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仕事場のお向かいのYさんの自動車工場の作業場前の梅が満開になりました。特に梅らしい香りが漂ってくるということもありませんが、殺風景な道路沿いの景色に小さな彩を加えてくれています。昨年いっぱいで廃業すると仰って準備されていたYさん。その後は、同じ業種の会社に工場を貸したいというご希望だそうで、11月ごろから内覧の方の姿をお見かけしていましたが、まだ決まらないらしく、営業を続けていらっしゃいます。いわゆる『京葉工業地帯』の名残で、中小というより零細の会社、工場の多いこの地域で、腕のいい自動車修理工であるYさんは大変頼りにされているようで、以前から平日休日問わず、開いてさえいればやってくるお客さんが途切れることがありませんでした。昨年12月いっぱいで廃業しますというご挨拶状を戴いて、その12月をとうに過ぎた今も、お客さんの数が減ったようには見えません。毎日のように見かける、同じロゴを付けた色の違う車もあれば、宅配便のドライバーさんが来ていたりもします。Yさんがやめちゃったら、きっとあの方たち、困るどころじゃないでしょうねと、mamatam社の噂雀のおばさんたちは話しています。いくつか運び出された器具、機械もあったし、Yさんが引退されることは間違いないみたいですが、きっと、自分の引退後もここでその仕事を引き継ぐ会社が決まるまではYさん頑張るのかなあと、思ったりしています。先ほどお昼を買いに行ったら、いつものセ○ンでレジ台の前にこんなものがさりげなく陳列してあるのを見つけ、mamatam社のおやつにと買ったついでにYさんにも差し上げようと余分に買ってきました。本当にまじめな職人気質という感じのお人柄で、決して押しつけがましいことはないけれど大変親切で気持ちの温かいYさんを、工場をこちらに移した初めのころからずっと頼りにさせて戴いてきたし、mamatam社の車の点検、修理、車検でもお世話になっていたし、Y自動車工場さんはmamatam社の皆にとって景色の一部のようになっているので、これがなくなるんだと思うと一抹の寂しさは否めません。命が芽吹き、美しい花に彩られる春は、また、別れの季節でもあるのですよね。
2019.02.25
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前の日記に書きましたが、夫は普段食事のあとはリビングでテレビを見るのですが、エアコンのスイッチを入れて温まるまでの時間が待てなくて、最近キッチンのテーブルにおいてある小さなテレビに寝るまでかじりついているので、わたしはブログを更新する暇がありません。 ラップトップなんだからわたしがリビングに持ち込めばいいとは思うのですけど、台所でいろいろなことをしながら細切れにPCを入力するので、時間も無駄、電気も無駄で、何よりその2-3mの移動で、何を書こうと思っていたのだったかわからなくなってしまったりして、結局更新が滞ります。 そんなわけで、先日、じぇりねこさん、まるさんとのオフ会のあと、国立劇場で文楽公演第3部の「ひばり山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)」」の内「中将姫雪責(ちゅうじょうひめゆきぜめ)の段」と「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」」の内「阿古屋琴責(あこやことぜめ)の段」を観たことを書いた時、詳しくはまた今度と書いたままになっていました。 その時に簡単に粗筋などは書きましたが、大変に素晴らしい舞台だったので、自分の心覚えのためにももう一度詳しく書いておきたいと思います。 あまり興味がないという感じの方は、今日はスルーしてくださいね。 「ひばり山」は、奈良の當麻寺に伝わる蓮糸の曼陀羅にまつわる物語で、その主人公中将姫は日本古来のスーパーアイドルらしく、20代の若さで極楽往生したと伝わり、當麻寺ではその極楽往生の有様を練供養として千年以上も演じ続けているそうです。 蛇足ですが、有名な漢方薬に「中将湯」というのがありますが、あの商品にもこの中将姫にまつわる逸話があるようです。 この日の演目「中将姫雪責の段」は、先日も書きましたが、いわゆる継子いじめものです。 あらすじはー 長屋王子は今上天皇を弑して自分の息子を天皇に即位させ、権力を得ようとしています。 中将姫の父で右大臣の藤原豊成はこれを阻止しようとしていますが、豊成の妻、姫の継母で、王子の息子春日丸の乳母だった岩根御前は、その企みに加担しています。 岩根御前は中将姫を憎んでいたこともあって、企みを知られたと思い白状させようとしますが、中将姫は母をかばい、口を割りません。 業を煮やした岩根御前は仲間の大弐広嗣と謀って中将姫に罪を被せ、その調べの最中に死んだことにしようと企み、雪の中、上着も剥ぎ取り、奴二人に姫を割り竹で打たせます。 むごい拷問で姫の命も危ういかと思われましたが、ふたりの女房が喧嘩のふりをし、姫がそれに巻き込まれて死んだふりをして、姫は窮地を脱します。 岩根午前と大弐広嗣は姫が死んだと思い込み逃げてしまったそので、そのすきに3人でひばり山へ逃れるため出発しようとしていると、豊成卿が現れ、岩根御前の企みは知っていたが、天皇を守るために岩根午前を止めることはできなかったと、大義のために娘を犠牲にする親の辛さを切々と語り、二人の女房に娘の身を託します。 毎日のように報じられる「親の虐待によって命を落とす子どもたち」が、虐待する親をそれでもやはり心の底では慕っているという姿と、自分は死んでも母をかばおうとして、女房てが継母の企みを明るみに出して姫を救おうとするのを固く禁じさえする姫の姿が重なって、涙が出て仕方ありませんでした。 そういう現実があるからか、父親豊成卿の言い種は言い訳にしか聞こえず、「こんなにダメダメなのに、それでも姫はそんなあなたを愛しているのですよ。恥を知りなさい。」と心の中で詰ってしまいました。 