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このところ、肉体労働と知的作業を繰り返していて、実にバランスのとれた日々・・。今日は、まるごとのんびりできる日の予定なので、本当に嬉しい。職業を持っているわけではないので、忙しいといってもたかがしれているのだけど、人間というものは環境に慣れてしまうもので、今の私は毎日のように予定が入る状態は何だか息苦しくなっている。というわけで、久しぶりの日記。今朝の新聞の家庭欄に、「ベネッセ子育て生活基本調査」のことが紹介されていた。詳しくは、「第2回子育て生活基本調査(幼児版) 」幼稚園児・保育園児の保護者を対象に(2003年実施)をご覧になっていただきたい。この中で、「将来どのような人になって欲しいか」という質問で、前回(1997年)の調査と比べて上昇したのが、「他人に迷惑をかけない」であり、反対に低下したのが「自分がしたいことや夢を持ち続ける人」であったという。「社会的協調への期待が強まり、反対に夢や意志、誠実さなどが期待されなくなっている」と分析されている。・・うーん、いよいよ日本人は小さくなってしまうな、という印象。私は、「人と迷惑をかけあって生きるのが自然」と考えている。もちろん、人を殺したりなど反社会的行為に及ぶのがいけないことは自明のことだ。だが、「迷惑をかけてはいけません」をあまりにも強調して育てたら、子どもは自分の気持ちを抑圧し続けなくてはならない。多少の迷惑はお互い様。相手が嫌がったら反省してゴメンナサイ。自分が助けてもらったら、また自分が誰かを助けて帳尻を合わせよう。そのような態度を身につけることこそが大切だと思う。少年犯罪の増加は、失敗を許さず、まわりに協調することばかりに神経を使い続けて、子どもの自由で自然な心をないがしろにしてきたツケではないかと思う時がある。親が望む「まわりの人に思いやりがある心優しい人」は、お互いに迷惑をかけあい、それを許しあう体験がなくては育たない。そして、自分の心の中に夢や希望を育てなくては、人は何を目標に元気に生きればいいんだ?親も子も、矛盾の息苦しさの中にもがいているのだと思う。私は若いお父さんやお母さん達に伝えたい。もっと気を楽にして子育てをしてください。ケンカして仲直りして、小さな迷惑や失敗の体験をいっぱいさせて、多少の迷惑や失敗は必ず取り返しがつくのだと体得させてください。お父さんやお母さんも、失敗や迷惑をかけあって生きていて、それでも大丈夫なんだよと見せてあげて欲しい。そして、「何よりも、あなたが笑顔で生きているのが一番嬉しい」と、ことあるごとに子どもを抱きしめてあげてほしい。両親の笑顔を道しるべにして、子どもは大切なことを学んでいくはずだから。
2004年09月28日
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最近は、晴れた日は「収穫の秋」を満喫中。・・というより、収穫作業に追われていると言ったほうが良い状況。もとより、我家が農業を営んでいるわけではないけれど、実家の母が趣味というか生きがいで作っているジャガイモなどや、夫の趣味として作っている「蕎麦」の収穫。そして昨日は、身内が関わっている「ワイン用葡萄農園」の葡萄摘みボランティアである。私が自らやりたいわけではなく、あくまでも協力要請によってやむを得ず働いているということを強調しておきたい。農作物というのは「収穫時期」というものがあり、天候にも大きく左右されるので、どうしても「その日に」人手が欲しいということになる。そんな事情はよーく理解できるというか、私なりに責任も感じるので、「必要な時にはいつでも協力する」という気持ちは充分あるのだが、こっちにも事情というものがあるので、顔では笑って心でガックリという時もある。でも、このように人にあてにされるということは、自分の存在価値を実感するということでもあり、やっぱりありがたいことなのだろう。ところで、現在はアテネでパラリンピックの真っ最中。オリンピックの時にはあれほどテレビを賑わしていたのに、パラリンピックはニュースや新聞でチョコッと結果がわかる程度。さすがに日本で開催された時は、オリンピックと同じとは言わないまでも、かなりの映像がテレビで流れたけれど、今は野球のスト問題の方が勝っている。パラリンピックに出場している選手達のドラマも、オリンピック選手達の感動に負けるとも劣らないものなんだけどなあ。せっかく頑張っている選手達を、もっとズームアップして欲しい。
2004年09月24日
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日記に書こうとして下書きしていて途中だったものをupします。(21日/記)17日の北海道新聞のHPに老人ホーム側「虐待なかった」札幌という記事がある。今朝の朝刊では、これに関連して、告発した職員に対して施設側や仲間達からの圧力があり、とても居辛い状況になっているということが報じられている。その記事を読んで、「さもありなん」と思った。施設内での職員による入所者への虐待(に近いこと)は、結構多い。というよりは、多かれ少なかれあるのではないかとすら思う。私の祖母が老人施設や病院にお世話になっている時も、施設職員の暴言に近い言葉、心無い言葉を、何度も見聞きしている。しかし、本人はもとより家族も、その人の更なる報復を恐れて、それを指摘することはまずできない。また、心ある職員が見かねて上司にそれを指摘したりしたなら、職場内いじめが発生することも目に見えている。かくして、施設内での虐待は見逃されて、あたりまえの光景として化していくのだ。以前、施設に出入りするボランティアが、家族の愚痴を聞いてそのようなことを施設長に指摘したことがあった。個人攻撃になったら困るし、職員全体の資質向上を願ってのことだったので、個人名は伏せたそうだ。ところが結局は、職員はもとより入所者や家族を含めての「犯人探し」のようになり、施設内部を疑心案偽の渦に巻き込み、本質に迫る解決には至らなかったようだ。一時的には特定の職員は少しおとなしくなったようだが、時間の経過と共に元の木阿弥。その経緯を見聞きしていて、結局は「事なかれ主義」が強化されてしまったような虚しさを感じた。人間社会は、ほおっておくと必ず、強いものはどんどん強く、弱いものはいよいよ弱くなってゆく傾向がある。だから、それを防止するためのシステムや、チェックする仕事を位置づけなくてはならないのに、システムがあっても機能しないことが多い。弱い立場のものは結束力で仲間と助け合って、強いものの理不尽に立ち向かうしかないのに、なぜか仲間同士の足の引っ張りあいも多い。そのようなことを見聞きすると、本当に悲しく情けなくなる。虐げられたもの、いつも我慢を強いられているものは、ストレスや怒りを内部にためこんでゆく。それが限界点に達して暴発した時、何も気付かなかったような顔をして、「本人の資質に問題が・・」などと言う人は、それで強者の側に立ったと安心しているのだろうか。ともあれ、施設職員による入所者への虐待は、決して許されることではない。誰もが虐待される立場になりうるのだということを心に問いかけながら、この問題を考えて欲しいと思う。
2004年09月18日
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今回のアテネオリンピックでの日本選手の活躍には、本当にビックリしっぱなし。このような結果になるには、本人の努力はもとより、それに向けた強化環境の変化があるのだろうと思う。メダルを取った選手達が一様に、「支えてくれた人たちに感謝!」というのは、その意味も含まれているのだろう。そしてもう一つ、選手達が不自然な使命感に縛られていないこと。「日本のために」「日の丸を背負って」なんて雰囲気の選手は、ほとんどいない。それでも、日の丸が掲揚されて君が代のメロディーが流れると、選手はもちろんのこと私だってジーンとする。同じ日本人が頑張ってくれたことが、文句なく嬉しいに決まってる。そして特筆すべきなのは、女性陣の活躍である。同じ女性の一人として、これはとても嬉しい。このしなやかな逞しさが、本来の「やまとなでしこ」の基本だよと胸を張りたい気分。というより、国や民族を問わず、それが女性の特質なのかもしれないとすら思う。(女性がみんなそうだとは言ってない、念のため。個人差は随分大きいし・・)男女別で戦っているとはいえ、スポーツの世界では日本女性は他の国に決して負けてはいない。この調子で、他の分野でもどんどん女性が活躍して欲しい。決して男性のように頑張るのではなく、しなやかさと粘り強さで男性と渡り合って欲しい。女性は、社会的に「縁の下の力持ち」のような役割を担うことが多かっただけに、「権力」「名誉欲」にしばられていない傾向があると感じることがある。仕事で男性並みに頑張っている人でも、「理念、社会的意義、自分自身の満足感」での充足を求める傾向がある。男性主導できた社会が行き詰まりを見せている時には、女性が今まで培ってきた感覚を生かすことが、新しい世界への扉を開くきっかけになるかもしれない。そう考えた時、現在の日本の少子化対策は、ちょっとずれているような気がすることが多い。ともあれ、まだオリンピック競技は続く。今までの努力の成果を、のびのびと発揮して欲しい。もうメダルは私達の満足感を十分満たしてくれたのだから、必要以上に「私も取らなくちゃ・・」なんて力まないで欲しいな。
2004年08月24日
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長年付き合いのある某芸術家(彫刻)に聞いた話。彼は、チャンスがあってフランスで開催された「日本の創造展」に出品する機会があった。長引く不景気のあおりを受けているのは芸術家も同様で、この何年かは、作品が売れないので大変なようである。作品は売れなくても、作り続けて個展も開かなくてはならないのが芸術家というものである。たいていの個展は自費で開催するので、売れなければ経費持ち出しばかりである。そんな中でのフランスでの作品出展は、参観者も多く、思いがけず作品も売れて、彼にとっては素晴らしい成果があったようだ。「いよいよ舞台は世界になりましたね」と、私もそれを本当に嬉しく聞いた。そんなエピソードの中で、気になったことを一つ書いておこう。読む人が読んだら個人を特定できてしまうかもしれないが、私としては「告発」の意味でも書かずにいられないのだ。展覧会に、フランス在住の外交官が見に来たそうだ。そして、その中の一点を気に入り「譲って欲しい」と言った。もちろん作家の彼は、自分の作品を気に入って買ってくれるのだと思って喜んだそうだが、それを聞いた仲間達や展覧会関連の人たちが、「欲しいということは、ただ欲しいということと同じだ」とアドバイスしてくれたとか。ただで譲っても、外交官がそれを所持しているということは大きな宣伝にもなるし、今後のフランスでの個展開催などでも色々協力してくれることにつながるし、決して損はないのだそうだ。それを聞いて、「普通の感覚の持ち主の、多少天邪鬼な芸術家」の心には、ムクムクと怒りが湧いてきた。そこで、正規の価格を提示した上で(今回の展示は販売目的ではなかったので、値段を表示していなかったそうだ)、勉強できるラインまでを(彼としたら大サービス)正直に伝え、「それで良いなら譲ります」と言ったとか。その外交官は、それを聞いて少し驚いたような表情をし、結局購入はしなかったそうだ。日本の外交官が堕落している理由の一端が、垣間見えたような気がする。そして、「オレって、とってもバカかもしれない」と思いながらも外交官に迎合しなかった知人に、私は心からの拍手をした。すると、彼は言った。「ここで妥協したら、オレの作品も堕落するような気がしたんだ」。・・そうやって堕落している作家も多いのだろう。人間の弱みに付け込む人間は、自分が堕落するだけでなく、人をも堕落させるものなのだ。
2004年08月22日
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台風も過ぎたようなので、伸びてきた髪をカットするために美容院に行った。話題は何かのはずみで、「円形脱毛症」のことになった。そして仰天の事実を私は告げられる。「実はねえ、今だから話すけど、以前にみらいさんにも小さな円形脱毛があったんだよ」彼女の話によると、それは昨年あたりのことらしい。私はカットなどで月に一度くらいは美容院に行くのだが、彼女はパーマをかける時にそれに気付いたという。一円玉よりもまだ小さいものが、二箇所ほど後頭部にあったらしい。言おうかどうかと迷ったが、小さいし目立たないので、何も言わなかったという。実は私の身内に、ものすごい円形脱毛で苦しんだ人がいる。その苦闘の日々を見ているし、血縁関係の人なので、私もそんな病気になったらイヤだなと常々思っていた。しかし、実は私もなっていたのだった。「知らぬが仏」とは、このことである。昨年、私に何かストレスがあったかなと思い返しても、何も思い浮かばない。忙しい時期もあったけれど、悩むほどではなかったし、それまでと違うことがあるとするなら、この「楽天日記」を書き始めたことくらいだ。今では、すっかり元通りになっていると聞いて、ホッと一安心。そして、何も言わずにいてくれたことに感謝感激である。もしもわかっていたら、こんな私でも気になったことだろう。自分のことは自分が一番わからないのだと、あらためて実感した。
2004年08月20日
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小学校・中学校時代に、いじめられたり諸々で不登校体験をした青年が、こんなことを書いている。(実は彼のホームページに公開している文章なのだが、私自身が姑息にも匿名状態でこの日記を書いているので、アドレスをご紹介しないことをお許しください) いじめは必要です。ないほうがいいなんて軽々しくいわないでください。いじめほど必要不可欠な経験は無いと思う。だって学校だって「社会」なわけで。いじめなんてのはどこいったってあるわけだ。働くともっとあるわけで、学校で自己対処法を身に付けておかないと働いたときに辛いわけで。ま、いまのイジメってエスカレートはしてるわけだけどもそこらへんを防止するのは大人の役割だろうし。子供もうまくやっていけるように学ばなきゃいけない。それを教えるのも導くのも大人の役目だし、いじめられるとそういうのがどっかで身につくわけで。すぐ無くそう無くそうって言うのは、ちょっと問題だと思う。エスカレートするのが怖いってのは皆思ってること。そこに関与したくないから、大人はNO!無くそう!の世界でしか生きられないのかと。いじめるって概念も一つの個性だってのもわすれちゃいけないだろうし。いじめるからその子が問題児かったら、そうでは無いと思う。いじめ無きゃ問題は起きない。起きてからじゃ遅い。じゃないだろ。無くなることなんか絶対ねーから。無きゃいいってのは大人の勝手な考え。いじめられてる最中はたしかにしんどかったけど、別のところにオアシスがあったし。そのオアシスも家庭かもしれない、塾かもしれない、別の友達かもしれない。そういう環境作りのほうが必要なんじゃないかと自分は思うのだ。「ナアナアの社会」でなんか生きていたくねーって。みんな仲良くできる社会に魅力なんてねーって。 私たち大人は、どこかで大きな考え違いをして子ども達を育てているのではないだろうかと、考えさせられた。先日の元ヤンキー少女達とのおしゃべりでもそう思ったのだが、私達はもっともっと、子ども達の声に耳を傾けなくてはならないのではないか。
