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今日は、朝のうちは俳句を作ったりして過ごし、昼前から出て京都文化館で開催されている「世界遺産ヴェネツィア展ー魅惑の芸術・千年の都」という展覧会を見に行った。大変見応えのある展覧会で、ヴェネツィアの歴史から文化までいろいろなことを知ることができた。ヴェネツィアはラグーナに築かれた水上の都市。13世紀に黄金期を迎え16世紀には多彩な文化が花開いた。展示は3つに分かれていた。第1部 黄金期 ヴェネツィアの歴史、都市の様子、航海術・造船技術、海戦、統治方法などに関する資料66点を展示。第2部 華麗なる貴族 貴族の生活を伝える邸宅、家具、装飾品、化粧品、衣服、食事、ゲームなど70点を展示。特にヴェネツィアングラス、マジョリカ陶器は各10点以上あり見事だった。第3部 美の殿堂 ヴェネツィアの画家による名作21点が展示されていた。ベッリーニの「聖母子」、カルパッチョの「聖母子と洗礼者ヨハネ」、ティントレットの「天国」は特に素晴らしかった。右:ヴェネチィアの眺望、カ・レッツァー様式のシャンデリア、聖マルコのライオン、春(カッリエーラ)、船の模型・ガレー船。図は関連サイトより。左:サンマルコのライオン、総督フランチェスカ・フォスカリの肖像、総督ジョバンニ・モチェニーゴの肖像、総督モロジーニの祈祷書と銃、中:香水売り、貴族の家族、カナの婚礼、金箔クリスタル製水差し、ゲーム、女性用ドレス、男性用礼服、ナル・グランテ、右:聖母子(ベッリーニ)、天使より戴冠される聖母子(カルバッジョ)、ヴィーナスとサチュロスとキューピッド、アモールとプシュケ、柱廊のあるカプリッチョ、天国(ティントレット)。最後の「天国」は、ヴェネツィアのドゥッカーレ宮殿2階の大評議員室に描かれている世界最大の油絵(7メートル×22メートル)の下絵(縮尺10分の1)。これでも圧倒される。
2012.08.31
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今日は一日中家にいて、高橋治の「風の盆恋歌」(原題:崖の家の二人1984)を読んだ。先日読んだ西澤裕子の「風の盆」とは別の悲恋物語だった。石川さゆりの「風の盆恋歌」の歌の原作となった小説で、歌詞の意味がよくわかるようになった。歌を聴くと、小説の場面が思い浮かぶ。長い小説だが、いい歌詞を書いたものだと感心する。 風の盆恋歌 なかにし礼作詞 1.蚊帳の中から花を見る 咲いてはかない酔芙蓉 若い日の美しい 私を抱いてほしかった しのび逢う恋風の盆 2.私あなたの腕の中 跳ねてはじけて鮎になる この命ほしいなら いつでも死んでみせますわ 夜に泣いてる三味の音 3.生きて添えない二人なら 旅に出ましょう幻の 遅すぎた恋だから 命をかけてくつがえす おわら恋歌道連れに互いに好き同志だった都築とえり子は互いに別の伴侶と結婚した。20数年ぶりに偶然出会った二人は、学生時代の思い出の場所・風の盆での再会を約束する。1年目、2年目は楽しく過ぎ、3年目は誰かに見られているのではないかと考えるようになり、4年目の風の盆で終結する。八尾のおわら風の盆の風景や行事を詳しく描写しているので、風の盆を見に行くための予習としても役に立つ。著者は千葉県生れながら四高で学んだ。1984年直木賞受賞。今日は写真を撮らなかったので、昨日見た相国寺の天井画・狩野光信筆の「蟠龍図」を示す。龍に九似あり= 龍の姿は、「角は鹿、頭は駱駝に、目は兎、首は蛇、腹は蜃(みずち)、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛」に似ると言われている。
2012.08.30
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今日は、昼前までで西沢裕子の「風の盆」を読み切り、その後、京都に行き、ジパング倶楽部の企画で「相国寺の特別解説拝観と承天閣美術館の名作鑑賞」というイベントに参加した。相国寺は何度か行ったことがあるが、承天閣美術館は初めてで特に今回は館蔵の伊藤若冲の絵が見られるというので申し込んだもの。先ずは、矢野教学部長から、相国寺、臨済宗、各伽藍、承天閣美術館などについて30分の解説があり、そのあと、開山堂、法堂、浴室を順次見学し、そのあと、承天閣美術館で若冲の絵を鑑賞した。相国寺(しょうこくじ)は、後小松天皇の勅命により夢想国師を開山として足利義満が1392年に建てた臨済宗の寺で、正式には、萬年山相国承天禅寺という。京都五山の第2番で、末寺は100を数え、金閣寺、銀閣寺もその一つである。開山堂には、夢想国師の木像(円明搭)を中心に右に天皇家・宮家の像、左に歴代禅師の像が置かれていた。円山応挙の「芭蕉小狗子図」も板戸もあった。前の庭は、「龍淵水の庭」と呼ばれているそうだ。法堂は、仏殿を兼ねていて「無畏堂」とも言う。本尊は釈迦如来、脇仏は迦葉尊者と阿難尊者(いずれも運慶作)。天井画は狩野光信筆の「蟠龍図」。八方睨みと鳴き龍で有名。龍の直下での拍手を一人ずつ体験させてもらった。浴室は、正式には宣明と言い、開浴ともいうそうだ。その浴室と焚口、排水溝などが再現されていた。サウナのようなものであとでお湯をかぶるという入浴法でお湯に浸かるというものではなかった。石鹸は遣わなかったようだ。図はパンフレットより。右:法堂内部、夢想国師木像、開山堂、浴室、龍淵水の庭。続いて15時から、承天閣(じょうてんかく)美術館の今日の目玉、若冲の絵の鑑賞となった。館事務局長の案内で、一つ一つの作品の説明を受けながら鑑賞した。まず驚いたのは、当美術館の立派なこと。普通、お寺の寺宝館というと、狭いスペースに雑然と寺宝が置かれていることが多いが、当美術館は百貨店の美術館よりは格段に広くゆったりしていて、周囲に庭もあり気持ち良い美術館であるに驚いた。こんな美術館なら何度でも来てみたいと思う。若冲の作品は、大作、小品を含め、大量25点の展示されていた。特に金閣寺大書院の障壁画7点は、襖面では35面にのぼり、水墨画ではあるが力強い作品であった。書き直しの利かない水墨で一気に描いているからこその勢いなのであろう。他の作品では、釈迦如来像、文殊菩薩像、普賢菩薩像が圧巻であった。特に今回は、それぞれコロタイプの複製画と並べて展示したあったので、ますますその力が倍増されたようだった。コロタイプ画は並べて見てもどこがどのように違うかわからないほど精緻に作られている。若冲(1716-1800)は、京都錦小路の青物問屋に生れるが、縁あって相国寺大典禅師と知り合い、禅、文芸、画業に専念、独特の画風を確立した。多くの絵を寺に残したが、明治の廃仏稀釈により、動植彩絵33幅のうち30幅を明治政府に献上させられた。現在は、宮内庁三の丸美術館の所蔵となっている。説明は30分ほどで終り、その後は、各自作品を自由に鑑賞した。若冲の作品のほかにも、野々村仁清の焼物作品ほか多数の茶道具などが展示されていた。長谷川等伯の「萩芒図屏風」、足利義満木彫、夢想国師頂相などは見ごたえがあった。図は、左はパンフレットより:普賢菩薩像(部分)、釈迦如来像(部分)、文殊菩薩像(部分)、右はウェブサイトより。普賢菩薩像、釈迦如来像、文殊菩薩像、竹図襖絵、葡萄小禽図襖絵、竹虎図、月夜芭蕉図、牡丹百合図。この展覧会は、9月9日まで。65歳以上は600円で入場できる。おすすめの展覧会である。京都五山=五山の上別格:南禅寺、1.天龍寺、2.相国寺、3.建仁寺、4.東福寺、5.法寿寺禅宗の三派曹洞宗、臨済宗、黄檗宗曹洞宗15000寺、(浄土真宗13000寺)、臨済宗5500寺、黄檗宗460寺。〇〇面(つら)相国寺=声明づら、建仁寺=学問づら、大徳寺=茶人づら、天龍寺=武者づれ、妙心寺=算盤づら、南禅寺=武家づら、東福寺=伽藍づら、
