全12件 (12件中 1-12件目)
1
近所に、柴犬がいます。その柴犬の元には、毎日のように鳩がやってきます。鳩は、いつも一羽です。いつもやってきて、柴犬の餌をついばみます。柴犬は、怒りません。ただ、だまって、鳩を見ています。餌がない日も、鳩は来ます。餌よりも、柴犬に会いたくて、鳩は来ているようです。柴犬が怒らないのも、鳩に会いたいからでしょう。だから、驚かさないように、そっと鳩を見ています。歩み寄る鳩、見守る柴犬。もう、その関係が、2年以上続いています。今日も、鳩はやってきます。でも、いつも一羽です。野生の鳩の寿命は、5年程度。鳩よ、もう、友を見つけてはどうだろう。柴犬よ、その声を、伝えてはくれないか。いつも一羽の、その鳩に。【Youtube】 「ハトに食べられる犬のえさ 」 ※ この動画に似た状況が、近所でも2年以上続いています。
2014.09.30
コメント(17)
日本には、110の活火山があります。気象庁は活火山を、AからCの3ランク、そしてランク外に分類しています。ランクAは「活動度が特に高い活火山」、全13件が登録されています。ランクBは「活動度が高い活火山」、登録数は全36件。ランクCは「活動度が低い活火山」、登録数は全38件。そして、ランク外は、データ不足の23件。海底火山や北方領土の火山が含まれます。ランクAを紹介しましょう。北海道は、十勝岳,樽前山,有珠山,北海道駒ヶ岳の4件。群馬県と長野県にまたがっては、浅間山の1件。 東京は3件。伊豆大島,三宅島,伊豆鳥島。熊本県は、阿蘇山。長崎県は、雲仙岳。 鹿児島は3件。桜島,薩摩硫黄島,諏訪之瀬島。ランクAに、御嶽山はありません。御嶽山は、ランクBでした。同じランクBには、富士山も含まれます。ランクBの活火山の噴火は、予想外と言えるでしょう。被災された方々の、お悔やみを申し上げます。
2014.09.28
コメント(17)
寺院などには、大きな草鞋が祀られています。大草鞋は、かつては村の境界にも飾られました。この村には、大草鞋を履く巨人がいる。そう思わすことで、魔物を退けるためでした。そして、現代。もう人々は、草鞋を履きません。祀るものがない人々は、代わりに高いビルを建てました。それは、高い、高い高層ビルを。高いビルは、魔除けになったでしょうか。残念ながら、そうはなりません。高いビルは、毎日多くの人を飲み込みました。そして、人々を仕事という罠に捕らえては、野山を駆け巡る自由を奪いました。誰もが高いビルは魔除けではなく、魔物自身だったと気づいた時、人々は、草鞋を失った、あやまちを知りました。ただ、その時には、もうすべて後の祭りでした。
2014.09.26
コメント(11)
一山越えて落ち着きましたので、今日から日記再開です。ひさしくお邪魔できず、失礼しました。9月22日の夜7時前、京都の晴明神社前を通りかかりました。晴明神社は、安倍晴明を祀る神社です。すると、何やら人だかり。つい引き込まれると、祭事が始まりそうな様子です。なぜか無理なく、最前列のおみくじ板の裏側に。何の祭事か、知りません。なぜ、こんな最前列に空きがあるのかも分かりません。ただ、目の前にお湯を沸かした釜があるのが気になりました。わからぬまま、着いてすぐに祭事が始まりました。そして、最前列が空いていた理由は、すぐに分かりました。理由は、リンク先の晴明神社の動画をご覧ください。【晴明神社】 「いよいよ明日の夜から晴明祭」祭りは、晴明祭前夜の宵宮祭でした。この祭りでは、湯立神楽の奉納があります。湯立神楽では、最前列はそれなりに熱いお湯がかかります。私もかなりお湯がかかりました。それで、おみくじ板の裏とはいえ、釜の前になる場所は空いていたのです。さて、動画では、私は右のおみくじ板の裏に隠れて、中央付近にいます。お湯がかかってもあまり動きませんでしたから、あの人影かなという感じぐらいです。偶然でカメラも持たず、その後も京都で用事でしたが、ちょっと得した気持ちになりました。
