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あらゆる事やモノが常に変わっている。物質(肉体)はモノラル(連続体)で変わっている。時間と共に、変化し続ける世界だ。変わり続ける事を、受け入れようが受け入れまいが同じだ。事実は変わり続けている。固定された概念。固定された性格。固定された思い。それらが、事実とギャップをつくる。そして、不都合が生まれる。この世は、常に変わり続けているのだ。だから、できる限り、柔らかな自分でいよう。変わって当たり前。違って当たり前。当たり前は、ラッキーだと気づこう。
2011/01/31
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自分の今を基準に判断する。すると、健康な人は薄情になりやすい。明るく元気な時の落とし穴だ。辛く苦しい状況を軽くみてしまう。病の人は必要以上に暗い面を想像する。病みは闇に反応しがちなのだ。先はわからないのが、この世の仕組み。計算や想像通りにならない。だからこそ、柔らかさが楽になる秘訣。生きていれば常に変わる。生きていれば常に変われる。生きているだけで常に変わってしまう。変えようとしない心が邪魔をするだけだ。だからこそ、最初から救いだらけの仕組みでもある。
2011/01/30
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ワシは病み人から様々な事を教わる。普通に息が出来る事。歩ける事。指が動く事。見える事、聞こえる事。それらが、奇跡というほど素晴らしい事だと。毎日全てが変わる。この世は、そういう仕組みになっている。病み人にとっては、希望の仕組みだ。だから、この世は優しさで創られている。そういう理解の仕方を気づかさせていただく。健康で気力があり、能力のある人の欠陥。ワシはそれまでの観方から180度違う観方を知った。もちろん正誤はないだろう。だが、正反対の観方があった。そして、それが優しかった。
2011/01/29
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一人(個)だけで生きている世界ではない。一人だけなら、芽も花も必要ない。といって、芽を出す為に生まれたわけでもない。花開く為に生まれたわけでもない。芽や花が出たなら、それは祝福なのだ。健康な人達が言う。気力ある人達が言う。「人は何かを成す為に生きている」この言い方は間違いだ。「自分は何かを成す為に生きている」これなら、勝手にしてくれ。ワシは病み人を相手に仕事をしている。生きているのに精一杯の人達がいる。芽をだせ、花開けというのは薄情だと知っている。もし、芽が出たら、ラッキーだね、と思う。
2011/01/28
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芽が出なければ失敗というわけじゃない。まして、花開かぬ人生が失敗のはずがない。生まれたなら合格。生きてきたなら、満点の人生だ。その上でラッキーが重なる場合があるのだ。芽が出れば、ラッキー。花開けば超ラッキー。ラッキーは他へおすそ分けができる。芽とか花とかは、そういう役目だ。何の為に生きている。生命ある限り生きる為に生きている。生きとし、生きる、それだけだ。その上で、グレちゃんはオマケを用意した。時々、ラッキーが重なるように仕掛けてくれた。
2011/01/27
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種を蒔けば、芽が出る事はある。芽が出ればラッキーだ。だが、花開く事はマレだ。だから超ラッキー。有限の人生で芽がでる事は、アチコチである。種を作り、蒔けば、芽は出やすい。有限の人生で花開く人は、かなり少ない。とても恵まれた条件が揃ったのだろう。個人の能力だけでは花は開かないのだから。花一輪でも超ラッキー。大輪の花なら、超超ラッキー。本人だけでなく、他の人達が超ラッキーになる。多くの花が開いたなら、超超超ラッキー。世界中の人達が、多くの恩恵を受ける。
2011/01/26
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芽が出たらラッキーだが、その先がある。芽が伸びるように養い続ける。やがて、蕾が膨らむ。そして、花が開く。たった一つの花でも超ラッキーだ。花が開くのは、芽が出たからだ。種は自分で作れる。だが、芽は自分だけでは出ない。様々な御蔭があって、芽が出る。芽出を自分の手柄だと勘違いしない。花も同じだ。確かに、芽を伸ばすのは自分次第。芽が出れば、大きくする事はできる。大きくなっても、花開くとは限らない。この世は、とても不確定な世界だ。
2011/01/25
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目出は目出度いが、どんな目か判らない。芽出も目出度いが、ほとんど見当がつく。それまで係わってきた能力の芽だ。種をつくり、更に続けた結果だ。上手く芽が出たなら、お目出度い。種を蒔いても、芽が出るとは限らない。種に栄養を続けても、芽が出るとは限らない。芽が出るのは、幾つかの条件が重なったからだ。それは、本人の努力だけでは足りない。種は腐らないが、冬眠する事がある。蒔いても、栄養を与えても冬眠する事がある。一生芽が出ない種など、ザラにあるのだ。だから、芽がでればラッキー。