2012.08.29
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今日は、午前中は、昨日の句会のまとめを行い、午後は、図書館へ行き、風の盆の本を借りて来た。帰宅後、その一冊西澤裕子の「風の盆」を読み始めた。今日借りて来た本は、下記の通り。 風の盆 西沢裕子 1981 NHK 風の盆恋歌 高橋 治 1985 新潮社 風の盆 北原正行 2005 文芸社 風の盆幻想 内田康夫 2007 幻冬社今日の写真は、大川と秋の空(秋の雲)
2012.08.28
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今日は、午前中は、資料をプリントしたり、出句する5句の選定と最後の推敲を行った。句会の結果は上々で、先生から3句が選ばれうち2句が特選だった。句会のあとは、高大に戦略室ボランティア会議に参加した。先生から選ばれたのは次の句。 ◎硯洗ふ我が悪筆を嘆きつつ(先生特選ほか2票) ◎梨を剥く両手は果汁まみれなる(先生特選) 〇ゆつたりと空の旅する秋の雲(先生ほか3票)仲間から選ばれたのは次の句。 ・静寂と闇に堪え兼ね蚯蚓鳴く(2票) ・八月を生く老骨に鞭打つて(1票)今日、先生の特選に選ばれたのは、上記のほか次の句。 ◎浮んでは形変へゆく秋の雲 愛子(先生特選ほか3票)今日最高得票を得たのは先生の句だがそれ以外では次の句。 〇秋の雲動くと見えず動きをり 豊子(先生ほか4票)先生の句で今日一番人気だったのは次の句。 ◎蚯蚓鳴く吾も泣きたきことあつて 塩川雄三先生(7票)句会のあと大幅に遅れて駆けつけた高大の会議は終りに近く、ほとんど議事は理解できなかったが、2番目の議題として、「大阪市各区に市民講座を開設する提案について議論されていた。写真は、梯梧の木を背景に、句会の模様と高大会議のあとのワンコインパーティの模様。
2012.08.27
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今日は、午前中はテレビで日曜美術館を見たり、高岡すみ子の句集を読んだりして過ごし、午後は大阪市立美術館で開催されている「橋本コレクション中国書画」展を見に行った。橋本コレクションは、高槻の実業家橋本末吉(1902-1991)が戦後の動乱期に収集した明・清時代の中国書画で、その数は800点にものぼる世界有数のコレクションである。今回の展示はこの中から200点を選んで展示するものである。但し、大部分は展示替えがあるので、今日は見たのはそのうちの107点であった。書画というので、書も多いのだろうと思っていたが、殆どが絵画で書は数点に過ぎなかった。絵は水墨画が多かったが、色彩鮮やかなものも数点見られた。中でも、斉白石の菊群鶏図は圧巻だった。展示は時代別に、下記4室に分けられていた。1.明、2.清、3.来舶画人(来日した中国絵師)、4.近現代図はパンフレットより。左:雪梅群兎図(清・沈詮)、渓山絶塵図(明・呉彬)、草書五言律詩(清・許友)、右:水殿清風図(民国・張大千)、侯禄図(清・何元鼎)、草書五言律詩(清・傳眉)、探花図(明・石鋭)、花鳥図(清・任頤)。特別展を見たあと、常設展示の「中国彫刻(山口コレクション)を見た。北魏、西魏、東魏、北斉、北周、随、唐時代の仏像彫刻50数点の展示だった。館を出た後、河底池でアオサギ、ダイサギ、カワウなどを見、その後、恵沢園の池を見て帰った。写真は、美術館正面、河底池、同、同、アオサギ、カワウ、恵沢園の池、同、建設中の阿倍野近鉄ビル。
2012.08.26
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今日は、午前中は俳句を作ったり、雑用をして過ごし、午後は、今昔館へ町家寄席を聞きに行った。帰宅後は、パズル会誌の編集の準備を始めた。町家寄席の今日の出演者と出し物は、笑福亭右喬の「壺算」と、桂出丸の「餅屋問答」。右喬は笑福亭松鶴の仁鶴、鶴光、福笑に次ぐ4番弟子松喬の5番弟子。桂出丸は桂米朝の2番弟子ざこばの2番弟子。「壺算」は壺の代金をごまかす話で何度も聞いたことがあったが、「餅屋問答」は初めて聞く話だった。経典の問答をする羽目になった餅屋と旅の僧。互いに無言のまま身振りで意志を伝えたが、互いにその意味を誤解して僧を退散させたというもの。右喬はとちってしまったが、出丸はますます円熟味を増して来た。写真は、左:ポスター、右上:右喬、右下:出丸。
2012.08.25
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今日は、京都へ二つの展覧会を見に行った。京都国立博物館で開催されている「大出雲展」とJR京都伊勢丹で開催されている「足立美術館 横山大観展」である。「大出雲展」は、見るまでは何を見せるのかよく分からなかったが、出雲大社、古事記などの伝承、出雲神信仰、出雲大社周辺の出土品、出雲大社周辺の寺社の寺宝、出雲大社の神宝などを展示したものだった。展示は次の6つに分かれていた。 第1章 神話とは何かー古事記と神話の成り立ち 古事記、日本書紀、袈裟襷文銅鐸など34件を展示 第2章 神話世界と出雲 埴輪、勾玉、弥生土器、須恵器(子持壺)、播磨国風土記など41件を展示 第3章 出雲大社の創始 鳥文縁方格規矩鏡、鉄剣・蕨手刀子、木簡、墨書土器など35件を展示 第4章 出雲の青銅器祭祀 袈裟襷文銅鐸、流水文銅鐸、銅剣、銅矛など5件を展示 第5章 出雲の神と仏 仏説弥勒上生経、観音菩薩立像、薬師如来坐像、梵鐘など60件を展示 第6章 出雲の神宝 赤糸威肩白鎧 兜・大袖付、秋野鹿蒔絵手箱、舞楽図屏風など27件を展示 計202件であるが、以上の件数は、複数の展示点数を含むものが多いので実際の展示点数は500点を超えるものと思われる。図はパンフレットより。左:左上から時計まわりに銅剣(弥生時代)、摩多羅神坐像(鎌倉)、勾玉(弥生)、鹿形埴輪(古墳)、銅鐸(弥生)、右:勾玉と銅矛(弥生)、古代出雲大社推定復元模型、古事記(南北朝)、素戔嗚尊八岐大蛇退治画稿、宇豆柱(鎌倉)図はサイトより。銅剣・銅矛・銅鐸(弥生)、人物埴輪群(古墳)、観音菩薩立像(飛鳥)、秋野鹿蒔絵手箱(鎌倉)、舞楽図(江戸)「横山大観展」は足立美術館が所蔵する大観の作品120点の中から名作41点を選んで展示したものである。初期の代表作「無我」をはじめ、有名な海山十題のうちの2枚、夏の不二、春風・秋雨、朝嶺・暮嶽など繊細でかつ力溢れる絵が多かった。図はパンフレットより。左:無我(1897)、右:那智の滝(1915)、霊峰四趣・夏(1940)、海潮四趣・秋(1940)、山川悠遠(1957)、龍興而致雲 (1937)、蓬莱山(1948)、麗日(1939)、浪(1915)、愛宕路(1921)全然違う展覧会だったが、偶然どちらも(出雲も足立美術館も)、島根県だった。
