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さらばガラケー。ついにスマホに乗り換えました。いや、実際には以前よりネット用はスマホとタブレットを使っていました。ただ、通話専用として、ずっとドコモのガラケーを使っていたのです。foma携帯が、確か2026年まで、あと2年ほどしか使えないし、その携帯電話が2015年末に機種変更した、つまり8年も使っているので(その前の携帯も7年何か月か使っていましたが)、とうとうこれをスマホに変えました。番号ポータビリティを使って、番号は変えないままドコモから格安SIMのiijmioに乗り換えです。写真を見てわかるように、OPPO Reno7Aという機種です。中身はこんな感じです。画面は明るいですが、明るすぎるので輝度は落としました。今まで使っていたガラケーと並べてみました。ところが、ここで大問題発生です。このOPPO Reno7Aは、新品状態でバッテリーが完全に空っぽなのですね。しかも、コンセントにつないでも立ち上がりません。電池残量がある程度ないとコンセントにつないでいても起動できないんですかね。通話はあまりしないものの、電話が長時間不通状態では不都合があるので、やむなく今までネット専用として使っていたスマホにガラケーから移行した新しいSIMを入れ、新しいスマホに今までネット用スマホで使っていたSIMを入れました。一瞬不良品をつかまされたかと思いましたが、だいぶ時間が経って充電が進んでくると起動したので、問題はなさそうです。だからSIMは元に戻してもいいのですが、戻すのが面倒になっちゃった。電話番号が移行してしまったガラケーは、圏外表示になっています。というわけで、電話番号は変わっていません。しかし、ドコモのiモードメールアドレスは使えなくなりました。もうiモードのメールやり取りする人も、いなくなりましたけど。ネット専用だったSIMは2月末で解約かな。そうすれば、通信費がまた少し安上がりになります。
2024.01.31
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桐島容疑者名乗る人物、建設関係の仕事従事 保険証なく自費診療1974~75年の連続企業爆破事件のうち一つに関与した疑いがあるとして指名手配されている過激派「東アジア反日武装戦線『さそり』」メンバーの桐島聡容疑者(70)とみられる男性が神奈川県内で建設関係の仕事に就いていたことが、捜査関係者への取材で判明した。本人しか知り得ない情報を話しているといい、警視庁公安部は桐島容疑者本人の可能性が高いとみているが、県内の病院に入院中で重篤な状態という。公安部は任意で調べを進める方針。捜査関係者によると、桐島容疑者とみられる男性は職場の同僚に付き添われ、来院した。入院したのは1月に入ってからで、健康保険証や運転免許証など身分を示す物は所持しておらず、自費で診療を受けているとみられる。男性は当初、違う名前を名乗っていたが、25日に桐島容疑者本人と認める話を病院関係者にしたという。その際に「最期は本名で迎えたい」と話していたとの情報もある。警視庁公安部がDNA型鑑定などで確認を進めているが、少なくとも数日はかかる見通し。---いや、びっくりしました。そういえば私も、この人の手配写真を見たことはあります。しかし、おそらく20代の頃の手配写真と70歳の今では、容貌も相当変わっているのでしょう。しかし、50年近く逃亡して、偽名故に保険証を持つこともできず、癌でおそらく手遅れの状態になって救急搬送とは、ちょっと悲惨な結末ではあります。冷静に分析すると、桐島の関与した事件は、Wikipediaの記述を信用するなら、指名手配容疑である1975年4月18日韓国産業経済研究所1975年4月19日オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件の2件と鹿島建設爆破事件(1974年12月23日)間組本社ビル及び大宮工場同時爆破事件(1975年2月28日)間組江戸川作業所爆破事件(1975年4月27日)間組京成江戸川橋工事現場爆破事件(1975年5月4日)における共謀、実行ということですが、いずれの事件でも死者は出ていないようです。指名手配容疑の2件は夜間の爆破だったので死傷者なし、その他の4件では、合計2人のけが人が出ているということですが、8人の死者を出した三菱重工爆破事件には関与していないようです。それが事実であれば、逮捕されても死刑や無期懲役はなく、十数年程度の懲役刑だったことが予想されます。早々に逮捕されていれば、早々に刑期満了で釈放されていたかもしれません。今の日本で、このような人物が50年も逃亡を続けられる、ということにびっくりしました。それにしても、当初一部のマスコミは「捜査関係者への取材で男が「海外で逃亡生活をしていたが、最期は日本がよかった」という趣旨の話をしている」などと報じていましたが、この報道と、数十年間神奈川県内の建設業者(とも工務店ともいわれる)に住み込みで働いていた、は明らかに矛盾する報道内容です。数十年間神奈川県内で働いていた、という方には、関係者の多くの証言があり、そもそも病院にも同僚が付き添っていた、という辺りから、まず間違いはなさそうです。ということは、「海外で逃亡生活を送っていいた」というのは、がん末期のせん妄とか、勤務先に迷惑をかけたくなんて嘘をついたとか、あるいは「数十年前」より以前の逃亡初期に、本当に海外に逃亡していた時期があって、それを最近のことのように言っただけか、いずれにしても事実ではないか、少なくとも直近の事実ではないようです。それを訂正もせずに、いつの間にか「20~30年くらい(工務店で)働いていた」と報道するのはどんなものかと思いますよ。私も広い意味では左翼の端くれ、もしくは端くれだった人間ではありますが、とはいえ、現在の日本(1970年代でも同様)で爆弾闘争というのは、いかに考えても賛同できるところはありません。結局、この種の軽挙妄動が、左派全体の評判を落とす方向に作用してしまったことは否定できません。それにしても、50年弱、長いですねえ。実は、一連の爆破事件のどれかは分かりませんが(三菱重工本社の可能性が高いですが、確実ではありません)その爆破現場のすぐ近くを通ったことがあります。別の用事で父に連れられて(弟も一緒だったような・・・・・)近く行ったときに、多分寄り道して現場近くに足を運んだのだと思います。大手町か日比谷かその近辺だったと思うのですが、だとすれば大手町の三菱重工か、中央区の大成建設、西新橋の三井物産のどれかだったはずです。瓦礫とガラスの割れた破片が散乱していたような遠い記憶があります。そして、まったく余談ながら、桐島の属していたグループは「さそり」ですが、東アジア反日武装戦線の3つのグループの一つ「大地の牙」を明らかにもじった名前のアニメが、それからわずか7年後に製作されます。太陽の牙ダグラム数あるロボットアニメの中でも特に好きだった作品の一つです。今だったら、「不謹慎だ」「テロを称賛するのか」などと「炎上」騒ぎになってしまい、とうていそんなタイトルはつけられなかったでしょう。
2024.01.28