2014.09.24
コメント(15)
急激な円安が進んでいますね。物価の上昇が懸念されます。輸入品依存度が高い、小麦,肉,パンなどは影響を受けるでしょう。おそらくガソリンも高騰するに違いありません。ガソリンや灯油、購入は今のうちかも。・・・・来週前半まで、私は慌しくしています。ブログ更新、ご訪が滞っていますが、もう少しご容赦ください。
2014.09.20
コメント(16)
千葉県船橋市の非公認ゆるキャラは、ふなっしーこと、フナディウス4世。一方で、船橋市の公認キャラは「目利き番頭 船えもん」。「目利き番頭 船えもん」公認って、・・・・・・。いえ、特にコメントはありません。・・・今週から来週にかけて、特にあわただしくしております。日記更新、ご訪問が不定期になりますが、ご容赦ください。
2014.09.15
コメント(16)
中国の官吏登用試験「科挙」では、最も優れた答案を一番上に置いたという。「圧巻(あっかん)」は、その科挙での習慣から生まれた言葉。優れた答案は、他の答案用紙(巻)を圧していました。だから、圧巻と言われました。しかし、何か違うと感じる。圧巻という言葉は、まるで「天賦の才」の様に響くから。科挙での好成績は、筆舌に尽くしがたい努力の結果。ただ他を圧するのでは、ありません。他を圧巻する偉業にも、多大な努力が隠されている。努力を積み重ね、その結果、最良の今がある。だからこそ圧巻には、他を寄せ付けぬ、力がある。努力こそが、力なのです。
2014.09.13
コメント(11)
ベニクラゲは不死の生物ですが、最近、ヒドラが不老不死と考えられているという。アメリカで、ヒドラの寿命が研究されました。そのヒドラは、どれも死なないばかりか、老化もありません。そして、老化しないため、卵も産み続けました。不老不死のメカニズム、それは肝細胞にあるらしい。ヒドラの肝細胞は増殖を続け、次々と古い細胞と置き換わります。ヒドラの肝細胞の中にある、foxO遺伝子。この遺伝子が働き続けるので、ヒドラは不老不死と推定されています。人の場合も、100歳を超える人は、この遺伝子に異変があることが知られています。もしこの遺伝子を活性化できれば、人も不老不死になるかもしれません。人が不老不死になれば、世界は不老不死の人類で埋め尽くされるでしょうか。いや、きっと、そうはならないでしょう。もしそうならば、世界はすでに、ヒドラで埋め尽くされているはずだから。不老不死のヒドラが死ぬ理由。そこにこそ、本当の恐ろしい、自然のからくりがあるように思えてならない。【過去の日記】 「無限の時を 生き続ける - ベニクラゲ -」
2014.09.11
コメント(15)
寒気がするほど疎ましく、嫌悪の感は、ともすれば嘔吐しそうなほどに。虫唾が走る。人が人と殺しあう、その争いに、これほどふさわしい言葉もない。本来、胃液は、人のためにある。人が栄養を、摂るためにある。だが、胃液がさかのぼり、自らの食道を焼く時、その胃液は、「虫唾」と表現される。虫唾とは、食道をさかのぼる、胃液のことだ。ためになるはずの胃液も、使い方を誤れば虫唾になる。人は力はないが、知恵がある。知恵は、人のためにある。知恵を、争いに使ってはならない。知恵を、虫唾にしてはならない。信じたい、まだ人が、知恵の使い方を正しく知ることを。人が虫唾に似た、よだれを垂れ流す、青い星の寄生虫ではないことを。
2014.09.09
コメント(16)
