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「山久さん、一体何を言っているんですか?」「とぼけたって無駄よ!あなた、うちの主人に色目を使っているんじゃないの?この前だってうちの人、あなたの事ばかり褒めていたじゃない!」亮子の言葉に、歳三は数日前のバザーでの事を思い出した。 数日前のバザーで、総司や歳三達とともに山久夫妻はカレーの屋台を担当していたのだが、亮子が玉ねぎのみじん切りやジャガイモの皮剥きに苦戦している傍らで歳三が下ごしらえを済ませているのを見て、竜太郎がこう言ったのだった。『土方さんは主婦の鑑ですね。今度うちの亮子にも教えてやってくださいよ。』ほんの些細な竜太郎の一言が、亮子にとっては深く胸に刺さったのだろうか。「山久さん、わたしはご主人に色目を使ってなんかいません。誤解なさらないでください。」「あなたさぁ、わたしの事を見下しているでしょう?東京から来て都会風吹かして!」亮子は歳三の言葉を何一つも聞いていなかった。「山久さん、それくらいにしておきなさいよ。」「何よ、みんな馬鹿にして!不妊治療が上手くいかないのも、あんた達があたしをのけものにするからじゃない!」亮子はそう叫ぶと、泣き崩れた。「土方さん、ごめんなさいね。嫌な思いさせちゃって。」町内会からの帰り道、美津子がそう言って歳三に頭を下げて来た。「そんな・・わたし、全然山久さんの事知らなくて・・」「山久さんね、不妊治療を受けているんだけど、なかなかいい結果が来ないのよ。この前の件だって、やっかみで言ったんじゃない?」「そうですか・・」帰宅して歳三が夕飯の支度をしていると、急に吐き気が襲ってきた。「どうしたんですか?」「あぁ、少し気分が悪くなってな。疲れが溜まってたのかな。」「ねぇ土方さん、明日病院行きましょう。」総司はそう言って瞳を輝かせて歳三の手を握った。 翌日、二人は病院の産婦人科へと向かうと、そこには亮子の姿があった。亮子の事情を知っているだけに、歳三は彼女に声を掛けられないでいた。「土方さん、最後の月経はいつ来ましたか?」「そうですね・・4月の初旬くらいです。」「おめでとうございます、今5週目に入っていますよ。」医師は笑顔で歳三に妊娠を告げた。「予定日は来年の2月中旬辺りですね。詳しくは次回の検診で。」「ありがとうございます。」診察室を出た後、歳三はそっと下腹部を擦った。一度失った命が、再び自分の元に宿ったのだ。「誠に、知らせないといけませんね。それと、会長にも。」「ああ。でも先生が大切な時期だから無理するなって言われたぜ。剣道教室の方には知らせないとなぁ・・」「心配しなくても、土方さんの分まで頑張りますよ。」笑顔を浮かべながら二人が廊下を歩いている姿を、亮子は恨めしそうに見ていた。「ママ、僕弟と妹が欲しい!」「おいおい誠、まだ赤ちゃんが二人いるって決まったわけじゃねぇぞ。誠はお兄ちゃんになるんだから、これからはおうちの仕事も手伝ってくれよな。」「うん!」新しい命の誕生を心待ちにしている土方家とは対照的に、山久家には鸛(こうのとり)が舞い降りて来る気配がなかった。「ねぇあなた、わたしもう治療やめたいわ。成果が出ないのに、お金ばかりが消えてゆくなんて、耐えられない。」「そうだな。子どもが居なくても夫婦二人で暮らそう。」「ええ・・」「そういえば、土方さんは二人目を妊娠したそうだ。今朝ご主人が嬉しそうに報告してくれたよ。」 夫の言葉に、亮子は子が産めぬ自分の身体を呪うとともに、歳三への憎しみを募らせていった。
2012年01月31日
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「そこ、踏み込みが浅い!」「腰がひけてるぞ!」 春日野小学校の体育館内は、子ども達の歓声と竹刀で打ち合う音が響いた。「はぁ、疲れた。」「土方さん、どうぞ。」歳三が床に座って休憩していると、総司が緑茶のペットボトルを彼女に手渡した。「ありがとよ、総司。なんだか久しぶりだなぁ、こうして竹刀を持ってガキどもを指導するのは。」「そういえば土方さん、高校の時剣道部の副顧問でしたよね?」「ああ。」歳三が周りを見渡すと、そこには竹刀を握り果敢に自分よりも体型が立派な男児に向かっていく誠の姿があった。「誠、頑張れ!」「そこだ、行け!」男児に押されていた誠だったが、面を打とうとした相手の隙を狙い、鋭い突きを喰らわせた。「よくやったな、誠!」対戦相手に礼をした誠が面を外して自分達の元に走ってきたので、歳三は彼を思い切り抱き締めた。「ママ、剣道って楽しいね!」「ああ。血は争えねぇなぁ。」「本当ですね。」親子3人で楽しく笑い合っていると、山久亮子の夫・竜太郎が彼らの方へとやって来た。竜太郎も、剣道教室のコーチで、警察官だ。「土方さん、おはようございます。」「おはようございます、山久さん。」「あなたのお噂は聞いておりますよ。何でも高校の時、全国大会に出場して優勝なさったとか。どうです、わたしと勝負しませんか?」「いえ・・ブランクがあるので、お相手になれるかどうか・・」総司は竜太郎の誘いを断ろうと謙遜したが、それが彼にとっては余裕綽々とした態度を取っていると思われたらしく、彼は渋面を浮かべた。「そんな事をおっしゃらず、一本。」「はい、では・・」総司と竜太郎は、生徒やその保護者に見守られながら面や胴を着けた。「では、はじめ!」互いに礼をした二人は、相手の間合いを取り始め、暫く互いの間をぐるぐると回っていた。「やぁ!」「えい!」総司が鋭い突きで竜太郎の面を狙うと、竜太郎はその隙を狙って胴へと打ち込もうとしたが、打ち込みが浅かった。 その後互いに睨み合い、一歩も譲らぬ戦いとなり、皆固唾を呑んで勝負の行方を見守っていた。先に動いたのは、竜太郎の方だった。「面~!」竜太郎が竹刀を振り翳した時、総司はすかさず胴に打ち込んだ。「一本、土方さん!」「パパ、凄い!」総司が竜太郎と礼をして歳三達の元へと戻ると、誠が尊敬のまなざしで彼を見た。「土方さん、見事な胴でした。」「山久さんこそ、先ほどの打ち込みは鋭いものでしたね。まだまだ負けていられません。」「ええ。お互いに切磋琢磨し合いましょう。」竜太郎と総司は、互いの手を固く握り合った。 山久家と交流が出来た土方家であったが、それは夫同士のもので、妻である亮子と歳三は相変わらず互いに打ち解けないでいた。そんなある日の事、歳三が町内会主催のキルトの集まりで美津子やその友人達と談笑していると、亮子が突然金切り声を上げた。「あなた、わたしを馬鹿にしているの!?」突然の事に、皆顔を見合わせて黙り込んでしまった。
2012年01月31日
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MARISSA様から素敵なイラストを頂きました。「黒衣の貴婦人」最終回のラストシーンのイラストを頂きました。転生した歳三と総司が再会するシーンです。運命の相手に頬を赤らめる総司。見つめ合う2人。歳三の視線にどきまぎする総司。MARISSA様、ありがとうございました!蛇足ですが、現代総司と歳三の出逢い編「桜色の愛」はコチラで連載中です。
2012年01月30日
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朝日を浴びながら、歳三は会津若松市内を走っていた。朝の澄んだ空気は気持ち良く、満開の桜が春の訪れを告げていた。(東京と違って空気がいいな・・)歳三がランニングを終えて家の中へと入ろうとすると、山久家のドアが開く音がした。彼女が振り向くと、そこにはじっとこちらを見つめている亮子の姿があった。「おはようございます。」歳三が彼女に挨拶すると、彼女は返事もせずに家の中へと引っ込んでいった。(何だ、あれ。感じ悪ぃな。)昨夜の事を少し引き摺っていた歳三は、亮子の態度にカチンときた。「土方さん、どうしたんですか?そんなに怖い顔して?」「え?」リビングに入ると、総司が朝食をダイニングテーブルの上に並べていた。「いや、山久さんに挨拶したら、無視されちまってよ。昨夜の事が原因なのかなぁ。」「考え過ぎですよ。」総司と誠が学校に行った後、歳三は新聞の求人案内に目を通していたが、なかなか良い条件のものがなかった。 この際専業主婦になろうかと彼女が思っていた時、玄関のドアが激しく叩かれた。(誰だ、こんな朝早くに?)もしかしたら強盗かもしれない―歳三は愛用の木刀を握り締め、玄関のドアを開けた。 するとそこには、山下夫妻が立っていた。「あ、おはようございます・・」「おはよう。」慌てて振り翳した木刀を下ろした歳三に、彼らはにこにこと微笑んでいた。「あの、お茶でもいかがですか?バタバタしていて散らかっていますが・・」「そう。じゃぁお言葉に甘えて。」彼らをリビングに通し、キッチンで茶を淹れていると、美津子がテレビの近くに飾られている写真立てを取った。「あなた、剣道していらしたの?」「ええ、学生の頃に。憂さ晴らしには最適かと思って始めたんですが、面白くて嵌ってしまったんです。」「まぁ、そうなの。あのね土方さん、突然の事で申し訳ないのだけれど、あなたに剣道教室のコーチをして貰いたいのよ。」「俺が、剣道教室のコーチですか?」「そう。毎週火曜と木曜の週2回に、春日野小学校の体育館であるんだけど・・今人手不足でね。有段者の方に来て貰えば助かると思ったのよ。」美津子はそう言うと、剣道教室のパンフレットを見せた。(ふぅん、面白そうじゃねぇか。)「解りました、やらせていただきます。」「そう、助かったわ。」その後は山下夫妻とおしゃべりをして、夕飯の食材を買いにスーパーへと車を走らせた。 就業を知らせるチャイムが鳴り、総司は凝った肩を回しながら職員室の椅子から立ち上がった。「沖田先生、ちょっといいですか?」「なんでしょう?」教頭の石田に手招きされ、総司が彼を見ると、石田は剣道教室のパンフレットを彼に手渡した。「君、剣道の有段者だよね?」「はい、そうですけど・・それが何か?」「忙しいのに悪いんだけど、剣道教室のコーチをしてくれないかな?」「コーチ、ですか?」「人手が足りなくてね、頼むよ。」顔の前で手を合わせる教頭の頼みに、総司は断れなかった。 剣道教室初日、春日野小学校の体育館は、小学1年から3年生の低学年の児童が集まり、賑わっていた。「総司・・」「土方さん、何でここに?」「僕もコーチなんですけど。」道着姿の総司と歳三は、互いに顔を見合わせて笑った。
2012年01月30日
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夕食後のリビングに、ピアニカの音色が響いた。 誠が小学校に入学してから数週間が経ち、人見知りの激しい彼にも、少ないが友達ができたようだった。彼は今、5月の音楽祭に向けて練習していた。「誠、もうその辺でいいんじゃないか?」歳三がそう言って誠を見ると、彼は首を横に振った。「まだ出来てないところがあるもん。それを弾けるようになるまでやる。」「ったく、しょうがねぇなぁ・・」一度始めたことは完璧にマスターするまでやめようとはしない頑固な性格は、どちらに似たのだろう―歳三はそう思いながら息子の練習風景を見て苦笑していると、玄関のチャイムが鳴った。(こんな時間に誰だ?)歳三が玄関のインターフォン画面の電源をオンにすると、そこには山久家の主婦・亮子が立っていた。「あの、なんでしょうか?」『ちょっと玄関に来てくれないかしら?』「は、はい・・」彼女の怒った顔が気になって、歳三は家から出て玄関先へと向かった。「あのね、さっきからピアニカの音が煩いんだけど、やめさせてくれないかしら?」「え?」外から出ていても、誠のピアニカの音は余り響かないし、ピアノと違って煩くはない筈だ。「それは一体、どういう・・」「とにかく、やめさせてよね。煩くて眠れないのよ。」亮子は一方的にそう言い放つと、歳三に背を向けて家の中へと入っていった。「どうしたんですか、土方さん?」「いやな・・はす向かいに住んでる山久さんから、苦情言われてさ。」「苦情?」「音が煩いって。」「ママ、パパ、おやすみなさい。」両親の間に流れる気まずい空気を感じ取ったのか、誠はピアニカをしまって子ども部屋へと向かった。「ピアニカの音は外には響かないでしょう。夏に窓を全開して弾くならともかく・・山久さんが神経質なだけじゃぁ・・」「神経質ってだけで片付けられねぇよ。前住んでいたマンションでも、下の住人から少し苦情言われただろう。」「あぁ・・」総司は、誠がまだ2歳だった頃のことを思い出した。 あの頃の誠は、家の中でもじっとしていられなくて、暇さえあれば家中を走り回っていて、その走る足音が下の階に響いていた。下の階の住人に何度か苦情を言われ、誠が遊びたがっている時に公園や児童館に連れ出したりしなどの対策を取ったら、苦情が全く来なくなった。「まぁ、集合住宅と違ってここら辺は一軒家だからよ。だからといって周りへの配慮がねぇとこの先気まずいぜ。」「そうですね。それよりも土方さん、仕事は見つかりました?」「厳しいな。昨年の震災の影響でなかなか見つからねぇ。場所によっては、会社を津波で流されたところもあるからな。それに、原発の事で色々と風評被害もあるし・・」 昨年3月に発生した震災と、その時に発生した津波の影響による福島第一原発による放射能汚染により、観光地である会津若松市も風評被害の影響で観光客が減ったことがあった。「誠がね、入学式のときに地元の子から“放射能がうつるとか思ってるんだろう”って詰め寄られたんですって。大人達が不安になっているから、それを見ている子ども達もストレスを抱えているんですね。」「ああ、そうだな・・さてと、もう寝るか?」「もう?僕の相手は?」「馬鹿野郎、明日朝早いだろうが。」自分に抱きついてくる総司を振り払い、歳三は寝室のベッドに入ってぐっすりと眠った。 翌朝、彼女は顔を洗うと散歩がてらにランニングを始めた。
2012年01月30日
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「母さん、誠の事は僕達に決めさせて欲しいんだ。」「そんな事出来ませんよ。誠ちゃんは沖田家の孫なのよ。」「母さん、僕の事を忘れたの?」「総ちゃん・・」房江と誠の間に、ピンと緊張の糸が張りつめた。「あなたがそう言うのなら、ママは何も言わないわ。」房江はそう言うと、歳三が用意した寝室へと入っていった。「なあ、一体どういうことなんだ?」「ああ、さっきのですか?」夫婦の寝室に入った歳三が隣で寝ている総司を見ると、彼は溜息を吐いた。「実はね、僕幼稚園から中学まで学習院に通ってたんですよ。母は沖田財閥の御曹司である僕に一流の教育を受けさせ、上流階級の子息として相応しい紳士に育てようとしました。でもそれは、僕にとって苦痛でしかなかったんです。」「そうか・・」 銀髪に紫紺の瞳を持った総司は、他人とは違う外見でいじめを受けたことは想像できた。「僕の母はあんな性格だから、僕は学校でいじめられていることを言えませんでした。周りは旧華族や財閥の子息や子女ばかりで、閉鎖的な空間の中で僕は必死に喘いで耐えてました。でも中学3年の時、もう限界が来て、授業中に過呼吸の発作を起こして倒れて、病院に運ばれたんです。」総司はそう言って歳三の手を握った。「そうか・・そんな事があったのか。」「ええ。だから誠には僕の二の舞にしたくはないんです。親の見栄やプレッシャーに押しつぶされないように、強く生きて欲しいんです。」「そうか。大丈夫だ、総司。誠は俺達の子だ。」「そうですね。」「なぁ総司、久しぶりにしねぇか?誠ももう手がかからなくなったし・・」歳三の言葉に総司は照れ臭そうに笑いながら、彼女と甘い時間を過ごした。「ママ、似合ってる?」「ああ。」 数週間後、春日野小学校の正門前で、歳三と総司は真新しいランドセルを背負った誠を見て微笑んでいた。「誠、これからはママやパパに何かあっても泣いて走ってきちゃ駄目だぞ。もう赤ちゃんじゃないんだからな?」「うん。」誠はそう言ったものの、不安な表情を隠せないようだった。 入学式を終え、1年生の教室に入った誠は、そこで総司の姿を見つけて嬉しそうに彼へと駆け寄ろうとしたが、歳三からの言葉を思い出して耐えた。「みなさん、入学おめでとうございます。今から名前を呼びますから、元気な声で挨拶してね!」「はぁ~い!」教壇で総司は出席簿を開きながら、不安そうに周りを見渡す息子の姿を見た。 声を掛けてやりたいが、心を鬼にして誠を甘やかしてはいけないと思い、総司は誠と決して目を合わせようとしなかった。「おい。」「なに?」総司が教室から出て行くと、クラスメイトのやんちゃそうな男子が誠に話しかけてきた。「なに、じゃねぇよ。お前ぇ、ここのもんじゃねぇな。」「東京から引っ越してきたけど・・」「お前ぇ、福島に居たら放射能がうつるとか思ってんだろ?」「そんな事、思ってないよ。」「嘘吐くんじゃねぇべ!」その男子はそう言うと、誠に詰め寄った。「何で何も悪いことしてねぇのに、差別されなきゃいけねぇんだ!」彼の言葉に、誠は何も言い返せなかった。「あら、見ない顔ね。」「東京から引っ越してきた土方です。」近所のスーパーで歳三が買い物をしていると、山下夫妻のはす向かいに住む主婦が声を掛けてきた。「そうなの。初めまして、山久です。」「初めまして・・」 歳三は近所の主婦・山久亮子と出逢ったが、一見穏やかそうな性格に見えた彼女の本性を、歳三はまだ知らなかった。
2012年01月29日
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「初めまして、隣に引っ越してきた土方です。」「あら、こちらこそ初めまして。どちらから来たの?」 隣人の老夫婦・山下の家に挨拶をしに行くと、彼らはそう言って笑顔で歳三(としみ)を迎えた。「東京からです。主人の仕事の都合でこちらに引っ越すことになりまして。」「そう。ご主人って、4月から春日野小学校で働くことになった若い先生の事かしら?」「ええ、そうですけど・・」歳三は一言も総司について話してはいないが、山下夫妻は彼の事を知っているようだった。「玄関先ではなんだから、ゆっくりお茶を飲みながら話しましょうか?」「はい・・」若干戸惑い気味に歳三は山下夫妻の家に上がってお茶を飲んだ。「ねぇ土方さん、ご主人はまだお若いようだけれど、どちらで知り合ったの?」「東京で知り合いました。バイト先で知り合って・・」「そうなの。もしかして、あなた達出来ちゃった結婚なの?」山下の妻・美津子の言葉に、歳三は茶を噴き出しそうになった。「お恥ずかしながら、そうです。後腐れないように彼と別れるつもりだったのですが、妊娠が知られてしまって・・」「そう。うちの息子夫婦も似たようなものなのよ。息子さん、今年小学校入学なの?」「ええ。内気で人見知りが激しいから、上手くやっていけるかどうか・・」「大丈夫よ。」山下夫妻の家から出た歳三は、隣人とは上手くやっていけそうだと思った。「ただいま。」「お帰りなさい。」 近所への挨拶回りを終えた歳三が帰宅すると、玄関先に女物の靴が二足置かれてあった。「あら歳三さん、お久しぶりね。」リビングに入ると、そこには黒革のランドセルを嬉しそうに背負う孫の姿を見つめる房江の姿があった。「お久しぶりです、お義母様。」まさか房江が会津若松に来るとは思わなかったので、歳三は慌てて彼女に頭を下げた。「総ちゃんが福島に行くって聞いて、ママ本当に驚いてしまったわ。だから居てもたってもいられなくてこちらに来たのよ。誠の入学祝いも渡したいし。」「ありがとうございます。誠、お祖母様にお礼を言いなさい。」「ありがとう、おばあちゃん。」誠が房江に頭を下げると、彼女は目を細めて誠の頭を撫でた。「歳三さん、ちょっと。」 夕食後、総司と誠が風呂に入っている間に洗い物をしていた歳三を、房江がそう言って手招きした。「なんでしょうか、お義母様?」「誠ちゃんのことなんだけど、あなたまさかあの子を公立に通わせるつもりじゃないでしょうね?」「ええ。もう手続きは終わらせましたし・・」「あなた、一体何を考えているの!?」歳三の言葉を聞いた房江は、そう言って白目を剥かんばかりに怒った。「いいこと、歳三さん。誠ちゃんは沖田家の孫なのよ。沖田家の男子は学習院に通わせることが伝統なの。だからあなたにもそれに従って貰わなければね。」「ですがお義母様、誠は今慣れない環境でストレスを感じてます。それなのに両親と離ればなれにさせるなんて出来ません。」歳三が房江に反論すると、彼女は大袈裟な溜息を吐いた。「あなた、全然わかっていないわね。あなたや総司が誠ちゃんを甘やかして自分の手元に置きたがるから、いつまで経っても誠ちゃんの甘え癖が直らないのよ。」「お義母様・・」ソファを挟んで歳三と房江が対峙していると、風呂から総司が上がってきた気配がした。「とにかく、誠ちゃんは学習院に入学させますからね。」「どうしたの、母さん?」リビングにパジャマ姿の総司が入って来ると、房江は笑顔で彼にこう言った。「総ちゃん、誠ちゃんを学習院に入学させようと思うのよ。あなたは勿論賛成よね?」
