inti-solのブログ

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2019.08.15
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カテゴリ: 戦争と平和
令和に誓う不戦、陛下初参列「深い反省」…戦没者追悼式
15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれた。天皇陛下も皇后さまとともに初めて参列、先の大戦への「深い反省」に言及するなど、上皇さまのお言葉の内容をほぼ踏襲された。
式では、正午の時報に合わせて参列者全員で黙とうをささげた。陛下はお言葉で、「過去を顧み、深い反省の上に立って」と、上皇さまが戦後70年の2015年に盛り込んだ「深い反省」に言及。戦陣に散り、戦禍に倒れた人たちに追悼の意を表し、世界の平和と国の発展を祈られた。
安倍首相は「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この誓いは、昭和、平成、そして、令和の時代においても決して変わることはありません。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります」と式辞を述べた。

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「反省」を口にしたのが天皇だけで、首相はその言葉を言わなかった、予想どおりのことではあります。
310万人は、自然死で亡くなったわけではなく、それは当然、人災だったわけです。しかも、日本の犠牲者だけでも膨大な人数ですが、アジア太平洋全体では一桁多く、正確な数字は分からないけれど、2000万人以上が犠牲になっています。日本が侵略を行ったことによって生じた犠牲です。
「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。」という言葉はよいのですが、先の戦争について反省も検証もすることなく、どうして同じことを繰り返さないといえるのか。それでは「二度と繰り返さない。」という言葉も、真実味が感じられません。
先の大戦への真摯な反省の念を首相が放擲し、天皇家だけが最後の砦になっている、残念ながらこれが今の日本の現状です。戦後74年間、日本は戦争に参加せず、戦争による死者もほとんど出さずに来たわけですが、それもこの先いつまで続くか、この状況では危ういと思わざるを得ません。

来年は戦後75年、ということになります。3四半世紀経ってしまった、ということです。わたしが子どものころ、というのは1970~80年代のことですが、社会には多くの戦争経験者が御存命で、というよりも、まだまだ現役で仕事をしていました。敗戦時20歳だった男性の多くは兵役に取られていたと思いますが(1943年までは満20歳、それ以降は満19歳で兵役検査があった)、その人たちは、1980年の時点で55歳ですから、ほとんどがまだ引退はしていなかったはずです。戦争体験を主体的に語るかどうかは別にして、そういう経験を持つ人は社会に大勢いました。しかし、今では敗戦時20歳だった方は94歳ですから、そのほとんどが亡くなっています。
母は敗戦時小学校1年生ですが、川崎生まれなので空襲を経験しています。おそらく、その母が戦争体験者(経験をちゃんと記憶しているという意味で)としてはもっとも若い世代と思いますが、すでに80歳を超えています。
子どものころは近所の駅前で「傷痍軍人」がアコーディオンを弾いたりというのを目撃していましたが、それも70年代いっぱいか、せいぜい80年代初め頃までだったでしょう。

近年の日本の右傾化の原因は、様々な複合要因によるもので、単一の原因によるものではないでしょうが、社会の中から戦争の恐ろしさを実体験として知る人がほとんどいなくなってしまったことが戦争への忌避感を低下させている、ということも理由のひとつとしては(必ずしも最大の原因ではないにしても)あるだろうと思います。喉もと過ぎれば暑さ忘れる、という奴です。

話は変わりますが、来年が75周年ということで思い出されるのは24年前の1995年の「戦後50年決議」です。今にして思えば、村山内閣の、現在に残る最大の成果がこの決議及び村山首相自身の談話(村山談話)であったと思います。だって、安倍政権ですら、その談話を「引き継ぐ」と言わざるを得ないくらい(当時、安倍自身は決議に反対して欠席しているくらいだから、腹の中では嫌々なのでしょうが)重いものですから。
前述のとおり、通常この種の国会決議は全会一致で決議されるものですが、残念ながらこのときの決議は全会一致とは程遠い状況でした。いうまでもなく、村山内閣は自民党・社会党・さきがけの3党連立政権でしたが、安倍をはじめとする自民党内の強硬右派から大量の欠席者が出る一方、その自民党内強硬保守に譲歩しすぎた文面が不満で、社会党からも決議への欠席者が出ます。野党である共産党は出席して反対票を投じました。同じく野党の新進党も大半が欠席しました。それでも衆院では賛成多数で決議が採択されましたが、参院では議決すらされなかった。

戦争に対して反省したり謝罪したりする気がない右派連中がこの決議に反対するのは、彼らの主張から考えてもある意味当然と言えます。しかし、左派がこの決議を「不十分」と反対したのは、現在の視点から見れば誤っていたように私には思えます。
そりゃ、確かに充分な内容ではない、とは私も思います。でも、政治的力学の問題で、これ以上の内容の決議が成立する可能性はありませんでしたし、その後の流れから考えると、後の時代に鳴ればなるほど成立する可能性は厳しくなっていったであろうことは容易に想像できます。
理想的な文面の決議でないなら反対、というのは、結局何の決議もされない、ということにつながります。
結果的には、それでもかろうじて決議は成立したし、またこの状況があったから村山首相は決議に加えて自ら談話を発表した、ともいえます。その後の村山談話の「歯止め」としての存在の大きさを考えると、内容が「不十分だから」という理由による反対は、一歩間違えればすべてをぶち壊すリスクもあった、その点は大いに反省すべきであると私は感じました。すべてが自分たちにとって「充分」な内容などということはまず実現できないのですから。





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最終更新日  2019.08.15 23:53:52
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