2004年08月18日
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☆お墓参りこれから息子家族が来るので、一緒にお墓参りに行く予定。数日前、お墓掃除に行ってみると、またまた市の墓地が拡張され、新しいお墓団地ができていた。日本人って、本当にお墓好きなんだなあと思う。核家族化・少子化の傾向は続くと思うのだが、この墓地の百年後はどうなっているのだろう。墓地の墓場という、シャレにもならない状態になっていないようにと思った。我が家だって、息子達はこの町には住んでいない。我が家のお墓もどうなることか(夫の両親が亡くなった時に建てた)。私自身は、正直に言うとお墓などという狭苦しいところに入りたくない。可能ならば、私の大好きな湖に散骨して欲しいと願っている。しかし、ここにお墓がある限り、それは私のわがままとして却下されるだろう。私が死んだ後のことはどうでもいいんだけれど、荒れ果てた無縁墓を想像すると、やっぱりイヤだなあ。☆明日は終戦記念日明日は、夫の親類がお墓参りを兼ねて我が家に集まるため、日記も書き込めない。だから、一日早いが終戦(敗戦)関連で書いておく。実は今、父の生涯についてすこし書き留める作業をしている。以前の日記にも何度か書いているが、父は召集されて、満州国境警備→占守島で終戦後ソ連と戦闘→シベリア抑留(二年間)という経歴を持つ。今年の二月に沖縄に行ってから、父は戦時中のことを色々話し始めた。記憶も正確ではなくなっているので、今、父の持っている資料や、関連する本などと付き合わせながら、父の生涯の覚書を私が作成している。それをしながら様々に思いは巡るが、もう二度と、人と人とが殺しあう戦争に、日本が巻き込まれて欲しくないと願う。父が失語症になる前に、もっと当時のことを語って欲しかったが、人には言えないような体験をした人たちは、なかなか戦争の実態を語れないことも理解できる。そんな中で、戦争中の赤裸々な体験を語り継いでいる人たちもいる。このHPの「よく行くページ」の「 中帰連(中国帰還者連絡会)」の人たちである。この人たちの証言を、ぜひ読んで頂きたいと思う。
2004年08月14日
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昨日の衝撃的なニュースは、石狩市の高校一年男子生徒が中学時代の同級生の母親を刺殺した事件だ。今朝の新聞によると、背景には中学時代の「いじめ」があるようだが、事件を起こした少年は普段はおとなしく、不良タイプでもなかったという。多分、いじめられても黙って我慢するような少年だったのだろう。新聞ではまたもや「普通の生徒が」などと関係者の驚きを表現しているが、私はこの「普通の子が突然」という言葉を見るたびに、イヤーな気分になる。この世に、「普通の子」なんていう子どもはいない。みんなそれぞれ複雑な心を持ち、日々悩みや葛藤を抱えながら生きている。「普通の子」と言われるようにと、自分の個性や心を押さえ込みながら生きているとも思う。そして、どんな人間にも、触れられたら爆発しそうな「地雷のような部分」があるのではないか。そのような「危険なものは自分にはない」と思う(地雷の存在に気付いていない)脳天気な人が、不用意に地雷を踏んでしまうことがあるように思う。この事件の真相はまだわからないが、もしも普段はおとなしく、それまで凶暴な行為をしたことがない少年が凶行に及んだとするなら、どこかの時点で誰かが、彼の心の地雷を踏んだのではないか。(殺された人とは限らない・・念のため)私の心の中にも、地雷はある。もしも、何かのことで突っ込まれた時に必要以上に腹が立ったり、動揺してしまうことがあったら、それが地雷につながることだ。私達は、何かでムキになる人に出会ったら、それをからかうような言動をすることがある。ひょっとすると、それは地雷に繋がっているかもしれない。そんなことを感じた時は、必要以上に責めたり突っ込んだりせず、そっとしておくのが親切というものだ。これは、国と国との関係でも同様ではないか。相手が嫌がっていることをムキになってやることはない。私は、「首相の靖国神社参拝」は、その部類に入るのではないかと感じている。
2004年08月10日
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実は私は、自分が関わっている会のHPの管理人もやっている。(そのHPをここで紹介すると、私が誰かわかる人にはわかるのでご勘弁を・・)そのHPを見た人から、今朝とても重いメールが届いていた。別に、私に何かの回答を求めているわけではないのだが、その人のこれまでの過酷な半生が書かれていて、とにかくズシーンときた。このような人がいることは、昨今のニュースを見聞きしていたら理解できないことではない。誰かを殺したいほど憎みながら、その気持ちを押し殺しつつ普通の生活を送っている人たちは、この世には少なくはないだろう。しかし、幸いなことに私は、まだ誰かを殺したいとまで思ったことはない。だから、その苦しみは想像するしかない。ネット世界でもそのような人の書き込みや日記は散見するし、それを読んだ時には「辛いだろうな・・、頑張って!」と思うけれど、やはりどこか他人事である。しかし、自分宛に来たメールにそのようなことが書かれていると、これは想像以上に重いものがある。断っておくが、私はカウンセラーでも相談員でもなく、ただその会の世話役をしているだけだ。もちろん、心理学を学んだわけでもない。だから、メールで相談を受け付けているわけではないのだが、その人は誰かに自分の気持ちを伝えたかったのだ。「このような人間も居ることを知って欲しかった」と本人も書いているし、本当にそうなのだろうと思う。しかし、そのメールをただ読み流してしまうわけにもいかない。せめて「ちゃんと読みましたよ」ということくらいは、伝えなくてはならないと思う。しかし、それだけでいいのだと自分に言い聞かせても、それだけの返信を書いて送信できないでいる。「読みました」までは書けても、「本当に辛かったですね」と書けない。ましてや「お気持ち、理解できます」なんて、とても書けない。慰めも励ましも、その人の言葉が真実とするなら、軽々しくは書けない。だけど、どのように私が逡巡していようとも、それを伝えなくては「無視」と同じだ。顔が見えず、本人を特定できないという意味では、ネット上で出会う人達と基本的には同じなのかもしれないが、この場合はそのようには考えることが出来ない。いずれ出会うかもしれない可能性のある人なのだ。嘘っぽい言葉、きれいごとの言葉は使いたくない。自分の使いこなせる言葉が不足しているのを、痛切に感じるばかりだ。そしてつくづく、電話相談やメールで相談を受けている人を尊敬してしまう。☆河野義行さんのこと昼食時にテレビをつけたら、河野義行さんが出ていた。10年前に長野県で起きた「松本サリン事件」で容疑者扱いされ、大変な報道被害と人権侵害に見舞われた方である。実は私も、あの時の報道を見聞きして、河野さんを「犯人かもしれない」と思った一人であることを懺悔したい。どうしてこんなに素晴らしい人を「犯人」のように思ったのだろうと、自分の目の節穴が恥ずかしくてならない。河野さん自身の態度は、あの時にみんなが疑いの目を向けている中で記者会見をしていた時と、まったく変わりがないように思う。体調が完全に回復しない中で、事実関係に基づきながら冷静に、感情を極力抑えながら会見に応じていた。そのシーンを、私は今でも思い出すことが出来る。それなのに私は、その冷静さすらも「何だか変だ」と思ったのだ。河野さんに面識はないが、彼が潔白だったことを知ってからその姿をテレビで見るたびに、「あの時は、本当にごめんなさい」という気持ちに襲われる。メディアの力というものは、本当に強大で恐ろしい。その前で一個の人間は、本当に情けないほど頼りないものだと思う。しかしメディアもまた、一人一人の人間のなせる業である。河野さんの奥さんは、今でも寝たきり状態である。でも、彼の語りかけや好きな音楽を聴いている表情を見ていると、彼女の意識は外から見ているよりもずっと何かを感じていると思う。常に接している河野さんは、それを確信しているようだ。私も、今日の映像を見て、「期待として」ではなくそう思った。しかし、河野さんが願っているように、彼女が自分の思いを表現できるようにまで回復するかどうかはわからない。奇跡を信じたいが、なかなか奇跡は起きないものである。でも、あの時の罪滅ぼしも含めて、私も彼女のもう少しの回復を心から祈る。せめて河野さんに「わかってますよ」と、他人にもわかるようにメッセージが伝えられるくらいに・・。
2004年06月30日
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今朝、届いたメールを読んで驚いた。実は、三年ほど前から「私的ネットワーク・ミニコミ」を年に二回程度発行していて、今週始めにそれを各地の友人達に発送した。学生時代、仕事、慶應通信、ボランティア活動など、色々な場で出会った人達とのつながりを大切にしたいという思いで始めたものだ。彼女Aさんからのメールは、そのお礼と近況報告であった。最近はとんとご無沙汰していて、メールのやりとりもしばらく途絶えていた。この数回はミニコミへの投稿もなかったけれど、「元気ですか?」の意味を含めて送付したのだ。そのメールで何に驚いたかというと、彼女は高遠さん(イラクで拉致された人)の高校時代の同級生であり、友達だったということを知ったからである。高遠さん達が拉致された時は、世間の見当はずれのバッシングにいても立ってもいられぬ思いで、日記にも何度も書いていた。その経緯の中で私の心はかなり疲労し、ニュースネタで日記を書く気が失せたことは、この日記を継続して読んでくださっている何人かの人はわかってくださっているかもしれない。しかし、当時の私と高遠さんとは個人的には何の接点もなく、彼女の活動を拉致以前に知っていて「少しばかりの関心」を持っていたに過ぎない。だが、実は「友達の友達」であったのだ。そのメールによると、Aさんはイラクに出発直前の高遠さんとも会っていたようだ。だから、高遠さんが拉致され、その後の様々な経緯については、私どころではなく心を痛めていたし、今も彼女への心配は続いている。当然ながら、彼女を救うために様々なアクションを起こしていたらしい。しかし、今は住む所が離れているため、遠くから心配しながらも高遠さんを信じて応援するしかなく、それがもどかしいようだ。さて、そのAさんとの出会いは、もう15年も前だと思う。彼女は当時福祉系大学の学生で、私の職場に実習に来た。どのくらいの期間だったのかよく覚えていないが、彼女はピッタリと私にくっついて、私の仕事のアシスタントを通しての実習をしてくれた。当然「職場実習」であるから、多忙な仕事の合間を縫って、その仕事の法律的な位置づけや地域での役割、仕事をするにあたっての心得、多様な業務についての細々とした説明などを、私が担当することになった。私はずっと「福祉畑」で仕事をしていたのだが、「福祉」をキチンと学んだことはなく、大学生の職場実習を担当するのも初体験であり、自分なりに勉強しながら彼女と接したわけである。だから、Aさんとの出会いはとても刺激的なものとなり、どちらの方が勉強をしたのかわからない。それに、意欲的な彼女の姿は、私に初心を思い出させてもくれた。さらに、彼女の反応によって、自分の考え方や仕事の仕方が認められたような気持ちになり、嬉しかったことも多い。もう一つ、彼女との出会いで一番大きかったことがある。それは、「ちゃんと学びたい」という気持ちが急激にふくらんだことだった。福祉をきちんと学んでおらず、仕事での必要に迫られて学んでいる切り貼りの知識が、まさに「穴ぼこだらけ」ということを痛感したことが一つ。もう一つは、彼女の語る「大学」への憧れであった。ゼミの仲間や教授達との交流、様々な知識を体系的に学ぶことの幅広さと奥深さ・・。彼女が毎日書くレポートを読む時、私の知的好奇心は刺激され続けていたのである。彼女は素晴らしいアシスタントでもあった。短期間で右腕になってしまった彼女を失った私は、以前にも増して多忙さを痛感することとなった。今も昔も、私は人が思うほど器用ではない。一番不器用なのが「切り捨てること」である。一度手がけてしまったことは、どうにもならずにバンザイするまで切り捨てられず、結局は自分も周囲にも迷惑をかけてしまう。そんな泥沼状態に陥り始めながら、私は「大学生になる」という夢を見るようになった。そして、「論文を書いてみたい」と思った。それも、Aさんの卒論を垣間見たことからである。何か一つでも、自分のモヤモヤとした疑問をとことん追及し、それを明らかにするために書き綴ってみたい。それが、私の大学進学への一番の動機付けだったように思う。それから数年、私は退職して慶應通信の学生になった。Aさんは卒業し、当時願っていた職場ではないが福祉系の仕事に就き、結婚し、遠くの地に住むようになり、年賀状と年に数度のメールのやり取り程度の付き合いになった。そういえば、彼女は高遠さんの住む町で育ったと聞いた気がする。確かに年齢も同じくらいだ。だが、今朝までAさんと高遠さんを結びつけて考えたことは全くなかった。私が高遠さんのことを他人事に感じられなかったのは、ひょっとするとこのような「縁」があったからなのかもしれない。本当に「縁は異なもの味なもの」である。
2004年06月17日