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ホリエモン 京アニ事件で死刑判決の青葉被告に「治療は不要だった」派への持論が「ご指摘の通り」と賛同の声36人が犠牲になり、32人が重軽傷を負った同事件。1月25日には、青葉真司被告に死刑判決が言い渡された。~判決については妥当だとの認識を示した。一方で、今回の事件について思うところがあるという。青葉被告は犯行によって、全身の9割超にやけどを負っていた。当初の死亡率は95%超だったというが、医師の治療によって話せるまでに回復した。しかし、犯行の重大さや、治療への労力の大きさから一部で、“どうせ死刑になるのだから治療をする必要はなかったのでは?”と疑問を呈す意見も多かった。このような意見について堀江氏は「放火で9割以上やけどを負って死にそうになってたみたいですけれども、“どうせ死刑になるんだからそれを治療したのは意味がねえんじゃねえか“みたいなこと言ってる馬鹿がいますけれども」と苦言。日本は法治国家だとして、「死刑判決が出て、執行されるまではですね、未決なので、最低限の人権、基本的人権というのはありますので、当然、治療を受ける権利があると。これが法治国家というものなので、それを無視した暴論を吐くのはいかがなものかと」と述べた。---堀江の主張には、たいていの場合全面的に反対なのですが、たまには同意できることをいう場合もあるようです。今回のこの件は、まさにそのとおりです。ただし、相変わらず罵倒暴言のあらしで、「馬鹿がいますけれども」みたいな言い方はどうなんだよ、とは思いますが。正直に言えば、感情面だけで言うと、私も、どうせ死刑になる犯人を治療しても、という思いが皆無であったというとウソになります。そう思う部分も、当初はありました。でも、冷静に考えると、そしてその後起こった類似の事件の顛末を考えると、やはりそれは違う、と考えざるを得ないのです。死刑判決が出て、執行されるまでは最低限の人権、基本的人権があり、治療を受ける権利があります(そのセリフが堀江から飛び出すとは予想だにしませんでしたが、これはまったくそのとおりです)。さらに言えば、患者の症状、病状ではなく属性によって治療をするかしないかを決める、というのは、その先更に恐ろしい選別につながりかねません。「どうせ死刑」で治療しないことを公認したら、「どうせ刑務所に」とか「どうせ遠からず死ぬから」に拡大されない保証はありません。そして、その後起こった大阪・北新地の精神科での放火事件では、犯人も亡くなりました。もちろん、京アニの犯人が生き残って導き出された犯行理由は、お粗末でお話にもならないものです。とうてい情状酌量の余地などあろうはずもありません。そんな話を明らかにするために治療したのか、という気持ちになる人もいるかもしれません。それでも、本人が生きて、取り調べや裁判で供述をするということは、犯してしまった罪の「後始末」として実は重要なことなんだなということを、北新地の放火事件で感じました。こっちの犯人は、自らの犯罪の罪を償うことなく、さっさとあの世に逃亡してしまったわけです。これ以前にも、その種の事件はありました。ストーカー殺人で、被害者を殺すと同時に自らも自殺、という事例は過去に複数あったように思います。その際も、ものすごく後味の悪さを感じましたが、北新地の放火事件は、犠牲者が一人ではなく桁外れに多かっただけに、後味の悪さ、理不尽な感覚は強かったです。「やっぱり、たとえ死刑になる犯人でもいのは救わなくてはならないのだ」ということが、感情面で「腑に落ちた」のはあの時だったかもしれません。もちろん、犯罪の拡大は防がなければなりませんから、現在進行形で殺人を犯そうとしている犯人を殺害するのは(例えば三菱銀行人質事件)不可抗力でやむを得ないところはありますが、少なくとも身柄を抑えた後の犯人に対して、命を落とさないための必要な措置は、絶対に怠ってはならない、と思うのです。ただ、そのことは別にして、この犯人は犯行当時、生活保護受給中と報じられていました。保護受給者は逮捕されて保護停止、起訴されて廃止です。しかし、この犯人は治療中の長期間にわたって、逮捕は見送られていました。ということは、この間の治療費はすべて生活保護の医療扶助で出ていたはずです。保護廃止なんてことをしたら、医療機関とその所在する自治体の福祉事務所が確実に怒り狂いますから、そんなことは絶対にできません。しかし、その一方で、上記のように「こんな奴治療するな」という声は残念ながら確実に存在しますから、その福祉事務所(当時、あのNHKすらも、××県△△市確か〇〇区だったと思いますが、どこの福祉事務所で保護受給中と報じていた記憶があります)には、クレームが殺到したことでしょう。入院中の病院にも同様だったかもしれません。その点は、それぞれの関係者の心労は大変だっただろうと、大いに同情します。
2024.01.26
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安倍派・杉田水脈氏も不記載 ブログで明かす 収支報告書を訂正へ自民党派閥の政治資金パーティーを巡る問題で、安倍派に所属する杉田水脈衆院議員(比例中国)は、政治資金収支報告書に不記載があったと自身のブログで明らかにした。今後、報告書を訂正するとしている。現時点で、金額などの詳細は明らかにしていない。杉田氏はブログで「私の事務所においても不記載があったことがわかり、収支報告書の修正を行う」とした。「派閥の指導に従った」などと政治資金パーティーを巡る問題に関連していることを示唆し、「記載していなかったこと、そのことを認識していなかったことについて、誠に申し訳なく思う」と陳謝した。杉田氏は「政治活動に支出しており、不正や私的流用は全くありません」とも主張している。---「不正や私的流用は全くありません」って、何言ってんの?裏金を受け取って収支報告書に記載しないことを不正と呼ぶのですが。で、言うまでもなく、杉田と言えばアイヌ文化振興事業の関係者を「公金チューチュー」と揶揄した議員であるわけです。で、本人はと言えば、こうやって裏金を受け取り、そして議員個人ではないにしても自民党は多額の政党助成金を受けて政治活動をしています。本来政党助成金の趣旨は、政治腐敗への対策として、企業団体献金の禁止するためであったはずです。ところが、始まってみれば企業団体献金は残ったまま。更に政治資金パーティーという形を変えた企業団体献金も隆盛の極み、その挙句にそのパーティー券収入の一部をこうやって隠して、そのおこぼれに杉田も預かったわけです。これが「公金チューチュー」でなくて何ですか?恥を知れ、という以外の言葉を私は思いつきません。それにしても、キックバックがいくらだったかは現時点では不明ですが、キックバックを受けたということは、パーティー券をいっぱい売ったんでしょうねえ。「保守業界」の連中に売り歩いたんですかね。まあ、いいカモなのでしょう。
2024.01.24