2012年01月29日
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平助が死んだという知らせが自分の下に入ってきたのは、夜明け前のことだった。油小路で新選組隊士達と斬り合いになり、原田達が逃がそうとした時に隊士に斬られたという。 また、一人仲間が死んだ。山南の時も、平助の時も、自分は冷徹になろうと努めていた。だが心の奥底では彼らに対する罪の意識があった。(俺は、どうして・・)『土方さん、入りますよ?』すぅっと副長室の襖が開いて、総司が入って来た。『泣いてもいいんですよ、僕の前では。』弟分の言葉を聞き、鬼副長と呼ばれた自分の涙腺が、いとも容易く崩壊してしまった歳三は、彼の胸に顔を埋めて泣いた。「土方さん、おはようございます。」「んぁ・・おはよう。」朝を迎え、歳三はソファから気だるそうに起き上がると、総司がキッチンで朝食を作っていた。「顔洗った方がいいですよ?酷い顔してますから。」「うるせぇよ。」昨夜の事を、総司は何も言わない。だが彼は歳三がどんな気持ちなのか、解っている。だからこそ、そっとしてくれているのだ。 洗面所で顔を洗うと、目の下には深い隈が出来ていた。(酷ぇ顔だな・・)総司が作ってくれた朝食を食べ、ドレッサーの前に座って化粧をしながら、歳三は溜息を吐いた。「じゃぁ、行ってくるわ。」「行ってらっしゃい。」総司に見送られて出勤した歳三は、芹沢の部屋へと向かった。「福島へ?」「ええ。夫の仕事の都合で引っ越すことになりまして。」「そうか。君が本社から居なくなると寂しくなるな。向こうでも頑張ってくれよ。」「はい。長い間、お世話になりました。」歳三が福島に引っ越す事を知った同僚や部下達が、彼女の為に送別会を開いてくれた。「先輩、福島なんかに行かないでくださいよぉ~」酔っ払った玉置が、そう言って涙目で歳三にしなだれかかってきた。「ったく、そんな事できねぇよ。それにまだ引き継ぎだってあるし、まだ本社には居るよ。」「そうですか、良かったぁ!」 送別会から数週間後、歳三は仕事の引き継ぎを終わらせ、総司と誠とともに福島県会津若松市へと引っ越した。「ママ、向こうでお友達出来るかなぁ?」「出来るさ。」「土方さん、向こうで友達出来ますかねぇ?」「おい総司、誠の真似すんじゃねぇ。」「最近土方さんって、僕にだけ冷たいですよねぇ。」「お前ぇ、先生になろうって奴がいつまでも甘えてんじゃねぇ。ったく、これじゃぁ先が思いやられるぜ。」「酷~い!」東京から会津若松市への高速バスの旅はあっという間に終わり、歳三達が新居へと向かうと、もうすでに引越センターのトラックが停まっていた。「ここが、俺達の家か・・」真新しい一軒家を見ると、歳三はこれからここで頑張ろうと身を引き締めた。「終わりましたね。」「ああ。肩が凝って仕方がねぇなぁ。」引越しの荷物を全て解いて整理した後、歳三は新居のリビングのソファでそう言って欠伸を噛み殺した。「揉んであげますよ?」「悪ぃな、頼む。」「土方さん、僕頑張りますから。」総司の言葉に歳三は笑うと、彼の頬に唇を落とした。 翌朝、歳三は近所へと挨拶まわりに行った。
2012年01月28日
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「この件から手をひけって・・どういう事だ、芹沢さん?」歳三がそう言って芹沢を睨み付けると、彼は傍にあった椅子に腰を下ろした。「連中は本気で君を殺そうとしていた。真相を明らかにしようとすればするほど、君は連中に命を狙われる。」「そんなのはじめから解っていたさ。このまま引き下がる訳には・・」「土方君、君は家族を路頭に迷わせるつもりかね?」芹沢の言葉に、歳三は返す言葉がなかった。「君が帰ってこないことに、ご主人と息子さんは心配していたよ。もしあの時君が連中から逃げ出さなかったら、どうなっているか・・想像しただけでも・・」「あんたの言いたい事は解ったよ、芹沢さん。」あの工場に関する黒い噂の真相を明らかにしたいが、歳三は自分と家族の身の安全を優先した。命は、何物より代え難いものだからだ。 歳三は後ろ髪を引かれるような思いで、日本へ帰国した。「ママ~!」成田空港の到着ゲートから歳三が出て来ると、彼女を待っていた誠がそう叫んで彼女に抱きついて来た。「誠、寂しくさせてごめんなぁ。」歳三はそう言って誠をぎゅっと抱きしめた。「お帰りなさい、土方さん。」「ただいま。総司、長い間留守にして済まなかったな。」「いいえ。今日は土方さんの奢りで外食しましょう!」「言ったな、こいつ!」親子3人で笑い合いながら、歳三達は空港を出た。「誠、ニンジンが食べられるようになったんだなぁ、偉いぞ!」国道沿いのファミリーレストランで食事をしながら、歳三はそう言って誠の頭を撫でた。「パパね、ママがお仕事行っている間、泣いてたよ。」「そうか、パパはいつまで経ってもお子様だなぁ~」「もう、土方さんったら酷いですよ~!」総司はそう言って少し頬を膨らませた。 楽しい夕食を終えて自宅マンションに戻ると、そこには引越センターのロゴが入った段ボール箱が並んでいた。「これ、一体どうしたんだ?」「実はね・・」総司は歳三に、教員免許を取得したことを話した。「良かったじゃねぇか。で、勤務先は何処なんだ?」「会津若松なんです、福島の。だから、ここから引っ越さないといけなくて。すいません、僕の都合で土方さんや誠に迷惑を掛けて・・」「謝ることじゃねぇよ。誠の小学校入学までまだ時間があるし、仕事の方は後輩たちにちゃんと引き継ぎするから、心配するなよ。」歳三はそう笑顔で言ったものの、インドネシアの件が引っ掛かっていた。 自分が去った後、あの工場はバルワンやサディー達の支配下に置かれているのだろうか。あの工場長に殴られている少年は、どうしているのだろうか。そんな事を思いながら歳三が引越しの準備をしていると、総司が突然テレビの音量を上げた。「おい、どうした?」「土方さん、ニュース見てください!」総司に腕を引っ張られてテレビの前に座った歳三は、その液晶画面に映し出された映像に絶句した。 そこにはあの工場が、紅蓮の炎に包まれている様子が映っていた。『ジャカルタ郊外の工場にて、火災が発生。従業員40人が死亡。』あの工場の中には、家計を支える為に重労働に耐えている子ども達が居る。「土方さん・・」「すまねぇが、一人にしてくれねぇか?」総司は歳三の肩に触れようとしたが、彼女に背を向けて寝室へと入っていった。(助けてやれなかった・・)あの子ども達を、助けてやれなかった。“あの時”のように。歳三はその日は一晩中、泣き崩れていた。(土方さん・・) リビングから聞こえる妻の嗚咽に、総司はベッドから起き上がって寝室を出ると、彼女はソファで身を丸めて寝ていた。
2012年01月28日
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「なに?土方君が戻っていない?」 松平ハウジング営業部長・芹沢は、ジャカルタへと出張に行っている歳三が帰って来ていない事を知った。(一体向こうで何があったんだ・・)芹沢は溜息を吐くと、歳三の携帯に掛けたが、繋がらなかった。(土方君、どうか無事でいてくれよ!)「う・・」歳三がうっすらと目を開けると、暗闇を舞う埃を吸ってしまい、彼女は激しく咳き込んだ。 辺りは暗くてよく見えないが、人気がないところを見ると、何処かの廃工場のようだ。遠くから一筋の光が見えているので、あそこが出口だろう。歳三は出口へと向かおうとしたが、両腕をパイプ椅子で固定されていて動けない。(畜生・・)暴れている内に、工場の中に5人の男達が入って来た。『こいつか、こそこそと嗅ぎまわっている女は?』暗闇の中で裸電球の仄かな光が、バルワンの邪悪な顔を照らした。『どうします、ボス?舌でも引っこ抜いてやりましょうか?』バルワンの隣で、サディーが手を揉みながら口端を上げて笑った。『そんな事はしなくてもいい。顔だけは殴るな、目立つからな。』彼らの会話は早口で訛りのあるインドネシア語でよく内容が聞き取れなかったが、自分がこのまま無傷で帰れない事を解っていた。(何とかしてここから逃げ出さないと・・)歳三が必死に廃工場からの脱出を考えていると、突然椅子に縛りつけられていた両腕が自由になった。『女を連れて行け。』『はい。』サディーとその部下に連れられ、歳三は作業員の仮眠室のような部屋に閉じ込められた。「くそ!」外側から鍵を掛けられたらしく、いくらドアノブを回してもドアが開かない。窓も、鉄格子のようなものが嵌められていた。(ちっ、逃げ道を完全に塞ぎやがった!)歳三はバルワン達の会話を聞こうと、ドアに耳を押し当てようとした。その時、誰かが彼女の髪を掴み、ベッドに押し倒した。『女、女だ!』自分の上に跨ってきたのは、血に飢えた獣のように目を血走らせた若者だった。彼の腕には、注射痕と思しき赤紫色の痣が無数にあった。若者は奇声を上げながら、歳三のブラウスを引き裂き、彼女の豊満な乳房に顔を埋めた。『へへ、いい匂いだぁ~』咄嗟の事で動けずにいた歳三だったが、若者の隙を狙って彼の股間を蹴り上げ、近くにあったパイプ椅子を振りかざした。 若者は奇声を上げながら歳三に突進したが、彼に捕まえられる前に歳三は天井のダクトへと登った。(何処かに、出口がある筈だ!)ライターの火を翳しながらダクトを這った歳三は、廃工場から脱出した。助かった―そう彼女が思った瞬間、バルワンが歳三の前に現れた。『小賢しい女め、手間取らせやがって。』歳三を拉致しようとするバルワンに、彼女は必死に抵抗した。バルワンの膝蹴りが歳三の鳩尾に当たり、彼女は地面に蹲って嘔吐した。彼はそんな歳三を冷たく見下ろすと、車へと引き摺り込もうとした。 しかしバルワンが慢心している隙を突いて、歳三は彼の脛に渾身の蹴りを喰らわし、彼が怯んだ隙に彼の手首を掴み、その巨体を地面へと放り投げた。「女だと思って舐めてんじゃねぇぞ、オッサン。」歳三はそう言ってバルワンの顔面をヒールで踏みつけると、颯爽と闇の中へと消えた。 数歩歩いたところで彼女は意識を失い、気が付くと病院のベッドの上だった。「土方君、気がついたかい?」「芹沢さん・・」歳三は自分の手を握っている上司の顔を見た。芹沢は、少し何かを考えたような顔をした後、歳三に向かってこう言った。「土方君、今回の件は手をひいた方がいい。」
2012年01月27日
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「モタモタしてないで、さっさと動け!」歳三が工場に入ると、工場長の怒声が広い工場内に響き渡っていたところだった。工場長の視線の先には、8歳くらいの少年が身を竦ませながら割れた煉瓦を片付けていた。「全く、ただ飯食らいの役立たずが!」工場長は舌打ちしながら、少年の脇腹を安全靴で蹴り上げた。「何してやがる!」歳三の姿を見た工場長は、蹲っている少年をその場に残して事務室へと向かった。「おい、大丈夫か?」少年の方へと駆け寄った歳三だったが、彼は歳三の手を拒むかのようにさっと立ち上がり、割れた煉瓦を手押し車の中へと放り込みはじめた。 彼女が来る前にも工場長に殴られたのか、少年の口端には血が滲んでいた。歳三は少年の作業を手伝おうと、煉瓦を拾い上げたが―『俺の仕事を奪うな!』鞭のように鋭い声が聞こえたかと思うと、少年は憎悪に満ちた目で歳三を睨み付け、何処かへと行ってしまった。「おい、待てって・・」歳三は少年を追い掛けようとしたが、彼の姿はあっという間に消えてしまっていた。「余り関わらない方がいいよ。」手押し車に煉瓦を歳三が入れていると、女性従業員がそう言って彼女に話しかけてきた。「どういう意味だ?」「ここはね、工場長の言う通りにしないと酷い目に遭う。あの子だってそう。あなたが手伝ってあげても、あの子が仕事サボったから酷い目に遭う。」「そんな・・」「どうしてあなた、日本から来た?わたしたちを助けるため?」女性の目が、歳三に向けられた。「それは・・」「ここにはボランティアは要らない。わたしたち、生きていくだけで精一杯。あなたはその場しのぎでわたしたちを助けて、日本に帰るんでしょう?」氷のように冷たい女性の言葉が、歳三の胸にぐさりと突き刺さった。 この工場の労働環境を改善しようと、単身インドネシアまで来たが、ここで働いている従業員は死に物狂いで毎日を送っている。歳三はこの時、自分の考えがいかに甘いものかを知った。(児童労働の実態に明らかにするとか、労働環境を改善したいとか・・結局、人の為って言いながらてめぇの手柄を立てたいだけじゃねぇか。) その夜、ジャカルタ市内のバーで歳三は溜息を吐きながら煙草を吸っていた。何だか今日はやりきれない気分で、酒を飲んでその憂さを晴らしたかった。(畜生、俺は一体どうすればいいんだ?)何杯目かのスコッチを飲んだ後、千鳥足になりながら歳三はホテルへと歩いていた。あんなに酒を飲むんじゃなかったと後悔しながらも、歳三が後少しでホテルに着くという時、彼女の前に一台の黒いバンが停まった。(何だ?)『この女だ!』『捕まえろ!』バンの中から数人の男達が出て来て、あっという間に歳三を車へと引き摺りこんだ。「畜生、放せ!」いつもなら夜道を一人で歩くときは気をつけていたのに、酒の所為で油断していた。『悪いがちょっと付き合って貰えるかな?』「誰がするか!」歳三はそう叫ぶと、自分の両手首を拘束していた男に頭突きを喰らわせた。『このアマ、舐めやがって!』男の仲間が唸り声を上げると、歳三の首筋にスタンガンを押し当てた。その瞬間、歳三の意識は途切れた。
2012年01月27日
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サディーに連れられ歳三がやって来た場所は、ジャカルタ市内にある高級住宅地の一角に建てられた豪邸だった。『さぁ、どうぞこちらへ。』 使用人に案内されてリビングに入った歳三は、そこでチンツ張りの椅子に腰を下ろしている男が自分を見ていることに気づいた。『あなたが、日本から来られたトシゾー=ヒジカタさんですか?』『ええ、そうですが・・あなたは?』『初めまして。わたしはインドネシア警察のバルワンと申します。お目にかかれて光栄です。』『ど、どうも・・』バルワンと名乗った男は笑顔で歳三に握手を求めたので、彼女はそれに応じて彼の手を握った時、変な感覚がした。『どうなさいましたか?』『いいえ。』『旦那様、朝食のご用意が出来ております。』家政婦に呼ばれ、バルワンとサディーがリビングから出て行った時、歳三はバルワンから手渡されたメモを見た。そこには、『手をひけ』と赤いインクで書かれていた。(あいつ、俺が工場の事を調べているのを知ってやがる。)サディーの昨夜のよそよそしい態度も、今朝バルワンを紹介したのも全て合点がいく。恐らく彼らは、グルなのだろう。(俺は誰であっても喧嘩は売る。売られた喧嘩は必ず買う。そして勝つ。)歳三は深呼吸をして、彼らが待っているダイニングへと向かった。『ヒジカタさん、本題に入らせていただきますが・・いつ日本にお戻りになられるのですか?』トーストを食べながら、バルワンはそう言って歳三を見た。『さぁ、詳しくは解りません。せめて工場の件が片付くまでは、ここに滞在するつもりですが、何か?』歳三の言葉に、バルワンの表情が一瞬険しくなったことを、彼女は見逃さなかった。『バルワンさん、何かわたしに隠している事はありませんか?』『いいえ、何も。それよりもヒジカタさん、あなたのお噂はサディーから聞きましたよ。何でも優秀な方だとか・・ご結婚はされているのですか?』『ええ。主人と、5歳の息子がおりますよ。バルワンさんは?』『わたしは妻と3人の子がおりますが、それぞれ独立しておりますよ。ただ1人だけ、厄介者がおりますがね。』バルワンがそう言ってコーヒーを飲んだ時、ダイニングに1人の青年が入って来た。「親父、金くれよ。」「またお前か。お客様がいらしているんだから後にしろ。」彼は青年を睨みつけてそう言うと、青年は舌打ちした。彼の視線が、父親から歳三へと移った。「親父、その女は?」「ああ、日本から来たヒジカタさんだ。」「ふぅん・・」「もう用はないだろう。ルシカ、もう行きなさい。」「はいはい、わかったよ。」青年はダイニングから出て行く時、歳三のブラウスの隙間から覗く豊満な胸を嫌らしい目つきで見た。(嫌な野郎だな・・)『どうされました?』『いえ、何も。今日は朝食に誘っていただきありがとうございます。』バルワン邸を出た歳三は、サディーの胸倉を掴んだ。「おい、てめぇら一体何を企んでやがる?」「わたしは何も・・」「俺をここに連れてきたってことは、工場のことであいつが何か関わってんだろ?早く言わねぇとその腕へし折ってもいいんだぜ?」歳三がそう言ってサディーの腕を掴むと、彼は悲鳴を上げた。「わかった、話すから・・」蒼褪めたサディーは、工場の利権をバルワンが独占していること、彼が国会議員と昵懇の仲であることを白状した。(こりゃぁ、見逃せねぇな。)歳三はバルワンの悪事の証拠を掴むために、工場へと向かった。
2012年01月26日
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「あ~、疲れた。」 ジャカルタ市内のホテルの一室で、歳三は疲れた身体をベッドに横たえて溜息を吐いた。ホテルにチェックインして一旦部屋に荷物を置いた後、サディーとともにジャカルタ郊外にある工場へと向かった彼女だったが、目の前に広がっていたのは資料だけではわからない厳しい現実だった。 工場は24時間稼働しており、労働者は大半が近隣の村から集められた少年少女たちだった。彼らは貧しい家庭を助けるために、学校に行かず大人達に混じって汗水流して働いていた。だが彼らの手に入るのは、日本円で300円程度の金だけだった。歳三は子ども達の姿に、日本に残してきた息子の姿と重ね合わせた。 日本に生まれ、何不自由なく育った誠と、貧しい家庭を支える為にフルタイムで働くインドネシアの子ども達と、どう違うのだろう。「ヒジカタさん、居ますか?」ドアをノックされ、歳三がベッドから立ち上がってドアのスコープを見ると、そこにはサディーの姿があった。「何ですか?」現地ガイドから、“たとえ知り合いでも部屋に上げてはいけない”と言われた歳三は、ドアチェーン越しにサディーと会話した。「あなたが日本の本社から来たと、村人達の間で噂になっているようです。」「俺が、ですか?」工場付近に暮らす村人が、しきりに歳三の事を好奇の目で見ていたことを彼女は思い出した。 日本からわざわざインドネシアの片田舎まで来る社員が珍しいのだろうと思っていたのだが、どうやら違うらしい。「ええ。あなたは工場で働く子ども達から仕事を取りあげに来たんじゃないかって。」「そんな事はしない。だが、場合によっちゃ取りあげるかもしれない。」「そうですか・・では彼らにそう伝えておきます。」サディーはそう言うと、歳三に背を向けた。(何かひっかかるな・・)サディーの言葉が少しひっかかったが、もう遅いので歳三は寝ることにした。 一方、サディーはジャカルタ市内の繁華街にあるクラブで、ある人物と会っていた。『日本から来た女はどうだった?』『女だと侮ってましたが、切れ者です。自分が疑問に思ったことは口にし、工場長の横暴に喝を入れておりました。』『ふん、少々やりにくくなるな。サディー、あの女に情報を握られるんじゃないぞ。』『はい・・』『俺からのプレゼントは、ちゃんと身に付けているんだろうな?』『ええ。』サディーの額から、一筋の汗が滴り、フロアの床に落ちた。『お前やお前の家族には多額の報酬を払った。それに見合う仕事をしてくれれば、それでいい。』男はそう言って部下達を引き連れて、クラブから出て行った。「あ~、よく寝たぜ。」翌朝、歳三はバスルームで顔を洗いながら、総司と誠の事を思った。顔を洗った後、歳三は携帯を開き、総司の番号に掛けた。「もしもし、総司?」『土方さん、どうしました?』「今何処だ?幼稚園か?」『いいえ、誠を幼稚園に送っていって、大学に行く途中です。』「そうか。これから仕事だが、また掛けるからな。」『はい、待ってます。』久しぶりに夫と会話して、歳三は今日も仕事を頑張ろうと思うのだった。「ヒジカタさん、おはようございます。」「おはよう。」身支度を済ませてホテルのロビーへとやって来た歳三を、サディーは笑顔で迎えた。「朝食はお済みになられましたか?」「いえ、まだですが・・」「あなたを、ある場所へお連れいたします。」
