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今日でちょうど術後4週間がたちました。階下に降りて外へ出て、交差点まで歩く感触は、出るたび、お、前よりイケるんじゃない? と思います。でもまだ帰りは トボトボ歩き です。今週は雨と日照りとネットスーパーで冷蔵庫が満ちていたこともあってまだ外を歩いていません。近所の一番近いスーパーまで買い物に10分、店内10分 、帰り10分のコースでだらだら30分 歩くのですがまだしんどい。どこがしんどいか、それは、しびれて感覚のないふくらはぎです。しびれがふくらはぎの筋肉にまで影響しているのか、朝目が覚めると必ず攣ります。歩いていても攣ることがあります。触ると一部無感覚なのですが痛みもあります。前述の買い物コースを歩くと、翌日痛み出し、2日間外出を休みます。バンテリンを塗って、弾性ハイソックスをはいてしのぎます。これさえ回復すれば、もっと歩けるのにと思います。足の裏のしびれは術後1週間後に比べると、少し薄れてきました。足指2345のしびれて縛られた感触はあまり変わりがありません。昼間ほとんどの時間を座って過ごしていると尾骨がピリピリしてきます。圧がかかって悪そうなので横になります。横になると眠ってしまいます。そんな昼間を過ごし夜はコルセットで寝苦しく、また肩こりが出てきて辛いです。緊張しながら寝ているみたいです。どうにかならないかしら。リハビリは、やるやらないでは3か月後、ぜったい半年後が違うだろうと思います。出産前、何にもしなかった私は 背筋も腹筋もなく骨盤も柔軟でなく、産後が良くなかったと思います。姉は、足首を曲げ伸ばしするだけのかんたんな妊婦体操を、本を読んで地道に続けていたので、安産で、産後もとても元気で今も健康です。しびれている足指の曲げ伸ばし、足首の曲げ伸ばしを30回。腹筋臀部の筋トレを毎日3セット。できない時もあり、最低でも1セットは、やるよう努力しています。お見舞いのお返し(快気内祝い)を送りました。もらった額の約半額。母にシーツやタオルは要らないと言われ消え物。デパートに行けないので、ネット通販から食べ物です。
2014.07.10
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「健康保険限度額適用認定証」というのを夫の会社の健康保険組合に申請して発行してもらい病棟事務のかたに提出しておきました。適用区分は普通の会社員なのでB ひと月 8万円+・・・という計算でおおよその額を聞いて夫に準備してもらいました。私の場合は、手術前が5日間よけいにあり、15日間で97,000円くらいでした。 退院の朝は荷物片づけ、朝食を食べた後、着替えて化粧をして看護師さんに28日分の大量のお薬をいただき夫が来て、同室のかた3人にかんたんにあいさつをしてナースステーションの前であいさつをしました。引き継ぎが終わって業務がはじまっており、お世話になった看護師さん数名の姿がなかったので残念だったと同時に拍子抜け。 病院は、組合立。 心づけはうけとれません とのことです。厳しいらしいのですが看護師さんたちに菓子折をさしあげていたのを見ました。・・・受け取ってましたよ。 請求書を持って外来会計で支払いタクシーで帰宅。病院内をゆっくり歩いても疲れました。 15日ぶりのわが家に到着しましたが・・・すっきりした病室に慣れた目には、異様に狭く散らかって見え、これまたカオスでした。床に並べまくった新聞、チラシ、ダイレクトメール、乾いた洗濯物。流し台に所せましと並んだペットボトル、ふた。大量のもらった割りばし。 なぜゴミも何もかも出しっぱなし? 2日分の家族の分と持ち帰った自分の洗濯をして、干して。 病みあがりなのに!しんどいっ!もうっ! 座る!よどんで臭い!バイトで夜遅い娘は まったく役に立たなかった!「やっぱり我が家がいいなぁ」 なんて 思わないから!
2014.07.09
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昨晩急に 逆の脚の太ももからスネ外側にかけてに疼痛のようなものが走り怖くなったのですが、翌朝には消えてほっとしました。再発はすぐにでも起こりうることを肝に銘じてそろそろとリハビリにいきました。歩き方がぎこちないというかそもそも足の裏の感覚がないし、ふくらはぎにもしびれが残っていてそれを使うのは難しくて、昨日の5分歩きだけで筋肉痛のような攣るような痛みがありました。療法士さんと8分歩き、腹筋と尻の筋肉を鍛える訓練を自主練。3セットはきつい。股関節を柔らかくする体操を習いましたが、持病だった仙腸関節の固いこと。左は開きができません。ガクンと痛めることがないようじわじわと、することになりました。この日、お腹の調子が悪くなりガスが溜って10回ほどトイレに歩いていきました。お薬を頼んだけれど、夜になるというので持参の止瀉薬を飲んでしまいましたが翌日昼までにも6回ほどトイレに行くことになり、リハビリがてらよく歩いたと思います。義母がお見舞いに来てくれました。術後6日目には傷の周りのばんそうこうがかゆくなり、朝の検診ではがしてほしいと看護師に頼んでいたのですが「明日退院の前に抜糸とともにしましょう。」と主治医に言われあきらめていたら、急に「OKが出た」というのではがしてもらいました。傷の付近がとてもかゆいのは、治っているのでしょう。どうやら、縫っていないもよう。テープ一本だけは残されました。6日目にもリハビリで訓練。まだ脚の力は全然戻ってなくでも、やっとエレベーターで1階の売店へ降りてコーヒーを買う気分になりました。ミニストップのコーヒーは美味しくないので、スタバ仕様のを。病院の食事もあと少ししか味わえないと思うと残念。おいしゅうございました。いよいよ明日朝退院。
2014.07.08
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週に一度、朝の医長先生の回診がありました。カーテンを全開にして(隣のベッドとの境は閉じたまま)ベッドで医師団を待ちます。5人ほどいる医師が自分の担当患者の病状を短く説明をするのが興味深かったです。早口で「MED術後4日目、回復は順調です。」たったそれだけでした~~医長先生は微笑んでうなずくだけ。 同室の人の病名も聞こえてしまいました。骨盤骨折、骨頭人工関節、大たい骨骨折・・・・老化はしかたがないけれど骨は大事ですよ。事故に気を付けましょう、みなさん・・・日中はリハビリが始まり、連れにきてくれたので歩行器でリハビリ室へ向かいます。平行棒をつかんで歩く練習、つかまず歩く練習。まだ足元はおぼつかないです。仰向けに寝て 腹筋のトレーニング。4種類10回×3セット。腹がプルプルです。体の奥の筋肉を鍛えて自然のコルセット代わりってことなのでしょう。横に寝て、まげたままのひざだけを上げる。10回×3セット。7回目からお尻のほっぺたが筋肉痛です。反り腰の姿勢を正すため、壁に背を付けて立つのですが立てません・・・お尻が出過ぎて。壁に腰をつけようとするには腹筋を強く使うか、ひざを曲げるかしかできません。背骨のカーブが腰椎5番に負担がかかっていたのじゃないかと思いました。同じ階の病棟方面へ5分間歩き。とてもくたびれました。「歩行器はもう要らないね、トイレは気を付けて。」と取り上げられました。」戻ると、老母が遠方から見舞いにきており、喋って疲れて午後1時間うとうと。夕方初めてのシャワー。パッドのないコルセットを借りて締めて立ってシャワーを使いましたが、疲れてしまい、しぶしぶ座面の高い風呂椅子に腰かけました。久しぶりに頭がすっきりできました。この日で抗生剤(飲み薬)が終了、リリカ100mg×2が25mg×2に減量になりました。夜は睡眠〇〇剤を断りましたが、夕飯のあとの買い食い(コーヒー)のせいか12時まで眠れず、はっと目覚めると認知症患者が「看護師さ~ん」と30分くらい呼んでいる声に眠れなくなり3時半にトイレにへ。6時間は眠れたことになりますが昼寝すると眠れないのは元気な体に戻っていると考えることにしました。最後に、鼻がかゆくてほじったら真っ黒な鼻ク〇がたくさん出てびっくり。血だったみたい・・・たぶん酸素マスクが刺さったのでしょう。
2014.07.07
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ベッド上で座っている時間が長くなりました。PCしたいなぁ、と思えるようになったのは回復の証拠でしょう。手術前には車いすでエレベーターに乗り売店の横のPCコーナーに行き、入院延長のことを20分100円の機械でSNSに投稿したものでしたがまだそこまで元気はありません。(わたしはいつも家にいる主婦なので、このご時世にまだスマホじゃなくてガラケーでパケホにもしていません。)歩行器でトイレにそろそろと歩いていきました。W杯で日本の試合があっていましたので面会室まで足を延ばしてTVを見ました。男の患者さんのうち、同じようなコルセットの30代くらいの男性が目立ったので自販機前で話しかけました。腰椎分離と狭窄症で固定術をされたそうです。ボルトが入ってるんだ・・・プルシェンコですね。何分か歩くと歩けなくなり、しゃがんで休憩するとまた歩けるようになり・・という典型的症状だったそうです。私なんて「ただのヘルニアです。」というしかありません。 毎日廊下をずんずんと歩く練習をしているおじさんを見ると早い職場復帰を考えてリハビリを頑張っているのだろうと感心しました。手放しで歩けていない段階の自分は、リハビリが大事なことはまだわかっていなかった。足の裏の違和感ははんぱなく、外側半分がごろりんと裏返ってしまいそうな無感覚が続きました。薬は痛みどめ(カロナール)が中止になりました。屯服を痛くないのに飲むのはおかしいのでね。 コルセットが暑くて、キャミソールが汗まみれです。
2014.07.06