2011/01/24
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生きてりゃ、アレコレある。イロイロもある。辛い事も厳しい事も悲しい事もある。だが、全て目出度いと言おう。生きてりゃ、目出度い。それが解るまで、50年かかったぜ。辛くても目出度い。悲しくても目出度い。苦しくても目出度いのだ。全てが目出度いなら、ワシは嬉しい方を好む。苦しみは、さっさと変えるようにする。この世は、何でも、変える事が出来るし変わる。身体や心の病は、変える事が出来るし、変わるんだ。気づけば、より、変わりやすいぞ。
2011/01/23
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調和がなければ滅亡に向かう。変化がなければ、調和は働かない。変化しない事、変化しないモノを求めると・・・・衰退し、滅亡に向かってしまうのだ。大人は、衰退したがっている・・・目出が、祝福される理由がここにある。何かが変わる事は、とてもラッキーなのだ。もちろん、実際は諸行無常ではある。少しずつ変化はしている。出目は、日常では大きな変化をいうのだ。結婚、御目出度う。出産、御目出度う。就職、御目出度う。退職、御目出度う。
2011/01/22
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自然(の仕組み)とは。この世の仕組みとは。諸行無常、万物流転。これは間違いない。時間が一方向に流れる。時間と表裏の空間がある。時間とは、変化、移動の事だ。一瞬たりとも留まらない時間の世界だ。だから、一瞬たりとも変化が止まる事もない。常に変化がおこり、常に安定に向かう。安定に向かう力を調和という。安定とは、調和という流動している状態だ。変化も安定も無常の仕組みの中にいる。この世は常に調和に働く力がある。万物に調和力があるから、存在できる。
2011/01/21
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大人の特徴。変わらないモノを重要視する。変わらないように願う。安定を変わらない事と勘違いする。子供時は柔らかだった。変わる事に対応できた。変わる事が日常だから。変わる事が素敵に思えた。固定概念を増やして大人になった。変わる事に対応できなくなった。変わる事が怖くなった。目出を求めなくなった。だから、お目出度い事が少なくなった。
2011/01/20
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目が出ると、何故ラッキーなのかわからなかった。おめでとう!御目出とう。今になって、ようやくわかる。子供時代は目出が当たり前だった。毎日が変わって、当たり前だった。当たり前は、とても素敵な事だった。当たり前は、ラッキーな事だった。大人になるという事。社会に馴染むという事。その時の国や時代が決めた常識に馴染む事。社会は、変化を好まない。大人は、いつの間にか保守が当たり前だと誤解し始めた。
2011/01/19
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どんな目が出るかワクワクしていた子供時期。毎日が新たな世界だ。基本的には何歳になっても変わらない。毎日が新たな世界なのだ。だが、大人になるにしたがいワクワクが少なくなる。ワシの知っている魅力的な人達。共通する特徴がある。どんな高齢でも変わらない。生きている事を愉しみとしている。多分、毎日がワクワクだろう。今日はどんな目が出る。次はどんな目が出る。明日はどんな目がでる。生きてる事は面白ぇ。わからねぇから、面白いぇ。
2011/01/18
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何かを行う。すると、何かの目が出る。この目は見えない。見えないが、目によって次の展開が変わる。目で変わるのだ。目は、運とか方向性だろう。良い目が出れば、ラッキー。厳しい目が出る場合もある。それでも、何の目も出ないよりマシだ。目が出ないと、衰退するしかない。この世は諸行無常で成り立っている。変化があって、生きている。変化があるから、生きられる。目が出るから、変わる事ができる。ワンパターンでは、衰退に向かってしまうのだ。
2011/01/17
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「明け」れば「目出」たい。というわけで「目出」の話。「め」には、目、芽、女、が代表としてある。めが出る、のは目と芽。女が出ると、ヤッカイが多い・・・女は祝福の対象だが、出るのは凸。凹が女の自然体だからだ。つまらぬ表舞台は、(アホな)男が出ていればいい。本当に大切なのは、内側の世界だ。その内側から出るのが、目か芽となる。だから出れば、御めでたい。目は運。芽は才能。