2012.08.24
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今日は、午前中は鶴島緋沙子のエッセイを読んだり、俳句を作ったりして過ごし、午後は、大阪歴史博物館へ特別企画展「大阪を襲った地震と津波」を見に行った。同時に、特別展示「新発見なにわの考古学2012」を開催していた。初めに、「なにわの考古学」を見た。2011年度に新たに大阪の遺跡から発掘された物を時代別に分けて展示したものだ。展示は次の4つに分類されていた。1.大阪のあけぼのから難波宮の出現まで 大阪のあけぼの(3万年前~)、縄文から弥生へー灌漑農耕と低地の開発(4千年前~)、 難波宮前史と宮都の出現 6-7C2.古代国家から中世社会へ 後期難波宮の新発見(8C)、上町台地の都市景観(7C) 平野部の平安時代(8-12C)、沿岸部の中世社会(12-16C)3.太閤秀吉の城と城下町(16C-1615)4.幕藩体制と大坂 都市の構造(17C-1871)、なにわの味覚5.江戸時代の大坂の土製玩具 泥面子、箱庭道具、ままごと道具、土人形、犬や動物など。図は、パンフレットより。左:江戸時代の大坂城の巨大集水枡、右:上左より下へ、長原遺跡の水田跡、後期難波宮の建物基壇、上本町遺跡の溝、長原遺跡の平安時代の掘立柱建物、上中より下へ、難波宮遺跡のガラス玉鋳型と棒状土製品、大坂城址の金箔押瓦と江戸時代の瓦、大坂城下町跡の織部沓茶碗、中之島蔵屋敷跡の角箸、佐賀藩蔵屋敷跡の建物礎石と石組み溝、佐賀藩蔵屋敷跡の土師器皿、広島藩蔵屋敷跡の土製品、同動物の土製品。「地震と津波」は、大阪を襲った大きな地震(9世紀以来20個)の地形上の爪痕および古文書の記録を探り出し、復興への取り組みを考える展示会である。3つに分けて展示されていた。 1.大地に刻まれた地震の痕跡 縄文時代、弥生時代、古墳時代、平安時代の地震痕跡や津波堆積物資料などが展示されていた。2.子文書に記された地震・津波 地震の記録があるいろいろな古文書、日誌・日記、石碑、書状、ビラ、調査表、図面など60点が展示されていた。3.防災・復興への取り組み 防災活動記録、津浪ステーション、石碑保存運動、東日本大震災関係資料など30点が展示されていた。これまで、東日本大震災級の地震・津浪が古文書に記載されているにも関わらず、その信頼性から真剣に取り上げて来なかったことが、今回大きな被害につながったと結論付けている。図は、パンフレットより。左:長原遺跡の折れ地震剥ぎ取り、嘉永七年大坂地震つなみ図、大地震両川口津浪記石碑、右:縄文時代の地震痕跡、友が島深、蛇池津波堆積物資料、日本三代実録、太平記、大地震両川口津浪記石碑、昭和十九年東南海大地震調査概報、阪神大震災被災資料を救出、地蔵盆時の大地震両川口津浪記石碑。
2012.08.23
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今日は、午前中は図書館へ行き、午後は造幣博物館へ行った。図書館では、稲畑汀子句集「花」と「桂米朝句集」、「奥の細道」のビデオ、「吉田茂とその時代」のビデオを借りて来た。ビデオは今日のうちに見たが、句集はまだぱらぱらと見ただけ。造幣博物館へは何度も行ったことがあるが、今日から特別企画「世界のおもしろ貨幣展」が開催されているので見に行った。通常展示も新しいコインが加わって見応えがありじっくりと見た。。特別企画は一番最後の部屋に展示されていた。興味を持ったのは、コイン製造の金型の作り方。直径10倍の大きなの原板を手彫で作り、これを縮小機にかけて本物の大きさの型を削り出すのだそうだ。次は、最近各国で盛んに作られているカラーコイン。銀貨にカラー化した金属を嵌め込んだものだが、大変きれいで人気がある。「おもしろ貨幣展」では、図案のおもしろいもの(鳥、花、水中動物、陸上動物)、形のおもしろいものが、それぞれ約100点展示されていた。写真は、入場記念パネル、貨幣の原板、縮小機、日本初のカラーコイン、おもしろ貨幣展のポスター、ハート型コイン(クック諸島2008年5ドル銀貨)、パズル型コイン(鳩とハート1ドル銀貨2012年ニウエ)、パズル型コイン(キリストと12使徒100ドル銀貨2007年リベリア)、トランプ入りコイン(1ドル白銅貨2009年パラオ)。
2012.08.22
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今日は、K病院へ行き、眼科の診察を受けた。眼鏡の処方箋を作ってもらうことと定期健診のためである。診察の結果、特に異常はなかった。待ち時間は、俳句を作ったり、句集を読んだりして過ごした。帰宅後は、テレビのハードディスクに溜まった録画をBD(ブルーレイディスク)に移す(ダビング)作業をした。25GBのBDに、13時間分の録画を入れることができた。所要時間は16分だった。ただ、作成したBDは、元のBDプレヤーで再生するには便利だが、他のパソコンで再生するには不便である。コンテンツが表示されないからである。今日は、写真を撮らなかったので、先日(18日)行った民族学博物館で撮った写真の一部を示す。左上:王の仮面(カメルーン)王宮の儀礼で用いられる、右上:仮面5種 仮面ランダ(インドネシア)、仮面羊飼いの悪魔(メキシコ)、仮面ディアプロ(ボリビア)、獅子頭(日本)、越年祭の仮面マスカ(ルーマニア)。左下:棺桶エビ(ガーナ)、柱状棺(オーストラリア)、右下:椅子(コートジボワール)、椅子ラダーバックチェア(英国)
2012.08.21
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今日は、一日中家にいて、午前中は俳句誌「築港」への原稿を書き、その後は、戸恒東人著の「誓子 わがこころの帆」を読んだ。戸恒東人の著は、最近続けて3冊を読んだ。初めに、東人の最新句集「白星」、次に俳句指導書「間違いやすい俳句表現」、3番目に誓子研究書「誓子 わがこころの帆」である。東人は昭和20年茨城県生れ、平成2年に有馬朗人の「天衣」に入会。土生重次の「扉」にも所属。平成3年、個人俳句誌「東風句報」(のち「春月」と改題)を創刊し、平成11年、俳句結社「春月」の主宰となり現在に至る。「白星」は、「福耳」、「春月」、「寒禽」、「桜鯛」、「新版春月」、「過客」に続く氏の第七句集であり、平成19年から22年まで4年間の作品362句を収めている。東人の俳句は、一読してすぐ情景が浮かぶ明快な句が多く、平凡な中にも何か共感を呼ぶような句が多かった。特に気に入った句を次に示す。 ・もう直視できぬ高さに初日の出 ・一山の空押し上げて梅真白 ・巌壁にすがる根ぢから蔦紅葉 ・菰を巻くこの赤松のねぢれやう ・天敵は美食におぼれ嫁が君 ・子役にも屋号が飛んで初芝居 ・追ひ越すと見えしが並び秋日傘 ・わたくしも薔薇科なりけり吾亦紅 ・わが家には過ぎたる朝日屠蘇祝ふ ・みづうみも山もふくらみ余呉の春 ・新蕎麦を打つや襷を改めて ・根を刈られ枯蔓宙へ撥ね上がる ・頭脳よく酷使に耐へて卵酒 ・すべからく親告罪よ猫の恋 ・茄子苗にはや出藍の棘のあり ・掌ではかる今朝の伸びしろ長茄子 「間違いやすい俳句表現」は、俳人がよく間違える文法などをわかりやすく解説したもの。各章の終りに問題があって、それを考えながら読むので、意外に時間がかかった。しかし、俳句のルールのようなものも学ぶことができ、いい本だと思った。「誓子 わがこころの帆」は、誓子の戦前の句の制作背景とその鑑賞を主に、誓子の業績を研究したものである。あまり佳作はないと言われている晩年の句の中からも秀句を抽出している。いろいろな雑誌に発表したものを流用して繋いでいるので、重複が多いのが気になった。しかし、大変熱心に研究したものだと思う。図は、各書の表紙と帯。