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昨晩38度の熱が出たので 抗生剤の飲み薬がもう一種類追加になりました。ミノマイシンというカプセルが原因の 黄色い尿と便にげんなりしました。身体は昨日と違い復調がみられ、劇的回復力と言っても過言ではないくらい。 起きてベッドに脚を下げても腰は平気。診察で背中のガーゼとテープが小さくなり、昨日ほど傷は痛くなくなりコルセットの上から触っても、寝ても、痛さが減った。点滴が終了、やっと針がなくなり身軽になった。リハビリの療法士さんが来て、歩行器歩行を教わる。マットはひじの高さに調節してひじは床と平行に、前のバーをしっかりにぎる。少し廊下を歩いてOKをもらう。昼からはトイレは自力で歩行器で行くことになった。歩くときに足裏のしびれが残っていることがとても障害になった。転ばないように慎重に脚を下す。午後が長く、30分~1時間昼寝をする。 食事は完食。室内の手洗い口まで洗いに十数歩、お箸を洗いに歩く体力もついた。今日の夕方は、昨日はしんどくてたまらず追い返した娘と夫の面会も苦にならず。私がいないとどれだけ家庭が不均衡か思い知っている二人。病人に、 それぞれ相手の苦情を言いに来るのも いいかげんに(以下略)。
2014.07.04
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術後3週間が経ちました。やっと白髪染めに行きました。退院翌日カットだけに行ったときよりずいぶん元気になった気がします。寝そべるシャンプー台も腰の痛みもなく平気でした。痛くて寝そべれなかった時もありましたね。 駅まで往復じゃなく、寄り道もしてみました。本屋、布地屋、スーパーマーケット、惣菜店。階段しかないから下りて、上って。帰りは脚が疲れ、翌朝ふくらはぎが攣り、筋肉痛です。しびれの残るふくらはぎの筋力低下は、すぐには回復しないのでしょうね・・・右の足裏外側(全体の半分くらい)がしびれているように感じていたのが少し薄れてきて、少しだけ歩きやすくなっています。気になるのは指3本が今も輪ゴムで縛られている感触。 トイレの上げ下げする便座の裏が汚れていたので、しかたなく蹲踞(そんきょ)の姿勢でスプレーして拭き掃除しました。そんきょ とは・・・力士の仕切りの姿勢。かかとの上にお尻をのせる。これはいけなかった。痛みはなかったけど仙骨にたくさん圧がかかって、即、横になりました。トイレは狭くて、体が奥に入らないし、手も届かないときてて最悪の姿勢をとってしまい反省。トイレの床もしばらくは奥の方は掃除できませんがいたしかたない。 薬はリリカ 25mg 朝晩メチコバール ×3 を真面目に飲んでいます。忘れることもあり、3時間くらい経ってあわてるくらいです。 「退院一週間くらいたったら、リリカをやめてもいい。」 と、主治医の先生に言われましたが 28日分もいただいているので、忍びないです。 う~ん。やめるか・・・チーズ系のつまみ菓子(クラッツ、とかチーザ )を食べていると、たまにはお酒が飲みたくなってきたのです。何か月も飲んでないのでね。
2014.07.02
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長文です。 早朝と10時の検温で熱が37度、37.5度。「朝ごはんは食べていない。」やってきた主治医に看護師が伝えているのをぼんやりと聞きました。「お昼は起きて食べましょうね、点滴を外すためにね。」と言われても、ぐったりしている自分にやる気が出るとは思えません。手術のあとは裸に木綿のロング丈の病衣を上からかぶせている状態。両そでに手は通してあって、背中は汗をかいていたようでした。昼間の担当の看護師さんが「身体を拭いて着替えましょう。」と、やってきました。実は・・・・以下、女性のお話。男性のかたは素通りください。 手術の最短予定が決まったとき、困ったなと思いました。その日に生理がきそうなので。主治医にも言いましたが「何か問題ありますか?貧血があったかな?」かまいませんよ。という態度に、(痛いからもう待てないし、まあなんとかなるか、3日間で終わるオバちゃんなので。)と思いました。が。看護師何人にも相談しました。T字帯?それは困る。タンポン。動いちゃいけない術後に化学製品の長時間挿入は危ないし。「手術から尿管を入れて、紙おむつ をします。それで対応できるし、取り替えるときに、中に夜用ナプキンをあてますから大丈夫。」と、いうことでした。 身体拭きの午前中は生理になって2日目。24時間たっていましたので気になりました。でも体の痛みと消耗でそれどころではなく、「ごめんなさいね~」と看護師さんに言いました。優しい女の子が担当でよかった。脚のポンプが外され、ストッキングだけになり脚が軽くなりました。痛み止めをシュッと押してもらって、もうろうと半分眠りながら蒸しタオルで拭いてもらいました。襟足とか汗をかいた首筋とか拭き方の上手なことで・・・・ボディシャンプーを使って紙おむつの中もきれいに洗ってもらいました。もうろうとしながらも感動、心の中で号泣でございました。そんな最中に、長時間安静にしていた体の中から滝のように・・・・ほんとにありがとうございました。あなたのような女性をぜひうちの息子の嫁に!m(__)mまだトイレにいけそうもないので尿管はつけたままになりました。下着(キャミソール)をつけてから、手術2日前に型取りしたオーダーのコルセットを付けました。コルセットしないと起きてはいけないのですって。向きを正しく新しい病衣を着せてもらいました。昼ごはんの前にリハビリの理学療法士さんが、体を起こしに来ました。柵につかまり、助けてもらいベッドに脚を下げて座りましたが起床性低血圧とかで、ふら~~っ としました。脈が落ちて危ないということで、立つのはやめて車いすに移ってみるだけに。この時、こんな体で退院できるのかしら と自分の体調に驚き、不安になりました。頭がふらふらし続けるので、ベッドを起こした状態で過ごすことになりました。お昼は、おにぎりとおかずを半分弱 必死で食べて、午後は1時から4時まで頭を上げたベッドで3時間も うとうとと寝ていたようです。昼、「感染しやすいから尿管を抜こう抜こう」と言っていた看護師の男の子。「僕じゃぁダメですかね。」「ダメですっ!」オバさんでも男の子には見せたくないわ。身体拭きをしてくださった看護師さんがやっときてくれて立ったまま脱がないでおむつしたままOKだと。何だそれなら男の子でもよかったのに。注射器で尿管内の残尿を抜かれ(圧がかかってすごかった。)「息を吐いて~」「ふ~ふ~ふ~」ズバッ!!と管を引き抜かれました。 夕ご飯は、半分食べられました。点滴に抗生剤が追加されました。熱が出るのは普通のようです。この日のうちに血抜きの管は抜かれて背中は楽になりました。トイレは看護師つきそいなので、呼んで車椅子を押してもらいますが、点滴棒つきなので移動が困難です。便座を消毒スプレーした紙で拭いてくれて、紙おむつをはずしてもらい、至れり尽くせり。座ったのを見届けて看護師さんは去りました。用足し(最初の尿はちょっと痛い。)が済んで、呼び出しボタンで呼びました。「ビデを使いましょう。気持ち悪いでしょう?」と。乾燥もついていてほんと便利なウォシュレットです。紙で拭いてもらい紙おむつの構造がよくわかってなくて、ナイト用ナプキンの取り替えとバリバリと閉じるところもやってもらいました。恐縮の極みでございました。整形外科の患者は股関節や膝などの手術のあとはみんな不自由で当然やってもらっている、とあとで知りました。まだベッド上でずり上がったり、寝返りを打ったりが痛んでできませんが睡眠〇〇剤を飲んで昨日よりは眠ることが出来ました。尻や脚の疼痛が無くなったことが幸せでした。
2014.07.02
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ナースステーションの隣は、常に手術直後の患者がいたようです。酸素マスクをつけて、身動きできず、そばについている家族も深刻そうでした。脈や血圧の波形が映るモニターがすえられて、たまに非常音が鳴り響いていることがありました。 一般的に、手術の夜はそこで過ごすようですが私は元居た部屋の、酸素の口がある場所に戻りました。かんたんな手術だったってことでしょう。もちろんその夜の食事はなし。おなかがすいて力は出ないけど、口が渇いたとか水を飲みたいと思うことがなく一晩を過ごせたのは助かったと思いました。酸素マスクが覆い型から管を鼻の穴に差すタイプに変えられ少し顔が楽になりました。夕飯の時間くらいからはっきり目が醒めて背中の重さと痛さがずっしりと来ました。両足の弾圧ハイソックスの上に空気圧で左右交互に圧をかけるポンプがとりつけられ足が動かせません。右腕は点滴、背中には管、足にはポンプの機械。身動きが出来ない苦しさ。少しでも背中を楽に。と腕に力を込めてベッドの柵をつかんで体を浮かそうとしたものの、体力が消耗するだけだとあきらめました。重い胸のせいで背中は痛いし、重力が恨めしかった。無重力でぷかぷか浮いて居られたら、こんな地獄を味わうこともなかったのでしょう。 背伸びや自分で寝返りはダメ。と言われています。夜勤の看護師が・・・病棟いち愛想の無い人にあたってしまいました。ぶっきらぼうを通り越して、不機嫌顔。いたわりの雰囲気ゼロ。きわめて事務的です。(同室のおばあちゃんなど、イヤミを言われてくやしくて泣いていました。)出産を経験している女は、なるべく我慢しようとしますが夜は過ぎてくれません。どうにもこうにも背中が痛く苦しくなって、ナースコールを押します。「体位を替えてもらいたい。」と頼みました。私の棚からバスタオルを探して体の下に敷きこんで、看護助手と二人でタオルを引っ張り、体を少し斜めに起こし背中側にマットを据えてくれました。それも10分ほどで腕がしびれて辛くなってきます。 またガマン。