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前々回の記事で共産党に対する批判を繰り広げた私ですが、しかし同時にこの党が現在の日本の政治において必要な存在である、とも思っています。なくなってもらっては困る。1年ほど前に、「もう2度と共産党に票は投じない」と宣言したことはありますが、これについては撤回をしたいと考えています。もちろん、元々以前から全部の票を共産党に投じていたわけではなく、今後も全部の票を共産党に投じることはありませんが、2回に1回、あるいは3回に1回くらいは今後も票は投じるでしょう。端的に言って、批判は多々あるけれど、それでも自民党や維新に比べりゃ、マシだと私は考えるからです。さて自民3派閥の会計責任者らを立件 安倍派幹部7人は不起訴 裏金事件で特捜部自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件で、東京地検特捜部は19日、政治資金規正法違反(虚偽記入)の罪で、安倍派の会計責任者松本淳一郎事務局長と二階派で会計責任者を務めた永井等元事務局長を在宅起訴し、岸田派の会計責任者だった佐々木和男元事務局長を略式起訴した。安倍派幹部の議員7人は立件しなかった。 (以下略)---とんでもない結末だと私は思いますが、とりあえず今ここで書きたいのは、そのことではありません。この一連の裏金問題を最初に調査したのは誰で、最初に報じたのは誰か、という問題です。この調査に先鞭をつけたのは神戸学院大法学部の上脇博之教授であり、また最初にそれを報じたのは共産党の機関紙であるしんぶん赤旗です。これほど長い期間にわたって、大規模に行われていた不正を、他のマスコミは知らなかったのでしょうか?多分そんなことはないでしょう。少なくとも薄々は感づいていたマスコミは少なからずあったはずです。でも、報じなかった。そのために調査しようともしなかった。派閥と議員の収支報告書を照合するだけで不整合が発見できるような、超初歩的なものすらあったわけですから。はっきりとか薄々かはともかく、知っていたけど報じられてこなかったことを、あえてド直球で報じたら、最後は検察が腰砕けになったとはいえ、特捜部が強制捜査に乗り出すほどの事態になったわけですから、その功績は大きいです。そして、もう一つ陸自幹部、災害対応中の靖国参拝 防衛省内で慎重さ求める声陸上自衛隊で航空事故の調査に携わる幹部たちが今月9日に東京・九段北の靖国神社を集団参拝していたことを巡り、自衛隊が能登半島地震に災害派遣され、強い余震の発生が警戒されるなかで参拝が実施されたことに、防衛省内では「国民から誤解されないような振る舞いが必要だ」などと慎重さを求める声が上がっている。同省関係者によると、靖国参拝は陸自の航空事故調査委員会が「年頭航空安全祈願」と称して実施した。実施計画では、緊急事態の対応について、東京23区外で震度6弱の地震が発生した場合は「規模を縮小」、また23区外で震度6強以上あるいは23区で震度6弱の場合は「延期」とされていた。(以下略)---この件は当ブログではここまで取り上げてきませんでしたが、大規模災害派遣の真っ最中に(そうでなかったとしても大いに問題ありですが)陸自の幹部が集団で靖国神社を参拝していた、という出来事です。我が家は毎日新聞を取っているので、その記事で知りましたが、この件は毎日新聞としんぶん赤旗の同時スクープだったようです。双方の記者(いや、赤旗と毎日に限らず、他のどんなマスコミでも)が互いにスクープネタを交換し合うはずなどないので、両者が同時に情報を得たということです。情報をどうやって得たか、そりゃ内部通報に決まっていますが、さすがに陸上自衛隊内部でもこのような行為に反感を持つ人がいて、そのような情報提供に至ったのでしょう。そういう意味で、しんぶん赤旗の(つまり共産党の)情報力は凄いものがあるし、だからこそ、このような内部通報者が頼りにする、ということもあるでしょう。これだけのことができる党が、自らの態度によって「党内で異論を排除する怖い政党」というイメージを決定的に植え付けてしまうことは、とても残念なことというしかありません。
2024.01.21
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今年も鳥写真を撮影します。1月3日新浦安日ノ出海岸ウミアイサグーグルマップで検索した限り、この近辺に2輪を駐車できそうな場所が見つけられず、久しぶりに京葉線で行きました。珍しい鳥にはまったく遭遇せず。1月7日葛西臨海公園オスプレイが上空を乱舞(笑)いえ、ミサゴですけどね。(オスプレイはこの鳥の英名)ノスリミサゴ。オスプレイという航空機ははっきり言って嫌いですが、名前の元になったこの鳥は好きです。ミサゴミサゴ1月8日秋ヶ瀬公園ルリビタキのメス。年末に撮影したのと同じ場所、多分同じ個体ですが、この日はあまり近くまでは寄れず、結構なトリミングです。ルリビタキモズ1月13日代々木公園シジュウカラヤマガラヤマガラこの日は、笛練習メインで鳥撮影は付け足しでした。ヤマガラに餌をやっているおじさんがいたのですが、シジュウカラは決して寄ってこず、ヤマガラだけが寄ってくるのですね。(餌をやっているところは撮影していません)かつて、縁日などで芸を仕込んだヤマガラの見世物があったそうですが(私は見たことがありませんけど)、ごく近縁種同士だし、都市部ではシジュウカラの方が多いのですが、シジュウカラにそういう芸がないのは、人になつかないから、なんでしょうね。1月14日葛西臨海公園アカハラアカハラ。ツグミの仲間で、日本でも中部山岳地帯など寒冷地では繁殖していますが、東京では冬鳥です。セッカ珍しい鳥ではありません。東京近辺でも葦原などではよく見かけます。セッカ夏場は、芦原でよく「ヒッヒッヒッヒッヒッカッカッカッカッ」と鳴きながら飛びまわっています。動きが激しく、飛んでいるところを撮影するのはほぼ不可能に近いですし、降り立っても葦原にすぐ潜ってしまうので、撮影は容易ではありません。セッカ。見る機会は夏場の方が多い気がしますが、マトモに撮影できるのは、私の経験では秋冬ばかりです。セッカ
2024.01.20
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共産・志位委員長が退任 後任に田村智子氏、女性初 23年ぶり交代共産党は18日、志位和夫委員長が退任し、後任に田村智子政策委員長が就く人事を決定した。委員長交代は約23年ぶりで、女性が就任するのは初めて。田村氏は2010年7月の参院選で初当選し、現在3期目。19年、首相主催の「桜を見る会」を巡る問題で、安倍首相を国会論戦で追及し、注目を集めた。20年1月、女性初の政策委員長に就任。次期衆院選でくら替えし、比例代表東京ブロックから立候補する予定だ。志位氏は00年11月、不破哲三氏の後任として委員長に就任。在任期間は歴代最長の23年あまりに及び、党内から世代交代を求める声が出ていた。---さすがの共産党内でも、党首が23年間変わらないことには異論があったようで、ついに交代ということになったようです。基本的には、よかったのではないかと思います。志位氏のこれまでのかじ取りについては、少なくとも松竹除名問題に関しては思うところ、言いたいことはいっっっぱいありますが、党員や支持者の高齢化が深刻な中、従前の野党内でも孤立的だった方針を大胆に改めて、野党共闘に舵を切ったこと自体は、全面的に正しかったと思っています。