2012.08.20
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今日は、テレビで「日曜美術館」がなかったので、急遽奈良へ行くことにし、9時過ぎに家を出て、奈良国立博物館で開催している「頼朝と重源」展を見に行った。博物館には10時40分に着いた。2時間かけてゆっくりと見て回った。日曜であるのにそんなに多くの入場者はなく、ゆったりと見ることが出来た。展示物の数は112点(実際には展示替えがあるので90点)で、全ての作品に説明がう付いているので、それを読みながら見ていった。752年に大仏の開眼供養が行われた東大寺は、1180年平家の南都焼き討ちにより、大仏殿はじめ伽藍の大半を失った。大仏の復元をはじめ東大寺の復興を推進したのが重源で、その支援者が後白河法皇、そして法皇死後は源頼朝だった。この展覧会では、東大寺の復興がどのようにして成し遂げられたかを様々な資料を示して解説しようとするものである。展示の後半は、頼朝の宗教観に関する文物の展示となっていた。展示は次のように分類されていた。第1章 大仏再興ー仏法・王法の再生 東大寺大仏縁起など20点。第2章 大勧進重源 重源上人坐像など18点。第3章 大仏殿再建ー大檀越源頼朝の登場 源頼朝像、頼朝書状など21点。第4章 栄西そして行勇へー大勧進の継承 栄西禅師坐像、誓願寺建立縁起など17点第5章 頼朝の信仰世界ー鎌倉三大寺社の創建と二所詣 鶴岡八幡宮扁額、栄福寺出土品など15点。第6章 八幡神への崇敬 僧形八幡神坐像、籬菊螺鈿蒔絵硯箱など21点。重源の死後は栄西が、栄西の死後は行勇が再興を引き継ぎ、半世紀余でほぼ消失前の状態に戻ったそうだ。多数の仏像の制作には鎌倉仏師、運慶、快慶の活躍があったほか、大仏再興には奥州藤原氏をはじめ各地の豪族・寺社の協力もあった。なお、第5章、第6章は、頼朝の信仰世界に関する展示であったが、三大寺社とは、鶴岡八幡宮、勝長寿院、永福寺、二所詣とは、伊豆山神社、箱根神社をいう。図はパンフレットより。源頼朝像(部分)、重源像(部分)、右:源頼朝像、重源上人坐像、阿弥陀如来立像、像形八幡神坐像、後白河法皇坐像、金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅、四天王立像、籬菊螺鈿蒔絵硯箱、源頼朝書状、沃懸地杏葉螺鈿太刀、東大寺大仏縁起、舞楽面陵王。
2012.08.19
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今日は、午前中は、俳句の本を読んで過ごし、午後は、緑懇会の企画で万博公園の植生を見るイベントに参加した。日本庭園で雷雨に遭ったが、建物内に避難して壮大な気象現象を見学した。集合場所の緑地公園駅に、13時30分に集合。13時50分南ゲートから自然文化園に入場後、城内に植えられた植生の歴史などを聞きながら、日本庭園に着いたのは14時15分。万博公園の日本庭園は、古代の庭から現代の庭までが、西から東に沿って作られているそうだ。先ずは、古代の庭を見るために迎賓館に隣接する西端まで歩いた。泉と称する池のある庭は、浅い池と立てた石と植栽で構成される。説明を聞きながら庭を見ていると、次第に雲が出て暗くなり始めた。遠くで雷鳴も聞こえる。すわ一大事とばかり、インストラクターの指示で元の中央休憩所に戻ったのは14時50分だった。しばらくすると、風が出て大粒の雨が降り始め、鋭い稲光、雷鳴が轟き始めた。しばらくの間、休憩所のベンチに座りながら、花火見物ならぬ稲光見物を楽しむこととなった。稲光ショウは1時間ほど続き、15時半ごろには小止みになったが、まだ遠くで稲光や雷鳴は続いている。結局、今日の緑懇会は16時15分の段階で終了となり、解説付きの日本庭園の見学は中止となった。解散時の主催者の弁。「今日は、植生の観察はあまりできなかったが、雷(神鳴り)という壮大な自然現象を絶好の場所で観察することができ、大変いい経験となった。人間は自然には逆らえないことをよく認識して欲しい。万博のテーマは、人類の進歩と調和だった。科学技術にしても自然との調和こそが重要だ。原子力問題についても・・・」緑懇会が終ったあと、「国立民族学博物館」を見学した。8月26日まで無料入場期間中なのである。何度か見たことはあるが、いつ見ても新しい発見がある。写真は、太陽の塔、ヒマラヤスギの青実、コブシの赤実、古代の庭、雷雨、休憩所から心字池の眺め。帰宅後に知ったが、今日の雷で各地で被害が出ており、長居公園では木の下で雨宿りしていた人に落ちたそうだ。我々は、今日は近くに大きな建物があって本当にラッキーだった。建物がなければ木の下に逃げ込むしかなかっただろう。
2012.08.18
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今日は、一日中在宅で、俳句の本を読んで過ごした。戸恒東人の「間違いやすい俳句表現」と同著者の「山口誓子ーわがこころの帆」である。後者はまだ途中まで。前者は、章ごとに問題があり、これを解きながら読むのでかなり時間がかかった。後者は、山口誓子の終戦前後の俳句を中心に研究したもので、著者による新しい研究成果がまとめられている。今日は、写真を撮らなかったので、13日に奈良へ行ったとき見かけた奈良のマスコットキャラクター「せんとくん」の官服姿」を揚げる。これまでは、上半身はだかの姿だったが、今年1月から官服姿に変更になったのだそうだ。
2012.08.17
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今日は、有馬の旅館で朝食を摂ったあと、兄弟4人で六甲山へドライブに行った。六甲山頂へ行ったが、ガスで視界が悪いためあきらめて、有馬に戻り、切手文化博物館に行った。昼食のあと、兄弟それぞれ帰路に着き、私は、六甲・芦屋ルートで尼崎まで送ってもらった。3時ごろに帰宅したが、気悪後は、二日酔いで眠ってしまった。切手文化博物館は、有馬在住の切手収集家金井宏之氏が2005年に開設した博物館。館内には、過去日本で発行された普通郵便切手、特殊郵便切手のほぼすべてが、系統別に分類して展示されているほか、郵便関係の資料も多数展示されている。(なお、館長金井氏は、今年1月26日に逝去、行年87歳だった。金井氏の最大の業績は、日本の手彫切手の研究だそうだ)館内は、1.前島密肖像画、2、昔の郵便ホスト3種、世界最初切手・日本最初の切手、4.年表「日本郵便の歴史」(、5.切手絵(牡丹)、6.日本切手の歴史(過去130年間に発行された全切手)、7.特別展示「切手の水族館」のように分類して展示されていた。写真は、上左:門の前の石碑、上右:切手文化博物館の外観。(内部は撮影禁止)下左の赤いマークは明治20年までの逓信省のマーク。明治20年によく知られた「〒」マークに変った。下右は、切手文化博物館の別名「方寸の館」。方寸とは切手の意。