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北海道新聞の地方欄に、「せせらぎ」という読者のエッセイ欄がある。今朝のエッセイは千歳市の須崎さんが書いた「C級人間の条件」であった。これを読んでいて、「これって、私のことだ!」と笑ってしまった。このエッセイによると「C級人間」とは「出世したくない、大物になりたくない族」らしい。確かに、世の中には出世したい人としたくない人がいて、私は間違いなく後者である。だが、最初から後者であったわけではなくて、私だって最初は「キャリアウーマン」をめざし、出世はできなくてもひとかどの人間になりたいと努力していた。(私の若い頃は、女の身で出世は考えられなかったけれど、少なくても上昇志向や競争意欲の無い者はダメ人間だと、なぜか思いこんでいた)。しかし、様々な挫折や恥を繰り返す中で、私はこの小さな町の小さな職場においてすらも、「一目置かれる人間」にはなれそうもないことを思い知り、その後は「身の丈に合った生き方」をめざすようになった。今の私は、どんな小グループの中でもトップにはならないという、ある意味では無責任な姿勢を通している。さて、その「C級人間の条件」とは。( )内は、私のこと。1.声が小さい (私は生来声が小さく、多くの人を前に話すととても疲れる)2.言語不明瞭 (声が小さいからそうなるけれど、意味不明瞭ではないつもり)3.容貌容姿に迫力が無い (背は低く、容貌は十人並み)4.安物の靴を履いている (5000円以上なら高価な部類)5.パーティーなどで、気がつくとテーブルに取り残されている (パーティーは結婚式以外はほとんど出ないし、席を立って歩き回らない)6.服装は地味 (若い頃から、洋服選びのポイントは「目立たぬこと」が信条)7.アガリ症 (とてもアガルけれど、いざとなれば「まな板の鯉」となり、他人には気付かれないようだ)8.人見知りする (年の効というか、必要ならばどんな人とも付き合えるようにはなった)9.勝負事に弱い (だから、勝負事はしないことに決めている)10.酒に弱い (下戸ではないが強くもなく、酒の席は苦手)というように、私は10項目のうちほとんどに当てはまり、点数をつければ満点に近い。(これはこれで、すごいことじゃないか!?)。「アガリ症」と「人見知り」は、これまでの経験の中で何とか折り合いをつける術は身につけてきたと思うが、生来の気質は変えられないと思うこともしばしばである。こんな私が「キャリアウーマン」を目指したこと自体が無謀であった。40代にして自分の無謀な夢に見切りをつけ、「小物」として生きることにした私は賢明だったと言えるかも。これからは、自信を持って「C級(小物)人間」に磨きをかけようと思う。
2004年05月25日
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☆責任者の仕事の厳しさ北朝鮮拉致被害者家族の落胆と反発は、期待があっただけに想像以上のものがあったようだ。やり場の無い悲しみや怒りを、小泉氏は一手に引き受けているように見える。私は昨日の日記で、小泉氏の被害者達への冷淡さについて書いたけれど、それを「首相としての資格が無い」とまで言うつもりはない。ある意味での冷淡さもまた、一国のリーダーとしては必要だろうと思っているからだ。家族会の人たちが口々に首相を批判するのを見聞きして、逆説的かもしれないけれど、日本はまだ大丈夫だと思った。小泉氏なりに精一杯仕事をしてきたはずなのに、帰国するなり厳しい批判の嵐の中で冷静に聞いている姿は、責任者の仕事の一環として覚悟して引き受けているように見えた。責任者(あるいは担当者)として無責任な人たちの姿を、他のニュースなどで見続けていると、小泉氏が妙に潔く見えてしまうのだ。しかし、これはリーダーとして当然の姿であり、とりたてて誉めなくてはならないことではない。リーダーとして仕事をするからには、批判を受けることもまた仕事であり、それを次の仕事に生かさなくてはならないだろう。今回のことでは、小泉氏の責任も当然あるけれど、首相に恥をかかせないように仕事をすべき人たちにも、大きな責任があった。その人たちの顔も声も全く見えてこない。上や下に責任をかぶせる「ずるい役人」の顔が透けて見える。☆またまた家族へのバッシングが・・イラクの人質事件の時と同じ様なバッシングに近いものが、ネット上で散見される。家族達の長い苦しみを思うと、失望感と焦りと不安が怒りと変化して、感情的になったとしても仕方がないと思う。時間が経つにつれて、きっと家族会の人たちも少しずつ落ち着き、これからの戦略を冷静に考えることができるだろう。どうしてそれまで、そっと見守れないのだろうか。人を批判することに快感を覚えるような屈折した感情が、ネットの上では増幅されるのではないかと思ったりする。☆曽我さんの苦しみは?私は(同性としての直感で)、曽我さんの苦しみは相当に複雑で、言葉にも出せないものがあるように思う。それにじっと耐え続け、常に冷静にしっかりと言葉を選んで語る姿に、心から感動と尊敬を覚える。彼女は自分が日本から拉致されてきたとお嬢さんたちに話していたという。北朝鮮での切ない暮らしの中で、二人の娘さんの存在が彼女にとってどのようなものであったか。それを思うと、再会の日を一日も早く設定して欲しい。さっさと仕事しろよ、担当者!☆蓮池さん、地村さんのお子さん達・・一週間前に、「日本に行け」と言われて来日となったという。一週間で、どのように心の整理をして友達と別れてきたのだろう。(これを書いたあとで新聞などを見ると、友達にちゃんと挨拶もできないままに来たという。さもありなんと思いながらも、何ともやりきれない。この年頃は、友達や仲間をとても大切に思う時期だ。時には、親よりも友達の方が大切に思うこともある。北朝鮮を故郷として生まれ育った子供達にとっては、来日であり帰国ではない。もっと厳しい言い方をしたら、その両親同様自分の意志に関わらず連れて来られたわけだ。だが、自分達を拉致した国で精一杯生きてきた両親がそばにいるのだから、きっと苦労も乗り越えていけるはずだ。日本に来て良かったと、彼らが心から思える日が、一日も早く来て欲しいと祈る。
2004年05月24日
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今日は、某ボランティアグループの例会日。一ヶ月のスケジュール調整や、自主イベントの打ち合わせなどなどで例会は終わったのだが、その後、イベント関連の打ち合わせを、主要メンバーですることになった。すぐに終わるのかと思ったのだが、色々と話があちこちに飛んだりして、気がつくと午後二時を過ぎていた。もちろん、その間お茶は飲んだけれど昼食は取っていない。熱心に話し合っていたせいか空腹を感じていなかったので、そんな時間になっていることにみんなビックリ。しかし私は、その頃軽い頭痛を感じ始めていた。その後所用を終えて帰宅して、遅い昼食をとったのが3時頃。その頃には、頭痛はガンガンとなっていて、あまり食べたい気分ではなかったが、食べ始めるとどんどん食欲が出てきて笑ってしまう。・・そう、私はお腹がすくと頭痛がする体質なのだ。こんな人、他にいるかどうかわからないけれど、少なくとも私は空腹と頭痛は連動している。不思議なことに、そのようになる時にはあまり空腹を感じていないことが多い。案の定、食事をして30分ほど経つと頭痛はウソのように消えている。朝はゆっくり読む時間がなかったので、食後に新聞を読む。一面には「民主党代表に岡田氏選出」とあり、岡田氏を真ん中にして、鳩山・小沢・岡田・菅・羽田氏が手をつないでいる。それぞれの顔を見ての、私の感想。「影薄くなったねえ」→鳩山「本当にずるい人だなー」→小沢「頑張ってね、ご苦労さん」→岡田「おバカさんというか間抜けというか・・」→菅「あれ、ここにいたんだ」→羽田岡田氏はクソ真面目な人らしいので、少し期待してみようかと思っている。普通の真面目人間の底力を見せて欲しいものだけれど、・・どうなっていくのだろう。
2004年05月19日
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このところ、本当に不快なニュースが続いている。イラクでの人質事件、米軍の捕虜虐待、報復的人質殺人、日本では国会議員の国民年金未納発覚から始まる一連のドタバタ。そんな状況での国会での審議のあり方。北海道では道警の裏金問題での警察の腐り方・・。もう、頭に浮かぶことをダダダ・・と書き並べるだけで、気分が落ち込んできてしまう。これらのことで自分の頭や言葉を使ったら、昨日の梅林でリフレッシュした心がドヨーンと澱んでしまいそうなので、違う視点で書いてみようと思う。「熱い心と冷たい頭」という言葉がある。この言葉が誰のものによるのか記憶していないのだが、時々その言葉を思い出す。「ホット・ハート(hot heart)とクール・ヘッド(cool head」と言った方が、スマートかもしれないが・・。「熱い心」というのは、情熱、思いやり、優しさなどのイメージがある。「冷たい頭」というのは、冷静さ、分析力、論理性などをイメージする。最近の様々な状況を見ると、どうも「熱い頭と冷たい心」や、「冷たい心と冷たい頭」の人が増えているような気がする。どっちにしても、心が冷たいということだ。「熱い頭と冷たい心」ではキレやすくて自己中心的な人ということになるだろうし、「冷たい頭と冷たい心」では、冷酷な完全犯罪をもくろむ人や、論理的にわかったようなことを言いつつ他者を切り捨てる人になる。どうも最近は、このような人間が幅を効かせているように思えてならない。当然のことながら、社会や人間関係を人間らしいものにしていくためには、「熱い心に裏打ちされた冷たい頭」が必要なのだが、そのような人はとても目立たなくなっているように感じるのは私だけだろうか。誰もが、理念としては「冷たい頭と熱い心」を目指すのだろうとは思うが、楽天日記をあちこち読み回っていると、自分ではそのような人間だと(あるいはそうありたいと)思っているような人が、時々ゾッとするような冷たい発言をしていることに触れ、本当に自分のことはわからないものなのだと思う。この私も、熱い心を失っては「人でなし」になると気をつけているつもりだが、このような社会状況の中で、自分の心がどのくらい冷たくなっているか、自分ではわからないのかもしれない。そうそう、もう一つの組み合わせ「熱い心と熱い頭」はどうなるだろう。これも見るからに火事のようで自爆テロなどを連想し、自分も周囲の人もとても危険のように感じる。さて、これを読んでくださっているみなさんはどうでしょう。冷たい頭と熱い心の持ち主であることを願います。《補記》明日から三日間留守にするので、日記を書きこめません。
2004年05月13日
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☆昨日の二人の会見昨夜は、イラクで拉致された今井さんと郡山さんの記者会見を見ていて、「大人って何だろう」と思った。今井さんは18歳で、その年齢のせいで「子供が無分別にイラクに行って何が出来る」とか、「未成年の子供をどうしてイラクに行かせたのだ!」と家族もひどいバッシングされた。しかし、昨日の彼の態度や言葉遣いを見聞きしていて、「バッシングした輩(やから)よりはずっと大人だワイ」と思ってしまった。年齢を重ねていても、精神年齢が未熟な人がいかに多いかを、今回の人質事件や国会議員の年金未納の顛末を見ていて感じていたから・・。まあ、人間には様々な部分が混在していて、一部だけ見て「未熟だ」と言い切れないけれど、少なくとも自分のことは棚上げして、人の欠点をあげつらうことで自己弁護したり、自分を実際以上に高く見せようとする姿は、「大人」とはいえない部分だと思う。彼らに反省すべき点がないとは言わないけれど、若者(青年)は失敗を糧に成長するもの。こんな素晴らしい青年達が、命を失うことがなくて本当に良かった。イラク人に殺されなくても、米軍の空爆で命を落とす可能性はあったのだから。しかし、彼らをずーっとバッシングしていた人たちには、きっと全く違うように見えるのだろうな。今更引っ込みがつかないこともあるし、自分の視点を自分で変えることは、よほど謙虚でなくては難しいものだから。その意味では私も、自分の視点を変えることが出来ないから、彼らに青年らしい高揚感を認めはするけれど、それを不快には全く感じず、一種の爽快感を覚えている。☆連休は・・今日・明日はとてもよい天気のようだ。午後から孫達が来るので、それまでに庭にパンジーを植えよう。昨日夕方、パンジーの苗を20株買ってきた。もうしばらくしたら、実家の母が育てている花の苗が育つので、本格的な花壇作りはそれからになる。庭のエゾムラサキツツジも満開になった。たった四株だけれど、孫のために植えた「イチゴ」にも白い花がいくつか咲いている。日に日に自然の色合いが春色に染まってくる。春から夏にかけての自然の変化が、一年のうちで一番好きだ。【追記】午前中に急に実家から呼出しがあり、芋の植え付けなどの農作業の手伝いをする。父も母も高齢のため、自分達で思うように仕事ができないのに、「畑があるのに荒らすのはイヤだ」と、色々な農作物を少しずつ作っているのだ。私達の労働力をあてにする部分が年々多くなっているのだが、私達も野菜などを食べることが出来るので、協力はやむを得ない。しかし、こちらにも予定があるので、早く言って欲しい。・・と、チョッピリ拗ねながら仕事をしている私も、まだまだ未熟者かな?**********************************************明日・明後日と、日記を書き込めないかもしれません。
2004年05月01日
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昨日、別のサイトの掲示板に私が書き込んだ言葉を、日記代わりに書いておく。このサイトは、「私の親しい仲間部屋」なので紹介しないことをお許しください。*******************今回のことで、私は人間の心の弱さのようなものをつくづく感じました。バッシングしている人たちは、なぜにあのように堂々と「弱い者いじめ」のような発言が出来るのか。それは、政府首脳がそのように言っているからです。もしも小泉首相が「彼らは悪くない。政府はこのような勇気ある日本人がいることを誇りに思う。その人たちを救うために全力を尽くすのが私達の使命だ!」と言い切ったなら、あのようなバッシングをしないだけではなく、「小泉首相の言うとおり! 彼らは偉い!」と、彼らをヒーロー扱いしたかもしれない・・。つまり、いかに「強い方につかなくては」と戦々恐々としているかということで、そのような人たちはとても弱虫なのではないかということです。そして、あのように勇気ある行動(それが多少慎重さに欠けていたとしても、少なくてもバッシングしている人たちよりは勇気がある)ができる人たちでも、人の心の冷たさや言葉の凶器に対しては、あれほどに怯えてしまうということです。それを「心の弱さ」と言ってしまうことは適当ではないのでしょうが、「心は傷つくのだ」ということを、お互いに理解したいものだと思います。ただし、心は人によって傷つくけれど、人の思いやりによって必ず癒され、さらにパワーアップできる可能性も秘めているということを忘れたくはありません。あの三人とそのご家族が、一日も早く元気な笑顔を見せてくれることを願います。【追記】良くも悪くも、権力を持つ人の言葉の影響力は大きい。自分の言葉の与えた影響について、小泉首相や福田官房長官はよく考えて少しは反省して欲しいけれど、無理なのだろうな。今回の事件について「怪しい、怪しい」と言っていた人たちから、その言葉を撤回して反省する言葉も見られないどころか、まだ最初の想像的思い込みに固執しているみたいだ。私は、少なくても「自作自演」については全くのデマだと思うし、ビデオで「恐怖を演出」されたとしても、その時の彼らは充分に怖かったと思う。「自作自演の噂」も官邸周辺からとの話もあるけれど、事実はどうなのだろう。家族の態度が世間を怒らせたというけれど、そんな世間に私はずっと腹を立てている。世間はそんな人ばかりではないということを伝えたくて、この一週間はこんなことを書き続けた。でも、もういささか疲れてきたので、この話題については今日限りにしたいと思っている。