2012年01月26日
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「重大な問題だと?それは一体どういうことだ?」「実は、ジャカルタ支店が運営する工場に於いて、児童労働が行われていたことが発覚致しました。」歳三はそう言ってノートパソコンを起動させ、プロジェクターにある写真と資料を役員達に見せた。 それは、宣孝が隠匿していたジャカルタ支店運営の工場に於ける児童労働者の写真と、その内訳だった。「ジャカルタ支店の営業はここ10年ほど下降を続けておりますが、その原因は従業員数1000人の内およそ500人が8~15歳までの少年少女達で構成されており、1日20時間を超える労働と、換気が不充分で衛生状態も劣悪な労働環境による疾病者が多いからです。次に・・」「こんなものは出鱈目だ!この女はわたしを陥れようとしているんだ!」「陥れようとしているのは、どちらですか?」歳三はそう言って宣孝を睨むと、彼も憎悪に満ちた目で睨み返してきた。 暫し二人が睨み合っていると、役員の1人が咳ばらいをしながら歳三を見た。「前々からジャカルタ工場には黒い噂が飛び交っていたが、これ程までに酷い実態だとは・・今後、この問題をどう解決するつもりかね?」「まずはこの問題を公にし、ジャカルタ工場での現地調査と視察に入ります。現地調査と視察は、わたくしが担当いたします。」「そんな事は聞いていないぞ!」宣孝がそう言って歳三に詰め寄り、彼女の胸倉を掴んだが、彼女は怯まずにこう宣孝に言い返した。「俺ぁなぁ、弱い者いじめする奴は大嫌いなんだよ。あんたが何を企んでようが、徹底的にそれを潰してやる。」「望むところだ、何の後ろ盾もないお前に何ができるか、とくと見物してやるさ。」宣孝は歳三の言葉を鼻で笑うと、会議室から出て行った。(取り敢えず、あいつには勝った。だがこれからが勝負だ。)「先輩!」会議室から出て、歳三がオフィスへと戻って来ると、玉置達が彼女に駆け寄ってきた。「さっき秘書課の子が噂してましたけど、ジャカルタに行くって本当ですか?」「あぁ、本当だ。俺は正義の為にこれまで有耶無耶にされてきたことを白日の下に晒してやる。みんなには悪いが、俺が居ない間頼んだぜ。」「はい!」「先輩が居なくなると寂しいですよ。」「まぁでもお局様が居なくなると少し気楽でいいかも・・」「おい、そりゃぁどういうこった!」部下や後輩と冗談を言い合いながら笑う歳三の姿を、芹沢は微笑みながら見ていた。「土方君、その様子だとどうやら宣孝氏との戦いには勝ったようだね。」「ああ。結局はジャカルタに行くことになっちまったがな。芹沢さん、後の事は宜しく頼んだぜ。」「わかった。気をつけたまえ。」歳三と芹沢は、笑い合うと互いのグラスをカチンと鳴らした。 数日後、総司にジャカルタ行きの事を伝えると、彼は少し落ち込んだが、すぐに笑顔を歳三に浮かべた。「土方さんがそう決めたのなら、僕は反対しません。気をつけてくださいね。」「ああ。誠のこと、宜しくな。」「解りました。誠、ママが居ない分頑張ろうね。」「ママ、行ってらっしゃい。」「誠、ママ頑張ってくるからな!」歳三は誠を抱き締めると、彼と総司の頬に交互にキスした。 それから2週間後、歳三はジャカルタへと発った。日本に残してきた家族の為に、宣孝との戦いに勝ってみせると決意した彼女は、ジャカルタの土を踏んだ。「ミス・ヒジカタですね。わたしはサディーです。」空港に降り立った歳三を、ジャカルタ支店長・サディーが出迎えた。「土方です。お忙しい中お出迎えいただいてありがとうございます。」「いいえ、こちらこそ遠路はるばる来ていただいて嬉しいです。さぁ、どうぞ。」サディーとともに、歳三は空港を後にしてジャカルタ市内のホテルへと向かった。
2012年01月25日
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一方、藤原家では瑠璃が宣孝と対峙していた。「兄様、あなた歳三さんを追い出そうと、ジャカルタ支店への異動話を持ち出したわね?」「ああ、そうだ。あの女は藤原家にとって疫病神だ。お前だってそう思っているんだろう?」「いいえ。もしかして兄様、あなたは歳三さんに嫉妬しているの?」「嫉妬?馬鹿を言うな。」宣孝の眦が上がった。「歳三さんは有能な方よ。彼女の仕事ぶりを調査したけれど、トラブルが起きても咄嗟にそれを解決できる術を持っているし、些細な問題にも真剣に取り組んでるわ。部下からも上司からも人望が厚い彼女を、東京本社から追い出して何を企んでいるの?」「お前には関係ないだろう、瑠璃。それよりもあいつとの事は決着がついたのか?」「それはあなたには全く関係がありませんわ。では失礼。」瑠璃はそう言ってソファから立ち上がると、リビングから出て行った。(全く、可愛げのない女だ。)宣孝は舌打ちしながらそう思った時、携帯が鳴った。「もしもし、樹理か?」『ごめんなさい、あの女への説得は失敗したわ。』「そうか。じゃぁ次の手を考えるしかないな。」『どうするつもりなの?犯罪の片棒を担ぐのは御免だからね。』「大丈夫だ、お前を面倒な事には巻き込ませないさ。おやすみ。」『おやすみなさい、あなた。』樹理の明るい声を聞き、宣孝は彼女の為にも歳三を何としてでも東京本社から追い出してやると、次の手を考えていた。「昨夜はお世話になりました。また、遊びに行きますね。」「ええ、楽しみに待っているわ。」鴾和家で香達に礼を言った歳三と総司は、誠を連れて鴾和邸を後にした。「総司、行って来る。」「行ってらっしゃい。土方さん、宣孝さんに負けないでくださいね。」 新しい年が明けて仕事始めの日、歳三は総司に見送られて出勤した。(あいつには絶対に負けねぇ!藤原だろうが誰だろうが、俺は負けねぇ!)芹沢にはもう話はしてあったし、後は今日行われる会議で宣孝と対決するだけだった。「おはようございます、先輩。」「おはよう。」ロビーに歳三が入ると、玉置がそう言って声を掛けた。「大丈夫ですか、先輩?相手は手強いですよ?」「勝ってやるよ。必ず勝ってみせる。」そう言った歳三の瞳には、宣孝への闘志がみなぎっていた。「あなた、これから頑張ってね。」「ああ、行ってくるよ。」「純、あなたもお父様に何か一言・・」 清隆家では、純が樹理の傍に居る宣孝をじろりと睨むと、学校へと向かった。「全く、可愛げのない子ね。あの女にそっくりだわ。」「そう言うな。じゃぁ、また夜に。」宣孝は家を出て、リムジンへと乗り込んだ。(そろそろ会議の時間だなぁ・・)総司は大学で講義を受けながら、歳三の身を案じていた。歳三と宣孝、どちらが勝つかは、今日の会議で決まる。「どうしたの、総司?」「ううん、何でもない・・」(ボーっとしてちゃ駄目だ、僕だって頑張らないと!) 歳三が会議室へと入ると、そこには一足先に自分の席に座っている宣孝と目が合った。「随分と遅めの到着だね。」「申し訳ありません、少々調べものをしていたものでして。」歳三はそう言って、会議に出席している役員達に資料を配り始めた。「今回はお忙しい中ご出席していただき、ありがとうございます。では、会議を始めさせていただきます。先ずはお手元の資料の3ページをご覧ください。」壇上に上がった歳三は、キッと宣孝を睨み付けてプレゼンテーションを始めた。「今回、重大な問題が我が社に発生いたしましたことを、この場でお詫び申し上げます。」彼女の言葉に、役員達が一斉にどよめいた。
2012年01月25日
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「あなた、歳三さんを見かけなかった?」「さぁ・・そういえばさっき、あの女と一緒に外に行ってたな。」「まぁ。わたくし、ちょっと見てくるわ。」蓮華はドレスの裾を摘むと、ケープを羽織って外へと出た。すると庭には、イヴニングドレスに身を包み、寒さに震えている歳三の姿があった。「歳三さん、大丈夫?」「蓮華さんか、助かった。」歳三はそう言うと、意識を失った。 歳三を別室に休ませると、蓮華は香と向かい合わせにソファに座った。「こんな寒い時期に外に放り出すなんて・・あの清隆樹理とかいう女、人間じゃないわ。」「まったくだ。恐らく彼女は宣孝にジャカルタへ行くと歳三さんに言わせたかったのかもしれないな。」「彼女は強い方よ。あんな女に命じられた位で、気持ちが揺らぐ訳がありませんわ。」蓮華と歳三は数時間前に知り合ったばかりだが、彼女は歳三が揺るがない心を持っている女性だと解った。「ねぇあなた、藤原家は今どうなっているのかしら?会長があんな状態では、これから先色々と面倒な事があるでしょうね。」「ああ。次男の良治と長女の瑠璃はともかく、長男の宣孝の動向には気をつけないとな。あいつは歳三さんを憎んでる。」「嫌な予感がするわ・・」蓮華はそう言うと、外に舞い散る雪を眺めた。 パーティーは盛況のまま終わり、客達が帰った後、歳三は漸く目を開けた。「気が付いたかしら?」「あの、ここは?」「お客様用の寝室ですわ。今晩は遅いし、雪が降っているから、こちらにお泊りになってくださいな。」「そんな、悪いです。」「困った時はお互い様ですわ。」蓮華の言葉に甘えた歳三と総司は、その夜は鴾和家に泊まることになった。「香さんは?」「主人なら総司さんと男同士の話をしておりますわ。それよりも歳三さん、あなたと総司さんの馴れ初めを聞かせてくださいな。」「そんな・・」「恥ずかしがらないでくださいな。わたくしもお話しするから。」「じゃぁ・・」歳三は蓮華に総司との馴れ初めを聞かせると、彼女はうっとりとした表情を浮かべてこう言った。「まるでドラマみたいな恋ね、憧れるわ。」「ドラマと現実は違いますよ。蓮華さんは、香さんとどうやって知り合われたのですか?」「主人とはお見合いで。と言っても、亡くなった姉と主人が結婚する予定だったのですけれど、姉が事故で死んでしまって、代わりに妹のわたくしが結婚する事になったのです。」「へぇ・・」親同士が決めた許婚と結婚するなど、江戸時代の話かと思っていたが、現代にもそんな事があるのだと知って、歳三は驚いた。「嫌じゃなかったんですか?」「嫌も何も・・両親を早くに亡くしたわたくしにとって、主人とは同じ屋根の下で暮らして、実の兄妹のように育ちましたの。それに、主人の事は好きでしたし。」「そうですか・・」「少しお待ちくださる?」蓮華は客用の寝室を出て、自分の部屋からアルバムを持って来た。「これが、結婚した時の写真ですわ。」「お綺麗ですね、お二人とも。」蓮華が笑顔で歳三に見せた写真は、彼女と夫・香の結婚式の写真だった。「歳三さんは、結婚式は?」「挙げていないんです。出来ちゃった結婚だから、時間も金もなくて・・」「わたくしも、同じようなものですわ。」その夜は蓮華と歳三は、女同士の会話で盛り上がった。
2012年01月24日
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蓮華の言葉に、歳三は静かに首を横に振った。「家族を残してジャカルタには行きたくないです。ですが・・」「自分の職場があの男に潰されるとでも?」蓮華はそう言うと、溜息を吐いた。「あの男は虚勢を張っているだけよ。実際、彼には会社ひとつ潰す力も権力も何もないわ。だから、あなたは怯えなくてもいいのよ。」「そうですか・・あの、ご主人はあの男と知り合いだとおっしゃいましたね?一体どのような・・」「それは、主人に聞いて下さいな。さてと、そろそろ戻りましょうか?」 蓮華とともに母屋へと向かった歳三は、そこで宣孝が居ることに気がついた。向こうも歳三が蓮華とともに歩いてくるところを見たようで、険しい表情を浮かべて彼女達の方へと歩いてきた。「奇遇だね、こんなところに君が居るなんて。」「お久しぶりですわね、宣孝さん。」蓮華はそう言って宣孝を見て笑ったが、何処かその笑みは冷たく見えた。「歳三さん、年が明けたらジャカルタ支店異動だね、まだ知り合ったばかりなのに、寂しくなるよ。」「お生憎様だが、俺はジャカルタには行かねぇよ。」差し出された宣孝の手を、歳三は邪険に払いのけた。「何だと?」「俺は誰の言いなりにもならねぇ。」「ふん、生意気な・・」宣孝は歳三を睨み付けると、部屋から出て行った。「放っておきなさい。」「あの、奥様・・」「その呼び方は止して頂戴。“蓮華”でいいわ。」蓮華はそう言って歳三に微笑んだ。「蓮華、ここにいたのか。探したよ。」「あなた。」客達と歓談していた香が、蓮華達の方へとやって来た。「あら、総司さんは?姿が見えないようだけど。」「彼なら気分が優れないから別室で休んでいるよ。それよりも歳三さん、宣孝とは何を話してたんだい?」「ああ、丁度歳三さんがジャカルタ異動の話を蹴りましたの。ねぇ、歳三さん?」「ええ。あの、あの男と香さんは、お知り合いだと聞きましたが・・」「まぁね。高校が同じだというだけで・・彼が色々と複雑な家庭環境で育ってきたことは知っているが・・」香がそう言ってワインを飲んでいると、1人の女性が部屋に入ってきた。「あなたが、土方歳三さん?」深紅のドレスを纏った女性は、そう言って歳三を見た。「ああ、そうだが・・あんたは?」「初めまして。わたくしは清隆樹理。ちょっとあなたにお話があってきましたの。」女性は有無を言わさずに歳三の手を掴むと、外へと連れ出した。「話ってのは何だ?」「あなたが純の実母だということは調べがついているわ。純もそれを知っているわ。」「それがどうした?今更俺はあいつと親子として暮らすつもりはねぇ。」「そう。なら話が早いわ。」清隆樹理は、そう言うと歳三を見た。「お願いだから、ジャカルタに行ってくれないかしら?このままだと純の為にも、あの人の為にもよくないの。」彼女の言葉を聞いた歳三は、この女が宣孝の手先だとわかった。「ふぅん、自分が困るから俺に消えて欲しいってか。そんな事したくねぇなぁ。」「まぁ、何よ!もういいわ!」樹理はそう言うと歳三に背を向けて部屋の中へと入っていった。「訳がわからねぇ女だなぁ・・」歳三は溜息を吐くと、暖房が利いた室内へと戻ろうとした。だがドアを開けようとすると、鍵が掛かってるのかビクともしない。(くそ、やられた!)寒さに震えながら、歳三は拳をガラス窓に叩きつけた。だがみんなおしゃべりに夢中で、誰も気づいていない。 暫くすると、雪が降って来た。
2012年01月24日
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「俺の家庭を壊したいだと?お前は一体何を・・」「あんたが世田谷の産院で俺を産んで捨てた後、俺は清隆の両親に引き取られたさ。」純はそう言うと、どかりとソファに腰を下ろした。「養父母は俺の事を可愛がってくれた。実の子が生まれるまではね。血が繋がらない子は要らないものだと、最初から教えてくれていたらあんな惨めな目に遭わずにすんださ。俺が辛酸を舐めているのに、あんたは夫と子どもと3人で幸せな家庭を作って暮らしてる!それが許せないんだよ!」「だったらどうしろと?15年振りに親子としてお前と暮らせってか?冗談じゃねぇよ。確かにお前を捨てた事は悪いと思ってる。だが過去の事は今更消せるわけがないだろう!」「じゃぁどうして俺を産んだんだ!育てられないとわかっていたら、中絶してくれればよかったのに!」純はそう叫ぶと、リビングから出て行った。 一人リビングに残された歳三は、溜息を吐いてソファに腰を下ろした。(俺は、一体どうすれば・・)ジャカルタの異動話について総司に話せぬまま、期限は刻々と過ぎていった。「土方さん。」「どうした、総司?まだ寝てなかったのか?」寝室で寝ていると、自分のベッドに総司が入って来る気配がして、歳三は身じろぎした。総司の手が歳三の豊満な乳房を下着越しに触って来たので、彼女はその手を咄嗟に払いのけた。すると彼は、歳三の陰部へと手を伸ばした。「やめろ。そんな気分じゃねぇんだ。」「嫌ですよ。もしかして土方さん、怖いんですか?また流産するかもしれないって・・」「そんな事は思っちゃいねぇよ。ただ離ればなれになるのに・・」「え?」総司は歳三を抱き締め、彼に真顔で迫った。「ねぇ、それってどういう事ですか?」「実はな、ジャカルタ支店異動の話が来たんだよ。俺は行きたくねぇんだが、行かないと会社が潰れちまうかもしれねぇ。」「そんな・・まさか、ジャカルタ行きの話、受けるんですか?一体誰がそんな事・・」「藤原宣孝だよ、会長の長男の。俺が疎ましくて仕方がないらしい。」「だからって、こんな理不尽な事、受け入れるなんて!」「俺は行きたくねぇが、向こうは会社を潰す気満々だ。芹沢さんは出来るだけ俺を行かせないよう策を練っているようだが・・」「そうですか。土方さん、何があっても僕は土方さんの味方ですからね。」「ありがとう、総司。そう言ってくれるだけで嬉しいよ。」歳三は総司に微笑むと、彼を抱き締めた。 数日後、歳三と総司は誠を連れて鴾和家のクリスマスパーティーに出席した。「良く来てくれたね。」鴾和香はそう言って土方夫妻を笑顔で迎えた。「あなた、こちらの方は?」香の隣に立っている黒髪の美女が、そう言って歳三を見た。「紹介するよ、土方歳三さんだ。土方さん、こちらは妻の蓮華だ。」「蓮華です、初めまして。」「初めまして。」「少しあちらでお話しいたしませんこと?」 香の妻・蓮華に連れられた歳三は、母屋から少し離れた部屋に入った。「歳三さんとおっしゃったわね。あなたの話は主人から聞いていてよ。」「は、はぁ・・」蓮華はそう言うと、歳三を見た。「血を分けた兄妹で憎み合うことは、とても愚かなことだわ。あなたのお兄様は相当あなたの事を嫌っているようね。」「嫌っているというより、憎んでますよ。」「あの方、宣孝さんと言ったかしら?あの方は会長が外の女に産ませた子なのよ。正妻の子は次男の良治さんと長女の瑠璃さんだけ。」「愛人の子である自分が露骨に差別されて悔しいと思ってんのか・・くだらねぇな。」「ええ、本当に下らないわね。滑稽を通り越して哀れだわ。」蓮華はそう言うと、コーヒーを飲んだ。「さてと、これから本題に入るけれど・・歳三さん、まさかあなた家族を残してジャカルタに行くなんて思ってないわよね?」
2012年01月23日
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「ほう、強気な態度に出るとは大した女だな、君は。」宣孝はそう言って笑ったが、切れ長の目は歳三を見据えていた。「あんた達は、俺が藤原家の娘であることと、莫大な財産を会長から与えられると聞いて心穏やかじゃねぇんだろ?それくらいのこと、俺でもわからぁ。」歳三はそう言うと、宣孝を見た。「君の夫、土方総司は沖田財閥の御曹司だそうだな。君と会う前、房江さんに会ってきた。」「お義母様に?」「ああ。君が藤原家の娘だと知り、大層驚いてね。今まで君と息子の仲を認めなかったが、君が藤原の血をひく娘なら問題ないとおっしゃっていた。」(あの婆・・) 初めて会った時から、何かと房江は歳三が元ヤンキーであることや、男勝りで“女性らしくない”彼女に苦言を呈していたが、歳三が藤原家の娘であることを知っただけで、それら全てを帳消しにするとは、彼女らしい。「それで?お義母様と会って何をするつもりだ?」「別に何も。それよりも君には朗報と言った方がいいかな?君は来月、ジャカルタに異動して貰うことになった。」「ジャカルタだと?」まるで降ってわいたような突然の異動に、歳三は目を丸くした。「君はこの会社に入社してから、営業成績がトップと聞く。君のような優秀な人材なら、ジャカルタ支店を立て直してくれるだろう。」「てめ、ふざけんじゃ・・」宣孝に掴みかかろうとした歳三を、芹沢が止めた。「土方君、止めたまえ。」「てめぇ、俺が居ない間に会長に何かしてみろ、ぶっ殺してやる!」「全く、乱暴な・・君には上流階級の令嬢としての教養も何もないことが良く解った。藤原の娘である君を、世間にお披露目する訳にはいかないな。」宣孝は目の前で唸る歳三にそう言い放つと、応接室から出ていった。「芹沢さん、今の話は本当か?」「ああ。どうやら宣孝氏は、目障りな君を会長と自分達の前から消したいようだ。」芹沢はソファに座ると、煙草を取り出し、それを咥えると愛用のライターで火をつけた。「わたしとしては、君のような優秀な人材を海外にやりたくはない。だが相手はあの藤原財閥だ。リーマンショックから4年・・金を唸るほど持っている大企業でさえ、生き残りが厳しい。ましてやうちのような中小企業なら、藤原は徹底的に潰しにかかるだろう。」歳三は、芹沢の言いたい事が解っていた。 自分が宣孝の要求を呑まなければ、この会社が潰れてしまう。自分の所為で、社員1500人が路頭に迷うことになるのだ。「・・時間を下さい。」「そうだな。一週間やろう。その間、わたしはこの事を会長に伝えておこう。」「ありがとうございます。」歳三は芹沢に頭を下げると、会社から出て行った。 タクシーに揺られながら、彼女は宣孝が一体何を企んでいるのかを考えていた。それよりも、総司にどう伝えたらいいのか―どんなに考えても、答えは出ないまま自宅マンション前についてしまった。「ただいま。」「お帰りなさい。会社で何かあったんですか?」「ああ。実はな・・」歳三が総司にジャカルタ支店異動の話をしようと口を開いた時、トイレから純が出てきた。「お前、どうして・・」「ねぇ土方さん、純君の話、本当なんですか?」総司は真顔でそう言うと、歳三を見た。「純君が、土方さんの息子だって・・」「総司、俺は・・」「土方さん、どうして僕にそんな大切な事を黙ってたんです?そんなに僕が信用できないの?」「違うんだ、総司。俺は話そうと思ったんだ。」歳三の言葉を、総司は聞かずに寝室へと入っていってしまった。「お前、一体何のつもりだ?」「決まってるだろ、あんたの家庭を壊したいからここに来たんだよ。」純は好戦的な視線を歳三に送ると、口端を歪めて笑った。