ガマン・・・・。限界までガマン・・・。消灯後は真っ暗な部屋で、一人でひたすら痛さしんどさと格闘します。デジタルの卓上時計は暗闇では見えません。蓄光型のアナログ時計で針の位置が見えれば少しは良かったと思います。「今何時だろう。あとどれくらいで夜が明けるだろう。」カーテンの上の隙間から何度外を見ても、全然空は白んできません。「まだ2時くらいなのかな。4時ごろに思えるんだけど。」「あと4時間かな。」消耗した頭で、時間よ過ぎろ と唱えます。何度ナースコールを押したでしょうか。マットを取り外し倒してもらい、また呼んで二人がかりで起こしてもらい、倒してもらい、また起こして・・・倒して・・・・。つらいつらいつらい・・・・背中に血抜きの管が差してあり、看護師が赤い血の溜ったチューブをたぐりよせたり、出血を片方に寄せたりしているのが見えました。この管がなければ、傷口の痛みだけならもう少し楽だったかも。術後10日目。退院して撮った画像ですが、手術痕の右上だいぶ離れた場所に管の穴があります。管は翌日抜いたのですが、穴の周りの内出血の跡。時間が経過して黄色くなっていますが、これだけの圧がかかるとは何か四角いフチのあたるもので管をカバーしていたと思いませんか?これでは背中が痛いはずだと思いました。 手術箇所に血腫が出来れば元の木阿弥なので 血抜きの管は大事で、寝返りで抜けぬようにしないといけません。 点滴に麻薬系の痛みどめがつながれており、プシュッと一押しして混ぜてもらうとふ~~っと眠くなり30分か一時間効果がありました。(翌日使った感想です。)体位起こしの時に薬を入れてもらい、少しのあいだは意識不明になれて楽でした。翌日、その薬は10分、間をあければ投与できると聞き、3回分ほど余っていたので、遠慮せず、もっと頻繁に使ってもらえばよかったと後悔しました。 やっと朝になったようで、部屋や廊下があわただしい気配が聞こえました。もう水を飲んでもいいと言われ、らくのみで飲まされました。一口だけ飲みました。べつに欲しくはなかったんですけど。こちらは 夜と戦い、消耗しきっていました。夜勤看護師がふきげんな顔で「採血」と来たけれど、そんな気分にもなれず「イヤダしんどい。」とごねました。「炎症を調べないといけないから。」と言われ、「痛み止めプシュッ としてその間にだったらいい。」 と許諾。さっさとして欲しかった のちにリハビリで、半月板の手術をされた人の「全身麻酔がきれる頃、吐いて丸2日食べられず、具合が悪かった。」という話を聞き自分は痰が大量に出るとか、副作用がなかっただけ良かったんだなと思いました。朝ごはんが来て寝たまま食べるよう指示がありました。おにぎりにしてありましたが、とても食べる気にはなりませんでした。
2014.07.01
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主治医が術衣のまま手術室の前の廊下(別の待合室?)に来られて夫に渡してくれた摘出したヘルニアのホルマリン漬けです。これは病院で撮影したので生きが良い色。ちぎっては取り、ちぎっては取り・・・・二週間後の色 主治医のお言葉は、「そうとう痛かったと思います。」だったそうです。このヘルニアが神経をぐいぐい押して張っていたのでは・・・と想像します。たったこれだけを除去しただけで、痛みがピタッと無くなるとは、人体の不思議。
2014.06.30
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手術室は銀色。広くて奥には青い術衣のスタッフの後姿が4,5人。出迎えてくれた看護師さんの優しい応対で少し不安が和らぎました。車いすから銀色の冷たい台に移り仰向けに寝ます。少し移動させてドーナツスポンジ枕にのせた頭をキャップで覆いました。枕カバーと頭が一体化かな。天井にはドラマでよく見る手術用の灯りが下がっていてまぶしい。布を体にかぶせ、その下で病衣の上だけ取り去られ、上半身ははだかになりました。麻酔医が右手の甲に点滴針を刺しました。力づくで押し込まれ、史上最高の痛さに「痛ーーいっ!」おのれ研修医か 一週間内出血青あざでしたよ。女性ベテラン医が「代わりましょ。」さっと交代し、すんなりと入りました。 昨夜病室に説明に来た麻酔医。パンフを開けたとたん目に飛び込んできた気管挿管の絵。白い巨塔で観た、恐ろしい挿管シーン。あんな金属の筒をのどに押し込んで怖い。 説明が始まったとたん言いました。「そうかんするんですか・・・」(気落ち)麻酔医が私に「病院にお勤めでしたか?」とたずねました。入院中 看護師何人にも聞かれました。医師でも看護師でもありませんがそうです(笑)普通の人より、医学知識はあると思います。「それでは、麻酔をかけますねー。」マスクが鼻口の上にかぶせられました。とうとう来た。初全身麻酔。12時15分、時計を見て天井を見て時計をまた見て天井を見たら・・・意識がなくなりました。 「・・・○さん!○さん~~」声をかけられ、一言目に「のどが・・・痛ーい。」と、うめきました。声が出ないのです。そしてすぐベッドで手術室を出て廊下の夫が私を覗き込んでいるのが見えました。身体はぜんぜん動かすことができません。背中の痛さはまだ感じません。その後は、エレベーターも病棟の廊下移動もぜんぜん覚えておりません。元の部屋に運ばれ、酸素マスクを口に着けられぼんやりしていましたが気づいたら2時半だったような。手術は1時間ちょっとで終わっていたようです。娘もバイトを休んで来てくれてました。とにかくしんどくて、ベッドサイドに家族は要らねーと思うばかりでした。居てくれてもしょうがないので、娘の手を強く握って帰っていいよ。と二人を帰しました。そして地獄の夜につづく。
2014.06.28
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当日の朝、6時には目覚めて血圧体温を看護師が測るほかに朝食は抜きで、8時までにOS1を飲むしかすることがなく退屈でした。10時に担当の看護師の男の子が血栓予防の弾性ストッキングを持ってきてはかせてくれました。足首にしわが入らないように余ったつま先はのばしたままだそうで外側に脚を倒して寝ないように(血流がさまたげられるから)と指導していきましたが、実際の手術直後にそんなところに気を配る余裕はなかったです。けっこう脚は外に倒れていましたよ。この男の子といい、2年目の新人さんはくどいくらい部屋に来て声をかけてくるので病人は疲れてしまいました。ベテラン担当の日は、検温血圧測定お薬の配布をするほかは放置されてほっとしました(本音)。義母は退院の時に必ず捨てて帰るこのハイソックス。娘が脚ヤセに買ったメディキュットと同じ効力。2,500円くらいするものです。けっこうなお値段だと思い、持って帰ることにしました。休みをとった夫が来院。11時予定の私の手術は二番目。前のが押して11時20分すぎに呼ばれ下着(上)は脱いで病衣だけ着て、車いすでひとつ下の階にエレベーターで連れていかれました。入院の時の担当看護師さんが、気づいて詰所から手を振ってくれました。手術室入口で夫とはお別れ、入室しました。 つづく。
2014.06.27
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手術から二週間経過。退院から早いもので一週間経過しました。痛みがない生活は幸せです。 退院直後のしんどい感じは、ずいぶん快方に向かっていると実感しています。体力が戻ってきつつあります。夜10時には限界だったのですが、もっと元気で起きてられるようになりました。疲れが少なくなり、日ごとに歩ける距離が伸びているようです。ふくらはぎの無感覚と筋肉痛は相変わらずで、歩けばすぐコリます。足の指2,3,4(人差し指中指薬指)を輪ゴムでしばられているような感覚がずっとあります。おっかなびっくりの足裏半分のしびれ無感覚にだいぶ慣れて、踏ん張り対応できるようになりました。おばあちゃんが履くフラットシューズを買いました。くつべらも買ってかがまずはけます。介護用風呂椅子も、落ちているものを拾えるようマジックハンドも買いました。 術前の痛みに比べたらこれくらいの不自由なんてと、思うようにしています。
2014.06.26
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私の手術は 内視鏡下椎間板摘出術(MED)という方法でした。以下、いただいた説明の資料。全身麻酔をかけてうつぶせになってもらい約2センチ皮膚を切り筒状の金属を挿入して筒の中の内視鏡で(モニター映像を)見ながら手術を行います。腰の骨を一部削って、骨と骨の間にある黄色靭帯とよばれる筋状の組織を取り除き、その奥の神経を内側に避けて、前方から出てきている椎間板ヘルニアを取り除きます。傷を閉じる前に出血した血液が溜らないようにドレーン(チューブ)を入れておきます。万が一血腫が溜るとそれが神経を圧迫し同じような症状が出ることがあります。(再手術になる)面会室と外来に貼ってあったポスターです。生々しいですね。11時開始、前夜は8時以降絶飲食。ただし自販機で、OS1を買って、朝8時までに3本(630円)、1.5L飲みなさいと指示がありました。最低500mlは飲むようにと。 無理だと思いながらも軽く夜2本飲みほし、朝1本。血管確保のためのようで、飲んでいないと病棟で早朝から点滴をして移動になるのでめんどくさいそうです。夜、「腰骨にもいろいろありまして・・・」と、主治医が私のお尻に油性マジックで書いていきました。医療ミスのないように。ちょうど面会にきていた夫に撮ってもらいました(笑)。続く。
2014.06.25