分かっていて娘を見殺しにする父の辛さを、豊成を遣う玉也さんはとてもよく表現されていたと思いますが、いかんせんタイミングが悪い。 現代だったらあなたは逮捕です、という悪態が胸の内から溢れそうでした。 中将姫を遣ったのは人間国宝の吉田簑助さんでした。 初々しく清楚ながら大変に芯の強い中将姫を、素晴らしく繊細に表現されていました。 ただ、歩みや動きがやや弱々しく感じられて、体調が少し心配になりました。 後半の演目「壇浦兜軍記」の「阿古屋琴責の段」は、清盛の敵を討とうと頼朝を狙う、神出鬼没の平家の武将景清の馴染みの傾城阿古屋をとらえた源氏の武将が、景清の居場所を白状させるため拷問にかけるお話で、その詮議を担当する代官重忠が奇想天外の拷問方法を考え出し、観客はその拷問を楽しませてもらうという趣向でした。 この段のヒロイン阿古屋の人形遣いは、主遣い、左遣い、足遣いの3人全員が頭巾をかぶらない「出遣い」で、主遣いが桐竹勘十郎さん、左遣いが吉田一輔さん。足遣いは多分勘十郎さんの息子さんかしら?一輔さんは、中将姫雪責の段で中将姫を助ける女房桐の谷を遣ったばかりでの再登場で、びっくりしてしまいました。 阿古屋はこれまでの重忠の自分に対する処遇に心打たれていて、景清の行方を知っているなら言いたいけれど、知らぬことは言いようがない、いっそ殺してもらいたいと言います。 重忠はこれほど言っても白状しないなら拷問をすると言って、阿古屋に琴を弾かせます。 阿古屋は琴を弾きながら景清の名を歌詞に入れて景清を想う心を歌います。 実際の琴は床で、鶴澤寛太郎さんが弾いています。 その曲に合わせて阿古屋の頭と右手を勘十郎さんが、左手を一輔さんが操ります。 手の動き、指の動き、頭と体の動き、どれもが曲とぴったり合って、また。好きな男と会えず、その行方も知れない阿古屋の悲しみがちょっとした表情からにじみ出ます。 琴の調べと阿古屋の歌をじっと聞いていた重忠は「行方は知らないのか。知らないなら知らないとして、景清とのなれそめは?」と尋ねます。 五条坂の傾城である阿古屋が、清水の観音様に毎日お詣りに来ていた景清と、顔見知りから親しくなり馴染みとなったけれども平家の都落ちで縁が切れたと語ると、重忠は今度は三味線を弾けと言います。 阿古屋は三味線を弾きながら夫と別れた寂しさ、虚しさを歌う歌を唄います。 重忠は、「そんな暗い別れをかこつ歌はもういい。」と止め、「だが、西海の合戦で命を拾い、近頃はまた折々に都に姿を現す景清と、度々会っているのだろう」と尋問します。 阿古屋が、「平家の世であった時でも周囲に気を遣っていた方です。まして日陰の身となった今は、格子と編笠越しに、元気だったか、はい、あなたもとたった一言だけ、お別れをいう暇さえありませんでした。落ちぶれた身は哀れ。」というと、重忠は「なるほど。では、胡弓を弾け。」といいます。 阿古屋は、胡弓を弾きながら「多くの名所の美しい景色も時が過ぎれば夢が覚めたように消えてしまう。化野、鳥辺野の火葬の煙は絶えることがない。これが人の世の真実だ。」と景清との交わりのはかなさを歌います。 重忠は感動して、「阿古屋の拷問は済んだ。景清の行方を知らないことは明らかなので、解き放つ。」と宣言します。 阿古屋を自ら拷問にかけて何としても景清の行方を白状させようとしてこの場に来ていた岩永左衛門はこの判決を承知せず、そこで重忠は、「阿古屋が偽りを申し立て、曲がった心で弾いたのなら、琴、三味線、胡弓のどれも音色が乱れ狂ったはずだが、この度の演奏には、どの曲にも音の乱れはなく、メロディもリズムも合いの手もどれも正しく、知らないから知らないと言ったというのが真実だということが顕れていた。だから詮議は終了とした。」と説明をします。 これを聞いた岩永は一言もなく引き下がります。 実はこの岩永、最初は「拷問だなどといいながら、実は自分の楽しみのためだろう。」と憎まれ口を利いていましたが、曲が進むごとに首を振ったり、手あぶりの火鉢のふちをたたいて拍子を取ったり、阿古屋の芸に惹き込まれ浮かれた様子になっていきます。 観客は、寛太郎さんの見事な琴、三味線、胡弓に合わせて桐竹勘十郎さんと吉田一輔さんが操る、頭、身体、右手、左手の鮮やかで表情豊かな阿古屋の動きと、吉田文司さんの操る軽妙な岩永左衛門の動きに、左を見たり右を見たりと大忙しでした。 一方の重忠は、ある曲では腕を組んだり、またある曲では立てた刀の上に重ねた手に顎を載せたりと少しずつ姿勢を変えるだけで、演奏の間はほとんど身動きせず、ただ聞き入っているのです。 人形遣いは吉田玉助さんでしたが、阿古屋と岩永の眼を惹く素晴らしい動きに左と右を挟まれて、これはこれでとても難しいのだろうと、エラそうに言ってしまいますが、いわゆる難役ってヤツなんじゃないかと思いました。 短い演目でしたが、とっても濃い内容で、本当に堪能しました。 次回は、東京では5月の公演になりますが、名作「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」、15年振りの通し上演になるそうです。 全部見たいと思うと、1部、2部を通して1日がかりの観劇になるようで、さあどうしようかと、今から悩んでいます。
2019.02.24