2012年01月23日
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「で、話ってなんだ?」自宅マンションから出た歳三は、駅前のカフェでそう言って少年―清隆純を見た。「実は、あなたの事を少し探偵に調べさせたんだ。そしたら、こんなものを見つけて・・」純は歳三の前に、一枚の写真を置いた。 それは、まだ彼女がヤンチャをしていた10代の頃のもので、背中まである長い髪にセーラー服を纏った歳三が仲間とともに映っていた。「これが、どうしたんだ?」「あんた、俺の実の母親だろ?」「なぁにふざけたこと抜かしてやがる。腹を痛めて産んだのは誠だけだ。」純の言葉を鼻で笑った歳三だったが、彼は真顔で彼女を見た。「どうしてそう言いきれる?俺とあんたの血液型、同じだよな?」「馬鹿かお前ぇ。この世にはB型の人間なんざごろごろ居るんだよ。大体、人を夜中に呼び付けておいて、勝手にてめぇの憶測を話してんじゃねぇぞ。」歳三は苛々して煙草を吸おうとしたが、煙草を家に置いてきたことを思い出し、舌打ちした。「どうして俺が、あんたの母親だって言い張るのか、知りたいか?」「あぁ、知りてぇな。」「土方さん、実はこんなものがわたしの父の書斎にありまして・・」純の従兄弟がそう言って一枚の書類を歳三に見せた。 それは、純の戸籍謄本だった。そこには、母親の名前に歳三の名が記載されていた。「あなた、確か15年前に純を世田谷の産院で出産しましたよね?」「あぁ、そうだったな。父親の事なら聞いても無駄だぜ。あの頃は暇さえありゃぁ男とベッドでしけこんでたからなぁ。」あの頃歳三は、刺激を求めては毎日家に帰らず夜の歓楽街をぶらつき、いきずりで男と寝た。そんな中、父親が誰なのかわからない子どもを妊娠していたことを知った彼女は、姉に知られないよう中絶しようとしていたが、結局露見し、結論が出ないまま出産した。その子ども・純が、目の前に居る。「何で俺を捨てたんだ?母親なのに。」「あの頃の俺は親になる覚悟や、重責なんてもんには耐えられなかったんだ。だから、お前ぇを捨てた。」歳三がそう言った時、バッグに入れていた携帯が鳴った。液晶画面には、「会社」の文字が表示されていた。「もしもし、土方です。」『土方君、今会社に来れるかね?』「はい、大丈夫ですが・・」着信は、会社の専務・芹沢からだった。「ちょっと急用ができた。」歳三はそう言ってカフェを出ると、職場へと向かった。「待っていたよ、土方君。」「専務、何かあったんですか?」「いや・・君に会いたいという方がいらっしゃってね。」応接室に歳三が入ると、そこには瑠璃の二人の兄、良治と宣孝がソファから立ち上がった。「君が、土方歳三だね?」「はい・・あの、わたしに何かご用ですか?」「用というのは、財産分与のことと、君の隠し子のことだ。」長兄・宣孝がそう言って歳三の前に立ち、彼女を睨みつけた。「君が17の時に産んだ息子の事は調べがついている。その子を藤原家に寄越せ。」「お言葉ですが、息子の事はさっき知りましてね。藤原家に寄越せとは、どういう意味でしょう?」「言葉通りだ。藤原の血をひく君の息子に、藤原の家督を継がせる―それだけのことだ。」「嫌だと言ったら?」歳三はそう言って、好戦的な視線を宣孝に送ると、彼の美しい眦がつりあがった。「君は、わたしに逆らう気なのか?」「まさか。ただ突然息子を寄越せとおっしゃられても、はいそうですかと受け入れることができませんよ。」歳三は宣孝を睨み返すと、笑った。
2012年01月22日
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「ママぁ!」 数日後、歳三が退院すると、病院の待合室で待っていた誠が彼女の姿を見るなり駆け寄ってきた。「誠、元気にしてたかぁ?」「うん。ママ、寂しかった。」誠は歳三に抱きついたまま、離れようとしなかった。「土方さん、荷物持ちますね。」「おう。」数ヶ月振りに総司の顔を見ると、彼はさえない表情をしていた。「総司、後で話が・・」「ママ、抱っこ!」総司に話しかけようとする歳三に対して、誠は駄々をこねはじめた。「ったく、わかったよ。誠はもうすぐ小学校に行くっていうのに、まるで赤ちゃんに戻ったみてぇだな。」「ぼく、赤ちゃんじゃないもん!」誠は頬を膨らませて拗ねた。 その日彼は歳三の傍から離れることはなく、夜になるとなかなか寝てくれなかった。「ママ、一緒に寝てぇ!」「駄目だ、ママはパパとお話があるからな。」「いやだぁ~!」もう夜の9時を回っているというのに、誠は駄々を捏ねて寝ようとしない。「総司、ちょっと寝かしつけてくるわ。」歳三がそう言って総司を見ると、彼は無言で皿を洗っていた。 病院を出てから、総司が誠と一言も話をしていないことに歳三は気づいた。「誠、パパと喧嘩したのか?」「ううん。パパ、僕のことぶった。」「どうしてぶったんだ?もしかして、夜ふかししてたのか?」「ママが帰ってくるの、待ってただけだもん・・」誠はベッドに入ると、歳三のスエットの裾を掴んだ。「そうか、寂しかったのか。でもな誠、パパだって俺が居なくてさびしかったんだぞ?」「そうなの?パパは大人なのに寂しいって思うことがあるの?」「誰だってあるよ。ママだって、誠やパパに会えなくてさびしかったんだぜ。誠、これからパパと話をするから、ちゃんと寝るんだぞ?」「うん、おやすみ。」 誠の部屋から出た歳三はソファに座っている総司と目が合った。「総司、俺が居ない間に色々とあったようだな?」「ねぇ土方さん、ひとつ聞きたいことがあるんですけど。」「何だ?」「もしあの時・・僕があなたの妊娠を知らなかったら、どうなってたと思います?」「急に何言ってやがる。もう終わった事を今更考えることはしねぇんだよ。」「そうですか。」総司はそう言うと、歳三に抱きついた。「おい、離れろ!」「ねぇ土方さん、僕の事も寝かしつけてくださいよぉ。」「ったく、てめぇはいつまで経ってもガキだな!」「ガキで結構です~!」総司と歳三がじゃれ合っていると、玄関のチャイムが鳴った。「なんだぁ、こんな時間に?」歳三がソファから立ち上がってインターホンの画面を見ると、そこには痴漢騒ぎの時に会った青年とその従兄弟が立っていた。(何だってこんな時間に、こいつらが?)「おい、何の用だ?」『すいません、この子があなたに話したいことがあるので・・宜しいでしょうか?』歳三はちらりと総司を見ると、彼はソファで寝ていた。「少々お待ち下さい。」家で話すのは不味い―そう思った歳三は寝室で着替えを済ませ、総司が起きないようにゆっくりとドアを閉めて部屋を出てエレベーターへと乗り込んだ。 あの少年は自分に何を話したいのか、何故か歳三には解る気がした。
2012年01月22日
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誠をぶってしまってから、総司は彼と会話を交わすこともなく、それぞれの部屋に引き籠っていた。総司は溜息を吐きながら、ブログに育児の悩みを綴った。思えば、父親としてまだまだ未熟なところがある。誠が生まれる前までは、ただの普通の高校生で、部活や勉強に忙しい毎日を送っていた。その頃から子ども好きだったが、家庭科の授業の一環として保育園や幼稚園で乳幼児と触れあうのと、父親として子育てに携わるのとは次元が全く違う。(僕は、父親としての資格がないんじゃないか・・)誠とどう接したらいいのかわからないまま、時間は刻々と過ぎていった。「土方さん、入りますよ。」「ああ・・」鴾和総合病院産婦人科医・鴾和香は、個室に入院している歳三の元を訪れた。「もう感染症の恐れもありませんので、あと数日後には退院できますね。」「そうですか。先生、今後は妊娠できますかね?」「大丈夫ですよ。それよりも土方さん、ご主人の事なのですが・・」香はそう言って、備え付けのパイプ椅子に腰を下ろした。「どうやら最近、息子さんとの接し方に悩まれているようなのです。」「総司が?」歳三がそう言って香を見ると、彼は静かに頷いた。「ええ。彼のブログを偶然発見しましてね、父親として自信が持てないと、育児の悩みを綴ってましたよ。」そういえば、総司は歳三にブログを始めたとか言ったことを彼女は急に思い出した。『ブログねぇ・・最近は変な奴が居るからな、個人情報は出来るだけ晒すなよ。』『大丈夫ですって。』そう言って嬉しそうにブログを見せる総司が、今どんな事をブログに綴っているのか気になった。「確か彼は、子ども好きだと聞きました。将来保育士になりたいと。」「ええ。あいつはぁよく学校の帰りに近所のガキどもと遊んでるところを見ましたが・・どうして先生がそれを?」「いえね、その子ども達の中にわたしの娘もいまして。色々と教えてくれたんですよ。」「へぇ、そうですか。」理事長の息子で腕利きの医師だと聞いていた香に、歳三は親近感を持った。「・・総司が、こんなに悩んでいたなんて知らなかった。」総司のブログを読み終わった歳三は、手の甲で涙を拭った。「まだご主人は若いし、園児達と接するのと我が子と接するのとは次元が違う。それにあなたが不在ということで、誠君は精神的に不安定になっている。孤立したご主人は、今色々と思い悩んでいることなんでしょうね。」「そうか・・先生、俺は一体どうすれば?」「これを見てください。」香が総司のブログを指すと、育児に関する記事のコメント欄には、同じ悩みを持つ親達からの励ましや助言のコメントが寄せられていた。「はじめから完璧な親などいません。土方さん、あなたの事は色々と存じておりますが、あなたの御家族とご自身の健康を第一に考えてください。外からの雑音は、一切耳に入れないようにしてください。」「はい、ありがとうございました先生。」「いえいえ。ではわたしはこれで。」香は端正な美貌に朗らかな笑みを浮かべて、病室から出ていった。一方、瑠璃は二人の兄、良治と宣孝に会っていた。「その女は確かに藤原家の娘なのか?」「ええ。歳三さんは、紛れもなく藤原家の娘です。あなた方は藤原家を出た身。父に万が一の事があった場合、わたくしと歳三さんが対応致します。」「瑠璃、お前がそう言うのなら父上の事はお前に任すが・・歳三とかいう女は信用ならん。」「まぁ、証拠ならここにありますわ。」瑠璃はそう言って、兄達に一臣と歳三のDNA鑑定の結果を見せた。「全く、困ったことになったな。」「本当だ、瑠璃、あの男は?」「完全に縁を切りました。でも戦いはこれからですわ。」瑠璃は深い溜息を吐くと、窓から月を眺めた。明日から、激しい戦いが始まる。
2012年01月21日
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総司に突然殴られた俊哉は、唖然としていたが、彼を睨みつけた。「何をするんだ!」「それはこっちの台詞だ、よくも土方さんを!」「あの女がいけないんだ!」「あなた、ここから出ていって、今すぐに!」瑠璃が俊哉を病室から追い出そうとすると、彼は瑠璃を睨みつけた。「お前はこいつの肩を持つのか!?」「この人はね、歳三さんの御主人よ!あなたがした事を知ったら殴りたくなるのも当たり前でしょう!」「あの女に言っておけ、藤原の財産を掠め盗ろうなんて思わないことだと!」「何をおっしゃるの、掠め盗ろうとなさってるのはあなたでしょう!さっさと別れてよ!」「いい加減にしないか、二人とも!」一臣が瑠璃と俊哉を一喝すると、俊哉が一臣を見た。「俊哉、お前はもう藤原の人間ではない。お前が藤原の財産を与えられることはない。」「そんな、お義父さん・・わたしはこれまで、あなたの為に・・」「黙れ!外の女と子を作ったのも許せんが、わたしの娘を流産させたことは尚更許せん!二度と藤原の家の敷居を跨ぐな!」一臣の言葉に、俊哉は唇を噛み締め、鬼のような形相を浮かべながら病室から出ていった。「総司さん、ごめんなさい。あなたを醜い争いに巻き込んでしまって。」「いいんです。土方さんの仇を討ったんですから。」瑠璃が俊哉を責めなければ、この場で俊哉を殺してやりたいくらいだった。最愛の妻と、その妻に宿った新しい命を傷つけた彼を。「君が、総司君か?」「はい・・御無沙汰しております、小父様。」総司はそう言って一臣に頭を下げると、彼はそっと総司の手を握った。「歳三には、気を落とすなと言ってくれ。出来るだけあいつの傍に居てやってくれ。」「解りました。ではこれで失礼致します。」 病院を後にした総司は、誠を迎えに幼稚園へと向かった。「ママ、いつお家に帰って来るの?」「あと数ヶ月したら帰ってくるからね。それまで、パパと一緒にいようね。」「うん・・」総司の言葉を聞いた誠は、そう言って俯いた。 突然母親が入院し、心細いのだろう。(僕がしっかりしなくちゃ・・)今まで歳三の尻に敷かれ、父親として頼りないと誠は思っているのだろう。歳三が居ない間、自分がしっかりしなければ―総司はそう思いながら、誠の弁当を作り始めた。 歳三が入院してから数週間が経った。誠は特に変わった様子はなかったが、やはり母親の不在がこたえているのか、最近笑顔を見せなくなった。幼稚園ではどうしているのか、総司にはわからない。だから、担任の保育士から手渡された連絡ノートに書かれた言葉に衝撃を受けた。“最近誠君は意味も無く突然大声で泣き出したり、癇癪を起こしたりします。お母様が入院されているから、精神的なストレスを抱えているのでしょう。一度、お母様のお見舞いに行けば、誠君のストレスも緩和されると思います。”どれだけ自分が父親と母親の二役をこなそうと頑張っても、腹を痛めて産んだ母親には敵わない―その現実を、総司は突き付けられた気がした。歳三がいつ退院するのか解らぬまま、総司の中で徐々に焦燥と苛立ちが募っていった。 そんなある日の夜のこと、誠がいつまで経ってもファミコンゲームをしていることに苛立った総司は、最もしてはいけないことをしてしまった。 誠に、手を上げてしまったのだ。 ぶたれた誠は、何が起こったのかわからなかったが、紫紺の瞳に涙を溜めて大声で泣き出すと自分の部屋へと引き籠ってしまった。「誠、ごめんね・・」「パパなんか大嫌いだ!」最愛の息子の心を深く傷つけてしまった罪悪感が一気に総司を襲った。
2012年01月21日
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午前中の講義が終わり、総司が学食へと向かおうとした時、携帯が振動していることに気づき、慌てて通話ボタンを押した。「もしもし?」『土方総司さんですか?』通話口越しに聞こえてきた声は、冷たく事務的なものだった。「はい、僕が土方総司ですが、あなたは?」『わたくしは鴾和総合病院産婦人科の中村と申します。奥様が先ほど、こちらに搬送されてきましたのでご連絡を・・』「すぐ行きます!」総司は大学を飛び出し、タクシーで鴾和総合病院へと向かった。「すいません、産婦人科は何処ですか!?」「4階ですよ。」エレベーターで4階に向かった総司は、ナースステーションへと向かった。「すいません、こちらに中村さんは・・」「わたくしが看護師長の中村です。土方総司様、ですね?」長身を白衣に包んだ女性は、そう言って総司を歳三の病室へと案内してくれた。病室のベッドには、点滴を打たれた歳三が眠っていた。「あの、妻は・・」「残念ながら、お子さんは流産してしまいました。」「そうですか・・」「奥様の事をそっとしておいてあげてください。」総司にそう言うと、中村師長は病室から出て行った。「土方さん・・ごめんなさい。傍に居てあげられなくて・・」総司はベッドの端に腰掛けると、そっと歳三の手を握った。「ん・・総司・・」歳三がゆっくりと目を開けると、そこには自分の手を握る夫の姿があった。「赤ん坊は、駄目になったんだろう。」「ええ。自分を責めないでください・・」「腹の子は、俺が要らないって解ったから流れたのさ。」「そんな・・」「はは、ざまぁねぇなぁ・・本当は産みたかったのに・・」「ちょっとコーヒー、外で飲んできますね。」総司が病室から出て行くと、歳三の嗚咽が聞こえた。(僕も辛いけど・・土方さんの方が僕よりも辛いよね。)彼がそう思いながら病院内のカフェテリアでコーヒーを飲んでいると、白衣の裾を翻しながら、一人の医師が彼の前に座った。「ここ、いいかな?」「ええ。」金髪蒼眼の医師は、陰鬱な表情を浮かべている総司の顔を見た。「何かあった?」「妻が、流産してしまって・・どう慰めればいいのか・・」「そうか。男にとっては一生解らないものだからね、こればかりは。余り“頑張れ”とか、“大丈夫”を言わない方がいい。そういった言葉は、時にマイナスになってしまうからね。」「はい。あの、あなたは?」「ああ、俺は鴾和香。理事長の息子さ。君は?」「土方総司です。」こうして総司と、鴾和香は出逢った。「あら、あなたが歳三さんの夫かしら?」総司が病院の廊下を歩いていると、藤原瑠璃が向こうからやって来た。「はい。あの、藤原会長のお加減は・・」「今日は気分が良いみたい。お父様にお会いになる?」「はい・・」瑠璃とともに一臣の病室に入った総司は、彼に頭を下げた。「どうした?」「僕の所為で、土方さんが・・」「余り自分を責めるな。それよりも瑠璃、お前の碌でもない夫はどうした?」「さぁ、知りませんわ。あの人、歳三さんの職場に乗り込んで彼女を散々罵倒した挙句、突き飛ばして流産させたのですよ。暴行罪で訴えたいくらいだわ。」「今の話、本当ですか?」瑠璃の言葉を聞いた総司は、怒りで頭が沸騰しそうだった。「お義父さん、お加減いかがですか?」ドアの方から呑気な声が聞こえたかと思うと、俊哉が病室に入って来た。「君、何処のどいつだ?さっさとここから出て行け。」「出て行くのはあなたでしょう、よくもここに顔を出せたわね!」総司は俊哉を睨み付けると、彼を拳で殴った。
2012年01月20日
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「すいません、もうしません・・」「わかりゃぁいいんだよ。前科がついたら面倒な事になるからなぁ。」駅員室に連行された高校生は、俯いていた顔を上げて歳三を見た。「で、保護者はもうすぐ来るのかい?」「はい・・」「そうか。じゃぁ待たせて貰うぜ。」歳三はじっと高校生を見ると、何処かで見た顔だった。「お前、何処かで会ったよな?確か、会社の前で・・」その時、駅員室にスーパーで会った青年が入って来た。「あなた、あの時の・・」「お前、あん時の!」歳三はそう言って青年を見た。「こいつは、あんたの弟かい?」「違う、こいつは僕の従兄弟です。本当にこの度はうちの従兄弟がとんでもない事をしてしまい、申し訳ありません!」青年は歳三の前で土下座した。「別にいいってこった。もう俺は許してるんだから、さっさと従兄弟連れて帰りな。」「は、はい・・純、行くぞ!」青年が高校生の手を引っ張ると、彼はその場から動こうともせず、じっと歳三を見た。「あなた、お名前は?」「土方歳三だが、それがどうした?」「土方歳三・・」高校生はそう言うと、何かを思い出すかのように首を捻った。「純、早く行くぞ!」「解ったよ!」(変なガキだな。)歳三がそう思いながらオフィスに入ると、何故かその場に居た玉置達が一斉に彼女を見た。「何だ、お前ら。」「いやぁ、先輩いつもパンツスーツですから、スカート履いてる姿が珍しいんで・・」「馬鹿野郎、俺だってこんな寒いやつ履きたくねぇよ。いつも着てるスーツが皺になったから、これしかなかったんだよ。」「そ、そうっすか・・あ、先輩、これ読みました?」玉置がそう言って歳三に渡したのは、今日発売されたばかりの週刊誌だった。「お前ぇ、こんなもん読み始めやがって。」歳三が苦笑しながら週刊誌を捲ると、そこには藤原会長の顔写真が入った見出し記事が載っていた。『藤原一臣会長、遺産を実の娘二人に!骨肉の争い勃発か!?』 記事には歳三が藤原会長の娘であることや、白血病を患っている会長が資産60億の内半分ずつ長女・瑠璃と歳三に分与し、残りは慈善団体に寄付すると、会長の顧問弁護士から発表があったと書かれてあった。(爺さん、本気か?)つい最近まで一臣とは赤の他人であり、財産分与の話もこの記事で初めて聞いた。「先輩、藤原会長の娘だったんですね。」「ああ。っていってもつい最近の事だけどな。」 これからどうなるのか、歳三は全く解らなかった。「土方君、君にお客様だ。」「俺にですか?」「あぁ・・急な話があるとかで。」歳三が応接室に入ると、そこには瑠璃の夫・俊哉の姿があった。「すいませんが、彼女と二人きりにして貰えないでしょうか?」「はい・・」部長が席を立ち、俊哉と二人きりになった途端、彼は恐ろしい形相を浮かべて歳三を睨みつけた。「お前、お義父さんに何を吹き込んだ?」「何も。俺ぁ爺さんに会っただけだし、財産分与の事は週刊誌で知った。」「そうか。瑠璃と示し合わせて俺を藤原家から追い出そうとしたんだな!」「はぁ、何言って・・」歳三がそう言って俊哉を見た時、彼女は下腹部に激痛を感じた。