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一番早く手術できる日が5日後。手術日までの入院生活は、自宅に帰るより楽だったと思います。リリカ100mg×2 は相変わらず飲んでいました。 痛みどめにアレルギーがある私はロキソニンが飲めません。あまり効果のないカロナール(アセトアミノフェン系) ボルタレンの座薬とロピオンという乳白色の点滴 の三つ巴で5日をやり過ごしました。相変わらず一日3、4回痛み9の疼痛発作がきました。陣痛を逃がすようにヒーフーと息を吐きラマーズ法。うううぅぅぅ ときたらお尻や脚をさするか、逆療法で車椅子に乗って漕いでトイレへ行くか。慢性的な仙骨から大腿部後ろ、ふくらはぎ後ろから くるぶしまでの重く鈍い痛みが7か8。体位を変えた時に起きるひりひりした焼けそうな痛み。これも臀部から発されます。多種類の痛みを鎮痛剤でケアしてもらいましたが食後のカロナールも合間の点滴も2、3時間しか効果がなく 間隔も6時間、一日2本まで、ときまりがあり時間をメモして、がまんしつつ、一日の予定を頭に浮かべ、そろそろ次はこれを、夜はこれを投与するかと、看護師さんに 頼みました。最初の二日は夜中2時の座薬をお願いしていましたが、やはり寝られず。おなかの調子もよろしくないし、下着の汚れも気になりました。痛みでうなってしまい、夜中にナースコールをし、暗闇で二人ががりで点滴を入れてもらうのも 気がひけました。同室の術後の痛みをかかえた患者さんたちが皆、〇〇剤を もらって眠っているのを知り勧められるままに半錠、翌日は一錠飲みました。痛みどめよりよく眠りに入れ、臀部のヒリヒリ感が眠りに負けて遠くに感じました。そうしてそれにシフト。術後も飲みました。10時に飲み、4時半に目が覚めても、6時間は眠れていると思うと満足感がありました。 くせになっていけないと思い、退院の二日前に止めてみましたが夜中の3時半まで眠れませんでした。夕食後の緑茶とコーヒーのせいだったかもしれません。 退院の前夜も2時くらいまで寝られず。元気をとりもどし、ご飯が足りないくらい なんだかみなぎっていたのです。
2014.06.24
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夕ご飯を食べている途中に主治医説明に呼ばれました。夫と二人で話を聞きました。新しいMRIの画像がPCに映し出されています。ほんとに、模範的ヘルニアの飛び出し。L5/S1一か所。右側。素人の夫にも一目瞭然な画像です。痛みが激痛になったわりには、初診のMRIとヘルニアの大きさは変わらないということでした。断面画像のヘルニアの侵襲ぐあいは、私の目には恐ろしい大きさに見えましたが・・・神経の束が黒いヘルニアに覆いかぶされて、全く見えないんですもの。さんざん私の痛みを理解せず『デブ原因説』『運動不足説』自業自得的 持論を展開してきた夫でしたが「椎間板が黒くなっているのは加齢によるもので人は、加齢には逆らえません。」という主治医の説明にようやく納得し黙ってくれました。ありがとう、先生。その他、治療法について説明を聞いた後腰痛世間話を始めそうになった夫を遮り「手術をお願いしたい。」と最終決定の依頼を私から言いました。手術のリスク(麻酔、失敗、輸血や材料による感染)について説明がひととおりありそれと痛みを天秤にかけても痛みに耐えられなくなったからです。
2014.06.23
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検査入院二日目。夕方4時半に 脊髄造影検査とCT。同意書にサイン。読めば読むほどヨードの副作用(ショック死)が恐ろしくなるので夫に午後休みをとって来院してもらいました。血管造影検査で亡くなった女性が町内にいたと私の父の検査の際、母が大騒ぎで電話してきたことを思い出しました。しかし夫の初めての造影検査の時は、そんなこともすっかり忘れ、一人で行かせてしまったので申し訳なく思いました。怖いことは考えないように=開き直って=腹をくくってのぞみました。朝、10時以降は絶飲食。お昼は無しでした。朝ごはんの米飯を150gも(丼軽く一杯)食べきっていたのでそう、空腹は感じず、寝て、時間まで過ごしました。帰りがストレッチャーだということで、トイレ帰りの廊下で移乗し検査室へ運んでいただきました。夫は検査室の近くの外来ロビーに移動。何かあればケータイで呼ばれるので待機。レントゲン室に横向きで寝て、背中とお尻を出し、エビのように丸くなりました。たぶん主治医が登場。消毒をしてチクッと針が刺さりました。モニターを見ながら針の深さを探ってる感じ。看護師さんはお尻のほっぺの下を両手でグッと持って支えているのは痛がって動かないようになの??主治医の無言の間がこわいわ~~造影の液が入ってきている?まだ看護師のお尻支えは続く。何とも感じないのですがーー。さぁ撮影します。の段階になって右脚(痛む方)が激痛!!痛み10どころか20か30!「痛い痛い!ひーーーっ!」と、声が出る。横向き、骨盤、うつ伏せはヒィヒィいいつつ、やっとのことでこなしました。うつ伏せで片脚だけかえるのように曲げ撮影。7のような形。先生(たぶん担当医)が、脚を持ちあげて曲げさせたみたい。左足が攣ってつま先がトウ立ちになって、うつ伏せへ体位変換もできなかった。「ヒーーーッ」右が痛い痛い痛い。いつもの疼痛の数倍!誰だ、ミエロ痛くないっていったの。やっと終わり、ストレッチャーにごろりと移乗しCTの部屋へ開放の機械であっと言う間の撮影終了。助かりました。このあたりで痛みが減ってきて落ち着きを取り戻した感じ。病室に戻り、頭を2時間は上げずに食べずにベッドに安静に寝て過ごしました。頭痛はおきませんでした。6時半の夕食は起きてしっかりいただきました。人生で一番痛かったのは陣痛出産でもなくミエログラフィーです。夜、「5日後の手術予定が入れられそうなのでそのまま入院していて待ってもらってもいい。」と、主治医の先生から提案がありもう、自宅で家事も買い物もできないなと思っていたのでご厚意に甘え、居させてもらうことにしました。痛みどめが、多様に使えると思ったからです。
2014.06.22
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11時入院。タクシーを呼び一人で。2泊3日分の荷物なので少ない。どうせ院内は車いすだろうから杖は持って出なかった。入院手続き後、迎えの看護師さんに車いすを押してもらい病棟へ。とたんに疼痛が来る。激しい疼痛が始まった5日前と比べても、とてもひんぱんに起こるようになってきた。お昼をいただいて(けっこう美味しい病院食♪)検査もろもろが始まる。血液検査レントゲン(立位2方向)、心電図、止血時間、肺活量。ベッドから起きてすぐは痛み9が来て悶絶しながらの検査でした。30分に一度痛み9か10が襲ってくるし、横になっても痛い。トイレ移動にも自分で車いすを操作して行くよう練習。すっかり上手くなりました。4時半。神経根ブロック。レントゲンの部屋でうつぶせに寝てお尻背中を出す。腰の下に枕を二つ入れ4つんばいに近い。疼痛はがんがんやってきているので、いててててと声が出る。針を二回刺され医師がさぐっているような間があったのち、太もも裏からふくらはぎがなんだか熱くなって、なにかが流れてきた感覚になる。「来ましたか?・・・来ましたか?脚にびりっときたら教えてください。」熱いのはわかるけどまだ来ない。まもなくビリッ!(バチッ!)いつもの痛いほうの右足人差し指あたりに来た!間髪入れずパンッ!(ビチビチ!)と、右足の親指以外の指4本に 花火が開くような感電したような刺激がきた。ワッ!と言っただけで一瞬のこと。疼痛に比べたらなんてことない。麻酔薬が入っているというので少し麻痺を感じた。今がチャンスタイム!!!MRIへGO!到着したら同意書書いていなくてタイムロス2分。早く早くと回答してIN!終わる頃にはだんだん麻酔の解けるときに感じる重い痛さが戻ってきた。病棟に戻ると、右足の痛みがゼロ。足首もよく動き力が出せた。よろこびもつかのま、一時間後には疼痛がきて一時間半後には元へもどってしまった。「場所は合っていますね。」と主治医の話でした。
2014.06.21
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ひとまずご報告。手術は成功、順調に退院できました。検査入院から順に日記に書いていきたいと思います。結果を先に言いますと痛みはゼロになりました。手術して良かったと思います。再発の心配をしながら過ごさなければいけません。これからは、変な姿勢で力を加えることや無茶な運動、労作は出来なくなりました。残念なことに 足にしびれが残り歩き辛いです。そこまで進行するまで我慢していたためで、仕方がありませんが。
2014.06.19
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昨日は、病院を出て敷地外の調剤薬局で薬をもらいました。タクシーに手を挙げるも、にっこりスルーされ停車が危ない通りだからか、夕方ラッシュ時に左車線には、なかなかタクシーが通りません。 タクシー難民になりしかたなく病院に戻りました。痛いよ~~1時半の予約なのに新患が多かったので呼ばれたのは3時半、入院説明が5時。診察終了で玄関前にタクシーは一台もおらずケータイで呼びました。通院も楽じゃない(涙) 昨夜はボルタレン座薬を寝る1時間前に挿入。ポリエチレン使い捨て手袋の指を一本切ってひとさし指にはめました。そして思い切り奥へやっぱりちょっと汚れた。前日より眠れました。でもちょっと痛くてうなってしまったかな。同室の人に迷惑かけそうです。そして今朝は ガスと一緒に座薬の名残が何度もお出ましになり困ったので下着におりものシートを敷いていきます。本日入院。 入院の荷物準備で家の中を歩き回り臀部が痛くてもう行く前から具合が悪くなります。一人でなんだけど荷物持って杖持って、しんどいわ。ゴミ出しさえ忘れそうなわが夫。3日後、カラのペットボトルが並んでゴミ出ししてないかも。今朝、娘の色物の服を3回手洗いすすぎ、脱水して干し夫のYシャツのアイロンをかけ(もういやだ。)「独り暮らしの子なら全部自分でやってるんだよ!」「独身ならクリーニングに出して取ってきて自分でやってるのに。」わが家族の家事無能ぶりになさけなくなりました。二度寝して学校に遅れそうな娘の時間の心配なんかしてやらないからね!でも何度も声をかけてしまいます。こんなになったのも私の責任なんだけどね。帰ってきたら、汚れ物がたまっただけでその片づけに追われるのか・・・第一、病院の名前も場所を知らない夫。何年この地に住んでるんだか。夫は医学的なこともまったく無知で、痛みに理解が無く、はずかしいわい。 では行ってきますね~
