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伊賀焼 陶器まつり 伊賀の窯元大集合が7月24日25日26日にあやまふれあい公園内屋内ゲートボール場 すぱーく阿山で開かれます。住所が三重県伊賀市川合3376-12 になっているので阿山ふるさとの森公園内にあるのでしょう。駐車場は無料で広大です。電車の方は、JR関西本線新堂駅から会場までシャトルバスが巡回運行するそうです。今年はは約100人程の窯元や陶芸作家達が一同に集まり、約3万点の焼き物を対面販売する形式をとっています。会場では、焼き物の販売の他に、手裏剣打ちや吹き矢の体験、ろくろの実演や体験も行われる予定。時間は午前9時から午後5時まで。最終日は午後4時まで。昨年の画像
2015年07月22日
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高尾・逆柳の甌穴まつり 甌穴(おうけつ)とは河底や受けっ河岸の岩石面上にできる円形の穴。ポットホール(pot hole)、 またはかめ穴(かめあな)ともいわれます。 河底や河岸の表面が硬い場合、表面に割れ目などの弱い部分があるとそこが水流による侵食のためにくぼみとなる。このくぼみの中に礫が入ると渦流によってその礫が回転し丸みを帯びた円形の穴に拡大する。その後川底が侵食の影響で下がり、甌穴のできた場所は水面より高くなる。その結果、甌穴が地表に見られるようになります。平安時代、藤原千方将軍が討ち取った敵の首をいれたといわれてる穴で、藤原千方将軍の部下に伊賀忍者の発祥だと言われている、超応力を持つという金鬼、風鬼、水鬼、隠形鬼の四鬼を従え朝廷軍と戦ったと伝えられています。金鬼は剣も矢もたたないほど堅い体をしており、風鬼は大風をおこして敵を吹き飛ばすことができ、水鬼は洪水をおこして敵を溺れさせ、隠形鬼は身を隠して敵を襲うことができたといわれています。もう一つは特別天然記念物・オオサンショウウオの夜間観察会が、7月23日午後6時から、伊賀市の青山地区内の木津川上流域で開かれれます。 同地区を拠点に活動しているNPO伊賀・水と緑の会(浜田不二子代表)が主催。オオサンショウウオが生息する伊賀地域の川に親しんでもらおうと、昨年に次いで2回目の開催となります。 当日は、県内の野生生物調査などに携わる清水善吉さんを講師に招き、青山公民館でサンショウウオについての話を聞いた後、同地区内の生息地に車で移動。川でオオサンショウウオを見つけ、全長や体重の測定をしながら観察を行う。
2015年07月20日
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伊賀の昔体験塾が7月18日に三重県伊賀庁舎で行われます。「歴史街道にまつわる古きお宝と昔の面影・風景について」【講師】 伊賀・夢・街道づくり協議会委員 伊賀街道について…中川 甫 氏 大和街道について…滝井 利彰 氏 初瀬街道について…松鹿 昭二 氏 ■お茶のおいしい淹れ方体験講座■ 【講師】 むらい萬香園 村井 元治 氏 伊賀の街道と言えば伊賀街道,大和街道、初瀬街道の代表的な歴史街道があり歴史上何回も舞台になりました。これは伊賀街道と大和街道の追分、分かれ道の道標です。中でも一番古く登場するのは壬申の乱の大海人皇子(天武天皇)が吉野を出発し初瀬街道から伊賀を縦断し大和街道を今の柘植に達し高市皇子と積殖の山口で落ち合った件は、日本書紀に「積殖の山口に到りて、高市皇子、鹿深より越えて遭えり。」とあります。鹿深道(かふかのみち)滋賀県水口~甲賀~柘植へ抜ける道です。 かふかが甲賀の語源になったという説があります、それで(こうが)ではなく甲賀市の読みをこうかにしたのだと思われます。7月18日(土)午前9時受付開始、9時半から12時です。
2015年07月13日
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芭蕉の謎 連続芭蕉講座がありまいた。「通説は覆るかー草稿本『更科紀行』私解」と題して大阪城南大学教授 小林孔さんの講座が開かれました。これは文字通り講座と言うべきもので、市民講座というより大学の授業のようで興味深いものでした。推理小説のようにいろんな事象から間接推理し論理的に証明、立証しようというもので伊賀市の故、沖森直三郎氏の発見された沖森本といわれる「更科紀行」草稿巻子から書かれた年代を推理し、芭蕉の弟子の河合乙州(おとくに)が編纂した「笈の小文」の中の同じ句の書かれ方に注目し「更科紀行」は沖森本だけではなかったのではないかなど、大変面白く聞きました。講座の最後に、先生が大学生の三十年前、伊賀市の沖森直三郎さんを訪ねられ「更科紀行」の写本を買い求めたことなどを懐かしく話されました。沖森家とは私の家とも親交があったので映像が浮かび上がりました。更科紀行は芭蕉の紀行文の中でもあまり取り上げられないのですが先日、小諸市の方の案内をした時、調べなおしたので私にとってはタイムリーでした。
2015年07月08日
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