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すごくないですか?今月(1月~2月)の電気代の請求額が、先月(12月~1月)の1か月分より3,000円も安かったのです。先月の電気代が1か月分3万越え、正確に言うと30,961円で、この金額にビビったわたしが節約運動をした成果なのですけど、1月から2月にかけての1か月分の請求書は27,799円でした。というのも、お風呂を沸かす以外はエネルギー源がすべて電気という我が家、昨シーズンは、夏の間6千円くらいだった電気代が11月~12月は1万円超え、12月~1月は2万円越えというか約3万円、1月から2月は4万円という金額で、原因は偏に超古くなった暖房機にあると断定し、冬が来る前に、天井付のエアコン4台全トッカエという清水ジャンプ級の対策を取ったので、この冬は、電気代が絶対安くなるはずと胸ワクワクで浮かれまくって、無駄にぽかぽかに暖かい日々を送っていたため、古いエアコンを使っていた時と同じくらいの電気代がかかってしまったのでした。去年の(というかおととしの)12月は、3万円を超す電気代の請求書に生まれて初めて対面して、その恐怖と一戸建ての寒さのはざまでエアコンのスイッチを入れようとしてはためらい、あまりの寒さにエアコンの設定温度を上げてはハッとして、下げては寒さに震えるという涙ぐましい日々を送っていたので、今年はその腹いせとばかりに盛大にエアコンを使っていたような気がします。流石に浮かれすぎだったと反省して、1月末から節約に走ったのですが、年のせいか、寒さは本当に堪えるので、エラそうに言っても実際は実にゆるゆるな節約でした。ダイニングテーブルも置いてあるキッチンは、仕事から帰ってきて寝るまでのほとんどの時間を過ごすので、帰宅してから寝るまでエアコンはずっと稼働。なので、節約策としては、設定温度を20度くらいに下げて、足元にパネルヒーターを一番弱い設定にして置きました。もっと長い時間スイッチが入っているのは、トイレに置いてあるミニパネルヒーターで、これは帰宅から次の朝私が家を出るまで運転。ごくごく小さなヒーターで、室温も、トイレに入ったとき寒さで震え上がらない程度の16‐19度くらい。これで夜中も安心してトイレに行けますし、一時間の電気代は2-3円です。寝室のエアコンは、タイマーでスイッチを一度切って早朝また入るようにしてみましたが、夫が夜中に起きた時寒いというので一晩中運転に戻しました。でも、ちょうど良い設定温度を探したら、とても狭い部屋なので19度で落ち着きました。お風呂の暖房は入浴のたびに必ずスイッチを入れます。洗面/脱衣所にはエアコンがないのでキッチンと同じパネルヒーターを置いて、これは中程度の設定で、やはり帰宅から寝るまでと、朝も出かけるまで運転しています。ヒートショックは何と言っても怖いですから。洗面所には洗濯機も置いてあり、キッチンと洗面所をつなぐ通路はわたしが一番頻繁に行き来するところなので、ここにあるエアコンも帰宅から寝るまで、朝起きたら出かけるまでずっとつけています。ココが寒いと洗面所に行くのが億劫になり、洗濯やら掃除やらサボり放題になってしまうからです。でも、それほど暖かくしていなくても、さむ~~~い!といいうほどでなければ十分なので、温度はいつも17度くらいです。リビングは、大体夫のテレビ鑑賞スペースなのですが、寒くなってからは温まるまでの時間が辛抱できないらしく、テレビもキッチンのちっちゃいので見るようになってしまいわたしは大迷惑。とは言え、そのおかげで、リビングのエアコンは朝夫が着替える前後の1時間くらいしかスイッチを入れることがなくなりました。おかげでこの部屋が家の中で一番寒く、12度とか13度なんてことはざら、朝なんか10度なんてこともあるくらいです。こんなに各部屋の温度を把握しているのは、あちこちに温湿度計付きの小さな時計を買っておいてあり、温度をチェックするようにしているからです。なにしろ、だんだん高齢になりますので、暑さも寒さも度を越えて我慢すると、健康を損ねるもとになりかねませんから、今のうちから気にする習慣をつけておこうと思ったのです。もっと若い時なら、室温を下げたり、スイッチももっとこまめに入り切りして、より厳しく節約に励むのでしょうけど、わたしたちにはこのくらいの甘さでちょうどいいのかなと思っています。とはいえ、12月から2月までの3か月間、毎月1万円程度の節約では年間3万円、エアコン交換にかけた費用を取り戻すには、あと何十年も生きないといけない計算です。あの設備投資は正しかったのだろうか?と、思わず自分に問うてしまう今日この頃です。
2019.02.22
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昨日は、予想外の雪がちらつく寒い日でしたが、今日は一転暖かくなった東京です。花粉も飛び始めたとか。嬉しいのか憂鬱なのか、何とも言えませんね。さて、先週、2月11日の祝日のお話です。バタバタしている中、細切れに書き込んだせいもあって、何度も途中で消えて書き直しましたので、文章がちょっとぎごちないかも。この日は、かつて楽天ブログで知り合った「元ブロ友」の女性二人と久しぶりにお会いできることになり、新宿で食事をしました。メンバーのひとりはブログネーム「ひねくれくうみん」さんで、彼女が、先日久し振りにわたしの日記にコメントをくださって、そこから何回かメールでのやり取りがあったのですが、会いましょうと言うのはほぼ即時に決まりました。もう一人のメンバーは、くうみんさんを通して知り合った「タカ母」さんで、この三人には、「呑兵衛」という共通点があり、住まいが同じ地下鉄の沿線というご縁もあって、何度かオフ会、もとい飲み会をしましたが、ここ2年くらいはお会いしていませんでした。その間にくうみんさんが引越しをされたので、今回どこで会いましょうかと考えたら、新宿辺りが真ん中なんじゃない?ということになって、の、新宿でした。真ん中ということは、3人とも割と遠いということでもあり、お店はなかなか決まりませんでしたが、わたしがふと思い出したのです。40年近く前、荒木町という、新宿区の中でも極めてマイナーな街に勤めていた頃、今でいう女子会みたいな企画が持ち上がり、社長秘書のおねえさんの先導で新宿三丁目に中華料理を食べに行った事があったっけって。その秘書さんのイメージとは真逆の、お洒落でも綺麗でもないけど、安くて美味しくて、知る人ぞ知るのお店でした。それ以来、実はわたしも何度か行きましたが、会社が移転して、新宿とのご縁が切れ、すっかり足が遠のいてしまったのです。でも、歳を取るとついさっきのことは忘れちゃうのに、若い頃のことはよく覚えているって本当ですね、「随園別館」という名前なのに、本館はないという、変わったお店だったなんていうことまで思い出しました。