2014.06.05
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手術をお願いしに総合病院へ出戻りの出戻り。「地元ドクターと何かあったんですか!?」「違うんです!ひどくなったので手術希望!」 担当医は 症状が悪い患者にはノリノリ。私、やりがいのある患者になりました 激痛ものさしメモリは 「メーター振り切れ ですよ!10以上!」「昨日の夜は、2,3分続く激痛に救急車を呼んでほしいくらい苦しんだ。」と言ったら「それは!」手術の前にまだ神経根ブロックをやってないので 2泊3日で検査入院を と とんとんと話は進み明日から3日間行ってきます。うまくいけば6月中に手術で本入院できるかも。 一日目夕方 神経根ブロック ~からの~脚が麻痺しているうちにMRI 覚醒したら痛くて 仰向けは絶対ムリ! 二日目夕方 脊髄ぞうえいCT。 ショック死するかもしれないから夫にきてもらう。そのあと夜、担当医から家族に説明。翌朝 退院~オメ 準備がしんどいわぁ。天袋の旅行バッグ、久しぶりに出しました。お箸箱なんて息子の小学校の給食のじゃん(笑) 今夜を乗り切りたいので、ボルタレンの座薬をもらいました。あと一晩で楽になれる、と思ってたけど入院中も痛いのは続くんだよね。 夜うなって同室に迷惑かけそう。 神経根ブロックに期待をこめて(効いても、手術して無痛になりたい。) 。 ということで、出産以来の入院。家は夫と子どもにまかせて頑張ってきます。神経根 どれくらい痛いのか報告をお楽しみに。
2014.06.04
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(救急車呼んで)歯をくいしばり「ひーーっ」と唸り苦しみながら何度言おうと思ったか。 痛み10MAX、スペシャル、ゴールドプレミアム! 何でもいいけど陣痛より痛い。腹より背中はキケる。仙骨発信だから。 夫は「どこが痛いのか?背骨か?腰か?尻か?」(まったくよ~デブはこれだから)冷たい目で床に転がって苦しんでいる私を見下ろして 「窓開けてるからよそに聞こえるぞ。」 と、そっちの心配をしています。 冷たい。よーくわかった。お前の術後の痛みに同情してやらんからな。 覚えておけよ。鎮痛剤を飲んで1時間半。もうちょっと早く飲むべきだった。ってかカロナール、アセトアミノフェンじゃ痛みどめにならんがな。 発作的痛みが少し弱くなったところで、はいずり布団に転がりにいき 2時間くらい寝て、起床しました。 3日間1,2時間しか寝られてない・・・・ 今日(水曜)の再診予約がとれたのでタクシーで行きます。建物の下まで降りてケータイで呼ばないと、うちから電話してたら歩くの遅くて絶対間に合わない。 もう限界。痛みをとってもらってそのまま入院でもよろしいわ。すぐにでも切ってほしい。 荷物の準備しようかな。洗顔とか化粧品ポーチとか。できるかな。あとで娘に頼むにしても場所がわからないと思う。(整理下手なので) 退院のときはしゃきっとしたかっちょいい服・・・でなくていいや。そんな余裕なし。恰好は。ズボンに脚が通しにくい私に何とでも言いたまえ。 こんな状況下で、子どもは歯科矯正の針金が入り歯が痛んで食べられないので自分で帰りに買って帰り、買い物を電話して聞いてくれます。 夫は連ちゃん スポーツ観戦で弁当。作らなくていい。よかった。
2014.06.04
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発作的な激痛がやってきます。 ○寝てるとき。 うぐぐぐぐぐ。ひいいっ。 ○起きあがって立つまで(四つんばい)。 うぁぁぁあうう。 ○(何かにつかまって)立ち上がってしばらく。 流し台の前で ひゅゆゆゆひぃーーっと、声を殺して痛みに耐えます。昨夜、痛い痛いひーーーっと床でクッションを抱いてのた打ち回っていたら「10キロって・・・米2袋分。すげぇや。じっとして食ってるから。少しは減らせや。」と、 夫はなぐさめの言葉一つもかけてくれません。 結婚して25年、体重はお産2回で3×2=6キロ。ここ10年で 4キロ(昨年だけで3キロ)増えました。夫はまったく変わらずなので、私に言いたい放題です。 あぁ、洗濯物干さなくちゃ、 家族はだれもしてくれないわ。自分の朝の食事の片づけもしてくれないまま 娘は大学へ。 痛みの最中に、大丈夫な左足だけついて、覗き込むように手を差し入れ、洗濯物を取り出すと・・・ うぎゃぁぁあ、ぐぐぐぐあ‘‘あ‘‘・・・・ お産を経験した私がつらいほどの激痛MAX!だから、男性だったら悶絶してしまうでしょうね。 もう床にぺたんと座ることができなくなりました。学習机椅子に座ると 激痛の発作がおさまり少しだけ痛みが減ります。(痛いけどね!)だから一日中座っています。 リリカを100mgに増量してもらって、ふらつきが増えたようでくらくらしています。
2014.06.03
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総合病院に問い合わせをしたらもう二度目の紹介状はいらないけれど地元医院へおかかりあそばせ。そして先生の勧めがあれば再診の予約をお取りください。・・・事務的で完璧な対応。激痛が起こった場合の救急受付は と尋ねると救急車の受け入れと5時15分からの時間外です。事務的~夜間になるときっと外科か内科しかいないんだよね。私に対応した痛みどめが処方できるかな?お薬で痛みを抑えたいので出戻った近所の医院にいくことにしました。5分でつくはずの道のりが なんと遠く 痛く 苦しいものでしょうか。悲しくて泣きそうだ。 杖をつきながら2度ほどくぅいぃぃ~~っ ←吉高由里子じゃないよ。絞り出すような声が出ました。痛かったもん。あははははははへはへうひぃぃ~っ痛みでいろんなバージョンが生まれます(笑)15分近くかかって到着。杖の先を、持ってきた古ハンカチで拭いてそのままついてスリッパで上がる。スリッパは上のほうからとります。(帰りにかがみ腰で死んだ。)受付も遠いしよぼよぼと歩く。なるべく受付と診察室のそばに陣取る 。名前を呼ばれたのは電気の部屋から。今日はぜったいしないからね!受付に、診察をお願いします。と言いに行く。 老婆の様相で「ひどくなりました。夜がねられません。初診のときより悪いです。痛み10です。紹介状はいらないそうなので。」「あちらでルートブロック(神経根ブロック)をしてみるといいかもねぇ。」 「あちらの最後の診察のころは、いい感じになってたのですが、ちょっと歩いたらそして電気のあと猛烈に痛くなりました。こんな痛さだったら手術を してもいいと思っています。」 痛みどめをもらいました。リリカを増量。今の75mgに25mgを追加してもらい100mgに。カロナールも6時間おきにOK。 再診予約をとって今週総合病院へ行きます。70、80のおばあちゃんたちにさっさと抜かれてしまう自分が悲しすぎる。ずっとこのまま痛い状態だと子どもや夫の世話もできないし家から出られない。人生まっくら。手術をする腹は座ったと思います。
2014.06.02
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痛くて眠れなくて横になったらもう起き上がれなくてむこうの部屋の娘に早く寝なさいとケータイで電話して タオルをかみしめて 痛みに耐えながら夜を過ごしました。 カロナールを追加で飲んでも寝入ることができなくて ひぃ~うぅぅーぐぁぁぁ時々声がでました。「あした病院行けよ。」と夫に言われても希望が持てない医院に行ってもどうにも改善しないと思います。痛みをこらえて泣きました。陣痛でも泣かなかったのに。おぉ。今夜は痛み10。 これぞ 10!! 陣痛は10分5分の間隔で休み時間があるから そこで意識不明になれたけど 休みなしの連続は拷問です。たまらず朝5時に這って起き上がり 薬を飲みました。大好きな学習机椅子に座ったら、痛みは8くらいにダウン。でも座っていたら無痛に近かった以前とは状況が変わってることに気づいた。座りも痛いじゃん!尾てい骨に体重がかかると痛い。 昨夜のうちにネットスーパー注文していて正解だった。昼の私の菓子パン、夜のおかずは揚げ物のお惣菜が届きます。 カロナールよ効いてくれ~~。
2014.06.02
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朝起きたら、立てなかった。トイレには行きたい、脚は痛い。 右の腰回り全部が疲労して固くなっている感じ。布団の上を這い、和室から出てリビングの椅子に つかまって立ち上がる。ひぃぃ~イタタ。ふぅ~っ。 こんな声が出るのはひさしぶり。紙で拭こうとして、腰に痛みがくる。手が回しにくくて よく拭けない。いつもは座りが無痛でよかったのに、今度は座りもだめか。気休めに湿布を腰から仙骨に貼る。娘の朝ごはんはお盆に並べることはしたけど、「こっち来たら自分でよそって 。」と頼む。食べっぱなしの皿がテーブルに。むなしい。プチトマトのパックを下の野菜室にかがむのがつらくて上の冷蔵室に入れようとして床に落とした。 うわーーん。 と言いながら、ワゴンにつかまりながらゆっくりしゃがむ。立ち上がって、トマトを冷蔵室のドアポケットの飲み物に挟んで入れた。 家族が出かけた玄関も施錠しないまま。そこまで歩く気力がない。 今は自転車も無理そうだから、ネットスーパーに頼ろうか。 痛み8か9に逆戻り。駅までさえ歩けなさそう。泣けてきました。 今、お昼。リリカが効いてきたのか少しだけ和らいだような気がするけど頭はぼんやりしてきた。食べ物を作る、取りに行く気力がないので手元にあった菓子を食べる。 脊椎外科医の戦場という外科医さんのブログを知って、じっくり読む。こんな痛い日にそのブログを読んでしまうと、手術をして早く痛みから、こんな生活から解放されたくなる。 執刀医の現場の症例の説明は貴重です。ネットに上げてくださったことに感謝したいです。
