PANDORAさん
>あれれ、コメントしようとしたら、「ユーザが禁止設定をしている文字列が含まれています 」と出ちゃいました

すみません、ネットウヨクとアダルト宣伝系が使いそうな単語を禁止にしています。
あとは、アダルト宣伝系に多いのがリンク貼りなので、httpを禁止用語しています。URLを記入する場合はhttpを抜いたところから記入していただけると大丈夫だと思います。
(2010.06.25 07:24:31)

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2010.06.20
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昨日の記事に、パナマ運河返還について触れましたが、これについてもっと詳しく書きたいと思います。

パナマ運河の両岸5マイルは1999年まで米国の租借地でした。つまり、パナマという国自体が租借地によって東西に分断されてたいたのです。
歴史を遡ると、パナマという国そのものが、米国の干渉と介入による産物なのです。
もともと、中南米の大部分は、かつてスペインの植民地でした。この地域が続々と独立したのは1810年代から20年代にかけてのことです。このうち、中米は1823年に「中米連合」として独立しますが、1838年から40年にかけて中米連合は瓦解し、グァテマラ・ホンジュラス・エルサルバドル・ニカラグア・コスタリカの5カ国に分裂して、現在に至ります。

あれ、パナマの名がありませんね。パナマは中米連合には入っていませんでした。当時、パナマは中米ではなく、南米コロンビアの一部だったのです。
コロンビアは、1819年に独立を達成しています。当時のコロンビア(グラン・コロンビアと呼ばれる)は現在のベネズエラとエクアドルを領土に含む広大な国でしたが、1831年にベネズエラとエクアドルが分裂し、その後国名が何度か変化し、最終的に1886年に現在のコロンビア共和国という国名になります。その間パナマは一貫してコロンビア領の一部でした。

コロンビア領パナマに運河建設の話が持ち上がると、米国は運河を自国の勢力圏に置きたいと考え、コロンビアと運河建設権を認める条約を結びます。しかしその内容が屈辱的であったため、コロンビアの議会が批准を否決しました。1903年9月23日のことです。
すると、米国は直ちにパナマの独立を支援、11月3日にパナマは独立を宣言します。その間わずか1ヶ月。独立運動の鎮圧に向かったコロンビア軍は、米軍に阻止されてパナマに上陸できなかったため、独立を妨害する者はありませんでした。

パナマの独立運動家たちは、米国の属国になるつもりではありませんでしたが、独立に米国の手を借りたことから、結局は米国の手の上で踊らされることになってしまいました。
11月18日、米国とパナマは運河条約を結びます。このとき、パナマ側の条約締結全権大使は、独立運動に協力したフランス人の運河建設技師長ビュノー・バリーヤでした。パナマ新政府は独立直後の混乱状態にあり、新政府の誰もが知らないうちに彼が「全権公使」として、勝手に米国との間で運河条約を調印してしまったのです。独立後わずか15日のパナマ新政府に外交や国際法の専門家はおらず、訳の分からないままこの条約を批准してしまいました。

パナマの独立前にコロンビア議会が屈辱的と批准を拒否した運河条約では、運河地帯の租借期限は100年となっていました。パナマが結んでしまった運河条約では、運河地帯(付帯する水利、通信の利用権も含め)の租借期限は永久でした。更に、運河条約の第1条に「米国がパナマの独立を保証し保全する」と規定され、米国が運河地帯だけでなくパナマの内政に介入する権利を与えているのです。その代わり、条約締結時に1000万ドル、以降年25万ドルを米国がパナマに支払うことが規定されていました。

このようなパナマの成立過程を見ると、ある国の成立過程と非常によく似ていることに気がつきます。日本が傀儡国家として中国から切り取った満州国です。パナマは米国にとっての満洲国なのです。ただ、満洲国は、宗主国である日本が太平洋戦争で破滅したため13年で姿を消しましたが、パナマの宗主国米国は今なお世界一の大国であるため、パナマという国も100年続いています。

運河地帯には米軍基地が置かれていましたが、運河条約第1条の規定をたてに、米軍は何度となく運河地帯外のパナマ本土に海兵隊を送り込み、軍事介入しています。更に、条約の拡大解釈により、パナマはもう一つ大きな主権を制約されています。すなわち、通貨の発行権がないのです。パナマの通貨単位は「バルボア」と言いますが、この通貨単位は概念上のもので、実際には紙幣がありません。1バルボア=1米ドルとレートが固定されており、紙幣は米ドルが使用されているのです。(硬貨のみバルボア硬貨がある)