2004年04月21日
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年を重ねるごとに、「ご縁」という言葉が身にしみるようになってきた。生まれてから今日までに、何人の人と出会ってきたのかわからないけれど、ご縁がなければその出会いはその時限りのものになっているような気がする。「ああ、いい人だな。ずっと付き合っていきたいな」と思ってもいつのまにか疎遠になる人もいれば、「あまり仲良くしたいわけでもない・・」と思っているのに、気がつけばン十年の付き合いになっている人もいる。初対面のつもりで色々と話しているうちに、共通の友達がいたり遠縁だったりしてビックリすることもある。そんな時には、「縁のある人とは出会うことになっているのかも・・」と思ったり、「他生の縁かも」と思ったりする。また、初対面でも初めて会ったような気がしなくて、何だか懐かしい感じを受ける人もいる。こんな感覚は私だけのものではなく、結構多くの人が感じているのではないだろうか。さて数年前、「きっと前世では姉妹か親友だったんではないか」と思う人との出会いがあった。彼女とは、行政から委嘱を受けた○○委員同士として出会った。それ以来気が合って、私が関わっている会の協力者にもなってもらい、いつのまにか強力な助っ人→同士へと絆が深くなってきた。私は基本的に、公的な場で出会った人とは適当な距離を持って付き合うようにしているので、彼女に対しても多少クールに付き合ってきた積りだ。(たとえば、二人だけでおしゃべり目的のランチなどはしないなど・・)しかし心の底では、お互いに役目を離れたときには、本当の友達として遠慮なく付き合いたいと思っていた。ところが、この4月から彼女は行政の嘱託職員として働くことになったので、○○委員も辞職することになった。これからは公的な部分でのつながりがなくなったので、堂々と彼女とプライベートな友達関係になることができる。早速昨日、彼女の経過報告も兼ねて食事をしたのだが、その笑顔を見詰めながら、もしも「前世」というものがあるなら、きっと強い絆で結ばれていたことだろうと思ってしまった。(梨木果歩の小説に多少影響されていると思うが・・)彼女も私も長寿の遺伝子を持っているようなので、これからの半生は彼女と語り合うことが多いのだろうと思う。どちらが先にあちらの世界に行くことになるかわからないけれど、別れる時にはきっと、「生まれ変わったらまた会いたいね」と言うような気がしている。さて、もっとも縁の深い出会いであったはずの夫には、同じ様にいえるかな? 「生まれ変わっても夫婦になろうね」なんて・・。うーん私は、兄と妹、あるいはボーイフレンドくらいがいいな。二度も夫婦をやるなんて、チョッピリシンドイ。いやいや、そう思っているのは夫の方であろう。「妻にするならば、別の人がいいな・・」とね。そういえば、とても手のかかる夫に対して良妻賢母を頑張り続けている知人が、夫から「生まれ変わってもおまえと結婚したい」と言われて、「私もだよ」とは答えられなかったと言っていた。「俺じゃダメか?」とムッとされて、当たり障りのない返事をしながら、「冗談じゃない、今度はもっと優しくて協力的な人と結婚したいよ!」と思っていたとか。それを聞いてみんなで笑ってしまったが、そう思っている人も多いことだろう。でも、夫婦になるほどの縁を紡いでしまった相手とは、きっとまた来世でも出会うのでしょうね。
2004年04月08日
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☆静岡の某市長の娘さんの行方不明事件は、娘さんが無事に保護されたことで決着した。事件性はないとのことなので、自殺を考えての家出だったのだろうか。無事だったことにホッとするとともに、これからが大変だな・・と思う。本人も家族も、これからの方が厳しい道のりかもしれない。でも、若い頃には悩んだり迷ったり行き詰ったり、そして家出をしたり自殺しようと考えたりすることは、さほど珍しいことではない。そのような時には、家族にはもちろんのこと、多かれ少なかれ周囲に迷惑をかけているものだ。言い換えれば、人は他者に迷惑をかけながら成長するものだと思う。(もちろん、程度の問題もあるし、できる限り周囲に迷惑をかけないよう心がけることは必要だけど、本人の能力を超えた時にはどうにもならない)。誰もが多かれ少なかれ似たような思いを体験し、何とかそれを通り過ぎてきたはずなのに、過ぎてしまうと人に迷惑をかけていたことなんかケロリと忘れて、「人に迷惑をかけるな」と偉そうにのたまうようになる。どうぞ、色々な意味で傷ついているであろうこの家族を、温かく見守ってあげてほしい。きっと真面目で心優しい娘さんではないだろうか。一日も早く元気になって、自分らしさを取り戻してほしいと願う。☆証拠がなくても有罪の判決が、最近時々あるように思う。昨日の、筋弛緩剤事件もそうである。それでいいのかなと、どうしても釈然としないものがある。かと言って、限りなくグレーに感じる者を、無罪というのも釈然としない。控訴審が始まった「恵庭OL殺人事件」もそうである。北海道での事件であり関心を持っているのだが、これも直接の証拠はなくて状況証拠ばかりの積み上げで有罪となっている。両方とも、もしも冤罪ならば大変なことであるが、本当にやっているとしたら許されないことである。そして、両者とも警察の捜査の詰めが甘いということも同じである。最初から犯人を誰かに決め付けて捜査しているようにすら思う。先入観を持たずにすべての周辺の人のアリバイをキチンと詰めていくべきだし、恵庭事件の場合は警察が尾行中に目を離して、(誰かが)証拠品を焼却するところを見逃したという失態も演じている。もう十数年も前のことだが、私もある事件の周辺にいたことがあり、警察から事情聴取された。幸いにも私は疑われていなかったらしく、警察の質問は本当に形式的なものであった。私が「どうしてこのことを聞いてくれないのか?」と不思議に思い、当時の私の上司に「聞かれたこと以外は言わないように」と注意されていたにも関わらず、事件に関係があると思える当たり前のことを、「○○については調べていますか?」と聞いてしまったくらいだ。案の定、それについては関心を払っていなかったらしく、警察は「え? どういうことですか?」と聞かれて、こっちの方があきれてしまったことがある。そんな体験があるせいか、どうしても警察の捜査の甘さが気になってしまうのだ。今、北海道警察だけではなく、全国各地で「裏金問題」が注目されている。警察の捜査は大事件にも甘いことがあるのだから、身内を調べるなんてできっこないと、私は思っている。【補記】日記リンクをしている秀さんの日記で、筋弛緩剤判決について書かれているが、これは私の「なんとなく変だなー」という思いを、見事に論じてくださっている。このように書けたらいいなと思いながら、私は「何となく変」という感覚を大切にしようとも思った。私にはそれしか出来ないからだけど・・。そして、「疑わしきは罰せず」の意味を、もう一度考えて欲しいと思う。私は警察の捜査に対して批判的に見ているけれど、捜査も司法判断も、「ミスを起こす性質を持つ人間」がやっていることなのだから。
2004年03月31日
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今夜は親戚の通夜に参列。何年も前に脳梗塞で倒れて、その後入退院を繰り返していたのだけれど、回復することなく旅立ってしまった。まだ70代前半の年齢は、今の時代では早い死に入るのだろう。色々と苦労が多い人生だったようだから、やっと一息つける年になってすぐに倒れてしまったことは、きっと残念だったことだろう。でも、家族も身内もそれなりに覚悟はしていたようなので、まあこれも天命と受け入れるしかない。それにしても、今日のお坊さんのお説教は長かった。何と、30分である。それも、モゴモゴと発音がハッキリしない上に、中身があるようなないような話をダラダラと・・。申し訳ないけれど、耳を澄まして聞いていたのは十分くらい。あとは、時計をチラチラと眺めながら、在りし日のMさんのことを一所懸命思い出すことに努めていた。ずーっと僧侶として数え切れないほどの葬儀を勤めてきたはずなのに、どうしてこんなにお説教が上手になれずにこの年まできたんだろう。ご本人はとても学がある僧侶と自認されているようだし、本当に学識は高いのかもしれない。しかし、参列者を退屈させて、かつ深く心にしみるような感銘を与えないのでは、せっかくの良い内容も意味をなさないだろう。もっと短くていいから、「なるほど、そうだよなー」と思わせて欲しいと思う。そうでなければ、在りし日の故人の思い出でも語ってくれた方が、どんなにありがたいことだろう。あなたのお通夜のことでこんなこと書いてごめんね、Mさん。でも私、あなたの旅立ちの日なのにと思ったら、何だか腹立だしくなってしまったの。人一倍気配りをするあなたは、きっと気が気ではなかったんじゃないかと思って・・。
2004年03月19日
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☆神戸連続児童殺傷事件犯人の男性が医療少年院を仮退院もう、7年経ったのだな・・と思う。あの残虐な行為の犯人が中学生だったと知った時の衝撃、その後の色々なゴシップめいた報道、犯人の親の手記を読んだ時の気持ち、殺されたお子さんの親の手記を読んだ時の気持ち、色々なことが思い出された。なんだか随分前のような気もするし、たった7年しか経っていないのだという気もするし・・。でも、それぞれの当事者にとっては、この7年はとても長いものだったのではないかと想像する。どうぞ、世間がもう一度この青年や家族などを追い詰めないで欲しいと思う。もしも本当に贖罪の気持ちが育っているのならば、これから生き続けるという事がまさに茨の道なのだ。とても心配なのは、世間が必要以上に疑心暗鬼になり、無関係の人に対してもその目を向けないかということだ。鬼は他人の心の中にではなく、自分の心の中にあるということを忘れないようにしなければ。☆冷静になることの大切さ上記のこととも無関係ではないが、私たちは何か困ったことが起きたら、「大変だ、大変だ」と騒ぐ傾向がある。それは、自分自身の不安をもてあました上の言動であることが多いのだけれど、「正義感」や「善意」の衣をまとっていることが多い。今日も、ある会合でそのような類の話を聞いた。自分の好奇心や不安を解消するためにだけ何かを追求することは、自制した方が良いだろうと痛感した。周囲にとって困った問題である場合、誰よりも当事者は一番困っているし苦しんでいる。その時に、批判や糾弾の視点だけでは、物事は悪循環に陥りやすいし、当事者を追い詰めてしまう。世の中の現象は、単に個人的な問題だけで説明できることはないと思う。多くは、社会システムや構造の中から、チューブから搾り出されるように「たまたまその時その人に」起きたことと考えた方が良いように思う。もちろん、どれほど同情できる要素があろうとも、法的に罰せられることをした場合は、キチンと罰を受けなくてはならないのが社会ルールだ。だからこそ、多少の不備はあっても法律が定められ、それを執行するための職についている人がいる。裁くことや法の執行は、そのような人にお任せしなくてはならないのだが、「個人の善意や正義感」がその枠を飛び越えていることが、私達の周りには多いように思う。当事者が混乱したり熱くなっている時には、周囲のものは冷静を心がけ、まずは当事者達が落ち着いて問題解決のために考えられる環境を作らなくてはならないだろう。一緒になって熱くなったり、ましてや煽ったりするような言動は、くれぐれも慎まなくてはならないと思う。
2004年03月10日
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卒業・進学・就職の季節である。昨晩のテレビでも「フリーター」について取り上げていたけれど、縁戚に当たる高校を卒業した男の子も、今現在で就職が決まっていない。高校が進学校であるためもあり、ほとんど求職がないのだという。本人は頭もいいのだけれどなぜか大学進学する気はなく、早く就職したいと考えているようだ。このままだと、とりあえずアルバイトでもするしかないという状況のようだ。就職したくても就職先がないらしいことを聞くと、フリーターは社会構造の問題であり、本人の目的意識のなさばかりでないことは確かだ。もう一人の高校三年生の甥は、残念ながら前期試験では不合格だった。後期も無理だろうということで、すでに浪人を決めている様子。自分の希望する大学以外は考えていないらしい。本州に住んでいるため、なぜ本人がその大学に固執しているのかちゃんと聞くこともなくわからないが、まあ目標が明確で親も納得しているなら浪人でもいいだろう。ただ、後期試験があるというのに浪人を決めているようなところが、少し気になる。ところでその甥は、受験のお試しとして防衛大学」を受験したという。一次試験が合格したら、自衛隊から訪問されたという。また聞きなので詳細はわからないが、二次試験へのお誘いというかお迎えのようなものだったらしい。甥は防衛大学には行くつもりはなかったので、正直に「そのつもりはないです」と断ったとか・・。それは仕方がないけれど、なんで行くつもりもないのに肝試しのように受験するのか・・。甥はしごくマジメな性格だと思うので、多分高校などでそのように指導しているのではないだろうか。そうでなければ、全く自衛隊に興味も関心もない甥が受験するはずがない。ひょっとすると、防衛大学校がどのような学校なのかという基本的な知識もなかったのではないだろうか。自衛隊に訪問されてビビッている甥の姿が目に浮かぶ。甥のせいで、本当に自衛隊員として働きたいと思う若者が一人不合格になったのではないだろうか。・・そこまで考えることもないだろうが、何だかとっても複雑な気分である。実は、私の次男も現在フリーター状態である。いい年になってきたので、さすがの息子もいささか「このままじゃ、マズイ」と思っている気配。だが、親の私は脛をかじられているわけでもないので、あまり焦ってもいない。最低の収入でもあのように生活していける力があるとわかっただけで、親としては安心とも言える。こんな親が、フリーターの増加を後押ししている要因の一つかもしれないけれど、あとは自分でやっていくしかないのだから、「まあ、今日を元気に生きてよ」と言うしかないとも思っている。私が息子に電話する時の口癖は唯一つ。「ちゃんと食事をしなさいよ」。親の最低の願いは、生きていてくれることだ。その上で欲を言わせて貰うなら、生きることに幸せや喜びを感じていてほしい。
2004年03月07日