2014.06.01
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去年12月に受診した人間ドックの結果はすっと前に来ていました。要観察にレベルアップして3度目だ。 「診察に行ったほうがいいんじゃね?」いつもスルーでしたけどね。 ホームドクターと雑談で「ぽっくり逝ったらこまるから僕は飲んでるんだけどね、血をさらさらにするお薬。あなたは、ほかに血圧とか糖尿とかなければ(リスク少) 。」って、言われてたもーん。 今日は書留が来ました。 診察利用券。「積極的指導」 を受けろとな~~ やばいと思ってたのが基準を超えた腹囲。ミリ単位でオーバー 内臓脂肪じゃないよ、ぜい肉!BMI 小数点でオーバー 毎度おなじみ中性脂肪と悪玉コレステロールはいつも肝臓GOT・・・これは初めてだ~ 10年前初めてのドックで悪玉が多くて、ふた月 必死で絶食して 魚食にして 受けた再検査は クリアしたんだけど食べない生活は顔はたるむわ、体力は落ちるわで 無理でしたー。きついよ やっぱりどこか悪いのかな。悪そうなのは 一目瞭然。見た目がね。痩せればたいていの数値は改善するのかな。薬でむくんで体重はまた増えました。
2014.05.31
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昨日の医院通院のあと尋常じゃない焼けつくような痛みが右仙骨と右脚を襲いました。 ふくらはぎも痛い。痛ーーい。眠れない。朝5時に痛くて目が覚めました。 これは3月に、整形外科へ行ってみようと思った症状。あの時と同じ種類の痛みだ~あの時は熱い生薬入浴剤の半身浴で長風呂をしたあとだった。あぁ、電気が原因だよ。たぶん・・・ 一般的な腰痛のかたが血行をよくする目的で患部にあてている電気(赤外線?低周波?超短波?)。デジタルパーマのとき、頭のまわりに設置するのに似てるの。 黄白色の明かりがついています。 血行が良くなると、私は痛むんだわ。出っぱった椎間板が神経を押してるから、外から湿布しようが電気当てようが、(コルセットはこれ以上でっぱらないよう予防だと思いますが)元から断たなきゃ、効果ないんじゃないでしょうか。 整形外科に行く前の日、中国鍼をネットで調べて行きそうになりましたが思いとどまってよかったかもしれません。深部に鍼を刺したら、腰が立たなくなった なんてことになったかも。 決めました。電気治療には 通いません。痛みをおしてきなさいというでしょけど、信用できないのよ。 痛み8が5とか4まで減って、日常の買い物には行けていたのに悔しいわ。これ以上悪くなったらこまります。じょじょに右肩下がりだった痛みグラフはグンっ と 上昇し、ふりだしに戻る。 1か月ぶりの歩きが、弱った脚腰を疲れさせたのもあると思います。 あー痛い。せっかく安静にして、リリカで痛みを忘れさせて 2か月半過ごしてきたのに。来月末で、発症一周年です。「長いですね・・・」深刻な顔の大きい病院の医師。すぐ受診すればよかったのでしょうね。 きっと私の椎間板と神経は、癒着しているでしょう。
2014.05.31
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おとといの街への外出でがんばった疲れが今日くるああ、時差が悲しい中高年。痛い側のウエストの疲労感と臀部のジリジリがキッツイです。 紹介状を持って医院へ行きました。11時過ぎだというのに患者はひっきりなし。電気治療に4,5人。←満杯。笑顔の先生。少しは同情的な表情がみたいです~ 「どうですか~?」 「はい、少しはお薬が効果があるようでぼちぼちです。」パラパラとカルテをめくって 「続けて治療していきましょうねー。来れるとききてくださいねっ!」 (アバウトな・・・いつ来りゃいいのさ。) 「カロナール手持ちがありますか?ビタミンB12はなんとも(副作用)ならなかったでしょ?」うそ・・・3月の初診のときの処方でいくつもりかな?あわてて 「リリカをくださいっ!リリカが効きますっ!」紹介状を見直す先生。「ん?あ、リリカね。どれくらいで来れますか?一週間でいい?」 「いつも二週間分もらっていました。」←妥協ライン。一か月分と言ったら、くれたでしょうか。 また治療指針やこれからの見込みが聞けませんでした。腰痛に関しては、『言われたとおりに 通院する』 という態度で臨めない私。診察が終わって、出口はどこよと ためらっていたらやっぱり、電気の部屋へ通され、10分くらい電気を当てました。肩、ひざ、手の親指たくさんの患者さん。電気当てに きておりますねぇ。大きい病院ではリハビリも電気治療もしていないし推奨してないのですが看護師さんたら「一度じゃ効きませんからね。」と、一言。効くのか効かないのか、処置35点よ。途中で先生がにこやかに近寄ってきて「ぼちぼちやりましょうねっ、痛みが弱まったら負荷をかけていきましょう~」 「負荷とは?」「今の(電気)は軽いのです。先になったら、もっと深部に届くものでやっていきますよぉ。」電気を強くすると理解していいのでしょうか?電気は信用していないのですが。 うーーーん、来た時よりジリジリが強まった次回いつ行こう。
2014.05.30
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月末までに銀行ですます用事がありましてひと月ぶりに街へ出ました。痛くなる去年の夏前は、月に2,3回は街へウインドショッピングやデパートのはしごに3時間くらい歩き通しで出かけていたんですがヘルニアになってからは、この用事をすますのがやっと。 杖を持ちました。駅へいつも徒歩10分のところ (夫や娘は7分で着く) 15分見積もって出ました。 電車に間に合いませんでした~~ 点滅しそうな横断歩道も小走りでわたることもできず、あきらめて次を待つ。←ヘルニアンあるあるすぐ変わる青信号はフライング気味にスタートしないと渡りきれない。 停まっているのが見える電車に、走ってホームへの階段を駆け上がり間に合おうとする気がさらさらない。←ヘルニアンあるある ホームへのエレベーターを使おうと待ってたからいえ、改札のところでもう笛が聞こえ、電光掲示板が消えました(笑) 色の組み合わせなんて考えずショルダーバッグで行くべきだった。杖とつい買っちゃった食品の袋と手提げバッグで手いっぱい。 帰りはとぼとぼと駅から家まで15分以上かけて歩きました。2時間合間にお店で座って、喫茶で休憩したりしたので、翌日の脚腰に影響ないようで、良かったです。
2014.05.29
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楽天の星野監督も腰が痛い、歩行困難だという重症なような報道でしたが腰椎椎間板ヘルニアと難病指定の黄色靭帯硬化症だそうですね。ソフトバンクの大隣選手もその病気だったと思います。投手が体を不均衡に使っているとなりやすい病だと。手術されて、早く良くなられてください。 「麻痺が進んでいる。排泄困難。日常生活に困難な患者さん」手術の条件に 私はあてはまってないですね。だから保存療法止まりですね。 私の生活は、なんとか日々の食品の買い物は自転車でできています。店が近いので幸いです。日用品や大きいものが必要なときは、夫の運転で車で行くこともできます。他のものはネット通販で買い、届けてもらえます。一日座って過ごせば痛みは感じずいられています。ホコリ汚れがたまって整理整頓ができないこと 以外、暮しじたいには困っていないです。 困っているのは、街に出かけてショッピングができないこと。遠方に公共機関を使って行けないこと。けっこう駅や空港は歩きますので。 なーーんかね。もう、楽しみがないよね。
2014.05.28
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毎年恒例の皮膚科受診となりました。10年前、息子が寮のお風呂でいただいてきてから私にも 白癬菌が住みついているようです。つまり、水虫ね。息子は完治してその後出てないみたいですが私は春先になり、サンダルになる季節を迎える頃足が乾いて指周りに水泡が出来る→受診して約1、2か月 薬を2本塗る。→表面はきれいに治り再診しない。→また翌年 春、水泡が出来る。←イマココの繰り返しを3,4年やっています。今年は、左足の真ん中の外側面がぽろぽろ皮がめくれて水泡大に丸く皮に穴があく状態が続いていました。 皮膚科で「どれ見せてください」オットマンより低い台に足を載せました。左の足は右側面、左側面と足を回して見せました。右のここいらも。と指さし前屈しようと足を動かしたところあたたたた痛みが・・・・。「ヘルニアで 靴下もはきにくいんです。」と言い訳をしたら女医せんせい。しゃがんで診てくださいました。ありがとうございます。「去年もだから、(顕微鏡)検査するまでもなさそうですね。」 看護師さん 「薬も塗りにくいですねぇ。」女医せんせい 「だれかに手伝ってもらうか・・・後ろに はどう?」それなっ!前は無理でも後ろになら、かかとは上げられます。「あ、それだったらできます!」電気分解して酸性にしたお水、強酸水を2リットルもらいました。400円です。水とはいえど酸性で臭いはつーーーーんと酸っぱいです。服についたら漂白になるかも。要注意。2週間ほどでまた還元してしまい元のただの水に戻るそうですけど根気強く完治するよう,ぴちゃぴちゃと浸して殺菌してみます。それといつもの軟膏を塗ります。秋までやりなさいといつも言われてるんですけどね・・・ 受付で、レーザーのシミ取りのポスターが 超 気になって、パンフレットをもらって来ました。一回7000円、2回目からは4000円。何回完結でしょう?したいなぁ・・・
