道改革連合が並立して存在し、公明党と立憲民主党には一般党員がいるけれど中道改革連合にはいない、という状態である限り、中道改革連合は完全な政党の態をなしていないし、成功とか失敗と言う以前の段階だ、とも言えるかもしれません。
2026.02.16
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考える気力もないくらいがっかりしていますが、とりとめもなく書いていきたいと思います。・日本未来の党の再来当時リアルタイムでは書きませんでしたが、立憲民主党と公明党が合併して中道改革連合を結党という経緯を見て、私はどうしても小沢一郎が作った日本未来の党を想起してしまいました。政策という意味ではなく、あまりに「にわか作り」だった経緯が、です。日本未来の党は旧民主党からの分裂、中道改革連合は立憲民主党と公明党の合併という違いはあれど、選挙の直前に大慌てで整えた政党、という点は同じです。もちろん、「新党」が大きな支持を集める、というのはよくあることです。しかし、さすがに投票日まで1か月もない時期の新党結成は、無理があり過ぎました。例えば参政党は2020年に結党していますか、2021年の衆院選への候補者擁立は見送っています。党名や政策を浸透させるには、どうしたって一定の時間は必要です。日本未来の党は当時惨敗しました。中道改革連合にも、私は嫌な予感しかしませんでした。・立憲民主党支持者の半分を置き去り立憲民主党と公明党が大規模に選挙協力を行うこと、それ自体は否定はしません。何度も書くように、私は公明党は嫌いですが、それでも単独では勝てない可能性が高いから選挙協力をする、作戦としてありだと思います。ただ、選挙協力を飛び越えて一挙に合併して新党というやり方に無理がありました。にわか作りに過ぎた点は上記に書いたとおりですが、新党の政策の中身も、簡単に従来の政策を捨てて公明党に寄せ過ぎました。安保法は合憲、原発再稼働賛成、辺野古への基地移転も賛成、これには私もがっくり来ました。自公連立時代、公明党は護憲、自民党は改憲と、憲法に対する態度という基本政策にも差がありましたが、それをお互いに変えず変えさせずに、26年間選挙協力を続けていました。立憲と公明だって、党として合併せず選挙協力にとどめていれば、そういうことができたはずです。しかしそうしなかった。野田代表が、本音において「安保法は合憲、原発再稼働賛成、辺野古への基地移転も賛成」なので、公明党との合併を奇貨としてそのような政策変更を行ったのでしょうか。でも、支持層はそれに付いてきませんでした。「安保法は違憲、原発再稼働反対、辺野古への米軍基地移転反対」という意見が今の日本国内でどこまで賛同を得られるかは、正直なところ私にも確たる自信はありません。でも、立憲民主党の支持者の少なくない部分は、そういう意見に一定以上のシンパシーを感じている人たちです。にもかかわらず、公明党(創価学会)の組織票と引き換えに、立憲民主党結党以来のコアな支持層の思いが、いとも簡単に切り捨てられました。では、昨日今日に突然「安保法は合憲、原発再稼働賛成、辺野古への基地移転も賛成」に転じた政党に、元々「安保法は合憲、原発再稼働賛成、辺野古への基地移転も賛成」と考えている有権者がこぞって票を投じてくれるんでしょうか?そんなはずがないのです。そういう人は自民党や維新、参政党などに投票するに決まっており、今更立憲が右寄りになったからと言って立憲に投票なんかしません。だいたい、個別の政策への賛否以前に、結党時の理念ともいえる主張をそんなにあっさり放擲できる政党の掲げる政策を、どれだけの人が信用するでしょうか。立憲民主党が共産党と共闘していた時期、右側からは立憲共産党などと散々揶揄、批判されましたが、両者の選挙協力は、立憲民主党側が統一候補となった場合は、おおむね1+1=2の効果を生みました。共産党と組んだら立憲の支持層が逃げる、とも言われましたが、実際には共闘候補は両党の持ち票の合計の得票を得ていたのです。1+1が3や4にまではなりませんでしたが(共闘が最大限の効果を発揮すると、そういうことも起こります)、1+1=2の結果にはなりました。逆に共産党側が統一候補になった場合は、立憲民主党からは逃げる票が多くて、1+1=1.2くらいにしかならないこともありましたが、共産党側が統一候補になった選挙区はわずしかありません。しかし、今回立憲と公明の合併の効果は、1+1=0.9です。2024年衆院選比例区で立憲民主党の得票1156万票、公明党596万票、合計1700万票以上でしたが、今回の中道改革連合は比例区1043万票しか取れず、前回立憲が単独で取った得票数より少ないのです。投票率が上がり、投票総数も増えたのに(2021年衆院選投票総数5400万票台、今回は5700万票台)、です。つまり、どちら側からも大量の票が逃げた、ということです。