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掲示板での「はくさん」の書き込みに対して、掲示板では字数オーバーになるように思うので、日記に私の考えを書きたいと思います。まず、その人がどのような価値観や人間観を持つのかによって、ものの見方や考え方には違いが出てくるのは当然のことです。同じものを見ていても、それぞれが受ける印象は違うし、見ている部分も違うことは日常的に体験するわけです。それは歴史認識についても同様で、同じ史料を使っていても、正反対の結論が導き出されてしまう事だって多いわけです。私は、絶対的に正しいことはあまりないのではないかと思っています。この世の中のことや人間のことについては、ほとんどが「現時点で相対的にこうである」ということしかできないのではないかと思うのです。しかし、「絶対的に正しいことなどありはしないのだ」と虚無的になり、理想や現実をより良いものにしようという努力を放棄しては、生きていることそのものに意味がなくなってしまいます。ですから私たちは、「過去から学び、今を見詰め、未来に向かってより良い方向を考えながら歩く」ことをしなければ、生の喜びもないと思うのです。そしてまた、私たちは一人では生きられないという存在です。生まれてから死ぬまで、意識しているか否かに関わらず、誰の世話にもならずに生きることなど、一分一秒もできはしません。その意味では、「いつも誰かを自分が生きるための道具として使っている」と言えるでしょう。それは、別の意味では「誰かの道具として生きている」ということでもあると思います。それが、社会的な存在としての人間の「役割」で、「人や社会の役に立つ」ということであり、とても大切な意味を持つと考えています。私は、「戦時中の国家は、国民を『道具としか』考えていなかったのではないか」と書きました。つまり、どんな状況であろうと、人は人を道具としてのみ使ってはいけないと私は考えているのです。カントは「実践理性批判」で、次のように述べています。『あなたの人格における人間性も、他のどの人における人間性も、常に同時に目的として扱い、けっして単に手段としてだけ扱うことのないように行為しなさい』私はこの言葉を、大学の「倫理学(樽井教授)」のスクーリングで知った時、目からウロコが落ちるような気がしました。そのことについて書くと長くなるので、今日はそれをはくさんへの私の考えの基礎としてだけ書いておきます。つまり、道具として(カントの言葉では「手段」)だけ人を使わないようにすることが、人としての基本的な道徳(倫理)ではないかということです。それぞれの役割の中で、時には死ななくてはならない時もあるでしょう。しかしそれが「普遍的な人間社会の幸福のため」に通じるものであれば、人は納得できると思います。また、自分に死への命令を下す人が、「常に同時に自分の存在への敬意・思いやり」を持っていてくれれば、納得もしやすいのです。問題は、国が本当に国民を守ろうとしているかどうかだと思います。権力というものは魔力があるようで、力を持つものはそれを手放そうとはせず、その体制維持のために人を道具としてのみ使い始めます。かつての戦争が、避けることが出来なかったというのも、ある意味ではそうであったかもしれません。日本が植民地化されないようにする「自立」の戦いの側面があったかもしれませんが、その以前に日本がやっていた朝鮮半島などへの行為はいかがなものでしょうか。日本が自立するために必要不可欠のものであったとは、私には思えないのです。そして、戦時中から敗戦まで国の軍事的・政治的リーダー達が掲げていたスローガンは、とてもアジアの他の国の人たちのことを本当に考えていたとは思えませんし、まさに「使い捨ての道具」としてしか考えていなかったと感じていますし、敗戦間近の国民に対しても「使い捨ての道具」だったと感じてしまいます。残念ながら現在も「力は正義」のような考え方が蔓延し、そのリーダーはアメリカのブッシュ氏ですね。しかし、それもまた時代遅れになりつつある価値観だと思います。どの国の人々も、その多くはいつでも平和を望んでいます。理不尽に正当な理由もなく命をおびやかされない所で、日々の糧を得るために働き、家族や友人達と談笑し合える世の中を望んでいます。その生活を守るために、私たちは政治家や社会システムの中にある機構に「自立と平和を守る役割」を委託しているはずです。国民から委託された役割の意味を考えれば、「私的な欲望の充足」を求めるだけにその力を行使してはならないはずです。その意味で、現在の政治家や国家機構のモラル喪失は、本当に危機的だと感じてしまいます。一人一人が、自分の欲望充足のためにだけではなく、自分が現在・未来社会に向けて果たすべき役割を考えつつ行動することが必要なはずです。そのためには、過去の歴史事実からもっと学ぶことが必要なのでしょうが、残念ながら「自国のためにのみ歪曲された歴史」が大手をふるっている状況を見ると、なんともやりきれない思いがします。残念ながらはくさんのベクトルとどのように違うのか、明解に書くことが出来ません。一方的に私の思いを書くことになりましたし、言いたいことも充分書けたとは思えないのですが、一応これまでに致します。
2004年03月01日
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楽天で日記を書くようになってから、色々な人の書くものを読むようになった。そこで痛感するのは、その人の立場や感性、価値観や視点の違いで、同じニュースに対しての感想や考え方が、とても違うということに改めて驚くばかり。もちろん「日記」だから、多くの場合「日常雑感」に関する記事もあるので、ホームページを訪問した時には何日分かの日記を読むことが多い。すると、ある部分ではとても共感できたり、「きっとこの人は、いい人なんだろうな」とほほえましく思ったりするのに、時として「エーッ、どうしてそんな風に考えるの?!」と、どうしても納得できないときもある。そんなことは今更驚くほどのことではないのだが、人というものはそれぞれ考え方が違うものだと再確認している。私は、できるだけ自分の考えのバランスをとりたいので、異なる意見も聞こうと思うタイプなのだが、違う思考回路の人との間には、「バカの壁」ではないけれど「万里の長城」のように長くて果てしない壁があると思うこともある。日常生活においては、そのように感じる人とはあまりお付き合いをしなくなってしまい(しても、表面上の付き合いになってしまう)、違うタイプの考えをじっくり聞く機会が少なくなるので、その意味では楽天の日記は気楽に楽しむことが出来てありがたい。でも、時々、違う意見の人に対して、ムキになって掲示板で批判や反論をする人がいて、そのような書き込みを見ると「ほとんど無駄なのにな・・」と思ったりする。幸いなことに、私の掲示板にはそのような人は現われないので、それもありがたい。
2004年02月14日
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新聞でこの記事を読んだ時、多分日本中の大多数の人がそうであったように、私は我が目を疑った。「なぜなのだ?」という疑問を抱えながらも、「世の中には色々な人がいるから・・」と、それ以上は深く考えなかったのだが・・。午後から図書館に本を返却に行き、いつもの習慣で雑誌の立ち読みをしていると、「中央公論12月号」での宅間守の戸谷茂樹主任弁護人のインタビュー記事が目に飛び込み、獄中結婚のこともあったのでつい読んでしまった。単純に語ることはできないが、宅間死刑囚の心理的変遷に共感した人も多かったようで、多分獄中結婚した女性もその一人であろう。私はこの事件が起きた時から、第二第三の宅間守を生まないためにも、彼の精神的な変遷をしっかりとみんなが考えることが必要だと思っている一人だ。いつの間にかそのような強い気持ちも薄れていたのだが、弁護士の言葉の中に、その気持ちを改めて思い出した。屈折した気持ちを抱え続ける体験をし、そのことによって心を病んだり苦しんだり、あるいは不条理なこの社会や、特定の人に対する強い怒りや恨みを抱え続けた人は、同じような心理的体験をしている人には「共感」することが多い。そんな意味で、宅間守は決して特殊な人間とは言えないのではないだろうか。いつしか人間らしい心を失い、打算と快楽を求めるばかりになってしまった彼が、彼に真の意味で共感してくれる人と出会い、それによって人間らしい心を取り戻し、心からの謝罪の心を持つに至ってから、生涯を終えて欲しいと思った。「人でなし」のままに命を絶たれてしまうのでは、被害者遺族の心はどこにも救いがないように思う。戸谷弁護士は、「憎しみは憎しみしか生まない」と何度も語っていたそうであるが、私もそう考えている。増幅された憎しみは、傷つけて良い相手を探して次の憎しみを生むことだろう。人間同士だけのことではない。集団同士や国同士にもまた、同じようなことが起きている。この連鎖は、断ち切ることが不可能なのであろうか。不可能であるとするなら、未来は決して明るいものにはならない。そして、次々と宅間と同じような人間が生まれる環境が整備されるということであろう。私達はそれを望んでいるのであろうか?
2003年12月28日
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この数日、ある少年が気にかかっている。人間関係づくりが苦手というか不器用で、繊細で傷つきやすく、いつも他人を気にしすぎながら日々を送っている。本当の友達や自分を理解してくれる人を強烈に求めすぎて、誰も自分の苦しさををわかってはくれないという思いに囚われている。「助けて!」と叫ばれても、周囲の人達は何をどう助けて良いのかわからず戸惑ってしまう。彼自身が、どうしてそれほど苦しいのかわかってはいないし、どのように助けて欲しいのかわからないのだから当然でもある。そして彼は叫ぶ。「結局、誰も本気で他人のことなど心配なんかしないんだ。大人は優しそうな顔をしていても、助けてはくれない。大人はずるい。大人はみんな同じだ!」と。それは、思春期にきっと多くの人が大なり小なり味わう感情だと思う。その時期を通ってきた記憶を持つ私には、彼の気持ちも多少はわかる。そして、「こんな感情に囚われる自分は特別だ(あるいは変だ)」と感じているであろうとも。それは、自己と他者を考え始めた少年には当然訪れる感情ではあるが、決して自分以外の誰とも同じではない。持って生まれた気質や育った環境、それまでに出会った人々や体験はみんな違う。その違いの分だけ、感じ方も考え方もみんな違う。他者と違う部分を強く意識し、自分のダメで弱くて醜い部分を嫌悪し、周囲の大人の中にもそれを感じて絶望し、生きてゆく希望も価値も見出せないどん底に落ちて、それでも毎日生きていることを知り・・。その繰り返しの中で自分の内部から湧き上がるものによってしか、自分を救うことはできないと私は思っている。私は、泥沼の中に這いずり回る少年に、溺れないようにとロープを投げることはできても、沼に自ら助けには行けない。だって、彼にとっては泥沼であっても今の私にとっては水たまりであり、「ほら、何ともないよ」と言ったところで、彼には泥沼なのだから「わかっていない」と思われるだけだもの。自分でもがいて自分で脱出するしかないのだよ。私たちはその姿にエールを送ることはするし、具体的に彼がしてほしいことを示したなら、可能な範囲で協力はできるけれど、それ以上は大人でも無理なのだよ。大人だって人それぞれだから、出来る事と出来ないことはみんな違うんだよ。そんなことを思いつつ、今の私は彼に少し距離を置いて見守っている。私が彼に伝えたのは、「とにかく今日を生きてね」ということだ。私はその泥沼の絶望に見切りをつけて、この世から去る人達が多いことも知っている。だから、自死する人を責める気にはなれない。それがその人の限界だったのだから、「辛かっただろう。残念だ」と思うしかない。誰もが必ず死ぬのだから、自死もその一つとさえ思う(ただ、他者を道連れにするのは許せない)。だけど、少なくとも思春期の泥沼は、生きてさえいたら通過点となるし人生の糧にもなる。だから、生きていて欲しいと祈る。発作的に死んで欲しくないのだ。その少年は死なないとは思うが、人は自分で自分がコントロールできなくなる時もあるし、思春期にはその傾向も強いからそれだけが心配なのだ。人は同じではない。この世に「私」はただ一人であり、それだからこそ毎日が発見と感動の連続にもなる。だけど、「私はただ一人」ということは、決して全面的に誰かと思いを一致させることはないという孤独と背中合わせなのだ。人は一人で生まれて一人で死ぬのが原則だけど、だからこそ少しでも共感できたり協力し合える人と出会った喜びは格別だし、そのような人達と支えあうぬくもりこそが人として生きるということではないかと思っている。こんなことを言ったとしても、今の彼には「きれいごと」だろう。私自身、はるか昔にはそう思っていたのだから。いつか君と、このようなことを語り合える日が来ることを祈りつつ、かつ信じています。
2003年12月10日
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昨日は、皇太子のお子さんである「愛子さま」の二歳の誕生日だということで、イラクのニュースとテレビを二分していた。本当に日本人は、どうしてこんなに皇室の人達が好きなんだろうと不思議なくらいだ。私は戦後生まれなので、特別皇室に対して敬愛の念を持たなくてはならないと、少なくても学校教育で教えられた記憶はない。でも、天皇陛下が近くを通るという時に、小さな日の丸の旗を手作りして、学校ぐるみで「お出迎え」というか「歓迎」のために道路に並んだことは何度かあったような気がする。それでも、私にとっては格別の意味もなくて、ただ先生が行けというから並んだというだけの事であった。とても不思議だったのは、一緒に並んだりしているお年寄りが、手を合わせていたりおがんでいたり、中には感激して涙ぐんでいることだった。私の小学生の頃、現天皇陛下がご結婚されて、ミッチーブームが起きた。私たちは「きーんしかがやくみちこさま・・」なんて替え歌を歌って遊んだりしていたけれど、私にはそれだけだった。時は過ぎ成人する頃、私はどうしても天皇制度には納得が行かなかった。住井すえの「橋のない川」なんかを読んだせいかもしれない。何より、「人間」を象徴とするということが理解できなかった。同時に、何となく美智子妃殿下を好きになれなかったこともある。今にして思えばとても申し訳ないのだが、言動のすべてがわざとらしいというか、無理しすぎているようでイヤだった。しかし、結婚して子どもを産み、滅私奉公的に仕事と家事に日々を追いまくられている頃から、美智子妃殿下に対する見方が変化してきた。生まれ育ったのとはまったく違う環境に身を置き、自分の自由というものが限りなく制限された中で、精一杯自分の務めを果たそうと努力していらっしゃることが理解できるようになったのだ。努力には無理や背伸びも付き物だということを、私自身がイヤと言うほど味わっていたのだから。同時に、特殊な環境の中でありながら(いや、だからこそか)、結婚した人と二人の間に生まれた子供達との愛情を、ご自分の全力をあげて紡いでいらっしゃることに、私はすっかりかぶとを脱いだ。つまり私は、美智子皇后のファンになってしまったのだ。同様の意味において、雅子妃にも関心を持っている。私の皇室への敬愛感は、以上のことに由来する。しかし、その他の人達に対しては、やっぱり格別の感情はないような気がする。ファンとは言っても、お二人がこの近くに来たからといって見物(いや歓迎?)に行こうとまでは思わない。さらに、今でも「人間を象徴とする」ということには納得できないままである。ましてや、二歳の愛子ちゃんのことでメディアがワーワー騒ぐのは、どうしても不思議なのだ。多分、それだけ日本人が皇室(番組)を好きなのだろうと思うのだが、ナンデダロー。だからといって、本当の意味で皇族が大切にされているかというと、過去の歴史からみてもほとんど道具か飾り(象徴だからなのか?)。全く失礼な話だと思うのは私だけだろうか。それにしても、愛子さまが雅子妃を「ママ」と呼んでいるとは・・。それにアルファベットが話せるって、何なのよ。まずは日本語の「あいうえお」じゃないのかと思うのは、英語が苦手な私のひがみかな。