2014.05.27
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本日は快調なり。と言ってもいつも平日の午前中はずっと座っているので痛みはありません。PC眺めて座れば痛くない~~~ひとりきりで楽な姿勢をさせてもらっています。座れないタイプのかたはたいへんですね。 土日は一番いい椅子=PCを夫が占領しますので台所やダイニングの固い椅子が私の定位置。平日より土日は立ち仕事が多く、ずっとズキズキしていました。 睡眠中、仰向けも横向きの寝相をしても痛い!腰痛体操の刺激のせいでしょうか。(日曜は体操をお休みしました。)寝苦しく、目が覚めると痛いのです。明け方の4時、痛くて悲しかったです。腰を痛めるのは座り仕事の人(運転手さんとか事務職)と聞きますが座るのが一番楽な私はもっと悪くなるってことでしょうか(笑)ずっと外出をしていないので筋肉が衰えるのが心配です。バランスボールを買おうかなぁ。その上で座りながらトレーニングできるのでは?大きくて邪魔かなぁ。あぁ。文章が書けない。薬のせいかクラクラします。
2014.05.26
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いつのテキトーでゆるくて冗談ばかりであんなに自由に楽しそうにTVに出ていてうらやましいばかりで笑ってみていましたが楽しいロケも腰の痛みと戦いながらなさってたのですね。ヘルニアと狭窄症とのW手術。痛みが無くなって長く歩けるようになるといいですね。
2014.05.25
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早朝5時睡眠中に 痛い側のふくらはぎが 攣りました 激痛で目が覚めました。あぁ痛かった。ふくらはぎは自分の意思と別物のカッチカチ。 起きてバンテリンをふくらはぎに塗り安静に過ごしても10時くらいまで痛かった。 カルシウムが足りないわけでもないのに痛いなぁ。妊婦のこむら返り以来 です。
2014.05.23
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薬に体が慣れて眠気はなくなったと思ったので 診察でもそう言ってしまったのですが 昼寝3日連続 はい。お昼に炭水化物をいただくとこうなりました。 独りで無音のおうちではおそろしいほどの 眠気に勝てるわけがありません。 ぽかぽかと室温が上がる午後。おなかいっぱいの午後。昼寝のせいで夜寝るも遅くなりそりゃ、翌日も眠いよね。 明日は昼抜きにしよう。 昼寝はちゃんと布団でしないと、ねじったりしてて 起きてかなり痛いですよ。
2014.05.22
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ダメ元かもしれないけどやってみたら?と、ネット友さんに教わった腰痛体操 です。 膝を抱え込む体操は、以前から知ってはいたけれどやってなかった。 坐骨神経痛に直接関係する腰椎の下のほうと仙骨に効くかもしれない。 おととい夜から始めました。朝晩にやります。左右に膝を倒すと非常に痛いです。いてててて特に痛んでいる右。 抱え込む体操はちっとも痛くない。以前の骨盤痛は しゃがみ動作と前に倒すのがつらかったのに 今度のヘルニアはそれはまったく大丈夫。 体操で頑張って伸ばして椎間板に隙間の余裕を持たせて、なんとか神経に触らぬよう(←違うか) と願いつつ。
2014.05.21
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出産後の骨盤の左側の痛みはあるもののなんとか日々の育児は出来ていました。生活範囲は狭く、特に激しい動きをすることもなく長く歩くこともなく生活に支障をきたすほどではなくすんでいました。引っ越しも大丈夫でした。子どもが一歳半になったころ公園で遊ぶようになり母親の私も付き添いでたくさん動きました。固定遊具の50センチくらいの高さから飛び降りました。それからです。左のお尻の骨に経験したことのないひどい痛みが襲ってきて寝ても痛い起きても痛い歩いてもお尻が痛い。太ももやふくらはぎは痛くない。特に思い出すのは動作をすると仙骨が激しく痛んだこと。真後ろとお尻のほっぺた。顔を洗えないこと。前かがみが20度くらいから先がもうぜんぜんダメでした。タオルを濡らして直立したまま拭いていました。子どものオムツ替えや外へ連れ出すことがつらくてたまりませんでした。楽に過ごせるようソファーを買いました。整形外科を受診してMRIの予約の日に隣県から実家の母に泊まりこみで来てもらい子守りを頼みました。20年前はMRIは高くて1万円しました。診断の結果、病名は骨盤輪不安定症。 左の仙腸関節は隙間が右より開いていると言われました。これは今回(出産から21年後)のレントゲンです。仰向けが痛かったのでゆがんでます。右 ↑左今回、医院のドクターはこの昔話に、「左の仙腸関節に炎症のあとがあって白くなってますね。」と言われました。そういえば左の方が 真っ白いわ。(総合病院のドクターは「その時もヘルニアが出ていたのかも」と言いました。)それで病院で、骨盤輪不安定を支えるコルセットを装具屋さんに型取りしてもらい作り(2万くらいしましたが全額会社に手続きして社会保険から返金がありました。)ぎゅうっ と締めて生活しました。2か月くらいで急性期を過ぎ、痛みは少しあるけれどなんとか生活できるようになったのでした。8か月後、第2子を妊娠して、コルセットをできなくなりました。
2014.05.20
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腰椎のヘルニアになって右足がつったり痛んだりで使えないので車の運転が出来なくなりました。それに、薬の影響でふらつきが出るので運転は危険なのでしないようにと注意書きにありました。便利のいいところなので(徒歩圏になんでもあり事足りる)車は買い物にたま~に使うくらいなのですが夫はほとんど乗らない人です。じゃぁ手放せよと思いますが手放す踏ん切りがつかないのを私のせいにする。持つつもりだったら手入れをしろよと(笑)一年間まったくハンドルを握らなかった人です。ここ5年くらい、ガソリン入れと最低週一、動かすのは私の役目でした。まぁ、この問題は別件です。それに、趣味も合わないので一緒に行楽などにでかけたこともなかったのですが5年ぶりに一緒にでかけるようになりました。車を動かすついでに 重たい物の買い物に。車を動かすのは、夫一人で行くところがあれば夫だけでやってもらってOKなのです買い物はネットスーパーもあるし、薬(ドーピング)で痛みの少ない10時~2時に自転車で行けるようになったので、なんとかなるのですから。お米と飲み物は 提げるの無理しないほうがいいと思いますが平常、帰宅ついでに家族に頼めますし。夫と二人でおでかけ新鮮♪なんてことはまったくなく計画通り出かけられない待たされ腹が立つ、めんどくさい買い物が長くなり(夫) 車だとつい買い過ぎる・・・・ケンカにもなり弊害が多いです。これまで、必要なことは平日に私が自己解決して夫はなにも手を汚さず、まったく別行動の生活で済んでいたのになにかを頼むにも夫に一言一句説明して覚えの悪い夫にやってもらい店から電話で細かく尋ねられるのが とてもストレスになります。この病気にさえならなかったらなぁ・・・
2014.05.19
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おばさん特有のクレーマーな性格になってしまった最近のわたくし。少し反省はしていますよ。「二度と会わないからそんなに怒らなくても。口角の下がった不機嫌顔してオバサン客ってずうずうしくていやーね。」 と、娘。診察の時。いつも脚を引きずりながら入りますがチラ見して、ニヤニヤして「足取りはいいようですね。」なんて言うドクターに腹がたつのは 私が更年期のせいでしょうか(笑)この慢性的なチクチクズキンズキン。ドーーーーンとくる痛み。ドクターに体験してみてほしい。診察室に入り眠気を聞かれ「ないです。」と返事をするやいなや、お尋ねしました。「あの、治療方針とか 病状の説明をまだ聞いていないので伺いたいのですが 。手術をするほどでもない、ということなのですか?」若いドクターは「あ、お話していませんでしたかね。」横をむいたまま話し始めました。手術をするしないは患者さんのご希望なんですよ~私たちは無理にさせたりしませんそこで私の合いの手「一年後の結果が同じくらいということがあるからですか」たとえば100人の患者をくじ引きをして手術をする人、しない人に分けて100人より多ければ多いほど結果は確かなものになりますが相槌「サンプル数は多いほうが(正確な結果が出る)」みんなを同じように考えてはいけないんでうなづいて「母数の条件が同じじゃ(ないので、ですよね) 」ちょっと黙って聞いてくださいっドクターキレ気味。麻痺がひどいとか、排泄障害があるとかは別ですが(中略)保存療法で(略)無駄に知識を入れてきた患者は大っ嫌いみたいです。でも私はバカじゃないですよ!説明してもらう権利はあります!元医院のドクターはレントゲン写真の説明を指し棒使って丁寧にしてくださいました。痛みの元の神経の説明も模型を使ってわかりやすかった。知識ゼロの患者でも疑問は解決です。私のヘルニアはたくさん出ているほう? ひどいのでしょうか?これくらいの痛みなら軽い部類ですか?髄核というものは出ているの?聞きづらいまま大事なことを聞けないまま元の地元の医院に通ってください。と言われ「薬はそっちで出してもらえるのですか?」はいはいお手紙を作りますので持って行ってください。カチャカチャ「はい、いいですよ~(診察終了お帰り下さい。)」説明をしてくれない医者でした。医院は湿布を大量に出したり、ビタミン12をたくさん出したり電気に通えって言うんですよね。儲けるために。気は重いけどリリカだけはもらわないとね。命の次に大事な薬が無くなったら行くくらいにしようかな。