2012.08.16
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今日は、滋賀県の東近江のお寺で盆施餓鬼がある日。兄弟夫婦が各地から集まった。盆施餓鬼、墓参りを済ませたあと、揃って有馬へ行き、宿泊しあ。他の兄弟たちはそれぞれ夜間車を走らせて早朝に到着したが、我々夫婦は家を6時半に出、大阪駅を6時55分に乗り、お寺には9時10分ごろ着いた。前日の集中豪雨の影響で新快速は運転を取りやめていたため、当直時間が30分遅れてしまった。盆施餓鬼は我々の当直を待って始まった。盆施餓鬼のあと、墓参に行った。親戚のお墓にも選考を備えた。その後、軽い昼食を摂ったあと、有馬に向った。帰省ラッシュのためか、栗東から山科付近まで13キロの渋滞でこの間を通過するのに1時間半ほどかかったが、そのあとは順調に流、吹田から中国縦貫に入り、西宮北で出て10分ほどで有馬温泉の旅館「欽山」に着いた。ちょうど14時だった。部屋で寛いだあと、温泉出入り疲れを癒した。入浴後、夕食までの間、有馬の町を散策した。夕食は18時から始まり、終ったのは19時30分だった。その後は、部屋に帰って男性同志、女性同志で話が弾んだ。写真は、太閤の像、温泉煎餅の美津屋、有馬人形筆の店、有馬籠の店。
2012.08.15
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今日は、一日中家にいて、午前中は、昨日の句会のまとめを行い、午後は、俳句の本「まちがいやすい俳句表現」を読んだ。今日は写真を撮らなかったので、先日淀川河川敷で見つけた「ワルナスビ」の花。白い花はきれいだと思うが、外来種で繁殖力が強く、嫌われものだそうだ。その名の通り、茄子の仲間で、花のあと、黄色いピンポン玉くらいの実がなる。茄子と同じく茎には鋭い棘があり、触ると怪我をする。
2012.08.14
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今日は句会の日、午前中は、テレビでオリンピックの閉会式などを見たあと、出句する5句の選定と最後の推敲を行った。すっきりしない1句があったが、そのまま投句した。句会の結果はまあまあで、2句が先生に選ばれ、2句は仲間から選ばれた。しかし、すっきりしない1句はだれからも選ばれなかった。句会のあと、有志で奈良の燈花会を見に行った。今日、先生に選ばれたのは次の句。 〇蜻蛉にプロベラはなく尾翼なく (先生ほか1票) 〇施餓鬼寺ひねもす読経鉦木魚 (先生ほか1票)仲間から選ばれたのは次の句。 ・是非もなく残暑の日日を過ごしをり (2票) ・あの世からこの世見てゐる盆の月 (1票)今日、先生の特選に選ばれたのは次の句。 ◎夜の蝉思ひつめたる声で鳴く 豊子 (先生特選ほか1票) ◎仏壇の桃の食べごろ逸しけり 昇一 (先生特選)今日、最高得票を得たのは次の句。 〇四欲枯れ一欲残る生身魂 隆司 (先生ほか4票) 〇桃洗ふ桃のかたちの手の中で 洋子 (先生ほか4票)先生の句で今日一番人気だったのは次の句。 ◎蜻蛉飛ぶ交通整理などなくて 塩川雄三先生 (4票)句会が終ってから、先生と有志4名で、奈良の燈花会を見に行った。奈良についてから夕食をし、興福寺境内、奈良公園、浅茅が原を経て、浮見堂の鷺池の畔で点火を待った。19時に灯が入り、池のまわりが幻想的な雰囲気に包まれた。しばらくその景を楽しみ俳句を考えたあと、帰路に着いた。帰りに猿沢の池、五十二怪談の灯花を見て、ひがしむき商店街に入り、近鉄奈良駅に向かった。駅に着くころ雨が降り始め、電車の中から外の豪雨を眺めた。タイミングよく雨に遭わずに済んだ。大阪に着いたときには雨は上がっていたが、帰宅後にまた強い雨が降り始めた。写真は、句会場の近くの梯梧の木(2回目の花が終りかけ)、句会の模様、浮見堂18時半、同18時50分、同19時10分、浮見堂アップ19時20分、猿沢の池斜面、同池側、同五十二階段。
2012.08.13
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今日は、日中はずっと家にいて、テレビを見たり、俳句資料を作ったり、句集感想文を書いたり、その他の雑事で過ごし、夕方から、豊里へツバメのねぐら入りを見に行った。ツバメのねぐら入りは、昨年初めて高槻の鵜殿へ見に行って以来2回目。南森町から地下鉄谷町線に乗り太子橋今市で乗換え、だいどう豊里駅下車。ここに集合して、8分ほど歩くと淀川右岸に出て、そこから8分ほど下流に向けて歩いたところが豊里の観測地だ。先ずは、インストラクターの方から、ツバメについての知識を聞いた。ツバメの渡りのルート、巣作り、卵の数、孵化日数、巣立ち日数、成鳥の重さ、ねぐら入りの多い場所など、(答えは、2ルート、古巣利用、5個、10日、2週間、20グラム、観月橋で5万羽など)なお、ここ豊里は、10数年前の2000年から2008年くらいまでは1万5千羽くらいが集まっていたが、その後だんだん減り、今は、数百羽くらいしか来ないということでがっかり。それも、上空から来るのではなく、川面に沿って来るのである。19時近くになって川面を黒いものが飛び交うのが見られるようになった。葦の茎に止まるそうだが、それは双眼鏡では確認できなかった。望遠鏡では微かに見えたが、次第に暗くなり始め、やがて何も見えなくなった。今日の「ツバメのねぐら入り見学」は期待外れだったが、こういうねぐら入りもあるということを知った。なお、ツバメが減った原因は良好な葦が少なく、雑木が増えたことで、葦を増やすことがツバメを増やすことにつながることを知った。写真は、ツバメの紙芝居、観測中の参加者、ねぐら付近・ねぐら入り前、同・ねぐら入り後。
2012.08.12
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今日は朝から、関西俳誌連盟夏期吟行大会に参加した。この大会は今回が53回目だそうだが、今回は「築港」が初めてお世話する当番に当った。そのため、受付の始まる1時間前の9時に、会場となる天神橋筋6丁目の「住いの情報センター」に行った。先ずは会場の設営から始まり、受付が始まると、俳句をコピーする作業を担当した。この句会では選は19名の先生方がし、清記はせず、応募句をそのまま並べてコピーするのだ。特別講演の資料や、選句済の資料もコピーした。吟行句は11時30分に締め切られ、参加者は166名だった。大会は12時30分に始まり、俳誌連盟会長の挨拶、担当結社主宰の大会宣言、選者の紹介のあと、特別講演として築港主宰の塩川雄三先生祐三先生より「橋本多佳子と俳句人生」という話があった。多佳子の俳句人生を演者との関わりを軸に概説したあと、多佳子の代表句60句を解説された。20分ほどの休憩のあと、吟行大会の表彰式に移った。先ず、選者一人ずつ3句の特選句の講評と賞品授与が19人の先生から順次行われた。私の句はどの選者からも選ばれなかったが、一緒に来ていたOさんは2句も選ばれていた。築港からは、その他、Fさん、Eさん、Mさんが選ばれていた。続いての表彰は、連盟賞1、毎日新聞社賞1、俳句文芸賞1、担当結社賞1、優秀賞20句の発表であった。私の句はここにも選ばれなかった。各賞に選ばれたのは、次の句。連盟賞 ◎繁昌亭小咄ほどの夏柳 伊藤千家(無所属)毎日新聞社賞 ◎貼紙で貼紙禁止街残暑 寺西けんじ(杭)俳句文芸賞 ◎環状線西日まみれに軋みけり 藤田千恵子(宿り木)担当結社賞 ◎奈良西瓜天満市場にでんと座す 福田千代子(築港)写真は、会場の設営、開会の司会、開会宣言、特別講演の銘板、講演中の塩川雄三先生、選者特選の講評、特別賞の表彰、4賞に選ばれた4人(左から伊藤、寺西、藤田、福田の各氏)、懇親会。表彰式をもって、吟行大会は無事終了した。16時10分だった。会場を元通りに戻し、懇親会の行われる梅田のニューミュンヘン北大使館へ移動した。懇親会では他の結社の方々とも話をしながら楽しい時を過ごした。築港の仲間4人はその後、喫茶店で話を続けた。俳句三昧の一日であった。