その頃はまだ珍しかった水餃子が美味しくて、餅(ピン)という、トルティーヤみたいな薄焼きに特製のお味噌をつけて、葱や具を巻いて食べる、名前は何と言ったか忘れてしまいましたが、それが美味しくて、あと、名物は北京ダックでしたが、まだ20代後半のわたしには高価すぎて手の出ないメニューだったっけなんて、そんなことを思い出しながら検索してみたら、ちゃんと出てきました。「隨園別館 新宿本店」ですって。ますます面白い名前になっていました。レビュー評価は大体4前後なので、味は落ちていない模様。でも、新宿本店?って思って調べてみたら、丸の内やら京橋やら立川やら、新宿高島屋の中にも支店ができたようです。どこの支店も、評価はそこそこ良くて、お値段もお手頃のようです。そっちも行ってみたいけど、今回は新宿本店です。お二人と新宿三丁目で待ち合わせ。事前にスマホの地図を見ると、記憶の通り、新宿通りに面してお店があります。だだっ広い新宿通りに面して、日暮れて薄暗い中、お店の前に赤い提灯がいくつもさがっていた景色も頭に浮かび、新宿三丁目から新宿通りを薄暗いほうに向かってまっすぐ行けばすぐだわ!と、ちゃんとたどり着けそうな気がしてきました。ところが、ところが、当日C-4の出口から地上に出ると。。。呆然。何なの、これ??薄暗い方なんてない。。。。。じゃない右も左もめっちゃ明るい!新宿の街は、新宿3丁目もはずれのこの辺りまで、どころかここを越えてもっと先まで膨張していました。地上に出たら左の方が薄暗いはずと思ってきたのですが、一瞬にして方向がわからなくなりました。慌ててスマホの地図を出して、近くのビルを見つけ、方向を探します。キョロキョロして、世界堂ビルを見つけた!と思ったらその先の交差点に新宿2丁目の表示があるのが見え、あ、あっち!!!と思わずしっかり指さしてしまいました。目指す場所は、新宿3丁目よりまだ四谷寄りの2丁目にあるのです。自分で指さした方向に、少し歩いただけで、随園別館の看板と、赤い提灯が見えました。安心してお店に入ると、「イラシャイマセェ」と男性の声。うわぁ、タイムスリップしそう。40年前も、お店に入ると、声までは覚えていませんがこの口調で声がかかったのです。その声の主は、おじさんとおじいさんの間くらいのでっぷりした男性でした。今日の声の主は、それより少し若くて少し細身の男性。席の予約はしてあったのですが、なぜか満席で、少し待たされて席を作ってもらえました。まずは、懐かしい水餃子と生ビールで久しぶりの再会に乾杯。メニューを見ながらお料理を決めます。あの頃と同じかどうかわからないけれど、餅(ピン)とお味噌とネギがセットになったお料理があったのでそれを注文。名前は中国語だったので覚えていないけど、帽子をかぶった野菜炒めみたいな名前でした。あとは小皿で、クラゲの酢の物、蒸し鶏、茹でたマツカサ烏賊、牛肉の醤油煮と、最後に五目焼きそばでした。まずは餃子が来ました。1人前10個、ハーフもメニュに載っていました。うん、美味しい。昔と同じ、かどうかはわからないけど、お肉がみっしりつまっていて、すごくジューシー。その後は野菜炒め。ウン確かに卵焼きが帽子のように野菜炒めに載っています。右奥にある丸いる白っぽいのが餅(ピン)です。ネギとお味噌もたっぷりついています。こんな風にお皿にピンを広げて載せ、特製味噌とねぎ、その上に野菜炒めと卵焼きを載せて包んでいただきます。美味、美味!このあたりでビールがなくなり、タカ母さんご推奨の5年物紹興酒を注文。タカ母さんの注文は、「ボトルで、温めて、お砂糖はいりません!」でした。流石に慣れてらっしゃる。コクがあって、癖はあるけど、ぬる燗よりもう少しぬるめなので、その香りと酸味が邪魔にならず、とってもいい感じ。タカ母さん、ナイスチョイス!!小皿も出てきました。クラゲの和え物松かさイカ蒸し鶏牛肉の醤油煮どれも見かけは居酒屋さんのおつまみみたいだけど、味はかなり本格的です。最後の締めはやっぱり必要ということで、チャーハンも美味しそうだったけど五目焼きそばにしてみました。焼きそばは普通に美味しかったけど、もしかしたらチャーハンにした方が良かったかもしれません。中華屋さんのチャーハンって、美味しいお店のは本当に美味しいですものね。他のお料理の本格っぷりを見ると、ここはチャーハンだったかも。。。とちょっと後悔。でも、3人で紹興酒も空けてしまったし、もうおなかがパンパン。検証は不能でした。2年ぶりの空白を埋めるかのごとく、ハナシは地元から家族から海外にまで跳んでとんで、いっぱいおしゃべりしていたら、満席だった店内には空席ができ、その頃になると何故かひとりのお客さんが増えてきていました。それも若くてオシャレなおひとりさまです。安くて美味しいから、きっと晩ご飯を食べに来られる方が多いのかもしれません。わたしたちは、おしゃべりもお酒もお料理も堪能して、お会計。ひとり3600円位でした。40年たってもやはりお安かったです。支店の方はもう少しお高いようですが、割とお手頃の値段みたいだし、何より綺麗そうだから、次回は丸の内か京橋にでも行ってみたいなと思いながら帰ってきました。くうみんさん、タカ母さん、楽しかったです。また遊んでくださいね。
2019.02.16