2014.05.17
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今日は総合病院へ通院の日。担当医の再診は4度目だけど、いつも痛みの度合と薬の副作用の具合を聞くだけで3分診療。だんだん腹が立ってきて おこ ですよ。 私が黙って座って聞かれるのに答えるだけにしておけばドクターは病気について何も説明しない。あっちむいてPCとMRIの画像をポチポチカチャカチャやって話したことを入力して次回の予約を入れて、はい終了。 コミュ障 ってやつですか? 痛いですねぇ不自由ですねぇこまりましたでしょう とか、患者の訴えに声を傾けて患者の心をいたわれとか、大きな手術をする病院の医者に無茶な期待は しておりませんがもちっとしっかり方針を説明して患者の未来への不安を取り除いてほしいと思いました。初診の日に「病名が決まりました。腰椎椎間板ヘルニアです。この場所のこれが神経にさわっています。 お薬はこれを出しますね。」とだけ 告げられたとき、私は痛みどめの注射の副作用でぼーっとしててそうですかとしか聞けませんでした。私のような患者は今後どうなるのかどうした治療をすすめていくのか何か月でどうなるのかどうするのか完治の見込みは? 言ったらどうよ。ドクターさん。 長いので、続く。
2014.05.16
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子どもの通院に付き添い10分歩く。小雨で傘を持つので杖は持っていかなかった。 わりとすたすた歩けて痛みもなく片脚に冷たいものが走り続けるだけ。痛くはなかったのでまた10分平気で歩いて帰宅。 おひるごはんのあと猛烈に眠気がきてリビングにゴロン。ビリビリと痛くなってきたので ベッドに移動して1時間半寝てしまったが ヂカヂカズンズン痛いんですけど。 夕飯作りは立ってるのがやっとかも。 明日は通院日。私の担当医は3度も通院しても 患者にはっきりとした告知をしてくれていません。 言われていないけれど私は治療方針は理解している。でも医者なら言ってもらわないと。職務でしょ?言わせようと思います。
2014.05.15
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痛かった翌日じっとして外出もせず体をいたわりズキズキは減りました。 腰の悪い人にはせんべい布団がいい。と聞いてさっそく実行しました。低反発でなく高反発の固いものがいいそうです。和田アキ子は布団なしで板に寝ているって都市伝説でしょうか? 私、以前敷いていた一枚に最近もう一枚経年でへたったものを敷いていましたが何を思ったか低反発の薄いマットも敷きこんでおり柔らかすぎの腰に悪い環境になっていました。反省して二枚取り去り ぺったんこの薄い敷き布団で 寝ています。 一週間たちますが、腰にいいみたい。
2014.05.14
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急な野暮用で自転車で近所の買い物を含め5か所をめぐったのが悪かったようで痛み7か8。それも座っていたら痛くないはずなのに、お尻の頬にどーんときました。夜、布団の中で 痛い痛いと声に出しました。なんとか眠れたけど朝5時に目覚めたらもうね、寝られませんで起きました。 立てばもうズキーン。10分立ってられないかも。 こんな時は買い物も無理です。車で連れて行ってもらったけれど店内で ずっと小声で 「イタイタ・・・」安くてつい買いこんで、飲み物類が多すぎです。夫も腰痛予備軍(朝はひやひや)トランクに積み込むとき 「あ(い)たっ!」ぎっくり腰になっちゃ困るのです。助けてほしいのはこっちなんだから~ 料理で立ってるのがつらくて痛いわー リリカ効いてください。お願いします。
2014.05.11
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もともと飲める口でもないですが飲みたいなというときがありましておいしいお料理を前にするとお刺身なら日本酒チーズの料理なら白ワインという具合に。リリカと併用はだめなんですって。これからビールのおいしい季節なのに残念です。今日は子ども会の廃品回収日で今回のヘルニア発症から一度 回収日に出し損ねていてたまりにたまった古新聞と段ボールと古着を夫と子どもで協力して集積場まで出しに行ってもらいました。エレベーターで下して前の道路ですから近くですけどね。わたくし、ここ数日少し無理して動いたのでお尻のほっぺたが痛くてたまりません。リリカも効きません。近くに自転車で急な用事に出かけました。無理は禁物だなぁ二、三日じっとすごして安静にしておきます。
2014.05.10
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昨夜は寝る前から痛くて寝入りがつらかったです。今朝はリリカで10時すぎから午後2時くらいまでくらくらしました。夜は効かず昼間はくらくら。リリカを飲み始めていつもと同じように食べても満腹しない気がします。これまではお昼は眠くなるから 炭水化物を控えてビスケットとかおせんべいだけのこともありましたが今ではがっつり食べても足りない気分。まだいけるよ。昨日はお昼にハンバーグをこねて作り2個食べてしまいました。あまりの食べようにちょっと後悔。夕飯はお米は食べずおかずだけにしてがまんしました。じっとしてるから体重は増えるんだろうねぇ。ドイツ首相メルケルさんみたいに減らないかなぁ・・・・診察まであと1週間です。
2014.05.08
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パソコン用の椅子が壊れました。息子の学習机とともに使っていた椅子でヘルニアの腰にはクッション具合が優しく愛用していました。背もたれのねじがとれてしまい買い替えを考えています。長いPC閲覧時間です。フローリングにも優しいキャスター付きの学習用チェアを買おうと思います。
2014.05.06
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ヘルニアンのみなさんその後具合はいかがですか~?少し良いからって古新聞や雑誌を束ねたり大掃除をしなくちゃと動いたり重いものを引きずって動かしたり夫がやってくれないからと天井の電灯を交換したり無理してしまいました・・・・。だって汚いんですもの。右臀部が硬直しておりました。夜のリリカが効きません。ジカジカヒリヒリ寝るとき痛いこと。朝から夕方までは洗濯だけ干してじっと座っていられるので痛み1で平穏です。通院のときだけ痛みが少ないのですがふつう、午後がダメですわ。再診まであと10日。黒い斑点の出たバナナを一日2本食べています。マクロファージが活発化するように願って。←ほんとかしらね?
2014.05.05
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産後4か月。日々腰が痛くなり前かがみや 洗面立ったり座ったりとてもつらくなりました。5月の息子初節句の宴で夫の実家で主役ができるのかと思いきや料理並べやお給仕をしなければならず畳に立ち座りが腰が痛すぎて合間にお乳もあげて片づけをお客にさせてはいけないと親戚が帰ったあと座りで向こうのお膳に手を伸ばすなどの動作がつらかった記憶しかありません。自宅に戻ってすぐ整形外科に行きました。リハビリ電気治療理学療法士や鍼灸師を抱えた医院で簡単にレントゲンをとったあと腰痛治療に電気にかかるよう指導され3,4回通いました。ベビーカーで4か月の子供を連れての通院で急性期を過ぎるとだんだん夏になり歩いて通うのも大変になったので行かなくなりました。お産で尾てい骨が痛んだ人の話を聞いたりしてそうなる人多いのかしら と思いじょじょによくなると思っていたのですけど・・・
2014.05.04
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21年前第一子を出産しました。予定日を一週間も過ぎたので誘発剤(飲み薬)を使い、自然分娩でしたが陣痛も終盤のころ左の骨盤から脚にかけて、激痛が走りました。左の太ももをあざができるほどつかみ耐えました。産後1か月で 実家から自宅に戻り子育てを始めましたがソファーもベビーベッドも持たなかったので前かがみの姿勢(おむつかえや授乳)がしんどくなりました。4か月たった頃に集合住宅で回覧板を回して上の階から降りるときスリッパ履きでしたので階段を踏み外しコンクリートの階段にいやというほどおしりを打ち付けました。あまりに強打して骨が痛くてしばらく声がでませんでした。それがあってすぐ立ちしゃがみまえかがみがつらい痛みが出てきました。仙腸関節の調整をされている整骨院のサイトを読んで原因が物理的な力、交通事故や転落など外的要因と書いてあり出産後の骨盤痛はあれが原因だったかもしれないと思った次第です。
2014.05.02
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