2012.08.11
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今日は、午前中は、テレビを見たり、句会資料に挿絵を入れる作業や資料の整理をしたりして過ごし、午後は、東洋陶磁美術館へ「白磁を飾る青 朝鮮時代の青花」という展覧会を見に行った。白磁にコバルトで絵を画いて焼いたものを青花という。中国で14世紀ごろ景徳鎮で開発され、15世紀に朝鮮王朝に渡ったそうだ。日本には16世紀に伝わり「染付」と呼ばれる。展示会では、朝鮮王朝の文人に愛された青花40点が特別展示されていた。すべて当館蔵で、元々は安宅コレクションのものである。展示は次の4つに分類されていた。なお「青花」の「花」は文様という意味だそうだ。1.青い花の咲く器の誕生 14-15世紀 青花は中国から伝わり、朝鮮王朝の好むところとなった。官窯「分院」で焼かれる。2.倹約の美徳と清楚な器 16-17世紀 貴重なコバルトを使うので、贅沢品とされ、独自の様式を生み出す。3.文人の趣味の投影 17-18世紀 一幅の絵画のような精緻な絵付け。4.庶民富裕層の出現 18-19世紀 精緻な画法は、青磁以外の水滴、筆筒、函などの装飾にも使われた。 図は、パンフレットより。左:青花宝相華唐草文壺(15C)、右:青花梅竹文壺(15C)、螺鈿葡萄栗鼠文函(18-19C)、青花梅竹文壺(16C)、青花鉄砂山水文八角形水滴(18C)、青花菊花芭蕉文壺(18C)また別に、中国の青磁 元朝時代の景徳鎮磁器と題して、景徳鎮産の青花14点が展示されていた。
2012.08.10
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今日は、朝少しテレビでオリンピックの女子レスリングを見たあと、神戸へ行き、兵庫県立美術館で開催されている「ピサロと印象派展」を見た。美術館のレストランで昼食をとったあと、大阪に引き返し、ハービスホールで開催されている「報道写真展2012」を見た。「ピサロと印象派展」は、カミーユ・ピサロ(1830-1903)の作品と彼に影響を与えた画家、彼の影響を受けた画家の作品を加えて114点を展示したもの。ピサロ以外の画家としては、ドーピニー、モネ(4)、クールベ、コロー、シスレー(2)、ルノアール(2)、ルイ・アイエ、シニャック、ゴーギャン、リュス、ゴッホ、セザンヌ、リュシアン・ピサロ(カミーユの子3点)の12人19点であった。作品は次のように分類されて展示されていた。第1章 孤島からの源流ーパリへ 1852-1870年第2章 サロンから印象派へ 1870-1875年第3章 印象派 風景から人物へ 1875-1883年第4章 新印象主義、あるいは「影」へのまなざし 1883-1896年第5章 印象主義の誕生―「影」の反転 1896-1903年年を経るに従って描く対象や技法が変化していることがよく分かった。始めは暗い絵が多かったが、印象派らしい点描を使った絵画へと変り、さらに点描ではないが明るい調子の絵に発展していった。やはり、晩年の作品はピサロらしさがあって素晴らしいと思った。ピサロの作品90点ほどのうち、30点ほどは、鉛筆画、版画、エッチングで、大きさも小さな作品だった。全体を見るのに、ゆっくり見て1時間ほどであった。画像は、パンフレットより。左:昼寝 エラニー(1899)、右:オニー栗の木(1873)、ロワイヤル橋とフロール館 曇り(1903)、ポチュイ海岸 薄曇り ポントワーズ(1882)、朝 春 陽光 エラニー(1900)、立ち話(1881)、ルーアンの朝靄の市場(1898)。画像は、会場に置かれていたパソコンよりメールの添付ファイルで自分宛てに送信したもの。6点が無料で送れるようになっていた。エルミタージュの眺め グラット=コックの丘 ポントワーズ(1867)、エラニーの菜園と鐘楼(1899)、ポール=マルリーのセーヌ河 洗濯場(1872)、ライ麦畑 グラット=コックの丘 ポントワーズ(1877)。「世界報道写真展2012」は、世界の報道カメラマン62人の作品が展示されていた。写真は、一般ニュースの部、ニュースの中の人々の部、現代社会問題の部、自然の部、ポートレートの部、日常生活の部、アートとエンターテイメントの部、スポーツの部などに別れ、62点が展示されていた。(組み写真が多く、一点は写真数枚から構成されている)戦争・内乱の悲惨な場面、貧困、処刑、大量殺人、軍事訓練、洞窟の奇観、違法捕獲される動物(サイの牙、フカの鰭など)、呪術的病気治療、幼女妊娠、介護の現場、非常識な冒険野郎、HIVの悲惨さなど、世界には日本の新聞やテレビでは報道されないいろいろな事件や事実があることを思い知らされた。同時併催として、「東日本大震災報道写真展」が開催されていて、朝日新聞記者が撮った初期の生々しい写真60点が展示されていた。このような写真を撮るのは、命がけであったことと思う。撮影中に津波にのみ込まれたカメラマンはいなかったのだろうか。画像は、パンフレットより。左:デモで負傷した息子を抱える母、がれきの中で泣く女性、幼女結婚、密漁されるサイ、ポーズをとるモデル、水泳高飛び込み、右:リビア反政府派、妻の介護、カイロのデモ参加者、逮捕されたデモ参加者、東日本大震災。
2012.08.09
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今日は春麗句会の日、午前中は出句する5句の選定と最後の推敲を行った。句会の成績は上出来で、先生から5句すべてが選ばれうち2句が特選だった。 先生の特選に選ばれたのは次の句。 ◎八月の一日一日が試練の日 (先生特選) ◎今咲ける仙人掌の花今が花 (先生特選) 先生の選に選ばれたのは次の句。 〇否応もなく八月を過ごしをり (先生選ほか2票) 〇仙人掌や棘はあれども憎めざる(先生選) 〇高灯籠献灯者名大書され(先生選) 先生の句で今日、多くの票を集めたのは次の句。 ◎はなやかにして灯籠のうつろなる 立村霜衣先生 (4票)今日は、写真を撮らなかったので、先日難波宮跡で見た海桐花(とべら)の木を紹介する。夏に白い花を付けるが花の時期はすでに終り今は青い実がなっている。熟すと赤褐色になるそうだ。(高大理事のY氏からの情報)
2012.08.08