2003年12月02日
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ある人のホームページを見てみて、ふと思い出した。私は団塊世代の尻尾にぶらさがったような世代に属している。ということで、私達には学生運動のしぶきがかかっていて、高校時代の上級生には学生運動家の子分のような人達もいた。当時、私達の高校は結構校則が厳しくて(それでも、今よりマシだったようにも思う)、私達が入学した頃はそれらの一部の上級生を中心に、高校(校則)革命(?)運動が展開されていた。確かに、それらの校則はあまり意味のないものもあったけれど、私達新入生にとっては、それがその高校の特徴とでも言うようなものだったので、少なくても私には、さほどの問題意識はなかった。しかし、昼休みなどに上級生リーダーがアジリに来るのを聞いているうちに、私には彼らがとても理知的で、物事を深く考えていて、これからの学校や社会のあり方について真剣に考えているように思えてきた。それに、その人達は演説をしないその他大勢の上級生達よりも、成績も良かった。(当時の高校では、学力テストのたびに成績順位が廊下に張り出されていたから、みんなどの程度の成績を取っているか一目瞭然だったのだ)私は、見習うべきモデルを、一部リーダー達に重ねたのだ。・・・しかし・・・悲しいかな、彼らが「主体的に考えろ」だの、「問題意識を持て」だの言われても、当時の私の内部を見詰めるにつけ、自分が空洞の入れ物に感じてきてしまった。私には、自ら湧き上がる課題意識や主体性はないように思えた。私はまぎれもなく、彼らがバカにしているように見える「大衆」であった。だから、少しでも彼らの側に近づきたいと思えば、彼らの言葉に共感を示し、拍手をし、そして授業ボイコットなどに走らなくてはならなかった。何だかよくわからないけれど、それの方が正しいように思うしかないと思った。今思うと、そこに私の問題意識や主体性が隠れていたのに・・。私は多分、彼らに本気で共感していなかったように思う。彼らを「カッコいい」とは感じていたが、何となく違和感があったのも事実であり、その証拠に私は彼らの言いなりの行動はとれなかった。しかし、その理由は自分でもよくわからないので、ただ勇気がないからだと自分を卑下していたように思う。私は「ノンポリ」であることを、自虐的に自覚していた。幸いなことに(?)、私達の学年にはそのような人達が多く、一部リーダーの端くれになっていた人たちからはばかにされながらも、肩身が狭くはなかった。その後も学生運動が盛んな時代は続き、学生運動が狂気へ突進する時代でもあった。私は相変わらず、それらの人達をどこかで尊敬し、心の中でエールを送りながらも違和感と葛藤し続けていた。なぜか、リーダー的な人達が自分達の世代を代表する人達だと錯覚さえもしながら・・。そして、私は情けないノンポリだけど、あのように真剣に社会改革を考えている人達が沢山いるのだから、きっと良い時代になったゆくに違いないと希望を持っていた。やがて学生運動は頓挫し、あんなに頑張っていた人達の姿があっという間に見えなくなった。私も社会人となり、仕事と家庭(子育て)との両立に必死に生きてきた。せめて仕事を続けることが、ノンポリだけでは終わりたくないという意地の表明の側面があったように思う。そして40代になり、様々な社会問題が噴出してきた。特に、私達を含む団塊世代が育てた子供達に、様々な問題がでてきていた。「どうしてなのだ!? なぜ?」私はそれに気付いた時、髪をかきむしりたいような思いにとらわれた。もっと良い社会をと、使命感に燃えた世代であったはずの先輩達はどうしたのだ?論理的に私達を説得しようとした、とても主体的に頑張ることのできた人達が、どうしてこんなに自殺するのだ?ふと気付くと、あの頃元気だった人達の多くは、当時の私達同様「その他大勢」になっている。あんなにキラキラ輝いていたように見えた人が、普通の元気のないおじさんやおばさんになっている。私は、今はそんな違和感に戸惑い続けているのだが、何となくその構造や理由も見えてはいる。はっきり言おう。例外は勿論あるけれど、団塊周辺の私達世代は、昔も今も強いものに追従しやすい「その他大勢が大多数の世代」だったのだ。とにかく人数が多いから、その中で目立つことができるのはほんの一部。うまく目立てなかった人間は、自分が少しでも共感でき、かつ強そうに見える人の手足となり、そこに自分の居場所を見出そうとしてきた。かく言う私もその例にもれない。これは、このような世代に生きる者の宿命とも言える。こうやって書きながら、私は高校時代と似たような感覚にとらわれる。私に主張すべきものはあるのか? どんな言葉も、誰かの受け売りではないのか? 私自身の信念はあるのか?そして、見聞きしていることのどれだけが本当なのだろうか?ふー、あれから40年近くたっているけれど、私って本当に成長ないやつだ。しかし、なんだかんだとブツブツいいながらも、こうして生きているという事実は大きい。それに、色々あっても私はやっぱり人間が好きだ。何だか情けなく見えるオジサンになっていても、私は彼らを憎めないし、やっぱり好きなんだろうと思う。挫折を繰り返し、ボロボロに疲れてしまっていても、何とか踏ん張って生きているような「かつての闘士」も嫌いではない。だけど、必要以上に自分を美化したり正当化するヤツは大嫌いだ。
2003年11月18日
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今日は、実家で雑用をしていたのだが、テレビでは「東京国際女子マラソン」の実況をやっていたので、時々チラチラと見ていた。前半で見た時は、高橋選手とアレム選手がぶっちぎりの様子だったので、多分高橋尚子さんが満を持しての勝利ということになるのだろうと思っていた。ただ、その時にとても汗をかいていたので、「暑そうで大変だな」と、チラッと思った。この季節に25℃なんて、調子狂うだろうな・・と。またしばらくしてテレビを見ると、高橋選手のペースが落ちてきたらしい。しかしその時、あの小出監督は「何とかつじつまを合わせるだろう」なんてことを言っていたような気がする。私も、監督が言うのだからそうだろうと思い、テレビから離れた。次に見たのは、アレムさんが競技場に入ってくるシーンだった。「あれ、高橋選手は?」と思い、ズーッとテレビを見続けている夫に聞いた。「もう、バテバテよ・・。でも、二着にはなるだろう」私はマラソンや高橋選手に特別の思い入れもないので、「あー、かわいそうにね。最初に無理しちゃったかな・・」なんて夫と会話をしながら、せっかくだからゴールを見届けようとテレビの前に座った。やがて高橋選手が競技場に入ってきた。確かに、足の伸びが全然ないし、とても苦しそうだ。アナウンサーが何か言っていたけれど、あまり記憶がない。ただ、このトラックの一周をどんな思いで走るんだろうと思っていた。競技場にいる人達だけではなく、日本全国の観客が、高橋選手の一等賞を待ち望んでいた(ようだ)。無関心派の私ですら、最初の様子を見て彼女のトップを願った。そして誰よりも、彼女自身がそのことのためにどれほど苦しいトレーニングを積んできたことだろう。彼女にとっては、トップ以外の状態は「想定外」であったのではなかろうか。この一周は、長いだろうな。ゴールした時、彼女の顔を見るのが辛いな・・、そう思いながらも私はテレビを見続けていた。・・・ところが・・・ゴールした彼女は、少し弱弱しいけれども笑顔を見せたのだ。どうして笑顔なのだ・・?きっと彼女のことだから、「期待にこたえられずにごめんなさい」くらいは言うだろうとは思っていたが、笑顔とは・・・。彼女、大丈夫だろうか? とっさに私は心配になった。決して笑えるような状態ではない時に笑うことは、その人の強さでもあるけれど同時に弱さであることも多い。私は、それ以上彼女を見ていることに忍びない気持ちになり、テレビの前を離れてしまった。・・、これが私の弱さである。しかし、弱いことは強いことでもあるのだ。自分の心が必要以上にダメージを受けないようにすることは、とても大切なことだと思っている。夜のスポーツニュースでの、小出監督のコメントも辛かった。自分が面倒をみてやらなきゃやっぱりダメなんだって、言ってるように聞こえた。そんなことないよ。どんなに頑張ったって、どんなに用意周到にやったって、生身の体が思うようにいくはずない。それが人間の証だと、私は思うよ。
2003年11月16日
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「裏話」というほどのことでもないのだけど・・。私の住む町には自衛隊の駐屯地があるので、今回の自衛隊イラク派遣については、主義主張以前の関心がある。私たちはあまりにも身近に自衛官の家族が住んでいるので、直接この問題を議論する機会はほとんどない。私なりに自衛隊問題については関心を持ってはいるが、この町では一歩外に出ると自衛隊関係者が沢山いらっしゃるので、自分の考えを語ることもないのが現実なのである。自衛隊に関係のない市町村の人から見たら、「どうして? だからダメなの」と言われそうだが、それが実情なのだ。さて昨日、町内会の世話役の人達と話す機会があった。その人は、最近開発されてきた新興住宅地に住む人で、「私の町内は、若い人達も多くて活気があるし、独居老人などもほとんどないし、問題は少なくて助かる」とおっしゃっていた。さて、その話の流れの中で、そこの新住民には自衛官の人が多いと聞き、「エッ! 自衛官には、最近は転勤はないのですか?」と聞くと、「いえいえ、転勤はあるのでご主人は単身赴任をすることが多いようで・・」そうか、以前はご主人の転勤で数年で転居する人が多かったけど、自衛官の人達もそのようになっているのかと思いつつ、「お家を建てて、今回のイラク派遣にも可能性があるとなると、ご家族の人達は不安なことでしょうね」と聞いた。するとその人は、「ところがね、結構、奥さんの方からイラクへ行くことを勧める人もいるようで・・・」一瞬「エッ?!」と思ったけれど、次の瞬間に私は妙に納得していた。だが、その納得の仕方に、私は自分自身にガッカリしていた。イラクに派遣されると、危険手当(正式には何という手当てなのかよくわからないが)がかなり出る。特に今回は、今までとは比べようもなく高額のようで、半年派遣されたら500万以上にもなると噂されている。家のローンがある人達にとっては、この臨時収入はとてもありがたいことだろう。しかし、それだけの危険が予想されるということなのに・・・。結局、自衛官の妻といっても、この平和な日本でぬくぬくと育ってきた若い人達である。「人間の死」からも、随分距離があるままに育ってきているし、ましてや戦争なんてまったくリアリティーがないのかもしれない。夫や父親が死んだり障害者になることの意味は、想像もできない人がいるかもしれない。さて、当の自衛官はどうなのだろう。新しい家のために単身赴任し、危険な地域への派遣を妻に勧められ、国民からは「日本のために頑張ってください」というような、強い期待や尊敬を必ずしも受けているわけでもなく・・、うーん、こう書いているだけで悲しくなってきてしまった。もちろん、家族も色々であろうから、派遣の命令が降りることがないようにと、大きな声ではいえないけれど必死に祈っている家族もあるだろう。かつて日本が戦争をしていたころ、召集令状に「バンザイ」と叫びながら、押入れで泣いていた銃後の妻のように・・。戦争状態とは違うと言っても、赤十字でさえ攻撃される国だ。さらに「イスラム」という、普通の日本人にはその国の常識もまったくわからない国に行くのである。どうしても派遣しなくてははならないのなら、せめてその国についてキチンと教育をしてから送り出して欲しい。つまらないことでイラクの人々の顰蹙や怒りを買い、攻撃の標的にならないようにと祈るばかりだ。
2003年11月15日
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時々「よみうり教育メール」http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/index.htm を見ているのだが、その中に気になる記事を見つけた。S県教育委員会の調査で、不登校児童・生徒の調査をした結果、学校に行けなくなった理由のうちで最多の回答が、「家庭の出来事」だったという。不登校・登校拒否に悩む親子と比較的多く話す機会がある私は、「そんなバカな!?」とよく読んでみると、何と「担任」の回答での調査結果だという。まあ、担任が回答したらそうなるだろうな・・と納得してさらに読み進むと、「事態を重く見て、保護者も含めた対策の検討を始めた」とある。やれやれ、どうしてこんなことになるのか。当の子どもでも、一番身近で悩んでいる親でもない者の回答が、どうして現実を反映していると考えるのだろう。はっきり言わせて貰えば、学校の先生は「学校に来ている子どもたちへの対応で精一杯」で、学校に顔を出さない児童生徒ととの接触は、無きに等しい。子ども自身の話にじっくりと耳を傾けることのない先生が、親との対応などからの想像上での回答がほとんどだろうという、そのくらいの想像力も教育委員会は持っていないということに、今更ではあるが怒りを覚える。さらにまた、先生は不登校のきっかけすらも(多分)わかっていないのだろうから、自分(教師)や学校には責任がないと期待を込めて思い込み、家庭や子ども自身の問題だと決め付けているだけだ。こんな調査結果を基にして対応策を考えたなら、見当違いもはなはだしい。それどころか、一層子どもや親には苦しい圧力がかかるに決まっている。せめて、家庭や子どもへのアンケートなども平行して実施し、その違いを吟味した上で検討して欲しいものだ。S県やその周辺にも、不登校の親達の会や、フリースクールなどもあるだろう。せめてそのような団体にでも意見を聞いたらどうか。しっかりしてよ、教育委員会!
