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タイタニック号の沈没事故で生まれた技術に、ソナーがあります。氷山との衝突で沈没した、タイタニック号。その反省から、氷山探知装置の開発が進められました。そして、タイタニック号の事故から9年後、氷山探知機としてソナーが発明されました。発明者は、フランスの物理学者ランジュバンでした。安全のためのソナーでしたが、その後は兵器として開発されました。潜水艦探知のためのソナーです。そして現代、ソナーによる生態系への悪影響が叫ばれています。問題となるのは、アメリカ軍が使う低周波の次世代ソナーです。潜水艦の探知能力が高い、次世代ソナー。そのソナーの低周波が、イルカやクジラの脳に悪影響を与えます。2013年、次世代ソナーの悪影響は、アメリカ軍も認めました。イルカたちが、ソナーの大音響で脳内出血を起こして死んだり、方向感覚を失い座礁死するというものです。アメリカ軍が行った、ある軍事実験で死傷したクジラ類とイルカの数は1万頭以上。日本の調査捕鯨量の10倍にもなりました。命を守る安全装置から、武器へ、そして殺戮装置へ。姿を変えつつある、人が作ったソナー。なせ人が生み出すものは、これほど罪作りなのでしょうか。
2015.02.27
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グライダーを作り、飛行を繰り返したオットー・リリエンタール。彼は、飛行機開発のパイオニアでした。彼はグライダーを改良しつつ、飛行実験を繰り返しました。その危険な飛行実験は、2000回を超えたと言います。1893年に彼が樹立した飛行距離250メートルは、当時の最長不倒距離でした。彼の飛行実験への姿勢は、とても真摯なものでした。その姿勢は、彼の墜落死の時まで続きます。1896年8月9日、その日も彼は飛行実験を繰り返しました。しかし、4回目の飛行で失速し、15メートルの高さから落下しました。死の間際、彼の最期の言葉が残されています。「どんなことにも失敗や犠牲はある」最近続く、海外での航空機事故。この事故を彼が見たなら、どんな言葉を残すでしょうか。【過去の日記】 「空を愛した世界初の飛行機乗り サントス -空飛ぶ男 サントス・デュモン-」
2015.02.25
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このブログも80万アクセスを通過しました。最も80万アクセスに近かった常連さんは、「LimeGreenさん」でした。あまりアクセス数に意味はありませんが、それでも通過点の目安にはなります。このブログを開設して8年8ヶ月、日記を真面目に書き始めてから8年7ヶ月です。「今日のデータ」・グリムス: 18本目の木が成長中。・アンケート募金: 8,100円・クリック募金: 総額不明ブログからも、多少は植林,募金に貢献できているのかもしれません。最近、さぼり気味で、申し訳ありません。細く長くの方針で、ブログを続けてまいります。みなさん、いつもありがとうございます。そして、これからも、よろしくお願いします。
2015.02.24
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時計の針は、右回り。その理由は、日時計にあると言われます。太陽が東から南、そして西に動く時、日時計の針は右回りで動きます。エジプトの石柱、オベリスク。オベリスクの影の動きも、日時計の役割をしたと言われます。針がない、デジタル時計が生まれてひさしい。アナログ時計の針も、右回りでなくても良いでしょう。過去の習慣や風習に縛られず、もっと自由に生きてみませんか?【変則時計】[ジャンピングアワー]COGUにはジャンピングアワー時計が多くあります。数字はバラバラ。1時間に1回、短針がジャンプします。[往復動]ナルセ時計には、変わった時計があります。下記は、分針が1時間に1往復運します。説明を読んでも、簡単には時間の表示が理解できません。[1日1回転][時間がわかりにくい][食パン]デザインが面白かったので。
2015.02.22
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陶磁器販売で、身近なブランド「たち吉」。しかし、最近では経営難に陥っていました。今回、投資ファンド「ニューホライズンキャピタル」が、たち吉の再建に乗り出すそうです。投資額11億円は、再建には少額にも思えますが。アジア諸国からの安価な陶磁器と競う、たち吉。再建できなければ、関連する陶磁器を製造する窯元に負の連鎖が広がります。コスト競争に負けず、たち吉の再建がかなうことを願います。『たち吉応援』
2015.02.20