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2月9日、文楽座学を拝聴した後、国立劇場小劇場で2019年2月文楽東京公演第1部を拝見しました。 演目は「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」から石部宿屋の段、六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川の段です。 お半長右衛門と言えば有名な心中物の狂言ですからご存知の方も多いと思いますが、38歳の帯屋長右衛門と14歳の信濃屋のお半との心中物語です。 捨て子だった長右衛門は、5歳の時に子どものなかった「帯屋」夫婦の養子となり、38歳の今は妻のお絹ととも帯屋の主として暮らしています。 5歳まで長右衛門を育てたのが、隣家の信濃屋の主でお半の父親でしたから、二人は隣同士の家で兄妹か叔父姪のように育ったのです。 伊勢参りの戻り道、お半は遠州の得意先から戻る長右衛門と出会い、同じ宿に泊まります。 その夜半、お供の丁稚長吉がしつこく悪さを仕掛けてくるといって長右衛門の部屋に逃げ込んできたお半が部屋に戻らないと言い張るので、長右衛門は仕方なく自分の布団に入れてやりますが。。。 お半を探しに来てその現場を見てしまった長吉は、悔しがって、腹いせに長右衛門が遠州のお殿様から研ぎに出すようにと預かってきた名刀を自分のわき差しとすり替えてしまいます。 京都では、養父繁斎の後妻おとせの連れ子儀兵衛が、長右衛門を追い出して、お絹もわがものにし、帯屋の主の座に収まろうと、長右衛門とお半のことをお絹に告げ口し、お半から長右衛門にあてた手紙をお絹に見せます。そこには「長様参るお半より」と書いてあります。 お絹は儀兵衛をうまくあしらって口をつぐませ、お半に恋慕する丁稚長吉には、自分とお半は言い交した仲で、手紙の長様とは自分のことだと言い張れば、恋を成就させてやると、お金も与えて約束させます。 後妻おとせは、わが連れ子儀兵衛可愛さから、血の繋がらない長右衛門を疎み、何かとつらく当たります。繁斎が窘めても聞くどころか、長右衛門が受け取っているはずの為替100両が入金されてないのを問い詰めるついでに自分がくすねた50両も長右衛門に背負わせようと口汚く責め立てると、その尻馬に乗った儀兵衛も、お半とのことを言い立て、お半からの手紙を読み上げます。 長右衛門をかばい続けてきた繁斎も、子どものようなお半との仲については小言をいいます。 ところがお絹は手紙の長様は長吉だと言い、儀兵衛は長吉を連れてきて問いただしますが、言い含められている長吉はそれは自分のことで、お半は自分の女房だと言います。 帯屋の家の中はこれで落ち着きますが、長右衛門はお絹に感謝しつつも、遠州の殿様の脇差の紛失もお半が妊っていることもお絹に打ち明けられず、命を以て償うしかないと心を決めています。 そこにお半がやってきます。諦めるので最後に顔を見たかったというお半に、長右衛門は自分のことは忘れて縁談を招致するように言い含め、人目があるから早く帰れと急き立てます。 お半は出ていきますが、様子がおかしいと門口に出てみると、桂川に身を投げて死ぬと書かれた書置きがありました。 それを読んで、15年前芸子と心中の約束をしたものの臆して自分だけ死にきれなかったことを思い出し、罪滅ぼしに一緒に死のうと長右衛門はお半のあとを追いかけます。 お半を背負って桂川にたどり着いた長右衛門はもう一度お半に生きながらえるよう説得しますが、お半は頑なに決心を変えず、二人を探す声に追われてさらに上流に向かっていきます。 座学の講師でいらした勘市さんいわく、江戸時代にあまりに心中が流行ったので、文楽や歌舞伎でタイトルに心中という言葉を使うことが禁止され、心中の場面を描くことも禁じられたため、この作品では二人が上流に向かって消えていくところで幕となっているそうです。 最初の2段は人形遣いさん3人ともが顔を出さず黒子さんが遣っていました。 状況説明、前振りというか、悲劇のおおもとの事情が語られる段だからかもしれません。 3段目の帯屋の段では、お半を豊松清十郎さん、長右衛門を吉田玉男さんが遣い、義太夫は前を豊竹呂勢太夫さん、三味線は人間国宝の鶴澤清治さん、切をやはり人間国宝の豊竹呂太夫さんと三味線を鶴澤燕三さんが務めました。 連れ子の儀兵衛がお半からの手紙を読み上げ長右衛門を陥れようとしますが、その手紙を滑稽に読み間違えたり、お絹が長様とは丁稚の長吉のことだというのに「あの洟たれの長吉がお半と!?」と言って大笑いをしたりするのを、人形の玉佳さんも良かったですが、何といっても義太夫の呂勢太夫さんが迫真の「笑いっぷり」で、わたしもつられて随分笑ってしまいました。 切の咲太夫さんの重厚な語り口は、後半の義父繁斎が継母のことはそのうち何とかするから後のことを頼むと長右衛門に言い聞かせる場面、お絹が真心を伝える場面、長右衛門がひとりになってやはり死ぬしかないと男泣きに泣く場面など、長右衛門の状況が抜き差しならないことが心にしっかりと沁みました。 豊松清十郎さんのお半は、清楚で小娘ながらきっぱりと心を決めた強さも感じられ、吉田玉男さんの長右衛門はもうじれったいくらいに不器用で誠実な中年男の姿が哀れを誘い、つい心を寄せてしまいました。 道行朧桂川の段は、竹本織太夫、豊竹睦太夫など5人の大夫さんと、竹澤宗助さん以下5人の三味線さんが並び、織太夫さんのお半は可憐に哀切に、睦太夫さんの長右衛門は男らしく、宗助さんの三味線は相変わらずかっこよくて、道行なので、賑々しくとはいきませんが、随分と豪華に楽しませていただきました。 勘市さんの講義は、わたしの知識が足りないせいで、十分に消化できてはいませんでしたが、観劇の中で、あ、ここのこと!と感じる場面もあって、それもまた楽しい気持ちにさせていただきました。 午後の早い時間に終演で、この後は家に帰ってのんびりのつもりだったのが、前々日に息子がヤッチマッタことがあって、それの後始末がようやくこの日に完了するということで、連休中に何とかしておかないと後々困るため、仕方なく雪がちらつく中仕事場に直行で、最後の部分の人手のいるところを、ちょこっとですがお手伝いして、終わらせてきました。 おかげで昨日は家の中を片付けるつもりが、半日ぼんやり寝てしまいました。 今日は、その残りを片付けて、夕方から新宿に出かけます。 また雪が心配ですが、まあ、元気に美味しいものを戴きに行ってきます。
2019.02.11