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今日は、午前中はテレビを見たり、俳句を考えたりして過ごし、午後は、義母の97歳の誕生会が介護施設であるので家内と一緒に行った。駅で義姉とも合流した。 施設での誕生会は2時半から始まった。施設の入居者やスタッフの方々も多数集まってくれ、スタッフの巧みな司会で、誕生パーティが始まった。スタッフからのメッセージ、家族からのメッセージなどが読み上げられた。 続いて施設が準備した蝋燭付きのバースデイケーキが義母の前に置かれた。昨年は自分で消すことができなかったが今年は消すことがでた。その後、施設や家族からプレゼントが贈られ、入居者の代表の方(98歳)から、お祝いの言葉をいただいた。家族を入れた記念写真を撮ってもらい、パーティは終った。 その後、分けてもらったケーキを食べながら、義母と歓談の時間を持ったが、昨年に比べ大分認知症が進んでいたのかも知れないが、最近にはない元気さだった。自分が子どもの頃や若かった頃のことをいろいろと話してくれた。1年ぶりの家族3人との再会を、喜んでくれていたものと思う。これは、2、3年前からのことだが、「歳は?」と訊くと「80」と答える。今日も、97歳と紹介されると、「違う、80歳」と抗議をしていた。その癖、来年はいくつ?と訊くと、90、再来年はと訊くと100と答える。そうして、その次は?と訊くと、「もう死んでる」と答える。認知症なのか、冗談なのかはっきりしない。 写真は、お祝いの飾り、飾りを見て喜ぶ、飾りの前で、お祝いメッセージの朗読、メッセージカード、入居者代表のお祝いのことば、バースデイケーキに点灯、バースデーケーキ、プレゼントの披露。
2012.08.07
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今日は、午前中はテレビを見たり、句集を読んだり、俳句を作ったりしながら過ごし、午後から外出し、西梅田のブリーゼ小ホールで開催されている「桂米朝展」を見に行った。米朝アンドロイドが見られることに興味を持ったからである。会場はブリーゼタワーの7階。アンドロイドを見るには整理券が必要だが、毎時45分の配付時間にうまく行くことができた。展示を見る前にまず米朝アンドロイドを見た。30人くらい入れるホールに入ると、米朝そっくりの人形があり、それが米朝そっくりの動きをする。手足はもちろん目や口も向上に合せて動くのだ。女性の案内ロボットのアンドロイドは見たことがあるが、それ以外の人物を見るのは初めて。本物に比べるとややぎこちないが、しばらく見ていると本物ではないかと思うこともある。小話をいくつか交えたもので、出演時間は10分であった。展示の方は、米朝および米朝一門に関するいろいろなものが下記のように整理され展示されていた。1.米朝の源流(正岡容関係資料ほか)2.米朝の軌跡(勲章、賞状ほか)3.米朝のメディア出演(KTV「ハイ!土曜日です」OBC「題名のない番組」ほか)4.米朝の舞台(小道具・着物ほか)5.米朝の日記(軍隊病床日記)6.米朝の一門(系図ほか) 芸能研究科正岡容との交流が深く、影響を受けた。軍隊には行ったが病弱で兵役を免れたのも幸運と言える。俳句も詠んでいる。一門には月亭可朝、月亭八方、月亭八光、桂ざこば、桂枝雀、桂雀三郎、桂南光、桂塩鯛、桂出丸、桂吉弥、・・・らがいる。なお、この展示会は米朝の米寿を記念して開催されたもの。画像は、パンフレットより。右:独演会ポスター、軍隊病床日誌、高座の着物、楽屋の暖簾。画像は、桂米朝のアンドロイドを上左右に、展示会入口、展示会内部、一門扇子、記念品売り場、一門系図。(会場内は撮影禁止だったので、いずれも関連ウェブサイトより)
2012.08.06
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今日は、午前中は、テレビでNHK俳句、日曜美術館、オリンピック(男女の水泳400メートル団体メドレー)などを見て過ごし、昼前から「八軒家浜水産市」に行き、午後は、暮らしの今昔館へ「世界の木のおもちゃ」展の講演会を聴きに行った。八軒家浜水産市は、毎月第一日曜日、大阪天満橋の八軒家浜で行われているもので、今日、初めて見に行った。鮮魚や解体されたばかりのまぐろが安価で販売される。寿司の即売もあり、新鮮な野菜の売り場もある。ちょうど、昼時だったので寿司を買って食べた。写真は、八軒家浜の水産市の模様。天満橋から地下鉄に乗り、天六の暮らしの今昔館に行った。14時からの講演「世界の木のおもちゃ」を聴くためだ。講師は、同名の展示会の展示品提供者である春日明夫氏。会場は約60人の聴衆だった。講演会場に持ち込まれた世界の木のおもちゃを順番に手に取って説明したり、スライドで紹介したりしながら、1時間半の持ち時間を10分オーバーして話されたが、それでも話し足りなそうだった。講演後、質問も出ていて、氏の著書が紹介された。また、展示会場では撮影禁止だったが、公演会場に持ち込んだおもちゃは、来場者に限り撮影してもよいとのことだった。しっかりしたデザインの美しいおもちゃばかりなので、いくつか写真を撮らせてもらった。講演のあと、実際の展示会を見た。出展数は70数点だが、氏のコレクションは7000点にも及ぶそうだ。展示会は次の4つに分けて展示されていた。1.子どものあそびと玩具 感覚を楽しむもの、プルトイ・プッシュトイ、ごっこ遊び、組み合わせる玩具など。2.からくり仕掛けの人形玩具 日本の作家、マリオネット、イギリスの作家、ハンペルマンなど。3.世界の伝統的な玩具 ドイツ・エルツゲビルゲ地方、アメリカ・ニューイングランド地方の玩具。4.住まいと玩具 バウハウス工房、建築の積み木、ウッデンドールなど。写真は、世界の木のおもちゃ展のパンフレットと講演会風景。講師は春日明夫氏。
2012.08.05
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今日も猛暑の日だった。朝からテレビでオリンピック関連の番組を見たり、俳句を考えたり、句集から佳句を抽出したり、鶴島緋沙子のエッセイ「もぐらの目」を読んだりして過ごした。午後、大阪中央郵便局に出かけ、メータースタンプ(12.8.4.)と記念切手を買った。今日は写真を撮らなかったので、一週間前に奈良へ行ったとき、「ならまち」の近くで見かけた「流しそうめん」の写真を上げる。ポスターには、7月28日(土)一部2時~、二部4時~しもみかど80メートルに挑戦、そうめんつゆ1杯100円以上で食べ放題、「流しそうめん」、売上はすべて十津川村水害義援金といたします、とあった。挑戦したかったが、天平倶楽部で満腹になったばかりなので、残念ながら見物だけにした。写真は、今日の日付のメータースタンプ。平成年数の24、西暦年数の12、月数の8、日数の4にちなんで、24円、12円、8円、4円のメータースタンプを買った。西暦年数と月数と日数と合計すると平成年数の24になる。
2012.08.04