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大航海時代、羅針盤が使われました。当時も羅針盤や方位磁石が、南北を指すことは知られていました。しかし、その理由は謎でした。有名な説は、磁石が北極星に引き付けられるというもの。北極星に「磁石山」という、強力な磁力を持つ山があるとされました。地球自体が磁石だと気付いたのは、16世紀末のイギリスのウィリアム・ギルバート。北に行くほど、磁石の針が下向きに傾くことから気付きました。原理を知らず、羅針盤で大海原を航海した人々。人々は羅針盤の謎の力に頼り、未知の水平線の果てを目指しました。道の力に導かれ、羅針盤に命を託し。あらためて、その人々の勇気に感服します。【過去の日記】 「洋食器? - 指南 -」
2015.02.18
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目立つが勝ち! - 茶色のパンダ -考えれば不思議です。パンダはなぜ、あれほど目立つ白黒模様なのでしょう。目立つ色の動物は、外敵に襲われやすい。動物では白色の「アルビノ」も生まれますが、生き延びることは困難です。中国陝西省には、茶色と白色のパンダが一頭います。このパンダの色は目立ちにくく、身を守りやすく思えます。しかし、茶色と白色のパンダは、今までに数頭しか見つかっていません。なぜ、白黒パンダの方が、数が多いのでしょう。パンダの白黒模様は「目立つため」という説があります。数が少ないパンダが出会って繁殖するためには、目立って出会う必要があります。数が少ないパンダは目立つことで、かろうじて生き延びているのかもしれません。目立つが勝ち!意外とパンダは、目立ちたがりな動物なのかもしれません。【人民網日本語版】 「西部地域の珍しい茶色いパンダ」 ※茶色のパンダの公開写真があります。【過去の日記】 「運命を 切り開く - ウサギ -」 ※アルビノだから生き延びた、シロウサギの日記。
2015.02.16
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先回に続き、陶磁器の話題を書きましょう。今日の話題は、備前焼。今年2015年1月4日、「新大窯」に火入れがされました。「新大窯」は、備前焼作家の森陶岳氏が築造した、空前の規模の大窯です。備前焼を焼くための登り窯は、通常は長さ10m程度。それに対して、新大窯は、長さ85m、幅6m、高さ3mもあります。森陶岳氏は、弟子7人とともに8年をかけて、この新大窯を築造しました。構想は実に40年以上という、作家活動の集大成とも言える挑戦です。釉薬を使わない備前焼は、自然釉の供給源となる薪も重要。新大窯で、1回の焼成に使う薪は4000トン。10トントラック400台分の赤松の薪を用意しました。窯というより、トンネルに近い大きさの新大窯。窯の中の温度を一定に保つには、窯の途中に複数の焚口を付けなくてはなりません。焚口が複数あれば、当然ひとりでは焼けません。複数の弟子とともに、火を絶やさずに焼き続けることになります。焼成期間は、3ヶ月。夜間も焼かなくてはなりませんから、交代で昼夜連続で焚き続けます。3ヶ月の焼成後、冷却にも3ヶ月かかります。窯出しを終えるのは、2015年の年末になる予定です。温度管理、酸素などの雰囲気の管理、自然釉の意外性。すべてが上手くいかないと、挑戦は失敗に終わります。新大窯の挑戦は、陶磁器にまつわる、今年注目のニュースです。【山陽新聞】 「『新大窯』最後の窯詰め開始」
2015.02.14
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奈良時代などの土器には、不気味な土器があります。墨で人の顔が書かれた土器、それが人面墨書土器。描かれているのは、疫病神や鬼神と言われます。天然痘の病を祓うための器とも言われます。土器に厄を移し、土器を水に流したのかもしれません。実際に、人面墨書土器は、川から多く出土します。土器の図柄は、病や魔を払うため。古代には、器の神秘に頼るしか、救いがない厳しさもありました。現代では、食器の図柄は、装飾のために描かれます。食器の図柄で、魔を払うことはありません。人は卑しく、強くなりました。強欲な食欲で、魔を食らうほどに。【大野城市】 「人面墨書土器」
2015.02.12
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オーロラが発生する高さは、高度100~400キロメートルです。18世紀初め、フランスの科学者ド・メランが、初めてその高さを計測しました。宇宙ステーションから見れば、オーロラを見下ろすことができます。宇宙から見たオーロラは、とても神秘的。いつかは見たい、宇宙からのオーロラ。でもその前に、まずは地上から見たいkopanda06でした。【YouTube】 「国際宇宙ステーションから撮影したオーロラ」 ※宇宙から見たオーロラの動画です。
2015.02.10