2011/01/16
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「明け」ればラッキー。自分に備わっているとはいえ、自由に使えない。自分に備わっているとはいえ、全て先祖の賜物だ。自分のモノじゃない。自分が預かっているモノだ。目が出なくては、使えない。「明け」れば、目が出る。何の目が出るのかは、不明だ。そして、どんな花が咲くのかも不明だ。更にその先は、本人次第。花から実を結ぶのは、本人がする。これは、受動や自動じゃない。本人が活かす生き方をするかどうかで決まる。「明け」れば、ラッキーだ。
2011/01/15
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全てを受け入れるのではない。すでに、全て受け取っているのだ。活かす事をしていないだけだ。閉じた扉を開ければ、何かが出てくる。計算通りにはいかないが・・・全てを許すのではない。すでに、全て許されているのだ。新たに、許可はいらない。神様に許可はいらないのだ。するとしたら、感謝だけだ。例え、感謝しなくても許されている。「明け」る愉しみ。何が出てくるか、愉しみ。どうなるのか、愉しみ。「明け」る度に、生命は喜ぶ。
2011/01/14
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「明け」るとどうなる?何が「明け」るかによるが、基本的には自由になる。「明け」た分だけ、自由範囲が広がる。自由範囲が広がる事を「幸せ」という。自由範囲が広がる事を「進化」ともいう。「明け」るとどうなる?当たり前だが、明るくなる。縛っていたモノから自由になるのだ。柔らかくなる。柔らかくなると、明るくなる。「明け」るとどうなる?観えるモノが増える。今まで、気づかなかったモノが観える。固定概念の壁が消えるのだ。その先が観えるようになる。
2011/01/13
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マジメな人は努力しないと「明け」ない。努力で「明け」ると思っているから。そして、努力しても「明け」難い。努力は力が入ってしまうから。デタラメな人は「明け」ない。最初から「明け」るのを諦めているから。そして、デタラメにこだわっているから。「明け」るのは自然体。デタラメは、自然から外れている。いいかげんな人は「明け」が訪れ易い。とらわれているモノが少ないから。そして、自然はいいかげんだから。だが、確定も決定もしない。いいかげん、だから。
2011/01/12
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ワシにもある。明けて欲しい能力がある。力じゃないが、もっと大きく広く使えるようになりたい。もっと簡単に、早く変わるようになればいい。自分の内に準備できているのは、わかる。だが、どうしたら「明け」になるか、は不明だ。どうして「明け」ないかは、何となくわかる。蓋を閉じているのは、自分以外にないと、わかる。「明け」の時。あっけないほど普通。力みは、全くいらない。つかんでいるモノを放せば「明け」る。それが、なかなかなんだなぁ・・・
2011/01/11
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それでも望むモノはある。誰でもある。才能が欲しい。力が欲しい。票が欲しい。勇気が欲しい。健康が欲しい。あのオンナ(オトコ)が欲しい。金が欲しい。幸運が欲しい。世界が欲しい。アレが欲しい。ソレも欲しい・・・望むのは勝手だ。可能性はある。何でもすでに用意されている。だが、多くの人や国が優勝を望んでも、叶うのは一人。「明け」は、どうやらオリジナルなモノが対象のようだ。他と競合しないモノのようだ。
2011/01/10
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望みがある。欲かもしれない。どうでもいい。他さえ侵さなければ、言葉など何でもいい。何でも揃っているのだ。「明け」れば使える。ならば、アレが「明け」たい。それぞれの望みがある。望めば叶うなら、この世は存在しない。そんな事さえ解らなかった。この世があるのは、多種多様と交流し混じる為。だから、自分の望み通りの「明け」にはならない。時には、結果として望み通りになる場合もある。
2011/01/09
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この世は「明け」要素で充満している。精神世界では「明け」を「気づき」といった。大きな「明け」を「悟り」といった。仏教世界では「ブッダ(開かれた)」といった。いずれにしても、全て最初から有ったモノが開いた。この世は、有限の生命世界。時間が一方通行で流れる世界だ。全てを内蔵していても、全てを「明け」る事は出来ない。何かを「明け」、その体験を味わう為の世界でもある。だから、何をしてもいい。何でも、正解だ。唯一つの約束は「生きる事」だけだ。多種多様が生きている世界だ。「生きる事」は他の「生きる事」を邪魔しない事だ。それが、たった一つだけの条件だ。あとは、何かを「明け」て愉しむがいい。