2003年11月13日
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楽天のホームページを色々見ていると、実に様々なものがある。結構「多いなー」と感じるのが、恋愛に関するもの。もちろん人間として生まれたからには、誰にでも恋愛の体験はあるはずで、恋愛のない人生なんて寂しいものだと私も思う。それにしても、私の感覚では不倫に限らず恋愛は「ひめごと」に属するものだ思っているので、このように不特定多数の人達が見ている場に晒す気にはとってもなれない。だから、特に「不倫」の実況中継のようなものに出会ったりすると、「これ、創作じゃないのかしら?」と疑問に思う。本当のところは、どうなんだろう。私だって若い頃には恋愛体験の一つや二つあったし、確かにその頃は「日記」に思いを綴っていた。だけど、それは私の「秘密の日記」であり、誰にも絶対見せる気持ちにはならなかった。なぜ、見せたくなかったのだろう・・?恋愛感情は、決して美しいものばかりではない。妬みや疑い、不安や畏れ、錯覚や幻想が入り乱れて、自分が自分でないような感情に翻弄されることが多い。私はそのような自分自身を恥じていたのではないかと思う。今よりもまだまだ人生経験が浅く、未熟ではあったけれど、その程度の自己認識はあったように思う。今、様々な場面で「ありのままの自分でいい」と言われることがある。かつての私のように「ありのままの自分を恥じる」という気持ちだけでは辛いけれど、善悪美醜まるごと「それでいい」というわけでもないだろう。ありのままの自分を認めた上で、「悪と醜」は少しずつ乗り越えていくようにしなくてはならないのではないか。「悪と醜」の部分を恥じるからこそ、不倫は「ひめごと」になりやすい。だから、ひめごとでなくなった恋愛は堕落するような気がするのだけれど、いかがなものだろう。それと、「恋」と「愛」は似て非なるものだと私は思っている。だから「愛」に裏付けられていない恋愛は、ただ身勝手なものだと思う。【補記】不倫を含む恋愛は、自分の意志に関わらず、穴に落ちたような状態だと思うので、そのこと自体を批判するつもりはないので、念のため。
2003年11月11日
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「普通」という言葉が使われている時、私は時々考えてしまう。何が普通なんだか誰もはっきりと説明できないのに、「それが普通だよ」と言われたらそんなものかと思ったり、自分ではまっとうだと思っていても「普通はそんなこと言わない」とか言われたら、何だか心細くなって、自分が間違っているのではないかと思ってしまったり・・。まあ、大抵の場合は「多数派」が普通の範疇となるようである。・・ということで、「普通の国家」という言葉である。今では「憲法第九条」を頑固に主張していると、何だか普通じゃないような論調さえ見られる。私は、憲法は改憲論議されて当然だと考えているのだが、「戦争放棄、軍備および交戦権の否認」という九条だけは、何とか保持して欲しいと考えている。はっきり言おう。私が九条は平和のために重要な思想だと思うのは、「直感」である。しかし、自分の直感の根拠を論理的に述べたいと思っても、悲しいかなそれができる力量がないので、結局「空想的ロマンチストの感情的な主張」みたいになってしまいがちだ。現に、日本が「普通の国家」としてアメリカを初めとする大国と肩を並べ、責任ある立場をとらなくてはならないと考える人たちは、九条を主張する人達を普通ではないように批判したりもしている。多数派が正しいと決まったものではないのに、どうして「普通でない」というような曖昧な言葉で批判するんだろう。この国で、「普通」で何かが主張される時ほど、危ないことはないのでははないだろうか。ついつい悔し紛れに、そのように天邪鬼な言い方をしたくなるのだが、それでは同じ穴のムジナかな。私はできれば周囲と協調路線で、「普通の傘の中」でぬくぬくと生きて行きたいタイプなのだが、どうも希望と現実は違うみたいで「普通じゃない」と言われてしまうことも多い。だけど、そのように言われることを必ずしもイヤだとは思っていない。だから憲法九条についても、私は「普通じゃない国家」で頑張ってほしいのだけど、いまやそれを主張するのはあの社民党と共産党くらい。どうも、分が悪いな・・。
2003年11月03日
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小泉首相が、中曽根氏と宮沢氏に比例区での定年制の理解を求めて、中曽根さんは「失礼だ! 仕事はこれからだ」などとあくまで出馬すると言っている。今朝の新聞では「小泉首相も配慮が足りない」というような論調があったけれど、配慮でがんじがらめになってどうしようもないから小泉さんが出てきたわけで、この問題はこの時期にズバッとするしかないだろうと思う。そりゃあ、「老人は役に立たない」と言われたら誰でも怒るが、これはそのような問題ではないだろう。老人が若い頃と同じ役割にしがみつこうとするから「老害」になってしまう。年を重ね、経験を積んだ老人の役割は、必ずある。そして、人間は自分が体験しないことは理解することがとても難しいのだから、若い人達を批判するのではなく、経験を生かして若い人達を育てる仕事のやり方を、高齢者は開拓していかなくてはならないだろう。そのために努力して、若い人達をサポートして、若い人が困った時には助け舟を出してこそ、高齢者は若い人達に信頼され尊敬されるはずだ。時には、広い視野に立っての頑固さや一徹さも、大きな力になるだろう。自分個人のプライドだけにこだわるのは、一途さとは言わない。それなりの仕事をしたことは、多くの人が認めている。その時代には必要だったことも、今の時代には邪魔なこともある。それを一番わかることができるのも、色々な時代を生きてきた老人の力ではないのだろうか。私も高齢者の仲間に指先がかかっている。それぞれの年齢なりの、私なりの役割を果たして行きたいと、中曽根氏や藤井氏のニュースをみながらつくづく思う。
2003年10月24日
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人間関係のスタートは、挨拶をすることから始まる。しかし、これが結構、簡単なようで難しい。私はどうも、脳の認知細胞が少ないか、あるいは回路が一本足りないようで、人の顔を正しく覚えることできず、名前と顔がなかなか一致しないのだ。顔の認識能力に問題があるとわかったのはつい最近だ。モンタージュ記憶ゲームのようなものがこのパソコンについていて、それをやってみると私のレペルはとんでもなく低かった(他のゲームは、そこそこの点数を取れるのに)。その時初めて、今まで記憶力や覚える気のなさによると思っていた「顔と名前が一致しない」原因が理解できた。この弱点によって、今まで随分恥や失敗を重ねたものだ。「あ、Aさんだ」と思って話をしていて、途中で違う人だとわかった時のバツの悪さ・・。町で人に呼び止められて、それが誰だかわからずに冷や汗をかいたりなどは、日常茶飯事である。体験的に、私は三回以上しっかりと会話しなければ、その人と出会ったときに「どこの誰か」を思い出せない。だから、町を歩く時はいつも緊張してしまう。誰かと目が合って会釈などされてしまうと、頭の中はチカチカと火花が散る。いつも、「私は名前と顔を覚えることがとても苦手な欠陥人下だ」と公言しているので、数回しか会ってないと思う人には、素直に「ごめんなさい、どちら様でしたか?」と聞いたり「○○さんでしたよね」と確認したりできるが、確実に何度も会話していると感じる人に対しては、あまりにも失礼な気がして聞けないこともある。そのようなときに、会話の中でさりげなく情報を探り、次第に的をしぼってゆくテクニックは、経験を積んで身に付けてきた。結局名前を思い出すことができなくても、別れてからアドレス帳や名簿ファイルで確認することが出来るし、そのような作業をした人のことはさすがに覚えることができる。そうはいっても、次第に私も年を重ねてきて、記憶力そのものも低下してきた。その結果として、緊張しながら人と挨拶することが面倒になってきたのである。そこで次の知恵である。一つは、できるだけボーッとして人と目を合わさないように歩く。それでも誰かと会って、特に挨拶までしなくても良いと感じる人には、「とりあえず笑顔」で会釈し、相手が声をかけてくるより早く、サーッと身をかわしてしまう。今までは、できるだけ多くの人と良好な人間関係を作っておこうと努力していたが、「もういいや」という気分になってきてしまった。複数の地域活動を円滑に進めたいという欲がないわけではないが、無理せずに出来る範囲でボチボチやろうと思っている。とにかく、面倒な人間関係に巻き込まれるのだけはゴメンだ。嫌われたっていいや、というように思えるようになってきたのは、私が年をとったという証なのかもしれない。まあ、とりあえず笑顔戦術で、ボチボチいこうと思う。
2003年09月22日
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中学校を卒業してから、もう35年以上にもなる。私は田舎の中学校を卒業したのだが、その同期会がS市のホテルで開催された。遠くは関西や東京からの参加者もあり、会場では様々な再会ドラマが繰り広げられた。当時の少年少女も、今では50代。当時の先生達も出席してくださったが、並んでみると「誰が生徒で先生か?」である。先生よりも貫禄があったりする人も、何人もいる。中学卒業以来初めて会う人の中には、どうしてもかつての顔と現在の顔が重ならず、全くの別人のように感じる人もいる。つくづく、「人間は変化する存在である」と、哲学者のようにつぶやきたくなる。かといえば、一瞬にして50代の顔が中学時代の顔に変化してしまう人もいる。たしかにその顔にはシワもシミもあり、白髪混じりになってはいるのだが、話し方や笑い方、そのしぐさまでが「昔とおんなじ!」と思う人もいて、そのような人には「変わらないねー、若いねー」と叫んでしまう。となると、前言を撤回して「人間の本質は変わらないものである」といいたくなってしまう。私は卒業した地元に住んでいるので、いつも幹事役をやることになり、クラス会や同期会のたぐいには出席率100パーセントなのだが、みんなと思い出話をしながらいつも感じることがある。それは、「記憶は事実とは違うのかもしれない」ということである。同じように体験したはずのことでも、人によって印象や状況がずれていることが多い。「あの時、○○君はこう言ったね」「いや、それを言ったのは△△だよ」「あの日は吹雪だった」「いや、その日は台風で臨時休校だった」などなど、なんでこのように違って記憶してるんだろうと首を傾げてしまうことがある。何かの本で「記憶は嘘をつく」というのがあったと思うが、確かに「嘘」とまでは言わなくても、人の記憶はかなりあやしい。それでも、色々な人たちの思い出をすり合わせていると、思いがけない再発見をすることもある。あるいは、新たな感動が引き起こされることもある。当時は子どもだったからわからなかった様々な人間模様や心理も理解できるのは、年を重ねて経験を積み、苦労や痛みを乗り越えてきたからこそであり、思い出話の中にも新しい意味を発見できることもある。それにしても、このようなことを感じることが出来たのも、このような場があってこそ。そして、その思い出話の中に、かつての恩師達がいてくれてこそ。同期会に出席できるということは、身心共に会場に足を運べる程度に健康であって、その程度の経済力もあり、外泊できるような家庭環境にあるということだ。次回の同期会がいつになるのかわからないが、また元気に思い出話や近況報告に花を咲かせたいと願う。みんなが、それまで元気にいて欲しい。
2003年09月14日
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人は、生まれてから死ぬまでに、何人くらいの人と関わるのだろう。以前、仕事をしていた頃、常に持ち歩いていたアドレス・ノートの人数を数えて、ビックリしたことがある。何と、500人を越えていたのだ。そして今、携帯電話に登録されているのが50件(私は、携帯電話を使う人は限定している)、年賀状を出す人は300人くらい、パソコンにアドレスを入力している人は、400人くらい。でも、これは「現在」関わりを持つ人なので、過去をさかのぼるとどのくらいになるのか、見当がつかない。ちなみに、私はそれほど交友関係が多いほうではないと思っているのだが・・。毎年、この中から数人は、あちらの世界に旅立っている。この世では決して会う事のない人の数も、随分増えた。だから、死ぬことも次第に身近なものになってきて、いつ旅立っても不思議はないと思うようになったし、もしもあの世というものがあって懐かしい人に会えるのなら、それも楽しみだと思ったりもする。そんなことを感じるようになってから、「一期一会」ということを思いつつ、人と話していることも多い。一方で、人間のつながりは、実はとても限定されているように思う時もある。初めて出会った人と話をしていて、実は共通の友人がいたり、縁戚だったりすることもよくある。縁とは、不思議なものである。どんなに近くに存在していても、縁がない人とは出会わない。やはりこの世は、不思議だと思う。
2003年08月26日
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日記を読み返して、このところあんまり楽しくない文章ばかりで、自分でもがっかり。どうせ生きるのなら、楽しいことを見つけながら生きようと思っているのに・・。で、今日と明日は楽しいことを書けるのが嬉しい。今朝、突然、学生時代の友達から電話が入った。彼女は本州に住んでいるのだが、身内の葬儀でこっちに来ているという。「これから、あいてない? 明日、帰るんだけど」「えーっ、私も午前中は出かける予定があつて・・。夜じゃダメ?」「うーん、午後からO市の親戚の家に行くの。じゃあ、明日の午前中は?」「あー、良かった。大丈夫だよ。うちに来てくれる? それともどこかで会う?」「そっちへ行くよ。じゃあ、明日ね」私は若い頃、はっきり言って友達の多い方ではなかった。それどころか、私を友達と思ってくれる人がいないのではないかと、ひそかに悩んでいたくらいだ。だから、誰かが声をかけてくれるととても嬉しくて、なんとしてもその人の気持ちに応えたいと思ったものだ。彼女は、数少ない友人の一人で、進学・就職・結婚で離れてしまったけれど、私がせっせと手紙を書くことで、つながりを保ってきた。筆不精の彼女は、私が手紙を出すと電話をくれた。そんな彼女も、家族のことで色々大変な時期もあり、北海道に里帰りすることもめっきり少なくなったが、私が通信の学生だった頃、夏スクーリングで上京した時には、東京まで出てきてくれて会うのが楽しみだった。その彼女と、本当に久しぶりに北海道で会える。彼女が我家に来てくれるのは、もう20年ぶりくらいだ。それにしても、何と突然の電話。せめて、昨夜にでも電話をくれたらいいのに・・・。それにしても、明日、予定が入ってなくて本当に良かった。
2003年08月24日
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養護施設で育った人のサイトで、「里親」という言葉について考えさせられた。通常「里親」という言葉は、親のいない子ども(あるいは事情によって育てられない子)を家庭で引き取って育てる人のことを言う。しかし昨今は、引き取り手のない猫や犬を育てる人のことも「里親」と言っている。私も以前から、動物を育てる人に対して「里親」ということには、若干の違和感があったが、さほど深く考えることもなく見過ごしていた。しかし、養護施設で育った人にとっては、人間の子どもと動物とを一緒にしたような使われ方は、とても不快感を覚えるという。確かにそうだろうと思う。事情があって親から離れて施設に暮す子どもにとっては、里親に育てられる可能性もあるし、それが犬猫と同様の言葉を使われるのは嫌に決まっている。犬や猫は「家族同様」とは言っても、あくまでもペットであるから、「里親」ではなくて「飼い主」と言って欲しいという主張には、全面的に賛成する。誰しも、自分の体験によって感じることには敏感である。「養護施設」や「里親」のもとで育つ子供たちは少数であり、上記のように至極当然の訴えに対しても、「些細な言葉にこだわっている」という見方をする人がいる。しかし、「嫌だ、不快だ」と言う人に対して、「言葉にこだわるな」はないだろう。誰かが嫌だといったら、それが特に不当な主張でない限り、配慮をするのが当然だと思う。また、どれほど職員が子どものために頑張ったとしても、施設は施設であり家庭にはならないだろう。子どもが育つには、自分だけを見つめて付き合ってくれる大人が必要だ。しかし、施設は基本的に集団生活であり、その中で子供たちは、様々なことを我慢し続けているはずだ。そのような中で、職員によるいじめや虐待があるなど、許されることではないのだが、現実にはそのようなことも少なくはないようだ。ただでさえ、人生の初めから厳しい状況の子供たちが少しでも良い人生を送ることが出来るように、私達はもっともっと配慮しなくてはならないだろう。一般の私達が出来ることは、そう多くはない。しかし、ネット上でそのような立場の人の声を聞けるのだから、その声や叫びに謙虚に耳を傾け、自分の出来ることから行動に移していくことが、彼らを応援することになると思いたい。まず私は、今日から動物を育てる人に対して「里親」という言葉は使わないようにしよう。