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イネや麦は、その原種が分かっています。しかし、トウモロコシの原種は分かっていません。トウモロコシは、人によって多くの改良がされました。テオシントという植物が、最近ではトウモロコシの原種の候補と考えられています。テオシントには、10個程度の実がなります。しかしその実は、食用にはなりません。その姿は、あまりにトウモロコシと異なります。人によって姿を変え、ルーツを見失ったトウモロコシ。トウモロコシは、人に食べられるために姿を変えました。植物の、生きる意味さえ変えてしまう。人の食欲というものは、どこまでも貪欲なものなのです。【筑波実験植物園】 「テオシント」 ※このリンク先で、テオシントの実を見ることができます。
2015.02.07
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日本にチョコレートが伝わった時期は、明確ではありません。ただ、1797年の「長崎見聞録」には、チョコレートが登場します。名前は「しょくらとを」と書かれています。「しょくらとを」は、砕いて熱湯で溶かし、卵と砂糖を加えて泡立てて飲む「薬」でした。「しょくらとを」は「私欲刺亜多(ショクラート)」とも書かれ、「回春剤」とされています。日本での回春剤としての紹介は、間違いではありません。アステカの王も妃と夜を共にする時、カカオを興奮剤・催淫剤として用いました。そして現代、チョコレートは愛の告白に贈られます。このバレンタインデーは、必然のイベントかもしれません。チョコレートメーカは、格言を思い出していたのでしょうか。「性の次なる、愛の文字を」【過去の日記】 「それでも飲み続けて - チョコレート -」
2015.02.05
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1987年、ピサの斜塔が世界遺産に登録された頃、1年で2mmずつ斜塔は南に沈みつつありました。倒壊の危険もあった斜塔ですが、世界遺産の登録によって救われました。まず、北側に鉛とコンクリートの錘を載せる工事で、バランスをとりました。次に、北側の土を掘り、塔の傾きを戻しました。1993年には、5.5度傾いていた塔。それが、2000年には、5度に戻りました。さらに傾きを戻すことは可能です。しかし、戻してしまっては、観光客は呼べません。斜塔にはセンサーが付けられ、傾きを測定するようになりました。斜塔が倒れないよう、傾きが5度より戻りすぎないよう、常にバランスを取っています。傾く塔が人を招くように、人もちょっと変わった個性が魅力になります。ちょっと変わった自分でありたい。それが、自分らしさの、あかしだから。
2015.02.03
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チョコレートの歴史は、紀元前1000年頃のオルメカ文明までさかのぼります。その後、チョコレートは、マヤ文明にも受け継がれました。マヤ族はカカオ豆をすりつぶし、湯で溶いて飲みました。さらにアステカ帝国では、ローストしてすりつぶしたカカオ豆を水に溶かし、トウモロコシの粉を加えて、泡立てて飲むようになりました。この時代、チョコレートを飲む特権は、王侯貴族たちだけに限られました。マヤ、アステカと、カカオ豆は高価なものでした。カカオ豆は通貨として流通し、優秀な奴隷ひとりは、カカオ豆100粒と交換されました。その後、アステカ帝国を滅ぼしたスペインのコルテスは、カカオ豆を欧州に持ち帰りました。そして、欧州で、チョコレートは再び変化しました。チョコレートは、熱い湯で飲まれるようになり、バニラやシナモンなども加えられました。さらに、チョコレートに砂糖を加えるという、大きな変化がありました。欧州でのチョコレートは、特別な高級品として扱われました。メソアメリカからのカカオ豆、そしてインドからの砂糖と、高価な輸入品が必要でしたから当然です。王族は高価な飲み物にふさわしい、高級陶磁器製のチョコレート・カップを使いました。太陽王ルイ14世と、その王妃マリー・テレーズは、チョコレートのステイタスを定着させました。そして、その王族のチョコレート文化は、さらに新たな文化を生み出します。それは、王族の暗殺の手段としてのチョコレートでした。味の濃いチョコレートは、毒を混入されても気づきにくい飲み物でした。青酸毒で変色する銀のスプーンも、チョコレートの色で変色が分かりにくくなりました。それでも王族は、毒におびえつつ、チョコレートを飲みました。王族はその特権を、それほど簡単に捨てようとはしませんでした。その後、食べるチョコレートが開発され、チョコレートはお菓子に姿を変えました。紀元前からのチョコレートがお菓子になったのは、1840年頃、ごく近世の出来事でした。貨幣として、ステイタスとして、暗殺の手段として、様々な時代を歩んだ、カカオ豆とチョコレート。カップなどの陶磁器や、銀のスプーンもチョコレートとともにありました。お菓子となった、チョコレート。これからチョコレートは、どの様な文化を残すことでしょうか。
2015.02.01
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