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「これが最初で最後。もう2度と話しません。だから貴重…かもしれませんよ」そう前置きして彼は、懐かしそうに時々目を細めながら楽しそうに、そして哀しそうに、ひとつひとつ噛み締めながらとても大切な想い出と一生の後悔について語ってくれた。この1年いやここ数年でおそらく最高と言えるかもしれない思いがけぬ“幸運”が舞い込んだ。このところの私なりの努力を、神様…と言うより、空の上の父が認めてくれひと足早い、クリスマスプレゼントを授けてくれた、ってことかな?都合のいいように解釈してる。ある日たまたま本屋で手に取った文庫本で一気に、その紡ぎだす言葉と育まれる想いの虜になり、以来、作家としても人間としても敬愛してやまない重松清氏の“生の声”を聞くことに!と言っても。私が直接インタビューしたわけでもなく、単に彼の講演会に参加しただけ、なのだが…それでもこんなチャンスは、出版記念の握手会でもない限りきっとそう滅多にないはずなので、重松ファンの私にはなんとも嬉しい出来事だった。偶然にも、新聞の小さな告知を見つけてくれたダンナに、海より深く感謝。『いのちの電話』という自殺予防相談窓口のボランティア事務局、その川崎支局が催した公開講座が、それである。主催がそんな関係なので、テーマはとーーーっても重~いもので、『「生きること」と「死ぬこと」~「のこされること」と「歩き出すこと」~』という、ま、“重松ワールド全開!”な感じのディープなタイトルのもと、会は始まった。重松氏自身、“声(言葉)”だけのやりとりで人と人が繋がるという特長の『いのちの電話』に惹かれるものがあったということで、自分がなぜ本を書き始めたのか、死(主に自殺)をテーマにした物語を書き続けるのか…46年間分の体験談と想いを、“今回に限り”包み隠さず話そうと決めたそう。話の中に出てきた人物や経験の大まかな事については、重松本を最後のページの隅々まで毎回読んでる人であれば、予備知識がある分、この日初めて重松清の話を聴く人達よりも内容を更に深く理解できただろう。どっぷり重松ワールドに浸ってる私は勝手に、まるで町でバッタリ昔の同級生に会った時のような気持ちで、胸や瞼を熱くしながら聴いていた。長くなるのでココでは詳しく書けないが、彼の一所懸命言葉を選びながら大切な想い出のひとコマひとコマ愛おしそうに語る様を間近で見て、本を通して好きになった気持ちが、ますます強くなってくのを感じてた。見た目は“直木賞作家の大先生”と言うよりも、教壇に立つ高校の先生が似合う体格のいいおじさんだ。けど、思ったより若い。しかも低音の癒される声がふんわりと心地いい。そして何より、メガネのフレーム越しに見える瞳が、すっごくすっごく優しくてあったか~~い。これまでプロフィール写真を見て膨らんでた“無口でありつつも世の中を鋭い眼で射抜く”ようなバリバリのフリーライター気質なイメージは、彼が舞台袖に現われた一瞬に消えた。重いテーマの中にも少しの笑いをちりばめて穏やかな空気を醸す語り口、そして、ちょっと不器用さの滲むあったか~い瞳。彼の物語に描かれる人間がいつでも、読む者をすんなりと感情移入できる程の人間臭さを持っているのは、こんな人柄がベースにあってのこと、なんだ。「言わない後悔より、言って後悔する方が絶対いいです。言わなかったら心で燻り続けてしまう。けど、言って後悔したとしてもそれは、次への“反省”に繋がるんです! そう僕は思います」「PCでキレイに印刷されたありきたりの文章だけのお父さん宛ての百枚の年賀状よりも、下手でも手書きの言葉が添えられた数枚の子供宛ての方が、ずっと嬉しいでしょう。手書きは相手に合う言葉を選ばなくちゃいけないから、相手を想わないと書けません」「僕はみんなに“自殺してほしくない”から、本を書き続けてます。しようと悩んでる人が、僕の本を読んで『今のところはまだいいや。これ読んでからにしよう』と思い直してくれるよう…頑張って書いてます。死んでほしくないんです」1時間半の持ち時間いっぱい、彼は備えられた水も飲まず椅子にも座らずマイクの腕を組み替えながら…たまに机上のマイクスタンドのU字になってる所にうまい具合に手首を置いて休ませ?ながら(苦笑)、色んなディープで貴重な話をゆっくりじっくりしてくれた。その中でも特に声を強めていたのが、そんな↑ニュアンスの言葉だった。重松節炸裂だったのが、このフレーズ。「悲しい想い出はカルピスのようなもの。受けた衝撃は原液のように濃厚です。けれど、それが時間と共に薄まって、飲みやすくなる。ただ、どんどん薄めても完全な水にはならない。ずっと底には澱が溜まってるんです」まさに、私が父を亡くした時期に感じていたことを言い当てられたようなフレーズだった。大切な人を喪う時の細かい描写とか…リアルに蘇ってきてホントもう、参りました!!という感じ。偶然見つけた講演会だったけど、聴けてよかった。重松清という人に、出会えたことを改めて嬉しく思った一夜だった。 ※帰りにダンナと待ち合わせて食事したラゾーナのイルミ※★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「00年が終わるんだなぁ。」