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最近麹甘酒作りに凝っています。 毎朝食べるヨーグルトの甘味料として、がメインの使い方です。 ずっと市販のものを買っていたのですが、なくなりそうなのに買い忘れたり買い物に行く時間がなかったりで、ない!日が続くことが多かったのです。 そんな時、家で麹甘酒が作れると聞き、検索してみると、ヨーグルトメーカーと麹と冷やご飯で作れるらしいとわかりました。 ヨーグルトメーカーはあるし、麹も塩麹用のが残っているし、知り合いから戴いて食べ切れてないお米もあるし、先ずはやってみようと思いました。 一ヶ月くらい前のことです。 最終目的はヨーグルトの甘味料として使える2倍濃縮くらいのものですが、とりあえずは口に入れられるものを作ることをめざしました。 最初は冷凍してあったご飯を2倍くらいの水を足してお粥にし、冷まして麹を加えてヨーグルトメーカーを60°C8時間にセットして待ちました。 結果はほぼ失敗。 発酵はしたのですが、シャバシャバで甘味もやや不足、何より麹の粒が固いまま残って、美味しくないのです。もしかしたら発酵不足かと思い、1日置きましたが、さほど変化はなく、結局味噌漉しを使って麹の粒を潰し、温めて飲みました。 この後ご飯の量やお水の割合を変えたり、別の麹を使ったり、色々してみて、なんとかヨーグルトにかけて食べられるものが作れるようになりました。 こんな感じ。 麹300グラムを50cc位のぬるま湯で約一時間ふやかし、1.5合のご飯を同量のお湯で煮て冷ましたものと混ぜて60°C8時間にセットしたヨーグルトメーカーにいれるとだいたい6-700cc位の甘酒ができます。 ↓くらいの量です。 ただ、麹の粒はまだ少し残るので、発酵止めも兼ねて一煮たちさせます。そうすると舌に残るような固い粒は簡単になくなります。 ↑は2倍濃縮程度の濃さになっていますが、偶々購入したのがそういう麹だったようです。 偶然、運良くこういうのができたので、朝はヨーグルトと、夜は薄めて飲み物で、甘酒を楽しんでいるmamatam家です。 偶然と運でも、ほしかったものが作れたのでいいようなものなのですが、もう少し情報収集して、思った通りの甘酒を作れるようになりたいものだと思っているのです。
2019.02.11
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昨日は文楽鑑賞の日、文楽座学の日、そして燃やせるゴミの日でした。早めにアラームをかけて起きだし、前夜用意しておいた雪仕様の服に着替えて、コーヒーをセットしてゴミをまとめ、コーヒーを淹れた滓を回収してゴミ出しに。玄関を開けるとどうやら何か降っている様子。表の道路へのドアを開けると。。。雪です‼️昨日の予報では降り始めは午後って言っていたのに、明け方から降っていたようで、昨日から出してあったらしいゴミ袋は、パウダーシュガーを厚めに振ったような塩梅です。寒いけど、服装はこれで大丈夫そう。家に戻って夫を起こして朝御飯。今の家は、どこの駅にいくにもバスに乗らないとなりませんので、雪に弱い東京の交通機関、遅れを心配して食べたテーブルはそのままで家を出ました。8時15分、地面はまだ濡れた状態ですが、街路樹の枝や葉には雪が積もってうっすらと白くなっています。気が急くので久しぶりの雪景色の写真も撮らずに停留所に向かうと、タイミングよくバスが来て地下鉄の駅へ。地下鉄を乗り継いで半蔵門に着き、地上に出ると雪は降っておらず道や木に積もってもいません。これ幸いと国立劇場の裏手にある伝統芸能資料館3階のレクチャー室へ。ここで、本日の第1部の演目「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」をテーマに、文楽技芸員(人形遣い)の吉田勘市さんを講師に文楽座学が行われるのです。講師の吉田勘市さん文楽についての講義というのは、わたしには初めての経験で、すごく楽しみにしていましたが、勘市さん、お話がとてもお上手で、しかも予想のはるか上をいく博識さ。義太夫の歌詞の出典から歴史、地理、登場人物のキャラクターや言動の解釈、そして観どころ、聴き所まで、あちらに跳びこちらに跳びしながら、汲めども尽きぬ泉のように面白いお話が湧いてきて、その知識の広さと深さに感銘を受けました。ここにおいでの方たちは、今日の第1部はもちろん、2部も3部もご覧になるのでしょうからと、他の演目のお話までどんどん飛び出して来て、1時間がアッというまでした。そして、もう一つ感心したのは、勘市さんだけでなくこの日参加していらした方たちの文楽に対する造詣の深さで、勘市さんのかなり踏み込んだ解釈の仕方だったり細かい場面の説明だったりにも、打てば響くように反応される方がたくさんいらしたのです。他の作品や作者との関連について話されても、「ハイハイ、それね。」「あぁ、そのこと!」みたいな方がたくさんいらっしゃいました。質疑応答の時間を設けてくださったのですが、その時の質問も、よほど観たり勉強していないと出来ないようなものばかりで、質問の内容を理解するのさえ大変でした。座学の受講はもう少し後でと思っていたと書きましたが、それは、前の日記に書いたような時間がないという理由だけではありませんでした。 文楽に初めて触れてから数年しかたたず、鑑賞歴も浅いわたしには時期尚早、もう少しいろんな作品に触れ、知識も得て、それからにした方がよいと思ったからでもあったのですが、その通りだったと感じました。これが最後のチャンスということで、無謀にもというか、図々しくも受講してみたのですが、続けてほしいという声はやはり多いようで、次回5月の東京公演の座学は開催予定とのことでチラシが配られました。 続けてくださることを希望はするものの、わたしにはまだ敷居が高いような気がして、次回の参加は決めかねています。そんなこんなでレクチャー室を出ると、なんとまあ、すごい降りです。国立劇場前庭。写真だとあまり降ってるようには見えませんが、それでも、拡大していただくと、下の方に降っている雪の粒が見えます。一番ひどかった時は、レースのカーテン越しに窓の外を見たみたいでした。さほど積もってはいないけれど、ちょっと東京とは思えない景色ですね。この後は11時開演の2019年2月文楽東京公演の第1部、「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」を拝見します。続けて書いてみたのですが、こんな時間になってしまったので、文楽のお話は明日に回して、今日はここで一度アップします。文楽はこの前に第3部も拝見していて、これがまた圧巻のすばらしさでしたので、是非ご紹介させていただきたいと思っています。どちらもまたまた長くなりそうですが、よろしくお願いします。