果物の王様がドリアンであるように、果物の女王はマンゴスチンと言われます。そもそも、ドリアンも美味しいから「王様」と呼ばれる訳ではないらしい。栄養が豊富なドリアンを、国王が精力増強のために食べていました。それで「国王の果実」と呼ばれていたのが、やがて「王様の果実」に変わったのです。健康のため、ドリアンの臭いを我慢して食べていた王様。その習慣は、まるで「青汁」の様でもあります。果物の女王、マンゴスチン。こちらは、正統派。美味しいから、「女王」らしい。柔らかい果実と、強い甘みとさわやかな酸味。その上品な味から「果物の女王」と呼ばれるマンゴスチン。日本への生のマンゴスチンの輸入解禁は、2003年から。まだ、日本には多くは輸入されていません。王様の、権威にすがるドリアン。正統派で、まだ見ることが少ないマンゴスチン。どちらが本当の王様か、食べ比べてみたいものです。「左:ドリアン, 右:マンゴスチン
2014.09.07
コメント(21)
各地にある、柿本神社。柿本人麻呂を祀った神社である。柿本神社では、柿本人麻呂は歌人ではなく、「火よけの神」とされている。なぜ、火よけの神になるのだろう。御霊神社の祟り神の様に、人麻呂は非業の死を遂げたのあろうか。残念ながら、下級官吏だったらしい人麻呂の人生は記録になく、その死についてすら知られていない。生没不明なら、祟り神にもならないだろう。陰陽氏の様な、不思議な力があったのだろうか。人麻呂は、言霊信仰についての歌も残している。言霊信仰は、言葉に霊力があるとする信仰で、彼が興味を持ったのも歌人らしい。だが、ただそれだけである。重要な答えは、柿本神社にあった。各地の柿本神社には、次の様なよく似た歌が残されている。「我が宿の 柿の本まで焼けしとも 一声頼め そこで人丸」もちろん、人麻呂が作った歌ではないだろう。そして、「人丸」は後の世の、人麻呂に対する異称である。嫌な予感がするでしょう。感の良い人は、気づいたかもしれません。「人丸」は「火止まる」、つまり火よけになる。柿本人麻呂の、大いなる火よけの力。その力の源は、呪いでも、信仰でもなく、単なる「駄洒落」だったのだ!
2014.09.04
コメント(19)
江戸時代の東大寺大仏殿の再建は、ひとりの僧の努力によって成し遂げられました。1567年の松永久秀らの争いで、大仏殿は消失しました。その後、野ざらしのままだった大仏。その姿を悲しんだのは、12歳の少年、公慶。公慶は、いつか大仏殿の再建を夢見るようになりました。公慶は、ひとり大仏の再建を目指します。しかし再建には、18億円もの資金が必要でした。江戸幕府の支援もなく、公慶は民間からの寄付金集めに奔走します。しかし、18億円を集めるには、寄付だけでは無理な話。次に、公慶は幕府の許可を得て、大名からの資金集めを始めます。全国を行脚して、公慶は資金集めを続けました。それでも、やはり資金を集めることはできませんでした。公慶は、やむなく大仏殿を大幅に小さく変更します。その結果、必要な資金は10億円になりました。その熱意に押された徳川綱吉は、ついに大仏殿再建の資金を出す決意をしました。その後、木材集めに苦しみ、公慶は鹿児島まで材木を求めます。無理に無理を重ね、公慶はなんとか大仏殿再建の目処をつけることができました。資金も集まり、材木も調達。後は、大仏殿の完成を待つだけです。しかし、運命は残酷でした。大仏殿完成まで後4年となった1709年、公慶は突然、病死してしまいます。大仏殿再建を夢見た13歳の少年は、61歳になっていましたが、再建された大仏殿を見る夢はかないませんでした。弟子たちは、せめてもと、公慶を東大寺に埋葬することを願いました。しかし、東大寺には、皇族以外の墓を作ることは許されませんでした。仕方なく、公慶は東大寺近くの五劫院に埋葬されました。五劫院には、公慶上人像があります。そして、公慶の像からは、東大寺が見えるように置かれています。生き写しに作られた公慶の像は、頬がこけ、左眼は真っ赤に充実しています。ただ、その眼はまっすぐに、大仏殿をいつまでも見つめています。【過去の日記】 「逆転の発想で - 東大寺大仏殿 -」
2014.09.02
コメント(18)
全12件 (12件中 1-12件目)
1