パナマ人たちはもちろん、米国の属国として国土のど真ん中を米国の租借地として分断されている状況をよしとしていたわけではありません。独立後のパナマの歴史は、そのまま米国の干渉と、それに抗するパナマ人の歴史と言っても過言ではありません。
1931年、右翼的な反米民族主義者のアリアス兄弟がクーデターによって政権を奪取します。大統領には兄のアルモディオ・アリアスが就任しますが、政権に就いてからはそれほど急進的な反米政策をとらなかったので、米国の介入を受けませんでした。運河条約はちょっと改正され、運河使用料が年間25万ドル45万ドルに引き上げられ、第1条の「米国がパナマの独立を保証し保全する」規定がなくなりました。もちろん、表向きこの規定がなくなっても、その後米国は何度となくパナマに介入しているのですが。
1940年には、弟のアルヌルフォ・アリアスが大統領に当選。ちょうど第二次大戦中で、米国は運河地帯の租借地内の基地だけでなく、租借地外にも米軍基地を建設しようとしていましたが、アルヌルフォは兄と比べて一段と強硬な反米政策をとり、基地用地の貸与を拒否。しかしたちまち米国の介入を招き、クーデターで追放されます。

このとき運河地帯の外に建設された米軍基地を、米軍は戦後も永続させようとしました。パナマ政府は米国に屈服して基地貸与期限延長に合意しましたが、パナマ国民の反応は強烈で、激しい抗議運動のため議会はこの合意を批准せず、運河地帯外の米軍基地は閉鎖されます。

アルヌルフォ・アリアスは全部で5回大統領選に立候補します。ある時は、得票で勝利したにもかかわらず、国家警備隊(軍)のクーデターで追放され、あるときは裏で軍と密約を結んで大統領に当選し、強烈な反米主義と支配階層に対する強烈な敵意を見せつつ、ときには彼らと裏で手を結ぶという、矛盾に満ちたラテンアメリカのポプリスモ(ポピュリズム)政治家の典型的存在でした。しかし「運河をパナマに取り戻す」という信念だけは、曲げませんでした。結局、3回大統領を務めたのですが、いずれも任期途中で辞任あるいはクーデターで追われ、任期を勤め上げたことはありません。

1960年代、パナマ全土で運河返還を求める反米運動が盛り上がります。運河使用料は更に引き上げられて190万ドルになりました。米国はパナマ人を刺激しないように、運河地帯における星条旗の掲揚場所を制約し、星条旗を掲揚するときは必ずパナマ国旗も一緒に掲揚するようパナマ政府と協定を結びますが、運河地帯に在住する米国人(ゾーニアン)のパナマ人蔑視感は強く、彼らはこの協定をしばしば無視しました。
1964年、運河地帯内にあるバルボア高校で、協定を無視して星条旗を掲げようとする米国人の学生に対して、パナマ人が抗議に殺到、パナマ国旗も掲揚するよう要求するも、米国人が拒否して乱闘となる騒ぎが起こります。事件の報を聞いたパナマ人のデモ隊が抗議のため運河地帯に殺到、それに対して米軍が発砲し、死者20人以上を出す大惨事となります。
当時のパナマの政権は反米的ではありませんでしたが、一時米国と国交断絶という事態に至ります。
1965年、米国とパナマ政府は国交を回復し、同時に1903年の運河条約改定に合意しますが、その内容はパナマ人にとっては非常に不満足なもので、結局パナマ国会の批准は得られませんでした。
1968年、アルヌルフォ・アリアスが大統領に当選しました。過去何度も国家警備隊のクーデターによって政権を追われたアリアスは、政権に就くと反乱を起こしそうな国家警備隊の幹部を次々と左遷したり遠方に異動させて、クーデターを防ごうとしました。が、結局はクーデターを防ぐことは出来ませんでした。大統領当選からわずか5ヶ月後、またまた国家警備隊のクーデターによってアリアスは政権を追われます。

このクーデターによって政権を握ったのが、オマル・トリホス中佐(後に将軍)、運河返還をついに実現した人物です。
クーデターで追放されたアリアスと、追放したトリホス、政治的主張はかなり似通っていました。何度か触れたように、アリアスは反米民族主義者でしたが、オマル・トリホスもまた反米民族主義者でした。ただし、アリアスはこの時期、すでに口先だけの反米主義者と化していました。その証拠に、クーデターで政権を追われて逃げ込んだ先は、なんと米国大使館だったのです。
もう一つ、反米民族主義でも、アリアスは右翼的、対してトリホスは軍人ながら左翼的でした。アリアスは1930年代にはファシズムへ傾斜したのに対して、トリホスは政権を握るとキューバに急接近、更にニカラグア革命に際してはサンディニスタ民族解放戦線を支援しています。
ただし、決定的に対立した2人の政治家ですが、運河返還に命をかけたという点にだけは共通していました。