というわけで、新委員長就任は喜ばしい話ですが・・・・・共産、職員除名を巡る報道に注文 「党の見解を完全に無視」共産党の田村智子政策委員長は10日の記者会見で、党首公選制の導入を求める著書を出版し除名された元党職員松竹伸幸氏を巡る一連の報道に注文を付けた。「言論の自由は保障されなければならないが、党の見解が完全に無視されている。しっかり報道してもらいたい」と述べた。党機関紙「しんぶん赤旗」は10日付紙面で、松竹氏のインタビュー記事を掲載した長崎新聞社に対して、党長崎県委員会が9日、事実に基づかない内容だなどとして抗議したと報じた。---除名の方針を見直すつもりはないようです。残念なことです。松竹氏と、現在の党中央の間に政策に大きな乖離があることは歴然たる事実です。ただ、私の見る限りは、松竹氏の主張は、少なくとも共産党が共闘対象としている立憲民主党の政策(安保完全容認)ほど、現在の共産党中央の主張と乖離はしていないと考えます(あくまでも、私のみる限りは、です。異論は多々あるでしょう)。松竹氏の主張を党の政策として受け入れるかどうかはまた別の話として、その人物を党内に許容することもできないのでは、今後支持の広がりなどまったく期待できないと考えます。そして、それ以上の問題は、上記の言い分です。もし、上記の言い分を、例えば自民党が言ったらどうでしょうか。安倍なり麻生なり岸田なりが、自民党を除名された人物、例えば今回の裏金騒動で逮捕と同時に除名された池田議員が、保釈後にでも自民党に反旗を翻すような暴露を行ったとします。それに対して自民党が「言論の自由は保障されなければならないが、党の見解が完全に無視されている。しっかり報道してもらいたい」などと言ったら?共産党は批判するんじゃないでしょうかね。私も批判します。各マスコミとも、立場が違えば言い分は違う、程度のことは踏まえつつも、「党の見解に配慮して除名された池田議員の暴露インタビューなど載せない」などということはするはずがない、すべきではないのは、当然のことです。それは、相手が自民党でも共産党でも同じではないですかね?とは言え、その共産党の大会の質疑において、除名に疑問を呈する意見があったそうです。代議員って、誰でもなれるものではないはずです。支部とか分会の中から一定の割合で選ばれると思うので、選出母体のなかで一定の信頼がなければ代議員にはなれないでしょう。つまり、共産党員の中でも、除名に疑問を抱く人は、決してごく少数ではない(もちろん、過半数には遠いでしょうけど)、ということなのでしょう。当の松竹氏は、除名の再審査請求が却下されると、今は訴訟もにおわせる発言をしています。このバイタリティはすごいものがあります。過去に共産党を除名された人は、多かれ少なかれ除名された側も共産党に対して愛想を尽かしており、復党の意志を示した人は聞いたことがありません。共産党を現在進行形でそれほど愛している人が除名されたのが初めてのケースということなのでしょう。どうやら共産党中央が復党を認めることは絶対にないようです。私としても、現在でも主義主張の中身は、社民党とともに、もっとも賛同できる部分の多い政党と感じているだけに、このような体質は、まったく残念なことです。
2024.01.19
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阪神淡路大震災から29年 能登地震被災者に思い寄せ6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神淡路大震災から17日で29年です。今年は能登地震の被災者にも思いを寄せています。(以下略)---29年というのは、特段の節目ではありませんが、今年は元旦にいきなり能登地震があったので、阪神淡路大震災を思い出してしまいました。あのとき、東京の震度は1だったようですが、地震発生時間が5時46分ということで、私は寝ていたので揺れそのものは覚えていません。相棒は大阪在住だったので(まだ、結婚どころか知り合ってもいなかった頃ですが)相当の揺れに飛び起きたそうですが。それ以前も、日本国内で大きな地震は度々起きてはいました。私の記憶にある限りでは、1964年新潟地震M7.5、1978年宮城県沖地震M7.4、1983年日本海中部地震M7.7、1993年北海道南西沖地震M7.8が、戦後阪神淡路までに起こっていた主要な大地震であったように思います。いずれも、地震の大きさは阪神淡路と同等かそれ以上の規模でしたが、主要な被災地が大都市ではなかったので、犠牲者数は新潟地震と宮城県沖地震で30名弱、日本海中部地震で約100名、北海道南西沖地震で約200人(今回の能登地震とかなり近い規模)でした。阪神淡路大震災は、地震の規模そのものはそれまで数年か十数年おきに起こってきた巨大地震と大差はありませんでしたが、それが大都市の真下で起こったのは戦後初めてのことであり、犠牲者数も6000人以上と、東日本大震災以前の当時としては、戦後最悪、関東大震災以来の巨大災害となりました。実は、この年の4月末、ゴールデンウィーク前半の連休に、関西に行ったことがあります。吹田の万博記念公園にある国立民族学博物館で、「ラテンアメリカの音楽と楽器展」という特別展が行われたのです。後から考えれば、この特別展はその後、東京でも渋谷の「たばこと塩の博物館」でもおこなわれたのですが(そちらも見に行きました)、そのときは大阪でしか行われないと思っていましたから。ラテンアメリカの音楽と楽器展も素晴らしかったのですが、実は常設展がもっと感銘を受けまして、ほぼ半日ずっと博物館にいたような記憶があります。(展示も膨大な量でした)で、翌日は京都に行ったのですが、その前に「大阪まで来たのだから神戸まで行ってみよう」と思ったのか、最初からその予定だったのかは記憶がないのですが、国立民族学博物館を出たあと、新快速に乗って神戸まで往復しました。夕闇迫るぎりぎりの時間で、神戸に着いていったん駅をでたら、もう暗くなっていた記憶があります。しかし、その手前では、まだ日が残っていて、車窓が見えました。地震からもう3ヶ月以上経過し、万博記念公園や新大阪駅近辺は地震の痕跡など分かりませんでしたが、電車が淀川を渡った途端に、屋根にブルーシートを被せた民家(つまり瓦が落ちたということでしょう)が激増したことは覚えています。そして、途中駅の三ノ宮で、テレビや新聞の写真で何度も報じられていた、途中階が潰れたビルが、駅の目の前にまだ残っていたのは、今も鮮明に記憶しています。正直なところ、阪神淡路大震災は世紀の大災害だったにも関わらず、この年は3月に地下鉄サリン事件、その直後のオウム真理教強制捜査と大事件が続き、被災地以外では多くの人の関心がそちらに向かっていたことは否めません。地震からすでに3ヶ月以上経ち、新幹線や山陽本線もこのように復旧していた(山陽本線と東海道新幹線も地震で高架橋が落ちていました)ので、大きなビルがまだ損壊したままになっているとは知らなかったのです。残念ながら、当時は写真は取り立てて趣味と言うほどではなく、このときカメラは持って行ったとは思うのですが、電車内からシャッターを切った記憶もないし、そもそもこのときの旅行全体の写真が、まったく残っていません。神戸駅で一回下車して、駅前を一周歩いたときは前述のとおり日も暮れていました。