2012年01月20日
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「まだ母さん、歳三さんの事を許していないのよ。でも歳三さんが藤原会長の娘だと知った途端に、急に歳三さんに会いたいって言ってね・・」姉の言葉を聞いて、総司は溜息を吐いた。虚栄心が強い母・房江は、自分と同じ地位に居る人間にしか友情を示さない。今まで歳三の事を「格下」と決めつけて何かと見下してきた彼女だったが、自分と同じ富裕層に居ると知り、急に態度を軟化させたのだろう。「母さんにも困ったものだな。あの性格はいつになったら治るんだろう?」「それは無理よ。それよりも総司、歳三さん何だか変だったわよ。」「土方さんが?」「ええ。バス停のベンチに腰を下ろしたっきり、泣いてばかりいたわ。藤原会長に何かあったんじゃないかしら?」 姉が実家に帰り、誠を寝かしつけた後、総司はそっと歳三が休んでいる寝室へと向かった。 彼女はベッドに横たわって眠っていた。「土方さん・・あなたは一体何を悩んでいるんですか?」少しずれたシーツを総司は直しながら、そう彼女の耳元に囁いた。「クソ・・こんな時間まで寝ちまった・・」歳三はカーテンから射し込む朝日の光を受け、舌打ちしながら皺が寄ったパンツスーツを脱ぎ、教師の時に一度袖を通しただけのスーツとブラウスをベッドの上に置いた。「あ、土方さん、おはようございます。」「おはよう。今何時だ?」「まだ大丈夫ですよ。」歳三は浴室に入ると、シャワーを浴びた。妊娠の事は、まだ総司には告げていない。告げたら、彼は産んでほしいと言うだろう。だが今は、子どもを産みたいとは思わない。(俺は、どうしたら・・)「土方さん、タオルここに置いときますね。」「あ、ああ・・」浴室から出た歳三がタオルで身体を拭き、ドライヤーで髪を乾かしていると、総司が突然抱きついてきた。「おい、何しやがる・・」「土方さん、何か僕に隠し事してません?」澄んだ紫紺の瞳に見つめられ、歳三は一瞬たじろいだ。「総司、昨日病院に行ったら二人目の子を妊娠してたことが判ったんだ。」「そうですか。それで、あなたはどうするんです?」「今回は、諦めようと思う。藤原会長の事もあるし・・」「どうしてあなたは一人で勝手に決めるんです!?僕達夫婦なのに、どうして話し合おうと思わないんです!」「話そうとしたさ!俺だって突然藤原会長が父親だって言われたって、実感が湧かねぇし混乱してんだよ!どうしたらいいのか、もう・・」「土方さん、ごめんなさい・・」総司は自分の肩越しに泣きじゃくる歳三の背を優しく擦った。「じゃぁ、行ってくるわ。」朝食を食べた歳三がそう言ってバッグを肩に掛けて椅子から立ち上がると、じっと総司が彼女を見つめていた。「な、何だよ?」「その格好、研究発表の時以来ですねぇ。」「じゃぁな!」(ったく、総司の野郎・・)電車に揺られながら、歳三は5年前の事を思い出した。 あの日、研究発表と授業が重なり、歳三は滅多に袖を通さないブラウスとタイトスカート姿で授業に出ると、男子生徒達から歓声が上がった。『あぁ~、疲れた。』資料室で疲れを取っていると、総司が突然資料室に入ってくるなり、歳三を押し倒した。『総司、やめろ!』『嫌ですよ。あんな色っぽい格好して来て、抱きたくて仕方ないんです。』鼻息を荒くしながら、総司は欲望のたけを歳三にぶつけた。(ったく、あの頃と何ら変わっちゃいねぇなぁ・・)歳三がそんなことを思いながら溜息を吐くと、誰かが自分の尻を触っている感触がして、痴漢の手を掴んだ。「ひぃ!」「ちょいと外で話そうか?」逃げようとした痴漢は、まだ高校生だった。
2012年01月19日
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「順調ですね、今5週目に入ってますよ。」診察台に横たわった歳三は、超音波エコーで胎児の画像を見て溜息を吐いた。「先生、妊娠中でも骨髄移植は出来ますか?」診察後、歳三は思い切って医師に尋ねてみると、彼は首を横に振った。「妊娠中にドナー登録はできますが、出産から1年経たないと移植は出来ません。」「そうですか・・」一臣の容態が悪いようなら、1年なんて長すぎる。「あの先生、今回の事なんですが・・諦めようと思います。」「それを、ご主人は知っているんですか?」「いいえ。ですが骨髄移植が可能な1年後まで、待てないんです。」歳三はそう言うと、溜息を吐いた。医師はそんな彼女の心中を慮ったのか、それ以上何も言わなかった。 産婦人科の検査と診察を終えた歳三は、その足で一臣の病室へと向かった。そこには瑠璃が居た。花瓶に花を活けようとしているのか、花瓶を片手に彼女は廊下を歩いていた。「あら、歳三さん。検査を受けてくださったのね。」「はい・・あの、少しお話しできませんか?」「ええ、いいわよ。」瑠璃は病院の近くにある喫茶店へと入り、店員にコーヒーを注文した。「それで、お話とは何かしら?」「実は、産婦人科で検査を受けて・・二人目の子を妊娠していると判ったんです。」歳三が妊娠を告げると、瑠璃は一瞬美しい顔が険しくなった。だが瞬時に歳三に向けて笑顔を浮かべた。「そう・・ではその子は産むの?」「いいえ。今回は諦めようと思っています。1年後の移植を待てるほど、会長の容態が余り芳しくないようでしたら・・」「歳三さん、わたくしは一言も父が死の危機に瀕しているとは言ってないわ。そんなに早く結論を出すのはどうかしら?ご主人にはまだ話していないのでしょう?」「ええ。」「あなた、自分一人で結論を出すのね。ご主人とちゃんと話し合わないといけないわ。」「すいません・・」「父と会ってくださる?」 瑠璃とともに一臣の病室に入った歳三がそこで目にしたものは、ベッドに横たわる一臣の姿だった。「お父様、歳三さんが来ましたわ。」「おお、来てくれたのか。」「会長、申し訳ありません。わたしは会長のお力になれそうにもありません。」歳三が一臣に妊娠を告げると、彼は頬を弛ませた。「そんなに自分を責めるな、歳三。1年後でも2年後でも、わたしは病と闘ってみせる。それに今は、臍帯血移植があるのだから。」一臣はそっと手を伸ばし、歳三の下腹部に触れた。「まだ曾孫の顔を見れずに死ぬわけにはいかんからな。」「また来ます・・」病院を出た後、歳三は堪え切れずに地面にしゃがみ込み、涙を流した。(俺は、どうすればいいんだ?)答えが出ないままバス停の前のベンチに座っていると、誰かがこちらに近づいてくる気配に気づき、歳三は俯いていた顔を上げた。するとそこには、総司の姉・みつが立っていた。「歳三さん、どうしたの?」「お義姉さん、どうしてここに?」「あなたがいつまで経っても家に帰って来ないからって、総司から連絡を受けて来たのよ。車で家まで送ってあげるわ。」「すいません・・」みつが運転する車で帰宅した時は、もうすっかり日が暮れていた。「土方さん、どうしたんですか!遅いから心配したじゃないですか!」「済まねぇな、総司・・ちょっと部屋で休むわ。」歳三はそう言うと、寝室へと入っていった。「総司、ちょっと話があるの、いいかしら?」「いいですけど・・もしかして、また母さんの事ですか?」総司がそう言って姉を見ると、彼女は気まずそうな顔をした。
2012年01月19日
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一臣会長と話したパーティーの夜から数週間が経って12月に入り、街がクリスマスムード一色となった頃、突然藤原家から電話があった。『父の具合が良くないようなので、来てくださる?』電話口の向こうから聞こえてきた女性の声は、上品で感じのいいものだった。タクシーで藤原邸へと向かった歳三は、その広大さに目を丸くした。(やっぱり財閥会長の邸はでかいな・・)恐る恐るインターフォンのボタンを押すと、スピーカーから家政婦の声が聞こえた。「会長に・・父にお会いしたいのですけれど。」『お待ちしておりました、どうぞ。』セキュリティが施された扉がゆっくりと開き、歳三はその中へと入った。邸内路を歩き、邸のリビングへと通されると、ソファには猫を抱いた女性が座っていた。年の頃は歳三と余り変わらないが、洋服や身に着けている高級そうなアクセサリーを見ると、良家の令嬢だということがわかった。「あなたが、歳三さんね?」「は、はい。」「初めまして。わたくしは一臣の長女の、瑠璃です。今回は父の事であなたをお呼びしたの。」「会長、何処かお悪いのですか?」「まぁ、あなた何も御存じなかったの?父は今、病院で抗がん剤治療を受けているのよ。」瑠璃はそう言って歳三を見ると、紅茶を一口飲んだ。「抗がん剤治療、ですか?」「ええ。急性骨髄性白血病なの。わたしや兄達の骨髄と父の骨髄の型は一致しなかったの。」瑠璃の言葉に、歳三は一臣が何故自分と会おうとしていたのか解ったような気がした。「わたしがもし、会長の娘であるのなら骨髄の型が一致すると?」「話が早いわね。父は多額の資産を持っているけれど、そんなものは要らないの。歳三さん、急な事で済まないのだけれど、今から病院で検査を受けて下さらない?」「え・・そんな事をおっしゃられても・・仕事を休めるかどうか・・」「そうだったわね。あなたには御家族がいらっしゃるものね。それに急にそんな事を言われたら、困るわよね。」瑠璃はそう言って溜息を吐いた。「わたくしは、何としても父の命を助けたいの。藤原の名を守れるのは父しかいない。」「あの、骨髄移植のことは瑠璃様以外誰がご存知なのですか?」「兄達は知らないわ。あなたの存在を知って嫌悪感を示しているんですもの。大金を前に目が眩み、一銭でもあなたに奪われるのが嫌だと思っているのよ。」(金持ちって、大変だな・・) 今まで自分とは無縁だと思ってきたセレブの世界だが、父親の命を救いたい娘と、その父親の金を狙う息子二人に囲まれて、会長はどんな思いで病と闘ってきたのだろうか。「歳三さん・・いえ、歳三姉様。」すっと瑠璃はソファから立ち上がり、歳三の手を握った。「父の命を助けてください、お願いします。」「瑠璃様・・」瑠璃の頼みを、歳三は断る事ができなかった。「骨髄検査?」「ええ。部長にはまた御迷惑を掛けることになりますが・・」「そうか。そういう事情なら仕方ない。」翌日、歳三は会社から有給休暇を貰い、その足で一臣会長が入院する病院へと向かい、骨髄検査を受けた。 骨髄検査を終了しても、四日間の入院を要するので、総司には着替えや暇つぶしの本などを持ってきて貰った。「大丈夫ですか?」「ああ。総司、誠の事は頼むぜ。」「解りました。」 四日目の朝を迎え、歳三は昼過ぎに退院する予定となっていた。「土方さん、産婦人科で検査を受けて貰います。」「産婦人科、ですか?」「ええ。」産婦人科で検査を受けた歳三は、二人目の子を身籠っている事を知った。
2012年01月18日
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「ホテルのトイレで、糞生意気な女に会いましたが、あれは会長のお孫さんですか?」「亜里沙か。あの子は随分親から甘やかされて育ってきたから、礼儀というものを知らんのだろう。わたしに免じて許してやってくれ。」「はい、会長。」「そんな他人行儀な言い方は止してくれ。一度だけでいい、“お父さん”と呼んでくれないか?」そう言った一臣の目には、涙が溢れていた。「お父さん・・」「歳三、今まで君の事を放っておいて済まなかった。いずれ時期が来ればお前をわたしの娘として・・藤原家の娘として紹介しようと思っていた。だが、わたし達に残された時間は余り残されていない。」「え・・」「わたしももう80を過ぎてな、色々と身体にガタがつきはじめているんだ。それで、お前に何か残してやりたいと思ってな。」一臣はそう言うと、歳三に微笑んだ。「これをお前に。」彼が歳三に手渡したのは、一枚の封筒だった。「あの、これは?」「貸金庫の鍵だ。その中にはわたしとお前にとって大切なものが入ってある。わたしの代わりにこれを持っておけ。」「いえ・・こんな大切なものを預かる訳には・・」歳三が封筒を一臣に返そうとしたが、彼はそれを拒んだ。「頼んだぞ、歳三。」「はい・・」「会長、俊哉様がいらっしゃいました。」「通せ。」藤岡と共に入って来たのは、パーティーで一臣と共に居た男だった。「お義父さん、瑠璃と離婚する事になりました。」「そうか。それで、お前はどうしたいんだ?」「瑠璃を、何とか止めてくださいませんか?」「何を馬鹿な事を。歳三、今日は会えてよかった。また機会があったらまたこうして会おう。」「はい。では失礼します。」歳三がソファから立ち上がってリビングルームから出て行くと、俊哉が彼女の後を慌てて追った。「君、何処かで会わなかったか?」「あなたとは初対面ですが。何かご用ですか?」「君は、お義父様の娘なのか?」「はい。」歳三がそう答えると、俊哉がじっと彼女を見た。「さっき君は、お義父様から何を預かったんだ?」「初対面の相手に、そう軽々と教えられるものではありません。失礼。」俊哉に背を向けて歩いていくと、彼が何かを叫んでいたが、歳三は無視した。「土方さん、お帰りなさい。」「ただいま。誠は?」「もう寝てますよ。それよりも土方さん、藤原会長とお知り合いだったんですね。」自分の部屋に戻った歳三は、総司の言葉を聞いて思わず彼を見た。「お前、藤原会長を知ってるのか?」「ええ。父とは古い知り合いだそうで、家族ぐるみの付き合いをしてますよ。」「そうか・・実はな・・」歳三は、総司に一臣の娘だということを打ち明けると、彼は目を丸くした。「そうなんですかぁ。でも土方さんの両親って、土方さんが小さい頃に亡くなられたんじゃぁ?」「ああ。だから何がなんだかわからねぇんだよ。」総司には一臣から預かった貸金庫の鍵については話さなかった。「ねぇ土方さん、今度は二人だけでここに泊まりましょうね。」「何でだよ。」「んもぉ、決まってるじゃないですか!」「ったく、これだからガキは始末に終えねぇ。」歳三は溜息を吐き、煙草を部屋で吸った。「禁煙ですよ、ここ。」「ったく、めんどくせぇな。」点けたばかりの煙草を、歳三は乱暴に灰皿に押し付けた。
2012年01月18日
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一体何が起こったのかが解らないでいた。 自分の隣に立っている老人が、日本有数の財閥の会長だということは知っているが、まさか自分の父親だとは思わなかった。「なぁ、ひとつ聞いていいか?」「何でもわたしに聞いてくれ。」「本当にあんたは、俺の親父なのか?」歳三の問いに、藤原一臣はにっこりと笑い、首を縦に振った。「ここでは何かと人目につく。パーティーの後でわたしの部屋に来なさい。」「は、はい・・」歳三が壇上から降りると、盛装した男女がひそひそと囁きながら彼女を見た。―あの方が・・―会長の隠し子?―何ということだ。壇上の方を振り返ると、一臣が来賓達と親族と思しき男女と談笑していた。「土方さん、大丈夫ですか?」「ああ・・少し気分が悪くなった。」「そうですか。」会場を出て婦人用のトイレへと向かうと、そこには既に先客がいた。「あら、誰かと思ったらお祖父様の隠し子じゃないの?」そう言って自分に棘を隠した笑顔を見せていたのは、真紅の振袖を纏った少女だった。年の頃はまだ10代後半かと思しきその少女は、歳三に対する敵意を微塵も隠そうとはせず、つかつかと彼女に近づくと、歳三の頬を張った。「あなたみたいな薄汚い野良犬が藤原家一門の者だとは認めないわ。さっさと出ていきなさい!」「うるせぇよ、このクソガキが。目上の者に対する礼儀って奴を知らないのか?」「お黙り、庶民が!」少女が再度歳三に手を振り下ろそうとしたが、その手は歳三によって捻りあげられてしまった。「お前みたいな可愛くねぇ女、嫁の貰い手もねぇだろうな。自分で稼いだことない癖に、親や爺の金で人を言いなりにするなんて大間違いだぜ!」「なんですって・・」少女の敵意に満ちた目が、恐怖へと変わった。「あなた達、一体何をなさってるの!」騒ぎを聞きつけたのか、煌びやかなイヴニングドレスに身を包んだ少女の母親と思しき女性が少女を睨んだ。「この人が先に手を出して・・」「あなたって子は、何処までわたくしに恥を掻かせれば気が済むの!」女性は少女の手を掴むと、トイレから出て行った。「土方さん、大丈夫ですか!」「ああ。もう行こうか、総司。さっきからここは息苦しくて仕方がねぇ。」総司は歳三の心中を察したのか、彼女の手を取りパーティー会場を後にした。 その夜、振袖からスーツへと着替えた歳三は、指定された時間に一臣会長が泊まっているスイートルームへと向かった。「来てくれたのか。藤岡、彼女に茶を差し上げろ。」「かしこまりました。」「さぁ、遠慮せずにこちらへ掛けてくれ。」「はい・・」歳三がソファに腰を下ろすと、一臣会長は溜息を吐いた。「君がわたしの娘だというのは本当だ。DNA鑑定の結果もある。」「そうですか。俺の両親は幼い頃に亡くなってしまったので、余り記憶がないんです。」「そうか。パーティーで君と居たのは・・」「夫です。俺よりも10も年下で、姉二人に甘やかされて育ったのか、凄く甘えん坊で・・あれでも息子のかけがえのない父親です。」「君は幸せなんだね。」一臣会長のしわがれた手が、歳三の手にそっと重ねられた。彼は、歳三が左手薬指に嵌めている結婚指輪を見た。「結婚式はいつ?」「お恥ずかしいのですが、挙げていないんです。息子を妊娠したと同時に入籍だけして同棲生活を始めましたから・・息子の育児や仕事で忙しくて、もう忘れてしまって・・」「そうか。それは残念だ。」一臣会長は、何処か歳三を誰かと重ねて見ているようだった。
2012年01月17日
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「首尾はどうだ?」「上々ですよ、お義父様。それよりもこの女性、お義父様とどのような関係が?」俊哉はそう言って義父が持っている写真を見た。「お前には知らなくても良いことだ。今週末のパーティーで会うことになるだろうから、その時にわたしが改めて紹介する。」「そうですか、楽しみにしておりますよ。」会長室を後にした俊哉は、溜息を吐きながらエレベーターホールへと向かうと、そこで会長の秘書である伊織がやって来た。「こんにちは。」「藤岡、あの女性の事を調べてたのか?」「わたしは会長秘書として仕事をしたまでです。それよりも佐藤様、余り夜遊びをほどほどになさってはいかがです?」「どういう意味だ?」「こんなものが今日発売されていましたよ。会長が何とか出版を差し押さえましたが・・このような事がお嬢様に知られたら・・」伊織は勿体ぶった口調でそう言うと、一冊の週刊誌を俊哉に押し付けると、会長室へと消えていった。「何だこれは!」週刊誌の見出し記事には、俊哉が過去に女性関係で荒れていたことが詳細に書かれており、更に女性とのツーショット写真まであった。(まさか、あいつはこれをもう読んでいるのか?)少し胸騒ぎを感じながらも、俊哉は仕事を早く切り上げ帰宅した。「ただいま。」「瑠璃お嬢様は、リビングにいらっしゃいます。」「そうか・・」俊哉がリビングに入ると、そこにはコーヒーを片手に例の週刊誌を読んでいる妻の姿があった。「あらあなた、お帰りなさい。」「瑠璃、これは誤解だ・・」「中々よく書けているわね、この記事。わたくしと結婚する前にこの女を妊娠させたくだりなんか、特に・・」瑠璃はそう言って顔を上げ、俊哉を見た。彼女の瞳は、氷のように冷たかった。「まさか瑠璃、別れるとか・・」「離婚の事は弁護士に任せております。子どもが居ないから後腐れがなくていいわね。あなたは子どもを産める女と再婚して頂戴な。」瑠璃はさっとソファから立ち上がると、週刊誌を俊哉に投げつけてリビングから出て行った。自分が招いた事とはいえ、一文無しでこの家から追い出される羽目になるとは―俊哉は、これからの事を考えると暗い気持ちになった。「ったく、挨拶してさっさと帰るぞ。」「土方さん、そんなに嫌なんですか?」「嫌に決まってるだろ。」ホテルの宴会場で開かれた藤原財閥創立記念パーティーに、スーツを着た総司が不機嫌そうな顔をした歳三を見ていた。 彼女はホテル内のブライダルサロンでエステを受け、一流の美容師によってヘアメイクをされ、藤色の地に牡丹をあしらった振袖を着ていた。「良く似合ってますよ。」「うるせぇ!」歳三がそう言って総司の頭に拳骨を叩き込んでいると、礼服姿の男性が二人の方へとやって来た。彼の傍には、総司が会社の前で見かけたスーツ姿の青年が控えていた。「君が、土方歳三さんだね?」「ああ、そうだが?おっさん誰だ?」「わたしは藤原一臣。わたしとともにこちらに来なさい。」有無を言わさず、男性は歳三の手を取り、壇上へと上がった。「皆さん、本日はお忙しい中創立記念パーティーに来て下さりありがとうございました。紹介いたします、娘の歳三(としみ)です。」藤原財閥会長・一臣の爆弾発言に、周囲はどよめいた。「長い間生き別れておりましたが、漸く娘と会うことができました。」 一臣はそう言って歳三に微笑んだが、彼女は引き攣った笑みしか浮かべる事ができなかった。