そりゃあ、勝てるはずもありません。・立憲民主党の変質立憲民主党は、元々2017年に希望の党が作られた際、そこから排除されても節を曲げなかった人たちが作った党です。そしてその姿が意外に多くの支持を集めて、前述の共産党との(社民党とも)選挙協力の威力もあって、希望の党、その後継である国民民主党より多くの議席を維持してきました。ところが、両党の支持母体である連合(の中央執行部)が、共産党を毛嫌いする一方、両党の統一を強く要求し、結局国民民主党の大部分の議員が立憲民主党に移りました。国民民主党出身の議員がみんな右翼だ、あるいは風見鶏だ、などと言うつもりはありませんけど、この時以来、立憲民主党結党以来の愚直な主張がブレ始めました。逆に、このとき立憲民主党への合流を拒絶して国民民主党に残った議員の方が(私はその主張には欠片ほども賛同せず、票を入れる気もありませんが)、政治的に節を曲げずに筋を通しているかのような状態になってしまいました。野田党首も、国民民主党から来たわけではありませんが、そのように立憲民主党の主張をふらつかせることになった元凶の一人である、と言わざるを得ません。・戦う姿勢菅野完氏が動画で「高市早苗からは(主張への賛否は別にして)野党と戦う姿勢が感じられた。しかし中道改革連合からは自民党と戦う姿勢が感じられなかった」と指摘をしていました。菅野氏の主張には賛同できない時も多々ある(というか、ものの言い方が、私にはちょっと感覚的に苦手)のですが、ことこの指摘については正しいと思います。公明党は「高市首相でなければいつか自民党とよりを戻したい」が見え見えだし、野田だってそうでした。そういうのは、やっぱり有権者は敏感に感づくんじゃないでしょうか。・今後公明党はどこからも相手にされなくなるのでは?中道改革連合の記録的大敗の中で、旧公明党は比例区で名簿上位を独占したために、落選者を出さず、何と議席数を増やしています。作戦勝ちで甘い汁を吸い放題の結果になりました。公明党の狡猾さと、そんな結果を招いた旧立憲指導部の間抜けさ加減にもびっくりです。でも、こんなやり方が二度通用するはずがありません。この結果を招きながら、次の選挙で、まだ中道改革連合が続いているとは、私には思えません。遠からず中道改革連合は分裂するんじゃないでしょうか。その後、公明党と共闘しようという政党は、果たして現れるでしょうか?比例区では一定の票が見込まれるので、公明党単独に戻ってもある程度の議席数は今後も見込まれるものの、もう二度と他党から連携の声はかからないんじゃないでしょうか。・とはいえ、あまりに非対称戦争今回の選挙は、「高市首相は他人の批判しないけど、野党(中道や共産党、れいわなど)は高市批判ばっかりで建設的じゃない」というのが野党大敗の理由、らしいです。いや、私は唖然とします。高市は自分のミスはいつも「他人のせい」ばっかりじゃないです。確かに、選挙戦に入ってからは高市本人が直接他人を攻撃するのは控えめですが、それは、彼女自身に代わって取り巻きが他人を攻撃しまくっているから、本人自らがやる必要がないだけです。端的に言って、「左翼は他人の批判ばかり」と叫んでいるアカウントがやっていることは「左翼に対する批判ばかり」だったりするわけです。高市応援団による左派への攻撃はやりたい放題だけど、左派による高市首相への批判はダメだ、左派に対してはいくらでも発言の一部を切り取って批判するけど、左派から高市首相への、発言の一部を切り取って批判は許さない、というSNSの発信やショート動画が垂れ流され、それを真に受けた有権者が盲目的に自民党に票を投じる-あまりにも対等ではなさ過ぎる「非対称戦争※」がまかり通っている現状では、あまりに不公平すぎて、もはや「公正な選挙」など期待できないのかもしれません。※念のため、非対称戦争という言葉の本来の定義はそういうことではありませんが、語感がこの状況にあまりにマッチするので使っています。・ともかく高市の自民党は勝った、けど日本の将来は破滅かもね以前にも書いたとおりです。立憲民主党が今回選挙で取った行動は自滅としか言いようがありませんが、同時に高市政権に圧倒的な支持を与えてしまった日本人の選択もまた、自滅としか言いようがない、という状況に、数年後には陥ることになる可能性が高いのではないでしょうか。有権者がそれを望む判断をしたんだから、それで破滅しても仕方のないことかもしれませんが。
2026.02.09
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本日は衆院選の投票日です。先の記事に書いたように、私は既に期日前投票を済ませています。(本日は一日仕事です)東京付近は朝から降雪があるようですが、午後には雪はやむようです。当ブログをご覧の皆様は棄権はしない方が多いとは思いますが、棄権は危険、です。ぜひ投票に行きましょう!