2011/01/08
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新たに身につけるモノはない。勉強して身につくのではない。勉強は「明け」の為に必要だったのだ。「明け」の一方法にすぎない。だから、勉強しなくても頭脳明晰はいる。練習して技や力が身につくのではない。練習は「明け」る為の一方法。練習なく、世界のトップも多い。感性部門は特に多い。努力して、何かが得られるのではない。努力は「明け」の一方法。しかも、あまり効率が良くないかも・・・むしろ、愉しむ方が「明け」やすいかも・・・
2011/01/07
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明け、とは何か?人間の能力開花だけではない。様々な事柄に当てはまるだろう。元々内蔵されたモノが開く事だ。この世のほとんどが、そういう風に創られているようだ。最初から全てが用意されている。全ては最初に含まれていた。千差万別は、現れる要素によってだった。大元は同じだ。ワシは容姿も頭脳も身体能力も最高をもっている。アナタも同じだ。愚妻や豚児、豚子も同じだ。ただ、様々な現れる要素によって、今の姿があるだけだ。明ければ、どんなモノにも変身できる。
2011/01/06
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持っている能力の種類、量は似たようなものだ。人は何十何百代もの交配によって、今生きている。その総数は、とてつもなく多い。様々な能力を持った遺伝子が入っている。だから、生まれつきの優劣なんてない。内蔵された能力に差はないが、現れる能力は千差万別。何をキッカケとして現れるのか知らない。自然環境、家庭環境、社会環境、時代環境などが大きいだろう。もちろん、本人の意思や意志が優先するだろう。人間は、その秘められた能力においては皆平等といえる。遡れば、ほとんど親戚になる。更に遡れば、肉親になる。更に遡れば、同じ親になる。更に遡れば・・・我等動物、皆兄弟姉妹だぜ。
2011/01/05
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初め、は、一とも書く。全て、という意味でもある。一年の計は元旦にある。そんな深い意味があるとは知らなかった。初め、に全てが含まれているとは知らなかった。人の可能性もそのようだ。何十代、何百代から受け継いだ能力。今生では活かしきれないだけ。全ては含まれていた。人間種だけではない。胎児期に変化する20億年。人以前からの能力も内蔵したままだ。活かしきれていないだけ。とてつもない多種多様な能力が含まれている。
2011/01/04
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一年の初めを、自転のある一点に決めた。もちろん国や時代によって違う。正しい日なんてない。人間種が勝手に決めた事だ。それでも、まぁまぁの工夫だと思う。初め、を決める事により自転一回がわかる。おおむね365日を決められる。おおむね誕生日などが決められる。アレコレ、便利なのだ。アレコレ、有効なのだ。それもこれも、元旦があるからだ。初めがあるから、後が続く。初めがあるから、締めの日も作れた。メリハリができた。初め、は全てを内包している。
2011/01/03
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人が生活するということ。そこには、いろいろな工夫がある。いろいろな工夫を培ってきた。上手くいかない工夫もある。それらは、やがて消えていった。まぁまぁの工夫がある。改良改善されて続いている。かなり上質の工夫もある。それは「智恵」とよばれた。智恵は、全てのモノが活かされる工夫だ。一年の始まりの概念。正月、元旦が、どの工夫に当てはまるかわからない。人以外の生物が喜ぶとも思えない。だが、それを受け入れた人達は活かしているようだ。すくなくても、ほとんどの人間種は喜ぶ方向でいる。
2011/01/02
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明けまして、おめでとう。今日から始まる一年。つまらぬ理屈で世の中を観ていた頃。大晦日も元旦も同じ一日だと思っていた。人の心が理解できぬアホ丸出しの頃だった。一日が暮れて、次の日が始まっただけ。急に「明けまして」はないだろう。イキナリ「おめでとう」はヘンだろう。まして、旧暦から政府の都合で新暦に変わった。正月がズレてもいいのか?そんな、理屈ばかりが先にたっていた。今は解る。46億回の自転がある地球。人間が、ある頃から一年という概念を作った。国によって、始まりの時期もズレている。それでも、いいのだ。それで、いいのだ。
2011/01/01
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