2012年01月17日
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「俺の顔に何かついてるか?」「いいえ・・」少年はそう言って慌てて改札の方へと駆けていった。(なんだぁ、変なガキだな・・)少年の事は余り気を留めずに、歳三は職場へと向かった。「おはようさん。」オフィスへと入ると、何やら慌ただしい。「どうしたんだ?」「先輩、三つ葉の吉田ってやつが・・」「三つ葉の吉田が!?」後輩から吉田の名を聞いた歳三の美しい眦がつり上がった。 三つ葉の吉田稔麿は、色々とあくどい手口で他社から取引先を奪うことで悪名高い人物だった。そんな男が朝早くからやって来るとは、良い事ではない。「おや、土方君も居たのか?」「ここは俺の職場だ。あんた、何しに来た?」「何しに来たって、仕事の話を来たに決まっているだろう?」吉田稔麿はそう言って、歳三を見た。「ふん、どうだか。」「近々、パーティーがある。君にも是非出席して欲しい。では今日のところはこれで。」歳三は稔麿の背中を睨むと、デスクに腰を下ろした。「総司、どうした?」『土方さん、一緒にお昼食べません?』「解った。じゃぁどこで待ち合わせする?」『会社のロビーでどうでしょう?』「ああ。もうすぐ終わるから、今すぐ行く。」『はい。』携帯を切った歳三は、デスクから離れるとエレベーターに乗り込んだ。 一方総司は、午前の講義が終わり、歳三の職場へと向かった。(一緒にご飯なんて久しぶりだなぁ・・)結婚前、教師と生徒の関係上、公にデートをする自由などなかったし、誠が生まれてからは子ども中心の生活を送っていた。なので、二人きりで食事するとなると、胸が弾む。「土方さん、そろそろ着きます。」『そうか。』あの交差点を渡れば、歳三の職場は目の前だ。総司は信号が変わるのを待っていると、突然彼の前に一台の車が停まった。「あなた、沖田総司さん?」車から出てきたのは、スーツを着込んだ青年だった。「そうですが、あなたは?」「僕は藤岡伊織。少し僕と来てくれないか?」「嫌です、人と待ち合わせしているんです。」総司はそう言って赤から青に変わった信号を見ると、青年の腕を振り払って交差点を渡った。「土方さん、お待たせしました!」「おう、遅かったな。」「信号につかまっちゃって。何処行きます?」「お前に任せるよ。」総司と腕を組みながら歩く歳三の姿を、謎の青年―伊織はじっと車の窓から眺めていた。(あれが、土方歳三か・・)青年がじっと歳三を見ていると、後ろの車からクラクションを鳴らされ、慌てて彼は車を発進した。 その直後、彼の携帯に着信があった。『藤岡、今何処だ?』「今そちらに向かっております、会長。」『そうか。彼女の消息は掴めたか?』「はい。彼女は結婚しており、5歳の息子がおります。」『そうか・・』秘書との通話を終えた男は、溜息を吐いて椅子の背に凭れかかった。「会長、お客様がお見えになっております。」「通せ。」「お久しぶりですね、お義父さん。」部屋に入って来たのは、男の娘婿である佐藤俊哉だった。
2012年01月16日
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「今日はお疲れさまでした~!」「お疲れ~!」バザーが無事終了し、歳三や総司達は空き教室で打ちあげを開いた。「土方さん、今日はありがとうね。」「いやぁ、いいんですよ。それよりも小幡さんは?」「ああ、あの人なら子どもを連れて実家に帰ったわよ。何でも離婚するとかで・・」「へぇ・・」いつも自分に突っかかって来る奈津美が抱える事情を知らず、歳三は冬美からそんな話を聞き、ビールを飲んだ。「ねぇママ、いつおうちに帰ってくるの?」「そうだなぁ、明日にでも帰ってこようかな。」幼稚園からの帰り道、歳三は息子の手を握りながらそう言って彼を見た。「本当?」「ああ。もうパパとは仲直りしたからな。」いずれ総司とは色々と話し合わなければならない。「総司、こっちへ。」「はい・・」誠を寝かしつけた後、歳三はリビングのソファに座った。「これからの事だが・・お前は俺と別れたくないか?」「ええ。だって僕には、土方さんしか居ないもの。」総司は歳三の手を握った。「そうか。」歳三は総司の言葉を聞いて安心した。「この前は誤解して悪かったです。」「いいんだよ、済んだことだ。」歳三と総司との間の誤解は解かれた。「香織、あなたはまだ総司さんとの事を諦められないの?」「ええ、お母様。わたくしには総ちゃんしかいないもの。」一方、滝沢邸では香織が母の美里と向き合うかたちでソファに座っていた。「でも総司さんには、歳三さんという方がいらっしゃるのよ。」「それでも、わたしは彼の事を諦めたくないの。」「お嬢様、お客様がいらっしゃいましたが・・」「通して。」家政婦とともにリビングに入って来た青年は、幼稚園で騒ぎを起こした青年だった。「香織ちゃん・・」「あなた、よくもわたしに恥をかかせてくれたわね。」香織はソファから立ち上がると、青年の頬を打った。「どうしても、僕とよりを戻してくれないの?」「戻すも何も、あなたとは完全に終わったのよ。さっさとわたくしの前から消えて頂戴。」青年は肩を落とし、滝沢邸から出て行った。「そろそろあいつとの悪縁を断ちきらないとね。」「上手くいくかしら?彼はともかくとして、家族は厄介な方が多いから・・」「ええ・・」 滝沢邸を出た青年が帰宅すると、そこにはゲーム機の前に座っている少年の姿がテレビの前にあった。「ただいま。」「兄貴、おかえり。あのお嬢様とはどうなった?」「もう彼女とは終わったよ。」「そう・・」少年はそう言うと、残念そうな顔をした。 バザーから一週間後、冬休みが徐々に近づく時に、奈津美が敦を連れて実家に帰り、夫と離婚した事を歳三は知った。「小幡さんが離婚ねぇ・・あんな幸せそうな奥さんが離婚するなんて、よっぽほどのことがあったんだろうなぁ。」「あら土方さん、知らないの?小幡さん、旦那さんや姑さんに暴力を振るわれていたのよ。今まで耐えてきたけど、我慢できなかったんでしょうね。」「そうか・・」奈津美が抱える事情を知った歳三は、子ども達と暮らしている彼女が幸せになれるよう願った。 歳三が誠を幼稚園に送って職場へと向かおうとした時、一人の少年と肩がぶつかった。「すいません・・」そう言った少年は歳三の顔を見るなり、顔を強張らせた。
2012年01月16日
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「来てくれたんですか?」「当たり前だろ。総司、例のお嬢様とはどうなってんだ?」「滝沢さん、昨日うちの前に来ましたけど、お断りしましたから。」「ふぅん、そうか・・」その後歳三と総司は互いに一言も言葉を交わさず、準備に追われた。「美味い焼きそば、いかがっすか~!」「二つ頂くわ!」「ありがとうございます!」歳三と冬美が担当する焼きそばの屋台には、長蛇の列ができていた。「どうしよう、食材が切れそうだわ。」「じゃぁ俺が買ってくるわ。」「頼むわね、土方さん。」冬美の車を借りた歳三は、食材を買う為に近くのスーパーへと向かった。「ったく、今日は忙しいなぁ・・」もうすぐ11月を迎えるというのに一向に秋らしくない暑さに、歳三は額の汗をタオルで拭いながら冷房の利いた店内へと入った。「これでよしっと・・」歳三がレジに並んでいると、不意に総菜コーナーに香織の姿を見つけ、彼女は声を掛けようとしたが、その後香織の前に一人の青年が現れた。(なんだぁ、あいつの彼氏か?)様子を見ると、何やら香織は青年と言い争っていたが、やがて青年が香織に背を向けて店内から出て行った。(あ、いけねぇ、すぐに戻らねぇと!)食材を買い終え、車のトランクに詰めていると、歳三は突然誰かに肩を叩かれた。「あの、すいません。」「なんですか?」「車、貸してもらえませんか?」「悪いが、この車は俺のもんじゃねぇんだ。それに俺、急いでるんでね。」歳三はそう言って青年に背を向け、トランクを閉めて運転席に乗り込み、キーを回してエンジンを掛けた。すると青年は何を思ったのか、車の前に飛び出してきた。「てめぇ、死にてぇのか!」「お願いです、車を貸してください!」「今忙しいって言っただろう!車を借りたいんなら、レンタカーでも頼みやがれ!邪魔だ、そこを退け!」歳三がそう怒鳴って青年を睨み付けると、彼はそそくさとその場から立ち去っていった。「なんだぁ、根性のねぇ奴・・」歳三がエンジンを掛けてスーパーの駐車場を出て、幼稚園へと車を走らせてあともう少しで着くと言う時に、彼女は初めて異変に気づいた。 後部座席に、誰かが隠れている。今この場で確かめる訳にはいかず、幼稚園の駐車場に車を停めた歳三は、後部座席のドアを勢いよく開いた。「てめぇ、何してんだ!」そこにはあのスーパーで会った青年が隠れていた。「後で警察呼ぶからな、覚悟しとけ!」歳三は青年に怒鳴りつけ、車の座席ドアを全てロックすると、トランクを開けて荷物を取り出した。「西条さん、ちょっといいかい?」「どうしたの、土方さん?」「それがなぁ・・お宅の車に、変な野郎が乗り込んぢまってよ。今警察呼ぶから、車の中に閉じ込めてるんだが・・」「まぁ・・屋台の方が一段落したら、通報しましょう。」昼前に屋台が一段落し、冬美が警察に通報すると、数分後にパトカーが幼稚園の前に停まった。「不審者は、この中ですか?」「ええ。」冬美はそう言って座席ドアのロックを解除すると、件の青年が身体を丸めて縮こまっていた。「すいません・・」「詳しくは署で聞かせて貰いますよ。さぁ、立って。」青年が警官とともにパトカーで去っていくのを、香織はリムジンの中から眺めていた。「もういいわ、出して。」
2012年01月14日
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「全く、無抵抗の子を殴るなんてどうかしているわ!」泣く叫ぶ我が子を前にして、奈津美はそう総司に怒鳴った。「小幡さん、あなたのお子さんが先に誠ちゃんに手を出したのよ。」そう言って総司を擁護してくれたのは、桂松子だった。「そうよ、わたし見たわよ、この子が急に殴りかかってきたのを!」飼い犬の散歩をしていた主婦が松子の意見に賛同し、敦を指した。「敦、正直に言いなさい!」「僕何もしてないよ、急にあいつが殴りかかってきたんだ!」「嘘を言うんじゃないわよ!嘘を言うとね、おまわりさんに捕まえられるわよ!それでもいいの!?」「違うもん・・違う・・」敦は大勢の大人に囲まれ、恐怖で蹲りその場で動けなくなってしまった。「おい敦、どうしたんだ!」公園の向こうで男性の声がして総司達がそちらの方へと向くと、そこには奈津美の夫・靖が彼らの方へと駆け寄ってくるところだった。「一体何があったんだ!?」「あなた、この人達うちの子に濡れ衣を着せようとしてるのよ、どうにかしてちょうだい!」「濡れ衣を着せようとしているのはどっちよ!あなた、自分の息子がいじめをしているのに黙殺するつもりなの!?」松子が怒りを奈津美にぶつけながら、彼女に掴みかかって来た。「子どものした事なんだから、そんなに目くじら立てなくてもいいでしょう!」「何よそれ!あなた、それでも母親なの!?」「煩いわね、あなた何様のつもり!?」2人の騒ぎに気づいた他の母親達は、遠巻きにその様子を眺めてはいるものの、彼女達を止めようとはしなかった。「あなた達、いい加減にしてください、子ども達の前で!」総司が見兼ねて2人に怒鳴ると、漸く2人は互いの髪を引っ張ったり、爪で顔を引っ掻いたりするのをやめた。「暴行罪で訴えてやるわ!」「望むところよ!こっちは名誉棄損と暴行罪で訴えてやるわよ!うちにはいい弁護士の先生がついているんですからね、負けないわよ!」松子が啖呵を切って公園から出て行った後、奈津美は蹲る敦の手を無理矢理引っ張って立たせ、夫とともに公園から出て行った。「何て親なのかしら、子どもが可哀想よ!坊や、大丈夫?」敦を責めていた主婦がそう言って誠に微笑むと、彼は静かに頷いた。「パパ、もう帰ろう。疲れたよ。」「わかった、帰ろうか。」誠と手を繋いで自宅マンションの前まで来ると、そこには住宅街には似つかわしくない一台の黒塗りのリムジンが停まっていた。それを見た瞬間、誰が来ているのか総司には解った。「あら、総ちゃん。」階段から降りてやって来たのは、滝沢香織だった。「滝沢さん、どうしてここへ?」「どうしってって・・あなたの帰りを待っていたのよ。あら、可愛い坊やね。」「パパ、この人嫌い。」誠はそう言って総司の背中に隠れた。「滝沢さん、済まないけれど今日は帰ってください。疲れているので。」「そう・・」「二度とここには来ないでください。」「総ちゃん、あの人とは別れないつもりなのね。」香織はじっと総司を見ると、彼に背を向けてリムジンに乗り込んだ。「ママ、明日のバザー来るかなぁ?」「来ると思うよ。だってママは約束を破らないもの。」「うん!」誠を安心させようと総司はそう慰めたが、歳三が明日のバザーに来るのかどうか解らず、不安な気持ちで夜を過ごした。 翌朝、空は雲ひとつない快晴だった。「おはようございます。」「おはよう、土方さん。さっさと準備しましょうか?」「え、ええ・・」総司がそう言ってちらりと幼稚園の校門を見ると、歳三が丁度入ってくるところだった。「よぉ。」歳三は総司を見ると、彼に手を振った。
2012年01月14日
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翌朝、総司は大学が休みなので、翌日開催のバザーについて、保護者会に初めて参加した。「あら、土方さんの旦那さん。」「おはようございます、小幡さん。妻は急病とかで、参加できなくなりましたので、わたしが代わりに来ました。」「へぇ、そうなの。大変ねぇ。誠君、こんにちは。」奈津美はそう言って誠に微笑んだが、彼は警戒して総司の背後に隠れた。「誠、ご挨拶は?」「こんにちは、おばさん。」「すいません、後でちゃんとわたしの方から言い聞かせますから・・」「い、いえ・・結構よ。」奈津美はこめかみに青筋を立てながら、総司に背を向けて園内へと入っていった。「誠、後で小幡さんに謝ろう。」「ヤダ。あのおばさん、ママに意地悪ばかり言うし、あっくんは北斗や年少の子をいじめてるから、大嫌い。」息子から、総司はこの時、奈津美親子から歳三が陰口を叩かれていることを初めて知ったのだった。「それは、本当なの?」「うん。ここでは話したくないもん。」「わかった。おうちで話そうね。」総司は溜息を吐きながら、保護者会がある教室へと入った。「あら、土方さん。」数十人居る保護者―多くは母親達の中で、真っ先に総司に声を掛けてきたのは、歳三と親しくしている冬美だった。「西条さん、こんにちは。」「歳三さんは?」「妻は急病で休んでて・・」「そう、大変ね。歳三さんが勤めている会社、最近忙しいから。それよりも土方さん、後で話せるかしら?」「ええ、いいですけど・・」 保護者会が終わり、総司と冬美は近くの喫茶店でコーヒーを飲んだ。「あのね、あなたの奥さん・・小幡さん達から目の敵にされていたのよ。結構サバサバしてる姐御肌で、誰とも群れない一匹狼タイプじゃない?そういうのって、群れるママ友グループからは面白くないみたいで・・」「そうなんですか。実は、誠から小幡さん達にうちの妻が意地悪されていると言われて・・桂さんのところの北斗君も、小幡さんの子にいじめられてるって・・」「ああ、敦君?あの子、乱暴者なのよね。小幡さんの御主人、小幡さんに暴力振るってるって噂があってね。敦君もパパに殴られているみたいなの。」冬美の話を聞き、小幡家の長男・敦が置かれている悲惨な家庭環境が総司には想像できた。 家の中で父親が母親に暴力を振るうのを間近に見ており、自分も父親に暴力を振るわれている敦が、内に溜まった怒りや鬱憤を発散させる為に己よりも弱い者をいじめるのは、彼なりのSOSの出し方なのだ。「多分、北斗君や年少の子をいじめるのは、SOSかもしれませんね。でも、人をいじめていいわけじゃないし・・」「そうよねぇ。小幡さん、お姑さんや小姑さんとも上手くいってないようでね、ストレスを敦君にぶつけているみたい。敦君の弟は、まだ赤ちゃんだからねぇ。」子どもは、洞察力が鋭い。敦は自分の祖母や叔母に虐げられている母の姿や、自分よりも弟を可愛がる母を見て、行き場のない怒りを小さな身体に溜め込んでいるのだろう。(何とかしてあげたいけれど、他所の家の問題だから・・)家庭内暴力(DV)が犯罪として成り立ったのはつい最近の事で、他人である総司が小幡家の実情を警察に訴えても、奈津美が否定すればうやむやにされる。「今日は付き合ってくれてありがとう、またね。」「ええ。」総司は冬美と別れ、誠が遊んでいる公園へと向かうと、砂場の方で小幡家の長男・敦が誠に馬乗りになって首を絞めようとしていた。「何してるんだ、やめなさい!」「こいつが生意気言うから懲らしめようとしたんだ!」そう言った敦は、暴れる誠の脇腹を蹴った。「やめろと言ってるだろう!」総司は声を荒くして、敦の頬を殴った。すると彼は、火がついたかのように激しく泣き出した。「敦、どうしたの!」ママ友達と立ち話をしていた奈津美が、血相を変えて総司達の方へと駆け寄ってきた。
2012年01月14日
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「お久しぶりだね、桂さん。」歳三はそう言って男―桂小五郎を見た。桂小五郎は、以前歳三が携わったプロジェクトに参加していた三つ葉商事のエリートだった。「ここへは一体何の用だい?」「別に・・吉田先生の見舞いの帰りに寄っただけさ。それよりも土方君、時間あるかな?」「ああ。」桂と歳三は、会社近くのカフェで一服する事になった。「それにしても、結婚したと聞いたよ。」「ああ。5歳の息子が居てなぁ。幼稚園に通わせてるんだが、どうも友達作るのが下手でね。俺も俺でママ友っての?母親同士でつるむのがどうも苦手なんだよなぁ。そういうところ、俺に似たのかもしれねぇなぁ。」コーヒーを飲みながら、歳三は溜息を吐いた。「それは大変だね。うちのところも、似たようなものかな。」桂は結婚し、妻・松子との間に長男・北斗が生まれており、彼は誠と同じ幼稚園に通っていた。「あんたの奥さんと殆ど会わないが、病気でもしてるのか?」「まぁね。」「そっか。」歳三がそう言って笑った時、バッグに入れていた携帯が鳴った。「ちょっと失礼するぜ。」歳三は店から出ると、総司からの電話に出た。「どうした、総司?携帯に掛けてくるなんてよ。」『土方さん、バザー、僕も参加していいですか?』「あぁ、構わないが・・どうしたんだ、急にそんな事言って・・」『詳しい事は後で。』(総司の奴、一体何だよ・・)歳三は総司の様子に少しおかしいと思いながらも、桂と話した後会社へと戻った。「ただいま。」「土方さん、そちらに座って下さい。」「あ、ああ・・」ソファに座ると、総司はじっと歳三を睨んだ。「どうしたんだ、総司?今日は何か変だぞ?」「どうしてって・・土方さん、何か僕に隠し事してません?」「隠し事?てめぇ、俺が浮気してねぇか疑ってるのか?だったら、あの綺麗なお嬢様とのことはどうなんだ?」歳三はそう言って総司を睨むと、煙草を吸った。「滝沢さんとは、何の関係もありませんよ!ただ同じ大学に通っているだけです。」「ふぅん。向こうはお前と結婚して良い奥さんになるって言ってたぜ。お義母様がお前に相応しい嫁を用意したんだ、ありがたく頂けよ。」「何を言うんです!」「俺とお前とは、住んでいる世界が違うんだよ!」総司は思わず、歳三の頬を打ってしまった。「どうして、そんな事言うんですか!僕は・・本当に土方さんの事が大好きなのに!」「総司、暫く冷却期間を設けようぜ。このままだと互いの為にはならねぇ。荷物纏めてくるわ。」「何処行くんですか、待ってくださいよ、ねぇ!」総司をリビングに残し、歳三は寝室で服や下着、私物などをスーツケースに詰め込むと、寝室から出て行った。「何処行くって、ホテルかどこかに決まってんだろ。高くつくけどな。」「嫌です、行かないでください!」総司は必死に歳三の手を掴んだが、彼女はそっとその手を振り払った。「誠の事、宜しくな。」歳三はそう言って総司に微笑むと、スーツケースをひいて部屋から出て行った。 家を出た彼女は、駅前のホテルに部屋を取り、溜息を吐いてベッドに大の字になって倒れた。「何やってんだか・・」