風景は見えたのかもしれませんが、記憶にありません。ただ、駅前の地面が波打っていたことは覚えています。これは、311後は東京でもよく見られたことですが。大阪への復路は、日もどっぷり暮れて、車窓の記憶はまったくありません。そう言えば、このとき往復とも新幹線で行ったのですが、往路か復路かは記憶がありませんが、車内の電光掲示板ニュースで(まだインターネット時代ではなかった)近鉄を退団した野茂英雄がドジャースで初登板、5回無失点と表示されていたのを見た記憶があります。そのときからもう29年です。時の流れとは恐ろしいもので、ついこの間と思っていた311からだって、もう13年です。喉元過ぎれば暑さ忘るるしかし、災害は、忘れた頃にやってくる人は、この二つの格言の間を行ったり来たりするものなのでしょう。過去の発生頻度から考えると、これから10年後には、前回の昭和東南海地震(1944年)、昭和南海地震(1946年)から約90年になります。過去の東海・東南海・南海地震で最短の発生頻度は90年です(安政地震1854年から昭和南海・東南海地震まで)。もちろん、「最短で」約90年であって、必ず90年ではありませんが、基本的には、いつ南海・東南海地震が起こってもまったく不思議ではない時期にはいってくることは、頭の中に入れておいた方がいいかな、と思います。
2024.01.17
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望月衣塑子元朝日新聞記者の奥山氏が指摘しているように石川県内で、孤立集落がこれほど点在してる中で、なぜ自衛隊機を使って水や食べ物の支援を空中投下しないのか、極めて疑問。 (以下略)---望月記者がツイッターで物資を空中投下すればいいじゃないか、と書いたら、なんだか軍オタ連中がワラワラと出てきて、「そんなことはできない」などと騒ぎになっているようです。確かに、今の時代、輸送機からパラシュートで物資をバラまくより、よほど確実な手段があるので、「空中投下」にこだわる必要はないわけです(望月記者の元のツイートを見ても、すぐに「自衛隊機を使って水や食べ物の支援物資、機材を空輸できないのか、極めて疑問」と修正をしています)。問題は、もっと迅速に多くの物資を空中から供給できないのか、という趣旨であって、「空中投下」はたまたま出てきた一例に過ぎないのですから、その言葉を叩くことに意味などありません。では、どうやって飛行場のないところに空中から荷物を運ぶのか。実に簡単な話です。ヘリコプターを使えば、どんなところにでも物資を送ることができます。ヘリの輸送力は大きくはありませんが、小松基地辺りに物資を集積してピストン輸送すれば、相当の量を運べるはずです。輸送先には、飛行場もいらないし、ヘリポートなくても大丈夫です。最低限荷物が下せるだけの場所があればいいのです。なぜなら、通常ヘリが物資の輸送を行う場合、機体の下に荷物を吊り下げるので、着陸などする必要がないからです。ホバリングしたまま、吊り下げてきた荷物のワイヤを切り離すだけです。それらの孤立集落でも、平時は自家用車が住民の足ですから、当然駐車スペースは少なからずあるはずです。そこに降ろせばいいだけです。多分、山登りをする人ならみんなヘリによる山小屋への輸送がどんなものか知っているはずです。こうやるのです。着陸して機内から荷物を運び出すより、この方が荷物の積み下ろしの所要時間もはるかに早い。どんな孤立集落でも、これらの山よりは平坦でしょうし、ヘリコプターが着陸できるほどの空き地がなくても、この程度の空き地はあるでしょう。民間のヘリがやっていることですから、これすら自衛隊のヘリコプターには「できない」などということはあり得ないはずです。木を見て森を見ず、「空中投下」という用語だけに反応して「できない」と言うばかりで、「物資の航空輸送」全般を考えないと、そういうアホみたいな反論になるのでしょう。
2024.01.15
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安倍派幹部、立件断念へ 会計責任者、起訴方針 収入不記載容疑 特捜部自民党派閥の政治資金パーティーを巡る事件で、パーティー券収入のノルマ超過分を派閥の政治資金収支報告書に記載しなかったとして、政治資金規正法違反(不記載、虚偽記載)容疑で刑事告発された最大派閥の清和政策研究会(安倍派)の歴代事務総長ら幹部議員について、東京地検特捜部が立件を断念する方向で調整していることが関係者への取材で判明した。会計責任者との共謀の立証が困難との見方を強めている模様だ。一方、安倍派と志帥会(二階派)の会計責任者については、同法違反で在宅起訴する方向で詰めの捜査をしていると見られ、今秋にも告発された議員と併せて刑事処分を判断する。安倍派では、派閥から議員側にキックバックされたノルマ超過分が双方の収支報告書に記載されず、さらにノルマ超過分を派閥に報告しないで事務所でプールしていた議員がいたとされる。また、二階派ではパーティー券収入の一部が収支報告書に記載されていなかったほか、事務所でプールしていた議員が複数いたとされる。公訴時効にかからない5年間で、安倍派では裏金化の総額が6億円近く、二階派の不記載額は2億円超に上る可能性がある。~会計責任者との共謀が認められれば政治家も立件対象となる。特捜部では18年以降に安倍派で事務総長を務めた下村博文、松野博一、西村康稔、高木毅の4氏らへの事情聴取を進めてきた。関係者によると、4市は還流が事務局から派閥会長に直接報告される「会長案件だった」などと説明し、会計責任者との共謀を否定したとされる。~---かつて、アウシュビッツなどで600万人のユダヤ人を殺したナチスドイツも、1000万人近くを粛清したスターリンも、その当時の国内法的にはそれらの行為は「合法」でした(ナチスの蛮行は戦後に裁かれましたが)。それらに比べれば遥かに小物ではありますが、安倍派事務総長を務めた重鎮連中は、「死人に口なし」とばかり「会長案件だった」と言って自らの責任を否定し、どうもそれが通ってしまいそうだ、ということです。政治家の逮捕は池田佳隆衆院議員のみ、別報道によれば、大野泰正参院議員と谷川弥一衆院議員が在宅起訴ということです。いずれも大臣経験もない、有力とは言い難い議員です。あとは議員ではない会計責任者に罪をおっかぶせて、有力議員はみんな罪を逃れるらしいです。トカゲのしっぽ斬り、とはこのことでしょう。この件で検察にも批判が集まっているようですが、検察にやる気がなかったら、そもそもこの裏金問題で強制捜査に乗り出したりはしなかったでしょう。この件で検察があえて強制捜査に乗り出したことについては、正しい行動であったと評価すべきであろうと思います。とはいえ、大川原化工機事件では明らかに冤罪なのに強引に起訴まで持ち込んでしまった(のちに起訴取り消し)のとは、対応に大差があることも確かです。やはり相手が権力者だと捜査も及び腰なんだね、と思わざるを得ません。刑事罰は免れても、この件についての世間の視線は、今のところ非常に厳しいです。が、それも今だけかもしれません。何しろこれだけ批判があり、内閣支持率も大幅に下がっているにもかかわらず、最近行われている地方選では軒並み自民党側が勝っています。1年も経てば有権者はみんな、こんなスキャンダルは忘れて、次の選挙も自民党は大勝かもしれません。そうなれば、裏金もすぐに復活するでしょうね。検察も有権者も厳しく罰しないなら、やったもの勝ちでしょうから。巨大な悪ほど合法的であることをよしとする国、と言わざるをません。