2003年08月23日
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2日前に「不登校問題を考える全国の集い」で知り会ったAさんから、メールが届いた。その人は、同じ分科会で出会ったのだが、はるばる北海道までやってきて、得たものも多かったけれど、カウンセラーの仕事をしている人の言葉に、とても傷ついたのだという。その場面は、私もはっきりと記憶している。Aさんは、ご自分の子どもの不登校のことだけではなく、色々な課題を抱えていた。とても責任感の強い人のようで、必死に頑張って疲れている様子が、その言葉や表情から伝わってきた。人生には、頑張れば頑張るほどうまくいかない時もある。少し力を抜いた方が良いと自覚していても、目の前の課題を捨ててはおけずに、精一杯背伸びをして転びそうな状態になることもある。私から見ても、Aさんはそのような状況に思えた。その姿は痛々しく、彼女の心の痛みや苦しさ、切なさがビシビシと伝わってきて、私の心も辛くなっていた。いくつかのやりとりや、同じような体験者からの励ましやアドバイスの後に、カウンセラーだというBさんは言った。「頑張りすぎや自己犠牲は良くないです。○×△・・・」Aさんの痛みを感じ始めていた私には、その言葉が、鋭いナイフのように突き刺さった。そして、固まってしまい、その後のBさんの言葉すら覚えていない。(私はAさんではないのに・・)ただ、(そんなこと、わかってるよ。わかっていても出来ないから苦しいんだよ。もうそれ以上責めないで!)と思っていたことだけを覚えている。私と同じようにいたたまれなくなった別の人が、Bさんのアドバイスに割り込むようにして、緊張の時間はストップした。何も言えずに固まってしまった私は、ホッとした気持ちと自己嫌悪の中で揺れていた。Aさんは、「今の言葉、とっても痛かったです」と気丈にも自分の気持ちを伝えていた。その姿に、この分科会の中で一番ダメだったのは私かもしれないと、またまた少し落ち込んだ。分科会終了後、Aさんは私に名刺(メールアドレス入り)を渡してくれた。そのほかのやり取りの中で、私に親近感を抱いてくれたようなのだ。お盆の慌ただしさが終わってから、私はAさんにメールを送り、その返信が一昨日届いたわけだ。その中で、やはりあの時のBさんの言葉がとても痛くて、その後とても落ち込んでいたと書かれていた。Bさんの言葉はもっともで適切なアドバイスなのだと言い聞かせても、自分の気持ちがわかってもらえず責められたという気分が抜けなかったらしい。それでも、私からのメールで、共感してくれた人がいたということを知り、嬉しかったと書いていてくれた。もっと早くメールを出さなかったことを、少しばかり後悔したが、彼女の方も夏休みやお盆で忙しかったようだから、許してもらおう。それにしても、カウンセラーでもあるBさんが、いくら肩書き抜きで話しても良い場所とは言え、向き合っている人の痛みに一般論としてのアドバイスをしたことに対して、私は少しばかり怒っている。カウンセラーであろうとなかろうと、向き合う人に対しては優しくあってほしい。痛そうな人には、できるだけ痛みを和らげるような言葉が欲しい。私はカウンセリングの勉強をしたことはない。しかし、勉強をしている人、あるいはそれを仕事としている人に、時として「マニュアル、一般論、理論どおりの対応」のようなにおいを感じることがあり、私はそれがとても嫌だ。私もまた、理屈で自分を律するタイプの人間なので、もしもカウンセリングの勉強をしたら、私が嫌う落とし穴にはまってしまうことが見えるような気がするのだ。それを自覚してから、私はカウンセリングの勉強をしたいという欲望は捨てた。それよりも、目の前の人と真摯に向き合い、気持ちを理解し、その時の私の感情に素直に従ったほうが、心を通じ合えるような気がしている。(何よりも、時として向き合う人に共感しすぎてしまうこの体質では、カウンセラーなどやれるはずもないのだが)。今後も、ただのおばさんとして、また隣人として人に接しよう。今回のことを通じて、またその気持ちを強めた。
2003年08月22日
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久しぶりに義兄夫婦が遊びに来た。長男(30歳)の結婚が決まったという、おめでたいお土産付だった。以前からこの長男のことについて心配していたので、「ワー、よかったですねえ。おめでとうございます!」と言うと、義姉はちょっと曇り顔で、「それがねえ、手離しでおめでたくもないのよ・・」と言う。咄嗟に私の脳裏には、いくつかの「おめでたくないバージョン」がチカチカ点滅した。「その気もなかったのに、出来ちゃった結婚」「お嫁さんが子連れ」「とんでもない(親子ほどの)姉さん女房」「身内にヤバイ人がいる」などなど。しかし、よく話を聞けばそのどれでもなく、私からみたら「親の理想の結婚ではない」ということだけ。内心(なーんだ)と思いつつ、「本人が好きで、相手もそれで良いと言ってくれて、二人が幸せなら何も言うことないじゃないですか」と言うしかなかった。ところが、次の言葉で私は一瞬絶句し、そっちの方がよほど問題ではないかと思ってしまった。「だってねえ、こっちが全部お金を出すのだから、少しは私達の希望も言っていいと思わない?」「えっ、結婚費用を全部親が出すんですか?」「だって、息子には貯金もないし(今まで、親と同居してたにもかかわらず?)、人並み(ってどんな程度?)のことするには、こっちがお金を負担しなくちゃ出来ないでしょ」私達は、息子夫婦が結婚する時には「自分達で出来る範囲で結婚しなさい」と言い渡した。もちろん、親だから相談には乗るし、親としてのご祝儀も出したけれど、それ以上は一銭も出してはいない。だから、結婚費用の収支も私達は知らないのだ。結婚はゴールではない。その時からシビアな二人の生活が始まるのだから、二人の愛情が強い時だからこそ、一緒に色々相談して「自分達らしい、身の丈に合った結婚式」をした方がよいと思っていたのだ。もちろん、親としての夢や希望がないわけではなかった。でも、それは「親の希望」であり、それを押し付けるのはご法度と、「金も口も出さない」ようにしたのだ。世間では、最近は親丸抱えの結婚式があると聞いてもいたが、まさかこんな身近にそのタイプがあったとは・・。本来なら、義兄家族のことなのだし、それぞれの価値判断ですべきだとは思うのだが、私にとっても可愛い甥のことでもある。甥の今後のためにもと、つい口出しをせずにはいられなかった。そして、息子夫婦の結婚式の経緯とか、私達の金銭的なけじめのつけかたなどを、参考までにという形で話した。そんなことは、今まで義兄夫婦とは話していなかったので、義姉は「へーっ、式の費用を負担しなかったの? 全然知らなかった。そんな方法もあるんだ」などと、本当にビックリした顔をされて、私はその反応にビックリしていた。もっとビックリしたこともあるのだけれど、もう書かないことにしよう。とにかく、親というものは本当に欲張りで、必要以上におせっかいになるものだと痛感した。人のことはよくわかるけれど、自分のことはわかりにくいものだ。偉そうに言ってる私だって、やっぱり欲張りでおせっかいなのかもしれない。気をつけなくちゃ・・。
2003年08月19日
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昔馴染みのおじいさんのお通夜に参列してきた。いつも元気で、ニコニコしているとてもよい人だった。いつもの笑顔のままの写真を見詰めながら、また一人あちらの世界に行ったんだな・・と思っていた。人間の死亡率は、100パーセント。誰でも必ずその日はやってくる。それがいつのことかなんて、誰にもわからない。たとえ臓器移植などで頑張ったって、永遠の命は絶対にない。だからこそ、今、生きていることを大切にしたい。人を恨んだり、ぼやいたり、ましてや人をあえて傷つけたりして、限りある命を無為に使いたくない。私達の世代には、自殺者が多い。生きていることがそれほど辛いのはとても気の毒だけど、何とか生きていられなかったのかと、そのようなニュースを見るたびに残念に思う。私は自殺でも何でも、自分の決断による行動は、とりあえずは認める立場だ。だけど、家族など親しい人たちに与える衝撃の大きさや悲しみを思うと、何とか生きて欲しかったと心から思う。おじいさんは、仕事を全うし、老後は他の人のお世話役に撤して生きて、多くの人たちに愛され頼りにされ、そして80過ぎても惜しまれて逝った。可能ならば、私もそれにあやかりたいものだと願う。
2003年08月01日
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友人が、沖縄などの旅行の写真を持って遊びに来た。彼女はもう少しで50代に突入。独身で、最近リストラもどきで退職し、その退職金であちこちと旅行してきたと言う。結婚の意志が無いわけではなかったけれど、縁が無かったのかずーっと独身。「あーあ、これから仕事を探すってもなかなか難しいし、誰かいい人がいたら結婚して食べさせてもらいたいなーあなたはいいねえ、生活の心配ないもの」と、冗談とも本気とも言えない口調で笑う。「まあ、そりゃあそうだけど・・・。でも、本気で結婚したいのなら、もっと違う行動してると思うよ。結局は、一人で自由に生きる方が合ってるんじゃない?」昔馴染みだから、辛口に言い返す。人生は、トランプ・ゲームのようだと、時々思う。生まれてくる時に、神様からそれぞれカードを貰って、「これで何とかやりくりして、元気に生きなさい」と言われてきたのではないかと。人によっては、何枚もジョーカーを持って生まれたように思う時もあるけれど、それがある時、突然ラッキーカードになったりもする。能力や美貌に恵まれて生まれたからと言って、それが必ずしも、幸せが約束されているカードとも言えない。だからこそ人生は面白いし、最後まで結果もわからない。結婚することも幸せならば、一人で生きるのも幸せかもしれない。それぞれが、今、手に持っているカードを上手に活用して、できるだけ楽しく、充実した毎日を過ごしたいものだと思う。
2003年07月31日
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私と同世代の知人が、仕事をしたいと言う。専業主婦として家と夫を支え、子どもを育て上げ、夫は退職して第二の職場で働いている。家庭のことや子どものことで、いまだに心配事はあるけれど、一度社会で働いてみたいと言うのだ。ご主人は、妻を働かせたくないらしく、彼女が仕事に出ることに首を縦に振らないらしい。仕事をしたいという気持ちである資格を取り、今、仕事への誘いがかかっているから、このチャンスを逃したくないと言うので、「それなら、『これが最後のチャンスだから、働くから』と宣言したら?」と言ったけれど、決心はつかないらしい。長い結婚生活を、夫の顔色を気にしながら、すべてお伺いをたてて生活してきた、今時珍しいような「日本女性」である。「私達の残り時間は、そう多くはないんだよ。能力も体力も、もう低下の一途だし、チャンスだっていつもあるわけじゃない。本当にやりたいのなら、勇気を出して嫌な思いをすることも覚悟でやってみたら?」一緒に話をしていた二人が、異口同音に彼女にエールを送った。彼女が本気でその仕事をしたいのなら、どのようにしたら家族を説得できるかにエネルギーを使ったほうがいい。自分の未来を切り開くのは、自分の「意志」でしかない。私は運命というものの大きさも解っているつもりだけれど、その運命だって、自分の意志というか、思いの強さによって、自分にとって少しでも良い方向に向けられると信じている。しかし、あまりにも過酷な人生だったり、痛い思いをし続けた結果、「諦める」ことが習性になってしまうことがある。「諦めるのはいつでもできる。可能性が消えるまでは頑張ってみようよ」ほぼ諦めているようで、それでも諦めきれないような彼女の顔を見ていて、私にはそのくらいしか言う事ができない。そして、あらためて自分に言い聞かせた。「やりたいことがあったら、とにかく手をつけることにしよう」
2003年07月28日
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最近、ある人にとても嫌われてしまったようだ。別に、好かれようとも思ってないが、色々なところで顔を合わせる人だから、あまり苦手意識は持ちたくないと思っているのだが・・。私から見れば「ある日突然」突っかかってこられるようになり、その瞬間、何故なのか見当がつかなかった。しかし、日頃の私の言動が、その人にとっては歯向かっているように感じたのかもしれない。私は、人と争うことがとても苦手だから、自分の信念に反すること以外は、相手に合わせていることが多い。しかし、「これは譲れない」と思ったり、「ちょっとまずいぞ」とおもう時には、出来るだけ誰にでも納得できるような筋道で、一所懸命意見を言うことにしている。それが、多少頑張りすぎた時があったのかもしれない。今まで私は、一歩外に出たら、かなり人間関係には気を使っていた積りなのだが、まだまだ甘かったようだ。一度ギクシャクした関係を修復するエネルギーは、かなりのものだ。これからその作業をしなければならないかと思うと、ついため息が出てしまう私である。まだまだ、修行が必要なようだ・・。
2003年07月17日
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テレビや新聞を見ると、気が重くなることばっかり・・。そのせいか、どうも気持ちが明るくなれない。誰かの気持ちを逆なでするようなことを言っても、「失言でした」と言えばお咎めなしの人たちに、政治をまかせている国の私達。飢えで死ぬことなどないのに、なぜか多い自殺者。物質的には豊かでも、心がすさんでいるように見える若者達・・。心が楽しくなるための手っ取り早い方法は、自分以外の誰かが喜ぶことをすること。でも、それも時には「おせっかい」となってしまうこともある。そういえば先日、ある人が「ボランティアは、結局はおせっかいだから」と言っていたっけ。私はその時、反論せずにはいられなかった。「おせっかいだけで終わってしまうことは、ボランティアとは言えないのでは? お互いに嬉しさを共有できなくちゃ」なんて、偉そうに・・・。今の私は、自分の心が喜ぶことを求めて、おせっかいをしてしまいそうだ。
2003年07月12日
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とてもよい天気だったので、午後からドライブがてらA町にハスカップを摘みに行く。留守番兼会計を担当しているおじいさんが、「今日は沢山お客さんが来たから、いいのないかもしれんよ」と、申し訳なさそうに言ったけど、せっかく来たのだからと摘み始めた。夫と二人で約一時間、二人で2kgが摘めた。籠を持って計測に行くと、おじいさんが安心したような笑顔で言った。「あー、けっこういいのが沢山あったねー。良かった良かった」良いハスカップをお客さんに提供したいという、農業人の笑顔だった。しかし、今年は一kgが1300円になっていた。以前はもっと安かったような・・・。でも、農作物は毎年何もしないでいてよい実をつけてはくれない。収穫までの、町の人には見えない世話がなくては、特に北国ではなりたたないのが農業。「また来てくださいね」というおじいさんの笑顔を、来年も見たいと思った。
2003年07月06日
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