2012年01月14日
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「母さん、何の用なの?」「あのねぇ、あなたにいいお話、持って来たのよ。」そう言って母がバッグから取り出したのは、見合い相手の釣書きだった。「母さん、僕は土方さんと離婚しないよ。」「駄目よ、あんな女と一緒に居たらあなたの価値が下がるわよ。」「とにかく帰ってよ!」総司は房江を部屋に入れず、インターフォンのスイッチを切った。「ママなの?」「ううん、違うよ。変なセールスの人だよ。」母は歳三と離婚すると自分が言うまで諦めないだろう―そう思うと総司は鳥肌が立った。(ったく、今日は疲れたな・・風呂入って飯食って寝るか・・)電車に揺られ、歳三が駅から自宅まで自転車を漕いでいると、一台のタクシーと彼女は擦れ違った。そのタクシーに乗っていたのは、総司の母・房江だった。(お義母様が、どうしてうちに!?)「総司、ただいま。」「お帰りなさい、土方さん。」「さっき、タクシーに・・」「ご飯もうできてますよ。」「お、おう・・」総司は何かを隠しているようで、歳三は少しイラっとしたが、口には出さなかった。 その夜、歳三がシャワーを浴びて寝室に入ると、総司が何故か裸でベッドに寝ていた。「総司、そんな格好じゃぁ風邪ひくだろ、服着ろよ。」横向けに寝ている総司の背を揺さ振ったが、彼は何も反応しない。「おい総司、どうした?」「・・ぅ・・ぅぅ・・」微かに総司が呻く声が聞こえ、歳三は彼が何をしているのかが解った。「そんな所でするんじゃねぇよ。」あきれ果てた歳三が寝室から出ようとした時、総司が彼女の手を掴んで自分の方に強い力で引き寄せた。「土方さん、しましょうよ。」「はぁ?今からか?」「僕溜まってるんですよ。一人でするよりも土方さんとしたいんですよぉ。」「バッ・・おめぇ・・」余りにも直截的な総司の言葉に、歳三は思わず顔を赤らめてしまった。「だから全裸で俺を待ってたのか?」総司は歳三の言葉に静かに頷いた。「土方さん、誠が生まれてから全然相手にしてくれないじゃないですかぁ!」「そりゃそうだけどよ・・」誠が生まれてからというもの、仕事や育児、家事に追われる生活で歳三は碌に総司の相手をしていなかった。「まぁ、たまにはするか。お前、ゴム持ってるか?」「夫婦なんだから、そんなもの要らないでしょう。」まるで子供のように駄々を捏ねる夫に、歳三は溜息を吐いた。(いつまで経ってもガキだな、こいつは・・)誠が生まれて父親として少しは成長したかと思ったが、やはり5年前と彼は全く変わっていない。 その夜、歳三は総司と5年振りに愛し合った。「先輩、昨夜夜ふかしでもしたんすかぁ?」「ああ、ちょっとな・・」歳三がオフィスで欠伸を噛み殺していると、彼女の机の備え付けの電話が鳴った。「もしもし、こちら営業課ですが・・」『土方さん、ロビーにお客様が・・』「すぐ行きます。」またあのお嬢様かと思いながら歳三がロビーへと向かうと、そこには長身をスーツに包んだ男性が立っていた。「久しぶりだね、土方君。」男性はそう言うと、歳三に微笑んだ。
2012年01月14日
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「この度は、うちの者が誠に大変なことを・・申し訳ございませんでした。」歳三がそう言って頭を下げると、取引先の社長は笑顔で許してくれた。「いやいや、いいんですよ。鷹村君といったっけ?」「は、はい・・」「人は失敗して学ぶけど、謝る事も大事だ。先輩に頭を下げさせるのが、後輩の仕事かい?」社長の顔から笑みが消え、ジロリと鋭い眼光で鷹村を睨みつけた。「ま、誠に申し訳ございませんでした!」「ふふ、解ればいいのだよ。土方君、後輩の指導は苦労するだろうね?」「ええ、とっても。では社長、わたくしはこれで。」歳三は会社から出るまで、笑顔を崩さなかったが、タクシーに乗り込むや否や、じろりと鷹村を睨んだ。「てめぇ、自分がしたミスで俺を謝らせるたぁいい度胸してやがんな、えぇ?」「す、すいませんでした・・」「まぁいい。今日からてめぇの根性を叩き直すいい機会だ。いいか、二度と俺に生意気な口利くんじゃねぇぞ。」鷹村は、歳三の全身から漂う殺気を感じ、身を竦ませた。「先輩、あいつどうしました?」「ああ、あいつなら俺が締めてやったよ。」昼休み、歳三は自作の弁当を食べながらそう言うと玉置を見た。「先輩に締められたとなっちゃぁ、あいつも変わるでしょうね。コネ採用だからって、何でもかんでも通る訳じゃないっすよね。」鷹村は、社長の知り合いだとかで、社長の口利きで入社したのだった。就職難に喘ぎ、やっとのことでこの会社に就職した歳三や玉置達から見ると、世間を何処か舐めているような鷹村に反感を持つ者は数人くらいいた。「まぁ、これからあいつは世間の厳しさってやつを思い知るだろうよ。玉置、今まであいつのフォローに回ってたが、もうするなよ。」「はい、解りました。」昼休みが終わった後、歳三がオフィスへと戻ろうとエレベーターホールへと向かうと、受付で受付の者と一人の女が揉めていた。「だ~か~らぁ、土方って女居るでしょう!?今すぐ呼びなさいよ!」「失礼ですが、お客様のお名前は・・」「わたしの事なんかどうでもいいのよ、早くあの女を出して頂戴!」ヒステリックに叫ぶ女は、どうやら歳三に会いに来たらしい。「土方は俺だが、あんたは?」見兼ねて歳三がそう言って女の前に立つと、女は栗色の巻き毛を揺らしながら彼女を睨みつけた。「あなたが、総ちゃんの奥さん?」「あぁ、俺が総司の女房だ。てめぇ何者だ?」「あなた、わたくしを知らないの?わたくしは滝沢香織、滝沢グループ総帥の娘よ。」全身一流ブランドで固めた女の顔に、歳三は見覚えがあった。確か、総司が忘れ物をしたので、大学に届けに行っていた時に、学生食堂の場所を尋ねた女だ。「ふぅん、滝沢グループのお嬢様が、俺に何の用だ?」「単刀直入に言うわ、総ちゃんと別れてくださらない?わたくしの方が、総ちゃんのいい奥さんになれると思うのよ。」「家事なんざ家政婦任せにしてるお嬢様が馬鹿な事抜かしてんじゃねぇよ。総司は俺に心底惚れてんのさ。」「んまぁ、柄が悪い事。お義母様がおっしゃった通り、育ちの悪い方なのね。」滝沢香織はそう言うと、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。「あなたみたいな貧乏人、どうして総ちゃんが選んだのか解らないわ。」「言ってくれるねぇ、お嬢様。確かに俺ぁあんたみたいにお上品な女じゃねぇよ。嫌味な女でもねぇけどな。」歳三は香織に背を向けると、背後からキィィっという金切り声が聞こえたが、無視した。「遅いなぁ、土方さん・・誠、もうご飯食べちゃおうっか?」「やだ、ママと食べる!」夕食が並んだテーブルを前に、総司は溜息を吐いた。その時、玄関のチャイムが鳴った。「お帰りなさい、土方さ・・」「総ちゃん、お邪魔するわよ。」「母さん・・」房江の姿がインターフォンの画面に見えた時、総司は嫌な予感がした。
2012年01月14日
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あれから、総司は学校で歳三と会うのに飽き足らず、彼女の自宅マンションまで毎日放課後遊びに来ては、色々と将来の夢を話していた。『僕ね、将来は学校の先生になりたいんです。』『教師なんざ、楽な仕事じゃねぇぞ。もっと稼げるいい仕事を探せ。』『・・先生も、母と同じ事を言うんですね。』総司がそう言って目を伏せたのを、歳三は忘れられなかった。 後で総司が沖田財閥の御曹司だと知ったのは、三者面談の前日だった。財閥の御曹司として、房江は我が子に一流の教育を受けさせ、ゆくゆくは財閥を継がせたいと思っていた。それなのに、担任の教師と肉体関係を持ち、挙句の果てに妊娠させるとは―房江にとってこれほど不名誉なことはないだろう。「歳三さん?」「お義父様、人は全く変わりませんね。お義母様は・・あの人は未だにわたしの事を憎んでいるんです。」息子を奪った女と、女が産んだ子の顔など、房江は見たくないだろう―歳三はそう勝手に思い込み、誠の手をひいて沖田家を後にした。「ママ、パパは?」「パパは明日帰るってよ。それまでに誠、良い子にしてるんだぞ?」「うん、解った!」公園前のバス停でバスを待っていると、近所に住む数人の少年達がサッカーをしていた。「ママ、僕もサッカーしていい?」「ああ、いいぞ。ただし、危ないことはするんじゃねぇぞ。」「はぁ~い!」歳三は誠が少年達に声を掛け、一緒にボールを追い掛ける姿を見つめた。今まで誠は、同い年の子ども達と遊んだことがない。内気な性格の所為か、幼稚園でも彼が一人でポツンとブロック遊びや砂遊びをしている姿を、歳三は見ていた。だが今、同年代の少年達に囲まれて楽しそうにボールを蹴っている息子の姿は、とても眩しく見える。(俺も、あんな頃があったのかなぁ・・)歳三がそう思っていると、バスがやって来る事に気づき、誠の方へと近づいた。「誠、もう行くぞ。」「えぇ~、まだやりたいのにぃ。」「もう帰るぞ。」誠は少し拗ねた後、歳三とともにバスへと乗り込んだ。携帯が鳴ったのは、その後すぐだった。「総司、どうした?」『土方さん、明日帰りますから。』「解った。久しぶりに親子で楽しく過ごせよ。」 その夜、誠を寝かしつけた後ノートパソコンで仕事をしていると、職場から着信があった。『もしもし、先輩?今御自宅ですか?』「ああ。どうした、玉置?何か会社であったのか?」『それが、例の新人がやらかしたんすよぉ。』後輩の沈んだ声を聞き、歳三は溜息を吐いた。 4月から歳三達の部署に入って来た新入社員・鷹村は何かと他の社員達とトラブルを起こしていた。遅刻しても連絡しない、謝罪しない―社会人として基本的な事が全くできていない新人に対し、歳三や玉置は手を焼いていた。一体彼が何をやらかしたのか―そう考えるだけで歳三は憂鬱な気持ちになり、溜息を吐いた。「土方さん、もう行くんですか?」「ああ。ちょっとトラブルがあってな。今夜は遅くなるかもしれねぇ。」「そうですか、じゃぁ僕が誠を幼稚園に送りますね。」「済まねぇな。」歳三が自宅マンションを出て職場へと向かうと、そこにはしゅんとしている鷹村の姿があった。「どうした?」「先輩、こいつ取引先に間違ったデータを渡しちゃったんすよぉ。」「ったく、しょうがねぇなぁ。俺が謝りに行ってやるよ。今なら間に合うだろう。」「すいません・・申し訳ありません。」歳三は仕事用のノートパソコンを開き、取引先に正確なデータをメールで送った後、鷹村を連れて先方の会社へと向かった。
2012年01月14日
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房江の言葉を聞いて、来るんじゃなかったと歳三は思い、誠の手を握った。「誠、おうちに帰るよ。」「歳三さん、待ってくれ。」玄関から出て行った歳三の後を、英治が慌てて追ってきた。「やはりお義母様はわたしの事を許してくださらないんですね。自慢の息子を奪った女だから。」あの時から、彼女とは解り合えないと思っていた。酷く罵倒されたあの日から。 お嬢様育ちの房江は、元ヤンキーの歳三を最初から快く思っていなかった。『あなたみたいな方が教師だなんて・・教育委員会に抗議しないと。』上流階級の子息が通う有名進学校に歳三が赴任して来た時、三者面談で房江からそう言われたことがきっかけで、互いに最悪な第一印象を持ってしまった。 確かに、元ヤンキーだった自分が教師だなんて、柄に合わないと歳三は何度も思ったことか。だが消せない過去があるからこそ、それを教訓にして生きてゆくことができると、彼女はそう思って教師を続けた。 金持ちの子が通う進学校であったが、多感な時期の少年達が集まれば、自ずとトラブルが起きるのは当たり前で、ある生徒が名門女子校の生徒を妊娠させてしまう騒動が起き、その生徒の担任であった歳三はその騒動の解決に奔走した。その生徒は相手と結婚したが、子どもと家族3人で幸せに暮らしていると歳三が学校を去った後、生徒からの手紙で知った。 あの時は我武者羅に生きてきたし、人生どうなってもいいとまで考えていた。総司と出逢ってからは、肩の力を少し抜き、思い通りにならないことがあっても悠然と構えられるようになった。彼の事は実の弟のような存在だと思っていたのだが、総司の方は違った。『先生、放課後いいですか?』いつものように歳三が授業が終わり、教室から出て行こうとした時、総司がそう言ってメモを彼女に握らせた。そこには、“資料室で待ってます”とだけ書かれていた。 放課後、資料室へと向かうと、総司は待ちくたびれたのかパイプ椅子にもたれたまま眠っていた。『おい、起きろ。』『ん・・』総司を揺さ振ると、彼は紫紺の瞳でじっと歳三を見つめた。『来てくれたんですね。』『話ってなんだ?』『先生、僕と付き合ってください。』総司の突然の告白に、歳三は目を丸くした。一瞬冗談だと思ったが、総司の目は真剣そのものだった。『初めて会った時からずっと、先生の事が好きでした。』総司はそう言って椅子から立ち上がり、歳三の唇を塞いだ。『やめろ、離せ!』『嫌です!』そのままソファへと押し倒され、総司は歳三の乳房に舌を這わせた。『先生のおっぱい、柔らかくて気持ちいい・・』『総司・・よせ。』『やめませんよ。』歳三は何とか総司から逃れようともがいたが、ビクともしなかった。『早くあなたの中に入りたい・・』荒い息を吐きながら、総司はズボンを下着ごと脱ぎ、いきり立った物を歳三の中に挿れようとしていた。『総司、待て。ゴム持ってるか?』総司は歳三の言葉を聞くと、拗ねたようにコンドームを歳三に渡した。その後彼女は総司に抱かれたのだが、歳三は余りの気持ち良さに気絶してしまった。 生徒相手に欲情するなんて、教師失格だと思った。『この事は忘れろ。』『嫌です。』『ガキに付き合っている暇は俺にはねぇんだよ。』歳三にとって総司はただのガキだった。世間知らずの、青臭いガキ―擦れていた頃に飽きるほど見ていたガキ。どうせ何処かのつまらない小説でも読んで、教師と生徒の禁断の恋とやらに憧れたのだろう―歳三は勝手にそう思い込んでいた。だが総司は、歳三に本気だったのだ。
2012年01月14日
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「あの、お義父様、今何と?」「だから、結婚式を挙げてくれないか?」絶縁して以来5年も会っていない舅・英治からの言葉に、歳三は気まずそうな顔をした。「父さん、何で今更結婚式を挙げなきゃいけないの? 5年前僕達の結婚に反対して絶縁したのに、一体どういう風のふきまわしなわけ?」キッチンで皿を洗っていた総司がそう言って英治を見ると、彼は溜息を吐いて茶を飲んだ。「実はな、最近芳次郎がお前達の存在を知って、会いたいと言ってきかないんだ。」総司には二人の姉が居り、二人とも結婚して家を出ているが、長女・みつは盆正月に夫と子どもを連れて帰省している。みつの長男・芳次郎が生まれる前に総司は実家と絶縁したのだが、総司の母・房江は総司が中学生の時に優勝した剣道の大会のトロフィーや写真などを部屋に飾っていたので、芳次郎が一度も会ったことのない伯父の存在を知って会いたがっているのだという。「そんな事言っても、うちも忙しいんですよ。それに、結婚式は挙げるつもりはありません。」「歳三さん、あの時は房江が失礼な事を言って済まなかった。本人も反省しているから、許してやってくれないか。」英治の言葉に、5年前総司とともに沖田家へ挨拶に行った時のことを彼女は思い出した。 総司の母・房江は、勉強やスポーツが優秀な、「自慢の息子」である総司を年上の女に取られ、歳三に対して敵意を抱いていた。しかも、彼女の妊娠を知るや否や、中絶しろと喚き立てた。『あなたの我がままで、息子の人生を潰すつもり!』総司が何とかその場を丸く収めたものの、結局房江は自分達を許さず、絶縁となったのだった。「歳三さん、一度うちに来て話をしないか。誠くんも連れて。」「誠を連れて、ですか?そんな事したらお義母様に何をされるか・・」あれほど誠の誕生を喜ばなかった房江である。実際に会ったらどんな酷い目に遭わされるかわかったものではない。「最近みつがお前達と仲直りしたいと言っているんだ。お前達と絶縁した後、房江は魂が抜けたように生気をなくして、部屋に引き籠ってはお前の写真やトロフィーを眺めているんだ。」「母さんが?」総司の記憶の中に居る母は、町内会の活動やカルチャースクールの稽古事に熱心な姿だった。「本当なんですか、それは?」「ああ。お願いだ、総司。一度だけでいい、うちに来てくれ。」「土方さん・・」「いいですよ、一度だけです。」歳三は渋々と沖田家に行く事を承諾した。「土方さん、本当にいいんですか?」「何がだ?」その夜、寝室で総司にそう言われ、歳三は夫を見た。「まだ、母の事を許してません?」「許すも何も、俺とは縁が切れた人だ。あの人が俺に怒りをぶつけたのも、母親になった今だからこそ解る。母親にとって息子は特別だからな。」 5年前、房江から浴びせられた言葉は今もずっと歳三の中で燻っているが、誠を産んでからは、愛情を掛けて育てた息子を奪った女が憎らしい余りに心ないことを吐いてしまったのだと、歳三は解る。もし誠が自分と同じような状況になっても、自分は息子の結婚相手を認める事ができるのだろうか。恐らく、相手に罵声を浴びせるだろう。あの時の房江のように。 数日後、総司と歳三は誠を連れて、5年振りに沖田家を訪問した。「房江、総司と歳三さんが見えたぞ。」「まぁ総ちゃん、帰ってきたのね!」玄関先で房江は、そう言うと総司に抱きついた。「ママ、ずぅっと総ちゃんの帰りを待ってたのよ!」「お久しぶりです、お義母様。」歳三の存在に気づいた房江は、総司から離れるとじろりと歳三を睨んだ。「あなた、まだ総ちゃんと別れていないのね?」「房江、やめないか。」
2012年01月14日