2024.01.14
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れいわ・山本太郎代表「行ってきます」再び被災地訪問を表明 政府の対応の遅れ批判「余裕だな、永田町は」れいわ新選組代表の山本太郎参院議員が、再び能登半島地震の被災地を訪問すると表明した。山本議員は5日に能登町に入り、避難所の状況を報告。食料の課題やキッチンカーの役割などを強調した上で「そんな話をしながら彼らの晩ごはんの炊き出しに誘われ凍える寒さの中、カレーをいただく」などと投稿。その後も7日まで、現地の被災状況や課題を写真付きで伝えていた。10日夜に山本議員はXを更新。国会で災害特別委員会の理事懇談会が開かれたことを記し、地震発生から9日も過ぎていることに「私の感想は、『ずいぶん余裕だな、永田町は』である」「言いたいことを簡単にいうと、さっさと総理入りで災害委員会開いて、被災された皆さんへのバックアップを議論しようぜ、それが最優先課題だろ?」と政府の対応の遅れを批判した。その上で、能登半島を再訪問する意向を記した。一方で、山本議員の被災地入りを批判する声もある。日本維新の会の音喜多駿参院議員は7日、Xに「被災地からの再三再四の悲痛な呼びかけを無視し、レンタカーで渋滞の一因になりながら現地を回った国会議員から上がってきたレポートが、ことごとく政府や県知事、関係者がすでに把握済みの情報ばかりであったという事実は、しっかりと後世にまで語り継いでいくべき。何やってんだよ、本当に」と投稿。山本議員を執拗に非難している。---れいわ新選組の政策や主張のすべてに賛同するものではありませんが、山本代表の被災地入りについては、諸手を上げて賛同、とは言わないものの問題のある行動とも思いません。もちろん、能登半島の道路交通がマヒ状態にあり、単なる物見遊山で被災地に多くの人が押し寄せることは好ましくない、ということは事実です。しかし、冷静に考えて、1人の議員がおそらく支援者と2人でレンタカーにのって被災地を廻ることに、そんな目に見える悪影響を及ぼすとは考えられません。みんなの代表として、限られた人が被災地に行って状況を報告することの意義と、小さな悪影響を天秤に掛けて、彼の行動を否定する理由はありません。もちろん、山本太郎を否定する人は、彼がみんなの代表であることなど、頭から否定するでしょう。しかし、良くも悪くも注目を集める人物であることは否定しようもありません。その人が被災地の情報を発信することの影響力は、小さくはないでしょう。政府や県知事、関係者はすでに把握済みの情報ばかりと言いますが、関係者は把握済みでも世間一般はどうでしょうか?関係者が知っていれば世間一般は知る必要はない、ということなのでしょうか。でも、山本太郎を躍起になって否定する人は、そういう理屈ではない、もっと感情的な部分で否定しているのではないかと思います。確かに山本は、適切な言葉でうまく説明できないのですが、簡単に言えば「無鉄砲」なところのある人と、私も感じます。正直に言えば、「そこでそういう選択をするか?」という感覚を抱いたことはあります。多分、私のように無難で安定的な人生を志向する人とは根本的に行動哲学が違う。けれども、「違う」のは優劣や正誤の問題ではありません。また、すべての人が安定的で無難な選択肢しか取らないような社会では、社会の活力などというものは維持できません。行動哲学自体はともかく、多分、私も含めて若い頃にああいう自由な生き方にあこがれる人はすごく多い。けれど、実際にはそういう人生を貫ける(かつ成功する)人などほとんどいません。現実を知って無難な人生に転じるか、または転落するか、です。その、希有な成功者が山本議員でしょう。多分ああいう行動を見るだけで腹立たしい、いまいましいという感情を抱く人が一定数存在することは想像が付きます。私にも、そういう感情の欠片くらいはあります。腹立たしい、いまいましいとは思いませんが、微妙な居心地の悪さ、あるいはこっ恥ずかしさみたいなものは感じます。でも一方で「すごい」「よくやる」とも思うのです。これは、必ずしも彼やれいわ新撰組の主義主張に対する賛否とは別の次元の感情です。そういうわけで、ああいう行動を受け入れない人は徹底的に受け入れないのでしょうし、それはそれで仕方がないことではあります。明らかに、万人受けするタイプではないですから。圧倒的支持を受ける、ということはないにしても、ああいう行動力の持ち主は、どこの世界でも必要であろうと私は思います。
2024.01.12
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【鮮明化映像】カメラがとらえた衝突直前の海保機、一部始終今月2日、羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突する事故が発生しました。事故直前、海保機が滑走路に向かった後、衝突するまでをとらえた情報カメラ映像を日本テレビは3分28秒にわたり鮮明化しました。こちらは、今月2日の事故直前、羽田空港に設置された日本テレビの情報カメラに映った映像を鮮明化したものです。赤い丸で囲まれているのが海保機で、機体のライトが画面右から左に向かう様子が見えます。海保機は向きを複数回変えながら滑走路へと進むと、滑走路上で停止しました。そのおよそ40秒後、画面右上からJAL機が滑走路に進入、海保機と衝突し激しい炎が上がりました。---事故発生後から羽田空港の定点カメラの映像が繰り返し報じられています。しかし、衝突した海上保安庁機が、いろいろな映像を見てもまったく見えず、まるで着陸してきた日航機が突然爆発したかのように見えました。しかし、この鮮明化された映像では、確かに海保機の動きが見えます。ただし、動いている間は光源が移動しているので見えますが、滑走路上に停止してしまうと、赤丸で囲まれていないとまず分かりません。これは映像だけの現象で、肉眼なら分かったのでしょうか?おそらくそんなことはないでしょう。夜間は遠近感がつかみにくい上に、海上保安庁のDHCー8は他のジェット旅客機より小さいので、尚更距離感が分からない可能性が高いです。旅客機としての運行ではないので、おそらくキャビンには明かりは点灯していなかったので、窓から漏れる光もなかったものと思われます。そうすると、尚更暗い。事前に「事故を起こすかも」という予測の元に双眼鏡で探せば、恐らく発見できただろうと思いますが、空港がもっとも混雑するであろう休日の夕方の時間帯、離着陸の度にそんなことをする余裕はなかったでしょう。ただし、羽田空港の管制塔には、着陸機が接近中に別の機が滑走路に進入すると、モニターに警告が表示されるシステムが導入されているそうです。ならばそれを見落とした、ということになります。もっとも、記事によると、この機能は「管制官が自分の目で見て指示する際の補助的な表示であり、常時その画面を凝視することを求められる性質のものではなかった」そうです。