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今日は、午前から午後にかけては、テレビでオリンピックを見たり、ジパング倶楽部のイベントの申し込みをしたり、句集を読んだり、俳句を作ったり、俳句誌を読んだり、パソコン雑誌を読んだり、ゴルフコンペのハンデ見直しをしたり、しながら過ごし、夕方からは、大阪高島屋で開催されている柴田トヨ「くじけないで展」を見に行った。92歳から産経新聞の「朝の詩」への投稿をはじめ、98歳で詩集「くじけないで」を出版した柴田トヨ。東日本大震災にも大きな元気を与え続けている。今回の展覧会は、柴田トヨの詩に共鳴した各界の著名人36人が好きな詩を自らの筆で記した額を展示したもの。一人一編に限らず数点を出展している人もいる。36人は下記の人たちである。朝海ひかる、荒木経惟、市川團十郎、市原悦子、遠藤保仁、小原宏貴、片岡鶴太郎、菊池雄星、絹谷幸二、黒田征太郎、コシノヒロコ、斎藤由貴、佐久間良子、佐々木秀実、佐藤可士和、ジュディオング、新川和江、TAKAHIRO(EXILE)、竹田双雲、勅使河原茜、仁藤萌乃(AKB48)、日野原重明、船村徹、プリンセス天功、舞の海秀平、三浦雄一郎、三國連太郎、水谷豊、武良布枝、森清範(清水寺)、森昌子、八代亜紀、やなせたかし、山田俊和(中尊寺)、山田法胤(薬師寺)、渡部陽一。柴田トヨの略歴や写真、資料、愛用品などの展示もあり、映像も放映されていた。詩は10数秒で読めるような短いものだが、数が多いので全部読むには1時間ちかくかかった。素直ないい詩が多かった。画像は、パンフレットより。詩の文章を活字化しておく。くじけないでねえ不安だなんて 溜息をつかないで陽射しやそよ風は えこひいきしない夢は平等に見られるのよ私、辛いことがあったけれど生きていてよかったあなたもくじけずに被災者の皆様に(片岡鶴太郎)ああなんということでしょうテレビを見ながらただ手をあわすばかりです。皆様の心の中は今も余震があって傷跡がさらに深くなっていると思いますその傷跡に薬を塗ってあげたい人間誰しもの気持です私も出来ることはないだろうか?考えますもうすぐ百歳になる私天国に行く日も近いでしょうその時は陽射しとなりそよ風となって皆様を応援しますこれから寒い日々が続くでしょうが朝は必ずやってきますくじけないで得した気分(森清範)コタツに入って テレビを見て笑っている倅の横顔若い頃の夫にそっくりクッキーと紅茶を前にして横顔盗み見ながら得した気分の冬の午後です化粧(コシノヒロコ)倅が小学生の時お前の母ちゃんはきれいだなんて友達に言われたとうれしそうに言ったことがあったなぜなら丹念に九十七の今もおつくりをしている誰かにほめられたくて道 あなたに(佐久間良子)好きな道ならでこぼこ道だって歩いて行けるわ辛くなったら少し休んで空を見てまっすぐ歩いて行くのよ付いて来るわよ あなたの影にがんばれって言いながら背負う(市川團十郎)教科書を風呂敷に包んで学校に通っていた息子私と母とで内職をしてランドセルを買ってあげた母ちゃんありがとう家中をランドセルを背負って駆けまわっていた健一あれから五十八年あなたは今何を背負っているのかしらあなたにII(TAKAHIRO)追いかけて愛した人を苦しめるより忘れる勇気を持つことが大切よ後になるとそれがよくわかるのあなたのこと心配してくれている人がいるあなた気づかないだけ
2012.08.03
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今日は、昨日の疲れを癒すため一日中家で過ごした。午前中は、テレビでオリンピックの体操などを見たり、句集を読んだりし、午後は、俳句誌「築港」が届いたのでそれを読んだりして過ごし、夕方は近所の喫茶店へ涼みに行ったりした。今日は、写真を撮らなかったので、昨日住吉大社の夏祭りで撮った370枚ほど写真の中から、神輿が太鼓橋を渡るところの写真を上げる。写真としては、太鼓橋の横から撮った方がよかったかもしれない。写真は、神輿が石の門を出てから太鼓橋の頂上へ行くまで。
2012.08.02
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今日は、午前中は、ビデオで映画「蛍川」、「不思議の国のアリス」を見、午後は、住吉大社の夏祭りを見に行った。住吉大社の夏祭りは、7月30日の宵宮から31日の本宮、そして1日神輿渡御と3日館行われるが、そのクライマックスと言われる渡御を見たのだ。「蛍川」は最後のシーン、数万、数十万の蛍の乱舞が素晴らしかった。家を12時に出て住吉大社には、12時50分ごろに着いた。第一本殿の前には、神輿が数基置かれていたが、人の姿はまばらであった。13時を過ぎるに従って見物人の姿も増え始めた。13時25分ごろから太鼓の音が聞こえ始め、太鼓橋の方へ行くと、担ぎ手約200人が太鼓橋を渡り神宮の石門と茅の輪をくぐるところだった。「よーいよーいよーいとな」の掛け声で、金属製の神器を掲げている。担ぎ手が第一本前の神輿前に集合し、13時50分ごろからお払いの神事が始まった。神事は10分ほどで終わり、14時から神輿は次々と本殿前を出発し、境内を一巡し、太鼓橋を渡り、大鳥居前を左折して渡御が始まった。神輿は境内で何度も回転や振動のパフォーマンスを見て、中々出て行かない。神輿が石門を出たのは、14時28分、太鼓橋を渡り切り、大鳥居をくぐって紀州街道へ出たのは、14時41分だった。祭のかけ声は普通は「よいしょ」とか「わっしょい」だが、住吉祭では、「べーら」という独特のことばを使っていることを知った。語源や意味はわからないらしい。写真は、第一本宮の前に並べられた神輿、担ぎ手が太鼓橋を渡って入場、お払い、お払いを受ける神輿と担ぎ手、順に本宮前を出発、宝輦、神輿が太鼓橋を渡り始める、太鼓橋の頂上、太鼓橋を渡りきる。神輿は大鳥居前でも、回転などのパフォーマンスを見せる。阪堺線の電車とすれ違いながら紀州街道へ入り南下する。沿道では、地元の人が声援を送る。冷たいものを準備する家もあり、行列はそのたびに休憩を挟む。こうして、大きな辻ではパフォーマンスを披露したり休憩しながら、3キロほどの道を進む。先陣の船神輿や宝輦が大和川に架かる大和橋に到着したのは、15時30分ごろだったが、神輿が大和川に着いたのは、16時08分だった。写真は、神輿が鳥居を出るところ、鳥居前での神輿を回す、紀州街道を南へ、大和橋に到着、人力車ときれいどころ、船神輿。神輿はここでも、一通りのパフォーマンスを演じ、そのあと16時24分、大和川に入った。川の真ん中には100メートル四方の祭場が設えられていて神輿はそこで再びパフォーマンスを演じたあと、担ぎ手だけが川を渡って大阪側の岸に戻った。その後、大和橋の上に設えられた祭壇の前で宮司によるお払いが行わた。これは神輿を住吉神社から宿院頓宮へ遷すための御祓いで「神輿受渡式」というそうだ。御祓いのあと、16時55分、堺側に待機したいた担ぎ手が川を渡って神輿を受け取りに来た。今度は新しい担ぎ手による神輿のパフォーマンスが演じられ、しばらくして17時11分、神輿は堺側に運ばれ陸上げされた。このあとは、さらに3キロほど南にある宿院頓宮まで担がれ、そこで、19時40分から頓宮祭、20時から荒和大祓神事が執り行われるそうだ。しかし、私は、これまで4時間あまり見てきて、これからさらに4時間以上も見るのは疲れるので、今日はここまでで帰宅することにした。写真は、大和川に着いた神輿、川に入り祭場へ、祭場で神輿を回す、大阪の担ぎ手が引き上げ、神輿のお払い、大和橋の上で仕切る宮司、堺側担ぎ手が川を渡る、祭場で神輿を回す、神輿を堺側へ運ぶ。初めて見た住吉祭であったが、珍しいものをたくさん見、そして知ることができた。来年は31日の本宮や、1日の頓宮祭以降も見たいを思う。
2012.08.01
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