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「今の彼女と別れそうだぁ? まぁた式場選びで揉めたんだろう?」社内のラウンジで缶コーヒーを飲みながら歳三は、玉置の話を聞いた後彼を見た。「ええ、そうなんですが、彼女が元彼呼びたいっていうんですよ。」玉置はそう言って溜息を吐いた。何でも、元彼に手酷く振られたので、その仕返しに自分の幸せな姿を元彼に見せつけたいのだという。「やめとけよ、そういうことは。元彼の方を選んでとんずらしちまうかもしれねぇだろう?」「そりゃそうっすけど・・なんつーか、彼女の親は彼女の意見に賛成なんですよねぇ。」「そりゃぁ大変だな。ま、じっくり彼女と話しあえよ。」「先輩、他人事みたいに言わないでくださいよぉ。自分が結婚式挙げてないからって。」「うるせぇなぁ、そんな余裕なかったんだよ。」歳三はそう言うと、煙草に火をつけた。 総司と結婚した歳三であったが、籍を入れただけで、式は挙げていなかった。なんせ急なことだし、子育てに何かと金が要るし、誠が生まれてからは育児と仕事の両立が大変でそれどころではなかったので、結局挙げなかった。「今から挙げたらどうです、結婚式?」「馬鹿言うなよ。たった一回だけの事で貯めた金を使えるかよ。それに俺ぁ親と絶縁してんだ、誰も来やしねぇよ。」歳三は親戚と絶縁してから、一度も親代わりの姉に会っていない。自分を母親代わりに育ててくれ、ちゃんと大学まで行かせてくれた姉には感謝しているが、総司と恋仲になったことが露見してからは、もう何年も連絡を取っていない。 姉は、歳三の妊娠が発覚してから総司と結婚の挨拶に来た時、烈火の如く怒られた。『あんたって子は、そんなだらしがない子だとは思わなかったわ!』売り言葉に買い言葉で、その時姉とは喧嘩別れしたきり、一度も会わなかったし、誠が産まれたことも知らせなかった。今更どんな顔をして会えばいいのだ。「・・さん、土方さん?」「あ、すいません。」誠のお迎えにやってきた歳三が我に返ると、そこにはママ友、冬美の姿があった。「どうしたの、ボーっとして。」「すいません。それよりも、来週でしたっけ、バザー?」「ええ。今年も保護者達で焼きそばの屋台出すんですって。土方さんも来るの?」「今のところは予定ないですけど・・」「そう、助かるわ。わたし実行委員だけど、時間がなくてねぇ。」冬美も歳三と同じ兼業主婦で、子どもを幼稚園に預けて仕事をしている。歳三も実行委員の一人なのだが、急用が入ったりなかなか定時に帰れなかったりで、集まりには参加できなかったりして奈津美達から睨まれている。「あらぁ土方さん、今日はちゃんと定時で帰れたのね?」「ああ、どうも。」「バザーには参加してくれるんでしょうね?」「言われなくても、参加しますよ。」「ご主人に来て貰ったら?」奈津美の言葉にいちいち腹を立ててはいけないと思いつつも、歳三はカチンと来てつい呟いてしまった。「いちいち文句言うよりも先に、子ども預けてどっかに出掛けるよりもバザーの準備くらいしやがれっての。」「何よ、働いてるからって偉そうに!」顔を真っ赤にしながら、奈津美は子どもの手をひいて幼稚園から出て行った。(あぁ、言っちまったなぁ・・)ついポロリと本音を口にしてしまった歳三だったが、これからママ友グループに目の敵にされるだろうなと思うと、彼女は溜息を吐いた。「ただいまぁ。」「お帰りなさぁ~い。今日の夕飯はハンバーグですよぉ。」先にリビングに入った誠の後を追おうとした歳三は、玄関先に男物の靴がきちんと置かれていることに気づいた。「久しぶりだね、歳三さん。」リビングに入ると、ソファには総司の父、英治が座っていた。5年振りの舅との再会に、歳三は緊張のあまり身を強張らせた。
2012年01月14日
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「おはようございます。」「おはようございます。」出勤前、歳三が誠を幼稚園へと連れて行くと、園庭の隅で世間話をしているママグループと目が合ったが、無視した。「土方さん、おはようございます。」「先生、今日も宜しくお願いしますね。誠、先生にご挨拶は?」「おはようございます。ママ、いってくるね。」誠はそう言って母に向かって手を振ると、担任の保育士とともに園内へと入っていった。歳三が幼稚園から出ようとした時、ママグループの一人が彼女の方へと駆け寄ってきた。「土方さん、おはよう。今からお仕事?」「そうですが、何か?」歳三に話しかけてきたのは、ママグループに入っている小幡奈津美で、キャリアウーマンで兼業主婦である歳三に対して妙なライバル心というか、嫉妬心を燃やしている。「いいわよねぇ、お仕事ばりばりしてて。旦那さんも若いし。」「すいません、俺急ぐんで。」歳三は奈津美の脇をすっと通り抜け、自転車に跨って最寄駅へと向かった。「何よ、あれ。」「カンジ悪~い。」(母親同士の付き合いってのは、大変だな・・)満員電車に揺られながら、歳三は幼稚園のママ友グループとの付き合いがこんなに面倒なものだとは思っていなかったなと、溜息を吐いていた。教職を辞し、総司と結婚した歳三であったが、学生である総司のアルバイトの給料では生活が成り立たないと感じた彼女は、昼は弁当屋のパート、夜は道路作業員のバイトをしながら生計を立てていた。 結婚前、総司との関係が露見した上に妊娠が発覚したので、双方の実家からの援助はゼロ同然だったし、連絡も取っていない。妊娠中だからといって甘えたり、弱音を吐いたりはできなかったし、自分の責任だから他人に迷惑を歳三は掛けたくはなかった。 妊娠中の無理が祟ったのか、歳三は切迫早産の為に入院を余儀なくされ、そのまま出産を迎えたのである。『土方さん、大丈夫ですか?』『大丈夫なわけねぇだろうこの野郎!ビデオ片手に来てんじゃねぇよ!』分娩室で陣痛に苦しむ歳三に、総司はビデオカメラ片手に入ってきたので、思わず彼の顔をパンチで殴ってしまった。『痛いですぅ~』『なぁにが、“痛いですぅ”だ!俺の方がなぁ、何千倍も痛いんだよ!オラ、さっさとそこのタオルで額の汗を拭きやがれ!』立ち会い出産を希望した総司の、余りにも情けなくて役立たずな様子に、歳三は始終苛立って彼を怒鳴りつけていた。そんなこんなで、難産であったが歳三は元気な男児を出産した。『うわぁ、僕にそっくりぃ~』息子に授乳している歳三を見ながら、総司はそう言って笑った。(ったく、頼りねぇな・・)無事に出産を終え、一安心したのも束の間、産むよりも育てる方が大変だった。誠は夜泣きも酷いし、ハイハイするようになってからは勝手に何処かへ行ってしまうし、歩き出す頃には一分たりとも目を離せなかった。 仕事と家事、育児で毎日疲れている歳三であったが、息子の笑顔を見るだけで心が癒された。それは今でも変わらない。来年小学校入学を控える誠の為にも、何とか定時に帰れるような部署に異動したいと思っているのだが、今の勤務先で正社員として就職するのも楽ではなかった為、我が儘は言えない。 それとも、会社を辞めて専業主婦になろうか―歳三はそんなことを思いながら、職場へと向かった。「おはようございます、先輩!」「おお、誰かと思ったら玉置じゃねぇか。どうした?」職場のエントランスで後輩の男子社員・玉置に声を掛けられ、歳三はそう言って彼を見た。「あの~、ちょっと相談に乗って貰いたいんすよ。」「いいぜ、まだ時間あるしよ。」
2012年01月14日
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「総司、いい加減起きやがれ! 今何時だと思ってやがる!?」「う~ん、あと5分ほど寝かせてくださいよぉ。」「ごたごた抜かしてんじゃねぇ、起きろ!」土方家の朝は、歳三(としみ)の怒声から始まる。「さっさと起きろ!」歳三はそう叫ぶと、夫・総司が寝ている布団を剥がした。その勢いで彼は強かに腰を打ってベッドから転落した。「土方さん、もうちょっと優しい起こし方できないんですかぁ? ほっぺにチューとか。」「そんな恥ずかしい真似が朝から出来るか! 総司、さっさと飯食って大学行け!」「はいはい、解りましたよ。」総司が渋々と寝癖がついたままの白銀の髪を掻きながら、リビングへと入った。「パパ、おはよう。」ダイニングテーブルには、歳三と総司の一人息子・誠がトーストを齧っていた。「誠ぉ、聞いてくれよぉ。さっき朝っぱらからママに怒鳴られちゃったよぉ。」総司は頬を緩ませながら愛しの我が子に話しかけると、誠は朝の子ども向け番組に夢中だった。「誠、もう飯食ったか? 食ったら着替えて幼稚園に行くぞ!」寝室から出てきた歳三は、パジャマからパンツスーツに着替え、ばっちり化粧をしていた。「はぁ~い。」誠は総司の時とは違い、テレビを消して母親の方へと駆け寄ってきた。「どうして誠はママの方が好きなのかなぁ?」「だらしがねぇパパよりも、バリバリ働いてるママの方が好きだよなぁ、誠?」「うん!」「子どもにそんな事吹き込まなくてもいいじゃないですか・・」総司は溜息を吐くと、コーヒーを飲んだ。「じゃぁ、行って来るからな。」「行ってらっしゃ~い。」「パパ、行ってきま~す!」息子と妻を見送った総司は、一人さびしく朝食を終えた。 5年前、歳三と結婚した時、総司は大学受験を控えていた有名進学校に在籍していた高校3年生だった。歳三は自分とは10歳年上で、パンツスーツ姿に肩までのショートヘアが似合い、颯爽とした姿で廊下を歩く新任の女性教師だった。「仕事ができる女」である歳三に一目惚れし、いつしか総司と歳三は恋仲となった。だがその関係が周囲に露見し、歳三は学校を去って教職を辞し、総司の前から姿を消した。 しかし総司が諦めずに彼女の自宅マンションへと向かうと、彼女は引越しの準備をするところだった。『お願いです、僕の前から消えないでください!』『うるせぇ、これは俺が決めたことだ。てめぇは受験の事だけ考えてろ。』『なんですか、それ?僕との関係は遊びだったっていうんですか!』総司は怒りの余り歳三に掴みかかると、彼女が持っていたバッグから何かが落ちた。 それは、母子手帳だった。『お前には、知られたくなかったな・・』歳三はバツの悪そうな顔をして、総司を見た。『結婚して下さい、土方さん!男として責任を取りたいんです!』総司の言葉を、歳三は鼻で笑った。『てめぇのような世間知らずのガキに、俺を幸せにできる自信があるのか?』『あります!』その時、勢いだけでそう言ったのかもしれない。だが総司は、本気で歳三と結婚したかったのだ。 妊娠と結婚の順序が違う、所謂出来ちゃった結婚をした歳三と総司への周囲の風当たりはきつかったが、二人の間には誠という子宝を授かった。あれから5年―OLとして働く妻・歳三を、まだ学生である総司は家事や育児をして支えていた。総司は最近、歳三の尻に敷かれていると思うようになった。(僕が情けないからかなぁ・・)男として、一度は歳三に頼って欲しいと思う、総司なのだった。
2012年01月14日
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前回、美しいイラストをくださったMARISSA様から美しい挿絵を2枚いただきました。「黒衣の貴婦人」本編前半で、伊東さんとお見合いする土方さん。互いに見つめ合いながらも牽制する二人の様子と、緊張感が窺えます。土方さんの黒髪に、椿が映えますね。近藤さんに淡い恋心を抱きながらも、それが伝えられない土方さん。頬を赤く染めた土方さんの、近藤さんを見つめる目が可愛いです。MARISSA様、本当にありがとうございました!
2012年01月12日
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2011年12月24日から連載を開始した『黒衣の貴婦人』、無事に完結致しました。途中で色々とうやむやになった部分もありますが、それはご容赦ください。「もし土方歳三が女であったら・・」という自分の妄想から始まり、最後は転生した歳三と総司が出逢うラストで終わらせました。 完結まで読んでいただいた皆様、美しいイラストを描いてくださったMARISSA様、ありがとうございます。心からの感謝と愛を込めて。2012.1.11 千菊丸
2012年01月11日
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※挿絵はMARISSA様から頂きました。 そこは、第一次世界大戦で負傷した兵士達が収容されている病院だった。 前年に皇位継承者であるフランツ=フェルディナンドがサラエボで暗殺されたことにより勃発した戦争は、徐々に欧州に暗い影を落としていった。エリスは看護師として負傷兵の看病や孤児の世話をし、寝る暇も惜しまずに働いた。(お母様・・)彼女は夜眠る前、今は亡き母・歳三の肖像画を見ながら、歳三に語りかけるのが日課だった。(わたくしはお母様のように自分の道を歩いているわ。)結婚し、夫との間に2人の子宝を授かったが、夫婦仲は冷え切っていた。エリスは歳三にいつも尻に敷かれながらも、仲睦まじい様子の父を見て、こんな穏やかな家庭を作りたいと思っていたが、失敗した。 夫に離婚を一方的に言い渡され、子ども達の親権を奪われたエリスは、深く傷ついた心を患者達の看病や仕事で紛らわそうとしていた。そんな中、ローマから一人の司祭がやってきた。昔ウィーンに住んでいたというその司祭は、プラチナブロンドの髪をなびかせ、紫紺の瞳に憂いを帯びながら死者の為に祈りを捧げていた。「あの、それは?」「ああ、これですか? 母の形見で、“ヤタテ”というそうです。」「見せて貰っても、構いませんか?」「ええ、どうぞ。」司祭から“ヤタテ”を受け取り、漆細工に紅梅が散らされたその美しい装飾に、エリスは時を忘れて魅入られた。「あなたのお母様は、確か日本の方とか・・」「ええ。これが、わたくしの母です。」エリスはそう言うと司祭に母の肖像画を見せると、彼は美しい顔を歪ませ、紫紺の瞳から真珠のような涙を流した。「母上・・」僅かに漏らした司祭の言葉を聞き、エリスは驚きで目を見開いた。「もしかして、あなたは・・マコトさん?」「何故、わたしの名を知っているのです?」「母が生前、話しておりました、あなたのことを。臨終の際、“最後まで母親らしいことをしなくて済まない、許せよマコト”と呟いておりました。」司祭―誠の脳裡に、フロイデナウ競馬場で会った歳三の顔が浮かんだ。“身体に気をつけるのですよ。”まるで我が子を想うかのような優しい口調で、そっと頬を撫でる彼女の美しい指先が、まるで昨日のことのように甦ってくる。「そうですか。わたしは母を恨んでおりません。寧ろ、この世に産んでくれたことに感謝しております。」「そうですか・・」 戦争が終わり、誠とエリスは歳三とアルフレドが眠る墓前に花を供えた。「母上、わたしを産んでくださりありがとうございました。」誠がそう言って墓を去ろうとした時、一陣の風が吹き、墓地の向こうに真紅のドレスを纏った女性の姿が見えた。彼女は誠に気づくと優しく微笑み、消えていった。 その後誠は、戦災孤児救済のために財団を設立し、スペイン風邪によって急逝、享年56歳。エリスは第二次世界大戦の最中、ドレスデンの空爆によって命を落とす。時は流れ、2005年春― 一人の女性が、肩先まで切りそろえた漆黒の短髪を揺らしながら、エリート校と呼ばれる有名進学校の校門をくぐった。「今日から、宜しくお願いしますよ。」「はい・・」そう言った女性の瞳が春の陽光を受け、緋に美しく輝いた。始業のチャイムが鳴り、生徒達でざわめく教室に女性が入った途端、彼らは急に水を打ったかのように静まり返った。「今日から皆さんの担任を務める土方歳三です、どうぞ宜しくお願いします。」教壇で自己紹介する女性を、一人の生徒がじっと紫紺の瞳で見つめていた。―完―にほんブログ村
2012年01月11日
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「マコトには・・会わないのですか?」アウグストの言葉に、歳三は静かに頷いた。「わたしは、もうあの子の顔を見ただけで充分です。」歳三はさっと椅子から立ち上がると、貴族専用の観覧席から出ていった。「あ・・さっきの・・」彼女が歩いていると、誠と目が合った。「先ほどあなたのお父様にお会いしましたよ。神学校へ行かれるのですって?」「ええ。」「そう・・身体に気をつけなさい。」そっと歳三は何も知らぬ我が子の頬を撫でると、彼に微笑んだ。(これでいい・・)この世に産み落とし、捨てた命は、すくすくと育っていることが解れば、それでいい。今更自分が母親であることを言っても仕方があるまい。彼には彼の、人生があるのだから。(総司、お前と俺の息子はちゃんと己の道を歩こうとしているよ。)「トシ、ここにいたのか!?」「うるせぇなぁ。オラ、帰るぞ。」「えぇ~、まだ来たばかりなのにぃ!」聞き分けのない年下の夫の耳を引っ張りながら、歳三はフロイデナウ競馬場を後にした。 その後、アウグストと誠には二度と会う事はなかった。 1881年6月、歳三は難産の末に双子の男女を出産した。「可愛いなぁ。娘は、君に似て美人だね。」「そうかもな。性格も俺に似てじゃじゃ馬に育つだろうなぁ。」「え~!」夫の腕に抱かれている娘を見ながら、歳三は温かな家族の光景に微笑んだ。その後子ども達はすくすくと成長し、アルフレドと歳三は死へと向かって歩き出していた。「お母様。」「あ、寝ちまったか。」ある穏やかな春の午後、歳三はつい転寝をしてしまい、欠伸を噛み殺しながら目を開けると、そこには愛娘のエルフリーデ(エリス)が立っていた。現在25歳となったエリスは、来年の夏に婚約者と挙式を挙げることになっていた。「ねぇお母様、結婚式まで長生きして頂戴ね。」「ああ、解ってるよ。お前ぇの花嫁姿を見るまでは死なねぇよ。」歳三はその夜、鏡に映る自分の姿を見て苦笑した。黒檀のような艶やかな黒髪は白くなり、肌理が細かかった肌には目尻や笑窪に皺が目立つようになった。「どうしたんだい?」「いやぁ、随分年を取っちまったなぁと思ってよ。」「そうかなぁ、君はいつまでも綺麗だよ。」そう言って自分を抱き締めたアルフレドは、豊かな金色の巻き毛が禿げあがり、横幅が広くなった。「ふん。俺らも、年を取ったな。」「ああ。時というのは残酷なものだね。」いつまでこんな夫婦の会話を続けられるのか、二人は先の事を考えると不安になった。だが愛娘の結婚式までには死ねないと、歳三はそう思いながら眠りに就いた。 翌年の夏、愛娘が幸せそうに嫁ぐ姿を見送った歳三は、静かに永遠の眠りに就いた。『土方さん、逝きましょう。』『ああ、遅くなってごめんよ。』天へと昇った彼女は、恋人とかつての仲間に迎えられ、彼らに出会った時の姿で微笑んだ。 歳三の訃報を知らされたウィーン市民は、遥か極東の島国から来た公爵夫人の死を悼むとともに、孤児の為に奮闘した彼女に敬意を払った。 彼女の死から何年か経った後、とある司祭がローマから訪ねてきた。にほんブログ村
2012年01月11日
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1868(慶応4)年9月、会津。 薩長をはじめとする新政府軍は白河口、二本松を突破し、遂に鶴ヶ城下へと迫っていた。「副長、後はわたしに任せてください。」「斎藤、宜しく頼む。」歳三は会津を斎藤に任せ、仙台へと向かった。 その後、会津が陥落したことを、歳三は文で知った。会津戦争は白虎隊の悲劇をはじめに、戦で足手纏いとならぬよう自害した老人や女子どもの遺体が転がり、鶴ヶ城は砲撃を受け、城内に残っていた者達は虫の息だったという。その惨状を聞いた歳三は、虚しい思いに囚われた。板橋で勇が斬首され、総司が病に斃れ、そして今度は自分達を庇護してくれた会津まで守り切れなかった。この戦いは絶望と死だけが支配しているのかと思うと、また新政府軍への怒りが込み上げてきた。(許せねぇ・・会津の仇は、必ず討ってやる!)歳三はその日から、人であることを捨てた。いや、彼女が人であることを捨てたのは、勇とともに上洛を決意した時からだろうか。 彼女と旧幕府軍は北上し、最北の地・蝦夷地へと辿り着いた。ここが己の死に場所であることを、歳三は決めていた。(もう俺には何も残っちゃいねぇ。あるのは、近藤さんとともに守ろうとした新選組だけだ。)「土方君、ここに居たのかい。」背後から声を掛けられて振り向くと、そこには陸軍奉行・大鳥圭介が立っていた。彼とは宇都宮で会ったが、少し軽薄そうな印象を受けた歳三は、余り彼の事を好きにはなれなかった。「大鳥さんか、一体何の用だ?」「別に・・一緒に飲もうと思って。」「遠慮しておく。」歳三はじろりと大鳥を睨むと、彼に背を向けて歩き出した。「副長、こちらにいらしてたんですか!」「おい鉄、副長はやめろと言っただろうが。」鉄之助が自分の方に駆け寄って来るのを見て、歳三は苦笑しながら彼を見た。「すいません、今の肩書きよりも“副長”の方が言いやすいので・・」「そりゃそうかもな。で、何の用だ?」「いやぁ、特に何もないんですけど・・」「そうか。じゃぁみんなで一杯やるか。」京では鬼副長と恐れられていた歳三であったが、函館に来てからの彼女は随分と変わり、性格が丸くなった。京都時代を知っている隊士達からは、「鬼が菩薩になった」と囁かされているように、よく新選組隊士達を飲みに誘っては、笑顔を見せるようになっていた。 だが戦況は、旧幕府軍にとって厳しいものとなり、蝦夷地に新政府軍が上陸し、、宮古湾で旧幕府軍は戦艦を失い、二股口は歳三達の奮戦にもかかわらず、たやすく突破されてしまった。 1869(明治2)年5月11日。 函館に新政府軍が上陸し、五稜郭への攻撃が始まった。島田たちをはじめとする新選組が守る弁天台場が孤立していると知った歳三は、危険を承知で彼らを救出する事に決めた。「危険だ、土方君!敵陣のど真ん中に突っ込むだなんて!」「あいつらが待っているんだ、俺を。」(勝っちゃん、総司・・待ってろよ。)馬に乗った歳三は、新政府軍の放った銃弾が右脇腹に被弾した。その時から、「男」として―新選組副長・土方歳三としての人生は終わった。 神の悪戯か、歳三は生き残り、海へと渡った。「・・以上が、わたしがお話しできる全てです。」そう言った歳三の両手は、指先が白くなるほどかたく握り締められていた。にほんブログ村
2012年01月11日
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