2009.12.16
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坊主並みに突っ走り続けてきた結果、気づけばもう、今年も残り僅か、となっていた。ぜんぜんぜんぜん……ぜーーーーーんぜん!時間が足りない。毎日息つく暇もない程、恐ろしいくらいのスピードで私の気持ちも置き去りのまま、どんどんどんどん過ぎていく。11月に入ってすぐ。実母の目に異常が見つかり、両目手術という予期せぬ展開が。様々な想いで夜もろくに眠れずに、悩みに悩んだ挙げ句、ダンナの言葉に背中を押され、とりあえずの2週間分の荷物をまとめ手術前日に滑り込みで急遽九州へと飛んだ。親族や弟や本人から色んな話を聞きすぎて、視力を完全に失くしてしまったら…なんて最悪の状態まで考えて、私の目の前まで暗く冷たく、どこをどう進んでいるのか進めばいいのか、道を見失いそうな気分にもなった。そうでなくても母の心は、父を喪って以来、ポッキリと折れたままなのだ。とにかく今は、母の状態を知りたい。その一心で家路を急ぐ。実は私が帰る“実家”と呼ぶ家は、これまでと違う。父が居た頃の家は、もうかなりのおんぼろで手を入れ始めなければならない老朽化もはなはだしい古民家だった。足も悪く目も悪い老人にとっては、ヒジョーに住みづらい造りで父もいないとなると、独身の弟とふたり住むにしては不自然にだだっ広く日本家屋特有の隙間風が冷たく、普通の神経をしていても“寂しさ”が増してしまう。ということもあり、姉弟で考えに考えた結果、この秋に実家にできるだけ近い町の中古マンションへと転居を決めた。私にとって、父の暮らした匂いのない“実家”へ帰るのは、これが初めてのこと。遠い昔。友達の家に遊びに来たっきり、踏み込んだことのなかった隣町のその場所へと帰る。羽田での朝からの冷たい雨に、実家に近づいた時、また降られた。私の気持ちを表すように、懐かしさと切なさ…そしてこの先に待ち構えた心配と悲しみを複雑に混ぜ合わせながら。 片目ずつ1回手術と術後数日の検査診察で各1週間というスケジュールが組まれ、その用紙をもとに早朝から動く動く動く。その間に母が日頃から世話になりっぱなしの親族や知人関係にも挨拶をしたり応対をしたり…夜中は夜中で母の体調を気遣い…不規則な仕事の弟の代わりに家事炊事など色々こなし…ひとときも気の休まる暇がなかった。そんなだから折り返し地点の頃。急に電池切れして、体調を崩してしまい私まで病院にかかる破目に…色々あったが、まー、なんとか最初の予定通り、2週間で介護らしきものをすることができ、それ以外にも細々手続きしたり話し合ったり大事な問題を家族三人で直接会話しながら少しでも解決の方向へと道筋をつけられたのは、私としては、満足いくものになった。そりゃモチロン、欲を挙げればキリがないけど、自分なりにあの時期にできるすべてのことを成し遂げられたと思う。心身ともにひどく磨り減ってしまい、今もまだ私の体調は完全ではないけれど…決心して帰った甲斐はあった、と思いたい。母の目はほんの僅かではあるが、術前よりは視力を取り戻せたよう。それで心の曇りが一緒に晴れてくれればいいんだけど、こっちはまだまだかかりそうで…つらい。一昨日、やや早めではあるが、父の一周忌法要を無事済ませたらしい。「一周忌終わったら、また寂しくなった」とポツリ。はー、困った!!母の“寂しい病”には、“ひにち薬”以外つける薬がないので厄介だ。娘として、すぐにでも飛んでいってあげたい気持ちは山々だが私には私の嫁ぎ先の生活があり、抱えてる問題も山積みだ。航空券だってバカ高い。親が歳をとるにつれ、介護する度つくづく思う。ほいほい行って帰ってできる近さの親子や、同居してる親子はいいなぁ。ダンナとお義母さんが毎日顔合わせてられるのにも、嫉妬…というか羨ましいと思うことが度々ある。あんな風に親と触れられたら…今一番私が羨ましいのは、きっとそういう恵まれてる関係だ。そう簡単に里帰りできる状況にないから、ほんと歯痒い。巷は間もなく訪れるクリスマスの色に染まりつつある。もしもサンタさんがいるのなら。私にもひとつ。実家と自宅を気兼ねなく自由に行き来できる、『どこでもドア』を届けてください。★ ★ ★ ★今日のひとこと。「最近立て続けに目の前で人が転ぶ心臓いくつあっても足りない」
2009.12.14
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