あっても見なくて良いなら意味ないじゃん、と思いますが、その反面、画面を常時チェックしている時間がない、という現実もあるのでしょう。とは言え、着陸機の進入前にチラ見でもいれば(チラ見で表示が読み取れる仕様かどうか知りませんが)という気はします。警告音など、画面を見ていなくても異常事態発生を知らせられる機能がなかったのが残念です。このことも含めて、管制官の注意力次第で海保機の誤進入に気付けた可能性はあります。なので管制官に事故の責任がまったくなし、とはならないかもしれませんが、明らかになっている通信記録からは海保機の誤進入が事故の主因であることは間違いなさそうです。別報道によると、管制官とのやりとりで、離陸の順番を「ナンバーワン」と指示したことが、海保機の誤認の一因になったのではないか、ということです。着陸機が先に着陸したあとで最初の離陸」という意味ですが、海保機がそう受け取らなかった可能性がある、というわけです。それで、国交省は管制官に「ナンバーワン」は使用しないよう通知した、とも報じられています(元々、「ナンバーワン」は正しい管制用語ではないようです。)。海保機が機長以外全員亡くなったのは残念ですが、事故の状況を見ると、日航機側に死者がでなかったのは、紛れもなく奇跡です。乗員の対応が素晴らしかったことは間違いありません。それに加えて、おそらく、機体の外側はあっという間に炎上したものの、乗員乗客のいるキャビンは脱出が終わるまで火が回らなかったことが大きかったように思います。それは、胴体部が衝突で折れたり割れたりしなかったからです。胴体に穴があけば、そこから火が侵入する可能性が高く、そうなれば、あっという間に機内にも火が燃え広がったでしょう。この写真を見ると、日航機は機首とその下面は損壊して、前脚は折れたようです。しかし、機首付近を除くと、事故直後の時点では胴体には大きな破損は見られません。主脚も、折れていなかったようです。JALのA350と海保のDHC-8は、機体のサイズもかなり違いますが、機体の高さもかなり違います。DHC-8の胴体上部が、A350の胴体底部よりわずかに高い程度です。だから、追突の際、A350がDHC-8にのしかかるように衝突したので、A350側の胴体の破損がそれほどひどくなかったのだろうと思います。いずれにしても、いくつかのミスと不運が重なって起こってしまった事故ですが、その中で大変な僥倖と乗員の素晴らしい対応のおかげで、全員生還という奇跡が起きたのではないかと思います。同じ僥倖がまた起こる期待はしない方がいいかもしれません。
2024.01.10
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1月6日、四阿山を目指したのですが、タイトルに書いたトラブルで途中撤退を余儀なくなされました。北陸新幹線のはくたか551号は金沢行でした。私は上田までの乗車ですが。快晴です。ただし、北アルプス方面は雲が広がっていて見ることはできませんでした。雪は少ないですが、それでもちゃんと積もっていました。登山口到着がだいぶ遅れ、この時点で四阿山山頂まで着くのは厳しいな、という時間ではありましたが、とにかく登ります。斜度の緩い山で、アイゼンがなくても登れる状態でしたが、途中で一応アイゼンをつけました。ところが、アイゼンをつけて15分も登ったかどうか、というところで、急にアイゼンが外れてしまったのです。私の登山靴は前コバがなく後ろ側だけコバがあるタイプで、後ろ側がワンタッチ、前側はバンド式のセミワンタッチアイゼンを使っています。バンドで締めるので、アイゼンが外れる、という事態は久しく経験がありません。あれ、どうしたんだろうと思って足を見たらソールがはがれいました。そのせいでアイゼンが固定できなくなってしまったようです。こりゃどうしようもありません。登り始めのシラカバ主体の森から、ダケカンバ主体の森に変わってきたところです。天気は快晴、まだまだ余裕で登れそうな緩斜面が続きますが、ソールの剥がれた登山靴で登り続けるのは厳しいと判断し、泣く泣く撤退しました。アイゼンをつけても10分も歩かないうちに外れてしまうので、アイゼンを外して片足だけアイゼンで下りますが、ノーアイゼンでも下れる場所なので、あまり問題ありません。なんか、時間が余ったので笛練習をたっぷりしました。根子岳。こちらに登っていれば、アイゼン付けないで相当上まで登れたなあ。菅平バス停へと下ります。で、剥がれたソールの状態。全部がはがれたわけではなく、かかと部分だけです。いつもは予備の靴紐を持っていくのですが、今回は予備の靴紐を持たず、応急処置の材料がありませんでしたが、剥がれたのがかかとだけなので、歩行にはそれほど支障がありませんでした。アイゼンが外れる、という点だけが問題でしたが。しかし、このトラブルが起きたのが四阿山でよかったです。アイゼンがなくても下山にあまり支障がないですから。年末の谷川岳の上の方でこんなことになっていたら、少々ヤバかったかも。(もっとも、谷川岳のときは予備の靴紐を持っていたので、応急処置は可能でしたが)この登山靴は2009年に購入、2016年か17年に一度ソールを張り替えています。夏用の登山靴も、ほぼ同じタイミングで購入し、近い時期にソールを張り替えて、昨年新しい靴に買い換えました。冬用登山靴は、夏用と違って、あまり泥や土埃で汚れることもなく、見た目はきれいなので、あと1シーズン使ったら2度目のソール張り替えか買い替えをしよう、と考えていたところでした。というわけで、登山用品店で2度目のソール張り替えの相談したのですが、所要期間が2か月、部材が不足しており、場合によっては修理不能の場合もある、と言われてしまいました。修理に2か月かかったら冬山シーズンが終わってしまいます。やむを得ず、新しい冬登山靴を買いました。7万円以上。高~~~~い。でも、痛い出費ですが、2009年から14年も使えば、さすがに寿命でしょう。と、考えてあきらめることにしました。
2024.01.08
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11月に中野区哲学堂公園で演奏した音源を後日公開、と書いたままそれっきりになっていましたが、1曲だけアップしました。アルゼンチンのロス・インカスのアレンジによるバイレシートのメドレー(3つのバイレシート)です。D/Bm(♯が2個)という調で作られています。ギターはカポタストを使えば2カポでC(ハ長調)になりますが、ケーナには辛いです。ケーナはG/Em(♯が1個)で調律されているので、♯が2個というのは、実質的には半音が1個だけなのですが、それでも早いフレーズでは辛いものがあります。この曲は7~8年前から演奏していますが、最初は全然指が回らず、結構練習しました。それでなんとか吹けるようになったのですが(えっ、今も指は回っていないだろうって?図星かも・・・・)、ロス・インカス(かのサイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」のバックで演奏しているのがこのグループ)は、これを難なく吹いている。実はインカスってケーナが上手かったんだな、と思ったら、実はC/Amで録音した音源を回転数を上げてD/Bmにしているようです。そうだったのか・・・・・。C/Amもケーナにとっては半音が1個あるにはあるのですが、D/Bmよりずっと簡単です。もっとも、それは録音だけで使える技であって、生演奏では絶対使えない技ですけどね。いや、D/Bm調のケーナを自作すればできるのですが、それもまた難易度が高いです。