トリホスは1965年の条約改定合意を破棄して、米国に対して硬軟両様の態度で粘り強く交渉します。キューバとの友好関係で米国を刺激し、また「条約改定が実現しなかったら、ゲリラを組織して運河を妨害する」などと発言し、米国支配抜きの第二パナマ運河建設の観測気球を上げ、また中南米諸国の支持を集めて、パナマ運河返還を求める共同声明を取りまとめています。
トリホスの政権獲得から9年後の1977年、ついに米国カーター政権との間で運河条約改正が合意し、1999年に運河地帯が返還されることになりました。ただし、返還後も有事の際に米国がパナマの防衛を受け持つ、という規定だけは新条約でも盛り込まれているのですが。1903年の運河条約から74年かかって、ついに運河返還を勝ち取ったのです(実際の返還は更に23年後ですが)。その直後、トリホス将軍はパナマの最高指導者の地位を降り、また自らが追放したアリアス前大統領の帰国を認めます。

が、1981年、謎の飛行機事故によってトリホスは事故死します。実際には、トリホスの部下であったマヌエル・ノリエガが、CIAと協力して行ったテロと言われています。直接的証拠はともかく、状況から考えてこの説はまず間違いないだろうと思われます。ノリエガは、表向きは反米民族主義のトリホス将軍の「忠実な」部下でしたが、実は1960年代からCIAの協力者であったと言われています。当時、ノリエガと接触していたと言われる人物の一人に、CIA長官だったブッシュ(父親の方)がいます。
トリホス暗殺の陰には、保守的なレーガン大統領の意向があったと思われますし、トリホスを消して運河返還を反古にという期待もあったかもしれません。その後、パナマで独裁的権力を握ったノリエガに対して、1989年、ブッシュ政権の米国が軍事侵攻しましたが、これもあわよくば運河返還を反古にする、あるいは少なくとも運河を返還する相手を「親米的パナマ」にする意図があったでしょう。

しかし、その後パナマの政権は米国の思惑どおりには行かず、トリホスの創設した左派政党民主革命党が度々政権を握っています。ちなみに、パナマは二大政党制ですが、民主革命党と並ぶもう一つの有力政党はアルヌルフィスタ党と言います。その名から分かるように、これはアルヌルフォ・アリアスの政党。

1999年、運河返還が実現したときのパナマの大統領はアルヌルフィスタ党のミレーヤ・モスコソ。彼女はパナマ史上初の女性大統領であり、またアルヌルフォ・アリアスの未亡人です。(1901年生まれのアリアスの未亡人って、いったい何歳かと思いきや、当選時に52歳。アリアスが73歳のときに27歳で結婚したんだそうで・・・・・・・・・)
モスコソはトリホスのクーデターによって、夫共々亡命を余儀なくされ、今でもトリホスの創設した民主革命党とは対立する政党に所属して大統領に当選したわけですが、それでも彼女は運河返還式典の時、トリホスの名を挙げてその業績を絶賛しています。

トリホスの墓に刻まれているのは生前のこんな言葉だそうです。
「私は歴史書の中に入りたいのではなく、運河地帯の中に入りたい」





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最終更新日  2010.06.20 23:09:41
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トリホスの暗殺  
PANDORA さん
丁重な解説をありがとうございます。

ただし、いくつか。
トリホス自身は左翼ではなく、彼は本来は反共主義者です。
キューバやニカラグアに接近したのは、彼のブレーンであったニカラグア系パナマ人ヘスス・マルティネスによる見事な戦略でした。一方で、パナマの共産党は非合法のままだったのです。(しかし、共産党に対する弾圧はしていません)

しかし、こういった戦略でパナマ運河返還交渉を行ったことが、彼の暗殺を招きます。
(覚悟はしていたと思いますが)

トリホスの暗殺についてはすでに、何年か前に米国国務省で守秘を解除されているはずです。 (2010.06.23 09:58:28)

Re:トリホスの暗殺(06/20)  
inti-sol  さん
PANDORAさん
コメントありがとうございます。

>ただし、いくつか。
>トリホス自身は左翼ではなく、彼は本来は反共主義者です。

なるほど。私は、多分ある時期から(政権を取る頃から)トリホスは右から左に転向したのではないかと思います。
左から右への転向は多くの例がありますが、右から左はそれほど多くはない、でも例のないことではありません。ホンジュラスのセラヤ大統領なんかがそうです。

>しかし、こういった戦略でパナマ運河返還交渉を行ったことが、彼の暗殺を招きます。
>(覚悟はしていたと思いますが)

>トリホスの暗殺についてはすでに、何年か前に米国国務省で守秘を解除されているはずです。

そうなんですか!!つまり関与が証明されたと言うことでしょうか。
米国がラテンアメリカでやってきたことを考えれば、本人は当然覚悟をしていたでしょうね。 (2010.06.23 23:07:29)

Re[1]:トリホスの暗殺(06/20)  
PANDORA さん
あれれ、コメントしようとしたら、「ユーザが禁止設定をしている文字列が含まれています 」と出ちゃいました (2010.06.24 21:55:28)

Re[2]:トリホスの暗殺(06/20)  
inti-sol  さん

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