2019.02.10
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うかうかしてたらあっという間に1月が終わり、早や2月の初旬すら過ぎ去ろうとしています。すっかりご無沙汰していて、「風邪ひいた!のにお寺めぐりした!!」以来ですので、もしかしたらぶり返して寝込んでる?なんて、ご心配をおかけしているかもしれないと、とりあえずPCを開きました。あ、でも、タイトルを見て逆にご心配かけちゃったかも。救急車は、付添ですので、どうぞご安心くださいね。風邪は、一度ぶり返しかけましたが、shin1tさんに教えて戴いたとおり、タオルの端を少し濡らして首に巻き(マスクは着けて寝るんですけど朝になると行き方知れずになってるのであまり効果ないようです)、寝室に濡らしたバスタオルを一枚吊るして、10時間寝たら治りました。1月19日には、ブロ友のnaominさんが、ご朱印帳を3冊持ち歩くわたしのために特製ショルダーバッグを作ってくださったので、それを戴きに高幡不動まで出かけ、もう一人のブロ友さんのwakkoさんも、色々と大変な中、お時間を作ってお出かけくださったので久しぶりにお会いすることが出来て、たくさんおしゃべりをし、楽しい時間を過ごしました。抜けるような青空のもと、高幡不動さん、谷保天満宮さん、日野八坂神社さんをお詣りし、ご朱印もいただくことができました。そんな大満足の一日の詳細は、後日改めて書かせていただきます。2月に入って、節分の2月3日日曜日、これが救急車に乗った厄日でした。わたしは、年に何回か集まる,大学1・2年次のクラスの友人達とのおしゃべり会の予定だったのですが、そろそろ出かけようかと思っていた15時40分ごろ、仕事場にいる夫から今どこにいる?という電話。まだ家、と答えると、ケガしたと。機械に手袋が噛まれた拍子に、指先を持っていかれて。。。飛んではいないと思うけど。。。というのです。話の様子では、爪が少しはがれ、その下の肉も削れているようです。骨は大丈夫そうだと言いますが、病院には行った方が良さそうです。日曜日は、休日診療の当番病院か救急病院でしか診てもらえないから、すぐ救急車を呼ぶように伝えて、約束をキャンセルし、工場に行きました。作業室内が血で汚れてないかなど調べていたら、○○警察のものですがと私服の若いお巡りさんが二人やってきて、いろいろ質問した後現場を見せてほしいと言います。どうやら、救急車を呼ぶと自動的に警察にも連絡がいくようで、おそらく事件なのか事故なのか労災なのかといったことを確認する必要があるのでしょう。無塵衣と、衛生キャップ、マスクを着けてもらって作業室に案内しましたが、作業室はほぼ作業の終わった状態できれいになっていて、たぶん、原料を回収しようとして指を挟まれたのじゃないかと思うと説明すると納得した模様でした。搬送された病院などを調べてきますと出て行ったと思ったらすぐ引き返してきて、病院が決まらないので、すぐ先の道で救急車はまだ駐まっていますとのこと。保険証を持って救急車に行ってみると、制服の警官が他に2人もいて、びっくり。救急隊員の方の説明では、傷や骨の状態によって必要な処置が変わってくるためなかなか受け入れ先の病院が見つからないのだそうです。病院を探していますが、奥さんも一緒に乗っていくことは可能ですか?と言われたので、工場の戸締りをして、救急車に乗り込みました。夫は止血してもらったようで、隊員の方が一人、血管を押さえて腕を肩の上の方に保持してくれていて、出血もだいぶ少なくなっているようでしたが、どう計算しても30分以上たっています。従弟が事務局長をしている病院が救急病院なので、メールで受け入れをお願いし、M病院に向かってくださいというと、今、そのM病院で、とりあえず受け入れてもらえることになったので向かうところですとのことで、警察はその後すぐに帰っていき、ようやく救急車が動き出しました。予想通り車内は大変狭くて、そこに5人もの人間が乗っていますから身動きもままなりません。病院に着いたのが17時ごろ。救急車到着から1時間以上、けがをしてからでも1時間半近くがたっていました。すぐに診察室に入ってレントゲンを撮りましたが、戻ってきた夫は、検査室でも患者がたくさん待ってるから、処置してもらえるまではまだだいぶかかりそうだと言っていました。確かに、その後夫が呼ばれた時は、19時を過ぎていました。結局、念のため破傷風の予防接種をしましたが、あとは、肉が上がってくるのを待つしかないということになったそうで、縫合はできず、処置は消毒だけでしたので、それほど時間はかからず、翌日からも洗浄と経過観察だけなので、家の近所で整形外科を受診してくださいと言う指示で、すべて終わって病院を後にしたのは20時過ぎでした。来るのは救急車で簡単でしたが、3年ほど前に駅前から移転してきた病院の場所は幹線道路からも少し離れていて、タクシーに乗るのに20分も歩き、2人ともお腹はペコペコで疲れ切って帰宅しました。散々な目に遭ったと思いましたが、次の日、もっとひどい話が待っていました。近所の整形外科を調べ仕事場から自転車で5‐6分の所にあるクリニックを受診することにした夫、快く診察してもらえ、手際もなかなか良いドクターだったそうですが、職務中のケガなので健康保険は使えないと言われたそうなのです。役員なので、労災保険も適用されませんから、自由診療つまり全額自己負担での治療になってしまいました。初日は、紹介状もあり、レントゲンのCDも提供してもらっていたのに再度レントゲンを撮ったので画像診断代と処置代(傷の洗浄)で16,500円なり。