2024.01.07
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12月の鳥写真の第3弾です。12月29日秋ヶ瀬公園この日はやや出遅れて出かけたのですが、まずエナガの群れに遭遇しました。エナガエナガ。このポーズは相当可愛いと思います。エナガただ、猛烈にすばしっこい鳥で、常時動き回っているので、実は肉眼ではその可愛さをあまり感じる余裕はありません。静止画で切り取っているからかわいいので、その場ではあっという間に飛んじゃいます。エナガ北海道のシマエナガが可愛さで有名ですが、本州以南のエナガも可愛いです。エナガエナガエナガエナガに続いてキツツキ祭りが始まりました。アカゲラアカゲラアオゲラアオゲラ写真は略しましたが、もちろんコゲラもいました。最後はルリビタキ祭りです。ルリビタキ・メスタイプ(メスまたは若オス)、以下すべて同一個体です。ルリビタキ、小鳥なので動きは早いですが、先ほどのエナガに比べれば、まだしも動きは落ち着いています。ルリビタキルリビタキルリビタキ
2024.01.05
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この年末年始は、個人的には平穏で楽しい休暇なのですが、社会的には元旦からとんでもない事態が起こっています。【能登半島地震】輪島で新たに7人死亡確認 石川県内73人に輪島市の坂口茂市長は3日、午後4時半時点で市内では39人の死亡が確認されたと発表した。珠洲市でも新たに1人増えて23人となり、石川県内の死者は少なくとも73人となった。午後6時から開かれた県の災害対策本部員会議にオンライン出席し、口頭報告した。輪島市内の死者は午後3時時点の32人から7人増えた。---東京には緊急地震速報は出ませんでしたが、地震の揺れはありましたね。明らかに遠方の大地震だと分かる、振幅の大きな不気味な揺れ方でした。最大震度は7を記録しました。自然界には休日も何も関係ないとはいえ、元旦から大災害に巻き込まれた皆様には本当にお気の毒というしかありません。更に、昨日の1月2日には、この地震にも関連する航空事故が発生しました。羽田空港で日航機と海保機が衝突 海保の5人死亡羽田空港の滑走路に着陸した日本航空機と海上保安庁の航空機が衝突し、海上保安庁の機体に搭乗していた5人が死亡しました。衝突したのは新千歳空港発・羽田空港行きのJAL516便と羽田空港基地に所属する海上保安庁の航空機です。警視庁などによりますと、海上保安庁の航空機には6人が乗っていましたが、その場で5人の死亡が確認されました。残り1人は機長で、自力で脱出したものの重いやけどを負っているということです。海上保安庁によりますと、航空機は1日の能登半島地震を受け、物資輸送のために新潟に向かう予定でした。一方、日本航空の機体には乗客乗員379人が乗っていました。全員脱出し、14人がけがをしました。国土交通省航空局長「(日本航空機が)着陸をしている際に滑走路上に海上保安庁の機体があって、そのまま衝突した」国土交通省などは2日午後9時すぎに会見を開き、事故原因について「管制官とのやりとりも含め確認中」と説明しました。---地震の救援物資を搭載した海上保安庁のDHC8型機と着陸中のJALのA350型機が滑走路上で衝突という異常事態です。現時点では、海上保安庁のDHC8型機には滑走路への進入許可が出ていなかったことが報じられており、同機が管制官の指示に反して滑走路に進入してしまったことが原因であることが示唆されているようです。衝突によって、残念ながら海保機側は乗員6人中5人が亡くなっていますが、日航機側は、衝突とともに激しく炎上したにもかかわらず、乗員乗客379人全員が、軽傷者は出たものの、死者重症者一人も出ず、全員が脱出に成功したことは、奇跡的な幸運でした。それにしても、1日2日と2日連続して、お正月のめでたさも吹っ飛ぶような災害と事故、いきなりこの先の1年間、先が思いやられるような年の始まりとなってしまいました。普通なら羽田空港での事故は1面トップの大事件ですが、昨日1月2日が新聞休刊日だったため、1日の地震と同日の紙面となってしまい、まさかの2番目の記事扱いです。いきなり今年の重大ニュース入りが濃厚(少なくとも地震の方は)な災害が起こってしまいましたが、せめて、これから1年はこれ以上悪いニュースが起こらないでほしいものです。なかなか、そうは問屋が卸さないかもしれませんが。
2024.01.03
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新年あけましておめでとうございます。前回の続きになります。「今年最後の山登り」ではなく「去年最後の山登り」になってしまいましたが。オキの耳からトマの耳を振り返ります。やっぱり登山者が多いですね。トマの耳アップ。トマの耳に引き返して山頂直前。トマの耳に戻ってきました。今度はトマの耳からオキの耳を撮影。彼方に富士山。すぐ目の前の肩の小屋まで下ります。ここで昼食を食べました。天神尾根は、肩の小屋から山頂までは緩い登りで、その下が急登です。一気に激下り。彼方の天神平スキー場までひたすら下ります。山頂方面を振り返ります。結構急登で、登りはいいのですが(いや、キツいですけど)下りは雪質の関係でアイゼンがあまり効かない時があります。天神平まで下ってきました。朝より雪面の陰影がよく気分かります。肩の小屋の下り始めが13時24分、天神平着が14時31分なので、1時間7分で下ってきました。笠ヶ岳・朝日岳・白毛門を再度撮影。ロープウェイでふもとに降りたら、15分後に上毛高原行きのバスが出るのですが、すでに長蛇の列。そこで、その更に24分後に出る上越線の上り列車に乗ることにして、ロープウェイ山麓駅から土合駅まで大急ぎで下ります。丁度バスが土合駅を通過するのとほぼ同時に土合駅に着きました。しかし、その土合駅は・・・・・・雪がほとんどないのでした。で、ここで実は時間があれば笛を吹こうと思ったのですが、そして、やろうと思えば10分くらいは吹ける時間はあったのですが、残念ながらホーム上に乗客が20~30人いたので断念。1日に列車がたった5往復しか止まらないので、30分早ければホームに乗客なんて一人もいなかったはずですが、列車が来る時だけは乗客はいっぱいいのです。今回は残念ながら登山道でも吹けず、笛は持って行っただけのデッドウェイトになってしまいました。で、土合→水上→高崎と乗り継いで、高崎から新幹線で帰宅。28日は職場の御用納め、前日29日は高校同期の仲間と忘年会で、この日は酒は控えようと思っていたのに、結局飲んでしまいました。350ml1缶だけですけど。
2024.01.01
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