2026.02.08
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与党3分の2視野 自民に勢い300超も 中道大幅減か 衆院選終盤調査毎日新聞は3~5日、第51回衆院選(定数465)について特別世論調査を実施し、取材を加味して終盤情勢を探った。自民党は1月28、29両日の序盤調査からさらに勢いを増し、単独過半数(233議席)を大きく上回り、300議席を超える可能性もある。日本維新の会を合わせた与党では3分の2(310議席)をうかがう勢いだ。立憲民主党と公明党が結成した新党「中道改革連合」は伸び悩んでおり、公示前の167議席を大きく下回る公算が大きい。国民民主党はほぼ横ばい、チームみらいは比例代表で躍進する可能性がある。調査では小選挙区で31%が投票態度を明らかにしておらず、情勢が変わる可能性がある。自民は、全289小選挙区のうち6割超でリードしており、序盤情勢の半数以上から増加。序盤で、自民候補が議席を独占する勢いだった都道府県は保守地盤の厚い富山、山口など10県だったが、今回は15県に拡大。前回選で野党候補が選挙区の半数以上で勝利した長野(5選挙区)、静岡(同8)などが加わった。比例代表も、前回選で獲得した59議席から大きく積み増しそうだ。~中道改革連合は、伸び悩みが顕著だ。立憲の強固な地盤がある北海道は、序盤調査では接戦区が大半を占めたが、終盤では自民にリードを広げられた選挙区や、逆転された選挙区が目立つ。(以下略)---立憲が連立を離脱した公明党と組んだこと自体は、小選挙区制という選挙の性質上やむを得ぬことだったと思います。ただ、そこで新党結成には無理があった。選挙協力にとどめていれば状況はまた違ったのではないかと思いますが。新党を作り、その政策は原発容認、安保法制は合憲、辺野古移設容認というのでは、立憲の支持者は離れるでしょう。私も今回、小選挙区で中道に入れたのは消去法でやむなく、でしかありません。このままいけば、公明党側の候補者は比例区で全員当選、立憲側の候補者は小選挙区で全滅、いいように使われて捨てられるだけの結果になりそうです。立憲は公明党に騙された、という言い方もできますが、同時に自党の支持者をだました、とも言えますし、少なくとも支持者の信頼に答えなかったことは間違いありません。残念だけど、これは立憲の自滅としか言いようがありません。が、しかし同時に、より広い意味で考えると、高市の自民党に300議席以上を与えるというのは、日本国民の自滅でもあると思わざるを得ません。「円安ホクホク」「責任ある積極財政」の向こうに、どう考えても物価高を収められる未来を展望することはできません。今後も円安と物価高が進み、しかし給料は上がらず、国民の生活はどんどん苦しくなっていとしか思えません。もっとも、別の可能性もあります。選挙に勝った途端に、経済面の公約をすべて放擲して(消費税減税も含めて)正反対の政策に転換する。その方が当座は上手く行くかもしれません。しかしそうなると、もはや政策とは、公約とはいったい何か、選挙でどんな公約を掲げようが、勝ってしまえばその後全部反故にしてよい、だました者が勝ち、というのが選挙ということか、と思わざるを得なくなります。それでも高市の自民党を国民が支持するなら、もはや何を言っても始まらないでしょう。円安、物価高が続いて国民が苦しもうが、選挙に勝った途端に言っていたことを全部放擲しようが、私には到底受け入れられないことですが、それが国民の選択なら仕方がありません。もちろん選挙予測は予測でしかなく、外れる可能性もあるわけですが、正直あんまり期待はできそうにありません。
2026.02.05
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期日前投票に行ってきました。中道は支持できないと思っていますが、小選挙区では他に私には選択肢がなく(自民・維新・参政・日本保守・国民民主の各党に投票する気はないので)、中道の候補に入れました。比例区は、迷いました。社民党にしようと思ったのですが、沖縄2区での混迷を見て、今回はやめようと考え、共産党に入れました。れいわ新選組は、「赤字国債をいくら出しても大丈夫」説があまりに危うく(左右反対ですが、そこたけは高橋洋一などとまるで同じ)、これも投票しようという気になりませんでした。正直言って、3年前松竹氏が除名されて以降も、「共産党の公認候補」には何度か票を入れていますが、比例区の政党名に「日本共産党」の名を書く気が、どうしても起きませんでした。今回も書くことに抵抗がなかったわけではありませんが、消去法的に投票しました。次も入れる保証はいたしませんが(笑)そして、最高裁国民審査。高須順一氏と沖野真已氏。アンケートを見ても二人とも無難な答えしかしていない気はしたのですが、日弁連の日弁連司法制度調査会委員長を務めた経歴と、アンケート中の「弁護士のときに不当な扱いを受けた外国人留学生から依頼を受けた。差別と戦うために、まずは自分自身の内にもある他人と己を区別する感情を克服する大切さを教えてくれた。事件と向き合う姿勢の原点となっている。」という回答から、この人は信任しようと決めました。もう一人の沖野真已氏は学者出身。調査不足で不信任したいと考える材料がなく、どうしようかと思ったのですが、×はつけませんでした。今回信任投票の対象が2人だけだったこともありますが、最高裁の信任投票で一人も✕をつけなかったのはこれまでで初めてかもしれません。皆さん、棄権はやめましょう、投票には是非行ってください。
2026.02.03
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