翌日は洗浄だけで3,500円。その次の日は、日曜と祝日は休診のためこの3連休は自分で洗浄とガーゼや包帯の交換をしてくださいと、そのためのワセリンをちょびっと処方してくれて、処方箋代が2500円とワセリン代1000円くらいがさらにプラス。今日ももちろん3500円。夫は化膿しやすい体質の人で、腱板。断裂で手術したときも、手術自体はうまくいったのに傷口が化膿して、消毒のために再度切開したという実績がありますので、傷はクリニックで洗浄してもらわないと心配ですから、しばらくは毎日通ってもらうことにしましたが、健康保険がないとこんなにお金がかかるのかと、もう慄くような思いです。散々だったお話はこれくらいにして、また、楽しかったお話に戻ります。この翌々日の2月5日は平日ですが、夜、文楽に行く予定で、会社は早退と1か月前から宣言していました。そうしたら急に、その前にブロ友のじぇりねこさんとまるさんにお会いすることになり、まるさんとは14時に新宿で落ち合うことになったので、じぇりねこさんの提案でその前に近くのお寺や神社をお詣りすることになりました。じぇりねこさんが前にお詣りした所を案内してくれたのです。この前の牛込柳町で、新宿にはお寺が多そうだという感じはしていましたが、なんと、あの新宿駅から徒歩数分というところに、何軒もの神社仏閣があったので仰天してしまいました。しかも、そのどれもが、大変立派。日蓮宗の常圓寺さん、成子天満宮、熊野神社とお詣りし、御朱印もいただきましたので、詳しいレポートはまた後日に。この後、まるさんと合流して小田急本店12階のキンカウーカ オイスターバーへ。ココは夜はなかなかお高い牡蠣の専門店ですが、ランチはとてもお手頃で、しかも食べ終わってから17時近くまでずうっとおしゃべりしてるわたしたちを追い出しもせず、居座らせてくれた、何とも太っ腹なお店でした。ランチもとっても美味しかったです。美味しいランチもおしゃべりも満喫して、17時、お二人は家路に、わたしは半蔵門の国立劇場に向かいました。(じぇりねこさんは、わたしが道に迷うといけないから、丸ノ内線の改札口まで送ってくれました。じぇりねこさん、ありがとねえ。)半蔵門に着くと、もう真っ暗に日も暮れて、2019年2月文楽東京公演第3部の観劇です。どうしてこんな平日に?珍しい!と思っておいでの方もいらっしゃるでしょうね。話せば長くなりますが、文楽の応援団のようなNPO法人があって、「文楽座」というのですが、その活動のひとつに、公演の出し物にちなんだ講話や座学の会の開催というのがあります。この日も、第3部にの演目がテーマの座学が桐竹勘十郎さんを講師に開催されることになっていました。座学は平日開催が多く、わたしはいつか仕事を辞めたら受講したいと考えていましたが、この「文楽座」が今年の3月いっぱいで解散するとのことで、文楽座学もこの2月公演が最後の開催になるということなので、何とかこの日の座学に参加したくて申し込んだのです。 残念ながら座学は満席で受講できませんでしたけれど、座学に日程を合わせてお願いしていたチケットは取れていたので、観劇してきました。いやあ~~、よかった!!!「ひばり(漢字変換できません)山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)」から中将姫雪責の段と、「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」から阿古屋琴責の段(あこやことぜめのだん)。中将姫雪責の段は、継母が継子の中将姫に、自分の罪を隠すため酷い折檻をする話です。中将姫は雪の中、上着も奪われ割れ竹で打たれ、危うく死ぬところだったのを、ふたりの女房の機転で死んだふりをして窮地を脱し、ひばり山へ逃れていくというおはなしでしたが、今毎日ニュースで取り上げられている千葉県の小学生の女の子の身に起きた事とあまりに重なるので、観ていて辛くなり涙がこみ上げるほどでした。しかも中将姫を使っていたのが吉田簑助さんで、素晴らしく繊細な人形遣いながら、やはりお歳かなという感じもあって、お人形の(簑助さんの)一挙手一投足を息を詰めて見つめてしまうような、そんな気持ちになりました。阿古屋琴責の段は、平家の武将景清の馴染みの傾城阿古屋をとらえた源氏の武将が、景清の居場所を白状させるため拷問にかけるというのですが、その詮議を担当する代官重忠が奇想天外の拷問方法を考え出し、観客はその拷問を楽しませてもらうという趣向でした。この段のヒロイン阿古屋の人形遣いは、主遣い、左遣い、足遣いの3人全員が頭巾をかぶらない「出遣い」で、何とも何とも豪華な一幕でした。勘十郎さんの座学を拝聴出来ていたらもっと味わい深いものになったかもしれませんが、でも十分楽しみ、感動させていただきました。それに、新春公演だからか、売店に文楽グッズの福袋があって、お楽しみに一つ買ってきたのですが、これがまた、すごく豪華でお得で、朝、仕事もして、お昼からは寺社詣りもして、14時からはとっても素敵なお店で美味しいランチと充実したおしゃべりを楽しみ、その上夜は文楽で、観られただけでもうれしいのに、今までで1,2を争う栗の素晴らしい舞台で、さらに福袋で喜ばせてもらって。。。本当になんて濃い一日だったことでしょう。2月5日まで、駆け足のおさらいでしたので、時間が取れたら、それぞれの詳しいレポートを書きたいと思います。さて、明日は、文楽東京公演第一部観劇です。実は、明日は、第一部の文楽座学に参加できます。半蔵門で9時半からと、かなり早いのですが、頑張って行ってきます。帰りは恐らく雪という予報ですので、暖かくしていくつもりです。ただ、もう一つ実は、今日、息子が仕事で大トラブルを起こしたので、明日ははその後始末をしないとなりません。わたしも文楽が終わったらその足で仕事場に向かうことになっています。なので、雪はとっても心配です。
2019.02.08
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